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ポルノで全世界に衝撃…ダミアーノさん、80歳で死去

ジェラルド・ダミアーノさん(クリックで拡大)

 監督したポルノ映画「ディープ・スロート」(1972年公開)は、過激さから全米、全世界にセンセーションを巻き起こした。

 リンダ・ラブレイス(故人)演じる主人公は、不感症で、ノド(スロート)の奥(ディープ)にクリトリスがあり、フェラチオによって女の悦びを得るというストーリー。“ヘアヌード”解禁など想像を超えた存在だった日本でも、作品の存在は衝撃を与えた。

 同じころ全米を揺るがしたのはウォーターゲート事件。「ディープ・スロート」が“内部告発者”“秘密情報源”の意味で使われるようになったのは、この映画の影響である。

 2005年秋、その時代を描いたドキュメンタリー「インサイド・ディープ・スロート」に出演した縁で来日、夕刊フジの取材に応じた。当時「インサイド−」の宣伝をしたCKエンタテインメント制作部部長の西川久造さんがいう。

 「ご覧のとおり、すごくダンディーな方でした。当時、体調がすぐれず、酸素吸入が必要な状態でしたが、インタビュー時にはりりしかったですよ。歴史に残る作品を撮った人とは思えない、気さくな方でしたね…」

 「ディープ−」は、全米歴代1位「タイタニック」をもしのぐ、興行収入6億ドルをあげたとも言われる。しかし、モノがモノだけに、その利権に群がったのは闇世界のマフィアで、監督の懐にはほとんどカネが入ることはなかった。

 ダミアーノさんは「利益より家族の安全の方を取ったよ。マフィアは金の卵を食べないで、育てた方がよかったんじゃないかな。そうしたら、今ごろ、MGMの社長にでもなって、ハリウッドには『ダミアーノ帝国』ができていただろう」と笑い飛ばしていた。

 美容師などをへて40代で業界入り。生涯に約50本のポルノ映画やビデオを撮った。この美容師の経験が「女優に接する際に生きた」とも生前語っていた。

 なぜエロチックな映像が撮れるか、との質問には、「祖先にイタリア人の血が流れているからかな…」と答え、いたずらな笑顔を浮かべていた。

 ■ジェラルド・ダミアーノ 10月25日、フロリダ州フォートマイヤーズで死去、80歳。死因は脳梗塞による合併症。

ZAKZAK 2008/11/17

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