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18世紀、新たな発見が近代を開いた(下)

【新刊】韓国18世紀学会編『偉大なる百年、18世紀』(太学社)

 2番目の座談会では、西洋の18世紀が「啓蒙の時代」であり、「豊穣の時代」だったと主張している。これは、18世紀は19世紀よりもむしろ活力にあふれた時代だったが、不当におとしめられた側面があるという指摘だ。その躍動性は、新興ブルジョアジーを中心とした自由な公論領域(public sphere)が台頭した空間的条件から探すことが出来る。

 しかし、われわれが誤解している部分も多い。例えば、啓蒙思想が結果的にフランス革命に影響を及ぼしはしたが、ルソーやヴォルテールが革命を予想したり、扇動した形跡はまったくなく、米国独立宣言に登場する「平等と自由」の適用範囲は、あくまでも白人支配層に限られていたという点などだ。さらには、フランス革命ですら階級革命ではなく、エリート階層内部での「政治革命」に過ぎなかったという修正主義的な解釈まである。また、「理性に対する妄信」という啓蒙主義の一部要素は、それ以降の植民主義と自然破壊を生むことにもなったが、「健全たる人間の理性」というその根本精神は依然として有効だと出席者らは述べている。

 最後の3章で行われる東洋・西洋の「統合座談会」は相当な緊張感をにじませている。当時、西洋の歴史が代表する「世界史的進歩」の構図を東洋史に適用しようとする側と、類似性を強調することに懐疑的な立場を持つ側が対立しているためだ。

 西洋の「理性」と東洋の「理」は、果たして同じものなのだろうか。前者は科学性を重視し、後者は道徳性を重視している。

 また、韓国に出現した書院・文社中心の公論は、西洋で出現したサロン・クラブ中心の公論と比較できるのではないだろうか。これには、当時朝鮮は本格的に都市や中産層が形成されていなかったという反論が続く。

 さらに、身分にとらわれず、知識人層を登用しようとした正祖(チョンジョ)王は、西洋の啓蒙君主と似たような存在だったといえるのだろうか…。

 この座談会は、あくまでも問題提起をしたという点にこそ意義がある。もう少し関心を傾けるべき部分は、各国の18世紀には多くの部分で類似性があるように見えるが、果たしてその時代の何が韓国・中国と西洋・日本の19世紀を異なるものにしたのかを究明することにあるだろう。

兪碩在(ユ・ソクジェ)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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