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2008年6月22日 (日)

CROWN PLUS 3 lesson1

クラウン+3 lesson1

The Mystery of the Mary Celeste  ─メアリー・セレステ号の謎─

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1872117日、1,700樽の未加工のアルコールをジェノバに運ぶため小型の帆船がニューヨークを出航した。船長(ベンジャミン・ブリッグズ)、その妻サラ、2歳の娘ソフィア、それと7人の乗組員が乗っていた。船は長さ33メートルで、半年位なら十分に持つ食料や水を積んでいた。その船はメアリー・セレステ号と呼ばれた。

5週間後、メアリー・セレステ号は人気もなく外海を漂流しているところを発見された。船長、その家族、乗組員はどこにも見つからなかった。メアリー・クレステ号は幽霊船だった。

あちこちに小さな傷跡があり、船倉は浸水していた。しかし積荷は無事で、船はまったく航行可能だった。それに船長や家族、乗組員が唐突に姿を消したという形跡もあった。乗組員たちは防水コートやパイプを手に取る時間もなかった。誰かが咳止めの薬をひとさじ飲み、再びビンに栓をする時間もなかった。ブリッグズ船長やサラ、ソフィア、船員の身に何が起こったのか?

一つの仮説は、船が巨大イカ、つまり海の怪物に襲われたというものである。しかし船のクロノメーターや六分儀、書類も消えていた。海の怪物がこれらを欲しがったというのだろうか?

もう一つの仮説は争いがあったというものである。赤いしみの付いた剣が見つかった。もしかしたら乗組員が反乱を起こし、船長とその家族を殺し、航行するためクロノメーターと六分儀を持って船の小さな救命ボートで逃げたのかもしれない。

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しかしながら、赤いしみは血ではなく、クエン酸鉄だった(剣はレモンで手入れした)。もっと重要なのは、ベンジャミン・ブリッグズは公正で立派な船長であり、乗組員も誠実でベテランの船乗りだった。大西洋をちょっと横断するだけの間にどうしたら反乱が起きるというのだろうか?それにたとえ乗組員が船を乗っ取ったのだとしても、その場合、船を乗り捨て小さな救命ボートに移ったりするだろうか?

メアリー・セレステ号の謎は、1884年にアーサー・コナン・ドイル(シャーロック・ホームズの著者)が‘マリー・クレステ号’と呼ばれる幽霊船の物語を書いたため有名になった。この謎に関するバカ売れする本が英国とアメリカでたちまち出版された。謎の多いメアリー・セレステ号に関する本やサイトは今でもたくさんある。

What happened to the Mary Celeste?

運命の航海の数日前、ブリッグズ船長は母親宛に手紙を書いた。彼は船の仲間たちに満足していて─「とてもいい航海士と賄い長がいるからきっと楽しい船旅になると思う」、また新しい船にも満足していた─「“私たちの船はきちんと整備されているし、いい航海になって欲しい」。彼は娘のソフィアについてこう書いている。「彼女は本当にお利口さんで、来るときひいていた風邪ももう治り、ハヤシとバターパンをすごい勢いで食べている。この船旅は大いに彼女に役立つだろう。」

運の悪いことに1123日ごろ南西から強風が吹き、天候が荒れ始めた。ブリッグズ船長は強風を逃れるためアゾレス諸島のサンタマリア島の北部を航行することにした。25日の午前5時、メアリー・クレステ号は(p10の地図の)島の西の●印の近くにいた。午前8時には島の北東の+印の近くにいた。午前8時をまわってすぐ、何か恐ろしいことが起こり、乗組員全員が急いで7メートルの救命ボートに乗り移らなければならなかったに違いなかった。主な仮説が2つある。

1. The ‘alcohol theory’

メアリー・クレステ号の積荷のアルコールは危険なものだった。時間が経つうちに、樽から出た気体が船倉に溜まって爆発するかもしれなかった。ブリッグズ船長はそれまでこんな荷物を運んだことがなかったし、深い信仰心を持っていたので彼はアルコールを忌み嫌った。“アルコール説”によれば、彼に1,700樽のアルコールが今にも爆発すると思わせた何かが起こったに違いない。

後になってメアリー・クレステ号を調べてみると、9斗の樽が空だと分かった。その上、船倉のハッチ2枚が引き剥がされたか吹き飛ばされたかしていた。おそらく小さな爆発があって、ブリッグズ船長はみんなが救命ボートにいる方が安全だと判断したのだろう。それから突然の嵐で救命ボートとメアリー・クレステ号をつないでいる太いロープが切れたのかもしれない。(切れたロープが船体の横に垂れ下がっているのが見つかった)。こんな小さな救命ボートでは、母船から切り離されたら荒々しい大西洋の嵐ですぐに転覆してしまうだろう。

2. The “seaquake theory”

サンタマリア島周辺地域では何度も海底地震が起こっている。こうした地震の衝撃は金属製の船にさえ深刻なダメージを与えることがあり、メアリー・クレステ号の下のたて揺れの地震によって大きな鉄のガスレンジが稼動し、空で見つかった9斗の樽が壊れ、ハッチが開いたのかもしれない。ガスレンジの煙やアルコールの強いにおい、海底地震の度重なる衝撃で、ブリッグズ船長が積荷が爆発していると思い込んだ可能性も十分考えられる。

メアリー・セレステ号は無線のなかった時代の唯一の‘幽霊船’というわけではなかった。1849年のヘルモニア号や1855年のマラトン号もまた無人のまま海を漂っているのを発見された。しかし現在ではそれらは忘れられている。けれども、アーサー・コナン・ドイルの小説のおかげで、人々は今もなおメアリー・セレステ号の運命を思い出し、思いを巡らせるのである。/