大日本帝国を下支えするため生まれた日本の国学(中)
【新刊】子安宣邦著、キム・ソククン訳『日本近代思想批判‐国家・戦争・知識人』(歴史批評社)
帝国主義日本の近代認識は、「自己」を超え「他者」までをも新しい観点で見つめ直した。子安は厳格な文献主義と考証で名高い京都大支那学(中国学をおとしめた概念)ですら、実際は中国を「外部から処方を下すべき対象」として見た帝国主義的視線の一部だったと暴露する。中国を停滞した老大国と考えた内藤湖南や、『論語』テキストを後代の創作と主張した津田左右吉の視点がこれに該当するというのだ。
太平洋戦争が勃発すると、「脱近代」が話題に上った。1942年に開かれた悪名高い「近代の超克」座談会で知識人らは、今やアジアの代表走者日本は、欧州が作り上げた「近代」を抜け出し、新たな世界史を実現する段階に至ったと声高に叫んだ。しかし子安は、座談会に出席した知識人らが「日本自らが直面していた“近代”の古い諸要素を克服しよう」とは誰も考えることができなかったと批判し、この座談会と対立した見解を持つ日本思想界の巨匠・丸山真男ですら、日本の未成熟な病理を批判しただけで、総力戦を遂行することになった日本近代の実体を分析できなかったと批判している。戦後に絶えず教科書問題を引き起こし、歴史の再解釈や修正を試み、広島の平和記念館などで被害者の過去ばかりを歴史的に表象化する日本の姿は、真の反省も克服もない歴史が続いていることを示している。
しかし、この本が与える驚きは、韓国人がよく口にする「日本帝国主義」の基底で作動していた思想的メカニズムの実体にあるのではない。むしろ、「日本」を「韓国」に置き換える際に感じられる既視感にこそ驚きがある。
日本(韓国)の原型を探求する民俗学、日本一国学(韓国一国学)と国民国家の樹立、「国語」と「日本語(韓国語)」の気まずい共存などは、これまで慣れ親しんできたものの、起源については再び省察する必要があるのではないかという意識を生じさせる。「支那学」の第一人者・津田左右吉が、『三国史記』に記録された新羅・百済・高句麗の建国初期の記録に不信感を抱き始めた人物という事実も再び振り返る価値があるといえよう。
なお、原題は『日本近代思想批判‐一国知の成立』(2003)。
兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
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