川井: | 学校に入られて、その時はもうインターネットの時代ですよね?
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橋本: | そうですね。当時「未来からの留学生」というキーワードで「10年後に手に入る環境をその場で実現しよう」っていうコンセプトがあったんですよ。インターネットとかも当時はほとんど誰も知らない中で、メールがあったりニュースグループみたいなものがあったり、今はskypeとかみんなやりますけど、まあ似たようなphoneっていうシステムがありまして、みんなそれで夜通し盛り上がったりとかしてました。
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川井: | 入ってすぐにそういう感じだったんですか?
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橋本: | そうですね。SFCは、入るととりあえず全員に一通りプログラムをかじらせることになってるんですよ。そこで初めて本格的なプログラミングに出会いまして、かなり取り憑かれていったという感じです。
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川井: | なるほど。確か全員にパソコンを持たせるんですよね。
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橋本: | 情報系の授業では必ず一人1台のパソコンを使える状況で、ほとんどの人が自分用のノートPCを買うということになっていました。
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川井: | そうですよね。当時からその状況というのは、すごく進んでいらっしゃるなと感じますね。
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橋本: | そうですね。当時まだWindowsが普及していなかった頃なので、パソコンの画面に文字しかないんですね。実は僕はそれがすごく嫌で、学校が買えと言ったものは買わないで半年くらい待ってからMacintoshを買ったんです。
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川井: | そうなんですね。
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橋本: | でもデスクトップだったんで持ち歩けませんでした(笑)
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川井: | そりゃそうですよね(笑)
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橋本: | 当時のMacintoshではプログラミングとかもあまりできないので、もうほとんどの時間は学校にいて、学校のコンピュータでずっと何かをやっているみたいな感じでした。
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川井: | やっぱり興味があったということもあると思いますが、覚えるのは早かったですか?
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橋本: | 早かったと思います。
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川井: | コンピュータ工学を基礎から勉強する授業もあるんですか?
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橋本: | 意外とないですね。プログラムの授業だったら実際にプログラムを書かせるというのが多かったと思います。
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川井: | プログラミングは授業だけで覚えたんですか?それとも自分で遊びながら覚えたという感じでしょうか?
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橋本: | プログラムの授業の中に「ミニプロジェクト」という課題があって、何かしらのプロジェクトをチームで作って一学期の最後に提出しないといけないというのがあったんですよ。
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川井: | はい。
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橋本: | 使いだして数か月で、C言語のプログラムを作って提出しろみたいな感じなんですけど、そこで相当頑張って「星座早見盤」みたいなやつを作ったんですよ。星の座標を全部打ちこんでおいて、まだ受験が終わったばかりで回転行列というのを覚えていたので、回転行列で全部の星を回転させようとか考えてたんです(笑)
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川井: | すごいですね。
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橋本: | 二人くらい巻き込んで一緒にやりました。やっぱりものを作ると覚えるのがすごい早いんですよ。
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川井: | そうですよね。
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橋本: | それでけっこう覚えましたね。
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川井: | なるほど。じゃあ最初はC言語から入られたんですね。
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橋本: | C言語ですね。でもまだその時はポインタの壁みたいなものは超えられず、「ポインタってなんだろう?」みたいな状態で作っていました(笑)
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川井: | ポインタの概念は難しいという方は多いですよね。
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橋本: | そうですね。当時はわけがわかりませんでした(笑)
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川井: | 以前うちでインタビューさせていただいたhigeponさんも、ポインタのことがわからなくてその壁が厚かったとおっしゃってましたね。プログラミングをしていて、他に何か壁とかってありましたか?
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橋本: | やっぱりそのポインタを理解できた頃から、楽しさは次のレベルになってきましたね。次の壁はオブジェクト指向ですかね。
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川井: | なるほど。
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橋本: | 今まで手続き型のC言語を書いていたので、やっぱりまたわけのわからない世界に入っていくという感じがしました。3年生から研究会に入れるんですけど、研究会に入ったら、そこにすごいプログラミングができるやつがいたんですよ。彼がけっこうしっかりとしたオブジェクト指向でC++を書いていたので、それを見ながら手伝ったり、部分的に作りこんだりして、同じプロジェクトでやっていくうちに使えるようになっていった感じです。
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川井: | なるほど。本当に学校でプログラミング漬けという感じだったんですか?
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橋本: | どうなんですかね。意外にプログラミング漬けというまではなかったですけどね(笑)
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川井: | そうなんですか。
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橋本: | 1〜2年生の頃は、僕はサークルにはまってたんですよ。うちの代表の佐野が作った環境系のサークルで、SAEI(SFC Alternative Energy Innovators)っていうサークルです。
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川井: | 環境系のサークルですか。具体的にはどんな活動をされるんですか?
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橋本: | 当時から、酸性雨やエネルギーが枯渇するといった環境問題だとか、そのひとつとして温暖化の問題について考えていて、「このままじゃやばいぞ。みんなが楽しく過ごすことができない世の中になってしまうんじゃないか」っていう危機感を持っていたんです。じゃあそれをどうやって解決していこうかみたいなことを考えていましたね。佐野が高校生くらいからソーラーカーに興味があったこともあって、「太陽エネルギーならわざわざ自然が地面の中に隠したものを掘り起こしたりしないでもエネルギーを手に入れることができて、人間は楽しいままでも続けることができるよね」って思ったんです。環境を守るために人間が我慢するのはすごい嫌だったんですよ。
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川井: | なるほど。
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橋本: | それで、「じゃあソーラーパネルを流行らせよう!」みたいなことで、学園祭で寸劇を織り交ぜたりプレゼンテーションをしたりしました。あとは夏休みに小学生を集めて一泊のキャンプをして、そのキャンプの中で子供たちと一緒にソーラーパネルを使ったおもちゃを作ったりとかもしましたね。「よし、10年後にこいつらはきっとすごくいい地球を作るという意識の高い大人になるはずだ」みたいなことを考えていたりしました。
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川井: | すごいですね。志の高いサークルですね。
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橋本: | でもまあ本人たちは楽しいと思うこととやりたいことがちょうどつながったというだけですね(笑)
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川井: | 1〜2年生の頃はその活動に夢中になっていたということですね。
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橋本: | そうですね。「移動手段はローラーブレードもいいんじゃない?」とか話して、ローラーブレードが流行ったりだとかもしました(笑)
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川井: | 電池技術は遅れているというか、色々なものが発展していく中で、電池だけは2時間しかもたないとかあるじゃないですか。ソーラーパワーでできるようになればすごいですよね。
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橋本: | キャパシタみたいなものがうまくいけばいいんですけどね。
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川井: | 今は宇宙からエネルギー受信をして・・・みたいな技術も聞きますね。
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橋本: | かなり前からある計画ですよね。
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川井: | なんだか不思議に感じてしまいますけどね(笑)佐野さんとはそのサークルで出会ったんですか?
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橋本: | サークルに入る前に友人との飲み会で出会って、面白そうだからサークルに入ろうと思いました。
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川井: | どんな感じの友人なんですか?
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橋本: | なんかもう思い出せないですけど(笑)最初は授業つながりですかね。今もそうかはわからないんですけど、当時SFCにはキツイ授業がいっぱいあったんですよ。文化人類学とか、文科系っぽい授業なんですけど、それのために週5日使わなければならないみたいなものもありました。だけどグループワークなので、けっこうそれでみんな仲良くなったりするんですよ。そこで友達が増えていくうちに、佐野につながっていったという感じですね。
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川井: | 大学時代は実家から通っていたんですか?
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橋本: | そうですね。僕は大学に結構長い間残っていたんですよ。学部を出てから、大学院も行って博士課程も単位取得退学までいて、あと研究員でいたのでしばらくはずっといたんですけど(笑)学生のうちの確か2年くらい、佐野とは一緒に住んでいました。
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川井: | カヤックさんもSFCの3人で起こされた会社ですが、似ている感じですかね?最初は川の字で寝ていたとか言っていましたけど(笑)
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橋本: | そうなんですね(笑)
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