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韓国併合当時の先進国の評価


 

ロシアの新聞ジュルナル・ド・サン・ペテルスブール紙

韓国併合条約調印直後の1910年8月26日付けで、次のような論評を掲げている。

「フランスがアルザス=ロレーヌを失って以来、またとりわけボスニアとヘルツェゴビナがハプスブルク王国に組み込まれて以来、『併合』という言葉はおぞましい意味を持ち、国家間の強盗と同義語になった。だが、朝鮮を日本が掌握することにはこのような意味合いを持たせることはできず、むしろアルジェリアのフランスへの併合やイギリスによるエジプトの占領、カフカスあるいはヒヴァ汗国のロシアへの主権移行
などがもたらした恩恵の記憶を喚起するものだ」


(国際ニュース辞典『外国新聞に見る日本』第4巻)

「朝鮮は、日本の統治下に入って以来、夢のような変化の道を歩んでいる。
見る見るうちに、広大な鉄道網や電信電話網が敷かれた。公共建築物や工場が立ち並び、日増しに増え続けている子供達は学校に通っている。農業も盛んになっている。輸出は5年で三倍以上になった。財政は、輝かんばかりの状態にある。
港は活気に満ちている。司法制度が改革され、裁判の手続きもヨーロッパの裁判所に決して引けをとらない・・・この観点に立てば、朝鮮の日本への併合は極東の繁栄と発展の新たな要素となるだろう」

他国を「取る」ことが“善”とされた時代の終焉を意味する日本の併合であったと言えよう。

フランス人文地理学者 ジャーク・ブズー・マサビュオー

 朝鮮人にとって、 日本統治時代が、伝統と独立時代に対する純然たる侵害として、大きく映っているが一方別の面においては、南北朝鮮の国家経済を著しく飛躍させるための基盤は、この時代に築かれたのであり、その成果もまた大きかったといえる。日本は約四十年ほどの間に厳しいやり方で自然の脅威にさらされ、大きな工業設備を持たず、貧しかったこの農業国家を科学的な農業と様様な工業、そして活発な貿易を誇る経済の調和のとれた国へ変身させた。
フランスの雑誌パリマッチ記者、アルフレッド・スムラーの著書
「日本は誤解されている」から抜粋。

最初の数日間は平穏無事で、日本軍の姿は全く無かった。
ところがある日、突然五、六人の動物のような兵隊が現れ、麻雀をしていた四人の女優を強姦した。
前述の女優は日本軍の馬を管理する男達に暴行されたが、この男達は朝鮮人であった。
(中略)
香港占領期間中、多くの朝鮮人が日本の軍服を着ていたが、一般の日本人よりも背が高く、日本の正規軍よりも凶暴だった。
この時、民家に乱入して婦女暴行を働いたのは、殆ど日本人の手先となって悪事を働いていた朝鮮人であった。
当時、香港住民は日本軍よりも朝鮮人を激しく憎んだ。
アーソン・グレブスト

日本に併合される前の李朝末期の朝鮮を訪れたスウェーデンのジャーナリストが当時の朝鮮での残忍非道残酷極まりない処刑風景を目にして次のように述べている。

「こんな状況がまだこの地球の片隅に残されていることは、人間そのものへの挑戦である。とりわけ、私たちキリスト教徒がいっそう恥ずべきは、異教徒の日本人が朝鮮を手中にすれば真っ先にこのような拷問を廃止するだろうということだ。」


ソース 「日本史から見た日本人 昭和編」 渡部昇一 詳伝社
黄金文庫 P414より

元パリ・マッチ特派員アルフレッド・スムラー著「日本は誤解されている」日本教文社・昭和六十三年・119ページには、「別に日本人戦犯の責任を軽減するつもりはないが、占領地域で最も嫌われたのは、このころ日本国籍を持っていた朝鮮人だったことに注意しておかなければならない」という記述がある。(以上の二例は『月曜評論』平成元年二月二十七日「ズームレンズ」より)
参考サイト
反日マスコミが伝えない親日の話

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