2008-11-20
2008-11-18 トリスタンとイズー
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子供のころは思っていた。
私のことを愛してくれる人がいたならば、
それだけで私は一生をかけてその人を愛するだろう。
私はこの人を一生愛し続けるだろう。
恋愛をするたびに、別れを迎えるたびに思った。
「私には自分でも抱えきれない疾患がある。
それをいつか、あなたは負担に感じるだろう。
だから私はあなたとは付き合えない」
「それを支えていきたいから、君と一緒にいたいんだよ」
……というのは付き合うときの常套句で、
やはり私を負担として別れを宣告する男に、恋の始まりの文句を
突きつけたところで「あの時は本気だった」と去るだけなのだ。
だから私は恋愛を信じない。
恋人を信じない。
何を言われても、それはただ、のぼせ上がっている最中の戯言でしかないのだ。
そして私は恋愛はいつか冷めるものとして、
仮初めの慰みとしての快楽だと捉えるようになっていった。
それで構わないのだ。
そして私は自分もそういう行いをすることに慣れていった。
だから君よ、私は平然と見捨てる。
君を裏切り、君から去る。
私をそこまで求めるのは、ただ単に執着でしかない。
憤りが君を突き動かすだけなのだ。
2008-11-16
ようやく民俗学的背景における閉鎖的空間の中での、
神と俗、そしてエロティシズムとカタストロフィを盛り込んだ小説、
大まかなところが出来上がりました。
あとは民俗学的素養のない方に読んでもらって、
「祭りにおける聖と性」を理解してもらえるか。
そういった細かな手直しをして、肉付けをするのみです。
真面目に何か賞を狙う作品を初めて完成させようとしています。
■生々しい話
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何か心を熱くさせるセックスがしたい、と思った。
もちろんその相手に対し、何かしらの特別な感情が伴わなければ鳴らないが、
ただ、相手を選ばねば快楽と興奮を味わうことが出来ない。
もう二度とセックスなどしたくないと思っていたのだが、
私の創作欲と性欲は関連しているらしい。
それが私の創作の原動力をなる。
ああ、それだというのに、私の周囲にはそういった男はおらず、
私を冷めさせるばかりの男たちがたむろしてくる。
蛆のように湧いてくるのは私が美味であるため。
腐敗する前に水蜜桃を齧らねばならぬ。
ある男友達の発言。
だってあなたは美人だし、知性もあるし、ユニークさも備えていて、
高嶺の花のようなものなのですよ。
憧れることすらおこがましいように感じます。」
ある男の発言。
「お前に男友達が多くて、女友達が少ないのは、
中身が男に近いものがあるからだ」
「お前は可愛いよ。楽しそうに悪戯をしているところを見ると、
まだ20歳かそこらだと思うよ。
でもお前には芯があって、力強く、精神的に脆そうでいて
一人で解決出来るだけの能力がある。
魅力的だけれども、俺の手に余る。」
それではいったい、どなたと恋愛をすれば良いのでしょう?
寂しさ紛らわすために男を身に纏うのは暑苦しいだけ。
そう、昔のように私に知識を与えてくれる人。
知識と愛情を与えてくれる男が昔のように現れてはくれないものか。
そして私に作品を書くことだけに目を向けるように、
私と私の作品を愛して欲しい。
私は私のエクリチュールなのだから。
私はシミュラークル。
全て文字で置き換えることの出来るものなの。
2008-10-19 どこにもない
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そういう行為がどれだけ醜いかわからないだろうか。
道徳や倫理というものは自然法の上に曖昧に成立するしかないのだろう。
私がしたことだって非道徳な行いだ。
ただ、私は私の肉体に負担をかけ、個人事で終わらせていることが倫理的である。
それだけのことだ。
子供が好きで育てている人は、個人の価値観で育てることに意味を見出せばいいし、
私はそういう人々を否定するつもりはない。
私はそういう人々の内に含まれないだけのことだ。
いつの日か心変わりをする日が来るかもしれない。
けれどもそのときには既に遅く、過去を悔やむかもしれない。
それでも今の私には子供は障壁でしかない。
更に外見に関して言及…というより罵声でしかないのだが、
そういうものを浴びせてくる人はお門違いも甚だしく(私はモデルでも芸能人でもない)、
ここが一般人の自己満足日記でしかないことを頭に留めてもらいたい。
そんなに嫌いならば見なければいい。
野次馬はそれこそ醜悪でしかないもの。
2008-10-09 29歳の最後にしたこと
■子殺し
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この場所は私の場所であるけれども、何か得体の知れないものたちの巣窟とも繋がっているようで、
精確に私の場所であるとは定義し難くなっていた。
それはここが公開された場であるからこそのことなのだけれども。
アンモナイトの殻の奥、内省を始めてから何年が経過したことだろう。
始めは大学生だった。
私はあらゆるものに餓えていた。
あらゆるものに脅え、あらゆるものを欲し、あらゆるものから逃げ、あらゆるものであった。
30歳になりました。
29歳最後の二週間。
一日目に母となり、十日目に子殺しをし、十四日目で三十路の女となりました。
母となったその日に言われたことは「来年の4月29日が出産予定日です」。
実際にあの子が何日間、私の中に居たのかは知らないけれども、
妊娠とは最終月経日から数えるものだそうで、
「妊娠6週目になります」と言われました。
7週目にはあの子は私の中から、何か金属製の巨大な耳かきのようなもので、
柔らかい身体を幾度も穿り返されて、この世に死んで出てきました。
毎夜、大量の睡眠薬を飲む私の中で、子がいったい何回卵割出来たのか、
生きていたのか、死んでいたのか、既に異形のものとして成長している途中だったのか、
私にはそれすらもよくわかりません。
胎児よ 胎児
何故……
母親の心がわかって恐ろしかったのね。
ある意味において出産、もしくは「出死」のとき、
私は麻酔を打たれたのですが、意識がはっきりしておりまして、
麻酔を打たれたときの身体の状態や感覚、
手術中の他人の会話や看護士たちに押さえつけられた感触など
もうそれはそれは殊更明確に記憶しているのであります。
これでも一応は人工中絶手術の手順について詳しく書かれたサイトを
幾つか見てはいたのですが、私の場合はまったく違うものでした。
私は押さえつけられてはいましたが、自ら暴れることもなく、
ただ「よろしくお願いします」、「お手数かけます」と人の声がするたびに唱えていました。
病室に一人になったとき、手の指を動かしてみました。
動きました。
足を上げてみました。
少々辛かったものの、上がりました。
患部は多少じんじんする程度でした。
思い切って目を開けてみました。
思い切って上半身を上げてみました。
少し眩暈がしただけでした。
思い切って立ち上がってみました。
ふらつきましたが歩けました。
書いてあったこととまるで違うな、そう思いました。
荷物から携帯電話を出し、電話をかけました。
2008-07-31
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顔が似ている動物は「駝鳥」だと主張したい。
別に本当に似ているとは思っていないが、単孔の女・陳家蘭を浮かべて挙げたのだ。
澁澤龍彦の『高丘親王航海記』に登場する旧きカンボジアの王宮、
特別に作られた後宮にいるという世にも珍しい女たちのことである。
アーモンドのような切れ長の瞳に華奢な身体、鎖骨が浮き上がり、
膨らみかけたまま、成長を終えてしまった乳房がついた胸に
長くて黒い髪の毛が垂れている。
その下半身は明らかに鳥のものであり、臍もない。
これは稲垣足穂曰くのV感覚とA感覚を同一化したものなのだろう。
男はとかくP感覚に囚われすぎるし、少年でもなく女でもない生き物こそがP感覚に対し、
A感覚とV感覚を同一したものを与え、感じることが出来る。
私の長く黒い髪の毛は乳房まで長いが、
乳房は膨らみ、張り詰めていて、括れた腰から肉感溢れる尻と太ももが伸びている。
およそ単孔の女とは程遠い、完全な女である。
しかし私は女でありながら卵を産むことがない。
内情は不完全な女である。
Vは完全な遊戯場であり、妓楼である。
私はあなたのことを瞬きもせずに見つめるだろう。
黒目がちで潤みを施す私の瞳には長い睫毛が生えている。
私は自分の目の効果を熟知しているから、あなたのことを見つめるだろう。
身じろぎもせずに見つめるだろう。
伸ばした腕にその腕を絡めなさい。
その胸に沈みこむ白い指に立たせなさい。
妓娼の繰り出す秘戯に吐息を漏らせば
その唇に湿った舌が迎えに行く。
私が声を上げれば、もう、あなたは私の虜。
基督教徒ではないので後ろめたさはないです。
育てられもしないのに産むよりは、「人間以前」に処置してあげる方が私の中の倫理に則てますから。