君は王女 僕は召使
運命分かつ 哀れな双子
君を守る その為ならば
僕は悪にだってなってやる
彼女はずっと籠の中で過ごしていた
むかしむかしあるところに、繁栄を誇る鏡の王国がありました。
教会の鐘の音の祝福を受け、王様とお妃様、人々の期待と歓喜に包まれ、双子の王子様と王女様がお生まれになりました。
王子様はレン、王女様はリンと名付けられ、それは仲睦まじく、お健やかに育まれてゆきました。
「レン、まってねー! もうちょっと、もうちょっとなの!」
双子はその日も、城の中庭で仲良く遊んでいました。レンが花を集め、リンが一生懸命、それを花冠に編んで行きます。
「できたぁ! はい、レンにあげる、きっとにあうの、リンがかぶせてあげるね!」
レンに花冠をかぶせると、リンは手を叩いて喜びました。
「じゃあ、つぎはぼくがリンのをあむよ」
「うん! そうしたら、いっしょにおとうさまとおかあさまにみせにいこうね!」
そんな双子にとって、悲劇はあまりに突然のことでした。
知らない大臣達が花を踏み潰しながらやって来て、言ったのです。
「王様とお妃様が亡くなりました。王国はリン王女がお継ぎになります。誰ぞ、レン王子を城外へ!」
何を言われたのか、双子が理解する前に、知らない大人達が取り囲み、リンを押さえつけ、レンを担ぎ上げました。
「レン――!」
びっくりしたリンが泣き叫びます。
「なにするんだ! おろせ! リン、リン――!!」
王国の乗っ取りを企む大臣達が、王様とお妃様を暗殺したのです。
利発だったレン王子も『リン王女との後継者争いが起こらぬように』と、城外へ追放されてしまいました。
こうして、双子は突然、その運命と未来を二つに裂かれてしまったのでした。
数年が経ち、レンは十二歳になりました。
小さな農村の民家に拾ってもらったレンは、貧しくとも愛され、平和に幸せに暮らしていました。
しかし、王様とお妃様が亡くなってから、憲兵が横暴になってきました。
民衆からの搾取もひどくなってきました。
全てが全て王女のため――
その噂を聞くたび、レンは悲しく、不安な気持ちになりました。
(リン、君はどうしているの……?)
王女のためなんて、そんなはずがありません。年端もいかないリンが何を望むというのでしょうか。
大臣達は、泣き叫ぶリンからレンさえ奪ったのに、リンのどんな願いなら聞くというのでしょうか。
ある日、レンは育ててくれた小さな農村に、優しい村人達に別れを告げ、リンに会いに行くことを決めました。
彼女はずっと無垢だった
「大臣、レン王子が戻って来ました!」
「何だと! リン王女はおまえなど知らぬと言って蹴り出してしまえ!」
一度はそう言った大臣でしたが、憲兵から詳しい話を聞くと、大笑いで手を叩き、まぁ通してやれと許しました。
「これはケッサクだ、もと王子様が、この城で召使になりたいとは! 泣かせる話だ、召し上げてやろうではないか、悪のリン王女の召使に――」
レンが幼い日々を過ごしたはずの城は、レンにとって、もはや他人の城のようでした。レンはふと、不安になりました。もしも、幼かったリンが彼を忘れてしまっていたら――
(その時には、ただの召使としてリンに仕えよう。しばらくの間、リンが幸せに暮らしていることを確かめて、その後で、僕はこの城から消えよう)
「レン――!」
しかし、王女の居室に踏み込んだ途端、彼はそれが杞憂だったことを、リンの突撃で知りまくりました。それは可愛らしく綺麗になったリンが、大喜びで、彼の腕に飛び込んで来たのです。
「嬉しい、戻って来てくれたのね!」
レンはびっくりした後、とても嬉しくなって、笑顔でリンを抱き締めました。
リンの奇襲を受け止めきれなくて、しりもちをついてしまったことはナイショです。
(リンも、僕を覚えていてくれた!)
「うん、戻ってきたよ。これからは、また、僕たち一緒にいるんだ。リン、寂しくなかった?」
「うわぁん、寂しかったよぅ――! レン、レン――!」
レンはにっこり笑って、リンの頭を優しく撫でました。レンがそんな、無垢なままのリンの様子にほっとした時でした。リンがはしゃいで言いました。
「ねぇねぇ、リン、ちゃんと『王女様』できるようになったのよ」
とても得意げな様子です。可愛らしいです。
「頑張ってるんだ? リン、偉いね」
「うん! 大臣がね、教えてくれたの。王女様には威厳がなければなりませんって。こうするのよ、見ててね!」
何だか『大臣が』のあたりでちょっといやな予感がしました。
「さあ、ひざまずきなさい!」
(ズガーン!!)
何をどう、感想を述べたらいいのでしょう。
「リ、リン……? いや、あの……うん…………」
レンはちょっと遠い目をした後、クスっと笑って、王女様にひざまずきました。
優しくその手の甲にキスすると、リンがびっくりした顔をして、目をまん丸にしました。
「レ、レン……? うわぁ、レンは王子様ね、スゴクかっこいい!!」
レンはたまらず吹き出しました。
大臣に何か妙なことを教えられても、やっぱり、彼の可愛いリンは、彼の可愛いリンなのでした。
彼女は其処が全てだと、信じたまま
リンは大臣達から何も教えてもらえないまま、不自由のない生活をしていました。
召使のレンには、なおさら、今、鏡の王国がどうなっているのか、知ることはできません。
そして城には、民衆の声が届きませんでした。大臣達が握り潰しているのです。レンも、たまにお使いに行く城下でリンが何と言われているか、リンに教える勇気は、リンを傷つける勇気は、持てませんでした。
「レン――!」
「なぁに、リン」
二人は十四歳になっていました。リンがこれみよがしに柱時計を指差し、こう言います。
「あら、おやつの時間だわ!」
「ぷっ」
「ねぇねぇ、今日はなぁに? 今日のおやつはなぁに?」
レンは得意げに、おやつをリンに献上しました。
「今日のおやつはブリオッシュだよ」
「やったぁ! リンね、レンのおやつが世界中で一番、大好き!」
リンが一日で一番幸せな時間は、レンのおやつを食べる午後三時。
幸せいっぱいの顔で、レンのおやつを頬張るリンを見ながら、レンはふと、悲しく物思いました。
レンのおやつがあれば満足するリンなのに、彼女が贅沢三昧で鏡の王国を食い潰していると、民衆は憎しみを込めて蔑みます。彼女の部屋の調度は、代々の王家が揃えていたものと、そう変わりません。愛馬も、両親が大切にしていた名馬の孫で、とりわけ大金を払って買い付けたものではありません。それなのに、リンの言われようは――
「どうしたの、レン?」
「ううん、何でもない」
「あのね、いつも親切なヴェザレ婦人がお金に困って『今年はもう税を取ったのですけれど、もう一度取ってもいいかしら』って言うの。許したら、とても喜んでくれたわ。リンが許せば、皆、とても喜んでくれるのよ、嬉しいわ」
「――リン!?」
椅子を蹴立てたレンを、リンが不思議そうに見ました。
レンはきゅっと、唇を噛み締めました。
「リン、それがどういうことか――」
「? 親切なヴェザレ婦人が喜ぶということ……??」
違うよと教えようとして、レンはふと、ためらいました。
彼女は籠の鳥。
誰も、彼女に大切なことを教えてやらなかったのです。
――教えたら、どうなる?
レンは漠然と、『大切なこと』を知っていた人々の末路を思い、言葉を呑み込んでしまいました。まだ十四歳のレンには、重すぎる決断だったのです。
“ 教えてしまったら、リンが殺されるかもしれない ”
レンの中で、もう一人のレンが囁きます。黙っていればリンは、この籠の中で笑っていられるじゃないかと。
レンの中で、もう一人のレンが囁きます。彼を愛し育ててくれた人々が、どれだけ苦しんでいるか、それゆえの憎しみがどこへ向かうか知っていて、彼も、リンに何も教えてやらないのかと――
「レ、レン!?」
いつか、彼の頬を涙が伝い落ちていました。
「――何でもないよ、リン。でも、そうだね、これからは許す前に、僕にも教えてくれる?」
「レン? いいわ。レンが悲しいならリンはそうするわ、だから、泣かないで?」
彼は微笑んでリンを抱き寄せました。可愛い、とても可愛い彼のリン。
――僕はどうしたら、君を守れる?
彼女のために何が出来るのか、狭く広い城の中でただ独り、レンは探し続けました。
たとえ世界の全てが
君の敵になろうとも
僕が君を守るから
君はそこで笑っていて
それから間もなくのこと、リンが海の向こうの青藍の国の、カイト王子に一目惚れしました。リンは一生懸命、カイト王子への想いを込めて、恋文を書き綴りました。
内容はアレです。ポエムです。どうしましょう。
十四歳の少女の初々しい恋心がたどたどしく認められた、それは可愛らしい恋文なのですが、カイト王子が、リンに残酷なことをしないよう、リンを応援してやりたいレンとしては、祈るばかりでした。
そのレンも、隣の緑樹の国へ出かけた時、偶然に出会った少女の優しい声と笑顔に、一目で恋に落ちてしまいました。知らない国で途惑うレンに、親切にしてくれた少女でした。
「――レン、私、迷っていることがあるの」
公園の噴水を眺めるベンチに座り、少女ミクが憂いを帯びた瞳をして、やんごとなき身分の人に一目惚れされたのだと、レンに語りました。
「素敵な人よ。でも、わからないの。レン、王子様みたいな人が、私に一目惚れするなんてあると思う?」
レンは、ほんの少しの痛みを隠して、彼女に笑いかけました。
「きっと、あると思うよ。ミクはとても優しいし、可愛らしくて、僕もミクにまた会いたいと思うから」
彼だって、生まれた時には鏡の王国の王子でした。そんな彼が、一目惚れしてしまったミクです。
「レン、優しいね」
びっくりするレンに、ミクがいたずらっぽく笑いかけました。
「私に一目惚れしてくれたのが、レンだったらよかったのに」
レンは国に帰ってからも、ミクの優しい笑顔と言葉が忘れられず、落ち着きませんでした。あの時、何と答えたらよかったのか――
レンには何も、答えることができなかったのです。
ただ、また会える? そう聞いただけでした。ミクは笑顔で頷いて、指切りしてくれました。
「ほう、召使が板についたものだな。生まれながらの召使のようだ、レン君?」
行き会った大臣が尊大に言いました。
作法に適った礼をし、行き過ぎようとしたレンに、大臣が言いつけました。
「少々、私の靴が泥で汚れてしまったようだ。拭いてくれるかね?」
「――はい」
レンをひざまずかせ、満足げにひげをしごく大臣を、リンが見咎めました。
「大臣、レンに何をさせているの!? レンは私の召使よ、あなたが使わないで!」
しごいていたひげを、大臣が怒りに震わせます。
「レン、あなたも、誰の言うことも聞いては駄目! レンは、私だけの召使でしょう!?」
それはリンのわがままというよりも、レンを守るための言葉でした。
レンは立ち上がると、微笑んでリンの言葉を肯定し、真心を込めて王女に一礼しました。
大臣は忌々しげにリンとレンを一瞥し、肩をそびやかせて立ち去りました。
「大臣、この頃のリン王女はどう口説いても、『レンを泣かせたくないの、レンに相談するわ』の一点張りで、領民からの搾取も謀反人の粛清も許さなくなってしまいましたぞ。まったく意味がわかりませんが」
「私からも、王女が召使の言うことなど聞くものではありませんと、再三に渡り申し上げておるのだがな」
「もはや、レンを粛清するべき時では――?」
大臣は重々しく首を横にふりました。
「そうしたいのはやまやまだがな。何としても、リン王女に緑樹の国を滅ぼせと命じてもらわねばならん。今、王女の機嫌を損ねるのは得策ではない」
鏡の王国では、家畜の多くが死に絶え、領民もばたばたと餓死するようになり、いよいよ、搾り取れるものがなくなりつつありました。
しかし、隣の緑樹の国は豊かです。リン王女の許しさえあれば、このままでは餓死してしまう鏡の王国の兵士達は、死に物狂いで緑樹の国を侵略し、略奪の限りを尽くすでしょう。ただし、この侵略を命じる者は、歴史に永遠の悪名を残すのです。大臣に、自らの名でその侵略を命じる気は、かけらもありませんでした。
「それよりも、わしに妙案がある。リン王女もレンも、立場をわきまえぬようになってきたからな。金輪際、我々に盾突く気が起こらぬよう、手厳しく打ち据えてやろうではないか」
リン王女よりも、この頃、レンが時折見せるようになってきた、まるで王子かのような立ち居振る舞いが、大臣を苛立たせていました。だからこそ、皆の前でひざまずかせ、改めて、召使の立場を思い知らせてやろうとしたのです。ところが、それさえもリン王女に邪魔立てされてしまいました。
生贄羊として生かされたことを、双子に思い知らせてやらねばと、大臣は残酷な謀略をめぐらせるのでした。
愛し方を知らない彼女の為に
「レン、レン! カイト王子からお返事が来たわ!」
リンが足取りも軽やかに、羽根がはえてきそうな様子で駆け寄って、大喜びでレンの胸に飛び込みました。
「緑樹の国で会いましょうって! 嬉しい!!」
「本当!? よかったね、リン!」
レンも心底ほっとして、上手にリンを受け止めました。この頃のレンは、リンにどんなに奇襲されても、もう、二年前のように彼女を受け止め損ねたりはしません。
カイト王子からの返事が来なくて落胆しているリンを、レンもずっと心配していたので、自然に笑みがこぼれました。
(緑樹の国――)
思い出すのは、ミクのことです。
彼女にも、この機会にまた会えるでしょうか。
あの時、言えなかった言葉を。
身の程知らずかもしれないけれど、僕も、君を競いたいと伝えられたなら――
彼女が玉の輿に乗るのを邪魔したいわけではありません。
ただ、彼女がもしも、この想いを伝えることで、彼を選んでくれるのだとしたら?
伝えることすら出来ずに、ただ彼女を逃したら、一生、後悔するように思われました。
その日のリンは、見慣れたレンの目にも、とても可愛らしく、一輪の可憐な花のようでした。
期待に胸躍らせて、終始、笑顔が絶えません。見ているレンまで、嬉しく幸せな気持ちになりました。
けれど、約束の場所で。
美しい青年と連れ立つミクを見つけて、レンは言葉を失いました。
彼に贈られたものか、一抱えもある、華やかな花束を腕に――
「カイト王子!!」
突然の、リンの悲鳴のような声がレンを驚かせました。
「そんな、どなたなのですか!? 今日はリンとのお約束のはずでしたのに……!!」
「リン王女?」
美しい青年が眉をひそめました。
レンも、何をどう考えてよいのかわかりません。ミクに一目惚れしたやんごとなきお方というのが、カイト王子なのでしょうか。
たとえ、そうなのだとしても。
なぜ、こんな風に彼を恋慕うリンを残酷に傷つけるような仕打ちをするのでしょう。
「こんなところまで、いい加減にしてくれないか! 貴女のような、民衆を平気で踏み付けにする残酷な女性に、興味など持てない。どんなに、その容姿が可憐でも、貴女など見たくもないよ」
「え……? だって、王子様、お約束を……リンに会いたいと、仰って、くださっ……」
血の気を引かせた、雪のように真っ白になったリンの頬を、大粒の涙が伝い落ちました。
その指先が震え、リンは唇をわななかせ、青藍の王子に背を向けました。
「――リン!!」
ショックのあまり、駆け去ろうとした足さえもつれて転んだリンを、青藍の王子はなお、冷たく蔑むだけでした。レンは一心不乱にリンに駆け寄り、怒りに揺れる琥珀の瞳で、カイト王子を睨みつけました。そして、悲しみと痛みを胸に、ミクを見ました。
「――行こう、リン」
何が起こったのか、ミクにもまるで、わかりませんでした。
けれど、二人の姿が見えなくなる頃、ミクはようやく、事態を呑み込みました。
「カイト様、どうして……!? 王女様、貴方の言葉に、あんなにまで傷ついて、泣いていらしたのに……!」
「誤解しないでくれ、ミク。私が呼んだのではないよ」
ミクは真っ直ぐにカイト王子を見詰めました。彼の瞳に、嘘はありません。
彼女はふと、カイトとレンのどちらに惹かれていたのか、どちらと一緒にいたかったのか、わかりました。
「カイト様、貴方はご立派で素敵な方です。お国もよく治められて、貴方に迎えられるお妃様は、きっと、誰よりも幸せになれるでしょう」
「ミク――?」
そんなカイト王子にどうして彼女が必要なのか、カイト王子を恋慕う、たくさんの娘を押しのけてまで、身分違いの恋を貫く理由を見いだせなくて。
ミクはそれで、迷ってきたのに違いありません。けれど今、リン王女の涙を目の当たりにして、ミクにはようやく、はっきりとわかったのです。
リン王女が間違っているのなら、レンのように、カイト王子にこそ、リン王女を正しい道へ導いて欲しいと、ミクは願ってしまいました。
鏡の王国の、たくさんの人達が救われるでしょう。カイト王子を恋慕うリン王女は、彼の言葉なら、どんなことでも聞いたでしょう。
そんな風に考えてしまうミクは、きっと、カイト王子に恋をしていないのです。
「私、レンと一緒にリン王女を説得してみます。レンは、鏡の王国を救いたいのです」
誰よりも優しく印象的だった、レンの琥珀の瞳。
リン王女を守ろうと、鏡の王国を救おうと、独り苦しんでいた、レンの琥珀の瞳。
ミクが、何かしてあげたいと願ったのは、最初からレンでした。
けれど、レンはミクを誤解してしまったかもしれません。彼女があえて、リン王女を傷つけたのだと、カイト王子を選んだのだと――
(レン、もう会えないの……? 貴方に謝りたい、レン――)
「リン王女! 遅うございましたか……!」
鏡の王国に戻ったリンの部屋を、レンが居ぬ間に、大臣が訪ねました。
「……――」
涙が枯れるまで泣き続け、憔悴したリンは、ただ静かに、大臣を見ました。
「緑樹の国の娘ミクが、王女様からカイト王子を奪うため、悪逆非道の娘だと、王女様の悪い噂を国中に流したのでございます! 大変なことになってしまいました、カイト王子のみならず、鏡の王国の者達までが、その噂を信じて……!」
リンはまた別の衝撃に、愕然と目を見開きました。
「そんな、嘘よ! 私が、私が何をしたというの!?」
「緑樹の国は、青藍の国と結んで、我が王国を攻め滅ぼす魂胆です! 王女様、一刻も早く手を打たなければ……!!」
リンは恐慌をきたして、レンの召使の服に身を包み、初めて城を抜け出しました。
城下を彷徨い、リン王女の噂を出会った人々すべてに聞いて回りました。
皆が口を揃えて、召使を装ったリンに教えます。悪の華、鏡の王国史上最悪の王女だと――
戻ったレンは、夜の帳が降りているのに、明かりもつけずに泣き続けるリンの様子に、胸を痛めました。
「リン――」
花瓶の薔薇の花を、リンが千切り取りました。可憐なその花を、リンは手の中で潰して、レンに告げました。
「レン、あの子を、緑樹の国のミクを消して……!!」
驚いて、レンは我が耳を疑って、リンを見ました。
「お願いよ、レン! レンだけは私の味方でしょう!? レンだけは……!!」
リンの声が壊れるほど震え、慟哭した後、リンはふと、静かになりました。
「いいわ、何もしなくていいの……レン、もう、何もかも遅いもの……」
ミクを消しても、流された噂は消えません。優しいレンに、出来ないと言われたくないリンは、微笑みました。
レンに出来るはずが、ないのです。ミクを消しても、リンが本物の、悪逆非道の王女になるだけです。
(私が消えればいいんだわ――)
城の窓から身を躍らせようとしたリンを、レンが息を呑み、夢中でその腕をつかんで引き止めました。
「レン、はなして、もういや、生きていたくないの!!」
抱き締めたリンの震えと涙に、レンは、何も考えられなくなりました。
「リン、大丈夫だよ。僕は、君が願うなら――」
自分がどう緑樹の国に行ったのか、レンには、わかりませんでした。
レンが緑樹の国に入る前に戦が始まり、緑樹の国には、いまや、血と死と絶望ばかりが満ちていました。
「――レン!」
彼を見つけ、駆け寄って来たミクの胸に、レンは気付いた時には、短剣を深く突き立てていました。
「……レ…ン……」
ミクの口の端から、血が一筋、伝い落ちました。
「……貴方にもう一度会えたら、王子の申し出は、断ろうと思っていたの……あの日、レンにまた会えたから、断った…の……」
(ミク――?)
彼女が誰だったか、自分が誰だったか、レンには不思議と、よく思い出すことが出来ませんでした。
まるで、何かの悪夢のようで。
「……レン、傷つけたのね……、許して……」
ミクの指が、最後に、レンの頬に優しく触れました。それきり、ミクは動かなくなりました。
どうして――
涙が止まりません。きっと、ただの悪夢に過ぎないのに。
悪夢から覚めたら、教会の三時の鐘が鳴るでしょう。
リンに、美味しいおやつを持って行かなければ――
カサリと、背後の繁みが鳴りました。
ミクを戦乱から助けに来たのか、青藍の王子が立っていました。
彼女を、この籠から解き放つためには
「ただいま、リン。緑樹の国のミクはいなくなったよ」
城に戻ると、儚く笑った震えるリンが、レンの胸にしがみついて、苦しげな息を吐きました。
「レン――!」
城へ戻る道すがら、各地で決起する民衆を、レンは見てきました。
そう遠くない未来、この城を革命軍が取り囲むでしょう。
こうするしか、なかったんだ
教会の三時の鐘の音が、聞こえます。
リンは城の裏手の草原で、疲れ切って眠っていました。
「……レン、おやつの時間ね?」
「うん。今日は、リンの好きなブリオッシュだよ」
レンが笑うと、リンも無邪気に笑いました。
「嬉しい! 大好きよ、大好きよ、レン――」
鏡の王国が終わることを、リンもレンも知っていました。
もう少しだけ、この時を――
双子が傍にいられるのは、あと、ほんの少しの時間だけだと、リンもレンも知っていました。
● つづく ●