2008-11-10
Fermilab 'ghosts' hint at new particles
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Fermilab ’ghosts’ hint at new particles - physicsworld.com
少し古いけど、フェルミ国立研究所にある陽子反陽子衝突加速器(テヴァトロン)における新粒子発見か?という記事。実際のところは、新粒子に結びついているかもしれないイベントが見えたらしいというだけのことで、原論文のアブストラクトには”Beyond the Standard Model”やら”New Particle”などという語句は一度も出ておらず、ひたすら技術的なことを述べるに留まっている。author数は200人を超えているんだけど、実は600人中の1/3が辞退したという紛糾を醸した1編。共同研究者の大半は結果の信憑性が低いと判断したということみたいだ。
テヴァトロンはLHCが動き出すまでは世界第一位の大型加速器だったんだけど、残念ながら現在まで新しい基本粒子*1は見つけるには至っていない(その他の、いわゆるエクゾティック粒子と呼ばれるメソン(2体粒子)やバリオン(3体粒子)より多くの数の粒子の共鳴状態である複合粒子を多数発見している。それはそれで重要な発見)。エネルギーはLHC加速器のおよそ1/10程度なので、ヒッグス粒子が100GeV程度の質量を持っていれば十分発見できておかしくないレベルなんだけど、衝突頻度(ルミノシティ)が足りなかったりして、イベントが見えていたとしてもその他のよく知られたイベントの中に埋もれてしまっている可能性は高い。LHCは世界最高のエネルギーをもつ加速器として一般には知られているが、じつはルミノシティもトップレベルなのだ(世界最高は筑波にある高エネルギー加速器研究機構が持つBeLL加速器)。テヴァトロンは反陽子を使っているため、どうしても反陽子側の粒子数(バンチ数)を保持するのが難しい。実験施設内は勿論のこと我々の住む地球自体普通の粒子で出来ているから、壁に触れたとたん光子になって消えちゃうんだな。エネルギー効率は非常に高いんだけど。
それで、彼らが見たといっているのは衝突後に様々な反応を経てでてくるミュー粒子数が摂動的QCDの計算等から予想される数よりも多かったらしい。CDFと呼ばれる測定器で捕らえた300万イベントのミュー粒子の中から逐一そのオリジンを辿っていき、イベントの発生が素粒子の標準模型で考えられる反応かチェックしていった挙句、7万イベントがそのチェックから外れたため、新粒子の反応からなんじゃね?、ということを一部の急進派が唱えて論文にしちゃったという話。でもさすがに実験家なだけあって拙稿であったとしても、間違っても新粒子だのダークマターだのは言わないところはさすがだと思う。大半の現象論屋のように何かにつけてダークマター候補だのブラックホールだの、はては余剰次元だブレーンだと恥ずかしげもなく誇張広告する人たちと比べてなんと紳士的なことか(良識的ともいうべきか)。こういった慎重な態度は見習うべきだと思う。
ただ、クロスチェックとしてD0と呼ばれるもうひとつの検出器やLHCで確認できたら、それこそ注目に値する結果ということになるため、別になんら意味のない結果というわけじゃない。こういったペンディングになっている実験結果は素粒子の世界では結構残っている。それでいても標準模型を完膚なく潰すような結果ではない。そういう意味で35年以上も素粒子物理で生き延びている標準模型は非常によく出来たもんだ。
それから一般論として speculative である事をそうやって貶めるのは、外国の確立した偉い学問を持ってきて権威づけする事で東大の先生になるみたいな追いつけ追い越せ的発展途上国時代の悪しき風習だと思う。いい加減そういうのとは訣別したい。リンク先のアブストラクト、何一つ「嘘」の statement は書いていないよね。「事実」と「主観」の切り分け、という観点からも。
こんだけ日本が先進国になったらもう「文脈」も自分たちで作っていかなきゃいけない時代じゃないでせうか。
いま一つ一般論の意味が掴めませんが、個人的に今の素粒子現象論の立場が、もはや実験結果の裏にある物理解釈を追及しているようにみえないんです。乏しい実験的根拠と希望的観測から統一理論などとして声高に叫んでも客観的に考えれば信憑性は薄いわけ。蓋を開ければ単なる仮想的物理モデルでしたという結果かもしれないし、せめてペンディングになっている実験結果を納得のいく説明を与えてからその上を考えるべき姿が理論屋として全うなのではないかと思う今日この頃なのです。
特に感じるのは、その手のモデル遊びに若手が誘惑されていく状況にも危機感はあったりもするんですね。もうちょっと冷静になって状況をみてはと。。
top quarkは基本粒子ではない。そうですか。
新粒子を導入することは、素粒子物理の根底にあるデモクリトス精神に反していることからも、非常に慎重に論理的に突き詰めるべきだと思うんですね。パウリのニュートリノ予想や小林・益川理論にしても、現代ほど安易に導入したわけでなく、実験結果の理論的説明に本質的だった。その姿勢が最近欠けているんじゃないかと。
また、当時のいい意味で時代背景もあると思います。現代のようにarXiveがない時代でローカルな情報を十分に吟味していたことが結果に繋がったということもあるかもしれません。
>yamashita
失礼しました。今のところtop quarkも基本粒子と考えられているので、正確ではないですね。訂正します。
紆余曲折の末できあがった完成品を後から見たら必然だったように見えますが、創造の渦中で何がそうなるか、なんてその時点での最高の知性でも(アインシュタインでも)分からないんです。裾野のゴミはいらないからピラミッドの頂点だけ持ってこい、というのは、創造の果実だけ輸入してればよかった時代の発想に僕には見えます。(参照 http://amrita.s14.xrea.com/d/?date=20030522#p01 )