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吾輩は馬鹿である

2008-08-21

「論法の同型性」論法の危うさ――コメント欄延長

記事「論法の同型性」論法の危うさ - 吾輩は馬鹿であるのコメント欄が容量超過してしまったため、反映されなかったコメントをこちらに掲載する。

id:CloseToTheWall氏、id:D_Amon氏、beijaflor氏は本記事のコメント欄で議論を続けていただけるようお願いする。

CloseToTheWall氏のコメント

トリアージは福耳氏が展開した一般論の一例に過ぎないと何度も言っているはずです。例示と一般論は次元が違うので、結びつけること自体がおかしいです。

その伝で行けば、ホロコーストも「福耳氏が展開した一般論の一例」になりますよ、ということです。

それが「当然の話」だと思うのはあなたに一定の教養があるからです。一般教養の学生にとっては全然自明なことではない。

いやいや、当然の話というか、一言で終わる話でしょうということです。一言で終わる話を、どう具体的に説明してどのようなやり方で配分するかを説明しないと授業になりません。

別の回に、資源の有限性がその合目的的な最適配分を促し、戦略性やリーダーシップや組織内の規範意識も意思決定も価値判断もそこから始まる、ということをわかりやすく説明したくって

と書いているのです。「資源の有限性がその合目的的な最適配分を促し」が主題だったのです。

引用後半部分が「いかに配分するか、そのノウハウというか方法論」ではないですか。最適配分が主題で、では実際にどのような最適配分が行われたのかを、トリアージを用いて説明したんですよね。で、戦略性がどうこういってきた学生には「うまくコンセプトが伝わった」わけですから、戦略性等の具体的ノウハウを伝えることも主眼だったわけですよね。

実学を教えるのに数学的な方法論を教えるのは当たり前です。あなたがご存じないだけです。

で、数学的方法論だけではもちろんダメで、その数学的方法論を現実に適用するにはいろんな制約があることを教えなければならないわけですが。それ説明しないで「かわいそう」禁止ってありえなくね、という話です。人を数学的に計算したら当然かわいそうですよ。

D_Amon氏のコメント

認めていいんですか?あなた方が筋違いな批判をしていたということですよ?

違います。貴方が「救急救命のためという条件を外して全体最適のためにトリアージを目的外使用することへの批判」を「トリアージ批判」と勘違いした「あたまがわるい」人であることが証明されるのです。

まあ、今回は全般的に貴方がまともな回答ができない人であることが確認できたので私は満足です。

beijaflor氏のコメント

そして、何か難しいことをおっしゃっていますが、有用な応用(に限らない具体例)を説明することが理解を助けるのは当然ですよ。たとえば、歌の「サビ」の概念を定義に基づいて説明するととても難解に聞こえますが、誰でも知っている歌を挙げてみればすぐに納得がいくはずです。福耳氏がやったのはそういう、感覚に訴える例を挙げたことにすぎません。

言いたいことが伝わっていないのでは、と思います。

「逆に、それ以上の結びつきは誰も指摘していないはずです。」とおっしゃっていましたよね?

ですから、結び付けていると私が判断した理由を述べたのです。

結びつけることが有用かどうかは今のところ私は問題にしていません。

SokalianSokalian 2008/08/23 00:49 >CloseToTheWall様
> ホロコーストも「福耳氏が展開した一般論の一例」になりますよ、ということです。

それはそうですよ。で、それがどうかしましたか、と言っているのですが。

> で、戦略性がどうこういってきた学生には「うまくコンセプトが伝わった」わけですから、戦略性等の具体的ノウハウを伝えることも主眼だったわけですよね。

違います。それはそれこそ「現代国語」の読解の問題であって、「福耳氏が『戦略性』という言葉で表現したものの例は何か」という問いに正解した学生に「うまくコンセプトが伝わった」ということにすぎません。

> 数学的方法論だけではもちろんダメで、その数学的方法論を現実に適用するにはいろんな制約があることを教えなければならないわけですが。

福耳氏の記事では一つの話題にまつわる話だけを取り上げているのに、他の話題について何も触れていないという邪推をする理由もないし、以前も言ったように講義で全ての話題に触れる必要はありません。

>D_Amon様
> まあ、今回は全般的に貴方がまともな回答ができない人であることが確認できたので私は満足です。

あなたの目的は「私を説得すること」ではなく「私を馬鹿にしてよい、ということをご自身の中で納得すること」だったのですね。要するに私はあなたの自己満足の道具に使われたということですね。そういう不誠実な言葉を聞き、大変残念に感じております。

>beijaflor様
> ですから、結び付けていると私が判断した理由を述べたのです。

であれば、あなたのご判断は誤解であると私は申し上げたのです。

SokalianSokalian 2008/08/23 12:58 補足します。

> 数学的方法論だけではもちろんダメで、その数学的方法論を現実に適用するにはいろんな制約があることを教えなければならないわけですが。

その手の方法論を使うためには、「価値基準」や「制約」は使う側が自分で設定しなければなりません。
逆に言うと、そんなことは教えるまでもなく自明であるし、そこを自分で考えなければ方法論を機械的に当てはめることすらできないのです。
このことは何度も書いたはずです。

beijaflorbeijaflor 2008/08/24 22:02 >であれば、あなたのご判断は誤解であると私は申し上げたのです。

つまる所、fuku33さんは経営学とトリアージを結び付けてはいない。と言うことですね。
トリアージは合理性の一例であって、他の合理的な例示であれば交換可能だ、と(そして、それは結び付けではないと)。

では、あの授業でfuku33さんが「ホロコースト」を例としてあげる事も問題ない。
「それは非人道的だ」と生徒が批判したら、「ナイーブ」だ。と判断するわけですね。

SokalianSokalian 2008/08/25 01:18 > では、あの授業でfuku33さんが「ホロコースト」を例としてあげる事も問題ない。

それは微妙です。
「トリアージ」の場合は、現実に照らし合わせて吟味しても、実際にそれよりマシなやり方が見つからないのに対し、「ホロコースト」の場合は、前提が間違っていることを百万歩間違って度外視するにしても、これ以上ないくらい最悪のやり方でした。

そして、「トリアージ」の場合は、学生が直面しなければならない現実に根ざした例を出しているのに対し、「ホロコースト」はそういうものではありません。

ただし、「機械的な判断を信用しすぎると誤る」とか、「目的が間違っていると悲惨な帰結に陥る」ということを教えるためには、有用な例であることも確かでしょう。

無用にショックを与えることになるから余りお勧めはしませんが、配慮の上ならあり得ることだと思います。

> 「それは非人道的だ」と生徒が批判したら、「ナイーブ」だ。と判断するわけですね。

結論を批判するなという話ではなく、福耳氏の話の組み立てを「理解することを拒否」することが「ナイーブ」なのです。

D_AmonD_Amon 2008/08/25 15:37 私は不謹慎で腹黒いエゴイストですので自己満足と言われるのは構わないのですが、不誠実というのはいただけませんね。
むしろ、私は誠実に応答したのに貴方の不誠実に裏切られたのです。
不誠実というのは、相手にまともに返答する代わりに「認めていいんですか?あなた方が筋違いな批判をしていたということですよ?」というようなつまらない脅迫を用いることに対してこそ相応しい言葉というものでしょう。
そして、貴方はそのつまらない脅迫で貴方自身がまともな応答ができない話にならない人物であることを自ら証明したのです。
そういう話にならない人物の相手をする義理はありませんし、まして説得するなんて不可能ですよ。貴方はまともな応答ができるようになってから出直してきた方がよろしいかと思います。

SokalianSokalian 2008/08/25 18:30 脅迫とは心外です。あなたの何をどう脅かしたというのでしょうか。
確かに、話が堂々巡りになってイライラして言葉がきつくなった面があることは認めますが、あなたに何らかの危害を加えるようなことを示唆したわけでない以上、脅迫などではありえない。

私が言いたかったのは、あなたの書かれた
>>
「救急救命の手を離れ一般的に通用する理論としてみなされたとき」を問題にしていた以上、「トリアージ批判ではなく、救急救命のためという条件を外して全体最適のためにトリアージを目的外使用することへの批判」であったことは既に主張されていたことであることは認めてもらえないものでしょうか。「そんなことは誰がしたのでしょうか」の答えにはなっている筈ですよ。
<<
が、まるで「答えになっていない」ということです。なぜなら、
>>
「救急救命の手を離れ一般的に通用する理論としてみなされたとき」を問題にしていた
<<
というのはあなた方があとから勝手に持ち出した論点であって、福耳氏の主張にはまったく含まれていなかったのです。

このことを何度も私は主張していたにもかかわらず、「認めてもらえないものでしょうか」と言われても、いったい何を認めろというのか、ということです。「あなた方の○○という主張は的外れである」と再三指摘しているのに、「であれば、我々が○○という主張をしていることは認めてもらえないか」と言われれば、馬鹿にされたような気分になるのはご理解いただきたいです。

beijaflorbeijaflor 2008/08/26 00:52 >そして、「トリアージ」の場合は、学生が直面しなければならない現実に根ざした例を出しているのに対し、「ホロコースト」はそういうものではありません。

はい、その通りですね。私も福祉の学生にとって「トリアージ」とは議論に値する重要な問題だと思います。「ホロコースト」は否です。

そして、私がお尋ねしているのはfuku33さんが「トリアージ」と「経営学」を結び付けているとSokalianさんが判断するかか、否かなんですよ。私はSokalianさんの認識(学生が直面しなければならない現実に根ざした例としてあげた)をもってして結び付けていると判断しました。私にとって「学生が直面しなければならない現実」を例に出して「経営学の有用性を説く」と言う行為は、「結びつける」以外の何物でもありません。

しかしSokalianさんは
>経営学に出てくるある考え方の枠組みの一例として「トリアージ」を説明することができる、というだけのことです。逆に、それ以上の結びつきは誰も指摘していないはずです。
とおっしゃって、fuku33さんは「トリアージ」と「経営学」を結び付けていないと主張しています(と判断しました)。
「結び付けている」と思っているのであれば同意見なので問題ないのですが、どちらなのか明確にお答えいただけないでしょうか?


>「トリアージ」の場合は、現実に照らし合わせて吟味しても、実際にそれよりマシなやり方が見つからないのに対し、「ホロコースト」の場合は、前提が間違っていることを百万歩間違って度外視するにしても、これ以上ないくらい最悪のやり方でした。

こちらの最悪な方法だったの「最悪」とはどういう意味でしょうか?
合理性の話であれば「極めて非効率的なやり方だった」ですし、倫理的な話であれば「極めて非人道的なやり方だった」となります。
もしくはそれ以外の「最悪」なのですか?


>結論を批判するなという話ではなく、福耳氏の話の組み立てを「理解することを拒否」することが「ナイーブ」なのです。

分かっていますよ。
私は「その状況で「ナイーブ」だ。と判断する」か、否かを聞いているんです。

D_AmonD_Amon 2008/08/26 11:51 はあ…
まあ、「あたまがわるい」と呼ばれた理由は説明されたのでプロフィールを変更してはどうでしょう。
Sokalian氏は「救急救命のためという条件を外して全体最適のためにトリアージを目的外使用することへの批判」を「トリアージ批判」と勘違いし見当違いのトリアージ擁護を行うような読解力が無くてコミュニケーションが成立しない人なので、その発言に「あたまがわるい」というタグがつけられてしまいました。ということです。

SokalianSokalian 2008/08/26 21:50 僭越ながら、もう少しご自身の品性を考えて発言されることをお勧めします。

SokalianSokalian 2008/08/26 22:17 >beijaflor様
> そして、私がお尋ねしているのはfuku33さんが「トリアージ」と「経営学」を結び付けているとSokalianさんが判断するかか、否かなんですよ。

「結びつけている」という言葉の意味によります。「トリアージ」は経営学的思考によって「も」説明がつく、という意味では「結びつけている」でしょう。しかし、「トリアージ的考え方(というのがよくわからないが、要するに弱者切り捨ててと言いたいのでしょう)こそが経営学の神髄」というような意味では絶対に結びつけていないと思うのです。

> こちらの最悪な方法だったの「最悪」とはどういう意味でしょうか?
> 合理性の話であれば「極めて非効率的なやり方だった」ですし、倫理的な話であれば「極めて非人道的なやり方だった」となります。

後者です。
正確には、「(ある価値観に基づいた)合理性」というのは人間の価値判断のごくごく狭い一部を切り出してきたに過ぎないので、たとえば「合理性よりも大切なものがある」という言い方もできます。そういう総合的な視野からの価値判断と思っていただいた方がより正確でしょう。むろん、この場合は「人間を扱う際に何よりも重要なのは倫理性」という判断があるわけです。

> 私は「その状況で「ナイーブ」だ。と判断する」か、否かを聞いているんです。

私ならば、「ナイーブ」だと判断します。

beijaflorbeijaflor 2008/08/28 20:08 >「結びつけている」という言葉の意味によります。「トリアージ」は経営学的思考によって「も」説明がつく、という意味では「結びつけている」でしょう。しかし、「トリアージ的考え方(というのがよくわからないが、要するに弱者切り捨ててと言いたいのでしょう)こそが経営学の神髄」というような意味では絶対に結びつけていないと思うのです。

私も後者のような結び付け方をしているとは思っていませんし、そういう事をいっている方は寡聞にして知りません。

で、前者に関してなのですが、「も」を強調する意味がよく分かりません。fuku33さんはあの講義でトリアージの説明をしていたんですか?
「「トリアージ」は経営学的思考によって「も」説明がつく」は経営学的思考の正しさは保証しません。「トリアージは経営学的に正しい」を保証するだけです。

経営学的思考の正しさを説明するためにトリアージを取り上げた(Sokalianさんの主張と主従が逆)ことはfuku33さんのエントリーにて取り上げられていますので、Sokalianさんの読み方は間違っていると思いますが、いかがでしょう?
私の解釈が間違っているのであれば、なぜ「も」を強調されたのかご説明ください。


>後者です。
>正確には、「(ある価値観に基づいた)合理性」というのは人間の価値判断のごくごく狭い一部を切り出してきたに過ぎないので、たとえば「合理性よりも大切なものがある」という言い方もできます。そういう総合的な視野からの価値判断と思っていただいた方がより正確でしょう。

1.トリアージは倫理的に問題があったとしても、論理的に問題がないので例として適切。(倫理的問題点はさておくのは自明)
2.ホロコーストは論理的な問題以前に、倫理的な合理性がないので例として適切ではない。(総合的な視野からの価値判断)

この2つって、Sokalianさんの中で矛盾しないんですか?
だって、

>むろん、この場合は「人間を扱う際に何よりも重要なのは倫理性」という判断があるわけです。

fuku33さんの講義では「上の様な判断はさておく」という前提があったと主張してらっしゃるんでしょう?
だから、トリアージを扱ってもよい、と。


>私ならば、「ナイーブ」だと判断します。

了解しました。

SokalianSokalian 2008/08/29 00:23 >>「結びつけている」という言葉の意味によります。「トリアージ」は経営学的思考によって「も」説明がつく、という意味では「結びつけている」でしょう。しかし、「トリアージ的考え方(というのがよくわからないが、要するに弱者切り捨ててと言いたいのでしょう)こそが経営学の神髄」というような意味では絶対に結びつけていないと思うのです。
> 私も後者のような結び付け方をしているとは思っていませんし、そういう事をいっている方は寡聞にして知りません。

仮にそうであるならば、あなたが福耳氏に反論する点はなくなると思いますが。

> 「「トリアージ」は経営学的思考によって「も」説明がつく」は経営学的思考の正しさは保証しません。「トリアージは経営学的に正しい」を保証するだけです。

そう単純ではありません。「保証」にはなりませんが、一つの傍証にはなります。
理論の正しさを検証するためには、現実に適用可能なことを帰納的に確かめていくしかありません。
講義の中で生じたであろうそういう疑問を解消するためにも、正しさについて一定の合意が得られている例を導出することを示すことは自然なことですし、講義の組み立て方として一般的なものです。実際、福耳氏の記事はそういう文脈で書かれていました。

> 1.トリアージは倫理的に問題があったとしても、論理的に問題がないので例として適切。(倫理的問題点はさておくのは自明)
> 2.ホロコーストは論理的な問題以前に、倫理的な合理性がないので例として適切ではない。(総合的な視野からの価値判断)
> この2つって、Sokalianさんの中で矛盾しないんですか?

矛盾しませんよ。なぜなら、「倫理的に問題があったとしても」というのは強めに譲歩を入れただけのことで、私は問題があると思っていないからです。福耳氏を批判している人は、「トリアージを批判していない」と言いながら実際には何のかんの言って否定したがる人が多かったので、そこを争点にしたくなかったのです。

また、ホロコーストが「例として適切ではない」と言ったのは、論理的つながりではなく、「教育的な意味合い」からです。その意味で「適切」の言葉の意味がずれています。なぜ教育的な意味合いからこれが不適切になるかについては、上に述べた「正しさについて一定の合意が得られている例を導出することを示すこと」こそが講義について自然な流れだからです。ホロコーストはむしろ、「理論の適用限界を示す反例」なのであって(仮にホロコーストが合理的に導出されるものならば、ですが)、理論の妥当性よりも適用限界を先に説くのは講義の構成としては不自然です。

> fuku33さんの講義では「上の様な判断はさておく」という前提があったと主張してらっしゃるんでしょう?

「さておく」ことの教育的な妥当性について補足すると、トリアージの妥当性を論証することは難しくとも、直感的には明らかだからです。たとえば、福耳氏が企業会計を講義していたのだとして、お金の計算について「どうして1+1=2なのですか」という質問が出れば、これは不適切でしょう。

beijaflorbeijaflor 2008/09/01 23:02 >仮にそうであるならば、あなたが福耳氏に反論する点はなくなると思いますが。

たしかにfuku33さんの主張が「「トリアージ」は経営学的思考によって「も」説明がつく」であれば反論する点はなくなりますが、私はfuku33さんが「経営学的思考の有効な例としてトリアージを取り上げた」と思っていますので、反論する箇所はあります。


>そう単純ではありません。「保証」にはなりませんが、一つの傍証にはなります。
>理論の正しさを検証するためには、現実に適用可能なことを帰納的に確かめていくしかありません。

帰納とは・・・「一般的にいって帰納は、あくまでも確率・確度といった蓋然性の導出に留まる。」wikipedia
wikipedia「証明」・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%BC%E6%98%8E

私は学者ではないので「そうなのか!」と一瞬信じそうになりましたが、さすがにちょっと間違いですよね。


>講義の中で生じたであろうそういう疑問を解消するためにも、正しさについて一定の合意が得られている例を導出することを示すことは自然なことですし、講義の組み立て方として一般的なものです。実際、福耳氏の記事はそういう文脈で書かれていました。

トリアージは「正しさについて一定の合意が得られている例」ではありません。
wikipediaのトリアージから議論の項目を参照してください(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B8)。


>また、ホロコーストが「例として適切ではない」と言ったのは、論理的つながりではなく、「教育的な意味合い」からです。その意味で「適切」の言葉の意味がずれています。なぜ教育的な意味合いからこれが不適切になるかについては、上に述べた「正しさについて一定の合意が得られている例を導出することを示すこと」こそが講義について自然な流れだからです。ホロコーストはむしろ、「理論の適用限界を示す反例」なのであって(仮にホロコーストが合理的に導出されるものならば、ですが)、理論の妥当性よりも適用限界を先に説くのは講義の構成としては不自然です。
>
>> fuku33さんの講義では「上の様な判断はさておく」という前提があったと主張してらっしゃるんでしょう?
>
>「さておく」ことの教育的な妥当性について補足すると、トリアージの妥当性を論証することは難しくとも、直感的には明らかだからです。たとえば、福耳氏が企業会計を講義していたのだとして、お金の計算について「どうして1+1=2なのですか」という質問が出れば、これは不適切でしょう。
>
>> 1.トリアージは倫理的に問題があったとしても、論理的に問題がないので例として適切。(倫理的問題点はさておくのは自明)
>矛盾しませんよ。なぜなら、「倫理的に問題があったとしても」というのは強めに譲歩を入れただけのことで、私は問題があると思っていないからです。福耳氏を批判している人は、「トリアージを批判していない」と言いながら実際には何のかんの言って否定したがる人が多かったので、そこを争点にしたくなかったのです。

私は「論理的つながり」の話をしていますので、以上の主張は無視してもよろしいですね?

>では、あの授業でfuku33さんが「ホロコースト」を例としてあげる事も問題ない。
>「それは非人道的だ」と生徒が批判したら、「ナイーブ」だ。と判断するわけですね。

あらためて、以上の質問にお答えいただけますか?
誤解されないように補記すれば「「トリアージ」の例示の置き換えとして「ホロコースト」を例として」です。

SokalianSokalian 2008/09/01 23:38 話がややこしくなってきたので、記事を設けてそちらでお返事しました。
http://d.hatena.ne.jp/Sokalian/20080831/1220279823
また、今日上げた記事もご参考になればと思います。

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