新たに二〇〇八年度に中国残留孤児と認定された三人が十七日に一時帰国した。二十八日まで日本に滞在して肉親捜しが行われる。認定者数は一九八一年に訪日調査が始まって以来、最も少ない。多くの情報が寄せられ、身元が判明することを願わずにはいられない。
残留孤児の肉親捜しは、厚生労働省職員が訪中して中国側と共同で面接し、複数の関係者の証言などで孤児と認定すれば情報を公開した後、訪日調査を実施している。これまで今回の三人を含めて二千八百十五人が孤児と認定され、千二百八十一人の身元が判明した。
終戦から六十三年がたち、肉親や親類の高齢化が進んで身元判明が難しくなっている。来日した三人は女性二人と男性一人で、黒竜江省の女性は八歳ごろに旧満州に渡ったという。家族を失った戦争のショックで日本語は忘れたが、日本にいた時の記憶は残っていた。「家の前に道路があり、道路の前に海があった。家の後ろには木があり、木の後ろには線路があった」と話している。手掛かりはわずかだ。厚労省は身元の判明につながる情報の提供を呼び掛ける。
中国残留孤児をめぐっては昨年十一月、日本に永住帰国した孤児に対する新たな支援策を盛り込んだ改正帰国者支援法が成立した。背景には、孤児たちが国が中国に取り残された孤児の早期帰国や、帰国後の自立に向けた支援義務を怠ってきたとして、国家賠償を求めて全国各地で起こした集団訴訟があった。改正支援法成立を受け、当時の福田康夫首相は、全国の孤児訴訟の原告団代表と面会して従来の支援策が不十分だったことを認めた上で、新たな支援策の着実な実行を約束した。
ところが、今年七月に神戸大の浅野慎一教授が兵庫県内の元原告五十人を対象に実施した聞き取り調査では、改正支援法について「問題ない」との回答はゼロだった。不満が多かったのは、複数回答で「国の責任が不明確なまま」「中国に行くとき期間・目的に制限がある」「収入認定があり、子どもと同居できない」などだ。
高齢化する孤児たちは四十八人が何らかの障害や病気を抱えていた。うち十五人は日本語の壁や交通費などの経済的負担を理由に「通院が十分でない」と訴えていた。
支援法が改正されてもまだまだ十分ではないことを聞き取り調査結果は示しているといえよう。残留孤児問題は終わっていない。課題の克服に向け、きめの細かく行き届いた支援を怠ってはなるまい。
麻生太郎首相が、民主党からの要請を受けて小沢一郎代表との党首会談を十七日夜に官邸で行った。首相就任後、小沢氏と会談したのは初めてだが、国会での党首討論でなかったのは分かりにくい。
民主党は強硬に十七日中の開催を申し入れた。党首会談が実現しなければ、インド洋での給油活動を継続する新テロ対策特別措置法改正案について十八日に見込まれる参院外交防衛委員会での採決拒否も辞さない考えを示した。
理解しがたいのは、民主党は十四日には公開形式による与野党の党首会談を提案していたのに、なぜ小沢氏だけの会談になったのかだ。しかも、公開形式でもなかった。与野党の党首会談という異例の提案について、ほかの野党からも党首討論に参加したいとの強い要請があったと説明していたはずだ。
小沢氏は討論が苦手といわれ、党首力が試される党首討論には消極的だ。党首会談を持ち掛けたのは、国民に直接対決から逃げているとの印象を与えたくないとの苦肉の策であったのは間違いなかろう。
党首会談では、小沢氏が審議を通じて首相を早期解散に追い込む狙いから追加経済対策の裏付けとなる二〇〇八年度第二次補正予算案の今国会提出を求めたが、首相は明快な返答を避けた。民主党は反発し、参院での審議拒否も辞さない方針だ。再び「ねじれ国会」の泥仕合が再現される雲行きである。
世界同時不況が現実のものとなっている。国会が機能しないのでは政治が不況を加速させることになりかねない。小沢氏は真正面から党首討論に挑むべきだ。景気対策や金融安定化策などで政府案の不備を指摘し、民主党の政策を訴えることで政権担当能力が国民に示せよう。
(2008年11月18日掲載)