2008-11-10-月
■[雑記][見学][本][写真]「めぞん一刻」の故地を訪ねて。
実はここ最近、「めぞん一刻」熱である。もちろん、いまさらはじめて読んだわけじゃない。中学・高校時代にアニメで知り、まだ刊行途中だった原作の単行本を夢中で買い集めて読んでいたものだった。
その単行本は実家に置いてきたのだが、久しぶりに読みたくなって実家に住んでいる妹に問い合わせると、どうやら処分してしまった様子。やっぱり重要なものは手元に置いとかねばだめだなと思いつつ、最近伊東美咲のドラマにあわせて刊行された新装版を買った。
ところで、前から知識として知ってはいたことなんだけれど、めぞん一刻の舞台である「時計坂」の街と駅のモデルは東久留米である。たまたまそのことをググってみたら、どうやら「時計坂駅」のモデルとなった東久留米駅北口駅舎が、駅の改良工事のため2008年度中に撤去されるという情報を入手した。これは今行かねば、という意気込みが高まってきたので、仕事の帰りに東久留米を訪れてみることにした。
まずは主目的の東久留米駅北口駅舎。どうやら開業当時からの駅舎のままらしい1949年の建築(追記参照)。めぞん一刻の連載当時、東久留米駅にはこの駅舎しかなかった。
参考:「めぞん一刻」1巻「サクラサクカ!?」P114より
駅舎にはすでに、北口を撤去する「建築計画」が張り出されていた。どうやら来春には取り壊されるようだ。
次に、「茶々丸」のモデルになったという緒暮路。北口駅前から路地に入ったところにある。お店そのものはどうやら現在は別の場所で営業しているらしい。背後のマンションはおそらく連載当時にはなかったのだろう。そういう点ではこの建物が残っているのはけっこう奇跡的だ。
参考:「めぞん一刻」2巻「三鷹、五代!!」P14より
五代くんとこずえちゃんが出会った文房具屋さんの公衆電話。たまたま電話を使っている人がいた。ここはほとんど当時と変わらない雰囲気を残している。
参考:「めぞん一刻」2巻「複雑夜……」P86より
「時計坂商店街」。この時計屋さんは「時計・貴金属 貴田」という看板を掲げたお店のモデルか?
参考:「めぞん一刻」2巻「影を背負いて」P184より
東久留米1号踏切。犬の惣一郎が焼鳥の匂いにつられて賢太郎くんの手を離れてしまうシーンなど、何度か出てきた。「開かず」という程まではないが、いったん遮断機が下りると結構な時間そのままなので、踏切の手前は相当渋滞する。作品中にも出てきた「くぐるなあぶない」という看板が印象的。
参考:「めぞん一刻」4巻「ふりむいた惣一郎」P60より
参考:同じくP61より
東久留米駅から清瀬方に伸びる築堤脇の道路。黒目川のガードに向かう形になる。
参考:「めぞん一刻」1巻「惣一郎の影」P173より
参考:「めぞん一刻」1巻「春のワサビ」P133より
実は東久留米ははじめて訪れた。家からもそう遠くはないとはいえ、特に用もないので今まで行くことがなかったのだろうな。東久留米駅北口は、このように高橋留美子氏が住んでいた当時の面影をまだ残しているが、実はその後この駅には大規模な橋上駅舎と東西の出入り口、そしてロータリーが整備され、少なくとも駅としては当時とは一変している。
ただ、北口のやや南に位置する東口に関しては、確かに駅前はロータリーが整備され圧倒的に広くなったものの、必ずしも整備にともなって繁華街がこちらに移ったというわけではなさそうだった。広々しているわりにはやや寂れた観があり、今でもどちらかというと北口の方が「駅前」という賑やかさを残している。
ちなみに、国土地理院の空中写真によって、めぞん一刻連載時の東久留米市の様子を見ることができる。ここで紹介するのは1984年(昭和59)当時の写真。相当にファイルサイズの大きな画像なので、閲覧の際は注意されたい。
http://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/84/ckt-84-3/c6/ckt-84-3_c6_6.jpg
この辺りは、黒目川にかけてやや土地が低くなっており、思っていたよりも多少の起伏がある。ただ、「時計坂」に類するような坂があるほどの起伏ではない。「時計坂」はやっぱり作者による創作なんだろうな。
正直なところ、80年代の作品であるめぞん一刻はほぼ同時代だというイメージを持っていた。けれどもこうやって実際の風景と比較してみると、だいぶ移り変わっているんだなあと感じられた。東久留米市は「河童のクゥと夏休み」というアニメ映画の舞台になったそうで、その関連での街おこしは行われていたようなんだけれど、めぞん一刻については特に意識されている気配はない。北口駅舎の撤去によって、「時計坂」の雰囲気を残してきた街なみも急速に変化していくのだろう。この駅舎、確かにさほど文化財的価値があるわけではなさそうなので、撤去はやむを得ないのかもしれない。けれども、東久留米駅の歴史とともに歩んできた建物なんだろうし、北口のシンボルのような存在でもあるのだから、何らかの形でその面影を残しておくことはできないものだろうか。
補足
めぞん一刻の舞台としての東久留米市を取り上げているのは、以下のサイト。訪問の時に参考にさせていただいた。
http://www2j.biglobe.ne.jp/~k_asuka/index.html:title
「時計坂写真集」では、88年、94年、2000年の「時計坂」の様子が記録されている。その他データも盛りだくさん。
めぞん一刻小辞典
http://pingshan.parfait.ne.jp/maison.html
「小辞典」とあるが中身は大辞典。「めぞん一刻タウン情報」で東久留米も紹介されている。*1
めぞん一刻HomePage
http://www.ne.jp/asahi/maison/ikkoku/
「一刻写真館」で97年に取材した東久留米の様子が収められている。
Tokeizaka Express
「時計坂探索写真室」では原作と97年当時の現況とを対比させてあり、参考になる。
追記
『朝日新聞』2008年11月13日【むさしの】面に「さよなら"めぞん"の駅舎」という記事があり、東久留米駅解体が写真入りで取り上げられている。この記事によると、北口駅舎は1949年の建築だとしている。また北口は来秋に閉鎖され、その後駅舎は解体されるという。
http://ime.nu/www.asahi.com/culture/update/1114/TKY200811140035.html
*1:なお、「めぞん一刻現地ルポ」中の「公開捜査編」で取り上げられている、五代くんと響子さんの披露宴会場だが、これはフォーシーズンズができる前の椿山荘新館ではないかと思われる。正面玄関からだとあまりわからないが、庭園側からだと建物の配置が相当類似している。なお原作の描写はこちら:http://f.hatena.ne.jp/usataro/20081110184020。椿山荘新館の画像はこちら【庭園「椿山荘」の歩み】
- 608 http://www.new-akiba.com/archives/2008/11/post_17554.html
- 46 http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=東久留米 めぞん一刻&lr=&aq=f&oq=
- 41 http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GPTB_jaJP295JP295&q=都市部 限界集落
- 40 http://www.google.co.jp/search?q=東久留米駅北口駅舎&sourceid=navclient-ff&ie=UTF-8&rlz=1B2GGGL_jaJP206JP206
- 33 http://shikado.cocolog-nifty.com/zakki/
- 24 http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=めぞん一刻 時計坂駅&lr=
- 20 http://blogs.dion.ne.jp/raian/archives/7809874.html
- 13 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=998328169&owner_id=1328386
- 13 http://www.google.co.jp/search?q=めぞん一刻 時計坂駅&sourceid=navclient-ff&ie=UTF-8&rlz=1B3GGGL_jaJP267JP268
- 8 http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sumire/4298/index.html
雷庵博人 2008/11/15 13:43 はじめまして。「めぞん一刻」「駅舎」で検索してこちらのサイトにたどり着きました。私は東久留米市民です。なので北口の解体の件は以前より知っていたのですが、やはりなくなると思うと淋しく思います。
こうした「めぞん一刻的視点」でみる東久留米はまるで違う街に思える反面、踏み切りの「くぐるなあぶない」の看板はやっぱりインパクトがあるんだなと思ったりします。
興味深い記事でしたのでトラックバックさせていただきました。
usataro 2008/11/16 04:05 >雷庵博人さん
うさたろうです。コメントありがとうございます。
この間は着いたのが午後4時頃だったので、現在いちばん活気があると思われる東久留米駅西口周辺はほとんど見ていません。ただ北口周辺を見る限りでは、昔ながらの私鉄沿線駅前風景をかろうじて留めているような雰囲気を感じました。
ああいう風景は、都心に近い駅前だとまだ残っていますが、多摩地区のような落ちついた街でああいう風景が残っているところは、もう少なくなってきているような気がします。
西武鉄道でやってるウォーキングツアーを、「東久留米にめぞん一刻「時計坂」の面影をたどる」なんていうお題で企画できそうな気もしました。