「調子ノリ世代」「悪ガキジャパン」――それが彼らに着いた愛称である。スピード感あふれるゲーム展開、チームワークの良さ、吹っ切れ加減、新鮮さ、爽やかさ。サッカーファンに強烈なイメージを印象づけた2007年のU-20代表選手たち。そんな彼らが感じた自分たちをリレー形式でインタビューした。

― 今までインドでのアジア最終予選がキーポイントになったのではないか、という話題が今まで出たんですけど、みなさんはインドをどう感じていますか?

桐畑 僕、インドに行くまで全然代表に絡んでいなかったんですよ。インドの直前の新潟キャンプで追加招集されて、そのメンバーが最終選考になって、僕も第3キーパーで入って、行けることが決まっちゃったんです。でも環境は厳しかったですよね。みんな倒れていましたよ。

― 梅崎選手なんかは熱を出しながら試合に出ていたって言っていました。

桐畑 僕も腹の調子が悪かったんですけど、第3キーパーで腹の調子が悪くてもどうしようもないので、そこらへんは気合で。気合で乗り切りました。(笑)

― インドではハーフタイムとかに控え室に入って盛り上げたそうだけど。

桐畑 そうですね。メンバーに入れなかったので、試合前に会場入りしたんですけど、グラウンドにはいっちゃダメって言われて。ずっとスタンドにいて。試合が始まってもスタンドにいて…。

― それって…辛いですよね。

桐畑 辛いですね。カナダではベンチに入れたんですけど、アジアではIDもありませんでしたから。チームとプラス一人で、その一人が僕でした。チームのみんなは「違う」って言っていたけど、「じゃあ、代わってくれよ」って気持ちでしたね。

― バックアップ選手は通常のメンバーよりなにかプラスが欲しいよね。

桐畑 本当ですよ。頑張ってバックアップしましたで賞とか。(笑)大人になりかけている途中の、まだ20歳の青年には辛く厳しい経験でした。(笑)そんな気持ちでスタンドから君が代を聞いて。君が代で初めて悲しくなりましたよ。(笑)同い年のやつらがユニフォーム着て出ているのを、サプライヤーの人とスタンドで見ながら、人よりでかい声で国歌を歌ったんです。でも悲しかったですね。

― スタンドで見る、日本の試合はどうでしたか。

桐畑 ファイトしていましたよ。負ける気がしなかった。北朝鮮が強い、って言われていたんです。監督も初戦の北朝鮮をすごく警戒していました。僕は世界における日本の位置とかはわからなかったので「北朝鮮? 行けるでしょ」なんて明るく言っていたんですけど、2-0で北朝鮮に勝ったのは大きかったと思います。行けるじゃんって、勢いがついてきて。この世代は調子ノリ世代とか言われていますけど、僕には本当に居心地のいいチームでした。追加招集で入ったくせに、僕も思いきり調子にのっていました。

― すごく盛り上げてくれたとみんなから評判です。

桐畑 あの時は自虐ネタで行きました。(笑)「出られないけどさ、オレはなんでもやるからさ」って。第3キーパーってセットプレーの時の壁役とかするんですよ。笑ってやっていましたけど、実際は「帰りたいよ…」って思っていましたよ。

― アジア予選の最後に、みんながユニフォームをくれたそうですね。

桐畑 あれは感動しましたね。ヤッコさんが最後の試合を終わって、帰る前の夕食の時にユニフォームをくれたんです。もともと、みんなは3枚ずつもらえるんですけど、俺だけ1枚少なかったんです。だいいち、俺のだけ胸のワッペンもなんかパチものだったし。(笑)いや、メンバー外だからしょうがないんですけど、そういうことで少しずつボディブローを食らっていたんですよ。そうしたら最後にヤッコさんが、みんなのサイン入りのユニフォームをくれたんです。それでみんなの前で一言言ったら、なんだか感激して涙が出てきちゃって。なにを話したか、まったく覚えていなんですけど、みんな「よかったぞ! 俺も泣きそうになったよ」って言ってくれたんですよね。

― それからカナダにも行くことになります。

桐畑 チームが解散して、ワールドユースの立ち上げで最初呼ばれたんですけど、風邪を引いていけなくなってしまって、それからはずっと呼ばれていなかったんです。でも、南さんとかに「お前、(運を)持っているから、来るんじゃないか」って言われていたんです。「いや、ないっすよ」って答えていたら、ある日「おい、FC東京のキーパーがケガしたみたいだぞ。やっぱり来るんじゃないか」って話を聞いて。でも、実際に行きたくなかったんです。インドのように、代表なのに代表じゃないような立場だったら、精神的に厳しくなってしまうので、行きたくなかったんです。そんなある日、GMから電話がかかってきたんです。その頃、同年代の選手たちがJFLや地域リーグに移籍し始めていて、俺らの年代もそろそろそういう話があるんだな、って言っていたところだったので、「あっ、移籍の話か。ついに来たか」って思って。(笑)そうしたら「お前、カナダに行きたいか」って聞かれたんですね。最初、訳がわからなくて。そして、あっ、代表かってわかって。嬉しい気持ち半分、微妙な気持ち半分でした。でも、練習に行ったら、メンバーはみんな代わっていなくて。「お前、また来たの?」って言われて。「来ちゃったよー。持っているでしょー」って。(笑)

― 林選手、武田選手、桐畑選手の3人になりました。

桐畑 それが林だけだったらまだしもなんですけど、ナイジェリア戦では洋平が出たじゃないですか。洋平は誕生日が一緒だし、キーパー同士考え方も合うし、大好きなので、出てくれるのは嬉しいんですけど、ちょっと少し悔しかったですね。俺がカナダで一人部屋だったんですけど、洋平が来て「めっちゃ緊張する」って話をしてきて。あいつ、めっちゃ気が小さいんですよ。(笑)それで、ここは俺が励まさなくちゃって思って。「大丈夫っしょ。オレもめちゃ緊張するけど、なんとかなるよ、人生」って励まして。そうしたら、洋平けっこう止めちゃって。でも、嬉しかったですね。あいつが止めて。

― そうやって控え組のモチベーションをあげていたんですね。

桐畑 そうですね。マイクとか出られないヤツらも、みんな明るかったんですよ。そんなオレたちのモチベーションは国歌だったんです。「よし、国歌歌うぞ! オレたち、国歌で全部出し切らなくちゃ、カロリー消費しないぞ」って。(笑)柳川とかも面白いんですよ。「お前、賞金がかかると来るんだな」とか言うし。(笑)あいつ、顔が怖いんですよね。(笑)スナイパーって言われていましたよ。それなのにモジモジしていて、超かわいいんです。

― ヤッコさんはどうだった?

桐畑 みんなヤッコさん、ヤッコさん言っていたけど、僕はあんまり会ったことがなかったので、なかなか絡めませんでしたね。でも熱い人でしたし、暖かい感じが伝わってきましたね。

― カナダでなにを得られましたか?

桐畑 難しいなあ…。でも行けてよかったですよ。以前、佐藤由紀彦さんに聞いたんですけど、エスパルスで山本海人さんと一緒だったそうなんですけど、山本さんもオランダワールドユースの時にメンバー外で、帰ってきて「由紀さん、俺、世界見えなかったですよ」って言ったそうなんです。俺も帰ってきて、すぐ由紀さんに「俺も世界は見えなかったよ」って言ったんですよ。

― そうしたら、どんなリアクションだった?

桐畑 由紀さん、笑ってた。(笑)うーん、でも、ちょっと違うかな。世界を見ることはできたけど、感じられなかった、ですかね。練習をしていると、小さい子どもたちが見に来るんですよ。キーパーの練習とかはあまり見たことがないんだと思うんですけど、じっくり見ていって、流暢なイングリッシュで「Best player」って言ってくれたんです。そういう日々の小さな事柄をモチベーションにして、なんとか頑張りましたね。

― ありがとうございました。次は安田選手です。

桐畑和繁   
Kazushige KIRIHATA
ポジション: GK
生年月日:1987/06/30
身長/体重:185/77