― 今までインドでのアジア最終予選がキーポイントになったのではないか、という話題が今まで出たんですけど、みなさんはインドをどう感じていますか?
桐畑 僕、インドに行くまで全然代表に絡んでいなかったんですよ。インドの直前の新潟キャンプで追加招集されて、そのメンバーが最終選考になって、僕も第3キーパーで入って、行けることが決まっちゃったんです。でも環境は厳しかったですよね。みんな倒れていましたよ。
― 梅崎選手なんかは熱を出しながら試合に出ていたって言っていました。
桐畑 僕も腹の調子が悪かったんですけど、第3キーパーで腹の調子が悪くてもどうしようもないので、そこらへんは気合で。気合で乗り切りました。(笑)
― インドではハーフタイムとかに控え室に入って盛り上げたそうだけど。
桐畑 そうですね。メンバーに入れなかったので、試合前に会場入りしたんですけど、グラウンドにはいっちゃダメって言われて。ずっとスタンドにいて。試合が始まってもスタンドにいて…。
― それって…辛いですよね。
桐畑 辛いですね。カナダではベンチに入れたんですけど、アジアではIDもありませんでしたから。チームとプラス一人で、その一人が僕でした。チームのみんなは「違う」って言っていたけど、「じゃあ、代わってくれよ」って気持ちでしたね。
― バックアップ選手は通常のメンバーよりなにかプラスが欲しいよね。
桐畑 本当ですよ。頑張ってバックアップしましたで賞とか。(笑)大人になりかけている途中の、まだ20歳の青年には辛く厳しい経験でした。(笑)そんな気持ちでスタンドから君が代を聞いて。君が代で初めて悲しくなりましたよ。(笑)同い年のやつらがユニフォーム着て出ているのを、サプライヤーの人とスタンドで見ながら、人よりでかい声で国歌を歌ったんです。でも悲しかったですね。
― スタンドで見る、日本の試合はどうでしたか。
桐畑 ファイトしていましたよ。負ける気がしなかった。北朝鮮が強い、って言われていたんです。監督も初戦の北朝鮮をすごく警戒していました。僕は世界における日本の位置とかはわからなかったので「北朝鮮? 行けるでしょ」なんて明るく言っていたんですけど、2-0で北朝鮮に勝ったのは大きかったと思います。行けるじゃんって、勢いがついてきて。この世代は調子ノリ世代とか言われていますけど、僕には本当に居心地のいいチームでした。追加招集で入ったくせに、僕も思いきり調子にのっていました。
― すごく盛り上げてくれたとみんなから評判です。
桐畑 あの時は自虐ネタで行きました。(笑)「出られないけどさ、オレはなんでもやるからさ」って。第3キーパーってセットプレーの時の壁役とかするんですよ。笑ってやっていましたけど、実際は「帰りたいよ…」って思っていましたよ。
― アジア予選の最後に、みんながユニフォームをくれたそうですね。
桐畑 あれは感動しましたね。ヤッコさんが最後の試合を終わって、帰る前の夕食の時にユニフォームをくれたんです。もともと、みんなは3枚ずつもらえるんですけど、俺だけ1枚少なかったんです。だいいち、俺のだけ胸のワッペンもなんかパチものだったし。(笑)いや、メンバー外だからしょうがないんですけど、そういうことで少しずつボディブローを食らっていたんですよ。そうしたら最後にヤッコさんが、みんなのサイン入りのユニフォームをくれたんです。それでみんなの前で一言言ったら、なんだか感激して涙が出てきちゃって。なにを話したか、まったく覚えていなんですけど、みんな「よかったぞ! 俺も泣きそうになったよ」って言ってくれたんですよね。 |