「調子ノリ世代」「悪ガキジャパン」――それが彼らに着いた愛称である。スピード感あふれるゲーム展開、チームワークの良さ、吹っ切れ加減、新鮮さ、爽やかさ。サッカーファンに強烈なイメージを印象づけた2007年のU-20代表選手たち。そんな彼らが感じた自分たちをリレー形式でインタビューした。
― 新潟ではインドでのアジア最終予選がキーポイントになったのではないか、という話題が出たんですけど、どう感じていますか?

青山 インドの最終予選はメディアにもあまり注目されていませんでしたし、「本当に大丈夫か?」って言われていたんですよね。そんなムードを僕たちも感じていたので、なんとしてもこのインドでしっかり戦って、こういう環境であろうとも自分たちはできるんだ! というところを見せなくちゃ…という気持ちでひとつにまとまっていたと思います。

― その環境ってどうでした?

青山 さすがに食事は厳しかったです。香辛料もきついし、油もきびしくて。みんな自分で味付け海苔やふりかけとか、マヨネーズとか佐藤のごはんとか、いろいろなものを持って行っていたんですよ。(笑)

― 実際に、現地食は食べられなかったですか。

青山 努力はしたんですけどね。パスタとかもあったので、慣れているものが中心になりましたね。夜食に佐藤のごはんとかを食べてしのぎました。(笑)

― チームの結束力が高かった要因に、吉田監督を推す選手もいるんですけど、監督はどうでしたか?

青山 ある程度のコンセプトを僕らに与えて、「あとは自分たちがやりたいようにやりなさい。サッカーを楽しむことが一番だから」と教えてくれていたんです。ということは、自分たち個々の力を出せばいいってことですし、それがはっきりしていたことは僕自身はやりやすかったですし、まわりのみんなもやりやすかったと思います。試合に出ている人、出ていない人にかかわらず、楽しんでいたと思うし、監督のために最終予選を頑張ろう、ワールドユースを頑張ろう、そういう声が現場で出ていたんです。とても信頼できた監督でした。

― かなり自由にやらせてくれたそうですね。

青山 試合があるからここにいるんだということが理解できていれば、お茶を飲みに行ってもいいんだぞ…って合宿の初日に言ってくれたんです。しっかりサッカーをやるんだという考えを持っていれば、なにをしてもいいんだぞって。それに、なにをするにも、自分たちでしっかり考えてやらなくちゃ、プロとしてだめだと思うよ、とも言ってくれたので。すごくわかりやすかったですね。

― 森保コーチは練習でもかなりクレバーなボランチだったそうです。

青山 いやあ、まだ現役でもできるんじゃないかってぐらいでしたよ。ポイチって呼ばれているじゃないですか。ランニングの時なんかも、森保さんが先頭を切ってランニングするんですけど、みんなが森保さんをいじるんですよね。俺らもかまって欲しいんですよ。しまいにはポイチのポで、「よし、じゃあ、ポ、行こうぜ!」なんて言って、スパイクで叩かれたりしていました。(笑)和気あいあいと練習に入っていって、それでも締めるところは締めてくれましたよ。オンとオフをしっかりしてくれたんですよね。僕から森保さんに相談をしにいったりもしましたし、選手と監督の間に立って選手の要求とかもいろいろと聞いてくれました。「吉田さんはこうしたいんだよ」ということを教えてくれたりもしましたし。すごくいい存在でした。

― 監督は壁を作らないタイプの人だという話だったけど、コーチが間に入るということは、そうでもなかったの?

青山 そういう意味ではなくて、監督が話した後に、もう一度森保さんが来て「今の話はわかった?」って再確認をしてくれたというか。うーん、スタッフの中でもボランチだったんですよ。(笑)

― うまいですね。(笑)

青山 はい。(笑)

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― カナダでの生活はどうだったんですか?

青山 リラックスルームを作ってくれていたので、そこでなごんでいました。ジーコジャパンのDVDや、プレステなんかもあったし。カナダでは日本のテレビが見れたんですよ。僕らが朝ごはんを食べて8時半くらいにリラックスルームに行くと、ちょうど「すぽると!」をやっていたんです。そこで僕らの特集をやっていたので、それを見ていたりしました。(笑)

― じゃあ、退屈はしなかったんだ。

青山 それよりも、ビクトリアはものすごくきれいな街だったので、DVDは二の次で、歩いてお茶をしにいったり、みんなで散歩をしにいっていましたね。街の人たちもU-20ワールドカップをやっていることを知っていて、「ワールドカップに出ている選手だよね? 頑張ってね」って声をかけてくれたりして。すごく住みやすかったですよ。

― カナダでは誰と同室だったんですか?

青山 亜土夢です。

― なんで彼はインタビューだとあまりしゃべらないの?(笑)

青山 人見知りするんですよね。(笑)普通にしゃべるし、いたずらばかりしているんですけどね。カナダでは、たまたま部屋が隣の部屋とつながるコネクティングルームだったんです。その隣は槙野と青木だったんですね。じゃあ、4人部屋にしちゃおうか、って出入りできるようにして。

― じゃあちょっとは騒がしかったんだ…特に槙野選手が。(笑)

青山 まあ、ずっとしゃべっていましたね。(笑)でも、ムードメーカーだったから、みんな助かっていたんですよ。

― ハートが強い選手だよね。

青山 本当に。落ち込むことってないんじゃないかっていうくらい。彼にはネガティブって言葉はないと思いますね。(笑)

― まだクロワッサンにはまっていた?

青山 それ、めっちゃ自慢していましたよ。俺はクロワッサンにはまってるんだ。この大会でみんなに広めるって。みんな「なに言っているんだよ…」って感じでしたけどね!(笑)

― 桐畑選手の評価も高いんですが。

青山 試合に出てはいませんが、一番支えてくれた選手ですよね。「俺は出られないけど、お前らのために俺ができることはなんでもやるよ。お前らのために尽くすよ」ってはっきり言ってくれたんですよね。スコットランド戦とか、試合を見ている観点からアドバイスをしてくれましたし。食事中も盛り上げてくれましたし。あいつがいいチームに仕上げてくれたと言っても大袈裟じゃないくらいなんですよ。

― 隠れたチームリーダーは桐畑選手だと。

青山 そうですね。

― 表のチームのリーダーは誰だったんですか?

青山 やっぱり盛り上げ役は槙野と安田かな。

― シメる役割の人はいなかったの?

青山 いませんでしたね。みんな盛り上がっていましたし。

― 1学年上の梅崎選手や河原選手は?

青山 選手で3つ、スタッフで1つ、全部で4つのテーブルに分かれて食事をしていたんですね。その中で僕は槙野と一緒のテーブルだったんですけど、槙野がしゃべっている話を他のテーブルの人たちも聞いているんですよ。席は遠いけど、梅さんも会話に入ってくるんです。吉田監督や森保さんも笑いながら「おまえ、それはないだろ」って入ってきて。結局、みんなで話をしているんですよ。本当にすっごく仲が良かったんですよね。

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― さて試合なんですが、スコットランドは前評判が高かったのにしっかりと勝ちました。どんな気持ちで試合に入ったんですか?

青山 大会に入る前から、「大丈夫か?」的な報道はまだ続いていたんです。でも、アジア予選からずっとそう言われながらも乗り越えてきたんだし、みんなで出来る最後の大会なんだから、とにかく楽しくやろうよ、といい意味で吹っ切れて。監督も「自分たちの大会なんだから、好きにやりなよ」という感じでしたからね。それがいい効果になって僕らもメンタルを維持できて、試合に上手く入れたんじゃないかと思います。吉田監督や僕らが目指していた理想のサッカーに一歩も二歩も自然と近づいた試合だったと思います。

― 体格のいいスコットランドの選手はどうでした?

青山 最初の15分で、「身体が大きいと普通に当たっても勝てないので、ちょっとタイミングずらしてみたりするとか、頭を使って対応しないといけないな」というイメージがありました。スコットランドは蹴って走るというような、伝統スタイルのサッカーだったので、槙野とか福元が跳ね返した後のセカンドボールを確実に味方に繋げて循環をよくすること、柏木、田中、梅さんの攻撃的な選手がすぐに攻撃に移れるようにバランスを見ることが監督から求められていたので、それが思ったよりうまくできたことが良かったと思います。

― シュートも決めたしね。

青山 キーパーのミスだとも思うんですが………僕はこの大会にかけているところがあって、自分なりにチャレンジをしようと思っていたんです。自分が通用するしないを、世界を相手にして感じたかったというか…

― 自分の力を測りたかった。

青山 そうそう。そうです。チームの仕事をしっかりやった上で、個人としてもチャレンジしてみようという気持ちで臨んでいたんですよね。だから、あのシュートは入った入らなかったというよりも、シュートを打てたということに意味があったんじゃないかな、と自分では思っています。

― なるほど。それはコスタリカ戦やチェコ戦でもそうでしたか。

青山 そうですね。相手の身体は強かったですけど、先に突っついたり、相手を自由にさせなかったりということは、スコットランドにもコスタリカにもできたことだと思いますし、攻撃でも僕の位置からフォワードに当てることは出来たと思っています。やっぱり、課題としては、声をかけてゲームをコントロールすることでしょうか。俊哉さん(藤田俊哉選手)のように。周りを動かして自分がプレーしやすい状況を作れれば、攻撃の選手はやりやすかったんじゃないかなって思います。

― 得点後のパフォーマンスが話題になっていましたが、青山選手としてはなにを感じながらやっていたんですか?

青山 僕だけかもしれないですけど、目立ちたいというよりも、純粋に点が入った喜びを表現していたという感じでした。みんなもそうだと思うんですよ。純粋に点が入って喜ぼうという気持ちでやっていたんですよね。「面白い」とか「なんだあれは」とか、評価は分かれると思いますが、パフォーマンスをしたことによってチームがまとまったという効果もありました。

― 日本サッカー界にもいい効果があったパフォーマンスだったと思います。

青山 帰ってきてからメールがいっぱい入っていて、「感動した」とか「お前らを見ていて頑張ろうと思った」とか「勇気づけられた」とか、書いてあったんですよ。みんなの励みや勇気づけになるなんて、サッカー選手としてこれ以上のことってないじゃないですか。そういう想いを伝えられたということが僕は純粋に嬉しかったんです。それにパフォーマンスで話題性もあがったんであれば、一石二鳥じゃないですけどプラスになったと思いますね。

― 最後に、カナダで自分としてどんな成長があったのか教えてください。

青山 カナダが終わって、考え方が変わったんです。考え方がプラスになったというか、ポジティブに考えられるようになったというか。チームでは試合に出れなくて、カナダの前はけっこうネガティブな考え方をしていたんです。でも、この大会でしっかりとプレー出来た自分がいたんですよね。「これだけやれたんだ」このことは自信になりました。監督の指示に忠実にプレーすることも重要です。でも、まだ若いですから、いろいろなことにチャレンジしたかったんですよね。でも試合でそれを確認するチャンスがなかった。それがこの大会では、いろいろなことにチャレンジして、自分がやれることとやれないことをしっかり確認できたんです。その効果は少なからずあって、チームに戻ってからの後半戦、いいモチベーションで練習にも取り組めたんです。結局、試合には出られませんでしたけど…。でも、こういう経験をしたことで、サッカーをやって楽しいなって再び思えるようになったんですよね。今はいつも楽しんでサッカーをしようと考えられています。結果は出ていなくとも、いい方向に向かっている、僕はそう感じています。

― ありがとうございました。次は、梅崎、福元、森重選手です。

名古屋グランパスエイト

青山隼   
Jun AOYAMA
ポジション: MF
生年月日:1988/01/03
身長/体重:182/74