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この人物のオモテとウラ 長野智子 やっとたどり着いた「希望の地」

 月曜夜7時のドキュメンタリー新番組「報道発ドキュメンタリ宣言」(テレビ朝日)が、初回視聴率22.9%(ビデオリサーチ調べ)で好スタートを切った。同番組を支えるメーンキャスターが長野智子(45)。フジテレビ出身の元“ひょうきんアナ”が、今や世界を股にかける“報道の顔”となった。何が彼女をそうさせたのか。

 そういえば彼女の曽祖父は、幕末期、わずか16歳で見習通訳として勝海舟らの遣米使節団に同行。持ち前のユーモアでアメリカ人のハートをつかんだ。

 帰国後はハリスご指名の公使館通訳や将軍慶喜の通訳を務め、維新後も岩倉使節団などに随行した。

 米ニュージャージー州生まれ、幼稚園から高校まで田園調布雙葉学園に通った彼女は、途中編入で高1まで同学園に在籍した雅子妃の1学年先輩にあたる。

 長野は商社マンの父と幼少期に死別し、母の手ひとつで兄とともに育てられた。

 上智大在学中から文化放送の「ミスDJリクエストパレード」で女子大生ブームに乗って小遣い稼ぎ。大好きなデュラン・デュランとのロンドンインタビューがあっさり実現できたことでメディアの威力に幻惑され、フジテレビの局アナとなった。

「同期でニュース街道をひた走る永麻理アナと同じ報道志望だったが、キャラは正反対。本人の希望と裏腹に“お笑い街道”を爆走、気付いたらバラエティー番組の顔になっていた」(テレビ局関係者)

「オレたちひょうきん族」をようやく卒業した長野が、朝の情報番組でメーンキャスターになったのは入社5年目。休みも取れない超多忙スケジュールの中で、母の還暦だからと拝み倒して夏休みをもぎ取った。米駐在商社マンだった父の面影をしのぶ母とのニューヨーク旅行中に、アメリカ在住の友達から紹介された現役商社マンが今の夫だった。

●「現場主義」は鳥越流

 90年3月、彼の帰国を待って結婚。同時にフジテレビを退社した。その後もフリーで仕事を続けたが、95年に転機が訪れた。

 夫の転勤で再び渡米することとなり、日本のテレビから離れ、ニューヨーク大学の大学院でメディア環境学を学んだ。

 00年に帰国してからは「ザ・スクープ」(テレビ朝日)でニュースキャスターとなり、そこで鳥越俊太郎から“現場主義”をたたき込まれたらしい。

 01年の9・11テロ事件発生直後、イスラエルのパレスチナ自治区へ飛んだ長野は、土地を奪われたパレスチナ難民の飢えと貧困を目の当たりにし、ガク然とする。“アメリカが大好き”だった長野が“ジャーナリスト魂”に目覚めたのはこの時かもしれない。

「今じゃ、取材疲れの軽いギックリ腰ぐらいじゃビクともしない。徹夜の収録後にトンボ返りでアメリカへ飛んで、一睡もせずに米大統領選取材なんてこともザラです。資料本は入浴中に読み倒し、時差ボケの体調不良を点滴で紛らわすこともある」(テレビ局スタッフ)

 不屈のジャーナリズム精神は、奇跡的な夫の理解と、恵まれた(?)職場環境とともに育つ!?

(日刊ゲンダイ2008年11月14日掲載)


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