2008年11月17日

お騒がせ

ここ何日か、ずっとホテルにこもり芝居の脚本を書いていた。

たまにしか携帯を手に取らず、時折手にしてブログを見たら、見るたびにエライことになっていて驚いた。

これが世に言う炎上というものなのだろうか。

アクセス数もコメント数も、超人気ブログ一日分の10分の1くらいの数で、炎上と呼ぶのもおこがましいのだが。

たしかに燃え上がったのは事実のようだ。

言ってみれば、細々やっている駄菓子屋に溢れかえるように人が来てしまったような状態で、店主は慌てふためいている。

結論から言えば、問題の日記を削除し、コメント欄を一時的に閉鎖させていただいた。

日記を削除したのは、あらためて読み直してみると、自分から見てもたしかに好印象ではなかったこと。

御指摘の通り、書き方を変えれば、もっと傲慢ではなく、しかももっと笑える、そしてもっとリアルな文章が書けたはずであった。

今までもブログを書く視点はあまり大所高所に立ったものではなかった。
ほぼ自分の半径10メートルぐらいの範囲の事を書いていた。

ところがその半径10メートルに総理大臣が入って来たもので、自分のその狭い範囲の世界の中だけで、一国の総理を描いてしまった。
そのことが描写に客観性を欠き、傲慢になってしまったのだと思う。

そんな文章を、このまま読むつもりのなかった人の目にまで触れさせることもないであろうと今回は削除させていただいた。

言わば欠陥商品の自主回収のようなものだ。

コメント欄も同様に、言葉が嵐のように渦巻く状況を一度鎮静化するために、しばらくお休みさせてもらう。

以上の事をこのブログを読んできてくれた皆様にお詫びいたします。


思えば、30代や20代の頃には、もっと言葉を大事にものを書いていたような気がする。

いや、10代の中学生の頃に友達と詩集を作っていた頃も。自分の気に入る表現を探すために、一言に多くの時間を費やしたりしていた。

年を取りさらに慎重になるべきところを、過信が驕りをうみ、言葉が垂れ流しになっていたようだ。


思いつきでサクサク書くのもブログの利点だが、それなりの推敲は必要だ。


中には言っていることは正論であったと言う人もいた。
だから日記を削除するべきではなかったと。


一度公に発言したことを、バッシングされたぐらいで引っ込めるのは卑怯だということであろう。


それもわかるが、全くの無視を決め込み篭城することも、敢えて反論し矢刺さり血だらけになることも、私は選べなかった。


もちろん全面降伏しているわけではない。伝えたい真意もあった。誤解されない表現も模索していきたい。
自分の名誉のために断固闘わなければいけないときもあるだろう。


しかしそれは今ではないと判断した。


なによりもそれだけの体力が現時点ではなかったのだ。


とにかく今回は貴重な経験をさせていただいた。



テレビでは教育テレビの「リトルチャロ」が流れている。


シンプルなアニメであるが、その言葉の持つ意味は深い。


原作はわかぎえふ。


えふちゃんいい仕事してるね。


俺も「言葉」を大事に頑張るよ。


ブログはまだ続けて参りますのでヨロシク。。。

lasar1019 at 00:50 │Comments(0)TrackBack(0)clip!

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