ワシントン中心部にある国立建築博物館には「思想を発展させ探求し交換し合うフォーラム(討論会場)」との紹介がある。
ここに世界経済を代表する20カ国・地域(G20)の首脳らが集った。金融の歴史的混乱に歯止めをかけ、危機を招いた人類の過ちを正し、再び世界経済を繁栄と安定の軌道に戻すためには何をなすべきか、解答を見いだすためだった。
経済の規模も発展段階も「市場」への思想や抱える国内問題も異なる国々である。今回の危機を生んだ国、被害を受けた国といった立場の違いもあった。
それでも、共に知恵を出し合い連帯して行動しなければ、全員が敗者になりかねないとの共通認識から、解決に向けて一歩を踏み出した。すべては、今後の具体策と行動次第だが、非難や対立一色に塗り込められることなく、進むべき方角を明確ではないにしろ確認したことは評価したい。
とりわけ意義があったのは、首脳が自由貿易体制の重要性をここで強調し、保護主義政策は取らないと誓ったことだ。「今後12カ月、貿易や投資にかかる新たな障壁を設けない」と明言し、暗礁に乗り上げた世界貿易機関(WTO)の自由化交渉(ドーハ・ラウンド)を今年中に大枠合意に持ち込む決意を示した。
金融危機が世界規模の景気後退へと深刻度を増す中、各国で失業が緊急な課題となっている。米国では大量の雇用を担う大手自動車メーカーが重大な資金難に陥り、国による救済が焦点となってきた。だが、雇用救済目的であっても、政府が公的資金を使って民間企業の支援に乗り出せば、国際的な競争条件をゆがめ、他国の対抗措置を招く危険がある。
いくら各国が利下げや財政出動に努めたとしても、貿易や投資の流れが滞れば、世界経済を成長軌道に戻すことはできまい。その時、最大の犠牲者はサミットに招かれることもない貧しい後発発展途上国となるのだ。保護主義の誘惑が高まっている今だからこそG20は、今回の決意を交渉での具体的な譲歩という形で裏付ける責務を負う。
主要国は深刻な世界同時不況という大火を消す作業を急ぎながら、21世紀型の国際金融体制という新たな建物を築く事業に取り組まねばならない。消火作業では、相当な規模の公共投資や減税など景気刺激策が必要となろう。サミットはその重要性をうたうにとどまったが、各国の政策の効果を最大化するには協調して打ち出すことが大切だ。
金融危機の再来を防ぐための21世紀型の建物については、時代に合った強い構造とする必要性で一致したが、姿や大きさなど完成像はまだ見えない。設計作業はこれからだが、まずは、第二次大戦後に作られた国際通貨基金(IMF)を増改築し金融機関への監視体制をこれまでより広範で強力なものにすることで合意を見た。危機が起きる前に警告を発する早期警戒体制を整えることも表明した。
しかし、主権国家に対してどこまで強く物を言える国際機関や協調体制を築くかという核心部分で、今後、主要国間の意見の食い違いが表面化しそうである。
ブッシュ米大統領は、一定の管理を加えながらも、あくまで自由市場を原則とした資本主義の発展を唱える。他方、フランスなど欧州諸国はヘッジファンドを含めこれまで規制の対象から外れてきた業態もすべて監督下に置く強い規制や管理を求めている。
一方で、新興国は今後、発言権を高めることになろう。21世紀の現実に即した対応だが、経済や金融市場の発展段階が違う新興国との合意形成が先進国のみの場合より複雑となるのは間違いなさそうだ。
日本政府は今回のサミットを前にIMFの増資を提言し、つなぎ資金として1000億ドルの融資を表明した。貢献には違いないが、今後はもっと枠組みそのものの設計や規制のあり方で、積極的な提言や合意形成に努力する必要がある。さもなければ、新しいルールが米欧間の調整を中心に固まってしまいかねない。
IMFなど戦後の国際協調の枠組みを決めた会議は、米ニューハンプシャー州ブレトンウッズで1944年7月1日から3週間にわたり開催された。その準備には実に数年を費やした。2度の大戦を経て圧倒的経済大国となった米国に、国際金融の機能を集中させる試みでもあった。それに対して今回は、準備期間が数週間しかなく会議も実質半日だ。米国の経済力が低下する中で代わりとなる力も不在である。「新ブレトンウッズ体制」の構築はかけ声ほど簡単ではないが、年明けに誕生するオバマ新政権とともに、新しい体制の青写真を具体化していかなければならない。
首脳らは口々にサミットの歴史的意義を強調した。歴史に残る出発点となるかどうかは、この先の行動で決まる。2008年が歴史的混乱の年としてだけではなく、新たな「グローバル社会」の建造が始まった年として記憶されることを願いたい。
毎日新聞 2008年11月17日 東京朝刊