政局2008
経済激変で解散先送りに
【社会】『派遣』消え 街ガラ空き 福岡・トヨタ工場の地元2008年11月7日 朝刊
世界的な景気後退の影響で、自動車や半導体など輸出産業の現場で派遣社員の“大量解雇”が進む。今夏、八百人の契約を解除したトヨタ系列のトヨタ自動車九州(福岡県宮若市)の地元は若者が大きく減り、がら空きのアパートがあちこちでみられる。戦後、炭鉱閉山でさびれながら、工場誘致で勢いを取り戻した企業城下町。不安に包まれた「車の街」を歩いた。 (神田要一) 福岡空港から高速バスで約四十分。宮若市商工振興課の有吉智明さん(34)の案内で、工場を目指した。小高い丘に上がると、黄色い煙突が立ち並ぶ工場群が見えてきた。 「あそこがトヨタです」と有吉さん。百十三万平方メートルの広大な敷地に、約六千三百人の正社員と数百人の派遣社員が働く。二〇〇五年に製造ラインを増やしてから、市の人口も昨年まで毎年二百人前後、増え続けた。 戦後、筑豊炭田で栄え、現在の市域に約六万人が暮らした。一九七〇年代に石炭産業が終わると、大勢の人が新たな職を求めて街から消え、約三万人へと激減した。市は工場誘致に活路を見いだそうと工場団地を造成。九二年にトヨタ九州が操業を始めた。 宮若市が誘致した企業三十七社のうち、二十社は自動車関連。鉄道も通っていない市内に、ビジネスホテルまでできた。「トヨタがラインを増やしてから、アパートが六百戸もできた。若い社員の結婚、出産ラッシュが続き、税収も伸びた」と有吉さん。 派遣社員も増えた。他県から来た派遣社員の多くは交通の便がいい北隣の宗像市でアパート暮らしをする。同市のJR教育大前駅周辺には「トヨタ特需を当て込み、ここ二、三年の間に建った」(地元の不動産業者)という真新しいアパートがあちこちにある。 トヨタは「これまで二千三百人の派遣社員を正社員に登用した」と説明する。自動車産業で街も人もずっと潤う、はずだった。 ところが今夏、街の様子が一変した。米サブプライム住宅ローン問題の影響で、北米中心に車の販売台数が減少。減産体制に入った工場は六月と八月の二度にわたり、計八百人の派遣社員の契約を解除した。 派遣会社が派遣社員らの社宅として借り上げたアパートは解約が相次ぎ、空き部屋が続出。「一棟丸ごと解約された物件もある」と不動産業者は話す。周辺のコンビニの売れ行きは落ちこみ、タクシー運転手の男性(53)も「最近はお客がぷっつりですね」と言う。 西日が傾き始めた午後三時すぎ、帰宅する派遣社員が乗った送迎バスと何度かすれ違った。乗っている人はまばらだった。 「企業誘致で人口減少に歯止めがかかったのに…。今は先が見えない」。有吉さんは不安そうに語った。 ◇ 規制緩和の影響で、労働者の三人に一人が非正規雇用となった日本社会。米国発の景気後退の波は、各地で企業倒産や大量の「派遣切り」を生んでいる。産業と社会を支える労働者の雇用はどこまで守られるのか。雇用破壊が広がる現場を随時リポートする。 ◆勤務1年『まさかと思った』「仕事をやっと覚えたと思ったら解雇だったので、まさかと思った」。今年八月、トヨタ自動車九州から契約を解除された大阪市出身の元派遣社員の男性(35)=福岡県宗像市=はそう振り返った。 男性は妻の実家の瓦店を手伝っていたが業績が悪く、代わりに選んだのが派遣の仕事だった。昨年七月、大手派遣会社のチラシを見て登録、すぐにトヨタ九州で働き始めた。仕事はフロントガラスなどの材料をラインまで運ぶ作業。「派遣会社のチラシには月収二十八万円とあったけど、それは残業が多い月に届くぐらい。ゴールデンウイークや盆、正月があると、少ないときは手取りで十五、六万しかなかった」 幼い三人の子供がいて、「可能なら社員になりたい」とも思っていた。だが、今年に入って減産となり、残業も減った。「ずっと続けるのはきつい」と感じていたとき、契約解除を通告された。 その後、就職活動が実り、今は別の工場で刃物を研磨する仕事をしている。今度は正採用で、月給は二十三万円だという。「福岡は今、求職中の人に比べて求人数が少ない。政治家にはみんなが幸せになる道を探してほしい」
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