西日本新聞

河野衆院議長 ハト派であり続けた40年

2008年11月15日 10:10 カテゴリー:コラム > 社説

 河野洋平衆院議長(71)の議長在任日数が、きょう1781日を迎え現行憲法下で最長となった。20日には1890(明治23)年の帝国議会開設以来、歴代最長の議長となる。

 既に9月、次期衆院選に立候補しないことを表明している。10月中には議長として解散詔書を読み上げ、政界を引退するはずだった。それが、解散先送りで議長在任記録を更新することになった。

 議長として名采配(さいはい)を振るったというわけではない。議長在任5年、際だった調整力を発揮した場面もそうはない。

 それでも印象に残る議長ではあった。政治家としての40年余の歩みと「志」に裏打ちされた河野氏の政治姿勢や言動が、そう感じさせるのだろう。

 議長に就任した2003年11月は、自衛隊のイラク派遣をめぐり憲法問題が政治の焦点となっていた。翌04年度には衆参両院の憲法調査会が最終報告書をまとめる時期でもあった。

 就任会見で河野氏は「改憲が何を意味するのか、国民が本当に分かっているのか心配している。分かりやすく説明する必要があるのではないか。国家100年の計として賢明な選択かどうか、私は極めて慎重に考えている」と述べた。

 中立であるべき議長が政党に改憲への慎重姿勢を求めた異例の発言だった。

 日中関係が悪化した05年には、議長公邸に首相経験者5人を集めて首相の靖国参拝を控えるよう意見をまとめ、当時の小泉純一郎首相に進言した。

 小泉首相はその後も靖国参拝を続け、07年5月には改憲手続きを定めた国民投票法が成立した。河野氏の「思い」はいずれも裏切られた形ではある。

 しかし、日本政治の座標軸が右にぶれ始めた時代。「三権の長」の1人に、こうした人物が座っていることに安心感を覚えた国民は少なくはあるまい。

 政治的には穏健保守・平和主義を貫いた。いまは自民党内で超少数派となった「ハト派」の象徴的存在でもあった。

 毎年8月15日に開かれる全国戦没者追悼式での「衆院議長追悼の辞」の内容がそれを物語る。

 06年には、戦争を主導した当時の指導者たちの戦争責任論に言及し、翌07年には旧日本軍の非人道的な行為による人権侵害を認め、謝罪を表明した。

 そして、今年は「特定の宗教によらないすべての人が思いを1つにして追悼できる施設の検討」を政府に求めた。賛否が分かれる問題への議長の踏み込んだ発言は波紋を広げた。

 議長としての最後の大仕事は、9月の「G8議長サミット」の広島開催だった。平和・軍縮外交と護憲志向を貫いてきた河野氏の執念が実ったものだ。

 政治指導者としては決断と実行に欠けると揶揄(やゆ)されることも多かった河野氏だが、平和の大切さを説き続けた政治家としての「志の高さ」は引き継ぎたい。


=2008/11/15付 西日本新聞朝刊=

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