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2008.10.22

「病院戦術学」みたいな学問がほしい

たとえば軍隊ならば、同じ地形、同じ敵、率いる部隊も同じにしたとき、 その軍隊に所属する将軍は、たぶん誰もが同じ作戦を「定石」として導き出す。

戦争の科学「軍事学」には、「戦術学」という領域があって、士官になる人達は、状況ごとの兵士の動かしかた、 状況判断のやりかたを学校で習う。将軍達は「定石」を共有できているから、 不確実な「戦場」を相手にしているときであっても、そこに集まった人の能力を有効に利用できる。

結核患者さんのこと

以前に一人内科をやっていた病院で、人工呼吸器を付けないといけないぐらい、 具合の悪い結核患者さんを診ていたことがある。

結核はまわりの人に感染するし、本来は結核の専門病院に移すべきなんだけれど、 具合が悪くてそれどころじゃなかった。

人工呼吸器がついていて、部屋も集中治療室だったから「個室隔離」なんて無理。 どうしていいのか分からなかったから、とにかくまわりのベッドをどけて、みんなにマスクを付けてもらって、 県の保健課に「専門家にアドバイスを受けたいので、誰か呼んで下さい」なんて泣きついた。

結核はもちろん古くからある病気だし、このときみたいなケースは決して珍しくないだろうから、 こういうときにどうすればいいのか、個人的にも興味があった。

限られた設備、限られた備品の中で、 自分達の感染確率を下げて、菌の伝播を防ぐ「陣地」を、どうやって構築すればいいのか。 専門家は、きっとそんなノウハウを持っていると信じてた。

「権威」がやってきて、歓迎して、状況話して、集中治療室に案内した。看護師さん達だって 自分達のことだし、どうやって自分の身を守ればいいのか知りたがってたから、みんな集まった。

権威は一言「皆さん頑張ってるみたいだから、たぶん大丈夫だと思いますよ」なんて告げて、 一同が唖然とする中、「5時になったので、これで」と帰って行った。二度と来なかった。

要するにたぶん、少なくともその地域には、薬を選んだりだとか、 菌を同定する専門家は居たのかもしれないけれど、その時の状況で、 感染症に対して「どう」戦っていけばいいのか、それを説明できる人なんて、誰もいなかった。

「分からないもの」との戦いかた

何か「未知」だけれど「致命的」な感染が発生したとしても、医師にはまだ、できることはある。

未知であるものに対して、薬や手術はもちろん役に立たないけれど、感染の状況を調査して、 患者さんを適切に隔離することで、病気の拡散を阻止して、最終的に、「未知の何か」を 封じ込めることはできる。

市町村レベルの大きな話でなくても、たとえば感染した患者さんのベッドを、治癒に向かいつつある 患者さんが作る「免疫の壁」で囲えば感染は広がらないし、医療従事者もまた、花粉を運ぶ昆虫よろしく 病原物質を持ち運んでしまう。これはトレードオフの問題だから、 動作線を工夫するだとか、適切な場所で衣服を着替えるだとか、 「分からない何か」に対して、状況ごとの最適解みたいなものが存在する。

専門家は本来、病気の種類や病棟の設計、電源の場所、スタッフの人数みたいな情報が 与えられたら、状況ごとの「正しいやりかた」を、演繹的に導くことができる。

そういうことは絶対に理論化できるはずなのに、いくら探しても本に書いてないし、 保健所みたいな専門機関に相談しても、「こうすればいいんです」なんてやりかたを教えてくれない。

あの人達は、ただただ「頑張ってるみたいだからたぶん大丈夫ですよ」なんて精神論放り投げて、 時間どおり、5時になったら自宅に帰る。

  • 個室に隔離するなら、そこにどういうものを準備すればいいのか
  • 個室が無理なら、どうすれば「次善」が得られるのか
  • スタッフの着替えが必要ならば、着替える場所は、ベッドから見てどの方向に作ればいいのか
  • 患者さんのベッドと、部屋のドアとは何メートル離せば大丈夫なのか
  • スタッフの動作線は、どう設定すれば感染確率を下げられるのか

患者さんの病状と感染様式、病棟の配置や大きさと、病棟スタッフの人数が分かれば、 理論を知っている専門家なら10人が10人、こういう疑問に対して同じ答えを出せる やりかたを、感染症学の一分野として、教科書で学べたらいいなと思う。

人の力をかけ算する

「軍事学」の分野として「戦術学」があるように、自分達の領域にも、 何か「医師の戦術」みたいなものを論じたり、それを教えるような学問がほしい。

医学というのは、軍事と同じく総合学でないといけないのに、今自分達が習っているのは、 軍事学で言うところの「軍事工学」ばっかり。みんな「武器」にばっかり異様に詳しいのに、 肝心の「戦いかた」だとか「攻めかた」「守りかた」みたいな、本来基本であるはずの考えかたを習わないから、 対峙した同じ状況に対して、考えかたの「定石」を共有できない。

それが防衛大学校であってもウェストポイントであっても、同じ軍事学校を出た士官の人達は、 同じ状況に置かれたら、まずは同じ戦いかたを「定石」として導ける。

戦場というのは不確実なものだけれど、お互いの思考プロセスが共通しているから、 不確実なものに対して、「定石」の共有を前提に、生産的な議論ができる。

将軍はしばしば定石を破るけれど、お互いに状況ごとの「正しいやりかた」を共有できているから、 それは「型破り」な作戦として成功して、「型無し」に陥ることを回避できる。

定石を共有した人が集まると、力は「かけ算」として効いてくる。「2」の力を持った人が 3人も集まると、力は「6」ではなく「8」になる。

医療従事者は、「我々は科学者である」といったような伝統をどこかに引きずっていて、 みんな「優秀な個人」であることを志向するけれど、集団として力を発揮するようには、 そもそも教育されないし、そういう考えかたを目指す学問が、医学にはたぶん、存在しない。

共有できる「定石」を持たない人がいくら集まっても、力は「足し算」にしかならない。

「医療崩壊」が叫ばれて久しいけれど、崩れかたは地域ごと、病院ごとにばらばらで、 生き残った施設に優秀な人が集まったところで、集団は「形無し」になって、また崩れてしまう。

同じ病院の中で、同じ患者さんを診察して、「第一内科」と「第二内科」と、 診療のやりかただとか薬の使いかた、検査の出しかた、回診のタイミングとか、 同じ病棟にあっても全く違うことなんて、たぶん今も昔も日常茶飯事。

医療という行為にはだから「戦術」の概念がなくて、ガイドラインが叫ばれる現在でも、 それはそんなに変わっていない。

個人の能力で「10」とか「100」とか持ってる人がゴロゴロいる業界なんだから、 「かけ算」できる状況が整えば、まだいけると思うんだけれど。

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Comment & Trackback

泥沼のお年寄りを総合診療科に片っ端から送り込むというのも、戦術の端くれではあったかもしれませんorz

すごい。ほんとにその通りだと思います。やさしい小児科から救急に送られる親御さんの反応だって悪い定石みたいなものなわけで。ちょっとはずしているかもしれませんが、MRICの横山禎徳氏の医療におけるシステムデザインの話を思い出しました。

連投すみません。むしろ、建築関係のエンジニアとか、鉱山関係のエンジニアの方が、最適解に近い所にいるような気がしました。空気の流れの測定なんて、保健所の人はなさるのでしょうか。

人事というセクションにも似たようなところがあって、経験から蓄積されたノウハウはあっても、その広い共有が難しい世界でした。ただ、「失われた10年」の頃には、「リストラのノウハウを売る会社」がそのノウハウを売って回ったりしてましたね。
軍事の世界でもPMFが台頭してきています。医療の世界でも、もしかしたらPMFのような組織ができて、そっちの方面からの標準化が進んだりするかもしれません。難しいか。

最近スタッフの一人が検診で結核が見つかり、排菌していないのになぜか保健所の指導で「クオンティフェロン」の採血された。。スタッフ全員。。おそらく書類上「何かしました」という証拠が必要なのだろうけど、医学的正当性の無い採血は「傷害罪」だと思う。。だいたい、30越えた医療従事者なんて、ッ反やればみんな陽性だし、僕自身も潰瘍ができるくらいの強陽性なのに。。面倒くさいので、黙って採血されておきましたが、2ヶ月後にも再検される予定。。むかつきますが、バカの相手する暇もないし、よけい疲れるので忘れることにします。。税金の無駄ですな。。

ノウハウというのは、書かないと残らないのに、何故だか書く人少ない気がするんですよね。。自分達の業界は特に。

結核に対する保健所の振る舞いかたなんかも、今はシステムみたいなものが無くて、責任駆動型の、現場の裁量でやってるんですかね。。

この業界のノウハウは医師、患者さん、コメディカル、医療施設、そして病態などの複雑系であって答えがたくさんありすぎるので一般化しにくいのだと思っています。
ある患者さんに有用なマニュアルが同じ病態の別の患者さんには無効だったりする。。
ノウハウを記述するととてつもない量になってしまう気がします。。それを利用するのもしんどいし、結局「経験」と「直感」の方が早いし正確だったりします。。
それと、今までスキルを身につける為の修行期間がとても長くて、「弟子」が「師匠」を越えるころには師匠は引退だったのですが、最近は「弟子」の方が最新のハードや治療法に詳しかったり。。
あと、ひよこ医師を育てるべき中堅医師が病院を離れてしまっており、老人医師とひよこ医師が多数となってしまっている事も原因の一つかと。。
ノウハウを記述できる中堅医師が少数となり忙しすぎるのです。。

結核に対する保健所のふるまい
http://www.jata.or.jp/rit/rj/2008.6sesyokusya.pdf

空気感染対策の現在の向かう方向
http://www.jata.or.jp/rit/rj/nakajima2.html

 どっちかというと病院経営学、みたいな名前になりそうな学問ですね。既に多少はありそうな気もしますが。
 多分、医療の世界には戦闘教義に相当するものは今の所ないと思いますが、それが決定できないと各人員にOR等の研究開発により導出されたマニュアルを配ることはできないでしょう。軍でいう野戦教範ですね。難しいのは、一国の軍は一通りの教範しか必要としませんが、病院は
一箇所ずつに個別の教範を必要とするのではないか、というところでしょうか。画一的な教範を採用すれば効率が犠牲になり、事情にあった個別の教範を開発しようとすれば大きな費用がかかるでしょう。トレードオフが生じます。

 また、戦闘教義が策定できたとしたら、それはきっととても無慈悲なものになると思います。というか無慈悲なものしか残存できないでしょう。病院の存続のために、コストのためにある確率での人死にを許容し、ある事例での患者の治療を拒否する。今日の病院では決して表では口に出されないだろう部分をドクトリンとして掲げることが今の日本の医師達にできるのでしょうか。私は、個人的にはそうすべきだとは思います。何故ならそれ以上のことができるのかといえば、できないからです。その残酷さによって成り立つものこそが可能な限りでの次善策だからです。まあともかく、それらのマニュアルは単なるノウハウの集積ではなく、その背後にある戦術思想によって初めて『この事例においてこの手続きが準最適解である』と主張できるのであって、少なくとも病院経営者にその種の思想的裏付けがない、もしくは必要とされていない、あるいは必要だがそれを徹底する能力がないのであれば病院戦術なるものは幻か、せいぜい院長先生の個人的技術にとどまるのではないかと軍事素人としては思いました。

 また、医療現場では個々人がかなり規格化されていない、部隊として運用が困難な状態なので、野戦教範みたいにこれが適切な解です、という詳細で有用な知見はそもそも導出できない事例も多々あるのではないかと思います。

 また、隣接する病院同士の関係はむしろ国際政治学的な様相を帯びてくるでしょうから、これはもう大変難しい、上手くいきそうもない世界です。どうすれば。

 一つの解としては、ここで何度か書かれているように、医師と病院を情報化とさらなる職能の細分化とアウトソーシングで反知能化して、患者を処理するマシーンにすることです。そのような単一の教範を使う集団が増大すればするほど、患者一人当たりの教範作成の費用は下がり、教範の有用性は高まるでしょう。これらを考え合わせたりすると、あまりいい方に転ぶとは思いませんが、多分、病院は中期的な将来において株式会社化すると考えます。企業であれば何の躊躇もなく、ある面から見れば無慈悲な経営方針を採るでしょう。また数百を超える施設を経営していくならば、運営に適したマニュアルは自然と整備されるでしょう。

「戦闘教義」という言葉を使って以前に文章書いて、なんか全然反響なかったんですよね。。

>同じ病院の中で、同じ患者さんを診察して、「第一内科」と「第二内科」と、診療のやりかただとか薬の使いかた、検査の出しかた、回診のタイミングとか、同じ病棟にあっても全く違うことなんて、たぶん今も昔も日常茶飯事。

>医療という行為にはだから「戦術」の概念がなくて、ガイドラインが叫ば.れる現在でも、それはそんなに変わっていない。

>個人の能力で「10」とか「100」とか持ってる人がゴロゴロいる業界なん.だから、「かけ算」できる状況が整えば、まだいけると思うんだけれど。

そういった、下らない風習を打破するためには、何らしかの統一規格が必要なわけで。軍隊では防衛大しかないから、やりやすいでしょうけど、医学部はたくさんあるわけでなかなか難しいですよね。
いろいろと批判はあるのだろうけど、学閥打破も含めて、「新臨床研修医制度」は一つの解決手段のような気はするんですがね。

ナンバー内科時代(知りませんけど)第一内科学教室(講座)にも第二内科にも消化器チームがあり。多くは臓器別に再編されたと思うのですが。
第一内科出身の人がリーダー(教授的な何か)になったとき、第二内科の消化器チームのメンバーはその下に素直についたんでしょうか。
もっというなら教授戦でA講師とB講師が争ってA講師が勝ったとき、B講師を推していた人たち。
こんな奴の下でやってられるかとばかりに教室(講座)を飛び出す人は多かったでしょうね。掛け算どころか足し算も拒否w

DTMH先生(ですよね?) 勉強になります。ありがとうございます。

ごめんなさい。Spam 判定されてたみたいで、コメント欄に反映させるの遅れてしまいました。。

>何か「未知」だけれど「致命的」な感染が発生したとしても、医師にはまだ、できることはある。

まさにそうですね。ロンドンのブロード・ストリートに流行したコレラを、コッホのコレラ菌発見前に制圧したジョン・スノー。ブロード・ストリート事件は、疫学の金字塔として歴史に名を残しました。

日本では、海軍に流行した脚気を鎮圧した高木兼寛。彼と森鴎外との戦い。日露戦争における脚気死亡数は海軍ゼロに対して陸軍数万。当時の細菌学全盛期の時代の中で、高木の予言どおり脚気の原因は細菌ではなく栄養不足であることが長い年月の末に証明されていく。そして、南極大陸にある日本人の名を冠した不思議な岬・・・

疫学の黎明期に登場した人々の物語(吉村昭の「白い航跡」など)を読むと、胸が熱くなりますね。この疫学的手法が、現在もほとんど変わることなく使われていることは本当に驚きです。

「未知問題に対する態度」というのは、本来その「学」の立ち位置を決めますよね。。なまじいろんなことが分かってしまったから、今は「未知」に対する態度がぶれているのかも。

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