早い話が

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早い話が:ブータンの王は残った=金子秀敏

 ヒマラヤの秘境、ブータン王国で今月、新国王ワンチュク5世の戴冠式が行われた。絶対王制から立憲王制に変わって最初の国王である。28歳でハンサム。前王ワンチュク4世ともども国民の人気が高い。

 長いあいだ鎖国していたブータンは、9年前まではテレビもインターネットもなかった。神秘の国、地上最後の楽園。国民所得は低くても「国民総生産(GNP)」のかわりに「国民総幸福(GNH)」の高さを自負する国。開明的な国王が民主化運動の先頭に立つ国--いやし系のイメージが強いが、国王が民主化の旗を振るにはそれだけのわけがある。王様は酔狂で民主化などやらない。

 ヒマラヤ、つまり中国とインドの国境には、三つの王国が横一列に並んでいた。西にはヒンズー教のネパール。東にはチベット仏教のブータン。その間にチベット仏教のシッキムがあった。

 最初にシッキム王国が滅びた。もとはチベットの属国だったが、ヒンズー教徒のネパール人移住者が増え続けた。その結果、1975年にネパール人に影響力を持つインドに併合された。

 ネパールのシャー王朝は今年の5月、滅びた。憲法制定議会が共和制の憲法を採択し、最後の王となったギャネンドラ国王は王宮から去った。権力を握ったのは極左路線のネパール共産党毛沢東派だから事実上の無血革命だ。

 ブータンの前国王は、シッキムとネパールの王制崩壊を見て危機感を持った。ブータンの多数派はチベット仏教を信仰しゾンカ語を話すチベット系民族だ。だが南部には、インド経由で流入したネパール系ヒンズー教徒がいる。人口60万人の5分の1を占める。

 シッキムの二の舞いを恐れたのだろう、前王は、民族服の着用などブータン固有文化の振興運動を起こして、異文化の移民を圧迫し、不法入国者として国外に追放した。10万人ものネパール系住民が難民となった。この強硬措置に、国際社会から「民族浄化」という非難が出ないように前王が民主化を選択したと、難民側は見ている。

 2006年、前王は息子への譲位を宣言し、普通選挙を基本とする2院制議会、象徴的国王という立憲王制への移行を始めた。そのプロセスが完成したのが今年7月の憲法制定と今回の戴冠式だ。これぞ、小沢一郎民主党代表が言う「変わらずに生き残るためには、変わらなければならない」のブータン版だろう。(専門編集委員)

毎日新聞 2008年11月13日 東京夕刊

 

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