■麻生首相がぶらさがり取材で、記者の「夜会合」の質問に不快感をかくすことなく答えていた。産経のウェブサイトは全文掲載なので、お読みいただいた方も多いと思う。質問者は、北海道新聞の比較的若い女性記者で、なかなか果敢な方で、北京の記者会見での自分を見る思いだ。iza読者の反応をみると、重箱の隅をつつくような質問だ!質問のレベルが低いとマスコミを批判されているむきも多いようだが、首相の素を引き出した点は北海道新聞記者としての面目躍如といえよう。
■さて、iza読者に比較的多かった批判的ご意見の中には、果たして宰相は庶民派であるべきか、そういうことが、宰相の資質として問題にされるようなことか、という意見。金持ちなんだから高いところで飲み食いして何が悪い、という意見。多忙を極める一国のリーダーが記者の質問(しかも結構くだらない?)に1日2回も答える必要があるか、海外でもそんな国ほとんどない、という意見。マスコミだって庶民じゃないんだから、おまえらが言うな、という意見、などがあった。
■福島個人の意見をいわせていただければ、別に宰相が庶民派である必要がない。庶民の気持ちが分かることと、的確な政策が打てるかは別。時には世論にさからって、痛みを伴う改革をやることが中長期的に国益につながることもあろう。民主主義国家の指導者の欠点とは、短期的な国民の人気取りを優先させて、長期的な視野でいたみを伴う政策をうてない、ポピュリズムに陥いる、ということだろう。消費税なんて、その典型かもしれない。ただし、これはどこの民主主義国家も抱える悩みのようだ。独裁国家が、高い経済成長を長期に誇る秘密は、庶民の不満を抑えこんで、GDPの数字を追及できるという背景もある。
■私が比較的長期にみてきた中国では、温家宝首相が庶民宰相のイメージを自ら努力して作り上げてきた。春節のたびに、貧困地域にいき、農民と一緒にギョーザをたべ、そのようすをCCTVや人民日報が報じる。四川大地震の現場にいき、犠牲者や被災者のために、テレビの前で涙を落とし、地方の幹部に行動が遅いと叱責したり。このおかげで、温家宝首相は中国では非常に人気者だ。学生やネットユーザーらからは、宝宝(宝ちゃん)なんて呼ばれて、支持されている。
■しかし、温首相が本当に庶民か、というと、そうではない。彼の息子、温雲松氏は常に株のインサイダー取り引き疑惑や、首相ジュニアの立場を利用した利権構造の中心にいるとの噂がたえないグレーゾーンの人物。ちなみに、私が北京にいたときは、彼の名前(温雲松)でネット検索ができなかった。
■また、指導者として有能であったか、というと、そうでないと見る向きもある。彼のマクロ経済政策が失敗であった、として長老らの批判の矢面にたたされた時期があったのは確か。共同通信が温家宝首相引退説を流した時期だ。共同通信は、外交部から誤報だと、強い抗議を受けたと記憶している。しかし、実際、内幕では温首相は、経済政策の失敗に対する強い批判に心身共に非常に弱っていた時期で、引退を口走ったりほのめかせたりしたことは十分想像できる。中国のマクロ経済の舵取りの難しさを、温首相の責任にしてしまうのは酷かと思うが、うるうる涙流して、国民の同情ひいている場合かよ、だめじゃん、とひそかにつっこんだりしていた。
■温家宝首相の前の首相、朱鎔基氏は、「赤い経済皇帝(ツァーリ)」と呼ばれたワンマン宰相だった。その手腕は外国人と国内知識分子に高く評価されているが、庶民に蛇蝎のごとくきらわれ、恨まれている。彼の打ち出した「朱鎔基改革」こそ、今の中国の貧富の格差を拡大した元凶、と庶民らには思われているからだ。実際、彼の打ち出した国有企業改革は庶民の「鉄飯碗(安定した就職、生活保障)」を奪い、失業を増加させ、庶民の社会福祉を奪うことになり、その傷跡はいまもいえていない。彼が導入した分税制は、いまの慢性的地方財政赤字の一因ともなり、都市再開発に農地の土地強制収容を許容するやり方が、失地農民を生み、貧富の差を広げる恰好となった。
■また経済成長による一党独裁維持が彼のポリシーであり、2000年の台湾の総統選3日前の全人代(なんちゃって国会)閉幕首相記者会見の場で、テレビ画面を通じて、台湾の有権者に「台湾人民が賢明な選択をすることを信じている。そうしないと台湾住民はひどく後悔することになる」と恫喝したやくざ顔が印象にのこっている人もおろう。
■中央銀行(人民銀行)の総裁を解任してみずから総裁にたって金融改革の大なたを振るい、ハイパーインフレによるクラッシュを食い止めた手腕、中国の外貨準備高を7倍に引き上げ奇跡的な経済成長を実現し、GDP規模世界4位、今年は3位?という今の地位の礎を築いた業績と、目的遂行のために犠牲をいとわぬ非情さ。その功罪はまだ定まっていないが、誰もなせなかった改革を、「壮士腕を断つ」覚悟で、自ら悪役、恨まれ役を買って出ても始めたという点は間違いないと思う。私は、テレビカメラの前で庶民に同情して涙をうかべる庶民派宰相より、やくざ顔で非情なまでに任務に忠実な孤高の鬼宰相の方に敬意を抱いている。
■国の舵をとる首相が庶民派である必要はない。ただ、自分についても人に対しても偽らぬ人間、信用するにたると思わせる人間であることは重要だろう。少なくとも偽っていることがばれないのは、一国の指導者の資質であろう。朱鎔基という人は率直であり、クリーンであるというイメージは彼を支持する人も批判する人も共通にもっていた。
■と、話はずれたが、私は麻生首相が庶民派宰相である必要を感じていない。だって、どうみても庶民ではない。松本純官房副長官のホームページに麻生邸の写真が公開されていたが、本当にこの人、現代に残るお殿様なんだ、と感じ入った。いいではないか、セレブ首相で。庶民派の演技をする必要がどこにあろうか。
■「庶民の感覚からかけ離れている」といわれれば、「庶民ではありませんので」と答えれば、意外にウィットも感じられて、誰もが納得できたかも。そのかわり、小さいころからたたき込まれてきたという帝王学、政治学でもって必ず日本経済を3年で建て直しますから、とか大見得きればよかったのだ。そこまで、けれんみを出さなくても、普通に、警備の都合上、ホテルでの会合が一番合理的です、と無難に答えればよかった。これは面白くないけれど。
■22日の首相ぶら下がり取材で、私は幹事社として一問目の質問をしたあと、北海道新聞VS首相のバトルを目のあたりで見物させていただいた。マスコミの質問のレベルが低い、と批判する読者もいるかもしれないが、レベルの低い質問であろうがなかろうが、うら若い女性(記者)にむかって「今、聞いてんだよ。答えろ」と、一国の宰相が、そんなふうにすごんでどうするよ?と心の中でつっこんでいた。実は。
■首相が動く場所に、番記者がぞろぞろついていかねばならないのは、記者個人がどうこうできる問題ではなく、私たちが会社から給料をもらっている以上しなければならない任務なのだ。SPさんと同じように、使命を全うしているだけ。そこを逆質問されても、「迷惑にならないように気をつけている」と答えるしかない。(本当に、迷惑にならないよう、いつも気をつけています。でも迷惑を感じてらっしゃるお店があれば、本当にすみません!)
首相が動けばSPも記者も動かねばならない。もし、首相が「番記者もSPも大変だろうし、きょうは早く帰って、資料でもよみこむわ」とかいって一週間に一度くらい午後7時前後に帰ってくれたら、きっと番記者の間での麻生首相の支持率はぐんとアップするだろう。
■記者はときに無礼な質問もレベルの低い質問もする。分かっていてする場合も、無知ゆえにする場合もある。しかし、記者もそれに、さすがと思わせる返答をするリーダーを期待している。朱鎔基氏の全人代閉幕会見の見事さは、いまでも外国人記者の間でかたり草だ。彼は京劇役者みたいに、ちょっとみえをきったりする。しかも、その答えは、毒が耳かき一杯、ウィットが小さじ半分という絶妙なあんばいで、聞いて思わず、好(ハオ)!、と拍手したくなるほどだった。中国の首相記者会見は、事前に質問する社が指名され、質問内容も事前提出しなければならないが、朱鎔基氏は必ず会見のおわり近く2人ばかり予定にない記者を当てた。そして、予定されていない質問に、そんな風に見事に答えることができた。彼は孤高の鬼宰相であったが、その会見の受け答えの中で、分かる人にはその知性と人間性をかいま見せることができた。
■麻生首相が所信表明演説で語った「日本経済全治3年」というのは、かつてのオイルショック後の日本経済の混迷を建て直すさいの、当時蔵相であった福田赳夫元首相の言葉を引用したとか。そういえば朱鎔基も、3年でめどをつける、と公約して朱鎔基改革に乗り出したのだ。
■麻生首相1カ月目。私の総理番もほぼ1カ月目。いまだ番記者仕事にはなれないまま、麻生首相がどういったタイプなのかは把握しきれていない。ワンマンにみえて、意外に人の意見に耳を傾けるタイプらしい、という話は聞く。ひそかに親近感もわいてきた麻生首相は、温家宝タイプではなく、朱鎔基タイプの宰相であったらいいのに、というのが、すなおな感想である。
by yinguo
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