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「朝鮮民族の義務として万歳を叫んだ」(下)

◆強圧的な鎮圧と捜査

 日帝が3・1運動を無慈悲に鎮圧し捜査したことも、判決文から確認できた。

 光州で起訴されたキム・ソンジェは、「父親が万歳を叫び銃傷を負ったという知らせを聞き、現場に向かったところ、警戒中の軍人がわたしの腰を剣で刺し、病院に運ばれた。なのに憲兵隊や法院では、父子で万歳を叫ぶことを共謀したとし、有罪を言い渡した」と抗弁した。

 大邱で万歳の場面を見守っていただけだというパク・ムニョンは、警官が大声を上げながら殴打するためうその自白をし、懲役6月を宣告された、と主張した。

 京城(ソウル)地方法院で起訴されたチェ・ジョンソンは、「いかなる罪もないにもかかわらず、警察署で強制的に尋問され有罪宣告を下されたのは、悔しくてならない」として上告した。

◆ごく少数ながら合理的な判決も

 その一方で、ごく少数ながら、当時の判決の中には一部合理的な側面もあった、というのが翻訳を担当した大法院図書館側の説明だ。1919年4月1日、開城で万歳運動を主導した14人に対し、内乱罪は成立しないとした判決がその例だ。「被告人らの行動は、朝鮮を独立させる希望があることを世上一般に宣言する内容に過ぎない」ため、内乱罪不成立というわけだ。

 全羅南道康津地域で独立宣言文を印刷するなど、万歳運動を準備したが決行前日に検挙された学生らに対しては、一地方の平穏を害するほどの行為ではないなどの理由で、無罪が宣告された。また、万歳運動後に連行された仲間を取り戻そうと警察署を包囲、脅迫した事案について、連行者に対する令状はなく拘禁状態だったとして、犯人奪取罪の対象とはならない、と判示した例もあった。

 これについて大法院の関係者は、「日帝が本格的に軍国主義化する直前の時期で、少数ながらそうした判決が出たようだ」と語った。

崔宰赫(チェ・ジェヒョク)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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