西日本新聞

特集・情熱の原点・北京五輪に挑む

レスリング・池松和彦(K-POWERS)<上>闘志の炎故郷で再燃

2008年07月10日 11:32
母校の三井高で、恩師の森岡敬志監督(下)に北京五輪出場を報告する池松和彦
母校の三井高で、恩師の森岡敬志監督(下)に北京五輪出場を報告する池松和彦
 ちょうど1年前の今ごろ、池松和彦は田んぼの中にいた。福岡県筑前町で酪農業を営む実家に2週間ほど戻り、田植え機に乗ったり、牛の世話をしたり。戦いの場から離れ、自分を客観的に見詰めたかった。当時27歳。「五輪の予選まで頑張ってみよう」。それは北京を見据えたものではない。とにかく一歩を踏み出した、そんな感じだった。

 母校・三井(みい)高の恩師でもある森岡敬志監督は、生気を失った池松の顔が今でも忘れられない。2004年のアテネ五輪。レスリングの男子フリースタイル66キロ級でメダルを期待されながら、決勝トーナメント1回戦で逆転負けを喫した。試合を決めにいった首投げがすっぽ抜けた。相手に後ろに回り込まれ、足をきめられた。「初めて緊張した。どうやって負けたのかも覚えていない」。前年の世界選手権は銅メダル。5位入賞で納得できるはずもなかった。

 深い失望感を抱えながら、その後もマットに上がり続けた。「レスリングから距離を置いた方がいいのか、逆に猛練習をした方がいいのか、答えを出せなかった」。競技に対する情熱の火は再燃できないまま。不振が続き、練習は週休5日状態。05年から籍を置いた日体大大学院での修士論文は「燃え尽き症候群」をテーマにした。「まじめな人ほど陥りやすいんだと思う。全日本の中でも池松は優等生で手本みたいな存在。練習熱心だし、周囲もメダルを取って当然という空気だったから」。森岡は振り返る。

 池松が母校を訪れるたびに、森岡は励ました。「一度“引退”してしまったら、選手をやりたくてもできない。選手は今しかできないんだ」。自らは日体大時代に、ロサンゼルス五輪の代表最終予選決勝で敗れ、出場を果たせなかった苦い経験がある。不完全燃焼のまま、教え子をマットから去らせたくはなかった。最後のつもりで臨んだ昨年12月の全日本選手権で池松は3年ぶりの優勝を果たす。「先生、レスリングの神様がもう一度(五輪に)挑戦しろということですよね」。人懐っこい笑みが戻っていた。

 北京五輪開幕が迫る7月上旬。池松は三井高のマットで後輩たちと汗を流していた。師と語らい、古里の温泉につかり、実家でつくる無農薬野菜をほお張った。「農業のおかげでリラックスした時間を過ごせた」。1年前に視線を虚空に漂わせていた目には今、雪辱の舞台がはっきりと映っている。 (敬称略)

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 ■歩み 1979年12月26日、福岡県夜須町(現筑前町)生まれの28歳。夜須中時代は柔道部。三井高でレスリングを始め、3年時に国体で準優勝。進学した日体大で学生王者となり、同大助手時代の2003年に世界選手権で3位、全日本選手権でも初優勝した。04年のアテネ五輪は5位。07年の全日本選手権で3年ぶりの優勝を果たした。昨春に同大大学院修了。171センチ。福岡市在住。


=2008/07/10付 西日本新聞朝刊=
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