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週刊九州

海底に交易の歴史

2008年09月14日

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小値賀島沖の水深約10メートルで、海底の遺物を調べる調査員たち

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上)海底に埋まった青磁は、スズメダイの仲間のすみかになっていた/下)ほぼ完全な形で見つかった天目茶碗

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今回の調査では、水深約12メートルの海底で完全な形の碇石が見つかった=いずれも長崎県小値賀島沖

 ■「水中博物館」構想も 
 平安時代末から鎌倉時代初めに船から落ちた遺物が、今も海底に眠る長崎県・小値賀(お・ぢ・か)島。8月下旬、アジア水中考古学研究所(福岡市博多区)のメンバーら約20人が潜水調査をし、新たに碇石(いかり・いし)や中国陶磁器など35点を発見した。

 水深約10メートル。刺されると危険なウニの仲間、ガンガゼがひしめく海底に、大きな碇石が横たわっているのがはっきりとわかる。所々、茶碗(ちゃ・わん)のかけらが散らばっている。ほぼ完全な形で残っているものもあった。

 今回の調査を含め、小値賀島沖で見つかった碇石は13本。これまでに国内で48本が確認されており、うち、18本は当時の国際貿易港だった博多湾近辺。今回潜水調査した同研究所の小川光彦さん(40)は「小値賀が重要な寄港、停泊地だったことはゆるぎない」という。

 見つかった遺物は、南宋から元代初め(12〜13世紀)の中国船のもの。茶碗は荷崩れして海底に落ちたか、船が遭難して散らばったとみられるという。

 島には、引き揚げた碇石や陶磁器など約120点を展示する資料館もある。今回遺物が見つかった水中を野外博物館にしてダイバーに公開し、水中と陸上で連携しながら歴史への理解を深めてもらう「海底遺跡ミュージアム構想」もある。

 同研究所の林田憲三理事長(61)は「今後さらに遺物が見つかる可能性は高い。構想を進める上で、地元の人たちの理解を得たり、遺物をどう見せるのかなどを模索したい」と話している。
 (水野義則・恒成利幸)

<キーワード>
 碇石(いかり・いし) 木の碇を沈めるための石のおもり。中国商船のほか、元寇の軍船のものもある。戦前には国威発揚や戦勝祈願のため神社に奉納された。現在も櫛田神社(福岡市博多区)や筥崎宮(同市東区)でみられる。

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