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『越境者 松田優作』元妻・松田美智子さんインタビュー
没後20周年を迎える今年、評伝『越境者 松田優作』を元妻でノンフィクション作家の松田美智子さんが出版した。周囲を時に翻弄し、時に魅了した人間・松田優作と“共犯”した日々。「在日」という十字架を背負い、死の淵に遭っても俳優としてさらなる高みを目指し続けた「越境者」の生きようを作者に聞いた。
――なぜ、いま発表したのか
「20回忌でひとつの区切りが付いたことが大きかった。客観視できるまで時間が必要だった。今後、優作について書くことは、おそらくないでしょう」
――優作とはどのような生活を
「優作は、俳優と普段の姿にギャップがほとんどなかったですね。常に変化を求める人で、引っ越し魔。毎晩誰か連れてきて、短期間にいろんなことが起きるめまぐるしい毎日でした」
――在日韓国人という出自に深い苦悩があった
「優作は、『俺を受け入れられるか』と私を試す理不尽な要求をすることがあった。でも、その事実を知って、私はすべてが納得できました」
――俳優のイメージにはない意外な面も
「女性への扱いと男性への扱いが全然違った。例えば、取材の際、男性だったら『間抜けな質問するなよ』と威嚇するところも、女性には多少間が抜けてても許して、リップサービスするとか」
――挫折に終わったアメリカ留学をいつの間にか成功体験にしている
「俳優ですから、こう見られたい、というイメージを作り上げていくものです」
――優作中心の生活が突然の離婚。相当辛い経験だったのでは
「生活がまったく変わってしまったことへの空洞感、落差は凄かった」
――一方で、優作は離婚後も松田さんに悔悟の念を持っていたようですが
「私へのその気持ちを知ったのは、今回の取材が初めてでした。いま、彼の思いを想像すると切ないですね」
――優作は晩年、新興宗教に傾倒したが
「母親の死がきっかけになったようです」
――宗教にはまるイメージはないですが
「私も意外でした。最後に家族で食事したときの『俳優の仕事は悟りへの道程』という言葉に驚きました。何を言いだしたのか、と。 膀胱(ぼうこう)がんに侵され、何かに頼るしかなかったんでしょう」
――本人はやはり、がんで死ぬと覚悟していた?
「主治医はそういいます。でも、私は取材を通じて違うと思った。優作は生への執着を持ち続けていた。免許の取得にいったほどですから」
――著書では、優作が信頼を寄せた人を“共犯者”と表現していますが
「ひとつの目標に向かう濃い関係と言いましょうか。付き合い方が表面的なものじゃないから、そこには複雑な思いが生まれるわけで」
――ところで、おなじみのパーマヘアーは松田さんの手によるとか
「自分がかかわっているから演技よりも髪形のほうに気を取られた。これは役柄に合っているのかどうか、と」
――数ある出演作品の中で1本選ぶとしたら
「『大都会』。私たちにとって、苦しい時期の作品ですから」
――優作という存在は何だったのでしょうか
「…人生そのものでした」
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内容
元妻が関係者の証言などから人間・松田優作の真実に迫る。評伝の形を取りながら、作者自身で「優作の死」を客体化する内省の旅にもなっている。特に、当時の主治医や晩年、優作が傾倒した新興宗教の教祖に執拗に取材する姿は圧巻。
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まつだ・みちこ
1949年、山口県生まれ。71年に劇団仲間だった松田優作と出会い、75年に結婚。長女が誕生する。81年に離婚。社会的事件に取材したノンフィクションを書き始める。主な著作に映画化もされた『女子高校生誘拐飼育事件』など。