「自分の死について考えたことがない、というお年寄りが増えている」。医療関係者の集いで耳にした訪問看護師の秋山正子さんの憂いである。在宅でのみとりをサポートしてきた体験から出た思いに、開業医が「僕も、80過ぎの男性に『私も死ぬの?』と尋ねられたことがある」と相づちを打っている。
1960年当時、日本では7割以上が最期を自宅で迎えた。高度医療と核家族化が進んだ今では8割近くが病院で亡くなり、家で人生を閉じるのは1割ほど。その結果、生き死にの風景は日常から離れ、日本人はいのちの丈について考える機会を失っている。
「若い子に見せるのはかわいそう」と、臨終の床から子供たちを隔離する大人がいる。医療の世界では、いまだにみとり教育は二の次に置かれ、臨終の現場を敬遠する医療従事者もいる。ちまたに飛び交う「アンチエージング」や「後期高齢者」の物言いには、老いや死を忌み嫌う風潮すら感じる。
昨年冬、同僚の記者(53)ががんの末期を宣告された。「できる限り、記者生活を続けたい」。人生の残り時間を意識した彼の言葉。事実、死のひと月前まで取材を続け、文字に刻んで今秋逝った。そんな父親の姿に接した大学生の長男は言う。「父は、僕に生き方を見せてくれたような気がします」
「メメント・モリ」。ラテン語で「死を思え」。仏教の「生死一如」という教えに通じる言葉には、「いまある生を思え」との意味が込められている。
「生と死についてオープンに語り合える世の中になるといいですね」。最期に寄り添う秋山さんからのメッセージだ。
毎日新聞 2008年11月16日 0時04分
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