| 罪を自白させるための拷問は、洋の東西を問わず昔から行われていた。新官使道下学道が獄中の春香に筈刑拷問をする場面は、韓国人にはなじみ深い。
いくら自白は證據の女王といっても、拷問をやりすぎて死に至らしめるようでは話にならぬ。昔の法律はこれを戒めている。
経国大典によると、拷問する前には必ず上部の許可を得て、その経過も報告することになっている。筈の大きさ、富てる場所、回数などが定められていたが、端宗哀史の死六臣がうけた拷問は、これが守られていなかった。
朝鮮朝末のソンビ(儒学者)が、地方の勢道家と結託、書院と郷祠を菓窟に良民に私的拷問を行っていたが、大院君の鉄槌にあった悪質書院は皆撤廃された。
画・文
木丁・金龍煥
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