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【編集局デスク】

危うい「文民」

2008年11月15日

 なじみのない英語に随分苦労したらしい。凡人。民人。平人。文臣。文治人。平和業務者…。今なら笑ってしまいそうな訳語もある中、選ばれたのは「文民」なる造語だった。

 新憲法に「シビリアン」コントロールの思想を採り入れた戦後間もなくの逸話である。首相と大臣は「文民でなければならない」とする六六条に実を結ぶ。

 軍人が暴走する危険を防ぐため、軍人ではない国民の代表、すなわち政治家が上に立つ。「文民統制」は民主主義の鉄則だ。背景には、戦前の軍部支配の再来を恐れた連合国側の求めと日本側の反省があった。

 この鉄則を揺るがしたのが、田母神(たもがみ)俊雄・前航空幕僚長の懸賞論文事件。航空自衛隊のトップにありながら「我が国が侵略国家だったというのは正に濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)である」などと、政府見解を真っ向から否定した。

 史実の誤認が多い上、都合のいい説だけを張り合わせた、粗雑な論文だ。しかし、彼は国会でも「いささかも間違っているとは思わない」と居直った。

 もちろん、自衛官にも思想信条の自由はある。ただし、あくまで個人として、である。公人としては、憲法や政府の決定に従う義務を負っており、私人の考えを発表したり、それに基づいて行動するのに制約を受けるのは当たり前だ。

 田母神氏は、これまでも公私をわきまえない同様の言動を繰り返してきた、いわく付きの人物。その彼が実力組織の長にまで上り詰める。それを許したことに慄然(りつぜん)とさせられる。

 しかも政府は、幕僚長の職こそ解いたものの、処分はせずに定年退職扱いとした。彼の反論を怖がり、ただ一刻も早く火を消したいだけとしか見えない。

 まさしく彼のような人物を「統制」するのが、役割ではないのか。反省を忘れた「文民」の危うさの方がはるかに深刻だ。

(名古屋本社編集局長・加藤 幹敏)

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