自分のしたことのどこに問題があるのか、と開き直っているかのようだった。参院委員会にきのう参考人として招致された田母神俊雄・前航空幕僚長である。
侵略戦争の反省に立って歴代政権が踏襲してきた「村山談話」を否定するような論文を発表して、更迭された。それでも非を認めようとしない。こうした人物が航空自衛隊のトップにいたことに、空恐ろしささえ感じる。
田母神氏の弁明のポイントは二つに絞られよう。一つは「侵略国家だったというのはぬれぎぬ」と書いた論文は村山談話の見解と相違しない―という主張だ。
村山談話は「植民地支配と侵略でアジア諸国に損害と苦痛を与えた、という事実を謙虚に受け止める」としている。
田母神氏は、この談話は、どの場面が侵略だとか具体的に言っていないから矛盾はない―という。しかしこれが説明になっているだろうか。
自衛官にも言論の自由がある、というのが第二の言い分だ。「政府見解による言論統制はおかしい」とも難じた。
確かに言論の自由は民主国家で最も大切にされなければならない基本的人権の一つである。しかしもともとは弱者の言論を守るための権利だ。影響力の高い地位にいる人が、その力を後ろ盾に自説を吹聴するために持ち出す論理ではあるまい。
村山談話は、戦後五十年に当たって、国の基本認識を対外的に示した宣言ともいえる。公務員、とりわけ戦闘集団を統率する立場ならば絶対に逸脱してはならない。
そうでないとシビリアンコントロールは形だけになる。その制約を「言論統制」とすり替える言い方には、文民統制への挑戦のにおいさえ感じる。
こうした振る舞いに「なぜ懲戒処分にしなかったか」と政府側が追及されたのは当然である。しかし浜田靖一防衛相らの答弁はいかにも及び腰だった。
懲戒に入ろうとしたが、それには審理の手続きが必要だ。本人が「論戦」を仕掛けてきたら時間がかかる。迅速に処理するために定年退職とした―という。
分かりにくい説明である。しかもこれで退職金六千万円がそのまま田母神氏に渡る。防衛省幹部は減給などの懲戒処分をしているのだからバランスにも欠ける。
とても国民が納得するようなけじめとは言えまい。少々逸脱してもこの程度の処分か、との気分が自衛隊に広がるのも怖い。
自民党の国防議員の集まりでは田母神氏を擁護する声が相次いだという。与党の中に村山談話に縛られたくない人たちがいて、それに意を強くした田母神氏が今回の行動に出たとするならば政権与党の在り方の問題でもあろう。
過去の過ちに向き合うのはつらい。しかし勇気を持って過去を見据え、二度と繰り返さない方途を探ってこそ、日本は国際社会で信頼される国になる。その点をもう一度、心に刻みたい。
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