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太極旗:李応浚とは何者か

 李応浚(イ・ウンジュン)は1882年5月、朝米修好通商条約を締結した際の通訳官で、清の通訳官を通じて米国側との通訳業務を担当し、金弘集(キム・ホンジプ)に命じられて「国旗」を作成したという以外には、分かっていることはほとんどない。

 ただ、韓国学中央研究院の「韓国の歴史上の人物に関する総合情報システム」には、第25代国王・哲宗が即位した1850年、増広試(国家の慶事に際して実施された臨時の試験)の通訳科で、1832年生まれの李応浚という人物が2番目の成績で合格したという記録がある。もし、この人物と同一人物であるとすれば、太極旗を考案した当時、李応浚は50歳だったことになる。

 一方、『高宗実録』には、「1889年3月に通訳官の李応浚が、“王をだまして財物を横領した”という、清の袁世凱の主張によって、義禁府(警察に相当する機関)に連行された」という記録も残っている。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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