NHKと民放でつくる第三者機関「放送倫理・番組向上機構」(BPO)内の放送倫理検証委員会が07年5月に発足して1年半になる。今月14日には「政治との距離」が問われたNHK番組について取り上げるかどうかを検討する。政治介入を防ぐための機関の判断に注目が集まっている。【臺宏士、太田阿利佐】
●割れた意見
放送倫理検証委員会(川端和治委員長、弁護士)で議論されているのは、旧日本軍の従軍慰安婦問題を取り上げたNHK特集番組「ETV2001『戦争をどう裁くか 問われる戦時性暴力』」(01年1月放送)。
この番組を巡っては、放送前日に安倍晋三元首相(当時は官房副長官)がNHK幹部と面会し「公平・公正にやってください」と求めたことが05年1月に発覚。政治圧力を背景に、番組内容が放送直前に大幅に改変された疑惑が指摘され、NHKと政治との距離が問われた。
このため、NHK職員やOB、識者らが放送倫理検証委員会に「放送倫理上の問題がなかったかどうかの検証が必要だ」と申し立てていた。
審議の是非については意見が割れ、2度決定を見送った。14日は3回目の会合となる。反対する委員の主な意見は▽政治家の介入があったかを委員会が調査するのは不可能▽NHK内部の問題である--などだ。
これに対して、主な賛成意見は▽制作過程を検証すれば、編集現場の自由を侵す改変だったかどうかの判定は可能▽改変によって視聴者に著しい誤解を与えたかどうかも判断できる--などという。
番組に取材協力した市民グループ「『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク」がNHKなどを訴えた訴訟で、東京高裁は「NHK幹部が政治家らの意図をそんたくした」と改変について認定。しかし、最高裁は、政治介入の有無について判断せず「番組内容への期待や信頼は法的保護の対象外」として原告敗訴が確定した。NHKも検証番組の制作をしない考えを示している。
委員会に申し立てた元NHKディレクターで「放送を語る会」の小滝一志さんは「委員会以外に真相究明を求められる機関はない。非常に期待している」と話す。
あるNHK関係者は「NHK幹部が国会議員の意向をそんたくした背景には、放送法が規定するNHK予算の国会承認制度がある。こうした構造的な問題に踏み込まなければ、委員会が目指す番組向上には結びつかないと思う」と指摘する。
●意見や見解は4件
放送倫理検証委員会がこれまでに議論して出した見解や意見は、不二家が賞味期限切れの原材料を再利用していたと報じたTBSの「みのもんたの朝ズバッ!」▽出演した女性が望んでいないにもかかわらず霊能者の江原啓之さんによる霊視を行ったフジテレビの「27時間テレビ」内のコーナー▽日本マクドナルドの元店長代理が、かつて着ていた制服を着用して調理日の改ざんを証言したテレビ朝日の「報道ステーション」▽山口県光市の母子殺害事件を「感情的に制作した」とされたNHK、在京民放キー5局と読売テレビ、中国放送の計33本--の4件。
今のところ、関西テレビによる番組捏造(ねつぞう)問題に相当するような深刻な事案は起きていない。
4件の中で最も放送界で話題になったのは、光市事件に関する意見。番組共通の傾向として「被告・弁護団と被害者遺族の主張を対立的に描いたうえで、被告・弁護団が提示した事実と主張に強く反発・批判する内容となっていた」と指摘し、「集団的過剰同調番組」と表現した。
この意見について現場はどう受け止めているのか。反省する局と「指摘は当たらない」とする局に割れ、一部民放は同じ番組内で解説委員らが繰り返し激しく反発した。在京民放のある番組ディレクターは「検証委員会を含めてBPOが取り上げる問題は、明日は我が身だという思いはあり、一層配慮しようという気持ちが働くのは確かだ。光市事件についてもその後は各局とも丁寧に両者の意見を聞いた番組づくりに変わった」と語る。
●判断に差も
放送倫理検証委員会は、意見などを出すに至らなくても、報道の確からしさを巡る問題も取り上げている。
例えば、中国・北京で段ボール入りの肉まんが作られていたとNHKが昨年7月に報じた問題では、その後、北京テレビによる捏造だったことが判明した。NHKは「“段ボール肉まん”を食べていた客」として中年男性を取材までしていたが、委員会は「(取材した時点では)段ボール肉まんはあると思っていた」「街頭インタビューで事実が違ってもいちいち訂正せよとは言えない」と議事録掲載にとどめた。
一方、奈良県で起きた母子3人放火殺人事件に絡む少年調書の秘密漏示事件で、読売テレビが昨年9月、強制捜査を受けた京都大教授の指紋が調書から検出されたと報じた。このケースでは、その後、指紋は検出されなかったことが判明。委員会は、裏付けや名誉回復措置に踏み込んだ報告を読売テレビに求めた。
記者が真実と思って放送しながら誤報になった点ではNHKの場合と一緒だが、委員会の取り扱いには大きな差が出た。
元テレビ朝日記者で、「放送レポート」の岩崎貞明編集長は「委員会の意見は傾聴に値する内容だとは思う。しかし、現場では前向きな意見というよりも『うるさい存在だからとりあえず聞いておこう』という受け止め方も強いようだ」と指摘する。
==============
放送制度に詳しい砂川浩慶・立教大准教授(メディア論)に聞いた。
--放送倫理検証委員会の活動をどう評価しますか。
◆関西テレビの番組捏造問題をきっかけに設立されただけに平時の活動が課題だったが、自ら問題提起した光市事件の意見は委員会ならではだと思う。よくやっていると評価したい。ただ、キー局やローカル局を問わず、委員会の見解を番組制作現場に介入してくる総務省の行政指導と同じように受け止める認識が広がっているように思う。
現場から見て権力的に映ってしまうのはやむを得ない面はあるが、放送界の自主機関としての役割を現場に理解してもらうための努力、調査方法や意見書の書き方の工夫などは必要だと思う。一方、がんばり過ぎると、委員会の判断を根拠に総務省が介入に乗り出すというジレンマに陥る恐れもある。
--議題となる事案はかなり多いようです。
◆放送局と実際にやりとりする調査スタッフは、NHKと民放OBで占めている。中立性や活動内容の継承性とノウハウの蓄積という観点から、プロパー職員の採用などスタッフの拡充は必要だ。検証した番組を市民が視聴できるような仕組みも不可欠だ。現状では、委員会の判断が正しかったのかどうかの検証ができない。
--NHKと政治との距離が問われた番組に対する委員会の取り扱いが注目されています。
◆放送局と政治というタブー視されてきた問題に切り込んでいく意義はあると思う。ただ、何を検証するのか難しい問題もある。予算説明のために250人もの国会議員を回るという放送局は他にない。NHK幹部がそんたくする必要があった背景には予算の国会承認という仕組みの問題もあり、一般化できるのか。
行政機関が放送局に出資していたり、国会議員やその親族が放送局の株を持ったり役員になっているケースもあり、放送倫理と政治というテーマは必然的に免許制度にまで踏み込むことになる。「パンドラの箱」を開けるのか。開けなければまたそれはタブーを生むことにもなり、難しい問題だ。
==============
■ことば
関西テレビによる情報番組「発掘!あるある大事典2」の捏造が07年1月に発覚した。この問題で、番組内容が虚偽かどうかを総務相が判断したり、再発防止計画の提出を放送局に求めることができるよう放送法を改正する意向を総務省が示した。このため、行政・政治介入を防ぐための自主規制機関として、07年5月に設立された。必要に応じて「意見」を公表し、視聴者に誤解を与えるような虚偽の内容の番組を流した放送局には「勧告」や「見解」を出せる。再発防止策の提出を求めることもできる。
改正放送法案(07年4月国会提出)の内容を先取りした権限を持っており、委員会が設置されたことで、法改正は同12月に見送られた。
毎日新聞 2008年11月11日 東京朝刊