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T先生
いただいた論文のP.A.Platonov and A.V.Krayushkin ; Process Resulting in the Destruction of the No.4 Unit Reactor at the Chernobyl Nuclear Power Plant, Atomic Energy, Vol.104, No.6, pp.417-427(2008)を読んで受けた印象は、P.A.PlatonovとA.V.Krayushkin は、炉物理の専門家ではないということです。
炉物理についての考察は、p.425のみで、T先生はどのように解釈したか知りませんが、私は、「第一近似として、一点近似炉動特性を採用し、考えられるポジティブの反応度は、0.8β(positive SCRAM), 4β(steam effect), 4β(safety and control system)」で、ドル単位の印加反応度にするとβ(この論文でのβは、実効遅発中性子割合(effective delayed-neutron fraction)のことで、正式にはβeffと略記し、他の論文では、RBMK-1000の場合、0.006となっており、私が経験したTCA炉心の0.0065に近い)で割って、個々の要因を加算すると、初期の印加反応度は、8.8ドルになり(実際には、この他にも、ウラン燃料のドップラー効果(doppler effect)によるネガティブの反応度も印加されるため、この値より小さくなります)、私が概算した値よりも、一桁小さいように思えます(本欄バックナンバー参照)。
【講演要旨】たとえ、水爆搭載艦載機が海中に落下しても、起爆装置を作動させていない限り、爆発するようなことはなく、最悪のことは、回避できるものの、長期的な影響は、考えられないことはなく、これまでに、事故によって、海中に落下した原水爆は、世界に、複数個有り、技術的に引き上げられず、そのままになっているものも有りますが、原水爆の外壁は、厚さ約10cmもあるために、数kgの金属プルトニウムがすぐに海水に浸されるようなことはなく、外壁が海水で腐食して浸水するまでに20-30年かかり、それから、海水により侵食され、また、20-30年かけて、大量の海水の中に、徐々に溶け出しますが、一度に溶け出すわけでないために、時間をかけて徐々に溶け出すために、溶け出したプルトニウムは、太平洋の大量の海水に希釈されてしまうために、魚介類や周辺諸国の海岸線の生態系に深刻な影響が生じるようなことはありませんが、まったく、バックグラウンドレベルまで希釈されることもありません。
【講演要旨】ベトナム戦争当時の1965年に、沖縄本島の東方三百数十kmの地点において、横須賀港に向かって航行していた米空母"タイコンデロガ"から、水爆(長さ3.8m, 重さ0.93t, 爆発力1Mt(広島原爆の50倍の爆発力))を搭載した艦載機A-4E"スカイホーク"が艦内移動の際の不適切な取り扱いによって海に落下してしまい、深海のために、引き上げることができなかったという事故がありましたが(『サンデー毎日』、1989.5.28、桜井淳所長もコメントしています)、ここで重要なことは、米空母"タイコンデロガ"が横須賀港に向かっていたという真実であり、そのことは、もし、事故がなく、航行途中に水爆搭載艦載機が飛び立たない限り、確実に、横須賀港という日本の基地に水爆が持ち込まれていたことになり、たとえ、1965年という年が、まだ、非核三原則(1972年の沖縄返還に先立つ1967年の小笠原諸島返還に際し、衆議院予算委員会での社会党委員長の質問に答え、佐藤栄作首相により、「持たず、作らず、持ち込まず」の方針が示されました)の明示がなされた1967年12月11日以前であったからといって、問題がないわけではなく、一般論としていえることは、戦後の米空母には、核兵器組立工場があり、艦載機搭載用の重量約1tの複数の原水爆が保管されていたことを意味しており、そのことは、9月26日に横須賀港に入港した米原子力空母"ジョージ・ワシントン"も例外ではなく、誰もがそのような疑念を持ちつつも、日本政府の見解、すなわち、「日米安全保障条約に則り、持ち込む際には、事前通告があることになっているが、まだ、そのようなことは、一度もない」ことになっており、自衛隊の存在と同じく、日本のあいまいな思考法の中で(大江健三郎『あいまいな日本の私』、岩波新書、1995)、核持ち込み問題もすでに完全に形骸化されており、日本は、好む好まざるにかかわらず、危険な核兵器基地になっています(このような真実から、日本は、米国主導による日米安全保障条約の下に、米国の核の傘の中にあり、その抑止力の恩恵を受けていることからすれば、アジア諸国(中国と北朝鮮)の核兵器に対し、きれいごとが言えない立場には、有ります)。