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【萬物相】京釜高速道路

 1964年に西ドイツを訪問した朴正熙(パク・チョンヒ)大統領(当時)のためにエルハルト首相が晩餐会を開いた。首相は朴大統領の手を握り、韓国の経済開発過程について予言でもするかのように7つの助言を行った。その第一が高速道路の建設だった。「わたしが経済相だった時に韓国を2回訪問した。韓国は山が多い。山が多ければ経済発展は難しい。ドイツを見なさい。ヒットラーがアウトバーンを建設した。韓国にも高速道路が必要だ」

 助言はさらに続いた。「高速道路を走る車を作らなければならない。フォルクスワーゲンはヒットラー当時に作られた車だ。自動車を作るには鉄が必要だ。製鉄所を作りなさい。自動車の燃料を作る精油所も必要だ」。エルハルト首相の助言だけではないだろうが、朴大統領は帰国後3年の準備を経て高速道路、製鉄所、製油所を経済開発計画の重点事業として推進した。

 朴大統領が1967年の選挙公約として高速道路の建設を打ち出すと、激しい反対にあった。その年の一人当たりの国民所得は142ドル(約1万7000円)だった。国道、地方道路のほとんどが舗装もされていない砂利道のままの国で高速道路を建設するのは、行き過ぎた浪費だというのだ。国道や地方道路の整備から始めるべきだというのが、多くの知識人たちの主張だった。外国からも「国民所得があの程度の国が高速道路を作って何するのか」と笑われた。

 京釜高速道路の中で、1968年にソウル‐水原区間が最初に完成した。開通式の日、良才洞の料金所から水原まで、朴大統領の車について行った来賓たちはジープに乗っていた。スピードが遅いジープはほとんどが大統領の車について行けず、やっと最後までたどり着いた車もすぐに整備工場へと向かわなければならなかった。高速道路はジープではなく、本格的な乗用車時代を切り開いた。浦項製鉄と蔚山精油工場も同じ時期に推進された。

 7日は「道路の日」だ。京釜高速道路が完成した1970年7月7日を記念して定められた。完成日は、あえて「幸運の数」である7が三つ重なった日に定めたという。37年が過ぎ、昨日再び7が三つ並ぶ2007年7月7日を迎え、これまでを振り返ってみると、京釜高速道路は国と国民に大きな幸運をもたらした。大韓民国が伝統的な農業社会から近代工業社会へと生まれ変わるきっかけとなった。経済の大動脈である高速道路は今や3000キロにまで伸びた。国民は37年前の京釜高速道路のように、今の韓国経済に新しい突破口を開く大きな転換点を待ち望んでいる。

キム・ギチョン論説委員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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