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「開港以後の近代史、主導したのは開化派」

ニューライト系教科書の3大論点(下)

(3)開港以後の近代史の主役:高宗か、開化派か

 19世紀後半の韓国近代史の展開をめぐり長らく対立関係にあった2者、すなわち「高宗・大韓帝国」と「開化派」のうち、教科書フォーラムは後者の手を取った。「外勢に利用された」との批判を浴びてきた甲申政変の主役たちを、「近代化を追及した先覚者」として再評価している。

 こうした視角は、この本の基礎を成している「大韓民国正統論」と密接な関係がある。大韓民国の初代大統領・李承晩(イ・スンマン)は、金玉均(キム・オッキュン)、徐載弼(ソ・ジェピル)ら開化派が主導した独立協会や万民共同会運動に参加した人物であり、大韓民国建国もまた、歴史的に発展してきた開化派によって主導されたというわけだ。

 反面、それなりに自主的な改革を主導したと最近再評価されつつある高宗と大韓帝国に対する見方は冷たい。大韓帝国は単なる専制国家であり、近代国家としての形式的要件すら備えておらず、皇室は政府の財政を浪費したと記述している。

 東学農民運動を「農民蜂起」に格下げしたのも、王室に対し忠誠を尽くす復古的運動と評価しているためだ。王室勢力の一部だった明成皇后も、殺害された時点を基準として「閔王后」と記し、結果的に格下の表現となった。

 これに対し、水原大史学科のパク・ファン教授は、「1970年代の朴正煕(パク・チョンヒ)政権時代に開化派が持ち上げられたことはあったが、80年代には否定的に評価されるなど浮き沈みがあり、今回は肯定的解釈が行き過ぎている面がある。歴史とは、はっきり白黒付ける論理ではなく、均衡を保たなければならない」と語った。

1884年の甲申政変の主役、金玉均、徐光範、朴泳孝、洪英植(左から)。/写真=朝鮮日報DB

兪碩在(ユ・ソクジェ)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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