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歴史学者の崔文衡さん、「明成皇后殺害の主犯は明治維新の元老の井上馨」

「明成(ミョンソン)皇后(閔妃)の殺害を指揮した三浦梧樓在韓日本公使は、この事件の共犯ではあるが真の主犯は明治維新の元老の井上馨です」

 1992年に『明成皇后の殺害事件』を出版、この事件に日本政府が介入していると主張した漢陽(ハンヤン)大学の崔文衡(チェ・ムンヒョン)名誉教授は今回、『明成皇后殺害事件の真実を明かす』を上梓、事件の真相究明に本格的に乗り出した。崔教授は「日本政府はこの事件に対しては一貫して関与を否認してきただけでなく、この事件が“浪人”たちによる偶発的な犯行だと言い逃れをしてきた」と指摘する。

 彼が井上に注目する理由は、日本政府が事件に関与したことを明らかにするため。「江華島条約の時から朝鮮問題に関与していた井上は、1894年10月に在韓公使に任命されるとともに、朝鮮に関する全権を与えられた日本政府の当局者でした。三浦は殺害を主導できる立場にいたわけでもなく、またそのような能力もありませんでした」。崔教授は「井上は、事件の1カ月前に17日間、三浦と一緒にソウルに滞在し殺害事件を計画しました」と話す。当時、在韓外交使節たちが自国の政府に送った事件報告書などを調査してみたところ、すべてが一様に明成皇后殺害の首謀者が井上だと考えていたという。

 彼は「景福(キョンボク)宮に乱入した『浪人』たちは、決してチンピラなどではなかった」と説明する。ハーバード大の出身で衆議院議員を歴任した柴四郎、東京大学法学部を卒業し事件後ブラジル全権公使を歴任したオリグチ・クマイチのような日本最高の知識人たちが多く加担したという。浪人を責任持って集めた漢城新報の安達謙蔵社長も、後日に郵政大臣と内相を歴任した。

 西洋史を専攻した崔教授は、明成皇后の殺害が韓半島で展開されていた露・日の対立の中で起こった結果だと把握している。明成皇后は、ロシアとの繋がりを断ち切るための日本の「スケープゴート」だったのに反して、高宗(コジョン)王は、このような日本に対応するために俄館播遷を主導したロシアが利用した「コマ」だったという見方である。

 今年2月に定年退職した後、執筆に専念してきた崔教授は、「明成皇后の殺害に日本政府が関与していたことを認める日本政府の文書や井上のような当時の実力者の証言が公開されたら言うことがないが、現在のところ、それは期待ができない」とし、「日本側が反論をするなら公開討論をしてみたい」と話した。

金基哲(キム・ギチョル)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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