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日本人も感動、明成皇后の生家で公演

 夏休みで韓国に来た日本の女子大生、インド・サトミさん(22)は28日、京畿道驪州郡驪州邑ヌンヒョン里にある明成皇后(日本での呼称:閔妃)=1851‐95=の生家で涙した。明成皇后の「生家聖域化作業」を記念するイベント「明成皇后の息吹を訪ねて」で、女優イ・テウォンがミュージカル『明成皇后』の挿入歌『暗い夜を照らしておくれ』を歌った時だ。「なぜこのように朝は遅く開けるのか(中略)誰かわたしに光をおくれ/暗い夜を照らしておくれ…」。

 生家の裏にあるクヌギ林では、夏の終わりにセミが鳴いていた。感想を聞くと、サトミさんは「明成皇后について全く知らなかった。韓国と日本、両国の歴史について、もっと深く勉強しなければ。王子が明成皇后の胸に抱かれるシーンでは、不吉な予感のためか、悲しくなり、涙が出た」と語った。

写真提供=エイコム

 ミュージカル制作会社のエイコム・韓国観光公社・驪州郡が共同企画したこの日のイベントには、韓国・日本・中国などから20‐30代の若者32人が招待された。彼らは文化財ガイドの説明を聞きながら、このほどソウル市道峰区双門洞から移転された感古堂、明成皇后記念館・文芸館、明成皇后の生家を見学した。感古堂は英祖が仁顯王后の実家のために建てた家で、8歳の時に驪州から漢陽(今のソウル)に来た明成皇后が宮廷に入るまで住んでいた。朝鮮時代の王妃約40人のうち、8人が驪州出身だ。

 明成皇后の生家は質素だった。瓦の間には雑草も伸びている。公演が始まると、『私の運命は君』など、ミュージカル『明成皇后』の歌が響き渡った。朝鮮の運命を変えようとして暗殺された明成皇后の悲劇を、韓国的なリズムで表現したミュージカル『明成皇后』は1995年に初演され、昨年は観客動員数100万人を突破した。今年は9月18日から世宗文化会館で再演される。

 記念館には、日本の「明成皇后を考える集まり」から届いた謝罪文も展示されていた。『明成皇后』の演出を手掛けるユン・ホジン氏は「ミュージカル『明星皇后』はテレビの大河ドラマや生家復元などへとつながり、歴史を正しく伝える役割を果たしてきた。生家で明成皇后について深く考える時間になった」と語った。また、日本人参加者のミヤモト・ヨシミさん(27)は、「昨年公演会場で見た『明成皇后』は、ただ“スケールが大きいミュージカル”だという印象を受けたが、今日生家で見た『明成皇后』は小さいけれども感動的な公演だった」と語った。

驪州=朴敦圭(パク・トンギュ)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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