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【訃報】筑紫哲也氏73歳=ジャーナリスト

肺がんで闘病中、李大統領と対談も

 今年4月、肺がんを患い闘病中であったにもかかわらずテレビに出演し、李明博(イ・ミョンバク)大統領と対談した日本の著名なジャーナリスト、筑紫哲也氏(写真)が今月7日に亡くなった。73歳だった。

 第2次大戦を体験した世代に属する、日本のジャーナリストの中でも長老格である筑紫氏は、TBSの看板ニュース番組『筑紫哲也 NEWS23』で18年間にわたってキャスターを務め、日本の戦後の平和主義路線を強調してきた。特に植民地支配をはじめとする北東アジアの歴史問題については、終始一貫して被害国の立場から日本の保守派の主張を批判し、「時流に妥協しないジャーナリスト」として高く評価された。韓国と日本の間で独島(日本名竹島)の領有権問題が再燃した2006年4月、小泉純一郎首相(当時)が日本のメディアに「扇動するのは自制してほしい」と求めたのに対し、筑紫氏は「扇動を自制すべきなのはメディアではなく政府だ」と反論し、外交姿勢の二重性を批判した。 

 朝日新聞の記者としてジャーナリストの道に飛び込んだ筑紫氏は、米軍統治時代の沖縄やワシントンで特派員として活躍し、1984年から87年の約3年間、朝日新聞が発行していた週刊誌『朝日ジャーナル』の編集長を務め、当時の日本の若きリーダーたちを指した「新人類」という造語は当時を象徴する流行語として人々に記憶されている。昨年5月14日、『NEWS23』の「多事争論」というコーナーで、「先週受けた定期健診で、初期の肺がんが見つかりました。必ず克服できるといいます。治療に専念し、また戻ってきます」と宣言し、闘病生活に入った。その5カ月後、「がんはほぼ撃退した」として復帰し、今年4月には李大統領の日本訪問に合わせて放送されたインタビューで進行役の一人として務めた。李大統領は7日、権哲賢(クォン・ヒョンチョル)駐日大使を通じ、筑紫氏の遺族に弔意を伝えた。

鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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