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von_yosukeyan (3718)

von_yosukeyan
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他人の不幸をメシの種とする狂信的市場原理主義過激派タレコミニスト
すべての事象は神の見えざる手に委ねられている。抵抗は無駄だ
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  • 2006 年 11 月 04 日
    AM 02:08
    日記 本格的なメインフレームが登場したのは、1960年代のことでIBMのS/360シリーズの登場以降である。それまで、汎用大型機は、個別の機種に独自のOSやソフトウェアが実装されているために、同じメーカーの製造した機種でも、世代が異なれば互換性が失われるという問題があった。S/360で実現された機能は、それまでにもあったものが多いが、S/360以降の機種が現在に連なるメインフレームというコンピューターの概念を生み出すに値する画期的な存在であるのは、体系的なアーキテクチャに基づいて設計されたコンピューターであるという点であり、歴史的な意義が大きいと言える

    S/360は、互換性を持った上位機種から下位機種までが、共通のアーキテクチャによって設計され、なおかつ実装がアーキテクチャから分離された初めてのコンピューターシリーズだった。このため、より高速な後継機が登場しても、顧客は現在使用しているプログラムをそのまま新機種に移行できるようになった。また、コンピューターを小規模な下位機種から導入して、処理能力が不足すれば上位機種にアップグレードできるようになり、コンピューター市場が一気に広くなった

    こういった高い互換性は、その後に登場したS/370やS/390シリーズでも、バイナリレベルでの互換性が維持され、企業はソフトウェアに対する投資を容易に回収することが可能になった。その一方で、コンピューター市場をほぼ独占したIBMは、技術的要因もあってメインフレームの高性能化を行わなくなり、アムダール、日立、富士通といった互換機メーカーの台頭や、ミニコン、マイクロプロセッサの登場を許すことになる

    この中でも、70年代に急激に成長したミニコンと、現在のメインストリームであるマイクロプロセッサの登場は、メインフレームとは異なるコンピューターの進化形態だった。すでに、60年代には登場していたミニコンは、当初はメインフレームのフロントエンド処理を担当する程度の存在だったが、60年代末から70年代にかけて、低価格で高性能であることが受けて、高価なメインフレームを導入することができない市場に確実に浸透していった。コンピューターサイエンスの分野でも、ミニコンは格好の教材となり、代表的なミニコンであるDECのPDP-8やPDP-11でUNIXやC言語が開発されたことはあまりに有名である

    一方のマイクロプロセッサは、一つのシリコン辺にコンピューターの基本動作をすべて収納したという意味だけに留まらない重大なインパクトがあった。マイクロプロセッサは、シングルチップにCPUの論理回路を実現するために、命令セットを限定し、回路をコンパクトにする必要に迫られた。これらが後に、C言語やOSIなどアプリケーションが頻繁に使用する命令を1つにまとめる、CISCプロセッサに繋がる。また、逆に命令セットのうち使用頻度の高い命令で他の使用頻度の低い命令を代替する、RISCプロセッサが考案されると、プロセッサの処理能力は論理回路設計よりも、半導体のデバイス技術や駆動周波数の向上によって飛躍的に高まるようになった

    一方、メインフレームはマイクロプロセッサとは反対の道を歩み続ける。メインフレームは、極端に進化したCISCプロセッサのような存在で、使用するデバイス技術が保守的で、駆動周波数を高める方向には進まず、アプリケーションが必要とするボトルネックを、命令セットの追加によって対応していった。このため、論理回路が単一の半導体チップには収まらず、90年代になるまでシングルチップのメインフレームCPUは、メインストリームの機種では実現されなかった(組み込み用や軍事用ではすでに70年代にはシングルチップのメインフレームCPUは存在していた。例えばスペースシャトルのセントラルコンピューターなど)

    RISCプロセッサが、ハイパースカラー、投機的命令実行、パイプラインなどの技術を応用して、高い周波数を実現するようになると、従来使われていたベンチマークが役に立たなくなってきた。MIPSは、1978年に登場したVAX11/780が1秒間に100万回の命令実行が可能であるったため、VAXの何倍の処理能力を持つという意味で、ベンチマークとして使用されてきた。しかし、今日ベンチマークとしてのMIPSは、ベンチマークプログラムがプロセッサのキャッシュメモリーに収容できるほど小さいもので、現実のアプリケーションの性能評価に値しなくなった。一方、現在のメインフレームでは、同じように1秒間の命令実行数を評価単位とするメインフレームMIPSがある。最新の機種では、10000メインフレームMIPSを超える超大型機が存在するが、これはマイクロプロセッサにおけるMIPSとは全く異なる概念である。「メインフレームはPCよりも遅い」という誤解を生んでいるのはこの辺りにあるのかもしれない

    一方で、メインフレームが停滞していた70年代から80年代にかけて、メインフレームと同等かそれ以上の信頼性と処理能力を実現しようという動きが現れた。これがいわゆるフォルトトレーランス機といわれるもので、70年代にTandemのNonstopが実現した。Nonstopは独自設計のCPUとOSを使い、CPUが故障した場合にOSが任意のチェックポイントで別のプロセッサに処理を引き継がせるフェイルオーバー機能を本格的に実装したシステムだった

    90年代になると、TandemはCPUをR3000系プロセッサに移行し、これを機にハードウェア的な冗長性を持たせるようになる。2つの物理プロセッサで1PEを構成した上で、2つのプロセッサで同時に同じ計算を実行し、計算結果に不一致が発生すればOSは障害が発生したPEを分離して別のプロセッサに計算を引き継がせる。後に、3物理プロセッサで1論理プロセッサを構成するシステムや、競合メーカーであるストラタスでは、4物理プロセッサで1論理プロセッサを構成して、2セットが同時に処理を実行、1セットの計算結果が異なればもう一方のセットが処理を引き継ぐシステムが登場する

    こういったフォルトトレーランス機能は、メインフレームでも実装されている。メインフレームには、論理プロセッサ以上の物理プロセッサが搭載され、上位機種へのアップグレードや、故障時に自動的に予備プロセッサに処理を受け継がせる機能がある。メインフレームやフォルトトレーランス機では、CPU以外にもバスやメモリー、外部記憶などが徹底的に二重化されており、ハードウェアやOSレベルでフェイルオーバー機能が実現されている

    フォルトトレーランス機は、90年代にメインフレームやUNIXに市場を侵食されて衰退する。Tandemが合併で経営が混乱したことや、採用していたMIPSプロセッサの性能向上が進まなかったこともあるが、IBMがメインフレーム部門の建て直しのために、再び安価で高性能な機種を次々に市場投入していったことが大きい。また、半導体技術の向上で、マイクロプロセッサの信頼性が向上したことも、フォルトトレーランス機が衰退していった要因でもある

    現代のメインフレームは、マイクロプロセッサで培われた半導体技術をも投入している。90年代までは、信頼性は高いが発熱量の高いバイポーラ技術を採用していたプロセッサも、ほとんどが発熱量の低いCMOS技術で生産され、SOIや銅配線技術を応用し1GHz以上で動作するプロセッサも存在する。こういった新技術の応用は、かつてフロアを占領し、水冷ユニットや専用の空調装置を必要としていた時代のメインフレームのイメージとは明らかに異なる姿になっている(そもそも、メインフレームの語源は、巨大な鉄の塊のようなCPU装置を指すのもだった)。価格も劇的に安くなり、最小のものではPCサーバと同じ大きさで数百万円で購入できるものも登場している。しかし、メインフレーム市場そのものは縮小を続けており、独自の販売形態(ほとんどがリースで価格の実態がつかみにくい。またCPUやOSの稼働時間によって「課金」が発生する)や、アプリケーション、開発言語の特殊性が嫌われている。しかし、メインフレームに採用されている技術は着実に進歩していることは事実であり、実際にメインフレーム上でLinuxやJavaを稼働させることも可能で、サーバー集約の流れの中でメインフレームを見直す動きも一部にはあり、当分の間はメインフレームは存在し続けることだろう
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    • メインフレーム (スコア:1)

      patagon (1453) : 2006年11月04日 2時39分 (#1051264) 日記
      メインフレームでUNISYSが触れられていませんね。IMB互換ではなかったからでしょうか。

      こういった新技術の応用は、かつてフロアを占領し、水冷ユニットや専用の空調装置を必要としていた時代のメインフレームのイメージとは明らかに異なる姿になっている
      1990年代から現在のメインフレームを見ていると確かにこれを実感します。巨大なマシンルームを独占していたメインフレームを構成する機器が5,6年毎のリプレースで小さくなるんです。水冷が空冷に変わったときが激変したときでした。そして今ではサーバラック1本か2本程度のフロアスペースになりました。一時期はかなり空いたマシンルームですが、業務ごとにポンポンサーバが建てられ、上から下までサーバラックに効率よく収納してもサーバラックが足りないという状況で、すぐにスペースがなくなってきました。しかも音は五月蝿いです。運用はメインフレームの方が集約的でやりやすいです。対障害性も高いです。