「創氏改名」に込められていた意図とは
【新刊】水野直樹著、チョン・ソンテ訳『創氏改名』(山のように)
この疑問を解くためには、「創氏」の古い概念から調べてみる必要がある。そもそも中国古代において、「姓」とは同じ血族を区分するために使われた称号であり、やや後に出現した「氏」は、一つの姓から分かれた系統(支派)の区別のために新しく使われた称号だった。例えば、戦国時代の楚の国の詩人・屈原の「屈」は、姓ではなく氏だった。
しかし戦国時代に家門の伝統が弱まり、姓と氏の区別は徐々に消え失せ、一つの概念となった。韓国で「姓氏」といえば、それはすなわち姓を指していた。一方日本での姓氏は、姓ではなく氏だった。親族を単位とするのではなく、一つの「家門」概念に似た「家」を単位としたもので、「家門の名前」のようなものだった。そのため日帝時代の日本人の目には、朝鮮には姓はあるが氏がないと映った。「創氏」というのは、存在しなかった「氏」を新たに作るという意味だったわけだ。
日本の京都大で教授を務める著者は、まさにこの点から「創氏改名」の隠された意図がうかがわれる、と語る。単純に朝鮮人の名前を日本式に変えるにとどまらず、姓という「宗族」の単位を氏という「家」の単位に解体し、婦人や婿養子も同じ氏で呼ぶようにするなど、朝鮮の家族制度そのものを日本式に改変しようとしたのが、創氏改名だった。
結局、すべての朝鮮人を宗族単位の先祖崇拝から引き離し、「天皇」の支配下に置くことを意図していた、というわけだ。
このために各種の公権力が強制的に動員されたが、「内地人(日本人)」と朝鮮人の間には、決して同一ではない「差異の政治学」も微妙に作用していた、と同書は主張する。朝鮮人の反応も、一様ではなかった。例えば、朝鮮人高級官僚だった全羅北道知事ソン・ヨンモク、忠清北道知事ユ・マンギョムは、創氏を拒否した。「創氏改名」は、考えているよりはるかに複雑な問題だった、というわけだ。同書の原題は『創氏改名-日本の朝鮮支配の中で』。
兪碩在(ユ・ソクジェ)記者
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