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2008/11/14

日本を救ったのは宇多田ヒカル

新宿の女 新宿の女
価格:¥ 1,800(税込)
発売日:1999-05-21

小室哲哉の消息が聞こえて来ないんだが、どれくらい「歌って」るのかね? ヤツが全部しゃべると面白いんだが、それはさておき。毎日新聞で恐縮なんだが、時代が小室全盛から終わるまでの経緯を取りあげているわけだ。まずは全盛期なんだが、




カラオケが普及した。学校帰りにマイクを握る高校生たち。「はやりの歌を先に覚えたい」「皆と同じ歌を知らないとまずい」という事情は、若者がCDを買う動機に十分だった。また、高視聴率のテレビドラマに使われたテーマ曲や、CMのメロディーがヒットしたのも90年代の特徴だ。スタイル抜群の女性のダンスは、テレビにとって格好の映像素材となった。
さすがに新聞記者の書く文章だけあって、簡潔にして明快。小室というのが、いわば「売るための素材を用意」するスタッフとして働いていたのがよく判る。目的として「売る」事があり、そのためにダンサーを踊らせ、CMで使い、ドラマの主題歌にする。小室サウンドが売れたのは、アレは売れたのではなく売ったのだ。まぁ、そんなもんに騙される国民がバカといえばそれまでだが。で、急速に売れなくなったのは何故なのか?

 反畑さんは、98年にデビューしたシンガー・ソングライター、宇多田ヒカルさんに注目する。当時15歳、女子高校生世代。宇多田さんの存在感は際立っていた。

 「宇多田さんの曲は、若い女性の生活感にあふれた詞と、自然に近い音でつくられていた。彼女のリズムアンドブルースが、デジタル音でできた小室さんのダンスミュージックに取って代わった。聞き手が、刺激よりも安らぎを求め始めていたことに、小室さんは気付かなかったのかもしれない」

 女子高校生世代を狙いながら、その世代に取って代わられた--とみるのはうがちすぎだろうか。

宇多田ヒカルのデビューというのがあったわけだ。おいら、それをリアルタイムで体験しているんだが、その頃、地元のラジオ局で番組やってました。宇多田ヒカルはデビューと同時に特集やりました。

宇多田ヒカルというのは、デビュー前の下積みが長い人でね。公式デビューは16歳なんだが、彼女は小学生の頃からスタジオに出入りし、両親のレコーディングに参加している。藤圭子名義で発売された「冷たい月」という曲があって、コレは日本酒白鶴のCMにも使われたんだが、母親が譜面通りにスクェアに歌っている背後で、小学生のヒカルが自由自在にソウルフルでアドリブっぽいボーカルを聴かせてくれるんだが、他にも色々とやってます。まぁ、アメリカのスタジオで本物の黒ん坊のミュージシャン相手に遊んでいた娘なので、育ちが違います。

育ちが違うといえば、そもそも母親が藤圭子だ。藤圭子というのは、アルバムの売上げで日本記録を長いこと持っていた人なんだがね。「新宿の女」です。白いギター抱えて、デビュー時には新宿24時間連続流しというパフォーマンスをやった。1970年代には大変なビッグネームの演歌歌手だった。で、藤圭子というのも育ちが違う人です。父親が盲目の浪花節語りで、母親が三味線弾き。幼くして父親の手を引いて、新宿流し。浪花節なんか誰も聴かないので、自分が歌う事を覚えてデビューに至るという伝説を持ってます。いわば、先祖代々、由緒正しい河原乞食です。1000年かかって作りあげられた魂の歌に、コンピュータの画面の上で5分で作られた歌が勝てるわけがない。世の中に氾濫する小室ミュージックに辟易としていたおいらの耳に、彼女のデビュー曲の「オートマティック」は、砂漠の水のように染み込み、思わず涙ぐんでしまいました。まだまだ世の中、捨てたもんじゃないな、と思いました。

で、宇多田ヒカルのヒットを機に、世の中は急速に小室サウンドから脱却して行く。小室サウンドというのは黒くもないし、演歌的でもないわけで、ルーツに根ざしてないモノはすぐに飽きられるわけだ。なので、もしかすると
日本を救ったのは宇多田ヒカルなのかも知れないです。

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