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「結婚は人生の墓」…知られざる近代韓国女性像

 「手術を受ければ、二重まぶたになるのはとても簡単で、そのまぶたは永遠に持続する。不細工な自分が本当に奇麗になった。吊り上がっていた目つきが、すがすがしく、奇麗な目つきになって自分の外見を自分自身も信じられないほど変ってしまう…」(『女性』1937年7月号)

 100年前の韓国女性はどんな風に生きていたのだろうか。白いチョゴリ、黒いチマ、依然として髪の毛を長く結って男性に素直に服従しながら生きていたと考えるなら、それは間違いだ。

金活蘭
 韓国女性研究所が、韓国文化コンテンツ振興院と共同で1年間かけて構築し、最近立ち上げたウェブサイト「韓国近代女性教育と新女性文化」(newwoman.culturecontent.com)では1880年代から1945年以前の朝鮮の女学生と新女性の生き方を集大成している。

 総演出を務めたチョン・ミギョン研究員は「100年前の女学生もツルゲーネフの小説を脚色した『隔夜』を読んで、恋愛を夢見た。髪を切った独身の女性教諭を見つめながら、“結婚は女学生の墓”と考えた」と述べた。

 50種のアバターで復元した当時の女子生徒の制服変遷史が面白い。決して同じセーラー服一辺倒ではない。

 京城(キョンソン)女子商業高校の生徒たちは赤・緑・茶色が調和したストライプのブラウスに対称的なひだの入ったスイカ色のジャンパースカートをはいた。

 体育服も当時はじめて登場する。白いシャーツに「ブルマー」と呼ばれたひだ入りの半ズボンだった培花(ペファ)女子大学のバスケットユニホームが代表的な例だ。ムン・ホギョン研究員は、「当時は制服を通じて、学校の特徴を表現しようとする傾向が強く、スカートにひだをいくつ入れたか、どんな生地を使ったかが非常に重要な問題だった」と伝えた。

 1920年代女学生たちの間で大流行したマフラーは、編み物のマフラーだったが、その広さが広くなる一方だとして学校の取り締まりを受けた。マフラーだけではない。

 教育者の金活蘭(キム・ファルラン)の角刈り風の断髪の流行は、「モダンガール=モッテンゴル(悪い子)」という言葉を生み出して社会の非難を受けた。しかし、新女性たちはこれに負けはしなかった。

 今でも充分スタイリッシュな「崔承喜(チェ・スンヒ)ワンピース」に、女性飛行士の朴敬元(パク・ギョンウォン)がかぶった鐘状の帽子が流行った。1930年代ハリウッドの女優たちが着たツーピースが、仕事を持つ女性たちの間で飛ぶように売れた。

 「西洋の女性たちの自由な対人関係と職業世界に憧れながら、自分の生き方もそれに合わせて変えていくことを夢見た新女性たちの希望が、実によく見て取れます」

 尚志(サンジ)大学文化コンテンツ学科の姜怡守(カン・イス)教授は、「100年前の女性たちの生き方の現在と通じる部分と異なっている部分を理解することは、女性の生き方に関する歴史を主体的なものに変えるうえで重要な作業」と述べた。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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