「保険証ないねん。先生、湿布くれ」。保健室に来た小学6年生の男児から、大阪府の養護教諭が聞いた言葉だ。親が国民健康保険(国保)の保険料を滞納して子どもへの保険給付が止まり、医療費の全額自己負担を迫られて病院へ行けなくなっていた。こうした「無保険」の子ども(中学生以下)が、全国で3万2903人に上ることが厚生労働省の調査で分かった。厚労省は市町村へ滞納世帯からの子どもに関する相談によく応じるよう通知したが、受診から遠ざけられていることへの対策としては不十分で、子どもには無条件に保険証を交付するよう制度を改める必要がある。
今春、国保の問題点を調べるうち、民間団体「大阪社会保障推進協議会」から困窮する子どもたちのことを聞いた。取材を始めたが、国はもとより、大半の自治体が「無保険の子どもはいるが、システム上人数は分からない」と答えるだけで、実態を把握しようとすらしていなかった。
建設業の夫の収入が不安定で国保料を滞納し、乳児を抱えたまま給付を停止された主婦▽親族の借金を抱えた母子家庭が無保険となり、4歳児の風邪の治療代に1万7000円請求された--などの実態が浮かんだ。病院に行けず、保健室に駆け込んだ子どもの話を聞いた時は、切なさで胸が詰まった。
そこで、同僚記者とともにこの問題を考えるキャンペーンを開始したが、一連の報道には「苦しい家計で保険料をやりくりしている家庭もある」「滞納した親の自業自得だ」など批判的な反応も少なくなかった。取材で出会った和歌山県内の開業医の話だ。無保険家庭の窮状を見かね、未成年の治療費を「出世払いだ」と請求せずにいたところ、町外から高級車で乗りつけ「タダで診てくれるんだろう」と言い放った親がいたという。モラルハザードは現実にあり、悪質な滞納者への厳しい対応は必要だ。
滞納対策としての給付停止の措置は、国保財政の安定のためにやむを得ないと考える人も多いだろう。各地の国保は慢性的な赤字で苦しい。このため国は00年度から、国保を運営する市町村に対し、1年以上の滞納世帯には保険証を返還させて納付を促すよう義務付け、それに付随して無保険の子どもの問題が生じた。
ただ、ここで確認したいのは「子どもの福祉にかかる問題を親のよしあしで左右してはならない」という当たり前の原則だ。現に児童福祉法は、「国および地方公共団体は、児童の保護者とともに、児童を心身ともに健やかに育成する責任を負う」という基本原則を定めている。
今回の厚労省の対策の柱は、子どもが病気でかつ医療費負担に耐えられないという申告があれば、特例として期間を1~数カ月に限定した保険証(通常1年)の発行を認めるものだ。「これで必要な医療は確保される」(厚労省国保課)という。「切羽詰まれば役所の窓口へ」ということだが、病気になった時にまず行く所は病院ではなく、役所なのか。役所から納付を再々要求されている人が、相談に二の足を踏むうちに子どもの健康が損なわれることも懸念される。
一定の対策はとったものの、厚労省は「(世帯から)一部を抜いて交付するのは現行法の解釈ではできない」と、子どもへの無条件の保険証交付に否定的な姿勢を貫いた。子どもの問題を、国保の「負担と給付」の原則の中に埋没させたのがそもそもの誤りだが、厚労省はその原理原則に固執したままだ。
自治体の中には、独自対策で子どもの救済を図るところも少なくない。多くが被災や倒産など「特別な事情」以外は給付を停止する一方で、前橋市は4月から、保険証を中学生以下には無条件で交付している。大津市は「少額でも支払ってもらう」を基本としつつ、未成年者のいる世帯には無条件交付する。無保険の子どもが全国で4番目に多かった大阪市も、年内に中学生以下の無保険状態を解消することを決めた。
こういう自治体の児童福祉に対する取り組みは支持したいが、自治体頼みでは子どもの医療サービスの地域格差が出る。今後、金融不安の影響で雇用や貧困が深刻化し、国保料を支払えない世帯が増える恐れもあり、国が十分な対策を講じる必要性が高まっている。
麻生太郎首相は「子どもが被害者のようになっているのは配慮すべき要素がある」と国会で語ったが、このままでは問題を放置するのと同じことだ。国は収支改善一辺倒できた制度運営を見直し、子どもたちを最低限のセーフティーネットの上に乗せる責任がある。
毎日新聞 2008年11月14日 0時02分