「『昭和の戦争』について」 (一)
福地 惇 (大正大学教授・新しい歴史教科書をつくる会理事・副会長)
「『昭和の戦争』について」
福地 惇注記 : この文章は、平成18年4月17日に防衛庁・統合幕僚学校・高級幹部課程における講義題目「歴史観・国家観」の講義案である。講義時間の関係上、掲げたい史料や叙述を割愛した部分も多い。近日中に、完成稿を雑誌等へ発表する予定であることをお断りしておきます。
はじめに 歪曲された歴史観・国家観
本講義の目的は、第一に「昭和の戦争」は「東京裁判」の起訴状と判決に言うような侵略戦争では全くはなく、「自存自衛」のための止む終えない受身の戦争だったこと、第二にそれが了解出来れば、現憲法体制は論理的に廃絶しなくてはならない虚偽の体制であると断言できることを論ずることであります。「昭和の戦争」の本質を語ることで、現在の国家の指導者は勿論、国民大多数が持つ「歴史観・国家観」が、その国家・国民の命運を大きく左右する程に重要であることを主張したいと思います。
凡そ六十年前、米国占領軍政府(連合国軍最高司令部=GHQ)は、「平和憲法」の異名をとる「日本国憲法」と「日本は侵略戦争の罪を犯した戦争犯罪国家」だと断案した歴史観を日本国民に押し付けた。GHQが起草した憲法なので、「GHQ占領憲法」と呼び、極東国際軍事裁判(通称「東京裁判」)が断案した歴史観だから「東京裁判史観」と呼ぶことにします。
さて、GHQが占領憲法を押し付けた理由は尤もらしい装いを凝らしていた。先ず、「昭和の戦争」を日本軍国主義の侵略戦争だと定義づけ、一握りの軍国主義者が世界制服・アジア支配の戦略を「共同謀議」して支那大陸で凶暴・残虐な侵略戦争を展開し、支那だけでなくアジア諸民族に対して甚大な人的・物的損害を与えた。また、日本国民一般も軍国主義者が推進した無謀な戦争の犠牲者であった。それゆえに、平和と自由と民主主義を愛する「正義の味方」アメリカ合衆国は、日本軍国主義者の被害者を救済するため立ち上がり、それを懲らしめて、日本国民を解放したのだと言い包めた。
この「東京裁判史観」を前提に、新日本は前非を悔いて二度と再びこのような侵略戦争の過ちを犯さないよう、自由と民主主義を基軸とする平和国家へ生まれ変わるのであるとの理屈を組み立てた。
「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」(憲法前文)、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」(憲法第九条)との証文までおしつけて、皇室制度と政治を切り離して元首の存在を曖昧にし、陸海両軍は廃絶されたのだった。
絶大な権力を有した占領軍政府は、間接統治を有効な隠れ蓑にし、言論や教育の統制を強行し、敗北主義の心理に陥った日本人迎合者を巧妙に使嗾して、彼らの国益に適う国家へと我が国を改造したのである。それを推進するための日本人洗脳の武器が「東京裁判史観」であり、その歴史観に支えられる国家体制が「GHQ占領憲法体制」なのである。
だが、この仕打ちは、明らかに「ハーグ陸戦法規」違反である。この国際法は、戦勝国と雖も敗戦国の国家体制・法体系を恣意的に「改造」するのは許されない、としている(注・一九〇七年「陸戦の法規慣例に関する条約」第四三条《〔占領地ノ法律ノ尊重〕国ノ権力カ事実上占領者ノ手ニ移リタル上ハ、占領者ハ、絶対的ノ支障ナキ限、占領地ノ現行法律ヲ尊重シテ、成ルヘク公共ノ秩序及生活ヲ回復確保スル為施シ得ヘキ一切ノ手段ヲ尽スヘシ》)。同時に、我が国が受諾した降伏条件=「ポツダム宣言」にも違背している。(例えば、条件付き降伏なのにGHQは〔無条件降伏である〕と言い募った)。
従って、米国占領軍の行為は、厳しく非難さるべき所業であったが、敗戦後の歴代政府は批判すらせず、大人しくその占領政策を承認し、場合に依っては尊重して講和条約に至ったのみならず、その路線で今日に至っているのである。国民の多くは「平和憲法」は世界に誇るべき憲法だと思い込まされ、「東京裁判史観」でご先祖達が悪戦苦闘したあの「昭和の戦争」は悪辣な戦争だったのだよと子供の頃から教えられて、祖国への愛着を薄めて半世紀以上をのうのうと過ごして来たのである。
だが、冷徹に往時を回顧すれば、「東京裁判史観」は歴史の事実を歪曲し偽装した虚偽の歴史像なのである。そこで本論に入る前に、「昭和の戦争」を正しく見るための視点を提示しよう。次の四つの次元の相互関係に鋭く目配りしなくては、「昭和に戦争」の真実は見えて来ないのである。
①我らの祖国日本は、生真面目に国際法を遵守しようと努力したが、我が国を取り巻く国際政治は以下の事情の為に一向にそれを評価しなかった。
②支那大陸の混迷する大内戦状況が、ソ連や米国の介入を容易にさせたため、大陸の軍事・政治状況は極端に混乱し、我が国の大陸政策展開を困難にして翻弄した。
③ソ連=コミンテルンのアジア攪乱戦略=日本帝国主義攪乱戦略の目的は、日本と支那の軍事衝突を長引かせるところに有った。それ故に支那の内戦状況の激化に伴い、否応なしに日本軍は大陸の泥沼に引きずり込まれていった。
④米国の支那尊重・日本排撃方針は、支那情勢への間違った理解、あるいは共産革命幻想に発しており、日米関係を殊更に悪化させた。そのことは、ソ連=コミンテルンの「資本主義同士を噛み合わせる戦略」を効果的ならしめる大きな要因になった。
第一章 「昭和の戦争」前史
第一節 「十五年戦争」という歴史用語の陥穽(落し穴) 周知のように、満洲事変から支那事変、大東亜戦争へと、「昭和の戦争」は日本の国策として首尾一貫したアジア・太平洋方面への侵略戦争だったとする知識が日本のみならず世界の常識になっている。第二次世界大戦は平和と民主主義を愛する正義の諸国=『連合国』と世界征服を目指す邪悪な全体主義『枢軸国』との激突であった、と『連合国』側はあの戦争の性格を概念規定した。
だが、これは連合国側、特に米国とソ連とが、歴史の事実を歪曲して独善的に自己に有利な物語に仕立て上げた、いわば偽装された戦争物語に過ぎない。取り敢えず分りやすい反証を三つ挙げよう。
第一に白人欧米列国は三、四百年もかけて本国を遠く離れた地球の裏側まで、侵略戦争を果敢に展開する植民地支配連合を形成していた。
第二に、大日本帝国は、侵略戦争で獲得した植民地を持っていなかった。台湾は日清戦争の勝利によって獲得した領土であり、朝鮮半島は朝鮮王朝との外交交渉による条約で我国の領土に併合したのであり、満洲国は「五族協和」の理想を掲げて建国された独立国家だったのである。英国から独立した米国が英国の傀儡国家だと騒いでいる者を私は知らない。米墨戦争(一八四六―四八)でアメリカ合衆国がメキシコから割譲したテキサス州・カリフォルニア州・ニューメキシコ州を植民地支配だと騒いでいる者がいるのを知らない。台湾はカリフォルニア州となんら変ることのない戦争による領有関係の変更であった。
日韓併合は、米国のハワイ併合より穏やかな併合だった。チェコとスロバキアが合併してチェコスロバキア(既に解体した国家となったが)に、西ドイツと東ドイツが合併してドイツとなったのと何の変哲も無い。満洲国は日本が支援して建国された独立主権国家である。ソ連は満洲建国より八年も以前に、完全な傀儡国家であるモンゴル人民共和国を作っていた。米国のフィリピン独立支援よりも穏当な形の独立支援だった。また、現在の隣国共産支那は、チベットや新疆ウイグル、満洲や内蒙古を軍事力で国土に編入しているし、尖閣列島をじわじわと自国領土に取り込もうとしているし、台湾を武力で領有しようと身構えている。共産支那は明らかに現役パリパリの侵略国家である。だが、戦前の大日本帝国が侵略国家だったと未だに騒ぎ立てる手合いは多いが、共産支那は侵略国家で怪しからんと騒ぐものは徐々に増えてはいるが未だに少数派であるのが現実である。
第三に、日本帝国は、ナチス・ドイツやファシズム・イタリアと同一の全体主義の独裁体制の国ではなく、明白な立憲君主議会制国家だった。確かに、日独伊三国同盟を締結していた。大東亜戦争期に日本人の一部に「ファショ的雰囲気」は存在したたし、大戦争に遭遇したのだから当然「戦時体制」は敷かれた。しかし、明治憲法は大東亜戦争の敗北まで健在だったのである。軍国主義者の代表とされた東條英機は憲法に従って内閣首班・陸軍大臣を勤めて戦争を指導した。他方、『連合国』側には、超独裁主義者スターリンのソ連、典型的軍閥独裁者=蒋介石の中華民国が名を列ねている。ソ連には憲法は有ったがそれは空文に等しかった。蒋介石の中華民国はマトモナ憲法を持たず、公職に関する選挙制度も無かった。それ故、『連合国』の盟主米国に対して、お前の仲間は典型的独裁者だったのだから、お前も野蛮な「独裁体制の国」だったのだぞ、と言ってみよう。そう言われたアメリカ人が、顔色を変えて激怒するのは火を見るよりも明らかであろう。
何れにせよ、問題の核心は、「昭和の戦争」が、東京裁判が断案した通りの「侵略戦争」ではなかった点が証明出来ればよいのである。では、「昭和の戦争」の真相は何だったのか。それを述べる前に、あの大戦争の性格をより良く理解する為に、先ずそこに至る前段階=前史を概観することから始めよう。
つづく