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明日の授業予定

 「社会科通信第3号」として、レポートの中から読みやすいものを選んで編集したプリントを配布する予定。また、以前にやるよといっていた確認テストを配布。そのあとどうするかは未定。4組の分は採点済み。返却できます。おそらく、新しいことを教える余裕はうまれないでしょうけれど、プリント中の見田宗介『現代社会の理論』(岩波新書)の箇所は特に注目いただきたいと思います。大衆消費社会というものを考えていきたいのですね。アメリカ合衆国の国内消費の高さがこの半世紀の世界の経済成長を支えてきたのです。その住民はカードで借金をいくらでもして何かモノを購入するということを続けてきたわけで、それに憧れて、周辺からどんどん移民が流入してきたのですね。

 それがプライムローンの失敗をきっかけに、ついにピタリと止まってしまいそうな気配になっています。カードの使用を破産して使えない人たちが増えています。

 つまり、現在進行中の問題なんですね。

 この現象をいろんな角度から眺めることができるのですが、とりあえず基本的なところから見ていこうと考えています。そして、ゴミ問題は、この大衆消費社会というもの抜きには考えられないものなのです。

 とは言っても、原子力発電所から出るゴミ問題なんていうのもあって、もちろん、それは大衆が大量の電気を消費しなければ必要ないものなのかもしれませんが、それにしてもちょっと異なる要素がありますけどね。コンピュータの電子基板の開発に関わるハイテク廃棄物とか溶剤などの廃棄問題なんていうのもややこしいですね。

 そういう細部にまで情報収集の触覚を伸ばしておかなければ、見誤るという面もあります。そのいくらかでも説明できればいいですね。

 「過度の単純化」をして、「知ってるつもり」になるようなところにみんなを導きたくないとだけ言っておきましょう。(11.13)

 風邪ひいて頭がぼんやりしています。昨夜、ガンバ大阪がアジア・サッカー・クラブ先取権優勝した試合をテレビ中継で見ていて、うたたねしたのがいけなかったらしい。すばらしい試合でした。今夜は日本代表のシリア戦見なくては。

お詫びと反省

 まことに申し訳ないことながら、11/6に記載した内容に関連して、F先生に迷惑をおかけしました。まさか、特定の学習塾通いの生徒のご両親がわびの電話を入れるほど差し迫った問題とは考えていなかったのですが、結果的に、F先生に神経を使わせることとなりました。また、ほんの数時間のみ掲載されていたことになるのだと記憶していますが、M先生に関連する記述があり、生徒から先生がからかわれるような事を招きました。すべて私の軽率な文章の招いたものであると自覚しております。両先生には直接お詫びしましたが、とても言葉の足りるものでもなく、不愉快な思いを抑えて許していただいたものの、後味の悪いものになってしまいました。すべては私に非があります。とともに、今後似たような失敗を重ねないという自信もありません。

 そこで、本HPを閉鎖する覚悟を決めました。

 ただし、期末試験までに若干の調整の必要を感じます。そこで、本日、ただいまをもちまして、授業についての各クラス間の差違の調整に関する内容に限定して残し、12/5を最後に閉鎖としたいと思います。(11.11)

雑報

 66回生の本棚11月号に「『たくさんの本に出会ってほしい、読書好きになってほしい』という願いを持つメンバーが担任に揃い…」とありますが、実は、私は願っていません。私は本好きですが、生徒に本好きになってほしいとは考えていないのです。

 ではなぜ本を読ませるか? 自分で考えるためには材料が要ります。そのてっとり早い入手経路として読書をとらえています。やがては本を離れて、実験や観察、フィールド調査にと発展してもらいたいのではありますが、とりあえず目の前の材料として本は大事です。[少し表現を変えれば、擬似的体験の量と幅を増やすということになりますか。]
 また、読書は、物事を論理立てて述べていく方法についての手本を示してくれます。これも読書を勧める一つの理由となります。
 しかし、本に溺れてはダメです。読書の時間をあまりにも多く取りすぎて、勉強時間がなくなった、部活に時間がとれなくなったというのはダメだと思います。そんな人はいますぐ読書を中止して、学習や仲間と共に身体を動かすことに切り替えてください。

 コンサート中にしゃべる生徒があり少し困りました。また、ああいったクラシック・コンサート会場では飲食は許されません。今後、社会に出て、それなりのつき合いをしていくには必要なマナーの一部かと思います。ご家庭でもご指導いただくとよいのではないかと思います。

 迷子が何人か出るかと心配していましたが、みごとに時間前に集まりました。他校はバスで来てそのまま入れたり、阪急電車で列を作って入り、列を作って帰ります。われわれの自由放任というのも場合によれば周囲から奇異に見られるかもしれません。私としては、その自由さの中で規律を保てる頭の良い生徒たちが誇りなのですが、正直なところ現在、かなり際どい均衡の状態です。教師と生徒の間の相互信頼や尊敬が保てるとうまくいくと思います。私は、生徒をおだてるということはしませんが、基本的に感心することが多く、それは素直に話しているかと思いますが、さらりと流しているので誉められていることに気づいていない生徒もいるかもしれません。機会があったらお伝え願います。(11.11)

期末考査の予定

 環境問題と大量消費について出題をしたいと考えています。ただ、問題数が確保できないときには、『五体不満足』からの出題も少し加えさせてください。昨日の講演の内容も関連はあったのですが、残念なことに私は他学年の授業に出ていて聞いておりません。家庭科でも環境問題・ゴミ問題を学習しているのであれば、少し計画を変更して、テーマを移していこうかとも思っています。なにしろあと3週で期末、火曜も金曜も使っても6回しかありません。うまく収まるかと心配しています。(11.11)

ちょっと下らぬ事を

 「難しいことを教えても効果が上がらないのでは」と言われることがあるのですが、レポートを読むと「とんでもない」と言い返すことになります。まるで私に対する私信のようなレポートもあるのですが、嬉しい限りです。このHPを読んで、それを踏まえてのレポートなんですね。そもそも12歳くらいで理解してしまうんですね。伝えたいことを。要するに、すごく大人の判断力を示す生徒がたくさんいるのです。精一杯背伸びしてもらって結構というのが私の立場です。

 でなければ伸びませんよ。そりゃ、中学生らしい、子ども子どもした生徒もかわいいけれど、やっぱりここで教師をやる醍醐味は、他では味わえない凄い生徒を限界まで伸ばしてこその嬉しさ、楽しさっていうのがあるのですよ。

 ホンネを言えば、それを禁じられたらとてもじゃないけど、退屈で教師なんてやってられたもんじゃないですよ。あっちもギリギリ、こっちもギリギリっていうのが、多分、余所では味わえない凄みなんじゃないですか。

 背伸びしている同じ生徒が、他面で、とても素直な年齢相応の行動を取っていたりする。それがいいんですよ。親は、幼いところだけしか見えなくったっていいんです。教師の中でも特に私は、大人の生徒の姿を見ていることにします。

 昔は、生徒の父親と一緒に飲み屋で出会ったりして、同じ子についての食い違いを楽しんだこともありました。それが社会というものなんだと思いましたね。ひとは相手によって接し方が違って当たり前だし、そうすることで〈安心〉と〈成長〉が二つながらに得られるという仕掛けになっているのでしょう。(11.8)

☆ 歴史好きの生徒に 藤木久志『戦国の作法』(講談社学術文庫)を読んでいるところですが、これは刺激的ですよ。ちょっとここまではついてこられないだろうけどね。古代史では『古事記』の岩波文庫版の白文を読み直しているところです。

 授業で触れた生物行動論の随筆は、日高敏隆『ネコはどうしてわがままか』(新潮文庫)でした。

 身体障害関連では、金満里『生きることのはじまり』(筑摩プリマーブックス)を読み返しているところ。テレビで、本人主演のエド・はるみの自伝的ドラマをやっているのを見て─ 彼女が深夜放送でこれから売れそうなお笑いタレントを何人か紹介し、その中から3人を推薦して次週も出演させるというので見て以来、なんとなく応援しているのです。その番組から2週間後には日本テレビの「エンタの神様」に出演、「お笑いレッドカーペット」など出ずっぱりになってしまったのを目撃しました。 ─なぜか、身体障害者の劇団のことも思い出して、読み返してみました。これは凄まじい内容です。身体障害者プロレスはなぜかテレビ中継は許可されません。どうしてあれが公序良俗に反すると判断されるのかも、本当は、乙武さんに聞いてみたい点のひとつなんですけどね。

 アメリカで大統領に、ケニア留学生男性とアメリカ白人女性との間のハーフが選ばれましたね。私は、正直なところ、反発が出るだろうとかなり情報に敏感になっていました。確かに、金融危機が大きなインパクトをもったようで、得票率にしても1割近くの差を付けたようです。いろんな属性にレッテルを貼って差別をするブッシュのアメリカが終焉して、融和の時代が開かれようとしているのかも知れません。民主党も共和党もないという時代に突入し、カトリックもピューリタントも、ユダヤ教もイスラム教もない時代に向かうのかも知れません。しかし、その可能性と同じくらいに、再度、逆転して、様々な属性の対立激化へと向かうかも知れません。

 歴史的にはとても興味深い数年を、われわれは目撃するのでしょうね。

 こういう大変革にはとても惹かれます。障害者と非障害者との間の壁も崩れるのを目撃したいものです。

 硫黄島総指揮官・栗林忠通のことを綴った悌久美子『散るぞ悲しき』(新潮文庫)を電車の中で半分読んで、ああいうアメリカ駐在経験を持つ将軍が発言権を封じ込められ、死地に向かわされた軍隊組織というのが、おそらく現在の自衛隊の体質とも連続しているのだなという気がしてきました。名作・吉田満『戦艦大和ノ最後』(講談社文芸文庫)や吉村昭『プリズンの満月』(新潮文庫)なんて読みました? とってもいいよ。本気で、残された家族を守るために、一般住民の命を少しでも多く守るために、将兵の生命を掛けようとした真剣なひとたちのことを知るのは精神衛生上いいですね。

 オバマがいいのは、そこですよね。もしかしたら演出された虚像かもしれないけれど、当面は、報道されるそれを信じていたいものです。中学生の時に、J.F.ケネディの伝記を、秘書を務め、報道官という側近としてホワイトハウス入りしたソレンセンが綴ったものを読みました。2年の夏で、結構高かったような記憶があります。赤い装丁でケースがついていました。私にとっての英雄でした。ケネディをモデルにした映画『魚雷哨戒艇PT−109号』(タイトルに自信はない)を見たあとだったのでしたか。JFKのかっこよさに憧れたのに、後年、 ピエール アコス, ピエール レンシュニック『現代史を支配する病人たち』(ちくま文庫)を読んで、その事故による怪我のための治療薬の副作用で性欲が高まりすぎていろいろ問題行動を起こしたとか、有名なキューバ危機での強攻策も、その後遺症絡みだと読んでがっかりしたものです。読んだのは文庫に入る随分前でしたが、以来、どうも政治家の美談は信用できません。

 村上春樹なんて読んだことありますか。「沈黙」という短編が『レキシントンの幽霊』(文藝春秋)に収録されています。「悪意ある存在」に付和雷同する多 くの連中に高校生のときに脅かされたひとの話です。村上春樹は中学・高校の先輩で、彼の書くものはよく分かる気がします。

 なんとなくの本の紹介でした。

道徳の授業から

 最終日はかなり混乱。準備が間に合わないような何か事情があったのかもしれない。

 「心のバリアフリー」という表現で乙武さんが説明したい差し迫った事情があったはずだが、なかなか読みとれなかった模様。他人の立場に身を置いて、自分を反省し、正当化するための理屈を述べなければならなくなった、その背景にある戸惑いまで理解するには、やや早すぎるのだろう。

 障害者だからといって、身構えられて対応されることの不快は想像しにくいのだろう。「○○中生! 頭がいいのねぇ〜」などと大仰に言われて、照れているときに、自分を普通に見てくれないことに対する違和感はもたないのだろうか。

 私が注目した箇所とは違うところで立論をした生徒がいたが、それはそれでよい。今回は活発な論議にならなかったのは残念だった。

 次回から経済の仕組みと環境に戻します。暗記よりは考えることに力を入れてもらいたいのですが、少し、随分以前の知識の整理になる確認テストも行います。ただし、点数を付けることが目的ではなく、期末考査に向けての必要知識の確認に過ぎません。

 10月4週 10.16の書き込み  『普通の家族がいちばん怖い』

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