総帥の一言
08.11.10 | 今日は、ジェット・リーの「スピリット」を観た。日本人の武道家役で中村獅童が出演の役名は田中。その流派名は「九鬼神流」であった。私が、今習得している杖も同じ流派である。 映画の内容は、中々良かった。 |
08.10.29 | 遂に、国も経済破綻・アイスランド・パキスタン。これから続々と続くだろう。世界同時多発の株安に銀行・証券会社・保険会社の破綻に国の経済破綻、同時多発地震・テロ・台風・津波・地震。そして殺人は毎日。子殺し・親殺しなどの尊属殺人。さあ、あなたはどうする。 |
1994年現在 | 日月神示は経綸の計画書、火水伝文は経綸のワケ 黒住、金光、大本(出口なお、出口王仁三郎)、岡本天明(日月神示)、火水伝文、長谷へと続いた長い道も最終章。世界情勢もいよいよの時代に。混迷の世界同時多発への道。それぞれの人生を歩む時がやってきた。無知の日本国民が知るのは難しいが。 「下記7年前の大会挨拶文」 今、この日本社会は、犯罪大国になっています。強盗・殺人事件は、連日の如く新聞やテレビで報道されています。命の尊厳が無くなってしまいました。問題を創り続ける心(相対二元の争いゲーム)がある限り、このような事件は継続します。こんな時代だからこそ 日本の伝統である武道・武士道精神が必要であり、武道教育が必要なのです。これからは、今までの常識や固定観念では生きられないまったく新しい時代です。自分の創っている現実は全て自分が選んだもので全て自分の責任です。他人の責任であるものは一つもありません。我々武道家が範を示し、眞のヒトとなる為の生き方や自分を磨く事を、未来ある青少年に指導しなければならないのです。本大会の開催にあたり、ご協力ご尽力頂きました関係者の皆様、ご来賓下さいました多くの皆様方に心より感謝致します。本日は誠にありがとうございました。 「心の掃除こそ、自分を磨く唯一の道である」 |
08.10.25 | 今日は、夕方から国際松涛館空手道連盟金沢館長の喜寿の祝賀会があり、龍一師範代と出席。伝統空手の方の知り合いがあまり居ない中、受付で、極真館の盧山館長、会場内には佐藤塾佐藤勝昭塾長・福昌堂中村社長などがおり、その後大道塾の加藤清尚支部長や高橋新宿支部長などとは同じテーブルで歓談会食。 加藤君は、今月号のフルコンタクトカラテの特集記事になっている。ところで金沢館長の組織は、個人の組織としては、世界一だろう。世界130カ国以上に支部を持つ大組織である。来賓も300から400名その半数は、海外支部の支部長会員であろう。空手の世界、特に海外では「センセイ金沢」として特に有名人である。 |
08.10.19 | 今日は、午前中練習。午後は、麻生秀孝会長主催の全日本SAW選手権大会の観戦と打ち上げパーティーへ行った。席の近くに一水会の最高顧問・鈴木邦男氏も観戦中だったのでお話をさせて頂いた。鈴木氏といえば良くテレビで見たものである。特に、「朝まで生テレビ」には出演していましたね。又、女子レスラーであり議員である神取忍さんなども招待されていました。 |
08.10.14 | E藤君がラッキーパンチで負けたのであるならば、E口君が最初に勝ったのもラッキーパンチで勝った事になる。 受即攻で返すのがM会の練習なんだから。それが使えない技として露呈しただけの事。何発打っても倒れないパンチは 一撃必殺じゃなく百撃零殺。 勝ってもラッキー・負けてもラッキー。。。。。。。 |
08.10.1 | k−1max 佐藤対マサトは、3ラウンドでダウンを取った佐藤の勝ちだろう。アナウンスと解説者の誘導で視聴者の見方が変わってしまう。この前の、武蔵対極真王者のような判定勝ち。曲者は、解説者とアナウンスの誘導で今年の優勝させたい者が勝つ。アナウンサーや解説者が片方の選手を応援してガンバレとかまるでTBSの亀田の試合を見ているような、公平な判定があるのだろうか? 判定があって無い。そんな勝ちでいいのだろうか。資本主義(商業主義)の原点のような試合。 |
08.9.28 | 2チャンネルで、岩瀬のトーア杯に関する事が掲示板に出ているが、岩瀬は一度しか他流派大会に参加していない。他の弟子の何十回と出ている事は話題にしていないのは変な話である。純粋の梁山泊の選手の事は殆ど書いていないのである。他流派大会で優勝・準優勝・3位と何度も入賞している事が無視されているのはどういう事なのか。又最近の無門会の事で昔の弟子を戻そうとする動きがあることを聞いた。戻った弟子も居る。大阪のT氏もその一人。 他流派に出て負ければ相手のラッキーパンチ等と言うらしい。 |
08.9.23 | 国際F.S.A拳真館空手道連盟 ケイオスセーフティジュニア小学5年生の部/上田直毅・準優勝。金沢結子ファミリーも応援に来てくれました。 大会パンフレットのルールでは、突き1点・蹴り2点と記載。しかし、面にいくら突きが入っても取らない。軽く入った蹴りで2点取られる。 硬式空手や格斗打撃・総合空手ルールの突きの後の残心をとらないと審判が旗を上げないのであった。そんな事はルールに記載されていないと選手の保護者の意見。同じ事が総合空手の試合でも試合中に言われた事があった。突きは、相手を倒すために出すのであるから引こうと引くまいと的確に当たっていれば取らない事がルール違反である。何のために防具を着けるのか。こういう事が防具付空手大会に参加し多かったので参加しなくなったのだが。 結局は同じだった。弟子の1人が、「残心て相手が反撃する事に対しての心構えだと思いますが」と言った。 その通りであり、簡単に言えば「攻撃の後に油断しない」事である。空手団体の勝手な解釈でルールになっているのである。 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より 残心(ざんしん)とは日本の武道および芸道において用いられる言葉。残身や残芯と書くこともある。文字通り解釈すると、心が途切れないという意味。意識すること、とくに技を終えた後、力を緩めたりくつろいでいながらも注意を払っている状態を示す。また技と同時に終わって忘れてしまうのではなく、余韻を残すといった日本の美学や禅と関連する概念でもある。 |
08.9.22 | 空手の指導者は、教員免許もいらず指導者になれる。その流派に関係なく新しい流派を名乗ることも出来る。黒帯の認可もその流派独自にきまる。大体自分の習った流派がモデルになっているのだろう。帯の段階と色もそう。フルコン系は、その系統が特に強い。黒帯の基準などない。柔道の真似をしたのがよくわかる。空手着しかり。 私たち空手の指導者は、教育の一環として指導しなければならない。学校とは違う事を指導しているのである。それが金儲けの対象となっている道場のなんと多い事か。名前だけで弟子の増える道場も沢山ある。10年後に、一体何人が残るだろうか。私の指導方針は、まず、ウソを付かない事が基本です。弟子にも保護者にも。「口と心と行い」を一つにしたらウソにならない。これが生きる基本。政治家の経歴詐称や、自分はこんなに凄い経歴強とか。ウソは沢山あります。みんな自分のまずい・弱い部分は隠します。私は、そんなに立派な経歴ではありません。高校しか出ていないし、一流学校・一流企業にも入っていない。只、自分のしたい事、やりたい事の何十%を続けて来ただけでした。でも不幸ではありません。生きていける事が嬉しいだけです。 |
08.9.14 | 今日は、午前中練習。午後は、俳優の役所広司さんの知り合いに無料鑑賞券を頂いたので吉祥寺に映画を見に行くことになった。町は、「吉祥寺祭り」で賑わいを見せていた。立ち寄った店の前に、キックボクシング(バンゲリングベイ)の新田君が担手の人達と楽しそうに話していたので声をかけずにそのまま映画館に向かった。映画が始まり、40分を過ぎた頃、急に一人の女性が「止めて下さい」と大声を出しながら、場外に出て行った。女性が居た場所で「ばたばた」と騒ぐ感じがし、その後、「館の人呼んで」と聞こえ、映画も中断し場内が明るくなった。私が、その場所に行くと1人の男が3人に抑えられていた。周囲の人に「痴漢ですか」と尋ねると「そうみたいです」とはっきり解らない。その内警察官が来て場外に連れて行った。私の出番もないなと席に戻り少ししたら館の責任者が「映画は20分後に再上映いたします」と案内。被害女性は、事務所で事情聴取、犯人はロビーの椅子に座らされていた。観客の半数が払い戻しして帰ったが、その後映画の上映が再開され終了した。場内を出ると上映時間が遅れた為、かなりの人が並んで待っていた。帰りに館長らしき方がすみませんでしたと丁寧に謝ってきた。私が、こんな事「痴漢騒ぎ」映画を長い間見てきて初めてですと言うと、館長もそのようだった。 |
08.9.5 | 9月5日(金) 今日は、管内一斉補導日で光が丘警察署の刑事さん・退職者のサポータ・補導員の皆さんと光が丘のデパート内と光が丘公園内を見回る。時間的にそれほどの補導対象もなく帰るつもりが、デパート前でたむろする自転車に乗った高校生と思われる者が、煙草を吸っていた。何年生だと聞くと、「1年」と答える。私が、「1年生です」だろと言うと言い直していたが、現在、入会してくる子供たちも「です」を言えない子供が多い事に気が付く。靴の置き方から、口の利き方まで。 また、目上の者に対する尊敬が無くなってしまった。結局、大人の責任であり家庭での教育、地域社会の教育が無くなってしまった事に起因するのだろう。 |
08.6.26 | 無門会をテーマにした掲示板(2チャンネル)をたまに見ていると。元無門会会員や無門会フリーク、現役会員のしゃべり場? 江口のケイオスでの試合や、滝沢や伊藤、金城の事。江口がどうして引き分けに終わったのか理解していない。格闘技の基本を無視した構え。突きは、ストレートだけ。ボクサーの基本、額でパンチを受ける事など無視。額は頭突きが出来るほど強いのである。鼻は折れるだけ。顔は切れる。頭も切れる。でも倒れない。突きと蹴りのK・Oは、脳を揺らすことで脳震盪を起こし倒れる。回し蹴りで何故倒せるのか考えた事があるのだろうか。ボクサーのKOは、殆どがフック。それもストレートに近いフック。プライド・ダイナマイトなどのパンチによるKOは、ロングフック。無門会は、ストレートの稽古体型。カラテの日本での歴史は浅い。古流の拳法は、関節・打撃・逆技。私の友人は、ベトナム・イラク・アフガンで戦ってきた。彼の話は真実。その時、人間はどうするか? 私の拳法の先生も同様に、ある世界で名をはせた人物。その先生も現実の戦いで生き抜いてきた。その技がその精神が本物かどうか肌で感じます。 |
07.8.3 | 格闘技の聖地、後楽園ホールで龍一師範代のプロ6戦目があった。相手は、2戦目で戦った馬場選手。結果は、3ラウンド判定負けであったが1ラウンドは、ポイントを取っていた。2ラウンドからリズムを崩してしまい判定負けとなった。しかし、試合に慣れてきたことが一番の収穫であった。技術的には何の問題もない、あとはスタミナをつけるだけである。 |
07.6.3 | 今日は、先週の迎撃杯に続き後楽園で龍一師範代のプロ5戦目であった。相手は、K−1トライアウトの高萩ツトム選手。結果は、3ラウンド判定負けであったが試合内容は良かったと思う。イエローカード(バッティング)が大きかったが、それがなければ勝ちか引き分けであり、なによりも本人がプロの試合に慣れてきたことの方が大きい。あとは練習量の差でしかない。次に期待しましょう。 |
07.4.23 | 昨日、練馬区の選挙 梁山泊の理事である区議3氏が当選。また、区長杯を出して頂いた現区長も対立候補に約5万票も差をつけて当選。一安心です。 |
07.3.21 | 昨年の大会後に高校時代の友人が会いたいと電話してきた。 彼は、B軍の現役空軍大佐であり、ベトナム・イラク・アフガンに行ってきた勇者である。足には鉄板が入っている。アフガンで地雷にやられた。 イラクでは劣化ウラン弾で10年後に癌が発病と壮絶な人生を歩んで来た。高校時代は、Y基地に独立記念日にはよく行ったものである。高校時代からもう35年にもなる。いまだ友人の一人。 |
07.1.15 | 今日、藤岡弘、さん(連盟名誉会長)からお年賀で鮭が届いた。 うまそー。 |
07.1.15 | AIR、MAILが3通届いた。菊池君、堀川君、加藤君。皆忘れられない弟子達。 菊池君は、タイ・バンコック。 堀川君はニューヨーク 加藤君はフランスでラグビー選手として活躍しているという。 ニューヨークに行き、ジムに入った時、回し蹴りを見たコーチがいきなりタイ語で話しかけたという。 堀川君の回し蹴りは、鞭の様な腰の入った切れのある蹴りである。本部での練習中に相手をした弟子が蹴りを受け肋骨が折れた。堀川君は、すみません・すみませんと何度も謝り謝罪したが、その後の練習でも蹴りの威力は同じだった。 手抜きのできない男であった。 一昨年、日本に帰ってきた時に、ニューヨーク市警の友人から総帥へと「Tシャツ」を頂いた。私の宝物である。 堀川君の手紙文より 「皆様とカラテの練習に出会えて感謝しています。日本の武道は世界の宝だと自分は思います。多くの人が空手や武道などをして稽古の厳しさや、痛みになどに耐え、心や精神など強く、人間としてやさしく、思いやりの心が、尊敬しあう心が世界中の人々に芽生えればいいのになと思います。「Stop the war !! Make More Peace !!」 菊池君は、1986年横浜支部開設最初の弟子、皆に介さんと呼ばれていた。 堀川君は、最初から廻し蹴りが上手かった。 加藤君は、親子共々ある病気で苦しんでいた。 それぞれが、今 イキイキと生活している事に、喜びを覚える。 |
大会は、多くの弟子や参加者・周囲の好意で成り立っている。有難い事である。一人でできる訳が無い。 | |
06.11 | 大会も終了し、現在後処理に追われています。招待者に大会報告と御礼・各参加団体への結果報告作成と御礼。 梁山泊の参加選手への言葉は「唄を忘れたカナリア」教えを守れば勝てた試合でした。 勝とうと思えば負けます。迎撃杯は、待つ心を造る大会です。その精神を心を失くしていました。 美空ひばりの唄にもあります。「勝つと思うな、思えば負けよ」 今の稽古の成果は、3年後に出来ます。今は、身に付ける段階であり、使えるまでには時間が掛かります。勝てなくても構いません。「急がば廻れ」「山の頂上は1つ」「亀で良く・ウサギに成らなくても良いのです」 勝ちは、現象。本質を究めましょう。選手は、試合の反省をしては成りません。もう次の段階を目指しましょう。 |
06.11 | 空手をやっていて良かったなと思うときがある。 今年、ニューヨーク在住の堀川初段が 町を歩いていてたまたま本屋に入ったらフルコンタクトカラテ8月号の表紙に 私の写真が出ていて感動したと両親に電話してきた事を聞きました。嬉しかったですね。 彼が良く手紙をくれ 眼を瞑ると梁山泊の道場での稽古を思い出すと書いてきます。これも嬉しい限りです。 |
06.11 | 比較される梁山泊。 平成18年11月13日 この10数年 岩瀬師範がトーア杯に出てKO負けしたことが 無門会の強さや梁山泊の実力を示しているようにネットの掲示板に匿名で書かれている。 顔のない言葉。このような輩を卑怯者と呼ぶ。 只の格闘技傍観者なのかは知らないが。梁山泊の技術はフルコンタクト空手06.8月号発表したように常に進化発展している。 また大会はオープントーナメントで行い、アマチュアの格闘家であれば誰でも出場できる大会なのであり、実力を試したければ参加すればいいことであり、答えはでてくるはずである。 また昨年の大会で審判に問題があるような噂が出ているようであるが、21年間の組織活動の中で他流派大会に参加し、どこの流派であれ審判に問題のない団体は無いと思える。あくまで大会審判に関してではあるが。言えばキリがないので。 審判は神様ではない。間違えて当たり前である。だからこそ誰が見てもわかるルールにしたいだけである。 10数年間他流派大会に参加して肝に銘じた事は、「KOで勝たない限り勝たせてくれないない事であり、判定では中々勝てないのである。」引き分けだと思えば負け、勝ったと思えば引き分け判定など等。言えばキリが無い。 話は戻るが、流派の代表として選手が大会に参加してはいるが実際は、選手本人がどれだけ稽古・練習したかであり、その流派の実力を本当に示しているかは別物である。 「技に理があれば通用し、理が無ければ通用しない。」答え簡単である。 あくまで、空手の大会はルールに縛られた中での戦いであり、その中でどの選手が一番強いかなど不毛の論争である。あくまでそのルール上の優勝者であり、それ以上でもそれ以下でもない。それ以外は全てルール無し(殺し合い)であり、法律外の戦いなのである。そんな試合を容認する法律は世界中どこにも無い、あるとすれば戦争だけである。 また無門会が強いと思えば、その練習そのルールで試合をし、その大会の中で勝てばいいことであり、実力を示したければ他流派のトーナメント大会に出場し優勝すればいい事である。 我々梁山泊は10数年も他流派大会に挑戦し続けてきた。優勝することもあれば準優勝や3位の時もある。一回戦で負ける事もあれば3回戦まで行くこともある。フルコンタクト・グローブ・防具付・総合系ルールと出場し、伝統系以外の大会はほとんど出ている。 空手の歴史なんてたかだか日本本土で100年にも満たない。1945年以降に発展したのであり、合気道も同様である。 伝統っていったい何だ。何年続けば伝統と言えるのか? 100年続いても認め得ない所、3代住んでも認めない地域などいっぱいある。 趣旨がちょっと違ったな。無門会と梁山泊か。比較されても困るね。まったく違う団体であり、技術体系も違う。ただ兄弟であることが判断材料になっているだけだからね。 梁山泊は、脱力し筋筋力を使い、いかに確実に倒せるか、いかに落とせるか、いかに効く突き蹴りを使えるかに重点おき、いかに効率よく身に付けるかに練習の全てをかけている。 例えば、無門会の受即攻など昔からある同時攻撃である。 一撃で倒れてもパンチではなく、倒れたはずみで頭をコンクリートなどに打って死ぬことが多いのではないかな。ピストルも22口径では死ぬほどの致命傷にならないし、この前の練馬区の警察官が刺されて怪我をした時でも死んではいない。そんなに簡単に死ぬことも無いけれど、打ち所や当たり所が悪く死ぬときもある。 神のみぞ知る。 刺された警官の上司と事件の翌日に会いました。 個人的見解として対ナイフ、対銃を常に想定した練習は必修科目であることを痛感しました。 武道・武術をやっていることの意味が無くなります。もちろん逃げることも大事ですが。 |