天理教を語る!!3
- [0]スレ主代理 06/07/25 21:37 .gtHFrZrbt
- さよみさんかT.N.Doctrineさん、どちらが今のスレ主さんか分かりませんが、
とりあえず面白い良スレだと思うので前例の継続のまま立てさせて頂きます。
このスレは前システムの「天理教をかたるスレ」の
>とりあえず信者もそうじゃない人も
天理教について色々語ってみようっちゅースレです。
という趣旨を引き継ぐものです。
それでは、どうぞ。
追加情報..
参考として天理教の公式サイトを貼っておきます。
http://www.tenrikyo.or.jp/ja/top.html
参考までにこれまでの経緯はこちら。
初代「天理教をかたるスレ」のログ→
http://religion.dot.thebbs.jp/1042794059.html
2代目「天理教をかたる2」のログ→
http://religion.dot.thebbs.jp/1078811040.html
3代目「天理教をかたる!」のログ→
天理教をかたる!
http://religion.log.thebbs.jp/1079512941.html
4代目「天理教を語る!!」のログ→
http://religion.log.thebbs.jp/1104162575.html
5代目「天理教を語る!!2」のログ→
天理教を語る!!2
- [1]リラックマ 06/07/26 01:37 D-snzhw
- 新スレッド設立おめでとうございます!スレ主代理さん、ありがとうございます。時々お邪魔させて頂きますので、よろしくです。現在のスレ主は、T.N.Doctrineさんで、丸く納まるでしょう。
さて、「天理教を語る2の会」ですが、今回は残念ですけど、こうして新しいスレも立てられた事ですし、その内機会もあるでしょう。まだ時旬が来ていないのでしょうね…。
- [2]リラックマ 06/07/26 13:55 D-snzhw
- 教祖が言われた「素直な心」に、ほぼ同意義語として「あほになれ」というお言葉がありますが、それについて詳しく説かれたお言葉がありましたので、ご紹介させて頂きます。
大正11年10月5日号みちのとも「山澤先生の御話(一)」より〜
〜『神はな、あほなものが欲しい、あほが神の望み』と仰しゃった事がある。何も『阿呆といふても西も解らん、東も解らん道理の暗い様なものは役にたゝないのである。理と非とがよく解るものでなければならぬ、眞に教への理をきゝわけた以上は人に笑はれそしられよふが厭(いと)はないといふ決心の定まった阿呆でないと本当に道について通り切ることがしぬ(に?)くい。その阿呆でも道についてだん/\慕って来れば後では出世さすのやで』と親様は仰しゃりました。※山澤先生とは、山澤為造の事
元の理でも、神様は「うを」と「み」との一すじ心をなるを見澄ました上で説き伏せ、「承知」をさせて貰い受けられているが、神様が望まれる「阿呆な者」とは『道理を聞き分け(承知した)た以上は、例え何があろうとも一すじ心で精神が揺るがぬ者』だと思いました。その姿は傍から見れば、阿呆な者なのでしょう。注意点は、盲目的に信じるのではなく、天理を聞き分けて得心した上で信じきるという処でしょう。
そこが、なか/\難しいのですが…。素直になりきれない…、純粋さを失っている…と言えるのでしょう。秀司先生を、ふと想い起こしました。
- [3]T・S教人 06/07/28 12:26 J3j1ZgFMfs
- こんにちは。又お邪魔させてもらいます。さんさいこころの事を、 「語る2」の最後に、子供が太陽を見て「もう傘要らないね。」と言い喜んでいると書こうとしたら、終わりになりました。途中で終わったよお。でもあたらしく立ちました。今度は、じぶんの意見ももう少しマシな事が書ける様になりたいです。よろしくお願いします。
- [4]yoshio2028 06/07/31 21:38 ybgP3XOsOR
- 教会の後継者って徳のある人なのでしょうか。?
教会に生まれた人、教会に婿に来た人、
教会を任された人、いろいろ立場、成り立ちはあると思うのですが
人の世話をしなければならない、
人を助けなければならない、
これは、徳のない姿なのではないでしょうか。?
みなさん、どう思われますか。
- [5]リラックマ 06/07/31 22:50 D-snzhw
- レインボーさんが、最近見えられませんね。「天理教を語る2」の最後辺り、「天啓」について私が少し持論を展開した辺りからだと思うのですが…。
他流という事で遠慮されているのか、それとも私の持論でご気分を害されたのか、もし後者なら少し責任を感じます。それとも何か事情がおありなのかも知れませんが、答えられない、或いは答えたくない話はスルーして頂いて、他流・本流関係なしに、この掲示板という顔の見えない利点を生かして、お互いに切磋琢磨出来たらな、と思うのですが…。
- [6]リラックマ 06/08/01 00:37 D-snzhw
- >>4 そういうふうに考えたくもなるような事情が、最近確かに多いような気もします。(実際の数は、昔と比べてどうなのか?それは解りませんが…)
明治20年1月4日(陰暦12月1日)、この時のおさしづに当たって、当時の弟子達は『世界なみの事二分、神様の事八分、心を入れつとめを為す事、こふき通りに十分致す事に決まり〜』と心定めをし、神様はこれを最終的に了承されています。「世界なみ」とは、もちろん「教会」の事でしょう。
いまや、「道八分、教会二分」から、ひどい教会になると「教会八分、道二分」になっている処もあるのかも知れません。それは、ルール違反と言えるでしょう。
教祖は、陽気ぐらしのふしんにあたり、「足場になるなよ」という事を言われています。足場は、普請が終われば取り払われてしまいます。どうせなるなら「用木・用石」でしょう。
「教会八分、道二分」で働いている教会は、普請が終われば取り払われてしまう「足場」なのかも知れません。
しかし、そういう教会に生まれたから「徳のない者」かどうか?それは、ご本人の捉え方次第なのではないでしょうか?私は、少しでも早く教祖の教えに触れる環境に生まれさせて頂いた事に感謝していますが…。(こういうふうに思えるようになるのに、35年もかかりましたけどね、汗)
yoshio2028さんは、そうではないのですか?
- [7]yoshio2028 06/08/01 21:34 ybgP3XOsOR
- >>6
私は、1信者です。
ただ教人登録はしています。
10年ぐらい前は、教会の御用も自分なり、時間の空いてるときは
積極的に参加していました。
しかし、原因不明の身上をいただき、会社も辞め
仕事も出来なくなったのです。(いまは働けるようになりました。)
それまで教会には、ずいぶん尽くした気がします。
ほとんどの自動車は我が家からのお供え
教会の看板も手作りでお供え
その他もろもろ、お供えしたことに後悔はありません。
でも、お供えしたものを大切に扱わない、
当たり前のように思う、こちらがお供えした理由は
神様の御用に使っていただきたいから、ただそれだけ、
教会の人々に差し上げたのではないのです。
教祖の教えは誰にでも理解できるものです。
むづかしく考えてるのは人間です。
そんなことも理解できない人たちが徳のある人には
到底思えません。
- [8]日本の男 06/08/01 23:46 CRMNq5hChH
- いきなりきて、何ですが、
実は私は天理教を信仰するものです、
証券取引をすることは、ギャンブルだから、
天理教的にいうと、あまり好ましくないと、
いわれそうで、なんだか気が引けるというか、
昔友達にも紙切れの商売なんて、と、馬鹿にしていましたが、
今、現金を貯金しているだけではいけないのではないかと、
思い始めています。
生活をするためには稼がなければ、生きていけないし、なんらか運用することで、まかないたいという気持ちが、おき始めています、
どうでしょう?
陽気暮らしの道に反する行いなのでしょうか?
どなたか、ご返事ください。
- [9]カルト廃絶 06/08/02 03:00 *PaWHSqYpY1u*QzFNfdUzIp
- 池田大作は反日日本人。日本を乗っ取り独裁者になろうと考えている!
創価学会員は日本社会の破壊者であり、北朝鮮の使いっ走り、手先になっている
こころある日本人の方はあちこちの掲示板に転載したり、知人に
メールして他の方にしらせてください
貴方の宗教の教祖、池田大作の本名は、本来 ならば、成太作(ソン・テチャク)です。両親とも戦前から日本にいた朝鮮人です。全羅南道人のようです。(一説には、池田大作本人も日本生まれではない、一世であるといわれています。)知っていましたか?(父親の名、成田作の田と母親の姓、池をつなげると、池田になります。 戦後のどさくさ紛れに、日本国籍を不正に手に入れたとする説もあります。)
池田大作の「韓日」関係に対する認識は、凡そ一般的な日本人とはかけ離れた、「反日」的で「韓国人そのもの」の感情論のようです。出自から考えれば当然のことですが。(もっとも、この文章も、ほかの池田氏の著作同様に、学会の在日幹部の代筆でしょうが。そもそも、本人はまともに日本語が書けるかどうかも怪しい。)
●私(池田名誉会長)は、父から『日本のやり方はひどい。日本はもっともっと韓国を大切にしなければいけない。』と聞かされて育ちました。 ( 1998年11月04日 聖教新聞 韓日友好を誓い「創価同窓の集い」) (注:真に日本の宗教団体ならば、韓日友好とは決して言わないでしょう。教団中枢を日本人以外が掌握している証拠です。)
創価学会の副会長などの幹部の三分の二は、在日であるそうです。もっとも通名を使っていますから、識別不能ですが。創価学会とは、一握りの在日幹部が大多数の日本人奴隷を支配する、在日のための利益追求団体です。奴隷信者は洗脳されているので、支配・搾取されているのを自覚していませんが。
創価学会は、北朝鮮勢力の会合にも幹部を出席させています。北朝鮮宗教だからです。
小泉・金正日会談実現のための裏金、500億円を創価学会が肩代わりしたそうです。北朝鮮宗教だからです。
金正日政権は、創価学会に資金援助を求めてきています。創価学会が北朝鮮宗教だからです。この記事は、新潮社が報じました。新潮社は、創価学会以外の世間一般では、大変高い評価のされている立派なメディアです。
ちょっと気のきいたジャーナリストならば、オウムの黒幕が創価学会であったことを知っています。報道は出来ませんが。そのオウム真理教は、北朝鮮と直結した謀略組織でした。創価は、オウムを利用して、北朝鮮の軍事行動を支援しようとしていたのです。
●オウム事件のあらゆる場面に顔を出す創価と統一。オウムの実体は、創価+統一である。
●オウム事件の背後に誰がいたのか?創価学会?
創価学会には、日本の有力なヤクザ組織の親分さんたちが、軒並み名を連ねています。とくに半島系の大親分の多くが学会員だったのです。ヤクザの収入の六割は、覚醒剤です。覚醒剤の最大の生産国は、北朝鮮です。半島系のヤクザの親分が創価に出入りするのは、創価の宗教非課税特権が、麻薬商売のマネーロンダリングに最適の環境を提供するからでしょう。創価学会は麻薬宗教でもあります。
- [10]ピンポンダッシュ 06/08/02 21:15 VL5OCWCiDi
- 「カルト廃絶」くん
君のやっていることは、カルト廃絶の行為でも改革革命でもない。
個人的嫉妬とねたみか・・・。でなければ、選挙近くになるとでる
サイトの亡霊か・・・。
日本人の教育と良識基準は格段に上昇している。
関係のない内容で不当な行為は、非学会員でもそうとうイメージ悪いですな。
言葉でさえ、人の心を動かすのは至難の業。ゲリラ的行為は・・・。
あんたの振る舞いに人は動くが・・・その振る舞い方やね
教育水準の高い日本では、選挙に出るか新聞社を創るか、出版社を創るか。
もっと、効果のあるたたかいかたもあろう。
- [11]リラックマ 06/08/02 22:00 D-snzhw
- >>7 (あくまで私見です)神様は、完全な平等主義者だと思います。「徳」とは、これまでその人間が、生まれ変わり出変わりする間に積み重ねてきた「善行」という貯金に対する報酬みたいなものだと思うんです。
Aさんが40の貯金があり、Bさんが100の貯金があれば、たとえ今生における行いがAさんが20貯金分の善行を行い、Bさんがマイナス30のほこりの行いであったとしても、Aさんは60の貯金、Bさんは70の貯金となり、今生において現われる姿は、それ相応なんじゃないかと思います。
だから、その教会の方々は貯金を浪費しているのでしょう。yoshio2028さんは、貯金を増やしていっているのですから、その教会の方々に上手に教えて差し上げたらいかがでしょうか?
そういう意味でいうと、教祖のひながたを辿る事は、ボーナスを頂く道とも言えるでしょう。ちょっと無理矢理かも知れませんが…。
- [12]日本の男 06/08/02 22:51 kU3X3pslNk
- 日々年限 みな帳面につけてあるも同じこと、
余ればかやす
足らねばもらう
損得勘定ちゃんとつく
そんなのありました?
- [13]リラックマ 06/08/03 19:07 D-snzhw
- >>12 日本の男さん はじめまして
今日、間違えて「天理教を語る2」の方にアクセスしたら、まだ投稿が続いていたのでびっくりしました。それで、日本の男さんのご質問に、T.N.Doctrineさんが、今日辺りお答えになられるようですよ。
そちらを御覧になられたらいかがでしょうか。私は、株の事はよく解りませんので…。教祖のお言葉に「商売人なら、高う買うて、安う売るのやで」というのがありますが、その原則を守れば構わないという気はしますけど?(いいかげんで、すみません)
- [14]日本の男 06/08/04 00:27 tTp/TuJYIk
- 私自身も証券取引は初心者みたいなものですが、、、
今日、newsみてたら、MRI(社会的責任投資)という考えがあって、
株取引をするにあたり、社会的責任を、クリアしている企業に投資することを、前提に投資するという考え方、理念のある、投資家が増えているそうです。
たとえば、社会福祉を充実している。とか、地球環境に貢献しているとか、社会が幸せになるための技術を開発しているとか、約100項目基準によって、判断して、投資する。
これって、すごく世界の人を幸せに導く投資、陽気暮らしの投資にならないでしょうか?
- [15]どん 06/08/04 01:00 kTHL87G3Qw
- >>14 日本の男さん、はじめまして。
私も詳しくは知らないのですが、たしか株には二種類あって、
業績の良い会社の株を持つことで、その会社から配当を受け取る
という儲け方、これをインカムゲインと言ったと思います。
もうひとつは、伸びそうな会社の株を買って、株価が上がった時に
その株を売るという儲け方、これをキャピタルゲインと言ったと思います。
日本の男さんがイメージしてらっしゃるのはインカムゲインでは
ないでしょうか。それなら問題ないと思います。私は、ですよ。
また、キャピタルゲインについても、T.N.Doctrineさんも仰って
いたように、それも「有り」だと思います。
ちなみに博打についてですが、教祖が扇の伺いをやめてしまわれた
のが、たしか博打への悪用が原因だったと記憶しています。
また、母屋を売却したお金で相場や商いやと手を出して、結局
全部なくなってしまったという話もあったと思います。
どっちの話もネットで読んだことがあるという程度の信憑性ですが。
- [16]日本の男 06/08/04 01:29 Fx35QyHIo2
- なるほど、、、たしかに深入りはしないほうがいいのかもしれませんね。。
以前日本橋系の本の中にギャンブルは「しのぎだけやで、」とのお言葉あったように記憶しておりますが、あまり、そればかりになると問題があるのかもしれませんね(汗)
家業と、お道に、参考程度にとどめておこうと思います。
- [17]どん 06/08/04 02:11 kTHL87G3us
- >>7 yoshio2028さん、はじめまして。
ちょっと論点がずれるかもしれませんが、私の意見を
投稿させてもらいますね。
私は、徳の有る無しはどっちでもいいことだと思っています。
例えば、どちらもサマージャンボ宝くじが当たったとして、
徳のない人は3億円、徳のある人は3億10円当たったという、
そんな程度の差のように思います。
人間に生まれてきたことが、もう、十分にラッキーで、
徳がありまくりなんだと、そう思います。
しかし徳の有る無し以前に、その教会の人はちょっと残念ですね。
私は、全くの私論ですが、お供えにも二種類あると思っています。
出すお供えと、受け取るお供えです。
出すお供えは、どこまで勇んで出せるか、喜んで出せるか、
不足の心なく出せるか、が、問題だと思います。
そして受け取るお供えは、どれだけ感謝して受け取れるか、
低い心で、しかし卑下せず、ありがたく受け取れるか、です。
つまりお互いが抱えているテーマというか課題が違う。
だから、出す人より受け取る人のほうが徳がある、ではなくて、
出す人においては、出せるという徳があることを喜ぶと同時に
やはり相手には受け取るだけの徳があると尊敬する。
また受け取る人においては、頂けるという徳があることを喜ぶと
同時に、与えて下さる相手に神性をみて己は低く、あくまでも
出した相手を尊敬する、がよいと思うのです。
どうでしょう。
- [18]どん 06/08/04 02:19 kTHL87G3us
- >>16 日本の男さん、ありがとうございます。
そうそう、そんな感じのお言葉でした。
何とか日々の生活をしのげているならば、
よしとせねばならないのかもしれませんね。
日本の男さんを通じて、私こそが言われているような
気がしました。ありがたいことです。
- [19]リラックマ 06/08/04 12:15 D-snzhw
- yoshio2028さん 私も>>17どんさんがおっしゃられたように、「徳」には余りこだわられない方がいいと思います。
それまでの通り方によって、各自因縁納消の道を通らねばならぬので、そこに「なんで私がこうなのに、あの人はこうなんだ」という事は起こるでしょうが、神様から見れば「反対するのも可愛い我が子」で、みな一列平等であり、差別はないと思います。
「徳」というものを基準にものを捉えると、そこに差別意識が芽生える危険性があると思います。
一番わかりやすいのが「真柱」さんでしょう。「真柱さんは、我々と違って高徳の人だから、人間としてのレベルが違うんだ。だから、おっしゃる事に千に一つも間違いはない!」果たしてそうでしょうか?
真柱さんは、神様から見て一列平等の中に入らず、一つ上のランクの人間なのでしょうか?徳が違うのでしょうか?私は、真柱さんも神様から見れば、一列平等の中の一人の人間だと思います。真柱さんも一人の人間ですから、間違った事も言えば、行いもするでしょう。
違うのは、神様の陽気ぐらし世界建設という普請において、「真柱」という元締めの立場にある御方であるという事だけです。その者をその立場におけば、最もすばらしい働きをする。適材適所に配置すると、中山善司さんの魂がふさわしいと思われたから、きっと神様は中山家に生まれさせたのではないでしょうか?
ただし、すばらしい働きをして貰うには、みなが「真実の肉を巻く」事が条件だと思います。条件さえ満たせば「将来どんな者になるやらわからん」のでしょう。反対から言えば、「真実の肉を巻」かなければ、それなりの働きである、と言えるのではないでしょうか?
- [20]リラックマ 06/08/04 12:42 D-snzhw
- 長々とすみませんが、続きです。
家の普請にも、いろいろな立場の人間がいて、初めて家が建つのでしょう。陽気ぐらしのふしんも同じ事。適材適所に、いろいろな立場のよふぼくがいて、みなが懸命に働いて、初めて陽気世界という家が建つのだと思います。
その中で、中山善司さんが「真柱」の立場にあるだけであり、他のよふぼくより尊いのではないと思います。立場・持ち場が違うだけでしょう。T.N.Doctrineさんが「あらきとうりょう」にふさわしいように、中山善司さんが「真柱」にふさわしいだけでしょう。
だから、高徳の御方だから、水戸黄門に「へへーっ」と平伏するようにするのではなく、ドンドン違うと思う処は尋ねるべきでしょう。皆の意見をすべて聴いて、最終的な舵取り・決断を下すのが「真柱」さんでしょう。顔色を伺いながら意見を言うのは、「真実の肉を巻く」事にはならないでしょう。
私は、あくまで個人的にですが、そう思っています。「徳」の概念は、そうした差別意識を生む危険性があると思います。神の目から見れば、一列平等です。
- [21]テロ 06/08/04 16:56 LKDd34lWSV
- 創価学会は北朝鮮宗教である。
1.池田大作名誉会長は、在日二世である。創価学会の幹部の大半は、在日か帰化人である。
2.創価学会は、フランスで核開発拠点の近くの不動産を買い取り、核技術を盗もうとした。
北朝鮮に技術を横流しする目的であったろう。
3.創価学会は、親北派の金大中の選挙を支援し、大統領に就任させた。見返りに金大中は
北朝鮮を秘密支援し、体制延命を図った。
4.創価学会は、北朝鮮からの資金援助の要請を受けた。当然、応諾したであろう。
5.オウム真理教は創価学会の傀儡だった。創価はオウムを使って日本半島同時騒乱を計画
していたが中断した。再始動する恐れがある。
- [22]どん 06/08/05 01:01 wM.WlKCpvf
- >>20 リラックマさん、はじめまして。
>「徳」の概念は、そうした差別意識を生む危険性
私もそう思います。徳というものが、人としての得分(分け前)
のように捉えられて、差別の道具になるならば悲しいことです。
そもそも徳って何なんでしょうね。
豊かな生活を送っている人が徳があるなら、また
社会的地位、あるいは信仰上の地位のある人が徳があるというなら、
徳というのは要は金銭と同類ということになりはしないでしょうか。
いずれも物質世界への支配力を象徴しているように思います。
- [23]通りすがり 06/08/05 08:36 V-JVq5L
- ここのスレは本当に勉強になります。
皆さん言われている通り、いわゆる物質的な徳、つまり物質的な恵みの差なんて、
今、神様からの大きな愛情や尽力により生かされている奇跡に比べたら、
とても小さなものなんでしょうね。
今、ただ『生』を与えられているだけで、
中でも、特に神様の存在や教えを知ることができた人は、
宝クジで一等が当たったより大きな恵みを手にしたようなものだと思います。
何しろ『永遠の命』と『永遠の生きる指針』の確信を得たに等しいのでしょうから。
- [24]リラックマ 06/08/05 11:11 D-snzhw
- >>22 どんさん はじめまして
「徳」とは何か?私も、こんなものだろうというぐらいしか把握出来ていないので、手元の資料をめくってみました。明和大教会二代会長村田卯平氏の遺稿より、ご紹介させて頂きます。
『〜御話の理心に分る様になりますのは、毎日一度づゝ見ても三年や五年十年で分る様になりなさる人は、余程徳のある人で有ますから、其御心で見て下さいませ。』
※「村田卯平翁を偲ぶ」村田保太郎、昭和35年10月1日より抜粋
これによると、「徳」とは「理に明るい者」「一を聞いて十を知る者」、つまり「悟る(神様と人間との差を取る)」スピードが早い。「素直・正直」である、という事かな?と思いました。
本席様や、元の理における道具衆の神々に思いをはせますと、そうかな?という気がするのですが、いかがでしょうか?
- [25]リラックマ 06/08/05 11:45 D-snzhw
- 日本の男さん、>>22どんさんのご質問に答えさせて頂こうと思って資料をめくっていたら、「ばくち」に関する教祖様のお言葉を発見しました。平野楢蔵さんに対するお言葉です。
※たすけのだい下巻132ページ、柳井徳次郎(天理書房)より抜粋
『目に就きまして、人間は、ばくち打ちで行きますと、取られた時は「目がつぶれた」と云い、又、こっちが丁とはって丁が出、半とはって半が出た時は、目が出たと云うのです。取られたと悟ってはいかぬが、人と合わぬのは目がつぶれたのです。人と合ったら、目が出て居るのです。郡山の親会長さんに教祖様が、
「楢蔵さん、ばくち打ちって知って居ますか、丁とはって丁、半とはって半が出れば貰えるな、これから世の中の人の心に合わして見よ、世の中は皆我がものとなる」
と仰せられた。お釈迦様は、人を見て法を説いたが、教祖様も、人を見て説かれたのであります。
以上です。株とは余り関係ないかもしれませんが、何かの参考になればと思いまして…。
- [26]よしこ 06/08/05 19:50 KN3Qdj1CJl
- 飛んできました。よろしくね。
- [27]日本の男 06/08/05 23:16 c2BszdUR3c
- ほほー、そんなお言葉は始めて聞きました。
でも、さすがは、教祖ですね。ひとの心にあわせれば、わがものになる。とは、
私も、同感です。」
働くということ、「働くとは、はたはたのもとを、らくにするから、働くというのやで、」とのお言葉がありますが、その前後に、
「我がことと、おもってすれば、我がことになる。人のことと思うて、すれば、他人のことにばる」
「しかし、我が家のことでも他人事にきいているならば、それは、他人のことに、なってしまうで、」
というような、お言葉があったと思います。
教会・会社に勤めるときの指針にするべきお言葉と、感じいっています。ともすると、何事も他人事のように聞いていることが多いと思います。
お道のお話、御用、会社の指示、計画、我がことと思ってするところに、その組織において、重要なポストや、得をいただける、要因になると思います。
「人のこと、人のことと思うて、我が身のことになってからどうならん、これ聞き分け、我が身捨ててもの心に髪が働く。」という言葉もあったと思います。(資料を見てるわけではないので、あしからず。)
自分のことよりも、まず、人のこと、これが大事かと思います
- [28]どん 06/08/07 11:40 kTHL87G3b7
- >>24 リラックマさん、ありがとうございます。
私は、徳というのは、一種のストレス耐性というか、精神力、
内面の力のようなものだと思っています。
不遇な環境、不当な扱いの中にあっても、
腐らず、前向きに明るく頑張っている人を見るとき、
「ああ、この人はすごい」と、「すごい人徳だ」と思います。
自分も大変な状況なのに、不自由な中なのに、
周りの人へのいたわりとか配慮、笑顔を忘れない人を見るとき、
「この人の愛情はどこから湧いてくるんだろう」と、
「なんて徳なんだ」と思います。
私の言葉の定義というか感覚が教内の常識とずれているのかも
しれませんが、以上のような、不遇な中を喜びで通す力、また
不自由な中にも関わらず愛情を与え続ける力、が徳なんだと
私は思っています。
その、徳というものを、究極に、とことん、体現なさった方が、
おやさまだったのではないかなと思います。
人によって言葉に込める想いというかニュアンスが違うというのは
面白いものですね。
- [29]どん 06/08/07 11:45 kTHL87G3b7
- ですから、>>17で
>徳の有る無しはどっちでもいいこと
と言ったのは、徳=生活水準、地位、金銭ならば、
それはどっちでもいいことだと思います、という意味です。
- [30]リラックマ 06/08/07 13:35 D-snzhw
- >>26 よしこさん、よろしくお願いします!
>>27 日本の男さん、少しはお役に立ったようで、よかったです。
>>28-29 どんさん、ありがとうございました。「愛情」ですね、確かに!
そう言い換えるのが、一番すっきり心に納まるような気がします。勉強になりました。
さて、今年のこどもおぢばがえりも無事にフィナーレを迎えたようですね?(おぢばにいないので、わかりませんが)。一時は、梅雨明けせず、どうなるかと思っていましたが、ありがたいことですね。
ニュースで、日本の気候がだん/\熱帯雨林気候?に変わってきているという話を聞いた事があります。たまに来る、スコールのような集中豪雨を見ると、確かにそんな気がします。
日本の四季がくずれ、だん/\赤道直下の気候に近づいているという現実…、いろいろと考えさせられます。世界中で、キレイに四季がわかれているのは、エルサレムと日本だけだという話も聞いた事があります。(又聞きなので、違うかもしれませんが)
エルサレムの四季は、今どうなのかわかりませんが、神様の想いを感じます。
- [31]T.N.Doctrine 06/08/08 22:03 76r9OhZKsi
- どんさん、お久しぶり。仕事の環境が変わって色々と大変だったろうと思います。いくらか落ち着かれたでしょうか?
>>28-29 さすがにあなたの感性には恐れ入ります。同じ言葉でも人によって捉え方、意味の与え方が違うのでしょう。普段着を垢抜けした風情に着こなしたり、ありふれた素材をフレッシュ感ある料理に仕立て上げたりされるセンスと似たようなものを感じます。
仰られるようにもしもお道の方々が、物質的に恵まれたり、社会的地位を与えられたりするのを「徳」があると考えているとすれば、余りいい感性とは言えないのかも知れませんね。むしろ一般には「有徳の人」と言われる時、経済的な基盤などは余り重要視されず、善行の人で、かつ人々が慕い寄ってくる「人徳ある人」と同義に使われることが多いようです。その意味では、世間の人の感性の方が健全かも知れません。
他の人より幸運にも恵まれ、あくせずせずとも経済的に何不自由なく暮らせるに至った人を評して徳があると言ったところで、あくまでも他者と比較してであって、その程度の豊かさなら、次の時代にはもっともっと多くの人が享受しているかも知れないのですから、物質的豊かさは相対的なものと言えるでしょう。江戸時代の大名の食べた料理は、今のグルメ番組で出てくる料理より、多分劣っていたのではないかと思います。だからそういう捉え方をすると、徳というものが相対的なものに成り下がってしまうのではないかと思ってしまうのです。
またあの人は徳があると言う時、尊敬の念の他に、なにがしかの羨望の気持ちが紛れ込んでいるような場合があるかも知れません。
私は徳と言うものは、価値というより、価値を呼び込む力のようなものではないかと思いますが、その価値なるものが人によってそれぞれ違いがあるようなので難しいところです。孔子のような聖人と言われる人でも、人格の形成とか教養とかに価値を見出さない人にとっては、ただのジジイに思えるかも知れません。
となると有徳の人は勿論素晴らしい訳ですが、それを称える側の人々も実際は試されていると言えるかも知れませんね。
ちょっとまとまりのない話になりましたが、最後にひとつ。
いくら教養があり、人格者であっても、いつも苦しそうな顔をしていたり、悲しそうな表情をしている人は、決して徳のある人とは言われないですよね。自戒。
- [32]ミッチ 06/08/10 02:15 sYQax2wQRi
- お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。
お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。
- [33]どん 06/08/10 11:50 9Oi9xHK0d7
- T.N.Doctrineさん、お久しぶりです。
ちょっと落ち着きました。
今日は遅番なので今から出勤です。
>>31
ホントそうですよね。
アイスクリームも冷たいビールも、エアコンも
車も電車もコンビニも、もっと言えば、
電気も上下水道もガスも電話も、当たり前のように思えますが、
実は昔ならお殿様でも味わえない贅沢と利便性ですね。
物質的豊かさは相対的なものとは、ホントそうだと思います。
- [34]くろ 06/08/11 15:23 qxxYfLTJs7
- どんさんお久しぶりです!!覚えてもらえているか不安ですが・・・。
(一年ほど前に会長が大型の免許を取る事について相談した者ですが。)
ずーっとロムばかりで書き込みはしていなかったんですが、懐かしくなって。
お陰さまで会長は何度かマイクロバスの運転をさせて頂いておぢばががえりをさせて頂き、皆様にとても喜んでもらっています。
結局、信者さんにお借りして免許を取らせていただいたのですが、その方も「みなさんに喜んでもらえてこういう使い方が一番いいお金の使い方なのよ。」と大変喜んでくれて私もあの時取って良かったな〜と思っています。
徳についてですが、私も生活が豊かだから徳があるとか、教会長だから徳がある。とは思いません。
私の友人は何事もいつの間にか教えに結び付けて考えられる人がいます。
私には到底悟る事ができないのですが、その友人は自分の事でも私が悩んで相談した事でもいつの間にか「〜こういう事なのかな〜?親神様がこんな風に思われているんかな?」になります。いつも凄いな〜!!徳があるな〜!!って思います。何だか親神様に可愛がられているように思うんです。
どんさんには皆かわいがられてる!!って突っ込まれそうですが、私はその友人と話をしていると自然にそう思っているんです。
また、ちょくちょく書き込ませていただきます。
- [35]諸葛 06/08/11 16:10 *Ljy0MhJn.vI*wilnnlwNXm
- 最近はやりの「摂理」などという宗教集団はその手のスジの傀儡宗教
である。どうせ統一、創価が胴元であろう。オウムに続き、またしても
同様の手口を使っている。そして新宗教を含めた日本宗教の破壊を意図しているはずだ。
俺が朝鮮半島系の胴元結社幹部だったら確実に傀儡宗教団体を作り上げて、日本の伝統、文化を破壊する工作にでる。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
京都府八幡市の【聖神中央教会】金保牧師が逮捕されたがコイツも統一教会系の下半身野郎である。
SEXを売りにするカルト教団があれば統一教会系の可能性がありますので注意深く監視してください(笑)
- [36]諸葛 06/08/11 16:45 *Ljy0MhJn.vI*wilnnlwNXm
- [0]Japanese Embassy 06/01/25 08:30 jq0ifItiq2
もう我慢する必要はありません、日本人の皆さん。
朝鮮人(特に在日の)犯罪をここに列挙していきましょう。
コピペでも可です。
[441]Japanese Embassy 06/07/07 00:49 xWui7.gKFG
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/dainanajuurokudai
●麻原彰晃 →オウム真理教教祖 父親が朝鮮籍。サリンを撒き無差別殺人。坂本弁護士一家惨殺
●宅間守 →大阪 池田小学校の児童殺傷。8人殺害 15人が重軽傷。朝鮮人部落出身
●東慎一郎 →酒鬼薔薇聖斗。神戸の首切り小僧。生首を校門に飾る。2人殺害。元在日朝鮮人
●林真須美 →和歌山 毒入りカレー事件。4人毒殺 63人が負傷。帰化人
●織原城二(金聖鐘) →神奈川 帰化人、英国人 豪州人女性を強姦、ビデオ撮影、バラバラ殺人
●関根元 →埼玉の愛犬家連続殺人犯。4人を殺害。肉片を削ぎとりドラム缶で焼却、川へ流す
●丘崎誠人 →奈良 岩を数回、少女の頭部に投げつけて絶命させた 在日朝鮮人
●キム・ミンス →韓国人留学生 強盗殺人犯。大分 日本人老夫婦を刃物で殺傷
●李東逸 →韓国人 檀国大学教授。芝居観覧のため来日中、東京で日本人女優Nを強姦
●金允植 →韓国人 強姦罪で指名手配中に逃亡目的で来日。大阪で主婦を100人以上連続強姦
●金大根 →韓国人の強姦魔 連続児童虐待暴行殺人。6名の女児死亡
●李昇一 →韓国人 東京 テレビ「ガキの使い」関係者を名乗り少女140人をレイプ
●沈週一 →韓国人 鳥取 大阪 和歌山 ベランダから女性の部屋へ侵入し9人を強姦
●張今朝 →韓国人 長野 「一緒に猫を探して」と小学校4年の女児をレイプ
●ぺ・ソンテ →韓国人 横浜 刃物で脅し、女子小学生14人をレイプ
●宋治悦 →韓国人 東京 ナイフで脅し手足を縛り下着で目隠しの上、主婦19人を強姦
●崔智栄 →北朝鮮籍の朝鮮大学校生 新潟 木刀で傷を負わせ、18歳少女2人を車の中で強姦
●金乗實 →北朝鮮籍の朝鮮大学校生 同上、共犯者。他にもう一人19歳の共犯者(朝鮮籍)あり
●鄭明析 →韓国人 カルト「摂理」教祖。日本人1000人、台湾人100人、米英仏人などを強姦
●徐裕行 →韓国籍 オウム真理教幹部・村井秀夫刺殺事件の刺殺犯。裏で北朝鮮が関与か
●国松孝次警察庁長官狙撃事件。現場近くから北朝鮮製のバッジ、韓国のウォン硬貨などを発見
●世田谷一家惨殺事件。採取された指紋が韓国人の男と一致。韓国警察からは協力を得られず
●東京資産家強盗殺人事件。奪われた腕時計が韓国で販売。韓国人グループの犯行とみて捜査中
- [37]諸葛 06/08/11 16:50 *Ljy0MhJn.vI*wilnnlwNXm
- [491]トモ 06/07/24 20:41 Uk5sDyGnYU
在日韓国・朝鮮人はかなり得をしている。
・ 生活保護優遇
(一世帯あたり年600万円が無償で支給。在日朝鮮人64万人中46万人が無職。
なお仕事を持っていても給付対象から外されることはない)
・国民年金全額免除(“掛け金無し”で年金『受給』が可能)
・保険診療内の医療費は全額タダ(通院費も全額支給)
・都営交通無料乗車券給与。
・仮名口座可(脱税の温床)
・上下水道基本料金免除。
・JRの定期券割引。
・NHK全額免除。
・ 特別永住資格(外国籍のまま子々孫々とも日本に永住できる)
・ 公文書への通名使用可(在日隠蔽権獲得)
・公務員就職の一般職制限撤廃。
・ 永住資格所有者の優先帰化。
・ 公営住宅への優先入居権。
・外国籍のまま公務員就職。
・犯罪防止指紋捺印廃止。
・ 朝鮮学校、韓国学校の保護者へ年間数十万円の補助金援助(所得に関係なく全額補助)
・ 大学センター試験へ韓国語の導入(朝鮮語受験者への異常な優遇)
・ 民族学校卒業者の無審査公私高校受験資格付与。
・ 競争率の低い帰国子女枠で有利に進学可能。
・朝鮮大学校卒業者の司法試験1次試験免除。
・民族学校卒業者の大検免除。
※日本の血税による
- [38]諸葛 06/08/11 16:51 *Ljy0MhJn.vI*wilnnlwNXm
- >多くの在日は真っ当に暮らしている。
真っ当にねぇ〜〜〜
64万人中46万人が無職で在日特権で日本人の税金で暮らしていますが‥‥‥
↓
【血税が無駄に使われています!!!あなたは在日コリアンのことを知っていますか?】
在日韓国人達が日本に要求してきたこと
○1.公文書への通名使用可(公文書にも偽名を使える)
○2.永住資格(非権利)
○3.犯罪防止指紋捺印廃止
○4.所得税・相続税・資産税等税制優遇
○5.生活保護優遇
○6.永住資格所有者の優先帰化
○7.民族学校卒業者の大検免除
○8.外国籍のまま公務員就職
○9.公務員就職の一般職制限撤廃
○10.大学センター試験へ韓国語の導入
○11. 朝鮮大学校卒業者の司法試験1次試験免除
△12. 民族学校卒業者の無審査公私高校受験資格
×13.在日外国人地方参政権
×14. 公務員就職の管理職制限撤廃
△15. 掛け金無しで年金受給可能
○:実現済み、△:実現中、×:要求中。
http://karutosouka1.hp.infoseek.co.jp/ZAINICHIKOREAN/zai.htm
怒れ!!!日本人!!!
今日、一生懸命働いたそのお金の税金の一部が、貴方の納めた貴重な税金の一部が
【在日朝鮮人の為に使われているのです!!!】
在日の特権を全て廃止させましょう!!!
在日という無駄飯食らいを日本列島から追い出しましょう!!!
日本政府からの毎月17万円+住居費用が少ないと悩む在日コリアン(朝日新聞の過去ログ)
http://karutosouka1.hp.infoseek.co.jp/DATUHOKU-ASAHI/DATUHIOKUSITA.htm
国のために働いてきた日本の老人たちの年金支給額平均はわずか「月7万円」です。
仕事をしなくても、毎月17万のお金+住居費その他の数多くの特権をもつ
在日コリアンは日本最高の特権階級なのです。
在日韓国人は一世帯あたり年600万円が無償で支給
【在日韓国人64万人中46万人が無職!!!】
【支給額は日本国民の血税で支払われている!!!】
税制改革は無駄飯食らいの無職、在日を減らすことからだ!!!
みなさんの意見を書いてください。ネットから【在日税制改革を始めましょう。】
- [39]諸葛 06/08/11 16:55 *Ljy0MhJn.vI*wilnnlwNXm
- >多くの在日は真っ当に暮らしている。
真っ当にねぇ〜〜〜
64万人中46万人が無職で在日特権で日本人の税金で暮らしていますが‥‥‥
↓
【血税が無駄に使われています!!!あなたは在日コリアンのことを知っていますか?】
在日韓国人達が日本に要求してきたこと
○1.公文書への通名使用可(公文書にも偽名を使える)
○2.永住資格(非権利)
○3.犯罪防止指紋捺印廃止
○4.所得税・相続税・資産税等税制優遇
○5.生活保護優遇
○6.永住資格所有者の優先帰化
○7.民族学校卒業者の大検免除
○8.外国籍のまま公務員就職
○9.公務員就職の一般職制限撤廃
○10.大学センター試験へ韓国語の導入
○11. 朝鮮大学校卒業者の司法試験1次試験免除
△12. 民族学校卒業者の無審査公私高校受験資格
×13.在日外国人地方参政権
×14. 公務員就職の管理職制限撤廃
△15. 掛け金無しで年金受給可能
○:実現済み、△:実現中、×:要求中。
http://karutosouka1.hp.infoseek.co.jp/ZAINICHIKOREAN/zai.htm
怒れ!!!日本人!!!
今日、一生懸命働いたそのお金の税金の一部が、貴方の納めた貴重な税金の一部が
【在日朝鮮人の為に使われているのです!!!】
在日の特権を全て廃止させましょう!!!
在日という無駄飯食らいを日本列島から追い出しましょう!!!
日本政府からの毎月17万円+住居費用が少ないと悩む在日コリアン(朝日新聞の過去ログ)
http://karutosouka1.hp.infoseek.co.jp/DATUHOKU-ASAHI/DATUHIOKUSITA.htm
国のために働いてきた日本の老人たちの年金支給額平均はわずか「月7万円」です。
仕事をしなくても、毎月17万のお金+住居費その他の数多くの特権をもつ
在日コリアンは日本最高の特権階級なのです。
在日韓国人は一世帯あたり年600万円が無償で支給
【在日韓国人64万人中46万人が無職!!!】
【支給額は日本国民の血税で支払われている!!!】
税制改革は無駄飯食らいの無職、在日を減らすことからだ!!!
みなさんの意見を書いてください。ネットから【在日税制改革を始めましょう。】
- [40]諸葛 06/08/11 17:00 *4moygZUYpP4*wilnnlwNXm
- 摂理⇔統一教会⇔層化⇔オーム
- [41]諸葛 06/08/11 17:04 *Ljy0MhJn.vI*wilnnlwNXm
- [22]えいゆう 06/05/09 00:38 E-1uPrx
創価学会の尻尾=霊魂否定、あるいは唯物主義の正当化
すなわち、先祖参り、奉りの否定。
すなわち、社会における宗教軽視風潮の扇動役。
つまりは努力なく人を小馬鹿にしたい人間を多数排出したこと。
批判の形骸化も同様。
批判でも指摘でもない裏読み&罵声をこともあろうに討論の場で行った卑怯者の集団。→小樽談義参照
- [42]だだ 06/08/11 17:06 *Djxzin6Z/OI*wilnnlwNXm
- [27]黄海 06/05/10 18:43 II1v1XkuNu
あのさ、おれも君たちの大嫌いな在日だが。在日3世。
別に嫌われようが何されようがこっちはどうでもいいよw
日本という国における「楽して稼げる職業」は在日・帰化人が握ってるし(笑)
金あるから在日でも日本人女とやりまくり。さらにはレイプしても全然バレないw
あと数年で日本の参政権も取得できるし(爆)
俺達はもうお前達みたいに毎日毎日職業とか将来とか金の心配なんかしなくていいんだよw
バックに総連や創価学会がついてるし、働かなくても行政から月20万の金入ってくるしねw
今俺達が考えてるのはもっと大きいこと。
いかにしてこの日本という国をボコボコにいじめ抜いてやるか、ってこと。
つまり、日本の中に、俺たち朝鮮人、韓国人の血を増やして在日を増やす。
んで日本人を少数派にしてその日本人をいじめたおす。んでこの国を乗っ取る。
今はもうその最終段階に入ってるわけ。
平和ボケした危機感ゼロのお間抜け日本人は気づいてないがw
例えば韓国ブーム。あれは在日が作ったって知ってる?
あれだけ大規模なブームを作れるくらい、もう日本の中で在日の力は最強なんだよ。
自分達を地獄に導いてるとも知らずに毎日毎日テレビで韓国をヨイショしてくれる日本人w
韓国ブームのお陰で在日や韓国人へのマイナスイメージがプラスイメージになった。
そして日本人が韓国人や在日と結婚する数も圧倒的に多くなった。
つまりもうあと30年で日本は完全に在日主体の社会になるよ。
たった100万人に満たない在日に使われる1億人の日本人w
お前ら糞日本人に一生地獄の生活を見せてやるよw
どう?ムカムカする?(爆)
でもせいぜい今みたいに2ちゃんで数十人ぐらいがチョン死ねって言うぐらいだろうね(爆)
- [43]フォルテ 06/08/13 00:43 *uCa932v8X7h*E-3bpzY
- ひのきしん
って何じゃい?
あたいは天理は
今年の甲子園
ベスト8に楽々行けるっす
- [44]どん 06/08/13 07:49 9Oi9xHK0zN
- >>34 くろさん、お久しぶりです!
ご主人の大型免許、そうでしたか。よかったです。
それにしても素敵なご友人ですね。
仰るとおり、神様に愛されていない人はきっといないのでしょうが、
愛されているということを常に意識できるというのは、素敵ですね。
- [45]ミッチ 06/08/14 07:53 lgijaZGfA4
- あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんばあ嗚呼ああああああああああああああああああ赤ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
- [46]ミッチ 06/08/14 11:39 vxBmndcf8J
- あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんばあ嗚呼ああああああああああああああああああ赤ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんばあ嗚呼ああああああああああああああああああ赤ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんばあ嗚呼ああああああああああああああああああ赤ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんばあ嗚呼ああああああああああああああああああ赤ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんばあ嗚呼ああああああああああああああああああ赤ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんばあ嗚呼ああああああああああああああああああ赤ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんばあ嗚呼ああああああああああああああああああ赤ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんばあ嗚呼ああああああああああああああああああ赤ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
- [47]はじめ 06/08/14 23:43 lTZoHm0e/.
- 新スレッド設立おめでとうございます。
久々にROMさせて頂きました。
みなさんの徳についての考え方、大変参考になりました。
「陰徳」という言葉もあったように思います。
話は違いますが・・・
「皆平等でも、差はある。」この事を受け入れられるかどうかが、これ又問題のように思います。
同じように物をあげても、もらう人によっては、「あの人の方が多い」と思ってしまう人もあるかと思います。
どれだけ親神様がご守護を下さっていても、そのご守護を感じる度合いは、それぞれによって差があると思います。
こうした差を冷静に感じられる心が大切なように思います。
突然失礼致しました。
- [48]鶴 06/08/15 21:28 P4lA5X4CPj
- 本日、8月15日に小泉首相が靖国神社に参拝されましたが
このことに関しての天理教の関係者・信者の方々の見解をお聞きしたいんですが・・・
- [49]どん 06/08/17 00:35 9Oi9xHK0sP
- >>43
>ひのきしんって何じゃい?
フォルテさん、こんにちは。公式ホームページから抜粋します。
>親神が一番喜ばれることは、私たちの心と身体を陽気ぐらしの
>ために使うということです。人のため、世の中のために私たちの
>心と身体を惜しみなく日々使わせてもらうことが親神へのお礼に
>なるのです。これを「ひのきしん」といいます。
私はこれを読んで「要はボランティアのことだな」と思ったので
すが、それは違うと指摘されたことが前にあります。というのは、
神への感謝とかお礼という概念がないなら「ひのきしん」には
ならないそうです。
しかし、これまた教内の一般的な使われ方とは異なるのかも
しれませんが、私は、たとえ天理教に関係ない場所で、
神様とか全く関係ない事柄であっても、
人のために、人に喜んでもらおうと、
そんな純粋な素朴な想いから発した行動は、
たとえその人の心の中に「神への感謝・お礼」がなくても、
現実には、神様はその心を見てお喜びになるに違いないと
思っています。
どうでしょう。
神さまが喜んで下さるならば、
そこに「神への感謝・お礼」がなくても、
それは神への寄進、すなわち「ひのきしん」には
なりはしないでしょうか。
- [50]どん 06/08/17 00:44 9Oi9xHK0sP
- >>47 はじめさん、こんにちは。
>冷静に感じられる心が大切
痛感です。怒りや悲しみ、不平不満で心が一杯のとき、
どれだけ冷静に神さまのご守護に思いを馳せることができるか、
その不快な出来事の中に神意が込められていることを
思い出せるかどうかが、勝負ですね。
昨日も職場で危うくブチ切れそうになる出来事がありましたが、
いい勉強になりました。ありがたいことです。
- [51]どん 06/08/17 01:09 9Oi9xHK0sP
- >>48 鶴さん、こんにちは。
あくまで一末端信者の解釈ですが、
教祖がご存命の頃は、法律で集会が禁じられていても
お構いなしに祭典してましたし、天理教は基本的に
政治には無関心なのではないかと理解しています。
つまり総理大臣が靖国神社に参拝するという政治的な
意味については、信者は何も感じていないと思います。
ただ、戦死された自国の先祖を祀ることについては、
いろんな解釈というか宗教的な悟りがあるんじゃないかな
と思います。
たとえば天理教には「神前は拝をして通れ」という教えが
ありますので、靖国神社にも参拝すべきだと考える人も
いるでしょうし、
仏壇の場所を動かすのに際して「先祖は怒りも反対も
しやせん。」と仰いましたので、近隣諸国の感情を優先して
参拝しないというものひとつだと思います。
私個人としては、ご先祖のご苦労というには余りに凄まじい、
また尊い命に、参拝したいと思いますが。それから、
詳しい事情は知りませんが、私なら、韓国や中国の戦没者を
祀ってある施設にも併せて参拝したいと思います。
- [52]よしこ 06/08/17 09:23 HFgvrP6fQA
- 天理教信者が政治に無関心では困ります。
あまりにも、天理教信者は保守的過ぎます。
我身我家の助かりにしか感心が向かない。
社会情勢に感心を持ってこその天理教ではないでしょうか?
- [53]リラックマ 06/08/17 13:05 D-snzhw
- 遅いお盆休みを頂きました。年に二回の民族大移動の中を走りながら、もしかしたら、どこかで皆さんとすれ違ってるかもなぁ、などと考えたりしました。
涼しいうちにお墓参りを済ませましたが、このお墓参りというのは天理教的に「ふるい着物を脱ぎ捨てたまでやで」というお言葉もありますように、あまり意味がないのかもしれません。それでも、お参りしながら其処にご先祖様がおられるような気持ちで、墓掃除などさせて頂きました。
元の理によると「一宮、二墓、三寺」とあり、お墓は二度目の人類宿し込みの地でありますから、其処へ参らせて頂くことは決して無駄な行為ではないはず、という思いでいつも参らせて頂いております。
さて、小泉首相の靖国神社参拝問題ですが、賛否両論いろいろと物議を醸し出しているようですね。
私個人的には、小泉さんが何処へ参拝しようと自由だと思うのですが(私的参拝だと言われてましたし)、一国の首相となると、その者の行動がイコール国の意志となってしまう所があるようで、なかなか難しいものだなと思いながらニュースなどを見ております。
小泉さんの行動が正しいか正しくないか、正直自分にはよく判りませんが、自分の意志を貫き通すという部分において、少し感銘を受けています。
ただし、戦争を肯定するような行いはしてはいけないと思います。しかし、物の捉え方は人、国、民族においても様々であると思います。靖国神社に参拝することが、小泉さんにとっては戦争を肯定する事にはならず、隣国の方々にとっては戦争を肯定する事になるのでしょう。それ以上は、自分には、なんとも言えません。
よしこさんへ
どんさんも天理教専務ではなく、確か福祉関係のお仕事をされているはずですから、政治に関心が無いわけではないと思います。(天理教専務の人が、すべて政治に関心が無い訳ではありません。上層部の人に、関心が無い者が多いような気はします)
天理・真理に比べれば、法律は第二義的なものという事を言われたのではないでしょうか?
長々とすみませんでした。
- [54]はじめ 06/08/17 19:33 lTZoHm0e/.
- >>50
どんさん。こんばんは。
思いつきで書いた言葉でしたが、何かお役に立てたようで、嬉しいです。
>>48
靖国神社の参拝問題ですが、・・・
良い人を祀っているからOK。悪い人を祀っているからダメ。といった線引きの考え方は、親神様の一れつ兄弟の教えには合わないように思うのですが・・・
ましてや、生まれ更わり出変わりの教えからすると、祀られている方々もすでに生まれかわって、どんな働きをされているかも分かりませんので、靖国神社への参拝問題は人間の情の中での問題ともおもえますが・・・
靖国神社の問題から気になったのですが、
アメリカの大統領は聖書に手を載せて宣誓を行うと言った話を聞いたことがありますが、聖書で宣誓をするということは、キリスト教の教えに乗っ取って政治を行うという事を意味するように思えたのですが。。。
日本の政教分離って、人間の心が広くならないと難しい問題だと思います。
- [55]T.N.Doctrine 06/08/17 20:20 ai5TpubfAf
- >>49
かつて、どんさんの「ひのきしん=ボランティア」と考えていいんじゃないかといったご意見に、少し注文を付けさせて貰ったのは私なのですが、世間の人に対しては「ひのきしん=ボランティア」の方がシンプルで解りやすいかも知れません。
ただ「ひのきしん」という言葉は教祖が初めて使われた信仰的な表現ですから、プラスαの意味が込められているのは間違いないでしょう。つまりは「かしもの・かりものの理」からくる日々の報恩・感謝の表現という、公式な定義になっていく訳でしょうね。世上の相互扶助の精神の発露に留まらず、それに信仰的意味合いが加えられたと言うことでしょう。
しかし実際に行なう場合、「日々報恩・感謝の気持ちでしなければならない」という義務的な意識ですると、堅苦しくもなり、苦行にもなりかねませんね。普段から自然にサラッとできるのが望ましいのでしょう。更に言うなら、行為そのものより心の有り方が問われているような気もします。
先日、地元で夏祭り花火大会がありました。上級教会に行く途中、交通規制がひどく、いつもの道が通れなくなっていました。余りの渋滞で仕方なく、普段通ったことのない、民家が建て込んだ狭い裏道を走っていると行き止まりになりました。Uターンできる場所もありません。振り返ると、後ろに一台の車がはりついていました。ヤンキ−風な二人の若い女性が乗っており、聞けば私の車について行けば通り抜けられるのではと思ってここまで来たそうです。引き返すには100M以上、バックで下がるしか方法がありません。
途中の路上の自転車等を脇に寄せながら、方向転換できる地点まで走って誘導してやりましたら、「オジサン、有難う」という素直な言葉が返ってきました。「オジサン」の語感には、かすかに引けたのですが・・・。(いつまで若くありたいのか知らん)
ほんのわずかな時間ではありましたが、炎天下で草むしりなどを長々とやるより、よっぽどひのきしんをさせて貰ったような快い気分になりました。
若くて可愛い女の子だったからそこまでしたんだろうって?
残念ながら真っ暗闇で、はっきりと見極められなかったのですが、花火が打ち上がった瞬間に垣間見た素顔は・・・、ん・・・?。美人だったことにしておきましょう。
- [56]T.N.Doctrine 06/08/17 21:31 ai5TpubfAf
- >>よしこさん、はじめまして。
天理教信者に政治に無関心な方が多いのも事実なのでしょう。時々歯がゆく思うことがあります。もちろん中には信仰熱心で、なおかつ立派な政治家でいらっしゃる方も居られます。(余計なことをしゃべって叱られそうですが、どんさんのお父君もその一人です)
ただ、どんさんが発せられた「政治に無関心」という意味合いは、多分通常の理解とは違いがあるのでしょう。
世俗的な利害関係、地域主義的な思惑等が色濃く絡んでくるのが政治の世界であり、信仰はそういった小欲の世界を超えたものだから、時に関心の対象外になり易いということを示唆されたのだろうと思います。
(一体に、言葉というものは難しいもので、大きく捉えると拾いきれない事象ができ、細かく定義しすぎると複雑でややこしくなり、却って全体像が解り難くなる場合がありますね)
さて鶴さんのご意見に対してですが、コメントを書いている最中に、>>53 リラックマさん、>>54 はじめさんたちの真っ当なご意見が有り、蛇足になりそうで投稿を止そうかとも思ったのですが、少し付け加えさせて頂きます。
世間で賛否両論がありますように、お道の信者さんの間においても似たような比率で意見が分かれていることと思います。しかし、どんさんも言外に話されているように、どちらが正しいか、単純には結論付け難いものだと思います。
例えば国益と言う視点で見ても、中国・韓国の反発を受けることで日系企業がそれらの国々で経済的損失を被っているから、国益に反するという見方もあるでしょうし、いや中国の言いなりにならず日本としてのアイデンティティを守る方が、短期的には損のように思えても永い目で見ると自主独立の国益が守れるという見方もあるでしょう。しかし、それも実際は予測のつきかねる事です。中国主導の経済圏が構築された場合、日本が独立ならぬ孤立に至らないという保証もありませんし、逆に中国が今のような思潮・体制をいつまでも保てるという確証もありません。どちらにしても将来に亘っての国益を、正確な数値ではじき出すことは甚だ困難に思えます。
以上は世上の経済的視点からの捉え方ですが、信仰的な把握でも同様の難しさがあります。
「神前で拝をして通れ」と教えられたことと、それによってお道の教えそのものが否定されようとした国家神道というものと深く結びついてきた「靖国」という、複雑なジレンマもあると思います。
またそれぞれの国の人々の間の複雑な心の問題と、それを政治的な思惑で利用しようとする人々と、現実には色々な問題・要素があると思いますが、お道の信仰者は「一列兄弟」と教えられた理想への距離感を斟酌していくことが、何よりも大切なんだろうと私は思っています。
- [57]よしこ 06/08/17 21:52 HFgvrP6fQA
- 日本人の悪い癖で、きちんとした問題意識を持たずに、深い思案もせずに、ただ一個人の心情だけで物事を語ろうする。
これは、本当に恥ずべき事だと感じます。
小泉首相は、私人ではなく、公人です。
靖国神社参拝には、政治的意図が如実に感じられます。
日本人が戦時中に何をしてきたのか?そのくらいの歴史的認識を日本人なら、そして天理教徒なら、少しはお持ちになった方がよろしいのではないでしょうか?
- [58]T.N.Doctrine 06/08/17 23:20 ai5TpubfAf
- >>56
ちょっと奥歯に物がはさまったような言い方になってしまいました。余り政治的な発言をし過ぎると、つまらない論争の場になりかねず、このスレッドの本筋である信仰的な良風をけがしてはと懸念したからです。
が、少しだけ補足させて貰います。
>>54 はじめさんの
>良い人を祀っているからOK。悪い人を祀っているからダメ。といった線引きの考え方は、親神様の一れつ兄弟の教えには合わないように思うのですが・・・。
確かにその通りだと思います。心の問題としては。
何もお道に限ったことではないですが、例えば浄土真宗の宗祖・法然上人は「善人なおもて往生す。いわんや悪人をや。」と言っております。つまり、悪事に手を染めざるを得ない因縁をもった悪人こそ、救いを求めている筈だし、救われなければならないと説いたわけです。(ご自身そのものも、悪人の一人と自戒されていたようですが) 死すれば同じように扱われるのは当然のことなのですが、このような日本的理解も外国には中々通用しないようです。
もう一つ言うなれば、A級戦犯、B級戦犯、C級戦犯などという区分も戦勝国アメリカが勝手に作り上げたランキングにすぎません。彼らの心の内においては、戦争の是非は別として、「お国のために」という思いでは同等だったかも知れません。ただ政策を立案し、実行に移す立場の上下の差だけだったでしょう。しかし戦勝国にとっては戦争責任を問い、戦争犯罪者を作り上げなければならなかった訳でしょう。いわば手打ち式です。建前です。日本人も本音は別として、建前としては受け入れ、ワシントン講和条約に臨んだのでしょう。アジアの二つの国も本音は別として、建前としてそれを受け入れて来た訳ですが、総理の靖国参拝に至って、その古傷を思い出し、本音の部分が頭をもたげてきたのかも知れません。
「一列兄弟」という理想への距離感を斟酌するという、抽象的な表現をしたのは、外国の方々のそのような思いに対しても配慮すべきということと、現実には幾つかの段階・障害がありながらも、理想に近づく方策を探っていくべきではという意味を含めてでした。
アメリカの大統領が聖書に手を置いて宣誓するということに関してですが、それは信教の自由を認めている憲法に違反していると反対しているアメリカ人もいるそうです。アメリカにも無神論者も居り、イスラム教徒もいるからということです。
- [59]T.N.Doctrine 06/08/18 00:31 ai5TpubfAf
- >>57 よしこさん、こんばんは。
もしそれが私に対するご意見なら、言葉足らずを反省しなければなりません。私も色々な本を読ませて貰っているので、日本が大陸で何をしてきたかは、あらかた把握している積りです。そのことに対して謝罪もし、反省すべきことは当然だろうと思います。(ただ小泉総理も、少なくとも口ではそのことに言及してますね。それが衷心の言葉であるといいのですが)
死すれば善人も悪人も同じ魂、という考えは教理的にもおかしくはないと思いますが、例えば参拝のような行為が他者にとって別の意味をもたれようとする時、相手の心を斟酌する必要は当然あることでしょう。心の問題は、心の問題だからこそお互いが分かり合える環境づくりが優先されるべきだと私自身は思っています。
それとあの戦争についてですが、列強による植民地獲得競争が激烈化していたあの時代の、対アメリカ戦争というものとアジア大陸内での戦い(所業)というものと幾分区別して考える必要があるかも知れません。
しかしながらどう自己弁護しようとしても、戦争と言うものを神様が望んでいるとは到底思えませんが・・・。
- [60]レインボー 06/08/18 06:23 M7a40nVfhP
T.N.Doctrineさん、お久しぶりです!
いつの間にか復活されてたんですね。
「語る!!2」>>922では、「天理教を語る2の会」のお誘い、大変嬉しく思います。
まだ分かりませんが、都合が合えばぜひお会いしたいですね。
実は私、天理教の人とまともに話したことが無いんです。
(皆さんはご存知でしょうか? 私は天理教のいわゆる別派出身なんです。)
お地場は時々参拝はしているんですが、これを機会に交流を深めてみるのも
私の信仰生活において、とても刺激になりそうな気がして楽しみです。
>5 リラックマさん、お久しぶりです! どうも心配かけてすいません。
気分なんて全く害しておりませんのでご安心を。
心配されているのに、今頃の返事でこちらこそ申し訳ありません。
リラックマさんこそ、ご気分害しておられませんか?
最近忙しいのもあったのですが、これからはちょくちょくお邪魔したいと思います。
少しの間離れていて感じましたが、リラックマさんの言われるとおり、
ここでの切磋琢磨は、自分にとって大変プラスになりました。
その上、T.N.Doctrineさんやリラックマさんも、こんな自分を気にかけてくれて(感謝!)
このご縁、まさに教祖様のお導き、大切にせねばと思いました。
これからもよろしくお願いしますね。
- [61]T.N.Doctrine 06/08/18 07:55 ai5TpubfAf
- >>58
とんでもないミスをしてしまいました。
お気づきのように、浄土真宗の祖は法然上人ではなく、親鸞聖人の間違いです。
>>60
レインボーさん、お久しぶり。
また宜しくお願いします。時々寄せて貰いますので。
- [62]リラックマ 06/08/18 21:09 D-snzhw
- >>60 レインボーさん お久しぶりです。私の誤解のようで良かったです。よろしくお願いします(^^)
よしこさんへ
よしこさんや、T.N.Doctrineさんには程遠いのですが、私も太平洋戦争や、その前後の出来事に関してはいろいろな文献を読んで勉強した事があります。お話、とても興味がありますが、>>58でT.N.Doctrineさんがおっしゃられたように、靖国神社参拝問題に関して、天理教的に何かアプローチ出来ないかという事を談示合うならいいのですが、政治の話を語り合うのなら、別にスレッドを立てられたらいかがでしょうか?
私もぜひ勉強したいので。
- [63]どん 06/08/19 09:49 .c65BnkEwJ
- >>52 よしこさん、こんにちは。
表現がまずかったです。すみません。ご指摘ありがとうございます。
欧米の植民地主義、人種差別について、また太平洋戦争と
極東軍事裁判についてはある程度知っているつもりでしたが、
靖国神社の問題については正直なところ詳しく知りません。
反省です。勉強します。
ただ、T.N.Doctrineさんやリラックマさんが仰ったように、
この掲示板では、あくまで天理教的なアプローチに絞って
議論すべきなんでしょうね。
私も、そういう視点で、勉強してみますね。
- [64]T.N.Doctrine 06/08/19 20:50 ai5TpubfAf
- いや〜、どんさんもリラックマさんも、もしも個人的に問い詰められたら、やんわりと参拝不支持の側に回られたような気もしますが、何分常日頃から「和」を大事にされているようなので、ご自分の見解をいくらか控え気味にされていたかも知れませんね。
ともあれ、何だか優柔不断の3兄弟が長姉に叱り付けられているようなブザマな構図だったかも知れません。(苦笑)
と言ったところで、この件はご理解頂けたらと思います。
- [65]レインボー 06/08/20 01:47 M7a40nVfhP
>>57 よしこさん、はじめまして。
6号4 このみちハどふゆう事にをもうかな このよをさめるしんぢつのみち
と仰せられてあります。世界を治める真実の道、天理教ではどのようにとらえられているのでしょうか?
社会情勢、歴史的認識も結構なのですが、そういう現実からどのような御神意、また因縁の問題など
親神様の目線でその真因を解くことが出来るのが、この道の素晴らしさだと思います。
天理を知らず偏った見方しか出来ない、人間の目線の考え方に振り回されていては
天理を知る者として、これこそ恥ずべき事のように思いました。
とは言うものの、私も人の事はあまり言えないのですが、
あの国は日本を嫌ってる国だと聞けば、あんまり好きにはなれませんしね・・・。
- [66]T.N.Doctrine 06/08/20 12:34 7qrgIhcCI2
- 「靖国」の話はもう打ち切りにしたかったのですが、参考までにもう一、ニ点。
死すれば皆同じ魂、と言いながら、肝心の靖国は同じ扱いをしてきたとは言いがたいようです。ご承知のように明治期の幕府軍や不平士族による反乱軍(西南戦争の西郷軍など)の戦死者はもちろん合祀されていませんし、あの大戦時に銃後を守って戦死された方々が祀られているわけでもありません。西郷軍も国策に対する見解の相違はあったでしょうが、明治維新を共に戦ったわけですから、彼らは彼らなりに「お国」のために戦っていたとも言えるでしょうし、大戦時の銃後の死者も「お国」のために戦ったはずです。また戦後数年を経て、軍事裁判により処刑されたいわゆる「戦犯」を戦死扱いとする根拠も、いささか説明不足のような気もします。
もうひとつ、別の視点。
先日のテレビ番組で、ご覧になった方もあるでしょうが、評論家の三宅氏が言っていました。
戦後すぐのことですが、あるカトリックの信者が、身内が靖国に祀られているが、参拝してよいものかどうかと神父さんに尋ねたそうです。上智大学の教授でもあった神父さんは、当時のローマ法王に意見を伺うと、差し支えないとの返事がきて参拝させたといいます。もちろん、A級戦犯など合祀されていない時代ではありましたが、カトリックの懐の深さに感心したと言っていました。
全く別の話。東京の、とある分教会の会長が、最近親しくなったカトリックの神父を月次祭に呼んだそうです。神父は喜んで手踊りにも参加し、また次も呼んでくれと言って帰っていったそうです。どうも盆踊りと勘違いしているようだとのオチがつくのですが、いづれにしても、かの宗教者の心の広さに三宅氏と同様に感服する思いがしました。
世の中も、光と同じようにたくさんの色から構成されているように思えますが、仮に我々が、緑が好き、ピンクが好きといったところで、その色に統一できるわけでもないですね。
また、出来上がった五目飯から嫌いなものをつまみだして食べるっていうのも難しい技ですね。(謎解きのようで済みませんが、賢明な皆さんは言外の意図を汲み取って下さるでしょう。)
リラックマさん、教祖が「好きを嫌いになれ、嫌いを好きになれ」と言われたという出典は何でしたっけ?
- [67]どん 06/08/20 14:54 EwHzA6WcK1
- T.N.Doctrineさん、うまいこと仰る。
いろんな立場や意見があって、
だからこそ学べることがたくさんあって、
本当に、この世は極楽ですね。
一瞬でもそう思ってしまう私は、まだまだ
苦労が足りないのかもしれません。
- [68]よしこ 06/08/21 03:28 MCjQvINQBV
- 私が投げかけた問いに対しての、それぞれ皆さんの意見が書かれているようですね。
日本には、『奥ゆかしい』とい言葉があります。『和を重んじる』という風潮もあります。一般的に、日本人の好む特有のせかいですね。
それはそれとして、敢えて私は、こう思っている1人なんですが、その二つの美しい言葉で、『真実とは?』という深い思案を要する『おふでさき』のせかいを万が一でも覆いかぶせる結果になってしまったとしたら、それこそ、教祖に対して一番の親不孝なのではないか?と些か、いや、多いに懸念している者です。
それと、靖国の問題は、思案という言葉からの、ほんの一例で、別スレッドを立てて論ずる事は、私の趣旨ではありませんので。
- [69]リラックマ 06/08/21 12:39 D-snzhw
- >>68 よしこさんへ
お返事有難うございます。私自身は「奥ゆかしい」とか「和を重んじる」とか、そういう事を考えながら投稿している訳ではありません。ただ自らが信じる規範に則って、投稿しているだけです。その結果が、傍から見てそう見えるのであれば、それは自分が根っからの日本人なんだなと思うだけです。
T.N.Doctrineさんがおっしゃられたように、人間は十人十色、いろいろな考え・思想があるからこそ面白いんだと思っています。みんな同じ考え方、スタンスじゃ、話しても面白くないですし、刺激もありません。これからも遠慮・会釈ないご意見よろしくです。
自分はこういうスタイルなので、気にせずよろしくです(^_^)v
>>66T.N.Doctrineさん
今、出張中なので1〜2日ほど時間を下さい。
- [70]レインボー 06/08/21 22:21 pAe7MKm/eq
>>68 よしこさん
>『真実とは?』という深い思案を要する『おふでさき』のせかいを万が一でも覆いかぶせる結果になってしまったとしたら、それこそ、教祖に対して一番の親不孝なのではないか?
私も同感です。しかし『真実』に対して、何か特別な思いが伝わってくるのですが、
出来れば、よしこさんが現在思案されていること、聞かせてもらえませんか?
ところで、よしこさんに刺激されて思ったのですが、
それぞれいろいろな考え方があるのは、それはそれでおもしろいと思います。
ただ、真実を知らなくても、上手に心を使い、みな助け合って満足して生活できるのならいいのですが、
現状は、正しいことを言っても批判されたり、どんなに恵まれていても満足しなかったり、
人のためにしたつもりがかえって人をだめにしたり、陽気暮らしには程遠い世の中です。
世界中の人々を救い上げたい一心の教祖の御心を思えば、我が身我が家のことだけで満足せず
たとえ自分は未熟で無力でも、世界の行く先を心配する心ぐらいは常に持っておきたく思いました。
- [71]とみ新蔵 06/08/22 12:51 z1vTCusxuS
- こんにちは。18・9年前天理教少年会発刊のリトルマガジンに教祖伝を連載していた劇画家のとみ新蔵というものです。
さよみさん、って面白いですね(^^)と、明治19年、官憲の弾圧のあと死亡されて、教祖が「錦と見立てておいたのやが、、」と残念がられた教理第一の高弟で、こかんさんの次に、教えの後継者と目されていた豊田村の仲田儀三郎さんも、周囲から「さよみさん」
と呼ばれていました。
天理教の後継者が教理の矛盾で悩んだり、あろうことか、統一教会などへ行ったりする現実を、とても残念で悲しく思います。
教祖の教えを見失った教団本部、これを復元するのは私達です。
そのためにはまず、虚構ではなく、資料に基ずいた教祖伝を知って行く必要がありましょう。
教祖50年のひながたを思えば、それしきの努力なくしては、真実は知れません。
また、驚くことかもしれませんが、教祖の思想を識るには、原始仏教的な考え方に至らないと、まず理解不能かと考えています。
教祖はブッダをはるかに超えた方だからです。
教祖は胎蔵界マンダラを超えた、密教的表現、人間が参画してつとめる動く球体マンダラという姿で、かんろだいつとめの理を真理とされました。
神の概念が根本違うことを理解する必要もありましょう。
そのためもあって、私のブログで、まず「世界の死後
の霊魂観」について、考えて頂けるよう、連載いたしました。
お道の人にこそ見てもらいたくて、書いたものです。
hiratomi.exblog.jp
- [72]通りすがり 06/08/22 14:52 Zdl.BDDq3c
- とみ新蔵先生のブログ
アドレスがリンクされていないので・・・
http://hiratomi.exblog.jp/
ですね。
- [73]とみ新蔵 06/08/22 17:19 z1vTCusxuS
- どん氏へ。ひのきしんとは、漢字では「日の寄進」
寄進とは往昔から仏教界や神社界でも使用された用語で、行事や建物を増改築するときなでに信者さんがお金や品物をお布施、献金することをを意味しました。
慶応年間のお屋敷「つとめ場所が完成したのも、高弟たちの寄進によるもでした。
ただ、教祖のは、みかぐら歌に「♪ ひとこと、はなしは、ひのきしん」とありますように、教祖の仰っしゃる理(すじ道、ことわり、かんろだいの理」に基ずいて、(これが神(理)にもたれて、添うての意です)自分の心の陽気のみならず、世界に陽気ずつめが成就するよう、口に筆に行いで、真理の道具衆としての道を通ることが、「人を助ける、援ける、扶ける、補けるのが、真の誠」人間の本性に合ったことなんだよ、
さあしっかり思案して、なるほど、と思ったらその用材(ようぼく)となって悔いな人生を通ろうではないか。
そんな意味が、「ひのきしん」だと思案しています
- [74]とみ新蔵 06/08/22 21:47 YQNodfgZ3J
- よしこ 氏へ。「みかぐら歌」にも、「おふでさき」にも「陽気くらしという言葉は、一言もありませんネ。
あるのはすべて「ようきずくめ」であります。
陽気暮らしを目的とすれば、自分、または我が家族だけが楽しくて、「陽気暮らし」ともいえ、それが成り立つのですが、
「陽気ずくめ」となるとガラリ内容がと変わりましょう。
世界中、どこを見ても陽気暮らしばっかりというもの、それが「陽気ずくめ」でしょう。
それを普請(創造)するのが、ようぼく(真理の道具衆というものです。
大和の寒村の庄屋敷村の「ほんなんでもない百姓家の女」が、自信を持って、また命をかけて、世界に発信した思想。教祖の世界観はそのように、とてつもなく広大なものだったことをご御思案いただきく存じます。
- [75]日本の男 06/08/22 21:56 FYSlz3oSLy
- ひのきしんって、奥が深いですね。。。
私は純粋に解釈してます。
かしもの・かりものの理がおさまれば、日にちの親神様のご守護が、身にしみる。ゆえに、感謝の心が芽生え、その感謝の気持ちから、この親神様のご恩に、応えさせていただこうと、報恩感謝の心が、生まれる。
どのように恩に報いさせていただくかといえば、
教祖の思し召しに沿わせていただくことだとおもいます。
まぁ、いろいろありますよね。それ全部だとおもいます。
たとえば、
「人さんを助けさせていただくのが、一番の恩返しになる」
「神様がござると、いって歩き、」
「どんなことでも、神様の用とおもうて、、、」
「ひとことはなし」
ETC...
何にしても、やはり、神様に対して、感謝の気持ちから、させていただくのが、ひのきしんだと、おもいます。ボランティア、人に対して助ける心でも、神様に対して、感謝がなければ、ひのきしんとはいわないんじゃないでしょうか。。(ぶしつけですみません)
ところで最近、天理の本通りの本屋さんで、天理の霊能者という、本を、見つけました。二日かけて、読破しましたが、なかなか、面白かったですね〜。皆さんは、読まれましたか?
ときどき、思うんです。
神様って、いっぱいいますよね。
結論からいうと、元の神・実の神の解釈は、
元の神は、多くの神々の中でも、一番もとの神様という意味では、
実の神は、うその神がある中で、本物の神様といういみではないでしょうか?(間違っていたらすみません)
- [76]とみ新蔵 06/08/23 00:24 YQNodfgZ3J
- 日本の男氏へ。
お道の人はよく、この道は「報恩感謝」の道です。と言うものですネ。
感謝は確かに大切な心構えです。
でもそれは明治教典の名残りの「貸しもの借りものの理」から来たもので教祖の考えではありません。
貸しているから、感謝して、貸り賃をよこしなさい、という、タワケタ神様の代官さんみたいな者が出現する、どこの新興宗教にもあるような「貸しもの借りものの理」などではなく(^^)
(理)から借りている身体だから、人様が助かって行くような生き方をしましょうという、あくまでも、その「使い方」を教えたものです。
また教祖の原典には「感謝しなさい」というような意味はひとかけらもないことをご承知願いたいのです。
それは京都明声社の河原町の「けっこう原さん、何でも結構」の教えで、当時の「心学道話」という、他の教えです(^^)
。
もしそれに固執する人あれば、その人は到底、おやさまの御(み)弟子とはなれません。
教祖の原典には「何でも結構」などとの匂いはどこにもないでしょう。
側なるものへの、注意書きでもあり、明治政府の方針{高山の説教)への批判でもある「おふでさき」でも「残念、立腹」という言葉が多々出てきます。
教祖の教えが、4ッツよなおり、世直りという社会性に満ちたものであることを、御思案いただきたいのです。
元の神とは、生き物を「元こしらえた神」の意で、おふでさきの中から「泥海中より守護をおしえかけ」という古記(こうき)を研究するしかありませんね。
だって当時作られた古記は教祖がよしとはされなかったことは教義学上の常識だからです。
世界の各宗教に、元こさえたという神、元はじまりの話は語られています。
まず、それらを知ると、教祖の古記の異例さが分かりましょう。
実の神とはかんろだいつとめで示した、陰陽やあらゆる要素が補い合い、助け合って、生命体が出来、みかぐら歌でも示す、心構えで、このかんろだいつとめの理通りに人々が暮らせば陽気ずくめ社会は実現する。
という理(神)の意が、「実の神」という表現です。少し神の観念を変えていただければ幸いです。とみさんの言うことは天理教本部の言うことと違う??
ハハハ、教祖の教義研究者ならば、営業教義とは相違するのは当然のことでしょう(^^)
- [77]日本の男 06/08/23 11:47 FYSlzlPcE9
- なるほど、元の神・実の神とは、そういうものでしたか、、。
教典や、教祖伝に教祖に天啓が、降りられてまず、発した言葉と聞かせていただいていた言葉。まぁ、実のところ、3日3晩問答された内容は、記載されておりませんから、おそらく、そのような、問答もあったのだろうと思いますが、、、。
単純にそうかなぁ (元の神は、多くの神々の中でも、一番もとの神様という意味では、実の神は、うその神がある中で、本物の神様といういみではないでしょうか?) と思っておりました。
最近世間に神様が多いじゃないですか、
全部「うそ」かというと、そうでもなさそうですし、確かに、神かかっている人もいる。
キリスト教も、イスラム教も、日本でも、ありますでしょ、立正佼成会、大黒教、光金教、最近では自動書記する女性で、一二三さんという方もいるらしいですよ。
天啓でも、いろいろあって、天の将軍様(親神様)の他にレベルの低い、天の軍師だとか、天の歩兵だとか、天の旗本だとか、神様とかもあるのかなぁって、思ったりしたわけです。
だいぶ、お道的ではない内容かもしれませんが、そう感じることもあります。
そう考えると、元の神・実の神の解釈が、世間の神々とくらべて、親神様が、一番と、位置づけることが出来るから、強引にそう思うようにしていました。
- [78]日本の男 06/08/23 12:04 FYSlzlPcNa
- ひのきしんですが、イメージですみませんが、やはり、ボランティアと、一緒には出来ないように感じますが、、、
当時の人々が、教祖に接して、畏怖の念や、喜び、感謝、何らかの、思いが発露となって行うこと、が、ひのきしんじゃないでしょうか、、
やはり、何についても、本部の甘露台を見立ててもわかるように、人々が、神様を中心に心をかわせあう、向かい合う世の中が、ようきぐらしじゃないかと、、思いますが、、、。
(初めてのひとに神殿案内をする時、いつもそんなこといってます)
ちなみに今新幹線の中から打ち込んでます。おぢばから東京へ
- [79]とみ新蔵 06/08/23 14:25 YQNodfgZ3J
- 感謝の精神でのボランテア、よきこことと存じます(^^)それはご利益を願っての行動ではないからですネ(^^)
貴殿の精神の高さを感じます。
でも教祖の信仰では、日々感謝というばかりでは、小、中学生の信仰と言えるやもしれないのです、、。
おやさまは「口は人間、心月日」と第一号の神の社となられました。そして私たち後継者も自分の持ち味を生かし、それぞれの「神の社」と成らせて頂くのが、この道の要諦だからです。
- [80]よしこ 06/08/23 20:29 DtXI61lYwp
- とみ新蔵さんへ
[74]の下、三行を、特に深く心に止めて、これからの指針と致しました。カキコミありがとうございました。
レインボーさんへ
レインボーさんの質問ですが、日々、見るもの聞くもの中での様々な事柄がすべて思案の対象でしょうか。。
(答えになっていないかもしれませんが・・・)
レインボーさんは、どのような思案をなされているのかしら?
また、真実(しんじつ)に関しての特別な思いは、あるのかもしれませんが、言葉にするのは難しいですね。
真実とは?を思案して行くという表現もありますけど。(分かりにくかったらすみません)
なんだか、、奥ゆかしい表現になってしまいましたかねぇ。(爆)
- [81]T.N.Doctrine 06/08/23 21:54 N95NRHsUo6
- ひのきしんに関して、
私が >>49 のどんさんのご意見に対し、>>55 で余計なコメントをしてしまった為に、いくらか誤解が生じているかもしれません。
どんさんも一通りのことは全部解った上で言って居られたと思いますが、私と彼とのやり取りは「天理教を語る2」の>>579,>>648 などの流れを踏まえて、時と場合、相手等によって「ひのきしん」の持つ意味のどの部分に、よりアクセントを置いた方がいいかを語り合ったようなものです。
例えば教祖が、神→月日→親という風に、信者の理解や成長に合わせて言葉を変えられたように、未信の人や初心者に対しては、「ひのきしん=ボランティア」から初めてもいいのではないか、最初から難しく定義付けなくてもいいのではないかといった程度のことなのです。私もどんさんを、いわば「ダシ」にさせてもらって一般向けにおしゃべりしたという次第です。
>>73〜 とみ新蔵先生、はじめまして。
御作品の数々を拝見させて頂いてはおりましたが、突然このスレに顔を出されて、ビックリと申しますか、光栄と申しますか、少なからず勇む思いがしてきます。どうぞ宜しくお願いします。
またご卓見のご披露有難うございました。
さて、かしもの・かりものの理についてですが、仰られるように借りているから返済しなさい、それも教会を通じてと、ひのきしん・お供えを強要するかのような、教団維持に都合のいい解釈に発展していくのは困ったことだと思いますが、身が借り物で、神様から生かされていることを感謝して通るというのは、言わば信仰の基本であり、その喜びの表現が「ひのきしん」に至ることは「みかぐらうた」から読み取れることではないかと考えています。
ともあれ、改革を願う人が多く集っていくことで、ひょっとしたら本当に改革が進んでいくのではないかと言う気がしてきました。
- [82]T.N.Doctrine 06/08/23 22:04 N95NRHsUo6
- >>81
どんさんを「ダシ」にさせてもらって、というのは失礼な表現でした。
どんさんのご意見を「ダシ」にさせて貰って、と訂正させてください。
- [83]リラックマ 06/08/23 22:33 D-snzhw
- >>T.N.Doctrineさん
ご質問の件、主な文献に目を通してみたのですが、残念ながら見つかりませんでした…。おさしづにも目を通してみたのですが、これまた見つかりませんでした。
T.N.Doctrineさんが言われたお言葉、私は「嫌いが好きにならん、好きが嫌いにならん〜」というような感じの言葉を、どこかで見た事があるのですが、これまた見つかりませんでした。
このスレッドにお邪魔させて頂くようになってから、いろいろとご質問頂きまして、資料をジャンルごとに整理する事の必要性を痛感しております。何時になるか判りませんが、見つけ次第こちらでお知らせ致します。
意味が近いと思われるお言葉に『敵は味方や』というのがありました。(「御存命の頃―改修版―下巻」高野友治著、昭和46年度版、170ページより)一応、参考までに…。
※ついでに上記資料より、心に残った教祖のお言葉を記します。これは明治19年5月28日、神道本局視察員に対し、教祖が語られたお言葉です。
『私はこれまで道を説いてきたけれども、私をたすけようとする人は一人もありません』(228〜230ページ参照)
- [84]日本の男 06/08/23 23:06 uxl17Sg1oB
- とみ新蔵さんのいうとおり、感謝だけでは親神様の心には、届き得ませんですね。世界一列助け上げたい教祖の思いには、到底届きえません・・・。
やはり用木としては、それ以上を求められているんでしょうね。それにしても「神の社」ですか(・・)。。
相当がんばらないといけませんね(。。)
- [85]リラックマ 06/08/24 00:15 D-snzhw
- ついでに「徳」について、おさしづから調べてみました。
明治25年1月14日
『〜これから先どんな道あると定めて一時に聞き分けるなら、一時に受け取る。どんな處も見えてある。早く定めてくれ。定めてくれば、どれだけの徳とも分からん。徳と言えば、どれだけの徳と思うやろ。一日の日に定めて、今日の日印打って定め。どれから打つ。打ったとて四方へ踏ん張るから、どんな所でも踏ん張る。入り掛ける、出掛ける。これ一つ尋ねるまで、聞くまで。さあこれから一日の日に事情定めるなら、どんな事も治めて行く。〜』
明治28年3月6日
『〜不自由の處‘たんのう’するは‘たんのう’。徳を積むという。受け取るという。〜』
明治31年11月4日
『〜未だ/\往還道とは必ず思われん、思われん。よう道理諭す。どういう處から道付ける。道をさらえて付ける。まあ世界何處から何處まで今日成ったる道やない。おっとり半分出けたる/\。聞き分け。贅澤(ぜえたく)して居ては道付けられん。聞き分け。わらじはいてだん/\運び、重く徳積んでこそ理が効く。所々何處まで教會成ったげなあ/\言うばかりではならん。〜』
これによると、たんのうすれば神様のお受け取りがあり、それは徳を積むことになる。そして重く徳を積むことにより、理が効くという事になるようです。
なんか、終わった話を蒸し返したみたいですみませんでした。(u゚∀゚)
- [86]とみ新蔵 06/08/24 00:32 YQNodPrDrB
- T.N.Doctrine 氏へ。このとみオッサンを幾らでもダシに使ってくだされまし(^^)
仰言るように、キリスト教であろうと仏教であろうと、改革、復元というものは、上で安住している人々からは、どうしても行い難いものです。
私達が教祖伝の事実に触れ、声を出して行く事が大切です。
でも本部でも結構改革派はいますよ。
さらに窓際族になりますから、名前は控えますが。
私は自分のブログでは今のところ、絶対おやさまについては語りません。
悲しいかな、一般社会では、本部で出してきた虚構の資料(これ本部が悪いとか言っているのではないですよ、終戦までは教祖の教えなど説いたら、帝国憲法にも、治安維持法にも触れて、
暮らすところは牢屋の中しかなかったわけですからね)によって、宗教学者までもが、教祖の真実を知らないし、
世間の人々からも現今では
「エ〜〜!天理教」「中山みき〜〜!」と相手にされない状況だからです。
でも、世界の宗教教義や思想哲学を研学してきた私としても、幕末の日本にこんなすごい人物がいたのかと、ただ驚きですから、
両親以来の信仰とか、天理の三島で育ったからとかの、執着などは一切ないけれども、
ど〜〜うしても放っておけない方、それがおやさまなのです。
私が教祖を語ると、天理教に関連した人はただ「え〜〜!?コイツ気チガイ」と驚くことが多いので、もう口を慎もうかと考えています、、。
出来得れば、どなたでもよろしい、何か教義上で矛盾を感じておられる方、またはそんな箇所がありましたならば、
解かる処だけは、ヤンワリとお答えさせて頂くというのが私としては「ベストかいなあ、、」と思っています。
私としては、このスレで初めに申しましたように、天理に繋がる者が
統一教会などなど、社会進歩の足を引っ張っているような、
オカシナ他教へ進んだ本部員の息子や教会の子弟を多く見てきましたので、それが残念なのです。
また「たすけ急き込む」の伝統がありますから、どこの教団へ行っても、すぐに幹部級になってしまうのです(ToT)/~~~
私は今は亡き母に
「母ちゃん父ちゃんの信仰してきた、おや様はなあ、母ちゃんが知るよりも、もっと、もっと偉大なる人なんやで!
ワシをおやさまにつないでくれたのは、父母のお蔭や、ありがとう母ちゃん」と何度も言ったものでした。
当然でしょう?真理を知ることってそれほどに、我が喜び、「いちれつは、皆、もや(靄)のごとくや、成人しだいに、見えてくるぞや」の世界は幸せなものだからです。
- [87]さラダ 06/08/24 01:12 *qIQKg3V0Plb*V-rUfEJ
- とみさんは信仰を捨てたお兄さんについてはどう思ってるんですか?
- [88]リラックマ 06/08/24 01:50 D-snzhw
- とみ新蔵先生、はじめまして
実はわたし、先生の著作を一度も拝見させて頂いた事がありません。(すみませ〜ん(u゚∀゚)!)
しかし、こちらのスレッドにおける先生の投稿を拝見させて頂いて、すばらしい方だという事が解りました。そこで質問です。
私の天理教の思想の理解において、教祖と本席を除いて最も影響を受けた人物として、「中山正善」と「大平良平」が挙げられます。よろしければ、この二人の人物に対する先生の評価をお聞きしたいのですが?
お願いします!
- [89]サラダ 06/08/24 02:21 *bV9Fr8.mMLu*V-rUfEJ
- とみ新蔵さんは天理を捨てたお兄さんについてどう思ってるんですか?
- [90]羊光学さんへ 06/08/24 03:56 d57DnwHP1S
- 羊光学さん・・・
- [91]羊光学さんへ 06/08/24 03:57 d57DnwHP1S
- いずこへ・・・
- [92]とみ新蔵 06/08/24 04:23 YQNodPrDrB
- 兄の平田弘史は天理教を離れた、とはいうものの、その教義の虚構には、着いては行けないというだけです。
彼なりの「道」の精神で生きています。
父母への、尊び、お道の精神は高いものがあります。
実は、天理時報で「教祖絵伝」を連載の途中までは、私などより、ずっと熱心で、月並み祭に行かないと、弟妹にコワイ顔をするものでしたし、殆ど毎月に近いほど、家族で東京から天理にある教会へ帰っていました。
子供の頃から、兄弟6人すべて、母のような、布教師になる、との思いで育ちましたが、実はむしろ私の方がずっと先に、天理教の教義への疑問を持ち、母へのお付き合い信仰となっていましたヨ。
家は布教所で、母はずっと「教会になるとお供え取りをしなくてはいけないから」とその気は無かったのですが、兄は
「東京の家をやっぱり教会にしてお供えしないといかんなあ」
というのを、何べんもやめるように言ったのは私です。
でも私は、兄の「絵伝」の一年前に「天理少年」に「おやさま」を連載するようになってから、父方兄姉が全員、皆やってきた、天理教教祖の事実を、徹底的に調査してみたいと、様々な資料漁りに自分の人生をかけ、炎のような執念を燃やしたものでした。
- [93]サラダ 06/08/24 05:01 *oW8vIzBZVgo*V-rUfEJ
- お兄さんは天理の教えと教団のギャップに悩んで辞めてしまわれたんでしょうかね。
- [94]サラダ 06/08/24 05:05 *v.nGslWeWBd*V-rUfEJ
- 失礼な質問をしてすみません。「乱」楽しく読んでます。これからも連載頑張ってください。
- [95]初見良明 06/08/24 05:29 *USEUp/T7Ooc*V-rUfEJ
- 天理教は性善説、性悪説どっちなんですか?
- [96]とみ新蔵 06/08/24 14:24 YQNodPrDrB
- リラックマ氏へ。
天理教という宗教団体は、教祖が皆さんの想像の、10数倍以上優れた思想家、哲人、宗教家、実践者であったために、その後継者たちは、時の趨勢の中では、そのひながたも、教えのことわりも、なかなかに明快に説くこと能わず、大変、苦しく、悲しい歴史を持って来たものと感じています。
そのために、直弟子の飯田岩次郎が、教会本部から、異端異説と言われて、別派を生み出し、その数は「ほんみち」を代表するように、多々輩出し、こん日に至ります。
大正初めの大平良平氏の教義に関しては詳細には知りませんが、当時の神道天理教会発表の虚構を分析できる内容が多々見みられます。
二代真柱の中山正善氏は、学生の頃から、残されたすべての資料を検討したようで、特に戦後、大変な努力をした方だと、今更ながら感嘆します。
戦争に負けて日本中が悲嘆にくれた時、中山義一本部員と「これからは本当が説ける」と、互いに手を握り会って、涙されたことを、近親者から聞いています。
とくに「をふでさき」「おさしず」や「復元」の書の刊行や、大変な業績だと感じています(でも、をふでさきも、おさしずも、その時代背景を詳細に知らないと、勝手な悟りとなってしまう性質がありますが、、)
また、病気治しの、拝み祈祷に流れた教内にあって、大病院の「憩いの家」を断行されたことも偉業の一つです
でももとより、復元の実現は、容易なものではなく、挫折のなかで倒れられたものと推察しています。
また、これは追加ですが、あらゆる宗教の中で、価値観が転倒するような、中山みきの思想の全貌と、その密教的表現を知ること、伝えることは、容易なことではないこともあるでしょう。
このことは、かって存在した「天理教教学研究発表会」を再開して、研究者達の教祖伝の見直しと、「資料に基いた教義論」の自由で活発な論議の展開をしないことには、無理ではないかと思っています。
- [97]T.N.Doctrine 06/08/24 20:52 N95NRHsUo6
- >>83
リラックマさん、お忙しい中、大変お手数をお掛けしました。有難うございました。
自分で調べればいいようなものですが、あなたの何倍もの時間をかけても結局たどり着けないような気がしまして、お手軽に頼んでしまいました。
「好きを嫌いに、嫌いを好きになれ云々」は、小さい頃父からよく聞かされていましたので、なにがしかの出典があるんだろうと思っていたのですが。(そんなことを常々言っていた当の父親は、かなり短気な性格でして,自ら実行できていたとはとても思えませんでしたが・・・)
>>86
とみのオッサン先生(失礼!)。 レス有難うございました。
早速「ダシ」をとらせて頂くことにします。(笑)
私もお道の教理に対してでなく、教団の有り方に対して嫌気が差して離れていく人を見るととても残念に思います。
学生時代、統一教会の勃興期と言っていいでしょう、当時原理運動と言われ世間を騒がせていた時代に、友人に誘われて3Daysと称せられる3日間の合宿に参加したことがあります。
その中で原理講論という講義を延々と受ける訳ですが、彼らの独自な世界観や、特に独善的で強引過ぎる歴史解釈に対して、彼らの摂理に沿う年代と事実にズレがあることや、事件の取り上げ方が恣意的であり、歴史における重要さの基準が間違っていることなどを指摘すると、突然講義を中断し、「この者の心の中に悪魔が入り込み、皆の心を乱そうとしています。神よ、許して下さい。そしてこの者の心から悪魔を追い出して下さい」と、お祈りを始められたりしました。
あんたらが誘ったから来たのに、ちゃんとした答えも出来ずにと憤慨したのですが、結局その時は彼らにとっては成果の少ない合宿に終わったようでした。
ただ彼らの歴史観はそれはそれで完結しているので、歴史の知識が乏しい者は容易に彼らの世界に取り込まれそうだと思いました。また天理教のことも戦略的に随分勉強しているようでした。実際、おふでさきの「十一に九がなくなりて、しんわすれ・・・」など彼らの教義に合うような解釈を披露されたりもしました。(解釈の中身についてはもう忘れてしまいましたが)
しかし、彼らが当時若者の心を掴んだのは、そういった「知」の領域であるよりも、人間関係において家族的な情愛を醸し出していた「情」の力だったように思います。傷ついた心、孤独な魂、疎外感。そういったものが癒されるのは、優しさや思いやりの情であるのは、今も昔も変わりないでしょう。
初代の頃は、会長も信者さんに対して我が子のように心配りされていたと思いますが、組織が整ってくるとそういった部分が希薄になっていったのでしょう。そこに新しい宗教が入り込む素地ができたのだと思います。お道も反省すべきと思った気持ちが、なんら改善を得ぬまま今日まで引きずられて来たような気もします。
- [98]とみ新蔵 06/08/24 20:59 mFBLDtp9sD
- 初見良明氏へ。
「みかぐら歌」も」「かんろ台の理」も「もとの理」も「よろず委細の元の因縁」も、完全なる、性善説の立場です。
「性善説」などという言葉などよりも、本来的な人間、自分を思い出しましょう、という思想で出来ておりますね。
これは「原罪」思想のあるユダヤ、イスラム、キリストなどの各宗教とは全く、ぜんぜん、思想体系が相違するところです。
ましてや50年の「ひながた」を考えてみてください。
ひながたは、いうなれば「歩く教理」です「生きた教理」です。
どこからどこまで、完璧に善ばっかりですがな(^^)
正確な教祖伝がそれほどに必要なのです。
虚構の教祖伝から脱する必要があります。
教祖伝はそれほどに重大なのです。
勝手悟りはあきまへんのですね。
仏教のお経も多くは教祖伝、聖書も教祖伝ですからね。
「おさしず」では「人をたすけるのが真の誠」と表現しております。
たすけとは、助け、扶け、補け、救け、
真とは、まこと、本当、真理、という意で、
誠はまこと、真実という意ですから、人、人間の本当の姿、本質、本性は、人のよろこびを見てこそ楽しめるという人間観で終始一貫していますぞ。
- [99]T.N.Doctrine 06/08/24 21:22 N95NRHsUo6
- 折角、こういう場が出来、改革を望む方々が集まり、話が盛り上がっていけるとしたら、話だけに終わらせずに行動に移せたらいいですね。
次の130年際に向かって、このネットを仲介して、数万人規模でお地場に結集するという企画を考えても面白いのではないでしょうか。
教団や系統教会に関係なく、いわゆる別派と呼ばれる信者さん方はもとより、教祖の教えに共感して頂ける方なら多宗派の方々もどしどし参加して頂いて・・・。本部はちょっと慌てるかも知れません。
今様のお蔭参り。行き先は伊勢でなく、天理へとチェンジ。
掛け声は「ええじゃないか」ではなく、「We are the World」のような歌。基本さんにでも作曲してもらいますか。壮大な夢ですね・・・。
- [100]日本の男 06/08/24 21:53 FYSlzIIVrl
- なんだか、すごい話になってきましたね。。。なにはともあれ、教祖もお喜びですね。
ところで、私は教典の一部分で、ひとつ疑問に思う箇所があります。
いま外出先から、打っていて、教典を手元に持っていませんので、察していただければと思いますが、
やまさかや いばらぐろも がけみちも・・・
と、、かなり、有名なおふでさきの解釈のところですが、最後の
ほそみちを だんだんこせば おおみちや
これがたしかな ほんみちである
が、ぬけてませんか?
解釈はそこまであるのに、この一首がぬけている。と、いつもおもってしまうんですが、どうなんでしょう_?
発行から、だいぶ立つのですが、修正しないんでしょうか?
それともわざとああいう文章にしているのでしょうか???
- [101]リラックマ 06/08/24 22:12 D-snzhw
- とみ先生、お返事有難うございました。
先生がおっしゃられた「天理教教学研究発表会」の再開による教祖伝の見直しと、「資料に基いた教義論」の自由で活発な論議の展開をしようというご意見に、私も諸手を挙げて大賛成です(^o^)/
大正〜昭和初期お道の書籍を読むと、その時代を反映しているのか、非常に自由で活発な議論が展開されていますが(大平良平のような斬新な、ある意味過激な意見は敬遠されていたようですが)、私はある意味であの時代のような雰囲気が教団内に復活する事を期待しています。
そこで、T.N.Doctrineさんがおっしゃられたように、このスレッドを叩き台にして、教団の行く末に不安を抱く者が集まって、何か出来れば面白いですね!
なんだかちょっと、希望の光が見えてきたような気もします(^o^)/
- [102]とみ新蔵 06/08/25 00:42 z1vTCusxYC
- 日本の男氏へ。
今の教典は、もとより明治教典(私は高校の頃、
家の神棚の下にあった明治教典をバッチリと読んで、お袋に
「なんだい!これは、母ちゃんらは、こんなもんを、信じていたのか!」
「こんな、その時勢に合わせるような天理教なら
この神棚ブチ壊さんとあかんどーー!」
とスゴイ剣幕で怒り、お袋を困らせたもんでした。
そして更に言ったものでした。
「教祖伝の時間で、教祖は「社はいらん」とあるのに、
なんでまだ、この家に3ッツも社があるのや!」テナあんばいでした(^^)
お袋はそれに対して、名前は明かさないが
「〇〇先生はいずれは変えなければならないと言っていたから、、」テナことを言って弁解してましたっけ(^^))
よりは、ましなだけで、二代真柱が暫定的に作ったものというだけです。
教典には、原典の言葉が並べてあっても都合で省略したところは珍しくなく、
だいたい今の教典なんぞ、いまだに、なんだい、こりゃあ、、。
テナもんですがな。
ま、教典などは、中の「教祖伝」も、含めて、ご都合的だから、
それを基準にして教祖の教えだろう、などと思うのは、
2メートルの!ゴムの太いホースを握り掴み持って、
「皆さん!これが像さんですよーーー!!」
と触れ回っているようなものですなあ(^^)
とみオッサンより
- [103]どん 06/08/25 01:04 EwHzA6WcK1
- >>82 T.N.Doctrineさん、どうか気にしないで。
私の方こそ、いろいろとフォローして頂いて、
恐縮しています。いつもありがとうございます。
- [104]日本の男 06/08/25 01:09 FYSlzNOKzX
- なるほど・・・
それでは、本部のほうではいずれ教典内容を変更するつもりでいるのでしょうか?
まぁ、私の今のレベルではまだまだ、現教典でもまともに行えない。思案に余る、内容ですが(レベルが高く、、、)、、、、。
でも、都合で、教理を曲げているのですか?
教祖伝も教祖伝に稿本との文字が刻まれていますが、長いこと、改定されていませんが、これもいずれ改定されるのでしょうか?
本部にそのような機関があるのですか?
- [105]とみ新蔵 06/08/25 14:42 z1vTCusxYC
- ]日本の男氏へ。 FYSLZNOKZX
すいません。前掲レスの中で、「象」を像と誤りました。
それでは、本部のほうではいずれ教典内容を変更するつもりでいるのでしょうか?
「当然です」
現教典でもまともに行えない。思案に余る、内容ですが、、、、。
「思案に余るのは当然です(^^)
矛盾だらけですから。」
「私の場合は、古資料と原典以外は、一切、信用していません」
都合で、教理を曲げているのですか?
「その歴史は古く、息子の秀司さんから、続いていますね。
秀司さんは、慶応3年に、山澤良次郎さんに連れられて、京都の吉田神社へ行って共に神職の資格を取り、つとめ場所に
吉田神道の、天皇家の先祖の神々を祀り天輪王明神としたでしょう。
また明治13年には、金剛山地福寺の坊さんを、講師先生に呼んで「転輪王講社」を営業して、
教理を歪めましたが、お金も寄って、大成功を納めたでしょう。
教祖は「月日の腹がはじけたで」とお怒りになりましたが。
でも、その教理は、いまだに続いている部分が、多々ありますね、、。」
私ところの教会では少ない伝統でしたが他系統では盛んで驚きの連続だったもんです」
教祖伝も稿本との文字が刻まれていますが、長いこと、改定されていませんが、これもいずれ改定されるのでしょうか?
「稿本とは」「下書き。草稿。」という意で、裏を返せば暫定的なもの、本物ではないという意味です。
「稿本」と付けたのは正善氏の良心というものです。
ただ戦後60年も経つというのに、余りにも長いわけです。
もう少し、長生きされたら、こんなことはあり得なかったでしょうに、、」
本部にそのような機関があるのですか?
「ほんの一部の「我が身思案派」が邪魔しているようですが、作らないと、教団は資産ばかりが残って、さらに、風前の灯になってしまいますね、、、。
- [106]リラックマ 06/08/25 15:31 D-snzhw
- 以前「天理教を語る!!2」の>>827で紹介させて頂いた西山輝夫氏の資料より、少し長くなりますが抜粋させて頂きます。私には、氏の魂の叫びに聞こえます。
>>827の資料より〜
復元は教祖の理想に照らしてみて正しく、その努力が20年以上にわたって行なわれているにもかかわらず、その実が思うようにあがらないというところに、現代の教団の最大の悩みがある。
教理面では、神一条の信仰が事あるごとに下部組織へ向かって流され、講習会も大規模に、かつ根気よく開催されているけれども、その浸透は、まだ本当の心の深い部分へはとどかない。そして、多くの人の信仰の実態は、あいも変らぬ病気たすけ、御利益信仰の域にとどまっている。それだけでない。復元の教理を説くべき立場の人の間に、早くも教理の固定化、ドグマ化という現象が生じている。これでは、造花のようにととのっていて美しいけれども、悩んでいる人を救う本当の力を欠くことになる。
戦後、天理教信仰の目的は陽気ぐらしであると宣明された。これは確かに教団の隅々まで知れわたったが、それは言葉の空転で、実際は陽気ぐらしと相去ることまだ遠いものがある。
組織面では、世襲性によって主な人事は固定化し、明朗で公正な競争がなく、20年先きの構成が大体分かるという具合である。これを動脈硬化症と呼ぶ人もあるが、青年にとってこれは、はなはだ意欲をそぐ原因となる。ために多くの有為な若人が自分の能力をフルに発揮できる新天地を求めて教会の門を出てゆく。天理教は、かくして人物経済上、大変な損失を重ねている。それほどの能力も気力もない者は、安易なプチブル生活に安住の地を求めたり、漫然と教団の中に生きているだけで、教祖の精神を喪失している。教会の後継者が少なくなりつつあるという現実は、前途の楽観を許さぬ事実である。
極言すれば、天理教は、理想は高く、本部は壮大になるのに逆比例して、信仰のエネルギーが低下し、人間は卑小となり、求めるものが物質的、形而下的になっているのが現状である。
- [107]リラックマ 06/08/25 15:33 D-snzhw
- つづきです。
私は、異端を待望する人間ではない。けれども、空洞をもつ大木になりつつある現状を放置する時、おそらく天理教は、立教の宣言にふさわしい世界宗教として脱皮することは不可能であると思われてならぬ。ここに、思い切った信仰と行動力を持つ異端的人物の登場を待望するのであるが、この種の人間ははたして出てくるであろうか。出てくるとしたら、どこから出てくるだろうか。
本部からそういうラディカルな人間は現われないであろう。青年会にしても、その本部は、失敗をおそれぬ不屈の精神に欠けているから、これも期待薄である。もっとも有望で有効であるべき文書の面ではどうかと云うに、はつらつとした昭和初期の個性と自己主張の時代は去り、自由な批判精神は失われ、真柱の亜流ばかり増えている。それも、真柱の打ち出す復元の教理を完全にマスターした上、自分の独創を出してゆくのならよいが、顔色をうかがって書いているような感がする。書く姿勢がおかしい。これでは、真に世に訴え、人の心をゆり動かす大文章は生まれてこない。本来ならば、何が何でも訴えねばならぬ問題が山積みしているのに、筆を取ることをなるべくなら避けようという傾向が強い。この面でも退潮と衰弱の感はまぬがれない。
- [108]リラックマ 06/08/25 15:36 D-snzhw
- 連スレすみません。これで最後です。
このように見てくると、天理教は深刻な危機に立っている。人類全身が危機に立っている以上、天理教だけが安泰であるべき道理はないが、この二つの危機を認識する度合の深い者こそ、現代と次の時代をになう人間像である。
天理教は、短いとはいえ、80年の教団の歴史(※)を持っている。この80年祭は、生命も財産もいらぬという強い信念の持主によってきずかれてきたものである。この種の人は今も数多い。こうした行為を天理教では伏せ込みと云うているが、これある限り、教団は容易なことではビクともしない。けれども、教団がビクともしないことが理想なのではない。真に人類の苦悩にこたえ、それを救済するために、教団はどんな犠牲も辞さないというのが本当の伏せ込みである。私が待望するのは、この種の大勇に生きる人間であり、これは、教団の保守的な側から見れば異端とうつるであろう。けれども、社会はその異端を望んでいるのではあるまいか。
※この文章は昭和41年に発表されたものである。
- [109]日本の男 06/08/25 20:28 9rwCugHLPR
- あらきとうりょうとして、やらねばならないことは、外部に対して開拓することだと思っていましたが、内部に対しても勇気を持って、働きかけることの重要さを痛感しました。
しかし、私のような末端教会(本部までに上級が、3つある)のものはなかなか言い出せないのが現状ですね。そこは、やはり直轄のかたがたでないと動かせないことでしょう。(とおもいますが、、、)
特に、信仰の世界ではそのあたりに関してはたんのうとして、また、自分の通り方の反省のヨスガ、というか、感じることは、鏡というか、ぜんしょうの因縁というか、とおらにゃならん、とうさにゃならん、とうしてはたさにゃならん、はたしてつくさにゃならんとの教えが、ひっかかっていますね。。。。。
- [110]とみ新蔵 06/08/26 03:39 e9/5pdx37V
- 日本の男 氏へ。
「おさしず」では、「とおらにゃならん、とうさにゃならん、とうしてはたさにゃならん、はたしてつくさにゃならんと、言ってはどうもならん。」
と、叱っておられるのです。
「どうもならん」が脱けているわけです。
ここも大切なところですよ(^^)秀司さんが作った「転輪王講社」の先生の
「日暮宥貞」さんを教祖様にしては、かっての日本仏教、かヒンズー教理になってしまいますがな、、、。
だから経典なんか、当てにしたら、教祖の教え、と考えては
「どうもならん!」と言っているわけなのですが、、。
貴殿は一度、私のブログを見てくだされ。
世界的、社会的内容が多くて、こう申してはなんですが、、天理教者の多くの方々には、ピンと来ない記事が多いとは思いますが、
どうぞ「世界の死後の霊魂観」の連載を、是非、
見て頂きたいものです。
hiratomi.exblog.jp
- [111]どん 06/08/26 23:31 GoRGEoUS
- とみ新蔵さん、こんにちは。
ご投稿もブログも、非常に興味深く読ませていただいてます。
不勉強をさらけ出すようで恥ずかしいのですが、質問させて下さい。
私には死後の霊魂観というものが教祖の教えの中でそれほど重要な
テーマであるとは感じられないのですが、どうなんでしょう。
やっぱりこれは教理の根底にあるようなものなんですか?
私は、とみ新蔵さんもブログで仰っていましたが、それぞれの人が
自分の内面を見つめて、仏性というのか誠というのか、そういう
真心みたいなものを出していくということが大切だと思っています。
ですから関心が昨日今日明日くらいにしかないのですが。(^^;)
- [112]どん 06/08/26 23:45 Tb58P.WHic
- >>106-108 リラックマさん、勉強になります。
この文章が、40年前に書かれたものだということが、
非常に驚きであると同時に、何だか複雑な気分になりました。
今から40年後も同じなのかなぁ、みたいな。
でも、教団の改革とか本部の人事とかあんまり興味がないのですが、
というかめちゃくちゃ末端の一信者ですので、全く関わりがないと
いうのが実際ですが、とにかく自分は自分なりに、
もっと頑張っていかなきゃ、と思いました。
ありがとうございます。
- [113]日本の男 06/08/26 23:56 FYSlzu7gPx
- なんだか、私の経験外の内容で、なんともいえないものでしたが、、、(汗)
たしかに、有名な、おさしづでも前後の内容や、歴史的背景はほとんど、知らないのが今の私です(お恥ずかしい)
私の場合、神と人。。他人は自分のいんねんをうつす鏡と常々教わっていまして、いままで、そのようにすごしていました。(いつもそんなことばっかり考えているわけではありませんが今年で31歳になります、、、、)
今日も前の真柱様に一年ぶりにお会いする機会がありましたが、目の前にうかがっておりながら、ほとんどお声をおかけいただけなかった。
日々の通り方を反省しています。
あったことに対する現象を見て、ものを判断します。しかし、それは自分に対する、神のためしというか、諭じゃないかとかんじていますが、。
- [114]とみ新蔵 06/08/27 04:44 Ozq9iOMfmU
- どん氏へ。
はい。その通りですね。
教祖の教えでは、死後の世界を語らないのも、特徴です。
また、死ぬことを「出直し」と書くようになったのは、
大正7年が初めてです。
それまでは、教内のどこの文献でも、死んだことを「逝去」とか「死亡す」と書かれています。
死ぬことを、出直しと言い出したことも、とんでもない誤りです。
みかぐら歌の「心得ちがーいは、出直しや」は、文字通り、日本語の
「顔を洗って出直してこい」というように
「生きながら、価値観を変える、切り替える」
という意味です。
人間に上下差別をつけて、他者の足を引っ張って、自分が結構になった、だから偉いんだぞ、出世しんたぞ、というような、競争文明の、
悪しき心、むごい考え方から、相手の足らない処を、補い合い、助け合う心に
「切り替える」ことを意味します。
そんな精神を「心定め」するのが、お道というものです。
元来は、末端信者も上級もヘッタクレもありませんぞ。
中山正善氏は東大の宗教学科で世界中の宗教の組織体もアレコレの教授から学んでいるはずで、
こんなバカ気た縦組織ばかりでは、いずれは社会から相手にされなくなってしまうと、
先が観えますから、横組織体としての「よのもと会」を作ったのでしたが、、、、。
今はとっくに潰れました。
ま、皆さんが、このスレでもよろしい。
横で繋がることが重要でしょうな。
そして教祖の精神を、少しでも、わが心として、通る人が、教祖の直弟子と言えましょう。
行うのは、誰でもなく、何よりも自分、自分から、なのです。
それを示しているのが」「ひながた」なのです。
人生は一回しかありません。
- [115]T.N.Doctrine 06/08/27 19:15 N95NRHsUo6
- >>106-108 リラックマさん、どんさんのレスに全く同感。ご紹介有難うございました。
本当に40年前の炯眼、そして警句が全く生かされてきてないのは残念な限りです。
しかし、リラックマさんがまさに仰るように、悲痛かつ悲壮な「魂の叫び」のようにみえるこの思いを、当時は教内に広く周知させる事が出来なかったと言うことと、それを行動に移せるような手立てがなかったと言うことかも知れません。
是非とも、このネットを介して、西山氏の思いの一端なりとも成就させて見たいものだと思っています。
とみ先生も仰られているように、横で繋がることの出来るこのスレに、希望の芽が見出せるかも知れませんね。
- [116]はじめ 06/08/27 20:44 XJ6iH6msM/
- こんばんは。
とみ新蔵さんはじめまして、よろしくお願い致します。
>>114
>こんなバカ気た縦組織ばかりでは、いずれは社会から相手にされなくなってしまうと、
>先が観えますから、横組織体としての「よのもと会」を作ったのでしたが、、、、。
上記の文から疑問に思ったのですが、教祖の御在世当時は社会から相手にされていたのでしょうか?
教祖が現身を隠されて、教会本部が設立されて、先人たちを通して次々現れる不思議なご守護によって、社会から人のために尽くし切った教祖はすごいと認められるようになったように私は思うのですが、如何でしょうか?
教祖はすごいと思い、不思議なご守護から親神様はおられると認知しても、親神様・教祖の言われるように通ろうとした人は、どれだけあったのでしょうか?
教祖の功績を利用して、我がに都合のよい言葉だけを用いて、利益を求め、むさぼる輩はお道の中だけでは無かったと思います。
ご守護を求めて集まる人々の心、この心底の心、これが問題だと思います。
まぁ、こんな人間の心の動きなど、親神様・教祖からすれば見抜き見通しで、今の世の中の姿も承知の上の事と思います。
「わがみうらみであるほどに」
「これがこのよのはじまり」
がふと浮かびました。
横から失礼致しました。
- [117]とみ新蔵 06/08/28 00:53 YQNoddjlVv
- >>114
上記の文から疑問に思ったのですが、教祖の御在世当時は社会から相手にされていたのでしょうか?
はい。はじめしへ、
教祖がます、はじめに説かれたのは当時の時に
お産にまつえわる、様々な、迷信からの解放でした。
これは当時大和だけではなく、そこに物知りがいればいるほど、
女は業が深くて、魂が穢れているから、特別に75日産屋(うぶや)に、籠もらせて
、兎に肉をたべたら、口の子が生まれる、
白魚を食べたら白子が生まれ、タコやイカをたべたら、骨なしの子が生まれるなどのタブ−が
多々蔓延していて、さもなくと辛い妊婦を苦しめる結果と
なっていて、余計にお産というものを苦しめて
死産や生まれても難病の原因となってました。
教祖はそこで、女は穢れてなんかいないよ。
そんな俗信は捨てて、チヤント栄養もとりなさい
、生き物はすべて守護されて、犬から猫まで安産は許されている存在
。前人類おびやは許されているだよ、
「おびや一切常のとおり」
言われて、俗信からの開放を
啓蒙されての、おたすけでした。
当時、牛の膿による、種痘はがはやっていましたが、逆にこれにも、」「ほうそうを3人に染したら、わたしのほうそは治るのだ」
というのが流行り、余計にほうそうが蔓延していく
という事情がありましたので、教祖はそれも、ただの俗信でしかないよ、
それらが「おびやほうその許し」という迷信からの開放、
道明けの始まりでした。
ま、おやしきには、女性が来るので、一方では秀司さんが「うちのお母はん、、ええこと、やってるなあ、、、テナ、調子で屋敷の別なところで
「これは帯や許しのお札でっせー!買ったら、もっともっと効きますよーーーと」
売り出したことでしょう。
ま、庄屋敷のおやさまの、チンバ息子は、百姓もできんことやし、、まあ、少しは付き合っておいてやりましょうなあ、、、
テナ人も少なくなかったことでしょう。
だから秀司さんはず〜〜〜とその後も教祖に叱られ続けられる人生を送ることになるのですが、、、、、。
続く。
と書いてしまいまたが、、、このスレは一体何人の人々がアクセスしているんだろうか、、、
私は社会運動などでも、多忙ですし、、
こんなところで、スレで書いても、腹に落としてもらえるのじゃろうか、、、、、テナ思いも、正直、あります、、、。
とみ新蔵
- [118]はじめ 06/08/28 03:11 XJ6iH6msM/
- とみ新蔵さん。
もう一つ質問させて下さい。
>>110
>日本の男 氏へ。
>「おさしず」では、「とおらにゃならん、とうさにゃならん、とうしてはたさにゃならん、はたしてつくさにゃならんと、言ってはどうもならん。」
と、叱っておられるのです。
>「どうもならん」が脱けているわけです。
ここでのおさしづは、いつのおさしづなのでしょうか?出典を教えて下さい。
- [119]火水風168 06/08/28 12:26 *Vtq5j3uqPNF*6Kbfn6f.vR
- >>112
どんさん、お久しぶりです。
時おり覗いていましたが、お元気そうで何よりです。
また、覗きます。
- [120]とみ新蔵 06/08/28 14:39 waL93frO8o
- はじめ氏へ。
06/08/26 03:39の説明は、私が勘違いしていました。すいません。 E9/5PDX37V
「とおらにゃならん、とうさにゃならん、とうしてはたさにゃならん、はたしてつくさにゃならんと、言ってはどうもならん。」の「おさしず」などはどこにもないものでした。
あったら教えて下さい(^^)
教典に「いんねんならば、はたしゃにゃならん、とおって、はたさにゃならん」とあり、その後の「といえば、どうもならん」
というのが、意図的に脱けていた、
ということを言いたかったのでした。
本席さんが言ったこともないものを「おさしず」だからとして、いろいろに使われてきた歴史があります。
文学者の、今は亡き芹沢さんが押した、東京の伊藤青年ではあるまいし(^^)今も、アチコチで、おさしずを勝手に作られては困りものです(^^)
また「おさしず」はその時代背景を知らないとチンプンカンな解釈となってしまいますぞ。
2代真柱が原典として「おさしず」三原典としては、最下位に置いた事情がここにあります。
でも「をふでさき」も、それを書かれた時に、一体、何があったのかということを、正確に、知らないことには、これもチンプンカンプンになってしまう性質がありますね。
- [121]はじめ 06/08/28 18:30 XJ6iH6msM/
- とみ新蔵さん。
返信ありがとうございました。
>>117 に関してですが、
>ま、庄屋敷のおやさまの、チンバ息子は、百姓もできんことやし、、>まあ、少しは付き合っておいてやりましょうなあ、、、
>テナ人も少なくなかったことでしょう。
ということは、お屋敷は相手にされていたようで、されていなかった。見下げられていた。と考えておられると受け取って良いのでしょうか?
>>120に関してですが、
>教典に「いんねんならば、はたしゃにゃならん、とおって、はたさにゃならん」とあり、その後の「といえば、どうもならん」
>というのが、意図的に脱けていた、
>ということを言いたかったのでした。
すみませんが、上記の文章が教典のどこにあるか教えて頂けないでしょうか?
- [122]リラックマ 06/08/28 18:41 D-snzhw
- 日本の男さん、どんさん、T.N.Doctrineさん、ありがとうごさいます。この資料を公表したいという思いは以前からありまして、少しでも西山輝夫氏の想いを世に出せたことを喜ばしく感じております。
この資料の中で西山輝夫氏は、「価値ある異端像」として「大平良平」についても述べられています。紹介させて頂きます。
>>827の資料より〜
大平良平が登場したのは、大正4年から5年のころである。そのころ、教団は危機に立ち、全体として暗いムードに沈んでいた。念願の一派独立をかちとり、教祖30年祭を前にして、本部にはじめて壮大な神殿が完成したが、教祖なきあと、天啓にもとずいて20年間を指導した本席伊降伊蔵はすでになく、またその間、教団の最高責任者であった初代真柱も没し、大幹部松村吉太郎は奈良監獄につながれていた。当然、教団運営は曲り角にさしかかり、その上地方の教会は経済的にも疲弊していた。そして信者はようやく信仰上の疑問を抱くようになった。
〜こういう混沌とした時代に活躍したのが大平良平である。早稲田を出て入信し、単身本部へやってきた良平は、教団の危機の本質をすばやく見ぬき、これを乗り切るには、教団は真実の神の教えにかえらなければならないと信じた。彼はそこで、天理教の歴史はじまって最初の試みとして、「おふでさき」を活字にして出版した。これは、充分な文献的考証を経たものではなかったけれども、その意義は大きかった。
ついで大正4年4月、個人雑誌「新宗教」を創刊、所信を大胆率直に教団の心臓部めがけて叩きつけた。彼の文章は、天理教の文筆の歴史上、もっとも鋭利直裁で、妥協がなかった。その筆はしばしば教祖の教えの理想からかけはなれている教団のあり方を批判したので、本部当局は、非公式に雑誌の購読を禁じたが、夜陰ひそかに門を叩くものや、補助を申し出るものが少なくなかったという。
- [123]リラックマ 06/08/28 18:57 D-snzhw
- つづきです。
>>827より〜
大平の所説を要約すると、次のようなことにしぼられる。
@すみやかに明治教典を廃し、真実の教理にもとずく教典を公布、この基準教理のみによってすすみ、一切の国家権力に妥協しないこと。
A教団の運営は、この教理に従って一新し、教団をして、名実ともに親神の教えを体現するものたらしめること。現在の天理教団は、本来の天理教とは異質のものである。
B教団をして、自由はつらつな、万人のための教団とすること。中山家及び少数の側近者によって運営される教団は、階級性や保守性が強く、これでは親神の教えは世界に広まらないであろう。
Cこの自由信仰にもとずいて、義務化されたおつくし(献金)はすべて廃止し、教団の維持経営は神の心のままにすること。
その他、考えられるあらゆる問題が全部提議され、今日に至るも、大平の批判を上廻る規模のものはない。大平の真意は、世俗化する教団を否定し、教祖の精神にかえることを主張したもので、それは、一方においては、真実の教理を樹立せよという建設的な面と、そのためには、固定化する教団のあり方を徹底的に改革せよという破壊的な面の両方を持たざるを得なかった。
大平の批判は、急を望みすぎたことや、個人攻撃に走ったこと、また自分が布教上の実績を持たなかったこと、あるいは、二代目教祖として井出くにをかついで異端に走ったこと、彼自身が若くして困窮のうちに死んで行ったこと、さらに彼の雑誌が反教文献としてあつかわれ、建設的な面まで無視される破目になったこと、などのために、深く広い支持を得られないままに終わったが、彼大平良平こそは、文字通り、生命をかけての批判に生きた、天理教最大の価値ある異端であった。
以上です。大平良平の著作は、一部、天理大学の付属図書館で閲覧できる筈です。(その著作のほとんどは反教文献扱いで、許可がないと閲覧できません)
早稲田大学の卒論で書いたものなら、大きな図書館で閲覧できるでしょう。(※早稲田大学・大正4年3月号112号16〜26ページ)
- [124]T.N.Doctrine 06/08/28 20:03 N95NRHsUo6
- >>117
とみ新蔵さん、(横での繋がりという主旨に則し、先生の敬称は省かせて頂くことにします)
色々と興味深い資料や新たな視点を与えて頂いて感謝しております。
このスレをご覧になっているのが、どの程度の人数なのか私にも解りませんが、ROMの方は結構居られるかも知れません。以前にも天理教と余り関係ない人も時々顔を出されていたようですから。
ただこれが2チャンネルのような気楽な、時には無責任なおしゃべりだと誰彼となく参加し易いのでしょうが、やや専門的な教理問答や社会学的或いは哲学的課題になると、一般の方は参加しづらい雰囲気になることがあるかも知れません。
その意味で、基本さんや私の文章などはいくらか顰蹙を買っていたかも知れません。(ひょっとすると、とみ新蔵さんの書き込みも?)
しかし参加者が多いけれども成果が乏しいといった集会よりも、たとえ数は少なくとも実のある会合であった方が、意義あることではないかと思っています。
本当に心ある人々を呼び集めるのには、やはり時間がかかると思います。今、その緒についたばかりかも知れません。
初めは小さなさざ波のようなものが、やがて大きなうねりになっていくことはよくあることだと思います。
それから、毎日画面を見、反応を確かめ、また書き込みを行なうという行為は、随分時間も取られますし、大変にきつい作業になり得ます。
私も仕事を持って居りますし、時間的制約が多いことから、かつてこの場からオサラバしますと宣言した経緯があります。とみさんは、我々とは比べようがないくらい多忙な方だろうとお察し致しますが、余り無理をなさらず、余裕のある時に、随意おいで下さったらいいのではないかと老婆心ながら思ったりしています。
いづれにしても、大変刺激を受け、また心強くも感じさせてもらっていますので、今後とも宜しくお付き合い願いたいものと存じています。
(追記)
このスレッドの認知度をもっと高める必要があるかも知れませんね。皆で有意の人に声を掛け合って参加者を増やしていきたいものです。
- [125]とみ新蔵 06/08/28 21:08 z1vTCDQdQ0
- はじめ氏へ。
屋敷のおやさまの、チンバ息子は、百姓もできんことやし、、>まあ、少しは付き合っておいてやりましょうなあ、、、
>テナ人も少なくなかったことでしょう。
ということは、お屋敷は相手にされていたようで、されていなかった。見下げられていた。と考えておられると受け取って良いのでしょうか?
とみ「それはとんでもない誤解というものです。」
「真理を見た私が、神の心となった私が、そんなタブーなどに、こだわることはないよと、「おびや、ほうその許しだす」と、おびや一切常の通りですよと、人々を、迷信から解放したのは、おやさまです。
秀司さんだって、おやさまの偉大さは知っていたはずです。
でもお屋敷に来る人達が、当然ながら、すべて教祖の教えの真髄を分かっているわけではありません。
人は自分のカテゴリの中でしか、物事を理解し得ないものだからです。
ただ、もし分かっていたとしても、息子の、秀司さんに「仕方がないなあ、、アレマア、まあと、と、お付き合いの人もいたようだということです。
>教典に「いんねんならば、はたしゃにゃならん、とおって、はたさにゃならん」とあり、その後の「といえば、どうもならん」
>というのが、意図的に脱けていた。
すみませんが、上記の文章が教典のどこにあるか教えて頂けないでしょうか?
とみ「以前の教典にはありましたが、今の教典は知りません。
だいたい、ご都合主義の教典などには、一切、
関心がありません。
- [126]リラックマ 06/08/28 21:29 D-snzhw
- >>124に倣いまして(^^)
とみサンの>>114の「出直し」に関するご投稿について、質問させて頂きます。
「逝去」「死亡する」という表現もありますが、いろいろ文献を見ますと「お引き取り」「お迎え取り」という表現が、公式な書類以外では一般的に使われていたように思います。
例えば、梅谷四郎兵衛が教祖のお隠れの際、妻のタネに宛てた書簡を見ますと、
「前ぶんごめん、さて御をやさま儀、さくじつ廿六日午後の二時十分ごろにおむかい取ニ相成候」
とあります。
また、逸話篇の「一九九 一つやで」を見ますと『無理ない、無理ない。一つやで。これが、生きて出直しやで。〜』(詳しくは逸話篇を御覧ください)とありますし、「死」イコール「出直し」でも、私はべつに構わないという気がするのですが、いかがでしょうか?
- [127]どん 06/08/29 04:12 EwHzA6Wc8U
- >>119 火水風邪168さん、お久しぶりです。
元気にやってます。またよろしくお願いします。
- [128]どん 06/08/29 04:32 EwHzA6Wc8U
- >>114 とみ新蔵さん、ありがとうございます。
死後の世界よりも今生が大事という思案の焦点が
教祖本来の教えから外れていなかったならば、
これは嬉しいことです。
また、仰るとおり本来は上級も末端もないはずですね。
卑屈になっているつもりはなくて、むしろ教会ならではの
制約もなく、また実家が布教所ですので「おさしづ」も
見ることはなくて、私にとっても教祖の教えというのは
「おふでさき」と「みかぐらうた」だけ、というのも
ありがたい境遇です。
- [129]どん 06/08/29 04:42 EwHzA6Wc8U
- >>126 リラックマさん、違ってたらすみませんが、
とみ新蔵さんは「出直し」という用語の使われ方を問題としている
のではなくて、教祖本来の教えには「生まれ変わり」自体がない、
と仰りたいのではないかと感じます。
誤解を招きやすい表現かもしれませんが、
とみ新蔵さん、要は、そういうことじゃないですか?
- [130]とみ新蔵 06/08/29 13:27 waL93ZeGfO
- どん 氏へ。
地球的に、また生物学的に観れば、生物の死は、確かに、出かわり、入れかわりの、循環の姿ですから、
個の死というものを、出直しと表現してもよいかも知れませんね。
「霊肉一元論」で生物は出かわり、生まれ変わり、輪廻転生しています。
ただし、これが安易に流れると、かっての日本仏教のような、功徳を積んで、悪因縁から解脱するという、教理になってしまうのです。
これが進展したのが、ヒンズー教で、インド社会を見たらお分かりのように、
上に都合のいい、差別の教えになってしまうのです。
かって天理教も、この教理で大きくなりましたが、今は、
差別的な天皇制も押し付けられてはおらず、また曲がりなりにも
民主主義となった世界ですから、この教理では、もう人が助からないのです(今も安物の、殆どの新興宗教がこの差別教理を採用していますが。時々、同和問題でヒッカカッテいますが、、あそこは脱けきることは出来ないでしょう、、。)
おやさまは、あらゆる身分差別、人間差別を無くそうとての立教以来の姿勢です。
教祖の原典には、真如苑等々などでもいうような「前生因縁納消の道」などの、匂いも考え方もないでしょうが。
天理教の人は因縁といえば、すぐに、「あ、前生因縁」と考えてしまうクセ習慣が身についてしまっているようです。
教祖の言ういんねんとは、
「よろず委細の元の因縁」です。
これが世界でもピカ一であり、古記と甘露台つとめで表現した、
にんげんはどのようにして誕生して、どのように暮らしてきて、
どのように生きていけば、個人としても、社会としても、
調和のとれた世界になるのか、という、ことわりを示されたわけです。
このことわりを、天然自然の理、月日の理、神と表現されたわけです。
人間が参画して行う調和の理です。
お社の前で勤めるおつとめ、座って行うつおつとめは、元来はないものです。
ここも腹に落として、頂かなくてはならないところです。
したがって、みかぐら歌にある「心得ちがいは出直や」は100%「生きながらの心のやり直し、切り替え」という意味です。
私事ですが、教祖が霊肉二元論の前生因縁納消の道を教えられたとするのなら、当時の坊さんのお説教の常識ですから、私には何の関心も起こらない人です。
ブッダにも、もちろんイエスにもソクラテスや孔子や老子や孟子や、親鸞や道元でさえ、
これを感受、観諦することもなく、また表現できなかった「よろずいさいのもとのいんねん」
これが、私の最の驚嘆するところで「最後の教えである」との教祖の烈々たる自信が伺えるのです。
ダシのとみオッサン
- [131]T・S教人 06/08/29 15:37 lfSGx/20JI
- こんにちは。お供えを減らすことは、いけないことでしょうか。 教えてください。このままやと、家族五人 しんどいです。
- [132]T・S教人 06/08/29 16:03 lfSGx/20JI
- 皆さんの意見きいてみたいです。
- [133]T.N.Doctrine 06/08/29 20:47 N95NRHsUo6
- >> T.S教徒さん、こんばんは。
今まで何回か書いてきたと思いますが、「無理なお供え」はしなくていい、というのが私の持論です。
と言うより、何のためにお供えするかが問われているのではないかと思います。
お供えしないと、因縁納消ができないよ、お手入れがあるかもしれないよ、などと言う脅しめいたものがあるとすれば、それはお道とは言えないでしょう。今時のカルト宗教です。
また神社にお賽銭をあげて商売繁盛を願うように、お供えをすると一粒万倍のご守護が頂けると世俗的なご利益を期待するとすれば、それもお道の本筋から大きく離れているのではないかと思うのです。
一方、自らの欲の心を減じる為、或いは我執を捨て無欲の境地に至りたい為等の高尚な目的意識で勤められるとすれば、それはそれで結構なことだと思いますが、それにしても家族を道連れにしていいかどうか私にはよく解りません。
また、乏しい経済状況の中で懸命に人助けに励まれている教会があったとして、そこになにがしかの資金援助をさせて貰い、少しでもお役に立ちたいと言う思いでお供えされるとすれば、それは尊いことだと思います。
あるいは、事情・身上を助けられた過去があり、そのご恩報じにお供えをし続けるという場合もあるでしょう。しかし、例えば医者によって奇跡的に病気を治してもらった患者が、そのお礼に末代に亘り献金し続けると言う事例は世間ではないでしょう。
感謝の心をもち続けるということは大切なことかも知れませんが、それが強要されたり、形式化されるというのはやはり間違っているのではないかと思うのです。神様にお取次し、必死でお願いされた真心に対しては素直に感謝し、それ相応のご恩返しは必要かも知れませんが、助けたのは結局、親神様・教祖であるというのは、信仰の基本でしょうし、親神様・教祖が金銭的な見返りを要求するはずもないと私には思われるのです。
いずれの場合でも、どれほどの額がお供えとして適当かなどは一概に言えないことだと思います。
仏教説話に「貧女の一灯」というのがあります。極貧の婦人が、お釈迦様に捧げる灯明をやっとの思いで買ってきて、遠慮がちに照らそうとした時、その明かりが誰のものより、明るく輝いたと言うお話です。
逸話篇にも同じようなお話がありますね。お金持ちの家からお供えされたものより、貧しいながら教祖に喜んで頂く為にと心を込めてお供えされたものを全て見通しされてお喜びになったという話。
話は変わりますが、かつて、このスレ(2)で、「我々が神様にお供えできるのは心だけではないか」という、どんさんの素晴らしいお悟りがありました。大いに感銘したのですが、「お供え」にしても「日の寄進」にしても形ではなく、常に心が問われているような気がしています。
とは言いながら、凡人の我々は、形から入らないと中々ねぇ〜。
- [134]大 06/08/29 20:52 FQ5tieGwwk
- T・S教人さん、お供えを減らすことは、いけないことではありません。
無理は理が無いと書きます。ゆとりを持って人助けをしてください。
自分の顔にこだわらず、人の顔色を見るのじゃなく、心が大事です。教会へ持って行くことだけが信仰ではありません。本当に人が助かることにお金を使って下さい。
- [135]T.N.Doctrine 06/08/29 22:26 N95NRHsUo6
- >>133 の続き。
エエかっこだけでなく、もう少し身近な、ちょっとかっこ悪い話も付け加えておきます。
私の上級教会においても、部下教会や個人のお供え額が減ってきているところが多々あります。まれに増えている例もありますが、全体として信者さん方の経済事情が悪くなっているのかも知れませんね。
教会においても、信者さん個々人においても、「お供え=助かり」という信仰が根強く残っているようです。当初は「お供え=感謝」であったはずなんですが・・・。
私の場合、お供えはもっぱら家内の役目です。布教所でお供えを要請したことはありませんし、私自身特に何らかの要望があってお供えしているわけではありません。家内も神様の御用に使っていただけるならという発想だけでしてると思います。普段はね。
でも事情・身上がおきると、ちょっと違ってくるんですね。
常々「無理なお供えはするな」と言ってはいますが、子どもなどに事情・身上が発生したら、やはり助けて貰いたくなって、「割増料金」を払ってしまうことは、ままありましたね。
人間とは、親とは弱いものです。
- [136]リラックマ 06/08/29 22:35 D-snzhw
- とみサンと、どんさんの投稿を読ませて頂いても、イマイチお二人の言わんとされる事を正確に理解できませんでしたので、とみサンのブログ「世界の死後の霊魂観」、拝見させて頂きました。
非常に興味深い内容でした。しかし、正直言って、大変戸惑っています。
どんさんは、おさしづは読めない環境にあることをヨシとされていましたが(誤解ならすみません)、とみサンも、「おふでさき」「みかぐらうた」以外は、あまり思案の対照にはならないのでしょうか?それならば、今から紹介させて頂く「おさしづ」は、お二人にはあまり意味の無いものになるかも知れませんが、一応紹介させて頂きます。
※明治21年4月16日 山澤サヨ生まれてより六十日目、身上障りに付願
「親が子となり、子が親となり、名を呼び出せ。…さあ/\生れ更わりたで。」
※明治33年10月3日 山田太良平身上願
「人間というは、たゞ一代と思うてはならん。一代と言うやない。同じ生れ更わり/\ある。…子孫理を伝うて来る。」
明治39年3月28日 南紀支教会長下村賢三郎六十二才身上願
「人間というは一代と思うたら違う。生まれ更わりあるで。」
補・明治22年8月7日 西井タツ身上願
「人間生まれ更わり理を聞き分け。そういう事はあろうかいな、と思う。世界にある。」
補・明治34年9月23日 政田甚五郎身上願
「親が子となり子が親となり、どんな事もほんになあ、よく似いたるか/\。この一つ性ありて現したる。この理聞き分けて楽しめ。」
お二人がおっしゃるように、私も教祖の教えは「前世」「来世」の事はあまり重要でないと思います。「ここはこの世の極楽」が、教祖の教えでしょう。しかし、生れ変わりはあると思っております。
口伝では、教祖が「あなたは誰それの生れ変わりや」という話が非常に多数残っております。一つ二つしか残ってないのなら、信頼性は少ないでしょうが、教祖がそういう事を話されていたのは、まず間違いないと私は考えております。
ただ、「おまえは、前世でこういう行為をした」と話す事で、埃を積む者が多かったので(教祖は、相手がどうしても教えてほしいと言われた時に「不足しないように」と約束してから教えられたようです)、以後話されないようになったと聞いた事があります。(口伝は信用しないと言われれば、それまでなのですが…)
しかし、とみサンがおっしゃるように、こういう話は差別を生みやすく、これにこだわる事は非常に危険だとは思っております。
おふでさき第三号109〜110の、
このものを四ねんいぜんにむかいとり
神がだきしめこれがしよこや
しんぢつにはやくかやするもよふたて
神のせきこみこれがたい一
この御歌、とみサンはどのように解釈されているのか、よかったら語って頂けないでしょうか?
- [137]日本の男 06/08/29 22:44 MCjQvVEInH
- 久しぶりにきましたが、なかなかすごいはんきょうですね。
「とおらにゃならん そうさにゃならん・・・・・」
ですが、高安系のものですが、教会では当たり前のように言い伝えられております。おばあちゃんの時代からしょっちゅう言われてきました。調べたわけではありませんが、おそらくおさしずの中にあるとおもいます、
おさしづのなかをみると、いんねんについて多くのお話がありますから、どこのおさしずと、指定するわけには行きいませんが(知らないが故、多すぎて指定できない・・・)、自明の理ですね。
ところで、おとついですが、電車で、女性のスカートを盗撮している男を発見しまして、取り押さえて、警察に連れて行ってる途中に、思いっきり殴られまして、逃げられました。。。。左頬がぶっくり腫れてしまいました。窮鼠猫をかむといいますが、あれは本当ですね、、、(汗)
私は、色情が強い因縁と自覚しておりますが、神様の采配と、この事情を機に反省しております
いんねんの自覚をさらに深くし、神様にお詫びお供えなどして、尽くしのりを持って反省させていただきました。
少しはじめから、きつい口調で追求しすぎたのかもと思っていましたら、翌日のうんこは軟便(軟弁)でした(情)鮮やか過ぎます
- [138]三十三天大使 06/08/29 22:50 4.6nSkIncz
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怪しい商店街 夏だビールだ… お姉ちゃ〜ん一杯やる!?
[0]服部エンタープライズ社長 06/06/24 09:04 *vOys31uzjgw*aWArHb/49o
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人生エロエロッス
- [139]どん 06/08/30 01:02 Tb58P.WHf1
- >>130 とみ新蔵さん、ありがとうございます。
やっぱり難しくてなかなか理解が届きませんが、
後半はよくわかっているつもりです。
月日には人間はじめかけたのは陽気遊山が見たい故から(ふ14-25)
迷って悩んで、離れたり近づいたりする中で、
やっぱり辿りつくありがたさというか温もりというか、
仰るとおり「ピカイチ」で、断トツで、底抜けで、圧倒的な、
教祖の愛情が、本当にありがたいです。
- [140]どん 06/08/30 01:03 Tb58P.WHf1
- >>131 T・S教人さん、こんにちは。
お供えについては教祖伝逸話篇72に、
「金や物でないで。」
と書いてあります。
どうしてこれほど明確に書いてあるにも関わらず、
お供えをやめることに得体の知れない不安や罪悪感を
抱いてしまうのだろう、と私自身も思案しますところ、
T.N.Doctrineさんも仰って下さいましたが、免罪符というか、
お供えで安心なり救かりを買うという意識が、
どこかにあるのかもしれませんね。
割増料金払ったら、より良いサービスが得られる、みたいな。
- [141]どん 06/08/30 01:04 Tb58P.WHf1
- 連続ですみません。
>>136 リラックマさん、ありがとうございます。
生まれ変わりのことは、私もよくわかっていないのですが、
自分と他人、生と死、個と全体、というものは、
明確な境界で区切ることが難しいなあ、とは思います。
髪の毛でもその他の細胞でも、次々と新しい細胞が生まれて、
また死んでいって、個としては生まれ変わっているけれども、
全体としての私は、何らの間断なく生きていて続いている
とでも言いましょうか。細胞には意識がないのかもしれませんが、
意識と無意識というのも、境界があいまいな気がします。
寝てる時とか、酔っ払っている時とか、忘れている時とか。
話のポイントがずれていたらすみません。
- [142]三十三天大使 06/08/30 03:31 4.6nSOd.uk
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- [143]ツツガムシ 06/08/30 09:58 IC554x.2oq
- >>131 はじめまして、T・S教人さんのご質問に対して皆さんのご返答
はまったくそのとおりで、T・S教人さんも納得なさったのではないでし
ょうか。
私は人に披露するほどの理念は持ち合わせておりませんので意見は述
べられませんが、私は「お供えを減らすこと」を実行してもう3年が
経ちました。上級教会も含めた教会のあり方に強い疑問を感じ、悩ん
だ末、教会の月次祭参拝・御供えを一切止めました。ただ教会から離
れるだけでは信仰の後退になってしまうと考えたため、その代わりに
「実の親に対する孝行」「自宅での朝夕お勤めの実践」「社会貢献の
実践」「子供へ教祖の教えを伝える努力」を意識して行なうようにし
てきました。御供えを止めてからも家族全員健康で、仕事もとても順
調で感謝の日々を送らせて頂いております
- [144]日本の男 06/08/30 20:07 BscKUDyykc
- つつがむしさん、こんにちは
いろいろ悩んでの結論だと思います。相当上級・所属の教会のあり方が気なったんでしょう。お察し申し上げます。
しかし信仰を続けるのであれば、お供えはともかく、月次祭は行ったほうが良いのでは?
- [145]大 06/08/30 20:50 sGGLntRaSo
- 日本の男 さん、月次祭・・行っても良し。行かなくても良し。だと思いますよ。
- [146]はじめ 06/08/30 21:20 UlZGnDVX8Q
- う〜〜ん。
横から失礼致します。
月次祭へ行くのも行かないのも、それぞれが親神様・教祖に対してどう思っているかが問題だと思います。
行けと言われて行くが良いのか、行くなと言われて行くのが良いのか・・・みなそれぞれに任されているでしょう。そしてその芯の心を親神様はお受け取り下されて、それぞれにお返し下さると私は思いますが・・・
「かしもの・かりもの」「八つのほこり」で思案する事が大切な気がします。
- [147]T.N.Doctrine 06/08/30 21:21 iGBhKVUxse
- >>137 日本の男さん、かっこいい!
私も以前、お地場から帰る電車の中で、変態気味の男に出くわしました。
体格のいい、西条秀樹似のハンサムボーイでしたが、携帯にしきりにメールらしきものを打ち込むそぶりをしながら、一人の女性に擦り寄って行き、体を押し付けていくのです。それから逃れようと女性は移動します。すると又素知らぬ顔をしながら、じわじわと擦り寄って行きます。
あまり混んでない車内でしたが、彼女が3度目に移動した時は扉の方に押し付けられるような形になり、終いにはうつむいてしまって、どうしていいか解らないといった困惑した表情になっていました。
車内の何人かはそれに気が付いていたはずですが、知らん顔をしていました。まだ明確な痴漢行為に及んでなかったということもあったでしょうが。
そこで私の出番。
彼女に近づいて、この男が知り合いかどうか確認すると、はっと顔を上げ、救いを求めるような眼差しであわてて首を振るので、男に向かって、エエ加減にせんかい!とすごんでやりました。男は無視するかのように、相変わらず黙ったままで携帯に何やら打ち込み続けていましたが、当方は、内心はビクビクものでした。今時は、すぐに逆ギレする若者がいますからね。
女性は恥ずかしそうに下を向いていましたが、程なく駅に着き扉が開いたので、一瞬こちらに頭をさげるようなそぶりを見せただけで慌てて降りていきました。男はまだ突っ立っていましたが、扉が閉まろうとする瞬間、ぱっと飛び降りました。
全く無関心を装う乗客の中に私一人取り残されたようで、何か場違いのところにいるような馬鹿みたいな気持ちになったものです。
後ほど、かの男がストーカーだったらいけないと思い、念のため公安当局に連絡だけはしておきましたが、世上は他人のことに構う心の余裕が少なくなって来たんでしょうかね。
- [148]T.N.Doctrine 06/08/31 00:47 iGBhKVUxse
- >>141 どんさん、私も同じような思いです。
「生まれ変わり」に関しては簡単に論じ難い課題ですね。
その前に「出直し」についてですが、「出直し」も衣装を変えてなのか、考え方を変えてなのか、いずれにしても「その者が再びやって来る」という前提ですから、代わりの者が来たのでは「出直し」にならないでしょうね。この言葉が生死に対して使われるとすれば、当然「生まれ変わり」の思想がなければなりません。(みかぐら歌6下り目の解釈は別として)
教祖が「生まれ変わり」について肯定的に語られているのは、リラックマさんの仰る通りだと思います。ただ問題は何が生まれ変わってくるかということです。
誰それの生まれ変わりと言っても、本人がその意識を持っている訳ではありません。意識は不連続なのですね。
意識とは、「意識されたもの」という逆説的な定義しか出来ないほど扱い難いものなのですが、意識される実体が変わらなくても、例えば記憶喪失のように過去の自分と同一視できない意識がありえます。
だから意識は経験知を得て、自我を獲得するという言い方もできるでしょう。生まれたばかりの意識は無味無臭といったところでしょうか。
通常、生まれ変わりと言う時、「霊魂」「魂」という言葉が浮かびます。「霊魂」と「魂」を同じように取り扱うべきかどうか難しいところですが、一般に「魂」という場合、心根・性情といった意味合いが強く、時には、「一寸の虫にも五分の魂」などと言われるように、命そのものと同義に使われることがあるのに対し、「霊魂」は少なからず知性や精神性を含んだニュアンスで語られることが多いように思われます。前者は先天的な、あるいは動物的な要素が強く、後者は後天的に獲得された人格を有しているようにもみえます。
そのような区分けが妥当だとすれば、生まれ変わりはどちらを指しているのでしょうか。
「生まれ変わり」を科学的に言いますと、遺伝子の相似ということがあると思います。親族の遺伝子が似通っているのは勿論のことなのですが、色々な組み合わせの変遷の中で、偶然に過去の誰かの遺伝子に近似な人物が生じたとしても不思議ではないでしょう。これは「魂」の生まれ変わりに近いかも知れません。しかし、一卵性双生児が同一人格では有り得ないように、その人そのものではありません。
まして遺伝子そのものにいくらかでも違いがあるとすれば、とても同一個体の生まれ変わりとは言えないように思えるのです。
次に「霊魂」ですが、経験知によって得られた知性・霊性というものが生まれ変わりの中に織り込まれるとすると、考えうることは遺伝子に記録された経験知・記憶と言うものが、次代に保存・再生されるというシステムです。その現象が全く起こりえないとは言えないと思います。しかし、それをすべて認めたところで、継承されるものはある人格の一部に過ぎないものと思われます。
というのは、人類発祥の一番最初は、誰か特定の人の生まれ変わりじゃなかったはずですから、次に生まれる時は必ず誰かの生まれ変わりじゃなければならないというルールはないように思うのです。
私たちは皆、過去の誰か彼かの部品を寄せ集めて作られていると言えるかも知れませんが、そういった意味での生まれ変わりを信じたとしても、先ほど申し上げましたように、自我は新たな経験知によって創られていくものだと思いますので、どんさんが言われるとおり、私たちにとって今世が一番大事なものなのだろうと思っています。
- [149]とみ新蔵 06/08/31 03:22 R8O1f9raex
- ドン氏など方への御質問へ。
地球的に、また生物学的に観れば、生物の死は、確かに、出かわり、入れかわりの、循環の姿ですから、個の死というものを、出直しと表現してもよいかも知れませんね。
「霊肉一元論」で生物は出かわり、生まれ変わり、輪廻転生していますからね。
ただし、このところが安易に流れると、かっての日本仏教のような「功徳を積んで、悪因縁から解脱する」という、教理になってしまうのです。
これが進展したのが、ヒンズー教で、インド社会を見たらお分かりのように、上に都合のいい、差別の教えになってしまうのです。
かって天理教も、この教理で大きくなりましたが、今は、差別的な天皇制も押し付けられてはおらず、また曲がりなりにも民主主義となった世界ですから、この教理では、もう人が助からないのです。
今も安物の、殆どの新興宗教がこの差別教理を採用していますが。時々、同和問題でヒッカッテいますが、、なかなかに、脱けきれないようです(^^)
おやさまは、あらゆる身分差別、人間差別を無くそうとての立教以来の基本姿勢で、ひながたもその思想を貫いていますよ。
教祖の教えを、差別を助長するような解釈では困りものです。
教祖の原典には、真如苑や真光教等々などでもいうような「前生因縁納消の道」などの、匂いも考え方もないでしょうが。
天理教の人は因縁といえば、すぐに、「あ、前生因縁」と考えてしまうクセ習慣が身についてしまっているようです
因縁という語は、
基本的な原因すなわち「因」と、それを助成する機縁すなわち「縁(ゆかり」の意味で、大辞林によると、
(1)〔仏〕 事物を生ぜしめる内的原因である因と、外的原因である縁。
事物・現象を生滅させる諸原因。また、そのように事物・現象が生滅すること。縁起。
(2)前世から決まっていたとして、そのまま認めざるを得ないこと。宿命。
「これも何かの―だ」
(3)前々からの関係。縁。
「浅からぬ―」
(4)由来。来歴。いわれ。
「―を語る」「いわれ―」
(5)言いがかり。
などのように使います。
「やいコラ!おまえはオレに因縁つける気か!」などとも使ったりします。
日本では、この言葉をついつい因果応報の「宿命論」で考えてしまう長い文化があります。
天理教人も、その流れで思考してしまったようです。
本席さんの「おさしず」には、「ぜんしょう」とか「いんねん」とか「来生」「生まれかわり」とかの言葉はあります。
しかしチト考えてほしいのです。ずっと親から子、子から孫へと生き続けている私たちです、前世といえば、親です。来世といえば子供です。
遺伝子的にも、肉体的、精神的にも、大きく影響されている私たち、いわば「生まれ替わり」といってよいでしょう。」
霊肉一元説で、身体だけでなく、思いの世界でも「輪廻転生」しています。
「人間とは一代ではない」のです。
だからこそ、競争文明から、補い合い、助け合い文明への価値観への、心の切り替え、出直しが必要なのだよ、というものです。
- [150]とみ新蔵 06/08/31 03:24 R8O1f9raex
- 先ほどの続編です。
特に、教祖の言う」「いんねん」とは「♪ききたくば、たずねくるなら、ゆてきかす」、よろずいさいの、もとなるを」の、をふでさきで言うところの「よろず委細の元の因縁」です。
これが世界でもピカ一であり、古記と甘露台つとめで表現した「にんげん(哺乳類ヒト科だけを指さない)はどのようにして誕生して、どのように暮らしてきて、どのように生きていけば、個人としても、社会としても、調和のとれた世界になるのか、という、ことわりを示されたわけです。
このことわりを「天然自然の理」「月日の理」「かみ」と表現されたわけです。
人間が参画して行う「調和の理」です。
お社の前で勤めるおつとめ、座って行うつおつとめは元来はないものです。
この点も、ズーーーン!と腹に落として、頂かなくてはならないところですが。
したがいまして、みかぐら歌にある「♪心得ちがいは出直しや」は100%「生きながらの心のやり直し、切り替え」という意味です。
私事ですが、教祖が、霊肉二元論の前生因縁納消の道を教えられたとするのなら、当時の坊さんのお説教の常識ですから、私には何の関心も起こらない人です。
ブッダにも、もちろんイエスにもソクラテスや孔子や老子や孟子や、親鸞や道元でさえ、観ること、表現できなかった「よろずいさいのもとのいんねん」
これが、世界の思想界、宗教界でも、まだ見当たらないところで、私の最も驚くところで「最後の教えである」との教祖の烈々たる自信が伺えるのです。
大変、難解なことを論じてすまない、、、とは思っています。
次にこのスレに来るときは、教理ではなく、おやさまの、たすけ、の実践について、触れたいと思います。長文を読んで頂き感謝です。
とみオッサンより
- [151]リラックマ 06/08/31 04:02 D-snzhw
- どんさん、T.N.Doctrineさん、ありがとうございました。
お二人の投稿を読ませて頂いても、難しくてまだ判らない処があるので質問させて頂きます。
お二人の考えられる「魂」は「死ぬ」事により消滅するもので、遺伝子レベルでなら子孫に生れ変わる事はありえる、という理解でよろしいでしょうか?
もしそうであるならば、逸話篇一一○「魂は生き通し」は、どのような解釈になりますか?
正文遺韻の逸話集の中にある「人間の数に就て」と、「動物の進歩に就て」のお話、おふでさき第三号109の「神がだきしめ〜」は、どのような解釈になりますか?もし、とみサンや、お二人の説がホントだとすると、相当軌道修正をしなきゃいけないみたいなので、よろしくお願いします。
こうやって互いに談じ合って、ホントの処が判ればいいですけど、正直言って死ななきゃ判らないんでしょうね(^^)
だから、教祖は「前世」「来世」をあまり重要とされてないのでしょう…。
でも、やっぱり人間「死」について関心が無いと言ったらウソだと思います。だからこそ、とみサンも「死」についてあれだけ探求されているのでしょうし、世の中から宗教が無くならないのでしょう。
しかし、このスレッドは本当に楽しいですね(^^)自分の周りに、これだけ突っ込んで語り合える人がいないので(天理に行けば、仲間がいますけどね!)。ウチのかみさんも、まだあんまり興味なさそうですし(^^)けっこう生きがいを感じています。忙しい合間をぬって参加する価値のあるスレッドですよね(^^)
- [152]レインボー 06/08/31 06:54 ITBO5pWQMV
この頃の展開について行けず、忙しいのもあって傍観していたのですが、
私はリラックマさんの、教祖の御言葉をとても大切にしているところ、いつも感心しております。
私はあんまり教養がないからでしょうが、
理論的な話、科学的な話と教祖の教えを並べて考える事に
少し違和感を感じるのですが、参考になることもあるので頑張って読んでおります。
でも個人的な考え方の意見が多い中、リラックマさんが、教祖の教えには〜
と、本筋を行かれるところ、読んでいてうれしくなってきます。
応援してますので、またいろいろな話聞かせて下さい。
- [153]T・S教人 06/08/31 11:42 YRajtSrtCb
- 聞いてみて良かったです。教えてくれた皆さん有り難うございました。気が楽になりました。とみ新蔵先生にも聞いてみたいなあ。
- [154]リラックマ 06/08/31 14:26 D-snzhw
- >>152レインボーさん、ありがとうごさいます(^^)
今から四日程東京に出張しますので、しばらくお邪魔出来そうにありませんが、皆さん今後もよろしくお願いします。
>>153T・S教人さん、がんばってくださいね!
話題がちょっと立て込んでいて、意見を言えなかったのですが応援しています。
- [155]T.N.Doctrine 06/08/31 22:44 iGBhKVUxse
- >>152 レインボーさん、こんばんは。
私もリラックマさんのご姿勢には、いつも敬服させられています。
当初、天理教にやや批判的なスタイルで登場されたように思っていましたが、何のことはない、一番真摯な、オーソドックスな信仰者のようにも思えます。
それに比べると私は、時々遊んで、皆さんを煙に巻いてみたり、またことさら科学的な難解な解釈を試みて、困惑させていることがあるかも知れません。その意味で、レインボーさんにもいくらか失望感を与えてしまったことがあるかも知れません。
しかし、こんなことも考えてみてください。
かつて熱心なキリスト教徒は、聖書に書いてないからといって、ガリレオの地動説をはねつけました。ダーウィンの進化論に至っては、未だに神の教えに背くものだとして、学校の授業で教えないと言うアメリカの州もあるそうです。
しかし、私には地動説を信じることが決して聖書の価値を下げることにはならないように思えますし、進化論がキリスト教を貶めるようにはとても思えないのです。科学的事実を認めた上での新しい解釈の仕方があっていいと思うのです。
お道の信仰においても、例えばこの世人間の宿しこみの場所はお地場ということになっています。
しかし科学的に言うと人類発祥の地はアフリカ中央部、もしくはやや東の位置にあるというのはほぼ定説になっています。
天理教徒としてはこれを無視すべきなんでしょうか?
私はそうは思いません。
生物学的な人類としての誕生は東アフリカであったが、「陽気遊山が見たいゆえから」と、宿しこみの目論見がなされた、言わば形而上学的な象徴の場所が天理だったと解釈しても、一向に差し支えないように思えるのです。
またこの世が神の体とすれば、地球上の日本とアフリカの距離は、神様にとってへその緒ほどの長さに過ぎないかも知れないのですから。
或いは、九億九万九千年という年月も同様です。
「夫婦をこしらえ来たるでな」という原典の意味から、真の生命の誕生が、真核細胞と原核細胞の結合、つまり雌雄による交配によって初めて発展性のある種が登場した時点だと限定しても、科学的には20億年前のこととされているのです。
そうすれば教祖は嘘を言ったことになるのでしょうか?
これも私は、とてつもない年限という象徴的な表現と捉えています。これに一を加える形で教祖の登場となるわけですから。
(更に数学的に厳密にいうと、本来は九千九百九十九億九千九百九十九万九千九百九十九ということになるかも知れませんが、これも当時の人にとって、一歩手前という認識ではほとんど意味が一緒だったと思います)
「魂」の問題もなんとなく解っているつもりでも、具体的に何なんだと言われた場合、きちんと答えられる人は少ないでしょう。
「魂」が解ってないのに、「魂の生きどうし」を信じるとすれば、少し変だと思いませんか。
そんな意図で今、攻めさせて貰っています。多少の遊び心で。
もう少し付き合って下さい。
>>151 リラックマさん、レスが後先になりましたが、お伝えしたいことは上に同じです。ちょっとシリ−ズになるかも知れません。
- [156]T.N.Doctrine 06/08/31 23:39 iGBhKVUxse
- 少し補足します。
>>148 において便宜上「霊魂」と「魂」を区分けしました。
実際は同じ意味で使われる場合もあるでしょうし、言葉では分け得ても実体は不可分なのかも知れません。というより、あるものの全体を魂と言い、その上層部に注目するときに霊魂と言って使い分ける程度のことかも知れません。
また、とみ新蔵さんが指摘されてたように、ヨーロッパ流の霊肉二元論的な考え方と違って、日本では霊的なものが実体の属性として、それそのものに元々宿ると考えられてきたようです。
(ヨーロッパ流の考え方に顕著なのですが、もしも霊魂が肉体と分離して存在しうるものなら、そもそもいつ頃から、また何故に肉体を必要とするようになったのかという素朴な疑問が起きます)
日本人を含め東洋人は、元来生き物全てに魂が宿っているものと考えて来ましたが、少なくとも西欧人は人間以外の生物に「霊魂」が宿っているとは考えないようです。
勿論西欧でも古代においては、「霊魂」という言葉は使わないまでも、「森の精」「水の精」などと言うように自然に対してスピリチュアルなものを感じていた時代はあったのですが、キリスト教的世界観が行き渡り、自然は人間によって征服されるものとされた結果、それらの信仰は消滅したのでしょう。
生き物及び自然に宿るとするスピリチュナルなものを称する場合、「精」「精霊」「魂」「霊魂」「霊性」「仏性」等々、様々な呼称がありますが、その境界はあいまいなものです。言葉だけで直感的に分けているような気がします。
- [157]T.N.Doctrine 06/09/01 00:42 iGBhKVUxse
- 続けます。
物質にも魂があると考えるのがアニミズムの世界ですが、
無機物→有機物→有機アミノ酸(たんぱく質)→リボ核酸→デオキシリボ核酸(DNA)→ウイルス→バクテリアと発展・進化の足跡を辿る中で、生命と非生命の境界も危うくなって来ています。
バクテリアは完全な生命体ですが、ウイルスを生命としない学説も強いようです。人間の体内の白血球を一個の生命とし得ないと同様、活性たんぱく質の一種と見ている訳ですが、その活動においてバクテリアと似た特性を持っていることは皆さんご承知の通りです。
そうすると無機物のうちから魂が宿っているとする方が、むしろ合理的かも知れません。
仮にクローンで人間を作る場合、その魂はどこからやってくるのでしょう。物陰に隠れていて誕生の瞬間、いきなりひょいと憑依するのでしょうか。
一方で、実体(肉体)の成長に伴って「魂」ないし「霊」も成長を重ね、人格を形成していくものだとして、また個人の生きた証はDNAによって保存・継承されて、それが「魂の生き通し」の舞台裏なのだと言ってしまって、肉体の消滅と共に霊魂も消滅してしまうとすると随分と異論が出るでしょう。
仏教では魂の行き場として地獄・極楽があるとされるが、一方で仏壇に位牌を置き、毎日そこに魂が鎮座しているかのように灯明を上げたり、線香をあげたりする。お盆にはこの世に御魂が帰ってくると言うのでお墓参りしたりする。はたまた生まれ変わりもあるとなると、あの世の魂も相当忙しいに違いない。
最愛の妻と死別して、再婚しやがて一緒にあの世に行った場合、家庭内の調整は大変でしょう。あの世にも家庭裁判所が必要とされるかも知れません。
霊の世界、死後の世界は、考えれば考えるほど矛盾に満ちた要素が見えてきます。そんなこともあって、世に言う霊能者が霊視したり、除霊して見せたり、またそれをメディアが商業主義的に取り上げたりする傾向に批判的なのですが、かと言ってそれを全て否定するものではありません。またいずれ、ご紹介する機会があるかも知れませんが、ちょっとした霊的体験をしたことがあったりするからです。
それでも尚、科学的に見ればどうなんだというスタンスは持ち続けたいと思っています。
- [158]日本の男 06/09/01 00:49 LxqyEJzFrk
- すごい深い話ですね。
ところで、T.N.Doctrineさん。
昔、山本利雄先生の「いのち」を読みましたが、生物学の検知で夫婦(有性生殖)が現れたのは約10億年前とされていましたが、最近では20億年前になったのでしょうか?
少し残念ですなぁ〜。。。 科学の世界も進歩しているのですね。
ところで2、今日時期総理大臣の阿部さん再チャレンジのニュースで、大学に入学させる前に、ボランティアを半年間させる。という方針が、掲げられるそうですね。(9月入学にするらしい)
さすがは教祖の教えがまずいきわたる国、日本ですね。徐々にお道の教えが浸透しつつあるなぁと、喜んでおります
評価基準をしっかりつくってもらいたいものです。
やらされているのか?心からさせていただいているのか?といった心を重要視してもらいたいですね
- [159]T.N.Doctrine 06/09/01 01:11 iGBhKVUxse
- もう一つ。
単細胞生物が自己増殖を繰り返す場合、「魂」は分割でしょうか、コピーでしょうか。同じものでなく別個のものと言えるでしょうか。
またその場合個体に死はありません。永久に分割し続けるだけですから。それこそ「魂の生き通し」です。
しかし、有性生殖の場合、生殖を行なった後、雌雄の親は必ず死に絶えます。運命としての死の始まりです。生殖は、新しい命に魂を吹き込む為の死を賭した行為と言えるかもしれません。これを変形した形での魂の生き通しと見る視点があってもいいのではないかと思うのです。
- [160]T.N.Doctrine 06/09/01 01:31 iGBhKVUxse
- >>158
そうなんです。20億年前の地層から有性生殖の化石が出てきているようです。
私は偉そうに言うんじゃないんですが、山本利雄先生の本を読んだ時から、新しい発見がありうるだろうことを予想していました。(先生そのものは非常に尊敬しているのですが、そういったことに限定を与える必要はないんじゃないかと思ってましたから)
- [161]どん 06/09/01 01:55 RQyWa7qbmQ
- >>151 リラックマさん、私はとみ新蔵さんのご意見に賛成という訳では
ないんです。ただ、非常に興味深く読ませて頂いたというのは事実です。
私の意見は以下のとおりです。「おふでさき」13号41〜49です。
けふまでわどんなあくじとゆうたとて
わがみにしりたものハあるまい
この心神がしんぢつゆてきかす
みないちれつわしやんしてくれ
せかいぢういちれつわみなきよたいや
たにんとゆうわさらにないぞや
このもとをしりたるものハないのでな
それが月日のざねんばかりや
高山にくらしているもたにそこに
くらしているもをなしたまひい
それよりもたん/\つかうどふぐわな
みな月日よりかしものなるぞ
それしらすみなにんけんの心でわ
なんどたかびくあるとをもふて
月日にハこのしんぢつをせかいぢうへ
どふぞしいかりしよちさしたい
これさいかたしかにしよちしたならば
むほんのねへわきれてしまうに
- [162]どん 06/09/01 01:55 RQyWa7qbmQ
- 以下は、私の個人的な解釈です。
今日までは、世界や世間のどんな悪事といっても、
それを自分の身に、つまり自分のこととして、考えた人はいない。
この、外界の悪を自分のこととして知るとは、一体どういう意味か、
親神が真実を言って聞かせよう。これを読む全ての人は考えてみてほしい。
世界中の人間は一人残らず、共体、つまり、ひとつだ。
自分以外の人というのは、じつはいない。
それはどういう意味か、なぜそうなのか。
じつは誰もが同じ魂の一部だからだ。
人間社会では、あたかも高低があるかのように誰もが暮らしているが、
本当は、人間として、等しく親神から分け与えた魂なのだ。
それに人間が日々に使う身体は、すべて親神から貸し与えているものだ。
魂は親神から分け与え、身体は親神から貸し与えた、人間は、みなひとつだ。
それを知らないから、誰もがみんなバラバラであるかのように思って、
何かしらの高低があるように思っているだけだ。
神はこの真実を世界中へ知らしたい。何としてもしっかりと承知させたい。
誰もが、これさえ、確かに承知できたなら、互いにいがみ合う心持はなくなるのに。
- [163]初代 06/09/01 14:45 DVbFML5HN/
- 皆様はじめまして。読んでばかりいる者ですが、本日は皆様のご意見をお聞きしたくて投稿します。まとまりのない文になってしまいますが宜しくお願いします。
天理教で依存症(アルコール・ギャンブルなど)は、どのようにしたらよくなるのでしょうか?
私は、10年程前主人のアルコールで入信し初席を運び翌月に2席目に行こうと決めた時に知人がご主人の借金で悩んでいると打ち明けられ、どうも天理教がよさそうだから話を聞いてみる?と誘いともにこの10年を歩んで来ました。
しかし、この度彼女はご主人と離婚することを決意しました。ただ引っ越し費用も家が売れなく実行にはいたっていませんが、依存症は、家族が手助けしてはいけないと言う事が世間の治療方針です。天理教は妻が変わればと言われ続け疲れたようです。
私でも離婚してしまうと思う程の借金で、家族の心はばらばらで悲惨です。子供は24歳の女子と高2の男子です。
知人を天理教に誘わなっかた方が、よかったのではないかと疑問に思っています。
まだ金銭に余裕のあるうちに、専門機関に行く事をすすめていれば今よりはましだったかな?と思います。専門機関がある事は最近知りました。調べなかったことにも責任を感じますが。
- [164]初代 06/09/01 15:04 DVbFML5HN/
- とみ新蔵さん こんにちわ
『出直し』=死 ではない事、得心出来ました。
現在の座りづとめはどのような経緯から、出来たものなのでしょうか?
- [165]とみ新蔵 06/09/02 03:43 dj6FnCpcgs
- 初代氏へ。
ご苦労様です。
知人をお道に誘ったことは、誤りではありませんでした。
価値観の転換、心の出直し、切り替えの機会はあるはずだからです。
人生はすべてが学びです。無駄なことは、何一つありません。
ただ、お道は、心の切り替えをはかるものです。
サラ金、ヤミ金の不当な利息で払いきれず、テンテコ舞の場合は、
自己破産など、
全国にある、被害者対策協議事務所へ相談に行って、法律的措置を取る必要があります。
なお、ヤミ金は法律違反です。
脅しも法律違反であることも御承知くださいますよう。
なお、お金がなくなっても、サラ金、ヤミ金には手を出さぬよう、御周囲の方々に、くれぐれもお伝えのほどを。
「座りづとめはどのような経緯から、出来たものなのでしょうか?」
との御質問へは、余りにも専門的になりますので、いずれ語ることと致します。
- [166]どん 06/09/02 04:00 RQyWa7qbhl
- >>163 初代さん、こんにちは。
>天理教は妻が変わればと言われ続け疲れた
よくわかります。涙が出そうになります。
ただし女性に限定した話ではありません。
私は男ですが、長男が先天性の障害を持っていることが
わかったとき「お前がもっとしっかりしなければ」とか、
言われました。三男が脳梗塞になったときは「夫婦の
心を揃えて」とか言われました。
私は「え?私が悪いのか?私のせいなのか?」と思いました。
妻が変われば、とか言う人は、おそらく悪気はないのでしょうが、
言われた方は、傷つくと思います。
私は思うのですが、他人がこうなのはアンタのせいだ、みたいな
こと言われたとき、傷つくのではないでしょうか。
そりゃ世界はつながっているだろうから、何かしらの影響は
あったのかもしれませんが、それはどちらか片方だけが正しいとか
間違っているとかいうものではないと思います。
それぞれが、お互いが、足りないところも持ちながら、
一生懸命、生きているんだと思います。
初代さんも良かれと思って、ご友人の幸せを願って天理教に誘った
訳でしょうし、誰も悪くないし、間違ってもいないと、
私は思います。また、誰でも埃の心遣いをすることはあるし、
間違うこともあると思います。矛盾するようなこと書いてますが、
うまく表現できなくてすみません。
- [167]どん 06/09/02 04:05 RQyWa7qbhl
- おあ!とみ新蔵さんがコメントなさってたんですね。
>人生はすべてが学びです。無駄なことは、何一つありません。
全く同感です。本当にそうだと思います。
- [168]T・S教人 06/09/02 10:10 YRajtSrtCb
- 話が又戻ってすいません。今月から少し下げることにしました。 実家は大教会の内住なので、両親にも聞いてみました。 答えは「出来れば下げない方が良いけれど、おつなぎは子供達のためにすること。」でした。そうやなあ。当たり前やと納得でした。
私で信仰四代目です。私自身も身上を持っています。
きっと、お道から離れる事がないようにこうして見せて貰ってる。
いつも、しんどくなって寝込んだ時は、そう思うのですが。 それも、兄弟四人居てるのに、私だけなんですよ。
あとの三人は元気なんです。子供のときから、なんか損してる気してました。何で私だけって。でも今は良かったなと思います。
- [169]T・S教人 06/09/02 11:17 YRajtSrtCb
- 高校の時の友人のことです。子供が出来なくて相談して来るけど。
有名な色んな神社、温泉に行ったそうです。
「そこまで行くなら、おぢば行こう。」と言ったのですが、
「お金が無い、暇が無い、知らない。」です。 ずっと誘っているけど、同じです。
「アンタの所も、一緒やろ。行って出来たら良いけど。 出来なかったら、どうしてくれるん。一人恵んでくれるんか。」 と言って思い切りガチャンって切られました。
コレには、何もいえませんでした。この頃は、誘ってません。 もう少し、皆さんみたいに勉強しないとなあ。
- [170]初代 06/09/02 14:40 DVbFML5HN/
- とみ新蔵さん、どんさんありがとうございます。
知人の置かれた状況は、ひどいものですが、結局は彼女がさとれるかに
かかっているのでしょうね。相手に求めない事が理想だとは思いますが、
人間はややもするとこちらがガンバッタ分、相手にも頑張ってと
思ってしまいますが、その中から心の成人をして行くしかないのでしょうね。
ただ私が最近、疑問に思っていることは、アルコール依存症を例にとりますと
断酒しかなく、しかも本人の意思がなければ改善しなく、家族は共依存になっては
いけない、と言うのが今の治療です。
これだと離婚率が高いようにみうけます。
お道は、別れたらよくなく(私も離婚はしないほうがいいと思います。)親が離婚すれば
子供の離婚も多い(これもうなずけます)ので、自分の因縁を自覚したんのうの道を通る
ようにとさとされます。最もだと思います。
世間の治療と180度反対ですよね。普通の人はお道の教えに共感しますが、実行し続ける
人は少ないので助かる率は低いのでは?と考えてしまいます。
天理教でのお助けは、どんな状況におかれても喜べる心が出来たときにお助けは
成功したと言うのでしょうか?
- [171]とみ新蔵 06/09/02 17:47 dj6FnCpcgs
- {人間はややもするとこちらがガンバッタ分、相手にも頑張ってと思ってしまいますが、その中から心の成人をして行くしかないのでしょうね。
ただ私が最近、疑問に思っていることは、アルコール依存症を例にとりますと、断酒しかなく、家族は共依存になっては
いけない、と言うのが今の治療です。
これだと離婚率が高いようにみうけます。}
私もアルコール依存症の人々を沢山みてきました。
酒に逃げる習慣は心に自分で勝手にコサえてしまった深い根本原因に縛られているため、抜け出すには大変なものもので、皆さん実は苦い酒の繰り返しです。
{{お道は、別れたらよくなく(私も離婚はしないほうがいいと思います。)親が離婚すれば
子供の離婚も多い}
近年は「自己中」(わが身思案)が多くなったので、
欧米並みに離婚流行りですね。
原因が安易に過ぎます。
夫婦は両目を明けて観ずに、ご互い様に片目をつぶって、それも細め眼にして暮らすのが秘訣です。
でも、ど〜〜〜うしても、うまくいかない、、、、、という関係には離婚もやむなきもの、と考えてきました。
親が離婚した人は子も離婚しやすいもの、、これは、親が暴力的だと子も暴力的になり易いことなどと同様で、
これこそ因縁(縁りて起こる原因)を自らで自覚して、軌道修正するしかなありません。
{お助けは、どんな状況におかれても喜べる心が出来たときにお助けは成功したと言うのでしょうか?}
はい。人様を、欝から陽の方向へ、プラス思考へ持って行くことがたすけの基本と思います。
それには、まず、自分が陽で、前向きで、心を大海のように広くすること、まず「自分から」始め、また自分が問われるものです。
そういう心を「月日の心」
人を見てわが子と思う「親心」です。
この心を持てば、大抵、人はたすかっていくもので、道の要諦ではないでしょうか。
- [172]T.N.Doctrine 06/09/02 22:30 iGBhKVUxse
- どんさん、こんばんは。
>>161-162 の
「せかいぢういちれつわみなきよたいや」の「きよたい」は「兄弟」ではなく、「共体」との解釈。
「兄弟」と受け取る方が自然のような気もしますが、それはそれで面白い考え方だと思います。
思うに「兄弟は他人の始まり」という言葉もあり、毛利元就が三人の息子に諭した「三本の矢」の教訓も、裏を返せば兄弟が相争うことが多いと言う現実があるのかも知れません。
(聖書にもアダムとイブの初めての子供、カインとアベルの兄弟の争いが書かれていますね。人類最初の殺人が兄による弟殺しとは、何とも・・・)
お説のように「共体」と解釈すると、「高山にいるも谷底にいるも同じ魂」とされる「魂」が、均質なもの・没個性なものに思えてきます。
教理的に考えましても、泥海中を見澄まし見つけた「どじょう」の「心根」を味わって人間の種とされたとするなれば、その心根において魂は均質なものでなければならないでしょう。
人間の魂は「神の分けみ魂」*であると言われていますが、そうであるなら尚更のこと、魂と言うものが本来は他者とのへだて・区別のないものだということになります。
ところが、誰それの生まれ変わりと言われる場合、既に均質性が失われています。個性化がなされています。
あたかも我々は、先発投手から真っ白なボールでなく、手垢の付いた玉を渡されて、汚れたマウンドに立つ中継ぎ投手のようです。
そして、良きにつけ悪しきにつけ、魂と言う白球に手垢や彩を付けて来たのは神様ではなく我々自身なんですよね。
* ヒンズー教や仏教の元になった、古代インドのバラモン教におけるウパニシャッド哲学では、まずブラウマン(梵天)という宇宙の魂があり、それから個々の自我(アートマン)が分離してできてくるのですが、それもやがては元のブラウマンに帰っていくとされています。お道の「神の分けみ魂」と同じような考え方ですね。
- [173]T.N.Doctrine 06/09/02 22:47 iGBhKVUxse
- >>169 T.S教徒さん、
ご友人のことを心配して、お誘いしていることだけで素晴らしいことだと思いますよ。
助け心を持ち続けることが肝心なのでしょうね。でも、こちらの思いが中々伝わらないことは多いですね。宗教そのものに警戒心を持たれている方も多いですから。
私も人に偉そうなことを言える立場じゃありません。共に頑張らせて頂きたいですね。
- [174]レインボー 06/09/02 23:39 ITBO5pWQMV
- >>170 初代さん、はじめまして。
私は天理教ではありませんが、教祖の教えを信仰する者です。
まだ、これといった実績も無い未熟者ですので、話半分で聞いて下さい。
教祖の教えは、願えば助かる「現世利益」の信仰ではないのはご承知と思います。
失礼かもしれませんが、もしかして相手の方は、
病気や悩みも無い、物質的に恵まれた世間的な幸福を望んでおられるのではないでしょうか?
世間が考えている「幸福」、もうこれは「よく」にまみれたいい加減なものだと感じます。
十下り四ッ よくにきりないどろみづや こゝろすみきれごくらくや
私は、教祖の教えで説かれる価値観と、一般的な人間の価値観は雲泥の差だと思います。
価値観と言えば、たとえ教えを知らなくても、大病をしたり大きな苦労をして不自由すると
社会の恩恵や、人の心の暖かさ、また、お金儲けや出世のむなしさなどに気付けたりして
それまでの価値観が一変し、本当の幸せにめぐり合えるような人もいます。
でも、教祖の教えはその核心と言える、真の幸福、陽気暮らしです。
今までの価値観を捨てて、この道ならではの価値観を身に付けられるまでは、
もしかしたら苦労は絶えないのかもしれません。
神様の御心は、苦しませることではなく、気付かせてあげたい、という思いのはず。
それは、初代さんの相手の方だけでなく、初代さん自身にも言えることかもしれません。
相手の悟り次第ではなくて、初代さんの悟り次第で、相手も悟れるような気もするのですが。
勧めないほうが良かった、なんて言わずに、助けたい力になりたい、という心は捨てないで下さい。
実はこれ、私の大きな課題でもあるんです。
突然えらそうに申し訳ありません。失礼しました。
- [175]初代 06/09/02 23:41 DVbFML5HN/
- とみ新蔵さんありがとうございました。
知人も自己中です。全て自分の考えで家族を動かしています。(私もありますが)
あるサイトで(天理教会)でギャンブルの解決は、専門の弁護士にお願いした方がよいと書かれていましたので、3年前司法書士でしたが本人(ギャンブル依存の本人)が相談に行き返済額をへらしてもらいました。
結果、サラ金からはかりれなくなっています。そしたら、生活費・子供のアルバイトの貯金まで使い込み始めました。
ジコチュウでなくても耐えられなくなってしまいます。
家族側の心の持ち方は、理解出来ました。ギャンブル依存が助かった例はあるのでしょうか?
ちなみに、この彼女は教会からはとうに見放されてしまいました。
教会と言う所は、どんな事があろうと見放してはいけないと思います。
ともに悩んで欲しいと思いますが、私の考えは間違えでしょうか?
とりとめなくなりますが、天理教の教えはまだピカイチとまでは、思い至りませんが、いい教えだと思っています。
昨年、ネットで調べ始め質問をしてから、考えた末、教祖120祭を区切りとして何年も行っていた月次祭に行くのをやめました。お供えも減らしました。
本当にお供えをしたい時は、本部に行こうと思います。
私は天理教難民だと、言っています。人のせいにはしてはいけませんが。
- [176]初代 06/09/02 23:50 DVbFML5HN/
- レインボーさん ありがとう!!
本当にそうだと思います。
私は、本当に彼女がよくなるにはどうしたらいいのだろうと、常に考え私の意見も遠慮なく言わせてもらっています。
今は、どうなろうと彼女が言いたい事は何でも吐き出し、聞いてやろうと言う心境です。
そして、いつのことか分かりませんが、彼女が心の成長が出来ればいいなぁと思っています。
- [177]レインボー 06/09/03 00:51 ITBO5pWQMV
- >>176 初代さん、ありがとうなんて恐縮です。
でも、とても前向きな姿勢に安心しましたし、私自身も勇気付けられます。
陰ながら応援しますので、また進展ありましたら教えて下さい。
あともう一つ気になるのは、夫婦の間柄です。
ご主人がギャンブルに走った理由は何なのでしょうか?
もし奥さんが、少しでもご主人の心を癒し、満たしてあげられる事が出来れば、
このような結果にはならないように思ったのですが。
- [178]レインボー 06/09/03 00:55 ITBO5pWQMV
>>155 T.N.Doctrineさん、こんばんは。
いつも反応が遅くてすいません。今日は特別に頑張って参加してます。
「天理教にやや批判的なスタイル」でしたか〜。どうも失礼しました。
私の教団でも同じことで、教祖の教えを知る者として、教祖の精神を受け継いでいけない現状に、
つい、自分の未熟さを棚上げして、批判的になってしまいます。
だから、批判だけに終わらず、もっと自分を磨いていかねばと
だらだらしがちな自分を叱咤している、口先とは相反する自分です。情けない・・・
ところで、T.N.Doctrineさんのご意見は好きですよ。失望なんてとんでもない。
聖書とガリレオの地動説のお話は、分かりやすくて成る程と思いました。
ただ私は、100%科学も正しいと信じていいのだろうかと。
実際、自分の目で確かめたわけでもないのに、科学は正しいと信じるのは
それはまわり全ての人々が正しいと思っているからでしょうね。
それで、本当に正しければいいのですが、以前も嘘の石器の発掘でだまされてましたし、
私はこちらの方も氷山の一角で、教訓にすべきだと思うのですが。
そんなあやふやな定規で測る話より、いろいろな体験で実感されたお話の方が、私はたまらなく好きです。
駐車場で車に日除けされた話なんて、すごく目に浮かびますし、心に伝わるし忘れないんです。
私はまだまだそんな披露できるような体験があまりありませんので、
出来ればそういう話を、T.N.Doctrineさんに限らず、聞かせてもらいたいのですが。
注文が多くてすいません。また、気が向いたらでいいので皆さんもお願いします。
- [179]はじめ 06/09/03 06:42 UlZGnDVX8Q
- 突然ですが、
初代さんが
>>164 で
>『出直し』=死 ではない事、得心出来ました。
と書いておられますが、死も出直しの中に含まれると理解されての言葉だと良いなぁ。と思いました。
全然的はずれかもしれませんが、
こんな逸話編があります。
逸話篇199
【一つやで】
兵神真明講周旋方の本田せいは、明治十五年、二度目のおぢば帰りをした。その時、持病の脹満で、又、お腹が大きくなりかけていた。それをごらんになった教祖は、
「おせいさん、おせいさん、あんた、そのお腹かかえているのは、辛かろうな。けど、この世のほこりやないで。前々生から負うてるで。神様が、きっと救けて下さるで。心変えなさんなや。なんでもと思うて、この紐放しなさんなや。あんた、前々生のことは、何んにも知らんのやから、ゆるして下さいとお願いして、神様にお礼申していたらよいのやで。」
と、お言葉を下された。それから、せいは、三代積み重ねたほこりを思うと、一日としてジッとしていられなかった。そのお腹をかかえて、毎日おたすけに廻わった。
せいは、どんな寒中でも、水行をしてからおたすけにやらせて頂いた。だんだん人が集まるようになると、神酒徳利に水を入れて、神前に供え、これによって又、ふしぎなたすけを続々とお見せ頂いた。こうして、数年間、熱心におたすけに東奔西走していたが、明治十九年秋、四十九才の時、又々脹満が悪化して、一命も危ないという容態になって来た。そして、苦しいので、「起こせ」とか、「寝させ」とか言いつづけた。それで、その頃の講元、端田久吉が、おぢばへ帰り、仲田儀三郎の取次ぎで、教祖に、お目にかかり、事の由を申し上げると、教祖は、
「寝させ起こせは、聞き違いやで。講社から起こせ、ということやで。死ぬのやない。早よう去んで、しっかりとおつとめしなされ。」
と、仰せ下された。そこで、端田等は急いで神戸へもどり、夜昼六座、三日三夜のお願い勤めをした。が、三日目が来ても、効しは見えない。そこで、更に、三日三夜のお願い勤めをしたが、ますます悪くなり、六日目からは、歯を食いしばってしまって、二十八日間死人同様寝通してしまった。その間毎日、お神水を頂かせ、金米糖の御供三粒を、行平で炊いて、竹の管で日に三度ずつ頂かせていた。
医者に頼んでも、「今度は死ぬ。」と言って、診に来てもくれない。然るに、その二十八日間、毎日々々、小便が出て出て仕方がない。日に二十数度も出た。こうして、二十八日目の朝、妹の灘谷すゑが、着物を着替えさせようとすると、あの大きかった太鼓腹が、すっかり引っ込んでいた。余りの事に、すゑは、「エッ」と、驚きの声をあげた。その声で、せいは初めて目を開いて、あたりを見廻わした。そこで、すゑが、「おばん聞こえるか。」と言うと、せいは、「勿体ない、勿体ない。」と、初めてものを言った。
その日、お粥の薄いのを炊いて食べさせると、二口食べて、「ああ、おいしいよ。勿体ないよ。」と言い、次で、梅干で二杯食べ、次にはトロロも食べて、日一日と力づいて来た。が、赤ん坊と同じで、すっかり出流れで、物忘れして仕方がない。
そこで、約一ヵ月後、周旋方の片岡吉五郎が、代参でおぢばへ帰って、教祖に、このことを申し上げると、教祖は、
「無理ない、無理ない。一つやで。これが、生きて出直しやで。未だ年は若い。一つやで。何も分からん。二つ三つにならな、ほんまの事分からんで。」
と、仰せ下された。
せいは、すっかり何も彼も忘れて、着物を縫うたら寸法が違う、三味線も弾けん、という程であったが、二年、三年と経つうちに、だんだんものが分かり出し、四年目ぐらいから、元通りにして頂いた。
こうして、四十九才から七十九才まで三十年間、第二の人生をお与え頂き、なお一段と、たすけ一条に丹精させて頂いたのである。
- [180]まっぷ 06/09/03 10:21 iGBhKTdohP
- 皆様、こんにちは。
いつも、こちらで、感動と、やる気、心の宝を頂いている者です。
胸が痛んだり、涙が出たり、感心したり・・・
これからも、学ばせて下さい。
T.N.Doctrineさん、どんさん、
お久しぶりです。
お元気なご様子、安心いたしました。
- [181]T.N.Doctrine 06/09/03 10:29 iGBhKVUxse
- >>178 レインボーさん、レス有難うございます。
>天理教にやや批判的なスタイル・・・は、実はリラックマさんのことを書いていたのですが、ちょっと言葉不足でしたね。
しかし、真摯で、オーソドックスな信仰者というのはあなたも全く同様だと思っています。
科学についてですが、以前にも何度もコメントさせてもらっていますが、私も全て正しいと思っているわけではありません。
ただ、未信者の方や他宗派の方を含め、世間一般の人々とお話させて頂く際の「共通言語」のようなものだと考えているだけなのです。
仰るように、科学的真理とされてきたものも次々に改正・改ざんされてきております。今正しいとされている科学的真理も、明日には間違いだと指摘されることは多々あるでしょう。しかし、我々は現在確かだとされていることを基準に語らざるを得ない訳です。
私は信仰の側から科学を捉える場合、二つの視点が必要だと思っています。
一つは、科学的法則とされるものそのものも神様によって造られているということです。だからこそ多くの科学者が、科学を探求すればするほど神の御業としか言えないと感嘆されるような領域に達されるようです。
ニュートン、パスカル然り。アインシュタイン然り。
村上和雄先生も多くの著書でそのことに触れられていますね。
現代医学も科学的探究の成果ですが、それが正当性・妥当性があるからこそ、中山正善2代真柱さまも天理に憩いの家を建設されたのだと思います。
もう一つの視点は、これも以前にも述べさせてもらったことの繰り返しで申し訳ないのですが、科学的真理・客観的事実というものと生活上の真実、あるいは心情的理解と言うものの違いです。
地球が東の方に向かって自転しているのが科学的事実だとしても、日常そんなことを考えて生活している人はいないと思います。やはりお日様が、東から昇ってきて西の方に沈んでいくのですね。そしてその赤い夕日が悲しい色に見えるなんてことは、科学的客観性とは異質なものです。
そういった「二つ一つが天の理」という世界を、時には真摯に、時には遊び心を持って、私は行き来し、楽しんでいるところです。
- [182]リラックマ 06/09/03 10:43 D-snzhw
- 皆さん、返事が遅くなりました。
>>155-157 T.N.Doctrineさん、ありがとうございました。私も、山本利雄さんの講演を聞いた事がありまして、おっしゃられる事判ります。初めて講演を聞いた時は「へぇ〜!」「すごいなぁ!」の連続でした。
山本利雄さんは、確か学者さん(医学博士?)だったと思いますが、T.N.Doctrineさんの思案の仕方も、まさに学者さんタイプと言えるでしょうね!
昔なら「学者、金持ち後回し」となるんでしょうが、現在の科学の進歩のレベルは、天理教の教理を科学である程度説き明かせるか、せないかという処まで来ているのか、一部の学者さんにはかなり注目されているみたいですね!?
だから、T.N.Doctrineさんの、科学で証明されていないものは心底からの信用はしないというスタンスに、尊敬の念は持ち合わせているつもりです。
「魂」「霊魂」についても、いずれは科学で証明される時が来るでしょうし…
人間が死んだ時、0.02グラムだったかな?、必ず軽くなるらしいですね。おそらく、それがきっと「魂」の重さなんだろうと、私は勝手に思っているのですが!「魂」に重さがあるのなら、「魂」とは物質なんでしょうし、いずれは科学で証明される時が来るでしょうね。
>>161-162どんさん、ありがとうございました。勘違いもあったみたいで、すみません。
ご意見を読ませて頂いて、内容も興味深いものですが、それ以上にその文体というか、醸し出す雰囲気が、T.N.Doctrineさんもおっしゃられていましたが、非常に文学的というか、センスのよさを感じますね!
私は、自分で集めた資料を使って、将来「自分だけの教祖伝」を書いてみたいと思っているのですが、どんさんにも、ぜひ書いて頂きたいなあと思うくらいです(^^)
今後もよろしくお願いします!
>>180 まっぷさん、よろしくお願いします。(^^)
- [183]リラックマ 06/09/03 16:43 D-snzhw
- 逸話篇一一○ 魂は生き通し、の考察です。
‘教祖は、参拝人のない時は、お居間に一人でおいでになるのが常であった。そんな時は、よく、反故の紙の皺を伸ばしたり、御供を入れる袋を折ったりなされていた。
お側の者が、「お一人で、お寂しゅうございましょう。」と、申し上げると、教祖は、
「こかんや秀司が来てくれるから、少しも寂しいことはないで」
と、仰せられるのであった。
又、教祖がお居間に一人でおいでになるのに、時々、誰かとお話しになっているようなお声が、聞こえることもあった。〜’
この逸話篇を読ませて頂いて、私は「こかん」や「秀司」の魂、いわゆるユーレイさんが教祖の所を尋ねて来て、お話されている逸話だと解釈しております。(おそらく側の者も、普通にそう解釈したと思います)
ところが、これを「魂」は消滅して、亡くなった者の想いが輪廻転生するものと解釈して読みますと、この逸話は、教祖が亡くなった自分の子供達の思い出に浸っているお話、という事になります。(違ってたらすみません)
しかも、その思い出の中の子供達とお話されている訳ですから、どうかしたらキチガイか認知症の老婆の話になる訳です。
果たしてそうでしょうか?もしユウレイさんじゃないとしても、未来思考であるはずの教祖が、亡くなった自分の子供達の思い出に浸るなどという消極的な行動をとられるでしょうか?
やはり「魂」は生き通しと解釈したほうが、自然ではないでしょうか?
もし後者の説が正しいとするならば、「狐憑き」などが当たり前に信じられていた時代に、なぜこのような話を側の者に話されたのでしょうか?教祖がこんな事を話されれば、当時の人々は普通に「ああ、教祖の子供さん方がおいでになってるんだ」と解釈すると思います。後者の説が正しいとするならば、ここに非常に矛盾を感じます。
しかも逸話篇には、この後、
‘又、ある時、味醂を召し上がっていたが、三杯お口にされて、
「正善、玉姫も、一しょに飲んでいるのや。」
と、仰せられたこともあった。’
と、未来に生まれてくる者の魂、ユウレイさんと話されている、否、一緒に行動されているとしか思えない話も掲載されています。
これも後者の説だと矛盾を感じます。
皆さんは、この逸話篇の解釈、どう思われますか?
- [184]リラックマ 06/09/03 20:14 D-snzhw
- 連スレすみません。
>>181T.N.Doctrineさん、私は‘天理教の組織には懐疑的なスタイル’とでも申しましょうか、そんなところです!
教祖の教えに関しても、よく判らない処はとりあえずスルーしてますし、とても真摯でオーソドックスとは言えないと思います。
最近来られませんが、Kさんのような方がそれにあたると思います。Kさんと違い、素直・純粋という言葉には程遠いのが、自分という人間です。
>>2で紹介させて頂いた「山沢先生の御話」より〜
〜又親様は、『学者は後廻し』と仰有ったが学者は後廻しとは、何も親様に於ても後に廻したいことはないのだが、学問を研究した人、世間の事も知って明るくなると、俺が偉い俺が賢いという心で人を下目に見る様な心持ちになって、世に云う学者高慢と云う風に人の云うことは何でも、取るに足らんという様なのが多い。しますからして聞く心がなければ無理にどうとは仰せられません。御言葉に『来んものに無理に来いとは云はんでな、つき来るならば何時までもよし』と仰しゃってありますから学者でも、同じ様にこの教えを一般の者に早く聞かして真の道を通したいというのが親様の思召であるのだが、『聞く心が無いとすれば仕様がない、然し早いかおそいかいづれかに解って来る時もあるやろ ついて来る』と仰しゃってあります。
一応参考までに、紹介させて頂きました。T.N.Doctrineさんの事を高慢だという意味ではありませんので、わかって下さっているとは思いますが(u゚∀゚)
このスレで、お互い談じ合わせて頂いていますが、言ってみればお互いが教祖の研究者、学者とも言える訳です。教祖のこの御言葉は、学者に限らず皆が心に止めておかねばならぬ言葉だと思います。そういう意味で、紹介させて頂きました。
- [185]初代 06/09/03 22:09 DVbFML5HN/
- >>177
>あともう一つ気になるのは、夫婦の間柄です。
ご主人がギャンブルに走った理由は何なのでしょうか?
もし奥さんが、少しでもご主人の心を癒し、満たしてあげられる事が出来れば、
このような結果にはならないように思ったのですが。
そう思いますが、彼女は出来ないのです。分からないと言った方がいいかも知れません。
どれだけ言わせてもらった事か、本人はやさしくしているつもりなのですが、私から見たら
何にもやっていないに等しいのです。
どうも育った環境にもあるのでは?と推察します。人の気持ちを考えれない事が可哀想と思う時があります。
私が思う事に、言われて分かる人は困ることが少ないと考えます。
だから知人のような人にこそおたすけが必要なのではないかと思っています。
これは彼女から学んだことです。
- [186]T.N.Doctrine 06/09/04 00:19 iGBhKVUxse
- >>180 まっぷさん、こんばんは。
また、かっぱえびせんみたいに書き出したら止まらなくなりそうです。
自分の意図が正確に伝わっているか心配になって、つい長くなってしまうのです。
それに難しい話ばかりして済みませんね。たまには辛口の批評でもいただければ・・・。
>>182 リラックマさん、こんばんは。
>科学で証明されていないものは、心底からの信用はしない・・・
と言うほど、科学万能主義者でもないんです。ただ科学で追認したいだけなんです。
信仰と言うものは主観的解釈がいくらでもできますから、科学に「共通言語」としての役割を与え、翻訳をしてみたい、と言ったところです。
>>184 う〜ん、痛い所。
正直私も高慢なところ大いに有りです。人の意見を聞く耳は持っている積りですが・・・。
教祖は、学問にないことを言うと仰っていますよね。
でもそれは当時の学問にはないということでしょう?
そのうち教祖の教えが、そのまま学問とされる時代が来るかもしれませんね。その時は多分、科学的例証が添えられていると思いますが・・・。
>>183 順番が逆になってしまいましたね。この逸話の理解は難しいです。ユングの超心理学の世界にそのヒントがありそうですが、一般的に言うと常人の理解を超えていますね。軽々に論じ難いことです。
教祖の魂は存命ですから生まれ変わりはないことになるでしょう?
秀司さんやこかんさんはどうなのでしょう。いずれ生まれ変わるとしても、生まれ変わりまでにはかなりの時間的余裕があるということでしょうか? 仏教ではあの世に行けず、つまり成仏できずこの世に留まっている霊というものがあるようですが、お道ではそこまで具体的に踏み込んだ話はないでしょう?
全ての人が誰かの生まれ変わりだとして、またその魂は人格なり個性なりを持つものとすれば、その魂もその前の人格を持った誰かの生まれ変わりであり、その前の魂も又誰かの魂の生まれ変わりであり、・・・延々とさかのぼって行くとしたら、我々は何階建てもの人格を背負ってここに立っていることになりそうです。その人格や個性が先天的なものであり、本人の実人生に左右されないものであるなら、何代さかのぼっても一緒ということになるし、人格らしきものが実人生の中で形成されていくものとすれば、我々は各時代を生き抜いたそれぞれの人生を含み持つ多重人格者になってしまうのではないでしょうか。
夭折した子供の霊が、この世との接点を持ちうるならば、世故の知識を得て大人びてくるかも知れません。そうなると、もう子供の霊などと言っておれません。また若い頃しゃんしゃんとしていたのに、だんだんと老いぼれて終いには痴呆と変わらないようになって出直しされた人の霊は、元気な頃の様相を持ちうるのでしょうか、それとも死ぬ間際のまんまでしょうか。
かくも霊の話は難しく、安易には語れないものです。気をつけレイ!(しょうもない親父ギャグで失礼)
また魂の話をするならば、狼少女カマラについて語らねばなりません。幼児期、狼に育てられたカマラはその後人間に救助され、数年間人間教育を受けましたが、夜中に遠吠えするなど野獣の本性を見せ続け、結局人間の心を持つに至らなかったと言います。人も動物も同じ魂で、経験知を加えて霊になるとすれば、一応筋は通りますが・・・。
- [187]はじめ 06/09/04 09:14 UlZGnDVX8Q
- 教祖の言われた話・言葉を信じてますか?
教祖の言葉を信じるから、天理教を信仰していると言えるわけで、「学問的に解釈出来ないからその言葉は信じない」と、言ったならば、天理教を信仰しているとはいえないと思います。
かしもの・かりものも、「教祖が言われたから、そのように考えよう。その考えで心を治めて行こう。」と言うのが元だと思います。
「学問に無いこと」と言われるのは、人間が智慧文字の仕込みを頂き、自らの歴史を残した、それ以前のこと「元の理の話」を言われていると私は理解しています。
どんさんがブログで、(どんさん。勝手に持ち出してすみません。)
・・・私は非常に奇妙な感覚になりました。
「あれ、もうお祖父ちゃんの心の中には僕はおらんねや。」
事実としては、私は祖父の孫なのですが、
祖父が私のことを忘れてしまった以上、孫としての私は、
祖父にとっては存在しなかったのと同じなのではないか。
死ぬってそういうことかもしれない。
と、そんなことを考えたこともあります。・・・
と書かれていましたが、正しくその通りだと思います。
記憶できるのも、思い出せるのも親神様のお働きがなければできないのです。
じゃあなぜ、記憶できない、思い出せない人を世話させるように、この世に置かれるのか。やはりいんねんの果たし合いだと私は思います。
認知症になった老人の方に接した時、接する人によってその老人の対応が違うことに気が付きました。接する方のいんねんによって違うんだ。とその時思いました。
リラックマさん。
教祖の逸話で、意識の無くなった人に対して、すでに生まれかわっている云々。というようなものがあったように記憶しているのですが、ご存じないでしょうか?
- [188]まっぷ 06/09/04 13:03 iGBhKTdohP
- >>182 リラックマさん、はじめまして。よろしくお願いします。
いつも、読ませて頂いております。
10代の頃、初席で、教祖伝を聞かせていただいて、
感動でぽろぽろ涙が出ました。
今思うと、その頃は人生の岐路に立っていたと思います。
おやさまのお話にふれて、こころを救われた者です。
あの時、お話を聞いて無かったら・・と思うと・・(冷汗)
また、お話楽しみにしています。
>>186 T.N.Doctrineさんへ かっぱえびせん・・好きです。
辛口の批評なんて、とんでもございませぬw
いつものように、話してくださいね。
お話待っていますので・・。
- [189]T.N.Doctrine 06/09/04 20:22 iGBhKVUxse
- はじめさん、こんばんは。
あなたは本当に純粋な信仰をされている方だと思います。
>>187 は一連の私の書き込みに対してコメントされているかと思いますが、少し私の意図するところが伝わってないような気もしますので、念の為申し添えておきます。
まず、>教祖の言われた話・言葉を信じますか? ですが、
多分、教祖の語られたことを信じようとしない人は、わざわざこのサイトには来られないでしょう。また言葉を信じるということと、言葉の意味することを信じると言うことは、微妙な差異があります。
例えば「おふでさき」を読む場合、「受け取る筋も千筋」と言われるように解釈に幅があるように思えます。そこで教団本部なり、先達の先生方が模範的な解釈の仕方を示します。大抵の人はこの解釈に沿って理解していきます。しかし、それだけが唯一の解釈かといった課題が消えることはないでしょう。 そのような観点から、皆さんが色々なアプローチをしているんだろうと思います。
次に、>「学問的に解釈できないからその言葉は信じない」・・・
とは、私は言っていません。せいぜい科学的にどんな解釈が可能だろうかと思案中、という程度に理解しておいて下さい。そしてそれも私にとっては信を深めるためなのです。
信ずると言うことはどういうことか、「信」の根拠は何処から来るのかといったことは、過去スレで言ってきましたので繰り返しませんが、信仰に限って言いますと、私は得心できてこそ初めて信仰たりえると思っています。(核心部分においてはですよ)
意味も解らず丸暗記したようなものは、知識ではありえても少なくとも教養では有り得ません。信仰も同じ様な要素があると思います。
信仰は信ずることから始まるのは当然なのですが、「思案」というものを怠ると、例えばオウム真理教の麻原氏のことを無条件に信じることになりかねません。世のカルト教団も「思案のない信」、「間違った思案からの信」から出発していると思います。
それを免れる為の手段の一つとして、また各々の「信」を仲介する「共通言語」として科学的客観性というものが有り得ると言っているだけなのです。また各宗派なりが自分たちのものが唯一絶対で、他のものは何も信じられないし共通の言葉を持つ必要もない、というスタンスなら会話さえ成り立ちません。
とみ新蔵さんも仰っていましたが、お産が忌みものと言われ、油物など取らないのが常識とされていた時代に、教祖は全く逆のことを言われました。当時は非常識と思われたものが今は常識なのです。言葉を換えれば、教祖の言われたことは科学的にも正しかったと言うことです。
誤解を恐れずに敢えて言えば、科学は神のもう一つの言葉とも言えます。
聖書の冒頭に「はじめに言葉ありき」という一節があります。この「言葉」は、ギリシャ語の原典にはロゴス(論理)と書かれているそうです。つまり神は最初に論理を示された。論理的な秩序・科学的な法則性を創られたという意味です。お道で言う「理は神や、神は理や」という世界です。
それを探求するのが科学であり、学問である訳です。言わば神の声を聞くために・・・。
また私のこのような思考法・発想にしても、尊大な意味でなく、神が与えて下さった知恵の一部なのでしょう。
神の声を聞くもう一つの方法に、心で聞くということがあると思います。
ただしこれも、何度も申し上げています様に、主観に陥りやすいが故に、先の方法の補助が有効だろうと言うのが私の主旨なのです。
- [190]T.N.Doctrine 06/09/04 21:13 iGBhKVUxse
- 続きです。
>かしもの・かりもの・・・
私は教祖が言われたからというより、その意味される内容に対して、なるほどなあ、その通りやなあと思っている訳です。それが信じていることの中身です。「この世が神の体」という前提ですから、人間の体が神のかりものであることは間違いないと思っています。
ただ、とみ新蔵さんのお言葉を引き継ぐような形で私が語ったのは、「かしもの・かりものの理」があってご恩報じをしなければならないから、「教会」を通じて伏せこみなり、ひのきしんなり、お供えなりをしなさいという限定した論理になってくるとどうなのかなと、疑問を呈しただけです。
ついでにもう一つ誤解のないように申し上げますと、私自身は今の教会のあり方、教団の対応に危惧を持っており、本当に信者さんの為の組織になってもらいたいという強い願望をもっていますが、このスレに集う皆さんから、教会の月次祭には行かない、もうお供えはしないといったご意見が続くと、もちろん理解は出来るのですが、一方ですごく残念な気持ちにもなるのです。
実は私の上級の教会というのが生家でして、長兄が会長をしています。曲がりなりにも私は兄を助けなければならない立場にあり、私なりに出来るだけのことはさせて貰ってきた積りです。(兄には結構、辛口の批判を浴びせていますが)
そんな事情で両方の立場が理解できるものですから、複雑な思いがあります。このままの状態を続けると教団はますますやせ細っていくと思いますし、信者さん達が個々に、教祖の原点に立ち帰るという意図で教会から遠ざかっていくなら、衰退は加速していくでしょう。
以前にも申しましたが、組織を持たない個々の信仰は途切れやすいものなのです。組織があって守ろうとするから繋がっていけるものでもあるのです。従って私は決して組織の解体を望んでいるのでなく、これにカンフル剤を与え、新しく生まれ変わって欲しいと思っているだけなのです。
また、>「学問にないこと」と言われているのは人間が知恵・文字の仕込を頂き、自らの歴史を残した、それ以前のこと「元の理の話」を言われていると私は理解しています。・・・
元よりそうです。人間に知恵・文字の仕込をした後のことしか当時の学問にはなかったでしょうから。
しかしそれ以前のことも科学的に探求され、学問になってきていますね。そのうちに教祖が語られた元の理の世界も引き合いに出されるかも知れないよ、と申し上げたまでです。
(厳密に言うと、教祖が直接語られたのはおふでさきにあることのみで、それ以外は「こふきをつくれ」の仰せのままに側近が草稿をしたため、お伺いを立てて許されたという微妙な成り立ちのようではありますが・・・)
- [191]T.N.Doctrine 06/09/04 22:09 iGBhKVUxse
- リラックマさん、
私も色々と解ったようなことを書いていますが、実際は解らないことだらけなんですよ。だから解ろうとあれこれ思案している訳です。
その中でも霊の話は一番やっかいなものだと思っていますが、それを全て否定している訳ではないことは先に申し上げておきました。
その種となる霊的体験をちょっと話させて貰います。
もう何年も前のことです。
就寝中、突然夢の中に物悲しい旋律が流れてきました。
次に出てきた寂しげな光景は、教会から墓地に向かう山道周辺の空き地でした。当時開墾中で古臭いユンボがあり、その横にプレハブ小屋がありました。
その情景がゆらゆらと薄らぐ中、何か白いもやもやしたものが私の上にジワッとかぶさってくるように感じ、金縛りのような状態になったのです。
何とも言えない胸苦しさと恐怖とで目が覚めました。
時計をみると午前三時頃。
気色が悪い気がして、その後は眠りにつけませんでした。
一体何だったんだろうかと思いつつ、会社に出勤するや否や、兄から一本の電話が入りました。
「K君が死んだ」
「いつ?」
「今朝、夜中の3時頃」
「どこで?」
「プレハブ小屋」
私は鳥肌が立ちました。
夢を見た時刻・夢に見た場所なのです。
精神に障害があり病院を出入りしていましたが、本当に気の優しい男で、同じく病院で知り合った女性と純愛におちいり、教会でささやかな結婚式をあげました。司会は私がさせてもらいました。しばらく二人して教会に住み込んでいましたので、教会に行ったときは出来るだけ声をかけるように努めて来た積りでした。私に対する信頼はいくらかはあったでしょう。
夢に現れたのはきっと別れの挨拶だったに違いないと、今でも信じています。
(超心理学では「残留思念」という現象とされていますが、その思いをもった魂はどこへ行くのだろうか、あるいは行ったのだろうかと思案したりもしましたが・・・)
ついでに申し上げますと、実は結婚した相手の女性も、再入院していた病院で先年自殺を図っており、その寂しさと悲しみに耐え切れず、というより彼女の元に早く行きたいという思いから、自ら命を絶ったようなのです。覚悟の上だったのでしょう。亡くなる間際には周辺に感謝の言葉を漏らしていたそうです。
教会としては救ってあげれなかった無念さは残ったのですが・・・。
今、二人のなきがらは、教会の上の墓地に眠っています。
- [192]T.N.Doctrine 06/09/04 22:18 iGBhKVUxse
- 初代さん、遅まきながら、はじめまして。
皆さんが色々と立派なお答えをなさっていますし、あなたもくじけられている訳ではないようなので、敢えて私がコメントする必要もないかと思っていたのですが、ご参考までに、借金苦で進退窮まっていた私の部下の話をさせて貰おうと思います。
ただし、今日はしゃべりすぎて少々疲れましたので日を変えさせて下さい。
- [193]レインボー 06/09/04 23:10 ITBO5pWQMV
>>185 初代さん、こんばんは。
やっぱりそうだったのですね。育った環境も大いに関係あるとは思いますが、
この世の中、普通に育っても心の大切さ、心の価値観が分からない人は多勢います。
相手の方も、追い詰められて大変かもしれませんが、どこにも逃げようの無い
この難局だからこそ、形の価値観から離れて、心の価値観に目覚めることができるのかもしれません。
ギャンブルに走るご主人も、心の価値観を知らず、満たされない心を、
ギャンブルのようなその場の楽しみで満たそうとする、でも一時は満たしたつもりでも、
そんな遊びで満たされるはずは無く、もっと満たそうとまたギャンブルに走る。きりがありません。
お互い心を満たすには、まず夫婦が心を通い合い、つなぎ合い、助け合うこと、
すれば、どんな難局にも立ち向かえるはずです。
でも、それ以上に心を満たしてくれるのは、神様の親心、つまり教祖の教え、
これを理屈でなく、心から感じ取ってもらえるような話が出来たらいいのですが。
初代さんなら、もっと素晴らしい考えを持たれているかもしれませんね。
私はまだまだ未熟で、同じような立場に立たされたら、足がすくみそうです。
第三者だから、えらそうに書けるのですが、教会でも見放すような方を
どうでも助けようとされる初代さん、心から応援します。
どうか、教祖の助け一条の御心が、相手の方に届きますように。
- [194]どん 06/09/05 00:17 RQyWa7qbkO
- >>172 T.N.Doctrineさん、こんばんは。
私も「兄弟」が基本だと思います。
そこに遊び心というか、違った解釈を試みたものです。
何もない真っ暗闇の部屋の中で、目の前に
バレーボールくらいの地球が美しく浮かんでいることを想像したときに、
その表面は気体なり液体なり固体なりでごちゃごちゃしているのですが、
何もない真空の中に、そこだけは物質があるという点で、
地球はやっぱりひとつ(共体)とも言えるなあ、と思った次第です。
>>180 まっぷさん、こんばんは。
お久しぶりです。仕事もちょっと落ち着いて、
元気にしています。またよろしくお願いします。
>>182 リラックマさん、恐れ入ります。
>>183 身体は死んでも魂は別の存在として生き通しであるという
考え方も正しいと思います。福島大学の飯田史彦教授の著作を
読んだことがありますが、詳しい内容は忘れてしまいましたが、
生まれ変わることは疑いようがないと書かれていたと記憶しています。
前生の記憶がある人はもう何千人もいらっしゃるそうで、
その記憶が史実と合致してることも何千でもあるそうです。
たしか、道ですれ違う人1,000人が1,000とも、
わたしはさっき橋を渡ってきたよと言ったなら、
まだ橋は見えていないけれども、もう、橋があるということには
疑いがない、という表現だったと思います。
私は、魂はバラバラでもあろうし、つながってもいるんだろうと
思っています。教祖が乾杯の素振りではなくて、三杯、お口にされて、
一緒に飲んでいると仰ったあたりは、つながっているということを
意味しているような気もします。
>>187 はじめさん、こんばんは。
気になさらないで下さい。
しかしホント、奇妙な感じでした。
自分という存在が、急に不確かなように感じられました。
- [195]リラックマ 06/09/05 00:53 D-snzhw
- >>186 T.N.Doctrineさん、お返事ありがとうございました。
>科学で追認したいだけ
人間の、この世の「理(ことわり)」を自らの目・頭で理解したいという欲求の表れが、「科学」というものなのでしょう。解ります。私が思うに、T.N.Doctrineさんは「をふとのべのみこと」様の御守護の理合いが強いのでしょうね。
元の理を読みますと、人間は皆、十柱の神様の御守護の理合いを引き継いでいる訳です。人間の性格は、「たいしょく天のみこと」様の御守護の理合いが強い者は、性格的に「切る」という事に長けていて、「をふとのべのみこと」様の御守護の理合いが強い者は、「引き出す」という事に長けている訳です。
「切る」事に長けているのは、例えば今頃の「政治家」でしょうし、「息吹き分け」る事に長けているのは「裁判官」といった感じだと思います。
人それぞれ、元々の性質・性格は大きく分けて「十」になると、私は思います。しかし、ほとんどの人間は道具衆の性質に当てはまるでしょうね。
>学問にないこと
おっしゃられるように「元の理」でしょうし、「かしもの・かりもの」も、これに含まれるでしょう。
※正文遺韻抄190〜191ページ
〜そこで、九ッまでをしへていたゞいてあるから、世上においては、なにもふじいうふそくはない。べんりで、ちやうはうで、けつこうなせかいでございます。たつた一ッ、めいめいおもふ事が、おもふやうにならん。しようとおもふ事がならずして、しようまい、なるまいと、おもふこともなつてくる。とんと、めい/\のおもふやうに、ばかりはいかんといふが、これが一ッのふそくである。
そのふそくをないやうに、おもひ通り、おもわくどほりかなへてやつたら、それで十分やろ。このたびは、こゝの一ッををしへる道であるで。〜
>秀司、こかん、生まれ変わりまでの時間
おふでさき三号109
このものを四ねんいせんにむかいとり
神がだきしめこれがしよこや
神が抱きしめとは、どういう状態か判りませんが、なんとなくイメージは湧きませんか?
>狼少女カマラ
元の理によると、人間は虫・鳥・畜類などに八千八度生まれ変わって来たので、どんな動物のマネも出来ます、とあります。そこら辺にヒントがあるかもしれません。DNAに狼の遺伝子が残っていて、育った環境で顔を出したのかもしれません。突っ込んだ科学的根拠は判りません(^^)
>>191 興味深い霊の話、ありがとうございます。
私が、教祖の霊の話をスンナリとそのまま読んでしまうのも、T.N.Doctrineさんのような経験が私にもあるからなのです。
そういう経験が無ければ、「え〜っ!」と、まあ普通は思いますよねぇ。でも、T.N.Doctrineさんは、そういう経験がおありなのに、それでもそういう反応になるのは、やっぱり学者さん向きなんでは(^^)?
- [196]リラックマ 06/09/05 01:17 D-snzhw
- >>187 はじめさん、私も聞いた覚えがあるので探してみたのですが、ちょっと見つからなかったです。今度、時間がある時に、もう一度探してみますね。
>>188 まっぷさん、お返事ありがとうございます。
前々から思っていたのですが、まっぷさんの文章からは、何とも言えない純粋なまっぷさんのお人柄が伝わってきます。一度お会いしてみたいですね〜(^^)
>>195どんさん、ありがとうございます。
どんさんが言われた、生まれ変わりの科学的な考証の話は、テレビで見たことがあります。「へえ〜!」って感じたのを覚えています。
>三杯お口にされて〜
三三九度じゃないですが、教祖の逸話を読むと、教祖は「三」という数字に関する行動を、けっこうされています。確かに、どんさんが言われた事、なるほどです。
- [197]初代 06/09/05 14:10 DVbFML5HN/
- >>192T.N.Doctrine さん はじめまして、宜しくお願い致します。
>>193レインボーさん ありがとうございます。
私は、教理はまだまだ理解できていませんが、昨年、おかきさげを勉強する機会にめぐまれ
1年間は、おかきさげをメインに読み何とかこれだけでも理解しょうとしてきました。
おかきさげって短いのに、すごい事を書いてあるなぁと感心しました。
大切な物なので、しまいこんでありました。
人生無駄な事は何ひとつない事を念頭におき、自分自身のことでも、落ち込んだり、葛藤したりしますが、
おかきさげを人生の羅針盤に前向きに日々を、送りたいと思います。
- [198]T.N.Doctrine 06/09/05 19:40 iGBhKVUxse
- >>195
学者さんですか?
う〜ん、褒められているような、そうでないような(苦笑)
私は、ここで未信者の方や他宗派の方を含む一般の人を意識しながら、内側の論理と外側の論理を融合できないかと模索しながら書いている次第で・・・。
内側の論理だけでは、外側には中々通じ難いのではないかと思っているんですよね。
勿論、かといって内側の論理を曲げるということではありませんよ。
そう言う意図がなければ、私がここでやっていることは馬鹿みたいな一人芝居、聴衆のいない大道芸になりそうです。(悲)
- [199]リラックマ 06/09/05 21:09 D-snzhw
- >>198T.N.Doctrineさんと私は、このスレで表れている姿は違いますが、出発点が似ているな!と、実は内心思っていました。
私は地元の高校を卒業して、すぐ天理に来まして、七年ほどおりました(何処にいたかは伏せさせて下さい)。天理にて教祖の教えに触れるうちに、このまま此処にいても、教祖の教えの本当の処は解るまい。また世間一般の労働に従事している人の心も解るまい、という思いが日に日に強くなっていきました。
そして25才の春を区切りとして、天理教そのものから離れました。やるならそこまでしないとダメだと思ったからです。おぢばを離れる最後の日、私は神殿に参拝し、「これこれ、こういう想いから、私は天理教を離れます。しかし、教祖の教えは日々の生活に生かしながら、やっていくつもりでおります。もしかしたら、戻って来ないかもしれませんが、その時は、それ相応の御守護を賜りますように…」(死んでも構わないという意味です)と、お願いして離れました。
そして、結局こういう形で戻って参りました(^^)。T.N.Doctrineさんが、教祖の教えを知らない人と話をするために、科学を学ばれているのと、本質的な処で似ているとは思いませんか?
- [200]レインボー 06/09/05 22:51 ITBO5pWQMV
>>181
T.N.Doctrineさん、また私の早とちりで、失礼しました。
どうも私は自信過剰で、評価されたい願望が強いようで、お恥ずかしいです(>_<)
T.N.Doctrineさんの主旨や、リラックマさんの信念を読ませていただき、
考え方やスタイルは違いますが、お道にかける情熱は、私は完全に負けてる!と思いました。
実は私、中卒で修業施設に入り、その後、私の教団支部に勤めるようになって
かれこれ20年近くになります。その間、外へ布教活動することもなければ、
この道の教えを深く追求するわけでもなく、狭い世界の中で、
のんきでいい加減な信仰生活を送っておりました。
それが数年前、同僚の女性が精神を病んだ時、初めて人を助けたい、と心の底から思ったんです。
しかし、私は全くの無力で、かける言葉も口先だけ。私は何もしてやれませんでした。
そんな矢先、私の上司がその女性を助けられたのを目の当たりにして、
私はやっと、本当の信仰に目覚めた次第です。
それまでの私は、教義書の御言葉だけが信仰の全てで、
世間の思想や科学なんて全く関心がなく、信仰には必要ないと思っておりました。
また、私の教団自体、天理教に多少の敵対意識がありましたので、
まさかこうして天理教の掲示板にお邪魔するようになるとは、思いもしませんでした。
まだ昔の癖が残ってはいますが、とにかくどんな事にも神様の御心は感じれるはずと、
垣根を外して心柔軟に、吸収していかねばと思っております。
そして、とにかく頭を低くして、いろいろな方と意見を交換し、
自分なりの信仰を確立しようと勉強しなおしているところです。
でも、長かった空白の信仰生活の遅れを早く取り戻したい、
皆さんに追いつき追い越したいという思いが、つい先走ってしまいます。
だから私の書き込みはどうも子供っぽいところがあって、
背伸びしたがる傾向があります。変なところ多いですよね。
最近もえらそうに書いておりますが、何か違う、おかしいと思うところ、
またアドバイスがありましたら、遠慮なく教えて下さい。皆さんよろしくお願いします。
- [201]T.N.Doctrine 06/09/05 23:36 iGBhKVUxse
- 初代さん、昨日のお約束通り、(ん?誰も約束などされていません、か?) サラ金にまつわる話をさせて貰います。
10年程前ですが、知り合いの教会長から、50をいくつか過ぎた、当時職にあぶれていた独身の男(以前から知ってはいたのですが)の就職の世話を頼まれました。
臨時の運転手でいいならと、うちの会社で預かることにしました。
なんとか普通にやれていたので、半年後には正社員にしてもらいました。
数年経った頃、サラ金らしき所から、度々電話が掛かってくるようになりました。本人に尋ねても車のローンとか嘯くばかりではっきりしたことは言いません。
そのうち同僚から、借金の返済に300万いるそうだから相談に乗ってやって欲しいと言って来ました。
よく言えば気の優しい、悪く言えば気の小さい性格の彼は(当時私よりいくらか年長でしたが、・・多分今も年上でしょう)、私に対し遠慮があって直接言い難かったのでしょう。
どうもパチンコにつぎ込んだ模様です。
恐らくこの程度じゃないなとにらみ、問いただした所、7箇所のサラ金から500万を超える金額を借りていたのでした。金利だけでも給与と同じぐらいだったのです。銀行に借りに行っても焼け石に水。
自己破産させると、妹夫婦と共同で建てている住居を取り上げられる可能性があり、それもできません。
この上は直接サラ金に掛け合うしかないと思い、7店舗の支店長に会い説明しました。
このままでは支払不能なこと。勤務年数が短いため退職金がわずかであること。本人も住宅ローンを支払い中で資産が皆無に近いこと。
そしてもし、返済可能な額、一律3割カット金利なしで4年間の猶予をくれるなら、責任をもって給与から直接振り込み、4年後の退職までに返済させること。それを呑んで貰えなければ、結局無駄になるので本人を即刻退職させる積りであること。そうすればあなた方にとってはもっと悪い条件になってしまうこと。等々。
半ば脅しです。
最終的には理解して頂いて、(私は法定代理人にはなりえないので、形の上は最低料金で弁護士を付けましたが)定年時には完済しました。
一般にギャンブルなどで借金を重ねる人は気の優しい人が多いようです。
彼の場合一人身の寂しさもあったのでしょう、犬猫を大変可愛がり、他人にも気前よく振舞うことが多かったようです。
何とか立ち直れたのは、サラ金各社に2度と借りれないよう措置をしたり、同僚も含め会社ぐるみで言わば物理的にがんじがらめににしたということと、片方で自分のことを皆が心配してくれているということが肌身にしみたからではないかと思います。
突き放すことも必要ですが、愛情も必要なのでしょう。
レインボーさんが奥さんの対応について聞かれたのも、そのような意味だったのでしょう。
余り信仰的な話でなくてすみません。
- [202]フォルテ 06/09/05 23:50 E-3bpzY
- 天理の校歌好き
来年
甲子園5年連続出場やれよ
見よ空高く 輝く光
天理のみおやの 導くところ
一筋心に ただひのきしん
我等ぞ御神の 栄光ある羽翼
天理青年 進めわれら
- [203]T.N.Doctrine 06/09/06 00:19 iGBhKVUxse
- 連スレ済みません。
話は変わります。
修養科に入学した時のことです。
一期上にアルコール中毒の為、修養科に入った男がおりました。
最初の一ヶ月程は何とか飲むのを抑えていたようなのですが、そのうち同期の者がいつも説教を垂れるのが嫌になり、(実はその彼もアル中で修養科にやって来ていたそうなのですが) 鬱憤晴らしで隠れて飲むようになりました。
人のいい男で皆からは好かれていたのですが、いったん飲み始めると泥酔いになるまで飲むのです。
授業にはもちろん出ない。詰所で寝込む。同僚が説教する。反発し、また飲む。
悪循環です。
私達は説教男に先輩面して説教するのは控えて欲しい、却ってマイナスになるからと頼む一方、彼を仲間内に入れるような形で、酒を買わせない、一人で外出させないとスクラムを組みました。
そして出来るだけ笑いの場に誘ったものでした。
それでも卒業間際の頃、我々の手の届かない所で酒浸りになりました。
誰かの通報があったのだと思いますが、意識のもうろうとした彼を連れ戻し、かろうじて卒業式を迎えることになりました。
本人も皆に迷惑を掛けていると言う思いからか、じっと首をうなだれておりましたが、最後によろづよ八首で送り出そうとした時、突然しゃくりあげました。そして大粒の涙を流しながら大声で泣き続けました。
彼がその後どうなったか、残念ながら伝え聞いていません。
しかし、もしも立ち直ることが出来ていたとすると、この時の涙に意味があったのでしょう。
- [204]はじめ 06/09/06 00:41 UlZGnDVX8Q
- T.N.Doctrineさん、こんばんは、返信遅くなってすみません。
>>189
丁寧なる返信ありがとうございました。
私のあの文は、T.N.Doctrine さんがヒョッとして、お道の信仰者の顔をした、天理教つぶしの輩のように思えて書いた物でした。(以前他の掲示板で、信仰者と装った人の書き込みを見たことがありましたので・・・)
他の方々の話も聞かせて頂くことが出来て、教祖の信仰に厚い方々が集っておられるのだなぁと思わせて頂きました。ありがとうございました。
私は、教会を飛び出し、事情でまた舞い戻った者で、身上の障りを見せて頂きながら日々を通らせて頂いております。
リラックマさん。
お手数お掛け致します。
- [205]初代 06/09/06 00:47 DVbFML5HN/
- >>166どんさん はじめまして。
大変失礼致しました。読み返していたら、どんさんにお礼を言ったつもりが
何もしていない事に気付き申し訳ございませんでした。
貴重なご意見有難うございました。
私はこの10年ずっと私が悪いと、言われています。長い事言われ続けると
あなたはそんなにりっぱなの?と心で言っています。
だから、お話が心にしみ込まないでいました。
最近はよくないけど、開き直っています。
遅くなりごめんなさい。
- [206]初代 06/09/06 01:04 DVbFML5HN/
- >>201T.N.Doctrine さん 有難うございます。
このような方法もあるのですね。
よく考えてから、書き込みます。読ませて頂いてすぐに思った事は、あの時、もっと周りが
やれたのにな と思う事が浮かんできました。
>>203
アルコール依存症は、主人はじめそれこそまわりに何人かいます。
幸いな事に皆仕事に行って、団塊の世代ですので定年を全うする様子です。
- [207]リラックマ 06/09/06 17:22 D-snzhw
- >>206初代さん、はじめまして
実は私も、アルコール依存症の一歩手前まで行ったことがありました。その経験から、お話させて頂きますと、お酒に逃げる人は人生に目的を見出だせず、内弁慶で自分の意見を他人に判りやすく表現するのが苦手な人だと思います。
そのくせ人一倍プライドは高い。見た感じ、T.N.Doctrineさんもおっしゃられていましたが、いい人を演じて?!います。つまり、背伸びをしているのですね。治すには、ありのままの自分を受け入れてくれる、曝け出せる環境で、しばらく生活させるのが一番だと思います。私が、そうやって治りました。本を読んだり、自分が信用できる人に相談して、自分で判断して決めました。
アルコール依存症の人は、周りの評価が気になって、本当の自分を出すのが恐くて演技しちゃうんです。だから、本人に期待をかけすぎると、本当はしたくないのにがんばっちゃうんですね。だから、ありのままの自分を受け入れてくれる環境が必要だと思います。
そうして、本当の自分を出せるようになれば、勝手に自らの足で歩き始めるはずです。それまで周りの人は、暖かく見守ってやる事だと思います。ちなみに私は、今でもお酒嗜んでますよ(^^)
それから、この教祖の逸話は、初代さんにいろいろ言われている方に聞いて貰いたい逸話です。
ある冬の日であった。教祖は、おりから居合わせた高弟の喜多に、
『私の手をおさえてごらん』
と言いながら、火鉢の上へ手を出された。高弟の喜多は直ぐそれを押さえようとした。すると、いつの間にか教祖の手は引かれていて、喜多自身の手が火の中に入っていた。
教祖は、笑いながら、
『喜多さん、人を火に入れようと思えば我が身非に入るのやで。わかりましたか。』
といって、教えられた。
※教祖と其の教理(天理教同志會、大正11年)より〜
- [208]リラックマ 06/09/06 17:29 D-snzhw
- >>200レインボーさん、そんな事ないです。レインボーさんの鋭い意見、いつも参考にさせて頂いています。
これからも、よろしくお願いします(^^)
- [209]T.N.Doctrine 06/09/06 19:20 iGBhKVUxse
- >>200 リラックマさんのご意見に賛成。
レインボーさん、あなたは素晴らしいですよ。最初の頃、私のコメントに一番敏感に、また真っ当に反応されたのはあなたでしたから。
私もこのスレを見て欲しいと教団内の多数の人に声を掛けてきましたが、全くといっていいほど反応がありません。彼らには問題意識が欠けているのではないかと思っています。
>>204 はじめさん、こんばんは。
私の意とするところ理解して下さったようで、有難うございます。
今後とも宜しく。
>>201, >>203
後から見直して、心が少しチクッとしています。
家内が見たなら、キツーくなじりそうです。
お父さんだって至らぬ点がたくさんあるのに、他人の不幸や不始末を書き連ねて自分だけエエかっこしてるってね。
そんなに多くの人が見るサイトでないにしても、具体的に書きすぎたため、もし本人が目にしたら余りいい気分しないかも知れませんね。
皆さんの参考になればと思って出したのですが、少し思いやりに欠けていたというか、謙虚さが足りないというか・・・。
どんさんとの違いですね。
- [210]まっぷ 06/09/06 19:40 iGBhKTdohP
- >>194 どんさんへ
新しいお仕事、いかがですか?
だいぶ、落ち着かれたとの事、なによりです。
お子様たちは、お元気になられましたでしょうか?
>>196 リラックマさんへ
有難うございます。でも、
リラックマさんこそ、純粋な方でしょう。そう思います。
ホント、お会いしてみたいですne...
- [211]まっぷ 06/09/06 19:49 iGBhKTdohP
- >>209 T.N.Doctrineさんへ
こんばんは。
熱い思いが伝わって来て、頼もしいです♪
これからも、応援しています。
- [212]はじめ 06/09/06 22:12 UlZGnDVX8Q
- T.N.Doctrineさん。こんばんは。
>>209
>私の意とするところ理解して下さったようで、有難うございます。
申しわけありませんが、そうとも思えるが、違うようにも思えるところもあります。
ただそれらについて、私には、それをどうこう言えるだけのものがありませんので、発言できない事をご理解頂きたいと思います。
これからもよろしくお願い致します。m(_ _)m
- [213]どん 06/09/06 22:55 RQyWa7qbDX
- >>205 初代さん、お気遣いありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。
>>207
>教祖は、笑いながら
嬉しくてたまりませんね。リラックマさん、ありがとうございます。
私は教祖殿に行くたびに、「あぁ、教祖が今でもいらっしゃったらなぁ」と
思います。勿論、教祖は今でも存命同様にお地場にいらっしゃるのですが、
また、お地場だけではなくて、世界中の教会にお出ましになっていて、
私達が拍手をたたいて額づいた、そのほん数m先に、にっこりと、
お座り下されているに違いないのですが、それでも、それでも、
>教祖は、笑いながら
という文章を見て、何とも嬉しいというか、恋しいというか、
もどかしい、ちょっと寂しい、気がして、何ともたまりませんね。
>>200 レインボーさん、私なんか、本当の信仰が何なのか、
いまだによくわかっていないです。今後ともよろしくお願いします。
>>209 T.N.Doctrineさん!あなたは私を買いかぶってるぅ!
もうね、私なんて、昔の教理本によれば、来世は牛馬で、
高慢で埃だらけなんですから。勘弁してください、うぅ(T-T)
>>210 まっぷさん、ありがとうございます。
仕事ですが、障害者福祉の世界は制度変更もあって、
どの事業所も行政への手続きの煩雑さに悲鳴をあげている状態です。
私自身、新入職員にこんな大役任せっきりでいいのか?と、時たま
不足の心も出てきますが、いやいや、給料以上の働きをしてみせるぜ!と
頑張っているところです。子ども達も元気です。
- [214]初代 06/09/06 23:20 DVbFML5HN/
- >>207リラックマ さん こちらこそはじめまして
ご自身の体験をありがとうございます。ご自身でみつめられてさすがだと感心してします。
私もリラックス出来る家庭を私が築いて行きます。10年かかってもまだなので、時間のかかることです。
逸話怖いですね。相手にそんな事をさせたら私が埃を積んでしまいます。
ぐちはやめます。
未熟な私に皆様お心寄せて頂きありがとうございました。
私にまだ誠の心が足りないのだと気付きました。
ところで、初歩的な質問ですが「成ってくるのが天の理」とよく言いますが、
どこに書かれているのでしょうか?
- [215]レインボー 06/09/07 06:40 ITBO5pWQMV
T.N.Doctrineさん、リラックマさん、どんさん、ありがとうございます。
>>201,203 のT.N.Doctrineさんのお話、
すごいなぁと思いました。人のためにご自身の出来る事をする、
人は人、自分は自分、という冷たい風潮の中、素晴らしいことだと思いました。
確かにリアルな話ですが、温室育ちの私には、生の話はいい勉強になります。
人の経験を知っていれば、もし同じ場面に出合った時に、とても助かりますよね。
>>207 のリラックマさんの体験談、
大変だったんですね。私はお金が無かったのでアルコールに依存できませんでしたが(>_<)、
そういう苦しかった時期がありました。確かに周りの環境が変わってから、
だんだんと自分を取り戻した事を思い出します。それまでは心許せる人がいませんでした。
でも私の場合、自分が人を受け入れようとしなかったから、受け入れてもらえなかったので
自業自得でもあるのですが。しかし時間がかかりました。
今はありがたいですね。人の経験が家にいながら共有しあえる。
神様が用意されたこんな素晴らしい環境、正しく利用すれば人はもっと成長できますよね。
>>213 どんさん、もしかしてまともにレスするのははじめてかも?
以前からお見かけしながら、失礼しました。はじめましてです。
信仰に目覚めた、と書きましたが、私もどう説明していいか分からないのです。
ただ、それまでの白黒の信仰生活が、急にカラーに鮮やかになった感じ。(変な表現!)
同じものを見ていても、ある出来事がきっかけで、こんなにも違って見えるってこと
ありませんか? でもリラックマさんみたいに、きちんと言葉にできるようにせねば。
- [216]リラックマ 06/09/07 15:45 D-snzhw
- T.N.Doctrineさん、もしかして>>209で「心がチクッと」されたのは、私が初代さんに紹介させて頂いた教祖の逸話のせいではありませんか?もしそうなら、すみません(T_T)。
私は、昔から自分の知らないうちに人を傷つけたりする事が多くて、よく誤解されやすいタイプなんです。それで親友にもよく怒られました(>_<)
大体、初代さんへの投稿は、T.N.Doctrineさんのお話を参考にさせて頂いて、「ああ!信仰的に、どうこうは言えないけど、そういうアドバイスだったら、自分の体験談で話せるな」と思ったからです。そのついでに、あの逸話を紹介させて頂いた訳です。
決して、遠回しに批判している訳ではありません(T_T)。
自分の勘違いならいいのですが、一応、私の気持ちを伝えさせて頂きました。
>>210 まっぷさん、自分は鈍感なので、知らぬ間にヒドイ事を言うかもしれませんが、よろしくお願いします(>_<)
- [217]リラックマ 06/09/07 15:48 D-snzhw
- >>213どんさん、ありがとうございます。皆様のお役に立ちたいので、少しずつでも、こうした逸話を紹介させて頂きますね!
>>214初代さん、ありがとうございます。少しでもお役に立てたなら、うれしいです!
さて、お尋ねのお言葉ですが、おそらく「おさしづ」だと思いますが、ちょっと今、地元を離れていますので返答出来ません。地元に帰るまで、どなたからもお答えがなかったら、答えさせて頂きます。
>>215レインボーさん、ありがとうございます。
人間は悩んだら悩んだだけ、それを乗り越えられた時、あとから振り返ってみると、きっとその悩んだことが、自分の人生の上で貴重な宝物になるんじゃないかと思います。
きっと一番辛い時こそ、神様が一番近くで「がんばれ、がんばれ!」って微笑んでおられる時じゃないか!?って、そんな気がします。
- [218]T.N.Doctrine 06/09/07 19:38 iGBhKVUxse
- どんさん、こんばんは。
>>213 高慢で牛馬になりますか。
怖いですねぇ。
まあ、それも有りでしょう。受けて立とうじゃないの。
お互い、そうなった時には、今以上に一生懸命働かして貰いましょうね。(笑)
>>216 リラックマさん
申し訳ないけど、全く関係ないです。
あなたのお気持ちなど十二分に解ってますって。
あれは、もし本人や身内の方がこの記事をご覧になった場合、嫌なことを暴露されたように感じるかも知れないなと言ったまでです。
もう少しオブラートにくるんだような言い方をした方が良かったかなとね。
でもそうすると伝わりにくい部分が出来るので、難しいところでした。
余談ながら、彼の妹さんはお道の信仰をされていて、フーテンの寅さんのさくらさんのような感じの人でした。
その兄妹愛をほほえましく思ったことを付け加えておきます。
- [219]とみ新蔵 06/09/08 02:27 5NDzhDSo3s
- 教祖伝でいう「学問」について。その(1)
ここのスレはともすれば、例によって、アチコチの教会でみられる、
天理教者の勝手な悟りに流れる気味もあり、、、
やはりガッカリすることも、まま、感じます。
余りにも虚構の教祖伝を教えられてきたせいでしょう、、、、。
私は何度も言ってきました。
「教典」「教祖逸話集」も
ご都合主義に出来てあるから、
頭の中から、捨てなさい、忘れなさい、言い換えればゴミ箱のなかに棄ててしまいなさいと、示唆して来ました。
切り替わりの「出直し」は皆さん方の多くにも必要だと感じています。
大和神社では、長い歴史の間、大国魂の神(大国主のミコト)と八千矛神と稲を御神体として祀って来ました。
大国主のミコトは記紀神話にある通りで、
この国に弥生時代中期に、暴力団のように日本へ侵略してきた天津神(天皇家の先祖)の武力支配に対して「戦争をしたら民が困ることのなるから」と、
王様の位を引退して、国譲りをした、農業技術系の王様(大黒様)です。
その息子のコトシロ主のみこと(エビス様)も、戦争をしたら民に難渋を掛けることになるからと、
乗っている釣り船もろとも、海の中に沈んで行きました。
だから、後世でもこの親子は「エビス、大黒、福の神」と庶人から慕われ、いわば戦争放棄の王様と、稲穂で、稲成りの守護をする神として、農民たちの尊敬を集めてきたのが、大和神社でした。
しかし、明治になって、国家神道(天皇制神道)の推進政策から、大和神社は明治7年の6月に、それまでのご神体を排除して、
天皇家の「三種の神器」を御神体に、変えざるを得ない辛い事情が起こりました。
これは、戦争放棄の平和神から、天皇を神としての軍国主義教育(高山の説教をする神社に変貌する、という大変貌事情です。
そんな時の大和神社へ、教祖は、8月、をふでさき3号と4号を高弟の仲田儀三郎と松尾市兵衛の持たせて、
「どういう神様か聞いておいで」
と問答に行かせたのです。
大和神社の神職としては、「をふでさき」を読んで、蒼くなるは、伝統の祭神を棄てて、応法の理である「三種の神器」を神として祀っているので「ううう〜〜!」と返答に詰まるしかありません。
だから庄屋敷村を治めている石上神社へ、報告しました。
昔から、天皇家の軍司令官だったフツヌシのミコトを祭神とする石上神社の神職達としては、「古事記、日本書紀にある話を信じない奴らがいる、、ウウ〜〜ム、庄屋敷一派は、政府の方針に教育に縦つく者達だ、怪しからんことである、、」
と考え、その年の10月、お屋敷に乗り込んで来たわけです。
続く。
- [220]とみ新蔵 06/09/08 02:31 5NDzhDSo3s
- 教祖伝でいう学問について。その(2)
その時教祖は衣服を改めて(12菊の紋が胸に二つ、背中の一つの、計三つ)もちろん少しも怯むことなく、応対に出られました。
まず、問答は、教祖の衣服を見た神職達が
「菊の御紋は現人神の天皇家の紋であるぞ。
御禁制の菊紋を何とて平民のそなたが付けておるのか!」となるのが必然です。
教祖としては答えは簡単で
「天皇も、私らと同じ人間です」
となります。
神職達は、うう〜〜と唸った挙句に、「すると、お前は記紀二典で教える学問をウソというのか!」
のなりましょう。
すると教祖は
「そんな、人間が我が身思案で創りあげた学問ではなく、私が伝えたいには、国家で教える、元はじまりではなく、にんげんの本当の「元始まり」の話で、人間がどのように生きていけばよいのかを教えているのです」
テナ話しになることが、ご理解いただけましょうか?
実は神職たちも「古事記にある、人間が雲を掻き分け、掻き分けの天孫降臨の話などは信じていません。
明治政府の方針ですから信じたフリをしていただけですから、
どうしても本音では、教祖の話にやり込められてしまうのです。
このことが、さらに大きくなって、その年陰暦11月15日、県庁からの指令で、山村御殿の大ふし、へとなって行くわけですが。
時代背景上、長文となりましたが、教祖伝上の「学問はいらん」とは「記紀二典」による」「皇国学」「高山の説教」のことを指すということです。
こん日でいう、自然科学、考古学、生物学などを指したものではないということを、承知願いたいのです。
いえ、むしろ、天理教者ほど、天然自然の道理、自然科学への関心は必要だと思います。
なぜか?教祖は農家の出であったために、よ〜〜〜〜〜く自然を観られた、圧倒的な自然科学者であったからです。
最後に、このお道は、何か不自然なもの、神秘なものを、信じる道ではありません。
本来は、天理教者が「信じなさい」「信じさせて頂きなさい」と言ったとしたら、それは落第生なのです。それは、ほかの宗教をやってしまっているわけです。
原典には「信じなさい」という言葉も姿勢も一切ありません。
なるほどなあ、、と思ったら、「思案さだめてついてこい」「しっかり思案」「思案たのむで」が
教祖中山みきの、終始一貫した態度です。
- [221]次男 06/09/08 07:29 sGGLntRaSo
- なるほど、とみ新蔵 さんよく解かりました。
ところで、『日本へ侵略してきた天津神(天皇家の先祖)の武力支配』というのは、朝鮮半島から来たのでしょうか?
- [222]リラックマ 06/09/08 10:36 GoRGEoUS
- >>218T.N.Doctrineさん、私の誤解のようでよかったです。これからも、よろしくお願いします(^^)
- [223]とみ新蔵 06/09/08 12:59 5NDzhDSo3s
- 次男 氏へ。
日本へ侵略してきた天津神の天(あま)海女(あま)というように、海を意味するもの、というのが常説となっていますね。
海を渡って渡日したわけですね。
漢民族渡来説もありましたが、現状古代史では、朝鮮半島で新羅、高句麗などからの敗残の人々が「馬と鉄の武器」を持って船で、まず九州にやってきたというのが有力です。
たが私は今の天皇を、「私のブログ」での、なんの知性もない、右翼ヨケに、平和の象徴として、利用しています。
この憲法を守ってと宣言して即位したからです。
- [224]リラックマ 06/09/08 17:49 D-snzhw
- とみ新蔵さんは、八島さんの主義・主張については、どう思われますか?
- [225]T.N.Doctrine 06/09/08 19:13 iGBhKVUxse
- >>188, 211 まっぷさん、
いつもながら、あなたのコメントは有り難いです。
力が出てきます。
>>219, 220 とみ新蔵さん、お久しぶりです。
成る程、学問とは「記紀」でしたか。納得。
多少の含みがあったとしても、やはり「記紀」がメインだったんでしょうね。
「信じる」ということの捉え方に対しても、概ね同感なのですが,例によってまたダシを取らせて貰うことにします。(失礼)
- [226]T.N.Doctrine 06/09/08 19:45 iGBhKVUxse
- 信じるということはどういうことでしょう。
例えば朝、日が昇って空が明るくなっていきます。日常的なこと、当たり前なことです。
雨の日には、上空から地面の方に向かって水の粒が落ちてきます。自然のことです。
濡れないように傘を手にしようとします。手が自由に動くことに何の不思議も感じません。
息を吸えば胸に酸素が入って来ます。
食物を口に入れ、噛んで飲み込むと消化され排便されます。
全て経験から解っていることで、自明のことと思われます。そうなることを敢えて「信じる」などとは誰も言いません。
これらのこと、自明のことというのが、本当は最大の「信」なのだろうと思うのですが、しかし、一般的には、「そうは思わない人がいるかも知れないという事象」に対して特別な信頼を置こうとする時に、人は「信じる」という言葉を使います。
むしろ自明とされていないから、「信じる」という旗印を掲げるのです。
それは多分に思い込みであったり、願望であったりします。
「阪神の優勝を信じる」・・・例え首位から10ゲーム以上離されていても。
「彼の愛を信じる」・・・他人から見るととっくに愛が醒めていると思える場合でも。
このように「信じる」という意思は、さしたる根拠がなくとも思い込みによって達せられるものです。
理想論ではありますが、私はお道の信仰というものを、出来うるならば、「信じる」というレベルから、自明のことといったレベルにまで極力近づけられたらなあと思っています。
- [227]T.N.Doctrine 06/09/08 20:12 iGBhKVUxse
- 信仰において、自ら師とする人については無条件に付き従うという信仰姿勢が有り得ます。
浄土宗の祖・法然上人は、その師源信僧都に対して「たとえ、すかされ候とも、構わず候」つまり、例え師に騙されたとしても一向に構わないと、一点の疑いもない絶対服従の態度を表明しました。
今は解らないことがあっても、師の言う事だから絶対に間違いはない。そのうちに理解できる日がくると信じるわけです。
これも立派な信仰のあり方だろうと思います。(残念ながら私自身は元々ひねくれた性格ですから、容易にこんな風にはなりませんが)
しかし,「思案のない追従」は、バクチのようなものになり得ます。
本物の師に行き当たるか、間違った師を選んでしまうかは、その人の徳分次第と言ってしまえばそれまでですが・・・。
実際にどちらの信仰態度を取るかは、それこそめいめいの胸次第・自由というものですが、少なくともこのような視点も考慮に入れる必要があると思います。
- [228]リラックマ 06/09/08 20:53 D-snzhw
- >>226-227T.N.Doctrineさん、なるほどです。私が>>2で紹介させて頂いた、教祖のお言葉も、T.N.Doctrineさんの姿勢を言われているお言葉だと思います。
私が「魂」の話で過剰反応を示したのも、一つには「信じていた」事を否定されたと感じたからです。「信じている」事を否定されるのは、やっぱりかなり動揺します。私の場合、以前から「幽霊」の存在を「信じていた」ので、教祖の逸話にそれらしき話があったので「やっぱり、そうだったんだ」と確信していたのですが…。
とにかく、「信じている」を「間違いない」まで引き上げるには、いろいろと学び、実践、実証していくしかないのでしょうね。
とみ新蔵さんが、「逸話篇をごみ箱に捨てろ」と言われましたが、これは「信じているから、今は出来ません」としか答えられません。確かに、原典が確実で、逸話は逸話でしか無いのかもしれませんが、「間違いない」まで引き上げるため、いろいろ学び、実践、実証していかねば!と、逆に発奮されました!!
- [229]どん 06/09/09 08:44 RQyWa7qbxD
- 教祖伝でいう「学問」は、とみ新蔵さんの仰るとおりだと思います。
すごすぎる、というか私が不勉強なだけかもしれませんが(^^;)
ただ、逸話篇190では、教祖は松村吉太郎さんに
「この道は智恵学問の道やない。来る者に来なとは言わん。
来ぬ者に、無理に来いとは言わんのや。」
と仰られています。
ここでいう「学問」とは礼儀作法や一般教養のように思います。
勿論、逸話篇が虚構ならば話は別ですが。
また、天理教の人が「学問不要」をいう時というのは、その根拠は
「おさしづ」にあるのではないかな?とも思います。私は詳しくは
知りませんが、初代真柱さまが教理研究会のようなものを作ろうと
して伺いを立てたところ「この道に学問はすっきりいらん」という
ような表現があったように思うのですが。
しかしこれとても、学問そのものではなく、裏に別の事情があった
ような気もするのですが。
とは言いながら、私も自然科学をはじめ学問は肯定したいです(^^)
また、学問そのものに加えて、
何のために学問するのか、学びえた智恵をどう生かすのか、
という点も大切でしょうしね。
- [230]まっぷ 06/09/09 09:11 OVzS4Uxqjl
- >>213 どんさんへ
おはようございます。
「給料以上の働き」・・
私も、見習おうと思いました。
お仕事、頑張って下さい。
子供さん達、お元気とのこと、安心いたしました。
- [231]次男 06/09/09 09:38 D1PgZ1rRI6
- 今、大切なことは、本当の教理を学ぶということです。それを教えてくれる処はドコにあるのでしょう?
区別も上下も囲いもない、インターネットの果たす役割は、これから大きくなって行くでしょうね。
ちなみに、二代真柱様以後歴代、大学で学問をしておられます。
- [232]リラックマ 06/09/09 12:49 D-snzhw
- とみ新蔵さんへ
>>219-220の「学問」の話、勉強になりました。
一つだけ>>219の投稿で、奇妙に感じたのが…
>〜天理教者の勝手な悟りに流れる気味もあり..
やはりガッカリすることも、まま感じます云々
の部分です。いかにも、自分の考え方が正しくて、それを判ってくれないのが残念だ、と聞こえました。(違ってたらすみません)
なんだか、私はとみ新蔵塾の生徒なのか?という気持ちになりました。
ここは>>0を見て貰えば判るように、「とりあえず天理教の人も、そうでない人も、天理教について語ってみよう」というのが、スレの主題です。皆で「談じ合う」事が主題です。
ガッカリされる必要は無いと思うのですが…。
私も、自分の投稿を見て、たまに断定的に話している処があるので、他人の事を偉そうに言える身分ではありませんが…。
自分のブログと違って、掲示版なのですから、ルールは守らなければ、と思っています。
- [233]T.N.Doctrine 06/09/09 20:00 OVzS4BA9mX
- >>232 リラックマさん、
色々な考えがあっていいんじゃないですか。
ご自分の考えと違ってガッカリする方があってもいいと思いますし、賛同して下さる方があって意を強くさせて頂くことも・・・。
私なんか、すごく有り難いと思ってますよ。
また、とみ新蔵さんの言われるように学問の意味するところが主に「記紀」であるとすれば、「学者」の意味も些かニュアンスが違っていたのかも知れませんね。
言うなれば「狭く偏った学問を修めている人」という意味に近いかも知れません。
2代真柱・中山正善様は、学究の人でもあり、お道の教理の理解・究明に顕著な業績を残されていますが、誰も学者などとは言いませんものね。
ちょっとホットします。(笑顔)
- [234]いぼがえる 06/09/09 20:38 pXsdYH.0lA
- 天理教を信仰している人に多く見られることのひとつに、人からの意見に弱いことがあるように思います。(人にも強い意見は言えないのは、その裏返しなのでしょう)繊細な対応も悪くはないのですが、それも行き過ぎると無礼になります。
他人との摩擦があってこそ、人は他人の気持ちがわかり人は強くなれると思います。真の部分で分かり合える間柄ならばもっときつい表現でもいいように思います。
敬語を使うと意味がぼやけるように、相手を気遣いすぎると本当の意味は届きません。
- [235]リラックマ 06/09/09 20:43 D-snzhw
- T.N.Doctrineさん、すみません…。>>207で、ああいう逸話を紹介させて頂きながら、自分がそれをやってしまっています(T_T)。
とみ新蔵さんに、教祖の逸話をごみ箱に捨てろ、と言われてから、みっともないくらい心がグラついてしまって…。
私が、一生懸命七年かけてやってきた事を、すべて否定されたような気がして、頭で判っていても止まりません…。
こんな状態じゃあ、ここを訪れる資格は無さそうです。しばらく退かして頂きます。それでは、皆様の幸せを祈りまして、さようなら。
- [236]T.N.Doctrine 06/09/09 21:36 OVzS4BA9mX
- >>235 リラックマさん、
何を気弱なことを言ってるんですか。あなたは真面目すぎるんですよ。
私なんか随分遊び心でやってます。気を使った風を見せてますが、実はしたたかにね。
>>234 いぼがえるさんご指摘の、慇懃無礼な態度は、ひょっとして私のことを言われているのかもね。
毎日まじめに読み込み、まじめに対応しようとすれば疲れます。
私が以前、姿を消そうとした理由の一つに、その辺りのこともありました。
また自分が言っていることと、やっていることのいくらかの差異に、奇妙な違和感めいたものを感じることもありましたよ。
だから日の寄進に向かおうとしたのです。今も止めてる訳ではありません。
あなたも、日の寄進でなくとも、ちょっと別のパターンを試みてはいかがですか。実践的な何か。ちょっと休養と言うより、深呼吸をしてくる程度に・・・。
とにかく2〜3日ぐらいして、気が向いたら又来てください。
でないと皆さん寂しがりますって。
本当にあなたの書き込みは勉強になりましたよ。待ってまあ〜すよ。
- [237]レインボー 06/09/09 23:14 PoljZ.X5lL
>>235 リラックマさん、
T.N.Doctrineさんの言われるとおりです。寂しいことを言わないで下さい。
リラックマさんが紹介されるお話は、素晴らしいものばかりでいつも楽しみにしています。
なかなかコメントが書けませんが、先日の喜多先生のお話はとても参考になりました。
他にも「女の道」や「異端」「大平良平氏」の話など、考えさせられるお話ばかり。
紹介している癖に…、なんて思いませんよ。神様からご覧になれば皆未熟な私たちです。
それより、せっかくの貴重な財産を、お一人の言葉で封印するなんて非常にもったいないです。
話題の流れに合わせた御言葉の引用、資料の提示は、なかなか他の人には出来ませんし、
私たちのずれがちな思案に、軌道修正のための大きな材料、この味を知ってしまった以上、
もうこれは、リラックマさんだけの財産ではなく、ここに集まる有志のもの全ての財産ではないでしょうか。
(ちょっとプレッシャーかけすぎ?)
しかし、心の道を追究する私たち、机上の思案だけで優劣を判断せず、
教祖の御言葉の如く、思いやりのある言葉、人を尊重する言葉、皆を励まし陽気にさせる言葉、
そして、助けのためにと厳しい言葉、こんな言葉を扱える人こそ、評価すべきだと私は思います。
(たとえばT.N.Doctrineさんの言葉、人柄の良さがにじみ出てて、私は好きですよ)
- [238]はじめ 06/09/10 10:43 D6zvdzq.dH
- 久しぶりに見たら、一寸大変な事になっているようですね。
リラックマさん。心中お察し申し上げます。
どうぞ、掲示板から離れて、ゆっくりと睡眠を取って下さいね。
人の心って、結構体調に左右されるものでもありますから・・・
さて、
「教典・教祖伝等々を捨てろ!」という発言をなされる事は、ただごとではないような気がしますね。
私は、とみ新蔵さんの発言から、再度教典を読み直してみて、自分が如何に教典を読めていなかったか気付かせて頂く事が出来ました。そして、「教典があってよかった。」と思わせて頂いた者です。
そういう点からすると、とみ新蔵さんに御礼を申さねばならないと思います。ありがとうございました。
「学問はいらぬ。」として、初代真柱様が国学などを勉強したいと、上京したいと申された時、「行くならば私とたまえさんも一緒に行きます。」と教祖が言われて、断念されたという話が、思い浮かびます。
熱心な研究家で、お道を仏教を元に説明をされる、ある会長さんがおられました。その方に、「先生は身上を頂かれて、かしもの・かりものを得心されておられますか?」と訪ねた事がありました。
そうしたら、「かしもの・かりものを得心しておらん。」との返事でした。
また、その方が師と仰ぐ方(今はお道から離れた方)についても、「身上を頂かれて、かしもの・かりものを得心されておられるでしょうか?」と訪ねたところ、「身上を頂かれたという話は聞いていない。」との事でした。
教祖のお言葉に、「ねをはらそ 力あるならほりきりてみよ」「研究せよ」という言葉があったと思いますが、学問とは研究した結果を纏めたもののように思います。
人が研究して纏めた学問を鵜呑みにして、(鵜呑みにする元は、肩書であったり、人柄であったりする事が多いと思いますが・・・)研究を進めるとこれまた大変な事になると思います。
それこそ、T.N.Doctrineさんが、>>277で、信ずることについて述べて下さっていますが、学問の世界にも同じ事が言えるように思います。
「かしもの・かりもの」について、教典には
================
人体のこの精巧な構造、微妙な機能は、両親の工夫で造られたものでもなければ、銘々の力で動かせるものでもない。すべては、親神の妙なる思わくにより、又、その守護による。
にんけんハみな/\神のかしものや
なんとをもふてつこているやら 三 41
にんけんハみな/\神のかしものや
神のぢうよふこれをしらんか 三 126
この世に生れさせて頂き、日々結構に生活しているのも、天地抱き合せの、親神の温かい懐で、絶えず育まれているからである。即ち、銘々が、日々何の不自由もなく、身上をつかわせて頂けるのも、親神が、温み・水気をはじめ、総てに亙つて、篤い守護を下さればこそで、いかに己が力や智慧を頼んでいても、一旦、身上のさわりとなれば、発熱に苦しみ、悪寒に悩み、又、畳一枚が己が住む世界となつて、手足一つさえ自由かなわぬようにもなる。ここをよく思案すれば、身上は親神のかしものである、という理が、自と胸に治る。
================
と書かれていますが、みんな胸に治まっているでしょうか?
また、正文遺韻抄p186に
================
このよふは一れつはみな月日なり にんげんはみな月日かしもの
当神様の御教えは、この御うたのとほり、にんげんの身のうちは、神のかしもの、めいめいは月日さまより、かりうけて、じいうようじざい、心のおもふとほりに、使はしていただくことができます。
身のうちさへも、かりものなれば、よろず一さい、みな借りもの。世上せかいに、ありとあらゆるものは、くふもの、きもの、すむいへをはじめとして、すっきりみな神さまのもの。・・・
================
とも書かれています。
おたすけにやらせて頂いて感じるのは、身上を頂いても、「神様に救けて頂きたいと思う人」と「思わない人」があることです。そして神様に救けて頂きたいと思っても、神様の言われることを「そんなこと言ったってぇ。無理です。」と言う人と、「何がなんでもさせて頂きます。」と言う人とがいると言うことです。
自分の性分はどちらかと言ったら、前者ですが、おたすけをさせて頂いて、後者の方が不思議なおたすけを見せて頂いていますので、後者の人のように日々を通りたいと思っています。
思うがままに、勝手なことを書かせて頂きました。ありがとうございました。
- [239]あのー 06/09/10 11:11 AmPLukf1Z8
- 天理教は変な宗教じゃありませんよね?
- [240]草加せんべい 06/09/10 15:34 *1XCSWCPa2t5*8RE73l9O0v
- 天理教って最近あまりはやらない感じですが?
戦前には家を払いたまえと教えられて、
家屋敷を売って、信者は天理教にお布施した結果、
家無し、文無で路頭の迷う信者が続出したとか。
- [241]あのー 06/09/10 17:32 AmPLukf1Z8
- うっせ〜ば〜か!!
- [242]とみ新蔵 06/09/10 18:39 gzWRctJU8X
- はじめ氏へ。
リラ、マックス氏は頭もいいし、求道者です。しばらく求道の旅に出られたのです。
いったん、お道からはなれ、世界のあれこれの宗教、思想を学び、何が本当なのかを、求道することは、とても大切なことと、私は思っています。
リラマックス氏は必ず、また戻ってこられますネ(^^)
私もそうでした。
そして改めて中山みき師の思想のスゴサに感嘆したのです。
ただ、多くの皆さんの頭の中にある教祖像とは異なりなりますがね、、、、。
]あのー氏へ。
天理教と中山みき師の考え方には大きなズレは確かにございます。
でも天理教の方々はやはり、少し教祖の教えも入っていっているので、人だすけの精神が高く、心のきれいなことは、全宗教の中で、ピカ一なのです。
ただ、人が良くても、教祖のように社会性がない人が多いとはいえますが、、。
草加せんべい氏へ。
{家を払いたまえと教えられて、
家屋敷を売って、家無し、文無で路頭の迷う信者が続出したとか。}
確かにそんな歴史がありました。今も少なくなったけれども、そんなバカをいう教会長もいないわけではありません。
教祖はもちろんそんなことは言いませんでしたが。
タダ、ここでチトお考え頂きたいのです。
田んぼや家をうって天理教になった人が多かったわけですが、それは世間の人々が考えるほど、当人は不幸であるとは感じてはいないのですね。
私の母などもそうでした。
77歳で死亡する一年前に「お袋は、人生の中で、いつどんな時が一番楽しかったのかい?と聞くと、
「それはやはり、東京布教時代だねエ」
と答えました。
ダンナである私の父も道専従で、仕事もしていませんから、安宿に暮らし、昼間によそ様のゴミ箱を覗いておいて、夜になったら食べれるものだけを、そっと篭に取り入れるような日々の中の、おたすけ生活です。
たまに人様が「平田さんどうぞ」と食べ物をくれる程度の生活の中で、私の兄達2人の子供が生まれるといった、、世間様から見れば、ま、底抜けのド貧乏状態です。
そんな時代が一番楽しかったというのですね。
それは、物や金では、決して得ることの出来ない精神的な境涯、境地や、また次元の違った部分での人間関係を得ることが、多くあったからでしょう。
このようなことは、かっての多くの天理教者にも言えたのではないか、、、と考えています。
- [243]あのー 06/09/10 20:09 AmPLukf1Z8
- ご説明どうもです。
- [244]T.N.Doctrine 06/09/10 20:38 OVzS4BA9mX
- >>239 あのーさん、>>240 草加せんべいさん、お二人さん、はじめまして。
>>242 で、とみ新蔵さんがお答えになっていることで十分だろうと思いますが、もし時間がお有りなら「ザ天理教を語る!!2」の過去スレから目を通して頂けたらと思います。
大変しんどいとは思いますが、天理教の教えの、というより教祖の教えの素晴らしさと、一方で現状の教団のあり方の問題点(そのことにより、教理そのもの誤解が生じていること)というものが理解できるのではないかと思います。
また、ここに集う信仰者たちが、お道(教祖の教えのことをこう呼ぶことがあります)のことを真剣に考え、自らの求道と同時に教団の改革に対しても(できる出来ないは別として)熱い思いを携えていることを解って頂けるのではないかと思うのです。
>>242 とみ新蔵さん、こんばんは。
>>239, >>240 に対するお答え、本当にナイスです。
このスレでのご高説の数々、少し極端な部分もあるかなと思いつつ、人それぞれの悟りの仕方があり得るというスタンスで眺めさせて貰っていたのですが、ご自分の波乱の人生の中で、紆余曲折の求道の中から体得されたのだなと実感いたしました。(中身について全く同感と言う訳ではないのですが・・・)
ただちょっと私の弟分?のリラックマさん(勝手に弟分にするなって?ご免。)には過激に過ぎたようです。
逸話が誰かに語られた風評みたいなものだとしても、全編に流れるものは教祖のおこころが表れているように私自身も思っていますから。
それから、リラ、マックスは、わざと洒落て使われたのでしょうね。
確かにリラックスして、充電し直して、心をマックスにされて再度復帰してもらいたいものだと私も思っています。
今の教内に、彼のようなハートを持っている人、そう多くないように思いますから。
>>238 はじめさん、こんばんは。
言葉って言うのは、本当に難しいものですね。
「学問」という言葉一つをとっても、教祖の使われた意味での「学問」あり、世上で使われている学問もあります。
そして本来「学問」とは、出来上がった体系を言うのではなく、「学び、問う」ことだろうと思います。私も常に学び、問い続けたいものと思っています。
そしてその対象は、教祖が、十のうち九まで教えてきた、その九をも含むものであり、かつ、九に留まってはならない事柄であろうかと思っています。
同時に、「学者」なるものも「学んだ者」でなく、「学ぶ者」であればと願っています。
- [245]あのー 06/09/10 21:44 AmPLukf1Z8
- >>もし時間がお有りなら「ザ天理教を語る!!2」の過去スレから目を通して頂けたらと思います。
そうですね、ご指摘どうもです。後から見てみたいと思います。それでは。
- [246]はじめ 06/09/10 22:20 D6zvdzq.dH
- T.N.Doctrineさん。こんばんはです。
>>244
>そしてその対象は、教祖が、十のうち九まで教えてきた、その九をも含むものであり、かつ、九に留まってはならない事柄であろうかと思っています。
宗教・学問含めて、仰る考え方を元に思案できれば良いのではないか。と私も思います。
しかし、若い人間が初めて得た師の影響は、その後の思考の元になるように思う時、初代真柱様や若い人に対して、「学問は要らぬ」と言われている思いがどことなく分かる気がするのです。
どこでしたか・・・、本部員の先生方はみな大学出で、肩書にその出身大学が記載されているという言葉を読んだのですが、なぜそんな肩書が必要なのだろうか?と一寸疑問に思ったりするのです。
おさしづに「何も知らぬ女一人から初めかけた云々」というような言葉を何度か目にしましたが、学歴のない人が目を見はるような事をする事が、親神様のお働きの証拠とされているようにも思うのです。
世間から粗雑に思われるような立ち振る舞いをする人がいて、その粗雑さばかりに目を捕らわれて、分け隔てする人があったならば、どれだけ学問があり、金を持った人であってもそれなりの道を通っていない人のように思えます。
とみ新蔵さんのご両親はすごい方ですね。(粗雑だと言う意味ではありませんので、よろしくお願い致します。)
世間から見て粗雑に思えるような人がすごいことをした時、そのすごさを妬んで、事をおこす輩も無いわけではないと思います。
こうした心の動きが、親神様のご守護を感じて我が身を忘れて通られた人と、ご守護を感じても従来の考え方(学問など)に捕らわれて、親神様の思いに添えない人との間にもあったのではないか?と思ったりします。
話があっちこっちに飛んですみません。
- [247]レインボー 06/09/11 06:41 PoljZ.X5lL
とみ新蔵さん、はじめまして
とみ新蔵さんの考え方には少し納得出来ないところもあったのですが、>>242 のご意見は、とても良かったです。
ご両親のなみなみならないお道への熱意と、みち人として目指すべき境地を感じました。
>それは、物や金では、決して得ることの出来ない精神的な境涯、境地や、また次元の違った部分での人間関係を得ることが、多くあったからでしょう。
普通の方なら、理解し難い精神的な境地でしょうが、
とみ新蔵さんご自身は、こういう境地は経験されておられるのですか?
ご両親が得られた精神的な境地とは、わかりやすく言うとどういう境地なのでしょうか?
また、このような境地に至るための原動力、心得について、教えていただきたいです。
- [248]次男 06/09/11 08:19 D1PgZ1rRI6
- ちょっと私の意見を聞いて下さい。
とみ新蔵さんの、
『私の母などもそうでした。
77歳で死亡する一年前に「お袋は、人生の中で、いつどんな時が一番楽しかったのかい?と聞くと、
「それはやはり、東京布教時代だねエ」
と答えました。』
という、書き込みにホットしておられる方がおられるとおもいますが・・・とみ新蔵さんは違う意味で言っておられると思います。
本当は「今が一番や!」というのが、本来のお道の信仰であるべきではないでしょうか。
元・統一教会の信者さんがインタビューで、「洗脳されて朝から晩まで訳も分からず働かされていた時が、一番充実していました。」
と答えていました。そして「洗脳が解けてから、返ってフヌケのようになってしまいました」とも、答えていました。
私が思うに、大切なことは、「自分で思案する」と言う事「自分が責任を持って行動する」と言う事「誰かの言葉に惑わされることなく、自分の頭と心で判断していく」と言う事です。もちろん「神の思い、神の思案」を中心に考えると言う事は、いうまでもありませんが・・・
- [249]草加せんべい 06/09/11 11:39 *1XCSWCPa2t5*8RE73l9O0v
- >>242 どうもありがとう。
どうやら、程度問題とはいえ自分の利益ばかり考えて生活しないで、
助け合って生きていこうという趣旨のようですね。
現代の風潮とはかなり逆を行く考えのようです。
(金の事しか頭に無い、堀エモンに聞かせてあげてください。)
- [250]まっぷ 06/09/11 11:55 OVzS4Uxqjl
- >>216 リラックマさんへ
お元気にされていますか?
澄んだ青空のもとで、お弁当食べると、最高ですね〜。
皆様と共に、お帰りを、お待ちしております。
寂しいですよ〜(泣)
- [251]草加せんべい 06/09/11 18:09 *1XCSWCPa2t5*8RE73l9O0v
- ところで天理教の神様って、
一体どういう神様なんでしょうか?
- [252]あのー 06/09/11 18:37 AmPLukf1Z8
- 宗教野朗まじきめーーーーーーーーーー
とか言ったら殺されますか?
- [253]通りすがって立ち止まり 06/09/11 20:19 dBMo7fCMl/
- 家の中に神実様と仏壇があるのですが、先日所属の会長が「教祖逸話編にあるように、そろそろ仏壇をすっきり片付けなさい。天理教式にお墓も解式しなさい。」と言ったので「じゃ神実様をお返しします。天理教を金輪際辞めます」と申し上げたところ、その会長は「子供に身上がでる〜〜云々・・・」
みなさんどう思われますか?
特にとみ新蔵先生のコメントが聞きたいです。
- [254]k 06/09/11 20:44 HNeXL6q.ds
- どういう宗教か、それは恐らく私が思うに、
「全ての人々が、全ての事柄を前向きに受けとめ、苦しいことも悲しいことも全て親神様の思し召し、御守護と感じ、陽気ぐらしをすること」を目標としている宗教だと思います。
だから、まぁ色々とここのスレであぁだこぉだと言われていますが、
情けない どのように思案したとても
人を助ける心、無いので
と仰せられるように、何度議論しても、
論争の渦に巻き込まれ、親神様を感じる心を忘れ、
頭だけで理解しようとしても、意味がないのではないでしょうか。
偉そうな事を言ってスミマセンでした。
- [255]次男 06/09/11 22:22 D1PgZ1rRI6
- Kさん、私はちょっと違う考えです。
『何度議論しても、
論争の渦に巻き込まれ、親神様を感じる心を忘れ、
頭だけで理解しようとしても、意味がないのではないでしょうか。』
と言われますが、「談じ合い」と言う事も大事なことですよ。しっかり「談じ合い」をして『教理』を身に付けることによって、『論争の渦に巻き込まれ、親神様を感じる心を忘れる』事が無くなるのだと思いますよ。
本当の意味での「思案」が出来る自分に成らなければいけないと思います。
- [256]T.N.Doctrine 06/09/11 23:16 OVzS4BA9mX
- >>251 草加せんべいさん、こんばんは。
あなたのような信者さんでない方が、この教えに興味を持って下さるのは、何となく嬉しい気持ちがします。といって勧誘しようと言う気持ちはさらさら有りませんから、ご安心を(笑)
本当は、私より上手に説明できる方がたくさんおられるのですが、行きがかり上ということで・・・。
天理教の神様というのは、泥海中の世界、(つまり混沌とした宇宙とでも言いましょうか)をご覧になって、「味気ない」と思し召され、共に楽しみたいとの思いから人間を作られた創造神ということになっております。その神名を天理王命(てんりおうのみこと)と称します。(この神名の由来の解釈は種々あると思うのですが、私も過去スレで言及していますのでご参考までに)
ですから基本的には一神教なのですが、この世界を守護する働きに応じて、十柱の神名が与えられております。例えて言えば人間と言う個体が全体としてあって、なお頭、手足、耳目等があるようなものだと私は理解しています。
頭、手足はそれぞれ役割が違いますが、それを全部合わせて一人の人間となる訳です。役割だけを見ていますと多神教のような要素があるようにも思えます。さらに言えばこの世そのものが神の体という考え方ですから、大乗仏教で言う山川、草木や岩石に至るまで仏性を持っていると言う思想と似たような側面ももっています。(多分あなたは他の宗教サイトもご覧になってから来られた事でしょうから、このような説明が解り易いかなと思いまして・・・)
神様から見れば人類は皆兄弟であり、「陽気遊山が見たいゆえから」と思し召された神様の思いに沿って、互いに助け合って陽気な暮らし方が出来る、神人和楽の世界を築くことが使命とされています。そのために埃の様に知らず知らず積もっていく「悪しき心遣い」=「欲の心」を常々掃除して行くことが必要とされています。
我ながら、あんまり上手な説明にならなくって申し訳ない。どういう方をイメージして話すべきか、迷ったせいもあるでしょう。テンプレの下欄に書いてある公式サイトをお勧めした方が賢明だったようです。(汗)
>>252 あのーさん、本当に申し訳ない。
意味が理解できません。
>>253 はじめまして。
私は、そんな脅しめいたことを言って信者をつなぎとめようとする会長さんに同情します。
身上は会長さんの方に出そうです。
仏壇はご先祖さまを祀っているもので、それを敢えて否定することではないように思います。親神様はその上に立つと申しますか、それらもひっくるめた、この世を創られた元の神のはずですから、拝む形式が問われているのでなく、心の姿勢が問題なのだと思いますよ。
とみ新蔵さんの前にレスして済みません。
>>254 Kさん、はじめまして。
かつてリラックマさんが、純粋な信仰とはKさんの様な人、というコメントをされてましたが、そのようですね。
二つだけ言わせてください。
まず話には、無益な論争と意味のある討論とがあるということです。多分、このスレにおいでの方は皆さん、後者の方を望まれて来られていると思います。あなたには無益な展開に見えることがあるかも知れませんが、つい熱くなってしまったり、誤解が生じたりということがあるかも知れません。でも皆さんが強い信仰心を持っておられる結果なのだと思いますよ。
それから、皆さん机上の空論を戦わしてみたり、頭だけで信仰しているわけではないと思いますよ。
私なんかは厚かましくも、プライベートなことを随分書き込みましたが、皆さんは実生活でも素晴らしい人助けの実践をなさっているのだと思います。ただあからさまに語られてないだけでしょう。
実践されながらこのサイトにも顔を出されるのは、信仰をより深めたいという思いと同時に、ここでの書き込みもお匂いがけの一つになればいう両方の思いが交錯してのことだと思います。
あなたから見ればまだまだ納得できないかも知れませんが・・・。
- [257]とみ新蔵 06/09/12 04:58 r9hfPFgcXT
- 通りすがって立ち止まり氏へ。
{家の中に神実様と仏壇があるのですが、}
「天理教は元来は、庄屋敷村の転輪さん」と言われて仏教系の神名でした。
こんなことは研究者の間の常識です。
今はそれはともかくも、天理教では神棚と先祖供養の仏壇があっても何もおかしくはない伝統がありました。
お家の仏壇は、邪魔でなければ、そのままでよろしいですね。何宗であろうと、御先祖のよきところ、その精神を受け継いでくだされまし。」
重複しますが「教祖逸話編」を文字通りに信りじては、決して、おやさまの理はわかりません。
天理教式の墓ってどんな墓ですか?
教祖は葬式の仕方しついても、一切問題にされなかったし、原典でも、もちろん語っていません。
明治19年、櫟本警察所の弾圧が因で死亡した高弟の豊田村の仲田儀三郎さんの葬式も当時の慣習で、仏式でしたし、教祖の葬式もまがた村の善福寺で、仏式でした。
初代真柱が、明治の方針に合わせた、
神道教会の会長として、これでは恰好が付かない、私としても権威が付かないというわけで、本席さんから、叱られながらも、
再度、神道式で教祖の葬式をやった、というだけです。
その時に墓も豊田の墓地の今のようにした、というだけのことですネ(^^)。
{その会長は「子供に身上がでる〜〜云々・・・}
「ハッハッハッハ。そういう脅し言葉をいう会長さんって、人を惹きつける何んの魅力もなさそうで、ホント、可哀相ですネ。
ま、よくある話ですが(^^)
をふでさきにある「手引き」「みちおせ(道教せ)」って、他の宗教にあるような、そんな神さんのバチ(罰)みたいなことを意味するものではありません(^^)
余りにも食いすぎたら、どうなりますか?
腹痛が起こりますね。
かって、オカシナ睡眠薬を飲んだ母親の子供はどうなりましたか?
腕が成長する段階に支障を来たしてサリドマイド児になりましたね。
大都会の汚れた空気ばかりを吸っていたら?
喘息のが多くなりましたね。
劣化ウラン弾などで、人口放射能を沢山被爆した、母親から生まれる赤ちゃんはどうなりますか?
奇形児になりますね。
余りにも腹ばっかり立てていたら?
胃(はら)が立って、胃が悪くなるし、血液が酸性になって、身体の調子がワルくなりますね。
言いたいことは、神さんのバチなどはないよというわけです。
教祖のいう神(理)とはそういう「神」ではありません。
この世界は真理(理)どうりに働いていて、辛い身上や事情が起こった時は、「それを修正、修理する必要がありますヨ」
というのが、真理(理)からの「手引き」「みちおせ」」という意味です。
いわば真理を擬人化しているわけです。
- [258]とみ新蔵 06/09/12 05:00 r9hfPFgcXT
- (その2)
でも、その会長さんがワルイのではありません、その会長さんも、上級からそのように言われ、教えられてきたのです。
おやさまの教理を学んで理解するよう努力して、その会長さんをオカシナ呪縛から救ってあげるのは、貴殿の役割と考えますがいかがでしょうか。
エ!もう救いきれない?
ハハハ、そんなツメタイこと言わんでくらはい(^^)
この道は、人様を助ける道です。
オカシナ迷信から、世界中を救け、
世界中、誰も抑圧され、差別され、哭いている者のいない、かんろ、甘露(インド語ではアミリッツアル)、甘露台世界を創造(普請)する道です。
もちろん道は、山あり、坂あり、荊苦労も崖道もありまっせ。
世俗的に言えば」「しんどのしぞん(仕損)」かもしれまへん。
でもそこに向かって進むのが、神(理)の道具衆としてのよろこびであり、「頂いている、命と体の使い方」と思います。
(ああ〜〜パソコンって眼、痛なりまんな、、。また劇画の仕事、遅れまんなあ(^^)
- [259]通りすがって立ち止まり 06/09/12 05:24 dBMo7fCMl/
- 通りすがって立ち止まりです。
とみ新蔵先生の
>>天理教式の墓ってどんな墓ですか?
のことですが、いま菩提寺にある拙宅の先祖代々の墓を、どこか新しく霊園等に移設し、天理教式の墓にしなさいということです。
ま、いまある墓をすっきり取っ払ってそこの菩提寺の檀家を辞めなさいということなんです。
とにかく、とみ新蔵先生並びに私の拙稚な質問に御答え下さったみなさん。
有難うございました。
なんだかすっきりしました。m(__)m
- [260]はじめ 06/09/12 21:59 D6zvdzq.dH
- >>257
>「天理教は元来は、庄屋敷村の転輪さん」と言われて仏教系の神名でした。
>こんなことは研究者の間の常識です。
なるほど、何も知らない人びとが「テンリ」「テンリン」と聞いて、それを仏教の流れだと思って、漢字を当てはめて話を広めたと言うわけですね。
仏教系の名前が先にあるから、本来は仏教系だいうものとは違う話ですね。(^^)
お道は仏教系でもなければ、神道系でも、キリスト教系でもなく、ダメの教えとして独り立ちするものですからね。
- [261]リラックマ 06/09/13 17:48 D-snzhw
- 皆さん、数々の温かい励ましのお言葉、ありがとうございました(^^)。本当は、もう少しゆっくり心のリフレッシュ工事をするつもりでしたが、昨日からヒドイ肩こりに襲われまして、「これは神様のお知らせかいな」と思いまして、早々に戻ってまいりました。迷惑なだと感じる方もおられるかも知れませんが、又よろしくお願いします。
今回立ち去ったのは、落ち込んだというよりは、自分が許せなかったからなのですが、皆さんの投稿を読ませて頂いて、本当にありがたいなと思いました。
特にT.N.Doctrineのアニキ!?が言われた、「ここでの言ってる事と、自分が普段やっている事とのギャップ」を、今回非常に感じました。他人には「無理は理が無い」とか言いながら、自分が無理していた事に気が付きました。
「道に遠慮は埃」というお言葉もありますし、これからはそういう姿勢でやらせて貰おうかと思っております!
- [262]リラックマ 06/09/13 17:57 D-snzhw
- 早速ですが、とみ新蔵さんへ>>224と>>232で本当に言いたかった事、失礼を承知で言わせて頂きます。
あなたの投稿で語られている教理は、八島さんが「中山みき研究ノート」で語られている教理体系に非常に似ています。とみ新蔵さんの教理は、基本さんの言葉を借りると、「八島系」教理と言えると思います。
あなたは、その投稿文の中で「研究者の間では常識〜」という形で語られているお話は、「八島系の教理の研究者の間では常識」なのではないかと私は理解しているのですが、さもそれが当り前のように話されると、ここにお集まりの皆さんが大変混乱されると思います。人にはそれぞれ考え方があるのですから。
ご自分の考え方に自信を持つ事は大変結構ですし、大切な事だと思います。
しかし、「負うた子に教わる」ということもあると思います。自分の考え方をこれで完璧として、高い処から見下ろして応対していたら、足元をすくわれると思います。自分より目下の者の発想の中にも、キラリと光る何かを発見するチャンスを、あなたはその考え方・姿勢によって、これまでみす/\見逃して来ているのかも知れませんよ。
ある信者さんが教祖を拝んでいて、フト顔を上げて見ると、教祖もこちらを拝んでいたという逸話があります。我々お互いは、こうあらねばと思います。
以上です。大変失礼しました。
- [263]リラックマ 06/09/13 18:11 D-snzhw
- 連レスすみません
とみ新蔵さんが、度々仰る「教祖伝の虚構」。私は最初、このスレッドで語るつもりはありませんでした。しかしこれは、いぼがえるさんとT.N.Doctrineさんが仰ったように、「慇懃無礼」な態度であったと…、今は思っております。
ここにお集まりの皆さんならば、きっと冷静に判断されると信じて公表させて頂きます。
この資料は、大平良平が発行した雑誌「新宗教」の中にあります。本席さんの息子、飯降政甚さんが大平良平に語った話です。
話題は秀司さんの出直しに関するものです。
八島さんが「中山みき研究ノート」において語られている秀司像は、他にもあるのでしょうが、恐らくこの資料からの推測なのではないかと、自分は考えています(違ったらすみません)。
実名は、一部あえて伏せました。読みやすいように、多少句読点、旧仮名遣いなど改めました。
純粋な信仰者ほど、ショックが大きい資料です。もちろん、事実無根である可能性もあるでしょう。信じる信じないは、一名一人です。そのつもりでお読み下さい。
※新宗教・大正5年1月号、「おばさん」飯降政甚より〜
〜私は非常に有難い因縁で、腹の中から名前を戴きました。私の先代が政治郎と申し、五つで出直した相で御座います。其れから女ばかりでしたが神様が貰い返してやろうと仰って、名前をマサジンとつけて下さいました。
マサジンと云うのは
「木では靱より堅いものはないから、名を政靱とつけよ」
と仰せになった相ですが、ジンと云う字は何んな字を書けば良いか分からぬから役場で政甚とつけたのだ相です。
其の頃は理も浅いから非常に疑うて居りました相ですが、生まれた子が男の子でありましたから非常に驚き、其れから信仰も進んで参りまして、如何なことがあっても道の為めにせにゃならんと決心の度を固めたと、しばしば其の事を話されました。
〜隠したり包んだりしることはよくないことでありますが、これ迄は秀司さんにしろ松枝さん(秀司様の夫人)にしろ善いこと計り書いて悪い事は書いてないが、秀司さんにしろ松枝さんにしろ何うも仕様のない方らしかった。其の為めに、教祖様の心を休ませられたということはなかった相です。其の証拠に、跛(ちんば)を助けてやりたいと云って足の跛のお勤めを半月程行り、私の姉等もお勤めに出ました相ですが、秀司様は
「其んなことしても何に助かるものか」
と云って息の切れる迄反対で、本当に懺悔をして行かれたのではない相であります。
お崩れになったのは今の門屋の入って所で御座いますが、其の時私の父が
「親さん、先生が今息をお引き取りになりました」
と申し上げると、教祖様は
「アヽ其うかい」
と云って一段高い処から降りてお出でになり、秀司様の枕許に立ち額をゴロ/\として
「最う強情は張らせんやろ。張れるかい。張れるなら張って見いや」
と云い、内の父を振返って
「伊蔵さん。内の態を見ておくれ。金を溜めると此の不始末だで」
と涙一滴こぼさず、元の所へお上がりになったということであります。
其の時父の感慨は、何ともたとへるにも例えることが出来なかった。親様の御精神は此う云う所にあるかと、無量の感慨に打たれたということを父から承りました。〜(後略)
- [264]リラックマ 06/09/13 18:22 D-snzhw
- ※新宗教・大正5年2月号「新宗教一月号の余の談話に就いて」飯降政甚より〜
新宗教一月号の余の談話に就いては大分やかましい問題となり、其の為めに本部員の集会迄開いて、あの談話の趣旨を自分に対して尋問せられることになった。
問題となったのは、秀司さんが亡くなった時、教祖は上段の間からお下りになって秀司様の枕許に立ち、額をゴロ/\として
「最う剛情は張らせんやろ。張れるかい。張れるなら張って見いや。」
と仰って、涙一滴こぼさず元の所へお帰りになったと云う所の話と、松枝さんが鼬(イタチ)になったということの二つであるが、自分があの談話をしたのは、教祖には我が子人の子の隔てはない公平無私の偉大な人格、偉大な精神を備えられていたことヽ、理と云うものはたとひ教祖の親族であろうが因縁の魂であろうが、善をすれば善をした様、悪をすれば悪をした様に公平に廻って来るということ、即ち天理というものは公平無私のものであり、因果応報の理は争うべからざるものであるということを語ったのです。
これに対して○○氏の実験談なるものを聞くに、私の聞いている所と全く正反対の話である。即ち秀司さんの亡くなった時、教祖は上段の間から下りておいでになって秀司様の枕許に立ち、額を三度撫で
「早う帰って来るだで/\」
と云って、涙をポロリと流して元の所へお帰りになったが、お帰りになると後は平素とチットモ変らない御様子であったということである。
又た鼬云々の事も、全く事実無根であるというのが○○氏を始め一般本部員の説であるが、之れに関して自分は其の当時の目撃者でないから事実無根であるかどうか知らない。けれども当時現場の目撃者であった所の自分の父(本席)や姉(永尾芳枝)の云う所を聞くと、○○氏の談話とは全然正反対なのです。
従って之れは天理教将来の為に、いずれが真でいずれが偽であるか、大いに正して置く必要があると思う。
○○氏の談に依ると、教祖がもし自分の話した様なことをし、本席が又た自分の話した様なことを云われたとすれば、教祖も詰まらない人であるし又た御本席と云う人も詰まらない人であると云われたが、これは聞き捨てならん言葉だと思う。何故なれば、自分の子供の亡くなった時涙を流す云々と云うことは、普通の人情より押した時の話で、教祖のごとき我が子も人の子も分け隔てのない公平無私の大人格を持っておゐでの方には当てはまらない問題である。○○氏は、教祖がもし自分の子供の亡くなったのを見てそういうことを云われたり、せられたりしたとすれば教祖は詰まらない人であると云われたが、自分の考えでは詰まらない所ではない。却ってそれによって、教祖が神に近い人格をもってゐられた方であったと云う荘厳無比の感に打たれるのです。
又た御本席が其んな話をしたとすれば、御本席と云う人も詰まらない人であると云われたが、自分は教祖の公平無私の偉大なる大精神を汲んで、無量の感慨に打たれた本席其の人を偉いと思う。これは自分の父であるからいうのではない。人間としてとにかく偉いと思う。
其れから秀司さんであるが、一月号では自分の所謂秀司観なるものが徹底して表れていないが、自分の考えでは、あの人の信仰が正しくあったか又た誤っていたかを問わず、最後迄反対を続けたというあの人の意志の強固な点は偉いと思う。これが普通人であったならば中途 有耶無耶になるのであるが、其所を何処迄も教祖に反対し切ったという点は中々尋常人ではない。其の反対の中を切り抜けた教祖も偉ければ、其の反対を死ぬ迄続けた秀司其の人も偉い。一月号ではこの点が充分表れていないが、とにかく一面に於いては秀司其の人を感心している。
- [265]リラックマ 06/09/13 18:24 D-snzhw
- つづきです
〜以上の問題に対して□□氏は
「自分も教会をもち又た支庁ももっているが、これでは信徒に説明の仕様がないから、信徒を満足させる様な説明の方法を教えて呉れ」
と云う最も皮肉な態度に出られたが、自分の考えでは何も説明の方法がないことはないと思う。
元来天理教では、今日迄悪い事は何でも隠そう/\の隠蔽主義一点張りで通って来たが、自分の考えでは其れでは反って世間の疑惑を作る元だと思う。其れだから事実は何処迄も事実として社会に発表して、善悪是非の判断は社会に任せたが良いと思う。
自分が以上の事実を発表したのは、教祖は公平であり天理も亦何処迄も公平なものであると云う、教祖の人格と天裁の峻厳とを知らせる為めである。
しかも□□氏は尚これでは説明の仕様がないと云われるが、説明はこれでチャンとついている。即ち天は人に依って裁かず、理に依って裁くと云う天の裁判の公平なること、教祖は我が子人の子の区別のなかったこと、其れで説明はつく。其れでも説明がつかんと云うのは、事実を打ち消せと云うことになる。けれども事実というものは、人間の力で曲げることも出来なければ、打ち消すことも出来ないものである。其れを曲げたり隠したり打ち消したりすることは、宗教家として甚だ要領を得ない態度だと自分は思っている。従って之れで分からないとならば、天下の与論に訴えるより仕方がない。
□□氏は又た、然らば何時の何日の何時に其う云うことがあったと云う書物でもあるかと云う質問を提出せられたが、いやしくも(かりにも)当時の状況を知れるものには問題にならない非常識な質問である。いったい道の創業時代の当時に於いて、其んなことをしている余裕があったかなかったか、多少なりとも其の時代の状態を知っている□□氏としては、殆んど誠意よりの質問ではないと思われる。よって自分も亦、一笑に附してしまった。
此の他影ではあれこれと云う人もあったが、誰も正面より衝き込んで来るものもなく、集会は不得要領の中に終わったが、自分の考えではあれに依って天裁の公平なること、教祖の偉大なること、見様に依っては秀司氏も亦偉大な人物であったことを、事実の儘(まま)に語った迄である。従って、自分の談話が事実と相違していると云う確かな証拠の挙がらない限り、自分としていささかも謝罪する必要はない。ただ本部を始め、一般信徒に誤解のなき様に、自分が右の談話を発表した精神について一言の説明を加えて置くのである。
- [266]リラックマ 06/09/13 19:01 D-snzhw
- 以上になります。稿本天理教教祖伝の151〜152ページを、今一度読み直して頂いて、皆さんの感想なりご意見をお聞かせ願います。
なお、この投稿文はもちろん飯降政甚さんと本席さんの主観も入っている訳です。皆さんそれぞれが、この中より事実だと思う部分を冷静に読み取って、今後の信仰の歩みの上に役立てて頂くことを切に願います。
ちなみに秀司さんが亡くなった晩に、教祖の口を通して、以下のようなお言葉がありました。参考までに掲載します。
※みちのとも昭和3年7月5日号、「おさしづ」に就て・桝井孝四郎より〜
之れは私の叔母(村田すま)から聴いた話であるが斯うした御言葉が、御教祖の口を通じてあった事がある。それは秀司先生が御帰幽になった晩、皆の者が中南で御休みになって居られる秀司先生の枕元で、御通夜をしてゐた時の事である。その時御教祖の口を通じてその以前に御帰幽遊ばされてゐた御教祖の三女なる春子様(櫟本の梶本惣治郎氏妻女)なり、御教祖長男秀司先生の御二人が、御教祖の口を通じて御出ましになった事があった。先に春子様が、
『子供がみな帰ってゐるよって一寸私も帰って来ました』と御出ましになった。そして其の後で秀司先生が『私は今まで上を思ひ、世界を思ひ、村方を思ひして、神様の仰しゃる事を止めて来た。どうぞ之れからは、之を雛形として神様の云ふ事を守ってくれ。私はこんなになりました。』
と仰せられたのである。
この御言葉は、御教祖を通じての御言葉ではありますが、春子様の時には、春子様の様な御言葉で、秀司先生の時には、秀司先生の肉声の様に御話があったのである。
之れは『おさしづ』と云ふべきものであるかないかはともかく、御教祖の御口から仰せになった御言葉である。
で今の春子様の御出ましになった『子供がみな帰ってゐるよって、一寸私も帰って来ました』と仰せられたその子供が帰ってゐると云ふのは、春子様の御子梶本松次郎様なり、初代管長様(初代真柱)が丁度御屋敷へ来て居られたからである。
其の事を、その御話の済んだすぐ後で、村田すま叔母が勤め場所の方に御出になった松次郎様や、初代管長様なりに『お母様が今御帰りになりました』とその時の事を申上げると『それは惜しい事をした、私も会いたかった』と仰せられた事である。
斯う云ふ風に御教祖の御口を通じての御言葉となって現はれた事もある。(後略)
以上になります。これによって教祖の「ひながた」の道の上で、秀司さんが果たした役割とはどういうものかが読み取れる、と私は考えますが、皆さんはどう思われますか?
- [267]T.N.Doctrine 06/09/13 19:21 OVzS4BA9mX
- お帰りなさい。元気そうでホッとしました。
やっぱり、リラックマちゃんならではの資料の数々。
ありがとーっす。
以前私が口に出した教祖の写真の話。
あれを見る限り、あなたのお説と言うか、政甚さんの見解の方が正しいと思われます。
とにかく、当時の教団幹部というより、秀司さん一派が、宗教というものを商売にしようとした、それまでの貧しさの反動からか銭儲けの種にしようとしたのではないかと思われるふしがあるのです。
そういう動きに対して、教祖は大変な嫌悪感を抱き、もの凄い形相でにらめつけるような、鬼気迫るあのお写真の顔になったのではないかと思うのです。
- [268]リラックマ 06/09/13 21:58 D-snzhw
- >>267T.N.Doctrineさん、ありがとうございます(^^)又よろしくお願いします!
先程の資料について投稿していたら、いつのまにか肩の腫れがすぅ〜っと引いてました。まだスッキリ全快とはいきませんが、不思議だなぁと思いました(^^)
飯降政甚さんの資料からは、本席さんが非常に理性的な「阿呆」であったことも伺えると思います。
>>2で紹介させて頂いた教祖が言われた「阿呆」の理想像が、本席さんであると言えると思います。
- [269]はじめ 06/09/13 22:20 D6zvdzq.dH
- リラックマさん。
資料はじめて読ませて頂きました。
何だか教祖時代、本席様の時代の雰囲気を感じさせて頂いたように思いました。
皆さん本当に大変な中を通って下さったのですね。
今月は霊祭の月です。これまでの方々にしっかりと御礼申し上げたいと思います。
ありがとうございました。
- [270]傍陽気 06/09/13 23:38 kX5B1dFrlF
- 皆さんこんばんわ。
何処に不自由の無い者を悩み、心配、苦労を懸けた。理は、早く帰っておいでなんですね。それが基本。稿本とかいっているが、それが基本。しかし情としては、強情張らせんやろ。ですね。
教祖伝をゴミ箱捨てる???。理が分からないから、人にその様な事を薦められるんですね。
- [271]リラックマ 06/09/14 00:26 D-snzhw
- >>269はじめさん、又よろしくお願いします。
私が思うに、あの時代教祖の周りには、世界中の人間のあらゆる癖・性分のひながたが集まっていて、その中で人間はどう生きるべきか!?という指針を示されたのが、中山みきだったのではないか?と思います。
>>270傍陽気さん、はじめまして
傍陽気さんは、もしかして「基本さんいらっしゃい」のサイトを運営されていた方ですかね?
基本さんは、お元気でいらっしゃられるんでしょうか?一度も、お話したことは無いのですが、凄い方だと尊敬しています。
よろしくお願いします。
- [272]痩せたヤゴ 06/09/14 00:51 pXsdYH.0lA
- リラックマさんたいへん興味深いお話をありがとうございます。貴重な資料をたくさんお持ちのようで、是非少しずつでも公開してください。
このお話では飯降政甚さんの気骨を感じました。天理教に限らず日本文化の中の「故人に批判をしない、死ねばそれまでの蛮行はすべては水に流される」そんな風潮には同意しかねます。私は「負のひながた」を意識しています。秀司さんの良いところ悪いところすべてから私たちは学ぶべきだと思います。人間は失敗から学ぶことは大きいです。(最近、失敗学とかが話題だそうですが)せっかく秀司さんが残してくださった失敗を隠してしまっては秀司さんの存在を否定することになるとも考えます(ちょっと大げさですが)。少なくとも秀司さんにどんな蛮行があったとしても秀司さんを軽視することはありません。おやさまご存命の時期におやさまと共にご苦労なさったこと、秀司さんの行動に対して発せられたおやさまのお言葉の数々、すべてお道を信仰する者の宝だと信じています。
最後に私は飯降政甚さんの子孫の方と接する機会が多かったのですが、その方は世間に流されずに物事の本質を見ることのできる方です。そのことからもリラックマさんのお話は真実だと思いました。
- [273]リラックマ 06/09/14 12:34 D-snzhw
- >>272痩せたヤゴさん、はじめまして
あなたのご意見、ほぼ同感です!それにしても「負のひながた」とは、ウマイ表現ですね(^^)それ、使わせて頂きます。
あと飯降政甚さんのご子孫の話など、興味深い話、ありがとうございます。よろしくお願いします。
- [274]まっぷ 06/09/14 18:25 OVzS4Uxqjl
- リラックマさん、有り難うございました。
とりあえず、お礼だけでも言わせて下さい。
感動しています。
- [275]リラックマ 06/09/14 19:11 D-snzhw
- >>274まっぷさん、よかった(^^)どうぞ、今後もよろしくお願いします!
- [276]T.N.Doctrine 06/09/14 19:53 OVzS4BA9mX
- リラックマさんが元気を取り戻して下さったようなので、一安堵。
矛先を変えます。
とみ新蔵さん、ご覧になって頂いてますか?
ちょっと逆風が吹いていますが、決して嫌になってここから遠ざかられることのないようお願い致します。
あなたの言説は断定的で、力強いのですが、他人にもご意見を強要するかのような響きがあり、やや抵抗感があったものと思われます。
与えられた資料・情報に関して、私などは元より真偽を鑑定できるような材料は持ち得ないのですが、まずは原典から、次に教典からと、全体に流れるものを勘案しながら、(多分に感性的理解ではありますが)今、これが正しいのではないかと思慮できるものを、取り敢えず採用するしかないのです。
しかし、真相は神のみぞ知るといった所ですね。
そんなスタンスで見させて頂いております。
引き続き貴重なご意見を拝聴させて頂き、また参考にさせて貰いたいので、今後とも宜しくお付き合いお願い致します。
(お蔭でリラックマさん、ちょっとタフになりましたよ。代わりにお礼申し上げときます。・・・うーん、またお節介)
- [277]リラックマ 06/09/14 20:50 D-snzhw
- >>276T.N.Doctrineさん、ホントそうですね!とみ新蔵さんには、いろ/\な意味で感謝しています。
この「リラックマ」というハンドルネームは、先ずうちのかみさんの好きなマスコットだという事と、自分が結構短気な方なので、「まあまあ、あせらずのんびりやろうよ(^^)」というこのキャラクターの性格を、せめてこのスレッドに投稿する時くらいはやっていこう!という想いを込めてのネーミングでしたが、やっぱり無理はいけませんね!(^^)
とみ新蔵さんへ質問なのですが、>>257で仰られていた中田儀三郎さんの死亡原因、「中山みき研究ノート」以外での出所をご存じでしたら教えて頂けないでしょうか?やっぱり子孫の方からの伝承とかでしょうか?
- [278]T・S教人 06/09/14 21:07 MnGW4eTWyl
- リラックマさん、これからもよろしくお願いします。
- [279]とみ新蔵 06/09/15 01:57 r9hfPFgcXT
- リラックマ 氏へ。
確か平神大教会に残った、おさしずのコピーでしたね。
もと士族で能筆家の増野正兵衛さん(子孫から聞いた話では士族株は、買ったものらしいですが)が伊蔵さんに
「仲田儀三郎さんへ古記の語りをしてもらい、私が筆を取ってもよろしいですか?」との伺いに対して、さあさあそれは大切なことだから、是非やってくれ」テナ内容でしたね。
仲田儀三郎さんが死ぬ前に最期の力を振り絞って、床につきながら、古記を語り、正兵衛さんが筆記した筈です。
そしてこの、これは一切発表されていません。
天理大学の名誉教授だった〇〇氏の話ですが、この古記を見た仲田さんの息子さんが「こんな内容が警察にわかったら、えらいことになる」と渡そうとせず、仲田さんの遺体と一緒に、棺おけの中に入れたと聞き伝えていました。
あの先生はこっちが解りそうな態度だと、こっちが驚くような内容を言う方でした。
相手のレベルに応じて話す「対機説法」
というものですね。
何回かお邪魔しましたが、教内で書く文章は、どうせ訂正されるからと、自己制約の中で書いておられるのだな(^^)
と思ったものでした。
これは他の著名某本部員もそうだったようです。
これはチト大袈裟に過ぎる言葉とは思いますが、その息子が
「あの本に、オヤジの文章なんかどこにもないよ」とオコッってましたっけ。
また、初代真柱が、棺桶を堀り戻して保管したとの、ま、これは談話だけですね。
このことについては、立風書房から出た「劇画中山みき物語」で触れましたが、今は、その本も手元に一冊もなく、このおさしずの月や日も、仲田さんの死亡
日も忘れております。
実は「もう、この教団では、教祖への復元なぞは出来っこないワ。
歴史の中のホン些細な流行り神さまとして終わってしまう、
特に、二代真柱が亡くなってから、表面へ次第次第に浮上し出して来た「立教3大因縁」の、わが身思案の創作こそは、他宗教から見てもも最大の噴飯物で、もう世間から相手にされないナ、
もう知らんわい、ワシはワシで教祖の精神で、
今、やらねばならぬことが沢山ある」
テナことで、4年前に、書棚を整理する時に、すべての古資料を、捨ててしまったのでした。
でも、それはやはり私のアヤマリだったと思います。
どんな時も、希望は捨ててはならない、
同じ天理教者の子弟として育った方々に、希望と前途をもたらさないことには、、アカンやんけえ、、と考えていますが、、
PCは目が痛オマッセ(^^)
また劇画のオマンマ仕事が遅れますわいなあ。
でも時々は、覗かしてくだされましや(^^)
とみオッサンより
- [280]T.N.Doctrine 06/09/15 18:35 OVzS4BA9mX
- この掲示板では、お互いの意見を尊重しながらも、自由にものが言えるという雰囲気を保てることが、大切だろうと思っています。
とみ新蔵さんとも、たとえいくらか見解の相違があっても、良き「道の友」、良き求道仲間という関係を築かせて頂けたらと願っています。
また、単にご見識だけでなく、あなたの中の「男」の部分には、少なからず敬意を感ずるものです。
- [281]リラックマ 06/09/15 20:05 D-snzhw
- >>278T・S教人さん、こちらこそ、これからもよろしくお願いします!
>>279とみ新蔵さん、大変貴重なお話ありがとうございました(^^)。教祖への熱い想いを感じました!
しかし、その処分された古文書は、チト惜しいことをされたなぁと感じました(>_<)。
仰られていた「おさしづ」、たぶんこれの事だと思います。
※増野家おさしづ・増野道興(大正十年発行)より〜
明治十九年四月九日、中田左衛門氏より古記こしらへるから筆を持って呉れとの頼みに付き、八日より筆を持ちしは高慢でありますかの伺
さあ/\一ついそぐと云ふは、ほかのぎではなく、ぜん/\より後れ/\の所、さあいそぐ古記の一條、これをすれば段々忙しくなる、たんとあるやうなれど、あちらこちら手が入る、そこでいそぐと云ふのや、またたがひの助け合ひもせねばならんで、また筆もとらねばならん。
「こふき」について書かれた文書は、たくさんあるように思っているだろうけど、これで良いと言えるものはない。「こふき」が完成したならば、世間からの反対攻撃が今以上に激しくなるだろうが、それにより道は伸びて行き、今以上にお助けが忙しくなるだろう。だから以前より「こふきを早く作れ」と言ってきたのである。
大体、そんな意味ではないかな?と思っています(^^)
- [282]リラックマ 06/09/15 21:50 D-snzhw
- とみ新蔵さんのお話の信憑性は、私はかなり高いと考えています。
中田左衛門さんは、村田幸右衛門さん、北田嘉市さんと共に「教祖三人衆」と言われたほどの高弟です。何があったのかは分かりませんが、これが事実なら、警察の迫害・干渉による死亡者がいた事になります。それほど、警察の取り調べは厳しいものであったのでしょう。この死亡者がいた事を、教祖伝では述べられておりません。これも、日本文化特有の「死者の生前の恥部には触れない」というものなのかも知れません。
次に、いくつか資料を掲載させて頂きます。
※改訂 正文遺韻
「御事暦参考」より〜
明治十九戌 春旧正月十五日ヨリ十二日拘留、仲田様死亡
「参考記録」より〜
仲田様御逝去(四月頃より身上悩み六月二日に死亡)
仲田左衛門様は、明治十九年旧五月の末に、御死去遊ばされ、死去の前、神様に御伺ひ申上げたる御さしづに、
『にしきのきれと、みたてたものやけど、すっかりくさってしまふた。どんなものもって行っても、つぐにつがれん。どんな大河でも、こさしてみせるはずやけど、このたびは、小さい河なれど、こすにこされんで』
と仰せられしと。誠に悼ましき事の限りなりけり。すっかりくさってしまふたと仰有るは、如何なる過ちのありにしや。誠に口惜しき極みにこそ。
※みちのとも・昭和60年4月号、「応法の心を厳しく律したい・中田武彦」より〜
明治十九年の厳寒の櫟本分署の最後の御苦労の際、お供の一人であった、私どもの初代儀三郎が、お供を終えてわが家の敷居をまたぐ時に、思わず、『あー寒かったで、あー寒かったで」と何遍ももらしたと、幼いころ、曽祖母から聞いたことが、今でも私の脳裡に生々しく残っております。
また、初代儀三郎は、教祖から一番最初にお手振りを教えていただいた一人でありますが、毎日おやしきに通いづめて、わが家の農事も忘れがちになるくらい稽古に夢中でした。このため、家内では少なからぬモメゴトもあったようでした。
- [283]はじめ 06/09/15 22:52 D6zvdzq.dH
- とみ新蔵さん
>>279
>テナことで、4年前に、書棚を整理する時に、すべての古資料を、捨ててしまったのでした。
え〜〜。どこの古本屋へ売ったんですか?
>実は「もう、この教団では、教祖への復元なぞは出来っこないワ。
>歴史の中のホン些細な流行り神さまとして終わってしまう、
今の教団も我々の成人の度合いを見て、ご守護下さっていると思います。
出さないから世間に見向きもされないと言うよりも、世間の方が本当に耳を傾ける心が出来たら、隠された資料のような話もドンドン聞かせてもらえるのではないでしょうか?
とみ新蔵さんの仕事ってすごいですよね。マンガ・劇画の影響ってすごいですから。
子ども達が良く見るアニメは、超能力ものですが、おさづけやおつとめも一種の超能力のように見えるモノだと思うのですが・・・そんなものを題材としたものは出来ないでしょうか?
あこがれで人は成長すると思うのですが・・・。
全く違った話題ですみません。
聞き流してください。m(_ _)m
リラックマさん
>>281
すごいですね。
私も挑戦してみました。
さあ、今一つ急ぐと言っているのは、他の事ではなく、以前より言ってはいても遅れ遅れになっているものである。さあ急ぐ「こうき一条」。こうきが出来て広めに入れば段々忙しくなってくる。こうきというものは沢山あるように思うだろうが、あちらこちらに手が必要となる。そこで急ぐと言うのや。こうきをつくり広めるためには互い扶け合いもしなければならないし、筆記もしなければならない。
もう一つ思えるのは、
急ぐというのは他のことではなく、以前から言っていながら遅れているこうきを作り広めることである。この作り広める事をすれば段々と忙しくなる。
聞きとる話は沢山あるように思うだろうが、遅くなればあちらこちらに手が入り、本当の話が違ってくる、だから急ぐと言うのである。
こうきを作るためには互い扶け合いをしなければならない。それは筆をとって、筆記することにも当てはまり、しなければならない。
こんなとこですが・・・訳すのって何だか面白いですね。
- [284]とみ新蔵 06/09/16 00:35 lqT5zh/bKQ
- やはり、このスレに来なさる方々はスゴイ方々が多いなあ、、と感じざるをえません。
私の方こそ、その遠大な精神を学ばせてもらっています。
なんだか皆様に頭が下がります。
さすが、おやさまに関わりのある、お道の子弟だと、ただ、頬に涙がこぼれてしまうばかりです。
その(2)へ続くです。
- [285]yoshio2028 06/09/16 17:28 qDQYGBYkxx
- 余談ですが。
昔のマンガで、ハクション大魔王と言う題名の作品で
魔王が、何かのお祈りをするときに、「あしきをはろうて」
と言うシーンが有りましたが、第何話だったか覚えている方いませんか。
- [286]T.N.Doctrine 06/09/16 18:42 OVzS4BA9mX
- >>285 へえー、それは面白いですね。
マンガに限らず、あちこちでそんなものが飛び出してきても、違和感がないくらいに市民権が得られればいいですね。
ちょっと話は変わりますが、一昔前の映画で「ベストキッド」という空手映画がありましたね。
その中で、主人公の少年が次の日の試合に出られそうもない程の大怪我をした時、ノリユキ・モリタ扮するミヤギという空手の先生が、祈るようなしぐさを見せて患部に触り、翌朝までに完治させたシーンがありました。
私にはどうも「おさづけ」がヒントになっているのではないかと思えましたが、皆さんどう思われました?
(途中から参加されている方は、普段私が、科学、科学と言っているのにおさづけを肯定的に語るのを変に思われるかも知れませんが、「天理教を語る!!2」の中で、その科学的理解、というより科学的理解の一つの方法論めいたものを書いておいた積りです。ご参考までに)
リラックマさん、今頃思い出した。
私のことをアニキと書いて下さったこと。アレ、嬉しかったです。お礼を言っとかなきゃあと。
でもここは、上下のないところですから。
あっ、先に弟分なんて言い出したのは私か、その節は失礼!
- [287]はじめ 06/09/16 19:58 D6zvdzq.dH
- リラックマさん
>>282の「改訂 正文遺韻」と「正文遺韻」とはどう違うのでしょうか?
- [288]リラックマ 06/09/16 22:12 D-snzhw
- >>283はじめさん、すばらしい解釈ありがとうございました(^^)。参考にさせて頂きます。
おさしづは難解ですが、既存の解釈に捉われず、前後の出来事を参考にしながら、自分なりに解釈してみることは、親心を知るためには大切な事だと思います。(もちろん間違った方角に行く事もあるでしょうが、そこを皆で談じ合いながら行けば、いずれ山の頂きに皆で辿り着けるものと信じます)
おさしづに限らず、他の原典も同様ですね!
>>287「改訂正文遺韻」は、一般に不向きと思われる個人の作文等を省き、「復元」誌上で紹介された文書類を新たに加えたものです。ちなみに、現在道友社で発売されている「正文遺韻−抄」は、天理教初心者の方が読めば誤解を招きやすい文書類はほとんど削除されています。それだけが理由とは思われませんが…
>>286T.N.Doctrineさん、出来の悪い弟ですみません(^^)。亥年生まれ、猪突猛進の元ラガーメンなもんで、前に進みだすと周りが見えなくなっちゃいます(^^)
- [289]はじめ 06/09/16 23:27 D6zvdzq.dH
- リラックマさん。
正文遺韻についてありがとうございました。m(_ _)m
>>288
>もちろん間違った方角に行く事もあるでしょうが、そこを皆で談じ合いながら行けば、いずれ山の頂きに皆で辿り着けるものと信じます
はい。
はじめから、自分の解釈が正しいと思い込むことの方が???と思いますし、自分は出来ないと言って人の解釈を鵜呑みにするのも???とも思います。
と言いながらも、私もそうだったので、偉そうなことは言えませんが、そうした経験をして現在に至ると言うことで・・・(⌒∇⌒)
まあ、時間がある限り、どんどんやったら良いと思っています。
- [290]リラックマ 06/09/16 23:29 D-snzhw
- >>214初代さん、忘れていた訳ではなかったのですが、最近話題が立て込んでいて大変遅くなりました。
お尋ねの「成ってくるのが天の理」ですが、「おさしづ」に見当たりませんでした!?どなたかご存じでしたら、私にも教えて頂けないでしょうか?
その代わり、ほぼ同意義語がいくつかありましたので、紹介させて頂きます。
明治31年2月27日
『思うようすれば、思うよう成るが理。心の理思うよう成って来るが理』
明治32年3月5日 朝
『しようと思ても成らん、しようまいと思ても成ってくる理を聞き分け。』
明治33年4月26日
『一時成るか、年限で成るか、成って来るは天然である。これを心に治めくれ。一時言うてなろまい。年限さえ経って来るなら、天然の道がある。』
明治33年5月31日
『前々に天然自然と諭したる。天然自然というは、誰がどうする、彼がこうしょうと言うても出来ん。独り成って来るは天然の理。金でどうしょう、利巧でどうしょうというは、天然であろまい。世上から見て、珍しいなあ。何処から眺めても成程、というは、天然に成り立つ理。〜急いても出来ん、又しょうまいと思ても出来て来るは、天然の道と言う。よう聞き分け。どれから眺めても成程と言うは天然。これ聞き分け。』
まだ他の皆さんの意見を聞いてみないと分かりませんが、もしかしたら「成ってくるのが天の理」とは造語かも知れません。今回調べてみて、「成ってくるのが天然の理(道)」というのがホントなのかも!?と思わせて頂きました。
- [291]T.N.Doctrine 06/09/17 12:02 OVzS4BA9mX
- >>290 リラックマさん、本当に素晴らしいし、有り難い。
我々も探そうと思えば、出来ないことはないのかもしれないのですが、つい、ズボラをこいて、あなたまかせにしてしまっています。
>どこから眺めても成程、というは、天然に成り立つ理。
私たちが理を探る際の指針と言えそうです。
>世上から見て、珍しいなあ。・・・
珍しいけれど、よくよく事の成り立ちを考えてみると、成る程なあ、というところでしょうね。
鉄の塊が空を飛ぶ、ということは当初珍しいこと、奇異なことだったでしょうが、日常的に目にしている現実に科学的な説明が加えられて納得といったところでしょう。理に現れる珍し助けも、何処から眺めても成程と思われるような日常性を手に入れたいものです。
- [292]T.N.Doctrine 06/09/17 12:18 OVzS4BA9mX
- 次男さん、最近おいでてないようですが、度々の鋭いご指摘に感心致しておりました。
もし宜しければ、あなたのお立場(教会の子弟とかいったこと)を聞かせていただければ・・・。(無理にじゃないです)
- [293]悩んでます。 06/09/17 17:58 dBMo7fCMl/
- 通りすがって立ち止まりさんと似たような質問ですが、みなさん聞いて下さい。
我が家はおじいさんからの信仰です。家には神実様があります。勿論祖霊様も御祀りしております。
ところが最近私夫婦家族を除く、父母をはじめ親族全員が「葬式は仏式で・・・」「天理教を辞めよう」と言い始めました。
理由は特にないみたいですが、所属の会長親族があまりにも豪華で絢爛、優雅な生活をしているのに辟易しているみたいなんです。
ま、確かに講社祭なんかで来ると自慢話しかしませんし、(娘が立教へ行った。甥が一橋すべってがそれでも中央の法科へ行った・・・・。会長自身も医者でもあるんですが、大学病院勤務時代の自分の自慢話・・・。ちなみにこの会長の奥さんは著名な本部員の娘。毎度毎度教会へ尽くし運びがたりないなどしつこい説教)その点私も納得できるのですが、何も葬式を「仏でやる」とか「お道を辞める」とかそこまで飛躍しなくてもよいと思うのですが・・・・
ちなみに父が分家初代のため墓はありません。
皆さんの忌憚のないご意見を御聞かせいただいたら幸いです。
- [294]ミッチー 06/09/17 18:39 Ur17tMn.q2
- 私は無宗教です。
何故なら、神は実在だからです。
だから、特に宗派は問いません。
ただ、私の望みはどんな宗教でもいいですが、
宇宙を創られた、宇宙の主への、感謝だけは、あって欲しいと
願うのであります。
私達が住んでいる宇宙です。地球です。
それへの感謝なしに、やれ、どの神だ、やれどの神だ、
と言うのは、耐えられないというか、礼儀知らずです。
いったい、どこに、今、住んでいるのか。
どなたの御身体なのか。
その感謝さえ、できていれば、問題はありません。
しかし、宇宙を創られた、宇宙の主というか、
今、地球に住まわせてもらっている(私も含めて)感謝なしに、
どの神でも、崇拝するのは、どうなのかな?って思います。
宇宙の主というか、宇宙自体をないがしろにして、
やれどの神と、いうのは、どうなのかな?って思うだけです。
宇宙自体に感謝をして、その上で、気にいっている神に、
もしくは、近しい神に、感謝をするのは、いいことだと思いますよ。
- [295]ミッチー 06/09/17 18:58 Ur17tMn.q2
- しかも、特に神道は、私の中で、揉め事をもたらした神
という認識です。
もし、すばらしい神というのであれば、
神道の神々が、どう、皆の為に、働いた神々であるというのを、
知りたいところです。
- [296]ミッチー 06/09/17 19:01 Ur17tMn.q2
- >宇宙自体に感謝をして
私は、宇宙の主というより、上記のように、宇宙自体に感謝というか、地球自体に感謝というか、そういう気持ちを言っています。
宇宙の主教など、ありませんからね。
- [297]T.N.Doctrine 06/09/17 21:15 OVzS4BA9mX
- >>293 悩んでますさん、お気持ちお察しします。
私もとても残念に思いますが、このような方々が今増えているようです。
葬式そのものは、とみ新蔵さんが仰られたように、今までの慣習を捨て去ってしまわなければならないという程のものでもないので、仏式の場合も「有り」でしょうが、根本的なことは、お坊さんに極楽浄土に行けるようお経を唱えてもらうことだけで良しと考えるかどうかと言うことだと思います。
仏教も宗派によって随分違いますが、基本的に仏様は創造神ではありません。敢えて仏式に変えるとすれば、その創造神を否定することに繋がりかねません。陽気遊山が見たい故からと、この世と人間を創られたという根本思想を放棄することになるでしょう。だから当然天理教を辞めることに直結していくんでしょう。
葬儀に関するもう一つの傾向として、天理教式葬儀は稀少であり、何となく周辺に違和感があるのではないかと変に気を回し、一方の仏式の葬儀は今の日本社会の中で一番ポピュラーであるため、横並び意識の強い日本ではそこに靡きやすいといった事情があると思います。(勿論、信者さんの家庭の話で、特に信仰が2代目、3代目となっている場合に多いようです)
この辺りももっと市民権が得られるように勤めさせて貰いたいものですね。
よくお道では、親が選べないのと同様、理の親も神様から相応に与えられているのだから、不足せずにたんのうして通りなさい、と聞かされます。
それはそれで真っ当な信仰的な悟り方だとは思いますが、現実問題として難しいところがあると思います。
教会側としては、それで信仰を離れて行くのは仕方がないと割り切ってみたり、あるいは信仰を離れると運命的によくならないよと、捨て台詞めいた言葉を言ってみたりするのでしょうか。いづれにしても情けない話になってしまいます。
お聞きする限りでは、会長さんにも反省を促したいところではありますが、幸いにしてあなたは強い信仰心を持っておられる方のようですから、率直に会長さんにお気持ちをお伝えしてみられたらいかがですか。
また他系統の教会の会長さんとも接触され、相談される手もあると思いますよ。
お医者さんの世界でも、最近、セカンドドクター、或いはサードドクターに診察してもらうことが必要と言われていますね。
お道もひょっとしたら、そういう時代に直面しているのかも知れません。
(いつもながら、余り良い答えになってないかも知れません。悪しからず)
- [298]T.N.Doctrine 06/09/17 21:48 OVzS4BA9mX
- >>294-296 ミッチーさん、ようこそ。
はじめまして、ドクトリンという変な名前の持ち主です。
お医者さんでいえば、藪医者みたいなものですから、余り期待しないで聞いて下さい。
天理教を神道の一つとお考えのようですが、ちょっと違います。
確かに一時期、「教派神道」というグループに分けられており、神様の名前も「天理王命(てんりおうのみこと)」と言う風に神道式な呼び名ではあるのですが、この世を創った絶対神とされていますので、(当然宇宙を創ったということにもなりますが)神道とは大きく異なります。
ただこの世は「神の体」とも言われていますので、その部分、部分について別の神様の名前をつけても差し支えないでしょう。
ミッチーさんの言われた、宇宙の神様への感謝の気持ち。
ほんとにそうですね。大切なことですし、あなたがそう思われていること素晴らしいことだと思いますよ。
私たちの信仰でも、私たちを創って下さった神様に感謝し、温もりのお与え、水や食べ物のお与え、呼吸のできる空気のお与えなどを得て、日々生かされていることに、いつも感謝しなければならないことになっているのですが、私はつい当たり前のように思って忘れてしまうのです。
これからも宜しく。
- [299]初代 06/09/17 22:29 qX2.dEkpw6
- >>290リラックマさん わざわざ有難うございます。
いつも『成ってくるのが天の理』は、どこに書かれているのだろう?と思っていました。
別に『成ってくるのが天の理』は成る程と思っているのですが、言われている人達から出典を聞かされないので、知りたかったのです。
「成ってくるのが天然の理(道)」とは、すばらしい解釈ですね。
これだけのおさしづを、教えて頂きうれしいです。ノートに書き留めます。
おさしづは私には難しく何かに引用されているのを、少し理解する程度です。
皆さんは本当に教理を理解しようとされ、又理解されているのを拝見し頭が下がります。
これからも宜しくお願いいたします。
- [300]どん 06/09/17 22:41 TvZ1yhUmvK
- >>293 悩んでますさん、こんばんは。ちょっと過激に書いてみますね。
まず、今時学歴なんか何の自慢にもならないということです。
医者も本部員も、全然、全く自慢になりません。これは本当にそうです。
本当に、心の底から、そう思って頂きたいものです。
ちょっとでも、すごいんだ、と思ってしまうと、それらが自慢話に
聞こえてきます。その会長さんのお話は、決して自慢になっていないません。
本当に、そんなもん、全然、自慢になりません。恥ずかしいだけです。
くれぐれも、そんな話を自慢話と受け取らないようにお願いします。
また、豪華な暮らしも、どうでもよい話です。
医者が自分の稼ぎで贅沢な暮らしをしようが、どうでもよい話です。
金銭は二の次ぎです。他人の金なんて、どうでもいいです。
関心は自分の心です。自分の心が、なぜ羨ましいと思うのか、
あるいはイヤだなぁと思うのか。それのみが問題です。
また必ずしも自分と他人とを比べる必要はありません。
自分より贅沢な人も、質素な人も、いくらでも、際限なくいます。
頭のいい人も、悪い人も、いくらでも、います。
誰と比べるかはその人の自由です。比べるか比べないかすら自由です。
その会長さんは教祖のひながたをたどっていますか?
たどっていないでしょう。そんな会長さん、どうでもいいです。
お葬式が仏式か天理教式かも、どっちでもいいです。
教祖はご自身のお墓はいらないと仰いました。
天理教を続けるのか辞めるのかも、どっちでもいいです。
この道は智恵学問の道やない、来る者に来なと言わん、
来ぬ者に、無理に来いと言わんのや、です。
形だけの信仰なんて、追従です。埃です。神を馬鹿にしています。
悩んでいますさん、あなたが悩むべきは、
ご両親に天理教を続けて頂くかどうかということではありません。
形だけの講社祭、形だけのお供え、形だけの天理教なんて、
この世を創造され、9億年も世界を守護し続けてきた創造神が、
本当にそんなこと、気になさるはずがありません。
私達のような、10年やそこらの子育てではないのです。9億年です。
10円と9億円の差です。桁が全然違います。
また私達のような、2時間おきのミルクではないのです。一秒たりとも
休みなく、お守り下されてある、桁違い、断トツの親心、ご守護です。
神さまがご関心をお持ちなのは、きっと、悩んでいますさんや、
ご両親をはじめご親族の、真の心の陽気です。
月日にわにんけんはじめかけたのわ
よふきゆさんがみたいゆへから(ふ14-25)
心の陽気、それ以外に関心はありません。お互い頑張りましょう。
- [301]リラックマ 06/09/18 00:22 D-snzhw
- >>291T.N.Doctrineさん、お役に立てたようでよかったです(^^)。また、>>293の悩んでますさんへは、T.N.Doctrineさんと、>>300どんさんが、それ/\お二人らしい、すばらしいアドバイスをされているようなので、私のアドバイスはいりませんね(^^)。
>>299初代さん、遅くなりましたが、お役には立てたようですね(^^)。最近の話題にとまどわれているのでは、と内心心配しておりましたが、参加されていたのですね!
我々が「お道」に入ったのが先だからと言って、立派という事はないのです。>>300でどんさんも言われていますように、後先は関係ありません。ですから、おかしな事を言ってるな!と思われたら、遠慮なくご意見願います。それが談じ合いというものです(^^)。
どうぞ、私の成人のためにもよろしくお願いします。
- [302]悩んでます。 06/09/18 05:11 dBMo7fCMl/
- >>300どんさん
>>297T.N.Doctrineさん
貴重な御意見ありがとうございました。
色々ありますが、これからも陽気に通らせていただきます。
- [303]次男 06/09/18 07:40 D1PgZ1rRI6
- 悩んでますさんの悩みは、これから多くなるでしょうね。
大教会長さんの娘、息子。本部員さんの娘、息子。いわゆる坊ちゃん、お嬢ちゃん、と呼ばれている子供さんが沢山おられますが、その子達が大きくなって、分家したり、嫁に行って一信仰者として生きて行こうとなった時、出てくる問題のように思います。
しっかり、談じあい、いろんな人の意見を聞き、自分でしっかり思案をして、揺るぎない信仰を身に付ける事が大事な事だと思います。
- [304]メンチかつ 06/09/18 09:08 dBMo7fCMl/
- 我が家も神実様をお祀りしております。
うちの会長なんて、うんとお供えしてくれる家しか講社祭にいきません。
僕だって本当は教会と切ってしまいたいです。しかし中山みき様の教えが好きなもので、教会とは不足しながらも繋げている感じです。
なんだか自分に嘘をついてるようで後ろめたいですが、これが現状です・・・・。
- [305]はじめ 06/09/18 09:30 D6zvdzq.dH
- 一言すみません。
講社祭をされていて、色々思う時は、疑問を尋ねたら良いかと思います。この掲示板のように・・・・、
ただ、ここのように明確な意見が出るとは限りませんが、ブズブズ思うよりは良いかと思います。
ただ、引っ込み高慢だと、これがなかなか出来ないと思います。(自分自身を振り返って・・・)
もう一つ「こうあるべき!」と決めつけて、責めるのではなく、あくまでも低く尋ねる姿勢が出来たら最高だと思います。
求める心に親神様はお与え下さると思います。
そんな中に新しい関係、気づき、成人があるのではないでしょうか?
- [306]リラックマ 06/09/18 13:43 D-snzhw
- >>304メンチかつさん、はじめまして
私の意見を言わせて頂きますね。
明治31年2月7日
『無理に繋ぐやないで。心の理を繋ぐのやで。錆の来た理はどうもならん。錆付いた理を繋げば、先も困る理も困る。錆びた理は又々の理に吹き出るとも言う』
私が思うに、無理な繋ぎは意味が無いと思います。『心の理』即ち『教祖』にさえ心が繋がっていれば、どのような形であれ構わないと思います。
また、その会長さんのように「金銭のお供えすれば助かる」というご利益信心が天理教であると勘違いされている方は、相当数に上ると思います。私の処の会長でもそうです。
明治31年10月26日
『会長という、会長ありて下、下ありて会長、俺という我という理は添わんによって、この順序から治めるなら、皆んな治まるで』
明治22年8月12日
『金銭一つの道じゃない。神一条は金銭ではいかん』
明治23年6月17日
『一日の日でも心たんのうの理は受け取る。金銭の心は受け取りは無い。心だけ金銭、何程の金を持って来て、今日からと言うても受け取るものやない』
明治23年8月26日
『思うように成るもいんねん成らんもいんねん。皆んなだん/\いんねん知らず/\越せば、どんないんねんが持って出るや分からん。どねしても成らんがいんねん。金銀力で行けば、世上に一つの理もあるまい。金銀力でいかんがいんねんという』
明治31年1月31日
『人間というは、どんな理あろうとも、心の理より残らせん』
明治35年7月20日
『さあ頼もしい/\心供えば受け取る/\。泣く/\するようでは受け取れん。百万の物持って来るよりも、一厘の心受け取る』
以上、おさしづより紹介させて頂きました。
たぶん、他の方々からもいろ/\とアドバイスがあるでしょうし、メンチかつさんも思う処を述べて頂ければ、と思います。後は、ご自分で一番ベストな選択をされる事だと思います(^^)。
- [307]とみ新蔵 06/09/18 17:28 lqT5zNZ7uK
- ますますひどくなった天理教に、その子弟たちが悩んでいる現状などは、全く哀しい状況です。
本来の教祖の教えは決して矛盾などで悩むような道ではなく、全人類え悩みから解放する道でした。
それがこん日、ここまで教理が堕落したことは残念なことです。
教理が堕落すると各教会長まで、集金人間に堕落してしまうのは必然的な姿です。
私は23年前に東京、立川の真如苑の会へ取材に行ったとき、
5百人位集まっていて、司会者が「もと天理教の人、手を挙げてください〜〜い!」と言ったとき。50人程の手が挙がりました。
縦系統の集金教義体制や、「お手入れですよ」「さらに因縁悪くなりますよ」との、
怖い神さんを語られて脅された方々が、真如苑など、どこにでも散在している、
安もんの教理の「前生因縁納消の道」や、
天理教のヤクザ組織も羨ましがるような、縦繋がりが少ない、真如苑に救いを求めて、
熱心な幹部や信者になるのも、やむを得ないことだなあ、、と
ヒシヒシと感じたものでした。
でも真如苑も根本的には、やはりド迷信を語る、集金産業には変わりなく、
朝一番に起きてJRの駅清掃などをして勇んでいる信者さんたちを見る機会がありますが、
所詮は、陽気ずくめ世界普請には、役には立たない、
むしろ足を引っ張っている現実になっている、人たちだと、、、と、
ただ、、憮然として、立ち眺めるばかりです。
余りにも、天理教をしていて、悩みが多い方は、もう、ムリに続けなさいとは、私には言えません、、、。
そのかわり、ホカの安スッポイ教団に行って欲しくはないなあと願うばかりです。
天理教でいうトコロの「お手引き」がコワイと感ずるように、洗脳されておられるならば、お近くの伝統的なお寺さんの法話会へ行って学ぶのもよいでしょう。
そこで、既に、私たち人間から、ムシ、鳥、畜類まで「既に、充分に、守護されて来た環境」にあり、そこにさらに、
「守護され続けてている生命」だからこそ、現在もあるということを、学ばれるでしょう。
ま、私としては親鸞の浄土真宗のお寺を、一番お勧めしますが、
ま、これは坊さんによって、説き方は変わりますが、ま、次第に次第に、自分が小さなサテアンの中にいたことを認識して行き、救われて行くことと思います。
そしてそれは実は教祖の教えのホンの入り口なのですが、、。
入り口だけでも私としては嬉しい状況です。
- [308]T.N.Doctrine 06/09/18 18:09 OVzS4BA9mX
- 連休中に長男が帰ってきて、野口嘉則のブログの「鏡の法則」というものをネットからコピーして渡してくれました。
久しぶりに涙を流しました。
お道で語られるべき話が、お道と関係ないところで理解され始めてきているのかなとも思いました。
「鏡の法則」と検索するだけで、即出て来ます。
皆さんも宜しかったらのぞいて見て下さい。
- [309]初代 06/09/18 20:06 7uP8V1MMrO
- >>301リラックマさん こんにちわ
いつも、このサイトは見ています。
私には、勉強する機会が少ないので為になるサイトは、出来るだけ見る様にしています。
基本さんの談じ合いは、ロックされましたが今でも必要な時に読みます。
私のような初心者は、何が正しいか否かはわからず自分で得心することは全て信じてしまいますので
最近はすぐ納得するのを控える様にしています。
ゆっくりやって行きます。
- [310]リラックマ 06/09/19 00:11 D-snzhw
- >>309初代さん、私なども、さももっともらしく語っていますが、それがホントかどうかは神のみぞ知る!です。だから、このサイトで「自分はこう思いますが、どうでしょうか?」と披露させて頂いて、いろ/\なご意見を戴いて、より真実へ近づければな!という想いから寄らせて頂いております。
だから、すぐ鵜呑みにせず、いろ/\な意見を聞いて、そこからじっくり判断するのがベストですね!だから、初代さんのご姿勢、私はすばらしいと思います(^^)。
他人の意見を鵜呑みにして、それをただ素直にやるのも、それはそれでありだとは思いますが、一面それは「自分の行動を他人任せにしている」ことにもなり、ある意味「自分の行動に対して無責任」とも言えると思います。
本席さんが、教祖に西?を向けとか言われて、何も疑わずに一日中そうしていたとかいう逸話がありますが、私が思うに本席さんは、教祖の言われる事なら間違いないと信じられていたからの行動でしょうが、そこに至るまでには教祖の行動を疑われていた期間が絶対あったと、私は思っています。教祖ならぬ、我々人間の言う事ですから、疑ってみる姿勢は大事だと思います。
「素直」も「はき違えた素直」は危険です。それをうまく利用したのが「理の親制度」だと思います。
素直に従うのは「理=教祖」に対してだけだと思います。次男さんが、再三言われているように、自分でなんでも判断することが大切な事だと思います。
とか言ってますけど、自分の意見に賛同して貰えると、やっぱり嬉しいのですが(^^)。
- [311]とみ新蔵 06/09/19 00:41 lqT5zNZ7uK
- ここいらで、チト皆さんに勘違いしないで頂きたいことがあります。
私の父母の教団でいつから使われたものか、奇妙な発明語の、イワユル「理の親」というのは、私が小学生の頃に亡くなった、教祖の血筋の著名某本部員でしたから、
いいのか、ワルいのか、私の兄姉たちも、天理教の縦系列というものを全く知らないで育ったのでした。
もとより、その某先生は父母にお供えのことは言いません。
信者さんから5円10円から始めて、頂いたお供えを、母が勝手に先生家へもって行くというだけのものでした。
したがって、その後の2代、3代教会長とも、人間関係は最高でしたし、私の長兄の弘史だって、その点は今も何ら変わりりま
せん。
ただ亡き某先生は、手塩に掛けた中で残った、心を許せる夫婦信者ということもあって、私がその後、
天高などで知ったりした教祖伝の内容とは、違った話もしていたことも少なくないらしく、後に、私は何しろそんなことに関してはシツコイ(^^)ですから、
いろいろとお袋に質問した時に、ポロポロと、違う話が出てきて、
「へえ〜〜そうやったのか、、」と思う箇所も多々あって、長じてからも、余計に、教祖の教えに少しでも戻らないといかんなあ、」と兄弟の中でも、特にお袋と深い話をした、私の心中といえました。
したがって、兄たちも、重複しますが直属教会への不満とか、そういうレベルでは、一切ないことを、ここに銘記しておきます。
ただ私が24歳の時、東京へ移り住んで、他系統の教会長や信者さんの話を聞いて、縦系列の奇怪さや、コレコレと教祖が言いましたと、あちこちで、勝手に言葉を創作されているのを知って,驚いたものでしたワ。
ホンマにもう(〜〜)
平田庄蔵(とみ新蔵オッサン)
- [312]はじめ 06/09/19 10:09 HnOg/Ezr8T
- T.N.Doctrineさん
>>308の「鏡の法則」読んで見ました。
良いですね。(⌒∇⌒)
これは、おたすけですね。
かしものかりもの、八つのほこり、そして、いんねんの話。を思い浮かべながら読みました。
教祖と高弟の先生方はどれだけ、この話をされたか分からないと思います。
この話を聞き入れ、自分から詫びることが出来た方々が不思議なご守護を体感されていたと思います。
聞き入れられた方がほとんど無かったから、そこから芯の親神様の思いが理解できなかったから「一つ道をかえた・・」と言うことになったように思います。
また、聞き入れてご守護を体感された方が、自分が実際にした事にしか思いがいかず、その事だけが一人歩きして後世に伝わって行く様子も感じられました。
いんねんとは、「心の道」とおさしづに言われています。
元のいんねんだけがいんねんではありません。今置かれている状況も全て自らの蒔いた種、心の現われでしかない。と改めて思わせて頂きました。
Bさんのように、上手に人助けが出来たらいいですが・・・口べたで、我が身思案の強い私は・・・と思ってしまいました。
まあ「人は鏡」とは、昔からお道で言われる話でありますが、それを消してしまっている自分達の心を見つめ直す必要があるようにも思います。
そうしなければ、世の中は建て直らないように思いました。
「うちも世界も隔てない」という言葉を思い出しました。
ありがとうございました。
とみ新蔵さん。
頑張って下さい。(⌒∇⌒)
- [313]リラックマ 06/09/19 15:35 D-snzhw
- とみ新蔵さん、すみません。「利用している」というのは、ちょっと言いすぎでした(>_<)。かなり私情も入ってました…。
確かに教祖時代の高弟の方々が在世中は、それである程度うまくやって来たのですから…。会長さえ理のわかった方ならば、すばらしい教会もまだ/\ある訳ですし…。
ただ、その理が後継者にしっかり伝わっていけば、ここまで衰退する事もなかったのでしょうが…。小さなほころびが、気が付いた時にはエライ事になっていた、というのが現状でしょう。組織、制度というのは難しいものですね。
- [314]悩んでます 06/09/19 17:16 sMn/5yiDSs
- T.N.Doctrine様はじめコメントしてくださった皆々様方のご意見、色々と参考になります。
あらためて御礼申し上げます。
なんやかんや思案しておりますが、いっそのこと所属教会を変えてみようと思います。
いまはそれしか考えられません。
ま、どこへいっても同じでしょうが・・・・
- [315]ミッチー 06/09/19 17:44 IMyqB.KDW3
- >>314 いっそのこと、軽い男をやめれば?
そのつもりなくても、言葉はやはり効力を持つ。
相手の精神に間違いなく働きを起こす。
- [316]ミッチー 06/09/19 18:06 IMyqB.KDW3
- 何とか言えないのでしょうか?
- [317]ミッチー様 06/09/19 19:37 lyrUQQfF6n
- >>315
>>316
ミッチーとやら、お前何者?
悩んでる人に向かってそんな言いぐさはないだろ?
お前の来世は牛馬の道だ!
- [318]T.N.Doctrine 06/09/19 19:47 J30GewpsfU
- >>314 悩んでいますさん。こんばんは。
多少とも参考にして頂けたようで、嬉しいです。有難うございました。
どんさんの感性的なご意見も究極的には正しいのだろうと思うのですが、一方で神様から頂いたご縁というものも、いくらか考慮すべきじゃないかと私なんかは思ってしまうのです。
お見合い相手を何遍も何遍も変えて,結局一番最初の人が良かったという例もあります。
先に私が言った事といくらか違ったことを言うようで申し訳ないのですが、その辺りのことチョビッとだけ頭の片隅に入れて頂ければ、もっと嬉しい気がします。
>>308 で、ご紹介させてもらった「鏡の法則」もひょっとしたら参考になるかも知れません。
もちろん、よその先生方と接触されて、相談されるのは大いにお勧めです。
思案の結果、最終的に系統を変更されたとしても、決して悪いことではないとは思うのですが・・・。
- [319]T.N.Doctrine 06/09/19 20:07 J30GewpsfU
- >>317 ・・・さん。
>>294->>296 に対して、私もまともにお相手させて貰った積りですが、どうもそのような訪問者じゃないみたいです。
熱くならないで・・・。
ついでながら、「鏡の法則」のアドレスは
http://coaching-m.co.,jp/reportaaa.pdf でした。
- [320]はじめ 06/09/19 20:12 HnOg/Ezr8T
- >>314
悩んでますさんの最後の言葉
>ま、どこへいっても同じでしょうが・・・・
やけに気になりますね。
皆さんが懸命にアドバイスされておられますが、本当に信仰しようと思っておられるのか?と一寸疑問に思いました。
- [321]とみ新蔵 06/09/19 20:24 wgayGsPvOb
- 皆さんへ。
余りにも上級が威張り屋で、集金亡者の場合は、見切りをつけて、余り遠くない、他の教会に移ったってかまいません。
多くの場合、そんな人は教団にアグラかくだけで、親さまの弟子ではありません。
たすけ心を失っていますな。
これからは教会、布教所などは、あなた方が選ぶのです。
先生が弟子、生徒を選ぶのではなく、生徒が先生を選ぶ時代です。
オカシナ縦系統などに固執しない時代を創るのです。
その執われから、解脱するには、あなた自身がそれなりの道理を知り、成長が必要です。
よき教会ってのを、私は2・3知ってます(ま、全国なら、あちこちにあるとは思いますが、、、。)
そこではおつとめの後、信者さんのレベルにあわせて、みかぐら歌の意味を話したり、日によっては教祖伝(虚構ではないもの)も話します。
そして直禮は、食べ物は簡単なものとして、大教会の修理人も含め、みんなが他の顔が見渡せるように、平等対等に輪になって座り、
みなさんそれぞれに、たとえ、1分でも発言してもらい、社会のこと、教祖のこと、個人的な悩みなど
その日のテーマを決めて、皆で合理的に談じ合うというのが主です。
すると皆さんは、深い話になりやすいので、話しの、おみやげを持って帰って頂けるわけです。
初めは修理人も、別室で特別扱いされないので、ドギマギしていたらしいけど、ま、ここはこんな教会だと噂になっていくと、やがて修理人も楽しんで来るようになるものです。
私は言います「上級もヘッタクレもあるかいな。こも道の先生様は、教祖だけや。」と。
いつまでも不勉強な修理人が来て、邪魔なら、来てモラワンでいい、断わったらええ、。お礼も千円か5千円だけにしとけばもう、来おらん。と(^^)
改善、改良、改革するのは、誰かがやるだろう、、、、ではありません。
すべては自分です。
自分の中にあります。
たったひとりでもいい、自分から始めだすしかありません。
そのかわり、些細な無益な対立を防ぐためにも。余裕を持って教理を収め
慈愛に満ちた、「親心」が人一倍必要なのは当然ですが
- [322]T.N.Doctrine 06/09/19 20:33 J30GewpsfU
- >>312 はじめさん、こんばんは。
早速に読んで頂いて、有難うございました。
喜んでいいのでしょうが、息子に教えられる年になってきました。
私も、最初にあなたが思われていたイメージとは多少違うでしょう?(微苦笑)
- [323]T.N.Doctrine 06/09/19 21:25 J30GewpsfU
- とみ新蔵さん、お忙しい中でのご投稿、いつも有難うございます。
>>307 の天理教の「お手引き」がコワイと思ったら、お寺さんへ・・・ですか。
そうかも知れませんが、ちょっと寂しい気もします。
九まで教えておいた所に、最後の一を加えて頂いたはずなのに、また九まで舞い戻らなければならないとすれば・・・。
一押しの浄土真宗、確かに教えられるところがたくさんありました。
私も、天台宗、曹洞宗、臨済宗、真言宗、浄土宗、創価学会、金光教その他、たくさんの宗派の葬儀に参列してきましたが、浄土真宗の葬儀の考え方は出色でした。
死者を忌み嫌うような塩を廃止したり、冥福を祈るということより、生前の功績を称え、感謝させてもらってお送りするという姿勢が徹底しているように見受けました。
また戒名を排するような動きもあり、古い因習を改めようとする姿勢や、過去の教団の戦争責任を問うようなことさえ、教団ぐるみで考察されていることなど感心させられることが多々ありました。
翻って我が教団は・・・。
- [324]傍陽気 06/09/19 22:59 D2eL0nRCNa
- リラックマさん、こんばんわ。基本さんは、元気だそうです。最近、音信途絶えていましたが、最近そういう便りを聞きました。もう、基本。っていうHN忘れたかのように演歌王とか名乗ってカラオケの御仕事頑張っておられるようです。
さて、リラックマさんの皆の意見を聞きたいという秀司さんの出直しに関する投稿と、とみ新蔵さんの教典、教祖伝は・・・と言う投稿に対して、先日私の悟りを申し上げました。その事に関してもう少し付け加えさせて頂きたいと思います。私の悟りと申しましても、その悟りとなる大前提は、中山正善、中山善衛真柱に絶対の信頼を置いているという事。「みきを神の社に貰い受けたい。承知をしてくれたならば、世界一列を助けさそ。」と神は誰に承知を迫ったのか、誰が承知をしたのか。それは、中山家の戸主、中山善兵衛様なのです。天理教は中山家と云う屋敷から教え出すおしえです。家伝を教えると言われるその家伝は中山家からなのです。
明治20年1月13日の南の大工の指図に対して、お筆先六号の元の理のいかにも難しき事を、天理教会の生まれだしの理として始めだされたのは、北の鍛冶屋なのです。恐るべしは中山真柱なのです。そしてこふきをつくれと言う存命の教祖の仰せのままに、2代真柱の発刊した教典、教祖伝、3代真柱の発刊した逸話編。その理を思案すれば、ゴミ箱などとは到底云えるものではありせん。
ここは、天理教を語るスレ。色々な立場からの投稿とは承知していますが、北の鍛冶屋には狂いは無い。そう云う立場に立っての私の悟りです。
- [325]どん 06/09/20 02:48 i9pS2xep5R
- >>314 悩んでいますさん、>>318 T.N.Doctrineさん、ありがとうございます。
申し上げたかったことは、あくまでも、関心を、周囲の人ではなく、
自分の心に向けるのもひとつではないか、ということだったのですが、
やはり表現が過激でしたね。
>>324 傍陽気さん、お久しぶりです。
傍陽気さんも、基本さんも、お元気そうでなりよりです。
- [326]リラックマ 06/09/20 08:28 D-snzhw
- >>324傍陽気さん、ありがとうございました。なんだか、基本さんがカラオケルームで「みちのくひとり旅」を熱唱しているのを想像して、おかしくなりました(^^)。
さて、私の質問に対する丁寧なお答え、ありがとうございました。一つ気になったのが、初代真柱さんと善司さんが入っていない事です。
それはつまり、周りの人間が「真実の肉を巻いていない」と考えられているからなのでしょうか?
- [327]T・S教人 06/09/20 16:11 3DSRUS5xUl
- とみ新蔵さんこんにちは。読んでたら涙が出てきました。 私がここに来たのは、神様が見えなくなりしんどくなったからです。皆さんに教えて貰い、頷きながらおかげさまで元気になってきました。現在所属の教会の奥さんにある日、ちょっとしたことがあり、「あなたのところでは、そんな事も教えてくれないの。」と、私が他系統やからと馬鹿にされました。こないだ体の具合が悪く、子供と家に帰りました。五年生の娘が「ママの教会がいいな。」泣き出してました。子供には、前を向いて親神様、おやさまの後を歩いて欲しいから、
- [328]T・S教人 06/09/20 16:13 3DSRUS5xUl
- 元気になってがんばります。ありがとうございました。
- [329]ミッチー 06/09/20 19:01 IMyqB.KDW3
- ねはんさん・・・
- [330]リラックマ 06/09/20 19:01 D-snzhw
- >>327-328T・S教人さん、心中お察しします。
今のままでは、T・S教人さんや、悩んでますさんや、メンチかつさんのような悲劇は繰り返されるでしょうね。
やはり、教祖が奨励されていた信者の集まりである、「どうでも信心するならば講を結ぼやないかいな」の「講」へ、元へと還らなければならないのではないでしょうか?
「講」は、ちょっとヘタな例えですけど、「教祖を信奉する人々のための、移動式の公民館」みたいなものだと思います。本来は、誰でも気楽に立ち寄れるべき施設である筈です。
いつのまに、こんなに敷居が高くなってしまったのでしょうか?
- [331]リラックマ 06/09/20 20:46 D-snzhw
- とみ新蔵さんへ、質問です。
>>279で紹介されていた「劇画中山みき物語」(立風書房)という書物は、どこに行けば入手できますか?
天理の商店街にもありますか?
ぜひ、一読したいのですが!
- [332]はじめ 06/09/20 20:47 HnOg/Ezr8T
- 皆さんは
>>330
「どうでも信心するならば講を結ぼやないかいな」の「講」
をどのようにイメージされているのでしょうか?
私は、信仰しようと言う人が集まって初めて講というものが出来ると思うのです。一人だけでは講とはならないと思います。
そして、そこへおぢばから先生を呼んでお話しを聞かせて頂いたり、おつとめをさせて頂くのが講と思うのですが・・・
先に>>305で、先生に尋ねたらよいというのは、こうした気持ちが元にあります。
おふでさきにも「たずねくるならゆてきかす」と仰います。疑問があればトコトン尋ねるのが大切だと思います。
高井猶吉さんは、トコトン尋ねるたのでレンコン堀りといわれたそうです。
聞かれた方は、分からなければ話を保留にして尋ねに戻れば良いだけの話だと思います。
この話は確か逸話編にあったと思うのですが・・・
また、大切な話や深い話は、その人の真実を見て話されたそうですので、大人数に話せる話と、そうでない話があるのは明らかだと思っています。
しかし心澄ます事が出来ないと、欲得が出て、難しいと思います。
- [333]T・S教人 06/09/20 20:49 GoRGEoUS
- リラックマさん、ありがとうございます。 こんなふうに言うたら、おやさまに申し訳ないけれど、折角良い教えなのに、おやさまが可哀そうです。本当。今年の夏、おぢばがえりしました。また帰れるという、いつもの嬉しい気持ちが少ししかなくて沈んでいました。神殿でも教祖殿でも、お詫びの涙でした。こんなの私だけでしょうか。「ごめんなさい。心のお掃除してきます。」 うちは「講」ですが、にをいがけにも行かないから、信者さんは居ないけれど、意見を参考にして、やってみようかな。
- [334]とみ新蔵 06/09/20 22:03 Ad.B3p0gW3
- 出典: フリー百科事典
講(こう)とは、同一の信仰を持つ人々による結社である
。ただし、無尽講など相互扶助団体の名称に転用されるなど、「講」という名称で呼ばれる対象は多岐に渡っている。
元々の講は「講義」「講読」の「講」であり、平安時代に仏典を講読・研究する僧の集団を指すものであった。
後に仏典の講読を中心とする仏事(講会)を指すようになり、さらに各種の仏教儀式一般に講という名称をつけるようにもなった(報恩講など)。
この「講」が中世ごろから民間に浸透する過程で、様々な信仰集団に「講」という名称がつけられるようになった。信仰集団としての講には、地域社会の中から自然発生的に生まれたものと、外部からの導入によるものとがある。
前者の講は、氏神・産土といった地域の神を信仰する氏子によって、その神祠の維持のために運営されるものである。
社格の高い神社の講では、「村」の範囲を超えて広い範囲に構成員を持つものもある。
講は講社ともいい、講の構成員を講員という。
講の運営にあたっては講元(こうもと)、副講元、世話人などの役員を置き、講員の中か選任され、講の信仰する寺社から委嘱されるのが通常である。
外部からの導入による講は、当初は山岳信仰に関するものであった。立山などの修験者が霊山への登山を勧めて全国を廻り、各地に参拝講が作られた。それにならって各地の神社・寺院へ参拝するための数多くの講も作られるようになった。
これらの参拝講では、講の全員が参拝に行く「総参り」もあったが、多くは講の中から数人を選び、代表して参拝する「代参講」が行われていた。
相互扶助団体(頼母子講・無尽講)への転用は、この代参講から派生したものである。
すなわち、皆で金を出しあって、参拝に行くのではなくその金をくじや入札によって構成員に融通するというものであった。
「講をつくろやないかいな」の講とは、以上のような意味でした。
リラックマ 氏の「教祖を信奉する人々のための、移動式の公民館」という表現は、現代的で、いい得て妙でウマイなぁ(^^)と思いました。
もとより当時の講はどの地域にもあり、高低などは無く、一列平等講でした。もし、遠くへ引っ越した場合、その地元の講へ参加するというものでした。
ただ思想は一致させておく必要はあり、代表者はみんなで選んだようです。
ただ、世話取りする人、思想を取り次ぎ人がいて、今も昔もご苦労さまなようです。
神奈川県の川崎市にある丸山教(明治時代の弾圧で、教祖の原典からみると、まだやや応法の理が残存していて、教祖への復元が不完全ですが、、、そこの真柱さんみたいな人や幹部さんにもそのことを言いましたっけ。最高幹部の人が「そうなのですよ!」と真柱に怒ってましたっけ(^^)ま、14・5年前のことですが、、。)の富士講をみてそう思いました。
- [335]T・S教人 06/09/20 22:29 3DSRUS5xUl
- とみ新蔵さんありがとうございます。質問ですが、教会制っていつごろできたんですか。おしえてください。
- [336]はじめ 06/09/21 00:14 HnOg/Ezr8T
- とみ新蔵さん
ありがとうございました。
なるほど、講というのは、参拝に行く、足を運ぶためのものなのですね。
来てもらうよりも、直におぢばでお話しを聞く事の方が大切ですものね。日参で助けて頂きますし・・・
人をくぐれば話が変わるというような逸話編があったように思います。
- [337]R 06/09/21 01:13 xonufi9nTk
- 神様の望まれる講がどのようなものかは、現在の万分の一の雛形からは推察の域を出ません。
お互いが顔見知りで、みんなが健康的なたすけ合いの精神で生きられる範囲の規模のものなのでしょう。又そういったものが世界に広まってゆくことも神様の望みなのでしょう。
しかし、第一条件は本部が神一条の精神を取り戻すことがなければ、講とてもその影響被害は免れないのではないでしょうか?
講の理想形を考える前に、教会本部の理想形を考えることの方が先決なのではないでしょうか。
地場に理があって世界治まる。という順序から言っても、世界が治まっていない以上、講も、又、教会本部もまだ理想の万分の一にも到達していないのではないでしょうか。
- [338]とみ新蔵 06/09/21 03:26 Ad.B3p0gW3
- T・S教人の、教会制っていつごろできたんですか。おしえてください}へ。
お道の名前は様々な変遷をもっています。
以前にもチト触れましたが、最初は「庄屋敷の転輪さん」でした。
これは長滝村に住む、真言宗の阿じゃ梨で、石上神宮の神宮寺内山永久寺(明治の廃仏棄毀で取り壊されるが)大きなお寺を代表する行者の中野市兵衛、法名、理性院聖誉妙賢という人の影響です。
むかし、長滝村の地元では、大和弁での言い方は失念しましたが、教祖は、「市兵衛さんとデキているのでは、、、」という噂が立つほど、通って学んでいたからです。
その後、中山家の戸主の秀司さんは、様々に名を変えますが、
初代真柱とその一味さんらによって、お道に「天理教」という名が導入されたのは、明治21年で、ここで、仏教系の神名から、神道にひっくり返ったわけです。
この名は、当時の国家の方針だった、「三条の教憲」の第二条の「天理人道を明らかにすべきこと」という天皇制教学から採ったものでした。
このとき、東京の神道本局から「神道天理教会」として政府から公認されて、さらに応法の理(実は「理」ではないわけですが)が続けられて行くわけですが、、、。
それとともに教会制度も発達していったようです。
ただ、私の母は、私が子供自分の50年前に、
横関係の、布教所所長の会合で知った、「理の親」という言葉の意味がよく解らず、
また、馴染めない有様で、
「おかしいよねえ、理の親が、おやさまというのなら、分かるのにねえ、、」などと、
しきりに考え込んでいた事情がありますので、まだまだ、その後や、また、こん日のような、縦型組織維持のための、安易な使われ方は、していなかったのではないかと思われます。
- [339]T・S教人 06/09/21 07:15 3DSRUS5xUl
- とみ新蔵さんへ ありがとうございます。私だけや無いんですね。 皆さんありがとう。 がんばりましょう。
- [340]とみ新蔵 06/09/21 13:32 Ad.B3p0gW3
- リラックマ氏へ。
16・7年前に描いた「劇画中山みき物語」(立風書房刊)は私の手元にもありませんし、
詳しくは知りませんが、とっくに廃刊になったかもしれません。
ただ多くの場合、天理教の人たちが読んでも、腹には落ちないようでした。
また、その時は「そうだったのか、、」と頷けたようでも、10日もすれば、口から出るのは、前々から聞いていた話にケロッと、平気で戻っていて(すでに頭の中で血肉となっているから)人に話している場面を一杯、目にしてきましたよ(^^)
渾身の気迫を込めて書きましたがねえ、、、。
- [341]リラックマ 06/09/21 14:47 D-snzhw
- とみ新蔵さん、「講」の成り立ちのお話、勉強になりました。ありがとうございました。
教祖伝は残念です…。非常に興味があったのですが。
さて、昨日は出張先からの投稿でしたので、ご紹介出来なかった資料を掲載させて頂きます。
それは、みかぐらうた5下りの「どうでも信心〜」の、中田儀三郎さんと、泉田藤吉さんの解釈ですね。
※「御神楽歌の真義」中田儀三郎より〜
講を結ぼやといふその講とは心のこうなり、そのこうを結ぶには講社を結んで その話の理を聞いて心をみがいて その心を定めて人の功を立て、人の功をもらふ心を楽しむ事を講を結ぶといふなり
※「十二條譯義」泉田藤吉より〜
このりわ こころの こふなり こをしやを むすんで そのはなしの りを きいて こころを みがいて そのこころをさだめて ひとつ ひとつのこふをたて ひとつのこふをもらい こころをたのしむことを むすぶとゆふなり
以上です。中田儀三郎さんの解釈は、おそらく教祖直伝でしょうし、その話と泉田藤吉さんの解釈が、ほぼ同じなので、この解釈でOKという気がします。
>>333T・S教人さん、がんばって下さいね!応援してますよ〜(^_^)/~
「R」さん、おひさしぶりです。相変わらずの鋭い指摘に、ドキッとしました。確かに仰る通り、本末転倒であるかもしれません。
しかし、「最初に講ありき」という気もします。本部とは「講・教会」がたくさん集まってから出来るもの、とも思うのですが、いかがでしょうか?
- [342]リラックマ 06/09/21 15:38 D-snzhw
- T.N.Doctrineさん、「鏡の法則」読ませて頂きました。A子さんがお父さんに電話して、お父さんが泣かれる場面がグッときました。(TдT)
いいお話紹介して頂き、ありがとうございました。心理学の世界も、そのレベルまで来てるんだな〜と思いました。
お互いを許し合い、認め合い、理解しあう事の大切さを、改めて学んだ気がしました。世界中の人々が、この心境になれれば、きっと争いは無くなるのにな〜と思いました。
家族にも見せよう!(^^)
- [343]T.N.Doctrine 06/09/21 19:22 J30GewpsfU
- >>342 リラックマさん、早速読んで頂いて有難うございました。
私もたくさんコピーして、従業員や取引先の方々に読んで貰っています。
余談です。ツッコミを入れずに聞き流して下さい。
最初に息子からコピーを手渡されて読んだ後、尋ねました。
「お母さんにも読ませたのか?」
「いや、読ませてない。お父さんから渡してよ。」
「バカ!。そんなこと出来るか。当てつけみたいやないか。 そやな、○○(三男)に頼もうか?」
「いや、絶対に引き受けんと思うよ」(笑)
我が家での一幕でした。
(今、抵抗なく読んで貰えるような策謀を巡らしているところです。)
若い従業員にはこう言いました。
自分が読んだ後、奥さんに渡すときは、「会社から家族のものにも読ませるよう命令された」と言いなさいとね。
- [344]とみ新蔵 06/09/22 18:14 wgayGsPvOM
- 私が30代の頃、東京から新幹線で、大阪駅へ着いた時、駅前で天理教の青年達が10数人、大きな声で「をふでさき」をのように朗読していた。
こかんさんの大阪布教の真似をしていたのでしょう。
その時は私も、もちろんだが、彼らだって「おふでさき」の意味など解り得るはずもないから、バカみたいに、呪文を唱えているだけのアホウに見える。
道往ゆく人々は無視して通るしかない。
でも私は同じ天理教の子弟として「お、がんばっているなあ」
と思いますから、
「みかぐら歌なら人々もちっとは意味がわかるかも知れないから、しばらくなら、オレも一緒にするから、みかぐら歌をやりましょうよ」
と進めると、誰に命じられたものか
「いえ。おふでさきです!」と決然とやるばかりでした。
あんな、意味もないことを、懸命にやればやるほど、若者達は、きっとその後、だんだん無気力に陥って、もうすでに、他宗教へ行ってしまったかも、、。
または、親の後を継いで、何も深く考えようとはしない、クソ真面目な教団ドレイみたいな教会長となって、やっているのかも知れない、、、。
40代の頃、天理大学の名誉教授でしかなくなってしまい、著作の注文も殆どなくなっていた、某先生に、その、大阪での出来事を話しました。
「その頃こかんさんは従兄弟の籐助さんと暮らしていたのですね」
と言うと
「大阪へは、相場で負けて、やくざから束縛された秀司さんを。お金を借りて、迎えに行ったのですね」
「だからお金が要るわけですから、中山家の母屋を売り払わないといけなくなったのです」
「教祖伝では(この先生の著作本も含めて)「なむ無天理王命」と嘉永6年に大阪中に」「神名流し」をしたことになっていますが、、」と私。
「まだその頃は「天理王命」などというか神名ではありませんからね、、」と先生。
また、「先生、立教の神憑り説は最初、いつ頃、創作されたのですか、明治14年に丹波市分署に、天皇家の先祖が教祖に取り憑いたとこのような書類が提出されていますが、、」と言うと
「神憑りではありません、おやさまはもちろん正気ですよ。
だから師匠だった市兵衛さん(中野)は、これは自分を超えた人だ、参りましたと帰っていったわけですね。」
普通の信者さんが聞いたらチト、驚くような発言でしょうが、熱心に研究する者には、こんなことを、さも当たり前のように話す方でした。
また、そうでなくては、教祖の偉大さなどは解りません。
人格者の先生でした。
でも、小さな組織のワクの中の、哀しい人間の姿を垣間見た心地がしたものでした。
今、私たちは、先生の著作の中から、書けなかった部分、隠された思いを、嗅ぎ取る努力が必要ではないか、と思います。
お袋も、やはり、天理教に命をかけた人間(経営者ではなくて)の一人として、次のようなことを、何度も言っていたのを思い出します。
「時代の人間は私らを超えなくちゃねえ、私らと同じではだめだよ
「青は藍より出でて藍より青し」
でなくちゃねえ。
違ったところは次代の人が正していかなくちゃねえ」
こんなことは、昔の天理教者の共通の願いであったことと思われますね。
ま、教団経営の中枢部の、ホンの一握りの連中は違いましょうが。
- [345]T.N.Doctrine 06/09/22 22:09 J30GewpsfU
- >>330 リラックマさん、>>334 とみ新蔵さん、
「講」の話。成る程そうですね。
ひょっとしたら、このサイトが現代における「講」の意味合いを持つかもしれませんよ。
- [346]次男 06/09/22 23:10 DUHkO8T6eW
- とみ新蔵さん。
>親の後を継いで、何も深く考えようとはしない、クソ真面目な教団ドレイみたいな教会長となって、やっているのかも知れない
でも、みんな、結構、考えていますよ。只、教理勉強する場がないんです。堂々とモノを言える場がないんです。それで、あたりさわりのない世界へ逃げ込んでしまっているのです。
でも、何か越えた所で悟っている人もありますよ。中には、すごい人物もいますよ。たいがい、そんな人は、埋れていますがね。
- [347]T.N.Doctrine 06/09/22 23:21 J30GewpsfU
- 上級教会の霊祭が近いということで、連休頃から墓地の草刈清掃をやっていました。
教会から墓地までは、急勾配の山道が3〜400メートル程も続いており、道の両側には未だ衰えを知らない夏草が、勢いよく生い茂っていました。
海の見える小高い丘の上の墓地は、3段にも区画された広い敷地で、そこにも雑草が遠慮会釈なく茂っているのです。
初め一人でしかけ、また台風の影響で中断したこともあって、除草が思うようにはかどらず、20日も午前中草刈をして会社への出勤はお昼過ぎ。
21日は月次祭でこれまた半日出勤。
今日は霊祭ということで、朝、会社に顔だけ出しといて午後2時に再出勤・・・。
かつて社長が「アレは自由出勤だから・・・」と、愛情?と皮肉?の入り混じったような言い回しをしていましたっけ。
霊祭の祭典後、皆でお墓地に参拝するのですが、刈残した部分が気になって、道中その処理をしながら上がって行ったため、皆が帰ろうとする頃にやっと墓地までたどり着きました。
一人で順繰りに墓詣でをし、最後に >>191 で述べた二人の墓前にやって来ました。
四拍手して立ち上がろうとした時、ネットでお二人のことを公開したことを 思い出し、「申し訳なかったかも知れないけれど、これも匂いがけの一端と考えて頂いて・・・」と、言い訳がましく心の中でつぶやきながら立ち去ろうとした刹那、突然ザワザワと木の葉がざわめきたち、ゾクゾクっとするような涼味あふれる強い風が吹き抜けました。
ほんの数秒ではあったのですが、霊的とも言える不思議な感触に包まれ、思わず辺りを見回したものです。
忽ちにして風は止み、また何事も無かったかのように、ツクツクボウシ鳴く声のみの静寂を取り戻したのでした。
後を振り返りつつ、初夏を思わす強い日差しの山道を、小さな思案を抱えて一人テクテク帰って参りました。
- [348]とみ新蔵 06/09/23 07:24 wgayGsPvOM
- T.N.Doctrine氏へ。
貴公はそれなりに分かっている人のように感じます。
でも、今のままでは天理教は、または、オカシナ縦組織集団は、さらに世間からは相手にされなくなるのは、目にみえているとは思いませんか?
信仰とは厳しいものです。
ましてや真、の陽気づくめ建設は身辺にも厳しさが生じてくるものです。
まして「理」を明らかにしょうと求道し、それを少しでも取り次ごうと心がける者は、お互いさまに、心を鍛え、試練を越えねばなりません。
それは「理」を」知ろうとする者とて、同様です。
空気、雰囲気を変えようとする気持ちは、わからなくないものの、9月22日の、余りにも世俗的な記事は、ここでは無意味なものと感じ、退屈のきわまりです。
突っ込んだ内容で、読む人に、少々のショックがあってもよろしのです。
ショックこそが、後には感動となり、価値観の転換へと、繋がるものだと、様々な人々を観て感じてきましたヨ。
仲良しクラブではだめですナ。
「理」を求める姿勢の希薄なスレッドとなれば、ただ、時間の無駄となりましょう。
ましてやここは、私以外は、実名も出さず、顔を合わせ、膝もあわすことのない奇態な場で、それも個性の掴み難い、活字の文章だけの世界です。
なればこそ、大いに揉めてもよろしい。
激論となってもかまいません。
皆さんが自分の思いをバンバンと晒け出すことによってこそ、
次へのスッテップとなる、そういうものだと思案しています。
- [349]道の教職員 06/09/23 08:12 v.o6JgjZBK
- 久しぶりに天理教関係の掲示板に目を通していました。
次男さん,ご無沙汰しております。不定期確認のため(あまりにも
不定期なことをお許しください),連絡も取れずじまいになっていました。
私は小学校の教員をしている天理教信者です。信者と言っても,熱心に
布教をしたり,お勤めをしたり,上級に行ったりするのではなく,
子どもを前に,ただ人間的成長を願う,困った子に知恵を授ける手伝い
をする,そんなことを心において日々生きています。
私の実家は末端教会なのですが,信者さんは2人程になりました。
今から20年前までは末端でも13,4人はおられました。みなさん
出直されました。両親は「自分たちの丹精が足りないから,今のよう
な教会になったのだ。」と言うこともあります。それが悲しく悲しくて…。
両親は非常に熱心にお道の信仰を続けています。父は教会長ですが,
縦の関係のみに従事するのではなく,地元のボランティア活動に尽力
していますし,教区の活動にも積極的に参加しています。もちろん
収入源はお供え以外にありません。しかし,お供えはほぼありません。
そこは私たち家族が互いに助け合っているのです。母は友達の家に
パートタイム労働をしています。朝から夕方まで働きづめで何とか生計
を立ててくれていました。今は,兄弟がみんな家にお供えがてらお金を
入れておるという状態です。
これほどしてやったのに…というと不足になります。だから,両親は
自分自身を責めるのでしょうが,信者さんが増えることと,自身の信仰
のあり方とは関係もあるでしょうが,両親の姿を見ていると,そうは
思えないこともあります。信仰自体に魅力が無い,宗教自体に面倒くさ
さがある,神様には頼れないなどなどの思いが社会全体を覆っている
ように思います。
だから,両親の丹精不足というより,信仰自体に対する忌避感情,
宗教嫌い感情のようなものによって信者さんが増えない世間があり,
また,信者さんの家族も,自分の両親の信仰によってあまり救われない
姿を見て(おそらくですよ。),自分はああなるまいと思って,
縦の伝道が行われにくくなっているのではないでしょうか。
かく言う自分も親のような道は歩かず,仕事をもち,信仰を心のより
どころにするという姿勢を貫いています。今は実家の教会からほど
遠いところで生活しているので,月なみ祭にも参加していません。
ただ,親が信じたこの天理教という宗教自体を嫌いになれず,一体
どんな教えなのかもあまり分からず,どこが魅力なのかと日々思案し,
自分なりに答えを出そうと思っています。今の自分に教会は必要あり
ません。お勤めも意味が分かりませんし,おさづけも深い意味をなし
ません。それよりも,天理教の人間観,悪天候の中の心の使い方など
がより所かな〜と思うくらいです。意味がないのではなく,意味がわか
らないのです。お勤めをしたから,目の前にいる子どもの恵まれない
環境がよくなるわけではなく,賢くなるわけではないのですから。
やっぱり現実に目をむけ,本当に心を痛め,悩んでいる人のところに
自分から出向き,そこで自分に与えられた能力を発揮し,自分にできる
「助け」をすることにこそ,私には値打ちがありますし,それこそ,
お道の精神に沿うことができるのだと思っているのですが,いかが
でしょうか。教理のことやつとめ,さずけのことを軽視しているのでは
なく,ある人にとっては意味があるだろうけど,今の自分が相手にして
いる子どもたちにはそれは意味をなさないことなのだと思います。
- [350]道の教職員 06/09/23 08:13 v.o6JgjZBK
- 全文を掲載できなかったので続きです。
私は信仰によって信念が強くなり,宗教は面倒くさいけど,意味があり,神様は無条件に頼れないけど,最後は結局神様がなさることだと
思っています。私には天理教は意味があります。
いずれは地元の教会に帰ろうと思っています。教会普請もしたく
思っています。しかし,信者さんがいない現実,私たち兄弟が協力
して普請していく道を選ぼうとしています。そのためにもお金が必要
なので働きます。自分なりの「助け」を行いつつ,賃金も頂けるの
ですから,一石二丁です。本来なら「助け」を満足して行えるように,
宗教法人からお給料のようなものがあってもいいと思うのですが…。
信者さんの増加は見込めません。それより,自分が自分の道を信じ,
信仰者としての生き方によって成ってきた姿を見て不思議に,魅力的に
思われ方と対話をしていく中で,天理教の教えの一端が垣間見られ,
そこで宗教に対する理解と尊敬の念を高めることができたら…と思って
います。なんという消極性でしょうか…。我ながらはずかいしのですが
それが天理教が,未信仰の方に受け入れられる最良の方法だと今は思っています。そして,自分なりに天理教を信仰する意味だと思っています。
私が教会長になったらおつとめ,月なみ祭,上級参拝全てやめるかも
しれません(笑)座りづとめくらいはするかな。
それより,教会を開放し,集会が開ける会場にし,そこで子どもに
知恵をしこむための塾のようなものを開くかな〜。もちろん,お金は
必要なく,ボランティアで。また,自分が得意とする学問分野をいかし
て,簡単なパソコン操作の指導やら何やらを大人相手にするかも。
私は自分では知恵の仕込を手助けすることがどうやら向いているし,
自分も知恵や理(理論という意味です)の世界が好きなので,そっち
方面で世間との関わりをもとうと思っています。
熱心な信者ではなく,世間にどっぷりつかった一社会人,教員として
今は物事を見る傾向にあります。だからこそ,見える所もあり,見えない
所もあるのだろうと思います。見えない所が見えるようになれば
心の成人になるでしょうから,談じ合わせていただければ幸いです。
- [351]T.N.Doctrine 06/09/23 18:04 J30GewpsfU
- >>348 とみ新蔵さん、
私への直接のコメント、本当に有難うございます。
まず、>今のままでは天理教は、またはオカシナ縦組織集団、さらに世間からは相手にされなくなるのは目に見えているとは思いませんか?
全く仰せの通りだと思います。
私がこのサイトに名を連ねたのも、その危機感あってのことで、そのことは「天理教を語る!!2」の中で何度も申し上げてきたところです。
その思いは最初も今も全く変わって居りません。
ただ、このスレの趣旨である
> とりあえず、信者もそうでない人も
天理教について色々語ってみようっちゅースレ・・・
ということを考慮して、未信者や他宗教の方々も気軽に出入りできて、また信仰についてお互いが語り合うことが出来たらと、或いは世間にある天理教に対する誤解を少しでも解くことが出来たらという思いから、外部の人には中々理解できないような堅苦しい教理問答ばかり続けるのでなく、時に遊び心を交えたお気楽な空間があってもいいのではないかと一人合点している部分もありました。
結果、確かに道を真剣に求めようとされている方々には、全く退屈と思われるような書き込みになっていたかも知れません。
「固う、柔らこう・・・」の失敗例でしょうかね?
ただ、>>347 の話は、常々私が、科学、科学と言いながら、霊的な何かについて全く感受性を持ってない訳ではないということ、そして自分の中でそのことをどう構築していこうかと言う思案・迷いを示唆したものでもあったのです。
とみ新蔵さんの種々のご高見については、私の知らない事実関係は抜きにして、基本的なスタンスは私と余り変わらないと言う思いもありましたので、敢えて個々にコメントを差し込む必要を感じなかったというのも本音です。
匿名性についてですが、どんさんなんかもブログを出されていますし、私なんかも今までのプライベートな書き込みを調べられれば、直ちに居所が解る事だろうと思います。
多数の友人にも、このハンドルネームでやっているので是非覗いてみて欲しいと言ってきました。従って匿名性故の無責任な書き込みはして来なかった積りです。またこのサイトに頻繁に訪問され、真摯なご意見、素晴らしいご見解を展開されている方々とは、いずれ一緒にお会いして胸襟を開き、親交を深めたいと願っているものです。
話がまた舞い戻るようになりますが、とみ新蔵さんが問題提起されたことで、自分の中で十分煮詰まってなくて、先送りしてきたものもあります。それらは追々コメントさせて貰うことに致します。
そういった所ですが、本当に有難うございました。
- [352]T.N.Doctrine 06/09/23 19:31 J30GewpsfU
- >>349-350
道の教職員さん、はじめまして。
このスレの最初頃にご登場の節、真摯なるご意見を拝見し、感心させて頂いて居りました。
あなた方が去られた後、一時期のさばっていた Doctrine という者です。(今は素晴らしい論客が増えて頼もしい限りですが)今後とも宜しくお願いします。
お嘆きのように、ご両親が一生懸命お道の上に丹精されてきたのに教勢がしぼむばかりと言うのは、一部の教会を除いて、大半の教会・布教所が直面していることだろうと思います。
はっきり言って、今までのパターンでは駄目だと思っています。
皆が靴を履いている時代に、相変わらず下駄のみをつくっていたのでは、人々から相手にされなくなると思います。
あの時代、教祖の元に人々が寄ったのは、厳しい現実を直視され、それに解答を与えて来られたからだと思いますが、昨今の教会は現実から世間から乖離してきているのではないでしょうか。
セールスで言うなら、今の時代のニーズを読み、何を売るべきか戦略の立て直しをしていくことが迫られているのだと思います。
もちろん、信者を増やすのが目的ではありません。教祖の言われた「陽気づくめ」の世界をいかに作っていくかという戦略です。
そのために、お道の教理の展開を、誰でも成る程と思えるようなレベルに引き揚げる必要があると思います。それには科学的解釈のサポートが欠かせないと、私は思っているのです。ちょうどここでご紹介させてもらった「鏡の法則」が、心理学の助けを得て成功をおさめたように。
考えますに、今のこの混迷の世界に対し、世間の誰もがこのままでいいなどとは思ってないと思います。
そしてこれを救っていけるのは、本質的にやはり宗教以外にはないのではないかと思っています。
それもセム系の一神教ではなく、東洋の教えだろうと感じています。
余り悲観的にならずとも、天理教というよりは、お道の教えには未来があり得ると思っています。是非一緒に研鑽させて頂きたいものです。
それから、>宗教法人からお給料・・・
これは有り得る将来の姿だろうと思います。
また、教会という場を開放しての色々のご計画、素晴らしいと思います。
教会は本来、コミュニティセンターと申しますか、地域社会での溜まり場にならなければ意味がないと思います。
そこに行けば色々な情報が得られ、温かい人の情があり、いつでも心のケアができる。ITリテラシー、教育リテラシー、医療リテラシー、法律リテラシー、更には行政リテラシー等々。複雑化した社会の中で、高齢者はじめ、それらへの理解が足らず、不自由をかこっている方がたくさん居られると思います。
教会に行ったら何でも教えて貰えるという雰囲気になったら最高ですね。
- [353]次男 06/09/23 20:28 DUHkO8T6eW
- 道の教職員さん。お久しぶりです。次男です。
一度メールを下さいませんか?
jinan0404@ybb.ne.jp です。
- [354]舞阿呆 06/09/23 21:40 Koq74/7g8h
- >>352 さすがT.N.Doctrineさん、道の教職者さんのご意見をすっぽり包んだ心の大きいお言葉です。返答のそつの無さにいつも感銘しております。
道の教職者さんの投稿ではご本人が真剣に生きていることが伝わってきました。私は教会子弟ですが、教会に所属はしていません。『おつとめの意味』については私も考えてきました。そして今思うこと。
人間は自分勝手で弱い存在です。その人間が社会を形成する上で生き方の指標となるものが必要です。それが信仰です。理想としては、身の回りで起こるすべてのことに神様を感じ、常に感謝できる人になりたいです。でも人間も動物ですから、すぐ忘れるし面倒くさいことは避けるし、楽をしたがるものです。その怠慢な部分を少なくするために、忙しくても決まった時間に“おつとめ”をして神様を意識する訓練をするのです。お守りについても同様です、お守り自体に力はありません。でもそれを肌身離さず持つことにより神様を意識できるのです。だから私は“神様を常に意識できる人間”になったら私は朝夕のおつとめはやめます。(無理でしょうけど)。また私の場合は、子供に信仰を身近なものに感じてもらうために朝夕のおつとめをしています。
私も教会や一般家庭で行われるおつとめで、自分の周りの人たちが直接的に救われるとは考えていません。でもおつとめの効果として、自分の気持ちが落ち着いて、次に、おやさまの教えに基づいた行動が少しでもできることにつながり、それにより周りの人が気持ちよくなる。気分のよくなった周りの人はさらに周りの人にいい影響を与えられる。小さなことが波及して大きなことにつながると信じています。
もうひとつ意見として言わせていただきます。
道の教職者さんは公立小学校の教職に就かれている方とお見受けしました。ということは一般に比べて恵まれた立場にいる方です。私は自営業者です、私を時間的に束縛する人はいませんが、誰も守ってはくれません。少し努力を怠ればすぐに結果に表れます。ここまでしないと生活できないのかと悩みました。収入を得るために安易な方法をとれば最初は良くても長続きはしません。じゃあどうすればいいのか、よく言われることですが、「強い信念」を持たないと商売はできない。これが結論です。公務員として守られた立場にいる方とは視点は大きく異なると感じています。私の場合、強い信念を持つということは“おやさま”を信じることです。そこに面倒くさいとか意味があるとかを考える余地はありません。無条件に(もちろん今まで悩んだ結果ですが)おやさまを信じることにより心が安定し、いい仕事ができるのです。
このサイトは論客が多く、たいへん勉強になります。このサイトがすこしでもいい方向に進むことを願います。
- [355]はじめ 06/09/24 02:08 HnOg/Ezr8T
- T.N.Doctrine さん。
>>322
返信遅くなり、すみません。
>喜んでいいのでしょうが、息子に教えられる年になってきました。
お年がどれくらいか分かりませんが、教えられるような息子に育たない方もありますので、本当に素晴らしい事だと私は思います。
「子供の出世待ちかねる。」の一つの姿だと思います。
ただ、いくらお道の教えが、「鏡の・・」で用いられて、心理学で使われたとしても、親神様のお働きを感じて、元(かしもの・かりもの)を尋ねて下さるようにならねば、一時期推し進められた、因縁論や易者による教勢発展と変わらず、同じような事になるでしょう。
でも、これで救われる方が増えれば、それはそれで良いかもしれませんね。
- [356]はじめ 06/09/24 02:09 HnOg/Ezr8T
- 追伸
「修理や肥えに医者、薬を・・・」の姿だと思いました。
- [357]道の教職員 06/09/24 07:39 v.o6JgjZBK
- >>352
Doctrineさんはじめまして,道の教職員です。
こちらこそ,あまり書き込みしないのに,最初の頃の投稿を読んでいて
くださりありがたい限りです。
>教勢がしぼむばかりと言うのは、一部の教会を除いて、大半の教会・布教所が直面していることだろうと思います。
そうでしょうね。一部というのは愛町系統のことではないでしょうか。
いつだったか,今年の夏前におぢばに帰った際,愛町の名札をつけた
団体がアーケードを延々歩いていました。その数の多さにたまげました。
>昨今の教会は現実から世間から乖離してきているのではないでしょうか。
私の問題意識とも重なりますが,そうだと思います。地域や世間に対して
教会の存在がどんな意味があるのか。陽気ぐらしのモデルとしての道場
だと教会について書かれた本で読んだことがあるのですが,現実の
教会は,信者さんの減少,収入の少なさによる困惑,後継者問題,
教会長などの高齢による医療,介護問題などなどを抱えていることでしょう。
その中で喜び勇んで生活するのがモデルになるのでしょうが,なかなか
現実は厳しいものがあります。だからこそ,教祖のひながたに見習う
ことが多いのでしょうが。
>教祖の言われた「陽気づくめ」の世界をいかに作っていくかという戦略
ここも私の問題意識と重なります。陽気暮らしの世界の建設者として
我々はようぼくになっているのだと思います。教会を維持するために
天理教のようぼくになっているのではない。ましてやそのために生きて
いるのでもない。陽気になれない人は目の前にたくさんいるのです。
学校内では,父母が離婚し曾祖母に面倒を見てもらっている寂しい子,
学習が苦手でみんなから馬鹿にされがちな子,すぐに腹を立てて自分の
感情をコントロールできない子などなど。親も困っている人がいます。
学校でできることの主なことは,人間としてどう成長するのか,知恵を
どうつけるのかということだと思います。その基盤を作り,自分で生き
ていける,他に感謝できる人間に育てていこうと思っています。
私はようぼくとして,子供の成長を願っていますし,それによって
陽気暮らしをするために必要だと思われる心の使い方や鍛え方,知恵の
伝達を行っているつもりです。これは私の持ち場立場からのアプローチ
ですが,他の方もそれぞれの立場からアプローチができるはず。
教会にいて,教会の御用に邁進するだけではだめでしょう。御用にどれ
ほどの意味があるかはやったことがないから分かりません。御用の
主なものが世間に対するひのきしんだったらいいのですが。そうでは
なく,やれ当番,やれおつとめ,やれ庭の手入れなどと言われていては
難しいでしょうね。
- [358]道の教職員 06/09/24 07:40 v.o6JgjZBK
- 続きです。
教会のあり方については,まだまだ議論していく必要があると思います。
しかし,どうしても残さないといけないものではなければ,お社を返上
しても構わないと思うのですが,どうでしょうか。無理に存続させてお
く意味が分かりません。なぜ存続させないといけないのでしょうか。
信者さんもいない,増加も見込めない,自分たちの生活すら危うい,
その中でなぜ教会がそこにあらねばならないかが分かりません。
私で教会3代目ですが,2代目の父は十分やりましたよ。それでも現実
は厳しかった。父の誠が通じない。ならば…ってそれを見た私,3代目
は考えますよ。だからこそ,このまま専従では難しい,仕事をもって
兼業しようと農家のようになるのです。兼業すら認めないというので
あれば,また教会の弾力的運用を認めないというようのであればもう
その規則に従ってまで教会を運営しようとは思いません。教会にいる
から逆にしがらみが多く,陽気になれないとういのでは本末転倒の極み
なのではないでしょうか。一般家庭でも陽気に勇んで生活されている
家庭はたくさんありますよ。世のため人のためにがんばられている人はたくさんいます。
息苦しくなっているのはむしろ旧態依然とした規則や生活習慣を維持して
いこうとしている天理教信者と教会関係者なのではないでしょうか。
憲法や法律がだんだん整備され,高い低いは江戸・明治時代に比べて何百倍も
なくなりましたよね。差別を受ける方はいると思いますが,昔ほどでは
ないのではないでしょうか。生活が苦しいといっても餓死するわけで
はない。むしろ問題は自分で生きていこうとしなくても生きていける
豊かな社会や親の子育て観など生き方全般に関わることにあると思います。
天理教内部にある差別的な見方,親の言い分には子は必ず沿うべきだ
という価値観など,息苦しい限りです。女性の見方に関しても隔てなし
と教祖は言ったと聞いたことがありますが,女性はなおらい前の準備・
片付けに奔走し,男性はのうのうと食卓に座している姿はどうしても
隔ての一端と思えます。男性が先という差別意識も天理教内ではない
濃いと思います。
そんな批判を胸に抱え,自分ができることから変えていこうと思って
いる次第です。変え方は私たち青年が考え,実行すること。
私はまだ30才前です。息苦しさも必要でしょうが,自分の力を発揮し
て生きていく上での息苦しさは必要ないと思います。その力が人のため
世のためになるのであればそれをこそ奨励すべきだと思います。
- [359]道の教職員 06/09/24 07:52 v.o6JgjZBK
- >>354
舞阿呆さん,はじめまして。
おつとめに関する意見をありがとうございます。私もたまに今住んでいる家の
近所の教会に参拝に行きます。おつとめまではしませんが,参拝をして
神様の前で頭を垂れることによって,安らぎや充足感が得られることを
実感しています。おつとめはちょっと長すぎてしんどいな〜と思えて
きます。座りづとめなら可能ですが。
公立学校教諭,たしかに恵まれた立場かもしれません。最近でこそ
風当たりが強くなり,能力の無い教師は免職を言われるようになりました。
免職は少ないですし,収入面でも安定はしていると思います。しかし,
精神的に病む教師は年間数百人います。病気休職者は公務員の中でも
多いです。それだけストレスフルな職場なのです。学級崩壊を起こした
クラスの先生はいつやめるのか,自分はこれでいいのかと自問自答を
繰り返し,精神的に疲弊します。崩壊は毎年学校で一つのクラスがな
るくらいの頻度でおきていると思います。
強い信念がないと,子供は荒れ,自分の教育観が揺らぎ,それが全て
自分の身にふりかかるのですから,その点では教師も一労働者として
同じであると認識しています。ただ,学校の場合,担任が勤まらない
と判断されると専科といって音楽や算数を専門で教える教員にまわる
方もおられます。そこがセーフティーネットでしょうが,私は自分が
担任が務まらないと思ったら,辞めるでしょうね。その前に自信を
なくして病気になるかもしれませんが。そんな精神状態で勤務している
のですから,決して楽ではないですよ。子どもと8時間ほど過ごすこと
で用いる肉体的・精神的疲労は相当なものですよね。子育てをされている
方なら分かるはずです。土日に子どもが家庭にいるときの騒がしさ。
あれが30人以上になると,問題,トラブルが起きます。それを解決し
つつ,授業,事務作業,打ち合わせなどに費やすのですから,楽では
ないと分かってくださると思います。
おやさまを信じるという信念をもつためにおつとめをするというご意見
は大変よく分かりました。そういった意味をこめておつとめをしようと
思いました。
- [360]どん 06/09/24 10:24 AM3Gb.ZuAX
- 民間の事業者の方と公務員の方とでは、しんどさとか
面白さの種類が違うように思います。
販売のターゲット、客層を市場のどこに設定するか、
価格はどうするか、広告はどうするか、などは、
民間で経営する以上いつまでもつきまとう問題でしょうし、
自社で戦略を決定できる反面、その結果もモロに受けます。
民間の人の苦労は、それはすごいと思います。
税制をはじめ法律や行政の都合に振り回されますしね。
公務員は逆に、客や価格を選べないという問題があります。
民間なら「お代はいらないから帰って下さい」と言える客にも
公務員や教員は、それこそエンドレスにマンパワーを注がねば
なりません。給与面で守られているんだから、です。
ややこしい生徒やPTA、地域を受け持った先生の苦労は、
これまた、すごいと思います。
問題が学校の中だけではありませんしね。
道の教職員さんや、舞阿呆さんのような方がいらっしゃって、
まだまだ世界はこれからだ、僕も頑張ろう、と、心が勇んできます。
- [361]どん 06/09/24 10:54 AM3Gb.ZuAX
- >>347 T.N.Doctrineさん、いいですねぇ。
身を包み、吹き抜ける涼しげな風に、この世が神の身体であることを、
自分の悩みや逡巡も、全てを包み込む親の愛情を感じ得たような気がして
嬉しくなりますね。
そういうのって、僕は好きです。
- [362]どん 06/09/24 11:12 AM3Gb.ZuAX
- >>344 とみ新蔵さん、ご引用のこかん様の大坂布教の話や、
その他もろもの史実ですが、ネットを見ておられる方は
大抵ご存知だと思いますよ。スキャンダルというか、
週刊誌の特ダネみたいな感じで、みんな気になるのでしょうね。
そして問題は、そうした史実を踏まえて、それを自分なりに総括し、
だからどうなのか、だから自分はどうするのか、を、
考え、実践していくべきなんでしょうね。
- [363]苺 06/09/24 11:36 lRn8mGYhyL
- お久しぶりです!
どんさんのブログ拝見したいです。
- [364]T・S教人 06/09/24 14:10 3DSRUS5xUl
- 道の教職員さんはじめまして。この前実家に帰って、久しぶりに神殿に参拝しました。夕づとめ前なので慌ててお勤めして、帰ろうとしたら、部内の会長をいとこに変わった、叔父さんが当番で来てました。挨拶してたら涙出てきて。叔父さんは教会を出て大教会の近くに 叔母さんと居るそうです。どうして教会出たのか、聞かなくても何となく分かりました。部内のいち信者になり「信者さんのおかげで、その教会が成り立つ。でも、あまり出来ない事言うたら、居なくなってしまう。」無理は理が無いですよね。
- [365]とみ新蔵 06/09/24 15:14 wgayGsPvOM
- http://buddhistjun.cocolog-nifty.com/inochi/2006/09/post_38c0.html
浄土真宗大谷派のお寺の、30代後半ばの僧侶のブログです。
私のブログでも紹介しましたが、
私の場合は、こういう内容も、決して、おやさまの教えとは無縁とは言えないものと考えています。
- [366]yoshio2028 06/09/24 18:01 Bgl4CZDyB4
- 44年まえ、こどもおじばがえりから帰るとき、持病の喘息の発作により会長と2人で帰ると言うときが有りました。
新幹線の中で、おじばで始めて教えていただいた、あしきはらいのお勤めのてぶりを自分でも知らないうちにふっていました。
それを見ていた会長の顔、あの顔はいまだに忘れる事は出来ません。
しかしその後そのような顔は見た事が有りません。
会長もまだ若かったし、任命を受けたばかりで自分の思い描いたものがたくさん有ったからでしょう。
夢を持って会長になった人々が現実を目の当たりにして挫折と、大きいものに飲み込まれ、自分を失いおみちの御用の何たるかを忘れ自己満足に走っている。
- [367]T.N.Doctrine 06/09/24 19:36 J30GewpsfU
- >>355-356 はじめさん、こんばんは。
息子たちのことは「・・・語る!!2」の >>658 でご紹介した通りです。
私自身は定年まで、後2年を切りました。
会社は年商3億円程度の中小企業で、社長は親会社からの出向です。
それも2〜3年ごとに交替して来ましたので、営業をほとんど一人で切り盛りするような事態になってきていました。
その中で「・・・語る!!2」の >>812 でお伝えしたような事件が起きたのです。(起きたというか、起こしてしまったというか)
だからあの時は本当に大変だったのですが、信仰があったればこそと今も思っています。
今まで布教所のことはほとんど家内に任せてきましたので、定年延長すべきかどうか迷っているところです。
後半の部分、本当にそうだと思います。
お道の教えは「鏡の・・・」など、はるかに超えたものでしょうから。
>>354 舞阿呆さん、はじめまして。
お褒めの言葉に預かり、恐縮しております。
「おつとめ」に関してですが、私も朝夕のおつとめ(仕事をしていますので、時間はまちまちなのですが)は、残念ながら惰性的にやっていることが多いです。
毎日おつとめに際しては、信者さん達や身内の身上・事情等、お願いめいたことを口の中で呟いています。神様に頼るということでなく、問題点を再確認する作業みたいなものです。
それによって、何とか頑張らせて貰わなければならないと自分で自分を鼓舞するようなものです。
かっこよく言えば、「動けば、動く」ですね。
自らが動かなければ、神様の働きも何もないでしょうから。
と言いながら、中々実行できてないものですから、呪文のように毎日同じようなことを口にしている、というのが実態なのですが・・・。(淋)
- [368]T.N.Doctrine 06/09/24 20:07 J30GewpsfU
- >>357 道の教職員さん、こんばんは。
あなたの教員生活での、ご丹精・お心遣いの程、素晴らしいと思いますよ。
そのスタイルで頑張られたらいいのではないでしょうか。
無理に教会に帰るというより、あなたがされていることで喜んで下さる方々や、笑顔を見させて貰うことが多いほうを選択なされたら・・・。
教祖もそちらの方をお望みじゃないかと、私には思えるのです。
「名称は末代の理」とは言われますが、逆にその言葉を活かす為に無理に教会を存続させようとする実態があります。
今の教団の身の丈にあった教会数でいいんじゃないかと私などは思っているのです。
教会を集約・統合して、先に述べたような多様な利用の仕方が可能になるような施設に改編するのも、一つの手ではないかと思います。
実際問題として、大教会は別として、末端教会などは兼業でなければ生活していけないでしょう。
経済活動をしながらの教会活動なり、布教活動なりが可能となるネットワーク作りも有効じゃないかと思います。
(かつて宅急便などの小口配達業務を、教会組織ネットワークで行なうのも面白いのではないかと思ったりしました。全国に教会がありますし、頻繁にお地場帰りをしている訳ですから。 もちろん、教団がするというのではなくて、信仰者個々の連携というだけの別の民間組織になる訳ですが、まあ、それはほんの一例としてそういう受け皿があると、例えば修養科を卒業した後の保証にもなり得ますし・・・)
>>359 仰るとおりです。
教内に問題があるから、解決に向けての意欲、喜びも生じてくるかもしれませんよ。
何も問題がなければ、我々も却って堕落してしまうかも知れないからとポジティブに考えましょうか・・・?。
- [369]T.N.Doctrine 06/09/24 20:32 J30GewpsfU
- >> 361 どんさん、エール有難うございました。
私があの墓地の草刈、清掃を進んでし始めたのは、例のK氏夫婦のお墓ができてからです。
そこに行くと、そこに魂など留まっている筈がないと思っているのに、何故か対話するかのような雰囲気になるのです。
その最中の自然の微妙な変化が、気のせいか会話に呼応しているように感じ、あの記事になったと言うわけです。
話は変わりますが、先日来松のお母君にお会いしました。
皆さんお元気そうで何よりです。
>>365 とみ新蔵さん。
早速アクセスさせて貰いました。
一部の若い仏教徒の方々、政治に対する関心が高いですね。
当松山市内でも、数箇所の著名なお寺が反戦平和活動を続けています。
ただこのサイトでは、余り政治的な方向に走るのはどうかなと思っています。
時期が来ればそういうことも有りだとは思うのですが、今は内部の諸問題、或いは教理のことを修めていくのが先ではないかと思っているのですが・・・。
- [370]T.N.Doctrine 06/09/24 21:16 J30GewpsfU
- 連スレで済みません。
>>363 苺さん、こんばんは。お久しぶりです。
「・・・語る!!2」では、いきなりのご挨拶が、ちょっと偉そうな言い方になっていたかも知れません。
いささか気になっていたのですが、お元気なご様子、何かホッとしました。
>>364 T.S教徒さん、お気持ちお察しいたします。
上からの要請がなければ、無理な方向に走らなかったのではと、悔やまれる思いがします。
しがらみを離れた青天井のような信仰に戻りたいですね。
>>366 yoshio 2028さん、こんばんは。
>>364 と全く同様な寂しい思いがしてきます。
過去の成功物語だけ、金科玉条のように繰り返し、現実を直視しようとしない教団のあり方が透けて見えてきます。
その犠牲者と言ったら言い過ぎですが、絵に描かれた餅の大きさに押しつぶされていく有様にも見えます。
でもサッカーのオシム監督ではないですが、失望は過剰な期待から生じたりするもので、現実を冷静に見ることで希望の在り処も探れるかも知れませんよ。
それから、以前 >>814 において
>前会長の出来ない部分、あなた自身が陰で補足してあげれませんか? とコメントした件、気に障られてなかったですか?
あなたならそれが出来そうに思えただけだったのですが・・・。
- [371]道の教職員 06/09/24 21:53 v.o6JgjZBK
- >>364
T・S教人さん,こんばんは,道の教職員です。
記事を読ませて頂き,ものすごく寂しい気持ちなりました。
無理なことを言い過ぎてうちの教会も信者さんがいなくなったのかも
しれません。無理はは理がないとは言いえて妙といいますか,まさに
的を得たりという感じです。何のための教えなのでしょうね。何のため
の天理教なのでしょうね。誰を救い,誰のためにあるのかもう一度考え
てみる必要があると思います。お供えは結果であって目的ではない。
それを目的として求める時点で狂いが生じてしまう。誠真実というなら
それを求めてはいけないのではないでしょうか。祭典後にある偉い先生
の話は大抵お金がらみの話のことが多い気がします。〜ということが
あった。大難を小難に変えていただいた。お礼をしようというストーリー
が多い気がしますがいかがでしょうか。しかし,それはそれとして,
ありがたかった,心の使い方を確認したというだけでいいのでは
ないかと思えてなりません。なぜお供えの話につながるのか不思議で…。
そういった雰囲気が教団に漂う限り,教勢の増加などあり得ないでしょうね。
なぜお供えなのかといわれると本来答えはないはずです。お金がその
人にとって大事なものであるのは至極当然。それが大事であればあるほ
ど,お供えをすることでその人の誠真実を表すのでしょうが,誠がある
なら,何でもいいはず。それをなぜお金なら喜び,もちなら喜べない
のでしょうか。その辺りから教祖の言い分との食い違いを感じてなりません。
お供えを強制される時点でその方の心は天理教から遠く離れていると
思います。そんな基本的な心情すら知らず,祭典後にお供えの話ばかり
される先生をなんと思えばいいのでしょうか。うっとうしいとしか思え
ないのですが…。
そこに気付かないから今の天理教はあるわけでしょうね。
そんなお金の呪縛から教会を解き放つためにも法人からの給与という形
での布教補助金が下りるべきだと私は思います。真に布教に励むためには
今の時代,少々のお金は必要ですから。無理は理が無い。個人でできる
ことには限りがある。特別な一事例より,大多数の普通の事例に目を
向けるべき,自論ですが,実践より導き出した自論です。がんばっている
布教師を守ってください。その布教師心から布教に専念できる環境を
創ってください。そして,新しい時代の布教にふさわしくかつ,教祖の
教えを身近で感じることができる布教について知恵を授けてください。
人間,いくら環境が便利になってもその人自体の思考方法が変わらないと何ら変化はないでしょうから。
- [372]道の教職員 06/09/24 21:58 v.o6JgjZBK
- >>368
T.N.Doctrineさん,コメントありがとうございます。
私も教会に帰らず,今のまま自分の信じた道を進もうと思っています。
苦労も多いですが,基本的には楽しいですから。
ただ,教会や自分の両親のことを思うと切なくなるので自分が教会を
継いでもいいと思うようになりました。
ドクトリンさんの年齢もうちの会長と比べるとそれほど変わりません。
50代半ばなのででしょうか。
- [373]あたま丸く 06/09/24 22:12 E-aclfS
- はじめまして
今年、いろいろあり、親神様の不思議なおたすけを実感し、いままではしていなかった朝夕のおつとめをするようになりました。
そして、親神様のこと、教祖様のことを知りたくなり、調べているときに、この掲示板にたどり着きました。
皆さんのやり取りは、とても勉強になります。
今年、妹が妊娠したのですが、医者から絶対安静にするよう言われ、実家に戻っていました。
職業上、一日中立ちっぱなしなため、妊婦にとっては過酷で、それに加えて高齢なので、妊娠は大変なことなのだそうです。
父から不思議な事を聞きました。紹介します。
毎朝毎夕、父は妹を『おさずけ』してあげていたそうです。
すると、父には誰か(神様かな?)の声が聞こえてきて、最初の頃は「大丈夫。大丈夫。」と聞こえてきて、今は「順調、順調」と聞こえてきてるそうです。
医者の検査でも、順調ですと言われてるそうです。
また、『おさずけ』中に、父には赤ちゃんの姿が見えるようになったそうです。
最初は何も無くて、次第に豆粒みたいなものが見えて、今は、赤ちゃんが指を口にくわえたり、足を動かしている様子が見えるそうです。
超音波検査で、父の言うのと同じように、赤ちゃんが成長しているそうです。
人間には、はかり知れないことだと、親神様の不思議なおたすけを感じずにはいられませんでした。
昨日、劇画教祖物語と教祖伝参考手帳を買いました。
これから、少しずつ勉強していきたいと思います。
- [374]T・S教人 06/09/25 07:05 3DSRUS5xUl
- 道の教職員さんありがとうございます。上手く言えなくてごめんなさい。今思い出しましたが、姑が十年前に出直したとき、「お道一条の人よねえ。ああ、本当にをしいね。何でかねえ。あなたももう少し教会に運ばないと、OO家のいんねんは子供が育たない断絶いんねんですよ。」と。「いんねん」がよっぽど好きなんでしょうね。 ある信者さんの事で「この頃来ないから知らない。きっと地獄に落ちるよ。」細木数子ですか。それを婦人会の集まりの時にですよ。 もう、お笑いです。ここまで言うと、私地獄行きですか。
- [375]T・S教人 06/09/25 07:10 3DSRUS5xUl
- あたま丸くさん私も純粋な気持ちに戻りたいです。頑張って下さい。
- [376]どん 06/09/25 12:15 HrgyI5Mrlg
- >>363 苺さん、お久しぶりです。
好き勝手なこと書いているので恥ずかしいのですが、
グーグルで「天理教末端信者」と検索して頂ければ出てきます。
>>373 あたま丸くさん、こんにちは。
よろしくお願いします。赤ちゃん、楽しみですね。
>>374 T・S教人さん、最高っす!笑ってしまいました。
「ぎゃはは!天理教で地獄ってあなた、一体どこですか?」
て感じですね。
- [377]とみ新蔵 06/09/25 16:24 wgayGsPvOM
- T.N.Doctrine氏のコメントの
「当松山市内でも、数箇所の著名なお寺が反戦平和活動を続けています。
ただこのサイトでは、余り政治的な方向に走るのはどうかなと思っています。
時期が来ればそういうことも有りだとは思うのですが、今は内部の諸問題、或いは教理のことを修めていくのが先ではないかと思っているのですが・・・。」へ。
そうですか。松山市にお住まいでしたか。いろいろな人々への心使い、ご苦労様です。
「政治的な方向」うんぬんの意はよくわかりますねえ(^^)一部を除く、天理教の多くは創価学会員と同様で、余りにも政治ド音痴ですからねえ。
でも内部の諸問題が、政治と結びついていることが多いので、、、ネ(^^)
また社会問題から考察すると、「おやさま」ご在世なら、今の時代、どのような行動をされるだろう、、、と、思案する一つの、キッカケになっていただけたら、、、、、。
との思いもあるのでした、、、。
ま、本当のおやさまを知らない人には、トンチンカンな解釈となって、とても、ムリなことではありますが。
でも、世界の状況をを観ると、私達日本人の様々な悩みが「何と、チッポケナなことなのだろうか、、、」との「気づき」「悟り」
で、心が広大になって、個人的にも、身辺の小さな諸問題が、スッキリと解決したり、納まって、明るい方向へ、扉を開いて、踏み出す方々も、あるものでしたね。
当時、教祖の7.8.回も投獄の原因は「違敬罪」という政治犯でしたからねエ。
教祖当時の本来のお道は、思想的にも社会的にも世上からも、明治国家からも、大変革を促す道だったからですね。
現在のお道は??
チッポケなオカシナ組織の中で、世界から観るとウロウロ、ゴチャゴチャ、陰々滅滅、
矛盾ばかりを抱えた、小集団になってしまっている始末ですな。
私のココへの今までの、スレは、殆ど、皆さん方への、役には立っていないようですので、
訪問はあと、一回か、二回で終了いたします。
- [378]T.N.Doctrine 06/09/25 19:43 J30GewpsfU
- >>371 道の教職員さん、あなたの仰る通りです。
あなたのような心からの思いを、皆で口に出して、教団本部に届けていきたいですね。
時間がかかるとは思いますが、そういった方向性でしか、道は開けてこないように私も思っていますから。
>>372 子年生まれ、いわゆる団塊の世代。もう一頑張りってとこです。
- [379]苺 06/09/25 19:52 lRn8mGYhyL
- どんさん、すでにロムしていますた。(笑)
これからも、ときどき、ロムします。。
- [380]苺 06/09/25 19:54 lRn8mGYhyL
- とんちんかんな、天理教になりませんように。。。(祈り)
- [381]さよみ 06/09/25 20:25 *AA99n4agltU*kOubMIjWJR
- さよみです。お邪魔いたします。
常時接続の環境におりませんので、たまに機会を見つけてまとめてロム
しております。
(もしかしたらクリプトが間違ってるかも知れません…汗)
とみ新蔵さんへ
『劇画中山みき物語』を初めて手にしたときは衝撃でした。力と気迫の
こもった作品だと思います。今もときどき読み返しておりますよ(^-^)
資料、処分してしまわれたとのことで、非常に残念です。
これまでの書き込みを拝見しておりましても、うろ覚えのままの引用が
見受けられました。
いま、天理教について「我がこと」ととらえて取り組んでおられる面々
は、それぞれの立場から慎重に高度なテキストクリティークを行ってお
ります。
そうした中で、これまで教えが語られる現場で「いい加減なこと」がま
かり通ってきたことを痛感するのですね。
だからこそ「いい加減なことをいわない」というのは、批判者にとって
も重要な矜持になってくる。
そうした水準でコトバを交わす、談じ合おうとした場合、結論や総論を
先取りして示すことも大事でしょうが、それ以上に、論拠となる資料の
公開や、その解釈が他の複数の教えと連携するかどうか、などが求めら
れるように思います。
とくに「天理教」という枠組みで論じる場合の一応のよりどころとなる
『おふでさき』『みかぐらうた』『おさしづ』および
『天理教教典』『稿本天理教教祖伝』『稿本天理教教祖伝逸話篇』など
と食い違う(ないしは転覆する)ような説を唱えるならば、必要になっ
てくると思います。
「ほんとうの〜」とか「史実」を称するならば、必須でしょう。
そういった意味で「本部とは異なる歴史観による教祖伝の提示」という
かつて他に誰もなし得なかった仕事をされたとみ新蔵さんが、もしかし
たら今ここに参加している誰一人としてもっていない資料を目にしてい
た可能性があったにもかかわらず、それをシェアすることができないと
いうのは、もったいないことだなぁと感じます。
ところで、
『確かな教理理解のために』(天理教青年会、1995)
※八島秀雄『中山みき研究ノート』および
小栗純子『日本の近代社会と天理教』を徹底的に批判した書籍
はお読みになられたでしょうか?
内容は、『あらきとうりょう』に掲載されていたもののままだったかと
思いますが、もし読まれていたとしたら、その率直な感想などをお聞か
せ願いたいと思います。
- [382]T.N.Doctrine 06/09/25 21:05 J30GewpsfU
- >>377 とみ新蔵さん、レス有難うございます。
何度も申し上げて居りますように、あなたのご意見はこのスレッドの中でも貴重なものだと思っています。
役に立っていないなど、とんでもないことだと思います。
決して終了などと寂しいことを言わないで下さい。
皆さん、引き続きご高説を拝見したいと望んでいるはずです。
ただ、今までのところ、ご期待されるような反応はイマイチかもしれませんが・・・。
お説のように、教祖が政治を直視していたのは間違いないでしょう。
苦しみあえぐ民衆を前に、個々の「貧・病・争」からの救いための心の道を指し示すことに留まらず、体制そのものがいかに人々を苦しめているかを見切った上で、「大社・高山取り払い」と世直しの思想を示唆されたものと思われます。
また天理王が先か転輪王が先なのか、事実がどうであれ、世直しの神でもある転輪聖王による一列地均しというイメージが、教祖とそれを慕う信者間に共有されていた時期が確かにあったのだろうと思います。だからこそあんなにも苛烈な弾圧を受けたのでしょう。
(ついでながら、天理と言う言葉はご承知のように、当時流行っていた石門心学に溢れかえっていたものですが、仮に後から採用されたものだとしても、教祖が神道方向に舵を切ったということでなく、理は神や、神は理やと仰せられた教祖の親神像と、最初から何ら矛盾点がなかったことだろうと私は思っています。以前に、天理王が先であろうと転輪聖王が先であろうと、どちらでも積極的意味を見出せると私が書き込んだのはそういった意味合いだったのです。)
で、そういう思いがあるなら何故、>政治的な方向に走るのはどうかな・・・などと言い出すのか、とお思いでしょうか?
私もかつて、「世界に目を向けよう、政治に関心を持とう」という意図のもとにコソボ問題を取り上げた信頼する先輩布教所長とともに、天理教青年会の一分会という狭い範囲ではありましたが、難民支援活動を一緒にさせてもらったことがありました。しかしやはり単発的なものに終わってしまって、運動母体が作れない、継続できないという今の教会組織の限界みたいなものを感じさせられました。
それ以前の問題があるんじゃないか、そちらのほうがむしろ切実なのではないかということです。
その問題点こそ、今このスレでも溢れかえっているような内容のことなのです。
もちろん、私の言う内から修めて外に向かうという有り方の他に、外に目を向け能動的に貢献することで、逆に内も修まってくるという事態もないではないでしょう。
或いは両方同時に敢行すべし、と言う意見もあるかも知れません。
ただ私は、今は思想的にも体力的にもまだ無理だと判断しているだけなのです。
以上の書き込みだけではお互い不完全燃焼でしょうから、是非とも続きのお話をさせて頂きたいと思っています。
(追記)勤め先、上級教会は松山市ですが、住所は隣のM町です。
- [383]リラックマ 06/09/25 21:16 D-snzhw
- 久しぶりに訪れたら、ずいぶん盛り上がってますね。このスレが、「神楽講」「踊り講」ならぬ「語り講」になれば面白いですね(^^)。
とみ新蔵さん、>>348の御投稿ではとみ新蔵さんの気迫を感じました。確かに仰る通りですね。去られるという事で、非常に残念です。しかし、このスレの趣旨から言うと、T.N.Doctrineさんの仰る通りだと思います。とみ新蔵さんの想いに答えられるだけのスレッドを、新たに立ち上げるか、場を替えるかしかないでしょうね。いずれ、そういう事もあるでしょうし、時々は覗いて下さいね。寂しいですので。
道の教職員さん、はじめまして。なんだか私と非常に境遇が似ているので、勝手に親しみを感じていました。よろしくお願い致します。
スレ主さよみさま、はじめまして。光栄です。リラックマと申します。口下手で、教祖のお話を紹介するくらいしか能がありませんが、よろしくお願い致します。
舞阿呆さん、あたま丸くさん、苺さん、よろしくお願いします。また、時間がある時に投稿させて頂きます。
- [384]秋風 06/09/25 22:41 ktDqN6TIwO
- >とみ新蔵さん
間違いに気付かないことは誰しもあると思います。
皆、知識の浅い時期や、迷いの時期や、誤った思い込みの時を経てだんだん理解し、「本当のこと」を自分のものとしていくのだと思います。
とみ新蔵さんは、たくさんの書籍や資料を読まれ、他宗教の研究もなされ、皆さんの知らないこともたくさん理解していらっしゃいます。
だからこそ、そういう方だからこそ皆さんにいろいろ伝える必要があると思います。
今の状況がおかしくなっていると思われたり、若い方が誤解や誤りの考えだと気付かれたら、根気よく、わかりやすく道を説かれるのが先人の役目だと思います。
とみ新蔵さんのお母様は「何度教えてもわかってくれないのでもう教えません」といわれたでしょうか?
「私の言葉は役に立ってないようなのでお前にはもういわないよ」とは、おっしゃらなかったと思います。
とみ新蔵さんがお若いときに腹に落ちなかったお母様の言葉が、
何年か経ってはじめて理解できた。
そういうことはありませんか?
私はとみ新蔵さんが日本を憂え、政治を案じ「1人の小さな力でもなにかやらなければ、継続してやっていかなければ!」
そんな思いで活動されている事に共感を覚えているものです。
今の天理教が何か違う、変えていかなければならないとお考えならばそれもまた同じように、諦めてしまわれず継続して皆さんに説かれていく必要があるように考えます。
また、とみ新蔵さんの師は、木や川や海などの自然であると聞きました。私も全ての理は自然の中にあると思います。
けれども、天然自然の理を聞くには自分が人という種のひとつにならなければ、何も聞こえては来ないはずです。
こちらの掲示板でも「教えてあげる」「教えてもらう」の図式ではなく天理教を思う同じ信者として相手の言葉も尊重し受け入れた上で意見を言う、自分の高さをひとつ下げて目線を合わせたところで話をすれば伝わるところも多いと思います。
また、全く間違った方向の人の考えの中にも、なにか新たに見出すものがあるかもしれません。
我以外、皆、師也と言います。
お分かりかと思いますが、私は天理教の信者さんではありません。
しかしながら、こちらの掲示板の皆さんの真摯な熱心な書き込みに
ここ数十日毎日お邪魔しているものです。
初めは何も分からず、「おぢば?」何語だろう?(失礼)などと思いながら読んでまいりました。
(最近はだんだんわかるようになりましたよ)
そんな私が大変生意気なことを申しましてすみません。
けしてとみ新蔵さんを個人的に攻撃するものではありません。
むしろお母様から伝わる一筋の思いに心を打たれております。
いい方向に向かって欲しいと願う気持ちはとても強く伝わりました。
もっと色々なことを話していただきたいとおもっておりました。
また、日々の姿勢(ブログを読ませていただきました)にも共感するものであります。
それだけにこのままこの場を去られるのは残念で、おもわず書き込みをしてしまった次第です。
信者さんではないけれど、私のように色々と知りたい人もたくさんロムしてるとおもいます。
書き込みはしないけどロムしている信者さんの中には、とみ新蔵さんの書き込みで目の覚めた思いの人もいるかもしれません。
そういう者の代表として。
とみ新蔵さん、ご無礼をお許しください。
皆様の熱い議論をこれからも真面目に読ませていただきます。
- [385]どん 06/09/26 08:04 i9pS2xep0a
- >>377 とみ新蔵さん、私のコメントがまずかったならすみません、謝ります。
>>381 さよみさん、お久しぶりです。ありがとうございます。
>>384 秋風さん、はじめまして。ありがとうございます。
- [386]リラックマ 06/09/26 11:28 D-snzhw
- 道の教職員さん、こんにちは。>>371の御投稿の内容ですが、この問題は相当根が深いと思います。
私は教会の長男なのですが、以前かみさんを連れ立って「教会を継ぐ意志の無い」事を相談に行ったのですが、その時会長である父から「お前の人生だ、お前の好きなように生きよ。その代わり、月給の一割は‘理立て’せよ。そうする事が、大難を小難にして頂けるのだ。お前のより良い人生のためにも、ぜひそうしなさい」と言われました。
私は「オヤジ、言わんとする気持ちは分かるけど、天理教はそんな御利益信心じゃないはずや!もちろん自分という人間は、今まで教会に丹精して下さった信者さん方のお陰で、ここまで育てて頂いた事は充分分かっている。だから、そのご恩に報いるために、教会の維持経営費としては、もちろん協力するつもりでおるよ。教会の行事にも、なるべく参加させてもらうさ。しかし、オヤジが言う‘理立て’いうのは、そんなお金じゃないやろ?逸話篇の‘真心のお供え’の話、おさしづの‘百万のもの持ってくるより、一厘の心受け取る’の話、オヤジも知っとるやろ?お金やないんや!オレは、オレの知っとる教祖の逸話を、これからネットで多くの人々に伝えていくつもりでおる。それが、オレ流の教祖へのご恩返しや」と言いました。
すると、オヤジは「それはエエ事や!どんどんやれ!しかし、それとこれとは別の話や。やはり‘理立て’はせなあかん。それがお前のためになるんや」と言いました。何で「それとこれとが別なのか」、その時はさっぱり分かりませんでした。しかし、本気で息子のためだと信じて話すその姿に、私は「もう何も言うまい」と思いました。
御利益信心である事を、普段は否定する話を私に散々してきた父なのに、その矛盾に気付いていないのです…。その時、この問題の根深さを非常に感じました。
- [387]とみ新蔵 06/09/26 12:21 wgayGsPvOM
- 秋風 氏のコメント。
{とみ新蔵さんのお母様は「何度教えてもわかってくれないのでもう教えません」といわれたでしょうか?
「私の言葉は役に立ってないようなのでお前にはもういわないよ」とは、おっしゃらなかったと思います。
とみ新蔵さんがお若いときに腹に落ちなかったお母様の言葉が、何年か経ってはじめて理解できた。
そういうことはありませんか?}
への返答。
参りました。畏れ入りました。
母のことを、持ち出されますとあきまへん。
自分の姿勢を、とても恥ずかしく赤面いたします、、、。ごもっとものことに存じます。
私は何か、人様の(我が身思案<自分さえよければいいんだとの、権力者にはべつ>)お役に立っていないと、、、自分が生きている気がしないのです。
もし、ココで、少しでも何かのお役に立っていた、、、のかなあ、、と思うと、また、訪問させて頂きまする。
それにしても、貴殿は、天理教の方でもないのに、このスレに来て頂き、有難く存知あげます。
このスレッドで、概ね、ご分別の通り、天理教の子弟たちは、涙がでるほどに、皆さん、真面目な方々ばかりなのです。
だからこそ、親御さんのやって来た、天理教から、親御さんの気持ちを思う余りに、離れられないトコロもあるのです。
またそれほどに」「本当は、もっと、教祖には、何かあるぞ、、」という思いが、皆さん方にも、根深くあるわけです。
このことは、教祖のお隠れの後からも続き、
いえ、息子の秀司さんもいた時代からも続いているといってもよいでしょうか、、、。
教団本部でも実は、誰一人として、今までの天理教が、教祖に沿ったものであるとは考えてはいないのです。
大繁栄した時代でも、長々と苦悶してきた教団の首脳たち、、。
私が22年前に、ただ驚いて「う〜〜〜〜〜〜むう」と唸り、目からウロコが落ちた、お釈迦さんの原初の仏教でさえも、みき女史への「思想の入り口なるかな、、、、、それが時代というものなのか、、、」と、思う所以です。
といっても、私は既に自分の育った教団にのみ捉われることは、ありませんので、みき女史と同時代のフランスにも非常によく似た考え方をした方がいて、それに感歎したものですが
そして、天理教者のこの悩み、難解さは、裏をかえせば、それほどに教祖中山みきは、人類史上、宗教史上、画期的且つ、普遍的なことを、説いたわけですが、、、。
宗祖が偉大だと苦労するわけです(^^)
また、このスレッドは、単に天理教という、一宗教の問題のみならず、優れたな宗祖をもった、世界宗教に共通する部分もある、教義、思想探求の、求道の場でもあるとは申せましょうか、、。
また、、人間(じんかん)の本当の生き方とは、何であったのか?
本当の幸せとは、何であったのか?
「みかぐら歌」に「やまいの元は心から」とあるのですが、個人的やまいや、家庭的やまいのみならず、、国家的やまいの戦争や、地球(神のからだ)的やまいの環境破壊まで、もたらせてしまっているのか、
私たち個々の現代人は、今、
大いに苦悶苦闘の悩みを抱えて、心の出直しが必要があるのでは、、、と思います。
破壊と倒しあいの「競争文明から」「たすけ合い文明・陽気ずくめ世界・甘露台世界」への大転換は、そこからしか、始め出せないのでは、、、と、考えております。
ありがとうございます。
合掌
- [388]T・S教人 06/09/26 15:36 3DSRUS5xUl
- リラックマさん、道の教職員さん、どんさん、T.N.Doctrineさん 私もあまり言い過ぎると、お手入れ頂きそうなので、ここに来るのを止めようかと思いました。でも、後が気になって、又来てしまいました。皆さん、それぞれ思ったとおり、お道の熱心な方達です。でも、訳あってなんていうのか、気持ちの変化というか、今があるんですね。読みながら、「私なんて問題や無いやんか。」「何も言えないくせに、えらそうにお道を語る人達と喋るな。」と、自分に言い聞かせています。名前も変えたいぐらいです。偉そうでごめんなさい。
- [389]リラックマ 06/09/26 17:39 D-snzhw
- >>388T・S教人さん、私はあなたのお話、好きですけどねぇ(^^)。
そんな事仰らずに、これまで通り語り合いましょうよ!
- [390]ミッチー 06/09/26 17:48 IMyqB.KDW3
- 電話がかかってきたら、前に惚れてた女とも、
黙って会うらしいじゃん。
ミッチーはそれが、普通なのか、どうなのかが、
分からない。
めんどくさー知らんよ。
- [391]ミッチー 06/09/26 18:09 IMyqB.KDW3
- ミッチー・・・・
- [392]T・S教人 06/09/26 20:15 3DSRUS5xUl
>>389
リラックマさんありがとうございます!!
これからも頑張って行きたいと思います。\(^▽^)/ヨロシク
- [393]T.N.Doctrine 06/09/26 20:46 J30GewpsfU
- >>381 さよみさん、はじめまして。
このサイトの最初の頃のページを飾られた、冷静で知的な応答、ブレない信念とそれでいて謙虚な信仰姿勢とには、痛く感心させられてきたものです。
一度お話させて頂きたいものと思っていたのですが、ずっとお名前を拝することができず、どうされているんだろうと余計な心配をしておりました。
お留守の間、あなたの高邁な精神が踏襲されて来たかどうかは解りませんが、新たに多くの方々が参集されて活況を呈してきたのではないかと思っています。
またお暇な折は、是非覗いて頂いて、ご高見を拝させて頂きたいものと存じています。
>>384 秋風さん、はじめまして。
あなたのような方に訪問して頂けるのは嬉しい限りです。
何となく力が湧いくる思いがします。
とみ新蔵さんに対しても、私らが束になっても出来ないようなインパクトを与えられましたね。
是非、今後ともお付き合い願いたいものと思っています。宜しく。
>>386 リラックマさん、
赤裸々なお話、心に沁みました。
最後の >・・・その矛盾に気づいていないのです。その時、この問題の根深さを非常に感じました・・・
確かに根深いものがあるのだと思います。
もうひとつ勘ぐるならば、お父君も「矛盾に気づいてない」のではなくて、言葉に表現できないような心のグレーゾーンを持たれているのかもしれません。それは信仰の不可解さでもあり、深さに連なるものなのかもしれません。
教理的にも、現実に現れてくる現象の不可思議さの頻度から見ても、お金で理をつなぐという論理は成り立たないようなものですが、
曰く言い難いグレーな何かを感じ、保険を掛けようとするのかも知れません。
ここでも以前書き込みしましたが、私が九死に一生を得た交通事故の場合も、直前に家内が相応の金額を御用金としてお供えしていたという事実を、頭の中では全く関連がない、偶然に過ぎないと断じつつも、心のどこかでグレーな部分を否定できないでいるのです。
思いますにお供えというのは、常々掃除をしていなければ自然に埃が溜まってしまうように、現代では主に金銭で表象される欲の心も、自動的に口座から引き落とされる装置を作っていなければ、野放しになってしまうのではないかという自戒の表現でもあり、信仰上の知恵であるのかも知れません。
問題は、それはあくまでも、我々個々人と神様との間でのやりとり、もしくは契約事なのであり、教団や組織に対するものではないということです。ましてや強制されるものでは決してない筈です。そこのところの取り違えが、混乱を引き起こしているのではないかと私には思えるのです。
>>388 T.S.教人さん、
私も口で小難しいことばかり言っていますが、日常生活はあなたと一緒ですよ。
気楽にやりましょうよ。
- [394]道の教職員 06/09/26 22:05 v.o6JgjZBK
- リラックマさん,こんばんは。>>383で,私に親しみを感じていると
おっしゃってくださいましたが,私も,>>386を読み,リラックマさん
に親しみを感じました。教会,長男,後継者,父親,価値観の相違など
が共通のテーマなのかもしれません。
さて,お父上の発言,私の親とも重なる点があります。天理教は後利益信仰ではない。
世界助けの宗教だと思います。しかし,やっていること,言っていること
はどうもご利益を求める教えや言動になりがちです。昔からそれは感じ
ていました。だからこそ問題意識をもつようになったのでしょうが。
私の場合,教会を私が継ぐということが「私の幸せ」なのだと父である
会長は力説します。思い通りにさせてやりたいけど,
それはできないって言います。本当に私の幸せを願うなら,
子どもの選択を尊重する立場をとって欲しいと思うのですが。
父親は「教祖の教え」が第一なので,それを守る
ことに一番の価値があるのです。私は,「陽気ぐらし」が第一にあって
次に「自分の役目」がきているのです。価値観,信念のぶつかり合いを
数多くくり返してきました。結果的に,「分かってもらえない」という
思いがだんだん強くなりました。今ではケンカになる前に議論をやめに
しています。が,議論は平行線をたどり,一向におさまりません。
教会へのこだわり,長男が継ぐというこだわりはどうしようもないです。
それが子どもの幸せだと思って疑わない精神というのは,理立てを求め
つつ,普段は後利益信仰を否定されているお父様に似ているものがある
かもしれません。
信念のぶつかり合いは正面からやっていてはダメですね。お互いに疲れる
ことが多いです。しかし,そうしないと伝わらないものもある。けれど
も,そうしても信念というか,思いは変わることはない。ともかく
難しいですよね。
理立てに関しては>>393のT.N.Doctrineさんの言葉に納得しました。
確かに欲という埃をはらうためにお供えをするというのはある意味なり
立つと思いますよ。だからといって,お供えを強要されると反発したり,
不足の心が出てしまい,ダメになります。
何かにしばられている,自分以外の他者をコントロールしようとする,
そんな今の天理教の雰囲気を壊したいな〜と思っています。
- [395]リラックマ 06/09/27 00:36 D-snzhw
- >>394道の教職員さん、私も会長とはだいぶやり合いました。以前天理におりました際、教団が辿ってきた歴史に詳しく触れる機会に恵まれまして、相当ショックを受けました。
こちらのスレで紹介させて頂いた、飯降政甚さんの資料もその頃入手致しまして、ショックを通り越して怒りを覚えました。
若さも手伝って、教会の仕組みについても喧嘩腰で議論を交わしました。オヤジだけやなく、詰所の一期講師の会長さんや、青年さんなんかにも議論を吹っかけたもんです。
オヤジにも、今考えれば相当失礼な事も言いました。若気の至りで、「オヤジ、あんたは白か、黒か、どっちや!」と…。その時、オヤジは「オレは‘灰色’や」と言いました。T.N.Doctrineさんの‘グレーゾーン’のお話で、それを思い出しました。
その時は「なんだそりゃ」と思ったのですが、最近やっとオヤジの言いたい事も、分かるようになってきました。息子にそんな事を、はっきり言えるオヤジを、ある意味尊敬しております。
オヤジは、以前‘八島さん’の傘下にいた事があるそうで、「お前の言う事もよく分かる。しかし、人間は完全な白にはなれんのや。しかし、完全な黒にもなれんもんや。だから、オレは‘灰色’や」と…。
私は、本流に逆らって異説を唱える八島さんという方を、ある意味尊敬しております。なぜなら、本流に逆らうことは、パワーがないと出来ないからです。純粋な人なんだろうな、と思っております。とみ新蔵さんも、また然りです。
西山輝男さんの「期待される異端像」とは、本流に飲み込まれず、己が信ずる道を歩めるパワーのある人間の事だと思っております。
こちらのスレで、皆で談じ合い、教祖の教えに対して互いに理解を深め、自信とパワーを培えればなと、そんな風に思っております。
- [396]あたま丸く 06/09/27 00:53 E-aclfS
- こんばんわ
最近の皆さんの真剣な心こもる白熱した書き込みには、とても胸が打たれます。
私は、親が信仰していましたので、子供の時分から信仰しています。
厳密には天理教ではないのですが、とても近いそうです。甘露水をいただけます。
3年前、生きていることの無意味を考えるようになり、心が迷い迷い、毎日が沈んでいました。
10ヶ月前に、職場の知人の誘いで、仏教系新興宗教に行くようになりました。
そこでは、いろいろ勉強になりましたし、心から素晴らしいところだと感じました。
と同時に、あらためて親神様の素晴らしさを実感することにもなりました。
先月やっと気持ちが上向いてきました。
沈んでいた心を持ち上げてくれたきっかけの一つは、信仰心なのだと思っています。
今年は戌年。
天理教教祖中山みき様の生まれた干支と同じですね。
私の周りや、秋篠宮様をみていますと、出産が近年になく多いように感じられ、これは単なる偶然なんだろうかと思っています。
文章がまとまらなくてすみません。
- [397]とみ新蔵 06/09/27 12:57 qxQDfq.kOG
- さよみ氏へ。
八島英雄氏の「中山みき研究ノート」の後、
私はその前に、今は潰れましたが「けいせい出版」から「原初の仏教」という本を出していまして、(今でも宗教界に於ける名作だと思っています)その次には、それを越える「中山みき」を書きたいと思っていました。
そして 立風書房から「中山みき物語」が出刊しました。
これは私の執念でしたからね。
その後、「天理教青年会」から「中山みき研究ノート批判」が出版され、私の家にも送ってくれました。
その20日ばかり後、その出版の中心となった、大教会長の〇氏から、ヤヤ酔い気味で電話が掛かってきました。
「どうです!研究ノートの誤りを、シッカリと書けているでしょう」というものでした。
私は「ええ。よく、解らない処まで資料を出してくれましたねえ、有難いことです。
本部の資料集成部では、本当を判りながら、表には、違ったことを、書いてきた事が、よく判りましたよ」
と言いました。
〇氏はキゲンが悪くなって「あんたアホか」というので
「ワシはあらゆる迷信、迷妄から脱けた人間でっさかいに、そのオカシナ部分を篩いにかけて、あの資料から、本当の部分が見えるだけですがな(^^)
これはキリスト教の聖書を観ても「あ、ここは後世の奇跡話的創作解釈やな、ココはイエスさんの言葉やな、と先生だって、判るのと同じではないでしょうか?」
と言いました。
そして一例に「飯田岩次郎文書」が本部にあったのに、中の内容が、本部が今まで出してきたのは「不思議なご利益ばなしの書き方」になっていますがな。
余りにも内容が違いますがな。
教祖の安堵村への布教の話内容の実情を知りながら、歪めて伝えて来たことまでを、わざわざと、バラしているわけですがな(^^)と言いいました。
それで電話はおしまいになりましたっけ。
たしか、、それから2.3年くらい後のことでしょうか、、、。
〇氏は亡くなりました。
よくは分かりませんが、飲酒過多だったのかも知れません、、、。
- [398]とみ新蔵 06/09/27 12:58 qxQDfq.kOG
- いかに、ヤアヤアのおじさん(今は亡き御分家)の指令とはいえ、その本の出版に、深く関わらざるを得なかった人々に同情しました。
人間というものは、オカシナことを、保ち、守ろうとしますと、どうしても心が、ツラクなるのです。
とくに、頭のよくて、本当は真面目な人ほど、心の裡がシンドイものなのです。
身体の疲れは、寝たら取れるのですが、心の疲れは、身体にヒドク、コタエルのです。
だから、今は知りませんが、20数年前、総理府の発表では、日本全国で精神病に入っている人達の中で、宗教関係者では、天理教者が一番だという統計が出る始末なの
です。
教祖に係わった人々が、こんな状態で、なんたるこっちゃ、、、と思ったもので、大変悲しいことでしたよ。
さよみ氏などの人々はともかくとして、このスレッドに来る方々も、どうぞ、矛盾を抱えて、心を疲れさせないで頂きたいものです。
「優等生」になることなどはありませぬ。
矛盾を感じたらバン!バン!と吐き出すことが大切です。
矛盾で苦しむのも自分。
矛盾からスッキリシャンと、自分を解き放つのも、自分です。
自分の、学びと、勇気と、意思と、行動に関わっている、ただ、それだけのことです。
一生は短いものです。
私はこの間、ポ〜〜ンと生まれ出て、トロロ〜〜と育って、ハレ?と思ったらオトナになっちまったような感覚なのに、、、フト、思ったら、、、もう60を越えておりますがな。
棺桶に片足をスッポリと突っ込んでいる歳ですがな(^^)
人生、どのミチならスッキリ、シヤンとして過ごしたいもんですもんですがな。
- [399]まっぷ 06/09/27 15:06 J30GeR2Iy8
- とみ新蔵さまへ
人生、楽しんだもん勝ちよっ
と思って、結構、毎日好きな事をやらして貰っています。
でも、両親や、家族、友人達にも、楽しく暮らして貰いたいから
日々、気遣いを忘れないようにしています。
これからも、お話を参考にさせて頂きますので、
よろしくお願いいたします。
- [400]yoshio2028 06/09/27 17:52 Bgl4CZDyB4
- >>370 T.N.Doctrine さん
覚えていてくださって有難うございます。
自分なりに考えて今の会長の言葉には出来る限り力になりたいと思っています。
前会長は、今まで何事にも協力してきた私が、教会に参拝もしなくなった事に少しはこたえているかと思います。
今年、青年会の災救隊の訓練のとき久しぶりに会いましたが言葉を選んで話してるように感じました。
今は、たった一人においがけした妻と二人で自分たちのおみちを確立しようと頑張っています。
このサイトはとても勉強になり、応法の教理しか勉強しなかった私にとってとても新鮮で、考えさせられるものが有ります。
いろいろとご教授ください。
- [401]k 06/09/27 19:10 DpqfYkfCF1
- 次男さん。
よく解りました。
ですが、気づいたことが一点。やはり親神様の教えに対し、どうあるべきかを議論する上で欠かせないことは、親神様が説き聞かされた数々の教えを完全に理解していることが大前提で、自分はまだまだ教理も理解しておらず、教義も充分に学んでいないままこのスレの討論を見たせいで、無益に感じたのかもしれないこと。
まだ全く成人が足りませんね。。。
ただ、最近、ここ2年ほど前から、親神様の親心を知る度、教祖が自分たちのために自ら通ってくださったひながたの道を想う度、
自分は申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
おつとめができることの喜びを感じながら、本当に有難いと思いながら毎日のおつとめをしていない人は、果たして何人いるのでしょうか。。。。自分の全てを親神様の教えに反映しながら生きている人は、どのくらいいるのでしょうか。。。
親神様が、自分たち人間の親だから、こうして何年も何百年も子供の成人をお待ち下されている。それに甘んじていていいのかどうか。
最近、自分は自分のふがいなさでいっぱいになります。
そのせいで、ろくに勉強もできていないのに、大それた発言をしてしまったこと、お詫びしたいと思います。
まだ19ですが、教会長になるころには、
「なるほど、あの方が言うのであれば本当であろう」と言われるくらいの、「なるほどの人」になろうと思っている次第であります。
- [402]ミッチー 06/09/27 19:33 IMyqB.KDW3
- ( ;ェ・)フニさん・・・・?
- [403]T.N.Doctrine 06/09/27 20:11 J30GewpsfU
- >>397 とみ新蔵さん、
ご著書の「原初の仏教」と「中山みき物語」。
どこかで入手できる方法ありませんか?
>>398 >精神病に入っている人達の中で、宗教関係者では、天理教が一番・・・
見方を変えると、他宗が簡単に見放してしまう精神病患者も、天理教者は抱きかかえようと努力した結果とも言えないでしょうか?
それが色情因縁の結果だとか、金銭欲が積もり積もったためだから、因縁納消のため財産をはたきなさいだとか、そういった方向で正常を回復させようとされてきたかも知れません。
結果としてご守護を頂けたかどうか不明ではありますが・・・。
たびたび話題にさせて頂いて恐縮なのですが、例の墓地に葬られたお二人も、家族からはいくらか厄介者扱いされていたように思えました。
取り敢えず、教会に預けておけば・・・といったようなスタンスです。
こちらに真の救済能力もないのに、安易に引き受けてしまったのではないかという忸怩たる思いは今も残っているのですが・・・。
>>400 yoshio2028 さん、レス有難うございました。
教授なんてとんでもないですよ。
私もまだまだ勉強中です。
ただ、今思っていることを厚かましくも書き連ねているに過ぎないのです。
- [404]T・S教人 06/09/27 21:11 3DSRUS5xUl
- 教育テレビを見ていたら、地球上の生き物の歴史がありました。 途中から見たので解りませんが、百年祭の元の理館を思い出しました。今年のおぢばがえりで、親神様の守護シアターに行きました。
- [405]リラックマ 06/09/27 21:27 D-snzhw
- とみ新蔵さん、今回の投稿文を読ませて頂いて思ったのですが、ひょっとして八島さんの説は、とみ新蔵さんの著作に多大な影響を受けて書かれたものなのでしょうか?
私は、とみ新蔵さんの説を「八島系教理」であると、以前申しましたが、ひょっとして「とみ新蔵系教理」というのがホントの処なのでしょうか?
あともう一つ質問です。「飯田岩次郎文書」について、詳しく教えて下さいませんか?
とみ新蔵さんは、この前「人の役に立っていると実感出来ないと、生きていけない」と仰られていましたが、私も同感です。ここで談じ合いさせて頂いて、最終的にとみ新蔵さんのご意見に行き着くかどうか、それは分かりませんけど、私の役に立って下さい(^^)。
私の意見も、お役にたてばいいですけど(^^)。
- [406]リラックマ 06/09/27 22:21 D-snzhw
- T.N.Doctrineさん、とみ新蔵さん、組織というものは、それを維持しようとすると、「お金」が必要になります。
維持費がかかるのは当たり前で、それを教理として正当化して取り扱うから、このような矛盾が生まれてきたのでは?と、私は思います。
天理教として、もっともふさわしい、組織とは何か?T.N.Doctrineさん、とみ新蔵さんのお考えを聞かせて頂けないでしょうか?
- [407]次男 06/09/27 22:56 DUHkO8T6eW
- Kさん、世界の事情は、お道の事情でもあるのです。
世の中で起こっている全ての事柄は、お道の者に見せて下さっていると言っても過言ではありません。
「オウム」や「統一教会」等の問題が噴出した時、あれを一体誰に見せようとしておられたのか・・・「お道」は、「オウム」や「統一教会」と違うので「お道」でよかった、と言って終わってしまってはいけないのです。正にあれは「お道」の姿であり、見せて頂いたものなのです。
自分で思案する事、自分で責任を持って行動する事を忘れてしまっているとしたら、同じなんですよ。
神を見つめる事をせずに、上しか見ていないのでしたら、只「洗脳」されているのと、なんら変わらないのですよ。
- [408]とみ新蔵 06/09/28 03:32 qxQDfq.kOG
- T.N.Doctrine氏へ。
ハレ〜〜〜〜エ。ほんまにもう、、、。
リラ・マクックス氏などと同様で、貴殿の、様々な方々に対する、様々なお心使いには、ただ敬服するのみです。
もともとの、心の病の人を、天理教者が抱えたという理由は確かに、総理府の統計上では、社会には観えない処ですね。仰る通りです。
でも、親以来の信仰で、正常な人が、矛盾で、気の病になっていく姿も見聞しました。悲しいことでした。
「原初の仏教」は「名作」ではなく「名著」の誤りでしたワ(^^)
専門のお坊さんたちが、唸ったもので、今でも、世界の宗教界を、慄然とさせる内容だと思っています。
でも、受けませんでした、部数も少ないものでした。
また、読んだ人の理解も総じて浅いものに感じました。
今、世界は、宗教戦争の態をなしている部分が多いことを、だんだんと日本人も感じてきましたから、今、連載している「乱」の編集長が、どこからか入手して、この内容を理解したものか、部長さんとともにやって来て、名前をもっと、取り付きやすく変えて、年内には、リイド社から出版します、と言っています。
が、その時、一部加筆するつもりなのですが、このスレなどに、フイと入ってしまいまして、なかなか時間が取れず、まだ、書けていない有様なのであります。
何しろ職業病の腱鞘炎ですから、PCはブキッチョな左手のゆび2本だけで、やっていますので、時間が掛かってしまいましてなあ(^^)
コノ状態、ホンマです。
ああ〜〜スレ病患者やがな、、、身共の目、ブチコワレますがなテナもんです(^^)
だからPCはカミさんで内緒でやっています。
アレが二階に来おったら、PCのフタを、スッと閉めて「ア、今晩は、、」と、ウソブクのでございます(^^)
アレ、早く寝くさったらいいのに、遅くまで起きてやがるのです。
アレはワシの番人様かいな。
んなら、、ワシはアレのポチ君かいな?、、、。
ああ〜〜あ、一生、独身でいたかったわいなあ(^^)。
先日「中山みき物語」を、みちのくの分教会長が3冊持っていることを、嗅ぎつけましたヨ(^^)
この分教会長は、若い頃は「道〇社」の記者をやっていました。
見識、人柄ともに、スゴイなあ、、と思う人物です。
2005年に自主出版をして、送ってくれました本に、私は「ウ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ムウ」と唸って、震えました。
明治20年を語ると、この人の右に出る人はいないだろうなあ、と思いました。
いずれこの本を、御紹介したいと思いますが、、、。
「中山みき物語」はこの教会長に相談すれば、分けてくれると思いますが、、。
この人物のアドレスを、彼には無断で、ココに紹介致します。
だって、本の送り付にE mail アドレスが載っていますもん、、、。
fancifulfox@ybb.ne.jp
by とみのヒヒ爺オッサン
- [409]リラックマ 06/09/28 09:09 D-snzhw
- あたま丸くさん、こんにちは。
あたま丸くさんの所属されている集まりでは、いわゆる「お供え」「金銭」というものは、教理的にどのように解釈されているのですか?
T・S教人さん、こんにちは。
自分は、来月の大祭に久しぶりに「おぢばがえり」させて貰うのですが、年祭期間の特別な催し事というのは、大祭期間中もやってるんでしょうか?
また、T・S教人さんのお薦めの施設・行事などありましたら、教えて下さいませんか?
とみ新蔵さん、PC入力大変そうですね(u゚∀゚)。
本業の方も大切ですし、奥様に睨まれない程度に、無理なさらずにがんばって下さい!
- [410]はじめ 06/09/28 11:24 HnOg/Ezr8T
- こんにちは。
ここ数日見ることが出来なかったのですが、すごい投稿量で驚きました。
とみ新蔵さん。
なんだか、奥さんに隠れて楽しそうですね。
奥さんはとみさんの体を気づかって、うるさく世話を焼かれているのでは・・・子どもの明日を気づかって、早く勉強してしまいなさい!としかる母親の姿が目に浮かびました。
>>407 次男さんの
>「オウム」や「統一教会」等の問題が噴出した時、あれを一体誰に見せようとしておられたのか・・・「お道」は、「オウム」や「統一教会」と違うので「お道」でよかった、と言って終わってしまってはいけないのです。正にあれは「お道」の姿であり、見せて頂いたものなのです。
>自分で思案する事、自分で責任を持って行動する事を忘れてしまっているとしたら、同じなんですよ。
そうですね。
でも、これはお道のみならず、自分達の家庭、社会、直接関わる生活にも言えることだと私は思います。
自分の周囲に与えられた環境などなど、すべてそれぞれの心に与えられたものなのですし、見るもいんねん・聞くもいんねんで、最後は世話取りするまでのいんねんを見せて頂くことになると思案して、他人任せにせず、我が心の向きをしっかりと正して行きたいと思います。
「世界がおかしいのは○○がいるからだ、殺してしまえ!」「自分がうまく行かないのは、オヤジのせいだ。殺してしまえ!」・・・では、オオムのサリン事件と同じだと思うのです。
また、自分の心の醜さに面と向かった時に、精神状態をどれだけ保てるだろうか?と思ったりします。
- [411]k 06/09/28 19:54 DpqfYkfCF1
- 次男さん
ただ神を見つめず上だけを見つめるというのはどういうことなのでしょうか?
それは、「考える」事と「思案する」事のちがいなのでしょうか?
自分の周りに起こってくる全ての事は親神様からのメッセージというのは、一応に承知しているつもりです。
これはただ、洗脳の様に、そう言われたからただ信じるというのではなく、本当に周りに起こって来る事柄が、自分なりにいんねんのあることだと実感できているからです。
でも、別に、教えられていることを納得できていなくても、
親神様のおっしゃった事を鵜呑みに出来ることは良いことじゃないでしょうか?
それはおそらく「白紙の心」であることで、自分は良いことだと考えるのですが、、、、違うでしょうか。
ご指摘いただければ有難いのですが・・・
- [412]次男 06/09/28 20:38 DUHkO8T6eW
- Kさん、「白紙の心」も「素直な心」も良い事だと思います。
でも、その人の親方(上・カミ)が、自分の国の事だけを考えていたり、自分の会社だけ、とか自分の教団(教会)の発展だけを考えていたとしたら、いくら正しい事を言っていても、結果・殺し合いの戦争になる事もあるのです。
「素直」と言うのは、何も考えずに「ハイ」と言う事ではなく、「素・モト」に「直」る事で、いつも親神様を意識して、人が喜ぶ事、真に助かる事とは何かを、常に思案する事が大事なのです。
真剣とか真面目とか正しいとかじゃなくて・・いかに、嬉しいか、楽しいか、そんなウキウキ感、イキイキ感が大切だと思います。
- [413]yoshio2028 06/09/28 20:44 Bgl4CZDyB4
- 今日、妻が交通事故にあいました。交差点で止まっているところに追突されたようです。幸い怪我など無くすみましたが、今月の3日には車上荒らしに遭って、やっと車が直ったばかりなのにと心を痛めております。
この節は、どのように悟ればいいのでしょう皆さんの意見を聞きたく思いレスしました。
忌憚の無い意見をお願いします。
- [414]リラックマ 06/09/29 00:04 D-snzhw
- >>yoshio2028さん、こんばんは。
どなたもレスされてないので、事情諭しとかヘタなんですが、思う処を少しだけ…。
奥様は、お怪我がなくて幸いでした。「車」は、人と物を運ぶもの。何か運ぶべき処のものを運ぶように!という気がします。
己が「足」の身代わりが「車」なのかも知れません。
- [415]とみ新蔵 06/09/29 01:45 qxQDfq.kOG
- ]yoshio2028氏へ。
現代の車交通繁多時代には、誰しも、少なからず、事故はあるものですがな(^^)
現代の車交通繁多時代には、誰しも、少なからず、事故はあるものです。
だから、コレは何]yoshio2028氏へ。
現代の車交通繁多時代には、誰しも、少なからず、事故はあるものです。
だから、コレは神様の御意見なんだろか、お知らせなんだろう?「お手引き」なんだろう?とか、
どうじゃ〜〜、こうじゃ〜〜と、すぐに考えないことです(^^)。
おふでさきの中の「手引き、みちおせ」の意味をを勘違いしてはいけません。
それしきの原因は、思案すると簡単なことでしょうがナ(^^)
例えば、今、アフリカでは、一日に3万5千人の子供たちが、餓死していますね。
この子供たちは、前生で悪を為したから、神様から、あいつら、殺したろうと「お手入れ」を頂いて、餓死していくのでしょうか?
また、広島原爆では、一瞬にして、赤ちゃん、子供を含めて、10万人以上の方々が爆死しましたね。
当時、広島市内にいた人々は、全員、魂が穢れているから、親神様が「全滅させてやるぞ」と、お手入れなさったのでしょうか?(^^)
もしも、そのような、安易きわまる、アホな、悟りをした者がいたとしたら、これほど、冷酷無情で、反社会的な人間として、社会の笑われ者になってしまいますよね(^^)
でも実際に天理教の先生の中には、こんなアホな言動をした、タワケ者がいたのも、事実だったことを、ココでシカと!承知してもらいたいのです。
これは、神を根本から、勘違いしているわけです(^^)
- [416]とみ新蔵 06/09/29 01:49 qxQDfq.kOG
- では、アフリカの子供達は、何故餓死するのでしょうか?
「結果」には必ずその「過程」と「原因」というものがあるのです。
さて? 何が原因なのでしょうか?
なぜ?餓死するのでしょうか? なぜ? 何故?なのでしょう
か? チトしつこいですが(^^)
2年でも3年かかってでも、その原因を探索、研究してみてください。
その時、貴殿は、神(理)を観て、物事の裏も、表も見えてきましょう。
そして心も大きく救われ、世界に目を放ち、改善策を見い出して、勇み立つことでしょう。
その原因の、一部分にすぎませんが、私のブロブの「アフリカの内戦」のカテゴリをクルックすると、少し触れてあります。
hiratomi.exblog.jp
「みかぐら歌」の中の「やまい」というものを、決して、個人的な「病気」だけと、小さく捉えていては、教祖の「世界、一列みはらせど、、」の意味すらわかりませんぞ。
歴史の中で、生まれては、アブクのように消えてきた、どこにでも転がっているような、病気直しの、安モンの流行り神様教になってしまいます。
それでは教祖に恥をかかせてしまいます。
国家的なやまいが、戦争です。
地球的やまいが「神のからだ」たる、自然環境の破壊です
すべからく、諸々の身上、事情における、原因を探求しなさいというのが
「根を掘るもよう、なんで、して出ん」
というものです。
この根本原因を見つけ出して、改善策を考、講じてこそ「むほん(謀反、争う、戦争)の根を切ろう」という方向へ進めるものです。
根本から切りなさいよ、というものです。
それでこそ、陽気づくめ世界建設、私たちも世界も、いちれつに心、澄まわさせて、甘露台世界
(現代語でいうならば、自由、平等、平和の成就、皆が皆が、幸せな社会の建設<でも、生き物ですから、当然のこと、老・病・死はありまっせ(^^)>)
への用材(ようぼく)だと、考えていますが、如何でしょうか。
- [417]どん 06/09/29 08:11 i9pS2xep4Y
- >>413 yoshio2028さん、こんにちは。
逸話篇39に「ほしい人にもろてもろたら、もっと結構やないか」とあります。
また逸話篇21には「さあさあ、結構や、結構や」ともあります。
怪我がなくて、何よりだと思いますが、お悩みになるお気持ちも
よくわかります。
- [418]はじめ 06/09/29 08:57 HnOg/Ezr8T
- >>413
私は、交通事故と言う言葉から、心と心のぶつかり合いが思い浮かびました。
とみ新蔵さんが言われるように、第三者が「○○のいんねんだからこうしなさい。」と断言する事は私もあまり賛成できません。(でも、先日身内に「○○しろ!」っと言っちゃったんです。これは身内で今までの経緯があるから言える事なのですが。)
こうしたお諭しは、ケースバイケースで一概に「こうすべき」とは言い切れないと思っています。
「真実のお供え」と「理立て」も同じようなものだと思っています。
何よりも大切なのは、本人が自分の心を振り返り、反省、お詫び、心定めが出来る事だと思います。
その定め方も、定めた事が親神様の思いにそっておれば、回復なり好転する印をおみせいただきますが、違っておれば印がありませんので、再度材料を探して思案するという作業が必要だと思うのです。
この人に言われたからその通りにしておれば良い。前回はこれで助かったと形ばかりを追いかけると、とみ新蔵さんの言われるように、人を馬鹿にする安易な発言へとつながっていくように思います。
失礼いたしました。
- [419]ミッチー 06/09/29 11:00 g9VruNIoZd
- 便利屋さんは、便利屋さんとして、ちゃんといるけど、
神の職業は便利屋ではないんですけど?
勘弁してくれや。
- [420]T.N.Doctrine 06/09/29 22:26 V/ByAkHQCF
- >>413 yosio2028 さん、こんばんは。
皆さんがそれぞれに思いを込められた立派な発言をなされているので、蛇足になってしまうようで恐縮ですが・・・。
先日車を運転していると、一匹の野良犬がよそ見をしながら走ってきました。狭い道だったので車を止めてクラクションを鳴らしたのですが、間に合わず車のヘッドに頭をぶっつけて、キャイン、キャインと鳴きながら走り去っていきました。
こちらの車には何の被害もなく、野良犬としても軽い打撲程度だったと思いますが、可哀想というより、何とアホな犬がいることよと、つい笑ってしまいました。
これも交通事故みたいなものです。
で、どう悟らせてもらいましょうか?
こちらには落ち度も、被害もない。何かのお知らせとするのは、ちょっと無理があるようです。
一方の被害者である犬の方はどうでしょう。
人間様と違いますから、心使いが悪いということではないでしょうね。
野生の動物もしょっちゅう事故や怪我に遭遇するでしょう。天敵に襲われるのも、彼らにとっては事故の一種かも知れません。全ての生きとし生けるものは、好むと好まざるとに関わらず、そのような事態に巻き込まれるものなのでしょう。
野良犬の話に戻って一つ教訓を得るとすれば、よそ見をしていると事故に会う確率が高いということでしょう。それは人間様も同じであり、それが天の理なのでしょう。とみ新蔵さんもその辺りのことを語られているのだと思います。
まあ、そんな風にくくってしまうと実も蓋もなくなると思いますが、交通事故の場合で言いますと、過去の悪い心遣いの結果、こんなことに繋がったというより、日頃誰か彼かに突っかかって喧嘩ばっかりしている、といったイライラしいの人は、やはり交通事故も起こしやすいと思います。皆が落ち着いて、規則どおりに運転を心がけていれば、事故はめったに起こらないでしょうから。
ただ今回のあなたの場合は、突っかけられた方ですから、敢えて思案をするなら、そんなイライラしいの人と神様によってご縁を結ばれてしまった、他山の石としなさいよといったところでしょうか。(無理にそう考えなくてもいいと思いますが、何事も考えようによっては肥やしにも出来、喜びの種にできるもののようです。悟りの深い人はね。 エッ、私はとても出来ませんよ・・・と言って、逃げる(ご免なさい))
とみ新蔵さんの、「国家の病」「地球の病」、難しい課題ですねぇ。全て人間が起こして、人間はもとより、生きとし生けるものを苦しめている。多くの無辜の民、生命が奪われている。何故に?(とみ新蔵さんの言われる因果関係とは別の意味で)
超心理学者ユングの説によると、この世に生けるものは全て地上に現れたスギナの茎のようなもので、地下にある「魂」は地下茎のようにそれぞれが繋がっていると言います。
そのような考え方が可能であれば、我々一人一人は人類と言う種の、ほんの一枚一枚の葉っぱ程のものになるかも知れません。
個々の葉っぱに「非」がなかったとしても、種の中の魂総体に「非」があるならば、どこかの部分がその責を負わねばならないのかも知れません。
渇水期にいたると、多くの樹木が種を守るために、自らの枝葉の一部を枯死させてしまいます。
といったようなことを想起しました。
- [421]ミッチー 06/09/29 22:32 g9VruNIoZd
- >間に合わず車のヘッドに頭をぶっつけて、キャイン、キャインと鳴きながら走り去っていきました。
その書き方は、ちょっとでしょ。
動物は野生なんだから、危険はあるでしょう。
危険があるから野生だし、それで野生でいられる。
笑うのはちょっとどうかとは思うが、(って、書きかたがおかしいよ)
それで、野生なんだよ。
ペンギンとかも、過酷でしょう。
あまり、野生を人間が手を出して過保護にしても、それは、生態系がおかしくなるでしょ。
動物は大好きだよ。
でも、野生のそれは、野生の掟みたいなものでしょう。
そうやって、動物も進化していくと思うよ。
猿に生まれ変わったりするかも知れないしね。
- [422]ミッチー 06/09/29 22:39 g9VruNIoZd
- >自らの枝葉の一部を枯死させてしまいます。
神は悪魔を枯死させることすら出来ません。
オカルトかも知れませんが、神は悪魔を宝物だと・・・
ましてや、人間をなど出来ないのです。
- [423]ミッチー 06/09/29 22:41 g9VruNIoZd
- 人間も宝物なのです・・・
物という言い方は失礼でしょうか・・・・
いい意味で使っていますが・・・
そう 宝 です。
- [424]yoshio2028 06/09/29 23:20 2uHNsilFsO
- 皆さんいろいろなコメント有難うございます。
このサイトの方々のやさしい、人を思いやる心が非常にうれしく感じました。
事故の後、妻に私の弟でも有る会長に電話を掛けてどんなおさとしが有るか聞いて見たらと言い、妻は電話しました。
すると、リラックマさんと同じおさとしでした。教会に足を運びなさい。
私も、意地を張って教会が変わらなきゃ参拝等するものかと心に誓っていましたが、いざ妻までお手引きをいただくと、私の意地が自己中心的だったのかなと感じ、最低日曜の朝、教会に参拝しようと定めました。
事故の相手より29日の朝に電話が有り、話をしてると、お彼岸に墓参りできなかったので今日(28日)墓参りして帰る途中の事故だったそうです。
私も、7年前に9月30日に追突されて入院した事を思い出し、ドキッとしたところです。
私にとって、9月はあまり言い思い出が有りません。
天高2部退学になったのも9月、東京で補導されたのも9月、
事故で入院したのも9月、
あまり細かく書くと、私の正体がばれそうなのでここで止めます。
皆さんのレス本当にうれしかったです。
- [425]T.N.Doctrine 06/09/29 23:58 V/ByAkHQCF
- >>408 とみ新蔵さん、こんばんは。
レスが後先になってしまいました。
ご著書に関するお知らせ有難うございました。
早速、連絡を取らせてもらうことにします。
またご家庭のご様子、ほほえましく(と言えば失礼でしょうか)読ませてもらいました。
いずこも同じ光景で、「夫唱婦随」と言う言葉は死語になっているかも知れませんね。「夫唱不随」、「婦唱夫随(不承不承)」・・・これ以上書くと我が家の事情通から揶揄されるかも知れません。
しかし、奥様のお気遣い、伝わってきますよ。余り無理をなされぬよう!
私も今日あるのは、家内のお蔭です。(ヨイショ)
余計なことを書き込みました。
言及したかったのは、
>親以来の信仰で、正常な人が、矛盾で気の病になっていく姿・・・
確かに悲しいことですが、どの宗教にも矛盾めいたものはあると思います。制度においても、教理においても。
それを気に病んで、と言うのはサポートできる方に恵まれなかったのでしょうね。
制度上の矛盾は改善の道を探ることで解決出来るはずです。(それがいかに時間がかかろうとも) そのためには多くの仲間がいることでしょう。
教理上の矛盾に関しても、
例えばキリスト教でも、聖書には「誓うな」と説かれていますが、結婚式には神父なり、牧師なりの前でお誓いがなされます。
仏教も原初のものは別として、後からできたものが多くの矛盾を抱えていることは、とみ新蔵さんが一番お詳しいことだろうと思います。
ただ「矛盾」の中身が問題になりそうです。
真理そのものも、考えようによっては矛盾の中を泳いでいます。
時には「善は急げ」であってみたり、ある時は「急がば回れ」です。
我々は理屈では、地球が東に方へ向かって回転していることを解っている積りですが、実生活では太陽が東から昇るという感覚で生活しています。実際は矛盾なのに誰も矛盾とは考えていません。
先に私がグレーゾーンという言葉を使いましたが、信仰上の色々な領域でそういったことがあると思います。が、今は矛盾するように思えることも、時が来たらスッキリと腹に修まることがあるかも知れません。
そういったスタイルで焦らずに進みたいと思っています。
- [426]T.N.Doctrine 06/09/30 00:43 V/ByAkHQCF
- リラックマさん、こんばんは。
最近展開が速いので、レスが随分と後先になったりします。
目先の話題の方が、急がれるのかなと思ったりするわけです。
>>395 のお話。「オレは灰色や」と断言できるお父君、立派ですね。
またそのうち、私の抱えているグレーゾーンについてコメントさせて貰いますね。
>>406 う〜ん。難しいですね。
きちんとお答えするには時間がかかりそうです。
断片的なことだけ言いますと、封建的な縦組織ではなくて、もっとフラットなシステムにすることが必要だと思います。
専従者の給与制というのも一つの選択肢でしょうし、集められた浄財の用途に関して、もっと信者の意見を取り入れられる仕組みにしていくというのも検討されるべきでしょう。
ただどんなに立派な組織・制度を造った積りでも、それを運営する人間の側に欲の心を捨て去ることが出来なければ、腐敗はたやすく起こることでしょう。
今はこの辺りのところで勘弁して下さい。
- [427]とみ新蔵 06/09/30 00:59 YBzk86cANU
- ミッチー氏へ。
貴公はスレの文章を、アソビ心で読んでいますな、、。
文章の一部分の語句にこだり、その足を持ち上げての思案のように感じます。
N.Doctrine 06/09/29 22:26 の文章の、
表面ではなく、底に流れる、その言わんとすることを、深く、思案することが大切ではないでしょうか。
大切な、話をしていると、これは、よくあるのですが、
フト、例外などを言ったりして、揚げ足取りをし、何か、議論で勝ったような、自己満足の人を、まま、見かけることがありましょう。
話をしている人は、何事も例外のあることは、承知しているのです。
でも、まづ、何事も、総論、概論から物を捉えて語ることが必要で、そうしてこそ初めて、細部まで物事が、観えてくるものですよね(^^)
そのためには、ま、できうる環境があればの話ですが、
N.Doctrine氏の文を印刷して、何度も読んで、文章から、その意を、しっかり、思案することを、お奨めしたきものです。
また、「神」って、何ですか?
「悪魔」って何なんのことでしょううか?
意味は、人によって変わりましょうが、、この意味を、世界の思想、宗教歴史から、考察して、
ご自分で整理して、原稿用紙200枚の、論文にまとめてみればいかがでしょう。
言葉の使い方の難しさがわかり、それは同時に、貴公の資質を、さらに高め、物事が観える、きっかけともなり得るえましょう。
人生は、真理の探究、すべては学びです。
- [428]リラックマ 06/09/30 01:29 D-snzhw
- yoshio2028さん、他の方々の投稿を読ませて頂いて、自分の意見を気恥ずかしく思い、私の意見は無視して下さいと言おうと思っていたら>>244の投稿を読ませて頂いて、少しは役に立っているみたいで正直ホッとしています。(ホッとしたらダメかも知れませんが…)
私はあまり、布教活動をした事がありません。ですので現場をあまり知らず、はじめさんのように専業?でされている方のご意見を読ませて頂いて、やはり現場を知る者の意見という事で「なるほどなぁ、オレはちょっと思案が足りないなぁ」と思わせて頂きました。
入信の初代の方々のほとんどは、なんなりの身上事情からの入信だと思います。自分のように3代目などは、幼い頃から天理教に触れられる環境にあったため、あとから「ああだ、こうだ」と理屈を付けて考えてしまうのですが、教祖在世中の入信初代の方々は、身上事情を助けて頂いた喜び・感謝の心から、布教活動をされています。ですから、引き寄せるための身上事情というのは、間違いなくあると私は考えています。(とみ新蔵さん処の初代さんは、どうなのですか?)
しかし、入信後の身上事情に関しては、意見が分かれる処でしょうね。入信後の身上事情は、成人のための修理肥というのが、一般的な教理解釈ですね。しかし、とみ新蔵さんも仰るように、その全てが「神のご意見」ではないでしょうね。勉強になりました。
私は大型トラックで、主に九州〜関東を走ってますので、いろいろな交通事情に巻き込まれる訳ですが、その一つ一つに「いんねん」とか、「手引き」だなんて考えていませんしねぇ。事故が向こうからやってきて、一度到着が大幅に遅れた時でさえ、「ついてないなあ」とその時は思いましたし、ホントその程度です(>_<)。
- [429]リラックマ 06/09/30 02:02 D-snzhw
- 身上事情については、>>290で紹介させて頂いた『心の理、思うよう成ってくるが理』というのが、ヒントになるかも知れません。
しかし、世の中の戦争の被害者の方や、アフリカ難民の方などの事を考えると、『成ってくるが理』…、「う〜〜ん(>_<))」分かりません。まだまだ勉強することが、いっぱいありそうですね(^^)。
>>426T.N.Doctrineさん、ありがとうございます。グレーゾーンのお話、楽しみに待ってます(^^)。
なんだかんだ言っても、私はオヤジを尊敬しておりますよ(^^)。
とみ新蔵さん、灯台元暗しで「劇画中山みき物語」ですが、天理の仲間が持ってました!貸して貰える事になりました。楽しみです(^^)。
- [430]道の教職員 06/09/30 09:17 R5Qs.22EJK
- リラックマさん
>>395の記事で紹介されていた資料についてやっと読ませて頂きました。
史実を教団に都合のいいように解釈したり,史実にはないようなことを広めたりした
ということに対して怒りを覚えられたのではないでしょうか。
そういったことがどれほど行われているのでしょうか?私の手元にも経典,教祖伝の他,「おさしずを読む」など最近の著作も多数あります。
しかし,とみ新蔵さんやリラックマさんの資料やご意見を読むと,今出版されている著作や教典などの文章に書かれてある内容をどこまで心の拠り所としていけばいいのか
はなはだ疑問に思えてきます。だれが言っていることが史実に近く,だれが言っていることが偽りなのか,よく分からなくなっています…。
原典の資料が手に入り,そこで学ぶことができたらいいのですが,それ
がどこで手に入るのか全く分かりません。
今,一般の教会で解かれている教理の数々,理の親,お供え,教会の意義など
はほぼ教祖は語られていないと解釈してよろしいのでしょうか?そうで
あって欲しいと心から願っていますが,そうであるという明確な根拠が
いまいち分からないので,自信がもてません。しかし,感覚的に,それ
を教祖が言うわけないし,言っていた時点で私の中で天理教の教えは
意味をなさなくなるだろうな〜と思います。
とみ新蔵さんが言われるように教祖中山みきはものすごく偉大な宗教者であり,哲学者であり,実践家
であったのだろうと何となく思われます。そうでなければ,当時一農家
にいた婦人が現世まで影響を与え続け,私たちにこれほどまでの波紋を
投げかけているとは思えませんから。
次第に事実が分かり,教理の問題が明らかになった結果,異端といわれる方々と
同じようなスタンスになっても仕方ないな〜と私は思います。ただ,
異端として活動するより,今の天理教,天理教会を何とかしたいとも思います。
毎回ロング文章で申し訳ありません。
- [431]リラックマ 06/09/30 11:26 D-snzhw
- >>430道の教職員さん、こんにちは。
飯降政甚さんの資料に始めて触れた時は、「このバカ者どもが!なんという事をしてきたのだ!」という怒りが込み上げてきました。
しかし、今はちょっと違います。例の資料の伏せ字にさせて貰った二名の本部員さん、よく読むと非常に戸惑っている様子が、私には感じられます。
何処からああいう話が出てきたのかは知りませんが、本人は本人なりに、それが真実だと信じてきたのかな?と思っています。つまり、教祖の教えを正確に理解出来ていず、勘違いしたままあの時代まで生きてきた者の、ショック・反発を彼らの言動から感じます。
故に、飯降政甚さんの言葉を打ち消した…。甘い考えかも知れませんが、そんな気がします。しかし、一部の本部員に、利権にかられていろ/\と画策した者がいた事は事実です。それでも、大多数の本部員および教団内部の人々は、被害者であろうと信じています。いや…、信じたいです。
現在、いろいろと説かれている教理・解釈ですが、正直言って、私は教祖が仰られていないものがほとんどではないか!?と考えています。
天理教草創期の高弟の、その勘違い・教えの理解の低さ(だからこそ、教祖は教えを説く時に『私が言うた事以外は説くな』と仰せられたのでしょう)が、小さなほころびがここまで大きくなってしまった事の、根本的原因ではなかろうか!?と思えてなりません。
教団内部の人々へ言いたい事は、ほころびはやり直しがききますよ!という事です。やってしまった事は、仕方がないです。やり直せばいいではないか!、と思います。しかし、やり直さないのであれば、ほころびは修復不能になってしまいます。
教団は、一から出直しとなるでしょうね…。そう思います。
- [432]道の教職員 06/09/30 11:51 R5Qs.22EJK
- リラックマさん
早速のお返事ありがとうございます。
>勘違いしたままあの時代まで生きてきた者の、ショック・反発を彼らの言動から感じます。
なるほど,本部員の先生方も困惑されているのですね。先代たちの過ちは過ちと認めて,再度,事実に基づく解釈を提案されたらいいのにな〜と思います。真実は一つしかないのではなく,解釈が成立すればいくらでもあるというスタンスの方が考える意味があるし,教えとして懐が深いと思うのですが。どうも宗教は答えを一つに求めがちなので,息苦しい感じがします。答えなんて人の数だけあっていいとおもうのですが。
>現在、いろいろと説かれている教理・解釈ですが、正直言って、私は教祖が仰られていないものがほとんどではないか!?と考えています。
もしそれが事実だとしたら一体何をもって天理教を信じればいいので
しょうか?教祖の言われたこと,教えの本質は一体どこにあるのでしょうか?私にはさっぱり分かりません。ただただ感覚的に天理教の教えや
教会の現実のあり方には問題があると思っていて,こうあったらいいな
というレベルでしか考えていないので,どうやって学ぶか困ります。
>教団内部の人々へ言いたい事は、ほころびはやり直しがききますよ!という事です。
その通りですね。間違いは間違いとしてすなおに認めるのが天理教らしいですよ。うそと追従を教祖はお嫌いなのでしょうから。
まずは天理教内にあるカースト制度のような縦の関係を何とかしたいです。なぜ親の言うことを子どもが聞くのが当然という雰囲気,親が一番という雰囲気があるのでしょうか?理の親に関する議論の再燃かもしれませんね。勉強不足をお許しくださいませ。
- [433]リラックマ 06/09/30 13:02 D-snzhw
- >>432う〜ん、難しいですね(>_<)。お住まいは、関西でしょうか?そうなのであれば、天理大学附属図書館が最適です。所属されている本部直属の教会長に、「天理大学附属図書館貸出証作製願」だったかな?それを提出して印鑑を頂いて、図書館に提出すれば、貸出証を作って貰えるはずです。
それで、一度に3冊まで本を借りれます。お薦めは大正〜昭和初期と、昭和二十年終戦直後の雑誌・書籍類ですね。それはなぜかというと、一番上の顔色を伺わずに、自由で活発な意見が飛び交っているからです(このスレの雰囲気に近いものさえあります)。ただし反教文献扱いの本は、恐らく閲覧さえ出来ないと思います。
お薦めは、大平良平の『天理教教理より観たる 人生の意義及び価値』という本です。いずれ、一部をこちらで紹介させて頂きますね(^^)。
- [434]道の教職員 06/09/30 13:17 R5Qs.22EJK
- リラックマさん,どうもです!
天大図書館に大正〜昭和初期の文献があるのですね〜。ちょっとやそっとではお目にかかれない文献ですね。
でも,分かりました。図書館に行けば文献があるのだったら,いつかは
そこで勉強してみたく思いました。
私は,関西地方ではないですが,そんなにおぢばから遠くないところに住んでおります。
当面は,今までの教えや本の中から,自分が気に入った部分を信じて,
がんばっていこうと思いました。これからも勉強させてください!
- [435]リラックマ 06/09/30 13:59 D-snzhw
- >>432「理の親」制度に関しては、草創期の高弟の方々が、当時の旧道徳観念をそのまま踏襲してきた事に依っていると思います。
前出の大平良平の著作より、一部紹介させて頂きます。
※第二章 天理教と平等主義より〜
天理教の平等主義の今日一派の社会主義と異なる点は、人為的に現実の階級を破壊し、貴族も平民も富豪も貧民も打して一丸としようとするのではない。言い換えれば、有てるものより奪って有たざるものに与え、もって形式的に全人類を平等化せんとすのではない。天理教の平等主義は、今日人間と人間との間に存する階級の区別は、元来人間と人間との人格的相違にあることを自覚せしめ、長い間の努力の後その人格を平等化し、その結果として全人類の運命を平等化せんとするにある。即ち之れを今日一部の過激なる社会主義と比較すれば、その達する所の結果は或いは同一であっても、彼の如く一時的でなく、彼の如く皮相的でない。更らに永久的にして、更らに一層根本的である。
元より天理教の平等主義は、之れを今日の社会に直ちに実現することは出来ない。何故なれば天理教の平等主義は、単なる物質的形式的の平等化が理想でないからである。天理教の平等主義は人格的平等主義であって、運命の平等化の如きは人格的価値の平等化せられた結果に外ならないからである。
- [436]道の教職員 06/09/30 15:20 R5Qs.22EJK
- >>435の大平良平の引用ですが,これと理の親との関係ってつまりこういうことでしょうか。
天理教の平等主義から考えると,人格的価値によって階層ができる。
上級教会の人たちは人格的に優れているからそうなのであり,下級教会
ならびにその他の人々は,人格的価値が低いから今のような立場にある
ということ。したがって,上級教会,本部員の方がすばらしく,下々の
者はその方々の言うことに従うのが当然である。こんな感じでしょうか。親に当たるのは,何も上級だけではなく,天理教に導いてくれた
人全般となるのでしょうか。
もしこんな解釈が成り立つのなら,全く無意味な階層ですよね。
なぜ人格的価値と実際の教会の序列関係が同等なのでしょうね。場所と
人との間になんらかの関係があるとでもいうのでしょうか。部落問題と
似たようなものを感じてしまいました。
そうなると,導かれた人が導いた人を追い抜くという可能性はもうない
ですよね。だって,導いた人はその人にとってずっと理の親なのですから。
親の言うことは人格的価値から言うと高い所からの言葉なので,したがうべしというのでしょうか。この辺りがよく分かりませんが,何となく
そんな気がしてきました。
もう少し理の親について教えていただけるとありがたいです。
- [437]リラックマ 06/09/30 16:38 D-snzhw
- >>436そういう意味ではありません。大平良平が言いたいのは「心の平等化」、つまり全人類の「総白いんねん化」だと思います。また、服従するのは「理」に対してのみです。「理」とは「この世のことわり、自然の法則」であり、心の自由を許されている人間は、理に逆らうことも許されている存在なので、その者が理に添っているならば従うべきだし、理に添っていないならば、必ずしも従う必要はないと思います。
全人類がその心になれば、あらゆるいんねんは末梢されて、その現われてくる姿、成ってくる姿は平等になりますよ、という意味だと思います。
道の教職員さん、すみません。今から東京に出発しないといけません(>_<)。
私の意見が役に立てばいいですが、後は皆さんのご意見を参考になさって下さい。ヒマをみて投稿させて頂きます。それではm(__)m
- [438]これ 06/09/30 21:20 .mUGMlLD7V
- さよみさんが久しぶりに投稿されましたが、リアクションがあまりに少ない(とみ新蔵さんだけですか、ピンとこないのかな?)ので書き込みます。
『確かな教理理解のために』の感想ですね。
私は、この本の中で批判されている二冊とも存在は知っていましたが読んでません。興味がなかったからですが、この二冊は一個人が勉強して解釈を発表したにすぎないと思っていました。事実誤認や推測等は混じり得ると思いましたし、その箇所が多かったとしたらお粗末な本ということなのでしょう。この『確かな教理理解のために』は、細かく反論されているので読みやすかったです。つまらない感想ですみません。こんなところです。
- [439]梵 06/10/01 06:19 4MJxhXDZ5C
- リラックマさんにお願いがあります。今一度飯降政甚さんの資料を公開して頂けないでしょうか?もしくは以前のどこに公開されているのかお教え頂きたいのですが?すいません
- [440]リラックマ 06/10/01 07:19 D-snzhw
- 梵さん、こんにちは。
飯降政甚さんの資料は、このスレの>>263-267に公開させて頂いてます。失礼します。
- [441]T・S教人 06/10/01 09:13 AlsBCRSTrC
- リラックマさんへ 遅くなりましたが、親神様の守護シアターは、私がおぢばに帰ったら絶対観たかったんです。子供たち(4才女の子.6才男の子)に伝えたかったし、いい機会でした。さいしょはちょっと怖がりましたが教えてあげたら『すごいね』と言いながら見てました。詳しくは『ホームページ』に行ってください。他にもありますよー。
- [442]リラックマ 06/10/01 10:12 D-snzhw
- 事故渋滞で時間が出来たので投稿させて頂きます。
>>441T・S教人さん、ありがとうございます。参考にさせて頂きます(^^)。
道の教職員さん、「理の親」ですが、世の中の過去・現在を鑑みて、「理」を完全に体現しきった人間は、果たして教祖以外におられたでしょうか?
たぶん、おられないでしょう。「ひながた(雛形)」とは「理の雛形」であり、それ(理)をこの世の中で只一人体現しきった人間が中山みき様なのです。で、中山みき様の魂とは「いざなみのみこと」様ですね。
だから「理の親」ですね。(ここは、他にも意味合いが含まれていると思います)
上級教会とか、本部員とか関係ないです。そんなもの「理の親」ではありません。「理の親」は、教祖ただお一人です。
- [443]T・S教人 06/10/01 10:41 AlsBCRSTrC
- リラックマさんありがとう。「理の親」はおやさまお一人ですね。 『理』『理の親』『親』会長さん奥さん貴方のことではありません。
- [444]T・S教人 06/10/01 10:53 GoRGEoUS
- 「親を喜ばせなさい。」ってよく言われますが、私は親神様おやさまが大好きです。毎日感謝です。喜ばせてることになら無いのでしょうか。アホみたいなことでごめんなさい。
- [445]T.N.Doctrine 06/10/01 15:36 V/ByAkHQCF
- >>430 道の教職員さん、こんにちは。
展開が速いので、追いつくのが大変です。
あなたらしくない、迷われているような?書き込みが見えたので、ちょっとだけコメントさせて貰いますね。
幕末、適塾(だったかな?)の俊英が、ある西洋文明思想の書について、塾生に講義をしていた所、黙って聞いていた坂本竜馬が突然、「それは訳が間違っている」と言い出した。語学力のない竜馬がそんなことをと、訝しげにその秀才が見直してみると、やはり自分の方が間違いであったことに気が付いた、という有名なエピソードがありあす。(細部については忘れてしまったのですが)
竜馬は西洋思想の何たるか、大筋を把握していたということでしょう。
翻って、お道の原典の解釈についても同じようなことが言えるかも知れませんね。
偉そうな言い方になって申し訳ないのですが、「心で読んでいけば解る」といったようなことを誰かが言っていましたっけ。
また私には、今のあなたのようなお考え、人の為に努力されようとしていることだけで、「道の用木」としての基本が既に備わっているように思われますので、瑣末なことに右往左往される必要はないと思いますよ。
それが些細であるかどうか見解が分かれるかもしれませんが、とにかく末梢的な事実がAであれ、Bであれ、どちらでも対応できると言う心の余力を持ちたいものですね。
それから、とみ新蔵さんの様な方がこちらに来られ問題提起されて熱い討論に発展して来ていると思いますが、ひょっとしたら本当に何かが動き始めているのかも知れませんよ。
もちろん、「動けば、動く」を確かなものにするためには、我々も一層動いていかなければならないのでしょう。
そのためにはここに集まって来られている、道の先を案ずる有為の方々が、単に語る人に留まらず、行なう人として周囲の支持・賛同が得られるような日々を通っていくことが求められているかも知れません。
(自戒を込めて)
- [446]リラックマ 06/10/01 16:18 D-snzhw
- >>444T・S教人さん、親神様・教祖に感謝することは、それだけで立派なひのきしんだと思いますよ(^^)。
>>445T.N.Doctrineさん、道の教職員さんがああいう反応をされたのは、たぶん「理の親」の解釈について相当苦しんでこられたからだと思います。私が、「逸話篇をごみ箱に捨てろ」と言われて、過剰に反応したのと似ています。たぶん、道の教職員さんにとっては、根っこをグラつかせる大問題なんだと思います。
私も大平良平の文章を紹介するにあたって、前後を省いて要所だけ掲載したつもりだったのですが、誤解を与える適切でない紹介だったな、と反省しています(>_<)。
- [447]T・S教人 06/10/01 16:36 AlsBCRSTrC
- 「世界ろくじにふみならす。」解釈お願いします。
- [448]リラックマ 06/10/01 16:55 D-snzhw
- 道の教職員さん、>>435で紹介させて頂いた大平良平の説について、もう少し砕いて解説させて頂きます。
※天理教の平等主義は、今日のいわゆる社会主義とは違い、形式的に平等化するものではない。人間の心が「理」を体現する力が無い状態で、無理に平等化しても長続きはしない。今ある社会のあらゆる格差は、長い時間をかけて、人間が「理」を体現出来る力がついたならば、自然になくなり、平等な社会になるのである。それこそが、無理がなく、永久的な、天理教の平等主義というものである。
以上ですが、格差が無くなると言っても、もちろん組織として動く上の持ち場・立場というのは無くならないでしょうね。
どんな組織になるのか?
それは分かりませんが、その辺も皆で談じ合えればな〜と思います。
- [449]リラックマ 06/10/02 09:34 D-snzhw
- T・S教人さん、「ろくじ」は大和ことばで、確か「平地」という意味です。世界を平地に踏みならすとは、「高山(上流社会、高慢な心など)」や「谷底「下層社会、嫉妬など)」を踏みならして平等な社会を造る、という意味です。
- [450]道の教職員 06/10/02 09:41 R5Qs.22EJK
- リラックマさん
お忙しい中,丁寧に答えて下さりありがとうございます。
>>437 「理」とは「この世のことわり、自然の法則」
ということも納得です。この世界には何らかの法則があって生命が
成り立っているというのは科学者のみならず,宗教者や一般の方々でも
納得できることだと思います。近代哲学から生まれた自然科学がその最たるものでしょうね。
>>442 「理の親」が教祖ただ一人である
このことにも納得しました。この世のことわりを自ら体現し,実践せしめた方は様々にいると思います。世に残る偉人という方々の中には,
そういう方が多いのではないでしょうか。
ただ,教祖の体現された「理」というのは偉人とは少し違うような気がします。
なんというか,人間の本質というか,生き方というか…。自然科学では
証明できない,複雑な要因が絡む人間社会の中でも通じる一般法則のようなものを
示されたと思うのですがどうでしょうか。
それを教祖のひながたと呼ぶのでしょうが,そのひながたが今,道友社
から発行されている書物などで読んだままなのでしょうか?もしかしたら
とみ新蔵さんが出されている漫画にはそういったものとは違う教祖の
ひながたが綴られているのでしょうか?私は今までの議論を何となくし
か読んでいませんので,みなさんの議論を戻したり,混乱させたりしているかもしれません,申し訳ないです。
ただ,自分の問いとこの掲示板で議論されていた内容とが非常に似ているので
少し追求してみたくなったので投稿させていただいております。
>>445 T.N.Doctrineさん,おはようございます。
昨日が日曜参観日なので今日は平日休みです。が,仕事が山もり…。
さて,>「道の用木」としての基本が既に備わっているように思われますので、瑣末なことに右往左往される必要はないと思いますよ。
というご意見ありがとうございます。私はまだまだ未熟です。用木というより幼木です。
私はお道の教えが…というよりも一般的に言われている常識や事実から
出てきた教訓などに基づいて行動している場合も多々あります。しかし,一番の根本,つまり,なぜ人は生きるのか,何を目指しているのか,
なぜ自分が生きているのかと問うた場合,やっぱり行き着くのが宗教で
あり,自分が育った天理教の教えなのです。
教育をしていく場合,どんな人間を育てたいのか?という問いは必至です。
なぜなら,それなくして子どもの成長はないと思うからです。保護者の目や周囲の教師の目ばかり気にしていては,子どもの成長とは関係のないことで
右往左往しなくてはならなくなります。そうではなく,どんな人に育てたいのか
が明確に定まってこそ,日常の全ての活動に影響を及ぼすのだと思います。
だから,教えにこだわり,一体に教祖が何を説かれたのかを知りたく思うのです。
そこがぶれると全ての教育活動にぶれが生じてきます。私の意識しているレベルでぶれが生じると,無意識で行うことはかなりぶれてくるはず。
そして,子どもはこの無意識の教師の価値観や意識を読み取るのです。
なぜだか分からないけど,微妙な表情や言葉,ふるまいなどから,その
教師の人間の奥にある「何か」を読み取るのです。その能力は大人の比
ではないと私は思っています。子どもはその人間を映す鏡だと思います。
その人間が意識しようとしまいと育てたように子は育つのだと思います。
何度も言うようですが,だからこそ根本のところをしっかり修めて,
子どもの目に,心にモデルとなりうる人間性を焼き付けたいと思うのです。教師は「生きる教材」だと私は思います。
私という教材を通して,人間の真実,あるべき姿が見えてくることを
願って日々の教育活動を行っているつもりです。しかし,現実には
修行不足,人間性の未熟さから様々な問題を抱えていますが。
そんな思いで今回,「理の親」についてお尋ねしました。天理教の教え
についても追求したくなりました。やっぱり人間的成長を促してくれる
のが天理教の教えだと思います。その本質を知りたくて…。教えに対して
あまりにも現実の教会制度が貧弱というか,言葉通りになっていない姿に
あきれてもいます。これはやはり教祖の言葉がどこかでおかしな方向にねじまげられた
からでしょうか。それは分かりませんが,もっと自由に,楽しく生きていける
天理教であって欲しいと心から願います。
- [451]道の教職員 06/10/02 09:59 R5Qs.22EJK
- リラックマさん
>>448の大平氏の文献解釈ありがとうございます。社会主義との対比で
天理教の平等という概念を説明されているのですね。
物質の平等ではなく,「理」をおさめた心の平等をというのが違い
として理解されました。
ただ,それってすごく難しいことですよね。人間がいるところには
格差が必ずでてくるのですから。正規分布っていう言葉が統計用語に
あるのですが,何を測ったとしても,できる人,できない人,の差は
山のような形になって出てくる。それをしっかり心におさめた上で,
それでも人間としてはお互いにすばらしい存在だというのを頭だけではなく,体に染み付ける
というのが必要だと思いました。それが心の成人ということなのでしょうか。
私は学級という集団内でその「ろくじ社」会を作り出そうと尽力しています。
学級は一つの社会集団だと思っていますから。しかし,それは容易ならざることです。
子どもたかだか30人でさえ,それを作り出すのは難しい。まして人間一般なら…。
できない子ができる子に支えられる。できる・できないという垣根を越えて
子どもが交流し,お互いを認め合える。差別的な物の見方や言動を戒め,
力関係を平等にするなどをねらっていますが,現実的に子どもが無意識に
作り上げるムレとしての集団,つまり,力関係,権力関係によって
形づくる集団の強さ・しつこさをまざまざと見せ付けられています。
学級内でその集団性を壊せるのは教師だた一人なのです。もしかしたら,
学級を地球に見立てると,地球内にある権力による集団性を壊せるのは
教祖ただお一人なのかもしれませんね。教祖という教師によってこの地球が
指導されている。しかし,その言葉がうまく伝わらない。伝えられていない。だからおふでさきを残したのに,そのおふでさきは難解で…。
しかもおふでさきの内容が当時のままかどうかも怪しい。教祖の思いは
一体どこにあるのでしょうね。
それを探求しつつ,その答えをはっきりと示した書物などあるはずもなく,学級レベルでろくじに踏みならせる教師にも今のところお目にかかったことが
ありません。必ずどこかに権力構造があるのですから。
ということで,私は学級という一社会集団を相手にろくじというものの
体現を願っています。教祖がされたこと,ひながたはまさに集団を作る
上で,人間として成長させるうえでものすごく大切なのではないかと
感覚的に思います。この掲示板でさらに議論できたらと思います。
- [452]リラックマ 06/10/02 16:19 D-snzhw
- 道の教職員さん、すごいですね!あなたの情熱を感じました。
この教師受難の時代、これだけの情熱と、高い志とをもって教育に打ち込まれるのは、パワーのある人間でないと出来ませんよ(^^)。応援します!がんばってください!ぜひ「ろくじ学級」というものを、作り上げてほしいものです。
もし、それをホントに作り上げる事が出来たならば、「陽気づくめ社会」のモデルになるかも知れませんよ!
尊いお仕事ですねぇ(^^)。
>>450教祖伝に関しては、正直言って、私もまだはっきり「こうである」という確信を持って語る自信はありません。
だからこそ、このスレに訪れて、談じ合いの中から真実を探りたいのです。ホントに色々な立場・持ち場の方々が集まられていますので、時にショックだったり、時に勇気付けられたりしています(^^)。
道の教職員さんには、ヤンキー先生で有名な吉家先生?みたいに、いい先生になってほしいですね(日曜日の深夜のAMラジオ、毎週聞いてます)。
私のおじさんに、現役を退いた元教師の方がいます。もう七十を越えているのですが、今だに元生徒たちが「先生」「先生」と訪ねてくるそうです。そんな先生になって下さいね(^^)。
- [453]道の教職員 06/10/02 18:26 R5Qs.22EJK
- リラックマさん,こんばんは!
今日はせっかくの平日休みだったのに,昼寝をしてしまい,
やろうとしていた仕事の半分しかできませんでした…。
さっきようやく目覚めて今から活動再開です。
少し大げさに書き込みをしてしまったな〜と少しはずかしくなりました。
しかし,本音に近い部分なのでそれはそれとして大切にします。
ろくじ学級,いい名前ですね〜!それを目指して,実現させます。
しかし,現実の学校現場ではろくじなんて程遠いものです。学級崩壊な
んか,教師と子どもとの関係まで崩れてしまうのですから。
そんな中で子どもも教師もお互いに傷つけあい,しんどい思いを抱えて
生きていくのです。一年間をカウントダウンして生きるってどれほど苦痛で
しんどいか…。泣きながら,必死にがんばる先生を見ているとなんとか
したい!って思いがでてきます。子どもにとってはどれもいい経験になる
のでしょうが,学級が崩れると,ろくじの反対方向に進みだすと,いじめや不登校といった問題が出てくるものです。
いじめは権力構造があるところには必ず出てきますよね。一つの集団
バロメーターだと思っていいと思います。だれかが不満を抱えている,
満足していない集団において,必ず発生する一つの「理」だと思います。
そんないじめとか学級崩壊をぶっ壊そうと,日々研鑽に勤めています。
天理教のお勤めはあまりしていませんが…。
義家先生は私も存じ上げておりますが,大変な熱意と目的意識をもたれて教育を行っていた先生ですよね。
最近では,天理大学で講師をされている原田隆史先生というカリスマ体育教師も
すごいな〜と思ってその著作を読んでいます。
原田先生は元大阪府の中学体育教師です。義家先生は私立の高校教師でしたよね。
原田先生は中学教師を辞めて,今は天理大学の講師をしつつ,企業で
人材育成の講演などを行っています。なぜ天理大学なのか私は分かりませんが,
いい先生をつかまえたな〜と思いました。
お道の方ではないと思いますが,一般の方の中にもお助け心にあふれる
方はたくさんおられますよね。
>>452での教祖伝に関するコメントですが,リラックマさんにおいても
そのような認識をおもちなのですね〜。少々驚きました。
私ももっともっと天理教について研鑽を深め,自分の教育観の拠り所に
したいと思っています。ゆくゆくは天理教の教えと教育活動について
自分の実践やらを述べてみたいものです。
何が真実かは分かりませんが,少なくとも,現実の世界,日本社会は
法律やら制度の面で,ろくじ社会から遠くなっているな〜と思わざるを
えません。格差社会なんていう言葉が象徴しているようにです。
ただ,制度面だけではなく,心の成人を願っているのが教えなのだと
思います。どの方向に成人し,どうなっていくことがろくじ社会へと
つながるのか思案していきたいです。
- [454]孔子 06/10/02 22:16 n/wbxjYRq/
- おしえてください
創価は朝鮮宗教というのはネットで目にしましたが
幸福の科学はどちらの勢力ですか?
- [455]リラックマ 06/10/03 02:28 D-snzhw
- >>453道の教職員さん、別に驚くことじゃあないですよ。当たり前です!私のような三十半ばの若造が、たかだか十年〜二十年勉強したくらいで教祖の事がわかった!なんて言ったら、ベテランの先生方に怒られますよ(>_<)。
教祖は「この道は、年が寄ればわかってくる」なんて言われています(手元に資料がないので、正確なお言葉ではありません)。「年限の理」というのが、このお言葉の事でしょうね。
しかし、「五十、六十は、まだ子供」というお言葉もあります。その当時は、これくらいの年令で亡くなる方が多かったので、信者さんが「私はもう年寄りですから」と言った時に、このお言葉があったと記憶しています(現代に教祖が肉身でおられたら、きっと「七十、八十は、まだ子供」と仰るでしょうね)。
だから、四十の時の「教祖観」と、七十〜八十の時の「教祖観」は、きっとかなり違うものになるだろうな〜と思います。
教祖の教えの奥深さは、根を掘れば掘るほど、あまりの深さに愕然となるかも知れませんね。そう思います。
ヤンキー先生は、「義家先生」なんですね(>_<)。ありがとうございます。
その天大の原田先生という方も、なんだか気になりますね〜。
あと、いじめも「理」とは成る程ですね。「この世は理でせめたる世界なり」と、おふでさきにもありますからね。
いじめは、いじめられる側が発する何らかの波動に対する反動だと思います。
お互いの波長が合わないと、反発してしまうんだと思います。いじめられっ子が発する、独特な波動の特性を研究してみたら、何らかの対処法が見つかるかも知れませんね。
- [456]T.N.Doctrine 06/10/03 21:39 V/ByAkHQCF
- >>450->>453 道の教職員さん
あなたの高邁な求道精神と問題意識の深さに敬服して居ります。
>>445 の私のコメントなど、慰め程の意味もなかったですね。
ちょっと安易過ぎました。申し訳ない。
実際の教育現場の厳しさと、それに携わっている方々のご苦労の程、お察し致します。
またあなたが子供さん方の教育に心を砕かれ、丹精されている姿も、「用木」のあり方そのものでしょうし、教祖も温かい眼差しでご覧になっているのではないかと思えてきます。
本題に入りますが、
概して、制度そのものが変わっても、それに関わる人間の心が変わらなければ、新たな格差、差別は生み出されてくるものなのでしょう。
大平良平氏の言わんとするところの、人格的価値の格差が現実社会での階級的格差に繋がっているのだから、人為的に現実的格差をなくすのでなく、人格的価値の平等を図るべきと言う思想は理解できなくもないのですが、ご指摘のように現実的格差を過去世の心遣いの結果として、運命論的に容認されてしまう可能性は出て来るでしょう。
事実、教団内においても、そういう論理(例えば徳のあるなしという論理)で階層社会を理解している向きが多いと思います。
この論理がまかり通ると、例えばカースト制度でさえ容認される様な、大平氏の思惑とは正反対の理解に進む可能性があり得ます。
誤解に至らないように、まずもって人格とは何か?人格的価値とは何か?について、もう少し深く思案されるべきだと思います。
さらには平等とは何かについても精査されるべきです。
体の大きい者と小さい者に、食料を均等に与えるのが必ずしも平等とは言えないでしょうし、各人の好みを無視して平均に分配すると言うのも、物質的平等ではあり得ても心の平等にはなり得ませんね。
「平等」と「公平」の兼ね合いも難しいところです。
人が皆、心の成人を図ることで、将来的に差別のない社会を目指すのは理想としても、当面の対応として、お互いが現実の違いを直視した上での、「助け合い、補い合う心の養成」が求められているのでしょう。
そのための論理として、子供たちには少し難しいかも知れませんが、我々個々の体力・知力或いは社会的関係でさえ、神様からのかしもの・かりものであり、その中で我々はロールプレイングをさせて貰っているのではないかという思想を、うまく伝えていければいいのではないかと思うのですが・・・。
- [457]孟子 06/10/03 21:56 n/wbxjYRq/
- おしえてください
創価は朝鮮宗教というのはネットで目にしましたが
幸福の科学はどちらの勢力ですか?
同じく朝鮮というのもネットで目にしますが根拠がわかりません
どなたかおしえてください
- [458]道の教職員 06/10/04 00:04 R5Qs.22EJK
- >>455 リラックマさん
30台半ばなのですね!私は20台後半です。もうすぐ三十路かな〜。
ってなくらいです。お道では年齢が近い先輩ですね!今後ともよろしくお願いします。
教祖観が変化するというのは,こちらの年齢によって考え方が変化する
ってことなので,理解できます。今の教祖観とこれから先の教祖観は私も変わるだろうと思います。
>いじめられっ子が発する、独特な波動の特性を研究してみたら、何らかの対処法が見つかるかも知れませんね。
いじめられっこはそれなりの理由があることがしばしばです。勉強ができない,
運動が苦手,服が汚れている,汚いことも平気でする,いじいじしていて
何を考えているのか分からないなどなど。
でも,それだからいじめてもいいということにはなりませんよね。
それはその人の特徴であり,その人らしさなのだから。そこを理解しあえる
ということが大切なのだと子どもが子どもなりに理解してくれたらと
思います。
日々,子どもが問題を起こしますが,それを親や周りの環境,育ちの
原因にしてしまうことで,教師の成長が止まると読んだことがあります。
人が成長するためには人のせいにしていてはいけないのかもしれませんね。私も
自分で教祖のことを追及し,納得していけたらなと思いました。
- [459]道の教職員 06/10/04 00:12 R5Qs.22EJK
- >>456T.N.Doctrineさん
大変偉そうなことを書いてしまったな〜とはずかしく思ったのですが,
たまにはそんなこともいいかな〜とも思い,書き込みました。
高慢なところが自分にはあるので自戒の意味もこめて,ほこりをはらい
たいと思います。
申し訳ないなんてとんでもない!むしろ,コメントをしていただき,
自分の問題意識とか考えとかがはっきりとしてきました。ありがたい限りです。
子どもが成長するようにと願っていますが,その願いと子どもの現実とでは
大いに違いますから,理想と現実とのギャップにいつも参っています。
>当面の対応として、お互いが現実の違いを直視した上での、「助け合い、補い合う心の養成」が求められているのでしょう。
差別をなくすのは本当に難しいことです。格差も同様。何をしったって格差は出るのですから。
でも,それを認識した上で助け合える,補い合える心に成人することを助ける
ことはできると思います。それすら簡単ではないですが。
子どもにはこそっと,体が借り物であることを伝えて生きたいものです。そう思えると,
謙虚になり,この体が尊くなり,自分の命を力いっぱい輝かせたいって
思うでしょうから。
平等や人格について考え直し,何を平等にするのがいいのか,人格とは
一体何かについて考えが深まればと思います。
>>457孟子さん
申し訳ありません。天理教のことすら分からないので,他宗教のことは
ほとんど分かりません。
- [460]はじめ 06/10/04 08:25 wbVqV416Zo
- こんばんは。ドクトリンさんの
>>456
> 人が皆、心の成人を図ることで、将来的に差別のない社会を目指すのは理想としても、当面の対応として、お互いが現実の違いを直視した上での、「助け合い、補い合う心の養成」が求められているのでしょう。
を読んでふと思いつきましたので書かせて頂きます。
現実に差があるから気になり、気になるからそれを解決しようとするのだと思います。
ところが、その解決の方法をどういう考えに基づいて進めるのかが問題のように思います。(物質を重視するか、組織を重視するかなどなど・・・)
また、差というものは優位に立っているものは案外気がつかず、劣っていると思うときに気になるものと思います。病気になって初めて健康のありがたさを感じるのと同じように。
お道では、かしもの・かりものを台として、心のほこりを払う事を重視されていると思いますが。
それぞれの生きる環境には差があり、そこへ生まれ出るという事、自分の意志に関わらず生まれ出なければならないと言う事、そしてその差というものは他の環境を知ることで見いだされて(感じて)行く事を、心静かに思案できたらよいように思います。
- [461]リラックマ 06/10/04 22:30 D-snzhw
- >>458道の教職員さん、こんばんは。
いじめられる子は、仰るとおり個性的な子が多いですね。実は私は、中一の時にいじめられっ子でした。夜中に台所に行き、包丁を持って自殺しようか!?という処までいきました。まあ、結局その時は思い止まりまして、今から考えると、あの時思い止まって良かったなあと思います。そういう経験から、ああいう事をお話させて頂きました(今では「おまえ、昔いじめっ子やったやろ?」なんて言われてしまうくらいです(>_<))。
そんな訳で、私も個性的な人間でしたので、ターゲット・ロックオンされてしまった、と考えています。
人間は、特に日本人は「出る杭は打たれる」で、とかく自分より抜きんでている者、個性的で自分に無いものを持っている者を総出で叩き潰そうとする処がありますよね。
これについて思うのは、人のDNAというか、魂の奥底に「平等意識・ろくじ感」みたいなものが潜在的にあって、それが「ダメの教え」「この世のことわり」、つまり元を知らない事によって、本来発動される方向とは違う方向に現われてしまったものが、「いじめ」という行為なのではないかなぁ、という事です。
どう思われますか?
- [462]T.N.Doctrine 06/10/05 21:01 V/ByAkHQCF
- >>461 リラックマさん、こんばんは。
>魂の奥底に「平等意識・ろくじ感」・・・ですか?
う〜ん、難しいですね。
平等意識というものは、そうして欲しいという欲求の表れでしょうか、それとも公平を期すべきという理性的判断に由来するものでしょうか。
平等を求める心の発現は、兄弟が生まれた時に始まるのでしょうか。同じ「はらから」なのに、自分が少ないのはおかしい、同じようにされるべきだという訴え。恐らく物質的渇望状態からの願望・ねたみから生じたと思えます。それぞれが心の内において充足していれば、ことさら平等というイメージさえ浮かばないでしょう。そういったことにこだわるより、むしろめいめい、自由な遊びのほうに心が向いていくことでしょう。
一方で親の立場とすれば、いづれも可愛い我が子であるならば、物質的に不自由な境遇の中でも、均等に喜ばしたいと望むはずです。そこから平等意識が生じたとすれば、やはり理性的判断ということになるでしょう。
金子みすずの詩ではありませんが、地を這う生き物は空飛ぶ鳥をうらやましいとは思わないでしょうし、空飛ぶ鳥も泳げる魚を妬ましいとは思わないでしょう。みんな違ってちょうどいい、です。
それぞれの動物が、全てにわたって均等な能力を持つことを望むとすれば、実にこっけいなことになりますが、別の種、別のグループであることが解っているから同じようでなければならないなどと誰も思わないわけです。
翻って人間も、家族ごとがバラバラであるなら、身内の中での平等感の希求はあり得ても、他の家族より食い物が少ないと恨みがましく思う発想はないことでしょう。他の家族との公平感が問題にされるのは、同一の共同体として社会生活が営まれるからです。同じ社会の一員なのにといったところです。
以上は現実社会の成り立ちからの発想です。
もし信仰的に考えるとすればいささか趣が変わってきます。
人間は神様から見れば皆兄弟とされるのですから、一番最初に戻って、人が「はらから」としての渇望感を持つのも有りでしょうし、神様が親として公平感を保たれようとする理性的判断をなされるとしても、当然のことに思えてきます。
- [463]リラックマ 06/10/05 21:22 D-snzhw
- >>461の自分の投稿を改めて読んで、恥ずかしくなりました。
「ターゲット・ロックオン」などとフザけて言いましたが、強がってるだけで、やはり相当トラウマになっているんだなぁと思いました。今でも、相手の対応に少しでもそういうニオイを感じると、すぐにムキになる自分がいます。
しかし、いじめられて良かったなあと思う事もあります(強がりではなく)。それは、苦しんでいる人のニオイに敏感になった事です。そういう人を見ると「あっ!」と思い、さりげなくサポートしてしまいます(気が付けばの話です)。いじめられる以前は、ホントに自己中心的な人間だったので、今では「あれは、神様が自分を他人の気持ちがわかる人間へと、軌道修正するために与えてくれた節だったんだ」と思っています。
それでも、まだまだ自己中の根が深いのか、今でも知らない間に他人を傷つけている事があります。がんばらねば!
- [464]リラックマ 06/10/05 21:56 D-snzhw
- >>T.N.Doctrineさん、こんばんは。
平等意識に関するお話、ありがとうございます。私の考えを、投稿させて頂きます。
人間というのは、最初に創造されてから現在の人間の姿になるまでに、虫、鳥、畜類へと進化をとげて、今に到っていますよね。その虫、鳥、畜類として生きている時の人間は、果たして「自由にものを考える」、つまり「理に逆らう考え方」も可能だったのでしょうか?
可能であったとしても、今の人間の姿の時ほどには、自由に行動は出来ず、やはり「天理・自然の法則」の枠組みの中で、拘束されて生きていたんじゃないかな?と思うのです。
その虫、鳥、畜類として生きていた時の遺伝子が、「天理・自然の法則」という天の法律の下の平等意識というものが、魂に焼き付いているんじゃあないかな?と、そんなふうに思うのですが…。
- [465]はじめ 06/10/05 23:46 wbVqV416Zo
- こんばんは。
>>461について思うところを書かせて頂きます。
>これについて思うのは、人のDNAというか、魂の奥底に「平等意識・ろくじ感」みたいなものが潜在的にあって、・・・
私としては、人間が生まれたときには平等という観点は存在しないと思います。
それは、子ども達(3歳頃から)を見ていると、欲しいと思うものは何が何でも得ようとするところから始まると思うからです。
その時に子どもどおしでけんかが起こります。そのけんかを見て、親なり兄なりが止めに入り、平等なり上下、優劣などを教えて治めることになり、そこで理性として学んで行くと思うのです。
人間の進化の過程が、母親の胎内で起こって人間の形となってこの世に生まれ出るのと同じように、人間の心も生まれ出たときから、順番に進化(成長)するもののように思えるのです。
八つのほこりの順番が、「信者の栞」では、おしい・ほしい・にくい・・・となっているのですが、「正文遺韻」では、ほしい・おしい・・・・となっています。なぜ違うのだろうか?と考えたときに、目に見えて欲しいと思う心が一番初めに使われるからではないだろうか?と思えたのです。
そして欲しいと思い、得た物を他人から求められて、与えられない心がおしいという心だと思ったのです。
これらの心が元になって、>>462でT.N.Doctrineさんが
>同じ「はらから」なのに、自分が少ないのはおかしい、同じようにされるべきだという訴え。恐らく物質的渇望状態からの願望・ねたみから生じたと思えます。
といわれるように、にくい・かわいい・うらみ・・・という心が生じていると思うのです。
ほこりの心を聞いていなければ、こんな心の状態など考えもしないで、挙げ句の果てには腹を立てて、仕返しなどを平気で行い。しまいには、知恵を使って自分の非を認めないどころか、自分を正当化して相手をやりこめようとします。そしてこれの繰り返しとなると思います。
ここで、こうした争いの心を治めるのは、子どもの頃ならば親や兄・又は周囲の大人の意見ですみます。そして、親の意見を聞き入れて「平等に仲良く暮らすためには・・・」等と思案できた子どもは、それなりの理性を持って、ほしい・おしい・にくい・・・を上手に使い分けて通って行けるでしょうが、聞き入れられずに通って、段々成人すれば親でもどうしようもなくなると思うのです。
私は5人兄弟の長男で、妻は8人兄弟の末っ子なんですが、子ども達におやつやおかずなどを分けるときに、妻は全員同じように分けるのです。上は小学校高学年から下は保育園の年少組をです。その時に私は、いくら小さい子どもが欲しがっても、食べる量が違うのだから大きい子どもと小さい子どもと同じではおかしい。と言ったことがあります。
私の感覚では違って平等なのですが、妻の感覚はどうもそうではないようなのです。
たぶん、子ども達は私を怖がっていますので、私には何も言いませんが、それぞれに不満はもっていると思います。長男は下の子どもの食べれなかった物を、すかさず食してますので・・・
ありがとうございました。
- [466]はじめ 06/10/06 00:08 wbVqV416Zo
- >>462でT.N.Doctrineさんが
>金子みすずの詩ではありませんが、地を這う生き物は空飛ぶ鳥をうらやましいとは思わないでしょうし、空飛ぶ鳥も泳げる魚を妬ましいとは思わないでしょう。みんな違ってちょうどいい、です。
とお話し下さいましたが、
正文遺韻抄p153「人間の数に就いて」として
・・・・『元は、九億九万九千九百九十九人の人数にて、中に、牛馬におちて居る者もあるなれど、此世はじめの時より後に、いきものが出世して、人間とのぼりてゐるものが沢山ある。それは、とりでも、けものでも、人間をみて、あゝうらやましいものや、人間になりたいと思う一念より、うまれ変わり出変わりして、だん/\こうのうをつむで、そこで、天にその本心をあらわしてやる。すると、今度は人間にうまれてくるのやで、さういふわけで、人間にひき上げてもらうたものが、沢山にあるで』・・・
と書いてありました。鳥や獣もうらやむもの(恨めしく思う意味ではないと思います)で、その心があるから成人できるというものと思います。
「ほしい・おしい・・・」という心を簡単に「ほこり」と言われますが、「ほしい・おしい・・・」と思うこと全てがほこりの心遣いでなく、ほこりの心になる角目を「八つのほこり」で教えられており、例えば「ほしい」という心全てがなくなれば、食べる気力もなくなるわけで、それでは体すら維持することが出来なくて、大変なことになると思います。
- [467]リラックマ 06/10/06 01:46 D-snzhw
- >>462T.N.Doctrineさん、>>465はじめさん、ありがとうございました。はじめさんのお話を読んで、やっとT.N.Doctrineさんが>>462で仰った話が見えてきました。どうやら、大切な事を忘れてました。
>>465人間の心も生まれたときから、順番に進化(成長)する。
>>462それぞれが心の内において充足していれば、ことさら平等という意識さえ浮かばないでしょう。
平等とは「天の与え」即ち「成ってくるが天然の理」というものが、全ての生き物に等しく与えられている事である。人間のものとは「心」のみで、この世のあらゆる物質は全て神が貸し与えたものなのだから、物質上の与えは持ち場、立場でいろいろであっても、不平等とはならない。神様が仰る平等とは、それぞれの心の使い方に対して平等にご守護下さる事であり、物質上の与えの格差は関係ない、という事をお二人の投稿を読ませて頂いて思いました。
おふでさき第10号34に、
つとめさいちがハんよふになあたなら
天のあたえもちがう事なし
というお歌も、通常は「おつとめ」の事でしょうが、「つとめ」の意味を広げて「ひのきしん、たんのう」だとしても、意味が通ると思います。即ち、人間が天理に添う心使いを、皆が狂いなく使えるようになったならば、天の与えも等しく授けられるようになる。そうやって長い時間をかけて成人の道を歩み、人類は物質上の与えも平等に与えられるように成ってくるのでしょうね。
ありがとうございました。
- [468]リラックマ 06/10/06 02:38 D-snzhw
- >>456でT.N.Doctrineさんが仰られた、
>現実的格差を過去世の心遣いの結果として、運命論的に容認されてしまう可能性は出て来るでしょう。〜この論理がまかり通ると、例えばカースト制度さえ容認されるような〜
の部分ですが、例えば「寝たきりのお金持ち」「狭いながらも楽しい我が家」など、現実的格差は必ずしも人格的格差では無いですね。その点、大平良平の例題はT.N.Doctrineさんが仰るように、マトを得ていないものだという事、理解出来ました。
教祖も、『世界には、枕もとに食物を山ほど積んでも、食べるに食べられず、水も喉を越さんというて、苦しんでいる人もある。そのことを思えば、わしらは結構や、水を飲めば水の味がする。親神様が結構にお与え下されてある。』と仰っていますしね!
これ又、大切な事を忘れていました。T.N.Doctrineさん、はじめさん、ありがとうございました。知らない間に、一人で暴走していたようです(>_<)。
これが、談じ合いの善い処ですね(^^)。ありがたいことです!
- [469]はじめ 06/10/06 09:15 wbVqV416Zo
- リラックマさんすみません。
>>468
>例えば「寝たきりのお金持ち」「狭いながらも楽しい我が家」など、現実的格差は必ずしも人格的格差では無いですね。
と言われる現実的格差と人格的格差の意味がもう一つ分からないのですが・・・
>>435で紹介下さった大平良平さんの文「天理教の平等主義は、今日人間と人間との間に存する階級の区別は、元来人間と人間との人格的相違にあることを自覚せしめ、長い間の努力の後その人格を平等化し、その結果として全人類の運命を平等化せんとするにある。」についてですが、
ここでは、いんねんの自覚について言われていると思うのです。自分の積み重ねてきた悪いんねんを人間間に見える区別から自覚して、それによってほこりの心、いんねん切り替えを行って、白いんねんになって、現実的にも平等となる。と言われているように私は思えたのです。
そして、いんねんを因縁論として他人に強制して説いたりする事は、形式的に平等化を推し進めることになると思えるのです。
また、『天理教の平等主義は人格的平等主義であって、運命の平等化の如きは人格的価値の平等化せられた結果に外ならないからである。』で言われる人格的価値を、「それぞれの心」と読み替えたならば、皆の心が白いんねんに切り替わり平等になったならば、運命として現れることも自ずから平等になる事は当然と思えます。
しかし、そこへ行くためには、自分の心づかい、親の心づかい、子どもの心遣い、周囲の心遣いなどなど様々なことを知り、さんげ、おたすけ等々の事柄を経なければならないように思います。
失礼いたしました。
- [470]リラックマ 06/10/06 12:58 D-snzhw
- >>469私も、はじめさんが仰るように考えていたのですが、T.N.Doctrineさんが、「人によってはこういう見方も出来ますよ」という例題を示して下さったように、大平良平の表現の仕方が適切ではなかったのかな?と思いましたので、ああいう事をいいました。
はじめさんの、>いんねんを因縁論として他人に強制して説いたりする事は、形式的に平等化を推し進めることになる〜の部分ですが、ホントですね。それこそが天理教団が行なった過ちの、根っこの部分でしょうね。カースト制度も、又しかり!ですね。我々が注意しなければいけない点だと思います。
「寝たきりのお金持ち」と「狭いながらも楽しい我が家」ですが、これは一般的に端から見ると、お金持ちは階級が上になる訳ですが、寝たきりだと本人は必ずしも幸せではないですよね?!一方、例え貧乏で端から見ると階級が下で不幸せに見えても、本人は幸福感を味わっていたりしますよね?!
大平良平の「階級の区別は、人間と人間との人格的相違にある」という話は、必ずしも当てはまらないのではないか?、否!誤解される可能性のある表現ではないか?という意味です。
本人がイマイチ判ってないので、例え話もわかりにくいものになってるようで、すみません(>_<)。
- [471]リラックマ 06/10/06 13:41 D-snzhw
- >>435で紹介させて頂いた大平良平の資料より、参考になりそうな話を一つ。
※天理教では「此処がこの世の極楽や」と言って、この世界・この社会・この家庭・この肉体以外に幸福を求めない。と言って、天理教では何も現実の世界・現実の社会・現実の家庭・現実の自我が完全だと言うのではない。否な其の不完全なことを認めることは、他の凡ての宗教に優るとも劣りはしない。
けれども天理教では、薄情の夫のように現在の妻が醜婦だからと言って、それを捨てて他に理想の妻を求めることをしない。醜婦なれば醜婦なるほど、これを愛して段々美婦に仕立てて行くのである。
かくの如く一つの困難、一つの障害物の表れる毎に、他の宗教のように其れを避けて別途を撰まない。何処迄も其の困難を排斥し其の障害物を破壊して、其処に新しき平坦の道を開拓するのである。此処に天理教の積極的社会観がある。この積極的社会観より、ミキ子の所謂「山の仙人よりも里の仙人」なる社会的人物が生まれるのである。
これを要するに、天理教では現実の社会が多くの欠陥に富んだ不完全な社会なることを認めている。けれども其の欠陥を欠陥として残さずに、あくまで其の欠陥を填充して行く所に天理教の新社会観があるのである。
現実の社会の欠陥とは、言うまでもなく相互扶助的共同生活の真面目なる精神の欠乏していることである。ミキ子はこの人生の最大欠陥を八種に分類し、それを八埃と言った。八埃とは即ち
「ほしい、をしい、かはゆい、にくい、うらみ、はらだち、よく、こうまん」
の八つである。
この八埃を現実の社会から一掃した時、自ら其処に実現して来る理想の社会を、彼女は甘露台と言った。天理教の終局の理想は、実にこの甘露台社会を実現するにあるのである。
- [472]リラックマ 06/10/06 13:54 D-snzhw
- はじめさん、大平良平の資料は何しろ大正時代の書籍でして、旧字・旧仮名遣いのオンパレードなもんで、実はその全てに目を通している訳ではありません。いつも、辞書を片手に古文書を解読するような気分で取り組んでいます。
しかし、その価値は十分過ぎるほどありますよ!ぜひ、一読をお薦めします。そのうち、私の紹介する一文だけでは物足りなくなると思いまして…(^^)。(紹介の仕方もヘタクソですから)
今から出張で、しばらく資料のご紹介は出来ませんので、機会をみて、ぜひ天理図書館に足を運ばれてはいかがでしょう?
- [473]T.N.Doctrine 06/10/06 22:54 V/ByAkHQCF
- >>466 はじめさん、こんばんは。
正文遺韻のご紹介の中で、
>牛馬におちて居る者もあるなれど・・・、いきものが出世して人間とのぼりているものが沢山ある・・・。
>人間を見て、ああうらやましいものや・・・
でありますが、ここの辺りも私にとってグレーなものの一つなのです。
まず、牛馬についてですが、おふでさきにも「牛馬とみゆる日がある・・・」との件があり、かつては心遣いが悪ければ牛馬に落とされる道もあるとの解釈でした。
現在の教団の見解では、実際の牛馬になるのではなく、牛馬のようにあくせく働かなければならないような苦労の道が待ち構えていると言う風に、比喩的に捉えられているようです。
また人間出現以前に、虫、鳥、獣と進化する場合に、鳥、獣にとって未だ見ぬ人間を目標にしてきた訳ではなかったでしょうが、どういう心遣いのなせる技か、人間に進化してきた訳です。人間誕生以前では、跳び箱の踏み台のようなものでしかなかった彼らに、人間と言う目標ができた途端、跳び箱の最上部にも上がれるシステムができたということでしょうか。
更に動物ではないので解らないのですが、果たして彼らに人間をうらやむような気持ちがあるのでしょうか。とすれば、随分と向上心のある動物ということになります。
昔、カモメのジョナサンという物語がありました。
普通のカモメはカモメであり続けることに何の疑いも持ってないのに、そこから飛び出し、発展しようとする強い意志をもったカモメとしてジョナサンが描かれていましたが、中にはそういうのも居るかも知れませんね。
しかし一方で、優雅な平安貴族などからすると、あくせく働く現代人はすべからく牛馬のごとく映るかも知れませんし、また昨今の厳しい生存競争、家族不和、殺人、戦争等々、悲惨な事態を見るにつけ、とても動物達にうらやましがられるような人間界ではないようにも思えます。
そんなことを思案しつつ、「人間をうらやむ・・・」は私にとって向上心の一つの例えのようにも思えるのです。
私達が常日頃、畜生のような心を使っていないか、心通りのご守護なら畜生道と言われるような悲惨な日々が待っているでしょうし、人間らしい心遣いをすればそれに相応しい運命を与えられる。更に言えば、神のような心遣いができれば神のような自由自在の世界が・・・。
その様な喩え話として捉える考え方もあり得るのではないかと思ったりするのです。
>>469 で、大平良平氏の「人間と人間の間に存する『階級の区別』は、元来人間と人間との人格的相違・・・」という件ですが、はじめさんの仰られるように、人格的価値を「それぞれの心」もしくは「心遣いの積み重ね」と読み解くならば、更に踏み込んで『階級の区別』も「幸福度の差」と読み替えたほうがいいかも知れませんね。
通常、『階級の区別』と言う言葉を使われると、真っ先に貧富の差が浮かんでしまいます。
私には金持ちの心遣いが立派であったり、貧乏人より悪因縁が少ないようにはとても思えないのです。
リラックマさんも >>470 でその辺りのことを言っておられるのだと思います。
- [474]DCTC 06/10/07 00:54 D-Pdt1z
- 私は主人の家が天理教なので天理教とご縁があった者なのですが、色々わからないことだらけです。どなたか教えてくださいますか?
「おさずけ」というものがありますよね。骨折した義母に毎日やっているのですが、これといって目に見えたご利益もあらわれません。それどころか、病院での初めの診察より、二度目の診察のほうが悪くなってるんですが、なんのためにやってるのでしょうか?
どなたか教えてください。
- [475]はじめ 06/10/07 01:49 wbVqV416Zo
- リラックマさん。T.N.Doctrineさん。ありがとうございます。
>>470
>大平良平の「階級の区別は、人間と人間との人格的相違にある」という話は、必ずしも当てはまらないのではないか?、否!誤解される可能性のある表現ではないか?という意味です。
>>471を読ませて頂いて、了解いたしました。
>>473
>更に踏み込んで『階級の区別』も「幸福度の差」と読み替えたほうがいいかも知れませんね。
なるほど、そうですね。
>通常、『階級の区別』と言う言葉を使われると、真っ先に貧富の差が浮かんでしまいます。
>私には金持ちの心遣いが立派であったり、貧乏人より悪因縁が少ないようにはとても思えないのです。
>リラックマさんも >>470 でその辺りのことを言っておられるのだと思います。
そうですね。お金があって身上になっても喜んで居る方もあるでしょうし、狭い狭いと不足ばかりで通る方もあると思いますので、貧富などの差で喜べる度合いを測ることは出来ないと私も思います。ただ、物や経験を沢山持っている人よりも、少ない人の方が、一寸したことで喜べるものだと思っています。
さらに、リラックマさんの>>471を読ませて頂いて、
大平さんがT.N.Doctrineさんや私たちのような考え方をしていたとは、言い切れない部分も感じます。
私の考えも、因縁論や教団の歩み、おたすけなどによって、これまでの色々な事情を見聞きしてきた現代だから、いえることであって、当時の人たちからすれば、「こうすべき!」と形ばかりを追い求め、それにはめようとする考えに至ることも当然と思えます。
また、因縁論を教団が指示したというよりも、周囲がそうした考えを受け入れやすかった。そして、それを神様の思いだと思って、救かってもらいたい一心から人にも強いて賢明に通った。という事だと思うのです。
救ける側と救けられる側、教える側と教えられる側の見方、考え方の差で色々な事情が起こっており、そうしたことを通して時とともに段々と成人の道を歩んでいるように思います。
ありがとうございました。m(_ _)m
- [476]とみ新蔵 06/10/07 06:54 fKK2Plb46Y
- はじめ 06/10/06 00:08 氏へ。 「おふでさき」では、「ほこり」として「おしい、ほしい、かわいいと、欲と高慢
これが、ほこりや」
と、ほこりは「5つ」しか書かれていませんネ。
「憎い、うらみ、腹立ち」は書かれてはいません。こんな処にも、宗教史上、おやさまの特質ともいえる、重大なことだと考えていますので、後日、考察していきます。
ほこりは、5つなのに、何故、いつの時代から、語られるようになったのかは、知りません。
おそらく秀司さんが教祖の反対を押し切ってやった転輪王講社時代に、金剛山地福寺から出張して説法した、お坊さんの説教が入ったのではないか、と思っています。
日本仏教では「封建道徳」としても「憎い、うらみ、腹立ち」は」「3つ」のいけないこと、心身の毒ですヨ、ということで、お寺でも盛んに教え、有名な「三毒」の教えとして、民衆の間にも常識として語られてきました。
おふでさきにある「ほこり」の5っを「かしもの・かりものの理」から考えてみましょう。
以前にも書きましたが、私達の身体も含めめた、この地上のすべてのものは、互いにたすけ合うために、「月日、おや、水、ほうき、甘露台の理、おやさま自身の(私)、天然自然の理」などと、表現されている、神(理)から借りているものですよ。
だから値打ちのある使い方をしましょう。
という、あくまで「使い方」を教えたものです。
このことから考えますと「惜しい」とは、
人のために、この身体や、持っているものを使うのは、惜しい、という骨惜しみの「我が身思案」こころを指します。
「ほしい」とは、この人の持っている物まで欲しい、あの人の持っている物、その利権まで欲しい、というものです。
- [477]とみ新蔵 06/10/07 06:57 fKK2Plb46Y
- これが昂じますと、物やお金だけではなく、あの人の心まで欲しい、私の奴隷のようにして、お仕えさせたい、という心です。
「可愛いい」とは、にんげんへの神の思いは、「可愛いいいっぱい、これが一条」とあるように、私たちにとっても、人様に対して、自分が、親心を持って対するという、大切な心構えですが、
ここでいう可愛いいとは、自分の国だけが可愛いい、わが県だけが可愛いい、わが町だけが可愛い、わが家だけ、わが子だけ、わが子の中でも、この子だけ可愛いい、この子だけに財産や地位を上げたいと思うもので、偏った可愛いいさ、「偏愛」というものです。
多くの場合、どの国でも、」「世襲制」というものは、この「偏愛」によって成されてきた歴史が」ありました。
「よく」とは、もとより、睡眠欲や、食欲や、性欲や、学習欲や、人生への意欲を意味するものではありません。
惜しい・欲しい心も内在したものですが、簡潔にいうと「支配欲」です。
暴力やお金で、他国や他者を、自分の、気侭放題に支配したいと思う心です。
「高慢」とは、自分が優れていると思って、他をあなどる・こと(さま)のことです。
「―な人」「―に人を見下す」「―の鼻をへし折る」などと使います。
「実るほど、頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」というもので、人間は学べば学ぶほど、自分の至らなさ、無知なることを知らされるものなのですが、これとは反対に、実力もないのに、ひどく偉ぶりたい心です。
私は誰それさんの子供だから、あなたの恩人さんの倅だから、あなたは私を立てて当然、私にお仕えして当然でしょう、という心です。
これらの「5つ」は、実は競争原理社会や封建道徳では当然のことでした。
5つのほこりを備えた人が、「偉い人」とされて来ましたし、庶民も、そのように感じさせられて来たのでした。
おやさまは、これを「ほこり」とされたのです。
障子の桟などに、ついついと知らずのうちに溜まってしまう、ほこりのようなものですよ、悪しき心使いですよ、だから胸三寸を払いなさいよ、それが、我が身も社会も、たすかる道なのですよよ、とされました。
「三毒の教え」の思想背景と、おふでさきの「これ嫌い」へ続く。
- [478]T・S教人 06/10/07 10:07 qLMbZs/Ifa
- 八ッやしきのつちをほりとりてところかえるばかりやで 十一下り目 ちょっと気になりました。いつも質問ばかりですいません。
- [479]道の教職員 06/10/07 11:58 R5Qs.22EJK
- >>461 リラックマさんの投稿を読みました。
中学時代のいじめ,心にトラウマが残っておられるという書き込みを読ませていただき,改めていじめ撲滅運動を展開して意向という意欲がわいてきました。いじめは自然現象として浮かび上がるものだと思いますが,それを許していては心が傷つき,生きぐるしくさせるものだと思います。やっぱり許せませんね。
さて,ご質問の
>魂の奥底に「平等意識・ろくじ感」みたいなものが潜在的にあって、それが「ダメの教え」「この世のことわり」、つまり元を知らない事によって、本来発動される方向とは違う方向に現われてしまったものが、「いじめ」という行為なのではないかなぁ、
ということですが,いじめは人が人を支配する権力関係によって生じてしまう現象だと思いますので,個人で言うと,権力やパワーへの意思,支配欲・征服欲などと関わる問題だと思います。
ですので,平等意識とは異なる次元での話であると私は解釈しています。もっと言えば,劣等感,満たされぬ自分への感情などを補うための行為が支配だと思いますので,根本的には自己への不満足がきっかけになるのかもしれません。不満足を抱えた者の中である者は力を切望し,ある者は外側との関わりをあまりもとうとせず,目立たないようにしようとする道を選ぶ。それがひいては「いじめる」ー「いじめられる」関係を作り出すのかもしれないと思うのですが,いかがでしょうか?
リラックマさんが言われるように「ろくじ感」のような魂・DNAレベルの心的特徴も人間は持ち合わせているのかもしれませんね。魂のあり方については心理学者のユングなどが集団的無意識の仮説を提示していますね。全人類に共通する無意識的な心性があるという仮説です。またユングは元型などといって人間の心に影響を与える何らかの力の存在を仮定してもいますが,人間には全人類に共通の意識が働いていると考える方が人類みな兄弟と考える天理教の教えには合っていると思います。
私はそれほどユングの心理学などに詳しくないので,説明が間違えていたらすみません。ただ,そういった人類共通の心的特徴について天理教だけが唱えているわけではないということを知ったので,少し勉強してかじってみました。
文化によって「心」も異なってくるのですが,どこまでが文化の影響でどこからが人ならではの特徴なのかは難しい問題ですよね。だから,文化人類学とか分子生物学とかの世界が発展してきたと思います。
つきつめていくと「結局分かりませんでした」ってなるのが学問の世界の特徴なんだよな〜とつくづく思います。知れば知るほど「どうしてこうなっているのか?」という説明がつかなくなっていく。そこで神様という仮説を唱えざるを得なくなる。しかし,神様を出した時点でそこで思考がストップしてしまいますよね。全てが神様の力によって…って考えると,なぜ?何が関係しているのか?などといった問題が見えなくなると思います。そうではなく,一体,どんな理が働いているのかと考える方が追求しようとする意欲がわいてくると思います。神様は私たちに多くの「理」を見せてくださっています。その理を追求してこそ神様の意思に近づくことができると思います。
いじめという現象によって,神様が見せてくださっている「理」は,人間は支配ー被支配という集団関係を作ること,その集団は権力関係によって特徴づくこと,権力への意思は人がもっている心的特徴であることなどではないでしょうか。だからこそ,その現象を治める心の使い方を教祖は教えて下さった。自然では「いじめ」が発生してしまう人間の心の使い方・洗い方を教えて下さったのだと思います。
今,とみ新蔵さんが8つのほこりについてご解説してくださっていますが,そのような心の使い方についてより一層学びたいと思います。
- [480]道の教職員 06/10/07 12:28 R5Qs.22EJK
- >>474 DCTCさん はじめまして。
天理教教会に生まれ,今は学校教員をしている道の教職員というものです。
「おさづけ」についてですが,何のためにやっているのかという問いは全くもって自然な問いだと思いました。はじめて見られる方は「一体何の儀式だ?」と思うことでしょうね。
「おさづけ」 は親神様の力の一端をお借りして,病やケガを治そうとする祈りのことだと私は思っています。「南無助けたまえ天理王のみこと〜」とか言いながら患部をさすっていると思います。
そのおさづけは誰でもできるわけではなく,親神様の教えについて天理教教会本部で7回話を聞き,真柱様からの直々の許可を得て初めて可能になる祈りなのです。信者さんの中には,おさづけによって不思議なたすけがおきると思われている方がいます。確かに,そういった話もたくさんの著書に載っていたり,信仰者の間で話として伝わったりしますので,そうなのかもしれませんが,私はおさづけによる不思議な助けを見たことも経験したこともないので,その効果はよく分かりません。
祈りによって病が治るということはどの宗教でも言われていることなんで,宗教による病治しだと思ってくださって構わないと思います。それによって病気が良くなることが保証されることはあり得ませんよね。それなら病院はいらなくなりますから。
そうではなく,「祈る」こと以外に人は病に対して何もできない無力感をもつものだと思います。その無力感のせめてもの慰めというか,無力感に対する抵抗が「祈り」であり,天理教信仰者の場合「おさづけ」なのだと思います。だから,「おさづけ」は人の無力感への抵抗,その方の努力されている姿,真剣な姿だと思われていいと思います。病が治るかどうかは別として,そうやって自分のことを思って祈ってくる方が側にいてくださることこそ,人に力を与え,生きていこうと思える希望を与えてくれるのだと思いますよ。
間違えてもおさづけをすると病気が治るなどとは思わないでください。
それなら病院・医者なんて必要ないですから。そうではなく,人が人のことを思うその姿やその心に勇気付けられ,体内の免疫系が働き,病気の元を叩き始めるのだと思います。ただ,今回のような骨折の場合,骨の接合にはある程度の日数が必要だと思うので,免疫がどうとかいう話にもなりくく,励まし効果が表れにくいと思います。
しっかりとお医者様と相談し,骨折部位の骨がくっつくこと,しばらく筋肉を使わないことによって起こる筋力低下の問題などに対応してくださる方が私はいいと思います。病助けの宗教だけが宗教ではありません。天理教は特に病助けによって教勢を拡大してきましたが,その教えの真髄は病助けにあるのではなく,日々の生活での心の使い方にあると私は思います。結果的に病とも上手に付き合えるようになるのだと思います。陽気に楽しく暮らすための心の使い方についてしっかりと学べる宗教だと思いますよ。その意味で諸宗教の中でも現実的で実践的でそして哲学的だと思います。他宗教との比較は好きではないので,やめにしますが,決して意味不明,常識との乖離,カルトなどではありません。もしそうだとしたら,私が公立学校の教員として教壇に立つことなどあり得ませんから。
宗教は麻薬であるといった人がいますが,宗教はたよるものではなく,求めるものだと思います。たよっていては自分は成長しません。ですから,おさづけによって病気・ケガが治るとか思わず,やればやるほどダメになるとも思わないでくださいね。そこに因果関係は成立しないと考える方が常識的だと思います。そうではなく,祈ってくださる方の真心や思いやりを感じてくださることを願っています。その意味でおさづけは大いに意味があり,有効だと思います。
- [481]リラックマ 06/10/07 17:51 D-snzhw
- はじめさん、こんばんわ。
私が、はじめて大平良平の資料に触れた時のショックは、相当なもんでした。彼の言葉に接していなかったら、ここまで天理教団の殻から脱して、広い視野で物事を観ることは出来なかった、と思います。
あの時代において、身上・事情を救われた訳でなく、教理に感心して入信したという事だけでもスゴいのに、よくあれだけ教祖の教えを分析出来たもんだ、と思います。多少不適切な表現、悟り違いがあったとしても、充分今の世の中にも通用するだけの内容を持った資料だと思っています。
今後も、いくつか紹介させて頂くつもりでおります。目からウロコの「ええ〜っ?!」と思えるような説もありますよ(^^)。とみ新蔵さんも仰っていましたように、多少ショックがある話の方が刺激になって面白いと思いますので、乞うご期待!!
- [482]次男 06/10/07 18:02 wPiir.8fRO
- DCTCさんへ・・
自分が困っているいる時、病んでいる時に、その辛い思いを聞いて頂き、感じて頂いて、同じ思いを共有して、自分の為に手を合わせて祈って下さる人がいたら、多分、何か救われた気分になります。
だから、よふぼくは、そんな心を持っておさずけをさせて頂いているのだと思いますよ・・・
- [483]リラックマ 06/10/07 18:30 D-snzhw
- 道の教職員さん、こんばんわ。
>>479のいじめは自己への不満足が原因との事、なるほどそうでしょうね。今から考えてみても、たぶん相手の根っこにはその不満足感があったと思います。いじめに対する鋭い観察、さすがですね!
今でも、暴力に対して押さえきれない怒りみたいなものを感じる時があります。暴力で一番許せないのは、精神に対する暴力だと思います。肉体への暴力は、これに比べれば遥かに軽い暴力だと思います。「精神に対する暴力」は、人間の根っこである「心」を押さえ付け、否定し、支配しようとする許されない行為であると思います。それをやられた者の辿る道は、悲しい結末になる事が多いですね…。
乗り越えられれば、人生の上で大きな宝物になるのですが…。非常に根が深い問題ですね。
>>480の「おさづけ」に関するお話、スゴいですね!よくあれだけ、判りやすく解説出来るもんだなぁと、思いました。やはり、教師という職業の為せる業なんでしょうね(^^)。口下手の私には、到底マネ出来そうにありません(>_<)
- [484]道の教職員 06/10/07 20:20 R5Qs.22EJK
- リラックマさん,ほめてもらえるとうれしいですね〜!
ただ,おさづけに関してはずーっと前から考えて,いつからかあのように解釈するようになったのです。「祈る」ことを考えていると人の無力感と関係しているのだと思うようになって…。
いじめに関してですが,個人的な問題から集団の問題へと発展したものがいじめだと思います。個人対個人ならタイマンのけんかで済みますが,いじめは個人対集団という構図なので,集団性の問題を含んでいると思います。ある特定の個人がものすごく自己不満足感を抱えている。その子が周りの子に影響を与えて,味方,子分を作る。その子達が集まって対象になった子をいじめる。周りの子は次は自分ではないか,あいつに関わると自分もやられると思い,見て見ぬふりをする。こういった構図が見えてきます。精神に対する暴力は本当に許せませんん。許さないという構えをもって子どもの指導に今後ともあたろうと思いました。
今日,「オール1の落ちこぼれ,教師になる」という角川書店から出版された教師の本を読みました。その中でもいじめに関して同様のことがかいていました。子どもの集団が作り出したいじめの構造に対して,子どもが取りうるのは,いじめに加わる,いじめを見て見ぬふりをする,いじめを見て楽しむのいずれかになるしかないということが書いてありました。子どもだけでは構造を崩せないのだと思います。教師がそこで介入するのですが,人間も同様,人間同士で作り出した差別の構造を自分たちで壊すことができない。そこで教祖の力が必要になるのかもしれませんね。よく分かりませんが。
神様にとって人類は子ども。子どもがすることなすことを親である神様がご覧になって心を痛めるというのは今の自分の立場からは理解できるというか共感できます。「同じ仲間なのでなぜ?」って。だからこそ,教祖の教えをしっかりと学びたいのです。人を治めることができるだめの教えとしての天理教を私は信用したいですし,大変大きな期待ももっています。
- [485]T.N.Doctrine 06/10/07 20:59 V/ByAkHQCF
- >>476,>>477
とみ新蔵さん、お久しぶりです。
コメントはしておりませんが、読ませて貰っていますので・・・。
>>479 道の教職員さん、こんばんは。
>人間には全人類に共通の意識が働いていると考える方が・・・
100匹目のサルという話がありますね。
河合隼雄氏ら文化人類学者の研究所見で、
宮崎県の幸島に生息するサルの中に一匹の天才が現れ、ある時、誰も見向きもしなかった砂の付いたイモを海水で洗って食べた。塩味がついてちょうどよかったのか、その天才サルはそれを繰り返すようになった。年配のサル達は見向きもしなかったが、そのうち若いサル達が真似を始めた。そうしてその『文化』が広まり、それを行なうサルがちょうど100匹に達した時、伝達不可能な他の遠く離れた地域のサル達も、誰が始めたという訳でもなく、ありふれた普通の「文化」のような形で実行し始めた、と言う観察結果に基づいたものです。
「文化」というものは、それがある人数に達すると「種」全体が共有してしまうもので、だから人間だけでなく動物においてもその「種」全体に、魂のようなものの連動があるのではという仮説を立てられているようです。(ご承知のように河合隼雄氏もユングの研究者の一人ですね)
また共通の意識という観点から、人類の四大文明が遠く離れた地域で同時期に興ったとか、ソクラテス、釈迦、孔子が天才的な教学を同時代に樹立したのもその為だなどという解説もあります。
しかし一方で、ある数的閾値に達すれば「文化」は種全体に行き渡るものならば、20世紀初頭においても原始時代のような未開地域が多く存在していたことの説明はつきません。
これもまたグレーな話ですね。
- [486]リラックマ 06/10/07 21:12 D-snzhw
- >>484いじめは学生だけの問題ではなく、我々社会人の中にもありますよね。そして、悲しい事ですが、我々天理教信者の間にも見受けられます。
どこそこの大教会、同じ系統でかたまって、他系統の者を受け入れず排斥しようとする。T・S教人さんが受けた仕打ちも、いじめと言えるでしょうね。
教会制度の欠点の一つだと思います。こういう行為が行なわれないような組織作りが、これからの天理教団には必要不可欠だと思われます。
近い将来、道の教職員さんが『ろくじ学級』を作り上げる上にも、天理教団の理想の組織作りを考えてみることは、決して無駄ではないと思います!?また、教師という立場からの、理想の集団・組織像というものも、我々に語って頂ければ!と思います。よろしくです(^^)。
- [487]ミッチー 06/10/07 21:15 g9VruNIoZd
- ( ・ェ・)<シイタケさん?
- [488]道の教職員 06/10/07 21:42 R5Qs.22EJK
- >>485 T.N.Doctrinさん こんばんは!
幸島のサルに関するお話興味深く読ませていただきました。
出典が分かると私も勉強になりますので,よければ教えて頂けないでしょうか。サルの中でも文化の伝達が行われているという実証研究のような気がしています。ただ,文化人類学では河合隼雄先生ではなく,河合雅雄先生だと思うのですがどうでしょうか?
>ある数的閾値に達すれば「文化」は種全体に行き渡るものならば、20世紀初頭においても原始時代のような未開地域が多く存在していたことの説明はつきません。
幸島のサルでは,100匹に達した時点で他のサルにもそのイモ洗い行動が伝播したとされ,文化の伝達が始まったものと思われました。また,4大文明の勃興に関しても,同時期に賢人の出現により,成立したと思いました。
そこには文化的な交流が認められないけど,そのように同様の文化的な発展を遂げたことが人類特有の心性の表れと解釈するのはある意味だとうだと私は思います。
20世紀初頭を経て,今もなお原始時代のような生活を続けている部族なり地域があることに関してですが,これは文化の成長速度の問題だと思いました。人間が辿ってきた文明の発展の過程を考えると,同様の過程を経ているのではないでしょうか。日本なら,縄文時代以前の非定住型の狩猟生活から始まり,弥生時代の農耕社会定住時代,古墳時代の絶対王政時代,平安時代の国風文化時代,戦国時代の争いの時代,江戸時代の独自文化の発展時代…というような過程です。時代の変化には必ずといっていいほど外国からの文化的影響を受けてきました。日本は特にその傾向が強いです。外からの影響によって自分の国や地域のあり方が変化するというのは本質的なことだと思います。
部族が発展(現代の文明社会人からみた発展ですが)していく過程は上で上げた日本の例のような過程を経ていることが大半だと思います。なので,部族が原始時代と変化がないというのは,変化をおこすきっかけとなった外界との関係による出来事が起こっていないことに関係していると思います。その部族が他の文明をもった集団と関わりをもったとしたら文明はおそらく発展しただろうと思います。
文化が接触なしに発展していくという考え方ですが,人間が考えたことなら同様の結論に達することはある程度想定できます。ただそこに文化的な交流が一切なかったかというときわめて怪しいと私は思います。文化の伝達は目に見えないし,普通の感覚では分からないと思います。ただ,自分が思っていることと違う考えの人がいるとその時点でAにもBにも影響が及ぼされ,変化していくと思います。こういった他の文化との接触によって文化は飛躍的に成長すると思います。発展がない地域は文化の接触がない地域。もしくは天才的な才能をもった人物が発生しなかった地域でしょう。
文化の発展は数的閾値説ではなく,ある種の特殊人種の出現によって進むという進歩説を私は採用したいと思います。閾値説ではドクトリンさんが言われているようなことに対する説明がつきにくいですから。
種全体に関わることとしては,人間には共通の倫理観なり道徳律があるのではないかと思います。そうでないと今のような国連などが生じるはずもないですから。ただ,言語が違えば思考も違う。そのような他民族が話し合いをしようと躍起になっているのですから,その意味でも集団的無意識の存在を考えると解釈が成立しやすくなると思いますよ。
ただ,その時点で思考停止状態になることは私は大変心配しています。そうではなく,思考をめぐらして,どうしたら問題解決になるかを真剣に考えるべきだと思いました。
- [489]T.N.Doctrine 06/10/07 21:52 V/ByAkHQCF
- >>474 DCTCさん、はじめまして。
>>480 で道の教職員さんが、模範解答のような立派なご意見を述べられていますので、蛇足になるかも知れませんが、ちょっとしたセカンドオピニオン、サードオピニオンとして聞いて下さい。
「おさづけ」の効能の科学的理解の一つとして、「−を語る!!2」でもコメントしてみましたが、
医学の世界にプラシーボ効果(偽薬効果)というものがあります。
歯磨き粉を風邪薬だと言って飲ませたら直ったという話です。
また、催眠術で痛みをとる方法もあります。
麻酔剤を打たず、催眠術で無痛手術が出来た例はたくさん報告されています。
実際催眠術をかけられると脳下垂体から、βエンドルフィンという脳内ホルモンが分泌され、モルヒネを打ったのと同様な状態になるそうです。
「おさづけ」も、一種のプラシーボ、または催眠術のような要素を持っているのかも知れません。
だから、「効く」「絶対に直る」と信じて受けると、ご守護を受けやすいかも知れません。
「な〜んだ、騙しか」ではなく、人間はプラシーボ効果があるように予め創られている、つまり「おさづけ」が効くように設計されているとも言えないでしょうか。
勿論、それ以上の心理的効果もあります。
病人は不安に陥りやすく、また悲観的にもなって余計病状が悪化することもあります。
誰かが傍にいて、励まし、祈ってくれることで安心感が増し、免疫力が高まるということは十分考えられるでしょう。
又、「手当て」という言葉があります。
この辺りは山本利雄先生の著作からの受け売りですが、「手当て」をするというのは、実際に患部に手を当てて相手の痛みを解ってあげることとされています。「おさづけ」の際に患部をさするのも同様の意味合いだと思われます。
さて、格好いいことばかり書きましたが、実際の現場では・・・。
信者さんで永く患われていた方がいました。
何とか助かって頂きたくて、病院に何十回も足を運び、おさづけを取り次がせて貰いましたが効果がありません。
時に、一緒に連れて行った息子に「お父さんのおさづけ効かんからなあ」と口走ってしまうと、「そんなこと言ってどうする」と逆にたしなめられました。「ああそうや、これではいかん」と思い直したりして取り次いだものですが、結局ご守護頂けませんでした。
残念至極ではありましたが、信者さんとは病む前より心が通い、感謝されながら出直されていきました。
助かる、助からないという結果以上に、その過程が大事だということを思い知らされました。
- [490]道の教職員 06/10/07 21:56 R5Qs.22EJK
- >>486 リラックマさんの
教師という立場からの、理想の集団・組織像というものも、我々に語って頂ければ
ということですが,理想の集団となるとちょっと語りにくくなりました。なぜかは分かりませんが,自分の中で理想となるような集団を感じたことがないことが影響しているのだと思います。ただ,学校では出張があり,他県の教育や他校の現実についてみることができます。その中である学校の授業や教育理念に大変感銘を受けたことがありました。
静岡県の藤枝市の学校なのですが,その学校の授業を見ました。子どもたちが授業中に話し合う姿が自然体で大変美しかったことを今でも鮮明に覚えております。そのとき,学級,授業とはかくあるべきだという直感がしました。だれでも率直に自論を語れる世界,相手の言うことを聞こうとする意思をもっている仲間がいる世界などです。どの子の意見も重宝され,どの子の存在も認められるような集団が理想の集団だと思うようになりました。
学力といった一つのものさしで子どもを見るのではなく,その子の特長の数だけものさしがあり,その数だけ,集団が豊かになるような学級が理想だと思いました。我々は一つのものさしで物事を考える傾向にありますよね。学歴というものさしや社会的地位というものさしはその最たるものでしょう。しかし,それはあくまで文化が取り決めたものなのですから,人間の本質とは違う場合もあります。人間の本質にあった,無理のない集団のあり方については今後も考えいかなければならないことだと思っています。
理想の学級はどの子のの存在も認められ,各個人が自分の理想を追求できるが,仲間との協同学習が求められたときにはおしみなく自分のアイディアを提供できる人がたくさんいる学級だと思います。
そのような学級にするためには,ある程度の集団の成熟過程を経ないといけないと思います。どのような過程を経るかは分かりませんが,ともかく,良い方向に進むことは間違いないと思うので,理想の学級を目指して私も努力を重ねていこうと思いました。
- [491]ミッチー 06/10/07 22:13 g9VruNIoZd
- ( ・ェ・)<アホー
- [492]T.N.Doctrine 06/10/07 22:31 V/ByAkHQCF
- >>488 うら覚えで申し訳ないのですが、山本利雄先生の著作にも同様のことが書かれておりましたし、サンマーク出版から河合隼雄氏(だったと思うのですが)と誰かの共著で「100匹目のサル」というタイトルの本が出ていたと思います。本屋に行けばすぐ分かると思いますが。
また、仰るように文化人類学は弟さんでしたか、河合雅雄氏の方の専門で、隼雄氏は心理学者なのですが、この話題には加わっておられたように思います。
文明間で接触があると、相互に急発展する可能性が高いのは当然ですが、ここで問題にしているのは物理的接点がありえない場合に、例えば「以心伝心」的に文化が伝播することがあり得るかどうかといったことです。勿論、最終的にどちらが正しいかなど私が結論を下せる範囲のものではないのですが・・・。
ただ、こんな話もあります。
きこりが木を傷つけると、その木の内部で悲鳴を上げるかのように微弱電流が流れるそうです。「悲鳴」というのは人間的理解でしょうが、生物のメカニズムとしての危機に遭遇したときの反応のありかたでしょう。ところが別の日にそのきこりが再びやって来て同じ木を切ろうとした時、切られる前に微弱電流が観測されたといいます。さらに驚くべきことに、隣の木にも伝播するかのように同様な微弱電流が観測されたと言う内容の本を読んだことがあります。
あるいはまた以前にもご紹介しました、古沢明の量子テレポーションという現象も多くの示唆を与えてくれそうです。
- [493]はじめ 06/10/08 08:52 wbVqV416Zo
- あれよあれよという間に(^^;)・・・・遅くなりすみません。
とみ新蔵さんへ。
>>476
> 「おふでさき」では、・・・・・ほこりは「5つ」しか書かれていませんネ。
そうですね。おふでさきを検索してみましたが、にくい。にく。という言葉もありませんでした。腹立ちもありませんでした。ただ、「うらみ」については
とのよふな事もうらみにをもうなよ みなめへ/\のみうらみである(6-95)
こればかりうらみあるならとのよふな 事も月日かみなかやすてな (12-69)
このさきわどのよなみちがあるとても 人をうらみなハがみうらみや(13-108)
とのよふな事がありてもうらみなよ みなめゑ/\にする事やでな(16-30)
どのよふな事がありてもうらみなよ みなめゑ/\にしてをいたのや(17-60)
が見つかりました。
>日本仏教では「封建道徳」としても「憎い、うらみ、腹立ち」は」「3つ」のいけないこと、心身の毒ですヨ、ということで、お寺でも盛んに教え、有名な「三毒」の教えとして、民衆の間にも常識として語られてきました。
そうなんですか。別段に説く必要もないということで、書かれなかったと見ることができるんですね。
>以前にも書きましたが、私達の身体も含めめた、この地上のすべてのものは、互いにたすけ合うために、「月日、おや、水、ほうき、甘露台の理、おやさま自身の(私)、天然自然の理」などと、表現されている、神(理)から借りているものですよ。
>だから値打ちのある使い方をしましょう。
>という、あくまで「使い方」を教えたものです。
おっしゃることも理解できますが、「かしもの・かりもの」はこれだけを言われた物ではないと私は思います。親神様の存在、また親神様の意志で、どのようにでもなる事もお示し下さっていると思います。
>>477
>これらの「5つ」は、実は競争原理社会や封建道徳では当然のことでした。
>5つのほこりを備えた人が、「偉い人」とされて来ましたし、庶民も、そのように感じさせられて来たのでした。
【感じさせられた】というより、そう思うのが当然・自然だと思います。だって目に見える物の話ですから・・・。知恵や知識も同じだと思います。持ってない者から見ると、「すごい偉い」と自然に思いますよ。そしてそうなりたい。多くの物が欲しいと思って同じようにする者だと思うのです。
また、ほこりの話は、自分が思うことも悪いが、人様に思わせる事も悪い。と聞かせてもらいます。のでもっと深い感じがします。
前後しますが、
>>476
>おそらく秀司さんが教祖の反対を押し切ってやった転輪王講社時代に、金剛山地福寺から出張して説法した、お坊さんの説教が入ったのではないか、と思っています。
私の感覚では、仏教も親神様が陰からお開き下された物ですから、お坊さん方が説いておられる事を取り入れるというよりも、もう一段深く分かりやすく話をされたのではないかと思うのです。
ありがとうございました。
- [494]道の教職員 06/10/08 09:32 R5Qs.22EJK
- >>492 T.N.Doctrineさん
「100匹目のサル」という本ですが,船井氏の著作であることが分かりました。ご紹介ありがとうございました。
>物理的接点がありえない場合に、例えば「以心伝心」的に文化が伝播することがあり得るか
という問題ですが,これに関しては,100匹目のサル現象を船井氏が紹介する元になった文献である,ライアル・ワトソンの「生命潮流」という本に書いてあったもののようですね。そのワトソンが幸島のサルの研究として参照したのが河合氏の幸島のサルに関する論文のようです。
元の文献を読んでいないので分からないのですが,河合氏の論文には文化が伝播したというような内容は書かれていないにもかかわらず,ワトソンが事実を自分に都合がいいように解釈し,「100匹目のサル」というように本に書いたということが述べられています。下のリンクを参照してみてください。
http://www.geocities.jp/wakashimu/yota/saru.html
また,フリー辞書のウィキペディアにも「百匹目の猿現象」として掲載されていますが,その辞書の中にも,
「ライアル・ワトソンがその著書『生命潮流』で述べ、ケン・キース・ジュニアの著書『百番目のサル』によって世界中に広まった。これが日本では『百匹目の猿―思いが世界を変える』(船井幸雄著)で紹介され、人間にも同様の現象が存在するのではないかということでニューエイジ関係で有名になった。
だが実際には、初めに報告されていたニホンザルの逸話は創作されたもので、高崎山はもちろん群全体に伝播したという事実も観測されていない。ライアル・ワトソンは河合雅雄の論文によるものとしていたが、その論文に反する内容であり、全くの創作であることをライアル・ワトソン自身も認めている。」
とありますので,信憑性はあまりないかもしれませんね。
やはり,以心伝心的に文化が伝播するという説では説明がつかないことが多いと思います。超能力の世界の話になりますからね。ただ,人間が論理的思考力を駆使して,共通の見解に達するということは十分に可能であると思います。世界の中で同様の理論を,全く違う地域の学者が唱えたということもあり得るでしょうし。
それにしてもドクトリンさんの,きこりの話,量子テレポーテンションの例など興味深い知見についての紹介に尊敬の念を感じます。色々な「理」について学ばせていただけるとありがたいです。
- [495]はじめ 06/10/08 09:42 wbVqV416Zo
- >>474 DCTC さんに対して多くの方が、心配してコメントされていますが、なかなか返信がないですね。
私も少し書かせて頂きたいと思います。
>私は主人の家が天理教なので天理教とご縁があった者なのですが、色々わからないことだらけです。どなたか教えてくださいますか?
私がおさづけを頂いた頃の事を思い出しました。
かしもの・かりものの話もほこりの話も全く得心できていないのに、ただただ、良くなってもらいたいと病院のベットで横になる祖母に、「取り次ぐ前にはお話をしてから・・・」と仮席で聞いた言葉そのままに、思い浮かぶかしもの・かりものの話とほこりの話をして、取り次ぎ、3日通っても全く変化がないので、先人の先生方が水ごおりや断食をされたという話を思い出して、その後3日断食してみても何の変化もなく、時間切れで自分の至らなさを感じておぢばへ戻った。これが一番最初のおさづけでした。
>「おさずけ」というものがありますよね。骨折した義母に毎日やっているのですが、これといって目に見えたご利益もあらわれません。
お母さんの事を思って毎日されているんですね。素晴らしいです。どうか出来る限り続けて下さいね。されているとは思いますが、教会なりおぢばへ足を運ばれてお願いづとめをされるのもまた良いと思います。DCTC さんの優しい心は親神様は重々に受け取って下さっています。
>それどころか、病院での初めの診察より、二度目の診察のほうが悪くなってるんですが、なんのためにやってるのでしょうか?
ここが解せませんね。ご主人はどうされてますか?ヒョッとしてDCTC さんは何とかと思っていても、周囲はそんな気がなかったりして・・・・
どんな骨折かは分かりませんが、普通病院へ行ってそれなりの処置をしてもらい、一月もすればそれなりに骨が着いて・・・と良くなるはずですよね。おさづけをしなくても、周囲も別段気にしなくてもですよ。
それがそうではない。ここがやけに気になりますね。
DCTC さんの家族が良い方向へ歩めますように、お祈りいたします。
それから、
>>480で道の教職員の文章で、タイプミスだと思えるところがあるので書かせて頂きます。道の教職員さん勝手にすみません。もし私の読み違えならば訂正お願いします。
>そのおさづけは誰でもできるわけではなく,親神様の教えについて天理教教会本部で7回話を聞き,真柱様からの直々の許可を得て初めて可能になる祈りなのです。
「天理教教会本部で7回」は9回で、これを別席と言います。その後真柱様からおさづけを頂戴して、その後に仮席として2つのお話(取り次ぎ方と心得だったと記憶していますが・・・一寸自信がなくなってきたぁ)を聞きます。
- [496]これ 06/10/08 17:27 .mUGMlLD7V
- 別席の回数について、「どうして、ご自身も他の誰も指摘し訂正しないのだろう?私がしようかな?」と思っていたら、はじめさんがしてくださいました。
私は、「えっ、こんなことも知らない人たちなのか?」と思ってしまいました。
少し、安心しました。
- [497]道の教職員 06/10/08 18:18 R5Qs.22EJK
- >>495 はじめさん,ご指摘ありがとうございました。
その言葉に思いやりを感じました。「優しい方なのだろうな〜」と思いました。
おさづけに関する知識が不十分なのに,偉そうなことを書いていたことをはずかしく思いました。同時に,ご指摘くださったおかげできちんとした説明ができたことを大変ありがたく思います。こんないいかげんなやつですので,これからもとんちんかんなことを書くかもしれませんが,その時はまたご指導くださいますようよろしくお願いします。
おさづけの理を頂いたのが今から約十年前で,それ以降,組織としての天理教とは縁遠い生活を送っているので,あのように知識として不十分な所があったのだと思います。それにしてもはずかしいですね〜。
>>496 これさんも私の間違いに気付いておられて気にされていたようですね。ありがとうございます。どんどんご指摘してください。当たり前のレベルでも間違うような私ですので。
>こんなことも知らない人たちなのか?
他の方は違いますが,私に関してはそのようなことも分かっていないことがあるくらいの人間です。少なくとも皆さんは私なんかよりはるかにお道のことに詳しく,また,熱心であると思っています。皆さん,これさんと同様に優しいので,間違いを指摘することを気にされていたのかもしれません。でも,間違いはどんどん指摘してくださると私も成長できますのでありがたいです。
- [498]これ 06/10/08 18:23 .mUGMlLD7V
- すみません。
書き方が読み方によっては皆さんに嫌な印象を与えたかも知れません。
失礼しました。
- [499]DCTC 06/10/08 21:53 D-Pdt1z
- 道の教職員さん回答ありがとうございました。何となくですがわかった気がします。
これから天理教とつきあっていく上で、天理教のことでイライラしたりしてやっていくのがいやなので、分からないことをまた教えてください。
さっそく質問いいですか?天理教では病気はみじょうとして、どの心の使い方が間違っていたかなど、お助けしてくださらないんですか?親様からはお言葉が出されているはずなのに…。
主人の家の上の教会(?)の会長さんにきいてもおさずけしかしてくれません。どうして怪我や病気をしたのかという根本的な心の改良をしなければ、おさずけばかりやっていてもご利益がもらえないのでは?おやさまにお願いするだけではただの神頼みではないのか?と考えてしまいます。 今の天理教は、お助けしてもらえないんですか?それともここの会長さんだけなんでしょうか?
- [500]DCTC 06/10/08 22:21 D-Pdt1z
- はじめさんこんばんわ。
一つ謝らなければいけません。はじめさんはわたしが毎晩義母におさずけをしていると思われているようですが、私ではなく、お爺ちゃんがやっています。
私としては、おさずけもいいのですが、折角天理教の教えを聞いているならもっとりをさとってほしいのです。
たとえば、足はお金や運び、左は男、右は女の理ですよね。
私からみていても、義母は教会にも足を運びませんし、家の月次祭の式にも出ません。最近では義兄の結婚話がまとまりそうで、お嫁さんがきたら部屋がないので隣に自分達用の離れをたてる予定らしく、結婚資金と離れのお金のことで先を案じた心を使っています。
おさずけもいいのですが、心間違いの根をきって、因縁をきっていってほしいのです。
- [501]リラックマ 06/10/09 10:59 D-snzhw
- >>490道の教職員さん、ありがとうございました。
あなたの投稿を参考にして、これを理想の教会組織に置き換えてみました。
@誰もが率直に、自然体で自論を語れる教会組織
A相手の言うことを聞こうとする意志をもっている仲間がいる教会組織
Bどの信者さんの意見も重宝され、どの信者さんの存在も認められるような教会組織
Cお供えの金額・直轄か末端か・先輩か後輩か、といった一つのものさしで信者さんを見るのではなく、その信者さんの特長の数だけものさしがあり、その数だけ集団が豊かになるような教会組織
Dどの信者さんの存在も認められ、各個人が自分の理想を追求できるが、仲間との協同作業が求められたときには、おしみなく自分のアイデアを提供できる人がたくさんいる教会組織
以上ですが、現在の教会組織を振り返ってみて、当てはめようとしてみましたが、やはり今の組織形態では想像出来ませんでした。
私は「講」が思い浮かびました。
- [502]道の教職員 06/10/09 11:08 P1MadKrlL6
- >>499 DCTCさん,天理教のことでイライラなさるお気持ちお察しします。天理教を信仰している教会,家庭では多少なりとも文化が異なっているので,そのことでイライラなさるお気持ちがあるのだと思います。拒否せず,だんだんに慣れていかれたらと思います(慣れないことも多数あると思いますが)。
DCTCさんの投稿を読ませていただき,お道のことを全くご存知ないのではないな〜,むしろ,よくご存知でいらっしゃると思いました。教会とのつながりや上級とのつながりももたれているようですね。
さて,>天理教では病気はみじょうとして、どの心の使い方が間違っていたかなど、お助けしてくださらないんですか?
というご質問ですが,身上諭しに関しては私はほとんど分かりません。ただ,天理教の布教師の方の中には,その身上諭しが大変上手な方がおられるのも事実です。教えの言葉を身上とをうまくつなげて諭されるので心にその言葉が入っていくような気がします。お助けというのは身上で苦しまれている方のその苦しみを何とか和らげようとする行いだと思いますので,ここでは身上諭しという言葉を使われる方がいいと思いますが,いかがでしょうか?
>どうして怪我や病気をしたのかという根本的な心の改良をしなければ、おさずけばかりやっていてもご利益がもらえないのでは?
心の根本を諭されるのが教えですよね。なぜそのことが起きたのかを自問自答し,自らを省みる機会にされるとそれはそれでいいと思います。ご利益がいただけるかどうかは問題にされなくてもいいと思います。心が切り替われば,その後起きてくることも次第に変わっていくと思いますから。事実としては変わらない,またさらに辛いことがおきてくるかもしれませんが,その受け止め方がだんだんできるようになって,前向きになっていくと思いますよ。しいて言うならそれがご利益なのかもしれません。
>今の天理教は、お助けしてもらえないんですか?
今気にされているのは,お助けではなく,身上諭しのことですよね。身上から心の使い方を諭してもらえることを期待しているのに,今の会長様はそれをなされようとせず,おさづけしか取り次がないということに対して問題視されていると思ったのですが,間違いないでしょうか?
>>500にもかかれているように,
>おさずけもいいのですが、心間違いの根をきって、因縁をきっていってほしいのです。
とあるように,心得違いを何とかして欲しいという願いを読み取らせていただきました。
私は身上諭しもお助けも何もできる立場にないですし,そのような天理教の教えも身に付けていませんので,このことに関しては,布教師の方々やベテランの信者さんなど他の方々がご説明してくださることを願っています。
ただ,私が言えることは,布教師も色々だということです。うちの父親である会長は上手に諭していましたよ。信者さんに対していう言葉を聞いていて,子ども心にうまいことを言うな〜と思って聞いていましたよ。そうではなく,そういったお話ができにくい方もおられるだろうと思います。話べたな方などもおられると思いますので。
前にも書いたように,おさづけをして下さる方の思いや心づかい,祈ってくれる人の存在自体を感じてくださることが第一だと思っています。おさづけには,身上諭し,心の使い方の改めなども含んでいますよね。少しお話の時間がありますから,その時のお話に「我が身かわいいだけではだめですよ。」みたいな話をしてくださることを期待されているのですよね。今の天理教は…というより,その方がと思われた方がいいと思います。この掲示板をご覧になっている方の中でもお話上手な方,理をしっかりと治められている方が多数いるはずです。その方々からの投稿を期待しています。
- [503]道の教職員 06/10/09 11:17 P1MadKrlL6
- >>501 リラックマさん,教会組織と学級との比較大変参考になりました。
人間集団の理想としてあるべきは学級も教会も同じですよね。
縦ではない横のつながりが豊かになっていて,どの人の存在も認められ,価値があると自分も他人も思っているような集団が最も心地よいのではないかと思います。
「講」というは自然発生的にできる信仰者の集まりのことだと思いますが,今で言うとサークルのようなものでしょうね。私も教師仲間でサークルを作っていて,自分たちの教育談義をやっていますが,それは面白く,実りのあるものです。そこに行きたい,集まりたいと思いますし。
教会を建て直すためには,やはり横のつながり,どうしても信仰したい,集まりたい,という方々を対象としたグループなり集団を作る必要があると思います。無理は理がないですから,無理に教会に引きとめようとしても信者さんは離れていく一方だと思います。天理教を信仰することによって立派な人になれても,それで信者さんが寄り付くとも思えません。巷にあふれる本の中の人物や信仰をしていない人の中でも立派な人はおられますから。
そこで,ユダヤ教のように教えを文化として継承しつつ,だんだんに栄えていくというようなことを私は考えています。あまり外に外にいくのではなく,内側の文化を大切にしたいと考えています。そのためには継承すべき文化としての教えについて明らかにしたいと思います。
- [504]リラックマ 06/10/09 11:51 D-snzhw
- T・S教人さん、>>478のご質問、どなたもお答えがないようなので、中田儀三郎さんの「御神楽歌の真義」より〜
このやしきはめい/\の心得ちがひの八ツの心得ちがひのしきをやしきといふ、この心得ちがひの埃を速やかに掘りさへすればところかへるばかりやといふのは、十柱の神がめい/\の心あたへに代りて守護充分下さるばかりやといふ事なり
以上です。判りにくいかも知れないので、私なりの解釈を言わせて頂きます。
※「やしき」とは、我々人間の心得違いの八つの方式の事を『八式(やしき)』と、ここでは考えて思案しなさい。その八つの埃を速やかに掘り切り、ところ代えるばかりやとは、めい/\の心の中の八つの埃を速やかに掘り切り払ってしまえば、めい/\の心が澄み切り、神が入り込みやすくなる。つまり、掘り切ったその跡地・すき間に神が入り込み、すき間をすっきり埋めてしまうぞよ!
ところ代える、即ち「埃の土地」を「神の(入り込む)土地」に切り代えるばかりや、という意味です。
- [505]はじめ 06/10/09 13:24 b5nznfqNUZ
- リラックマさん。おそくなってすみません。
うまく表現が出来ないのですが、
>>481
>あの時代において、身上・事情を救われた訳でなく、教理に感心して入信したという事だけでもスゴいのに、よくあれだけ教祖の教えを分析出来たもんだ、と思います。
大平さんって身上お手入れをいただかれた事がないのですか?
ふと思ったのですが、お道を信仰する方には2通りあるように思います。一つは身上・事情で親神様のおて引きを頂いて、言われるままに通り抜けられる方。もう一つは、身上事情を頂かずに、教えを研究して通られる方です。
この差はなんだろう?と思ったりします。
>今後も、いくつか紹介させて頂くつもりでおります。
どうぞよろしくお願いします。
ありがとうございました。
- [506]リラックマ 06/10/09 19:52 D-snzhw
- >>505はじめさん、こんばんわ。
大平良平は、身上・事情からの入信ではありません。早稲田大学在学中に、自分で天理教を研究し「この教えだ」と信じ、当時の東京教区の支庁に赴き、たまたまいた山名の布教師の言に従いて山名の信者となりました。
大平良平は、子供の頃「神童」と言われたそうで、教祖に似て宗教に対する造詣が深く、求道者であったようです。
「見るも因縁、聞くも因縁」で、その求める心に対して、出会うべくして天理教(中山みき)に出会ったと言えると思います。
次に、道の教職員さん、はじめさん、他の皆様に、大平良平の考える「理想の教会論」を紹介させて頂きます。
- [507]リラックマ 06/10/09 19:55 D-snzhw
- ※「天理教界革命之声」大正5.1.1新宗教社発行より〜
道八分教会二分論
〜およそ教会に二種ある。其の一つは有形教会にして、他の一つは無形教会である。有形教会とは云う迄もなく普通教会と称している物質的建築物である。無形教会とは教化せられたる精神、即ち之れである。神の最初にして且つ最終の目的は、後者即ち精神的教会を建築することにあった。〜
そもそも神が教会の設置を許可したのは助け一条のためである。教会の繁栄は助け一条の精神に伴う結果のみ。之れを砕いて云えば、教会の盛大に赴くは信徒の団結に基づくのである。従って其の信徒の数の多数なればなる程、また其の信仰力の大なれば大なる程教会の盛大に赴くは必然の結果である。〜
彼等――私の彼等と指すものは、助け一条のために献心的に活動せる真の天理教布教者を指して云うのではない。教祖立教の精神(助け一条の精神)を忘却して、ひたすら教会の維持拡張のために信徒の献金もしくば献納物を目的として布教に従事する、利己的布教者を指して云うのである――の大部分は人を助けるのではなく、自ら助からんがために働いている。しかも物質的に。けれども間違った前提より正しき結論は生じないのである。彼の自ら助からんとして自ら助かった例なく、教会を繁栄ならしめんとして教会を繁栄ならしめた例はないのである。何故なれば、之れ原因と結果とを転倒せるがためである。教祖の言葉に
理(神)を立てゝ身が立つ
人を助けて吾が身助かる
と。自救も教会の繁栄も、道の精神に従って人類の救済に献心せる結果のみ。〜
そもそも神が教会を許可したのは、道八分教会二分の条件の下に於いてである。
けれども其の元の意志は其うではなかった。人類の各個体の一つ一つを、一つの教会とするにあったのである。然るに今日の天理教は、神の最初の目的も第二の目的も度外視して教会八分道二分に堕落している。彼等の大部分は上は大教会長より下は単独の布教師に至る迄、表に人類の救済を唱えながら裏には教会の維持拡張にのみ腐心している。この中にて我は除外例なりと言い得る者が幾干あるであろう。誠に其の大部分は、朝夕の衣食住に追われている天理餓鬼に過ぎないのである。御言葉に
「表大工(本席)に裏鍛冶屋(真柱)」
と。之れを言い換えれば、天理教の第一義は精神にして形式は第二義である。また霊は第一義にして肉は第二義である。また道は第一義にして教会は第二義である。道とは助け一条の精神、即ち之れである。〜
- [508]yoshio2028 06/10/09 21:52 DHCibJYsm8
- >>DCTCさん
おさづけは、取り次ぐ人、取り次がれる人の
調和により不思議な効能が現れると私は思います。
子供がおさづけにより助かると言う事をよく聞きますが
それは、素直な心、信じきる心が、神に働くのだと私は思います。
- [509]いく 06/10/10 00:09 D-Pdt1z
- 私は普通の仏教の家で生まれそだったのですが、天理教などに興味があります。
そこでお聞きしたいのですが、天理教と天理本道と世界心道教はどんなつながりがあるのですか?
なにやら色々耳にして、気になっているので誰か分かる方教えてください
- [510]いく 06/10/10 18:29 D-Pdt1z
- こんばんは。昨日質問したんですが、分かる範囲でかまわないので、誰か回答していただけないでしょうか?分からなければ仕方ありませんが…。
- [511]はじめ 06/10/10 18:51 b5nznfqNUZ
- こんばんは、
いくさんへ。
私はほとんど両教団について知りませんので、検索したURLを示しておきます。参考にしてください。
ほんみち(天理本道)
http://www.rirc.or.jp/data/output.cgi?id=98102001
世界心道教
http://www.rirc.or.jp/data/output.cgi?id=00020807
- [512]いく 06/10/10 20:24 D-Pdt1z
- 》511 はじめさんありがとうございます。
世界心道教についてはあまり書いてありませんでしたが、ほんみちについては結構詳しく書かれていたのでなんとなくわかりました。やっぱり何か関係ありそうですね。
実は私のおばの家が昔、ほんみちの寄り所をやっていたことや、この前自宅に世界心道教の人が回ってきたりして気になっていました。友達が天理教ということもありまして…
- [513]はじめ 06/10/10 20:46 b5nznfqNUZ
- DCTCさんへ
こんばんは、文書では取り違えも多々ありますので、思いつくままに書かせて頂きますが、どうか気を悪くなさらないようにお願い致します。
>>499
>主人の家の上の教会(?)の会長さんにきいてもおさずけしかしてくれません。どうして怪我や病気をしたのかという根本的な心の改良をしなければ、おさずけばかりやっていてもご利益がもらえないのでは?
>おやさまにお願いするだけではただの神頼みではないのか?と考えてしまいます。
>>500
>私としては、おさずけもいいのですが、折角天理教の教えを聞いているならもっとりをさとってほしいのです。
>たとえば、足はお金や運び、左は男、右は女の理ですよね。
こうお話し下さっていますが、これらのお話しは会長さんから聞かれたのでしょうか?
もし会長さんから聞かれたのであれば、義母さんも聞いておられる訳ですね。
>>500
>はじめさんはわたしが毎晩義母におさずけをしていると思われているようですが、私ではなく、お爺ちゃんがやっています。
立ち入った事をお尋ねしますが、
DCTCさんはおさづけを頂いておられるのでしょうか?
お爺さんは義母さんの身上について何て言われているのでしょうか?
>今の天理教は、お助けしてもらえないんですか?それともここの会長さんだけなんでしょうか?
どういう思いでおさづけしかされないか分かりませんが、色々な会長さんがあるかと思います。
例えば、今の道の教職員さんが急に身上になったり、事情によって教会長になることを心定められて、会長さんになられたとしたら、DCTCさんの求めておられるお諭しは出てこないと思います。(道の教職員さんすみません。)
教会の後継者や家族で、あまりお道に興味を持たなかった方、あるいは反対していてほとんど教理を聞いたことがない方が、自分が身上になったり、大切な家族が身上になったりして、その時に事情教会を受けないか?または会長にならないか?と言われて、ただ単にその心定めだけで、不思議なことなのですが、身上や事情をご守護頂かれて、会長になられた方が結構あるのです。
会長になられてから勉強されたり、悟りを得られたかはそれぞれで分かりませんが、これまた不思議なことにおさづけを取り次ぐのを嫌がられる方もあるのです。
それを思うと、何も言わずとも、おさづけを取り次がれる会長さんは良い方だと思います。
>私からみていても、義母は教会にも足を運びませんし、家の月次祭の式にも出ません。最近では義兄の結婚話がまとまりそうで、お嫁さんがきたら部屋がないので隣に自分達用の離れをたてる予定らしく、結婚資金と離れのお金のことで先を案じた心を使っています。
>おさずけもいいのですが、心間違いの根をきって、因縁をきっていってほしいのです。
なるほど、そうとう勉強なされていますね。でもなんだか大平良平さんの文章を読んでいるような感じがします。
家族の心が寄って、家族でいんねん切り替えの歩みが出来ますように、そして、その輪が近隣に広がりますようにお祈り致します。
失礼致しました。
- [514]はじめ 06/10/10 20:55 b5nznfqNUZ
- >>512
>やっぱり何か関係ありそうですね。
そうですね。
リラックマさん。
こんばんは、突然で申し訳ないですが、
「嫁は実の娘が帰ってきた」と言われる出典をご存じないでしょうか?
逸話編を検索したのですが、なかったんです。
- [515]T.N.Doctrine 06/10/10 22:19 YNtn3aPvNO
- 道の教職員さん、こんばんは。
一昨日は我が家の月次際で、ちょうど長男夫婦も帰って来ていましたので、お蔭で久し振りに女鳴物でも出そうかと言うほど賑わいました。(一昔は女鳴物三曲とも揃っていたのですが、最近はどうも私が至らないために・・・)
朝のうち、ご町内の勤労奉仕に出て行ったものですから、月次祭の開始が一時間も遅れたのですが、祭典後、これも旬のものと思い、皆の了解を得て例の「鏡の法則」を延々と朗読させて貰いました。
皆さん涙を流しながら、じっと聞いて下さいました。
(お蔭で直礼の開始が2時半を過ぎるはめになってしまいましたが)
昨日はひのきしんで一日つぶし、結局今日やっと掲示板をのぞいたので返信が遅くなってしまいました。
>>494 参りました。と言うかお恥ずかしい限りでした。
普段科学的な裏づけを求めようとしているのに、何だか初歩的なミスを犯したような気分です。
どうもサンマーク系統の本は「水の世界」などもそうですが、科学的な装いを持たせながら科学とは違った方向に持っていく傾向があるのかも知れません。先に結論があって科学がそこに導くための小道具に使われているような感じもします。
科学を信じる人間が、簡単に科学的化粧に騙されてしまうのは、オウム真理教に集まった知的エリート集団の例を見るまでもないでしょうね。
いずれにしても自分自身もっとシビアにならなければと、自戒した次第です。
それからワカシムさんのホームページのご紹介有難う御座いました。彼の学究姿勢、大いに学ぶべきと思いました。
人生常に勉強ですね。知っていることより知らないことがいかに多いか、今更ながら痛感させられました。
ただ、「以心伝心」そのものは、体験的なものがありますから、超能力の世界というより超心理学の世界で捉えて生きたいと私自身は思っています。
- [516]リラックマ 06/10/10 22:57 D-snzhw
- >>514はじめさん、こんばんわ。
お尋ねの逸話ですが、「前生の嫁が、子供になって帰ってきた」という話なら知ってます。※正文遺韻抄159〜161ページの「子供の盗癖おさとし」という逸話ですが…。
- [517]T.N.Doctrine 06/10/10 23:08 YNtn3aPvNO
- >>499,>>500 のDCTCさん、
我々皆、勘違いしていたみたいですね。お道のことをよくご存知で。
>>513 で、はじめさんがお答えになっている通りだと思いますが、例によって蛇足を少し・・・。
「身上諭し」について、例えば足を痛めたのは運びが悪いからといったお諭しなどよくありますが、本当に関連があるのか私にはよく解りません。ただそう言われて、心を切り替えられてご守護を頂かれた方も多々あるのでしょう。
思い直し、勇む心が、足をも勇ますことはあり得るでしょうから。
ただ、(これは私の個人的な考えですから、一意見として聞き流してもらえばいいのですが)、以前に書いた後ろ向きに走って来た犬が私の車にぶっつかってきた話のように、過去の心遣いとは無関係の事故・偶然と言うのは確率の問題であり得ることだと思っています。勿論、信仰的に言えば何事も神様のなさることで、なってくるのが天の理なのでしょうから、偶然などと言うのは正当な天理教信者の発想ではないかも知れませんが、無理に神意を読み込もうとすることの危うさを思うわけです。不確定のものを、偶然として一時棚上げするような発想があってもいいのではないかと思うのです。
しかし、もしも表れてくることの頻度が多いとすれば、何らかの精神的な事情があると思います。
気が短くてイライラする人が事故を起こしやすいとすれば、そういった性分を直すべきでしょうし、注意力散漫な人が怪我をしやすいとすれば、安全に対する考え方を改めるべきでしょう。
ストレスを溜め込む人が病気になりやすいとすれば、ストレスを溜めないような「たんのうの心」「喜べる心」を持てるよう、心の切り替えを図っていくことが大事でしょう。
私にはこのようなことが「天理」であるように思えるのです。
ちょっと話がズレるかも知れませんが、かつて読んだ「身上諭し」の本の中の「かっけ」の項には、ビタミンBを取ればいいとだけ書いてありました。心遣いのことなど書かれてなかったのです。
その流れで言うと、骨折・・・外科に行けば宜しい、となってもおかしくないと妙な気分になったものです。
要は「身上諭し」も絶対のものと言うより、各人の悟り方の問題ではないかと思っているのです。
>>509 いくさん、こんばんは。
もうご納得かも知れませんが、「ほんみち」については「天理教を語る!!」の >>465,>>466 で、普通の天理教徒さんが述べられていること、ご参考になるかも知れません。
- [518]リラックマ 06/10/11 00:25 D-snzhw
- とみ新蔵さん、こんばんわ。>>476で言われた「八つの埃」のお話、確かにそうなのかな?とも思えますが…。そこで、ちょっとおさしづを検索してみました。
明治26年12月24日 島村菊太郎妻銀代指腫れ身上に付願
『どんな所でも話するは八つのほこり、又いんねん為す事諭して居る』
明治32年7月23日 天理教独立願書に添付する教会起源及び沿革、教祖履歴、教義の大要に付御願
『日々八つ/\のほこりを諭して居る。八つ諭すだけでは襖に描いた絵のようなもの。何遍見ても美し描いたるなあと言うだけではならん。めん/\聞き分けて、心に理を治めにゃならん』
補・明治20年12月4日 植谷吉治郎身上願
『八つのほこりの道もある処、理を聞き分け』
補・明治21年5月 中西平次郎身上願
『銘々身の内かりもの八つの道、世界の処へ皆映してある。皆いんねん。いんねんなら世界の鏡に映してある。』
補・明治21年7月4日 山田太右衛門身の悩みに付伺
『人間というものは、身の内かりもの八つのほこり、この理を分かりさいすれば、何も彼も分かる』
補・明治21年7月24日 田代兵蔵身上願
『身のかりもの八つのほこり一時分からんやならんで』
以上です。まだ研究の余地はあるとは思っています。とみ新蔵さんの言われる事が、ホントの可能性もあるでしょうね。
話は変わって、天理の知人から「劇画・中山みき物語」が送られてきましたので、ヒマを見て少しずつ読ませて頂いております。まだ途中ですが、いくつか疑問が浮かんでおります。いずれまとめて質問させて頂きますので、その時はよろしくお願いします。
- [519]DCTC 06/10/11 00:45 D-Pdt1z
- はじめさん、こんばんわ。さらにアドバイスありがとうございます。みなさんに天理教のことよくご存じで。っていわれてるみたいですね。
実家の母の実家(分かりにくくてすみません)の迎えに天理教があったらしく、子供のころそこの娘さんと遊び半分で(すみません)色々勉強したらしく、その時のそこの会長さんは身上諭し?とかを教えてくれたらしいのです。なのに、実の母から聞いていた教えと、嫁いできた先の教えが、同じ天理教なのにちがっていたので、不信感をもってました。
でも、みなさんのアドバイスから、教会ごとでやり方というか会長さんとかが様々なんだなぁ〜と感じました。
- [520]DCTC 06/10/11 00:51 D-Pdt1z
- はじめさん。申し訳ありませんが、大平良平さんとは何をなさったかたですか?
過去の内容をみれば分かるかもしれませんが、携帯からなので探すのに一苦労です。迷惑でなければ教えてください。
- [521]はじめ 06/10/11 08:27 b5nznfqNUZ
- DCTCさん。おはようございます。
>>519
>実の母から聞いていた教えと、嫁いできた先の教えが、同じ天理教なのにちがっていたので、不信感をもってました。
なるほど。あなたが天理教に深く縁のある方だったわけですね。
>教会ごとでやり方というか会長さんとかが様々なんだなぁ〜と感じました。
このようになってきたのも、色々な原因(一つだけではなく、複雑なもの)があると思っています。(この原因を捜すのも教えを知る手がかりかも知れません。)
>>520
>大平良平さんとは何をなさったかたですか?
詳しくは知りませんが、天理教の体制批判をして、天理教を去った方と言うことを聞いております。
私よりもリラックマさんがよくご存知で、その方の書かれた文章をここで紹介して下さっています。
私が>>513で
>でもなんだか大平良平さんの文章を読んでいるような感じがします。
と書いたのは、リラックマさんが紹介して下さる文章を読んだだけの感想なのですが、余りにも第3者的な発言で、こうあるべきという事柄ばかりを押されて、「なぜそうしなければならないか。言われてもなぜ出来ないか。」という心を理解されていない言葉のように思えたのです。(いんねんあって家族や、兄弟の中の兄弟と言われる教友になったのに・・・)
「見るもいんねん。聞くもいんねん。世話取りするのは尚のこと。」と聞かせて頂きますが、このいんねんの思案が難しいと思っています。
お道を嫌っておられた義母さんに、何も語らずおさづけを取り次がれているお爺さんがすごいなぁ。その姿・心がDCTCさんの心を動かしているのかなぁ。なんて改めて思わせて頂きました。
>>516 リラックマさんありがとうございました。
>お尋ねの逸話ですが、「前生の嫁が、子供になって帰ってきた」という話なら知ってます。
そうですか。私はずっと「嫁は前生の実の娘が帰ってきた」というのが教祖の言葉にあると思い込んでいました。
でも、「嫁は姑に似る」と言われますが、うちの嫁さんを見ると本当に姑である母親にそっくりの性格を持っていると感じるんです。
うちの嫁だけではなく、弟の嫁もそうなんです。(似ている部分は違います)自分の子どもが自分と同じ性格を持つように・・・なんです。
ありがとうございました。
- [522]DCTC 06/10/11 10:35 D-Pdt1z
- はじめさん。おはようございます。
第三者…。そうだと思います。私の発言が天理批判に聞こえていたら謝ります。すみません。
ただ、天理教の家に生まれ育ってない私にとっては理解しがたいことが多いのです。皆さんでいったら、来年から天理教徒でなくキリシタンになりなさいと勝手に替えられたような感じなんです。
ただ、分からないことだらけで不安なのです。それに、家を建てて神棚を造ったときに、だまされるようなことをされりしたので、正直不信感も取れません。
私の行き場のない心はどうしたらいいのでしょうか?
- [523]とみ新蔵 06/10/11 17:32 4qmVRkdCXb
- リラクマ氏へ。
本席さんの「おさしず」は教祖とは、少々ズレがあるように感じていますね。
ま、こんなことはイエスの弟子やブッダの十第弟子にも、代親鸞の弟子にも、にも言えることで、むりからぬことではありましょうが、、。
また、すでに「八つのほこり」は、すでにイカン!と本席さんも認めなかった、神道教団内部で、公然と説かれていることですから、本席さんとしても、その範囲のなかで、論じて行くしかないのではないでしょうか、
これは、私などもそうですが、社会でもまま見られる現象です。
例えば、自分が、多くの学会さん達や、エホバ信者さんの中で、道を説くことを想定してみてください。
その中での専門用語を使って説くしか、耳を貸してもらえませんし、皆さんに、説得力を持たないことが多いのです。
ある人が、おさしずを筆記した増野正兵衛さんに「おさしずはどれくらい筆記できたのですか?」と聞かれて
「十中八・九」と答えています。
「十中八・九書けたのですか?」との質問に「十中八・九書き漏らしてある」
と答えたそうです。
二代真柱も原典のなかで「おさしず」を最下位に置いたのは、その辺の事情もあったのではないかと思う次第です。
また、人間の「言葉」というものは、どうしても限界のあるものですから、その言葉の中から、一体、何を言いたいのだろうか、、?
そこを思案することが大切だと思っています。
真理を伝えることって、とても、とても、難しく、容易ではないことが、貴殿にも分かりましょう、、、。
お釈迦さんも、こんなことを言っても誰も、容易には理解してくれないだろうと、言おうか、言うまいかと悩みに悩んだ末の、説法でありました。
また、イエスが、額から血の汗を流したという聖書の逸話も、理解できませんか。
続く。
- [524]はじめ 06/10/11 22:06 b5nznfqNUZ
- >>522 DCTCさん。こんばんは。
>第三者…。そうだと思います。私の発言が天理批判に聞こえていたら謝ります。すみません。
いえいえ。全然謝ることはないです。私には天理教批判には全く聞こえてませんよ。それよりも、理論立てて筋道を通すようにと考えられる方ならば、そのようにみられるのは当然の事だと思ってます。
後先考えず、その時だけの思案をするかたならば、そうした見方はされないと思うだけなのです。
それよりも、私とやり取りして迷惑ではないか?と一寸不安に思ったり、申し訳ないように思ったりしています。
>ただ、天理教の家に生まれ育ってない私にとっては理解しがたいことが多いのです。
そうですね。でもこれは教会に生まれ育っても同じ事なのです。なんでそうなるの?と言うことはいっぱいです。
普段は親々の姿を見て何気なくやっている事でも、いざ身上や事情にあって、思案するときなどは、「世間の常識では、科学ではこうなのに〜〜。学校ではこう教わったのに〜〜。なんでそんなことするの〜〜。」の繰り返しです。
ただ、その時に「そんなこと言ったって出来ない。」とか「理屈に合わないから」として自分の思いを立てると、良い方向には進まず、親の思いや周囲の思いを立てると結構良い方向に進んで、不思議だ。と言うことが多々あるのです。
その積み重ねで段々と自信がついてくる物だと思っています。
>ただ、分からないことだらけで不安なのです。それに、家を建てて神棚を造ったときに、だまされるようなことをされりしたので、正直不信感も取れません。
そうですか?これは人間に対シテですよね。お母さんからの話を覚えていて、
>>500で
>私からみていても、義母は教会にも足を運びませんし、家の月次祭の式にも出ません。最近では義兄の結婚話がまとまりそうで、お嫁さんがきたら部屋がないので隣に自分達用の離れをたてる予定らしく、結婚資金と離れのお金のことで先を案じた心を使っています。
>おさずけもいいのですが、心間違いの根をきって、因縁をきっていってほしいのです。
と言われるところから思案して、親神様を信じておられるように思うのですが・・・、
>私の行き場のない心はどうしたらいいのでしょうか?
私は、>>500で「義母は教会にも足を運びませんし、家の月次祭の式にも出ません。」と話された義母さんの事と、家の宗教が天理教だからなんとか沿いたいと思いながらも、色々と見えてくることから添えないDCTCさんが重なって感じられます。
義母さんがそうされる理由が何かあると思うのです。そうした事を尋ねてみられるのも一つのように感じます。
そうそう。偉そうにこんな事書いていますが、私も親や会長さんまたは周囲に「親なのになんでやらないのか。会長なのになんだ。」と大いに不足し、批判してきた人間なのです。そして、時々その性分が顔を出します。
「いんねん寄せて守護する」で、その人達を通して自分の性分やいんねんを見せてもらっているだけで、自分自信がいんねん切り替えの道を歩まなければ、何にもならない。また同じ組み合わせで、同じ事繰り返しだ。人を批判するよりも自分が変わろうと思えた時から、心軽く動けるようになりました。
- [525]道の教職員 06/10/11 23:07 P1MadKrlL6
- コメントしたいのですが,仕事で日々疲れていまして,皆さんの記事を読むだけになっています。
>>515 T.N.Doctrineさん
おはずかしいだなんてとんでもないです。私は別席の回数が7回とか書いていましたから(笑)サンマーク出版の本は村上和雄さんの本とかも出ていますよね。暗号シリーズとか。本の作者,出典,出版社のことなど色々総合してその本のことを決めるのがいいのだと私も思いました。今後とも勉強させてください!
>>513 はじめさん,言われる通りです。身上諭しなどできませんね〜。仕方ないですが,色々な会長がいて,信者がいて,後継者がいるってことですね!これからだんだんに勉強します!
>>507 リラックマさん 理想の教会像に関する大平氏の意見,大変参考なりました。特に,
>。彼等の大部分は上は大教会長より下は単独の布教師に至る迄、表に人類の救済を唱えながら裏には教会の維持拡張にのみ腐心している。
なんていい得て妙なのだろうと思いましたよ。その当時からこのような教会と教えとのジレンマが続いているのだな〜とその問題の根深さに参りました。大平氏がその後,天理教から離れていったとのことですが,それも結果的に仕方ないことだと思いました。
大平氏の意見に関しては,かなりの部分で共感・納得できます。自分の考えと近いものがあるな〜とも思いました。新しくないのですが,非常に新しい響きに聞こえます。
というわけで明日も仕事です。最近の疲れによってくたびれがかなりあるので,この辺りで失礼します。また次の投稿はいつになることやら…。
- [526]DCTC 06/10/12 01:05 D-Pdt1z
- はじめさん、こんばんわ。そうですね。お母さんも私と同じような思いから天理教に対して素直じゃないかもしれませんね。
はじめさんと話していて、天理教の人の集団・私は外部の人という立場からしか物事を考えてなかった気がします。皆同じ人間なんですよね。そう考えたら気が楽になった気がします。
おりがとうございます。
- [527]リラックマ 06/10/12 10:28 D-snzhw
- 昨日は道の教職員さんと同じで、皆さんの投稿を読ませて頂くだけで、力尽きてしまいました。
>>521はじめさん、こんにちわ。逸話ですが、私が思い浮かばなかっただけで、そういう話が無いとは限りませんよ。ただ、おさしづにならいくつか思い当たりましたが…。
参考までに…明治21年4月16日 山澤サヨの願〜、サヨ生まれてより、六十日経ちて、身上障りに付願
さあ/\/\小人の処、さあ/\小人々々、さあ/\小人々々連れて戻りた/\。一寸生れ出し大変の処、案じる事はない。どう成るこう成る、又々の処尋ねる事情をさいてある。今の処一つ分かる。今までの処早く呼び出せ/\。一つの処早く名を呼び出せ。待ち兼ねて連れて戻りた。親が子となり、子が親となり、名を呼び出せ。一時名を呼び出さねば分かろうまい。さあ/\生れ更わりたで。名ははる。名は付けたる印の名でよい。一時呼び出さにゃ分かろうまい。
「はる」とは、教祖の次女で、初代真柱の母である春子さんです。「山澤サヨ」さんは、初代真柱の姉である「山澤ひさ」さんの長女です。
はじめさんは、おさしづは手元にお持ちですよね?参考になりそうなおさしづを、年月日のみ記します。
明治20年12月9日
明治21年2月15日
明治21年8月30日
明治22年6月16日
明治23年5月10日
明治31年4月29日
明治32年3月23日
明治33年9月24日
明治33年10月3日
明治34年9月23日
※『神の出現とその周辺』高野友治、40〜42ページも参考にどうぞ。
- [528]リラックマ 06/10/12 11:42 D-snzhw
- >>521大平良平は、雑誌「新宗教」大正4年8月号の中で、
〜世人は、私をもって非常の悪党の如く考えているものがある。又非常の善人の様に考えているものもある。非常の勇者の如く考えている者もあれば、非常の臆病者の如く考えている者がある。又非常の賢人の如く考えている者もあれば、非常の大愚の如く考えている者もある。私は之れに向って一言の弁護もしようとは思わぬ。何故なれば自己弁護は自証であると同時に、しばしば自傷に陥る危険があるからである。
と語っています。彼の印象は、人によって実に様々であったようです。はじめさんの仰る事、よく分かります。私が思うに「理と情」という問題のように思います。教祖は「情に流れなよ」と仰っています。理を語る際には厳しい言動にならねば、情が交じると意味がぼやけて相手に伝わらないからだと思います。彼の著作をよく読めば、彼がいかに教祖に心酔し、道の行く末を案じていたかが分かるのですが、何しろそれを紹介する者が私ですから…。
- [529]リラックマ 06/10/12 12:35 D-snzhw
- とみ新蔵さん、ありがとうございました。
おさしづは人間が書き写したものであり、間違いはあるでしょう。(おさしづに対する、とらえ方の差異は一先ず置いておきます)
書き取り人によっては、様々な漢字を当てがっている訳ですが、当て間違い、読み違いはあると思っています。
たとえば「八町四方」(明治27年11月17日)ですが、私たちは通常「八町しほう」と読みますが、本当は「八町よほー」と読むようです。
※みちのとも昭和11年6月号、第四回教義及史料集成部座談会記事にて高井直吉氏が、教祖が「八町よほー」と仰ったと断言されています。
神名についても、おさしづでは一律「天理王命」となっていますが、本当はどう発音されたんだろうなぁ?と思っています。
さらに、昭和初期に下付されたものと、今現在下付されたおさしづの中には、平仮名で書けばいいのに、違う漢字を当てている部分もあるようです。これは、教祖が「漢字で書けば理が狭まる」と仰せられている事に対して、あきらかに逆行する行為だと思います。
おさしづは、平仮名で下付すべきだ!と、私は個人的に思っております。
- [530]リラックマ 06/10/12 16:38 D-snzhw
- 連スレになります。すみません。
>>525道の教職員さん、ありがとうございました。次に「教会・理の親制度」について、前の真柱さんがどう考えておられたか?、を紹介させて頂きます。これは「かなめ会」という本部直属教会長の集まりにおいて、立教156年(平成5年)4月27日に行なわれた、かなめ会総会の席上でのお話です。
〜あまり面白くない話ですけれども、百年祭以降、教会の離脱問題であるとか、或いはまた、教会のお目標様が、どこかへ行ってしまわれたとか、というような寂しい話が耳に入って来るのであります。私はこういう姿を見せられる時に、教会というものが、いったい、その存続することを親神様はお喜びなのか、お喜びでないのか、教会の存続、教会の存在が果たして御神意であるかどうかということにさえ、何か自分自身で迷うような、実はこのごろであったのであります。
少なくとも教会の在り方を再考せよと、考え直せと思召し下さっておる、これは御神意ではないかというふうに受け取らせて頂く〜。
教会にあっては教会長を芯と、ある場合には考えることもありますが、その場合でも、関係者からは芯として、心を寄せて頂いても、寄せて頂く教会長そのものが、親神様・教祖の芯と同じように並ぶ芯になっちゃいかんと。分かりますでしょうか。私はそう思うのであります。芯として合わせてもらえるような努力を払わなかったならば、芯としての値打ちが無いんです。
いつも言うことでありますが、合わせてくれる人を探し求め、合わせてくれる人を導くことを意識するよりも、自らが親神様・教祖を芯とする教会長である、教会を預かる教会長であるという意識を先に立てて、自らが今度は教会長であれば教会の芯として、メンバーから信頼され、心を寄せてもらえるような芯になることに心を置くことが先決問題であると申したいのであります。
〜教典にもありますが、親神様・教祖・ぢばはその理は一つである。その通りであって、それに並列して自分をその中に加えないように、私は注意をしなければならないと思うのであります。
以上です。またしばらく資料はご紹介できそうにありません。失礼いたします。
- [531]とみ新蔵 06/10/12 17:06 4qmVRkdCXb
- リラクマ氏へ。
人間というものはみんな「生まれ替わり」ですよ。
どの人も「一代限りではありません」。
思想も肉体も、
「親から子、子から孫へ」と連綿と続いてきた、生命です。
肉体的にも精神的にも、何事も、あらわれた結果には、必ず因縁(原因・縁起縁承)があるわけです。
例えば、腹ばかり立てる人は胃が立って、血液も酸性になり勝ちです。
そんな親子が二、三代も続くと四代目は、体の酸性がツヨクて、胃も弱い体質になって生まれついてしまうことも、あり得るようです。
これはユングのいうところの「生命の記憶」でもあり、生物学的にも、遺伝子レベルで、大きな作用も果たすという所以です。
ただ、日本人は生まれ替わりというと、すぐに、霊肉二元論で考えてしまう、滑稽なほど、伝統的な「癖」が思考の軸となって、身についてしま
っているのですネエ、、、。
実は、私には「おさしず」の中の「前生」も「いんねん」も、
霊肉一元論で解釈しても何の矛盾もなく、なるほど、そうだなあ、と納得出来ることを、記しておきます。
ただ、二元論での解釈が、いいとか、悪いではなく、明治から終戦までの差別的な「大迷信」の時代には、この「中迷信教理」でも、人が救われたのです。
でも、現在は、ま、相変わらず、迷信好きな人もいるわけですが、まず、「小迷信」の時代に入っているとはいえましょうか、、。
そんな時代ですから、いつまでも応法教理では、教外でも悩み、教外から見ても、なんの変り栄えもない、人のよい人の集団の、保守的思想の、拝み祈祷教団としか、観えないわけです。
そしておさしず、というものは、その「時代背景を詳細に把握」しておきませんと、「理というもの」を悟り違えてしまう、危険性があるものと、考えています。
また、おふでさきだって、はたして、みんな、発表されているものか、チト、疑問に感じていますネ。
みかぐら歌だって、重大なところが三箇所、変えられているわけですから、そこらへんのところも、要注意しつつ、理を求める必要がありましょうか。
- [532]T.N.Doctrine 06/10/12 21:06 YNtn3aPvNO
- >>528 リラックマさん、こんばんは。
大平良平氏の話、恥ずかしながら私はその存在さえ知らなかったのですが、あなたのご紹介をずっと読ませてもらっていた中で、先に述べました「階級の区別」などの見解ではやや違うかなという思いこそありましたものの、氏の良心・信仰への熱く真摯な思いは十分に伝わって参りました。
ただ西山輝夫氏が仰られたように、氏が「ひながた」を辿ろうとした形跡が少なかったのではないか、信仰的な実践の人ではなかったのではないかということが、イマイチ説得力に欠けたと申しましょうか、賛同者に恵まれなかったと言う結果に終わったのではないかと思います。
しかし、氏の説くところが新鮮な響きを持ち、今の時代にも通用すると言うこと自体が何だか情けないような気もします。
氏の思いを形にできるとすれば、やはり後に続くものがそれを乗り越えうるような行動の人でなければならないのでしょう。
>>530 前真柱さまのお言葉の紹介有難う御座いました。親の思いが伝わってきます。さぞ残念な、辛いお気持ちなんでしょうね。
随分と遠慮された言い回しになっていますが、言わんとされようとすることは、大平良平氏の思いとそんなに変わらないように思います。
先代の教会長さん達が、「ひながた」を辿り(あるいは辿った積りで)神に近づく道を歩まれた結果、本当に神に近づいたかのように神座に座ってしまわれたのかも知れませんね。おさづけの結果幾多の奇跡的なご守護を頂いたとしても、それは自らの力でなく、あくまでも親神様、教祖のお力と思えば、そんなに偉そうに構えられる義理ではなかった筈なんですが・・・。
それから道の教職者さんと交わされていた、あるべき教会制度についてですが、私はお二人の話をただ、ふんふんと読み繋いでおりました。敢えてコメントしなかったのは、総論はそうだとしても、各論になるとどうなるか、具体的にどういう方向で第一歩を踏み出すべきか、フォローさせて貰える有効打が出せなかったためです。
皆で知恵を絞りたいものですね。
- [533]T.N.Doctrine 06/10/12 21:57 YNtn3aPvNO
- >>531 とみ新蔵さん、こんばんは。
仰られることよく解ります。
遺伝子レベルでの記憶は、連綿としてあると思います。
生物進化の過程で、脳が未発達の下等生物でさえ、過去の経験を蓄積して進化の道筋をたてていくものだと思いますので、遺伝子がそれを記憶し伝えていく以外にないでしょう。
記憶というシステムが内包されてないのに、いきなり脳という専門店が出現する筈もないでしょうし。
それから、「小迷信」ですか。確かに因縁の捉え方、難しいです。
ここのスレでも何度となく言及されてはいるのですが、因縁切りがいつまでも信仰の中心とされていくなら、他の宗教団体と余り変わらなくなってしまいますね。従ってお道のこれ以上の発展も望めないということになりそうです。
そうではなくて、「陽気づくめ」の世界を築いていくために、我々がどう心の切り替えを果たしていくかという大きな目標に立たねばならないのでしょう。
我々個々の命が、多少長かったり、短かったりするのは、悠久の天地からするとまさに微細なもので、どうせすぐに一生を終えてしまうのに何を大騒ぎしているのかと言うところかも知れません。
しかし、それが人間なのでしょうね。特に身上者にとっては、正に目先のこと、困っている今の自分の事を考えるだけで精一杯なのです。他人のことを構ったり、世界全般の事を考えたりする余裕など全くないわけです。一年でも、一ヶ月でも、或いは一日でも長生きしたいと願っている病人がいたとして、それは軽侮することでもないでしょうし、因縁話、身上諭しがそれに有効であれば、それに委ねることを是とすべきだとは思うのです。(勿論、条件付ではありますが)
>みかぐら歌の重要なところが変えられている・・・といったご指摘。
確か昔、宗教学者の村上重良氏の著書に、「四つ、世直り」は元は「四つ、世直し」だったが、明治のいつ頃かに訂正されたと書かれていましたね。
仰られているのはそのような内容のことなのでしょうね。
- [534]はじめ 06/10/12 21:57 b5nznfqNUZ
- >>525
道の教職員さんへ。
>>513で例えととして用いて誠に申し訳ありませんでした。重々お詫びいたします。
私には身上さとしは出来ません。という言葉を見たものですから、色々な方がいる、身上さとしが出来なくても素晴らしい人はいると言うことを強調するつもりで、例えに使わせて頂きました。
誠に申し訳ありませんでした。
身上さとしが出来なくても、おたすけは出来るのではないかと私は思っています。反対に○○の身上はこういう心使いが悪いからと言わずに、身上者の性格を推し量る材料として身上さとしを心得る事が大切なように感じます。
私自身も身上さとしは分かりませんので・・・・オイオイと勉強していきたいと思っています。
本当に申し訳ありませんでした。m(_ _)m
- [535]はじめ 06/10/12 23:20 b5nznfqNUZ
- >>526
DCTCさん、こんばんわ。
>皆同じ人間なんですよね。
はい。基本はそうなんです。
理と情、この使い分けがすごく難しいと思いますが、日々勉強、修行かとも思います。
ありがとうございました。
- [536]とみ新蔵 06/10/13 14:46 4qmVRkdCXb
- 「因縁話、身上諭しがそれに有効であれば、それに委ねることを是とすべきだとは思うのです。(勿論、条件付ではありますが)」
との、T.N.Doctrine氏へ。
昔、東京方面の大教会長が「病のさとし」とやらの本が出して、教内で受け大評判になりました。
中味は、どっかの坊さんの日本仏教やインドのヒンズー教の影響を受けたもので、差別世界を推進する
弱い者いじめの書で、なんの普遍性もない、トンチンカンで、お笑いの内容でしたね(^^)。
あんな馬鹿馬鹿しい本を、布教師たちが読みまくって、参考にしたということ自体を、私は、実にカッコカワルク感じたものでしたヨ。
身上?原因は医者が知っています。
昔の人は私のオヤジも含めて、医者には金持ちしか行きませんでした。
また「医者の手離れ」などといっても、幕末や明治初期の医者は、いい加減な人が多く、薬もまた、オカシナものも多くあったのでした。
だから、ま、「拝み祈祷屋に流れてしまった、おさずけ」でも、気休めにはなって、病気の、改善への役割も果たしましたよ。
ただ、このおさずけが効いたとかの話は、教団では、ウソと誇張がメチャメチャに多くて、サクラの創り話が多かったことを、ビシリ!と認識してほしいのです。
私は本部関係者の中で、近くで、、このウソ宣伝創りが余りにも多いことを、知りつくしてきましたね。
ある時代「お授け」のパワーが、強烈にあった、お袋だって(そんな時はお袋は自分の生命をかけていました。失敗したら下を噛んで死ぬつもりだったということは、後から何度か聞いてゾ〜〜〜としたものでしたが、これでは全身と手から、パワーが放出するのは当然だというものです。)
そんなお袋だって、本部周辺で話されることが、実態とはかけ離れたことは知っていますので、「アレマ、、、、と苦笑していたものでしたよ」
さて、たとえば、原爆症の人に「身上さとし」をしてみてください。
イラクで白血病やほどなく死亡する、奇形の子供たちや、その親御さんたちに、身上諭しをしてみてください。
病の原因はなんでしょうか?
どうしたら直るのでしょうか?
魂を救う? 彼らは私たちよりもすくわれていますよ。
放射能汚染とダイオキシン汚染やオゾン層の破壊からガンは加速して増えていますが、その人らに、どのような身上諭しをしたいのですか、、。
根本原因はなんでしょうか?
この病の根を切る努力をするのが本来の道の者だと考えています。
70歳を越えて病気で死ぬ?
冗談じゃない。
爆撃や餓死で死ぬ人々からくらべると、感謝感激「病気でしねるは幸いなるかな」
というものです。
80や90を越えて、死ぬ?
極楽往生、なんと、目出度き御仁なるかな。テナものが、今の世界の現状だと考えます。
終了です。
- [537]リラックマ 06/10/13 19:04 D-snzhw
- とみ新蔵さん、お心配りありがとうございます。
私が霊肉二元論にこだわるのは、今の私の思想レベルでは、霊肉二元論でないとどうしても理解出来そうに無い逸話がたくさんあるからなのです。T.N.Doctrineさんがよく言われる「グレーゾーン」というヤツです。
しかし、「前生」も「いんねん」も霊肉一元論で理解可能という事なので、物事を多角的に見る力を養う意味でも、原始仏教について学んでみる事は有意義な事かもしれないなぁと、思わせて頂きました。
話は変わって、失礼を承知で言わせて頂きますが、とみ新蔵さんは、メチャクチャ「頑固オヤジ」ですねぇ(^^)。一度自分がこうだと思ったら、余程の事がないと考え方を変えないタイプかと。私がそうなので、なんか似てるなぁと思ったもので(^^)。
「劇画中山みき物語」、今の処半分くらいまで読みました。途中で分からなくなったら、又最初から読んだりしてるので、なかなか最後までいきません。
それで、途中まで読んだ感想ですが、とみ新蔵さんが考える中山みきは、お釈迦さんの教えをさらに発展させた偉大な宗教家なんですね?つまり天啓教ではないと、お考えなのですね?
とみ新蔵さんの中山みき像は、根っこにそれがあって、その考え方にそぐわない逸話は全て捏造されたものだ!と考えられている。読んでいて、そういう風に感じました。
しかし、自分の考える中山みき像に合わない話は全部捏造されたものだという考え方は、随分乱暴な考え方ではないでしょうか?
その方式で行けば、儒教を発展させた偉大な宗教家にもなれば、キリスト教を発展させた偉大な宗教家にもなり得るし、いろんな中山みき像が生まれてしまうと思います。
分からない、理解出来ない逸話は「グレーゾーン」として置いておき、とりあえず理解出来る処から対処していくのが、真摯な研究家・求道者の姿勢ではないでしょうか?
とみ新蔵さんの、「逸話は捨てろ」という言葉と、飯降政甚さんに「事実を打ち消せ」と迫った某本部員とが、私にはダブって見えました。
その当時、直接教祖から話を聞いた本人の話と、とみ新蔵さんの話と、どっちを信用するかと言われれば、私は迷わず前者を選びます。本人がウソを言っているのであれば、どうしようもないですけどね…。
それはさておき、霊肉一元論についてもっと知りたいので、お薦めの著書がありましたら教えて頂けないでしょうか?
- [538]リラックマ 06/10/13 21:04 D-snzhw
- >>532T.N.Doctrineさん、ありがとうございます。
大平良平の説、暇をみて又紹介させて頂きます。
理想の組織像、何か思う処がありましたらよろしくお願いします。
とみ新蔵さん、霊肉一元論による病のとらえ方ですが、霊肉二元論でしか今まで考えた事がないので、イマイチ腹に納まりません。もう少し砕いた説明を、初心者にも判りやすくお願いします。
よろしければ、ドクトリンさんもお願いします。T.N.Doctrineさんは、私ととみ新蔵さんの中間におられるような気がしますので。
- [539]T.N.Doctrine 06/10/13 21:05 YNtn3aPvNO
- >>536 とみ新蔵さん、レス有難うございました。
>因縁話、身上諭し・・・
やはり、そこを突いて来られそうな気がしていました。(苦笑)
玉虫色の表現でしたからね。
とみ新蔵さんには、ごまかしが効きませんし、正対してお話させてもらうべきでしょう。
>条件付ですが・・・と断りを入れた積りではあるのですが、説明不足であり、また余計な気配りがあったかも知れません。
この辺りのことを語ろうとする時、私の心の中のグレ−ゾーンが顔を出し、断定的な表現を避けようとするのかも知れません。
常に科学的、客観的であろうと努めているつもりですが、心の織り成す世界の不可思議さをどう裁いていこうかという迷いがあるとも言えそうです。
根っこの方に、神を自然そのもの、理そのものと考え、人間と相似の情なるものを排除すべきか、いやいや人間の肉体だけでなく感情世界も神の一部である筈だから、神も人間と同じような心情を内包していなければならないといったグレーな部分を抱えているということです。現に「おふでさき」にも神の残念・立腹という言葉が多くみられますね。
(ただその元なる心情があったとしても、人間と同じような意味合いではないかも知れません。例えば地震・大風・洪水の類の自然の猛威も神の残念・立腹とされていますが、これも一つの比喩のようなものかも知れません。この地球も、生命も、地震や火山活動のダイナミズムの中で生成されてきたものですから、神の立腹が生命を育んだということになりかねません)
で、本題に戻ります。
私の言ったのは、前生の悪業が今の身上・事情に繋がったというような従来の因縁話・身上諭しを指したものではなかったのです。今までの書き込みでも、枕元で身上者を責めるかのような諭しの残酷さ・無意味さを述べてきた積りです。
それは嘘・偽りの因縁話であったり、当たるも八卦・当たらぬも八卦の、出たとこ勝負の身上諭しであったかも知れません。
私が便法としての因縁話や身上諭しに理解を置こうとするのは、例えばこのような脈絡の中で語られるものに対してです。
足が痛いのは足を運ばないから・・・。
教祖逸話篇だったでしょうか、足の立たない子供に親を負ぶってくるようにと教祖が言われた。そんな無茶なと訝りつつ、素直に実行しようとしたら足が動くようになったとか、目の見えない娘に川原へ行って七色の石を探して来いと命じ、彼女が川原でこれと思い重い石を持ち上げようとした瞬間、目が開いたとか。
科学的に考えてあり得ない話ではないでしょう。動かない器官を必死で使おうとした時、それまで何らかの障害があった神経回路が回復したということは想定され得ます。(逆療法とも言えますが、それはそのことに気がついている人にのみ言えることで、理の解らぬ者がそれをマネしても逆に大怪我のもとになるかも知れませんね。)
足の悪いものに足を運べ、というのは昔のことですから遠方の方から実際に歩かされたのでしょう。それでリハビリのようになって足が回復したことはあったと思います。その後も修養科に入った者が足のご守護を頂いたという話はごまんと聞きます。何しろかなり歩かされますから。
ある道の達観者が病人を前にして、「この病はあなたの欲に由来している。欲の心を捨てなければ直らない」と言ったとします。その時の彼の頭の中には、例えばこのような構図が見えていたかもしれません。
欲が深い→他人といつも争っている→血圧が高くなる
→猜疑心が強い→いつも心に不安を抱えている→精神が不安定
→誰かに財産を盗まれないか心配→夜もおちおち眠れない→睡眠不足
もしこういった構図があるのなら、病気にならない方がおかしいし、薬を飲んでも一時凌ぎにしかなりません。
そういったことを読みきった上でのお諭しは、十分有効だと思えるのです。
- [540]とみ新蔵 06/10/14 02:40 zLYOWSBQMD
- とみ新蔵さんは、メチャクチャ「頑固オヤジ」ですねぇ(^^)。への、リラクマ氏へ。
アレレ、そう見えましたですか。そらエライすんませんです(^^)
私は、自分でいうのもナンナンですが、頭は悪いのですが、頭の柔軟さだけ、ここにしか、取り得の人間なんだなあ、、と常々思って過ごして来ました。
だから、これまでに、考え方を何べんも、ヒックリ返り、根本から変化してきた歴史がありました。
それは、大変しんどいことでもありましたし、これからも似た部分はあると思っています。
ただ私は信念というもの持たないようにしています。棄てているのですネ。
そして、教祖だけが偉大な方とも、思っていません。
世界には、教祖のように文明の過渡期には、偉大なる人物がいたことも承知しています。
またそんな方が、必ずしも有名になっているとは限ってはおりませんが、、。
ただ、中山みき師という人物を、歴史の中で埋没、消滅させたくない、という思いがあります。
今の教典では「天啓」となっているはずです。
以前が「神憑り」という言葉でした。
世上では「天啓」と書いて「さとり」とふりがなを付ける文も出てきましたが、「天啓」と「悟り」とは、どのような違いがあるのでしょうか?
天からの啓発と、自然を観て悟ったとはどのように相違するのでしょうか?
ご研究して頂くと面白いと思います。
また、「神憑り」と「天下り」との相違点の研究も大切だと思っています。
頭を悩ませまして、すまないことだなあ、、とは考えますが、、
リラクマ氏は求道者ですから、甘えている次第でにございます(^^)
- [541]とみ新蔵 06/10/14 03:00 zLYOWSBQMD
- T.N.Doctrine氏へ。
病の諭しの「条件つき」の意、勘違いしてはおりませんよ〜〜〜〜(^^)
T.N.Doctrine氏の仰る意味は理解しているつもりですよ。
ただ、このスレは他の、お方も見られますので、チト、キツク書いてしまったものでした(^^)
拝み祈祷に流れた「おさずけ」で病気が治ったとの作り話は、メチャ多いことは、シラケルほど(^^)本当ですが、
本当に直った話もまた、見聞していますよ(^^)
本部の神殿は、私の子供時代の遊び場の一つでもありましたし、オトナになったら私も天理教の布教師と頭から思っていましたから、大変、感心が高いわけでした。
例えば、車椅子で本部へはるばるから参拝へ来て、親神さんを熱心に拝むお婆さんがいました。
その時にはすでに、バスなどで、たすけ心の大切さも感じているわけなのでしょう。
そこで先生が、その人が歩けないのは、物理的な足からでなく、精神から来ているのだなと、経験から判りますから
「おさずけ」をしてから
「さあ!あなたは、もう歩けます!立てます!」と心を勇ませれば、そのおばあさんは本当に立って、ヨタヨタと歩きました。
杖も必要ないのです。
お婆さんは、奇跡が起こったと、涙を流し、何度も何度も神様を拝みます。
そういうことは起こります。
今は語りませんが、誠心から発する手のパワーって、中国の気孔よりもスゴイものがあります。
こんなことは天理教だけでなく、校正会でも、真光りさんでも、幾らでも御本人さんから見聞して来ました。
喩えがワルイですが(^^)
友人が風邪熱などで苦しんで、頭と身体がダルクテ「もうオレしんでもいいよ、、、」と電話で言っていたので、
フト行ってみて、(理由があって、その男が買った宝くじを私が所持していたのですが)
その友人に、まず黙って百万円をポンと渡してから「コノ間、預かった宝クジの券なあ、アレ5千万円、当たってたわい。」
「すまんけどな、其の内、1千万円だけを、一年間貸してもらうから、とりあえずや、この百万円から、返しておくわ」
と言うと、その友人はマンマト、5千万の当選に、引っ掛かってしまって、大喜び、布団から飛び出て、踊りだすわ、酒は勧めるは、金の使い道を、こうするとか、ああするとか、さんざん、話おって、翌日は元気になって、ケロっとしておりましたがな。
もちろん、翌日には券を渡し、ウソであることを話して、百万円、ブン取り返してもらいました。
「なんだ〜〜〜〜こいつが〜〜〜!」と文句いうので
「ホレイ!病気吹っ飛んどるやないかい!ワシに礼を言わんかいな!」
テナもんでしたが(^^)
この友人は、東大中退の本物の学徒だけに、「人間の精神作用って、ものスゴイものがありますねえ、、」と感心していましたっけ。
でも、その翌日には、いろいろと楽しくて豪勢な海外旅行を頭の中で、計画しておっただけに、ガックリときて、また2.3日寝込みおりましたケドモ(^^)
- [542]リラックマ 06/10/14 11:10 D-snzhw
- とみ新蔵さん、「頑固オヤジ」に見えたのは、こっちがまだ/\勉強不足で、とみ新蔵さんの根っこにショックを与えられるほど思想的に成熟していないからだ、という事が判りました。大変失礼しました。
「天啓と悟り」「神懸かりと天下り」の違いですか…。そんな事を深く追求したこともないので、勉強してみますね。お薦めの著書がありましたら教えて下さい。
- [543]これ 06/10/14 11:16 xnN8HRWKGE
- 「さづけ」は、教祖が直々に人々に渡していたのでしょう?う〜ん。
- [544]道の教職員 06/10/14 20:50 P1MadKrlL6
- >>534 はじめさん
えらく謝られているので,びっくしりました!私は本当に普通の教員という感じのようぼくなので,天理教のことがよく分かっていないのです。といっても,修養科は出ているし,おさづけの理も頂いているので,一般の方より天理教の教えに関しては少々知っているくらいです。自分の仕事に対してはいたってまじめに取り組んでいますが,天理教の活動に関しては非常に不真面目なのです。だから,気にしてもいませんし,むしろ,はじめさんが大変恐縮されているご様子が伝わってきたのでそちらの方が心配になりました。お気になさらず,思ったことを議論していけたらと思います。こちらこそよろしくお願いしますね。
おさづけに関する議論が行われていますね。私はおさづけをここ数年使っていません。何となく心の中で思いながら,子どもの頭や傷になっている部分に手を当てることはありますが。身上が全て神の思し召しだとすると全世界で起きている悲劇・事故の数々の理由がよく分かりません。それよりも成ってきたことをそのまま受け止め,そこからどうするかを考える方が建設的だと思いました。神意を図るのもいいけど,あまりにそればかりしていても原因探しみたいで結局現状があまり変わらんってことになりそうですね。
- [545]T.N.Doctrine 06/10/14 21:10 YNtn3aPvNO
- >>538 リラックマさん、こんばんは。
お尋ねの霊肉一元論か、二元論かについては、まことに申し訳ないのですが、あいまいな言い方しか出来そうにありません。
私は基本的には、霊肉一元論者なのでしょう。
霊的なもの、いわば精神性も、肉体の成長に伴う経験知の拡大とその集積及び社会関係での経験知の集積と思考によって発展するものと考えております。最初から霊という確たるものがあるとは思っていません。ただ霊として成長する種は内包されていると思います。それが魂というものだと思います。そしてそれは物質的あるいは肉体的な「生命」と表裏一体のものと考えています。最初から完成された誰かさんの霊が、その肉体的な誕生とともにドッキングするとしたら、皆、神童と思われるような行動を見せそうです。
以前に狼少女カマラの話をしました。カマラが例外ではなく、もし同じような境遇を与えられたら、誰しも人間らしい霊性を築き上げることは難しいかも知れません。「三つ子の魂、百まで」ではありませんが、その幼児期にその種となる魂が霊性を帯びてくるために、人間の母親の愛と社会関係というものが必要になってくるのだと思います。
しかし魂には生まれ持った性向というものがあります。これはまさしく遺伝です。言葉を換えると因縁ということになるでしょう。
それでは誰かの生まれ変わりとか、前生はこうだったとかの話はどうなるのかと言った疑問がおありでしょう。
この辺りも私にとってのグレーゾーンなんですが、全面的に否定することは出来ないと思っています。ただ、遺伝子・DNAというものは実に素晴らしい企画書であると同時に精巧なメモリー体だと思っています。あるいは過去の経験知が詰まっているかも知れません。村上和雄先生のお話ではないですが、それが普通はスイッチがオフになっているのに、ある時突然オンになり、ある時期の記憶を詳細に語り始める・・・というケースがあり得るのではないかと思ったりしています。今の科学者はそこまでは・・・と思っているかもしれませんが、将来的にその辺りがあぶりだされて来るような気がするのです。そして一人の人間の遺伝子が、過去の特定の人物の経験知をすべて持っていたとしたら、それはまさしく生まれ変わりということになるでしょうね。
霊との位置関係が難しいのですが、心というものも二元論では肉体と別のものと言った扱いをされがちです。しかし心というものも肉体とは切り離せないものです。心の欲求は元々肉体の欲求に発しています。勿論欲求には色々なものがあり、それぞれが対立する場合があります。心の欲求と肉体の欲求の相克と言ったようなこともありますが、一つ一つの欲求というものは、五感で感じられるのものからの組み合わせとその発展形態だと思うのです。
以前にも「−を語る!!2」で、心も引力の影響を受けるという書き込みをしましたが、心が重いとか、気が沈むとかの表現は身体性を抜きにしては考えられません。他にもたくさんの用例があることでしょう。腹のそこから笑えるのも身体があるからで、身体を離れた心が、心だけで心から笑えるようには私には想像しにくいのです。
それでは「心一つが我がの理」とはどうなるのでしょう。端的に言えば「意思」「決断」ということに尽きるのではないかと思っているのですが、これには色々と異論があると思いますし、本題からやや離れたテーマになりそうですのでここまでにします。
で、最終的に霊肉一元論なのですかって?
そこが悩ましいのです。
私の過去の霊体験を持ち出しましたが、身体と共に成長した霊性が果たして肉体を離れることができないのかどうか。
菌類が生長して、最後に胞子を飛ばす・・・
そういった一元論と二元論の交差するグレーゾーンを今、測定中です。(矛盾してますかねえ・・・(苦笑))
- [546]T.N.Doctrine 06/10/14 21:39 YNtn3aPvNO
- 矛盾。
ある男がどんな盾でも突き破るという矛と、どんな矛でも防げるという盾を同時に売っていた。
客が、それではその矛でその盾を突いてみてくれと糺した、という笑い話のような故事で有名です。
でも何でも突き通す矛に対しても、盾を垂直に当てずに、斜めに力を逃がすような技術を持った使い手だったら、絶対に突き破られないかも知れません。
絶対交わることのない二本の平行線も、遠方から見ると先の方では繋がっているように見えます。
逆に平面的に見ると交差しているように見える直線も、立体的に視ると、つまり三次元の世界から視ると、実はねじれの関係にあって交差してなったということもあります。
このように見る位置を変えたり、新たな次元を加えることで、同じ現象でも違って見えることがあります。
「矛盾」というものについても同じようなことが言えるかも知れません。
今は矛盾だと思っていることも、新たな次元が一つ二つ加われば全く違った見方が出来るようになるかも知れません。
今、最新の物理学では、例えばヒモ理論のように、この世界が我々の理解を超えるような多次元の要素から成り立っていると説明されています。
ミラーワールドや反物質の世界、或いは今まで霊界というジャンルで語られてきたものも、ひょっとすると科学的に証明されてくるかも知れませんね。
勿論、従来のものとは些か違った趣のものになるでしょうが・・・。
- [547]はじめ 06/10/14 23:57 b5nznfqNUZ
- >>544
道の教職員さん。返信ありがとうございました。
ホッと致しました。
おさづけですね。
取り次ぐ場合と、取り次がれる場合と、感じ方が違うのです。
熱心なおたすけ人の方が、おさづけを取り次いでもらったことが無く、初めてどうしようもなくなって、身近な人におさづけを取り次いでもらって、初めておさづけを取り次いで頂いた時の気分を味わうことが出来た。という事を最近お聞きしました。
私もおさづけは取り次がせて頂きますが、取り次いでというよりも、自分が身上になり取り次いで頂いて、親神様のお導きを感じながら歩んでおります。
そうした中から、やはりかしもの・かりものであり、八つのほこりがあり、いんねんがあり、そのいんねんでそれぞれの環境がある。そして、我が心の反省、悟りによって環境が変わることを感じております。
ただ、こうしたことを周囲の方にお話ししても、なかなか伝わらない事をも感じております。
ありがとうございました。
- [548]とみ新蔵 06/10/15 04:35 zLYOWQ9OqR
- ]リラックマ氏へ。
D-SNZHW
教祖の立教が、もし、ド〜〜〜ンと天の神から、神懸かれたとするならば、教祖は、な〜〜〜〜〜〜〜んの、努力もしないで、ただ、神懸かラレた、おばちゃんということになってしまいます。
みかぐら歌も、おふでさきも、何〜〜〜にも、考えないで、筆だけが、暗闇の中でも、勝手に動いたのだ、という、アホみたいなことになってしまいますもんネ。
「コックリさん」や恐山のイタコオバチャンではあるまいし、それでは教祖の努力が、一切、無になってしまいます。
神懸り説は、
明治14年に、山澤良次郎さんが、教祖へ天皇家の先祖たちが、ドド〜〜〜ンと入り込みました、
との文章が、丹波市分署へ提出されています。
それが後の、明治教典の「天井から音がして、天皇家の先祖達がそれぞれに、中山みきの身体へ入り込んだから、中山みきは尊いんだ、
その上にこれまた、天皇家の先祖のイザナミのミコト様の、お魂なのだよ、イザナミのミコト様の生まれ変わりなのだよ」
テナ書き方、言い方となってしまい、
未だにそれをシャアシャアと言う、教会長さんも、いる始末ですがな。
その次が、中野市兵衛さんのゴマ炊き場面による、真言密教の伝統を無視した「神懸かられ設の立教」の創作です。
こんなことを教えましたので、天理教では昔から
「神懸かラレラレ別派」や、伊藤青年などや、
「フット浮かぶが神こころ」と言って、勝手気侭な悟りをしてしまう「神懸かられ人間」が続出したのでした。
こうなりますと、もう、学会さんじゃあるまいし、
ものを考える習慣が、喪失状態の信者さんが増えてしまいます。
上のいうことに、ただ、盲従するしかない
「神懸かられ人間」が増えてしまいます(^^)
こういう方々を世間では「教団奴隷」またはオーム真理教みたく「サテアン内人間」だとの、評価を受けましては、
私としては、タマラナイ哀しみなわけであります。
だから、まず、そこから脱けて、教祖を語る方々が増えねばならないなあ、と考えてきたわけであります。
(昔から、歴史の中でも、上からの改革などは、まず、あり得ないことです。下が、民衆が変化してこそ、上を動かすもので、まず、何事も「自分から」だと思う所以です)。
そして、このことは、「教祖成人説」といわれて、昔からあったことで、いまだに、公式な文章には、なっていない、ただそれだけのことですネ。
公式文章にさせるのは?
貴殿のような人材が増えること、ただ、それだけと思っています。
- [549]はじめ 06/10/15 09:46 b5nznfqNUZ
- >>548
>教祖の立教が、もし、ド〜〜〜ンと天の神から、神懸かれたとするならば、教祖は、な〜〜〜〜〜〜〜んの、努力もしないで、ただ、神懸かラレた、おばちゃんということになってしまいます。
「努力」という考え方に当てはまるかは分かりませんが、
教祖になられる前の「黒疱瘡」のおたすけが、我が事しか考えられない常人とは違った心を持って、通られていた一つの証のように思っています。
月日の社となられてからの、教祖の努力というならば、どんな中でも親神様の思召に沿いきる努力。また、何も分からず、我が事中心でしかない周囲の人びとを導き育てる努力ではないかと思います。
努力ありきといっても、報われる努力もあり、報われない努力もあります。
この報われる報われないは、周囲が認めるか認めないかに関わるようにも思います。
おふでさきを読ませて頂いて、教祖=親神様と周囲が認めず、人間の目で見た物差しでしか思案できす、親の思いが分からないざんねんが沢山書かれているように思っています。
- [550]道の教職員 06/10/15 17:52 P1MadKrlL6
- >>548 とみ新蔵さんのコメントを読んで
いつも投稿を興味深く読ませていただいております。道の教職員です。
>こういう方々を世間では「教団奴隷」またはオーム真理教みたく「サテアン内人間」だとの、評価を受けましては、私としては、タマラナイ哀しみなわけであります。
自分の頭で考えていない,真実がどこかにあると思い込んで信者が多数いるからこのような評価を受けるのだろうと思います。私の家は教会ですが,信者さんの高年齢化に伴い,信者数がめっきり減りました。おそらく熱心な参拝者は一人だけだと思います。その方も教祖の教えについて自分から考えるタイプではなく,旧来の天理教の中で生きてこられた方です。その方が亡くなると,うちに来られる信者さんはいなくなります。
>教祖を語る方々が増えねばならないなあ、と考えてきたわけであります。
教祖を語るにも資料が少なくて…。どの資料を基に語ればいいのかよく分かりませんでした。とみ新蔵さんのお話だと昔の仏教の勉強をしなくては教祖の言い分は分からないよと以前の投稿で書かれていた気がしました。私の中の仏教のイメージは死・病・老などをいかに受け入れるかということを徹底的に論理的に考えていくものだと思っています。教祖の教えがその仏教といかなる関係にあるのか私には皆目分かりませんが,中山みきという人間が唱えた教えには大変興味があり,だからこそ,この天理教から離れられないのだろうと思います。
教祖が人間であるというのは,自身から井戸に身投げされようとするお話があったと思いますが,その辺りからも感じられるな〜と思っていました。
教祖の説かれた人間に関する理を学びたく思います。これからも色々教えてください。
- [551]リラックマ 06/10/15 21:09 D-snzhw
- >>545T.N.Doctrineさん、ありがとうございました。
おかげで何となく判りました。う〜〜ん、しかし霊肉一元論でお道の教理を観ていこうとすると、しばらく霊肉二元論のニオイがする逸話は頭から除外しないと混乱しそうです(>_<)。
皆さんの知らないような逸話もいっぱい読んで、頭に入っている(自慢ではなく、たまたま巡り合わせで、そういう物に触れられる環境にあっただけです)だけに難しい作業になりそうです。
ただ知識として入っているだけで、血肉には余りなっていないから、かえって白紙になりやすいかも知れません(>_<)。
T.N.Doctrineさんは、「天啓と悟り」「神懸かりと天下り」については、どう思われますか?
- [552]T.N.Doctrine 06/10/15 21:42 YNtn3aPvNO
- 書き込みした後で、見返してみると色々と不十分なところが見えてきたりします。
私は科学者でもありませんし、信仰的カリスマでもありませんから、物事を断定的に語る力はありません。
また、その積りもありません。
ただ単に、今自分が思い至っているところを述べているに過ぎません。
>>539 の因縁話・身上諭しについても、誰にも理解できるようなサンプルを出してみた積りですが、道の先達たちが披露してきたようなお諭しの中で、ちょっと飛躍ではないかと思われることでも、我々がその中身を理解し得ないだけで、或いは「春風吹いたら、桶屋が儲かる」式の裏公式なるものがあり得るということを排除するものではありません。ただ余りにも形式ばかりをマネして、根拠のないマト外れなお諭しに終始している場合があるように思うのです。
言わば病名が違うのに、似たような症状だからと同じ処方箋を造るようなものですね。
教祖は働くというのは、はた(傍)を楽にさせることやと説かれたということはよく知られていることですが、便法として語呂合わせを使っても本質を突いているから皆を納得させられるのですね。
またある時、著名な作家が、お地場の神殿で説教がなされていた所をたまたま通りかかって耳にした話に、大いに感銘を受けたと書いていました。
その説教というのは、「くれ」というのは「暮れ」の心であり、運命が暗くなっていく。反対に「あげる」と言うのは、「上げ」であり、「明け」にも通じることで運命が上昇し、明るくなっていく。だから、人にああしてくれ、こうしてくれと要求するのでなく、してあげる、差し上げると言う心遣いが大切だとの話だったそうです。これも本質を弁えている人の諭しです。
しかし、本質を理解できてない、或いは誤解している者が、似たような語呂合わせを試みるとトンデモナイ教理になってくるかも知れません。
>>548 私も「教祖成人説」の立場ですが、ただ教祖の場合、「努力」というのはちょっと違うような気がします。
勿論、よく言われるような「教養もない田舎の百姓家の主婦」ではなく、五重相伝も受けたぐらい、仏教に対する造詣も深かったでしょうし、何よりもこの世の真実を極めたいと言う並々ならぬ熱意があったものと思われます。その最初の手立てが仏教だったのでしょう。そしてこの熱意は、苦しむ喘ぐ庶民を何とか助けたいという慈悲の心から発されたものでしょう。
それは「努力」というより、「自然」な流れだったように思うのです。それが「自然」であったから、摂理的な意味合いが付与されることになると思うのです。つまり神の社には、なるべくしてなったということでしょう。
>>550 道の教職員さん、こんばんは。
仏教を学ぶことで教祖の教えの理解は深まるとは思いますが、ただそれを超えていると思うのです。仏教には創造神の発想はないですから。
従来の仏教では飽き足らなかった、と言えば評論家的な言い方になってしまいますが、この世の悲惨・混迷を救うためには強力な絶対神が必要だったということでしょう。
話は変わりますが、天下りと言うことに関して、仏教でも大乗仏教において、釈迦は実は久遠実成の根本仏で、衆上を救うため一時的にこの世に立ち現れただけだとする神格化された教理になりました。
いつの時代でも、またどの宗教においても、美化、神格化が図られやすいものです。
熱心な浄土真宗の信者でもある作家の五木寛之氏が、その対談集の中でお釈迦さまは実は食中毒で亡くなったと書いていました。
それが事実だとすると、お釈迦様の死を「涅槃」とし、カルマ(業)から解脱し、永遠の悟りの世界に入ったとされる教理解釈が、美化以外の何物でもないように思えてきます。
お道においても、歴史的な事実関係は色々とあるでしょうが、一番大切なことは語られた内容だろうと思います。
それを思案し、吟味し、「堀りきる」ことが我々の課題なのでしょう。
- [553]リラックマ 06/10/15 22:00 D-snzhw
- >>548とみ新蔵さん、随分な過大評価どうもです(>_<)。
私が考えていた「教祖成人説」は、天啓(天下り)ありき教祖が徐々に成人していった、というものです。天保九年十月二十六日をもって、教祖の心も完全に神と一体化しているとは考えていませんでした。とみサンが言われる成人説とは、違うものですね。
霊肉一元論で行くと、とみ新蔵さんの考えられる教祖像になるのでしょうね。
とみ新蔵流だと、次のおふでさきはどういう解釈になりますか?
第十一号67〜77
月日よりこのたびこゝであらハれて とんな事をもはなしするのハ
とのよふな事もたん/\しらしたさ にほんのこふきみなこしらえる
このよふのはじまりたしハやまとにて やまべこふりのしよやしきなり
そのうちになかやまうぢとゆうやしき にんけんはじめどふくみへるで
このどふぐいざなぎいゝといざなみと くにさづちいと月よみとなり
月日よりそれをみすましあまくたり なにかよろづをしこむもよふを
このところなにをするにもとのよふな 事をするのもみな月日なり
とのよふな事をゆうにもみな月日 そばなるものハまねをしてみよ
このよふをはじめてからにけふまでハ ほんしんぢつをゆうた事なし
けふの日ハどのよな事もしんぢつを ゆハねばならんよふになるから
めへ/\になにをゆうとハをもうなよ 月日のをもうよふにゆうのや
- [554]T.N.Doctrine 06/10/15 23:21 YNtn3aPvNO
- >> リラックマさん、こんばんは。レス有難うございます。
果たしてあの程度の論理展開でよかったのでしょうか。
私もまだまだ勉強中のものですから。
あの分野でのグレーゾーンの測定結果が出たら報告させてもらいますね。
しかし、私の一生のうちに測定結果が出るかどうか解りませんが・・・。
「天啓と悟り」、「神懸りと天下り」ですか?
私に振ってきましたか、困りますねエ。(笑)
西欧では絶対神が前提ですから、神からの言葉を受けたとすれば全て「天啓」となるでしょう。東洋でも古代中国では「天」の思想があり、「天帝」が鎮座していることになっていましたから、シャーマンにより天のお告げを受ける訳です。これも「天啓」にあたると思いますが、お道で言えば「おさしづ」のようなもので、主に具体的に執るべき方針が示されるのみで、哲学的・思想的なものは希薄なように思えます。
お道の場合、西欧と同じ絶対神をとる立場であり、おふでさきにもあるように、教祖の口を借りて語られるというスタンスですから、天啓ということになりそうです。
しかし、とみ新蔵さんが仰られたように、イタコのように霊が出てきて勝手にしゃべって、本人が正気に戻った時、いま自分が何を話していたか覚えてないと言った状況じゃないわけです。教祖が、私何をしゃべった?なんて聞くわけないでしょうし、自分の言ったことの意味が解らずにしゃべっている筈もないでしょう。
天啓的に脳裏に浮かんだとしても、瞬時に全てを理解してなければならない訳です。というより理解できてない言葉が出てくるはずがないと思います。その意味で、私は「悟り」と一体のものだと思っています。
いわゆる「天啓」とされない教え、お釈迦様や孔子さんの教えは、彼らの瞑想なり、深い思索の結果導き出された「悟り」とされますが、お道の考えで言いますと、神様が知恵の仕込をされた訳ですから、思索によって導き出された結論と言うものも、やはり神の成せる技と言えるのではないかと思うのです。そう考えると、「天啓」と「悟り」というものも、例えて言えば、数学における演繹と帰納法の違い程度のものではないかと思ったりします。
次に「神懸りと天下り」ですね。
「神懸り」と「天下り」では些か、ランクが違うのでしょう。
地方大会の優勝と全国大会での優勝くらいの違いがありそうです。
ちょっと例えが雑ですか?
この国では八百万の神がいますが、地上のどの神でも神懸りになれそうです。しかし、天下りとなると天の神ということになります。唯一です。権威が違います。
「天下り」という言葉そのものは、「記紀」にあるような高天原からの天孫降臨に由来しているように思えます。やはり天上が最上ですから、権威付けの意味合いが強いように思います。
しかしお道の信仰から言えば、この世が神の体である筈ですから、天も地もひっくるめたものになりますね。
とすると、別に「天」下りでなくてもいいような気もしますが・・・。
また語感だけからすると、「神懸り」は神であれ、霊であれ人間の側がのっとられているような感じですが、「天下り」の場合は受け入れ態勢が整っているような、つまり受容体も理解が伴っているようなイメージを受けます。だから教祖にとっては「天下り」の方が相応しいように思います。どちらかと言えばですよ。
ただし、初期の頃は神懸り状態、いわゆるトランス状態というのはあったことだろうとは思うのですが・・・。
(ちょっとシンドクなってきました。不十分な書き込みになっているような気がします。・・・明日になったらまた反省するんだろうなあ。)
- [555]とみ新蔵 06/10/16 05:48 GoRGEoUS
- ]ラックマ氏へ。
月日よりこのたびこゝであらハれて とんな事をもはなしするのハ
(真理、理、神の心を、神の社となることを決意した私が話すこと)
とのよふな事もたん/\しらしたさ にほんのこふきみなこしらえる
(この教えがまだ知られていないところへ、
この古記(元始まり出しの話、元の因縁、または、理が何故、にんげん(哺乳類ヒト科だけを指しません)
を創り出したのか、を、明らかにすることの意)。
このよふのはじまりたしハやまとにて やまべこふりのしよやしきなり
そのうちになかやまうぢとゆうやしき にんけんはじめどふくみへる
で
(甘露台づとめのイザナギ役やのイザナミ役やクニサズチ役やツキヨミなどの「役」が出来るつとめ人衆が揃って来た)。
このどふぐいざなぎいゝといざなみと くにさづちいととなり
月日よりそれをみすましあまくたり なにかよろづをしこむもよふを
(真理を伝えるために、中山みきという私が、直々に、私の意志によって(神がどこからか、取り憑いたからという、自己責任のないものではなく)
世界の人々に真理、真実を分かってもらいたいものだ。
このところなにをするにもとのよふな 事をするのもみな月日なり
この大和の寒村から始めだす教えは、全生物を創った神(月日、天然自然の理、親)が、夜は月の光明のように、昼は恵みの天日のように、みんな一視同仁に、守護し続けてきたが、その中でも、さらに、生育した、可愛いい我が子の人間達を思ってのことなのですよ。
どうぞ、それを分かっておくれ、しっかり思案しておくれ。
というような意です。
そしてここで、勘違いしないことが、明治時代には、尊い神様とされた、天皇家の先祖の神々の名前を、信者の、お百姓さん達に
「あんたはイザナミやで、あんたはカシコネやで」
と、その役名に付けたということです。
まして、やつとめ人衆の背中には、12菊ですが、当時御禁制の大きな菊紋を付けていたわけです。
時の政府から見ると、天皇家の神々の名を、
お百姓さん並みに貶めているというわけですね。
これも監獄ものは当然の事情でしょ(^^)
やまとの庄屋敷村の、ほん何んでもない、百姓家の婆さんの、世界へ向けての新たなる神話つくり、そして、月日の社となされた、大慈愛と、烈々たる気迫を感じてほしいものです。
- [556]ギレン 06/10/16 07:05 *bV9Fr8.mMLu*V-rUfEJ
- あれ?天理教って、田舎の百姓のお婆さんが神懸かっちゃて出来た宗教じゃないの?
- [557]はじめ 06/10/16 09:21 b5nznfqNUZ
- 霊肉一元論か霊肉二元論という言葉は初めて知りましたが、そういう感覚で言ったら、私のイメージしている教祖・人間は、全く別の言葉になるように思いました。
教祖の魂は「いざなみ」様ですが、親神様ではないのですから、(親神様のとらえ方も難しいですが・・・)この世に生まれ出られた時点では、中山みき=親神様ではないと思っています。
ただ、「いざなみ」様の魂の働きにより、立教前の心・行いがなされ、それを見定めて、立教となった。
子数の年限がたったらなら元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせようという、約束が元で、この状況を親神様が作られた。
立教の時、内倉に籠もられたり、宮池へ飛び込もうとされた史実を思うと、体は「中山みき」一つだが、そこに「いざなぎ」の魂と「親神様」が混在されて、親神様が「いざなぎ」様を仕込まれているように感じるのです。
身上になっておさづけを取り次いで頂くとき、また親神様のお話を聞かせて頂くときは、私たちの魂と親神様の魂とが混在されている時ではないか?と思ったりするのです。
そうそう。教祖=親神様と書きましたが、外から見ればそうなります。また、他の人に親神様の話を得心させるためには、これでなければならないと思います。
親が子どもを育てるときには、もっともらしい親の顔になりますが、夫婦・友人と共にいる時などは、独り身の時や子どもの頃に戻った顔になるのと同じような感覚です。
- [558]これ 06/10/16 17:08 xnN8HRWKGE
- う〜ん、私が思うには
>>548
教祖の立教が、もし、ド〜〜〜ンと天の神から、神懸かれたとするならば、教祖は、な〜〜〜〜〜〜〜んの、努力もしないで、ただ、神懸かラレた、おばちゃんということになってしまいます。
そのように思っています。普通の信心深いおばちゃんだったと思います。
>>554
しかし、とみ新蔵さんが仰られたように、イタコのように霊が出てきて勝手にしゃべって、本人が正気に戻った時、いま自分が何を話していたか覚えてないと言った状況じゃないわけです。教祖が、私何をしゃべった?なんて聞くわけないでしょうし、自分の言ったことの意味が解らずにしゃべっている筈もないでしょう。
本席様は「おさしづ」があったとき、何を話したかわかっていなかったときがあったそうです。教祖様がそういうときがあったかどうかは私はわかりません。
とりあえず、思ったところを書き込みました。
- [559]T.N.Doctrine 06/10/16 20:51 YNtn3aPvNO
- >>556 ギレンさんの疑念、ごもっとも。
私も昔はそう思っていました。
勿論、立教の初期にはその様なトランス状態があったでしょうし、その後の尋常でない振る舞いに接した周りの人々にとっては、狐つきや狸つき(神懸りより低級ですね)としか見えなかったかも知れません。
しかし、神懸り状態で述べられたり、おふでさきに記されたりすることがあったとしても、その内容と、数々の逸話から推察される日常の思想・言動とは、全く矛盾してない訳です。整合性を持っている訳です。だから、仮に神懸り状態で語られたとしても、例えが悪いですが、確信犯に近いようなものだと思っています。
教祖の足跡を辿ってみると、浄土宗の五重相伝の授受に見られるように、宗教的知識を求めていたことが窺い知れます。
ただ五重相伝そのものは、そんなに難解なものではないようですし、普通の主婦がその講義を受けたとしても、ああそう言うものかといった理解に留まっていたでしょう。決してあのような独創性のある教理展開が引き出せるようなものでもなかったでしょう。むしろ中野阿じゃ梨(市兵衛さん)に教えを請うた部分が大きかったかもしれません。いずれにしても「一を聞いて十を知る」と言った以上のものだったと思われます。神に魅入られるに相応しい受容体だったのでしょう。(勿論信仰上は、魂の因縁からして、ということになるのでしょうが)
しかし、内実を知らない世間の人々にとっては、教祖がただお寺にお参りに行っているだけだと思っていたことでしょう。
実際、普通の農家の嫁が学問をするということは、一般では考えられない時代でしたから、そう思ったとしても無理からぬことだと思います。(当時の学問と言うのは、神道または仏教の宗教教理か、もしくは漢学を指していたようです)
- [560]とみ新蔵 06/10/17 03:20 zLYOWQ9OqR
- T.N.Doctrine氏の仰るように「神憑り状態」というのは分かり易い表現だと思います。
「神憑り」と「神憑り状態」ではガラリと内容が相違するわけです。
立教の前後は特に、差別世界が常識だった、当時の大和の人々には、まったく自分のカテゴリーにないことを、言い出されたわけですから、狐が憑いたか、狂ったか「神憑りじや〜〜〜〜!」と見えたことは、当然でしょう。
一種のトランス状態ですね。
でも、師でもあった、中野阿裟梨市兵衛さんには、それは、正気も正気で、それまでの転輪王に、すがる信仰と、自らが転輪王に成る思想とは、全く掛け離れた境地のもので、高僧だけに、参りましたと、退き下がるしかなかったでしょう。
でも立教の時、「我はは天の将軍なり!」と言ったわけではありません。
その後も、教祖のキャラクターですから「神憑り状態的」な姿勢、言い替えるならば、「世俗を超絶した孤高の精神状態」で以って、歌うように、諄々と、理を説いたことでしょう。
- [561]リラックマ 06/10/17 20:16 D-snzhw
- >>554T.N.Doctrineさん、ありがとうございました。昨日は、力尽きて返信出来ませんでした(>_<)。
さて、皆さんの様々なご意見を読ませて頂いて、立教に関して本部の見解と違うように考えられていた方が、こんなにたくさん居られたんだなぁと、正直言って驚きました。まあ、そんな方々だからこそ、道を求めてこのスレッドに集まっておられるのでしょうね。
しかし、天理教初心者の方がこのスレッドを見たら、非常に戸惑われるような話の展開になってしまっているように感じます。別にスレッドをたてた方がいいのかも知れませんね…。
>>554のお話では、イマイチT.N.Doctrineさんのお考えが見えない部分があったのですが、>>559のお話を読ませて頂いて、見えてきたように思いました。
「自分の言った事の意味も解らずしゃべっている筈もないでしょう」「理解できない言葉が出てくるはずがない」この辺りを読ませて頂いた時、いくつか逸話が頭をちらつきましたが、「整合性」「確信犯」という言葉で何となく自分の中で収まりがついたような気がします。ありがとうございました。
- [562]リラックマ 06/10/17 20:36 D-snzhw
- >>555とみ新蔵さん、ありがとうございました。
霊肉一元論だと、そういう解釈になる訳ですね。霊肉二元論で考えていたら、ただのこじつけにしか聞こえませんが、発想を転換したらそういう見方も出来るんですね!非常に興味深いので、しばらくその方向で考えを巡らそうかと思っています。今後もよろしくお願いします。
色々と疑問があるのですが、一番大きな疑問点を二つだけ質問させて下さい。
@天啓なき中山みきが、なぜ「泥海こふき」のようなお話を発想出来たのか?中野市兵衛さんのお話の中に、そのようなお話、バックボーンとなりうる話があったのでしょうか?
A神名と役目の関係。例えば「いざなぎ」にふさわしい人間とは、泥海こふきで説かれる神の性質に合うような気質の人間という意味ですか?「おつとめ」において、神名を付けて踊るのは、時の政府に対する挑戦状?十二の菊の紋は政府を煽っているのでしょうか?
- [563]はじめ 06/10/17 22:41 b5nznfqNUZ
- >>554
>> 天啓的に脳裏に浮かんだとしても、瞬時に全てを理解してなければならない訳です。というより理解できてない言葉が出てくるはずがないと思います。その意味で、私は「悟り」と一体のものだと思っています。
についてですが、おふでさきは、書かれたものを教祖が読まれて、分からないところを親神様に尋ねられて、加筆されたという話を聞いた記憶があるのですが・・・・
- [564]とみ新蔵 06/10/18 01:09 zLYOWQ9OqR
- リラックマ氏へ。
{}番大きな疑問点を二つだけ質問させて下さい。
@天啓なき中山みきが、なぜ「泥海こふき」のようなお話を発想
出来たのか?中野市兵衛さんのお話の中に、そのようなお話、バ ックボーンとなりうる話があったのでしょうか?}
真言密教には、創世記はありません。お釈迦さんの原始仏典にもありません。
教祖は、何百年に一人のような天才ですから、自然を観察して、それが解かるお方だったとしか言いいようはありませぬ。
「泥海こふき」をどのように理解なさっているのかは、判りませんが、
まあ、その後に日本に伝えられた「ダーウインの進化論」(よりも、思想的にはもっと優れていますが)に近接したものと考えてよいでしょうね。
当時はアメーバや、単細胞生物という言葉もなかったので、ウオとミや、ドジョウという表現しかないわけですネ。スゴ〜〜〜〜イ表現だと思い、それこそ「神憑り」ではないかと思えますねエ(^^)
でも根本思想としては、キリスト教の、元始まりや、明治政府の押し奨めるは記紀神話の元始まりとは、まるで違った、この世の一切の差別思想を無くさしめる世界観のお話だったので、当時の被差別の村々人々や、お百姓さんたちが、大きく救われたことは言うまでもありません。
エ?教祖がキリスト教を知っていた!?
ハハハ、これは分かりませんが、、。
ただ、当時でも、大和地方へもキリスト教らしい考えが密やかに、伝播していた部分を、歴史の文献上で感ずるだけです。
また教祖のような人間は、少女時代からも、宗教や思想に関して大変鋭敏で、また、求道の人ですから、全く知らなかったとは、いえない、、ただそれだけですが、、。
また何宗といえども、一を聞いただけで、すぐに十の奥義を悟られた人だと、これはハッキリと言えると思います。
{ A神名と役目の関係。例えば「いざなぎ」にふさわしい人間とは 泥海こふきで説かれる神の性質に合うような気質の人間という 意味ですか?}
はいその通りです。
人間には、、つっぱり個性、つなぎ個性など、それぞれに持ち味がありますから、その役割に「あんたはオモタリさんやで」「あんたはイザナギ役やで」と、
役者名を付けたわけです。
- [565]とみ新蔵 06/10/18 01:17 zLYOWQ9OqR
- リラックマ氏へ。
{「おつとめ」において、神名を付けて踊るのは、時の政府に対する挑戦状?十二の菊の紋は政府を煽っているのでしょうか?}
挑戦などではありません。
明治になって、生き神様とされた天皇も、そのご先祖の天神7代の神々も、私ら百姓と同じ人間なんですよ〜〜〜〜という親心です。
教祖伝では、警察が来た時に「お守り」が見つかって、取調べに引っ張られたと、書きかたですが、考えてみてくだされ、教祖が、神社などで出すような、そんな、気休めサギ(^^)みたいなものを信者さんに出すと、お思いでっか〜〜〜?(^^)
事実は直径8センチほどの赤地に白糸を縫って仕上げた12菊の菊紋です。
この赤い菊紋を、教祖から頂いた高弟はたくさんいて、私の高校の頃の、教祖伝ではその名がありましたが、今は、教祖伝から名前は消えました、私の友人の
曾祖父さん(牢屋にも入ったとのこと)も、頂いて、現在も,家法にしています。
そしてこれも「挑戦」などではありません。
難渋をたすけ、ろっく(大和地方の方言で平らかなこと。「あの畑はろっくでんなあ」などと言い、また関西でも平らな屋根を「陸屋根」ともいいます)の地に踏み鳴らさんとする、
(親、天然自然の理、月日) のこころだからです。
世界が、たすかってほしいと願う、深い親こころ、なだけです。
でも金光教の教の祖師と比べると、教祖は、確かに高山へはチト手厳しいですね(^^)。
庄屋敷の婆さんはハゲシイです。
でも惚れ惚れするような婆さんですわ。
あの人の気迫では、明治19年の牢屋暮らしがなければ、ほんまに、115歳まで、頭ピンシャンだったと思いますねえ。
アア、、、オンナはコワイ、クワバラ、クワバラ、デス(^^)
- [566]とみ新蔵 06/10/18 04:02 zLYOWQ9OqR
- リラックマ氏へ。
でも、働きに「皇祖神」に名を付ける意味は、現在はありませんね。
今では天皇も、その先祖も、神様と考える国民は誰もいませんからね(^^)
当時だからこそ意味があったわけです。
戦後になって、皇祖神で言うと、教理がマスマス、ヤヤコしくなるばかりなわけです。
これは、暑い、アフリカのコンゴの天理教会で黒紋付と足袋をはかせた、滑稽さと同じようなことになってしまいますね。
そんな事情もあって、もう潰れましたが、、、。。
黒紋付と黒袴は、教祖が「クロウせい、クロウせい」とて、着させなされたのです」テナ教会長もいたようですが、
黒紋付と黒袴は、弾圧の厳しかった、当時の自由民権運動者(主に士族達)のスタイルです。
その服装を、被差別村出身のお百姓さん(高弟の中に多い)達までが、独立自尊の精神でやったところに、歴史の中で、大きな意味があったものです。
まあ、それほどに、教祖思想への「復元」ということを進ませないと、時代遅ればかりでなく、教団内でも何かと、トンチンカン解釈となって、矛盾を抱えてしまうわけです。
宗教というものは、おやさまのように、時代の先端を行かないと、存在の意義が、なくなります。
時代の後から行くような、むしろ、平和と社会改善への、足を引っ張るような宗教が、アイも変わらず、各地で発生しておりまして、
現天理教者までも引っ掛かっている現状がある始末で、ハア〜〜〜〜〜〜!困ったことですわいな(涙)。
- [567]リラックマ 06/10/18 06:43 D-snzhw
- とみ新蔵さん、ありがとうございました。
「泥海こふき」の話は、ちょと説得力に欠けてますね。天理教本部から、突っ込まれませんでしたか(^^)?
しかし、神名の話は、霊肉一元論で冷静に考えてみると、確かに仰る通りのような気がしますね。今まで考えた事もない論点でした。オモシロイですね(^^)。
しかし、やっぱり抵抗がありますけどね…。
質問ばかりですみませんが、以前とみサンは、過去に何度も思想が根底からヒックリ返った事があると仰ってましたが、過去に霊肉二元論で考えていた時期もあったのでしょうか?もしそうならば、何に影響されて霊肉二元論を捨てられたのでしょうか?
- [568]リラックマ 06/10/18 07:08 D-snzhw
- はじめさん、こんにちは。
>>563で仰られている逸話は、「先人の遺した教話―梅谷四郎兵衛(道友社)」のU講話・「月日の心」にあります。抜粋します。
〜教祖は又私に、
『筆先と言うもの有りましょうがな、あんたどない見ている、あの筆先も一号から十七号まで直きに出来たのやない。神様は(書いたものは豆腐屋の通い見てもいかんで)と仰言って耳へ聞かして下されましたのや。七十二才の正月に初めて筆執りました。何でやなあと思いましたら、神様は筆々ふで持てと仰言いました。そして筆持つと手がひとり動きました。天から神様がしましたのや。書くだけ書いたら手がしびれて動かんようになりました。心鎮めてこれを読んで見て分らん事尋ねよと仰言った。自分でに分からんとこは入れ筆しましたのや。読み下りのようなったのを書き直したそれが筆先である」
と聞かして下されました。
- [569]はじめ 06/10/18 08:43 b5nznfqNUZ
- >>568
リラックマさん。ありがとうございました。
お手数おかけいたしました。m(_ _)m
- [570]T.N.Doctrine 06/10/18 20:31 YNtn3aPvNO
- >>561 リラックマさん、こんばんは。
誤解のないように,遺漏のないように説明すると言うのは、本当に難しいことだと思います。
私が言っていることは、考えるヒントにして貰ったらいいだけであって、決して鵜呑みにしないで下さいね。
霊肉一元論か二元論化についても、どちらが正しいかなんて証拠などないんです。ひょっとしたら二元論の方が正しいかも知れないし、或いはそんな単純なものじゃなくて、両方がいくらかミックスされたものかも知れないのです。
ただ今の私は、論理的整合性という面で、二元論より一元論の方が矛盾が少ないと感じているということと、複合モデルがあるとしても、まだ全くイメージが出来てないというだけです。
そのうちいいモデルが見つかれば、なあ〜んだ、同じものを別の角度から見ていただけじゃないか、と言うこともあり得るかも知れません。
だから無理に『改宗』する必要もないと思いますよ。こういった考え方もあるということを参考に、思案して貰ったらいいだけの話です。
教祖の神懸りの解釈についても色々な考え方があるでしょう。
>>563 で、はじめさんが仰られたように、教祖自身が言わばトランス状態で語られたことを、後で再確認されたことも中にはあったのでしょう。半ば無意識で語られることも、その中身は色々な思索の中から意識下で準備されていることも多いことです。
教祖の場合、そのような心理学的理解を試みるのは不適当で、天啓として与えられたとするのが、信仰上は真っ当なことなのですが・・・。
ただ、私の言わんとすることは、大きな枠組みで考えた場合、教祖の悟りとかけ離れた位相での天啓などあり得ないだろうと感じているというだけです。
今何となくこのスレが、一元論的な我々の流れで動いているように見えると思いますが、別にそれに迎合する必要もない訳です。
ただ同じ事を繰り返して言うようですが、我々は言うなれば地球が東の方に向かって自転しているという客観的側面にスポットを当てているようなもので、太陽が東から出ているという日常感覚が大切であるように、信仰も外側から見る以上に、内側から問いかけることの方が重要だろうと思っています。
我々がもし、信仰者と言う言葉を使うとすれば、それは競技の解説者や評論家ではなく、プレーヤーそのものであるべきだからです。
しかしながら外から見る客観的な目(これそのものも色々あるわけですが)も必要だと言っているに過ぎないのです。
だから、
>別サイトを云々・・・する必要もないんじゃないでしょうか。
それから、教祖自身が「真理」「天理」を探求され、「悟り」に至ったと主張するなら、ご本席さまが「ほん何でもない農家の・・・」のお言葉と矛盾するのではないかと感じられる方がいらっしゃると思いますが、それについて私なりの解釈をさせて貰おうと思っていたら、大筋においてとみ新蔵さんがお答えになっておられましたね。
また後で多少付け加えてお話させて貰おうと思っています。
- [571]とみ新蔵 06/10/18 23:07 zLYOWQ9OqR
- リラックマ氏へ。
私の両親の「理の親」というわけではなかったけれど、教祖の長女の家系の中山慶太郎(表統領だった義一氏の父)と、近所でもあり、両親が交流もあり、そんな中での問答の中でしょうか、慶太郎先生が、「教祖の教えと前生因縁の話は、どうも合わない、、、と個人的に、言っていたががねえ、、」
テナ話をお袋からチラと聞き、大人なっても、私ら、兄弟中の頭の隅に、チラリンと、印象深くありましたねエ。
だからお袋も、前生因縁の話は、なるたけ避けていたようでした。
でも私は若い頃は、矛盾を感じつつも、前生因縁説の世界観で、解釈して、人にも説いていました。
でも東京へ移り住んでから、他教の信者さん達と交流して、教理を調査すると、殆どみんなといっていいほど「前生因縁納消の道」でした(^^)。
その上に、組織のあり方がもっと、横つながりで、洗練されていて「フムウ、、、」と感心したものでした。
その上に、結婚したオナゴがカトリック系の上智大学出身で、結婚までは、東京銀行に勤めていて、そこで、カトリック聖書研究会にも入っておった関係上で、私の前生因縁納消教理とは、侃侃ガクガクの対立議論もありましたネ(^^)
私はもちろん聖書も丹念に読みました。
でも私は、相変わらず前生因縁説で通りましたが、29歳の時に、尊敬している人格者の刀剣の師が、人から借りた、鑑定刀を5振り(皆で時価数千万円)を新幹線のなかで、計画的に奪われるという事件が起こったとき、
落胆の師を、お慰めしょうとして、前生因縁納消論による、長い長い、手紙を書いたものでした。
それが、良かれと思ったのでした。
吉田兼好の「徒然草」を座右の書とする、刀剣の師からは、何の返答もなかったのですが、、、
時が経過した年に、あるとき師が
「とみさんと同じような内容を、私の信頼する弟子の一人の研ぎ師が手紙をくれましてね」
と微笑みました。
その研ぎ師は天理教の教会長でもあることを後から知りましたが(^^)
しかし、その後、だんだんと、もしかしたら、私は、大変な誤ビヨウを冒しているのではないか?、、、、と感じて行き、苦悩しました。
(実はこの悩みは同和問題の運動に関係した時から、特に続いていたのですが、、)
そして兼好の徒然草の思想体系を、研究しました。
さらに、そこから、禅というものに足を踏み入れ、さらに仏教研究に没頭する日が続きました。
そして道元禅師の「正法眼蔵」に行き当たり、
さらに中村元博士や増谷文雄博士の著述の、原始仏教の教理まで、辿りつき、そこで、目からウロコがはがれ、何度となく涙がこぼれました。
「正法眼蔵」の奥義については、私のブログのカテゴリの中の「世界の死後の霊魂観」で触れています。
ただ、自分でいうのもナンナンですが、それ以来、世界が、物事が、スキっと観えるようになりました。
それは教祖の原典を見ても、同様といってもよいでしょう。
そして原典の中には、前生因縁納消論などはないことを発見した次第です。
そしてさらに、かって憩いの家の病院長の山本利雄先生が、あるインテリ教会長に「まず、正法眼蔵を見ろ」と言っていたことも、後日知りました。
百年祭の前に、その弟さんの大教会長さん(長兄の平田弘史とは、長く精神的に繋がっていた方でしたが)が詰所で、自死されたあとに、発刊された「偲び草」に利雄先生の文も、載っていましたが、その文章を見て、「なるほど、これは道元的見解だ」と、容易に納得出来るものでした。
また、グレート・サムシングで教内でも知られた、遺伝子学の村上 和雄氏も、今年の東本大教会での講演テープを聞くと、「私は一元論者です」と触っていました。
- [572]とみ新蔵 06/10/18 23:09 zLYOWQ9OqR
- ま、これは聞く人に、その範疇がないと、何の意味かも分からず、聞き逃すものなのですが、、。
深く探求する学者なら当たり前のことではないかと思っています。
そしてこの一元論の考え方は、現在は知りませんが、本当の仏教を主流とした、姉崎教授以来の東大宗教学科の学統でしたから、良き師に恵まれていて、また先生方から、絶賛された論文を書いた、二代真柱も、熟知していたのではないかと思っている次第です。
ただ、公式には、表面には出せなかった、孤独感はあったとは思いますが、、、。
しかし、二元論から、一元論への思考転換は、容易なものではないことも、熟知しています。
世界では極めて少数派であることも承知しています。
まず、何かを信仰している人々には、殆ど理解不能のようでした。
私が、かって、20年程前に、そんな話をした時「ウン!それを行きましょう!」と「原初の仏教」という単行本を書かせた、慶応哲学科卒の編集者までもが、その後には、霊肉二元論も本当で、一元論も本当だとの、「不可知論」者になりましたもの(^^)
ナンダ〜〜、解かってはいないんだなあ、、とガッカリしたものでしたが、、(^^)
しかし現在の私は、10年前に地球環境が想像以上に悪化している事実を知って以来、「もう、それしきのことは、どうでもよくなった、、、、」というのが正直な気持ちです。
ましてやこのスレッドで、そこを言っても、不毛の論議となってしまい、皆さんを返って困らせるようになっては、私の目的には、沿いません。
それよりも、この、人間中心で、我が身思案文明の申し子のような、
神の身体である地球の「破壊を進めないこと」や、「核兵器」や「憲法」の問題の方が、私には、はるかに大切なことです。
ですから、諦めないで、絶望的な中からも、わずかな希望を見い出だしつつ、死ぬまで、一言はなしを、続けて行くつもりの次第です。
- [573]リラックマ 06/10/19 08:33 D-snzhw
- >>T.N.Doctrineさん、ご心配ありがとうございます。
でも大丈夫ですよ(^^)。私は別に宗旨替えした訳でも、迎合している訳でもありません。ただ、今まで中山みきという真理の大木を、ある一面からしか観ていなかったから、あっちこっちから眺めてみようかな、と思っているだけです。
で、とりあえずとみ新蔵さんが観ている方角から眺めてみたくて、色々と質問させて頂いているだけです。
ちゃんと自分の足で立ってますので、ご安心を(^^)。
- [574]はじめ 06/10/19 08:46 b5nznfqNUZ
- > >570
>教祖の場合、そのような心理学的理解を試みるのは不適当で、天啓として与えられたとするのが、信仰上は真っ当なことなのですが・・・。
>ただ、私の言わんとすることは、大きな枠組みで考えた場合、教祖の悟りとかけ離れた位相での天啓などあり得ないだろうと感じているというだけです。
悟りと天啓を同等と見ておられるとようですが、予知の場合はどうなるのでしょうか?
本部の神殿の様子やおぢば周辺の様子などを予知されていたという話があったと思うのですが・・・・
- [575]リラックマ 06/10/19 10:38 D-snzhw
- とみ新蔵さん、ありがとうございました。
道元の正法眼蔵、ちょっと研究してみたく感じました。お薦めの解釈本がありましたら、教えて下さい。
仰る通り、宗教から現実社会への救済力が消え去れば、それはもはや過去の宗教・無用の宗教と言えるでしょうね。霊肉二元論が、もはや現実社会への救済力が尽きているのかどうか、私はまだ突き詰めていないので判りません。判らないけど、今慌てて結論を出すつもりもありません。こちらのスレで、とみサンからダシを搾り取らせて頂いて、さらに長い年月を経て、いずれは結論が出る時が来るでしょう。
真理を掴むためにも、根っこをしっかり生やし踏み固め、しかし枝葉は風にユラユラ揺られながらやっていくつもりでいます。
これからも、よろしくお願いします。
- [576]T.N.Doctrine 06/10/19 19:34 VOw4DhtEL8
- >>568 で リラックマさんがご紹介された話を教祖がされたとしても、私には事情の解りづらい信者さん方に「説明」されただけのように思えるのです。言わば方便として。
と、言いますのは、神懸り状態でなくなった後で、冷静に親神様に尋ねられる方法があるのであれば、常時そのように尋ねられたらいいのではないかと思うのです。別に神懸りしなくてもいいことになるような気がするのです。
>>574 はじめさん、こんばんは。
皆さんを困惑させているかも知れませんが、私が個人的にこう考えているだけということでお聞き下さい。
予知については、多くの超能力者達?によってなされています。
ピタリと当たる場合もありますが、外れる場合も多くあります。
教祖の場合はほとんど当たっているのでしょう。(唯一ハズレがあるとすれば、100年経っても「世界アラアラすます・・・」という事態に至ってないことですね。まあこの解釈も色々とあることでしょうし、何よりも「用木」自体の主体的努力といった要素がありますので、人間に与えられた「心の自由」が道の遅滞或いは衰退といった現象をもたらしてしまった、ということかも知れませんね。)
いずれにしても「以心伝心」や「未来予知」等は、超心理学の分野になろうかと思いますが、ある特定の人物(あるいは選ばれた人)は「サムシング・グレ−ト」もしくは「大いなる魂」に触れたり、その叡智に感応できるシステムがあるのかも知れませんね。
おふでさきの中の「もうせへつう(精通)が来た・・・」といった表現は、そのことを示唆しているように思えるのです。
(そして「精通」も「悟り」とほぼ同義のようなものでないかと思っている訳です。)
こういった領域(一つのグレーゾーンですが)と、一元論がどう繋がっていくのかといったことの手がかりについては、今のところユング的な発想が有効かなと私は思っています。
(そうそう、そのことを究めたいと焦った結果が、「100匹目のサル」に引っかかるという失態を演じてしまった次第ですが・・・)
- [577]T.N.Doctrine 06/10/19 20:09 VOw4DhtEL8
- 仏教においての最高の仏は太陽だと言えば、不思議に感じられる方もおいででしょうね。
しかし、宇宙の根本仏とされる東大寺の大仏「ルシャナ仏」も、地上において顕れる姿は太陽ということになっています。
また大乗仏教において、あまたの仏が配置されている曼荼羅の中心には大日如来が描かれています。
そう太陽なのです。
日本の真言密教の開祖弘法大師空海が、自分の守護神を占う儀式で最高位の大日如来を引き当てたという故事は有名です。
私の地元でも最近四国八十八箇所参りが盛んに行なわれておりますが、そのお遍路さんの持つ杖には「南無大師遍照金剛」と書かれています。
金剛というのは太陽のことで、遍く照らす太陽と一体化した大師様(空海)という訳です。
これらは教祖が神のことを「月日」と表現されていたレベルです。
教祖が仏教的なものを超えたと言うのは、その後「親」と表現するに至ったことです。
ものすごい飛躍です。
これが「ほん何でもない農家の嫁・・・」では考えられない教えであり、「最後の教え」とされる所以なのでしょう。
因みに、とみ新蔵さんが、教祖はキリスト教を知っていた可能性があると指摘されていましたが、教祖伝で「(外国には)えらいものがあるようやが・・・」と暗示されたのがキリスト教ではないかと私は思っています。
しかし、以前にも申し上げました様に、キリスト教との決定的な違いは、キリスト教ではイエス・キリストのみが神の子であり、神と人とは主従の関係でしかないのに対して、教祖は全人類(ひょっとすると全生物?)が神の子とされたのですね。
- [578]これ 06/10/19 22:44 Hp6MEdS.HT
- 私の周りにもいろんなことを言う人がいます。いろいろです。
で、私が思うには教祖は農家の主婦としての仕事が忙しくて勉強などする暇があったのかなあと。寺へ行くにも両親や夫の許可をもらって行かれたようなので頻繁には行けなかったと思います。山にこもったわけでもないし。
天才だからと言われればそんな人もいるのかなあと。
でも、聞いている立教以前の教祖からは天才という感じはしないです。
- [579]リラックマ 06/10/19 23:23 D-snzhw
- とみ新蔵さん、こんばんは。とみサンのブログの「正法眼蔵」の奥義、読ませて頂きました。それで、やっと霊肉一元論で説かれる「生まれ変わり」について理解出来ました。
なるほどなぁ、確かにこれも生まれ変わりと言えるなぁと思いました。
真理と言えるでしょうね。
しかし、それも真理の大木のある一面なのかも知れません。見方を変えれば、また違う一面があるのかも知れない、とも思いました。ありがとうございました。
中山みきという真理の大木も、原典又は色々な逸話で語られている言行の枝先を観るか、根っこを観るかで、また色々と違って見えると思います。私はどっちも見たいし、知りたいです。そして、いつか心の中に真理の大木の全体像を描きたいなぁと思っています。そのためのヒントを、とみ新蔵さん又は他の方々との談じ合いより掴めればなぁ、と思っています。
- [580]宇宙の始まり 06/10/20 01:06 7g8WOu8Ck4
- 始めに力在りき だが 力 とは 何か
其れは 存在と言う事から始まる なにかか不規則 不均一に
然も 超大量に存在すると密な部分と 疎な部分との間に
動き 流れ 押し合い 引き合い が始まり 不均一な存在から
揺らぎ の 発生する段階での押し合いの 強さ 大きさ が発生する
其れが 力である けれども 元々存在したものが
既に 力で有った公算は大である
力発生の原因は存在であるが 最初存在したのは力である
現行科学では色色な力の種類分けが出来て居るが
圧力の谷間には 引力が発生し種種な物質 物体の存在が関わって
力の作用にも種類が出来るのは当然だが 枝 葉花 実は
一本の茎から分かれ 茎は根を張って 存在を維持している
一本の樹木も 大自然の原則そのままに出来て居る
大根の尻尾もミギねじ進行して居るのも 面白い
大自然の凡有ものか エネルギ-の渦 粒子か 其の集合であり
粒か 渦 の形をして居る 我々の目に見える 地球も 星も
小さな粒子も球形である
自然は大小を問はず 同じ形だとすると 凡ては球又は渦型であるはずだが
系も粒子も元は 単一の粒子で 最も原型は 物質粒子の球形であるとすると
大自然は物質の最大単位であり 巨大な一個の球体で無くては成らない
そして その 組成はNASAの撮影した 宇宙の背景放射の
写真にも見る通り 大自然の空間にはエネルギ-
(多くの天体を含んで居るで有ろうが)が不均一に存在して居る
即ちエネルギ-の存在には粗密がある 故に ゆらぎ が発生し
波動が発生する 密度の高い部分が低い部分え流れる
波源を中心として周囲に広がる 引力の影響を受ける波
では無く 両方え広がることなく 一方向え移動する
此の現象は 全球体の凡ての部分で発生するが 小さな部分の流れは
もっと より大きな部分の動きに乗せられる
数個の部分の動きに 纏まると 其れは一方向のみえの移動と成り
球体一個の回転と成り 小部分の小さな ゆらぎ は 波状化し
総てが同じ方向え進む波動と成る
巨大なエネルギ-球体は表面に波動を持ち
自転する大団塊となる 大自然空間は無限に広く この団塊の外には
本当の真空がある 然も この大自然球体の内部には無数の
同形式のエネルギ-団塊が在る
が 最大の外則団塊と異なる点は 内部の各団塊は
周囲にエネルギ-が充満して居る事は
銀河系 太陽系 原子の系等の通りである
昔の人は、すごいな〜 古事記・・・・
- [581]とみ新蔵 06/10/20 03:00 DbxWReokXl
- リラックマ氏へ。
道元禅師の「正法眼蔵」はどこの図書館にも置いてある筈です。
正法眼蔵は膨大な冊数です。
曹洞門では室町初期以降、聖書として、永平寺の奥伝に仕舞われて、高僧しか見ることが出来ない事情を作ってしまいました。
だから、応法へ狂ったのです。
「正法眼蔵」は、本当は、鎌倉時代そのままの文語文で何べんも、見てほしいものです。
真理の探究というものは、それ位の情熱がないと、無理なものと言われてきました。
天才的な道元でも空海でも、生命賭けで、唐へ渡ったのです。
求法のために、四年掛けて、インドへ渡った、三蔵法師の死狂いの姿を、どうぞ、想像してみてください。
それはともかく、今は口語訳も付いていますが。
ただ私はこれまでに「正法眼蔵」を「座右の書にしている」という人間と、5人、出会って、話をして来ました。
まことに、人間というものは、先入観に縛られた動物で、自分の知識、自分のカテゴリーの中、自分の解かった部分しか、理解出来ないものです。
その5人の中で4人が、全く勘違いな、解釈をしていました。
これはチト話すと、すぐに分かるものなのです。
だから、すでに、二元論が、頭の中にある人は、何十回読んでも、無理なんだなあと、このことは、つくづくと、感じてきました。
これは実は、私自身も同様でした。
そこで、優れた先輩から「あんたは、「そこ」を、飛ばして読んでいるぞ!」と言われて「あれ〜〜〜!?」「ムムム〜〜〜〜〜!!!」と気付いたものです。
これは、長い間の、応法の教義に慣れ親しんできた、不勉強の、曹洞宗のお坊さんにも言えることでした。
「そこ」に、ハッキリと書いてあり、読んでいるはずなのに、自分の先入観が邪魔して、少しも、腹に落ちてはいなわけです。
「そこ」の部分だけ、いわば最も重要な、肝腎要の部分だけを、私のブログの「カテゴリ」の「世界の死後の霊魂観」の中で触れてあります。
この話は以前にも、このスレで書きましたので、再び致しません。
また、真理は、教えられるものではありません。
自分が、今までの、すべてを払拭して、ゼロにリセットして、初めて、向こうからやってきて、観えてくるものだと思います。
なぜか?
もともと、神(真理)の子だからです。
世界は、神のはたらきだらけで、
貴殿の「身体」も神(真理)の分身だからです。
終局は、自分自身で悟るものです。
これは教祖の思想も同様です。
- [582]はじめ 06/10/20 09:22 K4uSvvD2ae
- わはっはっは〜〜〜。(⌒∇⌒)
何だか急に笑いたくなりました。(⌒∇⌒)
冷肉一元論も冷肉2言論も私にはよく分かりません。
>> 580
で言われていることもよく分かりません。
でも、
>銀河系 太陽系 原子の系等の通りである
で思い出しました。小学校だったか中学校だったか、原子の構造。太陽系の構造を習ったとき、同じ形をしている。自分の体の中にも太陽系があるのでは?この太陽系も誰かの原子では?と思いを巡らした事を思い出しました。
>>581
>貴殿の「身体」も神(真理)の分身だからです。
この世の中には自分しかおらず、自分の目で見える周囲だけが動くロボットで成り立っている。と思った事もありました。(⌒∇⌒)
>>581
>世界は、神のはたらきだらけで、
>貴殿の「身体」も神(真理)の分身だからです。
我がの見えることしか信じられず、その範疇での思案しか出来なかった自分が、親神様の不思議を体感させて頂きながら、「親神様・教祖の言われるままに。なるよう行くように。」と思ってから見方が変わりました。
そして、かしもの・かりものを広く解釈してよいと思えて、もっと変わりました。
皆、心しかない。心通り。この心をどう使わせてもらえるか。これが今の課題です。
この心を使わせて頂くために、常に十全の守護でお守り下さっている。全て親の体として、これはあって当然の事。しかし、それに気がついていない。
なぜ気がつかないか。自分の体中心にしか思案が出来ていないからと思う。
人間に陽気ぐらしをさせるために、導き育てようとされている親神様が存在し、そこに意志があることが理解できるだろうか?
平等の意識も様々である。我がの幸せばかりを望んでいては、分からないことも沢山ある。我が身を捨てて人のためにという心が使えて初めて分かることがある。
言葉を使うことは難しい。使える能力のある人とない人。この差は大きい。
考えようと思っても考えられない人もある。この差が大きい。
使えないものには使えないものの思案の仕方や表現方法がある。この差を使えるものは理解できているだろうか?
使える状態のままでは理解できずに、自分の理論を押しつけて、差を余計に広げる場合もあるように思える。
世界は、言葉も十分使えて、思案も十分に出来る人たちが中心となって物事を動かしている。
高山にいるにほんの人に期待したい。
私は、来世になるか来来世になるか分からないが、高山で働ける徳を頂けるように、日々を歩みたい。歩めるように親神様に願いたいと思う。
失礼しました。m(_ _)m
- [583]苺 06/10/20 16:07 lRKc1WcCm1
- 「高山で働ける徳を頂けるように、日々を歩みたい」とは、はじめさんは政治家をご希望なのでしょうか??
天理教を信仰なさっているのでしたら、おふでさきを拝読してくださいね。志は別として、少なくても、そんな事を親神様に願ってはいけないと思いますが。。。
徳があるとか、無いとか、因縁がいいとか、悪いとか、そんな天理教は、もう止めにしませんか?
- [584]T.N.Doctrine 06/10/20 16:19 VOw4DhtEL8
- >>578 これ さん、こんにちは。
五重相伝は天理教で言えば講習みたいなもので短日間で終わるのですが、中野阿闍梨(当時の真言密教の高僧だったそうです)の寺、永久寺には49日間こもられているようです。
そこでみっちり教学を学ばれ、また詮じ詰められたことでしょう。
ただ大和言葉で書かれたおふでさきなどの言葉使いを拝すると、いわゆる読み書きを含む一般教養のようなものは、余り受けられてないことがうかがい知れます。
(とは言っても、同時代に現れた他宗のおふでさきの内容、例えば出口ナオさん等のものと比べると、こういう言い方をすると他所様には大変失礼ではあるのですが、知性というものが伝わってきます。格調の高さが感じられます。)
しかし、真理を究めると言うのは、考え方が一番重要なのであって、小手先の教養・表現手段は二義的なものだろうと思っています。
- [585]苺 06/10/20 16:46 lRKc1WcCm1
- 「正法眼蔵」図書館で調べて読んでみます。
- [586]リラックマ 06/10/20 17:44 D-snzhw
- とみ新蔵さん、ありがとうございました。
>>581で最後に言われていたのは、仏教で言えば「解脱」の事でしょうか?天理教で言えば、かしもの・かりものを極めた姿、「素直(素に直る)」にあたるかと…。
今までと観る方角を変えるためには、先入観(今までの立ち位置)を捨てないと、確かに無理かも知れませんね。
う〜ん、覗き見るだけのつもりだったのですが、宗旨替えになっちゃいますね〜(^^)。
そこまでは、まだ踏み込めませんね(>_<)。もう少しあちらこちらから眺めてみないと、とみサンの立ち位置が、一番真理の大木を眺めるのに最適な場所なのかどうか、私には判りかねます。あせらずゆっくりやって行きます。
- [587]リラックマ 06/10/20 19:11 D-snzhw
- >>582はじめさん、こんばんは。
簡単に言うと、幽霊の存在を信じているのが「霊肉二元論」で、信じていないのが「霊肉一元論」です。
人間にはそれぞれ得意分野があると思います。物事をこまかく分析するのが得意な人もいれば、感覚的にとらえるのが得意な人もいると思います。
今、このスレッドが非常に小難しい話になって、とっつきにくいかと思いますが、別に物事をこまかく分析出来る人が人間として優れている訳でも、高山の人間でもありませんよ。
真理というものは、難しく話せば難しくなるし、教祖のようにやわらか易しく話せば話す事が出来るものだと思います。
教祖のようにやわらか易しく話せる者こそが、すばらしい人間だと思います。それは、真理を極めていないと出来ない所業だからです。小難しく話すのは、真理を極めていないからです。
我々は、それ(教祖)を目標とすべきではないでしょうか?
- [588]T.N.Doctrine 06/10/20 19:31 VOw4DhtEL8
はじめさん、こんばんは。
あなたが真摯に信仰を求められようとするお姿勢は、よく伝わって来ていました。
しかし、>>582 の後半の部分のコメントはあなたらしくないような気がします。
私も思いつくまま書き込みを行なっていますので、おかしいなと思われる時は遠慮なくご指摘下さい。
何度も言うようですが私も勉強中なのです。
**********
窓にカメムシが張り付いていました。
ヤモリがそれを狙って、そろそろと近づいて来ました。
至近距離に来て様子をうかがっています。
彼は、獲物に対して飛びつく瞬間がとても慎重なのです。
今か、と思った時、一瞬顔を背けました。
更に、首と言うより胴体の半分位を60度程傾けて、反転するかのようです。
が、そのままじっと止まっています。
どうも迷っているようです。
カメムシが多分、臭い匂いを出しているのでしょう。
ややあって、再びヤモリがカメムシの方に向き直って、身構えました。
再挑戦?
が、今度はすぐにあきらめて、すごすごと退散してしまいました。
これも神様のなされる業の一つなのでしょうね。
何の意味があってと言いますか、可笑しいような、微笑ましいような自然の一コマです。
(最近、どんさんや、まっぷさんのお姿が見えませんね。
何かコメントいただければ・・・。)
- [589]これ 06/10/20 20:16 Hp6MEdS.HT
- T.N.Doctrine さん、ありがとうございます。
>>584
五重相伝は天理教で言えば講習みたいなもので短日間で終わるのですが、中野阿闍梨(当時の真言密教の高僧だったそうです)の寺、永久寺には49日間こもられているようです。
五重相伝は浄土宗で、永久寺は真言宗。中野市兵衛は、長滝村に住んでいたそうだし、49日こもられたという話は初めて聞きました。普通の主婦が49日こもった?う〜ん、わからないことが多いですね。
- [590]まっぷ 06/10/21 00:24 VOw4DEEwnj
- >>588 T.N.Doctrineさんへ
う〜む。お話難しすぎて、つい、目が〜〜うとうと・・。
久しぶりに、のぞいてみたら、まっぷにお声が掛かっていて
嬉しかったです。
それと、T.N.さんの町と、私の町とは、おそらく20キロぐらいしか離れていないような気がしますが・・。
そのうち、どこかですれ違ったりするかもっ・・。
よろしくお願いします。
- [591]はじめ 06/10/21 08:35 K4uSvvD2ae
- >>583
苺さん。早速の反応ありがとうございました。
高山=政治家とは思ってないですよ。政治家になってしまってはそれこそ、おふでさきで言われる高山に親神様を知らしめて、陽気ぐらしへという事は出来にくいものと思います。(⌒∇⌒)
とみ新造さんが先入観について言われてましたが、私も先入観が親神様の思いや言葉の意味を狭くして、それによって様々な弊害を生む元だとも思っています。
これがいくら親神様の不思議を見ても、親神様を信じ切れない元の一つでもあるように思います。
教祖の施された事も、この先入観を無くす一つのひながたとも思っております。
>少なくても、そんな事を親神様に願ってはいけないと思いますが。。。
ありがとうございました。ご指摘頂いて「高山で働ける」なんて、本当にえらい荷物を背負うような言葉を出してしまった〜〜〜。と一寸後悔しております。(^^;)
- [592]はじめ 06/10/21 09:24 K4uSvvD2ae
- >>587
リラックマさん。いつもありがとうござます。
>簡単に言うと、幽霊の存在を信じているのが「霊肉二元論」で、信じていないのが「霊肉一元論」です。
そうなんですか。わたしは、皆さんの文章が理解出来るものないので、雰囲気だけでの感じなのですが、一元論とは自分の見たものしか信用しない。己が悟るためにはという自己中心の考え方のように感じていました。
霊があると言えば、霊のためにという考えが出てくるかと思います。これは霊があるために不都合な事が起こるという、他人の性にする考えも出てきますが、反対に霊のために、他人のためにさせてもらおう。という自分を人のために生かす考えも出てくるものと思います。
前者は自分を持っているようで持っていない。後者は確かな自分を持っていると思います。
>今、このスレッドが非常に小難しい話になって、とっつきにくいかと思いますが、別に物事をこまかく分析出来る人が人間として優れている訳でも、高山の人間でもありませんよ。
本当に思いをくんだ言葉をありがとうございます。
でも、そうした能力の無い人間から見れば、ある人は高山に見えるのです。事実ただ体を動かして働くことしか出来ない人間からみれば、言葉を巧みに使い、先を見通せるような考えが出来ること自体が、素晴らしい徳を持ち得ていると思えるものなのです。
先日来、物忘れがひどくなり考えることすら出来なくなって、初めて分かったことなのですが・・・・(⌒∇⌒)
そうした人は、考えることが出来る人の言葉を信用して動くしかないのです。考えられる人から見たら「努力が足りないから」と思われるかも知れませんが・・・
まぁ。人をおとしいれて、困らせるような差別は絶対にいけないものだと思いますが、歴然と差というものは存在するので、差別を無くすと言うことを主眼において、そこから考えを進めるよりも、その差をどう理解し、どう向上する思案へと結びつけるか。と言うことの方が大切だと思うのです。
>教祖のようにやわらか易しく話せる者こそが、すばらしい人間だと思います。
そうですね。教祖はお会いしただけで、その人に何か悟らせたというような逸話もあったように記憶していますので。(⌒∇⌒)
>それは、真理を極めていないと出来ない所業だからです。
真理とは限らず、経験をしていたらそうなるものの様に思います。
真理を求めよう、極めようとするよりもその時その時に必要な親神様のお働きを頂けるようにならせてもらいたい。そんな風に思うようになりました。
>我々は、それ(教祖)を目標とすべきではないでしょうか?
全く同感です。いつもありがとうござます。m(_ _)m
- [593]はじめ 06/10/21 14:24 K4uSvvD2ae
- >>588
T.N.Doctrine さん。色々とお心を煩わせてすみません。
>私も思いつくまま書き込みを行なっていますので、おかしいなと思われる時は遠慮なくご指摘下さい。
ありがとうござます。ただ、議論の中に入るだけのものを持ち合わせておらず、何か感じるのですが、それをどう説明したらよいか分からずに、私自身が思いつきで投稿しています。すみません。
>しかし、>>582 の後半の部分のコメントはあなたらしくないような気がします。
後半部分は、元々自分の中にあるものだとは思いますが、一元論の話しを読んでいたら、なんだか無性に思えてきたものなのです。何なんでしょうか。この気持ちは・・・
- [594]道の教職員 06/10/21 17:35 hodqLE7u5W
- 久しぶりの投稿です。体調を崩し,仕事に追われていたため,
日々の生活に必死でした。ちょっと休みができたので,遊びに来ました。
今話題になっている(?)霊肉二元論とか一元論について,とみ新蔵さんのブログに書いてあるものを読ませていただきました。
初発の感想ですが,もの凄く研究・勉強をされてきたのだな〜と心から尊敬の念を感じました。仏教・キリスト教・新興宗教・ヒンズー教といったものから,私が名前すら知らなかった宗教の教えまでしっかりと書かれていたのですごく勉強になりました。
私はこんな解釈をしたのですがいいのでしょうか?
霊というものと肉体というものが2つあって,霊が肉体に宿ると人間としての営みを始めるが,肉体が消滅してしまうと霊がどこかの世界やら別の肉体に再び宿り,生活が始まるというのが二元論。
一元論は,霊などなく,肉体の中に,現世の中でその人の生は全うされるというもの。生まれ変わりなどない。こんなふうに解釈しました。
私はいつのころからか一元論者(?)だったので,霊をあほらしく思っていましたし,呪いとか迷信なんかも「なぜ生きにくくしているのだろう?」と素朴に思っていました。大霊界とかいう映画があったように思いますが,なんじゃそれ?!って感じでしたね。
ただ,守護霊とか何とか霊とかいう話や前世がどうのという話はいたるところで耳にしますし,それを元に行動している人にも会いますが,そんな人を見聞きすると,自分で物事を考えてみたらいいのに…と思ってしまいます。そういう人に限って,何かに怯え,自分さえ良かったらと思っている人が多いように思うのは気のせいでしょうか…?
一元論者になったのも天理教の教えがあったからではないかと思えます。ここがこの世の極楽や〜ってね。来世も前世もないってことが子ども心に分かっていたのだと思います。だからこそ,この世でどう生きるかを考えてきたのでしょうね。死後どうするかではなく。
この世がどうあったらいいのかを考えてきて,自分が他の人や社会をより多くの人にとって住みよいものとするためにできることは何か?を問うてきたのだと思います。結果的に自分の生活は豊かになりました。自分を磨き,人の役に立てるようになるまでがんばろうとしてきた結果が今の自分だと思います。成ってくるのが天の理とありますが,原因と結果の法則のようなもので,やったことが結果として返ってきたのだと思います。徳があったからとか前世がよかったからとかそんなものではないはずです。
教育の営みは全てが原因と結果の法則のようなものなので,教師の指導が子どもの姿に表れてきます。その影響はものすごく大きいです。至らない点は全て自分に返ってきますから…。日々これ反省です。
原因と結果の法則を心に修め,理をわきまえて行動していたら,だれにも文句を言わず,我不自由を人のせいにせず,自分を成長させることができると思うのですが,いかがでしょうか。
一元論の話は厳しいものでもあるな〜と思います。自分の責任にできない不幸や災いはあるものですから。その時にどうするかが問われるのでしょうね。ただそこで,前世とか悪因縁とか霊とかの話を出すことなく,現実を見つめ,そこから自分に何ができるかを考えいくことが大事なんだろうな〜と今は漠然と思えます。その時に考えられるか,現実を見つめられるかはまた別問題ですが。
とまあまた偉そうなことを書きましたが,一人一人の感性って大事だな〜とつくづく思います。どんな方のどんな意見でも値打ちがあるって思います。なので,思うこと・感じることをそのまま表現されることって大事だな〜と思います。
- [595]T.N.Doctrine 06/10/21 18:12 VOw4DhtEL8
- >>590 まっぷさん、早速のレス、有難うございます。
20kmと言えば、東予か南予でしょうね。
いつかお会いできる機会があるような気がします。
今月は大祭月ですが、残念ながらお地場帰りできそうもありません。また家内らだけの参拝になりそうです。
11月には予定通り行けると思いますが。
このスレッド、確かにここん所、やや難しくなりましたかね。
でも柔らかいものだけでなく、たまには固いものを噛んでいた方が歯が丈夫になり、健康にもいいそうですよ。(笑)
花咲く草原を歩むもよし、
風の荒野を走るも、またよし、でしょうか。(あいだみつお風に)
あ、そうそう
ヤモリとカメムシの『事件』。
ふと、
厳しい生存競争が繰り広げられる自然の営みの中の、
どちらが優れていると言う訳でもない
緩やかで微妙なバランスという
もう一つの自然の有り方を感じたものでした。
- [596]T.N.Doctrine 06/10/21 18:18 VOw4DhtEL8
- >>593 はじめさん、レス有難うございます。
ちょっと、ホッとしました。今後とも宜しく。
- [597]T.N.Doctrine 06/10/21 19:27 VOw4DhtEL8
- >>594 道の教職員さん、お久し振り。
どうされているんだろうかと思っていた所です。
ややこしいテーマになりましたね。
私もとみ新蔵さんのブログに書かれていることは、普通にと言いますか、自然に読めたのですが。
特に過去世の行いが現世に報いとなって現れるという因果応報思想が、二元論から発したものであり、結果的に現世の差別を容認してしまう可能性があるという危機感と、そしてそれを何としても打ち破りたいと言う正義感と熱情とが文面からほとばしり出ており、感銘します。
一つの思想体系としての整合性ももっています。
しかし、かと言って他の論理が入り込む余地は全くないかというと、私はそうも思わないのです。人間の理解力には限度があると思うからです。不可知論のように思考停止させるというのでなく、また事実から目をそらすと言う訳でもないのですが、本当のことは解らないかも知れないという謙虚さも併せ持っていていいのではないかというだけなのですが・・・。
>一元論は、霊などなく・・・
とありますが、人間の持つ霊性というものは、一元論でも認められるのではないでしょうか。仏教の「山川草木悉皆有仏性」という場合の『仏性』も霊性に通じるものがあるように思えるのです。ただ背後霊とか幽霊とか言うもの・肉体が滅びてもそこから離脱して次の肉体に移動しようとする霊の存在を否定しているだけでしょう。霊の定義の問題になりますが・・・。
一方二元論でも例えばキリスト教などは、幽霊などのようにこの世に浮遊する霊の存在は認めておりません。聖霊とされるもののみ認められています。大天使・聖ガブリエルの霊といった具合です。
実際のところ霊なるものが、個人の性向、感情、欲望、知性、精神性、経験知といったもの・全ての人格的要素を保有しているのか、定義が定かでないような気がします。そういった諸々のものが、肉体を離れて存立できるものとすれば、元々肉体などいらなかったのじゃないかと思えたりするのです。
ついでに申し上げると、幽霊の存在を否定されているとみ新蔵さんも、多分「幽霊現象」の存在は認められていると思いますよ。
- [598]リラックマ 06/10/21 20:09 D-snzhw
- >>592はじめさん、お元気そうで良かったです(^^)。
一元論〜二元論の話は、ちょと単純に言いすぎでしたね(>_<)。誤解される言い回しでした…。ある一面からしか見ていない、言い回しでした。
>〜そうした能力のない人間から見れば、ある人は高山に見えるのです。
人間には「あらきとうりょう」もいれば、「こざいくとうりょう」もいる訳です。松井やイチローのように、体を動かす事で他人を感動させる者もいれば、学者さんのように、頭を動かす事で他人を感動させる者もいると思います。
…と、ここまで書いてきて思ったのですが、はじめさんは、ひょっとして学者さんのような人物になりたかったのでしょうか?で、努力してもなれそうになく、持って生まれた徳分が足りないから無理である。と、考えられていて、今生で一生懸命徳を積んで、来生こそはそうした能力を与えて貰えるようになりたいと…。
確かに、努力しても埋まらない溝というのはありますね。生まれる場所も、自分では選べません。道の教職員さんが>>594で仰る教育の現場での「原因と結果」の話というものも、努力で埋められる範囲内のお話だと思います。母親の胎内にいて、あと少しで生まれる寸前に、病院が空爆にあって死んでしまった赤ちゃんは、努力しようにもどうしようもありません。無力ですね。
『しようと思うて成るやない。しようまいと思うても成ってくるのが、因縁の理という』明治27年5月31日
努力しても埋まらない溝が前世の因縁であると、霊肉二元論で考えていると、やっぱり考えてしまいますね…。で、霊肉一元論ならばアフリカの毎年飢餓で亡くなる子供達も、「原因と結果」の法則で説明できると、以前とみ新蔵さんが仰っていましたね。どういうふうに解釈するのか、私も正直言ってわかりません…。
もしかして、T.N.Doctrineさんが以前仰っていたように、霊肉一元論と二元論が複雑に絡み合ったものが、この世の中の理の法則なのかも知れません。もしそうならば、一元論で矛盾する教祖の言行も、二元論で矛盾する教祖の言行も、両方すっきり腹に納まりそうな気がしてきました。
それを理解するためにも、原始仏教(霊肉一元論)について学ぶ事は、けっして無駄ではない、否!大変有意義な事だと思います。
はじめさん、私と一緒に、とみ新蔵さんとT.N.Doctrineさんから学びましょうよ(^^)!
「真理を極めていないと出来ない所業〜」という私の話は、ちょっと極論にすぎたかも知れません。仰るように、経験を積めば、我々でも「真理の一部」を極める事が可能ですね。「ことわざ」というのも、真理を突いたものもありますからね!
ありがとうございました。
- [599]リラックマ 06/10/21 21:23 D-snzhw
- とみ新蔵さん、こんばんは。霊肉〜の話題も大切なのですが、ちょっと閑話休題で(^^)。
教祖の研究者であるとみサンなら、もちろんご存じのはずの話です。それは『おふでさき十七止め』の事です。
※知らない方のために、全文を紹介します。
『このよふは、もんぢゆ、ふげんを、はじめとし、みよな、りゆじんも、てんじんも、なんがく、てんだい、よふめへも、これ、ぢよどと、ごしたもう、いわんや、われらおろかなる、いかにねがわにありぬべし、さんぜんせかいを、おほいでぞ、たしかに、しよぢよ、みさだめて、こゝろちがいの、ないように』(こふきの研究・中山正善148ページより〜)
知らない方も、読まれればお分りのように、非常に仏教色の強いお話で、教祖が「十七号おふでさきの止め」と仰せられたものです。正善さんは、事実無根と言われていますが、「山田伊八郎文書」の教祖様御言葉の中に同様のお言葉(明治18年4月3日)がありますので、私は事実であると考えています。
教団内部の本にも色々と解釈されていますが、天理教的な見立てで語られているものがほとんどです。
そこで、ブッディストであるとみ新蔵さんの解釈をお聞きしたいな、と思うのですが(^^)。よろしくお願いします。
- [600]まっぷ 06/10/21 22:55 VOw4DEEwnj
- >>595 T.N.Doctrineさんへ
中予なんです。間違えました。20キロも、ないですか?
今月は、8、9日と、おぢば帰りしたのですが
26日にも、帰りたいです。ちょっと、難しいかな?
いつも、高速道路のみでしたが、
今回、初めて2号線を走り、おぢば帰りしました。
なかなか良かったです。私の目指す貧乏旅行に、ぴったりでしたw
これからも、パワーアップして頑張ります。おすすめのコースが
あったら教えてくださいね。
- [601]はじめ 06/10/21 23:32 K4uSvvD2ae
- こんばんは。
>>598
>はじめさんは、ひょっとして学者さんのような人物になりたかったのでしょうか?で、努力してもなれそうになく、持って生まれた徳分が足りないから無理である。と、考えられていて、今生で一生懸命徳を積んで、来生こそはそうした能力を与えて貰えるようになりたいと…。
学者になりたいとも思わないですが、理解しそれなりに説ける能力があれば〜〜〜〜。と来世に期待したいですね。(⌒∇⌒)
そうそう。昔は金儲けのために医者になりたいと思っていましたが、それが元で今の状況に・・・(⌒∇⌒)
>霊肉一元論と二元論が複雑に絡み合ったものが、この世の中の理の法則なのかも知れません。
そうですね。
霊肉一元論で通常考え、必要に応じて二元論でも思案して・・・と言うところでしょうか?
そうすると、1足す2で三元論になったりして〜〜〜。
でも二元論でしあんするには、確実なる神様の働きを感じなければ無理ともいえますね。
ありがとうございました。
- [602]苺 06/10/22 01:46 lRKc1WcCm1
- はじめさん・・もしや、教会長さんですか?
私の知り合いの教会長の方に、文面がよく似ていらっしゃったので。
違っていたら、失礼致しました。。
- [603]苺 06/10/22 02:08 lRKc1WcCm1
- はじめさん・・もしや、教会長さんですか?
私の知り合いの教会長の方に、文面がよく似ていらっしゃったので。
違っていたら、失礼致しました。。
- [604]とみ新蔵 06/10/22 02:30 DbxWReokXl
- 皆さま方へ。
>このよふは、もんぢゆ、ふげんを、はじめとし、みよな、りゆじんも、てんじんも、なんがく、てんだい、よふめへも、これ、ぢよどと、ごしたもう、いわんや、われらおろかなる、いかにねがわにありぬべし、さんぜんせかいを、おほいでぞ、たしかに、しよぢよ、みさだめて、こゝろちがいの、ないように』(こふきの研究・中山正善148ページより〜)<
残念ですが、私は、この文を記憶しておりません。
これがもし、おやさまのお言葉だと、仮定するとするなれば、
「私の言うことは、今までの文珠菩薩や普賢菩薩が救ってくれるとか、龍神信仰や、天神天満宮(御霊信仰から、菅原道真を「神」としたのですが、
後にが悪霊、邪霊を払ってくれて、結構にしてくれるという信仰として、流行って、現代は「お受験合格」の神さんとして全国で流行(^^))信仰でもないし、
奈良の南都六宗の信仰のような、仏様に、神サンへ、おすがりする信仰でもないよ。
さりとて、天保8年以来,近畿地方で、「世直し大明神」と謂われているような、大塩平八郎一派の儒教の実践的な一派の「陽明学」のような、教えでもないのだよ。
だから、勘違いしないようにしっかり、思案をしておくれ」
テナ意味のように受け取れますが、、、。
神や仏におすがりする信仰から、自分が神(真理)の容れもの(社)になるという教祖の決意を、凛々と感ずるのですが、、。
なお、「ブロブ」などでも、私は自分のことを「ブッデスト」とは書いていますが、それはあくまで、方便でしかありません。
現状教団の教理の状態では、どうも、「天理教者」だとは、、、、名乗れガタいワケデス、、、。
ま、、、出版界では、兄の弘史も私も、天理教ということになっていますがネ、、、。
以前に書き、再び書きますが、、、
さすがのお釈迦さんも、これが時代というものでしょうか、
教祖のように、近年生物学の主流になるつつある「進化論」を越えた、今西錦司博士の{棲み分け説}と似たのような、「にんげん創造説話」を説いたわけではありません。
また、神(理)のわかり易い教育方法としての「甘露台の理」
生物の発生の原理や、世界観や人間観を、そこまでは説いてはおりませんからネ(^^)
「かんろ台づとめ」を上、天井から眺めた姿を想像してみてください。
真言宗などでよく使用されてきた「胎蔵界マンダラ」の真ん中に描かれてある「中台八葉院、諸仏配置図」
と、そっくりなことが、分かるでしょう
しかし、おやさまが教えた、甘露台づとめは、人間が参画して行うという「動く、立体マンダラ」である、ということが、少しは理解できましょう。
また、これは思想界、宗教史上でも
ただ、驚き、唸るしかないものだと思います。
庄屋敷村のバアサン(若い時は色白のベッピペンさんだったと思いますが(^^)は、ホンマ、神憑りじゃねえか、、、、?!(^^)
とシカ、オモエないような天才たる所以ですガナ。
- [605]とみ新蔵 06/10/22 07:11 DbxWReokXl
- 皆さんへ。
アレマ、、、、言い忘れましたが、私も、もち「神の社」ですヨ。
私のバヤイ、凡俗の神の社でして、ちと、スケベで、刀剣鑑賞の趣味などもある神の社です。
また、ときどき財布を落としたり、忘れものをしたり、アレコレのヘマをやる、アホタン神の社ですが、、、。
また、神の社ですから、神様へ、特別にご利益を願う気持ちはありません。そんな我が身思案はありません。
世界の人々に「本当に幸せ」を思い出してほし
いと、言動するだけです。
あなたは、どんな神の社なのでしょうか。
え?「ひながた」のように人力車へ、乗るって?
ハハ、人力車は観光地へ行けば確かに、ありますがネエ(^^)
ま、現代なりに、その人の環境で行える、自分の持ち味で行え、生かせる「神の社行為」は、日々、社会的にの個人の生活のうえでも、様々な点で行えるはずですもんね。
神の社に条件はいらないものだと思っています
。
ただ、みんなが、世界が、ニコニコで、高低差別のない、ろっく地に、踏む均らす、という極意は、忘れないで通りたいものですね
- [606]はじめ 06/10/22 08:36 K4uSvvD2ae
- >>602-603
苺さん。おはようございます。
強調のダブル投稿はどう思案したら良いのでしょうか?
なんだか、教会長と言ったら食い殺されるような・・・・嫁さんから怒られているような恐怖を感じたりして(⌒∇⌒)
冗談はさておいて、
苺さんがどういう方をご存じか知りませんが、どういうわけだか会長をしております。
と言っても、聖職という言葉には絶対に沿わない、教祖のひながたにも沿いきれないぐうたらな会長です。
どうかよろしくお願いします。m(_ _)m
- [607]はじめ 06/10/22 08:50 K4uSvvD2ae
- すみません。>>604
>棲み分け説
に反応してしまいます。
棲み分け説とは事なるのですが、地球上に距離を隔てて色んな文化が生じているのは、その人間に応じた棲み分けがわざわざなされているのではないかと思うときがあるのです。
それを無理矢理、一つの考えに統一しようと、押しつけるところに無理が働き、いらぬ災いを招いているようにも感じたりします。
そうした無理で作ったいんねん・怨念はどうしたら無くなるものか?と思ったりします。
- [608]はじめ 06/10/22 09:05 K4uSvvD2ae
- >>604
>庄屋敷村のバアサン(若い時は色白のベッピペンさんだったと思いますが(^^)は、ホンマ、神憑りじゃねえか、、、、?!(^^)
>とシカ、オモエないような天才たる所以ですガナ。
ようやく理解出来たように思います。
とみ新造さんは、おさしづを認めておられませんでしたよね。
ということは、本席様の事も認めていない。と言うことで、天啓が悟りとなって、真理という理論が先行して、こうなってくるじゃないでしょうか?
ということで、とみ新造さんはどのような人のための「神の社」で、私はどのような人のための「神の社」?と空想がどんどん広がって行きま〜〜す。
失礼しました。
- [609]苺 06/10/22 10:25 lRKc1WcCm1
- はじめさん、早速のレスありがとうございました。
まず、ダブル投稿はしておりませんので、ご了承を。。。
掲示板には魔物が棲んでいる様なので、気をつけて投稿しなくては、と、思いました。
ときどき、ロムする程度に致します。他意はありませんので!
- [610]どん 06/10/22 11:48 4vCCO/V2VP
- お久しぶりです。最近仕事が忙しくてなかなか参加できていませんでした。
霊肉一元論、二元論、確かにちょっと難しい話になっていますね。
でも、とみ新蔵さんが、結論というか、「で、結局どうなの?」
という部分を、はっきり書いて下さっていてホッとします。
>ただ、みんなが、世界が、ニコニコで、高低差別のない、ろっく地に、
>踏む均らす、という極意は、忘れないで通りたいものですね。
前生いんねんとか、徳の有る無しとかに惑わされず、それはすなわち
目の前の、現実に関わる人を、自分と寸分違わぬ神の子であると意識して、
自分に何かを気づかせてくれる師として、あるいは自分に代わって
体験してくれている友として、また、その人の過去を問うのではなくて
その人の未来を信じて、お互い頑張っていきましょうと、助け合うこと、
簡単に言えば、みんながニコニコで、ということなんでしょうが、
月日にわにんけんはじめかけたのわ よふきゆさんがみたいゆへから
そこに焦点を合わせ続けていられたら、素晴らしいと思います(^o^)
- [611]とみ新蔵 06/10/22 16:15 DbxWReokXl
- はじめ氏へ。
>とみ新造さんは、おさしづを認めておられませんでしたよね。
ということは、本席様の事も認めていない。>
アレマ、認めていない、テナ事情ではありませんぜ!!
ただ、日本仏教の常識だった、当時の人々が勘違いしてしまうような表現もあるなあ、と思うだけです。
私は勘違いしませんがね。
みんな「、為るほど!」と思いますよ。
さらに「おさしず」は、ばあ様亡き後、国家公認神道教団として、進めた本部の様子が観て取れますね。
ほとんど、初代真柱は本席さんのいうことを聞いてはいませんねえ、、、。
「旬刻限」では、怒ってばかりですねえ。
さすがに、初代真柱は、時代の先取りに動いて、明治国家から、閣下と言われるような「勅任官待遇」の身分に出世した人物だと感じています。
それにくらべて、本席さんは、政府の断髪令なども従わないで、死ぬまで「チョン髪」でしたが、、。
こんなところにも、「姿勢の相違」「思想の相違」を強く感じざるをえませんねえ。
- [612]はじめ 06/10/22 19:10 0tXZNToClc
- 苺さん。こんばんは。
>>609
>まず、ダブル投稿はしておりませんので、ご了承を。。。
>掲示板には魔物が棲んでいる様なので、気をつけて投稿しなくては、と、思いました。
そうなんですか。了解しました。
疑い深い性分の私には、これ以上この件について書くと、私の頭がややこしくなるばかりだと思いますので、これで終わりにします。
又よろしくお願いします。m(_ _)m
- [613]はじめ 06/10/22 19:30 0tXZNToClc
- >>611
とみ新蔵さん。こんばんは。
>ただ、日本仏教の常識だった、当時の人々が勘違いしてしまうような表現もあるなあ、と思うだけです。
そうですか。
以前の投稿では、原典におけるおさしづの順位についてお話しをされただけだったのですね。(^^)
>ほとんど、初代真柱は本席さんのいうことを聞いてはいませんねえ、、、。
え?そうなんですか?
>「旬刻限」では、怒ってばかりですねえ。
親神様が叱られているように思えるおさしづは読んだ事ありますが、それが誰に対してなのかはよく分かりませんでした。
>こんなところにも、「姿勢の相違」「思想の相違」を強く感じざるをえませんねえ
そうなんですか?はじめて聞く話です。
- [614]リラックマ 06/10/22 21:51 D-snzhw
- とみ新蔵さん、ありがとうございました。
この「おふでさき十七止め」の解釈は、教団内部の解釈本では「もんぢゆは、くもよみのみこと〜」てな事が主で、結局教祖がおふでさきの止めとして何を仰りたいのか、肝心な部分がさっぱりだったのです。
とみサンの解釈で、そこがすっきりしました(^^)。ありがとうございました。
参考までに…
※山田伊八郎文書・教祖様御言葉より〜
明治18年4月3日(旧2月18日) 山田伊八郎せきにて金玉いたみ、神様参り、神様御噺し
このよふハ、もんじゆふとハ、たべもん、きもの。ふげんをとハ、風 人間いき。はしめとし みよふなりうじんもとハ、りゆけの事。なんがくとわ、火なん水なん風なん病なん。てんだいとわ天がだい。よふめいもみなこれ。しよどごしたもとわ、世界中 百姓一れつに 火なん水なん風なん病なん、なしにして、年々に豊作ヲとらせ。亦人間も出生してから、ほふそ、はしかせんよ、病なしにして百十五歳迄、極楽じょどへいつれててふりたい。其上ハ、けゑこふとおもうなら、百五十が二百三百までも、ふんばりきる。ゆハんやわれらわをろかなる。
いかにねがわにありぬべし。
三千世界をとわ、人間のおもう事ハ、口でゆふ。口でゆふ事ハ手でする。
是が三千世界とゆふ。おいでぞ。たしかに しょじふ みさだめて、心ちがいのないよに。
それから、「ブッディスト」は失礼致しました。私も、とみ新蔵さんも「天理教中山みき派」ですね(^^)。
- [615]リラックマ 06/10/22 22:08 D-snzhw
- はじめさん、こんばんは。
はじめさんは、教会長さんだったんですね〜(^^)。
最近の投稿は、はじめさんの人柄が現われていてイイ感じですね(^^)。きっと楽しい教会なんでしょうね!
まっぷさん、どんさん、おひさしぶりです!お元気そうで何よりです。また、よろしくお願いします(^^)。
そういえば、レインボーさんはどうされたのでしょうか?一月ばかり、お見えになってませんね。以前もそういう時期がありましたが、今回もそうなのでしょうか…?寂しいですね(>_<)。
- [616]まっぷ 06/10/22 22:13 VOw4DEEwnj
- どんさん、お久しぶりです。お仕事、大変ですね。
>>610 同感です。
私の今の目標は、皆に喜んでもらう事です。
私の周りの人に、ニコニコしていて貰いたいから、こころを尽くしています。尽くしているつもりですが、まだまだです。
縁あって出逢い、めぐり逢わせて頂いた方々のために、お互い
頑張りましょうね!!
- [617]まっぷ 06/10/22 22:39 VOw4DEEwnj
- >>615 リラックマさんへ
お忙しいところ、色々教えて頂き感謝、感謝です。
私は、ここで教えて頂いて、良かったと思っています。
初めて聞く話が多くて、びっくりする事もありますが
納得出来て、もっと、おやさま、親神様の事が知りたくなります。
これからも、よろしくお願いします。
運転、お気をつけて下さいね〜。
- [618]とみ新蔵 06/10/23 00:02 DbxWReokXl
- 身共は、ホンマにもう、誤字ばっかりを、よくやりまんなあ(汗)
だからチト、前に書いた文、修しておきまする。
>ま、現代なりに、その人の環境で行える、自分の持ち味で行え、自分を生かせる「神の社行為」は、日々、社会的にも個人の生活の上でも、様々な点で、行えるはずですもんね。
「難渋だすけの精神」がビシ!っと決まっていれば、神の社に、条件はいらないものだと思っています。
ただ、みんなが、世界が、ニコニコで、高低差別のない「ろっくの地いに、踏む均らす」という極意は、忘れないで生涯を、通りたいものですね<
- [619]k 06/10/23 20:18 DBkI6mtJ8X
- こんばんわ。
久しぶりの書き込みです。
ここしばらくの間、思案していてもどうしても解らないことがあるのですが。。。「おてふり」と「おさづけ」についてです。
ある教会長さんの話で、おてふりがいくら上手に出来たって、
おさづけには何の関係もない、というのがありました。(うろ覚えですが)自分は、本当に関係ないのだろうか?と思いました。
「つとめに手がぐにゃぐにゃするのは心がぐにゃぐにゃしているからや。一つ手の振り方間違うてもよろしくない。このつとめで命の切り替えするのや。大切なつとめやで」とおおせ下さいますのは、
それはつまり、手の振りが心に大きく影響を与えるということではないでしょうか?
おさづけというのは、良く聞く話に、取り次ぐ人の、心がどれだけ綺麗か、どれだけ親神様の御守護を伝えられるような心か、で決まるというものがあります。そうだとしたら、心に大きな影響を与えるこのおつとめが、果たして本当におさづけに影響を与えないのかどうか。どなたか、ご指摘いただければ幸いです。
- [620]T.N.Doctrine 06/10/23 20:45 VOw4DhtEL8
- 昨日、草刈ひのきしんをしておりましたら、ジャージの足許にびっしり萩の豆がついて居りました。
こんなにもくっ付くかと思う程、折り重なるように張り付いていました。
子孫繁栄のため、別の場所に移植すべく、私の体を乗り物代わりに利用しようとしているのでしょう。
植物は植物なりの生きる知恵と言いますか、健気にも見え、必死にも思える彼らの企みなのです。
以前に、植物が傷つけられる時、体内に微弱電流を発生させ、まるで動物と同じように危機を知らせる仕組みがあるようだということを書きましたが、他にも食虫植物が、じっと待って獲物を捕らえる形態など、イソギンチャクのような下等動物の生活形態と余り変わらないように思える例もあります。
特に「テンナンショウ」という植物は手が込んでいます。
いい香りを出して虫を誘うオス袋には雄しべがあり、入ってきた虫に花粉をくっつけます。そして下部にちゃんと逃げ道を作っているのです。
次に入ったメス袋には雌しべがあり、花粉を運んで来た虫たちに受粉させます。が、今度は逃げ場がありません。
あわれ、虫たちは麻薬の運び屋が消されてしまうように、下部に蓄えられた液の中で溶かされ栄養にされます。
一石二鳥です。
恐るべきはメスの・・、いやいや・・・。
原生動物でもミドリ虫などは葉緑素を持っており、光合成をしますので、植物との境が定かでありません。
といったようなことを思案いたしますと、
お釈迦様が動物だけの殺生を禁じたのは、少し、?が付くような気がします。
極北の地に住む人々は動物以外に食べるものがありません。
植物性の物も動物の内臓に残存する海草の類のものを一緒に摂取するしかないのです。殺生を止めれば彼らは生きて行けません。
それこそ「殺生な!」ということになりそうです。
殺生を禁ずるのも、不必要な殺生をするなという風に、やや緩めて解釈すると、不必要な殺生をする人はごく稀だろうと思います。
屠殺業者の方も生きるために必要なこととして行なっている訳です。殺したいために殺している訳ではありません。むしろ人々の生存に寄与する為、或いは喜ばすための生業をしているとも言えそうです。
真理と言うものも、このように相対的な要素を含むものですね。
いずれにしても、植物であれ動物であれ、生きとし生けるものの命を頂いて我々の種が成り立っている訳で、無駄にしないこと、感謝の心をもって頂く事、というのが一番肝要なのでしょう。
ズボンに引っ付いた萩の種から、色々と思いを巡らした次第です。
- [621]T.N.Doctrine 06/10/23 21:24 VOw4DhtEL8
- >>600 まっぷさん、
エエー、という感じです。
同じエリアですか。
灯台もと暗し、ですね。
ひょっとしたら、お会いしたことがあるかも知れませんね。
教務支庁とかで。
それから、>>617 のリラックマさんへのお心遣い。さすがです。
>>598 リラックマさん、こんばんは。
本来はとみ新蔵さんへのご質問だった筈ですが、まだ答えられてないようなので、先に私の考えを述べさせて貰いますね。
一元論での「原因と結果」というのは、人間の強欲から来る争いが、悲惨な現実という結果をもたらしていると言うことでしょう。
自業自得ですね。
この世で引き起こしたものが、この世で結果を残すということです。
それが過去から現在にまで連なり、因縁ある争いにつながっているということだと思います。
中東問題など、過去数世紀にわたる因縁の結果でしょう。成ろうとしても成れない、深くて複雑な因縁と言えます。
それを解消していく為には、人類全体がさんげし、心遣いを改め、「因縁納消」に努めることが必要だと思われます。
それはあくまでも理を理解した上で、現実的な対応を行なうということになるのでしょうね。
>>604 とみ新蔵さん
「動く、立体曼荼羅」、いい表現ですね。本当にその通りですね。
話は変わりますが、私の論調で、とみ新蔵さんの矛先を鈍らせることになっては申し訳ないなあと思いつつ、緩急の玉の出し入れをしている次第です。
以前仰られていたように、仲良しグループの井戸端会議に堕しては、あまり意味のないサイトになってしまうかも知れませんね。
あなたのお説にはやや抵抗感のある方も居られると思いますが、ステップ・バイ・ステップかなとも思います。
皆さん教団の現状を憂慮し、何とかしたいと思っている真摯な方ばかりで、とみ新蔵さんのお気持ちと一緒だと思っています。
それから、皆さん何だかんだと言っても、あなたのことが好きだと思いますよ。
- [622]リラックマ 06/10/23 21:28 D-snzhw
- >>617まっぷさん、ありがとうございます(^^)。
私にとって、人様のお役に立つ事が喜びなのでございます。まっぷさんの喜びは、即ち私の喜びなのでございます(^^)。今後もヒマをみて、色々と紹介させて頂きます!
さて、明日からホントに久方振りにおぢばがえりをさせて頂きます(^^)。天理の仲間に会えるのが楽しみです!
時間があれば、櫟本分署跡参考館にも行こうと思っています。以前、天理にいた頃は、異端の施設だと思って故意に避けてきたので、実は一度も行った事がありませんでした。
しかし、ここでとみ新蔵さんという方とお話させて頂いて、考え方が変化しました。何か発見があるかも!なんて思っています(^^)。ヒマがあればいいんですけどねぇ…。
- [623]まっぷ 06/10/23 23:03 VOw4DEEwnj
- >>621 T.N.Doctrineさん、
ハイ!!きっと、お会いしていますね・・教務支庁で。
神様のお計らいに、感謝しています。
- [624]レインボー 06/10/23 23:25 VBCUamySlz
リラックマさん、皆さん、お久しぶりです。
あまりに精力的な書き込みに、頑張ってるなぁと感心するだけで
読むだけでもなかなかついていけない状態です。
ところでニュースで気になる記事がありましたので、
皆さんの意見をぜひ聞きたいと思いました。
どうぞよろしくお願いします。
〜〜〜生まれつき脳の病気がある赤ちゃんに必要な手術を両親が拒否したため、病院が児童相談所に「虐待通告」をし、児童相談所の請求を受けた大阪家裁が昨年「子の健全な発達を妨げ、生命に危険を生じさせる可能性が極めて高い」として親権停止の保全処分を命じていたことが21日、分かった。
手術は同家裁が選任した親権代行者の同意で無事行われ、赤ちゃんはその後、両親の元で順調に育っているという。
関係者によると、赤ちゃんは昨年、関西地方の病院で生まれたが脳の病気で容体が悪化。主治医は再三にわたって手術を勧めたが、両親は「神様にお借りした体にメスを入れることはできない」と拒み続けた。
赤ちゃんを連れ帰ろうとする様子も見せたため、病院が「手術を受けさせないのはネグレクト(養育放棄)に当たる」と児童相談所に通告。相談所も「親権の乱用だ」として、両親の親権喪失宣告と、緊急措置として親権者の職務執行停止(親権停止)の保全処分を大阪家裁に請求した。
子供の治療には親の同意が必要で、通常親が反対すれば手術に踏み切ることはできないとされる。大阪家裁は、ほかに適切な治療手段がないことや、手術しなければ重い障害が残ったり生命に危険が及んだりする可能性を検討。「生命の安全や健全な発達のためには早期に手術をする必要がある」として、親の意思より子供の福祉を優先すべきだとの判断を示した。〜〜〜
記事の途中や後半も少し省いてますので、詳しくは
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061022-00000011-san-soci
をご覧ください。
天理教では、このような事はないとは思うのですが、
「神様にお借りした体にメスを入れることはできない」という親の信念
皆さんはどう思われますか?
- [625]まっぷ 06/10/23 23:37 VOw4DEEwnj
- >>622 リラックマさん、ありがとうございます。
おぢば帰りされるんですか?いいなぁ〜。
おぢばに帰られた方、皆さん、いい顔されてると思いませんか?
楽しくてたまらないって顔ですよね。
櫟本分署跡参考館って、初めて聞きました。
もし行かれて、何か発見されたら、ぜひレポートお願いしますw
では、お気を付けて、いってらっしゃいませ。
- [626]きき 06/10/24 13:19 K2qoh9IA7a
- こんにちは、はじめまして。
前世の因縁のことについて調べていましたら、
ここにたどり着きました。
「前世の因縁」が長年、心のしこりになってきました。
このままではいけないと思いまして、
ご相談にのっていただきたく書き込みしています。
私の家族は4人で、母は教人、父と私と弟は用木です。
私には出産時の酸欠が原因で身体に障害があります。
家族や周りの人の協力のおかげもあり、
障害があることで閉じこもったり、悩まないでいままで生きて来れました。友達からも活動的だねと言ってくれます。
唯ひとつ、前世の因縁でなやんでおります。
これがあるので、天理教を真から信じきれないと思うのです。
今はもう出直されたのですが布教所長さんが、
私が障害者とわかったとき、
「前世で人を殺したからや。」
「色情因縁があるわ。」
と、おっしゃったそうです。
成長していく中で、母からも
「あなたは色情因縁があるから。」
と、何か節があるごとに言われました。
母とはこのことについて何度も話し合ったのですが、
平行線のままです。
上のことを言われると
障害があること=前世でおこなったことの罰
のように思ってしまうのです。
障害があるのは私の特徴で、
あるからこそ大切なものがみえ、
これからもこの人生を楽しみたいと思っています。
どうおもってこれから歩んでいくといいのでしょうか?
よろしくお願いします。
- [627]ミッチー 06/10/24 15:28 u4yLwRnHb5
- ( ・ェ・)<アイ ラブ ユー♪
- [628]T・S教人 06/10/24 16:05 giztAnEKpy
- リラックマさんこんにちは。秋季大祭参拝されるそうですね。いってらっしゃい。気をつけて。やっぱりおぢばは親神様、教祖の愛情一杯でいいですね。『神様のふところ住まい』ですね。温かいし。私もおぢばの友達に会いたくなりました。又来年帰らせて貰えるのを楽しみに。もう今年のような何か嫌な文句と言うか、不足ばっかしの通り方はいやです。来年はきっと「親神様、教祖ただいま帰りました。有難うございました。」明るく笑顔でお礼が言えたらと思います。櫟本いかれるんですか。私も行きましたが、ちょっと不思議な気持ちになりました。
- [629]次男 06/10/24 16:49 ZFX6tXL2iw
- ききさん、あなたは、心無い言葉で悩んでおられるのですね。
「気にしないで・・・」と言っても無理だと思います。
良い本を紹介します。
飯田史彦(ふみひこ)さんの本で、『生きがいの創造』という本を読まれると、勇気が湧いてきますよ。生きている事の意味が分かる、良い本だと思います。
かなりベストセラーになった本ですので、古本屋さんでも、ちょくちょく見かけます。是非、読んで下さい。
- [630]T.N.Doctrine 06/10/24 19:46 VOw4DhtEL8
- >>623 まっぷさん、
アレアレ、って感じです。
じゃあ家内のこともご存知かもね。
教務支庁で、フラワーデザインやったりしているから。
いやあ、ちょっと参ったかな。
- [631]T.N.Doctrine 06/10/24 20:39 VOw4DhtEL8
- >>619 のお答えは、はじめさんが相応しいように思えます。
振っちゃって御免なさい。
>>624 レインボーさん。お久し振り!
どうされているのかなと思っていたところです。
リラックマさんの一言、グッタイミング。
お話の件、難しいですね。
かつて輸血さえ拒否するという、キリスト教系の新興宗教が社会面を賑わしたこともありました。
昔の天理教も似たようなことを言っていたように思います。
我孫子事件なども確かそのようなことだったのでしょう。
病院に行くのを恥ずかしいことのように思い、おさづけだけで直そうとしたり。
しかし、2代真柱様がお地場に「憩いの家」を建てられてから、風向きが変わったように思います。
教祖は「医者の手余り、神が助ける」とは仰っていますが、医者を否定してる訳ではないということで、医療行為を受けることは問題ないという解釈になってきました。ただ医療「技術」に頼る度合いが高くなり、さんげする心、足納する心がほとんど省みられなくなるとすれば、いささか気がかりにも思います。
で、その医療行為の範囲ですが、「神様からお借りした体にメスをいれることはできない」とする信仰信念そのものは、立派なのかも知れませんが、自分の子供を含む他者に適用していいのかどうか、やはり疑問です。
医療技術も神様が造ったルールの応用だと思います。
こうすればこうなるというルールに従って手術したりする訳です。
それで命が助かるという保証があるのに、拒否するというのは、殺人幇助のようなものに成るかも知れません。
もし神様が運命として死を与えようとするのであれば、手術も失敗するかも知れないし、成功した後で交通事故か何かで死んでしまうということだってあるでしょう。その時に、ああ運命だったんだと思えばいいんじゃないでしょうか。
「借りた体にメスを入れる」という言葉を発されると、天理教のはしくれとしては全く逡巡がないとは言い切れません。が、神様からはそれより大事な「命」を与えられているのですから、どちらを優先すべきかは明らかでしょうね。
とは言いながら、最近の臓器移植の問題に至ると、「命」のためにはどこまでもやっていいのかという疑問が生じてきます。限度が解りません。
悩ましい限りですね。
(久々のご登場、嬉しかったですよ)
- [632]T.N.Doctrine 06/10/24 21:42 VOw4DhtEL8
- 連スレ、済みません。
>>626 ききさん、こんばんは。はじめまして。
生まれつき障害があったり、家に度重なる不幸があったりすると、前生の因縁、特に色情因縁か強欲の結果だとするのは、かつての天理教の先生方のきまり文句でした。(何の証拠もないのに)
逸話篇で教祖も、前生因縁とかさんげとかの話を残されていますが、それが事実だとしても相手を見て仰られたことで、場合によっては方便の要素もあったのではないかと私は思ったりします。
このスレッドでも、とみ新蔵さん始め、多くの方々が従来のような因縁理解に ?マークをつけていますね。
色情因縁なんてものは誰にもあるものだと私は思っています。
少なくとも「色情因」はね。
キリスト教でいう「原罪」もそのことを示唆しているように思います。
キリスト教では人間には元々罪があるという解釈でしょうが、私は罪に至り易い要因を持っているものと理解しています。
「因」は(これも強い人と弱い人の差はあるでしょうが)誰しも持っていると思うのですが、「縁」がなければそういうことにならないでしょうね。
そして「縁」は言わば神様が用意して下さるものです。
で、結果色情の道に走ったとしても、来世に障害を与えると言う罰?を親神様が与えるなどとはとても思えません。
布教師の方もそれ以外の原因を思いつかないからという、苦し紛れの解答のように見えます。
ほこりを積んでいるとしても、それはあなただけではないと思います。
皆んな、皆んなほこりを積みながら(いくらかは掃除させてもらいながら)生きていくんだと思います。
生まれつきの障害をお抱えのこと。
神様の思し召しがどこいらにあるのか私にもよく解りません。
偉そうなことを言うようで申し訳ないのですが、成って来る理、成って来ている理を喜んで通らして貰う以外にないような気がします。
>障害があるのは私の特徴で、
あるからこそ大切なものがみえ、
これからもこの人生を楽しみたいと思っています。
書き込みをしていて、実は、何も申し上げる必要がなかったような気がしてきました。
ただ、頭が下がります。
- [633]はじめ 06/10/24 22:19 K4uSvvD2ae
- Kさん。こんばんは。
>>631 T.N.Doctrine から矢が降って来て、とまどっているはじめですが、一寸頑張ってみます。
>>619
>ある教会長さんの話で、おてふりがいくら上手に出来たって、
>おさづけには何の関係もない、というのがありました。(うろ覚えですが)自分は、本当に関係ないのだろうか?と思いました。・・・・・・・
>それはつまり、手の振りが心に大きく影響を与えるということではないでしょうか?・・・・・・・
>そうだとしたら、心に大きな影響を与えるこのおつとめが、果たして本当におさづけに影響を与えないのかどうか。
ということですが、
おさづけでお働きを見せて頂ける元は人を救けたいという心で、そのために心からおつとめを綺麗に振らせて頂こうと思って上手になることは間違いではない。という思いで書かれているように感じさせて頂きました。
その会長さんがどんな思いでそういう話しをされたかが気になります。一番確実なのはそのように言われた先生に直接尋ねられるのが良いかと思うのですが・・・・
さて、「おてふりが上手に出来たって・・・」の言葉だけから私なりの想像で、こんなケースもありうると言うことを書かせてもらいます。
おてふりが上手になる目的が、人に認められたいとか、形のみ上手になることだけを思って、おてふりを覚えてそのことを自慢したりする姿を見たりした時に、いさめる目的でそんな言葉が出ることがあるのではないか?と思います。
もう一つ言えることは、「おてふりが上手」と言っても、どんなおてふりが上手なのかという事なのです。
本部の三日講習会を受講した方々におてふりのビデオが配布されて、教会にも配布されましたが、これはあくまでも練習するための見本で、これが絶対に正しいというもの、この通りにしなければならないものではないと聞いています。
ややこしい話しですが、例えば「投げの手の角度は何度でなければならない。」と言えるものではないと言うことなのです。
しかし、「一つ手の振り方間違うてもよろしくない。」と言われますので、「投げの手」を「振りの手」にという間違いは良くないわけで、それを覚えるためのビデオということだと思います。
大切なのはKさんが言われるように、大切なのは心です。ですから、
「つとめに手がぐにゃぐにゃするのは心がぐにゃぐにゃしているからや。」
と心が自然と手振りにあらわれてくるものが、おてふりと言えるのではないでしょうか。
すみません。こんな風にしかかけませんが・・・
失礼しました。
- [634]はじめ 06/10/24 23:01 K4uSvvD2ae
- >>615
リラックマさん。コメントしてもらっているのに、ついつい書きそびれてすみません。
>きっと楽しい教会なんでしょうね!
皆さん方から見たら、たぶん教会らしくない教会だと思います。(⌒∇⌒)
>>599
>>614
のおふでさきの解釈おもしろいですね。私には、
>このよふは、もんぢゆ、ふげんを、はじめとし、みよな、りゆじんも、てんじんも、なんがく、てんだい、よふめへも、これ、ぢよどと、ごしたもう、いわんや、われらおろかなる、いかにねがわにありぬべし、さんぜんせかいを、おほいでぞ、たしかに、しよぢよ、みさだめて、こゝろちがいの、ないように』(こふきの研究・中山正善148ページより〜)
の「ごしたもう」「いかにねがわにありぬべし、」この意味が全く分からないんです。
- [635]どん 06/10/25 01:05 4vCCO/V2zc
- >>626 ききさん、こんばんは。
私の意見を書かせてもらいますね。
前生の因縁なんて、嘘、というか無意味だと、私は思っています。
話を単純化するために、「悪いことしたら悪いことが起こる」とします。
例えばAさんが苦労しているのは前生(例えば明治時代)で悪いこと
したからだ、誰かを苦しめたからだ、とします。
すると、明治時代にAさんに悪いことされた、Bさんが居たと。そしてそれは
Bさんが前世(例えば江戸時代)に悪いことしたからだ、ということになります。
すると、江戸時代にBさんに悪いことされた、Cさんが居たと。そしてそれは
Cさんが前世(例えば室町時代)に悪いことしたからだ、ということになります。
ずうっと遡っていくと、どうなるのでしょう。
天理教の創造神話でいくなら、最初の生みおろしの時に誰かが誰かに
悪いことされたということになります。前生もないのに!です。
私は、前生因縁なんて嘘だと思います。
もうひとつ、前生の因縁といわれても、検証のやりようがありません。
そうかもしれないし、そうでないかもしれません。
意識とか心とかと一緒だと思います。
たとえばここに林檎があるとします。
確かに在る。触ることも出来る。
でも、本当は林檎なんか無くて、でも神経を操作されて、
あたかも在るように感じているだけかもしれません。
在るかもしれませんし、ないのかもしれません。
前生で人を殺したのかもしれません。
殺していないのかもしれません。
確かめようがありません。調べようがありません。
そんなもん、今生を、この、今日という一日を、いかに陽気に勇んで、
いかに周囲の人に感謝して、いかに仲良く笑って生きていこうかという
ことを考えるときに、どうでもよい話だと、私は思います。
前生因縁なんて、無意味だと思います。
- [636]どん 06/10/25 01:05 4vCCO/V2zc
- 連続で失礼します。
子どもが生まれながらの障害を持っていると知った時の、
母親の自責の念というのは、相当なものだったのではないでしょうか。
15歳までは親の因縁だとか言われます。
難産なのは神にもたれ切っていなかったからだとか言われます。
教理を責め道具に、自分をさんざん痛めつけたのではないでしょうか。
因縁にとらわれて、苦しんでいるのはお母さまも同様なのかもしれません。
ききさん、お母さまに言って差し上げて下さい。
いろいろあるけど、元気だよって。
生まれてきて良かったよって。
お母さん、生んでくれてありがとう。感謝してるよ。
だからもう自分を責めなくていいと思うよ。 ってね。
お互いがんばりましょう。
障害があるからこそ、大切なものが見えたというききさんの
ご意見に、深く深く、頷きます。
あなたの姿勢に、私は大賛成です。
>>615、>>616 リラックマさん、まっぷさん、お久しぶりです。
またよろしくお願いします。
- [637]苺 06/10/25 12:33 lRKc1WcCm1
- ききさんの問いに、
前生いんねんというものが、この世に存在するのであれば、それは、自分が人助けをしていく道の上で、相手の中に(鏡として)見せられる自分の方の悟りであって、その事は、誰かに判で押した様に諭される代物ではないと、私自身は考えますが。
やれ、色情因縁がある、親不孝因縁がある、我家は断絶の因縁がある、、これは、天理教の因縁諭しの十八番でしょうか。
では、天理教教祖は、御在世当時にどのような姿勢で人々に接していたでしょうか?
教祖(おやさま)が、とられていない姿勢を私達(ようぼく)が人助けと称して(言葉を責め道具にして)よいものでしょうか?
何故に、くちでもいわん、ふでさきのせめ、なのでしょうね。
- [638]まっぷ 06/10/25 21:25 VOw4DEEwnj
- >>630 T.N.Doctrineさんへ
すいません。あまり、支部活動が出来ていませんので
奥様にも、たぶんお会いしていないと思います。
フラワーデザイン・・・ぜひ、教えて頂きたいです。
今も、開催されているんですか?
- [639]基本。 06/10/25 21:44 G5i9N2HNLh
- >[626]きき さん。
例えば、「色情因縁」があると言われたとします。それがある事は、勲章でしょうか、恥辱なのでしょうか。
ききさんは、恥辱と思われていて、因縁に対して攻撃的ですが、天理の基本的には、「勲章」です。
それは、「悪しきの事は言わんでな」と、「ちょとはなし」の中で、つとめの教えの基本として、示されています。
生物は進化して人間に成りましたが、動物は発情期の時しか性欲が亢進しません。昂ぶらない、昂ぶれないのですが、人間は発情期でなくても性欲が亢進できる。昂ぶることが出来る。
それが進化である。動物との相違です。
「色情因縁」とは、進化の頂点の「勲章」であり、人間の元始まりの生命力のルーツ。
この基本を、きちんと胸に治めてから、人の言われる言葉のあざなさを聞くのではなく、人間の陽気暮らしの元として、色情因縁のある喜びに、心を開く事が大切と思います。
> 「前世で人を殺したからや。」「色情因縁があるわ。」
と、おっしゃったそうです。
>
この意味は、胎内で酸欠を生んだお母さんへのお諭しの言葉です。
おなかにいる赤ちゃんを酸欠で死なそうとしているお母さんへの、お諭しであり、あなたへのお諭しではありません。
死なそうとしていたのは、お母さんですから、・・・・
あなたは被害者さんということで、理解しましょう。
「色情因縁がある」と言うのも、当然、お母さんに対して意味を持つわけです。
「色情の快楽」の結果としての、「赤子」を本当はいらない、快楽目的だけだったんっか、という、問い詰めのお諭しです。
つまり、それほど、心地よい愛の世界をお母さんは知っていたということで、ききさんが、もし、進化の頂点として、「発情」出来たら、そのお気持ちも理解できると思いますよ。
人間が、陽気に暮らすには、「あしきの事」と思わないよう、あしきに落ち込まないで、真実の生き方の中で、「因縁」を自覚するのが、基本です。
ある、障害をもたれた方が、生涯一度の不倫をされました。
その相手の方が言われたそうです。
「すばらしい」「すばらしすぎる」と。
女性として、最大の賛美の言葉を受けられた。
そうであろうなあ、親神様のなさる事だもの、と、感動したことを思い出しました。
色情にも、狂う因縁と、狂わされる因縁があります。
> 母からも「あなたは色情因縁があるから。」
と、何か節があるごとに言われました。
>
お母さんは、狂う因縁で、子よりも自分がかわいい人。あなたは、狂わす因縁と、そのように組み合わされるものですから、
> 何度も話し合ったのですが、平行線のままです。
は、当然です。
> 障害があること=前世でおこなったことの罰
かもしれません。
が、実は「勲章」なのかもしれません。
> 障害があるのは私の特徴で、
> どうおもってこれから歩んでいくといいのでしょうか?
お母さんと決別して、結婚しましょう。
男とのみ暮すと言う、スタイルからはじめましょう。
このよを、はじめるという覚悟で、ふうふの陽気を、
楽しんでください。
- [640]レインボー 06/10/25 21:58 VBCUaKKcS1
>>631 T.N.Doctrineさん、ご無沙汰です。
早速ご意見いただき、ありがとうございます。
(ところで、以前に紹介してくれました「鏡の法則」見ましたよ。とっても
よかったので、本まで買って周りに薦めてます。情報、ありがとうございました。)
>とは言いながら、最近の臓器移植の問題に至ると、「命」のためにはどこまでもやっていいのかという疑問が生じてきます。限度が解りません。
私的には「命」のためでも、神様から借りた体にメスを入れることに、
やはり抵抗を感じてしまいます。昔は大病を患ったらそれが天寿でしたが、
今では切ったり貼ったり付け替えたり、まるで機械みたいに直して、寿命を延ばしてしまいます。
たとえ人の命を救うため、という大義名分があっても、やはり限度がありますよね。
福祉や教育でも人のためとは言え、やりすぎたら本人のためになりません。
医療でも、同じことが言えると思いますし、神様の領域もあるのではないでしょうか。
>ただ医療「技術」に頼る度合いが高くなり、さんげする心、足納する心がほとんど省みられなくなるとすれば、いささか気がかりにも思います。
私もそう思います。
あの記事の両親の場合も本当は、そういう行き過ぎた医療に疑問を投げかけたかったのかもしれません。
ただその両親に、医療に頼らずに子供さんを信仰で助けられる確信があったのでしょうか。
私は借物も、命も、因縁、人助け、どれもまだまだ理解不十分です。
うやむやのままにせず、皆さんのように一つ一つ確信に近づく思案、心がけたいです。
>>639 基本さん、お久しぶりです。懐かしい。
書き込もうとして、思わずびっくりしました。
色情のお話については、成程と思いました。
というか、基本さんらしい筋金の入ったお話で、パワーを感じます。
もし良ければ、>>624の記事についても、ご意見聞かせていただければありがたいです。
これからも、よろしくお願いします。
- [641]基本。 06/10/25 23:55 G5i9N2HNLh
- レインボーさん。お尋ねのこと、基本の意見を記してみます。
>>640.>>624
神様からお借りした大地を開墾して田地にして来ました。
神様からお借りした森林を切り開いて、集落を作りました。
神様からお借りした海を干拓し、川を治水し、住み良い生活を作りました。
作物は立毛といわれますが、神様からお借りした身体に生える頭髪に鋏を入れ、髭をそり、人は暮らします。
神様からお借りした大地の岩石から、鉱物を精製し、神様からお借りした大地の中から石炭を掘り出し、石油を精製し、砂金の中から純金を精製し、人は暮らします。
神様から与えられたもので、人が手を加えずに生活に利用しているものの方がはるかに少ない。
この世には宝が埋もれていても、それは人が手を入れ、初めて役立つものとして、この世にあるのです。
真理も法則も科学も、人が真実を尽くして、人の手でメスを入れなければ、この世には、示されることはない。
これを基本として、考える立場に私はあります。
「修理、肥」のない、真理は、この世にはないという立場です。
報道によれば、司法が親に代理して手術を決めたとの事ですが、
> 両親は「神様にお借りした体にメスを入れることはできない」と拒み続けた。
> 手術を受けても育てていく姿勢を両親が示した
> 赤ちゃんはその後、両親の元で順調に育っているという。
との事実が示されています。
と、言うことは、この両親は、我が子可愛いあまりに、心神喪失状態的に「神様からお借りした医学上のメス」を拒否しただけということに過ぎないと思います。
それは、宗教上の信念でもなんでもないわけです。親のわがままです。
では、天理教の基本としての宗教上の信念として、純粋に「神様にお借りした体にメスを入れることはできない」という事は、どのように思うかといいますと、基本的にはそのとおりだと思います。
それは、家を火事にしてはならないという意味においてです。
燃えさかっているいる火事を家に見ている、このような場合には、たとえバケツいっぱいの水でも、医学でも拝みでも祈祷でも、消防車でも雨乞いでも、火を消す努力にまい進すべきだというのが、本筋で、医薬も医学も拝みも祈祷も、「修理肥」です。
人知を尽くすのは、まこと真実ですから。
- [642]まっぷ 06/10/26 01:20 VOw4DEEwnj
- 基本。さんへ
お久しぶりです。お忘れになったかもしれませんが、
以前、父の事でアドバイスをして頂いたものです。
美味しいものを、持って行ってあげるとか・・・。
お蔭様で、何とか喜んで貰えるように頑張っています。
最近では、父も、私も随分丸くなりました。
懐かしくて、おもわず書き込みを、させて頂きました。
これからも、お話聞かせて下さいね。お願いします。
- [643]とみ新蔵 06/10/26 07:26 DbxWReokXl
基本氏へ。
展開された「色情因縁」の論は大きいですねえ(^^)
生物学的な見解からの「色情論」ですね。
「修理や肥」も深い見解だと感じました。
「色の情」って楽しいですネ。
嬉しいもんデスネ。
「ありべくして、ある」ものですからねえ(^^)
コレに、妙に捉われ、縛られることはあるませんネ。
エ?不倫?
ハハ、そんな倫理は、一体どこの、誰さんが作ったもんなのですか?
浮気?
ウキ「浮き」する、「気」モチですね(^^)
ただ、それで、他者を傷つけたり、苦しめては、いけませんがね。(^^)
それでは、自分の身が足元が、地に着かないで浮いてしまい、誠のたすけな出来がたいですもんね。
ココは、どの方にも、勘違いしてほしくないトコロでありますが、ホンマ、自戒(^^)
ちょと はなしのおつとめの中の「ふうふをこしらえきたるでな」のふうふを、狭義に、家庭の納まりのために「夫婦」と、受け取って解釈しても、よいでしょうが、そんな意味ではありませんね。
「ふうふ」とは、生物学的では「雌雄」「雄松、雌松」「おしべ、めしべ」「男性、女性」
「種、苗代」の意です。
物理学的には、「地と天」「陰、陽」であり「ぬくみ、すいき(天がすいきです、これは宇宙を観れば分かりますものネ。
宇宙空間は冷たいものです)」で、
「甘露かんろ台づとめの理」(胎臓界曼陀羅の理論の基いて、さらに超えたもの)で、生物の「発生の原理」そして、その原理に基づく考え方を表現されたわけですネ。
それが「神(理、真理に、沿って、の考え、思考、思案のあり方、心使いのあり方)にもたれていきまする♪」
の意味と考えてます。
このような現代ではだんだんと、解かってきたコトワリを、あの迷信深い、幕末時代に、簡単にポ〜〜ンと
「ふうふをこしらえ きたるでな ♪これはこの世のはじめだし」
と表現されました。
これはお釈迦さんも、道元禅師も親鸞聖人も、幕末時代の他の偉人(思想家)達にの誰にも、観ることができなかった、大変な出来事ですから、私が中山みき師を、世界の大天才と考える由縁です。
そして、この「甘露台の理」には、あらゆる迷信が入る込める余地がありませんネ。
- [644]T.N.Doctrine 06/10/26 18:59 VOw4DhtEL8
- >>638 まっぷさん、こんばんは。
正式にはフラワ−アレンジメントと言うようですね。普段は数人の生徒さんに家で教えています。
私もはっきりは聞いてなかったのですが、教務支庁では、ある系統の教会の信者さん方から要請を受けて、年に4〜5回やっているみたいです。
私は先生と呼ばれたことはないですが、彼女はよく先生と呼ばれています。
(お互いの目線の角度に異変??・・ジョークです。)
>>641 基本さん、お久し振りです。
さすがに「らしい」お答えですね。
神様からお借りした大地に手を入れて、人々の暮らしが楽になってきたのですが、やりすぎて環境破壊に至っている部分もあるのでしょう。
それと同じように、人間の体に対してもどこまでもやっていいのかという危惧を持つ訳です。
レインボーさんもその辺りのことをご心配なのでしょう。
最先端のサイボーグ漫画なんかを読むと、その思いを強くします。
- [645]まっぷ 06/10/27 01:24 VOw4DEEwnj
- >>644 T.N.Doctrineさんへ
こんばんは。
フラワーアレンジメント・・・お花が大好きなので、憧れます。
先生に、宜しくお伝えください。優しい奥様で、お幸せですね。
- [646]T.N.Doctrine 06/10/27 09:23 VOw4DhtEL8
- >>645 まっぷさん
全然優しくないですから(笑)
まっぷさんの何分の一かを分けて貰えたら(笑)
でも子供たちは皆優しいです。
多分私に似たんでしょう(笑)
(こんな私信みたいなことばかり書き込んでいると、皆さんから顰蹙を買いそうですね)
>>633 はじめさん、コメントするのを忘れていました。
勝手に振って済みませんでした。
でも判断、正しかったようです。
有難う御座いました。
- [647]きき 06/10/27 16:15 K2qoh9IA7a
- こんにちは。
前世の因縁について、たくさんのみなさんにアドバイスいただきまして
ありがとうございました。
攻め言葉だけではないことがわかって、
元気をいただきました。
次男さんが紹介してくださった本、面白そうですね、
ぜひ読んでみます。
T.N.Doctrineさんにおっしゃっていただいた、
成って来る理、成って来ている理を喜んで通らして貰う
のお言葉、私も大好きです。
私の書き方が悪かったのですが、
母は色情因縁があると、私を攻めるのではなく、
「色情因縁があると思って、頭を低くしてとうりなさい。」
という意味です。
私としては、ただ頭を低くして通るだけでいいのでは?
あるかないかわからない「色情因縁」なぜつけるのか?
と思ってきたので何度も話し合ったのです。
誤解を招いてしまいまして申し訳ありませんでした。
障害は誰のせいでもありません。
これは運命だと思います。
母は医者から病名が告げられたとき頭が真っ白になったそうですが、
帰り道にはこの子がこの先、幸せになるにはどうすればいいのだろう?
と少しでもよくなる方法を考えたそうです。
父の方が数ヶ月、落ち込んだそうです(笑)
みなさんにお手伝いしてもらうことの
多い私が言うのもえらそうなのですが、
障害があることを、けっこう楽しんでいる
障害者がいてることを知ってもらえれると
ありがたく思います。
有難うございました。
- [648]とみ新蔵 06/10/27 21:05 DbxWReokXl
- きき氏へ。
貴殿の高い境地を感じます。
貴殿の思いを聞くと、ソクラテスの
「健全な肉体には健全な精神は宿らない」の言葉を思い出します。
人間は、五体が健全で、病気一つしたことがない人は、ついついと傲慢に陥っていまい、人間の精神の真実を見失ってしまうことが多いものです。
また、誰しも、老齢になると、どこかが、障害者になるもんですネ。
私も近頃、人間の自然な姿の「歯、目(時々カスミます)、マラ」へと、ススンデおりますがな(^^)
また、タバコの吸いすぎですから、来年の話をしたら鬼が笑いますが、
2.3年後には、入院か、、死亡なのかなあ、、、と感じておりまっせ(^^)
最後に、御貴殿のさらなる、「幸せ」を祈り上げます。
ご承知のように、「本当の幸せ」ってものは、もちろん、物質的なものではなく、
誰のソバにも、
イッパイ転がっているもので、
「心の健康、感謝、仲良し、人だすけ、人を見てわが子と思う親こころ」ですもんね。
誰でも、明日からでも「ホ〜〜イ!」っと、掴んで拾えるもんですもんね(^^)
- [649]レインボー 06/10/28 00:12 VBCUaKKcav
>>641 基本さん、早速ご意見ありがとうございます。
>真理も法則も科学も、人が真実を尽くして、人の手でメスを入れなければ、この世には、示されることはない。
>「修理、肥」のない、真理は、この世にはないという立場です。
納得です。私は現在の医療に批判ばかりで、評価が足りなかったことに気付きました。
病人を救いたい、病気から身を守りたい、そういう思いから人体を研究し、
「修理肥」をした結果、神様からお借り出来た「技」なんですよね。
実際、私たちが健康に生活するためにはかかせない「真理」でもあります。
ただ、>>644 T.N.Doctrineさんの言われるとおり、
何事も行き過ぎたら逆効果です。
住み良い生活を求めすぎたら、環境破壊になりますし、
食事に贅沢を求めすぎたら、成人病につながりますし、
形だけの治療と延命を求めすぎたら、命や人生が軽くなってしまいます。
人間が長い歴史にわたってつかんだ「真理」は、結局いまだ不完全です。
そこで、絶対的な真理を知るための完璧な「修理肥」とは、人知ではなく、
教祖が残されたこの道の教え、と言えるような気がします。
火事を起こしてしまったその両親は、確かに自分の力では手に負えず、消防車に頼るしかありません。
火事を起こした本人が、自分でなんとかする、と強がっても周りの迷惑ですよね。
人間がつかんだ不完全な「真理」に、頼るしかないのが私たちの現状。
教祖が残された教えにそって、「修理肥」に努力していたら、
火事を絶対起こすことのない「真理」を、手に入れる事が出来るのではないでしょうか。
何事も行き過ぎずに丁度良く、その上この上ない陽気な心境になれる完璧な「真理」
一日も早く身に付けて、世に示し広めて行きたいですね。
- [650]ひのきし・何それ? 06/10/28 06:42 D-/gLNJ
- 天理に入信した覚えはないのだが、勝手に遠縁に名前を書かれた。更に、その遠い縁者とは無関係な人にも本人にことわりもなく勝手に入信を偽装し、金(寄付)を要求するつもりらしい。ま、こちらも徹底的に拒否するつもりだが・・・。
- [651]リラックマ 06/10/28 20:31 D-snzhw
- 久方ぶりにおぢばがえりをさせてもらったら、身上にもお障りを貰いました(*^_^*)
それ迄どうもなかったのに、秋の大祭が始まった途端、急に寒気がして、次いで腹がグルグル下ってきて、六下りが終わった時点で我慢が出来なくなってトイレに駆け込みました。
大祭が終わった時には、顔面蒼白で立っているのがやっとでした。その後、天理の仲間におさづけを取り次いで頂き、お悟しを貰い、一時持ちなおしたのですが、しばらくすると又具合が悪くなり、熱も39度あってその後はほとんど丸二日ほど寝て過ごしました。
会長である父からは、皆の前では「お前が皆の分のホコリを一人で背負うてくれたんやなぁ。ありがとうなぁ」と言われ、後で親子三人だけの時にこっそりと、[母]「お父さん、ゆっくり眠れて良かったね。あんたのお陰やで」、[父]「そうそう、お前が病気になったから、お付き合いもほどほどで、ゆっくり眠れたわ。ありがとうなぁ」と言われました。
色々とありましたが、今回おぢばがえりして良かったなぁ(*^_^*)と思いました。たくさん/\おみやげを頂いた四日間でした。
今回のお障りで自分自身の悟りとしては、やはり信仰というものは、自分らしくあらねばなぁという事です。自分という人間は、とみ新蔵さんにもなれなけりゃ、T.N.Doctrineさんにもなれなけりゃ、基本さんにもなれない訳です。背伸びして、無理に冷静になろうとして情熱を失いかけていたから、温みの守護が引いてしまったのかな、と思いました。
これからは、皆さんから学ばせて頂きながら、自分らしくやらせて頂くつもりでおります。m(__)mペコリ
- [652]どん 06/10/29 09:00 neETk4WmLm
- >>650 ひのきし・何それ?さん、こんにちは。
天理教には入信の手続きといったものはなくて、従って偽装とか
やりようがないのですが、ともかくご本人の了解のない信仰なんて
全く意味がありませんよね。
>>651 リラックマさん、こんにちは。
いいですねぇ、自分らしく。最高っすね。
- [653]T.N.Doctrine 06/10/29 17:17 Vg0dN6CYNb
- >>650 ひのきし・何それ?さん、はじめまして。
>>652 の、どんさんの仰る通りです。
選挙の後援会名簿じゃないですし、仮にそんなものを書いても何の意味もないでしょう。
またそれによって寄付を強要することは不可能ですし、あり得ない事だと思います。
あなたのハンドルネームの由来の、「ひのきしん=日の寄進」については、大体のところ、「神様への報恩の意を込めたボランティア活動のようなもの」と理解していただいたら結構だと思うのですが、このコーナーでも色々と取り上げられて来ましたから、ご面倒でしょうが、遡って参考にして頂ければ嬉しい限りです。
これも何かのご縁だと思いますので。
>>651 リラックマさん、大変でしたね。
私もこ2〜3日、原因不明の腰痛に悩まされていて、一時は立ち上がる時も何かを掴まないと起きれない有様でした。
骨に異常はないようだし、疲労が蓄積していたか、ストレスによるもののようでした。
素人判断でしたが、早めに寝むよう心がけ、同時に毎日水分を2リットル以上取るように努めたのが功を奏したのかどうか解りませんが、お蔭で昨日から普通に動けるようになりました。
ストレスの蓄積が色々な症状を生むようですので、ひょっとしたらリラックマさんの場合もそうだったかも知れませんね。
ご家庭でのお父君と母君のご様子、温かみを感じました。
いいご家庭ですね。
それから、他の人はともかく、私の言っている事なんて大したことありませんから。
せいぜい、考えるヒントにして頂けたらという程度のものです。
- [654]T.N.Doctrine 06/10/29 18:28 Vg0dN6CYNb
- グレーゾーン (1)
中学生の頃だったでしょうか、三好達治の短詩、
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ
を目にして、大いに感動を覚えたものです。
・・・皆が寝静まった頃でしょうか、
いつしか雪が降り始め、しんしんと積もっていく。安らかな眠りを誘うかのように・・・。
太郎の家にも、次郎の家にも平等に降り積む雪。
自然の優しい眼差しに気づかされる思いがしました。
しかし一方で、降り始めた雪は豪雪となり、人家を押しつぶしもします。
時に富裕な者の堅固な家は守られ、貧しき人々の苫屋はたやすく押しつぶされます。
平等な自然の営みも、人間の作り上げた格差の拡大に結果として寄与する場合があります。
同じような思想性を奏でる俳句があります。
母ある子、母のない子に銀杏散る (いはほ)
幼稚園の校庭か、寺社の境内でしょうか、
無心に遊ぶ子らの肩先に、分け隔てなくひらひらと舞い散る黄金の銀杏の葉。
しかし、母あると母なき子の不平等な現実も、(それが人為的になされたものであれ、事故災害の結果によるものであれ)一つの自然の様相かも知れません。
「火、水、風」のご守護と言われる。
地を温め、命を育む日の光も、ある時は灼熱の悪魔と化し、人々を枯渇させる。
荒れ狂う水、猛威を奮う大風は、人家を圧し、人命を呑み込む。
しかし又それは、地を潤し、沃野に変え、穀物の立毛を促すものでもあります。
恵みの片面に過酷な現実があります。
自然はまるで、人の安易な解釈をせせら笑うかのような表情を見せる時があります。
我々が自然の営みの中に神意を探ろうとする営為も、所詮巨像の爪を虫眼鏡で見るが如きものかも知れません。
それでも尚、生かされているという事実に変わりはなく、深いご守護の理合いを感じざるを得ないといったところでしょうか。
- [655]まっぷ 06/10/29 20:23 Vg0dNB2MjU
- >>653 T.N.Doctrineさんへ
腰痛が治って、よかったですね。疲れとストレスでしょうか?
どこも痛くない体が、幸せ・・と感じるのは、こんな時ですよね〜。
それから、奥様がそばに居てくれる・・・
それだけで、もう十分優しい奥様だと私は思いますョ。
お互い、夫婦仲良く頑張りましょうね。
- [656]リラックマ 06/10/29 22:52 D-snzhw
- 自分がおぢばに出発してから、相当たくさんお返事が来ていたのを、がんばって今読ませて頂いております。病でネットを見る元気が無かったもので、すみません。一つずつ答えさせて頂きます。
>>621T.N.Doctrineさん、一元論での「原因と結果」のお話、ありがとうございます。ホントにそうだなぁと思いました。二元論ではリセットが出来るものが、一元論では出来ない事もあるだろうし、内情はぐじゃぐじゃになってますよね。それだけ、理の峻厳を感じます。
それから、腰を痛めておられて、治られたみたいで良かったです(*^_^*)。私も仕事柄、しょっちゅう腰を痛めてます(>_<)。あれは辛いですからねぇ…。今も病み上がりで、少し痛みます(>_<)。
>>624レインボーさん、おひさしぶりです。早速お返事を頂きながら、遅れてすみません。
お尋ねのお話ですが、因縁あって親子となったからといって、子供が助かるための手術の拒否をする権利が、親にあるとは私には思えません。お互いの魂に優劣はなく、平等であるはずなのに!
十五歳まで子供は、親のおもちゃなのか?!と、こういう話を聞くと、私はいつも思ってしまいます。ヾ(`Д´メ)ノ
- [657]リラックマ 06/10/29 23:22 D-snzhw
- >>625まっぷさん、お返事が遅れてすみません。櫟本分署跡参考館ですが、行ってきました!ここは、明治19年の教祖最後のご苦労で有名な場所です。
詳しい経緯は知らないのですが、ここの地主だった人が昭和5?年頃、当時崩壊寸前だった櫟本分署跡をウン億円で買いませんか?という事を交渉に来られたらしいのですが、当時の教団本部の折衝にあたった者は「お供えせよ」と申したそうです。それで交渉決裂。本部は一度言うた手前、それ以後の交渉は行なわず、八島さんが手を上げなければ、櫟本分署跡は消滅していたらしいです。
私はその事一つだけでも、八島さんがされた事は、後世に残る大事業だと思います!
天理市内から国道169号線を、西名阪自動車道路の天理インターまで行き、そこから左の旧道に入り、しばらくすると右側に見えてきます。T・S教人さんも仰ってましたが、なんだか不思議な場所です。一度、見学されてみてはいかがでしょうか?
>>628T・S教人さん、せっかくお薦めの施設を教えて頂きながら、病に倒れまして行けませんでした。m(__)mペコリ
でも、おぢばがえりして、ホントに良かったなぁと思っています(^^)。
>>652どんさん、ありがとうございます。やっぱり、等身大でやって行くのが、天然自然ですよねぇ!どうも、自分という人間は、負けん気が強くて(*^_^*)。
「九州人」の血がさわぐのかも知れません(>_<)。
- [658]リラックマ 06/10/30 00:40 D-snzhw
- >>634はじめさん、こんばんわ。ご質問ですが、むつかしいですねぇ。「ごしたもう」ですが、奥 六兵衛さんの『御筆さ記神歌』という古文書には「期したもう」とありました。すると、期待しているという意味のように思えます。
「いかにねがわにありぬべし」ですが、これは多分、何願わずにおられようか、てな意味のように思えます。
そう考えると、私的(自分らしく)に翻訳してみますと、
『この世は文殊菩薩、普賢菩薩を始めとし、妙なる龍神信仰、天神天満宮信仰も、南学大師、天台大師、陽明学者も、皆、浄土を期待している。まして我ら愚かな人間が、浄土を願わずにおられるはずが無い。そうであるならば、この世の全ての様相を我が事として捉え、しっかりと神一条の道を見定めて、心違いの無いように歩めよ。』
という感じになりました。浄土を「陽気世界」としても、しっくりくるような気がします。いくらか>>604の、とみ新蔵さんの解釈をパクらせて頂きました(*^_^*)。
- [659]リラックマ 06/10/30 01:59 D-snzhw
- 連スレすみませんですm(__)m
>>653T.N.Doctrineさん、さすがのお心遣いありがとうございました。
今からお話させて頂く話は、基本さんや、ききさんのような方にこそ話す資格があるのかも知れません。
人間の持ち物は「心」のみであり、身体は神様からの「かしもの・かりもの」であるならば、「人間の身体」と「この世の中のあらゆる物質」は、全て等しく天理の法則に沿っているはずです。基本さんの「身上さとし」も、おそらくこの事が根っこの大前提としてあるのだと思います。(もちろん、私などより数段高いレベルで捉えられているのでしょう)
自然界が火・水・風のバランスが狂えば災害が起こるように、人間の身体も当然その法則からは逃れられないと思います。
今回私の身体に起こった災害についても、その考え方を基本にして、自分で勝手にそう考えて「ああ、良かったなぁ」と思っているだけなのです。
確かに、ストレスと疲れが原因だと思いますよ。でもそれだけだと、私はまだフトンで「う〜〜ん」と唸っていたと思います。とても、とみ新蔵さんやT.N.Doctrineさんのマネは出来そうにありません。
で、その考え方から言うと、人間の身体の災害は持ち主の「心」、自然界の災害は、あらゆる生命体の「統一意志」が影響を与えるんじゃないかな?、と漠然と思っています。
誤解されそうなので言いますが、災害地区の生命体が悪い心を使っているなどという残酷なものではありません。例えばAという人間の身体という、一つの小宇宙の統一意志は、Aの「心」です。Aが陽気な心遣いをすれば、身体という一つの小宇宙も健全であるように、我々の住む世界も同じ原則なのではないか?と、ただ漠然とそう思っているだけなのです。
突っ込んだ議論は出来ませんので、突っ込まんといて下さい(*^_^*)。
- [660]基本。 06/10/30 08:47 p/STUpAyCY
- >>654 T.N.Doctrine 06/10/29 18:28 Vg0dN6CYNb
> 中学生の頃だったでしょうか、三好達治の短詩、
太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ
を目にして、大いに感動を覚えたものです。
太郎の家にも、次郎の家にも平等に降り積む雪。
自然の優しい眼差しに気づかされる思いがしました。
> 母ある子、母のない子に銀杏散る (いはほ)
幼稚園の校庭か、寺社の境内でしょうか、
無心に遊ぶ子らの肩先に、分け隔てなくひらひらと舞い散る黄金の銀杏の葉。
Doctrineさん。こんにちは。
私は、こう感じていました。
太郎には太郎のために雪が降り、次郎には次郎の為に雪が降る。
と。
そして、ご紹介頂いた俳句にはこう感じました。
母のない子には、格別に優しく、ひらひらと舞い散る黄金の銀杏の葉。と。
同じ現象にも、込められた思いは、まるで違うと。
自分は太郎ではないけれど、次郎の自分には次郎の自分の為だけに雪が降ってくれる。
貧しいからこそ、豊かな人に対してよりも、優しく雪は降ると、感じていた私でした。
>>657
リラックマさん。八島さんと櫟本分署跡の事は、現在の施設を保存している方々のお立場からの見解で記されておられますが、櫟本分署跡に触れた二代真柱様の講話は以前にありまして、天理教においては重要に扱わない認識となっています。当然ながら高額な買い物としては、購入するはずのないものです。
基本の個人的な見解としては、原典から判断して、撤去すべき建造物としてみなしています。
権力への恨みという因縁を持つ建物という事が、基本の根拠です。
>>651
リラックマさん。
> 会長である父からは、皆の前では「お前が皆の分のホコリを一人で背負うてくれたんやなぁ。ありがとうなぁ」と言われ、・・・」と言われました。
>
さて、リラックマさん。あなたが背負われた、「皆の分のホコリ」とはなんでしょうか。と、神様に、お尋ねをされましたでしょうか。
ふと、気にかかりました。
私は、その人の為だけにある親心を、何よりも大切にしたいと考えています。
一人ひとりの心が、それぞれに別な親心をうけていて、T.N.Doctrineさんにも、リラックマさんにも、私にも、時にはまったく別な思いを込めて、雪は降っていると思う基本です。
- [661]リラックマ 06/10/30 14:12 D-snzhw
- >>660基本さん、はじめまして。ネット上へのご復帰、大歓迎です!よろしくお願いします。
櫟本分署跡参考館については、教団側の見解がちゃんと残っているんですねぇ。知りませんでした。
仰るように、この世が陽気づくめ世界になったならば、警察・監獄などというものは撤去されるでしょうし、遠い未来には書物の中だけの歴史上の施設・機関として扱われるようになるのでしょうね。
ただ教祖最後のご苦労と言えば、物語としてこれを見ると、クライマックスの一つに数えられると思うのです。人情としては、後世に残したいものだと思うのですが…。確かに理の上から思案すると、高額の金銭(信者さん方の真心)を出してまで、購入する必要はないのかも知れません。
「皆のホコリを〜」という父の台詞は、私は今回マイクロバスの運転手として行ったのですが、帰りは病で運転を父にやってもらわねばならず、「父さん、役に立たんでゴメンよ」と私が言った時に父から言われた台詞なのです。
私はあの台詞から「そんなことはない。お前は充分役に立っているよ。」という、父のメッセージを感じました。信者さん方からも、真心こもったお言葉と差し入れをたくさん頂きました。人の心の暖かさをいっぱい感じました。
それで「ああ!人間というのは、理性(水の心)でものを考える事も大切だけど、情(火の心)も大切だなぁ。神様も火と水とが一の神やしなぁ」と思ったのです。
今回のお障りは、寒気がするが高熱が出て、最初は下痢がひどく、ずっと嘔吐感がありました。温み・水気のバランスが狂っていたからだと思っています。
- [662]これ 06/10/30 17:37 8FmkUNeh3X
- ふ〜、しばらく見ていないとかなり進みますね。やっと見終えました。
櫟本分署跡の話。
私は、行きたいとおもったこともないし興味ありません。
教祖がいそいそと行かれたのは誰もが聞いていることですが、教祖にとって特別な出来事ではなかったと思うからです。なので、教祖が行かれた場所ですが、とりわけ意味のあるところとは思いません。教祖傳の記述だけで十分です。
ちょっと、私の今の考えを書きました。
- [663]T.N.Doctrine 06/10/30 20:16 Vg0dN6CYNb
- >>660 基本さん、こんばんは。
自然の営みに関する、「らしい」ご見解だと思いました。
しかし、私の言わんとしたことは、自然の横並びの、平等のあり方を求めようとする意図のものではなかったのです。
自然の恵み、神様の思し召しといったものが、個人個人に与えられる「分量」には違いがあるのでしょう。違いがあるとしても、それぞれに温かい眼差しがあると言うことを有り難くも感じ、同時に違いがあるということの現実の厳しさを示唆したにすぎないのです。
子供の頃に、お日様やお月様が、いくら走っても後ろからついてくる、自分一人を追っかけてくる、自分のためだけに気を掛けてくれているというような錯覚を感じたことがあったものです。
本当は全ての人に対して同じようなあり方であり、皆さんが同じような思いを抱いていたのかも知れませんが、親の思いというものは、そのように全体を同じようなスタンスで追いながら、それぞれ個々を見定めているといった所なのでしょう。
また現れてくる姿が似たようなものであったとしても、例えば、北の大地では、日照こそが最大の自然の恵みのように思えることでも、砂漠の民には、灼熱の太陽が、悪魔に比せられて居る訳です。
そのような自然の持つ峻厳さと、相対的な要素というものに思いを馳せた次第です。
それから、櫟本分署跡のことですが、まあ確かに高い買い物だったのでしょう。
費用対効果(意味合い)と言う観点から言えば、躊躇されたかも知れませんが、鏡池の埋め立てといい、私には教祖のひながたの足跡を窺わせる資料が失われていくようで残念な気もします。
それに歴史的な意味があるか、教理的な意味合いはどうかについては、評価が分かれることだろうと思います。
が、現時点では無意味と思えるものでも、後世において評価されると言うことはよくあることです。
>権力への恨みという因縁を持つ建物・・・として捉えるか、キリストが処刑されたゴルゴダの丘同様、ご苦労された足跡を偲ぶよすがとして捉えるか、それぞれだろうと思います。
アウシュビッツ刑務所や広島の原爆ドームも、ナチスやアメリカ軍の残虐性とそれに対する恨みつらみを後世に伝えるためのものではないはずです。平和への思いを風化させないためのものであるはずです。
勿論、八島英雄氏らの櫟本分署に対する見方がやや偏っているかも知れませんし、教団側の見解と大きく異なっているかも知れません。しかし、それは捉える側の問題であり、櫟本分署そのものの歴史的意味がなくなるとは私には思えないのです。
>>655 まっぷさん、こんばんは。
>それから、奥様がそばにいてくれる・・・
それだけで、もう十分優しい奥様だと私は思いますョ
う〜ん、そうか。そんな見方も有りかぁ。・・・
あなたには負けますね。
- [664]基本。 06/10/31 01:40 p/STUpAyCY
- >>663
見て心地よいものは、後世に伝えても心地よいものですよね。
獄舎跡や、被爆地の後を、現時点に於いては、存在の意味あるものと認める立場もあるでしょう。
しかし、見て胸が苦しくなるようなものは、やはり、掃除して、きれいにしないと、いけないと思います。
人の成人の途中にあったことでも、よい思い出を残すのが大切で、下痢したこととか、おねしょしたこととか、
物事の何もわからなかった頃の恥ずかしい失敗したことを、お前の成長の記念だと、写真や記録にするものではないと思います。
「恥をかかすようなもの」です。
監獄所でさらされて、もう天理教しませんと転向した人の、子孫もいるのです。さらした官憲も、ひとつの恥です。
教祖のストーリのクライマックスと言う記念としても、教祖はきっと、そうした「恥かかすような」監獄の展示は、お好きでないと思います。
弟子たちの、おたすけ人として輝いていた記念ではないのですから。
それが、基本の見解です。
>>662
と、上に述べましたような理由で、私は、ことさらに弾圧をイメージさせる施設は、人の恨み心を喚起するとして、否定的です。
これさんが言われてますように、
> 教祖がいそいそと行かれたのは誰もが聞いていることです
との、「教祖のいそいそ」、こそ、伝えなければならない、そう思います。
「ほこりは避けて」という意味からも、教祖の一列かわいいお気持ちからも、それに意味を感じる人は人として、
特別扱いしないとのあなたの姿勢が、すっきりと心地よく感じました。
>>663
> 鏡池の埋め立てといい、私には教祖のひながたの足跡を窺わせる資料が失われていくようで残念な気もします
>
この事は、私も同感ですが、同感でしたが、「鏡池の教祖のひながた」は、そこに鏡池が無ければ伺えないというものではない。
それと、個人的な反省ですが、三島神社は移転してもちゃんと存在しているのに、基本は、三島神社を尋ねたことも無く、
移転先に「池」があるかすらも知らないわけです。
施設が、意味を持つと言うなら、基本も、移転先の三島神社は教祖ゆかりですから、足を運ばなければならないし、
それもしていないと反省しました。
T.N.Doctrineさんのお考えは、現実的で、
> また現れてくる姿が似たようなものであったとしても、
> 例えば、北の大地では、日照こそが最大の自然の恵みのように思えることでも、
> 砂漠の民には、灼熱の太陽が、悪魔に比せられて居る訳です。
と、
基本の考えは、もっと、夢想的です。
そして思うのです。
風の吹きようひとつで、気候は変わる。
地球の自転と、公転の回転が、現在の気象をもたらしているけれど、ほんの少しの変化で、気候はかわる。
そのご守護は、どうしたら、発現するのかと。
砂漠の民には、本当は、灼熱の太陽は、恵みの太陽なのではないかと、夢想するのです。
一切が、親心の賜物であると言うのは、夢想ではなく、現実です。
私たちは、その奥にあるものを掘り出すべき道具衆ですから。
- [665]リラックマ 06/10/31 10:22 D-snzhw
- まっぷさんへの私の投稿で、ちょっと物議を醸し出してしまったようですね。
これさん、T.N.Doctrineさん、基本さんの投稿を読ませて頂いて、私はこう思いました。櫟本分署跡は、そこを覗いてみて、悲しくならない、勇めるように環境を整備して、なんとか後世に残せないかな?と。
>>664で基本さんは、見ていて心地よいものは後世に伝えるべきだ、と仰っしゃいました。
そこで質問なのですが、基本さんは「おやさとやかた」の建設・普請について、どう思われますか?私にとって「おやさとやかた」とは、見ていて心地よいものではありません。二代真柱さんの志は判らなくもないのですが、「もうそろそろ、ここら辺で手を打たれては?」「もう、いいんじゃないか?」と、いつおぢばに来て見ても思います。
初期のおやさとやかたは知りませんが、最近のものには一級河川問題とか、いろ/\嫌な噂を耳にします。とても、天然自然の理に沿っているとは思えないのです。
- [666]基本。 06/10/31 16:02 GoRGEoUS
- >>665
リラックマさんのご質問の事ですが、
> 「おやさとやかた」の建設・普請について、どう思われますか?
> 私にとって「おやさとやかた」とは、見ていて心地よいものではありません。
> 「もうそろそろ、ここら辺で手を打たれては?」「もう、いいんじゃないか?」と、いつおぢばに来て見ても思います。
>
この問題は根幹の問題ですよね。
おやさとやかたでは本来は何がなされるべきか、リラックマさんは、教祖のお言葉を、知っておられるでしょうか。
『八丁四方神の屋形』では、『八棟八商売』が行われて、そこではどんなものでも買うことが出来るようになる。
おやさとやかたは、経済活動と経済行為のために建てられるべきものなのですが、現在は、宗教施設と学校、病院に使用されています。
目的の逸脱というか、「横暴の道」。
おさづけ人が、おかきさげの教えのように、家業第一に、経済活動を営んで、その経済活動の繁栄の中心が「おやさとやかた」として、機能しない限り、「おやさとやかた」は、目的外使用の施設と言うことです。
教理の基本としての、ものの見方です。
- [667]ミッチー 06/10/31 16:20 TV8/KD6P7B
- 振動は横隔膜の辺りを使うといいでしょう。
- [668]とみ新蔵 06/10/31 19:03 mACR4JbWHy
- 今時、まだ『八丁四方神の屋形』などの、教祖には無関係の、創作言葉に振り回されて、どないしますかね。
また、「八町四方」とは、江戸期以来大和地方でも、広いという意味で、アレコレと人々が使った言葉ですが、にどういう意味だったのか、考えてみてください。
また「神のやかた」とはどういう意味でしょうか?
物理的な建築物のことを、本気で考えているようでは、ただのアホウでしかありませんぞ。
精神の信仰の世界とはいえません。
教祖の教えが、宗教産業の信者になる道とでも、お考えなのでしょうか。
皆さん方は、教祖という人を、徹底追及しょうとは、しませんな、、、。
中山みきを看板にした、秀司さんや、初代真柱を教祖サマにしている部分が余りにも多いようです。
無理もないことです、歪曲された教祖伝にコントロールされているからです。
小さな、サテアンの中から抜けて、ゼロにリセットして、サテアンからの外から原典を観るしかあるませんぞ。
今までのパターン認識から一歩も出ていないようでは、いつ果てるとも知れない、お喋りに時間を費やしてしまうだけでしょう。
昔、ある教会長が言ってました。
「私は一生をかけてお道を勉強しようと思っています。
そして、命の尽きる前の日でもいいから、親神様のことを悟らせていただけたら、幸せ、これに過ぎるものはありません」
この真面目な人物の人間性を否定するわけではありません。
でもこれは、一見、まともそうですが、おかしな言いようでしかありません。
所詮は「サテアンの中」での、言葉でしかありません。
- [669]まっぷ 06/10/31 22:01 Vg0dNB2MjU
- >>657 リラックマさんへ
お元気になられて、安心しました。
聞いた話ですが、昔は、おさずけを渡されるのは、おぢばに帰って来て
身上を頂いた人にだけだったそうです。
以前おぢばがえりした時に、熱を出して、がっかりしているわが子にそう教えて、
「神様は、お話できないから、あなたが好きだよって言ってくださってるのね〜」と言うと、嬉しそうな顔をしていました。
リラックマさんも、神様に可愛がられているんですよね。
それと、櫟本分署の見学に行って見ます。
ちょっと、ドキドキしますが・・。怖くないですか?
- [670]T・S教人 06/10/31 23:16 J3j1ZgFMfs
- リラックマさんヘ お体の調子はどうですか。お返事いつも忘れずに有難うございます。早速のお土産話読ませて頂きました。「とても優しくて心の広い、温かい教会の息子さんだなあ。」と思いました。さすがですね。会長さんの優しい言葉に感動しました。私も櫟本行きました。私の感想は「どうしてこれが此処にあるの。」でした。何か不思議な変な感じがしました。また、この話に戻りそうですね。
- [671]火水風168 06/11/01 00:11 vKqSlvNmn0
- 10月も終わり。 さすがに、立教元一日縁の月でした。
自身の信仰。
色んな人にアドバイスして頂いた上で、考え、動かせて頂く事が出来た意義ある月でした。
11月は、神名流しはじめて五年。
続けられるだけ続けてゆきたい。
おやさま、ありがとうございます。
独り言のような…はなし。
丁寧、緻密、精錬、奥ゆかしいような回答。基本さん、健在ですね。…ますますパワーアップされたような。
- [672]基本。 06/11/01 00:56 p/STUpAyCY
- >>668
とみ新蔵さん、はじめまして。基本と申します。
私の立場は、「天理教中山みき派」「天理教真柱派」と自称しています。
天理教団に対するとみさんとの基本的な立場の違い、それは互いに有している情報の量と質、体験の違いに起因すると思いますが、立場の違いは、ある意味歴然としていますので、その意見の相違点や対立点を論議するのは、全く別の場で、そうした機会があるとしたら、それはその時にとね思います。
ここでは、平行線を主張しあう議論は避けたいと思います。
資料のみ、ご紹介します。
> まだ『八丁四方神の屋形』などの、教祖には無関係の、創作言葉
との、この事については、大正11年3月の教会長講習会においての「本部員山澤為造」の講話の中に、記録されています。参考に紹介します。
『おぢばはどうなるのであろうかと申しますと、かんろだいを芯に八町四方に広められるのであります。
そうしてねその内が皆屋敷になって、八軒八棟八商売が出来るのであります。
しかしこれは屋敷内で商売ばかりさすというのではなくて、神殿も教祖殿もあれば、絵馬堂のようなものもその他数々出来ると聞かせていただいています。』
いつの間にか、『八軒八棟八商売』は説かれなくなりました。
天理のサティアンの問題ですが、
> 昔、ある教会長が言ってました。
>「私は一生をかけてお道を勉強しようと思っています。
> そして、命の尽きる前の日でもいいから、
> 親神様のことを悟らせていただけたら、幸せ、これに過ぎるものはありません」
この、道の順序の後先の問題ですが、
> 親神様のことを悟らせていただけたら、 それから信仰するのが自然な順序です。
とみさんは、形のサティアンを問題にされていますが、より深刻なのは、心のサティアンですね。
この教会長さんは、親神様について悟れないから信仰して悟ろうとする。
それこそ、さかさまの順序。偽信仰ということです。
神様を胸の中に感じ取ってから、信仰は始まるものです。
神様を信じてもいないのに、信者であり教会長であるというのは、まさに、心の迷路状態ですね。
- [673]基本。 06/11/01 07:44 p/STUpAyCY
- >>668>>672
親神様を信じることや、親神様の教えを悟る事が、すばらしい訳でもなんでもない。
そんなことより、普通に生きることが人間の幸せというものですよね。
心のサティアンと申し上げたかったのは、その「信仰賛美という檻」の事です。
「信仰賛美の心の檻」は、「信仰者賛美の檻」となり、「自己讃美」に到達して、崩壊します。
> 命の尽きる前の日でもいいから、
> 親神様のことを悟らせていただけたら、幸せ、これに過ぎるものはありません」
この、いかにも生涯をかけた決意を見つめれば分かります。
仮に、この教会長さんの夢が実現し、死の前日に、親神様を悟ったとしたら、たった一日だけしか、人たすけが出来ないのです。
一生を神意の研究にかけて、実行は一日だけで、何が嬉しいのでしょうか。
自分さえ、悟ることが出来るのなら、たった一日しか人たすけが出来なくても、「自己讃美」して、死にいく事が出来る。宗教家の独善。
その、わが身可愛いが、本末転倒そのものです。
今、たった今を、人に助かっていただきたいと願うこと。
とみさんんが言われていました、
>>98
> 「おさしず」では「人をたすけるのが真の誠」と
神を悟るも何も、その一事ならば、今すぐにでも、小さくかかれば今すぐにでも、・・・
それが、基本というものでは、ないでしょうか。
私は、一言だけでよいと、いつも思い、一言だけを伝えることのみ、心に置いて、いつも親神様の親心に包まれていますから、幸せです。
神意は深くは分かりませんが、だから、今死んでも、今生きていても、こんなに神様から可愛がって頂けて、喜びとさんげばかりです。
そこで、
>>669
> 櫟本分署の見学に行って見ます。
まっぷさん。
教理のマップを確かめてから、櫟本分署の見学に行かれる事をおすすめします。
教祖は、なにゆえに、ひながたを残されたか。
その、理の構図を、当時の史料にてきちんと見つめられて、下さい。
基本的には、たすけ心で、足を踏み入れる場所と思います。
自分を分からせる為の天理教、そういう天理教団の体質の、表裏一体が、お互いのものとして、自覚される場所と、思います。
教祖のひながたは、たすけ一条にあり、それは、人間に対する深い信頼です。
基本は、そう思います。
教祖の監獄でのご苦労を解説し礼賛して、「信仰賛美の心の檻」に籠もる事は、教団のサティアンにて「信仰賛美の心の檻」に籠もる偽信心と、なにら変わりません。
まして、その施設の保持が「復元」なのだと、「信仰者賛美の檻」の中でかぐらを演じても、教団のサティアン人と、まさに一体。
信者さんのお供えで維持されている、施設という、まさに一体。
とみさんが、教団施設を批判されました、サティアン。それと、同根の信者の献金を利用しての施設ということは、あらかじめ心得て、置くべきでしょう。
知らずに踏み入れるとしても、縁無くして、足を運ぶということは、理の世界には、あり得ないことですから。
- [674]リラックマ 06/11/01 13:17 D-snzhw
- >>666>>672基本さん、ありがとうございます。「八軒八棟八商売」については、存じておりました。
「八」という数のもつ意味から凡そ想像は付きますが、基本さんは具体的にどのようなものであると考えておられますか?
- [675]リラックマ 06/11/01 13:40 D-snzhw
- >>669まっぷさん、ありがとうございます(^^)。
櫟本分署跡参考館ですが、大丈夫ですよ!取って食われるなんて事はありませんので、ご安心下さい(*^_^*)。
基本さんが仰るように、旧道(教祖が辿られた道)を辿られるのもよいと思います。旧道は狭いのでご注意下さい。参考館前には、車はよくて二台駐車出来るかどうか?なので、歩きがベストでしょうね。
>>670T・S教人さん、ありがとうございます(^^)。ホントに不思議な場所でした。教祖が実際に座られた座布団などが、展示してありました。T・S教人さんも、奥の施設まで行かれたんですね!
とみ新蔵さん、こんにちは。櫟本分署跡参考館の案内図には、「かんろだい」の設置場所を「つとめばしょ」と命名したのは、慶太郎さんの息子さんである!とありました。あの親子は、八島さんと因縁浅はかならぬ関係にあるようですね?とみ新蔵さんとも…。
- [676]とみ新蔵 06/11/01 20:59 mACR4JbWHy
- 基本氏へ。
「本部員山澤為造」の講話の中に、記録されています。
『おぢばはどうなるのであろうかと申しますと、かんろだいを芯に八町四方に広められるのであります。
そうしてねその内が皆屋敷になって、八軒八棟八商売が出来るのであります。』
山澤為造氏ですか、、、。
この人間が、父の良次郎の時代から、秀司さんを担ぎ出して、教祖の教えを歪めに、ゆがめた、教団の重鎮であったことを、知る必要ありましょう。
> 親神様のことを悟らせていただけたら、幸せ、これに過ぎるものはありません」
神(理、)真理、天然自然の理)を悟る?
子供でもあるまいし、悟るもヘチマもありません。
私達、にんげんも、アメーバからムシ、鳥、畜類まで、夜も昼も、年柄年中、神の懐住まいの中で守護う、されているではありませんか。
アチラ、もコチラも、世界中、いつも、どこでも、神の働きだらけですがな。
これは、信じるとかいうものではなく、実は誰でも体感しているものですネ(^^)
たのしく、暮らしていけるでしょう、と森や林などもすべて、整えられて、願われているわけです。
それを、教祖のいう「かみ、月日、おや 」を、一神教のエホバやゴッドや、インドの多神教じゃあるまいし、裁判官のような、「信賞必罰の神」だと勘違いしますから、
ホントだろうか、、などと、ヤヤコシクなってしまうのです。
櫟本分署跡参考館の「かんろだい」の設置場所を「つとめばしょ」と命名したのは、慶太郎さんの息子さんである」
でしょうね。
ただ、八島氏が、一人であれだけの資料を集められたと、お思いですか(^^)
本部のどなた方が協力しているのでしょうか?
昔、私が行ったとき、本部の大物もアレコレと関係して、コッソリとやってきていましたよ(^^)
そして、これからも新たな資料は出てきましょう。
私は刀剣学を長年やってきましたが、実物刀剣の銘文の発見から、これまでの通説が、あ!っとヒックリかえるような、事例をまま観てきましたよ。
400年や800年前のことでも、そういうことが起きるのです。と特に刀工の系図に関しては、これからもありましょう。
いわんや120年前では、易いことだと感じています。
私が資料で驚いたことはいろいろありますが、一番は、ある古い教会の、お社の中から出てきた、古びた「俸修天輪王命」と書かれた、虫よけのお札、でしたネ。
秀司さんは、こんなオマジナイの祈祷までやって、売り出していたのか、、、今更のごとく「足のチンバが一のざんねん」の意味に「茫〜〜〜〜〜〜〜〜然、、、」と、したものでしたネ。
そしてまだ、この体質は継続していますなあ、、、。
偉大なる宗祖を持つと、お互いサマに大変なことでございまっせ(^^)
- [677]はじめ 06/11/01 21:01 9.eJMvJcaY
- リラックマさん、こんばんわ。忙しさに追われて月が代わってしまいました。
元気に成られて良かったですね。
>>658
>「ごしたもう」ですが、奥 六兵衛さんの『御筆さ記神歌』という古文書には「期したもう」とありました。すると、期待しているという意味のように思えます。
>「いかにねがわにありぬべし」ですが、これは多分、何願わずにおられようか、てな意味のように思えます。
そう考えると、期は最期の期とも思えますね。
ありがとうございました。
T.N.Doctrineさん。
お役に立ててなによりです。
- [678]基本。 06/11/02 01:17 p/STUpAyCY
- 一番大切なことは、教祖の存命ということで、教祖から見たら一列に可愛い我が子という事ですから、何が良いか悪いかでもなく、いずれ掃除しなければならない、門の内のたちものばかり、という事でしょう。
サティアンの事です。
信仰の賛美、礼賛の方便の施設を維持することは、大教会であれ本部であれ、櫟本の保存施設であれ、神様の掃除の対象になるという事ですから、同じ根っこのものということでしょう。
そう言えば、本家のサティアンも、施設も地名もみな掃除されて、痕跡が無いようですね。
中山秀司さんの応法というものと同じものが、はびこっている。
それはひとつは教団においてもそうであり、信仰を賛美し礼賛して、営業にしている。
櫟本の分署跡も、教祖の反高山を賛美し、かぐらを礼賛して、営業にしている。
そのいずれもが信者の金を集めている。
普通の観光事業とは違うのは、「思想・信仰」を売り物にしていることです。
虫除けのお札や、蒸風呂の営業で信者から金を集めていたことが、何よりも教祖から嫌われていたということ、とみさんのご指摘の通りです。
金を集めるのなら、普通に仕事をしたら良い。宗教で生活するのをやめたらよい。
家業第一と、おかきさげにあるように、したら良い。
ところが、「信仰賛美」「思想賛美」で、金を集める、営業する。
これが現在の天理教の、最悪な「ほこり」で、その中に照らせば、一列にそうじすべき教団内部の高山たち、根はおんなじです。
中山慶太郎とか、具体的な名が出でいますが、「中山」と言う姓にどれほどの重要性があるというのでしょうか。
みきの子でも、応法であった。
つまり一列という見本です。
みきの孫でも、神道の管長だった。
そしたら、「中山」姓というのは、「みき」を除けば、なみの人間だと誰でも知っていて、「おんなじ魂」とか言っていて、それなのに「中山」姓に格別の意味をつけるとしたらね教祖への謀反でしょう。
この「信仰者礼賛」は、「八島」姓に意味をつけてもおんなじで、「信仰」も「信仰者」も、礼賛してはおかしい。
とみさんが言われるように、普通に神様とともに生きている一列で、虫鳥畜類とて、やがて人間になるであろえ存在で、「信仰」とは、日常なのですから、格別視したりね施設を建てたりする方がおかしい。
ここをきちんとして見ないと、「信仰礼賛」はそのまま、天理教という高山を生み出していることになります。
- [679]リラックマ 06/11/02 18:41 D-snzhw
- ※『八町四方』について資料
「たんのう―第四回教義及史料集成部座談会」昭和11年6月号みちのともより抜粋〜(高井は高井猶吉、桝井は桝井孝四郎、中台は中台赤太郎)
中台 八町四方とは何う言う事ですか。
桝井 八町四面とは
高井 『八町よほー神の屋敷』と仰せられた。四面では無い八町よほーやから、どっちいも八町やろ『八町よほーが神の屋敷。一里よほーが宿屋』と仰っしゃった。一里角とは仰しゃらぬ。
桝井 と申しますと
高井 どっちいも八町、あっちいも八町、こっちいも八町や。八町よほー、一里よほーや。八町角、一里角とは違う。
桝井 つまり角にすると十六町や
高井 八町角とは仰っしゃらぬ。八町よほーと仰っしゃった。八町よほーに一里よほーや。八町しほーとは言わぬ。八町よほーや。
甘露台のとこ一間角と言うのは神さん決めはったんやない、神さんはしん丈きめはった。角にしたのは人間が一間位やろと言うてしたのや。しん丈にへらして八町や。
一間で四角にしたのは、大きい台三尺やから、それ丈位あけとかな、と言うて人間が一間にしたのや。
神さんは真ん中のしん丈知らさはって『八町よほーは神の屋敷。そっから一里よほーは宿屋』と仰っしゃった。一間あけたんは神さんの指図あってしたんやない。神さんのお言葉にも一間角て書いたらへんやろ。書いたるか。
桝井 天窓の事丈です。
高井 そやろ。そらえゝ加減にこっちでやったんやもの、神さんは只真ん中仰っしゃった。
天窓はあれ丈開けとかな、甘露降っても上に落ちぬ。コポーッと蓋すると天から甘露降ってもその上にかゝらん。あの天窓を何やと訊いて来た時に、あれは空気抜きやと言うた。一つ丈やったら、あれ何するね言われたら困るので、もう二つ三つ開けた。
桝井 昔は二つ開いたったな。
高井 答弁するのに困るから、もう二つ小さいの開けて息こもるから、これ空気抜きやと言うて開けてあった。〜後略。
- [680]基本。 06/11/03 00:37 p/STUpAyCY
- リラックマさん。こんにちわ。
ご紹介頂いた資料は、高井猶吉さんの以下の発言が話題の中心の様ですね。
> 高井 『八町よほー神の屋敷』と仰せられた。四面では無い八町よほーやから、どっちいも八町やろ
> 『八町よほーが神の屋敷。一里よほーが宿屋』と仰っしゃった。一里角とは仰しゃらぬ。
>
との、高井猶吉さんの記憶の内容は記憶として間違いないところでしょう。
天理教の基本は、神殿の『四方正面鏡屋敷』です。これは、おさしづに基づいています。
『八町よほーが神の屋敷』に漢字を当てるとしますと、『八町余方が神の屋敷』との意味になるのではと思います。
国語では「四方八方」と言うのは、あらゆる方向という意味です。
八百八町とか、八百万の神とかの「八」には、たくさんのとか言う意味があると言うことで、とみさんが言われているように、
>>668
> 「八町四方」とは、江戸期以来大和地方でも、広いという意味で、アレコレと人々が使った言葉ですが、にどういう意味だったのか、考えてみてください。
>
これが正論でしょう。
『四方正面鏡屋敷』← 天理教の神殿。
『八町余方鏡屋敷』← 天理の基本。
こんなふうに解釈できます。
つまり、今の天理教は「狭い」のです。「小さい」のです。
高井猶吉さんが言われるように、> 八町角、一里角とは違う。
とね言うことは、円形ドーム型神殿が、天理教を卒業すると、建てられるという事に、理解できます。
- [681]とみ新蔵 06/11/03 04:14 mACR4JbWHy
- 基本氏へ。
もとより、信仰の伝播というというものは、血の繋がりではあいませんネ。
でも、大教会も分教会も原則としては、世襲制にはなってはいません。
ただ利便のために、そうしている教会が多い、というだけで、教規とはなっていませんね。
世襲制は、初代真柱が決めたものか、2代真柱が決めたものか「教規で世襲制」を決めました。
これは洋の東西を問わず、堕落の原因に繋がるものです。
真理を求める、信仰になどは、血(細胞の延長などは無縁ですな。
ただ二代は、まあ、限界はあるものの、復元への方向への、努力をされたこと、このことは頭を下げたいと思います。
さて、これからが勝負です。
4代真柱を動かすものは、皆さん方の求道の熱意というものでしょう。
これは、各教会でも、今や、矛盾だらけのトンチンカンを言うような巡教員を、ボイコットして、ましな巡教員を、自分が選ぶ、という、大教会に対する、厳しい態度が必要ですな。
それにはまず、自分が教理的にも、真実に近い方向へ変化することが第一ですが。
私はそんな教会もよく、知っています。
そして直会も、巡教員も、皆が平座です。
そして来る信者さん方には、たとえ一分であろうとも、一人一人に、好きに順番にしやべって頂くのです。
そこから、何やカヤの話もでましょうから、そう〜〜と理に近い話を進めていけば、ともに、話題が高まり、信者さんにも、心のおみやげを持って返ってもらえ、また、来たいなあと思うものです。
本部からの上意下達は、もう流行りまへん。
それではますます、信者さんは足を遠退ける、時代に入りましたな。
そしてまた、上級へのお供えを、ガバリンと、減らせていく「ココロ定め」をしてイクことですな。
エ?それでは上級や、大教会での肩身が狭くなる?
ハッハッハ、この後に及んで、そがいなチッポケなこたあ、どうでもよろしいや、ないでっかいな(^^)
ところで、教祖の後継者は、三女の若き神、こかん様でした。
これは当時は、何事も」「長子相続」が原則の世襲制でしたから、筋がちがうものです。
でも妊娠から死亡しましたので、次は仲田義三郎だったようですな。
でも仲田さんは明治19年に死亡しましたので、伊蔵先生に決まったわけでした。
伊蔵先生が後継者に選ぼうとしたのは、上田ナライトさんだったようですが、本部神道派の反対があって、果たされませんでしたが。
まあ。「世襲制否定」も考え方も、おやさまの「ひながた」の一つ、ともいえましょうか。
それにしましても、とやかくの異論があろうとも、ココで、おやさまについて、いろいろと論じあっていますと、それだけでも実は、私達ご互い様の、心の普請に役立つものでありますなあ。イヤ、ホンマニ(^^)
こういう談じ合いが5・60年前に活発に行われていたら、八町四方だけではなく、世界の甘露台づとめ文化が拡大していたでしょうに、、。
神楽踊り文化は、かって、日本の村々だけではなく、昔は世界に類似して見られた文化ですから、人類に、万物分かち合いの理として、大きく貢献したはずでしたが、、。
- [682]基本。 06/11/03 05:05 p/STUpAyCY
- とみ新蔵さんへ。
私は現実的に甘露台世界に向かいつつあるという認識を神様のご守護の世界として、抱いています。
百十五歳定命も、針金が物を言うも、確実に実現に向かっています。
そうでない、反対側の現象も数々ありますが、でも、人間は定命を伸ばし、世界はろくぢに向かっている。
私は、それは、教祖のご守護だと信じています。
私にとって親神様とは「中山みき=存命の教祖」しか無いからです。
そして、そのご守護は、天理教とか言う小さな枠を超えて、とみさんの言われるように、この世の生命の隅々にまで及んでいると思います。
天理教会も、様変わりしているとのご指摘は、そうであろうと感じております。
人間が、宗教という枠を超えたものであるということは、もう真理として誰でもが心得てしまったからです。
サティアンを維持するにも、まず宗教施設である前に人間の暮らす場所なのだとして、普通の姿に戻さないと、維持すら出来ない。そんな時代になりました。
今までは、初代を賛美し、真柱を神格化し、あるいは奇跡的おたすけをあげたというカリスマを賛美して、過去を追尾し天理教会の再びの興隆を幻想する、あしき風潮が主流でした。
天理教という宗教が万能のキーであるという「うそ」が主流でした。
世の人々のために教祖は道を始められた。
自分たち信者のために初代真柱とその側近は、「信者のために」天理教会を作りました。
だから、天理は広く、天理教会は小さいのです。
小さいことが悪いとか言う意味で申しあげているのではありません。
小さくあるべきなのです。
世界一列の人は、すでに、存命の教祖の懐にいるのですから。
信仰を賛美する感情が入り込むと、「信仰賛美」が生神様を信奉するような、心のサティアンになる。
教祖の教えとは、「ここでつとめをする」事ではない。
「ここでつとめをしていれど、胸のわかりた者は無い」、その「胸の分かりた者は無い」世界に暮らす人も、教祖の子ですから、まなびをしていてもよろしいのですが、しかし、教祖の子として、世界のろくぢをこの世において実現するために、「ここ」から旅立つこと。
人には、人として暮らす基本があると思います。
- [683]道の教職員 06/11/03 09:55 qpMP/8S2Y8
- とみさんと基本さんのやり取りを興味深く読ませていただきました。
とみさんからは教会のあり方についてご意見がありましたが,私も全く同様のことを思っていました。今までのような上意下達のやり方,巡教員の先生の講和に頭を垂れるなおらい,その先生のお金を要求するようなお話,などなどもう飽き飽きです。実家は教会,長男ですが,私は教会への執着も未練もほとんどないので,実家を出ています。教えや信仰自体を否定しようなどとは思いません。しかし,自分の生活を自分で営めないのに,それでも教会を続ける意味が自分には分かりません。
教会は信者さんがいて,熱心な会長さんがいて,それを支える家族がいて,それでいてみんなが自分の役割をもち,楽しく生活できる,そんな場所だろうと思います。そこに行くと心がスッキリし,元気をもらえるそんな場所だと思うのです。
そんな教会は数少ないでしょう。ならばそこまで執着して教会を続ける意味があるのか?と思うのです。規模を縮小してより濃密な信仰を続けるのも悪くないと思います。
基本さんの「世界はろくぢに向かっている。」という認識は私も同感です。天理教内の方がよっぽどろくじではないような気がします。男女の平等,社会保障の充実,身障者・高齢者の福祉など120年前の江戸末期の世の中と比べると格段にろくじになっていると思います。これも教祖のご守護であると考えるのもまた一つ。成ってくる理として,天然自然の理であるととらえるのも一つ。人間の努力によるものだと考えるのも一つでしょう。
より一層のろくじ社会を目指すために,政治に関与するのも一つの手段でしょうし,目の前に広がる差別や格差問題に取り組むのも一つの手段でしょう。それが教会の内側にいてはなかなか見えてこないし,感じられない社会の風だと思うのです。
心のサティアンという言葉が意味する本当の意味はよく分かりませんが,内側からでは見えないこと,事実を歪曲する見方をしてしまうことがあると思います。>668で言われているとみさんの
サテアンの外から原典を観る
ということをしてみたいと思いますが,どうしたらそれができるのかがよく分かりません。天理図書館に行くという案をリラックマさんから教えていただいたのですが,なかなか簡単ではないですし。
教祖の教えの真髄というものを感じたいと思う今日この頃です。
- [684]基本。 06/11/03 16:19 n4IGwcq.cd
- 最近痛感するようになったのは、人間の歴史における因縁と言う事です。
私たちは歴史と言うものは、差別・不平等の時代から民主主義にと成人して来たと思いこんでいるような気がしていますが、元々権力と言うのは民が権力を付託したものであると、それが事実では無いかと、思う思いを強く抱くようになりました。
農耕経済であれ、狩猟採集経済であれ、そこに指導者がいて集団・集落が組織化され、近親相姦を回避する生命の保存の必然性からも、複数の集団が統合されて、その都度、民主的なルールで、つまり「民」から指示された指導者が、権力者となって、グループ全体の繁栄のための指揮をする事となった。指導者が相応しくない場合には、「民」の意思で、交代させることもあったと思うのです。
それが、「国家」として統一統合された。
日本で言えば、豪族が天皇を中心に一つの制度下に統合されたのも、「民」の意思を反映してのものであり、民主主義と言うように法整備された制度としては確立されていないとしても、民主であったと言う事は、間違いのないことでしょう。
それが「民」の意思を反映していて、民衆の生活権の保障を目指していたことは、「民」全員に口分田を与えるという制度を措置した事からも、自明です。
天皇は、現代においても国の中心に置かれる様に、国民から排除されていないと言う事が、元々の天皇の統治には「民意の反映」があり、原始民主主義と言って良いようにも、思えます。
民意が権力の存在を求めて、そこに国王や統治者の存在を求めたと言う歴史上の人間の因縁。
高山とは、人間がそれを求めてしまうと言う、心の道の結果としてのものである事。歴史的に反復される因縁の最たるものと思います。
民意から生まれた権力は、「民」を保護し保障する為のものとして、権力の側に、統治のためのアイテムを集中させ、やがて民を支配する事を子々孫々までも血族につなごうとする「権力の世襲」を生み、その愚行が、権力者そのものを保護しつつ、それを操る事で己とおのれの血族の利得を図る、「側な者」が、権力を操るようになる。
これも、歴史の示す因縁の姿です。
天理教においても、同様な姿があるのは、「鏡屋敷」として、因縁を見せられていると言う事です。
民意が、権力を求めたのは「生存」のためであり、「生活権の保護」を求めてのものだった。
しかし、月日親神様の守護により「生存」し、親神様の守護により「生活」することの、平易に可能な時代になって後も、統治者は統治のために「民」を支配下におこうとする、歴史上の集積した悪因縁を持っています。
それが、「官僚」という「権力の側近者」たちの主導にあることも、歴史の示す悪因縁の姿です。
>>683
道の教職員さん、こんにちは。
サティアンとは、権力的な意図でつくられた建物、心のサティアンとは、「側のもの」の権力礼賛。
こんな意味です。
天理教は売り物でもないし、天理教は信者を統治するものでもない。
教祖の教えを、共に楽しく通るもの。
それなのに、「側な者」は、側近権力因縁を、そして信者は権力付託因縁を、心の道として、用いてしまう。
信仰が権力化したら、サティアンです。
ろくぢに、平らに、天理の教えを見つめなおす事が大切と思います。
- [685]とみ新蔵 06/11/03 17:01 mACR4JbWHy
- 基本氏へ。
「存命」と「存命の理」との相違を、御承知とは、思いますが、一応触れ記しておきます。
虚構ではない、真実の教祖を語るとき、その人が、理解し得た部分だけ、でも、そこに、教祖中山みき師の精神、マインドが、蘇ってくるわけです。
「存命の理」というものは、今は亡き、教祖の側にあるのではなく、私たちの、自分自身の側、にあるものです。
そして、その教祖の思い、その精神を、その人が実践すれば、教祖はそこに、生きて活動していると、同様である。
というのが、おさしずの「存命の理」ことわり、です。
もし、教祖を語らないとすれば、また教祖伝を歪めて伝えたとしたら、それは「教祖抹殺の理」となり、さらに、日本、世界からの「教祖消滅の理」と、なってしまいましょうネ。
- [686]基本。 06/11/03 18:29 n4IGwcq.cd
- >>685
教祖が自分自身の側におられる。
その、思い、精神を実践する時、教祖存命の理は発揮される。
その通りだと思います。
松村吉太郎自伝、「道の八十年」には、教祖のお姿がこのように書かれています。
『おぢば帰りをするようになってからお目にかかった教祖は、すでにもう九十才になっておられ、目も耳も不自由であられた。』
『何かお伺いするときは、石版に伺いの件を書いて、それをお見せした。』
『しかし、どのようなことでも、教祖は即座にお答えになった。それは実に鮮やかであった。お考えになるとか、ためらわれることが、まるでなかった。』
『私はわたしなりに、そこに親神様を見ていた。』
目も耳も不自由な九十の老婆に、石版に書いて、それを見せている姿は、老人介護を受けている方の姿そのものです。
美化も、礼賛もしなければ、ただの百姓の年老いた女の衰弱した姿です。
明治政府の天皇を神として国体を保持しようという国家権力と断固闘うと言う、そんな姿は、どこにも無い。
しかし、「理」においては、毅然として、親神様であった。
この、松村吉太郎の見ていた『私はわたしなりに、そこに親神様を見ていた。』と、・・
私の見ている親神様は、「老婆である百姓女の、中山みき」様なのです。
その姿には、権力も権威も、反体制も、反権力も無い。
保存しなければならないものは、その一貫した、徹底した天理の教えであり、姑息に美化した「教祖礼賛」ではない。
石版に大きく書いてもらわなければ、会話も困難な、老婆の身であっても、みきは、親神様であるという事実こそ、伝承すべき、真実です。
みきは、みきそのものが、「理」となり、「天理王」となった。
基本は、地上ただ一人の、「天理教中山みき派」です。
- [687]基本。 06/11/03 19:18 n4IGwcq.cd
- >>683
心のサティアンについて、もう少し、思うところを書かせて頂きます。
松村吉太郎自伝に、吉太郎の父の、こんな言葉が出ています。
この言葉こそ、心のサティアンと言うべきものの発露ですので、ご紹介します。
『世界たすけの一念に燃えてはるおやさんの手にふれると、生なき器物にもたすけ一条の理が宿るのじゃ・・・』
これは、教祖が松村家にお下げ頂いた、「教祖のお使いになっていた食器一切」の事についての言葉です。
その文章の前の部分から含めて、引用しますと、
『教祖のお使いになっていた食器一切を共にお下げくだはったのや。』
『その食器はほうぼうから仮に来た。そのお茶碗で食べると、どんな病気でも治ると言うのだ。それからそれえ伝わって、ほとんど宅にあることがなかったようだ。そのうち、又貸しから又貸しになったりして、とうとう何処かに紛れ込んでしまった。(今日では茶碗ひとつだけが残っている)」』
『父も言った。世界たすけの一念に燃えてはるおやさんの手にふれると、生なき器物にもたすけ一条の理が宿るのじゃ・・・』
このような、考え方が「教祖賛美の心のサティアン」です。
松村の父は、その後どうなったでしょうか。
出直しの最後の最後まで、心が定まらずに、吉太郎に家督を譲りきれないで、家の財布を握り締めていた姿は、良く知られています。
その病気の時に、「教祖お下げわたしの食器」を使ったわけでもない。
一年祭の時の描写がまさに、心のサティアン人の実態を示しています。
引用しましょう。一年祭に警察が来てつかまりそうになった時の話です。
『おとうさんは逃げて来はったのやろ』
『まあ、そうや』
『されで、その後はどうなったのや』
『そりゃ、わからん。わしは三時頃までいただけや。ぐずぐすしてたら、どんなことになるやら知れん。』
『そんな水臭いことがありますか』
『事件が事件や、しょうがない・・・』
信仰の美化とは、信仰のおいしいところ取りと言う事です。
厄介なことや、都合に合わないことは、逃げる。
『世界たすけの一念に燃えてはるおやさんの手にふれると、生なき器物にもたすけ一条の理が宿るのじゃ・』
と、それは、美化しての礼賛。
それならば、「生ある道具衆のお前はなんじゃ」と言うしかない。
その時には、自分は、逃げるのです。
財布の紐はしっかり握って、さげわたしの食器も使わない使えない。
心のサティアン人の残した「信仰賛美」の台詞は掃除して、原典に直接に、耳を傾けましょう。
- [688]基本。 06/11/04 00:35 p/STUpAyCY
- 形のサティアン。信仰活動の権威化の有形なもの、組織系統も形のサティアンのひとつ。
天理教会の大教会が、どんな風にして設立されたのか、松村吉太郎自伝「道の八十年」に、典型的な「形のサティアンへの入り口の原風景」が、記録されていますから、引用しましょう。
『開延式もすんだ。方々への挨拶もすんだ。所期の目的を果たしたので、真柱様は平井さんと諸井さんとをつれて出発ということになった。』
『その出発の前の日、また一もんちゃくが起こった。』
『諸井さんは、真柱様に袋井に寄ってもらうという。』
『ところが平野さんが承知しなかった。』
『なんでや・・・』
『こうして本部ができたから、袋井で教会のお許しを貰うつもりや。うちが第一号だ。・・・』
『そんなばかなことがあるか。そんならおぢばに帰って運んだらええやないか。おまはん一人の抜け駆けはしょうちでけん・・・』
『初めからそのつもりです。そのつもりで東京へ来た。』
信仰賛美の形としての「教会設立」。
諸井さんとは、諸井国三郎さんで、公認運動のときに早々と天輪王講社として袋井にて公認を得ていた方です。
その袋井に天倫王の教会本部を創ろうと、真柱に手紙を送付していた人で、神楽面をオーダーし制作、甘露台の模型を囲んで「かぐらつとめ」を練習していたという、櫟本分署跡の八島先生の先駆けみたいな人です。
平野さんとは平野楢蔵さんで、やくざの親分という経歴の持ち主なのに、奈良県の有力者に工作をして、地方での天理教会設立の魁となった裏道のプロです。
この二人が、東京で、天理教会本部の開延式がすんでねその直後に端を発したレース。
最初は、地方教会一号になろうというレース。次には部下教会の数を競うレース。
形のサティアンの典型的なスタイルの原型が、ここに残されています。
信仰賛美の形としての「教会設立」。
その空しさに目覚めましょう。
山名と郡山の初代の、実像。それは、「ぬけがけ」。
教会を見て信仰を語ることはやめて、教祖の教えそのものを、現実の生活の中に見つめること、それが形のサティアンからの卒業です。
- [689]リラックマ 06/11/04 09:00 D-snzhw
- >>676とみ新蔵さん、ありがとうございました。
私は、このスレッドに寄せて頂くようになって、同じ中山みきを信奉していても、これだけ様々な意見があるものか!と、正直いって驚いたのですが、この事は教団内部にも当てはまるんだという事が理解出来ました。
中山みき像も、人の数だけあるのでしょうね。どの人が、一番実像に近い中山みきを心に描いているか?!それは判りませんが、こちらで勉強させて頂いて、虚飾を排除して、正しい中山みき像を心に描きたい!、そう思います。
>>677はじめさん、忙しい中の返信ありがとうございました。
「ごしたもう」が「最期」とも読める、との事ですが、そうするとどうなるのでしょう?よく判らなかったのですが…。解釈を教えて頂けませんか?
>>683道の教職員さん、おひさしぶりです。今、「いじめ問題」とか「履修問題」などで、肉体的にも精神的にもお疲れでしょうに…、ご苦労さまです。
そういえば、最近T.N.Doctrineさんが来られませんが、また腰を痛められたのでしょうか?大事なければいいのですが…。
- [690]リラックマ 06/11/04 09:32 D-snzhw
- 基本さん、こんにちは。
>>680の円形ドーム形神殿のお話、さすがですね!一を聞いて多くを知る、というヤツですね。そこまでは、考えが及びませんでした。
また、最近のとみ新蔵さんとの談じ合いも、興味深く拝見させて頂いております。「形のサティアン」と「心のサティアン」のお話も、なるほどと納得出来るのですが、どうしても一つだけ引っ掛かる事があります。それは「おやさとやかた」についてですが、私は「おやさとやかた」は、天然自然の理に反していると考えています。元始元年「つとめばしょ」の普請のように、下から上なら納得出来ますが、「おやさとやかた」は上から下になりますよね?順番が逆という気がするのですが…。
もう一つ。中山家云々というお話がありましたが、基本さんは「天理教中山みき派」と「天理教真柱派」という二つ看板を掲げておられますよね?
教祖は判るのですが、真柱さんは「真実の肉」の巻き方次第では、どのような者にもなりうる存在だと思います。二代真柱さんも、完璧な存在ではありません。偉人ではあると思っていますが。「天理教真柱派」とは、偉大な人間を支持する派閥という意味なのでしょうか?理をわきまえられている基本さんの事ですから、真柱に絶対服従とは考えられないのですが…?
- [691]基本。 06/11/04 11:09 n4IGwcq.cd
- >>690
おやさとやかたについての、リラックマさんのお尋ねの事ですが、元冶元年のつとめ場所のふしんは、伊蔵様からの提案が発端と言う事ですから、下から、おやさとやかたは、真柱からの打ち出しだから上からと言うリラックマさんからの視点で見れば、相反するものと言う事になりますね。
整理してみました。
元冶元年のつとめ場所 ← 道の大工の提案。
おやさとやかた ← 屋敷の真柱の提案。
世界たすけの道の事を道の大工が提案する。中山家の屋敷の事をしんばしらが提案する。
実に、理に叶っていると思いませんか。
道の大工と言うのは、御神楽歌にある「みな世界からだんだんと来る大工」であり、その第一番が伊蔵様です。
だから、この後も、道の大工からの提言で、普請がある。そう理解するのが基本です。
現在は、真柱の後継者はいても、伊蔵様に続く「大工」がいない。世界で土台の苦労をした上で、お屋敷に来るものがいない。
と、いうことですね。
立場の上下の問題は、親神様対伊蔵様、親神様対しんばしら様。
上は、親神様。伊蔵様も真柱様も、その下。
親神様以外は、後は一列と言う事です。
ただ、中山真柱には、「屋敷の事は真柱」と言う役割がある。と、言う事です。道の大工がくるまでは、道の普請は進まないわけです。
結果として、天理教団の集金システムを作り上げたのは、初代真柱と松村吉太郎さんでした。
清水さんや諸井さんや、平野さんや深谷さんや山田さんなど、多額に集金した現場のリーダーたちに、集金の口実を与え、
天理教独立の工作資金を集めて、信者へのお供えを日常化した責任者は、「初代真柱」と「松村吉太郎」。
二人とも、「うらみの埃は、金銭」の、種物(できもの)で、身上となっています。
初代真柱は、それで出直ししています。
二代真柱は、その多額の献金を、信者のための施設としての「おやさとやかた」に充てる事で、
「恨みのほこり」の塊である信者からのお供えを、公共施設建設資金に生まれかわらせて、透明度のある天理教の資金の流れに変えました。
天理教団の集金システムは、お金さえお供えすれば神さまに助けて頂けると言う、強烈な洗脳であり、
松村吉太郎の理の子「中川よし」東本初代のお供えが、報恩の教理として説かれました。
東本部内で、「二代目中川よし」と言われたのが、八島英雄さんのお母さんの八島よしさんですが、天理教の機関誌「みちのとも」や、雑誌「陽気」には、お尽くし一筋のこの方の手記が在ります。
八十年祭においても、天理教は集金システムで信仰生活していたくらいですから、その「洗脳」の威力はものすごいものといえます。
仮に、そのお金の使途が、明確な普請に当てられていなければ、更に信者の恨みの塊は、増大していたでしょうから、具体的な普請に充てられて、良かったと、基本的には言えます。
- [692]基本。 06/11/04 12:00 n4IGwcq.cd
- >>690 >>691
昭和44年四月号の「みちのとも」東本本吾妻分教会長八島よしさんの手記を一部、ご紹介しましょう。
『戦災で焼け出された大ふしに、親神様が教えて下さった事を綴らせて頂きます。・・(中略)・・
朝になって、子は親を呼び親は子を呼んで、親子九人が対面出来た時は、主人を見ると、頭の毛もまゆもチョロチョロ、真っ黒に焼けて、服は焼けたのがぶら下がっていました。
川向こうの部内教会に避難したのですが、主人は大熱です。近所では随分死にました。
私はその時考えたのです。部内が教会になる時、私の父が教会に用立てして、ようやくご守護頂き、焼ける前の日三月九日に、空襲の中を防空壕に持ってきてくれました。
それを金庫に入れたまま逃げたのです。
そうだ、あの金庫のお金は金庫に火が入ったと思って、うち中無事に逃れさせてもらったお礼をさして頂こうと心を決めました。
主人に出直され、子供をこの世の中に産み出してごくつぶしをつくっては大変、どうか主人の命を助けて頂きたい、そして子供を仕込んで頂きたいと、金庫の冷めるのを待って東本大教会の十六日にお金の一切を納めさせて頂きました。』
こうした、お金をお供えする信仰実践は、この手記の中に数々書かれていて、それが、ご守護話として、次のように結ばれています。
『・・・
ホヤホヤの十四ヵ所の教会で檜作りの神殿が立派に出来上がり、五十名の修養科生も一ヶ月でお与え頂きました。
それからと言うものは、部内みんながそれぞれ結構にご守護頂いています。
肺病で死にたえて一人ぼっちになるところの私が、現在孫が三十人、家族が四十五人、子供は皆それぞれ教会を持たして頂いています。
昨年は真柱様の継承の報告祭、東本の七十周年、そして本吾妻の初代の二十年祭も盛大に勤めさせて貰いました。
親の言われる言葉は、親神様の言葉と受けとめています。
おかげで私は日本一の幸福者と言われるようになりました。
・・・ 』
ここから、教理勉強の名を借りた八島英雄さんの共産思想運動が開始されていく。人権を無視したような差別の因縁の教理を説いていた東本部内に生まれた必然と言う事でしょう。
お尽くし信仰の洗脳を受け、自らも部内に、天理教内に、お尽くし信仰の宣伝をしていた「八島よし」さんの、ルーツは、初代真柱と松村吉太郎さんの公認運動にあると言うのが基本の見方で、独立工作の資金使途が無くなった以上は、
二代真柱の打ち出した、もっぱら信者のための文化・医療・学園・信仰施設に当てると言う方針は、宗教組織として妥当なものでした。
サティアン信仰の中心には、お供え信仰至上主義がある。
これを掃除しない限り、道の大工は、本物の大工は、引き寄せられないと言う事です。
- [693]基本。 06/11/04 13:15 n4IGwcq.cd
- >>680
リラックマさんのご質問の中で、「真柱派」と名乗る意味についてお尋ねありました。
> 真柱さんは「真実の肉」の巻き方次第では、どのような者にもなりうる存在だと思います。
> 二代真柱さんも、完璧な存在ではありません。偉人ではあると思っていますが。「天理教真柱派」とは、偉大な人間を支持する派閥という意味なのでしょうか?理をわきまえられている基本さんの事ですから、真柱に絶対服従とは考えられないのですが…?
この事ですが、以前にも別な場所での投稿で触れた事ですが、真柱は「能力者」です。
真柱は能力者であると言うのが、オカルトの基本です。基本は、真柱を能力者として説きます。
九十の老婆が石版に文字書いてもらって、会話していても、その老婆は親神様であるように、
「しん細いもの」であるけれど、皆に肉を巻いてもらっているけれど、真柱は能力者です。
二代真柱は、完璧な存在ではないけれど、それどころか、でたらめに近い人格だけれど、真柱は能力者です。
それが、オカルトの天理教の基本の説く「真柱派」です。
真柱様に、『一等の寝台を買うてあります。これで京都までお越し頂いて車でおぢばへお帰り下さい』と、言った。
真柱様は、『俺は名古屋で乗り換えておぢばへ帰る』と、仰った。
『そんなになされたら、朝の暗い時に半時間もお待ちになります。この冬の寒い折に風邪をひいて貰ってはなりません。どうぞ、この切符で京都へお越し頂きたい。』
『お前がそう言うなら、その切符を借りて、名古屋で乗り換えてぢばへ帰る。』
『そんな事なさっては名古屋で小一時間も待って貰わねばなりません。どうぞこの切符で京都までお越し頂きたい。』
『いや俺は名古屋で乗り換えてぢばへ帰る。』と、仰せられ、そのとおりにされた。
列車が関西線の亀山駅へ来た時、車掌が、『今京都駅が火事で燃えている。』と、言って来た。
真柱様は、『それみい、お前らのいう通りしていたら、火事の中には言って困っているところや無いか』と、言われた。
(二代真柱追悼号・井筒貞彦)
この程度の事なら、大した能力ではないが、能力者の日常らしい。
御分家先生宅に招かれ夕食を頂いていた時、母より、
『ます代(当時萬四才)が四十度越す高熱で今にも引き付けそうだから、そちらの御用終わったら帰って来て欲しい。』
と、電話あったので、事情申し上げ中座して、御分家先生宅を出た処、真柱様がお宅の裏門からお出ましになり道路上でばったり会いましたら、真柱様から、
『雄三!どこへ行く。』
とのお声が掛かりました。
私は、
『末娘が高熱で苦しんでいると電話ありましたので、勝手で御座いますが、今帰らせて頂きます。』
と、お答え申し上げた。
真柱様は、『お前帰ったら、娘の熱が下がるのか!病気良くなるのか!』とのお言葉でございました。
私はとっさに、『ハイ、お供させて頂きます。』と、申し上げ、真柱様の後についてお座敷に戻りました。
真柱様が、正座にお付きになってから、『有難う御座います。たすけて頂きます。』とお礼申し上げましたら、『ウン、一杯やろう』と仰せになりお流れを頂きました。
暫くして、お手伝いの方が耳元で、『只今お家から電話ありまして、先ほどからあれほど苦しんでいた娘が、嘘のようにスヤスヤ寝かして貰うているから、どうぞ安心してご用済ましてからお帰り、心配させてすまなんだ。』
とのことづけで、・・・ (二代真柱追悼号・村田雄三)
これも、ありふれてはいるが、能力者の日常です。
- [694]基本。 06/11/04 22:57 p/STUpAyCY
- >>693
ただし、念のため申し添えておきますが、真柱は、数少ない能力者の一人には違いないのですが、取り巻きたちは、こうした都度、例えば二代真柱を神様扱いしています。
これは、心のサティアンそのものということで、宜しくない事。
例えば、先に紹介しました記事は、
> 『只今お家から電話ありまして、先ほどからあれほど苦しんでいた娘が、嘘のようにスヤスヤ寝かして貰うているから、どうぞ安心してご用済ましてからお帰り、心配させてすまなんだ。』
> とのことづけで、・・・
の後には、「真柱様は神様」と、続いているわけです。
側近の信仰は、「心のサティアン」
真柱様から頂いた物だから、それを使用していると病が軽くなる。
こんな事を言う人もいます。
やはり、「心のサティアン人」
「真柱様は神様」、これは、あり得ません。
「真柱様は能力者」であり、だからこそ「おさづけを渡す人」と、言う立場にある。
「天理教真柱派」の意味は、真柱を能力者と認めているという意味に過ぎません。
その点は誤解無くお願いします。
松村吉太郎さんが語られた次の言葉がね真柱の本質を射抜いています。
『それは、見方によれば神様よりも強く、その一言は神様よりも確かであった。
親神様のおことばは、お願いのもってゆきようで、変わることはあったが、真柱さまの一言は終始動かなかった。』
(道の八十年p222.223)
しんは、動かしてはならない。
しんに肉を巻くということは、絶対服従ということでなく、融通無碍という事と、基本は心得ています。
- [695]リラックマ 06/11/05 00:00 D-snzhw
- >>691-694基本さん、丁寧に判りやすいお答え、ありがとうございました。基本さんの問答を聞かせて頂いていて、すっきり腹に納まらない部分が、これでようやくスッキリ納まったような気がします。
「おやさとやかた」は、そういう視点で見ると、役に立っているんですね!しかし、一級河川の上に「橋」であると国に申請して建設したりと、現在の法律では暴挙としか思えないような行動は、理に適っていないと思います。その部分の建設は、国から「どうぞ、お造り下さい。」と頼みにくるまで待つ!、というのがお道らしいと思います。何事も、無理は理が無いと思います。
「真柱派」についてですが、基本さんの真柱さんに対する姿勢はよく分かりました。一つ判らなかったのは、「真柱の理」の継承についてですが、基本さんは「真柱の理」は、天皇家のように血の継承だとお考えなのでしょうか?それとも、将来は「心根(理)」による継承だとお考えなのでしょうか?
それから、「大工」についてですが、天理教に将来「大工」が入ってくるとすると、そうするとどうなるのでしょう?
「表大工」に「裏鍛冶屋」、いずれとうりょう四人いる、「大工」が教義一切を取り仕切る?「真柱」は外部の折衝?
- [696]基本。 06/11/05 02:14 p/STUpAyCY
- >>695
リラックマさんに、もう少し「真柱派」の意味を説明します。
>>599 の例です。
>※知らない方のために、全文を紹介します。
>『このよふは、もんぢゆ、ふげんを、はじめとし、みよな、りゆじんも、てんじんも、なんがく、てんだい、よふめへも、これ、ぢよどと、ごしたもう、いわんや、われらおろかなる、いかにねがわにありぬべし、さんぜんせかいを、おほいでぞ、たしかに、しよぢよ、みさだめて、こゝろちがいの、ないように』(こふきの研究・中山正善148ページより〜)
> 知らない方も、読まれればお分りのように、非常に仏教色の強いお話で、
> 教祖が「十七号おふでさきの止め」と仰せられたものです。
> 正善さんは、事実無根と言われていますが、
> 「山田伊八郎文書」の教祖様御言葉の中に同様のお言葉(明治18年4月3日)がありますので、私は事実であると考えています。
こういう場合、天理教真柱派の基本は、「能力者の真柱」は間違えないと確信しているわけです。
リラックマさんは、
> 「山田伊八郎文書」の教祖様御言葉の中に同様のお言葉(明治18年4月3日)がありますので、私は事実であると考えています。
と、言われていまして、山田伊八郎さんを信用しておられる。
私は、山田伊八郎さんを「能力者」と思っていないし、教祖から暫くお言葉を頂けない、そんな自分勝手な聴き方をしていた人が、こんどはちゃんと書き取りましたという事そのものが、信用してはいけないという警告だと、理解するからです。
仮に真柱様が教祖のお言葉だと認めていたら「おさしづ」に入れていたのであり、「天理教真柱派の基本」は、「しん」の判断を絶対のものと受け入れていますから、「山田伊八郎文書」は、参考文献以上のものではないと、認識するわけです。
天理教の学者の石崎正雄さんの著作「こうきと裏守護」(天理大和文化会議)に、「半牧のおふでさき」として、紹介され、学問的研究が紹介されています。
石崎正雄さんは、「こうきと裏守護」の第二講、「守護の説き分けの相違するもの」において、「山田伊八郎文書」について触れておられます。
事情を経て、教祖のお言葉を正確に記録するようになったと言われています。
それから、問題の「半牧のおふでさき」について語られています。
石崎さんの研究の要点を書きだしますと、
@、二代真柱様は、『こふきの研究』の中で小松本について研究をしている。
A、小松本の付録、「教祖御帰幽後の古記をぬき書」の中に「半牧のおふでさき」がある。
B、「教祖御帰幽後の古記をぬき書」には、以下の趣旨が記されている。
『半牧のおふでさきの事は教祖は「おふでさき17号の留めと言われた。又この解説は後に本席となった伊蔵様が教祖が在世中になされていた。又世上の理にもある』
C、二代真柱は、半牧のおふでさきを重要なものと位置づけていない。
D、山田文書の74pに「明治18年旧2月18日」に、小松本の「半牧のおふでさき」と同じものがある。
E、山田文書の258pにも「年月日不詳」で同じ内容がある。
F、小松・山田両文書から、半牧のおふでさきとは、当時流行していた和讃を、教祖が解釈しねその解釈を伊蔵様が説いていたと考えられる。
と、この様な研究を示しています。
リラックマさんは「おふでさき」とは、教祖の書き物であるということは承知でありましょうが、この「半牧のおふでさき」というのは、仮に教祖のお言葉としても、真筆の書き物が無い限りには、おさしづと言うより無いわけです。
そして、この「半牧のおふでさき」については、いつのお言葉かがきちんとしていない。扉開かれた後ではない事は明らかなようですし、まず伊蔵様が説かれていたものであり、そして、明治18年ころには、伊蔵様の説かれていたことも「神様のお言葉」とみなされていましたから、・・・
そこで、「半牧のおふでさき」との命名ですが、当時の高弟はみんなそんな呼び方をしていた。
それに文字を当てはめたのは、「能力者」の二代真柱。
と、なりますと、
「実はおふでさき・・(半牧という何かの事情つきの)」
これが、基本の理解となります。
なお、「こうきと裏守護」のそこには、山田文書に記された解釈があります。
その解釈こそ大工の伊蔵様の解説=教祖の解説となります。
山田伊八郎さんの、解釈の特徴は、
@、「なん」← 「難」
A、「ごしたもう」← 「火難・水難・風難・病難なしにして年々豊作とらせる。
B、「いわんやわれら愚かなる」← 「(元を)いわなんだので我らはおろかである」
C、「いかに願わにありぬべし」← 「神がいかにたすけたいと思っても、人間がたすかりたいと願わなければ、神様でもたすけられない。
D、「三千世界」 ← 「心・手・くち、この三つで三全世界」
E、・・・
・・・
この石崎さんという学者さんの研究で分かることは、お言葉の解釈の手法として、「半牧のおふでさき」には重大な要素があり、それで、17号筆先のとめねと言われていたのではないかと言うね基本的な理解が必要ということです。
- [697]k 06/11/05 08:11 G7SjQBWzlP
- >>633 はじめさん
有難うございます。
書き込みが遅くなって申し訳ありませんでした。
はじめさんに教えていただき、又、自分なりに思案した結果、
一応納得することが出来ました。
あともう一つ質問してもよろしいでしょうか?
確かに、「投げの手」を「振りの手」と間違えるのはよろしくないと
思いますが、角度などもある程度意識する必要が
あると思うのですがいかがでしょうか?
- [698]基本。 06/11/05 10:03 cV91Fk85mf
- >>695
リラックマさんは、「この世の立替」という教え、「ろくぢ」と言う教えの基本そのものに、思いを向けるべきではと、感じました。
それは、次のような投稿の内容を見てです。
> しかし、一級河川の上に「橋」であると国に申請して建設したりと、現在の法律では暴挙としか思えないような行動は、理に適っていないと思います。
> その部分の建設は、国から「どうぞ、お造り下さい。」と頼みにくるまで待つ!、というのがお道らしいと思います。
> 何事も、無理は理が無いと思います。
例えば、日本には河川がそれこそ無数にあります。
仮に、軽便な水力発電装置を、その無数の河川において水力を利用し、電力の供給にあてたら、オランダの風力発電どころではない、もっと膨大な電力が、石油も原子力も用いずに日本では、供給可能になるわけです。
しかし、河川とは、利権の場所であり、「ろくぢ」ではないから、仮に何某かが、勝手に、それぞれに、小さな小川、農業用水、或いは一級河川に、自前で「水力発電装置」を設置したら、・・・
「水利妨害」で逮捕されます。
つまり、河川の利用は、「災害対策」「環境保全」「水利権」の上で、ろくぢではない。
その日本を、ろくぢに「水利」が利用できるとすれば、石油の輸入も減ります。「原発」も不要になります。大きな電力会社は無用となります。[ダム」も減ることになります。
巨大な、エネルギー産業の高山が、「ろくぢ」になるには、「河川」においての「律」に従うばかりでは、・・・
八島先生のような、反体制・反権力思想は、こういう利権構造に対してこそ、発揮されるべきで、
リラックマさんの言われるように、
> 現在の法律では暴挙としか思えないような行動は、理に適っていないと思います。
>
ではなく、法律の裏にある利権構造を見据えるならば、現在の法律の、高山支配構造のままになっていてはいけない。
> その部分の建設は、国から「どうぞ、お造り下さい。」と頼みにくるまで待つ!、というのがお道らしいと思います。
>
これは、ひながたに無い事。
法の、生んでいるろくぢでない構造と、それゆえに、民衆のものである「水力エネルギー」が、気楽に利用できない、そこで、中東に軍隊を派遣してでも石油を確保しようと国税が使用されている矛盾。
これを見るなら、法の不備をきちんと突くべきです。
それは、大声で反権力を叫ぶと言う「ひながた」に無いことで指摘するのではなく、・・
と、思案しますと、少なくとも、「法のゆがみ」を無条件に受け入れないで、現実の適応において、その法の支配を除去する方向をめざしている意味では、それを橋として認可受けたとしたら、ろくぢの上では、「おやさとやかた」らしいわけです。
河川や道路や、山や、海。
これらは、法律でがちがちに利権として固められている。
だから、現代の科学がいかに発達しようと、エネルギーの供給源として利用できるのは、限られた「高山の人たち」となるしかない。
実は、自然は、ますます寡占独占されて、差別がひどくなる構造。
それを、見据えて、国の言いなりになるばかりでは、教祖に申し訳ないと言うこと、少し、考えて見てください。
- [699]基本。 06/11/05 10:21 cV91Fk85mf
- >>695
>「真柱の理」の継承についてですが、基本さんは「真柱の理」は、天皇家のように血の継承だとお考えなのでしょうか?それとも、将来は「心根(理)」による継承だとお考えなのでしょうか?
おこたえします。
真柱の理の継承の事は、中山家の屋敷内の事です。
中山家の屋敷内では、真柱の継承については「屋敷内民主主義」によって、制度化されていますから、それに基づいて継承されるのだと思います。
そこで問題は、「屋敷内民主主義」において、参政権はないけれど、天理教組織の一員であると言う、信者の存在です。
リラックマさんは、中山家の親族でもないし「屋敷内民主主義」の参政権も無いとします。
そうすると、「われらの真柱」として、「冠」にいただこうとする場合には、参政権が欲しくなると思います。
それは、「真柱」を権力と理解するからです。
真柱は権力でもないし、権威でもない。
「冠」にしてはいけない。
これが、真柱派の基本です。
屋敷内では、お言葉に[屋敷の事は真柱」ですから、真柱が支配しても、それは屋敷内民主主義にて運営したらよい。
お屋敷の中の事と、天理教団全体とを混ぜることに間違いが在ります。
教団には、制度としての教団民主主義はありますが、それが今は、機能していない。
ここにも間違いがあります。
真柱のことは、中山家親族の自由にさせておいたら、「神が支配」します。
教団の事は、教団組織の民主的運営を、・・
基本は、中山家親族にも、教団組織にも属さないことです。
それが、ひながたです。
- [700]はじめ 06/11/05 11:19 9.eJMvJcaY
- >>689 リラックマさん。こんにちは、ご質問についてですが、
>>677
>「ごしたもう」が「最期」とも読める、との事ですが、そうするとどうなるのでしょう?
期という字を調べてみると、
ご【期】
1 とき。おり。期限。「この_に及んで」
2 際限。限度。
・「申すべきことは_もなく侍るを」〈大鏡・道長下〉
3 死ぬとき。最期。臨終。
・「きのふより心も弱り身も苦しみて、さらに_を待つばかりなり」〈謡・土蜘蛛〉
とあり、期待というする意味が出てこなかったので、???と思って書かせて頂いたのです。
私がこの言葉がおふでさきであるか?という事については、
>>696 で基本。さんが言われていますが、
「十七号おふでさきの止め」「半牧のおふでさき」と証されて、「おふでさき」であると思われがちですが、2代真柱様は「外冊の研究」で、
「復元」22号p1より
外冊とは、教会本部に保存された17号のおふでさき以外の教祖様のお筆になったお歌を指すものである。
元来、おふでさきとは「教祖様のお筆になったもの」との意味に用ひられたもので、後に転じて17号即ち17冊のお歌集を指す様になったのである。されば、おふでさきの意味を広義に解釈する時、教祖様が自ら筆を染められた書き物総てを指す事になり、狭義に解釈する時は、所謂正冊17号のおふでさき、即ち17冊に集録された1711首のお歌のみを指すことになる。今日に於ては、何等の断りもなく「おふでさき」と云う時は、此の後者を指すものと考えてよい。
而して外冊とか正冊とかは此狭義のおふでさきの意味を標準として生じたもので、外冊おふでさきとは、正冊以外の眞筆を指すのである。しかし考へ様によっては正冊17号1711首のお歌以外を指す様に思はれんでもない。が、さうばかりではなく、事実は次に示す様に、外冊とてもそのお歌の種類が殆んど1711首以外に出でないのであるから、外冊の意味は、正冊おふでさき以外のお歌といふよりも、正冊17冊以外の教祖様の眞筆になる書物と云う意味の方が強いのである。
故に外冊の研究とは、主として正冊以外の眞筆書の研究といふ事であり、一は、広く教祖様の眞筆を探ねて其の真偽を正し、一は、正冊おふでさきと用字其他を比較して、文献上より真意の究明に資せんとするものである。
尚外冊の名称につきて一言しておきたい。外冊の名称は、正冊と区別せんため著者の呼び初めたものではあるが、故意に呼んだものではなく次の記録の如き歴史を有するものである。・・・・
と述べられています。
ゆえに、「おふでさき」ではなく、口伝の一部と私は思います。
解釈については、
リラックマさんが書いて下った言葉
>>614
>山田伊八郎文書・教祖様御言葉より〜
>明治18年4月3日(旧2月18日) 山田伊八郎せきにて金玉いたみ、神様参り、神様御噺し
>このよふハ、もんじゆふとハ、たべもん、きもの。ふげんをとハ、風 人間いき。はしめとし みよふなりうじんもとハ、りゆけの事。なんがくとわ、火なん水なん風なん病なん。てんだいとわ天がだい。よふめいもみなこれ。しよどごしたもとわ、世界中 百姓一れつに 火なん水なん風なん病なん、なしにして、年々に豊作ヲとらせ。亦人間も出生してから、ほふそ、はしかせんよ、病なしにして百十五歳迄、極楽じょどへいつれててふりたい。其上ハ、けゑこふとおもうなら、百五十が二百三百までも、ふんばりきる。ゆハんやわれらわをろかなる。
>いかにねがわにありぬべし。
>三千世界をとわ、人間のおもう事ハ、口でゆふ。口でゆふ事ハ手でする。
是が三千世界とゆふ。おいでぞ。たしかに しょじふ みさだめて、心ちがいのないよに。
と>>696で基本。さんが紹介して下さった言葉で思案させて頂きたいと思います。下記に記しておきます。
『山田伊八郎文書』p258
年月日不明
このよふハ、もんじゅとハ、たべもん。ふげんを、とハいき。風。風ハいき、はじめとし。みよふなとハ、めづらし事を、みよふなといゆふヤロヲ。
りゆじんもとハ、りゆふけの事。なんがくとハ火難、水難、病難、万の難ヲ事(を)ゆふ。
てんだいとハ、天がだいとの事。よふめいもとハ、よふめへるとの事。
みな是じよどごしたも とハ、世界人げんをしよとの人げんにしてやりたさ。ふわんや われらわ、おろかなる とハ、ゆわなんだで 人げんおろかなる。
いかにねがわにや、ありぬべし。とハ、ねがわぬものハたす(け)よふとても たすけられん。
三千世界を とハ、心でおもう事 口にゆふやろ。くちでゆふ事ハ 手でするやろふ。是三千世界とゆふ。
ありがとうございました。
- [701]基本。 06/11/05 11:22 cV91Fk85mf
- >>699.>>695
> 「真柱の理」は、天皇家のように血の継承だとお考えなのでしょうか?
>
この事ですが、>血の継承、と言う事については、以前に触れた事があります。リラックマさんは読まれていなかったかと思いますので、整理して解説します。
品種改良の遺伝子操作のひとつに、「交配」による遺伝子操作があります。
競馬におけるサラブレッドの品種改良には、この「交配」が用いられています。
一般に、血族同士の交配は、悪い結果を生むとされていますが、サラフレッドの交配、競馬馬の世界では、あえて優秀な馬の血族同士の交配で、超優秀なサラブレッドを創出すると言う手法が確立していると言われます。
つまり、近親による交配です。
中山家においては、意図的と思えるほど、遺伝子の近いものどうしの結婚がなされています。
中山みさと中山善兵衛は、「孫どうしの結婚」です。
初代真柱とたまえ様は、「孫同士の結婚」です。
生物の隔世遺伝を利用し、いわゆる前川の父の遺伝情報が、山辺郡の庄屋敷村に帰ってきた。これが「みきと善兵衛」の結婚です。
又、同じく生物の隔世遺伝を利用し、中山みきの遺伝情報が、同じく山辺郡の庄屋敷村に帰ってきた。これが、「初代真柱とたまえ様」の結婚です。
こうした、血族間の婚姻は、控柱の舞う川菊太郎さんの場合も、その結果の誕生であり、真柱・控柱は、遺伝上からも、正当な血統者になっています。
つまり、真柱は「遺伝情報の濃さ」で、真柱となる。或いは控柱となると言うひな型があります。
基本は「血と言うよりも遺伝情報」です。
- [702]はじめ 06/11/05 11:41 9.eJMvJcaY
- kさん。こんにちは。
>>697
>確かに、「投げの手」を「振りの手」と間違えるのはよろしくないと思いますが、角度などもある程度意識する必要があると思うのですがいかがでしょうか?
そうですね。仰るとおり「ある程度」意識する必要はあると私も思います。
これは私のさんげですが、学生の頃、教えてもらうときに、手ぶりの角度や高さの違いを指摘された時に、自分は正しいと思って振っているので、言われたと言うことだけに腹をたてて、「じゃぁ。何度の角度が良いのですか?」と詰め寄った事が多々ありました。
そんな私ですので、角度についてあのような表現になりました。失礼いたしました。
今思えば、誠にこうまんのほこり一杯の、恥ずかしい話しであります。(⌒∇⌒;)
教祖が教えられるときに、恥をかかすようなものやとして注意をされなかったという話しを聞いていますが、教え伝えると言うことはとても難しいものだと思います。
ご指摘ありがとうございました。m(_ _)m
- [703]基本。 06/11/05 12:05 cV91Fk85mf
- >>700
はじめさん。丁寧に教えて頂いて有難う御座います。
基本は、「おふでさき17号のとめ」という「留め」と言う事に付きまして、留意事項の「留め」という理解を、リラックマさんに申し上げましたが、それを、もう少し詳しく、説明させて頂く事としました。
山田伊八郎さんに伊蔵様が説かれた、その説き分けの「基本的]理解です。
参考にして頂けるなら幸いです。
> このよふハ、もんじゅとハ、たべもん。
「もんじゅ」の「もん」・・「もん」→「たべもん」
> ふげんを、とハいき。風。風ハいき、はじめとし。
「ふげん」の「ふ」・・・・・「ふ」→「ふう]→「風」
「ふげん」の「げん」・・・・「げん」→「元」→「はじめ」
> みよふなとハ、めづらし事を、みよふなといゆふヤロヲ。
「みよふな」・・・・・・・・「みよふな」→「妙な」
> りゆじんもとハ、りゆふけの事。
「りゆじんも」・・・・・・・「りゆ」→「りゆけ」
> なんがくとハ火難、水難、病難、万の難ヲ事(を)ゆふ。
「なんがく」・・・・・・・・「なん」→「難」
> てんだいとハ、天がだいとの事。
「てんだい」・・・・・・・・「てん」→「天」
・・・・・・・・「だい」→「台」
> よふめいもとハ、よふめへるとの事。
「よふ」・・・・・・・・・・「よふ」→「良う」
「めいも」・・・・・・・・・「めいも」→「めへる」→「見える」
> みな是じよどごしたも とハ、世界人げんをしよとの人げんにしてやりたさ。
「じよ」・・・・・・・・・・「しよ」(じよ)→「しよう] (序) 「はじめよう」
「ご」 ・・・・・・・・・・「ご」→「御」
「したもう」・・・・・・・・「したもう」
> ゆわんや われらわ、おろかなる とハ、ゆわなんだで 人げんおろかなる。
「ゆわん」・・・・・・・・・「ゆわん」→「言わん」→「説いてない」
> いかにねがわにや、ありぬべし。とハ、ねがわぬものハたす(け)よふとても たすけられん。
「ねがわにゃ」・・・・・・・「ねがわにゃ]→「願わなければ」
「ありぬべし」・・・・・・・「ありぬべし」→「あるはずが無い」
・・・・・・・「食べ物のも言葉も陽気暮らしも無い」
> 三千世界を とハ、心でおもう事 口にゆふやろ。くちでゆふ事ハ 手でするやろふ。是三千世界とゆふ。
「三全世界」の「三」・・・・「心・口・手」→「胸と口と行い」
このように、言葉の諭しとは「一語一語」であると言う、おふでさき解釈やおさしづ解釈の「留意点」がきちんと示されています。
参考までに、基本の説き分け方をどう学ぶのか、例示しました。
- [704]リラックマ 06/11/05 12:40 D-snzhw
- 基本さん、ありがとうございました。
「真柱」についてですが、たとえでたらめな人格であろうとも、真柱さんの直感力は絶大な信頼に値する、というのが基本さんが言われる「真柱派」という理解でよろしいでしょうか? で、継承問題は「遺伝子レベル」の問題という事ですが、一つ気になるの事があります。それは以前、基本さんの知人の傍陽気さんが言われた事ですが、「二代真柱と三代真柱に絶大な信頼を置くのが真柱派」だと、このスレッドで仰っていました。基本さんも、そうなのでしょうか?初代と現真柱が入っていないのが、少し気になります。
「おやさとやかた」の一級河川問題で、私が言いたかったのは、『橋である』とウソをついた事です。ちょっと表現がヘタクソでした。>>698の基本さんのお話は、なるほどなぁと読ませて頂きました。ご存じのように、天理教団は国に(法律に)迎合してきた歴史があります。
『さあ/\月日がありてこの世界あり、世界ありてそれ/\あり、それ/\ありて身の内あり、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一やで。』というのが、天理の基本であると思います。
橋などと言わずに、「おやさとやかた」という建築物の一部であると、堂々と申請するべきだと思うのです。教祖のように堂々と振る舞うべき処を、何かこう姑息な手段を弄しているように見えて、非常に不愉快な気持ちになるのです。
質問ばかりして、すみませんでした。しかし、そこを一つ一つ丁寧にお答え頂きまして、感謝々々です。また判らないことがありましたら、よろしくお願いします。
- [705]リラックマ 06/11/05 12:53 D-snzhw
- >>700はじめさん、こんにちは。
>>696の基本さんのお話に合わせて読ませて頂いて、「う〜ん、そうかぁ…」という思いでおります。何か新しい発見をしたようなつもりでいたのですが、違うのかもしれません。
こういうのは一人で研究するより、こうした場で発表して、いろ/\な意見を聞かせて頂くことが、道を踏み違えずに歩むためには大切な事ですね!談じ合いの大切さを痛感しました。
今後も、何か発見したら発表させて頂きます。ありがとうございました。
- [706]基本。 06/11/05 12:55 cV91Fk85mf
- もう少し、詳しく申し上げます。
教理書を読む上でも参考として下さい。身上諭しにも、有効となります。お諭しでたすけたいのなら、こふきの説き分けは基本中の基本です。
> 「もんじゅ」の「もん」・・「もん」→「たべもん」
文殊菩薩といえば、小松本では「くもよみ様」です。
知恵学問の文殊菩薩様です。
「もん」には「もんもつ」「文物」、という意味を示されています。
「こうもん」と言えば裏口、建物の口は「門」。
「情報と言うのはそれが、取り込まれだされる門が重要」
「もん」と言う言葉には、守護の理がきちんと示されていると、そういう感覚です。
「もんじゅ」→「もん」を「受」ける。口を通す事が受けることです。
食べもんを受ける、学もんを受ける。それには、隔て心、好き嫌いなく受ける。受け入れて消化する。
くもよみ命さまのご守護です。飲み食い出入り。
口にアレルギーが出ると言う事は、「もん」を「受けない」。
「もん」とは、そのような意味に、理解する「おと」と言う事です。
文殊菩薩さまの心になれば、口中の身上は、守護となります。
このように、理を解する基本として「もん」とは、「着るもん」「食いもん」と言うような基本があります。
> ふげんを、とハいき。風。風ハいき、はじめとし。
普賢菩薩様は、一般のこふき本では「くにさつち命]様と説かれています。(石崎正雄著こうきと裏守護参照)
山田伊八郎さんは「かしこね命様」と説いています。
これは、「一二三」の「三」の問題です。
普通は「一二三」と言えば「くにとこたち、をもたり、くにさつち」です。
しかし、「一二三」と言えば「火・水・風」です。
普賢菩薩は、「仏の理・定・行の徳を説く」仏です。(石崎正雄著こうきと裏守護参照)
この、「説く」ということは「かしこね命」様、すなわち「風の神です」
説く内容の「仏の理・定・行の徳」とは、「三つ」で三柱目の神さまの理です。くにさつち様。
親神様(月日)の胸と人間の胸を、教えでつなぐのは、「風」(言葉)の神です。
そして、半牧のおふでさきでは、「普賢菩薩」は「風」です。
> 「ふげん」の「ふ」・・・・・「ふ」→「ふう]→「風」
> 「ふげん」の「げん」・・・・「げん」→「元」→「はじめ」
人間の肉体は、「月日、一の道具」で始まり、天理教は「月日、神の言葉]で始まった。
これを踏まえて、理解すれば、良く分かります。
普通の言葉として世界にあるものを、言葉の音から、守護の理にて説き分けなおす、それが、教祖の教えられた事です。
このように、こふきは、たすけの理話として、半牧のおふでさきはお言葉解釈の、留めとして、意味あるものです。
- [707]基本。 06/11/05 14:06 cV91Fk85mf
- おやさとやかたは「橋」であり、「門」である。
>>704
リラックマさんは、「神のやかた」と先入観で思ってしまわれている。
現実には、おやさとやかたは、八方からの門として、建てられ用いられています。
おやさとやかた、そのものには、神の権威もない。人の利便のための、雨にぬれずに一休みできる門。これがあるべき姿ですから、神の権威の「サティアン」ならば、「門」や「橋」ではないが、人の利便のための通路なら、「門」「橋」と言うのは正解で、神の館と言うのが嘘です。
とみさんが言われていました内容と一致しますが、そういう神の権威としての「八町四方は神の舘」とは、教祖の教えに無いのです。
「神の舘」の普請ではなく、信者さんのための「施設」なのです。
一寸、角度を変えてみれば、神さまが「これは橋だよ」と、口に言わせたのだと分かります。
施設は人の利便のためのもの、「神の為の施設」こそ、「大嘘」です。
さて、真柱派の事で、重ねてのご質問ありましたが、
初代真柱 管長。しんばしらと名乗れなかった。
→言動はしんばしらとしてのものと管長のものと混在。管長としての言動は、「応法」そのもの。
二代真柱。管長から真柱の時代。戦後は真柱となった。
→言動はしんばしらとしてのものと管長のものと混在。管長としての言動は、「応法」そのもの。
それゆえに、真柱となっても、独特の応法レトリックによって、何れともとれる説き方の名手。
三代真柱。 復元の真柱。百年祭にて、白紙に帰るを予言。
信仰の復元において、しんの役割を果たす。
四代真柱。 復元後の天理教の真柱。
・・・・
ここで、掃除されて、生まれかわりになるのが、天理教ですから、以後の事はわかりません。
- [708]リラックマ 06/11/05 14:49 D-snzhw
- >>707う〜ん…、天理教団に対する相当深い不信感が邪魔するのか、なか/\そういう風に理解し、腹に納まらない部分がありますが…。
心のサティアンというお話がありましたが、これも知らぬ間に壁を作っているのだから、同じ事が言えるのかもしれません。
これを取りのぞかないと、天理・真理を体得する上での障害になると感じました。ありがとうございました。
- [709]基本。 06/11/05 19:45 p/STUpAyCY
- >>708
> 天理教団に対する相当深い不信感が邪魔するのか
天理教団に対して、信頼するよりは、よろしいと思います。
教団が、「真柱派」ではないと、それは常識として心得るべきです。
真柱もまた、「真柱派」ではない「肉」に巻かれていて、そこに制限がかかっている。
真柱は「指針」であっても権力ではない、だから、船長以下の船乗りさんの「腕」というもので、舟は右往左往します。
「指針」とは逆方向にすら、向かうこともあり得ます。
「表棟梁」と言うのが、総船長さんの役割にあたります。
「かなめ会」という、直属教会長の会議が、事実上の船団長会議です。
真柱の示した指針が、天理教の機関誌ですら取り上げられない事もあるのが、天理教団です。
本部の要職にある「長」の人が嘆いていたことがありました。「なにも自由にならない」と。
肩書きの長が権限をふるえる民主主義は、天理教団にはなく、かなめ会を軸とした「家柄」や「お供え金額」が物を言う社会がそこにある。
いざとなったら、「かなめ会」。
そして、そのかなめ会の中でも、系統番号シングルで系統教会数の多い有力教会は、系統閥的に、理の親子関係というまとまりで結合し結束して、発言権を確保していました。
それだから、「理の親」は無い、と言う、真柱の指針は無視され、婦人会の機関誌「みちの台」以外では、どの雑誌も、その部分の真柱講話を省いて、報道していました。
天理教団内部は、そのように、「真柱派」不在。
真柱に能力があると思っていないのに、生活のために教団を利用している、偽信心がサティアン統治をしているわけです。
それは、改革と言うよりも、掃除の対象です。
神様は、そうした場合に、時に外部の圧力を用いました。
自浄の出来ない天理教団は、外部の力で掃除されます。
基本的な見方として、人の集まりである天理教団の「教団因縁」を自覚し、「教団によって利を得てはならない」原則に立てば、少なくとも、サティアンとは別の生き方が出来ると思います。
- [710]道の教職員 06/11/05 23:28 qpMP/8S2Y8
- >709
基本さんのお話,またまた興味深く読ませていただきました。
真柱さんのご意見がちゃんと伝わらない構造が教団内にはあるのですね。表棟梁は飯降先生,内棟梁は田中先生になっていましたね。
内棟梁というのが教団内部の実質的運営に携わっていると思っていたのですが,かなめ会という会が運営に携わっているのですね〜。
お供え金額が多ければ多いほど,直属教会内での地位が上がるとかそういうシステムがあるのでしょうか?よく分かりませんが。
教会という形はやっぱりどこか不自然だな〜と思います。信者さんがいてどうしてもって人が集まるから教会の意味があるのに,信者さんがいなくなっているのに,教会は減らないと言うのがどうかと思いますよ。やっぱり。統合があってもいいし,それが自然なことだと思うのですがいかがでしょうか。お供え集金システムが崩れるから教会数を減らしたくないというのが本音として本部にはあるのでしょうか?それとも何か教会を残すべく特別な意味があるのでしょうか?その辺りもよく分かりませんが,教会の縦系列の集金システムはいい加減に破壊したいですね。自分で自分たちの食いぶちは稼ぐ。基本さんの言う家業第一の天理教が復活してもいいと私も思います。むしろ,そういう家業第一の信者さんなり教会がどんどん出てくることで,社会と適応した天理教会が生まれてきそうな気がします。天理教会が存在する積極的な意味がもっとあったらいいなと思います。お寺と違ってお墓の管理をするわけでもなく,神社と違って周囲の人の氏子を祀るわけでもなく,しかし,教会としてそこに天理教会がある意味がもっとあってもいいと思うのですが,皆さんにとって教会の存在意義はどのようなものでしょうか?教えていただけるとありがたいです。
- [711]とみ新蔵 06/11/06 00:17 mACR4ymkE5
- もとより、4代真柱は、特に言論などはないでしょう。
バックで山澤派などがしっかりと睨んでいますからね。
「要会」の連中は、「天理教貴族」に陥らされている人が多いものです。
これは何も大教会長がワルイ、というわけでなくて、その、ヤクザ組織も真っ青の、集金組織体制や、元凶の応法教理が、私は哀しいのです。
ココでの、皆さんの多くの方々の求道の御意見は、4代真柱を、さぞや勇気づけることになると考えます。
幾ら世間サマから天理教の人たちは、親切で優しいと評価されていても、
そんな事情では、庄屋敷の、おばんに恥をかかせてしまいますがな!!
「4代真柱!がんばれ〜〜〜〜〜!」
「真柱に力を足すやつ、もっと出て来〜〜〜〜〜〜!
「新しいものを、普請するには、オカシナ
、古いものを、コワして排除しないと、普請は出来まへんのやぜ」。
「当然のことだっしゃろう?」
- [712]とみ新蔵 06/11/06 06:20 mACR4ymkE5
- 前の文に誤字がありました。
「もとより、4代真柱は、特に、言論の自由などはないでしょう。」
でした。
4代!ガンバレーーーーーー!
みきオバンの、神の社たる、こころ定めの宣言は、決然として、泰山不動の境地で、神(理)そのもの!
みきバアサンのように、いのちを賭けたる親こころ!
天理教団がひっくり換えるような大問題が起こって、大マスコミが、「なんじゃいあれは!?」と唖然、驚愕しても、よかばってん!
血縁同士で、血を見る騒ぎが起こっても、そりゃ仕方がない!
ことなかれ主義のマアマア主義で、これ以上、みき師を、歴史から、埋没させてはならん!
復元へ、一歩も二歩も進めにゃならん!
それには、まず、寒露台づとめの姿を、ハッキリと、天下の、どこの誰からも見えるように、神殿の床を造りかえることです!
テレビで大画面で中庭へ中継したってよかですぞ。
それが一歩ですぞ!真柱さん!敵もいるが、近くに見方もいるはず
だっしゃろがな4代さんよ!
そうすれば、世界の人々は、「おばんの言う神が、一体何を意味するものなのか!?!」
考えるきっかけとなるものです。
来年内にはしないと、あきまへん!
そうでないことには、流行り神さまの一種としてで、建物ばかしが残って、ますます風前の灯教団として、終焉を告げるはおろか、陽気づくめ建設にも貢献できまへんぞ!
- [713]リラックマ 06/11/06 16:25 D-snzhw
- >>709基本さんは、教理どころか内部の事情にも精通されているんですねぇ…。いや、恐れ入りました。以前、内部におられたのか、知人に内部の方がおられるのか、それは知りませんけど、こういう以前では外にいては分かりようの無い話が聞かせて頂けるのも、神様のお力というか、神様のお急き込み、思いを感じました。
「かなめ会」については、以前>>530で三代真柱さんのお話を紹介させて頂きましたが、あのお話もたまたま当時天理にいた時に、そういう話を真柱さんがされたと噂で聞いて、こっそり知人から入手させて頂いまたのですが、たぶん紹介させて頂いた部分は、みちのともでは削除されていたように記憶しています。
>>712のとみさんのお話は、私も同感です。まずはそこから始めなければならないように感じます。
学びではない甘露台を囲んでのかぐらつとめ、あの一見いかがわしい、不思議な、理に適った、よろづたすけのつとめの姿を、あのように最前列の者にしか見えないような神殿の造りは、間違っています。作り替えるのが無理なら、せめてテレビ中継なり、中庭に大画面で放送するべきだと思います。
- [714]はじめ 06/11/06 18:12 9.eJMvJcaY
- こんばんは。
>>713
>学びではない甘露台を囲んでのかぐらつとめ、あの一見いかがわしい、不思議な、理に適った、よろづたすけのつとめの姿を、あのように最前列の者にしか見えないような神殿の造りは、間違っています。作り替えるのが無理なら、せめてテレビ中継なり、中庭に大画面で放送するべきだと思います。
すぐさま安易に見えるのもどうかなぁ?って考えます。
今の神殿は、100年祭だったかで上段の改修が行われて、前の方に座ると見えるようになったものです。
それ以前は全く見えませんでした。
この見えない図面を指示されたのは、おさしづによるものだと思うのですが・・・
今は教会長たるもの毎月帰参して12下りのおつとめを参拝させて頂くことが当然のようになってきていますが、昔はこんな事は夢のような話しで、大祭に参拝すれば良い方で、それも12下りまでいるわけでもなく、ただただ参拝のみですぐに町へということがほとんどだったという事を聞いたことがあります。
教会本部が変われば、皆変わるという考え方は、基本さんが示された昔ながらの民衆の上を求める心理の現われのようにも思うのです。自分は蚊帳の外において・・・そんな気持ちもします。
八町四方かよほうか私には分かりませんが、昼間は雨が降らず、夜だけ雨が降るというようなご守護を頂けるようになったら、今の神殿も取り払われて甘露台を囲んで皆が平らにおつとめをさせて頂けるのではないか?と空想したりしています。
- [715]リラックマ 06/11/06 20:11 D-snzhw
- >>714はじめさん、こんばんわ。
かぐらつとめが見えない、今の神殿の造りはおさしづからだそうですが、自分はおさしづはまだ勉強が全然足りない状態なのですが、始めて聞きました。「百日のおさしづ」か何かにそういう話があるのでしょうか?
あと、はじめさんはかぐらつとめ、全体像をはっきり見たいとは思われませんか?私は見たいです(^_^)v
見て感動を味わいたいですね!
見たことが無い人も、見れば「おつとめ」に対する感覚というか、意義みたいなものを考えるきっかけになると私は思うのです。
本部が変わればとか、そういう事ではなく、自分達が普段教会で学びとしてつとめている「おつとめ」の理合いについて考えるきっかけになると思うのです。
それで>>713で、まずはそこから始めなければいけないのでは?と、投稿させて頂きました。
みんなの意識を根底からグラつかせるだけのパワーが、かぐらつとめにはある!と、私は思うのです。
これは大きいと思うのですが…。
- [716]はじめ 06/11/06 23:29 9.eJMvJcaY
- >>715 リラックマさん、こんばんは。です。
>「百日のおさしづ」か何かにそういう話があるのでしょうか?
はい。図面を縮めよとのおさしづは
明治四十年六月三日(陰暦四月二十三日)
『午前一時より本席身上御障り少々相増しゝ処、今朝八時頃より激しく相成り九時に到り苦痛激甚に付、教長初め一同出席の上刻限の御諭』
ウヽヽヽヽヽ、
さあ/\一寸一言言うて置かんならん事がある/\。さあ/\まあだん/\仮家普請おっとり大半何間何尺、大半の決まりある。皆の者だん/\運ぶから一つの理も治まって来る。あれだけのものどうでもせんならんと言う。その精神は十分。今一時の処建家、あれより大きせよと言うてもせにゃならんが、大きいは要らん。何間何尺纏まったる上から二分通り皆縮めてくれ。定めの図面引いてこれで一つ治まれば、何よの事も治まる。一つ理を以てこれまでの処運びは容易で出来たものやない。
『恐れ入りますが申し上げます、初め教堂二十四間に三十間の図面引かして頂きましたが、それより縮めて二十六間に二十間と致しました、その縮めた図より二分通り縮めますか伺』
さあ/\皆何間何尺図面引いて纏まったと言う。それから二分通り縮めて置け。何処から見てもよう出来たなあと、それで十分形付いたる。
『教祖殿の方も縮めますのでありますかと伺』
さあ/\何処から何処までも、二分通り縮めてくれ。
で、「対談 百日のおさしづ』p310あたりから神殿ふしんの図面について書いてあります。
>見て感動を味わいたいですね!
う〜〜ん感動ですか。
感動といいますと、今の上段になる前、一度だけ神殿の大掃除(すす払い)をさせて頂いて、ハシゴの上から甘露台すべてをチラットだけ見たときが一番感動しました。同じ甘露台なのに、今では感動しないです。
見にくいものを「何とか拝ませて頂きたい。」と求める中に、苦労する中に感動、不思議なご守護はあるのではないかとも思うのですが・・・如何なものでしょうか?
与えられるのを望むのではなく「願う誠の心に現れるりやく」を求めるところに、陽気ぐらしが感じられるようにも思うのです。
- [717]苺 06/11/06 23:49 15q013Q.yp
- 以前、かぐらづとめを結界のすぐ側で拝した事があります。
その時の印象は、お神楽のお面が大きくて少し異様な感じも致しましたが・・・感動を覚えたのを記憶しております。
当時、天理教信者として種々悩みを抱えてのおぢば帰りだったのですが、お神楽を拝し思った事は、(直感的に)「親神様は何も仰っていない・・陽気ぐらしをしなさいとしか言っていない!」そう私には思えてしかたがなかったです。
(何も仰っていないとは、天理教会で説かれている諸々の因縁話とでも言いましょうか)
ちなみに、「かぐらづとめを見ました!」と意気揚々として恩師に告げましたところ、「かぐらづとめは、拝しました!だろ!」と叱られてしまいました。
- [718]道の教職員 06/11/06 23:52 qpMP/8S2Y8
- 陽気尽くめの世界を作りたいという教祖の思いを消してはいけないと私も心から強く思います。その一念が私を動かす動機のひとつになっていますから。
仏教にしても,キリスト教にしてもあまり深くは分からないのですが,何か暗い,むしろ向きなイメージがあるのです。生きることに疲れた感じというか,いかに死ぬかを考えるような。それも必要だし,大切だとは思うのですが,天理教の教えほどポジティブに物事を捉え,実社会の中で活躍していこうという精神がある宗教って他にあるのでしょうか?よく分かりませんが,私が知っている宗教の中では天理教が唯一です。ただ,あまりにも楽天的すぎて,人から心配されるような方もいらっしゃいますが…。そこは地に足をつけて天を仰ぐという感じで,現実も見つめつつ,先案じをせず,粛々と自分の勤めをしていくというでいいかと思います。
リラックマさんやはじめさんのかぐらづとめに関する投稿を読ませていただいて,私はあまり分からないのですが,かぐらづとめにどのような意味があるのでしょうか?以前,修養科にいるとき,かぐらづとめがあると聞いて夜見に行きました。大きなお面をかぶった7,8人の人が甘露台の周りで踊っていました。その周りには神饌物があったようなないような…。ただその時の印象は,いつものお勤めとは全く違うな〜。お面大きいな〜。それくらいでした。意味など分からないんで。そのかぐらづとめが終わるとお供え物をいただけるとか何とか言っていたことも覚えております。意味が分からないのでとても知りたくなりました。
- [719]苺 06/11/07 00:08 15q013Q.yp
- 天理教の教えほど、自らが(自らの真実の心を持って)教えの根を掘り進めなければ何も分からないのと等しい教えはないのではないか?と感じている者の1人です。
安易に問うてばかりではいけませんね。
- [720]とみ新蔵 06/11/07 03:26 mACR4ymkE5
「おさしづ」で、甘露台づとめが、いかん、などはどこにもありません。
そこも勘違いさせた読み方を、させられているだけですがな。
「地場はここだけ」というのは、当時の、東京の神道天理教会は、いかんぞ!という意味です。
また、秀司さん一味のやったような、病気平癒や、虫払い祈祷や、雨乞い祈祷の、かんろ台づとめも、
おやさまは、それは「ここでつとめをしていれど、旨のわかりた、ものはない」と、わかって、言っておられるのです。
どこかの教会長が、甘露台づとめを拝する?ですと?
ま、神聖なる、お勤め、理を表す儀礼ですから、拝してもカマイマセンがネ(^^)
そこも、チト事実とは、事情が相違しますな。
甘露台づとめは、それぞれに自分の持ち味を生かして、た(心定めをした)、神の社たちが、参集、参画して理を表現 するものです。
そのことは、昔から日本の村々にあった、神楽踊りと同様の姿です。
ただ、村々の神楽踊りとは、やや意味や、ことわりが相違するわけですが。
以前にもチト触れましたが、お面を付けたりの、神楽踊りのようなものは、かっては世界中に分布していたようでした。
いわゆる、昔で言った土人、今で言う、先住民達にも、輪になって踊る、似た姿があります。
これも神聖な理を表しているものですから、彼らは、助け合い、分かち合いが上手なわけです。
いわゆる、オカシナ文明人思考ではなかったわけです。
「本当の幸せとは何か」を知っていたわけです。
教祖のはじめた、甘露台づとめも、命の発生に基いての、人類史の中の、
簡単にいうと、競争ではない、分かち合いの知恵の結実の姿、密教的な表現であり、
そしてそれは、誰もが、観て学び、また、つとめて、心を新たに洗う、意義深いつとめ、というものでしょう。
そして、これは、世界中に拡大伝播すべきもの、でした。
エ!?甘露台づとめは、天理のお地場だけでないといけないですと?
今時、何を何時までも、タワゴトを言っていては、
こまります(^^)。
それでは、マインドコントロール・サテアンの中からの、思考形態というものですがな。
「もとの地場」と「地場の理」は相違します。
「元の地場」は教えの始まった、庄屋敷村の一箇所ですが「地場の理」は世界中に移せます。
こんなのは当たり前のことでしょう。
いつまでも「社はいらん」と言われた「社」の前で拝み続けるつもりですかいな。
ただ、悟り違えた、秀司さん以来の、拝み祈祷の甘露台づとめでは、どこでやっても、ムダですが、、、。
それでは「ここでつとめをしていれど、旨のわかりた、ものはない」先の先まで、教祖のには、観てとれますから、みかぐら歌にまで、注意を促しているわけです。
御互い様に優れた教祖を持ちますと、そりやあ、大変でっせ、、。
真柱さん。
そして、皆さん方。
- [721]基本。 06/11/07 05:03 p/STUpAyCY
- >>720
とみさんのご指摘のように、現在の「ぢば」での「かぐらつとめ」を見ること、また、八島先生のとなえる模型甘露台での{神楽つとめ}を見ること、何の意味もありません。
とみさんの言われましたこと、教義的に整備します。
>「おさしづ」で、甘露台づとめが、いかん、などはどこにもありません。
当局からの干渉で、出来ないことについての対処の「おさしづ」もあると言う事です。
> 「地場はここだけ」というのは、当時の、東京の神道天理教会は、いかんぞ!という意味です。
>
東の初代が、東京は全部自分の縄張りだと主張していて、東京の講社を系列に従わそうとしていた、そういう因縁の場所です。
> また、秀司さん一味のやったような、病気平癒や、虫払い祈祷や、雨乞い祈祷の、かんろ台づとめも、
おやさまは、それは「ここでつとめをしていれど、旨のわかりた、ものはない」と、わかって、言っておられるのです。
>
本来の甘露台つとめとは、おふでさきの教えのように、皆の心が澄んで、後に勤められるものです。
> 甘露台づとめは、それぞれに自分の持ち味を生かして、た(心定めをした)、神の社たちが、参集、参画して理を表現 するものです。
> そのことは、昔から日本の村々にあった、神楽踊りと同様の姿です。
>
特別な宗教儀式に見立てるのは、教祖はお嫌いということです。
> 「もとの地場」と「地場の理」は相違します。
その通りです。
「元の」と付けてあるのは、「元以外の地場がある」からです。
各教会でも、地場の理として、本来は存在しているはずですが、・・
> 「元の地場」は教えの始まった、庄屋敷村の一箇所ですが「地場の理」は世界中に移せます。
> こんなのは当たり前のことでしょう。
おさしづには、「国々ところどころの真柱」とありますように、真柱も、「元のぢばの真柱」「国々のぢばの理の真柱」(現在のおさしづでは心柱と表記)と、神様お認めです。
> いつまでも「社はいらん」と言われた「社」の前で拝み続けるつもりですかいな。
>
と言いますか、人間が見下ろしている構造なのです。
元のぢば=親神、よりも人は上座にいるのです。
とみさんご指摘のように、今の神楽勤めは、勤めに形をにせた「拝み・祈祷」。
もっと、「理を振る」と教えられた、十二下りの、教えの理の実践が大切と思います。
- [722]基本。 06/11/07 10:02 cV91Fk85mf
- 補足します。
甘露台を囲んでの元の地場の「かぐらつとめ」とは、「元始まりの理」をあらわした、「方位の理」と「数理」と「神名の理」を示される「石造りの甘露台」が、出来建ちた時につとめられるものです。
その一三段の甘露台の「石工」は獄死しています。
それは、さておきまして、「理」を示されてあるのが「甘露台」であり、ただ、寸法どうりに石を工作して、そこにすえて立てれば「甘露台」が完成すると言うのではなく、その「理」が人間世界に陽気をもたらすことが、完成と言う事であり、それは、同時に、「理」によって、人の胸のそうじが、出来るようになったと言う事を意味しています。
学問上の「真理」と言うものも、化学式や理論で語られている間は、人の世に何の影響も与えるものではなく、学問上の「真理」と言えども、実際に世の中に生かされて、初めて、真理となるわけです。
「甘露台」について教えられた「理」は、そのままでは、ただ、記号があると言うだけの事にすぎないわけで、記号を解読し、それを自由自在に人の世に活かせた時に、「理」が「理」としての守護をあらわすわけです。
すると、「人間」について知らされた「理」は、それが天理教の教えなのですが、この世の「委細」を解き明かすものである。
それを、「現実化」できる能力が「つとめ」の能力と言う事になります。
「委細を解き明かす」と言う親神の胸を我が胸としと、「よろず委細の中の理を自らも解き明かし」と言う事と、「理を自由自在に用いて人間と暮らす」事の三つが無いなら、つとめに知らされた理は、何の意味も飾りごとと言う事です。
この三つができる人の事を、「仙人」と呼ぶならば、「里の仙人」になるようにと、教祖は言われています。
つとめとは、理を示しあらわすものであり、「理とつとめ」の関係を分かりやすく教えるために、教祖は、
『これは、理の歌や、理に合わせて踊るのやで・・』
と、言われました。
理にあわせて踊ると言う事は、「理」が分からないと、不可能なこと。
教えの「理」を、胸に悟り口に唱えて「行う」、それが『理に合わせる』と言う事です。
つとめとは、「人間と生命」の関係にあると言う事を示すために、
『このつとめで命の切り替えをするのや』
と、言われました。
肝心なのは、このお言葉は、「十二下り」を教えられた時のお言葉です。
「甘露台つとめ」の話ではない。
すりかえると言う、悪い癖を持ってしまうと、教祖の教えは、絶対に胸に分かることは出来ないと思います。
重ねて言いますと、「命の切り替え」となるようなお勤めは、「一二下り」までの段階。
「甘露台つとめ」ではない。
なぜなら、「甘露台つとめ」とは、心が澄んだ後のつとめですから、命の切り替えも何も、心が澄んでいるのです。
関係ない。
「一二下り」とは、心の澄まない者が、心を澄ましていく上での「つとめ」。
こちらの方が、重大だと言う事、理解できないと、まるでとんちんかんな見当違いです。
- [723]基本。 06/11/07 16:34 723
- みかぐらうたは、十二下りのおうたが「命の切り替え」と言う事は、ひながた時代には信心として特に重要視されていました。
病人があると、十二下りを踊り、→「一杯飲んで」→また十二下りを踊るというように、まんなかに一杯飲んでのスタイルでお願いしていた当時の記録も在ります。
「宗教行事」「祈祷」ではなく、一杯引っ掛けて、みんなでおつとめするという、まさに、庶民のお祭り感覚でなされていたものです。
念の為に、教祖伝逸話編のおつとめの関係では、逸話編の18と19があります。
引用しますと、
『逸話篇18
十二下りのお歌が出来た時に、教祖は、「これが、つとめの歌や。どんな節を付けたらよいか、皆めいめいに、思うように歌うてみよ。」
と、仰せられた。そこで、皆の者が、めいめいに歌うたところ、それを聞いておられた教祖は、
「皆、歌うてくれたが、そういうふうに歌うのではない。こういうふうに歌うのや。」
と、みずから声を張り上げて、お歌い下された。次に、
「この歌は、理の歌やから、理に合わして踊るのや。どういうふうに踊ったらよいか、皆めいめいに、よいと思うように踊ってみよ。」
と、仰せられた。そこで、皆の者が、それぞれに工夫して踊ったところ、教祖は、それをごらんになっていたが、
「皆、踊ってくれたが、誰も理に合うように踊った者はない。こういうふうに踊るのや。ただ踊るのではない。理を振るのや。」
と、仰せられ、みずから立って手振りをして、皆の者に見せてお教え下された。
こうして、節も手振りも、一応皆の者にやらせてみた上、御みずから手本を示して、お教え下されたのである。
これは、松尾市兵衛の妻ハルが、語り伝えた話である。』
『逸話篇19
「みかぐらうたのうち、てをどりの歌は、慶応三年正月にはじまり、同八月に到る八カ月の間に、神様が刻限々々に、お教え下されたものです。これが、世界へ一番最初はじめ出したのであります。お手振りは、満三年かかりました。教祖は、三度まで教えて下さるので、六人のうち三人立つ、三人は見てる。教祖は、お手振りして教えて下されました。そうして、こちらが違うても、言うて下さりません。
『恥かかすようなものや。』
と、仰っしゃったそうです。そうして、三度ずつお教え下されまして、三年かかりました。教祖は、
『正月、一つや、二つやと、子供が羽根をつくようなものや。』
と、言うて、お教え下されました。」
これは、梅谷四郎兵衞が、先輩者に聞かせてもらった話である。』
『子供が羽をつくようなもの』として、教えられていますから、羽根突き気分でつとめるのが、十二下りのおつとめです。
大教会初代では、山名の諸井さんとか、河原町の深谷さんとか、現在では櫟本分署跡の八島さんとか、「模型の甘露台」を用意して、「神楽勤め」を練習したり、それが「最高の神事」のようにみなして、「サティアン」の儀式にみたて、教理もすり替えられていますが、その儀式信仰をみんなが、勘違いした結果、「羽根突きのように歌う」本来の十二下りのつとめは、「前座」の位置に追いやられました。
「甘露台勤め」こそ、最高の儀式。
これでは、人間本来の「神信心」とは程遠い。
あわれなものを見るように、「偽神楽」は、見つめるしかない代物です。
諸井さんも深谷さんも、偽神楽に手を出してからは、家族の死、本人の病気、教会勢力の衰退、悲劇ばかりを見ています。
いのちの切り替えは、「十二下り」、この基本を改めて、ご確認下さい。
- [724]リラックマ 06/11/07 18:25 D-snzhw
- >>716はじめさん、こんばんわ。
ご紹介頂いた資料は、みちのとも紙上に掲載されたものを持っています。しかし、宝のもちぐされで読んでいませんでした。今、出張中なので、帰ってから読んでみます。図面を見ないと、いまいちピンとこないので…。ありがとうございました。
- [725]基本。 06/11/07 18:42 cV91Fk85mf
- >>724
> その一三段の甘露台の「石工」は獄死しています。
「つとめ」と「ろくぢ」は、きちんと結ばれている表裏いったいのものです。
今の天理教は、ろくぢではない。
それは、>>716>>724、天理教の神殿の図面で明らかです。
神さまは、形に心を、心どうりに現してくださいます。
今の神殿の、神を見下ろす構図は、親神様を利用して「宗教家業するサティアン」の構図であり、それは、おさしづでは神の指図かもしれませんが、おふでさきでは、「門のうちのたちもの」の一つにすぎないと言う事です。
- [726]基本。 06/11/07 18:52 cV91Fk85mf
- おさしづにおいては、「普請」は「仮屋」です。
リラックマ さんが不自然に感じた、「おやさとやかた」も、「神殿」も、仮の建物です。
問題は、「ろくぢ」でない、天理教団にあります。
制度も建物も、ですが、「ろくぢ」でない精神に、根本の問題はありそうです。
ひながたでは、そうした「ろくぢ」でない、道の内部の者の掃除に、「高山の干渉」を利用しています。
それが、応法の道と言う「差別の道」に対する、親神・中山みき様のなされた、神の働きです。
教祖のお墓地を建てたのは、信者です。信者の総意です。
二代真柱様は、お墓地に行かれた事がないと・・
そりゃそうでしょう。
存命でいる教祖がいるのに、お墓地に行ったら、「うそ」になる。
お墓地もまた、もんの内のたちものと、みなすのが基本です。
- [727]リラックマ 06/11/07 18:59 D-snzhw
- 基本さん、こんばんわ。
なんだかスゴい展開になって、面食らっています。
整理すると「かぐらつとめ」は、今現在のものは石の甘露台ではないので、学びという事になるんですよね?国々所々の教会でつとめている「おつとめ」だけでなく、本部の「かぐらつとめ」も学びであると…。
しかし、「哀れなものを見るように」と仰っているのが、気になりますが…。
「元のぢば」と「ぢば」ですが、基本さんがどういう定義で仰るのか判りませんが、「ぢば」を人間宿し込みの地点と定義すれば、「一宮、二墓、三寺」という話を何かの本で読んだ事があります。
確か最初に生みおろして廻られた地点にお宮を作り、拝をさせて、二度目の生みおろしの地点にお墓を作り〜というような話だったと記憶しています。そこから教会も、参り場所なので「ぢば」にあたる?!というような解釈になるのでしょうか?
それとも「国々所々の真柱〜」と、何か関係があるのでしょうか?
- [728]基本。 06/11/07 19:02 cV91Fk85mf
- 大工の棟梁といえば、普請の現場にいます。
伊蔵様はカンナくずの中で、神意を取次いで折られた期間がある。
表とうりょうか内とうりょうか、知らないけれど、「心の普請の現場」、かんなくずの、木くずの中に今いないで、それを、大工の棟梁とは、言えない。
「工務店の専務さん」は、とうりょうではないと、そろそろ分かりそうなものです。
- [729]リラックマ 06/11/07 19:14 D-snzhw
- >>725>>726「神殿の作りが、人間の心の様相を現わしている」なるほど、そうでしょうね。納得です。
ろくじになれば、やはり平地で「かぐらつとめ」を見れるようになるんですよね?
今のかぐらつとめが、たとえ哀れなものであろうと、いつの日か陽気づくめ社会が訪れた時に、それを踊れる者がいなければ、どうしようもないと思います。やはり、学びであってもつとめる事は意義があると、私は思います。
- [730]はじめ 06/11/07 20:15 9.eJMvJcaY
- こんばんは。
『対談 百日のおさしづ』を読んで、そこの図面からどうも気になって、写真を探してみました。
『心のまほろば◎心の本天理第7号 写真集 教祖年祭』p69に大正5年の神殿の写真が掲載されています。
現在の甘露台を中心としたものでは全くなく、各教会と同じような作りになっています。
現在の甘露台を礼拝の中心として、甘露台がある神座へ降りる階段が出来き、お言葉通りの「雨打たし」の作りになったのは、昭和普請(昭和9年)と言うことです。
この写真を見ながら思ったのですが、大正普請では礼拝の対象が甘露台ではなく、神社の社と同じ形式の社であり、昭和普請で甘露台を礼拝する形にはなったものの、上から人間が見下ろすという構図となったように思えました。
>>725で基本。さんが
>今の神殿の、神を見下ろす構図は、親神様を利用して「宗教家業するサティアン」の構図であり・・・
と述べておられますが、私には我々人間が神様を下に見て思いを聞き入れられない、高慢の構図のように思えました。
- [731]はじめ 06/11/07 21:26 9.eJMvJcaY
- >>730で、
>私には我々人間が神様を下に見て思いを聞き入れられない、高慢の構図のように思えました。
と書きましたが、以前本部月次祭で、12下りがつとめられる中、北礼拝場の濡れ縁から南礼拝場を見たときに、甘露台の13段目が上段の少し上に見え、かぐらづとめの理合いから言うと、13段目の上でいざなぎといざなみのみこと様が踊られる事を思い出しました。(現実は無理な話なので、南東で踊られているのですが・・・)
その時には、いざなぎ・いざなみ様以外は人間には見えないところで働いて下さっている元の神様だからかぐらづとめは見えないのかなぁ。なんて思ったのでした。
勝手なことを書いていますが、お許し下さい。
- [732]道の教職員 06/11/07 22:44 qpMP/8S2Y8
- >>719
苺さん,安易に問うていては信仰に深みがでませんね。失礼しました。教えについて私などが到底知りようもないことをご存知の方が多いもので甘えていました。自分で調べる,大切なことですね。ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
>>720
とみさん,神楽づとめについて詳しいご説明ありがとうございました。
>、神楽踊りのようなものは、かっては世界中に分布していたようでした。
なるほど,世界的に共通の人間の営みなのですね〜。不思議です。
そして基本さん,詳しい説明をありがとございました。今の甘露台づとめは拝み祈祷のものなのですね。甘露台づとめの本質とは違ったものなのだと思いました。
- [733]ji 06/11/08 00:28 *o6.YWXzcahG*n7chTckhAS
弾圧に悩む天理教信者
>天理警察署長が学会信者になって以来、(署長が自ら学会員
と認めてる)
弾圧や嫌がらせを通りこした取締りに天理信者皆苦
しんでいます。 奈良県内の他市町村に比べての異常な取締り、検問、等など
実際、驚くべきことに、学会信者の署長が徹底的に集中して
やると 公言してるのです。
もし、同じことが信濃町でおきたら、学会の方は宗教弾圧と
騒ぐはずいです。
天理教のみんさんこういう事実はあったのでしょうか?
この程度のことを学会は行うが、抵抗運動をやられてたら如何ですか?
無言の抵抗運動。例えば警察署になぜだか出前が大量に運ばれる
交番の前にゴミが不法投棄される、110番通報が大量に出される
など。
奈良県警本部長は何をやってんだ。
また、警察庁長官、
というよりは天理教を弾圧するために第3の勢力の誰かが天理市に学会署長をあてがった
という推測もできるのだが
- [734]傍陽気 06/11/08 01:07 xfB7OPF17O
- リラックマさん、こんばんわ。
>>727
>しかし、「哀れなものを見るように」と仰っているのが、気になりますが…。
哀れなのは、山名、河原町で勤められていたと言うのが偽神楽と云う代物だと。諸井に至っては現在も唯一お面も、お勤めも、許された山名だと云っているのです。哀れでしょ。
>やはり、学びであってもつとめる事は意義があると、私は思います。
雛型が其処にあれば意義があると言う事だと思います。それが雛型甘露台にて勤める意義だと思います。天理教会本部も大教会でも、「門の内」に多くの人が居るけれども、たずね来る人に、教祖様が、本席様がそうであったように、気軽に天理教を取り次ぐ人が居ませんよね。皆雛型のまだ門前で結構そうに眺めている状態と、そんな風に思います。
>しかし、「哀れなものを見るように」と仰っているのが、気になりますが…。
というお話が気になりましたので。失礼しました。
- [735]傍陽気 06/11/08 01:25 xfB7OPF17O
- 道の教職員さん、こんばんわ。
>>今の甘露台づとめは拝み祈祷のものなのですね。甘露台づとめの本質とは違ったものなのだと思いました。
現在の甘露台勤めは拝み祈祷というのは皆の心が、拝み祈祷だと言うことだと思いました。まだ雛型の入り口前、門前だと。雛型甘露台と言うのは皆の心通りの姿なのだと考えます。今がこの世のはじまりというその手前で、拝み祈祷状態だと。心通りの姿だと思います。
- [736]とみ新蔵 06/11/08 02:18 mACR4ymkE5
- 基本氏へ。
「工務店の専務」とは面白い表現ですね(^^)
確かに専務さんばかりが増えました。
「いづれ棟梁4四人いる♪」
それぞれの持ち味を生かしての、荒木棟梁から、仕上げの、かんな棟梁まで四人いて、教えを取り次ぎ、広めていく、という
組織体の姿勢を示された、お歌ですよね。
まあ、現在で言うと「民主代表合議制」というものでしょうか、、。
お地場が、生物の生み降ろしの「場所」で、その「地点」だけ、その「一箇所」だけ。
と考えますと、話がヤヤコシクなって、しまいますぞ。
生物、にんげんの「生み降ろしの原理を教えた場所」または「教え場所」と捉えるのが、本当でしょう?
そうでないと、何だか地球の、一点だけを、尊いものにしてしまうだけでなく、
神のからだの、地球への土地差別までしてしまいますガナ(^^)
これは、一人の人間に例えても同様で、頭も、足の裏も、肛門も、どこにも尊卑貴賎の差などありません。
みんな尊い個所ですもんね。
ま、そんな、我が身思案のハカリ事から、それぞれに、オカシナ解釈をしてしまった教団史もありました。
また仮に、元は尊かった場所だよ〜〜〜〜!などと、世間さまに幾ら、振れ回っても、現在では、
ナ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んの意味も持ちませんからねえ(^^)
それでは「故(もと)の地場」「古い古い太古の昔は地場だった」のですよ〜〜〜!と虚しくワメいているにすぎません(^^)
コレも、教祖に恥をかかせている一原因でしょうか、、、。
「地場」は、百姓家のおばはんが、生命体
発生の原理(こうき)と、
その調和の中で生かされてきた原理と、
それに基づいた、生き方をすれば、
「世界みんなが、ニコニコ仲よしで暮らせますよ」との教えが、初め、始められた、
プレイスだからこそ、値打ちがあるわけです。
もし、みき師が出なかったら?
現在も、ただの寒村です。
近鉄も、そこまで線路を延ばしませんでした。
尊いのは地点ではなく、その人、みき師の教えがはじめられた場所だからです。
もし、みき師の教えを説かなかったなら?
お年寄りの信者さん達は、ほどなく死亡しますから、アチコチに建設注文もない「工務店の専務係り」ばかりが取り残されて、まあ、「故(もと)は地場だった、、、」という、奇態な観光地には、なりましょうかネエ、、、。
- [737]基本。 06/11/08 06:24 p/STUpAyCY
- >>736
とみさんへ。
とみさんの視点は今までの教団組織の固定観念を打破していて、とても楽しく読ませて頂いています。
ろくぢの中の差別の問題は、とみさんのように徹底したろくぢ思想を普及しないと、掃除されないと思います。
地場は、元始まりの因縁あると言う意味での「聖地」と言う事で、教理が説かれたのは、戦後ということになります。
戦争直前には、教祖本来の教えが極端に歪められていて、狭い意味の戦前・戦中には、「地場がにんげんの元始まりの地」という教理は、説けない時代でした。
だから、「地場が元の聖地」とは当然ながら、天皇に弓引くことになりますから、説かないし説けなかった。
明治の教典が出来る以前から、当時の高弟が説いていた教理は、「古事記・日本書紀」の復古の教えとしての「尊王天理教」でした。
いわゆる「貸物借物の教理本」の中にも、皇室の恩というものが混ぜて説かれていました。
「天理」と言う言葉として、教理を説くときにも、国体への報恩、忠孝の道が説かれていた。
ここらへんは、八島先生の得意な分野でしょうか。
天理教団の中で、教祖本来の「元始まりの教え」を説いていたら、追放された時代がありました。
それだから、戦後に、天皇の人間宣言で、困惑した教団幹部は、キリスト教神学を導入して、「記紀」に依存していた教理のよりどころを、キリスト教神学にすりかえて、神の権威と言うキリスト教の方便を導入しました。
それは、戦前の戦争体制を指揮した人物で、初代表棟梁となつた諸井さんと、その子息で天理教校・天理大学の長として「天理教神学」を唱えた方の、指揮下で行われた、「戦争協力の歴史」の糊塗でした。
その、戦前体制から戦後に移行したときの、上意下達方式で行われた「天理神学」→「天理教学」という流れの中で、教祖の教えに無い、宗教学の思想が混入されて、二代真柱の説いている所とは本質で違っている現在につながる、「山名系教理」と言う、混ざり物が混入されました。
特徴は、@「人間の魂の差別を説く、徳と因縁の教理」
A「神への報恩のお尽くしを説く、集金の教理」
B「神への勤めを至上と説く、宗教家至上主義」
その最大の間違いは、
教祖中山みきを「神と人間の仲介者」と見立てた事であり、真柱を実質的な信仰の中心に置かない、「理の親信仰」。
時流に合わせてどうとでも説ける様な、そんな軟弱な教えではない天理の教えを、矮小化したのは、天理教の「学者・高山」。
真の信仰は、現場にあるという、基本を忘れた、恥ずかしいものでした。
- [738]基本。 06/11/08 06:33 p/STUpAyCY
- だいたい、親の里が、聖地だなんて。
普通に考えたら、ばかばかしい。
「あんたどこの生まれ」「俺、信州」。「そこが親の里」。
これなら分かりますが、
「あんたどこの生まれ」「俺、東京」。「そこが親の里で聖地」。
これは、無いでしょう。
「ようこそお帰り、聖地にお帰り。」
なんて、中山みき様の教えではなく、「聖地賛美のサティアン」そのもの。
このカラクリを構築したのが、天理教神学の中心にいる学者とかなめ会の人物たちということです。
- [739]はじめ 06/11/08 08:46 9.eJMvJcaY
- >>736
>お地場が、生物の生み降ろしの「場所」で、その「地点」だけ、その「一箇所」だけ。
と考えますと、話がヤヤコシクなって、しまいますぞ。
???です。とみ新造さんは、おぢばを「宿し込みの場所」ではなく、「産み下ろしの場所」と思っておられるのでしょうか?
産み下ろしの場所はいくつもあると言われていますが・・・・
>>727
>「元のぢば」と「ぢば」ですが、基本さんがどういう定義で仰るのか判りませんが、「ぢば」を人間宿し込みの地点と定義すれば、「一宮、二墓、三寺」という話を何かの本で読んだ事があります。
>確か最初に生みおろして廻られた地点にお宮を作り、拝をさせて、二度目の生みおろしの地点にお墓を作り〜というような話だったと記憶しています。そこから教会も、参り場所なので「ぢば」にあたる?!というような解釈になるのでしょうか?
リラックマさんの疑問に対する資料になればよいかと思います。
http://www.geocities.jp/atutakai/tosyositu_/koukibon_/koukibon_m16_.html
「こふきの研究」p108〜140
人間拵えたのは此のやしきの中央にて、前の部にある通り、いざなぎの命へしやちほこを男の一の道具に仕込み、それに国常立之命を入り込み、どじよふ人間の魂として、いさなみの命へかめを女の一の道具に仕込み入れた。おもたるの命を入り込み給うて、人間の苗代として九億九万九千九百九拾九人の人数を南無々々と二人宛三日三夜に宿し込み、三年三月留まりて居りて、それより今の奈良、初瀬七里四方の間七日かゝり産み下ろし、此のぢばが神かたと云うのは此の処なり。残る大和の国中四日かかりて産み下ろし、これで十(一《補・梶本本22》)日がおびやあけと云う。山城、伊賀、河内、三ケ国十九日かゝりて産み下ろし、これ三十日をはんみやと云う。残る今の日本中四十五日かゝりて産み下ろし、都合七十五日の間かゝりて産み下ろし、これ故に七十五日の間はおびや中と云うなり。即ち、産み下ろし毎に親の息をかけて産み下ろしおく。このぢばは今の宮地の地場となりてある処なり。これにていさなぎ様は死亡する。
此の人間生まれ出しては、五分より生まれて九十九年目に三寸迄成長して、皆死亡す。又、元の人数を同じ胎内へ宿り込み、十月目より、又、諸処へ産み下ろし廻り、この地場は今の墓所なりてある処なり。此の人間も五分から生まれて、九十九年目には三寸五分迄成長して、皆死亡す。一度教えたる守(護で、元の人数同じ胎《補・梶本本22》)内へ三度宿り込み、又、十月目より、以前の諸処へ産み下ろし、此の地場は今のはらてらの詣り所なり。これを一みや、二墓、三原(註:三はら)と云う参り所なり。
此の人間も五分から生まれて、九十九年目に四寸迄成長す。いさなみ様はこれを見て、こゝ迄成長するならば、五尺の人間になると喜こんで、にいこり笑うて死亡なされ、また四寸の理と、につこり笑うた理を以て、生まれ出るところも二寸に四寸、死に行く穴も二尺四寸と云うなり。
失礼いたしました。
- [740]基本。 06/11/08 11:13 Yikz1.paDd
- >>739
> 「ぢば」を人間宿し込みの地点と定義すれば、「一宮、二墓、三寺」という話を何かの本で読んだ事があります。
この事ですが、 はじめさん、戦前のおふでさき刊行時に、教えはどう説かれていたかと申しますと、次の様な例が在ります。
『一宮、二墓、三原、と言って、一番最初に産み下ろしてもらった処は、宮になっている。その次のところは墓所であって、三度目の処は辻に立っているような小さな参り場所だと言う事もお聞かせ頂いているのです。』(上田嘉成・おふでさき講義)
おふでさき注釈では、二号47のおうたの注釈として、
「にほんのもの」とは、最初に産みおろされた者。→天理教の信仰者
「とふじん」とは、次に産みおろされた者。→次に入信する人たち。
との説明が在ります。
又、それは、前提の説明として、注釈には、
「にほん」とは、「親神様が人間をお創めになったぢばのあるところ」→「親里のあるところ」
「から」しは、「創造期に人間が渡って行ったところ」→「教えの次に普及さるべきところを言う。」
と、説明があります。
そこで、一般知識として、「宮」と「墓所」を考察しましょう。
宮も墓も、ルーツは「偉人の埋葬場所」です。
日本の神宮も、「偉人の埋葬場所」に建てられています。
そこに、「宝塔をたてたり、石塔を立てる」お墓は、「仏教のもの」です。
いずれにしても、「宮」「墓所」「原寺」と、並べると、国なり地域社会なりに多大な功績を与えた人物を、その地の広陵などに埋葬し、それを「拝する」と言うものであると分かります。
西洋でも、その事情は一緒です。
おふでさきの六号では、五二に、
『いざなぎといざなみいとが一の神 これてしよこの大じん九九なり』
と、あります。
実は、この前にあるお歌と連なりで合わせますと、51,52です。
『にんけんをはぢめよふとてたんたんと よせてつこうたこれに神名を』
『『いざなぎといざなみいとが一の神 これてしよこの大じんくくなり』
「これてしよこ」とは「これで証拠の」となりますから、
続けてをきちんと解釈しますと、
人間をはじめようと、成人の段階に応じて、寄せて神の道具に使った。これで証拠としての伊勢神宮である。
このようにしか、読めません。
つまり、「宮」ですね。
すると「墓所」とは、平易な言葉で言えば「仏教文化圏」の「寺院」
「原寺」は、・・・やはり、日本で言えば「伊勢神宮」に相当する、偉人を埋葬し、拝する施設、と解釈するしかない。
これは、時間的123と、空間的123、そして、現実の人間社会をつくる間の、裏守護の事を思案しますと、基本的な見方であろうと思います。
- [741]基本。 06/11/08 11:20 Yikz1.paDd
- >>740
天理教賛美の思案ばかりで見てしまうと、我々は親神様の教えを先に聞いた、「にほんのもの」と、それだけで「自己讃美に陥ります。
人間を拵えようと、寄せて使った神様は、また、裏守護の時代においても、人間社会のために、功績を残し、世界中で、お祭りされている。
そこで、歴史の中で、功績あった人が、神・仏としてまつられている場所の事を、「宮」「墓」「原」と、三つに分けられた。
「原」とは、「はらいそ」であろうと、基本は考察します。
- [742]基本。 06/11/08 14:16 Yikz1.paDd
- >>741
> 「原」とは、「はらいそ」であろうと、基本は考察します。
これは、諸兄の異論のあるところかも知れません。
前にご紹介しました、石崎正雄著「こうきと裏守護」では、教団内の定説を踏まえまして、「原」とは、地蔵や、金毘羅と言う解説をしています。
念の為に、ご紹介しましたが、「宮」「墓」「原」が、裏守護の神・仏を意味していることは、おふでさきを素直に読んだら分かる事です。
> 『にんけんをはぢめよふとてたんたんと よせてつこうたこれに神名を』
> 『いざなぎといざなみいとが一の神 これてしよこの大じんくくなり』
今までの教理では、「十全の神名」の事としてのみ受け止めていましたが、それでは狭い。
「宮」も「墓」も「原」も、各々が「ぢば」であると言う事は、>>739ではじめさんからのご紹介の、こふき話にて、明らかであります。
> この地場は今の墓所なりてある処なり
> 此の地場は今のはらてらの詣り所なり。
と、はっきり書かれています。
つまり、「元の地場」があり、「宮の地場」があり、「墓所の地場」があり「はらてらの地場]があると言う事は、厳然とした「こふき」の示す基本です。
さて、宮とは、人間の子宮をかたどって造られているもので、子供が誕生すると、子の宮参りをします。
誕生の里は、神のもと「子の宮」であり、里に参りに行くわけです。
又、墓とは、人間の死に行くところであり、人は死ぬと墓に行く。
「宮」の信仰とは、「生きる」と言う信仰。
「墓の」の信仰とは、「死に」「転生する」と言う信仰。
こうならべますと、
「はらてら」の信仰は、「はらいそ」に行くと言う信仰である方が、123として、大変に分かりやすい。
「はらてら」の解釈は、本当は、「はらでら」→「はらいそを信じるお寺」と、解すれば、基本的には、理解がされやすいわけです。
大切なことは、地場は、「人間創造の元の地場]以外にもあり、そこに参ると言う事も、大切な尊。
>>739
> そこから教会も、参り場所なので「ぢば」にあたる?!というような解釈になるのでしょうか?
教会は、地域社会で、この人は神さまだと言われるような功績をあげて、皆が、宮をつくることにならない限り、「ぢぱ」の万分の一であり、きちんとした「地場」には、なれないでしょう。
閉鎖的なサティアンでは、全然駄目。
「国々所々の手本・ひな型」になる事が出来たら、「国々の地場」となるはずのものですが、なにせ、自分たちのたすかることしか、考えていない、情けないサティアン信心ですから、後、五年して、掃除されたら、本物もでるかもしれませんね。
- [743]基本。 06/11/08 14:41 Yikz1.paDd
- >>727
リラックマ さん。
「理」には、「かえし」と言う働きがあります。
それは、人間の言う「しかえし」ではなく、「かえし」です。
高圧の電流を扱うのに、防御もせずに素手で触れるなら、「理のかえし」として、当然の結果を見るのと一緒です。
中山秀司さんは、「嘘を言うたらそのものが嘘になる」と、「理のかえし」を受けました。
神楽勤めでもないものを、「金科玉条のように」賛美して、営業すると言う事は、それを見せだまにして、人集め・お金集めする事は、全くの「嘘」なのです。
「うそはうそとしての返しがある」
気の毒にと、哀れむように、どうぞ早く、心のサティアンから抜けられますようにと、その気の毒を思いやってください。
道の大工なら、
「伊蔵様は、いつも差し金をもっておられた」
道の石工なら、
「石工の七兵衛は、引き受けた仕事はやめませんと、獄死した」
きちんと、天の定規をもって、方便で理をまげないで、小さいところから、貧しいところから、道をとおる。
いつも、人をたすける心で、通る。
それを怠り、自画自賛のおたすけ話で、ごまかし続けていたら、「理のかえし」はある。
それを「哀れみをもって」、見つめてあげて欲しいと言う事です。
基本さん、こんばんわ。
なんだかスゴい展開になって、面食らっています。
整理すると「かぐらつとめ」は、今現在のものは石の甘露台ではないので、学びという事になるんですよね?国々所々の教会でつとめている「おつとめ」だけでなく、本部の「かぐらつとめ」も学びであると…。
しかし、「哀れなものを見るように」と仰っているのが、気になりますが…。
- [744]基本。 06/11/08 14:49 Yikz1.paDd
- > 「かぐらつとめ」は、今現在のものは石の甘露台ではないので、学びという事になるんですよね?
いいえ、心が澄み切っていないから、「かぐらつとめ」にはならないと言う事です。
石であろうと、木であろうと、一列の「心が澄んでしまう」瞬間には、「神楽勤めなのです。
> 国々所々の教会でつとめている「おつとめ」だけでなく、
> 本部の「かぐらつとめ」も学びであると…。
心次第です。
教会で、つとめなければならないのは、「かぐら」ではない。
これが、大切です。
教会のおつとめは、それが「命の切り替え」になる、てをどりである限り、真のおつとめ。
それが、けじめです。
本部のかぐらは、「将来に向けて、変わることの無い」つとめです。
しかし、現在は、それは心の姿として、拝み・祈祷です。
でも、拝み祈祷なら、十二下りてをどりの方が効く。
それが、天理の基本です。
- [745]天地真理 06/11/08 15:15 E-lZVaz
- はじめまして、てんちしんりと申します。いつも素晴らしい意見の交換を見させて頂いて、勉強になり感激している感激一人ですが、基本中の基本をお訪ねいたします。人間を創ろうと考えた元の神様、実の神様は、月日両神すなわち、二神で宜しいですよね。それが真実の神、父なる神、母なる神、すなわち親神様ですよね。成人途中の未熟者の意見ですが、世界平和を心から望む地球の日本国にすむ一日本人、子供達の明るい将来を考える一父親の意見ですが何とぞ宜しくお願い致しますm(__)m
- [746]まっぷ 06/11/08 15:20 cDg62TBuSo
- >>744 基本。さんへ
私は、以前から、上級の上の教会への参拝の意味が分からず
暫く、参拝に行ってないのですが、「12下り」を真剣に
勤めさせていただくという意味で、行かせて頂くことにします。
- [747]基本。 06/11/08 16:29 Yikz1.paDd
- >>745
天地真理さん、はじめまして。基本と申します。
ご質問に、私なりにお答えします。
> 基本中の基本をお訪ねいたします。
> 人間を創ろうと考えた元の神様、実の神様は、月日両神すなわち、二神で宜しいですよね。
> それが真実の神、父なる神、母なる神、すなわち親神様ですよね。
ひとつづつ確認しながら、論を進めます。
@、「人間を創ろうと考えた」のは、「月様」です。
ここまで、宜しいでしょうか。
ですから、この時点では、「月様」が親神様です。
それでは、「月様」とは、なんでしょうか。
「どこどこまでも、突き通す理」の、「理」の事です。
この、「突き通す理」には、「転じ変わる」という「天」と言う性質が在りました。
つまり、「月」さまは、「理」ですから、例えば水の三態とありますが、「液体・固体・気体」、全て水です。
「理」である月様は、
「頭一つ尾一つ」の姿として、例えるなら個体的な、形あるものとしては、そのように実体化し、それを文字の記号にあてはめるのならば「りょう」(龍)という「理ょう」という理の化身になって、いて、人間をはじめようと、思いついたわけです。
その泥海状態の世界には、「夜も昼もなかった」のであり、我々の観念の上での「天地」もなかったと、言う事です。
A「人間をはじめよう」と言う相談の相手は、「理ょう」そのものの、もう一つの本質である、「日さま」です。
月日というのは、「二つ一つ」の存在で、「相談した」というのは、その「月さま」と「日さま」という、親神様の内面の問題、自問自答と言う事を、わかり安く説明しただけの事です。
宜しいでしょう。
「月様も」「日様も」、宇宙の「理」そのものと言う事で、「不可分な存在」で、二つ一つが天の理です。
それでは、日様とはなんでしょうか。月様と対比して書きますと、
月 つく 日 ひく
これが、名の示す、根本的な[理」の本質です。
月 転じる 日 じっとしている
日様は、日に日に重くなる理で、密度が増すと温度が上がる。
月様は、広がっていくと、気迫になると温度が下がる。
日様として、実体化する時には「だいじゃ」と言う、頭が12の尾が三つの姿として、現れて、
それが、「時間」がうまれた。
つまり、「月様」と「日様」が相談して、と言う事は、その各々の理が、生命の創造のために、元の一つから、二つ一つに、実体化したということです。
それは、「天地も」「時間」も無い、世界に、
「天」←月様。「地」←日様。
と、天地が始まったと言う事、時間が開始されたといウ事です。
B、そこで、相談した結果、相談のしまりがついた時には、「月日は天地と言う空間として一つ」「月日は時間として一つ」の、この世を構築したと言う事です。
@ABの段階では、厳密には「親神様」と呼ぶわけにはいきません。
なせなら、「神として拝する存在がいないからです」
ここまで、宜しいでしょうか。
C以降は、ここまでの事、お分かりいただけたら、続けます。
- [748]基本。 06/11/08 17:21 OPm/HjNcSX
- >>747
@ABまでの段階は、
はじめさんご紹介の、
http://www.geocities.jp/atutakai/tosyositu_/koukibon_/koukibon_m16_.html
から、16年本(桝井本・5)を基礎として説明しました。
内容
「こふきの研究」p108〜140
「神の古記
[1]
此の世は、元人間も世界も無く、泥の海ばかり。
その中に、神と云うは、月日両人(居たばかり。此月様と云わ《補・梶本本22》)くにとこたちのみことと云う神なり。日様はわおもたりのみことと云う神なり。
その中より、月様が先に居てた。
国床を見定めて、日様へお談じなされ候には、
「泥の海に、月日両人居たばかりでは、神と云うて敬う者なし、何の楽しみもなく、人間を拵え、その上世界を拵えて、守護をさせば、人間は重宝なる者で、陽気遊山を見て、その他何事も見られること」
と相談定まり 」
@、そのなかより月様が先にいてた。→「月様の理」→「理よう」
国床を見定める → 空間の開始。→「転じ変わる」
「突き通すと転じ変わる」は、相反する性質です。
自転と公転が時間を生んでいるということ。時間の密度を決めているということで、「日さま」は「月さま」と二つひとつ、逆に見れば、日さまの理が、12の頭で「転じ変わり」決めているともいえるように、全くのひとつの「理の表裏」という意味の、二つ一つです。
A、「月様がさきにいた」→「国床を見定めた」
これは空間が定まって、時間が開始した事を意味しています。
国床においての日さまの理は「引き寄せる」事。
質量のない、どこどこまでも突き通す月様だけの世界が、「国床」を
見定めて、理を転じて「天となり」、日様がそれを「日に日に重くして行き」、引力にて重力となり、空間に質量ができて言ったという意味です。
- [749]天地真理 06/11/08 17:23 E-lZVaz
- 基本さん、はじめまして大変詳しく、また、解りやすく説明して頂きまして感謝します。携帯からの投稿ですので、何とぞご了承下さいませ。@ABとも良く解ります 天地は、はじめさんの投稿のイザナギサマと月様とツキヨミサマが一つになって天となり、地はイザナミサマに日様が入り込みクニサヅチサマと一つになって地となり、地と天とを象り、夫婦を拵えきた、これがこの世の始めだし との かぐらつとめのダシの地唄だと理解しております かぐらつとめの北と南の獅子面と尾がそれを現してあると理解しております。
- [750]天地真理 06/11/08 18:14 E-lZVaz
- 続きです。すなわち、かんろだいの据えてある場所が天の証拠の大神宮、おかげまいりで伊勢に参った日本人の先祖の親神さまは、二千年前は、大和の布留(ふる)の里に在ったと理解しております 日本人は月と太陽の二本の信仰であり、イザナギミコト、イザナミミコトの天しょうこの大神宮で国を纏めていた。おやさまの前世と悟って歴史研究に励む、世界平和を心から望むいち日本人の意見ですので何とぞご了承下さいませ。
m(__)m
天理王命は旬刻限の到来で月日両神との約束により、十柱の神様と中山みきの心と魂と身体をもって一つになった姿であると悟っております。人間に神名を附けられない時代背景により、じばかんろだいの場所に名付けたものと悟りております
- [751]リラックマ 06/11/08 19:11 D-snzhw
- >>730はじめさん、こんばんわ。神殿の図面を見ました。
これは、だいぶ前にはじめさんに「二つ目標」について教えて頂いた時に見ていました。
また>>739の資料は、いいですね。大変参考になりました。地元を離れている時にも見れるので、便利です(^_^)v。また内容については、基本さんが詳しく解説されているようですね。
ありがとうございました。
>>734傍陽気さん、こんばんわ。山名と河原町の神楽勤は「ニセ神楽」だそうですが、あれは神様からお許しを頂いたように聞いていたのですが、違うのでしょうか?
八島さんは、確かその事を金科玉条として掲げていたように記憶していますが、何か根拠となる資料があるのでしょうか?
神楽勤に関しては、明治十六年に、神楽面を付けて雨乞いつとめを行なっていますよね。あれは、甘露台を囲まずに行なっていますが、あれも、よく考えたら不思議ですね。「かぐらつとめ」は甘露台を囲んでつとめるものだ、と先入観で思っているので、一体どのようなスタイル・形式で行なったのか非常に気になります。
- [752]リラックマ 06/11/08 20:23 D-snzhw
- 基本さん、こんばんわ。
>>742教会とぢばについては、>>721で基本さんが、
〜各教会でも地場の理として、本来は存在してあるはずですが…
と投稿されていた事に対しての疑問でした。「国々所々の手本ひながた」という事が、教会に地場の理が与えられる条件という理解でいいのでしょうか?
まあ、私はあまり応法の道である教会という施設に対して、意義を感じていないのですが…。私はやはり「講」だと思うのですが、基本さんは、理想の組織とは何だと考えられているのでしょう?
神楽と十二下りについては、私はこう理解しました。「かぐらつとめ」とは、雨や甘露水など、神様に何か願い事をする時につとめるもの。(但し、甘露水は陽気づくめ社会になった時というのが条件)
「十二下り」は、心根の切り換え(即ち命の切り換え)のためにつとめるもの。
>>743「理のかえし」については納得です。
基本さんが、くりかえし何度も
〜その十三段の甘露台の石工は獄死しています
と言われていたのは、これを言いたかったんですね?
- [753]まっぷ 06/11/08 22:34 cDg62TBuSo
- リラックマさんへ
櫟本分署の場所とか、色々教えて頂いて有難うございます。
基本。さんにも、アドバイスをいただきました。
私なりに考えたのですが、そこへ行き、おやさまのご苦労のことを
想像すると、悲しくて、辛くなるばかりでは・・?と思ったので、
今回はやめる事にしました。消極的でしょうか?
- [754]天地真理 06/11/08 22:41 E-lZVaz
- こんばんは。月日両神と雛形と道具衆が人間として現れて功績を残した後が1838年以前に沢山あります。それが知恵、文字の仕込み順の教えの歴史であると悟っております。すなわち宗教の枠を越えた、真実の神、父なる神母なる神のおや神様と子である人間との十億年の歴史であると悟りて研究を続けますが、1838以後は、おやさまの身体を通して表に現れて元の理を説いて成就し元の地場にお鎮まり下されたと悟りております。何とぞ未熟者の意見ですのでご了承下さいませ。m(__)m
- [755]天地真理 06/11/08 23:11 E-lZVaz
- その親である神様と子である人間との接点が昔からの神楽であります。日本の芸能の始まりはこの神楽であります。陽気遊山が見たいと人間を創造した月日両神のお心は、口と言葉と行いの誠の人間それが御神楽歌の理と悟りております。信仰者のお心を乱すつもりはありません。ただ日本人の魂の叫びです。私は十二下りのお勤め三日三夜の九座で子供の病を鮮やかにご守護頂いたようぼくでもありますが、世界平和を心から望む日本の文化を愛するいち日本人であります。m(__)m
- [756]リラックマ 06/11/08 23:24 D-snzhw
- >>753まっぷさん、こんばんわ。
全然消極的だなんて思いませんよ。心に正直に通られるのが、神様お喜びだと思います。やはり、無理は理が無い!ですね(^_^)v。
- [757]天地真理 06/11/08 23:47 E-lZVaz
- 神、月日、おや、とは、神、月と太陽、父母なるおやであると悟りております。学者が説く森羅万象は陰と陽です。すなわち闇と光り、水と火。月神と日神、月輪と日輪、みなおや神様の守護です。大自然に人体の恵みもおや神様の守護であり天の理、あと我がの理の自由な心を誠の心にすれば、この世は総て天の理となります。ゆえに心定めが第一との事であると悟りております。各々の旬刻限の到来に各々の館の地場定め、各々が雛形を辿る道、世界と言う大海へ出て誠の匂いをかける事と悟りての道中であります。何とぞご了承下さいませ。m(__)m
- [758]基本。 06/11/09 00:13 OPm/HjNcSX
- >>757
天地真理さんの、悟られている世界は、まさに、「天地の真理」の世界のことですが、それは、親神様の概形的な「天地の世界」の事であり、根本的な「世界ろくぢ」の道には、まるでご理解が及んでいないと思います。
月日親神とは、中山みき様そのものであり、それは「人間」そのものの「親神」です。
天地真理さんは、「天地の真理」として、このように語られておられます。
> あと我がの理の自由な心を誠の心にすれば、この世は総て天の理となります
これは、教えの一部であり、それも、概念としての形の上の、形式的な部分での教えであり、
> あと我がの理の自由な心を誠の心にすれば、この世は総て天の理となります
とは、なりません。
そんな事は、お釈迦様でもイエス様でも、お上人様でも、儒家さまでも言われていません。
教祖は「理を添えるなら」と言う事を条件として、示されていると理解しましょう。
つまり、人のために現実的に「貧乏する」とか、「イバラの冠」をかぶせられて、「十字架で磔」にされるとか、「難行苦行」するとか、「徳を積む」とかしなければ、「理が添えられていない」のですから、心が誠になったとしても、この世は変わらない。
それを、天理教では「あしきを払うて」と、口で身で心で行う教えです。
だるま大師が座禅を組むのも、修験者が滝に打たれるのも、「理」を添えていることに他なりません。
つまり、
「誠の心で神楽をつとめて」も、理が添えられていないと、無理と言う結果を見ます。
- [759]天地真理 06/11/09 00:13 E-lZVaz
- 簡単に書き綴りましたが、江戸時代の中山みきの生きざまも惚れ惚れしますが、弘法大師や聖徳太子、えんの行者、各宗派の開祖や、古代ミコトの名を持つにほんの先祖と言うか先輩と言うか、素晴らしい生きざまの方々にもっと目を向け、これからのにほんの平和、世界の平和に向けて、日本人の魂に自信をもって生きて行きます
誠にありがとうございましたm(__)m
- [760]とみ新蔵 06/11/09 00:15 62g4e7gvJ8
- 基本氏へ。
>???です。とみ新蔵さんは、おぢばを「宿し込みの場所」ではなく、「産み下ろしの場所」と思っておられるのでしょうか?
産み下ろしの場所はいくつもあると言われていますが・・・・<
「宿し込みの場所」や「産み下ろしの場所」でもなく、またそんな「地点」のことなどはどうでもいいことで、そのことを「初めて教えるよ」というのが、皇居周辺を、当時の人々が「上方」と言いい、またそう思っていたのを、この寒村の庄屋敷こそが「地場あの〜〜♪上方となんだよ」という、烈々たる気迫での、教えた場所が尊いのです。
そのことだけが値打ちなのです。
後の話は、我が身思案ばなしでしかありません。
>人間拵えたのは此のやしきの中央にて、前の部にある通り、いざなぎの命へしやちほこを男の一の道具に仕込み、それに国常立之命を入り込み、どじよふ人間の魂として、いさなみの命へかめを女の一の道具に仕込み入れた。おもたるの命を入り込み給うて、人間の苗代として九億九万九千九百九拾九人の人数を南無々々と二人宛三日三夜に宿し込み、三年三月留まりて居りて、それより今の奈良、初瀬七里四方の間七日かゝり産み下ろし、此のぢばが神かたと云うのは此の処なり。残る大和の国中四日かかりて産み下ろし、これで十(一《補・梶本本22》)
日がおびやあけと云う。山城、伊賀、河内、三ケ国十九日かゝりて産み下ろし、これ三十日をはんみやと云う。残る今の日本中四十五日かゝりて産み下ろし、都合七十五日の間かゝりて産み下ろし、これ故に七十五日の間はおびや中と云うなり。即ち、産み下ろし毎に親の息をかけて産み下ろしおく。このぢばは今の宮地の地場となりてある処なり。これにていさなぎ様は死亡する。
此の人間生まれ出しては、五分より生まれて九十九年目に三寸迄成長して、皆死亡す。又、元の人数を同じ胎内へ宿り込み、十月目より、又、諸処へ産み下ろし廻り、この地場は今の墓所なりてある処なり。此の人間も五分から生まれて、九十九年目には三寸五分迄成長して、皆死亡す。一度教えたる守(護で、元の人数同じ胎《補・梶本本22》)内へ三度宿り込み、又、十月目より、以前の諸処へ産み下ろし、此の地場は今のはらてらの詣り所なり。これを一みや、二墓、三原(註:三はら)と云う参り所なり。
此の人間も五分から生まれて、九十九年目に四寸迄成長す。いさなみ様はこれを見て、こゝ迄成長するならば、五尺の人間になると喜こんで、にいこり笑うて死亡なされ、また四寸の理と、につこり笑うた理を以て、生まれ出るところも二寸に四寸、死に行く穴も二尺四寸と云うなり。<
こんな「こうき」は、おやさまが、良いとは、されなかった、我が身思案派の、こうきの延長ですから、ヤヤコシクなるのです。
- [761]とみ新蔵 06/11/09 00:22 62g4e7gvJ8
- おやさまが良しとされなかった「こうき」の延長上での、アレコレの作られた話が多いのです。
ましてや、 梶本真の助さん本ですよ!(^^)
なんじゃ、これって感じの、我が身思案、取り込み、勝手創作ですから、議論の余地もありません。
この人が書いた「教祖御伝」も、「資料」などとは考えないことです。
>(上田嘉成・おふでさき講義)<
上田嘉成氏は真面目な人物でしたが、応法体制内での限界というものが、ありますがナ。
ま、何んらかの参考にはなりましょうが、、、
所詮は体制内で書かれたもので、あらゆるところに、
ツジツマが合いません。
第一、背景の教祖伝にまるで、合いません。
だからこそ、事実の教祖伝が必要なのです。
この本は、
今や、語る価値も、なきもの。
もうゴミ箱行きですな(^^)
>今現在のものは石の甘露台ではないので<
現在だって石でもいいのですよ。なんの問題もありません。
アレコレの、神秘権威づいた、ゴチャゴチャ話は、後世の勝手悟り話に過ぎません。
おふでさきの、甘露は降ってくるというのも「精神的な喩えばなし」
を言われているのです。
喩えと事実を混同しますと、ただの神秘ばなしになってしまいますがな(^^)
ど〜〜も、天理教の方々は、そんなのが好きな方々が多くて、、、、。
>月日両神すなわち、二神で宜しいですよね<
と、考えるから、ヤヤコシクなってしまうのです。
ま、お伽話調にした人もいましたが、、、。
「月様」「日様」も同様で、意味はトンチンカンになってしまうのです。
- [762]とみ新蔵 06/11/09 00:23 62g4e7gvJ8
江戸時代の人に、「天然自然の理」というものを、説明してみてください。
夜は月のように、昼はお日様のように、すべての恵みを、タダで与えてくれるもの、
との表現しかないのでは?
そしてその心は?となると、
創造したから、にんげん、かわいいイッパイの
「親」のようなものですよ。
そして生物発生(始まりだし)の、仕組みは?
「甘露台の理」で示しているよ。
暮らし方は?
私(みき師)を見てごらん。これが本当の暮らし方ですよ。
これが真言宗では有名な、転輪聖王(天地垂迹説では、世界をたすけたいという本願を持っている、阿弥陀様)
という名の神のような、生き方ですよ。
また、神の姿や、働きを、具現化したのが「甘露台づとめの理」です。わかるでしょう?
この甘露台づとめの理で、心のホコリも観えてきて、「ほうき」の役割にもなるし、
「水」のように、心の汚れも、洗えるでしょう?
テナ意味です。
もともと、解かりやすかったものを、解かりにくくしたのが、応法の理です。
応法の理というと聞こえがいいのですが、そこには、教祖の理はなく、
あるのは「歪曲の理」「誤法の理」ですね。
確かに、そこから抜けるのは、どなた方も大変なことには違いありませんが、、、。
何を信じようとも、、、日本は「信教の自由です」
だから、ナニか、、、すまないような気持ちもして来たので、、私は、ここら辺りで、スレから、遠慮したほうがいいようですね、、、。
- [763]基本。 06/11/09 00:30 OPm/HjNcSX
- >>755
天地真理さんは、こう言われています。
> 私は十二下りのお勤め三日三夜の九座で子供の病を鮮やかにご守護頂いたようぼくでもあります
それならば、「天地の真理」などという、「幽冥世界」に神を求めず語らず、「十二くだり」と言う理の世界にひとすじ邁進すべきです。
おたすけにんとしての実績ある人は、みんな、「天地の真理というような幽冥世界はかたらないで」、「十二下り世界」でおたすけをしています。
たすけられたお礼は、おたすけで、と、教祖の逸話にも知らされてあります。
「あんたがたすけられたように、人をたすけたら」、一筋心です。
「幽冥世界の神」とは、元の神。「十二下り世界の神とは、実の神。」
どこまでも、突き通そうとするばかりで、理の探求をしてみいも、きりがない。。
転じ変えて、自らを空間とする、おたすけのせかいを、どこでするのか。
「国床」を見定めて、ここに、神様の理を添っていただくと、限定して、それから初めて、あなたの、「時間がはじまる」のです。
今のあなたの、「天地の真理の探究」は、おたすけ人としての時間を開始していない、「幽冥の」探求であるから、もう、きちんと、「実の神」信仰に入れば、地が定まるということだと思います。
- [764]基本。 06/11/09 00:38 OPm/HjNcSX
- 肝心なことは、「かぐらつとめ」と「高山の干渉」とは、きちんと、ひとつにとらえなければならないと言うことです。
平たく言えば、「ろくぢ」にするという相手の、高山、この問題を抜きにして、「神楽つとめ」は語れない。
高山の取り払いという、掃除の問題が、つとめの問題と言うことです。
- [765]傍陽気 06/11/09 00:55 3mlfESzp8Z
- リラックマさんこんばんわ。
明治24年4月24日山名大教会は神楽面を開延式に使いたいと、教祖に伺っています。教祖は、面は地場限りと許しませんでした。山名は神様に伺う前に既に神楽面を製作していて用意していたそうです。
- [766]基本。 06/11/09 00:57 OPm/HjNcSX
- >>760>>761>>762
とみさんへ。
おふでさきにあること、それを基本としています。
「こふき」は教祖がこれで良いと言われなかったのは、「二代真柱」の証言で、事実と認められています。
しかし、「こふき」を作るように言われたのは教祖です。
おふでさきにも、こふきを待つという表現があり、こふきが出来たならとあります。
つまり、不完全な書き物ではあるか、こふきを作れと命じた教祖の話を、「筆録」「記憶録」「要点書き」したものが、「こふき本」と呼ばれる書物です。
その意味では、「教理」を伝えるものとしての、基本的な資料です。
日本で言えば、古事記は伝承記録です。
暗記・暗唱されていたものを、文字に書いたというものです。
知恵の仕込みと文字の仕込みと、そのつなぎにあるのが、「伝承の記録」。
世界の宗教、民話の中には、そうした物は数々あるでしょう。
基本は、宇宙=中山みき。と見る、「天理教中山みき派」です。
とみさんは、「真理を説いた」と中山みき様を見ていて、感じていて、基本は、「真理そのもの」と中山みき様を見ていて、感じています。
それは、些細な相違でもあり、大きな相違でもあります。
でも、まるで一致しているのかもしれません。
教祖の子である、人間どうしとして。
- [767]天地真理 06/11/09 01:16 E-lZVaz
- 基本さんこんばんは。ご意見有難う御座います。天地真理はただのニックネームです。お願い勤めは月日両神へお願いしそれから天理王命様にお願いします。ただ同じおや神様でありますが、大龍と大蛇を現すと天理教の人は可笑しく思うでしょうが、実は毎月神楽面の獅子面と尾に現れているにも関わらず、説明をしていない高山の責任でしょうか。おやさまに忠実に神仏こんこうの罪で警察にご苦労された方々の事を思うとこうきその物を出すのが当然と思います。
- [768]天地真理 06/11/09 01:31 E-lZVaz
- しかし、こうきは宗教の枠を越えてしまうので、一宗教団体の教義には出来ないので教典に纏めたと思います。しかし真理はこうきにあります。人間を造り導いてこられたおや神様ですから当然と思います。今は大国主命と大和神社、石上神宮、を調べています それでは有難う御座いました おやすみなさい m(__)m
- [769]天地真理 06/11/09 02:10 E-lZVaz
- ちょっと寝られ無いので書きます。イエスは創造主の父なる神に伺っていますので、理は合います。アッラーもエホバも同じ理と思います。釈迦は宇宙の最高神の生まれ変わりとブッティストに聞いても了解を得ました。ヒンズーの神もひの神を主に総てが神様とこれも理は合います。にほんの七福神もヒンズーと中国、にほんの大国主とエビスさんとこれも神仏こんこう面白いですね 世界中繋がってきます牛頭天王も釈迦と日本の親神、龍神、水の神とも世界は繋がってきます。 m(__)m
- [770]天地真理 06/11/09 02:29 E-lZVaz
- しかし、各宗教の方はその道を通るのが道であり頂上は同じであると逸話にもあります。苦しい時も空の心で敵をも愛せる心でどんな事も喜びに替える心で、人の為に世界の為に、自分の出来る範囲の事を勇んですればいい 各宗教の方々が集まり談じて日本人の共通の道徳を造り家庭や学校で会社で世界に誇れる日本人の精神を造り、まず日本人が日本の歴史文化を大切に纏まり、弱者に優しく情けと思いやりの温かい日本の魂を再び造り、戦争をしない平和と健康主義の国家にそれがこれからのようぼくの勤めとも考えてます
m(__)m
- [771]基本。 06/11/09 05:42 OPm/HjNcSX
- >>767-770
天地真理さん、お考えの趣旨は普通に、宗教と言う立場の信者として筋を通されていると思います。
教祖は「確かに、たすけの道の千筋や」と言われています。
しかし、神一条とは、「一筋の道」と教えられているところです。
微妙な所で、ズレておられると思うところが在ります。
例えば、>>770 で、
> 各宗教の方はその道を通るのが道であり頂上は同じであると逸話にもあります。
>
とありますが、逸話では、>頂上は同じであると 、言われてはいません。
『【えらい遠廻わりをして】逸話篇10
文久三年、桝井キク三十九才の時のことである。夫の伊三郎が、ふとした風邪から喘息になり、それがなかなか治らない。キクは、それまでから、神信心の好きな方であったから、近くはもとより、二里三里の所にある詣り所、願い所で、足を運ばない所は、ほとんどないくらいであった。けれども、どうしても治らない。
その時、隣家の矢追仙助から、「オキクさん、あんたそんなにあっちこっちと信心が好きやったら、あの庄屋敷の神さんに一遍詣って来なさったら、どうやね。」と、すすめられた。目に見えない綱ででも、引き寄せられるような気がして、その足で、おぢばへ駆け付けた。旬が来ていたのである。
キクは、教祖にお目通りさせて頂くと、教祖は、
「待っていた、待っていた。」
と、可愛い我が子がはるばると帰って来たのを迎える、やさしい温かなお言葉を下された。それで、キクは、「今日まで、あっちこっちと、詣り信心をしておりました。」と、申し上げると、教祖は、
「あんた、あっちこっちとえらい遠廻わりをしておいでたんやなあ。おかしいなあ。ここへお出でたら、皆んなおいでになるのに。」
と、仰せられて、やさしくお笑いになった。このお言葉を聞いて、「ほんに成る程、これこそ本当の親や。」と、何とも言えぬ慕わしさが、キクの胸の底まで沁みわたり、強い感激に打たれたのであった。
と。』
このように、
『あんた、あっちこっちとえらい遠廻わりをしておいでたんやなあ。おかしいなあ。ここへお出でたら、皆んなおいでになるのに。』
と、親神様は言われているのです。
天地真理さんが語られているのは、それは精神の旅かもしれませんが、「遠回りをされている」と、
この、逸話の神の教えを参照すれば、明らかに感じ取れます。
せっかく「十二下りの神信心」でたすけて頂かれて、
それから、わざわざ、「神楽つとめの神信心」という、現時点では、「偽神楽」と呼ぶしかないものに、「幽冥の神」を尋ねては、「こうき世界」を散策する。
それは、まるで遠回りという姿そのものです。
教祖は、
『おかしいなあ。ここへお出でたら、皆んなおいでになるのに。』
と、言われた。
その「ここ」とは、おふでさきに知らされた「人間はじめ元のぢば」、ということ、天地真理さんには当然ながら、ご承知のはずです。
その、こことは、親神=元のぢば、そして親神=元のぢば=中山みき。
それが、第一の天理の「根本の教え」
十二下りよりも神楽が尊いというような「うそ」は、天理教校や天理大学の学者さんの作りあげた、うそであり、櫟本分署跡の八島秀雄先生の説いている「うそ」なのです。
人間にとって、「命」が一番に尊いもの。
その、命の切り替えをするのが、「十二下りてをどり」。
これが、一番に尊いのに決まっています。
それを、身をもって知るあなたが、神楽つとめという、「元の理」の、「理」ではなく、
神楽勤めという、踊りの「面や」「振り」に「幽冥の神」を求める姿は、遠回りという姿そのものです。
- [772]基本。 06/11/09 06:04 OPm/HjNcSX
- >>771
> 教祖は、『おかしいなあ。ここへお出でたら、皆んなおいでになるのに。』と、言われた。
天地真理さんに、くどく、申し上げます。
みかぐらうたに、十二下りのうたに、こうあります。
「日ノ本 庄屋敷の つとめの場所は、世の元や」
日ノ本櫟本の、つとめの場所は世の元や、とは、教祖の教えに無い。
つまり、中山家の屋敷が、因縁ある神屋敷で、それが、「ここ」。
「ここ」に来たら、中山家の屋敷に来たら、真っ先、誰が居られるのでしょうか。
をやさまが、居られる。
中山みきさまが、居られる。
中山みき様は、親神様。
親神・中山みきさまの住まわれるお屋敷は「神屋敷」。
> 『おかしいなあ。ここへお出でたら、皆んなおいでになるのに。』と、言われた。
それは、存命の教祖の住まわれるお屋敷のこと。
この世の元は、この「神屋敷」しかないと、それが天理です。
二代真柱様は、教祖のお墓の墓参りはしたことが無い。
「神屋敷には教祖が存命でいる」からです。
それなのに、その存命の教祖をいないかの様に無視して、神屋敷以外に、「神楽」を求めて歩くというのは、「居る教祖」失礼でしょう。
気の毒に、偽神楽に引き寄せられるというのは、「遠回り」であり、存命の教祖を見失った姿です。
- [773]天地真理 06/11/09 07:40 E-lZVaz
- 基本さんお早う御座います。お気持ちは良く理解しているつもりです。みんなおいでになる、みんなの理を説くと十柱の神様の歴史の守護が見えてきます。イザナギイザナミを中心に各が拝み合う形になっております。また、性格の違うもの同士が拝み合う形になっております。まさに世界平和を形、 天地の二柱に、四の道具衆が尾で繋がった形はまさに、DNAの形に見えます。人間の根本の理が、かぐらつとめの理であると思います。おやさまはにほんの教えを説いたと思いました m)(__)m生涯勉強に勤めます
- [774]天地真理 06/11/09 08:44 NoName
- 私ばかり続けざまにごめんなさい 逸話編のp187に法華の信者さんに あんた富士山知ってますか。頂上は一つやけれども、登る道は幾筋もありますで、どの道通ってくるも同じやで。
とのお言葉を悟りて使わせて頂きました。
まだまだ勉強不足ですが心は世界平和を心から望むいち日本人の精神を貫くのが月日両神と天理王命様にご恩返しと思います 大変失礼しました m(__)m
- [775]基本。 06/11/09 09:14 Yikz1.paDd
- >>774
天地真理さんに、もう少し、補足をしなければならないと思います。
> 逸話編のp187に法華の信者さんに あんた富士山知ってますか。
> 頂上は一つやけれども、登る道は幾筋もありますで、どの道通ってくるも同じやで。
> とのお言葉を悟りて使わせて頂きました。
この事についてです。
逸話編では、ご承知の様に、こう記されています。
『【登る道は幾筋も】逸話篇108
今川清次郎は、長年胃を病んでいた。法華を熱心に信仰し、家に僧侶を請じ、自分もまたいつも祈祷していた。が、それによって、人の病気は救かることはあっても、自分の胃病は少しも治らなかった。そんなある日、近所の竹屋のお内儀から、「お宅は法華に凝っているから、話は聞かれないやろうけれども、結構な神様がありますのや。」と、言われたので、「どういうお話か、一度聞かしてもらおう。」ということになり、お願いしたところ、お道の話を聞かして頂き、三日三夜のお願いで、三十年来の胃病をすっきり御守護頂いた。明治十五年頃のことである。
それで、寺はすっきり断って、一条にこの道を信心させて頂こうと、心を定め、名前も聖次郎と改めた。こうして、おぢばへ帰らせて頂き、教祖にお目通りさせて頂いた時、教祖は、
「あんた、富士山を知っていますか。頂上は一つやけれども、登る道は幾筋もありますで。どの道通って来るのも同じやで。」
と、結構なお言葉を頂き、温かい親心に感激した。』
『 次に、教祖は、
「あんた方、大阪から来なはったか。」
と、仰せになり、
「大阪というところは、火事のよくいくところだすなあ。しかし、何んぼ火が燃えて来ても、ここまで来ても、ここで止まるということがありますで。何んで止まるかと言うたら、風が変わりますのや。風が変わるから、火が止まりますのや。」
と、御自分の指で線を引いて、お話し下された。
後に、明治二十三年九月五日(陰暦七月二十一日)新町大火の時、立売堀の真明組講社事務所にも猛火が迫って来たが、井筒講元以下一同が、熱誠こめてお願い勤めをしていたところ、裏の板塀が焼け落ちるのをさかいに、突然風向きが変わり、真明組事務所だけが完全に焼け残った。聖次郎は、この時、教祖からお聞かせ頂いたお言葉を、感銘深く思い出したのであった。』
と、この様に、前半と後半が一つに逸話として記されてあります。
天地真理さん、よく読みなおされて見て下さい。
確かに、前半の部分には「頂上に登る道は千筋」と、そのお言葉と理が記されています。
しかし、後半部はなんでしょうか。
それは、「頂上での道のありさま」です。
登る道の千筋はあっても、頂上は一つです。
その頂上では、教祖が、
『しかし、何んぼ火が燃えて来ても、ここまで来ても、ここで止まるということがありますで。』
と、御自分の指で線を引いて、下さる。
頂上まで登ったから、そこには、教祖がいて、
『しかし、何んぼ火が燃えて来ても、ここまで来ても、ここで止まるということがありますで。』
と、御自分の指で線を引いて、下さる。
それが、元の地場。の、神屋敷の、中山みき様。
人間の親神様です。
その頂上から、わざわざ、下に下ると言う事をしては、哀れであると言う事。
登る道は千筋あれども、「十二下りておどり」に示されましたように、
『なんでもこれから一筋に神にもたれて行きまする』
それが、頂上からの、道と言うもの。
> 心は世界平和を心から望むいち日本人の精神を貫くのが月日両神と天理王命様にご恩返しと思います
>
それは、壱千筋の道の通り方の場合です。応法です。
拝み祈祷です。
教祖の教えられたものは、「たった一筋」。
それは、あなたの場合には、「十二下りの神一条」である身とは、
>>755
> 私は十二下りのお勤め三日三夜の九座で子供の病を鮮やかにご守護頂いたようぼくでもあります
その、たすけられた道を、そのままに、恩かえしの道となすしかない。
深くご思案下さい。
- [776]天地真理 06/11/09 10:20 E-lZVaz
- 基本さん 詳しく丁寧有難う御座います。感謝します。私はおやさまの言葉を見る癖があり、まだまだ勉強です。ただ私は毎日朝太陽に拝み講社におつとめをして教会に日参して仕事に行きます。信仰は天理教ですから、歴史研究はこの世の根を掘り確かな道にしようと思ってます。空気や月や星にも拝みます。会社で神様の話、毎月の祭りは真実の神の大龍と大蛇を現した神楽ですよと一言はなします。八十年祭の画竜点睛は、この理を話された真柱様のお心と悟りております。m(__)m
- [777]天地真理 06/11/09 10:35 *7*7*7*
- 天理王命様は地場かんろだいの場所に名付けられてお鎮まり下されていると信じていますが働きは十全の守護すなわち十柱の神様の守護です。毎月講社祭りは仲良い仲間とお世話くださった方に来ていただき、神様にお金以外の物をお供えさせて頂き賑かに勤めさせて頂いております。その後おさがりを皆で頂ながら日頃の色々な話するのが楽しいです。おやさまの頂上は、みな一人一人が親心になる事と悟りております。m(__)m
- [778]はじめ 06/11/09 14:32 qIPIiR8..3
- >>751
リラックマさん。こんにちは。
>これは、だいぶ前にはじめさんに「二つ目標」について教えて頂いた時に見ていました。
そうだったんですか。私は今回、道友社が出して下さっている書籍が、本当にありがたいものだと思わせて頂きました。
おぢばでは何とか分かって欲しいとお出し下さっていても、我々に求める気持ちが無ければ何とも仕方のない話しだと思わせて頂きました。
>また>>739の資料は、・・・基本さんが詳しく解説されているようですね。
ですね。私には難しい感じですが、ボチボチと学びたいと思います。
又お願い致します。
- [779]基本。 06/11/09 16:18 Yikz1.paDd
- 正解か、不正解かは別にして、「こうき」についてですが、次のような一文があります。
『・・・明治十七年四月十九日。
その頃教祖は誰彼となく、「こうきをつくれ」と言われていたが、人々はそれを泥海古記を作ることの様に心得え、しきりにその作文に余念なかった。』
『父もまた、そのお言葉を頂いて「泥海古記」をつくり、この伺いした時(明治十七年四月十九日)は、春寒い折にもかかわらず、布留の滝にうたれて、ひたすらに祈願をかけた物であった。』
『そうして「泥海古記」をもって行くと、教祖は、「そんなものやない。そんなものやない・・・」とおっしゃった。』
『今にして思うと、教祖は、苦労の道中を通って、末代に輝く「功記話」の理をつくれとおっしゃったのであった。・・・』
(松村吉太郎・道の八十年)
これは、松村吉太郎先生の到達された悟りと言う事です。
天地真理さんは、ここの処の一点を、きちんと、思案されたら如何でしょうか。
教理としての「こふき」、「十全の守護と神の理」を、滝に打たれてまでも精魂込めて書いた父さんは、一年祭の時には、警察をおそれて逃げ帰った人。
松村家の財産を握り締めて、身上になっても、親神さまの教えどうりにしなかった人です。
なぜでしょう。
「理」がないからです。
書き物の「こふき」と、知識としての「十全の守護の理話」には。
絵に描いた餅は、滝に打たれて念じても、絵に描いた餅なのです。
天理王命様は、「十柱の神」である。
と、言うのは、たった一つのものを、「十」に分けて説明しただけの事で、それが一つのものであり、一人の事である。
つまり、教祖・中山みき様が親神様なのです。
そしたら、その人の、「手を」見て「足を」見て、「背中を」見て、勉強しても、その人の行き方そのものに学ばないと、何も学んだことにはならないと言う事に気が付くと思います。
料理として例えてみたら、食材を全部買い揃えても、おいしく料理できるとは言えない。
食材は、料理の材料ではあっても、料理そのものとして食べられるものではない。
簡単なカレーという料理と考えても、肉もたまねぎも香辛料も、ルーも野菜も、揃えてみても、それを調理した事が無い人には、何も出来ないと一緒です。
例えば、目玉焼き一つでも料理した事があれば、それは人と共に食べられる。
先ず、覚えなければならないのは、材料ではなく、調理器具の使い方、火と水の加減。そういう、実践です。
- [780]基本。 06/11/09 16:40 Yikz1.paDd
- >>777 >>779
基本が、天地真理さんの投稿で、いつも気になっていたのは、>>754、の
> おやさまの身体を通して表に現れて元の理を説いて成就し元の地場にお鎮まり下されたと悟りております。
>
という、一文です。
これは、料理として食せる文になっていませんでしょ。
「元の理を説いて成就し」は、言うなら、生煮えの状態。
教祖は、「扉を開かれた」のであり、元の屋敷に「お鎮まり」ではなく、「留まって」、「今からたすけする」と言われたのですから、まるで、違う内容のものとなっていますでしょ。
それが、気にかかりましたので、くどく、長い説明を書いています。
お指図は、ご承知でしょうが、引用します。
「さあさあろっくの地にする。ろっくの地にする。みなみな揃うたか。揃うたか。よおく聞き分け、これまでにゆうた事、実の箱に入れて置いたが、神が扉を開いて出たから、子供可愛いいゆえ、親の命を25年先の命を縮めて、今からたすけするのやで。しっかり見ていよ、今までとこれから先としっかりみていよ」
「扉開いてろっくの地に、扉閉めてろっくの地に。扉開いてろっくの地にしてくれ、とゆうたやないか。思うようにしてやった。さぁこれまで子供にやりたいものもあった。なれどもようやらなんだ。又々これから先、だんだんに理がわたそう。よう聞いておけ」
(お指図、明治20.2.18日)
「さあさあこれまで住んで居る。何処へも行てはせんで、何処へも行てはせんで。日々の道を見て思案してくれねばならん。(中略)姿は見えんだけやで、同んなじ事やで、姿が無いばかりやで」
(お指図、明治23.3.17日)
天地真理さんは、「元の理」の理の話に意識が行ってはいても、原典に、おふでさき・おさしづに、きちんと理をたずねると言う事に、意識が行かれていない。
それは、教祖の生きかたを、理のお話を、まるごとを一つに見つめていない姿であり、何時の日か、警察が踏み込んできたら、逃げ出すことをする信者の道です。
- [781]天地真理 06/11/09 17:43 E-lZVaz
- 基本さんこんにちは。いつも丁寧に書いて下さり頭が下がります。また、神様の話が出来て嬉しい限りです私はいつも月様日様おやさまに心の中で甘えています、何かあると南無天理王命と唱えたりします。やはり自分が親になると自己に厳しさも必要だと思いますがまだまだな男です。16号の歌に泥海中を見澄まし魚と巳を引寄せたのは、クニトコタチにオモタリ様やとあります。これを天理王命様が筆に記しておられます と思います。お指図には天理王は一つの宗旨ともあります (いま資料がないので)m(__)m
- [782]天地真理 06/11/09 18:34 E-lZVaz
- クニトコタチにオモタリ様のその真実を世界中に伝えたいのです。また
おやさまは最初の巳の魂で母親の理になると思います。では最初の魚の魂の人も神として拝をさせると約束をしているのですから、父親の理もハッキリさせたほうが良いと思います。普通の疑問です。
- [783]まっぷ 06/11/09 18:35 cDg62TBuSo
- >>756 リラックマさんへ
こんばんは。
心に正直に通るのは、神様がお喜びになる・・と言う事は
今まで、気が付きませんでした。
少し、心が楽になりました。
T.N.Doctrineさん、
腰の具合は、いかがですか?
- [784]天地真理 06/11/09 21:15 E-lZVaz
- こうきは未完成と言うことですが、ここで話し合っている談じ合いが口記だと思います。それと成就したとは、おや神様の教えは言葉を教え、文字を教え、食物を教え、着類を教え、人道を教え、学問を教え、人間を育て導いて来てくださり、最後に人間の産まれた訳を天理王命様が月日両神の真実を証された、甘露台を立てて世界中の人間を助けあげる計画が出来なかったので法律に合わせて細道に任せたが、ごもくまじりで水が濁りて、この度、火と水を入れて、分けて、放棄をもちて掃除をする刻限が来た、もうあこにある、ここにくるなり
この度はオオカン道をつけかけるなり
今お筆先がないので、頭にあるのを書きました
- [785]基本。 06/11/10 07:12 OPm/HjNcSX
- 天地真理さんへ。
>>781
> やはり自分が親になると自己に厳しさも必要だと思いますがまだまだな男です。
「親に成る」と言うことは間違いで、「親の代理」をつとめるのがよふぼくです。
> 16号の歌に泥海中を見澄まし魚と巳を引寄せたのは、クニトコタチにオモタリ様やとあります。これを天理王命様が筆に記しておられます と思います。
「様」という敬称を付けて呼ばれていて、「天理王命」より立場が上となり、元の神=「クニトコタチにオモタリ様」で、上と言うことです。
そこで、天地真理さんは、神楽つとめの大竜、大蛇の二神が親神様だと説かれていますが、それは、「神として拝する者がいない、「幽冥の時代に出現した神」であり、厳密には、「理」が限定的に「大竜・大蛇」として出現した表現、という事です。天理ではあっても天理教の親神ではありません。
記号としての「大蛇・大竜」ということです。
> お指図には天理王は一つの宗旨ともあります と、語り、>>782、では、> クニトコタチにオモタリ様のその真実を世界中に伝えたいのです。
と、言われていますが、これはつまり、その「根源の真理」を世界中に伝えたいという事です。
これは、天理教の異端の方々、天理教の創設期に同時に生まれた新宗教など、様々な啓示の宗教の説いている内容に類似のもので、教理として厳密に言うと、天理教祖の言われていない異説です。
天理教ならば、天理教祖の教えを取り次げば良いのであり、それを逸脱して、「クニトコタチにオモタリ様のその真実」と言う、「幽冥の理」を神として、持ち出せば、それは、「異端」。「真理を幽冥に」の、遠回りです。
天理は、一二三、で構成されていて、時間と空間と精神。現在過去未来。「身・口・心」。
天理教の親神は、過去「元の神」現在「実の神」未来「かぐらの神」と、これがお筆先に知らされた一二三です。
そして、「実の神」は、存命の教祖=中山みき様お一人。その方が、元の神屋敷にて、今も、おたすけ下されているのです。
これが、天理教の基本。
「国床立様・面足様」→「天理教祖・中山みき」→「神楽の神」
これが基本です。
それに対して、天地真理さんは、
「国床立様・面足様」=「神楽の神」→「よふぼくが教えを広める」
このようになってしまっています。八島さん的です。異端です。
>>754、
> おやさまの身体を通して表に現れて元の理を説いて成就し元の地場にお鎮まり下されたと悟りております。
これは、異端さんたちが使われる文章表現です。
「元の理を説いて成就し」←天理教祖の教え、お言葉にはありません。
「元の地場にお鎮まり下された」←天理教の教理に反します。
天理教祖の教えの中から自分の悟りで「組立する」、それを、自分の悟りとして人に伝えるのを「異端」と呼ぶ訳ですが、天地真理さんの異端の立場の自白は、当初から一貫の物です。
>>745、『> はじめまして、てんちしんりと申します。基本中の基本をお訪ねいたします。人間を創ろうと考えた元の神様、実の神様は、月日両神すなわち、二神で宜しいですよね。それが真実の神、父なる神、母なる神、すなわち親神様ですよね。』・・・
これは、天理王命様よりも、元の神を親神を定義づけようという異端の自白です。教祖の原典を重視していないと言うより、ちゃんと読んでいない。
本人は、>>776で、『私はおやさまの言葉を見る癖があり、まだまだ勉強です。』と、言いながら、>>784では、『> 今お筆先がないので、頭にあるのを書きました』と、携帯版のおふでさきすら、手元に常備していない、と自白をされています。
一方、『> 毎月の祭りは真実の神の大龍と大蛇を現した神楽ですよと一言はなします。』
と、言われていて、「八島系・櫟本分署跡系」の天理教のお話は、きちんとしている。なされていると言うことでした。
異端というのは、八島さんだから異端で、山沢さんだから異端で、そういう物ではないし、○○教だから異端だというのでもない。
天理教祖の教えにないことを、天理教祖の教えだとして説くから、異端なのです。
ご自分の悟りや、八島先生からの指導内容を、これは自分の悟りです、これは八島先生から学びましたと説いたら、別に個人的な見解だから、それは、異端でも何でもない。天理教祖の教えとして説くから、異端なのです。
原典にない事を、原典の用語や表現を利用して語っているわけで、それでは、頂点から滑り落ちたも同然です。
再三ご注意し、十二下りに教えられた、神一条への復元を、お勧めしています。
原典を軽視していながら、部分引用をするという手法は、異端さんの手法で、取り次ぎは神の代理、教祖の教えを忠実にそのままに取り次ぐ中に悟りもある。異端にならぬよう慎みましょう。
(続きます)
- [786]基本。 06/11/10 08:20 OPm/HjNcSX
- 天地真理さん。
おふでさきの七号には、このようなお歌があります。
いままでも今がこの世のはじまりと
ゆうてあれどもなんの事やら 七号35
お筆先七号は、明治八年に書かれています。
教祖は、この明治八年までにも、「今がこの世の始まり」とゆうていた。
天地真理さん。よろしいですよね。
すると、天地真理さんが、>>784にて、頭の記憶の中から書き出した天地真理さんの学ばれた天理教祖のお言葉の教理は、
『> おや神様の教えは言葉を教え、文字を教え、食物を教え、着類を教え、人道を教え、学問を教え、人間を育て導いて来てくださり、最後に人間の産まれた訳を天理王命様が月日両神の真実を証された、甘露台を立てて世界中の人間を助けあげる計画が出来なかったので法律に合わせて細道に任せたが、ごもくまじりで水が濁りて、この度、火と水を入れて、分けて、放棄をもちて掃除をする刻限が来た、もうあこにある、ここにくるなり
この度はオオカン道をつけかけるなり』
これのことですが、
おふでさきの二号→『この度はオオカン道をつけかけるなり』、
→『ごもくまじりで水が濁りて』、
→『火火と水を入れて、分けてと』
おふでさきの三号→『水が濁りて』
→『言葉を教え、文字を教え、食物を教え、着類を教え、人道を教え、学問を教え、人間を育て導いて来てくださり』
→『放棄をもちて』
→『甘露台を立てて世界中の人間を助けあげる計画が出来なかった』
おふでさきの四号→『法律に合わせて細道に任せた』
→『掃除をする』
→『もうあこにある、ここにくるなり』
このように、内容は、おふでさきの七号の執筆以前ですよね。
それを確認した上で、
いままでも今がこの世のはじまりと
ゆうてあれどもなんの事やら 七号35
このお歌の意味と、照らし合わせて見て下さい。
天理教祖は、「今がこの世のはじまり」と教えてきた。
「幽冥の時代の始まり」ではなく、「今がこの世の始まり」と教えてきたのに、
幽冥の元始まりの真理を「この世のはじまり」だと、誤解していた方々への理の責めのお歌です。
おふでさき五号には、
この道はせかいなみとハをもうなよ
これまつだいのこふきはじまり 五号18
と、あります。
「この道」とは、天理教祖の道、天理教会本部の天理教の道と言うこと。
それが、「まつだいのこふきはじまり」。
と、おうたは理を責めておられます。
つまり、「この天理教の道」は、「こふきの始まり」なのですから、
大昔の泥海世界の始まりではなく、「教会本部天理教の道」こそ、末代のこうきの始まり。
頂点なのだと、頂点としての始まりと、知らされてある。
天地真理さんの理の、誤解は、
いままでも今がこの世のはじまりと
ゆうてあれどもなんの事やら 七号35
今、天理教祖のつけている道が、「この世のはじまり」だと、教祖はいわれているのに、何の事やら分からなかったと言うことです。
(続きます)
- [787]基本。 06/11/10 13:23 LSkmzl/YXg
- 『世界ろくぢにふみならしに出ている。疑いあろうまい。なれど疑い心あるならば、尋ねて見よ。』
『神は幽冥と思うやろ。幽冥と思うなよ。五十年以前の道を思案してみよ。』
(明治22年3月10日)
これが、松村吉太郎さんが、頂かれた、「神は幽冥と思うなよ」というお言葉です。
この時、明治22年3月10日に、松村吉太郎さんは、次のようなお言葉も、同じおさしづにて頂かれています。
『さあさあ数々の理は言うまでやない。言うまでやない。これまでに聞かしてある。』
・・・
『元始まりの理を聞き分け。理を見よ。』
・・・
そして、
『世界ろくぢにふみならしに出ている。疑いあろうまい。なれど疑い心あるならば、尋ねて見よ。』
『神は幽冥と思うやろ。幽冥と思うなよ。五十年以前の道を思案してみよ。』 (明治22年3月10日)
このように、構成されています。
簡単に言いますと、
『さあさあ数々の理は言うまでやない。言うまでやない。これまでに聞かしてある。』
とは、数理の事です。
数の理は、「言うまでのものではない」と言う意味ですから、数の理は、現実であると、言う事です。
『元始まりの理を聞き分け。理を見よ。』とは、当然ですが、過去の物語としての元の理ではなく、今、教祖がお付けになっている道の上での、元の理の事です。
『理を見よ』ですから、「数の理として言葉で言うだけではだめ」で、それを、理を現実として見ろと言う意味です。
・・・
そして、
『世界ろくぢにふみならしに出ている。疑いあろうまい。なれど疑い心あるならば、尋ねて見よ。』
『神は幽冥と思うやろ。幽冥と思うなよ。五十年以前の道を思案してみよ。』
神を幽冥と思うならば、「ひながた50年の元の理を見ろ」と、さしづされている訳です。
親神様が、「数理は言うだけの言葉上のものではないと言われた以上、きちんとした「見える」ものが、あるのが「理」の基本と言う事です。
そこで、数理の上で、検証してみます。
明治21年3月8日に教祖一年祭の妨害がありました。
その6日後に、3月14日ですが、公認運動の為に東京に出立したいと願い出ますと、神さまは「その日来たらん」と、期日の未到来をつげています。
そこで、20日後に、公認運動の為に東京に出立したいと願い出ますと、神さまは、今度は、許しておられます。
それは、日が来たという意味です。
1日と一年は同じ理ですから、「二十日」後には、許されていると言う事は、「20年後」と言う理を、示されています。
そして、歴史の事実として、明治21年3月8日から、二十年目に、明治41年には、11月、天理教一派独立と、目に見えた数理となっています。
これは、数理は、言うだけのものではなく、目に見える事実であると言う、例です。
実は、この、明治22年3月10日とは、松村吉太郎さんが、自分の生涯を尋ねたいと、四日前に願い出たら、この日に、生涯の理を諭すおさしづとして、告げられたと言う日になっています。
そして、明治22年の3月10日に「神を幽冥とおもうな」「元始まりの理を聞き分け。理を見よ。」と言われた、その58日後に、つまり、「58年」と言う数理を示す日に、「教えの復元」を指示するお言葉を頂いています。
明治22年から58年後、おふでさきの下付など、信仰の復元が開始されています。
これも、歴史に残された事実です。
(続きます)
- [788]基本。 06/11/10 16:40 LSkmzl/YXg
- >>782
> おやさまは最初の巳の魂で母親の理になると思います。
> では最初の魚の魂の人も神として拝をさせると約束をしているのですから、父親の理もハッキリさせたほうが良いと思います。
> 普通の疑問です。
現在の天理教教典では、第三章元の理。のところです。
『たくさんのどちょの中に、うをとみとが混じっている。』
『夫婦の雛型にしようと、まずこれを引き寄せ、その一筋心なるを見澄ました上、最初に生みおろす子数の年限が経ったなら、宿し込みのいんねんある元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせようと約束し、承知をさせて貰い受けられた。』
そこで、天地真理さん。
「うを」と「み」と同時か、それより前に「どちょ」がいた。
それもたくさんの「どちょ」がいた。
これについてです。
実は、>>747、>>748で、天地真理さんは承知をして下さっているのですが、その内容は、
> 「月様も」「日様も」、宇宙の「理」そのものと言う事で、「不可分な存在」で、二つ一つが天の理です。
構築したと言う事です。
>
> @、そのなかより月様が先にいてた。→「月様の理」→「理よう」
国床を見定める → 空間の開始。→「転じ変わる」
> A、「月様がさきにいた」→「国床を見定めた」
これは空間が定まって、時間が開始した事を意味しています。
> 質量のない、どこどこまでも突き通す月様だけの世界が、
> 「国床」を見定めて、理を転じて「天となり」、
> 日様がそれを「日に日に重くして行き」、
> 引力にて重力となり、空間に質量ができて言ったという意味です。
この様に基本は、説明を申し上げて、天地真理さんからは、分かったと言う回答を頂いております。
基本がもしあげたのは、再度、整理しますと、
@「月様がいたばかり世界」とは、「希薄な世界」、即ち、「突くばかりの世界」「広がるばかりの世界」
A「日様は、月様が理を転じたことから、月様と二つ一つに日様として、「引く働きのある世界」即ち、「質量のある世界」「密度のある世界」を構築した。
B、月様と日様の働きが、「相談がしまりがついて」、「世界がはじまり「時間が開始された」。
と、言う事でした。
宇宙空間の中で、無限に広い広がりは月様のみの世界。
それを「天地の天としての限定的な理」として、月様が立ち、「国床」を見定めて、「その床に」引き寄せるお働きの「日様」が、二つ一つに現れたときに、「この世」が始まり、物質の原因である、素粒子・粒子・原子・分子といわれるものを、「日様」が全て引き寄せて、日に日に重くなり、この世を始めたと言う事です。
そこで、「どちよ」とは、例えれば「宇宙空間」から[地球誕生にむけて」、日様に引き寄せられた、素粒子・粒子・原子・分子といわれるものの事になります。
その中に、「人間と言う生命を生み出す」に、最も適当な「うを」と「み」がいたと言う事です。
まず、どちょとは、日様が万有引力の元として引き寄せた、全物質と言う事。
これを思案しないと、「理」としての「こうき話」にはなりません。
しかし、問題は、今がこの世のはじまり、という、おふでさきに責められた[理」としての、理の思案です。
(続きます)
- [789]基本。 06/11/10 18:52 OPm/HjNcSX
- >>782
>> おやさまは最初の巳の魂で母親の理になると思います。
>> では最初の魚の魂の人も神として拝をさせると約束をしているのですから、父親の理もハッキリさせたほうが良いと思います。
>> 普通の疑問です。
>>788
> しかし、問題は、今がこの世のはじまり、という、おふでさきに責められた[理」としての、理の思案です。
>
天地真理さん。つまり、問題は、今がこの世の始まりというのであれば、今問題の「いざなぎ」様は、75年で死ななくては、理として整合性が無いということになりますよね。
天理教の立教は、「三日三夜の理」でした。
これは、元の理に、理として整合しています。
それでは、「いざなぎ」様は立教から何年で死んでいるかというと、
1838年 10月26日(西12月12日)朝五ッ刻(午前8時)、立教。教祖、月日のやしろとなる
1853年 2月22日(西3月31日)、善兵衛出直(66才)。
ですから、15年と、3月と18日後に死んでいます。
はじめさんからご紹介頂いた、http://www.geocities.jp/atutakai/tosyositu_/koukibon_/koukibon_m16_.html
16年本(桝井本・5)内容 にて確認しますと、
『 人間拵えたのは此のやしきの中央にて、前の部にある通り、いざなぎの命へしやちほこを男の一の道具に仕込み、それに国常立之命を入り込み、どじよふ人間の魂として、いさなみの命へかめを女の一の道具に仕込み入れた。おもたるの命を入り込み給うて、人間の苗代として九億九万九千九百九拾九人の人数を南無々々と二人宛三日三夜に宿し込み、三年三月留まりて居りて、』
『それより今の奈良、初瀬七里四方の間七日かゝり産み下ろし、此のぢばが神かたと云うのは此の処なり。残る大和の国中四日かかりて産み下ろし、これで十(一《補・梶本本22》)日がおびやあけと云う。山城、伊賀、河内、三ケ国十九日かゝりて産み下ろし、これ三十日をはんみやと云う。残る今の日本中四十五日かゝりて産み下ろし、都合七十五日の間かゝりて産み下ろし、これ故に七十五日の間はおびや中と云うなり。即ち、産み下ろし毎に親の息をかけて産み下ろしおく。このぢばは今の宮地の地場となりてある処なり。これにていさなぎ様は死亡する。』
と、このようにあります。
この数理の、七十五日というのが、「出直し」の数理の基本になります。
そこで、元の理の数理の常識として、「一日=一年=一生(60年)」と言うものが、説かれてあります。
また、「一年と五年は同じ理」とされています。(伊降柾甚・真の宝)
すると、七十五日とは、「75年」、「15年」が同じ理です。
1838年 10月26日(西12月12日)朝五ッ刻(午前8時)、立教。
1853年 2月22日(西3月31日)、善兵衛出直(66才)。
確かに、15年という、75日の理で、出直しています。
元の理の数理は、ここにも、きちんと見えています。
そして、「222」の月日に、「66」才で、出直されています。
この、「222」の月日は、六の数理。「66歳」は、六の数理。
立教16年に出直しですから、「六」の数理。
世界ろくぢの数理を、体現しての、お出直しでした。
数理とは、見るものです。
(続きます)
- [790]基本。 06/11/10 19:30 OPm/HjNcSX
- >>789
補足します。
教祖の定命は115歳。
ですから、いざなみさまの魂のお方は、教祖、115歳で姿をかくす予定になっていて、25年を縮めて、扉を開かれています。
1798年 4月18日(西6月2日)、教祖(中山みき)誕生
ですから、1913年6月2日が、115才の誕生日です。
1838年 10月26日(西12月12日)朝五ッ刻(午前8時)、立教。
そこで、立教から、75年は、「1913年」12月。
つまり、元の理の数理としての、「75年後の姿を隠す」は立教からと、誕生日から115才の「115年後が定命」は、整合していて、
それは、おふでさきで「正月二十六日をまつ」ですから、
1914年の1月26日。
これが予定の、日ということです。
現実には、教祖は、定命を縮められた。しかし、教祖の真の命日に合わせて、真柱は、教祖のお住まいを普請されています。
1913年12月、神殿落成。
1914年4月、教祖殿
いざなぎのみことの魂のおかたも、元の理の数理に整合する「理」の世界でした。
(続きます)
- [791]リラックマ 06/11/10 22:28 D-snzhw
- 一日見ないだけで、ものすごく進んでいたので、読み疲れました。
とみ新蔵さん、こんばんわ。ここを去られるそうで、残念です。とみサンの投稿に、返事こそしませんでしたが、楽しく読ませて頂いていたのに…。私の教祖観は基本さん寄りなので、とみサンの説にはあまり同意出来ないのですが、それでも時々「なるほどなぁ」と思う時があります。それは、とみサンが既存の説にまったく囚われていないからなんだと思います。
その事は、基本さんも仰られていましたが、天理教が現状を打破するためにも、とみサンのような徹底した「ろくじ」観は、問題解決の糸口になるかも?なんて思っています。これからも、時々は覗いて下さい。そして、「ひとことはなし」をお願いします。
>>傍陽気さん、こんばんわ。山名はおさしづを頂く前に、勝手にかぐら面を作っていたんですね。知りませんでした。ありがとうございました。
>>783まっぷさん、こんばんわ。逸話篇「七 真心の御供」で、信者さんが高慢心で持って来たようなものがあると、側の者にすすめられて、たといそれをお召し上がりになっても、
『要らんのに無理に食べた時のように、一寸も味がない』と、仰せられた。
と、ありますよね。それと同じで、無理に行くのも、例え櫟本に行っても味がない、味わえないと思うのです(^_^)v。
それにしても、T.N.Doctrineさん、本当に大丈夫なんでしょうか。心配ですね…。
- [792]基本。 06/11/10 22:45 OPm/HjNcSX
- 問題を、煮詰めましょう。
>>782
> おやさまは最初の巳の魂で母親の理になると思います。
これは、間違いです。
こうき本でも、十全のご守護の話でも、
「面足命=母親の理」です。
「いざなみ命=なわしろの理」です。
人間身の内で言うと、母親は全体で、母親の「子宮」「卵巣」がなわしろと、言うことです。
さらに厳密に言いますと、「巳」は、食べられる以前の状態の「巳」で、しろくちなわ。人間の肌の白蛇。
「いざなみ命」とは、「巳」が月日に食された後の状態です。
対しまして、「ぎぎょ」は、食べられる以前の「ぎ魚」で、人間の顔のにん魚。
それが食されて、本質をあじあわれた月日が入り込むと、「みこと=命」になる。
そうすると、人間の体では「種=精子」になる。
前出の、こうき本で確認しますと、
『16年本(桝井本・5)内容
神の古記
・・見澄ませば、ぎぎよと云ううをがいる。
此うをは人ぎよとも云う魚、人間の顔で、鱗なし。肌は人間の肌。
又見澄ませば、みいと云うしろぐつながいる。この者も、今人間の肌にて、鱗なし。
この二人とも、心は真っ直で、正直なる者、此の姿、心を見て、これを引き寄せ貰ひ受けて、此の姿をも以て人間拵える種・苗代に貰い受け様と、相談まします。』
人魚、・・人の顔をした魚。 人ぎょう・・人形・人型。
白蛇、・・人の肌をした巳。
この場合も、月日同様に、ぎ・みは二つ一つ。
くちなわ、と言うのは、「導火線」の事。
火を導いていく。それがくちなわ。
そこに、「誘導する」という意味があります。
口縄。火を誘導する。→「誘う」、いざなみ→いざなみ命。→なわしろ。
白へび→しろなわ→なわしろ。
人魚。人の顔で泳ぐもの→、「誘われる」、いざなぎ→いざなぎ命。→種。
岐ぎょ→かたちの分岐するもの
つまり、「いざなみ命」とは、誘導する、育てる、導く。
つまり、「いざなぎ命」とは、人のかたちを、分岐する。形象する。
その魂というのは、理の本質と言うことを魂という訳です。
遺伝子を誘導する「なわしろ」と、誘導される「多根」が、守護の理と言うことになります。
そこで、天地真理さん。
> 最初の魚の魂の人も神として拝をさせると約束をしているのですから
この、事ですが、厳密に言えば、そんな約束は、していません。
「神として拝をさせる」この約束は、「人に対して」なのか「理に対して」なのか、それは、誰に対してか、調べてみましょう。
誰を神として、誰の拝をさせるのでしょう。
誰を神として、誰に拝をさせるのでしょう。
> 最初の魚の魂の人も神として拝をさせると約束をしているのですから
との、事、
16年本(桝井本・5)にて、この事についての、天地真理さんの誤解を、証明してみます。
(続きます)
- [793]リラックマ 06/11/10 22:51 D-snzhw
- はじめさん、こんばんわ。
>>仰るように、我々に求める気持ちがなければ、こういう資料は猫に小判だと思います。少なくとも、ここにお集まりの皆さんは、求道の仲間だと思っています。
今、基本さんと天地真理さんが、「こふき」について談じ合いされていますね。はじめさん、他の皆さんに「こふき」に関する高井猶吉さんのお話を、紹介させて頂きます。これは、息子の虎夫さんが聞き書きされたものです。
「高井家資料」猶吉翁口述記より〜
※古記に関して
明治十五年と思う。御新造様が(松枝様)、御身上、御教祖様が、奈良の監獄へ御苦労、わし(高井)は、三昧田へ御新造様の薬取りに行く。そこへ神道本局から、古川教正(本局幹事)が来ると云うので、準備せにゃならん。とてもえらい事やった。それから、真柱様(前管長様)の御命で、三昧田から帰って、市川(ほうけいじ)へ教正の座られる座蒲団を借りに行った。市川では、その時分お殿さん(高取)がよくお出になるので、畳半枚ほどの台をこしらえて、その上へ座蒲団を敷く。それを、ちゃんとこしらえてあった。そのまま借りて来る。ところが直ぐに来なかった。
御教祖様がお帰り遊ばして、やっとしてから、古川教正と内海教正(本局幹事)、小島教正(三輪大神教会長)と三人やって来た。
その時、御教祖がお会い下されて「泥海古記」を一寸お説き下された。
国常立命様は、こう、面足命様は、こう、いうふうに、処々をかいつまんでおっしゃった。そして親様がおっしゃるには、
「学者ならば、世界でこの人一人、神官ならば、この人一人、何もかも世界で一人よりない、と云う学者が出て来たら、何もかも詳しく、立板に水を流すように許す」
とおっしゃった。
すると、小島教正は、
「そんなら、一ペン神様下がってもらおうかい」
といいました。
古川教正は「そんなもんやない」と云うた。やはり本局幹事等するものは、普通のいなりさげ等とは違うと、一寸見たらやはり小島さんは、そこまで分からんよって、そんな事云うたのや。
父の話(父の意見)
世界一の学者、智者、もう一人外にない、と云う人になれば、何もかも分かる。今の世の中であれば、今だけ分かって、昔の事は分からん。それで「元始まり」の話をすれば、木に例えたら、根と先とを合わすようなものや。合いそうな筈がない。
真中を切りはなしてあるようなもの。世界一の人になれば、「元始まり」の話をすれば、その真中もよく分かるから、御教祖様のおっしゃる事は、すぐに悟る事が出来る。それで、そうおっしゃったのや。
それで分からん人に、なんぼ話しても分からん。わし(高井)でもやはりこの人なら、このくらい、この人ならだいぶ分かるから、少し詳しくというふうに、色々に説かしてもろうてある。
また余り詳しくほどくと、日本の古事記と違う処が、出来て来る。
- [794]リラックマ 06/11/10 22:54 D-snzhw
- 「高井家資料」猶吉翁口述記より〜
※元始まりと古事記
古事記は、大和の稗田阿礼の覚えていただけ、書き取ったのや。それ以前に書いたものがあったのやろうけど、焼けてしもうたのやろう。そうやから、元始まりの深い理の話と、合わん処出来て来るの、当然の事や。
また何もかも、一緒に詳しく話したら、ごちゃ/\になって、分からんようになる。それで、元始まりから、今日まで、ずーッと一通り話して(いわゆる筋を通して本筋の道)、それから、
一、月日様の思惑は、どう、
二、道具を寄せる時は、どう、
三、この世の初まりの話は、どう、
四、人間仕事の仕込み、文字仕込みは、どう、
と区域を立てて、詳しく話すとよい。本部でもそれはそれとして、参考に書いて残したらよい。そうでないと、後になったら、分からん事が、沢山出来て来る。
元始まりの話は、人間の造った話は、一ッもない。わし(高井)の話さしてもらうのも、わしの考えは一ッもない。
御教祖様に聞かしてもろうた事、そのままや。われわれ人間がどうして考えて、話出来るものか。
この間管長様から、見せて下さった古記やなあ、少し違う処あるからなあ。
(相違の点、次の如し)
一、人間最初の三べんの生まれ変わりは三べんとも同じや。
二回目から、十ヶ月胎内宿った。そんな事はない。
最初の三べんは、世界中の人間は一ぺんに宿って、一ぺんに出直している。
それから八千ハ度の鳥畜類の道を通って最後に猿が一匹残った。
それが国狭土の命様や。
その胎内へ五組宿った(男五人女五人)。猿は五組生んで出直した。それが、今の伊勢の猿田彦の明神。国狭土の命の出直した場所。
その猿の胎内へ宿った時から、十ヶ月と定まる。
五組から五組宿り、産まれて、水中住居となる。
元宿込み人数揃うまでは、何億年とかかっている。出直したり、生まれたり、なかなか一寸にはいかなんだ。
人数揃うたところで、水陸もちゃんと分かれ、親神から、云ひ聞かされた。
五尺の身体にもなり、陸に上がったのである。
それから六千年は、仕事の仕込み。外国人が多いから、文字の仕込みは、六千年かかった、とおっしゃる。
※月日、ひながた、道具衆
岐様美様の御二人だけは、先きのたのしみを云いきかせて、得心をさした。
後の道具衆は、承知さしたのと違う。そんな「かれ」や「ふぐ」や「うなぎ」等、得心さすも、ささぬもあるものか、直ちに食うて貰うて、その心味いを見て、道具にお使いに成ったのや。
- [795]リラックマ 06/11/10 22:55 D-snzhw
- 「高井家資料」猶吉翁口述記より〜
※月日のむねに定める
最初この元始まりのお話をさして貰うた時は、聞いた人は、色々と云よったで、色々な理屈を云いよった。
泥海の中に、伊賀も、河内も、大和もあったのかいな。
五分々々と成人したさしが、あったのかいなあ。それはそれはいろいろに云いよった。
泥海の中には、大和も、伊賀もない。また物の長さもない。
月日様は、胸の中にお定めに成ったのや。これはこう、あヽなれば、あヽと、今日の成人までの事を、胸の中にちゃんと定められた。
それで人間の成人に応じて、天地を分け、三尺に成って、月日輝き初め、五尺の身体になって、陸へ上り、それから、最初おもわくをつけて、定められた通りに、何から何まで、教え込んで下された。
丁度人間の親が、我が子を仕込むのも、同じことや。
左で箸もてば、ドッコイ、それは右で持つのや。食う事から、着る事から、万ず仕込みと同じや。
また仕事を仕込んで、今度廻ってきたらまた忘れている。また教える。また忘れる。それではいけないと云うので、文字を仕込んで下された。今日までは、如何な道も、苦労も有ったが、それぞれの道具衆の魂を、人間姿現わして、通り抜けたので有る、と仰っしゃる。
それで道具衆の魂も、時代に応じて、何遍もこの世へ現れ、守護して下さる。その働きに依って、神名がついて有る。それは人間も同じことで、呉服を商うて居れば、呉服屋、風呂屋をすれば風呂屋、その働きに依って呼び名がかわって来るのと同じで有る。
古記ばなし、を仏教に合して説いた等云う人あるが、何も仏教に合したのやない。道具衆の魂が、人間姿現わして世界の子供に、仕事や、文字を仕込んで下されたことを、御教祖様が吾々に分りよい様に、教えて下されたのや。証拠を示してお話下されたので有る。聞かして貰わなば、何も分らん。人間で考えて云えそうな事はない。中には、つまらんことを云うた人も有る。それでいろ/\に間違って居る。
(※十柱の守護説き分け省略)
これは皆道具衆の方々が、人間姿現わして、それ/\仕込んで下された。
ほんの一寸話して下されただけである。
まだまだ沢山有る。
外国の仕込みも同じであるが、わしらに話して下された処で分からんから、仰っしゃって下されなんだや。
仏教に合して説いて下されたのも、何でもない。仕込みの御苦労を、お知らせ下されたのである。
- [796]天地真理 06/11/11 00:17 E-lZVaz
- 基本さんこんばんは。大変詳しく説明して下さり有難う御座います勉強になります。私は悟りから入るので感謝します。基本さんは、イザナギとイザナミが一の神これ天しょうこの大神宮なり のお歌は伊勢神宮と仰いましたが、私はそれを言いたかったのです。つまり伊勢の天照皇大神宮が人間のおや神様で宜しいですね。これは大和神社とも関係があります。 そして生まれ変わって来ますので、今がこの世の始まりとも考えられますよね。それで、にほんの口記をつくればいいですよね。泥海こうきは目で見えるかぐらつとめの理を見れば、人間が始まりその理が南無天理王命だと解ります。
- [797]はじめ 06/11/11 00:28 qIPIiR8..3
- リラックマさん。こんばんは。
>>793-795
貴重な資料をありがとうございました。
すごく分かりやすいですね。さすがは高井家なんて思ってしまいました。
以前、学者後回し云々と言うことについて話あったことがあったように思いますが、人間というものはどうしても、育つ間に仕込まれた事を信じて物事を考えて行くものだと思うのです。
そうした時に世間の学問を治めてから、教祖のお話しを聞くとどうしてもその学問の色眼鏡をはずすことが出来にくく、教祖のお話しを純粋に聞き難いもののように思います。
また子どもの出てくるのを待つ。心うつさにゃならん。などの事も、親々はそれまでの習慣をよしとして、その習慣から教祖の話を判断していたと思うのです。その子どもまだ少なからずその親の影響を受けている。しかし、孫ひ孫になれば、そうした影響から離れたものの見方が出来るものではないかと思うのです。
ただ、その解釈が世間から認められるかは別問題ですが・・・・。
だから、どうと言う話ではありませんが、・・・
応法の道を否定する意見が結構聞かれますが、「思わくが立たぬから一つ道を変えた」として始まった応法の道。とてもありがたい道だと私は思います。
>月日様は、胸の中にお定めに成ったのや。これはこう、あヽなれば、あヽと、今日の成人までの事を、胸の中にちゃんと定められた。
とありますが、教祖や先人先生方の通られた道はこれから先を見定めるための道でもあるように感じております。
ただただ、これまでで思ったことを書かせて頂きました。
ありがとうございました。
- [798]基本。 06/11/11 03:38 OPm/HjNcSX
- >>796
天地真理さんには、原典とこうきと言うことをくどくど申し上げていますが、それは、道は一筋と言う事の神一条、これが天理教であるという、歴然とした教えであります。
私は、とても、厳しい物の見方をしていますので、「この一筋もある」「あの一筋もある」と、そういう一筋というものは、親神様はお認めにならないと、そのように、思案しています。
再三引用していますが、松村吉太郎と父栄治郎。
1871 河内教興寺村(八尾市)、松村栄治郎、信仰を始める
天保13年(1842)10月8日生まれ(河内国高安郡教興寺村‐現・大阪府八尾市教興寺)
明治22年(1889)3月3日出直し:48才
明治4年(1871)1月妻さくの「たちやまい」という患いを教祖に助けられ入信
妻さく(1846-1928)の妹・小東まつゑは明治2年(1869)、中山秀司に嫁ぐ
長男・吉太郎は高安分教会(現大教会)初代会長
教祖から「教栄命」と、送られた人です。
この「父・栄治郎」さんは、一方では「滝に打たれて」「こうきの作成に精進された」。その意味では、一筋の信仰者です。
しかし、その結果はどうかといえば、出直す直前には、とても精神に異常を来したのではないかというほど、天理教に金を出すことを惜しんで、身上となっても、親神様の望まれる「神一条」には、向かわなかった。
つまり、「頂点から外れた」人でした。
その、理の間違いの、姿と理は、「こうき」を創っていた。と言うことにある。教祖の教えを「こうき」という書き物にしていることが、理の間違いということになるわけです。
この、簡単だけれど、みんなが認めにくいものを、きちんと認めないと、道の遠回りになると言うことです。
- [799]基本。 06/11/11 04:04 OPm/HjNcSX
- >>793-795
貴重な資料をありがとうございます。
>>798でも、申し上げましたが、基本は、とても厳しい物の見方をします。
高井さんのこの資料です。
高井さんの理の間違いの、自白になっています。
高井さんの家には、記録というものが僅少であると言われています。
高井猶吉【たかい なおきち】
文久1年(1861)1月19日生まれ(河内国志紀郡南老原村‐現・大阪府八尾市老原)
昭和16年(1941)11月21日出直し:81才
明治7年(1874)姉なをの産後の患いから、その婿養子と初参拝、入信
明治20年のおつとめで、かぐら・てをどりをつとめる
教祖より息のさづけ・赤衣のお下げ(明治17年)
泉支教会(現大教会)3代会長
先ず、此処の個所です。
>古事記は、大和の稗田阿礼の覚えていただけ、書き取ったのや。それ以前に書いたものがあったのやろうけど、焼けてしもうたのやろう。そうやから、元始まりの深い理の話と、合わん処出来て来るの、当然の事や。
>
これは、古事記と元始まりの深い理の話が「一致するもの」という、前提で、語られていますが、間違いです。
古事記に対する認識も間違いですが、元の理の話と記紀の日本の国産みの話とを混同しているという、まさに、自白です。
高井さん本人は、
>わし(高井)の話さしてもらうのも、わしの考えは一ッもない。
と、言われていますが、それが思いこみであることは、古事記と元の理を、古事記の元の文書があれば元の理に一致するものと、思いこんでいるのは、まさに、「わしの考えの一つ」を混ぜている、そのものです。
>御教祖様に聞かしてもろうた事、そのままや。われわれ人間がどうして考えて、話出来るものか。
そのように聞いた、そのままだと、言い切れることの「高慢」は、自戒したいものです。
- [800]基本。 06/11/11 05:11 OPm/HjNcSX
- 高井さんが、聞いたままではなく、自分で構成していた自白は、
>>794にそのままに、見られます。
>この間管長様から、見せて下さった古記やなあ、少し違う処あるからなあ
リラックマさん。見て見逃しも出来ませんので、皆が誤解しないように、整をします。
先ず、ここです。
>また何もかも、一緒に詳しく話したら、ごちゃ/\になって、分からんようになる。
>それで、元始まりから、今日まで、ずーッと一通り話して(いわゆる筋を通して本筋の道)、それから、
一、月日様の思惑は、どう、
二、道具を寄せる時は、どう、
三、この世の初まりの話は、どう、
四、人間仕事の仕込み、文字仕込みは、どう、
と区域を立てて、詳しく話すとよい。
>
と、高井さんは言われていますが、このように構成し直すことは、脚色であり演出である。
そういう、色を全く付けない事が、原典のお言葉を、そのままに読むという基本です。
そこで、
「>この間管長様から、見せて下さった古記やなあ、少し違う処あるからなあ」
と、言われている高井さんの方が、間違っていたと言う、高井さんの間違いの明らかなのは、此処の個所です。
>(相違の点、次の如し)
>※月日、ひながた、道具衆
>岐様美様の御二人だけは、先きのたのしみを云いきかせて、得心をさした。
>後の道具衆は、承知さしたのと違う。そんな「かれ」や「ふぐ」や「うなぎ」等、得心さすも、ささぬもあるものか、
>直ちに食うて貰うて、その心味いを見て、道具にお使いに成ったのや。
>
おふでさきには、このように理が責められてあります。
みすばせば 中にどちよもうをもみも
ほかなるものもみへてあるなり 六号83
そのものをみなひきよせて たんぢやい
にんげんしゆごはぢめかけたら 六号84
まさに、高井さんがうちうちの談じ合い無く、なかなか大変であったと言う心を自白して、『そんな「かれ」や「ふぐ」や「うなぎ」等、得心さすも、ささぬもあるものか、』との、談じ合い否定の、教理が説かれているわけです。
こういう処を吟味すると、松村栄治郎さんがそうであったように、高井猶吉さんも、「こうき話」を自ら構成して人に伝えるという、理の間違いをされていたことに、真実を尽くしてしまった、間違いの証拠を見るわけです。
おふでさき六号の書かれたのは、明治七年12月。高井さんの入信直後。
その、おふでさきを、きちんと読まないで、「こうき話」を脚色し、人に真実尽くして伝えても、それは、親神様の望まれた「神一条」ではなかった。
それで、高井さんの信仰は、記録として僅少なのです。
頂点から、すべりおちたのが、「こうき話」を脚色して、「古事記」と並列して説いた高井さんの、神への残念でした。
自白。でしたね。
間違えていたのは、「管長様」ではなく、高井さんであるという自白を、本にしたのが、後継がれた方の功績です。
リラックマさん。
実は、たった一点に、もっと分かりやすい自白があります。
それは
「>この間管長様から、見せて下さった古記やなあ、少し違う処あるからなあ」
この、言葉の中に、大きな理の間違いの自白があります。
リラックマさん。
それを聞き逃さず、見逃さないこと、基本です。
考えてみて下さい。
- [801]基本。 06/11/11 05:22 OPm/HjNcSX
- 【御苦労さま】逸話篇
「教祖程、へだてのない、お慈悲の深い方はなかった。どんな人にお会いなされても、少しもへだて心がない。どんな人がお屋敷へ来ても、可愛い我が子供と思うておいでになる。どんな偉い人が来ても、
『御苦労さま。』
物もらいが来ても、
『御苦労さま』
その御態度なり言葉使いが、少しも変わらない。皆、可愛い我が子と思うておいでになる。それで、どんな人でも皆、一度、教祖にお会いさせてもらうと、教祖の親心に打たれて、一遍に心を入れ替えた。教祖のお慈悲の心に打たれたのであろう。
例えば、取調べに来た警官でも、あるいは又、地方のゴロツキまでも、皆、信仰に入っている。それも、一度で入信し、又は改心している。」と。これは、高井直吉の懐旧談である。
この、高井直吉さんの残された教祖は、
『その御態度なり言葉使いが、少しも変わらない。皆、可愛い我が子と思うておいでになる。』
こうき話を語る、こちらの、高井さんは、その教祖の教えを、
『そんな「かれ」や「ふぐ」や「うなぎ」等、得心さすも、ささぬもあるものか、直ちに食うて貰うて、その心味いを見て、道具にお使いに成ったのや。』
と、相手次第で、変わると説く。
こうき話にうつつを抜かすと、みんな、頂点から落ちるから、
哀れむように、「偽神楽」と「創作こうき話」を、八島さんや、山名さんや、河原町さんや、もしそんな事してたら、哀れむように、見つめ、縁があるなら、見て見逃しではなく、その理の間違いを諭して上げないといけないわけです。
それが、基本です。
- [802]基本。 06/11/11 05:55 OPm/HjNcSX
- 高井直吉さんが、真実の信仰者であったという事実は、松村栄治郎さんが真実の信仰者であったという事実とともに、間違いのない事実です。
しかし、「親神=中山みき」様に出会い、頂点に一度は到達しても、その頂点から逸脱して、親神様の教えの「神一条」とは違う、「こうきの神の神一条」に、転落することがある。
それも、事実です。
「行った処が袋井や」と言う教祖のお言葉を聞いて、高井直吉さんは、明治16年に、諸井国三郎さんを、井筒講元らとともに訪問し、おたすけ活動に懸命な、諸井国三郎夫婦を助けて、「十二下り」のおつとめを教えて、「十二下り」のおつとめにて、猛烈なおたすけをします。
躍って付けた神明講。本領発揮というところでした。
翌年に、教祖より息のさづけ・赤衣のお下げ(明治17年)頂かれたのは、山名大教会の土台をみなが協力してつくったという、その、一等の功労に対するものと、見て良いでしょう。
命の切り替えをするのや、と教えられた「十二下り」、そのつとめにて、大勢をたすけた、山名の初代と、高井さん。
なんで、どうして、頂点から落ちたのか。
「かぐら」という「こうき」という、それ以上の効能ありそうな、ワンランク上に行きたいという、人間のあざなさの、典型がそこにあります。
こうきとは、「理」話である。
それは、間違いではない。
しかし、「身と口と心」の三つが、一二三、一つであります。
「口」だけの「こうき」で、しかも、教祖の教えの「おふでさき」と外れたら、それは、「口」からでた「嘘こうき」。
頂点からの転落を意味します。
三百円のうどんより、三万円のステーキ。
そんな感覚で、「十二下り」より「神楽」と、こびへつらう心。
それのどこに、「ろくぢ」があるのでしょうか。
人の命の切り替えは、「十二下りの神一条」。
よろしいでしょうか、天地真理さん。
「こうき」を裏守護の神にたずねても、それは、親神様の求める「神一条」ではない。
これだけは、きちんと、ご理解下さい。
- [803]天地真理 06/11/11 06:52 E-lZVaz
- 基本さんお早う御座います。明治の神仏強制分離の国家神道の中でわざわざ命がけになる神仏解き訳をしたのかが真実に見えます。そして今のインターネットの時代でそれが開花したと思います。正に今が始まり。細道の中を笑われ謗られご苦労下された道の先輩達の為にも、天照皇大神宮の歴史を解き日本の口記をつくり石の甘露台を立てて日本の文化遺産を大事にして日本人の精神を取り戻し日本中が仲良く纏まる国に出来ると私は思います。高慢な男ですが日本人の魂の叫びです。m(__)m
- [804]天地真理 06/11/11 07:14 E-lZVaz
- 続きで申し訳ないですが。お筆先十号の八十七 何事も月日の心 思うには 日本に口記ほしい事から 月日様の望まれている 口記を造るのは 今からと思うのです をやである天理王命様も月日様の思いを立てている雛形を辿るのがよう木の道と思うのです。高慢な男ですが日本人の魂の叫びです。m(__)m
- [805]はじめ 06/11/11 09:10 qIPIiR8..3
- 天地真理さん。横から失礼致します。
>>804
>日本人の魂の叫びです。
日本人を中心とした言葉を所々で、お見受けするように思いますが、日本人に固執しすぎると、それこそ真理が見えなくなってくるようにも感じます。
世界一れつ助けたい。と思われてのこのお道です。
世界人間の魂の叫びならば、ろくじを目指しての言葉と思えますが・・・・
横から失礼致しました。
- [806]基本。 06/11/11 09:18 LSkmzl/YXg
- 天地真理さんの、「口記」に掛ける思いと言うものは、とても熱いものであると思いますが、「口」だけの事では、「神の話」だけの事では、「実」がないと、幽冥と言う、心の迷路です。
教祖は、「古事記」とは全く別の内容をお話になった。
宜しいでしょうか。
天地真理さん。
古事記とはまるで別である「元の理」の話を、古事記も説いている「元の理の話」みたいな、作り話を、当時の高弟たちは、説いてしまったという、さんげの話です。
それは、八島さんが、櫟本の分署跡でしていることもおんなじで、教祖の原典に無い、内容を説いているのは、「うそ」になるということなのです。
- [807]天地真理 06/11/11 09:20 E-lZVaz
- 続きで申し訳ないですが、天橋立は皆さんご存じだと思いますが、イザナギイザナミの足跡でそこの神社が元伊勢で祭神は大和の布留(ふる)の里の天照国照ニギハヤヒですが、この物のべ氏の祭が、死人も蘇らす祭で今の地場の場所は祭場です。二先年前は、極楽浄土の楽園だったのです。しかし人間のほしいおしい欲で高低が出来争いが始まった。奈良は既に世界遺産、長谷は国宝、後は山辺の道と、布留の里です、神仏集合は天照皇大神により弘法大師が纏め高野山は世界遺産です。熊野も神仏集合の世界遺産です。世界に誇れる日本人の精神をm(__)m
- [808]基本。 06/11/11 09:21 LSkmzl/YXg
- 「こうき」とは「口記」ではなく、「功記」だという事、松村吉太郎さんの体験からの断定ですが、天地真理さんは、どう思われますか。
- [809]天地真理 06/11/11 10:05 E-lZVaz
- 基本さんこんにちは。いつも丁寧に真摯に有難う御座います。助け一条の精神、地場は永遠に変わりません。ただみな働いて生活を立てた上で、助けるだけの助け一条。その助け合いを日本の国民で纏まり世界に写すのが功記だと思うのです。大災害が起これば皆纏まるでしょう。平和の間にそれを実現させられるのが日本人の精神だと思うのです。
- [810]天地真理 06/11/11 10:06 E-lZVaz
- 基本さんこんにちは。いつも丁寧に真摯に有難う御座います。助け一条の精神、地場は永遠に変わりません。ただみな働いて生活を立てた上で、助けるだけの助け一条。その助け合いを日本の国民で纏まり世界に写すのが功記だと思うのです。大災害が起これば皆纏まるでしょう。平和の間にそれを実現させられるのが日本人の精神だと思うのです。
- [811]苺 06/11/11 11:24 Gl19KKOjrA
- 横レス失礼致します。
基本さんと天地真理さんとのやりとりをロムさせて頂く中で、私自身の信仰の(理の)誤りに気づかせて頂きました。
道の初代の経歴などを、美化し神格化が強まる傾向にあると思いますが、道の初代の理の間違いには、注意深く意識を向けて、深く思案し、原典を掘り進めていくという事が重要かと思います。
様々な異端・異説に惑わされない為にも、常に自らが検証し続けていく必要を切実に感じております。
勉強になりますので、続けてください。
- [812]基本。 06/11/11 15:13 etyigjaynT
- >>810
今、日本の社会は平和の中にいて、教祖の「ろくぢ」に踏み均すと言う事が、どうして、おふでさきでは「大社・高山取払い」と言われたのか、実感がないと思います。
宗教と言うのは、世の平和と安全を祈念するものです。
それは、飛鳥・奈良・平安、と、どの時代であっても、人の祈りは、平和と繁栄を祈念するものでありました。
しかし、教祖ひながた50年の中で、その宗教の「大社・高山」は、取払いといわれていて、ろくぢにするという、対象として、「宗教」がその対象になっているのは、際立った特徴といえます。
例えば「金剛院の山伏」は、確かに乱暴狼藉を働いている、権力ともいえますが、頑是無い子供のすることのようにも見えます。
天地真理さんが、
>>807、で、紹介して下さった、
> 天橋立は皆さんご存じだと思いますが、イザナギイザナミの足跡でそこの神社が元伊勢で祭神は大和の布留(ふる)の里の天照国照ニギハヤヒですが、この物のべ氏の祭が、死人も蘇らす祭で今の地場の場所は祭場です。二先年前は、極楽浄土の楽園だったのです。しかし人間のほしいおしい欲で高低が出来争いが始まった。奈良は既に世界遺産、長谷は国宝、後は山辺の道と、布留の里です、神仏集合は天照皇大神により弘法大師が纏め高野山は世界遺産です。熊野も神仏集合の世界遺産です。
>
これらの神社も、もとより伊勢神宮も、教祖は「大社・高山」取払いと言われていた、対象にも相当するわけです。
しかし、世界遺産にも指定されて、文化であるのに、なんで、それが、取払いの対象なのか、
教えの理を、深く思案しなければ、分からない処です。
櫟本分署跡の八島先生が言われるように、「天皇の魂」と「人間の魂」は違う。そういう、明治政府の政策を推進していく上での人間の差別に対する批判、なのでしょうか。
伊勢神宮そのものが、差別していたとか、大和神社では差別していたとか、そういう問題ではないことは、明らかです。
教祖は、「つとめ」と「ろくぢ」には、きちんとした因果関係を示されています。
教祖がつとめを教えられたのは、「ろくぢ」にしていくためであります。
「つとめで豊年」とか「つとめで平和」と言うのは、あくまでも「世界ろくぢ」にする上での、付帯的なものであり、「つとめ」は世界の普請を目指しています。
そこが分からないと、天地真理さんのように、十二下りの意味よりも、神楽のこうきの意味に、心が惹かれるのだと思います。
十二下りは、「とめは大工」と教祖が言われたように、この世を普請すると言う主題の、てをどり、です。
各教会で、てをどりは、「六人」が踊り、おつとめします。
それは「ろくぢ」と言う理です。
この世を立て替える。
それが天理教の教えですから。
- [813]基本。 06/11/11 15:24 etyigjaynT
- >>810
> ただみな働いて生活を立てた上で、助けるだけの助け一条。
> その助け合いを日本の国民で纏まり世界に写すのが功記だと思うのです。
>
天理真理さんの言われている内容には、「普請」というものが、「要素」として、入っていません。
「皆働いて生活をたてた上で、たすけるだけのたすけ一条」
これは、本当に、教祖の教えでしょうか。
「家業第一」、確かにそれは、教祖の教えですが、
「皆はたらいて生活を立てて暮らす」
それならば、立教の前の中山家もそうしていました。
松村吉太郎さんのお父さんも、そうしていました。
なのに、神さまは、中山家も、松村家も、貧のどん底に落としている。
ここが「功記」の重大なポイントです。
「働いて生活を立てて暮らしていては、功記にならない。」
貧乏しなければ、谷底に落ちに無ければ、「功記」は残せない。
それを「ひながた」が教えてくれています。
- [814]天地真理 06/11/11 16:03 E-lZVaz
- 皆様なんかだぶってしまい失礼しました。m(__)m日本の文化を大事に、いじめを無くし家庭や学校に会社にみんな仲良く纏まる。営利主義ではなくまごころの助け合いで自然や健康を大事に、身障者や弱者に優しい国になれば、世界中から日本の文化や精神を学びに来られ、喜びながら栄える。今は軍隊や核問題が議論される所まで来てしまった、神のりいふくと 破壊と処理 世破棄でも 心次第でいかなじゅうようと ハルマゲドンの黙示録とも読めます。つとめが違わん様に成れば天の与えも違う事がないはずつとめの復元も必要と思うのです。
基本さん、リラックマさん、はじめさん、苺さん、とみさん、高慢に書き込み、流れを乱し申し訳なく思います。私は心と口だけで実行がまだまだな男です実行はどうしたらヨイでしょうかおやさま雛形は明治20までと思いますが
- [815]リラックマ 06/11/11 16:45 D-snzhw
- はじめさん、こんにちわ。「応法の道」については、私も神さん、最初から見抜き見通しやったのかいな?と、たまに思います。
大平良平の雑誌「新宗教」大正五年三月号に
教祖在世中に『此の道に七人の人柱(秀司、松枝、こかん、和泉の良助、若江の市兵衛、大豆越の忠七、豊田の左衛門)を生けてある。末の世になったら此のミキ一人の力が強いか七人の人柱が強いか善と悪とを分けて席の題とさす』と仰った。
とあります。
梅谷文書にあるおさしづに、
明治十九年一月の伺二付ての御指図
一時とびでたところ、ぜんやくわけにせかいの人百人と、たとへバ九十九人まで、あく一人だけ、ぜん一人のぜんがつよいか、あくがつよいか、せかいすこしみへかけてある、たしかの事は二ヶ月、三ヶ月たつたならバ、せかいあかるくなる、いつとこなしに日々きかへ二やならんよふになる
と、あります。(このお言葉は、明治十九年一月十五日、櫟本のご苦労より帰って来られた際のおさしづです)
人間がいろ/\にあがいてみても、神の目には予定通りなのかも知れません。
- [816]基本。 06/11/11 16:49 xUFrz1mrXK
- >>814
> 実行はどうしたらヨイでしょうか
これを、羽根突き歌のように、ひとつ二つと、教えて下さったのが、「十二下り」の「てをどり」の「おうた」です。
「みかぐらうた」は、「おふでさき」であると、真柱様は示してくださっています。
よろづよ八首→一下り目・・・、 立って踊る。理をふるのやで。
これは、実行と言う事、そのものです。
よろづよ八首と同じ意味のお歌→ おふでさき。うたの理で責め。
このように、実行は、「十二下りを踊る」こと、そのものが、「実行」の仕方を、教えてくれると言う事です。
- [817]T.N.Doctrine 06/11/11 16:51 cDg62WOMwQ
- リラックマさん、まっぷさん、ご心配かけて済みません。
お気遣い頂き有難うございました。
が、体の方は何ともありません。
ただ、個人的に(仕事で)忙しかっただけです。
今、基本劇場が続いているようですので、
また暫くして寄らせてもらうことにします。
- [818]リラックマ 06/11/11 16:59 D-snzhw
- 基本さん、ありがとうございました。
この「猶吉翁口述記」は、息子の虎夫さんが、お話の勉強のために猶吉さんに尋ねられたものの速記録らしいので、ああいうふうにお話の組み立てについて語られているのでしょうが、仰るように、教祖の「こふき」を後継の者に伝える時には、自分の考えを混ぜる事はあってはならないのでしょうね。確か、教祖もその事は仰っていたように記憶しています。
古事記については、その内容はよく知らないので、猶吉さんの話を読んで、「へぇ〜、そうなんだ」と思っていたのですが、違うみたいですね。今度、ヒマな時に読んでみます。
それにしても、基本さんの投稿を読ませて頂いて思う事は、その話の内容の潔癖さと妥協のなさは、なんだか大平良平みたいだな!と思います。大平良平は、ご存じないかも知れませんが…。
- [819]リラックマ 06/11/11 17:06 D-snzhw
- >>817T.N.Doctrineさん、お久しぶりです!お元気そうで安心しました(^_^)。
仕事が落ち着いたら、また寄って下さいね!
- [820]苺 06/11/11 18:27 Gl19KKOjrA
- 天地真理さん、『高慢』は、お互い様ですので(笑)遠慮はいらないと思いますよ。
遠慮はたしか。。『大埃の台』でしたっけ?リラックマさん?
- [821]まっぷ 06/11/11 22:27 cDg62a059N
- >>817 T.N.Doctrineさん、お元気でなによりでした。
また寄ってくださるのを、お待ちしております!
- [822]はじめ 06/11/12 01:10 qIPIiR8..3
- リラックマさん。こんばんは。
>>815
ありがとうございました。以前からずっと不思議に思っていました。
教祖もその他の人も同じ道具衆なのに、どうして親神様の思召に逆らう事ばかりするのだろうと・・・・
すべて我々普通の人間の通るであろう困難に対する善悪のひながた(話しの台)を作って下さっていたと考えてもおかしくないと思いました。
ひながたを作って下さった道具衆に感謝ですね。(⌒∇⌒)
ありがとうございました。
- [823]基本。 06/11/12 03:09 OPm/HjNcSX
- >>817
T.N.Doctrineさん、お久しぶりです。
> 基本劇場が続いているようですので、
> また暫くして寄らせてもらうことにします。
ご配慮、有難うございます。
天地真理さんとの間の、通じ合う所は、道の兄弟という処ですから、かなりマジで、突っ込みまして、やらせて、頂いております。
>>818
リラックマさん、タイミングよく資料提供、有難うございました。
基本さん、ありがとうございました。
>
> ・・・その話の内容の潔癖さと妥協のなさは、なんだか大平良平みたいだな!と思います。
> 大平良平は、ご存じないかも知れませんが…。
以前に数理にて検証し、大平良平さんは、異端であるのだと、語ったことがありました。
山名系の布教師で、雑誌新宗教にて教団の腐敗を説き、批判した人。
諸井慶五郎さんが、説得・説諭を試みたが折り合いつかず、結局太平さんは「播州井出くに・・二代目教祖」の所に、身を移し、実態上も異端として出直されているようです。
八島さんは、「二代真柱様の教義の後継者のように」偽装して、論を展開し、異端化していることを、そうでないように見せる努力をしています。
また、「山澤系」を、現在の教団の腐敗の元凶のように、説きまくっていますが、その理由は、
基本劇場的に申しますと、「遺伝子情報」の問題にあります。
つまり、山澤家には、「濃い遺伝子」がある。
そういう理由で、今の真柱に子供が居ないから、当然、「濃い遺伝子情報を有する」山澤家から、真柱後継者が出る可能性は大なのです。
「真柱公選制」に持ち込みたい教団内部の有力者たちは、資金的にも裏で櫟本分署跡を支援し、子供のいないもの機会に中山家をはずす準備として、遺伝子情報の濃い「山澤家」たたきをしている。
八島さんは、大平良平のように、純粋な教団批判者ではなく、教団内部のなにかにと裏でつながりながら、教義のねじまげしている、確信犯ということになりますね。
>>815
ほんとうに、「ひながた」は、通らせて頂くもので、「ひながた」になるものではないですよね。
関連しますが、
>>800
> 「この間管長様から、見せて下さった古記やなあ、少し違う処あるからなあ」
> この、言葉の中に、大きな理の間違いの自白があります。
リラックマさん。お分かりの上と思いますが、「管長」と呼ぶのは、教祖の教えにはない。『真柱』と、若き二代真柱を呼べなかった、そこに、高井さんの、信仰が見えてます。
表向きは「管長」、しかし、教えの上では「しんばしら」。
これが、認められないというのが、「こうき」を語るようになった高いさんの、信仰上のミスでした。
- [824]天地真理 06/11/12 06:41 E-lZVaz
- 基本さん真夜中まで有難う御座います。お体気をつけて下さい。おつとめの復元を実行するにはとどうしたら良いかと思ったのですが、、、ちょいとはなしはかぐらつとめのダシの地唄として教えられ 一番始めにつとめられるはずですが今は第二節であります。また十一種の甘露台つとめも教えられているのに、おびやつとめだけでしょうか?イラク戦争やテロも絶えないのに、つとめは切ることを止めると教えられます。おつとめを完全に復元しないと天災は益々酷くなり、国は乱れると思います。をm(__)m
- [825]天地真理 06/11/12 07:15 E-lZVaz
- 皆さんお早う御座います。道具衆はかぐらつとめの理に現れていますね、皆各々が拝み合い。一が十で、十が八百万で、八百万が十で、十が一。お解り頂けますでしょうか 世界平和の構図が皆の遺伝子にあるのです。自分とこが一番と思う気持ちは解りますが、世界一列兄弟姉妹ろくじの理がかぐらつとめの理であります。
- [826]天地真理 06/11/12 08:35 E-lZVaz
- 遠慮は埃 苺さん有難う御座います。皆さんどんどん言いたい事を言って話し合う中に真実が見えて来ます。互い助け合いは諭し合い、もちつもたれつ、磨き研かれ成人して、見えて来ます。だんだんの理が渡そうと、泥海から月と太陽の光りさす、陸上へ一人ずつ進化していくのです m(__)m
- [827]基本。 06/11/12 11:52 etyign6mqL
- 天地真理さん、張り切っておられますね。
今、天地真理さんには、ぢばの理と存命の教祖の理は、どのように信心がなされていますでしょうか。
元の理、の元とは、ぢば。
この世の始まりとは、今。
それは、おふでさきにきちんと書かれています。
その、教祖のひながた、これを道の通り方の手本と教えられています。
そこを離れては、道にはならないから、用心して下さい。
- [828]基本。 06/11/12 12:28 etyign6mqL
- > イラク戦争やテロも絶えないのに、つとめは切ることを止めると教えられます。
天地真理さん。
誰がそんな事を教えたのですか。
「つとめは切る事を止める」と。
天理教祖の教えのどこに、教えられていますか。
原典ですか。
或いは、誰かが、そのように聞いたと言う文書がありますか。
その、聞き取りは、信用できますか。
「つとめは切る事を止める」
それは、方便の教理ですよね。
原典には無い教えですよね。
そういう、「つとめ」で平和が来ると言う考え方が、「拝み祈祷」という考え方で、合理性は何も無い。
この道は、拝み祈祷では無いのです。
おつとめしたら、平和がくると言う事は、「ありえない事」。
ご理解していただけましたか。
- [829]基本。 06/11/12 12:50 etyign6mqL
- 天地真理さんが、示して下さっていますが、
@、みんなの心が互いに助け合えば、陽気暮らしになる。
A、おつとめがきちんとつとめられたら、平和になる。
こういう考え方を、宗教の方便と言い、そんな事は、実は、あり得ないのです。
教祖が「大社高山取払い」と言われた、どの宗教も、実はみな、同じ事を説いているのです。
「五穀豊穣を祈る」「日本の国の平和と繁栄を祈念する」。「健康を祈願する。」「悪霊を取り除く」。
と、どれも人の幸福を説いている。
そういう、宗教だから、取払う必要ない。
と、教祖はいわれていない。
それは、宗教とは[支配の方便」だからです。
天地真理さんは、ここに本人が書かれている事を本人として信じて精一杯に、皆が助け合うようにと、願い、おつとめがきちんとつとめられたら、戦争が無くなると、頑張っている。
そういう、間違いを、宗教は、人にさせるのです。
それは、天地真理さんが支配されている姿なのです。
教祖の教えそのものから、きちんと根を掘らないで、「イメージ」を信じ込まされて、「つとめで平和が来る」と、「空」にイメージを浮かべている。
実は、現実には、何も世界の普請に向わない。
向わせない。
宗教と言うアヘンは、人の心を惑わせるだけで、「理」ではない。
この一点を、天地真理さんにお伝えしたいと言う事です。
- [830]基本。 06/11/12 13:09 etyign6mqL
- 現実の社会は、経済と政治とで動かされています。
これを改革するというのが「教祖」の教えの本質です。
それが、祈れば出来ると言うなら、滑稽です。
おつとめで世界平和が来ると言うのは、「現実逃避」です。
たった二人の「夫婦」の中ですら、本人の努力の一番に及ぶはずの「夫婦仲良く」ですら、実行できないと言うのに、「世界人類をおつとめで救う」。
まさに、滑稽です。
対して、中山みきは、自殺までも考えるほど追い詰められても、この世の普請のために、先ず、夫から、説得している。
先ず夫と共に、施しを実行し、中山家の財産の処分をし、貧乏に突入し、している
この中山みきのひながたの全貌を、把握せずして、何が天理教か。
原典を、ひながたを、きちんと根をほらずして、道とはなりません。
社会を根底から変えるには、普請するには、「拝み祈祷」と言う方便に人をおとしいれる宗教の「高山」を取払うこと。
八島さんや、山名系の教理は、「高山」そのものだと言う事です。
- [831]基本。 06/11/12 13:51 etyign6mqL
- 具体的な提案をしてみましょうか。
核反応をとめてしまう、物質を発見する。
核反応を以上に加速する方法を発見する。
核反応の反対の反応を起こして中和する。
核物質を食べてしまう微生物をみつける。
放射能を掃除する化学薬品を開発する。
核反応を止めてしまう事が出来る、「波動」のようなものを見つければ、核兵器は、役立たずになります。
核反応を急がせる方法が見つかれば、危険すぎて、核は持っていられなくなります。
・・・
つまり、こう言う事を科学が発見するほうが、「おつとめ」で平和にするより、確実です。
「おつとめ」していたら、そういう科学は進歩しますか。
拝み祈祷の、滑稽さです。
- [832]天地真理 06/11/12 14:31 E-lZVaz
- 基本さんこんにちは。仰る事は良く解ります。世界平和へは、各々役割が有ると思います。皆同じ人間なるように思っておられるのですか むほんのつとめを勤める人たちがつとめていないことを私は申しているのですが、必要のないおつとめなら始めから教える筈がないですよね。私はそう思います。
- [833]基本。 06/11/12 16:01 etyign6mqL
- 「むほんのつとめ」→「平和祈願」 これは、方便です。
そんな教え、教祖は言われていません。
「むほん」とは戦争の事だ。こんなのでっち上げの教理でしょ。
「むほん」と言うのは、普通にいえば、国語辞典では「背く事」、「密かにはかって反乱すること」つまり、上のものに「反逆する事」。
「神の教えに対して、裏切って、背くこと」が、天理教で言う「むほん」ですよね。
親神の教えを知らない人が、高山のたたかいをして、戦争している。これは知らないから、「むほんではない」。
謀反している人を、むほんしないようにお勤めするには、親神様の教えに「密かに」背いている人では、無理。
そして、むほんのおつとめをすると、まっさきに、「天理教○○教会」代表とか、ころりと、なる可能性大です。
今の教団人、「むほんのつとめ」、したら、・・・結果は大変。・・・
大変でしょうね。たぶん。
- [834]基本。 06/11/12 16:06 etyign6mqL
- 先ず、天理の定規にて、理に素直になること。
教組を疑わないこと。
偽神楽をしないこと。拝み祈祷は方便。
原典以外に基準を持たないこと。
こう言う事を、わざわざ外していたら、「むほん」というのです。
偽神楽をしていた、山名さん、甘露台の模型作ってた河原町さん、八島さんも、そういうことするのを「むほん」というのです。
それでは、戦争する高山への、神の働きは、なんでしょか。
天地真理さん、わかりますよね。
- [835]天地真理 06/11/12 16:54 E-lZVaz
- 人も世界助ける心で、世界中で出来る事好きな道に進めば良い。宗教法人の一筋の道が好い人は、勇んで進めば良い、おやさまは一主婦ですね。働いてやるべき仕事をしないと平和は来ない。一番問題は宗教同士の争いの歴史です。今は世界の宗教団体の話し合いで世界平和を祈願しています。そこで神楽つとめの理をしっかり理解したよう木は泥海から今までの教えの理が見えて寛大な目で世界を見れるそして世界の宗教を潤滑油の様に繋いでいけるのです。それは神様に祈願ではなく一人一人の誠の心と言葉と行いです。
- [836]天地真理 06/11/12 17:21 E-lZVaz
- そして神楽つとめは神様が好きなのです。古代から神楽は神様をお迎えに行きお連れした前で神楽を奉納した、今にも神社で行われていますね。月日様が陽気遊山が見たいゆえ 人間が始まったのですその理を人間が理解して、神様に喜びを奉納するのです。大自然の恵み、人体の恵みに感謝して仲良く尊重し合う世界の 勇んだ心を歌と手振りに表して 陽気に舞う姿を 神様に奉納するのが神楽だと思うのです。m(__)m
- [837]リラックマ 06/11/12 18:01 D-snzhw
- >>820苺さん、こんにちわ。昨日の夕方から出張で、今 読ませて頂いたら天地真理さんがお答えになってますね。「大埃の台」というのも、何かありましたね。帰宅したら、調べてお知らせ致します。
はじめさん、こんにちわ。>>822で仰られた事は、以前私が飯降政甚さんのお話を紹介させて頂いた時に、痩せたヤゴさんが>>272で「負のひながた」と題して触れられています。参考にされてはいかがでしょうか。
ちなみに大平良平は、T.N.Doctrineさん流にいうと、「親神劇場」である、というような言い方をしてましたね。我々人類のために残してくれた、神の壮大・遠大な劇であると…。(これも帰宅したら、調べてお知らせ致します。)面白い考え方だと思います。
- [838]リラックマ 06/11/12 18:06 D-snzhw
- >>823基本さん、こんにちわ。大平良平、ご存じだったのですね!失礼致しました。
諸井家と大平良平は、因縁浅はかならぬ関係にありますね。大平良平のお墓が、豊田墓地のすぐ近くにあるのですが、諸井慶五郎さんはこっそりとお墓の設置費用(お墓は「設置」でいいのでしょうか?)を一部出費されているらしいです。
八島さんは、大平良平を利用しているのですね。中山みき研究ノートでも、自分に都合のいい部分を引用しているように感じていました。
高井猶吉さんが、たとえ養子であっても、息子と二人だけのプライベートな空間においても「真柱」と呼ばず、「管長」と呼ぶ事には、私も少なからず違和感のようなものを感じていました。
思うに、教祖の「今、人に笑われそしられてがんばれば、将来は結構になる」という話を心から信じ切れず、「こんな結構な教えが、コケにされる」事がくやしかったんだと思います。
だから、『権威』に走った。だから、権威の象徴である「管長」という言葉を、プライベートでも使用していた。「真柱」よりも、「管長」という立場に対して誇りに感じ、その権威を心の拠り所にしていた。
そう思います。
- [839]苺 06/11/12 18:51 Gl19Kwdc./
- 私は、おやさまの教えほど、所謂『宗教的』ではない、そして、『儀式的』でもないと感じている一人です。
宗教的に、儀式的に、そして、作為的に装飾をしてしまうと、ますます土の匂いのした天理教から遠ざかってしまうように感じています。
これは、あくまでも、私個人の感想ですが。。。
- [840]天地真理 06/11/12 21:03 E-lZVaz
- 解りました。つまり教会の洗脳は唐破風そびえる神殿に鏡と祭儀式に賽銭箱ですね。これは昔からの風習を入れたもの。自らが神の館になり天理王の心となり世界の中で働いて生きるよう木が家に集まり陽気に親である神様との団欒、これが神楽でしょうか、これがこうを結ぶという事でしょうか。甘露台つとめは地場だけですね。おやさまの教えはこういう事で有ると思います。m(__)m
- [841]天地真理 06/11/12 21:43 E-lZVaz
- こうと言う各家庭で天理王の心となった者が勤める神楽つとめは、神楽お立ちつとめと十二下りのおつとめを勤める。お面は着けなくても立って和になって、ちょいとはなしのおつとめから始まる。お面は心次第でしょうか。こんな感じで有ると思います。m(__)m
- [842]はじめ 06/11/13 08:26 qIPIiR8..3
- リラックマさん。おはようございます。
>>837
>痩せたヤゴさんが>>272で「負のひながた」と題して触れられています。
>ちなみに大平良平は、T.N.Doctrineさん流にいうと、「親神劇場」である、というような言い方をしてましたね。我々人類のために残してくれた、神の壮大・遠大な劇であると…。
なるほどです。しかし、私的には、「負のひながた」という言い方はあまり歓迎したくない気がします。そのようにせざる終えなかった原因が他にあると思うからです。
また「親神劇場」という言葉もあまりにも客観視しし過ぎて冷たい感じを受けて・・・。
ありがとうございました。
- [843]リラックマ 06/11/13 09:47 D-snzhw
- はじめさん、おはようございます。
>>842了解しました。いらぬお世話だったようです(>_<)。すみませんm(__)m
- [844]リラックマ 06/11/13 10:32 D-snzhw
- >>843大平良平の名誉回復の為に付け加えます。
「親神劇場」というのは、私が分かりやすく言ったつもりだったのですが、考えてみたら、大変神様に対して失礼な物言いでした。
大平良平の「ひながた観」と、二代真柱さんの「ひながた観」は、じつは大変類似しています。
二代真柱さんは、宮池の身投げのひながたを、「してみせた」という風に確か仰っていますが、要は人類のための演技であるという事だと思います。大平良平のひながた観と非常に似ています。
ちなみに私は「教祖成人説」寄りのひながた観であります。
- [845]基本。 06/11/13 11:39 etyign6mqL
- >>844
私は、「因縁原論」の立場を基本とします。
つまり、みな因縁のものであるという立場です。
因縁と言うのは、通らなければならない過程も因縁ですし、その結果も因縁です。
例えば、発芽と言う場合には、土と水と温度が整わなければ発芽しません。
「陽気くらし」と言う種はあっても、「土に撒かれていない」「水分が足りない」「温度が足りない」と、発芽不良になる。
これは、植物の因縁事情です。が、人間にも、あてはまる部分があります。
大平良平さんの場合には、陽気暮らしという因縁事情は「谷底せり上げ」にあるとは、分かっておられたけれど、それは、どのようにすれば発芽するのかは、思案が及んでいなかったと思います。
「これは、ジャガイモの種いも」だとして、「土に撒かない」では、発芽はしない。
土に撒いたとしても、適当な深さでなければならない。土に養分がなければならない。
「ジャガイモに適当な土に、上手に埋ぼる」事が出来たとしても、地熱が上がらないと、発芽しない。
そして、水分がないと、発芽しない。
こう言う事は、「皆、いんねんのものである」。
「旬刻限の到来」「元のぢば」「魂の因縁」と言うのも、因縁事情ですが、それで立教したから、もう発芽したとは、ならない。
そこに、「ふうふの心」という、人間の因縁事情がある。
つまり、「二人の心を治め居よ」という、陽気暮らしの発生の、根本の因縁がある。
こういう処に、先ずふうふの心と言う、天理教の基本があるわけです。
ひながたは、そうした因縁事情を照らし出してくれています。
そういう、土台をきちんとするということが、「鏡ヶ池」のひながたに示されたものと、基本は理解します。
- [846]基本。 06/11/13 11:57 etyign6mqL
- >>841
天地真理さん。
おふでさきでは、「どのような事をするのも皆つとめ」と教えられています。
神さまの教えの理に合わせて、理を振ることが、「どのような事をするのも皆つとめ」と言う意味です。
お筆先の一号は、
よろづよ八首と同じ趣旨の八首の後に、こう在ります。
「だんだんと心勇んで来るならば せかいよのなかところはんじょ」 1−9
「りうけいのいつむ心ハきのとくや いづまんよふとはやくいさめよ」 1−13
「りうけいがいさみでるよとをもうなら かぐらつとめやてをとりをせよ」 1−14
「このたびハはやくてをどりはじめかけ これがあいずのふしきなるそや」 1−15
> こうと言う各家庭で天理王の心となった者が勤める神楽つとめは、神楽お立ちつとめと十二下りのおつとめを勤める。お面は着けなくても立って和になって、ちょいとはなしのおつとめから始まる。お面は心次第でしょうか。こんな感じで有ると思います。
これは、「てをどり」をと、置き換えるのが、おふでさきに忠実な、教えどおりです。
「神楽」というのは、「てをどり」の不思議の後に、みんながぢばを囲んで楽しむものです。
今は、「てをどり」、「十二下り」です。
- [847]天地真理 06/11/13 13:00 E-lZVaz
- 基本さんこんにちは。私は各々の心の地場定めの話をしております。そして世界中どこでもと言うろくじの話をしております。元の地場は当然の事ですよね。石の甘露台を立ててかぐら本つとめに甘露台のつとめに心添わすのは、後は実行あるのみ m(__)m
- [848]天地真理 06/11/13 13:29 E-lZVaz
- 心定め
元の地場にお鎮まり下さいます親神様南無天理王命の御前に・・・・謹んで申し上げます
月日両神くにとこたちのみこと様おもたりのみこと様と八神のおや神様には大自然の恵み、人体の恵みを毎日結構にお貸し与えご守護下さりまして、嬉しく勿体なく感謝思いでただただ頭が下がります 誠に有難う御座います
その中に、会社で働きながら匂い掛けお助けに励んでおりますが、自由に使える心で自分の凡夫心に負けてしまう事も多々ありますが、この度、おやさまの雛形をたどり、人も世界も助けたいとの天理王の心となり誠の言葉と行いで自分の進む道で出来る範囲の事を喜び勇んで通らせて頂く所存であります。
- [849]基本。 06/11/13 17:28 OPm/HjNcSX
- 「だんだんと心勇んで来るならば せかいよのなかところはんじょ」 1−9
これが、天理教の基本的な教えの趣旨です。
「ところはんじょ」と言われているように、国々所々のそれぞれの場所での「繁盛」です。
みかぐらうたでは、
一下がり目に、「正月肥えのさづけはやれ珍しや」と、言われている。
これが天理教の教えの基本です。
つまり、繁栄・繁盛、豊年。
経済的豊かさが、天理教の教えの趣旨である。
これは、「宗教」という仮面をはずせば、誰にも分かる天理教の趣旨です。
諸井系の教理では、この「豊年・繁盛」よりも、「報恩・ご奉公」という、まるで相反した教えが中心になっている。
八島さんの説く教理でも、「豊年・繁盛」よりも、「魂の平等・神楽勤めによる奇跡」が説かれています。
魂の平等も何も、皆が豊かにならなければ、ところ繁盛がなければ、陽気暮らしにはならない。
それを貧乏するのがひながただから、みんな貧乏してでも、お供えして魂の徳をつけろ、魂の徳がつけば豊かになれると、「集金システム」を作りました。それが教庁の中心にいて戦前の教団を、初代表統領として戦後の教壇を指導した諸井さんの、作り上げてしまった、「山名系」教理。
そして、その思想的誤りを全く批判せず、天理教の方向性を社会変革に眼を向けさせて、自らの「お供え・受金者」の立場のままで、宗教家業延命を策している八島さんも、おんなじ事です。
両者とも「せかいよのなかところはんじょ」 1−9、は、説かないのです。
両者とも「肥えのさずけは珍しい」は説かないのです。
そんなものは、無条件の守護なのです。
おふでさきを読んでも、みかぐらうたをうたっても、親神様がしたいのは、無条件のご守護です。
そりゃそうです。
おやですから。
だから、その親の気持ちを、親としての神の気持ちを無条件に信じて、受け入れることが、「十二くだり」を踊るといういみです。
- [850]基本。 06/11/13 19:06 OPm/HjNcSX
- >>849
> 両者とも「せかいよのなかところはんじょ」 1−9、は、説かないのです。
> 両者とも「肥えのさずけは珍しい」は説かないのです。
> そんなものは、無条件の守護なのです。
肉体の世界のスポーツでは、山名系に言わせれば魂の徳の無いはずの「貧困の国」出身者のすばらいしい活躍が、あります。
そういうことが無条件の守護の、ひとつの典型なのです。
高山は、資本を支配し流通を支配し、市場を支配し、そして、支配できないものは「肉体そのもの」、「人間そのもの」です。
人間が思惑を用いて、支配する手段には、宗教、しっかりと利用されます。
支配する手段としての、宗教。
それを身をもって示しているのか、天理教・山名系教団であります。
対して、権力批判という手段としての、宗教。
それもまた、教団支配のガス抜きと、支配体制の保持を実は支えるものだということは、天理教・櫟本文書跡系教団。
そういうものを、身をもって体験したということが、応法の道の、意味であり、意義でした。
親神様は、ろくぢへと守護している。
その邪魔をすることが、むほん。
いまの、謀反体質天理教を、繁盛体質天理教に変えるには、脱宗教。
心のサティアンから、「理」の信心に、足を踏み出すしかないと思います。
- [851]基本。 06/11/13 19:19 OPm/HjNcSX
- http://www.tenrikyo.or.jp/ja/teaching/teach/sazuke.html
存命の教祖からいただく本当の宝物。
「さづけの理」とは、病をたすけるための手段として、教祖から頂くものです。
これを、身体を患っている人に取り次ぐと、親神の守護により病をたすけていただけるのです。
「さづけの理」は一般 の医療と相対するものではありません。
医療により表面的な症状は治りますが、実は病には根のようなものがあるのです。
それが、私たちの心づかいなのです。病をたすけるとは、心づかいを正すことなのです。
陽気ぐらしをするという人間本来の姿を阻むのは、私たちの自己中心的な心づかいです。
その心づかいを正してやりたいとの親心から、親神は病という形を通して私たちに知らせ、導いてくださるのです。
病を患っている人は「さづけの理」を受けるにあたり、親神の守護を知り、自己中心的な心づかいを改め、本来の姿に戻る決意をさせて頂くと、健康をご守護いただけるのです。
「さづけの理」を頂くには、「別席」という神様の話を9回聞きます。別席を受ける人は、この話を繰り返し聞く間に、自己中心的な心を改め、教えをしっかり治めるように努めます。そして、9回目(満席という)を終えると、その真実な澄み切った心に「さづけの理」が頂けます。これを頂くと、「ようぼく」となるのです。
- [852]基本。 06/11/13 19:23 OPm/HjNcSX
- 親神様は、
> 人間本来の姿を阻むのは、私たちの自己中心的な心づかいです。
> 親神の守護を知り、自己中心的な心づかいを改め、本来の姿に戻る決意をさせて頂くと、健康をご守護いただけるのです。
>
こう言う事の為に、天理教を始めたのでしょうか。
間違いです。
- [853]基本。 06/11/13 19:29 OPm/HjNcSX
- 親神様は、この元のぢばに、人間の親神がいるよ。
恋しかったらぢばにおいで。
この世元始まりの親を知ったら、何にも不自由は無いよ。
と、言われています。
元の親を、確かに知れば、それでよいのです。
その元の親神・中山みき様を親と認めればよいというだけの親の教えに、屁理屈つけるから、基本的な間違いをいちいちご指摘する必要が生じるのです。
八島さんときたら、元の親神が存命の教祖ということすら否定して、人間教祖説を説いています。
どちらも、「むほん」ですね。
- [854]基本。 06/11/13 21:30 etyign6mqL
- この地球上に、国境と言う線は何も無かった。
みんな人間が引いたのです。
既得権として、「得」があるとして、境界線をひいて、人をはじき出し、我が領土とした。
山にも川にも、みな区域をつくり、隔てをして来た。
それは、豊かでなかった時代に、豊年を確保するための手段であった。
石油と言う[化石のエネルギー]は、まさに言葉どおりに、化石化していくと言うのに、その縄張りと権益の確保のために、境界線を引き、人と人を差別し、弾き出して来た。
それも、「貧しかった」からです。
貧しさが、権力を生む。差別を生む。
反対に、繁盛と豊かさは、共に分かち合う喜びを産む。
世界中が、世界中にて、神楽を楽しむには、何が一番に大切なのか。
それは、豊年であり、繁盛であり、夫婦・親子の睦まじさである。
先ず、この社会を豊かな社会に、国々に豊かな繁盛があること。
そのために、天理を活かしきる研究が、我々の真の使命です。
繁栄のために、貧困と言う体験を持つこと。難儀の底まで落ちきること。
それは、せかいの難儀をたすける基本です。
- [855]基本。 06/11/13 21:43 etyign6mqL
- 「三に散財心を定め」と、教えられました。
夫善兵衛、納得できないと、白刃をもって迫りました。
屋敷を取払うと言う、その時でした。
「あんた何をしておいでか」
「わしは、怖くて、たまらん」
難儀の底に落ちると言う事は、怖いのです。
境界線を引いて、我が財産と、我が家の豊年の元ともいえる全てを捨てると言う事となれば、「わしは怖くてたまらん」のです。
それを、「にっこり」と受けるのが、基本だとしても、人は、その時、刃物を抜いて迫ります。
本当に間違いないのかと。
教祖は、「散財心をさだめ」と、言われているのです。
それは、ひながたです。
松村家の父は、決して財布の口は緩めなかった。渡さなかった。
今の、天理教団は、大教会は、それとおんなじことをしていて、それで、気の毒なのです。
心には「怖くてたまらない」ものしかない。
一切の執着を離れてたら、心に明るさが生まれる。
しかし、一切の執着を離さない限り、「怖くてたまらない」。
信者と言う財布を、握って離さない、哀れな宗教家は、むほんの天理教です。
人さえ助かれば、宜しいではないですか。
親は、不自由はささぬと、にっこりと微笑んでいます。
- [856]基本。 06/11/13 21:59 etyign6mqL
- アメリカは奴隷制度のあったひどい国だという。
その奴隷は、アフリカの、アフリカの国の奴隷を、アメリカにつれてきたものだという。
アメリカは、中東で、支配していると言う。
その中東は、王族が支配している。
宗教がその支配に用いられている。
どちらにも、豊年と繁盛があれば、王族や、奴隷制度は無用のものとなっていたのに、自国の民を売り飛ばした「権力者」と言うものは、その国々にいて、宗教の「統治」を実行している、当事者と言う事になる。
因縁は、「貧しさの連鎖」を断ち切ることにある。
そこには、権力の美酒に決して誘惑されない、因縁を切ってしまった道具。
現在の、天理貴族たちは、胸のそうじからしないと、道具にはなれない。
「権力の美酒」に酔う内は、貧しいのである。
信者から別の場所で、接待されているうちは、「心貧しい」だけではなく、「理」としても、障害としても、貧しいのである。
そんな謀反人には、掃除の道しかない。
が、・・・
一夜のまでも、心を入れ替えて欲しいと、
中山みきさまは、お待ちになっている。
- [857]基本。 06/11/14 02:22 OPm/HjNcSX
- 御本籍がまだ伊蔵さんと呼ばれて困窮の最中のことであった。
そば人々が見るに見かねて、
『伊蔵さんも気の毒や、このままみているわけにはいかん。何とか方法はないだろうか・・・たのもしでもして上げたらどうか』
(*`たのもし・・この場合は何人かでお金を出し合って貸してあげる仕組みの事)
と、言う相談になった。
そこで、神意を伺うと、
『・・・今の苦しみは先の楽しみや、さあもう暫く、このままふんばるが良い。』
と、言われた。
すると、それを聞いた伊蔵さんは、
「神様はこのままで踏ん張れと仰るが、あんまりひどいやないか。わしは食わいでも辛抱するが、女房や子供を食わさんという訳にはいかんがな。」
と言った。
そこで、もう一度伺うと、
『・・・このまま、ふんばるが良い。命ひとつは神が引き受けておく。』
と仰った。
(みちの八十年p121)
松村吉太郎さんの感想や意見は、省きました。
なぜ、そんなにしてまでも、難儀をしなければならないのか。
その答えは、余りにも簡単です。
- [858]基本。 06/11/14 02:50 OPm/HjNcSX
- それは、宝の山。
> なぜ、そんなにしてまでも、難儀をしなければならないのか。
> その答えは、余りにも簡単です。
それは、一粒万倍。
元の親神様を知ったと言うことは、宝の山の入り口です。
『貧に落ち切れ。貧に落ち切らねば、難儀なる者の味が分からん。水でも落ち切れば上がるようなものである。一粒万倍にして返す。』
それは、橋杭の無い橋。を渡るようなもの。
貧のドン底に落ちきることで、上がることとなって、一粒が万倍になって神は返すと言うけれど、まるで「橋杭」は無い。
『大きな河に、橋杭のない橋がある。その橋を渡って行けば、宝の山に上ぼって、結構なものを頂くことが出来る。けれども、途中まで行くと、橋杭がないから揺れる。そのために、途中からかえるから、宝を頂けぬ。けれども、そこを一生懸命で、落ちないように渡って行くと、宝の山がある。山の頂上に上ぼれば、結構なものを頂けるが、途中でけわしい所があると、そこからかえるから、宝が頂けないのやで。』
宝が手に入ったら、人は何をするでしょうか。
大教会の、大神殿を見てみましょう。
大教会初代が、難儀の底まで落ちたら、確かに、一粒万倍。立派な大教会の神殿が建っている。かのごとくに見えます。少なくともお金の宝の山から持ち帰った証拠のように、見えます。
しかし、・・・
それは、神は嘘をつかないと言う証拠ではあっても、大教会初代が、本物の宝の山からお金を持ち帰っていないことは、明らかです。
なんでそんな事が言えるのでしょうか。
もし伊蔵さんが、山のようなお金を手にしていたら、そんな神殿を立てますか。
伊蔵さんは、本席となっても、人知れずひのきしんをしていたお方。
金は山のように集まったら、伊蔵さんなら、どうしたでしょうか。
全てのなぞは解けましたか。
- [859]基本。 06/11/14 03:15 OPm/HjNcSX
- 『本局では、当時の天理教の教会数と教師数から算出して、36万円の分離金を申し出た。』
『私たちの権限において任されていたのは1万円である』
と、道の八十年にはある。明治32年の話である。
信者の金は、各大教会の普請に消えていて、神道本局で計算した、『当時の天理教の教会数と教師数から算出して、36万円の分離金』
は、本部真柱の自由になるお金ではなかったのだ。
真柱の悲願は、天理教の独立。
それに全教は一手ひとつであったわけではない。
確かに大教会初代は、宝の山に入り多額の献金が手に入った。それは、大教会の普請に消えた。
天理教独立の為に、全てをなげうった初代は、・・・
宝の山に入ったなら、そのお宝を全部丸ごと、世のため人の為に、尽くすのが王道であろう。
ましてや、天理教の独立すら出来ていないと言うのに、真柱の悲願の独立に出せるお金は、用意も無かった。
それが、我々の先輩の実像。。。
おのれの名称の長としての繁盛をのみ思案する、宗教家の嘘にだまされていた時代は終わった。
神様が、このものになら、繁盛の鍵を安心して任せるには、「貧のどんぞこ」をきちんと通らなければ、どんな中でも神一条のものでなければ、その真実を確認しなければ、任せられるものではない。
北朝鮮の支配層ではないが、人道支援物資を着服したり、横流しするような人物は、もう、仮の宝の山にすら入れて下さらない、親神様である。
「三に」
身につく事を思いつくのか。
「三に」
散財をと思いつくのか。
その内容が問題である。
- [860]天地真理 06/11/14 05:08 E-lZVaz
- お早う御座います
元の地場にお鎮まり下さいます親神天理王命の御前に・・・・謹んで申し上げます
おや神様には大自然の恵み、人体の恵みを毎日結構にお貸し与えご守護下さりまして、嬉しく勿体なく感謝の思いでただただ頭が下がります 誠に有難う御座います
その中に、会社で働きながら匂い掛けお助けに励んでおりますが、自由に使える心で自分の凡夫心に負けてしまう事も多々ありますが、この度、おやさまの雛形をたどり、人も世界も助けたいとの心となり誠の言葉と行いで自分の進む道で出来る範囲の事を喜び勇んで通らせて頂く所存であります。天理教は有りがたい、有りがたい。
皆様誠に有難う御座いました。
m(__)m
- [861]基本。 06/11/14 07:45 OPm/HjNcSX
- 天地真理さん、おはようございます。
いつもいつも自らの胸に、親神様へのご恩を感じて、問いかけて、すごされて、おられて、どうぞ急ぐ事無く、ゆっくり道を楽しんで下さい。
誰でもが通る、因縁の道ですから、今は社会にあって
> 出来る範囲の事を喜び勇んで
理に、導かれるままに、歩みを続けて行かれます様、・・
それしかない道だと思います。
さて、明治32年に、一派独立の為に神道本局に、「献金」することになって、それからが実は大変な「独立資金献金」の道中となりました。
十年一節と言う、そういう節を招き入れたとしか言えない、名せりふが、道の八十年には、記録されています。
(松村吉太郎さんは日記を付けておられた)
それは、神道本局の要求に対して、言うまま出したら、『欲』にならせるだけだから、」と言う意味の言葉でした。
この、因縁寄せた宗教家業の、互いの欲を、さんげもしない、初代たち。
教祖の教えそのものを見失って、「集金システム」を我が物にした利権屋天理教は、「国境の無いところに国境を定めたように」、
「豊年のご守護を理の親・系統と言う権力で」、区域区域散乱。
報恩信仰の限りを尽くし、差別の教理を生み育て、仕舞いには戦争協力教理までも、説く教団となりました。
何が悪いのか。
因縁の自覚のなさです。
今がこの世の始まりなのです。
先に教えを聞いたものが、境界線を引いて、隔てをつくる。
まさに、因縁のままです。
天地真理さんも、人を導くようになったら、「お前はわしの信者だ」と、親分になるかもしれません。
「私が導いてあげたのだ」と、ふっと心に浮かんだとき、「言うことを聞かそうとしたとき」、あなたの引いた線が、隔てを生む。
そういう心を、「むほん」と呼びます。
通る道だから、それを心得て、皆が集まる時の用心としましょう。
- [862]基本。 06/11/14 09:14 etyign6mqL
- >>859
> 『本局では、当時の天理教の教会数と教師数から算出して、36万円の分離金を申し出た。』
> 『私たちの権限において任されていたのは1万円である』
「たくさん出したら、相手は欲になるだけだ」と言う、もっともらしい判断から、教団幹部たちは、「2万円」に値切って、2万円で分離しようとします。
ところが、神道本局は、それは受け取るけれど、分離させてくれない。
毎年2万円の献金を続けることになる。
そして、その間には、神道本局の普請に、多額の寄付をして、やっと、分離に協力的になってもらっています。
どちらが「欲」なのか。
決して真柱一筋でも、地場本部一筋でもなかった、大教会幹部たちの「教団運営」。
天理教の一派独立は、松村吉太郎さんと初代真柱様のお二人でなしとげたと、吉太郎さんが堂々と宣言している事の意味は、この、「金」の出しぶりにあります。
大教会初代たちは、自分の御殿を作っていました。お金を掛けました。
本部のためには、天理教独立のためには、2万円。
「2万円」、・・・
それでも、親神様は、金銭の埃の病にて、初代真柱を、身上にします。
松村吉太郎も、身上になります。
一人は死に、一人はたすかった。
『良い事しても、礼言われたらそれっきりやで』
教祖は、こう言われています。
集金システムをつくり活用して、応法した埃。
金銭の恨みを、真柱は責任をとりました。
それが、天理のせかいです。
悪いのは、責任者の初代真柱です。
他の、誰も悪くは無いのです。
- [863]はじめ 06/11/14 11:32 qIPIiR8..3
- こんにちは。
基本さんへ。
>>862
>悪いのは、責任者の初代真柱です。
>他の、誰も悪くは無いのです。
すみません。連続投稿で読んでいても何を言われたいのか、全く分からなくなって来ています。それに以上に、嫌気がさしてきて読む気も失ってきています。
何とかご自分の思想を伝えたいという熱意は分かりますが、熱すぎるとやけどを嫌がってみなさわらなくなると思うのですが・・・・
失礼いたしました。
- [864]リラックマ 06/11/14 14:46 D-snzhw
- 苺さん、こんにちわ。
>>837の件、一応お知らせ致します。
明治30年1月15日
『遠慮気兼ありては隠し包みも同じ事』
明治31年5月9日
『何事するも言い難くい事もある。こら言い難くいからというて、放って置いてはほこりになる。小ぼこりが大ぼこりとなる。〜〜互に遠慮は要らん。遠慮は追しょうになる。追しょうは嘘になる。嘘に追しょうは大ぼこりの台。この理さえ聞き分けるなら、日々吹き払うようなもの。これ聞き分け。』
このおさしづから、「遠慮」と「嘘・追従」は、非常に深い関係にあるようです。ついでに「嘘・追従」についても調べてみました。
明治31年9月19日
『中は美しい口で言うて、行いと違うてはならん。チリがあって、一つ水の中にチリがあっては飲まりゃせん。』
明治33年9月9日
『嘘に旨いものありゃせん/\。嘘程恐ろしいものは無い。なれど、真実程結構は無い。』
明治22年3月10日
『神は嘘と追縦これ嫌い。』
明治31年4月20日
『追しょうは一つも要らん。追しょうは濁りの台である。〜〜追しょうは騒動の元、追しょうあればどうもならん。追しょうの中に濁り心の迷わす理、めん/\潰れる台してるようなもの。追しょうはその場のもの。良い顔して追しょうから追しょう出る。』
以上です。調べているうちに、自戒の念にかられました(>_<)。
- [865]リラックマ 06/11/14 15:15 D-snzhw
- 基本さん、こんにちわ。
ここ数日の非常に熱心な書き込み、迫力すら感じます。
>>845私は「鏡ヶ池」の事を「宮池」と書き込んでました。ありがとうございました。仰るように、人間の最小共同体である「夫婦」の和合が、「鏡ヶ池」の身投げのひながたのテーマでしょうね。
あと、私もそうなのですが、最近は教団の現状に否定的な意見が続いています。このスレッドは、いろいろな立場・持ち場の方が訪れてこられます。私や基本さんのように現状に満足出来ない人も、今与えられている現状に満足しているか、もしくは前向きにがんばっている方も来られています。
後者の方々からすれば、少しウンザリされているかもしれません。ここらでちょっと、コーヒーブレイクもいいかもしれません。
- [866]リラックマ 06/11/14 17:07 D-snzhw
- コーヒーブレイクです。自分の持っている資料より、適当にこれは!と思うものを紹介させて頂きます。
※みちのとも昭和11年3月号、「第一回史料集成部座談会記事」より〜
永尾(正信) 〜教祖様も、『つとめ/\と言うてと形のつとめより心のつとめが肝腎やで』とおっしゃった。〜
板倉(槌三郎) 未だ教会制度が出来る以前の事ですが、私の親友の上村吉三郎と言う人が患って、一夜に三升程血をはいた事があった。その時も神様はつとめをせよとしきりにお急き込み下された。十二下りのつとめですかとお尋ねすると『さあ/\心のつとめ/\』と仰有った。その頃から我々はつとめ/\と言うても形のつとめばかりを仰有るのではない、心のつとめが肝腎なのだと言う事がわかり出した。
※第六回教義講習会講義録「人類更生運動の完成を期して」松村吉太郎より〜
教祖御存命中刻限の御咄しに、『三分の一さえ道に入れたら残りの三分の二は煙硝箱に火をつけたように、パァッと一時に入って来る』とも仰せられたのであります。
「教祖様から聞かせて頂いたお話の一端」高井猶吉より〜
御教祖様は、大勢人の寄った處へ、豆炒って出して見よ、歯のえゝ者は食べられるが、歯の悪い者は食べられん。こふく豆にして出せば、誰でも食べられる。で、誰でも分るよう、やらこう焚いて聞かしてやろうと仰せになった。
「一手一つ」梶本宗太郎より〜
教祖様は『わたしは世帯を二度した』と仰せになったと聞かせて頂いております。最初は中山家個人の世帯をなされたが、中山家は落ち切りなされて個人の世帯はするよしもなくなった處から、助けられた人々がたとえ一升の米でも親神様へ御供えする様に成った時こそ、即ち是れが第二の世帯、即ち神の世帯であると聞かせて頂いております。
「雛形の道」高井義一より〜
御教祖様は或る方に『人間永生きの方法を教えてやる』と仰有った。それは『もう年寄ったと云うことゝ、これはどうもならんといふ心、これだけ出さなければ永生きや』と申されました。
「陽気勤め」村田勇吉より〜
御教祖親様は『いつも十八の心で通れ、私はもう年寄ったと思う心が弱るのや』と仰せ下されたと聞かして頂いております。又『元気を出せ』とも『一に勢い』とも仰せ頂いております。又『どうでもと云う精神もって働くなら神も出て働く』とも、亦『さあと云うたら親の名を呼び出せ「南無天理王命」と神はいつ何時でもとんで行くほどに』と斯様にいろ/\と我々子供を助けたいとの真の思召から、此の結構な御言葉をかず/\頂いているので御座います。
- [867]リラックマ 06/11/14 17:54 D-snzhw
- ※史料掛報161号・昭和45年10月発行、「増井りん先生お話」より〜(これは、増井りん先生が教祖のお側でお仕えしていた際、教祖が『ときさとしやで』と仰せられたお話の控えです)
おさづけは突っぱりやで。突っぱりのゆるまん間に、心定めと、さんげが肝心やで。
聞く者はない、見ている者はないからとて、ちょっとの埃はつけやすい。こんなことぐらいと思うていても、皆神にこたえる。
針でついても身の内にこたえるごとく、小さな埃でも、神のからだにこたえる。
人間心がまじるから、結構な理を埋んでしまう。
種の蒔きようによりて、一粒万倍となる。
掃除をするぜ、ほうきがいる。使いよいほうきは、いつまでも使う。使いにくいほうきは、一度きりで捨ててしまう。
諭すばかりで、理がわからんで。結構という心に理をおさめねばならん。この理は火にも水にもとけん。
何程衣食住に不自由なくても、身上病んでる程、不自由なことはない。年をとって現われて来る理は因縁、これを信心のおかげで、大難は小難、因縁の悪い中からこそ喜んで通らして頂けば、切って頂く。
道の中のその中の誠の道に入りながら、道が暗けりゃ火をともせ、あかりつけたらあかくなる。昼の日中も暗らくなる。夜が昼やら昼が夜やら。(火をともせとは、ご教理を聞かせてもらえという意味、増井先生の説明)
この道はしるしを打って組んでいくようなもの、くいちがったら、合わせんで。
学問学問といって、学問でゆくか、書物何百万積んであってたすかるか、神の一言でたすかるのやで。
以上です。
- [868]武庫川女子大学総長 06/11/14 23:21 pF4goDMwQb
- >>862
やあ! 基本さん、お久しぶり!!
- [869]苺 06/11/14 23:30 Gl19Kwdc./
- リラックマさん、ありがとうございました。
私は、常々、この『嘘と追従』ぐらいは、つかないようにしようと心がけているのですよ。
日本人って、遠慮は美徳だし、嘘も方便だし、お追従を上手につく人は大人って感じでしょ?でもね、それは、おやさまには通用しないと思うんです。私は、子ども達の前では、正直な大人でいようと決めているんです。子どもは、見抜きますからね、大人のごまかしを・・
- [870]基本。 06/11/14 23:30 OPm/HjNcSX
- はじめさん、道の八十年、巻頭に、二代真柱様が、吉太郎さんが「さんげ」を書かれたものと言う意味を触れてありました。
道の八十年から、引用して申し上げていることは、松村吉太郎さんは、「伊蔵様の御苦労」と、その伊蔵様の御苦労に対して神様が「手をさしのべるな、もっと苦労をさせろ」との旨、おさしづされた。
それは、「ひながたの道」にあると言うことが主題です。
元の理が今の事であり、それが人間の魂の因縁であるということは、昔の先生の語り続けていた、基本教理です。
「むほん」と、言うこと、それが、「ろくぢ」に対する埃であるというのも、こうき話、昔の教理本の常識であり、丸ごと、教祖の教えです。
誰の心にも「むほんの根」はある。
現実に見れば、口に教祖を唱えて、神名を称えていても、ろくぢでなければ、むほんだと、それは、天理の基本です。
今は、にぎわしい天理教団の姿が残存しているから、その実態が見えていないだけです。
草深い、大和の田の中のみすぼらしい建物の中に、教祖がおられる。
その教祖が、真実誠の、人間の親神である。それが原点の真実です。
現在の、大きな建物は、一度は、取り払わなければ、世界一列に隔てのない。
なぜならば、「ろくぢ」に背いている。
私は、今の教団は神様が掃除すると、思います。
理は、きちんと「返し」をします。
それは、おふでさきに書かれたとおりです。
教祖がおふでさきに書かれた事です。
現在の教団が、「高山」因縁を通っているのか、いないのか、「理」は正直に「返される」と思います。
「さんげ」と言いますが、歴史的事実と現実的事実の二つを、きちんと見つめない「さんげ」は、さんげではないと思います。
天理教団が、現実に、神の国日本は勝つと、説いていた。神風は吹くと説いた有名な先生もいて、中枢の先生も、ほとんど皆説いていた。
戦時中に、それを言わなかったのは「柏木庫治」さんくらい、・・
たぶん「関根豊松」さんも言わなかったと・・
本部の先生も、幹部は、一列兄弟だから「兄の国日本が弟の国、からを指導する」戦争だと説いていた。
鉄砲の弾も「心一つで」当たらない。
こう言うことを説いていた。
その体質は、いつどこから生まれたのか。それは、「公認運動」「一派独立運動」という、政治工作の中で、生まれていた。
この事実を見据えないと、さんげにならない。
さんげにならないと言うことは、「高山因縁」は切れない。・・・
兄魂・姉魂という教理があります。
中川よしさんが、「私ほど因縁の深い者はない」と言われた。
それが、元の理の教理の、兄魂・姉魂。
先に産みおろされた人間は、兄・姉として、後から生まれてきた弟・妹を支配したり、はじき出したり、好き勝手に通ってきた。
だから、天理教の教えを先に聞いて、さんげして、弟や妹のために尽くすのだという、教理の事です。
中川よしさんには、徹底したこの因縁の自覚があった。昔の先生も、信仰が輝いている頃には、その自覚があった。
それが、いつの間にか、宗教支配の、兄魂兄魂の、持ち越し因縁をむき出しにして、戦争協力教理まで説いた、人をそのように導いた。
この、理の狂いを、復元するには、事実を見つめての「さんげ」しかない。
松村吉太郎先生は、「道の八十年」にて、さんげを書かれている。
二代真柱様のご指摘を、胸に、読み返すとき、
戦争体制に対しては断固抗議し、教団に反旗をひるがえして、全ての職を辞職し、山にこもって、禁じられたみかぐらうたを、歌い続けていた、松村吉太郎先生のさんげは、我々のさんげであると、基本は、そう思います。
- [871]基本。 06/11/14 23:48 OPm/HjNcSX
- >>865
> 私や基本さんのように現状に満足出来ない人も、
> 今与えられている現状に満足しているか、もしくは前向きにがんばっている方も来られています。
リラックマさん。
私の宗旨名を、もう一つ追加します。
「天理教中山みき派」「天理教真柱派」、これに加えて、「天理教教団擁護派」。
>>870
> 戦争体制に対しては断固抗議し、教団に反旗をひるがえして、全ての職を辞職し、山にこもって、禁じられたみかぐらうたを、歌い続けていた、松村吉太郎先生のさんげは
>
この、松村吉太郎さんは教団擁護派なのです。
教団が、教祖の教えにない教理を説けと指導したら、断固拒否する。
これほどの、教団擁護派は、いない。
教祖には、ただひとり、いたら良いのです。教祖の教えの分かるものは、一人いれば、良いのです。
それが基本です。
- [872]とみ新蔵 06/11/15 02:16 62g4e7gvJ8
- 基本氏へ。
教祖存命と「存命の理」とはどう相違するのでしょうか?
また「存命」と「存命同様」とはどのような相違があるのでしょうか?
ここの処もまた、信仰というものの、重要なところですネ。
よくよく御思案くださいますように。
この部分は、明治20年の「扉開いて」のおさしずが鍵となるのですが、本部の出した「おさしず本」には、「そりゃいかん。何を言うぞ!」が抜けていますネ。
また、この「存命」の部分は、キリスト教の、イエスの「復活」と類似した、神であるイエスに頼る、または、お願いする信仰にスリかえられた、教義史があります。
- [873]基本。 06/11/15 03:34 OPm/HjNcSX
- とみさん。
教祖存命。と教祖存命の理。
この相違について、私なりの思案をきちんと申しますと、
おふでさきには、八号の35−37に、こう教えられています。
「この世を始めだしたる本心を 言うて聞かさん事においては」8−35
「この処 つとめ場所ハ人間を始めだしたる所なるぞや」8−36
「人間を始めだしたるこの親は 存命でいる これはまことや」8−37
これが、お筆先に示された、「存命」です。
そこで、山名系教理(諸井・天理教神学、深谷・天理教教学)では、このお筆先を元としてではなく、おさしづを元として、「存命の理」という教理を説くように、なりました。
それは、
@、『神が扉を開いて出た。・・これから先だんだんに理が渡そう。』(明治20年2月18日おさしづより)
この「理」の事を、「存命の理」としておさづけを存命の理が渡すと、解釈する。
A、『世界ろくぢに踏みならしに出た。・・追々刻限する。』(明治20年2月24日おさしづより)
この、追々刻限する事を、「存命の理」として、「存命の理がおさしづする」と、解釈する。
この、@とAが、山名系教義の説く「教祖存命の理」の根幹です。
B、『赤き着物に仕立てて供え、これをお召し下されと願うて・・夏なれば単衣、寒くなれば袷、それぞれ旬のものを拵え・・・』(明治20年3月17日おさしづより)
C、『日々の給仕、これどうでも存命中の心でいかにゃならん。』『風呂場の処もすっきり洗い、綺麗にして焚いて居る心、・・・』(明治25年2月18日おさしづより)
この、BとCが、山名系教義の説く、「教祖存命の理」の信仰です。
そして、最も、山名系教義が「教祖存命の理」として、信仰者に求めるのは、
D、『皆それぞれ存命中の心で通れば、それだけの道を見せよう。』
E、『存命中の心でいれば良い。存命中どうしてくれ、遺し置いたる言葉の理始め掛けにゃならん。』(明治25年2月19日おさしづより)
この、「存命中の心」と言う事を、引用し、
> 教祖が存命中だと思って、そこにいるとして、信心しなさい。
これが、山名系の説く、つまり、現在の天理教団の主流の説く「教祖存命の理」です。
こんな、まやかしのような、「教祖存命の理」の教義は、「理」を見えなくさせるもので、基本は採用していません。
山名系教義では、おふでさきの八号の35−37の、
「この世を始めだしたる本心を 言うて聞かさん事においては」8−35
「この処 つとめ場所ハ人間を始めだしたる所なるぞや」8−36
「人間を始めだしたるこの親は 存命でいる これはまことや」8−37
これについては、
九億九万九千九百九十九年前の、泥海世界の「元始まりの話」。
大昔に、人間を始めた親は、江戸・明治と存命でいた話にすり替えています。
これが間違いであることは、天地真理さんにお話ししたとおりです。
>>786
> いままでも今がこの世のはじまりと
> ゆうてあれどもなんの事やら 七号35
> 天理教祖は、「今がこの世のはじまり」と教えてきた。
> 「幽冥の時代の始まり」ではなく、「今がこの世の始まり」と教
天理教の教祖の言われた「元始まり」とは、「今」であると理解するのが、基本です。
- [874]基本。 06/11/15 04:09 OPm/HjNcSX
- >>872-873
> 基本氏へ。
> 教祖存命と「存命の理」とはどう相違するのでしょうか?
> また「存命」と「存命同様」とはどのような相違があるのでしょうか?
> この部分は、明治20年の「扉開いて」のおさしずが鍵となるのですが、
> 本部の出した「おさしず本」には、「そりゃいかん。何を言うぞ!」が抜けていますネ。
>
とみさん。
おさしづと言うものは、速記録というようなものであり、明治20年の頃のおさしづは、聞き取り体制も不備でしたから、おさしづ時代に、聞き取り手によって相違があって、合議してすりあわせたり、こっちにはあるが、あっちには無いと、それは、よくある話で、二代真柱が裁定者として、公刊している。
「真柱派」の基本は、二代真柱の裁定を基準としますが、
おさしづではなく、おふでさきを元とするのが、二代真柱もそれを説いている、原典の読み方の基本です。
すると、
> いままでも今がこの世のはじまりと
> ゆうてあれどもなんの事やら 七号35
> 天理教祖は、「今がこの世のはじまり」と教えてきた。
それから、八号に、
このよふをはじめたしたるんしんを
ゆうてきかさん事においては 八号35
のおうたは、「今、この世を始めだした本心」と、理解するのが、筋道です。
そこで、八号35から41までを、とみさん、「はじまり」と言う言葉で言われているものがいつの始まりなのか、時間と言うことを意識して、読み通してみて下さい。
このよふをはじめだしたるほんしんを ゆうてきかさん事にをいてわ 35
このところつとめばしょハにんけんを はじめだしたるところなるのや 36
にんけんをはじめたしたるこのをやハ そんめえでいるこれがまことや 37
このはなしこれをまことにをもうもの どこのものでもさらにあるまい 38
このよふなない事ばかりゆうのハな これがしんぢつみなまことやで 39
いままでもないせかいをばはじめたハ しらぬ事をばをしえはじめて 40
このたびもまたない事やしらぬ事 ばかりゆううてまたおしえかけ 41
35から39は、「この」「この」「この」「この」「この」
40に、「いままでも」、
50に、「このたびも」
と、並んでいます。
「このたびも」と言うのは、
よろづよ八首、また、おふでさき冒頭の、「このたびは神が表に現れて」の、この度と、そのように、基本は、理解しています。
つまり、お筆先に言われているのは、「今がこの世の始まり」と言う意味での「存命」なのです。
- [875]基本。 06/11/15 05:33 OPm/HjNcSX
- そこで、八号35から41までを、さらに詳しく見てみましょう。
35から39の、「この」「この」「この」「この」「この」は、指示代名詞ですから、国語的には、間近の、ものを指し示す事になります。
山名系の教義の言うように、「この」と言うのが、大昔の「元始まり」の事を指し示すとしますと、それは、国語的におかしい。
それでも、山名系風に、解釈しますと、一連のお歌の意味は、こういう解釈となります。
このよふをはじめだしたるほんしんを ゆうてきかさん事にをいてわ 35
{大昔に、この世を始めた本心を、言って聞かさない事には}
このところつとめばしょハにんけんを はじめだしたるところなるのや 36
{この処のつとめ場所は、人間を大昔に始めだした処なのだ}
にんけんをはじめたしたるこのをやハ そんめえでいるこれがまことや 37
{大昔に人間を始めだしたこの親は、存命でいる。これが真実である。}
このはなしこれをまことにをもうもの どこのものでもさらにあるまい 38
{大昔に人間を始めだした処で、大昔の人間を始めた「この」元の親が存命でいる、という、この話を、まことと思う人は誰もいない}
このよふなない事ばかりゆうのハな これがしんぢつみなまことやで 39
{このような無い事ばかり言う内容は、これが真実、みんなまことだ}
いままでもないせかいをばはじめたハ しらぬ事をばをしえはじめて 40
{今までも無い世界を始めた内容は、知らないことを教えて始めてきた}
このたびもまたない事やしらぬ事 ばかりゆううてまたおしえかけ 41
{この度、立教に於いても、無いことや知らないことを言って、又教え始める}
そこで、40の、「いままでもないせかいをばはじめたハ」が、41の、「このたびも」との関係で、立教の前なので、当然、40の、「いままでもないせかいをばはじめたハ」とは大昔だとなります。
すると、35-39は、を大昔の事と理解すると、不自然なつながりにしかならなくなります。
実は、素直に、国語の文法のままに読めば、解決することです。
基本的に、読みましょう。
「この」は間近なものを指し示します。「指示代名詞」。
「たる」は、存続の助動詞。「ていると言う意味」に解釈するのが文法です。
このよふをはじめだしたるほんしんを ゆうてきかさん事にをいてわ 35
{この世を始めだしている本心を、言って聞かさない事には}
このところつとめばしょハにんけんを はじめだしたるところなるのや 36
{この処つとめ場所は人間を始めだしている処なのだ}
にんけんをはじめたしたるこのをやハ そんめえでいるこれがまことや 37
{人間を始めだしている、この「をや」は、存命でいる。これがまことである。}
このはなしこれをまことにをもうもの どこのものでもさらにあるまい 38
{この、人間を始めだしている親が存命でいるとの話を、まことに思う人はどこにも誰もいない}
このよふなない事ばかりゆうのハな これがしんぢつみなまことやで 39
{こんな無いことばかり言う内容は、これが真実みんなまことの内容だ}
「はじめた」は、国語では過去形です。
いままでもないせかいをばはじめたハ しらぬ事をばをしえはじめて 40
{今までも無い世界を始めたのは、しらぬ事を教え始めて、始めた。}
このたびもまたない事やしらぬ事 ばかりゆううてまたおしえかけ 41
{今回の立教も、又、無いことや知らない事ばかりを言って、又教え始める}
このようになります。
参考です。
【たり】<存続・完了>
<意味>@存続。動作が今なお継続して行われていることを表す。
A完了。動作がたった今終ったことを表す。
<訳し方>@「〜ている」 (例・久しくとどまりたる例なし。
→長く同じ姿でとどまっている例はない。)
A「〜てしまった」 (例・公卿の家十六焼けたり。
→公卿の家でさえ16軒も焼けてしまった。)
多くは存続で使われ、完了で用いられることは少ない。
Aは他にも「〜てしまう」「〜た」と訳した場合が文意が通ることもあるので、
状況や場面に応じて適する訳を選択する必要がある。
- [876]基本。 06/11/15 05:48 OPm/HjNcSX
- とみさん。
ネットを見る人には、誤解があってはいけないので、くどく書きましたが、お筆先には、「今がこの世の始まりとある。」
そして、「人間を始めだしたる」と言うのは、始めだしていると、存続として理解すれば、簡単なことです。
「教祖存命」とは、教祖は今も生きていると言うこと。
それは、「親神として生きていると言うこと」。それが教義の王道です。
そこで、とみさんのいわれるような、複数の書き物があるとしましても、
おさしづの、
> この部分は、明治20年の「扉開いて」のおさしずが鍵となるのですが、
> 本部の出した「おさしず本」には、「そりゃいかん。何を言うぞ!」が抜けていますネ。
>
そこには、こうあります。
『子供可愛いゆえ、をやの命を25年先の命を縮めて、今からたすけするのやで。』
「今からたすけする」 だれが? 「扉開いた人が」。
それが、存命の理です。
「天理王」となって、「今からたすけする」。
それは、おふでさきに、しらされた予言の実現であったと言うことです。
- [877]リラックマ 06/11/15 11:33 D-snzhw
- >>869苺さん、こんにちわ。
大人のごまかしを、子供は見抜く…。確かに仰る通りだと思います。今の教育現場の混乱も、大人のごまかしを子供が見抜いた姿なのだと思います。家庭や学校などにおける、我々大人の「遠慮・追従・嘘」などの立ち振る舞いによって現われてきた姿、まさに「大ぼこり」が現われた姿なのだという気がします。
ありがとうございました。
>>871基本さん、こんにちわ。
「天理教団擁護派」ですか。なるほど…。現在の教団が立ち直るためには、まず教祖の教えに無い事はしない、そして教団がこれまでに辿ってきた道程を正確に把握(さんげ)した上で、今後どうするか、何をなすべきかを考えていこう、という事だと思いました。
「鏡やしき」というお言葉が、フト思い浮かびました。
明治30年2月1日
『ぢばも鏡なら、世上も鏡、世上の理も映れば、ぢばの曇りも皆映る』
明治33年5月19日
『綺麗々々はほんに道、後でどうでも言い訳出けるは鏡やしき。言い訳出けんような事では、鏡やしきとは言えまい』
ありがとうございました。
- [878]基本。 06/11/15 12:16 lsHkXNaPbd
- >>868
武庫川さん、お久しぶりです。
原典も、おふでさき中心の思想と言うものが、飾り物になっているのが、山名系も、櫟本分署跡保存系も、共通しています。
そこで、教祖の存命と言う事も、A者に対しては「今も生きているのですよ」、B者に対しては「今も生きていると思って信心しなさい」、C者に対しては「教祖の教えは理として生きているのです」と、使い分けて説いていて、方便の教理に堕落しています。
いったい、この世を陽気に普請するなどということは、人間わざでは出来ない。
そういう根本認識に欠けていて、それはつまり、真面目に普請をする気がない。
心の慰めに、教理を利用している程度の、説き分けなのです。
おふでさきの五号には、
「胸の内 掃除をすると言うのもな 神の思惑 深くあるから」 5−27
「この掃除 すきやかしたてせん事に 胸の真実 分かりないから」 5−28
「この心 真から分かりついたなら この世始まり手を付けるなり」 5−29
と、このように、
「この世の始まり」の着手の予言がなされています。
元の理は、「この世の始まりの理」であり、それは、「今」の始まりである。
「こうき」は、当然ながら、「今の世においてのこうき」である。
この事は、おふでさきの五号に、
「このみちハ 世界なみとは思うなよ これ末代のこうき始まり」 5−18
はっきりと、「この道」は「始まり」なのだと、「こうき始まり」なのだと理を知らされてあります。
誰が見ても、誰が読んでも、「今がこうきの始まり」であり、「大昔のこうき始まり」ではない。
それが、大學で宗教学を学ばれた八島さんや、諸井さんが読めないわけが無い。
深谷さんが読めないわけが無い。
そうしたら、「今がこの世の始まりと言う教理が説けなきゃいけない。」
教義には、今の始まりは説かれないで、大昔の始まりは説かれている・
「報恩」とか、「感謝」とか、そんな事いくら説いても、存命の教祖が、「この世を始めかけている」という真実が説けなければ、元と末が間違っている。
「魂のろくぢ」も、「神楽を囲んでのおつとめ」も、そんな事いくら説いても、
「天理王命が今生きて働いて」、存命でいると言うたった今が、説けないとすれば、それは、存命の教祖の不在ではないか。
真理もなにも、ここにおわすお方こそ、「天理王命」さまなのである。
この簡単な、一点を、究極の一点、
「元なるをやを確か知らせる」
その元は、今の元始まりの、元。
をやとは、百姓女の、中山みき。
存命であるお方の、世界の陽気普請。
武庫川さんも、人がめどうではなく、
教祖と共に存命できる、生きている間に、存命の教祖だけと、その「こうき」をはじめられたらいかがですか。
- [879]とみ新蔵 06/11/15 13:08 62g4e7gvJ8
- 基本氏へ。
以前にも触れましたが、私は世界中の宗教教義史や教団史を研究調査してきました。
以前のも触れましたが、中山みき師だけを、地上最高の思想家と断じてはいません。
またそういう捉われすらもありません。
あらゆる人間の、思考のすえに構築したサテアンから、完全に脱出し、ゼロにリセットした人間です。
ただその概念で以っても、みき師は日本史上、稀にみるオリジナリテイの強い傑出した人物だから、これを正確に表にあらわさないことには、誠に損失、惜しいことだとだと強く感ずる者です。
そこには、現教団がどうの、本部がこうの、などの斟酌は毛頭ありませんナ。
比喩ですが、これも以前に触れましたが
曹洞宗の元祖の道元禅師の「正法眼蔵」を座右の書にして、原文を幾度も読んだ人物と、数人、出会ったあったことがありました。
もとよりその方々は人格高い立派な人物でした。が、話しを聞いててみると、
今までの、その人の培われた価値観や思念での読み方、解釈ですから、幾度読んでも大切な処を悟り違えてしまっているわけです。
形にはあらわせない、精神の深厚な部分を表現するには、言葉というものの限界というものがあって、ナカナカに至難なものだからです。
とかく原典をみるに、おふでさきの言葉を「顕微鏡の」目で見てアレヤコレヤやと振り回すのが天理教者の特徴です。
これは「やまい」の中です。剣術なども同じですが、意気味やりきみや、相手を負かそうとするのは病で、頭を白紙にした無念夢想の境涯で対手を心眼で遠見してこそ、対手の全貌が観えるものです。
何事も、大意を把むには「望遠鏡」の目で観ることが肝要なのです。
貴殿の理解と解釈は、所詮はサテアンの中、既存の観念の中での、失礼ながら、浅薄な講釈でしかありませんでした。
まだ御自分でもすっきりと、心を澄まして、一切の矛盾なく、教祖の思想を、世界に伝えうる境地に至ってはおりません。
また、私の質問に対しての、「ピントのズレ」
を感じざるをえません。
「さらに参ぜよ、数年は」というものです。
でも、「今がこのよの始まりというておれども、なんのことやら」とのお筆先の意は、チト的を射ているようです。
その人が、それなりに解った時が、その人、その人間の、始まり出しなわけです。
- [880]基本。 06/11/15 15:34 OPm/HjNcSX
- とみさん。
とみさんは、「ゼロにリセットされた人」
基本は、「1、にセットしてある人」
この平行線は、とみさんが、1にリセットするか、私がゼロにリセットするか、どちらかしないと、永久に、平行なのですから、可能性として、私は「1」にセットした自分を変えないし、とみさんも「ゼロ」から変えないでしょうから、平行線のままと言うことに、なるでしょう。
たぶん・・・
基本が、「天理教教団擁護派」と、表明しているのは、とみさんにとったら、ゼロですから、何の価値もない天理教団でしょうが、ゼロの立場と言うことは、そう言うことですから、何の価値もないことですが、基本には、天理教団は、とっても大切な価値あるものということ、それを強くしめしたかったからなんです。そして、教祖の教えは「1」に定義されているのです。
例えば、おふでさきの、
「このみちハ 世界なみとは思うなよ これ末代のこうき始まり」 5−18
を例に取りましょう。
とみさんは、ゼロのリセットだから、
「この道は」というものを、世界一列の通るみんなの道と、理解している。
基本は、1のセットだから、
「この道」というものを、天理教と理解している。
とみさんは、ゼロ故に、広い。基本は、1故に、狭い。
広いと言うことは、とこまでも、とみさんのように解釈するしかない。
どこまでも・・・、天理教を離れて解釈するしかない。
それが、とみさんのお立場。ゼロのリセット。
しかし、中山みきを「唯一の1」、中山みきを「唯一の人間の親」と1にセットしているのは、おふでさきそのものに書かれてあること。
それは、とみさんもたぶんお分かりのことでしょう。
「月日より ないにんけんや ないせかい はじめかけたる をやであるぞや」 16号−53
これは、お筆先の示す、中山みきの定義です。中山みきは天理王命です。
「いままでハ この世はじめた人間の 元なるぢばは誰もしらんで」 16号34
これは、お筆先の示す、ぢばの定義です。元なるぢばは、天理王命です。
つまり、おふでさきに真理が書かれている。
それは、元の神としてのぢば、実の神としての中山みき。
この定義を、「唯一」とする立場の「1の基本」と、その定義すらも「ゼロにリセットした、とみさん」では、そのたった一点で、百パーセントのずれを産むわけです。
しかし、言語と言うの論理の記号でもありますから、中山みき執筆の、お筆先です。
「お筆先に真理が書かれている」と説く限りに於いては、お筆先が定義している中山みきを、「同じ人間ではない」「人間の親だ」「存命でいる」と、その定義のままに、受け入れなければ、それは、お筆先を真理の書物と認めたことにならない。
筆者を定義した、筆者自身の言葉を否定したら、何も認めていないと、筆者には、思われるでしょう。
とみさんは、おふでさきの中の、
「親神」、「この道」、そういう、現在の天理教そのものに触れている個所は、論理として採用しないで、説かれた内容の部分を、丁寧に採用している。
そして、論理を組み立てている。筆者の示した真理として、採用されている。
それは、自己撞着というものです。
お筆先は、天理教団の現実の中で書かれたもの。
秀司の応法の現実に対して、厳しく、書いたのは「中山みき・人間の親神」。筆者は、親神。
人間ではない。
「同じ人間なるように思うているのは、」これは違うと、お筆先に示されている。真理です。
道の将来を教え示されたのも、書いたのは、「中山みき・人間の親神」。
そして、お筆先は、天理教信者に対しての書物。
つまり、教祖は神であると、元の「1」にセットして、読むべきものです。
それを批判すると言うことは、別な立場であり、根底に於いて、教祖が中山家にて、今も居られると言う事を受け入れなければ、教祖の書かれた書物を、論理として読みとれるわけがない。
おふでさきに書かれている事を、「唯一の真理」として、読まない、受けとらないで、書かれた内容の部分部分を引用、採用したところで、筆者の一番の定義そのものが、最初から筆者に背いていては、それでは、論理の破綻と言うことです。
親神の言葉として、読まない限り、執筆者の意図は、伝わらない。
それは、誰でも分かる、ものの道理です。
ゼロにリセットしたら、次は白紙で、執筆者の意図を受け入れて、「1」をきちんと見つめるのが、本筋だと思います。
- [881]基本。 06/11/15 21:37 lsHkXNaPbd
- とみさんは、既に「ゼロにリセットした」と自白されてしまったのです。
そして、おふでさきに知らされた、「中山みきが親神である」と言う事実を、読んでいて、おふでさきにあると承知していながら、
とみさんは、中山みきが親神だと認めていないと、自白されているのです。
元の地場が親神だとも、おふでさきに知らされてあるのに、地場を親神と認めていないと、自白されている。
それは、とみさんは「ゼロにリセット」したのだから、中山みきが親神であり、地場が親神である事実は、おふでさきの書かれている事実だとしても、とみさんは、おふでさきを、親神の教えの書と思っていないのだから、認めていないのだから、当然でしょう。
それならば、なぜ、初投稿の時から、その正体を明かさなかったのですか。
とみさんは、こう書かれています。
>>71
> 教祖の教えを見失った教団本部、これを復元するのは私達です。
教組を「人間始めた元のおや」と信じていない、とみさん。
そうですよね。
その、とみさんが、
> 教祖の教えを見失った教団本部、これを復元するのは私達です
と、語る。
とみさん。
あなたは、教祖そのものを見失っているのですよ。
それが初登場の姿では、教祖そのものを、「人間の親」と認めていない自分を隠していた。
それでは、応法の方便と言うしか無いのです。
- [882]T.N.Doctrine 06/11/15 21:40 cDg62WOMwQ
- 先日来、それぞれ百人程の社員さんを抱えられている取引先の企業の社長さんが、ひどく仲違いしておりました。
片方が親会社のような関係でもあり、社長の解任、辞任という大問題に発展しておりました。
なんとか元のさやに収めたいと思っていましたが、幸いに以前に両社長ともに、例の「鏡の法則」を読んで頂いていましたので、それを手がかりに色々とお話させていただきました。
双方の思い違い、嫉妬、高慢心等々。(私自身も十分すぎるほど持っているものではありますが)、これに他者からの讒言のようなものが加わり、こじれにこじれていたのですが、他の仲介者の助言をも聞いて頂いて、何とか理解して頂き一応の解決をみました。
まだ、わだかまりがスッキリ消えてしまったわけではないのですが、お二人の確執は、我社にとっても大きな損失になるということもあって、おいおいとその溝を埋めていけるように尽力したいと思っています。
何はともあれ、「鏡の法則」の野口嘉則氏にお礼を言いたい気分でも有り、また私が信仰心を持っていると言うことをお二人が知っていて下さることで、いくらかでも聞く耳をもって頂いたものと有り難く感じている次第です。
ほんとに、ヤレヤレといった所です。
そんなことを言いながら、一方でこんなことを書き込むと、ひょっとすると首を傾げられる方が居られるかも知れませんが・・・。
一連の基本さんの信仰理論。他の追随を許さないような論理展開。
圧倒されるような思いも致します。
それはそれで立派な一体系のような気がします。
が、それが、唯一絶対の天理教信仰とされるなら、私は天理教をやめたくなります。いや既に基本さんにとっては、私などは天理教とは似ても似つかない信仰をしているものの部類に入っているのかもしれませんが・・・。
この一点の教義信仰から始めなければならないと言う前提よりも、親神様の思し召しに沿って、お互いが助け合って、陽気暮らしの世界を共に作っていこうという談じあいの場として、私はここに参加させてもらっている積りです。
その志を同じくする者に、いくらかの教義上の解釈の違いがあっても差支えがないと、私などは思ってしまうのです。所詮、本当の所は、「神のみぞ知る」と思っていますから。
とみ新蔵さんが、今の教団内部のもの・信者さん方が本当に陽気暮らしの道を辿れているのだろうか、サティアンの狭い信仰に囚われて実際は陰気暮らしになっていはすまいか、そのような思いからのご発言には、私も深く共鳴するものです。(勿論、教義理解は必ずしも同じではありませんが)
基本さんとて同様です。心のサティアン、心の呪縛から解き放って真の陽気づくめの世のあり方を、家業第一、豊年、商売繁盛の視点から説かれようとしているのだと思いますが、その点は大いに納得させてもらっているのですが、例えば、八島説などに関して言えば、私はそこに理がなければ、物言わずともやがて絶えていくと思いますし、理があるなら繁栄することも有りうるという具合にしか考えておりません。成ってくるのが天の理で、神様がいいように差配されるような気がするだけです。
受け取る筋も千筋で、色々な立場のお考えが有っていいように思うのです。
まあ、こんなことを言うと、基本さんには大いにご不満に感じられるでしょうが・・・。
- [883]基本。 06/11/15 22:01 lsHkXNaPbd
- とみさんは、どんな事を語ったか。
> 初登場の姿では、
> 教祖そのものを、「人間の親」と認めていない自分を隠していた。
そのとみさんは、どんな事を語ったか。
>>71
> 教祖の教えを見失った教団本部、これを復元するのは私達です。
>>74
> 「陽気ずくめ」・・それを普請(創造)するのが、ようぼく(真理の道具衆というものです。
>>76
> 教祖の原典には「感謝しなさい」というような意味はひとかけらもない
> 教祖の教えが、4ッツよなおり、世直りという社会性に満ちたものであることを、御思案いただきたい
> おふでさきの中から「泥海中より守護をおしえかけ」という古記(こうき)を研究するしかありませんね。
> だって当時作られた古記は教祖がよしとはされなかったことは教義学上の常識だからです。
> 実の神とはかんろだいつとめで示した、陰陽やあらゆる要素が補い合い、助け合って、生命体が出来、
> みかぐら歌でも示す、心構えで、このかんろだいつとめの理通りに人々が暮らせば陽気ずくめ社会は実現する。
> という理(神)の意が、「実の神」という表現です。
この、とみさんの見解は、おふでさきを元にしていない、見解の内容も基準も、「山名系・八島系」。
おふでさきの「こうき」は、「今」の事なのです。
教義の常識をふりまわして、素人さんたちを、子供だまししている姿が、とみさん自身の姿が、文字に全部記録されているのですよ。
教祖が、親神様だと認められない。
おふでさきは、神さまが書いたと認めない立場のあなたの語る復元に、なんの意味があると言うのでしょう。
中山みきは、人間の親とすら理解できないあなたの語るお筆先には、何の意味があるのでしょう。
一度、これまでに自分が何を書いてきたか、読み直して、実は教祖は親神様なのだとして、書いていたのであれば、「ゼロから1」にリセットして、教祖の存命を素直にみとめたらどうですか。
このままでは、あなたは、教祖への信仰者の顔と、教祖を利用して自説を説いていただけの顔と、二つの顔をもったまま、その投稿の記録は、残ってしまうのです。
- [884]道の教職員 06/11/15 22:52 PCCnEdF8mQ
- とみさんのご意見も基本さんのご意見もいつも勉強になるな〜と思いながら,興味深く読ませていただいている道の教職員です。何が正しいか私には毛頭分からないので私なりの立場で思ったことを書いてみます。すばらしいお二人のご意見はそれはそれでどちらも成り立つものであるという立場です。あくまで回転速度が非常ににぶい私の頭で記事を読み,考えたことなのであさ〜い意見ですが,こういう奴もいるんだな〜くらいで思ってくださいね。
唯一絶対の親神がこの世にいるとして,それを求めて教典や教学を深めていく,ひのきしんや家業に励み,陽気暮らしを実現する立場が基本さんだとします。
一方,親神様もいるけど,道元さんのような悟りを開かれた精神的に成熟された方もいるし,他の宗派にもすばらしい人はいる。だけど,教祖様はその中でもすばらしい方だから,その教えを大切にして,陽気暮らしを実現する立場がとみさんの立場だとします。
目的は「陽気暮らし」だという点は変わりないですよね。そこにどんな思いでどうやって近づくかが問題になっているのだと思います。
理科系の学問では,自然界の法則を実験によって色々と解明しようとしますよね。唯一絶対のどんな状況下でも成り立つ法則を見つけようとしてこれまでの自然科学は発展してきたと私は思っています。ただ,最近はどうか分かりませんが。神様が作り出したこの世の理である自然法則を見つけるために学問があるとしたら知恵はすばらしいものですよね。基本さんはこの自然科学の立場のような気がします。
文科系の学問でも,自然科学のように仮説検証型の研究がなされてきた歴史があります。私は心理学をかじっているのですが,80年代まではその流れが非常に強かった。しかし,80年代後半ごろから人間社会は自然科学のように一定の環境が常に生じるわけではない,色々な見方があり,考え方があるのだから,同じようなやり方ではおかしいのではないか?という考えが出てきたように思います。社会構成主義という立場です。文学理論でも,それまでは作者の意図を読み取るためにどうするという立場で読解がなされていたのですが,そうではなく,テキストは読み手の数だけ読解があるのだから,作品と作者は切り離して考えていくべきという立場もあります。読者反応理論というものです。私は国語の高校免許を取った関係で文学の勉強もかじりました。
とみさんはこの社会構成主義の立場のような感じがしました。たくさんの教えがあり,たくさんの偉人がいるから,唯一絶対の神とか何とかは言うつもりはない。けど,色々なことを重ね合わせたら教祖様は偉大な方ですよというお考えだと思えます。
唯一絶対の神を考えることが正しいのかどうか分かりません。私は絶対とか唯一とかいう言葉にどうしても反応してしまうので,素直じゃないよな〜と思うのですが,そういった神を想定してしまうことで考えが狭くなったり,固執したりということにつながらないかな〜と心配になります。イスラム教にしてもキリスト教にしても唯一絶対の神がいるからその神の言うことや意見だとされるものに左右されて過激な行動までもしてしまうのでは?と思うのです。そうではなく,日本古来の八百万の神が自然にはいて,それが協調して世界が成り立つという考え方の方が争いやものごとが減るのではないかと思います。
宗教が宗教としての意味をもつのは,何が正しいことか,何を大切に生きていくかがはっきりすることやいかに物事を柔軟にかつ生きやすくとらえられるかということだと思います。宗教によって生きやすさが奪われたり,正しさにこだわり他の存在を否定するようなことをしては本末転倒だと思います。
どんな意見でもいいのですが,目的は陽気暮らし。そのためにどうする?というのが基本だと思いました。今の教団内の考え方では少なくとも私はあまり陽気になれないよな〜と思います。集金体制はしんんどいし,ろくじじゃないし。かといって世間は陽気か?と言われると,嫉妬や憎悪,ねたみ,うらみが渦巻く世界にも思えます。ならば陽気づくめにするためにどうするかな〜?と思い巡らしていますが答えなど出るはずがありませんよね。そこで原典に返るというのも一つ。他の宗派の教えを学ぶというのも一つ。科学的見解に学ぶというのも一つ。ひのきしんやおつとめなどの実践に学ぶのも一つ。全ては神様の作り上げたられたこの世の中での出来事なので全ては神の手の中にあると思います。どの道をいこうとも行き着く先は似ているのではないか?と思えますがいかがでしょうか?
- [885]苺 06/11/15 22:55 Gl19Kwdc./
- 私の手元には、道友社が発行した『おさしづ研究全・山本久二夫・中島秀夫著』と『おふでさき(赤本)』しかありません。
この二つでは、天理教教祖の真意(神意)は分からないでしょうか?
ちなみに、後期講習のおさしづの授業で、講師の先生が解釈してくださった内容が、先のおさしづ研究の解釈とは若干異なる様に感じて(はじめて聴く様な新鮮さを感じて)その講師の先生を追いかけて、その解釈本を入手出来ないものか?(本通りで売っていないか?)と問いかけたところ、それは天理教青年会でのおさしづ研究の解釈本らしく、私が入手する事は出来ないと言われました。その時とても残念な思いをしたのを記憶しております。
私には、『教祖存命』も『教祖存命の理』その言葉の違いを解釈する事は出来ませんが、おやさまが生きて、この世にて世界だすけの上に、いちれつろくじにする為に『働いておられる(その理)』は、分かります。
教祖が扉をひらいてのち、天理教団が、内部でせっせ、せっせと大教会系統ピラミッドを作るのにやっきになっていったその歴史があって、戦争協力や、応法の数々、それらがすべて世界へ映るんですよ。それはそれとして(天理教団の応法の歴史)、そんな中に教祖は鎮座しておられる訳でもなく、もうすでに、生きて世界で働いておられる。その働きの理を、先日、とある場所で思いもかけず確認した次第です。(遅過ぎです!)
教祖存命の理とは、教祖を慕いたすけ一条の道に歩む者が(ひながたを通る者が)その目の前でお見せ頂く、たすけ一条の理の働き、そこに教祖がおられなくて誰がおるというのでしょうか?
熱くなりましたが・・・私は、普通の一人間です。
- [886]基本。 06/11/15 23:28 OPm/HjNcSX
- T.N.Doctrineさん。
お久しぶりですね。
> 受け取る筋も千筋で、色々な立場のお考えが有っていいように思うのです。
>
「受け取る筋も千筋」と言うのは、「心得違い」を意味するわけで・・・すね。
T.N.Doctrineさんのようなお気持ちの方は多いと思いますよ。
基本のような「カルト」は、お友達はすくないものです。(笑)
プロパガンダというものがあります。
ひとつの目的と意図を持って、一定の方向に人を導くために、情報操作する戦略ですね。
それをしてきた人が、松村吉太郎さんであった。
そのさんげ話を、紹介していたら、「こうき」に絡んで、次々と論客が登場して、ヒートアップした。
「こうき」・「元の理」で、この世を救うというのは、それが出来るのは親神様だけ。
この、親神様という主人公の存在を、匂いかけるならともかく、親神の説いた「教え」だけで、この世をたすけようとなると、それでは、親神様は不在でも、教えだけあれば良いと言う事になります。
この奇妙な考え方は、例えば、ダーウィンの法則は、ダーウィンがいなくても、ニュートン法則は、ニュートンがいなくても、理論があればよいということでしょうが、科学の世界では正しいのでしょう。
柔道は加納治五郎がはじめたとしても、加納治五郎がいなくても、世界に普及して。
実は、奇妙でもなんでもなくて、親神が存在していなければ何も出来ないと言うことは、おふでさきにはそう書かれているけれど、世の中には、これまでそんな事は誰も説いていない。
親神の教えがあれば、親神がいなくても、教えだけでよいというのが、実は普通の考え方です。
きわめて特殊な、唯一の「絶対不可欠」が、人間の元の親だと、この「元」があるから、自由自在の守護だという、
まさに、自己主張そのものの親神様を、
ところで、T.N.Doctrineさん。
あなたは、教えさえあればいいのですか。
教えよりも、人間の元の親本人がいて欲しいですか、必要ですか。
そういうことを、突き詰めるから、そんな基本の態度なら
> 私は天理教をやめたくなります
そんな感想がでるわけですね。
T.N.Doctrineさん。あなたは言われています。
> 親神様の思し召しに沿って、お互いが助け合って、陽気暮らしの世界を共に作っていこう
それは、表現は「親神様の思し召しに沿って」、と、柔らかですが、
おふでさき以外に、きちんとした親神様の思し召しの書かれた書物は、後は、おさしづ、みかぐらうた、・・しかない。
それは、T.N.Doctrineさん自身、語られていたはずですね。
ところが、本心は、教えさえあれば良いのではないですか。
元の地場を離れて、存命の教祖を離れても、教えだけで良いと、考えられているように感じられてならないのですが。
- [887]道の教職員 06/11/15 23:30 PCCnEdF8mQ
- 付けたし。目的が陽気暮らしというのは天理教信仰者である証だと私は思っています。生きる目的はそれ以外という方々もものすごくたくさんいるわけで,むしろこの目的は少数派ではないでしょうか。
生きる目的が権力であればそのために幼少期より英才教育を成し,見えや体裁を気にする。上下意識があるということにもなりましょうし,生きる目的が復讐なら強さこそ全てという価値観・生き方になりましょう。生きる目的すら個人の自由であり,何でもいいというのが世間一般でしょう。ただ,天理教信者ならそこは陽気暮らしという明確な目標がある。その一点において我々はつながり,意見を分かち合えるのだと思います。我さえよくばではなく,人を助ける道を選び,結果的に我が身が助かっていくというこの理の不思議さにただただ感動するだけです。
- [888]基本。 06/11/16 00:34 GoRGEoUS
- とみさんも、T.N.Doctrineさんも、お二人とも、おふでさきが大切だ、根本だという。
そして、稿本教祖伝や逸話編を、信用できないとまで語る時がある。
ならば、おふでさきに書かれたことだけで、天理教を語るべきでしょう。
松村吉太郎は、ちゃんと自分のプロパガンダをさんげしている。
それに比して、とみさんも、T.N.Doctrineさんも、親神様について、肝心な、「おふでさき」を元に説かないで、自説をプロパガンダしている事のさんげがない。
少なくとも、おふでさき、そこに書かれた一語一語を、国語的に整合させて、そのおふでさきで、自説を言い訳し説明して見せべきである。でなければ、人を惑わしているだけである。
>>884
道の教職員さん。
陽気に暮らしたいと願う心を、天理教にて願うのなら、「おふでさき」を基準にしないと、天理教にならないということです。
「1にセット」していても、「錦からぼろ」となった仲田さよみさんの例もあります。
言上の伺いを許されていなかった仲田儀さぶろうさんは、実際のおさとしの時には、はたしてどうだつたか。
賛美の投稿を精査すると、見えてきます。取次ぎを逸脱した人の例として、教訓にすべき方です。
難儀に負けて、転向した仲田さん。お気の毒でした。
どんな難儀の中でも、存命の教祖といられるという陽気暮らしを願うのなら、真剣に、天理教をしたら良い。
お筆先に書かれている天理教とは、そういうものです。
> 全ては神様の作り上げたられたこの世の中での出来事なので全ては神の手の中にあると思います。
> どの道をいこうとも行き着く先は似ているのではないか?と思えますがいかがでしょうか?
>
> 全ては神の手の中にあると思います。
これは、全くの誤解。ですね。
神様でも、思い通りにならないものが、「人間の心」で、慕う心も、神から離れていく心も、一人の人の心の中にありますから。
その自分の心で、心でなしたことは、本人に返されます。「心どうり」の返しは、お筆先に、ちゃんと書かれています。
慕ったから正解とも限らない、仲田さんのように途中から転向するのなら、最初から離れていた方が良かったということになりますしね。
> どの道をいこうとも行き着く先は似ているのではないか?と思えますがいかがでしょうか
そのように心に浮かぶのが、道の教職員さんの、今の心ということです。
おふでさきに、「このさきはみちにたとえてはなしする どこの事ともさらにゆハんで」「やまさかも・・・」と、続く一連のおうたがあります。
これが天理教の道であることだけは、確かです。おさしづでは、ひながたの道とも教えられています。それを通るには心定めが必要です。
又、お筆先には、みちについては、こうも言われています。
このみちハ どふゆふ事にをもふかな
このよをさめるしんぢつのみち 六号4
ご自分で、おふでさきを掘り返し、確認してみれば、簡単に分かると思います。道に付くとは、どういうことか、調べることをお勧めします。
- [889]基本。 06/11/16 00:47 OPm/HjNcSX
- >>885
苺さん。
> 私の手元には、道友社が発行した『おさしづ研究全・山本久二夫・中島秀夫著』と『おふでさき(赤本)』しかありません。
> この二つでは、天理教教祖の真意(神意)は分からないでしょうか?
>
十分です。
まず、おふでさきを読むことです。
音読することです。
そして、おさしづ研究の解説は全く読まないようにして、おさしづを読むことです。
音読することです。
繰り返し繰り返し。
そして、分かろうとしないことです。
- [890]基本。 06/11/16 01:16 OPm/HjNcSX
- >>863
はじめさん。こんにちは。
基本の奥さんが、はじめさんに、言葉が足らないのではないのかと、助言がありまして、投稿しています。
基本さんへ。
>悪いのは、責任者の初代真柱です。
>他の、誰も悪くは無いのです。
これは、すべての責任を取ったのは真柱様で、誰も責任を知らなかったという意味に、理解してください。
その前に書いておきましたが、「教祖は『良いことしても礼言われたら、それっきりやで』と、言われていた。
初代真柱様はとてもよい事したのです。
本当はね。
でも、良いことしても礼を言われないように、するのが、教祖の教えに忠実なありかたで、初代真柱様は、みんなの為によい事した。
そういう場合には、教祖は、ほめないのです。
よくみんな秀司先生のこと悪く言いますよね。
よい事したら「悪く言われておく」。これが、大切なポイントです。
秀司先生の事悪く言う人は、なぜか二代真柱さまのことを評価するのです。
実は、生まれ変わりですから、奇妙です。
やってることおんなじで、応法なのです。二人とも。
二代真柱様は東大出だから、なのでしょうかねえ。
ほめられている二代真柱様は、・・・
応法だから、本当は、ほめちゃいけないんです。応法のところは、
そうでないと、教祖の教えに一致しないのです。
> すみません。連続投稿で読んでいても何を言われたいのか、
> 全く分からなくなって来ています。それに以上に、嫌気がさしてきて読む気も失ってきています。
>
ごめんね。
出来たら、道の八十年を、探して読んで見てください。
おさしづの部分もきちんと。ね。
- [891]とみ新蔵 06/11/16 05:27 .MMqVTcTHT
- 基本氏へ。
貴公が訪てから、このスレッドは、急速に、ド迷信教義に堕落、陥落してしまったようだ。
私がこのスレに顔を出すと、いずれは、「現状教団擁護派」別名「応法我が身思案派」の回し者が、口を差し挟んで来るであろうことは、予想しておった(^^)
おやさま派でも何でもなく、教祖中山みきを看板だけにして、
ま〜〜〜〜〜だ、懲りもせず、金集め教義に奔走し、この上さらに、
万天下に教祖に恥をかかせる徒輩でしかない、恥知らず者の訪問の予想である。
私がこのスレッドに来たのは、ますますヒドクなっている、近年の「立教三大因縁」を中心とする、
ド迷信教義から、矛盾を抱えて苦しむ天理教後継者の方々を、解放するためである。
またそんな矛盾から、統一教会などなどの、これまた、ド迷信教団へ立ち去ることへの、悲しみと、危惧を覚えてのことであり、
それを防ぐには、真実の教祖の姿を、少しでも、識って頂くしかないと思ったからであった。
私はどんな場合でも、人を排除することを、最も嫌う者だが、教祖を看板に金儲けを企図する徒輩へは、
おふでさきにある
「こころ違えば是非もない」
という態度をとるしかござらん。
今後、ヘキヘキする貴公のスレは
「一切読むこともなく」「一切無視」
した上で、まあ、タマには訪たいとは、思っている。
なぜか?
貴公以外は、天地真理氏なども含めて、よき人,心のきれいな方々
が訪ているからである。
天理市三島151番地育ち。
ペンネーム とみ新蔵
本名 平田庄蔵
- [892]基本。 06/11/16 09:03 lsHkXNaPbd
- 正直な事は、正直と言う事で、価値がありますから、> 貴公以外は、天地真理氏なども含めて、よき人,心のきれいな方々が訪ているからである
>
よきかな、です。
とみさんは、結局、お筆先の中の、人間の親神に対する部分は、「迷信」と、吐き出すしかなかった。
正直な事は、正直であると言う事で、よきかな。です。
たかやまにくらしているもたにそこに
くらしているも おなじたまひい 13-45
それよりも たんたんつかうどふぐわな
みな月日より かしものなるぞや 13-46
それしらす みなにんけんのこころでわ
なんどたかびくあるとをねふて 13-47
とみさんの言われていることにも、お筆先に知らされてある事がありました。それは、この13号45からの一連のおうたです。
月日にはこのしんぢつをせかいぢうへ
どふぞしいかりしよちさせたい 13-48
これさいかたしかにしよちしたならば
むほんのねへはきれてしまうに 13-49
ここまでのお筆先は、文意をきちんと紹介しています。しかし、とみさんは、その後の、
月日よりしんぢつをもう高山の
たたかいさいかをさめたるなら 13-50
このもよふどふしたならばをさまろう
よふきづとめにでたる事なら 13-51
このおうたに関すると、言葉のすり替えをしています。
「よふきづとめ」を、「神楽つとめ」にすりかえて、論を進めます。
こういうやり方は、詐術です。戦略です。
「ようきつとめ」と「かぐらつとめ」。
それは、お筆先の中には、きちんと、相違点が知らされています。
それを無視して、「美味しい処だけとって語る」
相手の無知を見込んで、。。。
原典そのものに、きちんと基づこうという気持ちが、まるで見えない。
その、思案の仕方を「高山」というのです。信者を見下している。
おふでさきの十二号に、親神様は、このように、知らして下さってあります。
どのような事をいうのもみな月日 人間心さらにまぜんで 12−70
そして、こふきについては、この様に、「今」のこふきが、知らされてあります。
しんぢつに心にさだめみなついて 神のゆうことそむきなければ 12-99
それよりも月日の心しいかりと うけとりしだいたすけせきこむ 12-100
このたすけ一寸の事やとをもうなよ これわにほんの一のこふきや 12-101
「神の言う事に背きなければ」と、きちんと条件は示されてありますが、ところが「とみさん」は、神の言う事に背くも何も、中山みき様を人間の元の親と認めない上に、元の地場を天理王命と認めない。
「迷信」だという。
つまり、おふでさきは、すべて「月日」の言う事と思っていない。
それでお筆先の言葉を解説したら、「うそ」。そのもの。
それなのに、天理教団の事を色々心配しているように語るのは、詐術であり、うそであり、高山である。
その点は、じっくりと、今までの投稿から、検証しておきたいと思います。
(続きます)
- [893]リラックマ 06/11/16 09:21 D-snzhw
- 最近の一連の書き込みを読ませて頂いて、正直言って疲れました。とみ新蔵さんの仰ることも、基本さんの仰ることも、さらに他の皆さんの仰ることも、それ/\の立場からの正論なのでしょうが、み〜んな五十歩百歩だと思いました。みんな欠点もあれば、良い処もあると思いました。
しかし、このスレッドに訪れている者に神様が見せて下された事だと考えます。(理は廻ってくると考えております。)
教祖は『慎みなされや』と仰っしゃいました。通常は色情に関してのお言葉ですが、これは他の事にも言えると思います。『ならん/\』『これ嫌い』など仰ることもありますが、たいがいの事は、神様は『慎みなされや』で絶対ダメだとは仰っしゃらないんじゃないでしょうか。何事もほどほどが大事、というふうに思います。
それはともかく、今回の事は自分自身を見つめ直す、いい機会になりました。他人の意見を聞くことも大切ですが、たまには一人になって自分と向き合うことも大切です。
しばらくスレッドを離れて、コーヒーブレイクさせて頂きます。失礼します。
m(__)m
- [894]はじめ 06/11/16 09:22 qIPIiR8..3
- >>890
基本。さんへ、おはようございます。
>基本の奥さんが、はじめさんに、言葉が足らないのではないのかと、助言がありまして、投稿しています。
ご心配頂きありがとうございます。奥様によろしくお伝え下さい。
基本さんご自身が、ご自身の癖性分についてどれだけ得心をされて、それに気をつけながら投稿されているかなぁ。と想像しています。
素晴らしい頭脳、知識をお持ちでありながら、すごく勿体ない事をされているように思うのです。(基本さん怒って連続投稿になるかなぁ〜〜)
>>悪いのは、責任者の初代真柱です。
>>他の、誰も悪くは無いのです。
>これは、すべての責任を取ったのは真柱様で、誰も責任を知らなかったという意味に、理解してください。
>その前に書いておきましたが、「教祖は『良いことしても礼言われたら、それっきりやで』と、言われていた。初代真柱様はとてもよい事したのです。本当はね。・・・・
これって、どれだけの人が理解できるでしょうか?
「人間は感情の動物」っていう言葉を思い出したんですが、どんなに素晴らしい理論でそれを広めようと思ったって、周囲の人が聞く気にならなければそれまでだし、聞けるだけの物を持たなければ、それこそ、理論を発表する前に聞けるだけの物を持つように育てなければならないと思うんです。
>>886
>T.N.Doctrineさんのようなお気持ちの方は多いと思いますよ。
>基本のような「カルト」は、お友達はすくないものです。(笑)
この言い方よくされると思うのですが、「差別はならない。」と言われながら自分自身から差別を作っているように思えるのです。
そうそう。
私、久々に基本さんの投稿があり、以前とは変わった感じがするなぁ。と喜んで読んでおったのですが、「数理」云々という、言葉が出てきたら全く読む気にならなくなったことに気がつきました。「自分が発見した云々」というような、自慢げな言葉を見てからなのかなぁと思ってみたりしましたが、ともかく「数理」が出てくると、スイッチが入って暴走が始まるんだ。と今回思いました。
>やってることおんなじで、応法なのです。二人とも。
「応法」のお陰で今、色んな考えの方とこうして話し合うことが出来ると私は思うのです。
行き着く先は一つであっても、「あしきはらい」から、「あしきをはろうて」に変えられちゃったんですから。(⌒∇⌒)
皆さん。
色々と勉強させて頂いています。ありがとうございます。ただ、色々と学んでも実行がなかなか伴わないので・・・良いと思えても実行できない自分の心にいんねんを感じております。m(_ _)m
- [895]はじめ 06/11/16 09:33 qIPIiR8..3
- リラックマさん。おはようございます。
>>893
>しばらくスレッドを離れて、コーヒーブレイクさせて頂きます。失礼します。
うんうん。それがいいです。
↓こんな中に入るのも良いかも。(⌒∇⌒)
( ( ( \○
) ) ) |
( ( ( |
ーーーーーーーーーーーーー
- [896]基本。 06/11/16 11:17 lsHkXNaPbd
- はじめさん。こんにちは。
私には広めたいと言う意図はありません。
初代真柱のことは、これからも悪く言うし、数理の事もくどいほど言うでしょう。
それは、一貫している事で、変わらないし変えない事です。
はじめさんには、もううんざりするほど、数理の話は読まれいると言う事ですね。
私は、ネットから引いていた。
ちゃんと宣言して、引いていた。
それが、出てきたには出てきたなりの理由がある。
私なりの、です。
それは、天理教と言う名で、「無神論」が語られていたからです。
今回の私は、最初からヒートアップしていて、それで今回は、数理の話は、しっかりと控えました。
3625の異端の数理、6号の数理、38の数理。復元予言の数理。
はじめさんには、こういうだけで伝わるでしょう。しっかり承知のようですからね。
それを全部ひかえて、長く熱く語ることにしました。
今回は、道の八十年を題材にしたのは、教団幹部の腐敗のルーツを明示するためです。
それは、全部、初代真柱の責任です。
組織の間違いは、トップの間違い。これは、常識ですから。
資金の話になったら、とたんに、がやがやとしてきた。
東本のお供えの話題に入ろうとしたら、がやがやしてきた。
いつもの事です。
触れられたくない話題になると、必ず起きる現象です。
今の「無神論」の人たちの根拠は、「元の理の真理」。
説いた教組をさしおいて、「元の理の真理」が、天理教の真理だと説く。
それは、今と言うときのこうきを否定し、現在ある「天理教会神一条」を否定するもの。
はじめさんは、それには不快にならなかったのですね。
不思議な事です。
とみさんは、無心論者、親神=地場を否定し、親神=教祖を否定し、月日=真理の、説を流布している。
それが「復元」だという、とみさんには、不快にならなかった。
不思議な事です。
数理と言うものを、誰よりも理解していたのは、初代真柱様。
私の数理がくどいのは、初代真柱様崇拝。そのものなんです。
数理のままに、天理教団を導いた大天才、真柱さま。
そして、同じように、数理のままに、天理教団を導いた天才二代真柱様。
悪いのは、真柱です。
無神論の者がでるのも、みんな、真柱が悪いのです。
- [897]基本。 06/11/16 11:37 lsHkXNaPbd
- 二代真柱様でした。
秀司先生の事を「応法」の人として、間違い、間違いと、説いた人は。
天理教の歴史上、最初に教理として、秀司先生の応法を指弾したのは、二代真柱さまです。
それも、本部の神殿にて、間違いを指摘しました。
二代真柱様は、夫善兵衛さまの、言うなら、悪口を講話で説いた人。
秀司の人間心。善兵衛の人間心。
悪いのです。
悪いのは、夫善兵衛に、秀司。
ただ、数理だけが、善兵衛の222を証明している。
でも、悪いのは、夫善兵衛さま。
はじめさん。
それだから、私は、世界でただ一人の「天理教・真柱派」なのです。
広める気も無い。
いずれそれが分かる、単なる基本です。
- [898]万年初級 06/11/16 11:50 *RmiYP14ex07*ISg9Pl/p.M
- とみ新蔵さん、はじめまして。
ご投稿を楽しみに、勉強させていただいてます。
とみさんの長年にわたる求道・ご研究の結果得られた思想ですので、そう簡単に理解できないのは当然だと思いますが、私には基本的と思われる疑問点がありますので、いくつか質問させてください。
@とみさんはお道を信仰されているのですか?あるいは、お道に限らず、ご自分を信仰者だとお考えですか?
A中山みきは思想家というだけでなく、教祖だとお考えですか?
B 中山みきは人間であるだけでなく、神(あるいは神的存在)であるとお考えですか?
C超越的存在としての神をたて、それを信仰の対象とする宗教をお認めになりますか?
以上の質問において、言葉の意味、ないし、質問文の意味については、とみさんご自身の定義・解釈に従ってお答えいただきたく思います。見方によればどれも同じようなことばかり訊いているとも言えなくはないですが、簡単でも構いませんので、どうかよろしくお願いします。
- [899]万年初級 06/11/16 11:52 *RmiYP14ex07*ISg9Pl/p.M
- 基本さん、ご無沙汰しております。
以前、一度ご意見をいただいた者です。その節はありがとうございました。
残念ながら教義の内容について、あなたに意見できる者ではありませんが、それ以前の基本的なスタンスというようなものについて、前々から気になっていることがありますので、その点に関して疑問を提示させていただきます。
基本さんは原典を中心に深くご研究・思案され、その結果教祖の真意はこうである、という確信に基づいて、自説を述べられます。
理解できる(と思われる)範囲では、そこにはしばしば深い洞察が示され、なるほど、と思わせていただいています。
しかし、私が常に疑問に感じますのは、基本さんがご自分の原典に関する解釈を、「数多くありうる解釈の中のひとつの解釈、自分なりの解釈」と捉えられておられるのだろうか?ということです。
基本さんの表現の仕方からは、むしろ私には「自分の解釈が原典についての唯一の解釈」という印象を受けます。
すなわち、基本さんの自説を述べられるときのスタンスは、
基本さんの解釈=教祖の教え
というものにどうしても感じられます。
しかし、だとすれば、これは自分の解釈を、唯一絶対の解釈とするスタンスではないでしょうか?
たとえば、>>788において、元の理について、物理学的知見に基づいた解釈を示されていますが(そしてこういった解釈は基本さんだけのものではないと思いますが)、これは明らかに解釈ですよね。教祖が「素粒子」「原子」といったものを原典に残されていないわけですし。
もし、解釈であるなら、それがある場面で確かに正しいと思われるものであっても、それを唯一絶対の解釈とみなすべきではない、というのが多くの人の考えるところではないでしょうか。
まさにそれこそが危険なのではないかと。
基本さんがいかに深い解釈を提示されたとしても、そしてとみさんはともかくとして、原典研究に関して基本さんに並ぶ人が普通いないにしても、他の解釈を「異端である」「異説である」というふうに断じられるその姿勢に、私だけでなく抵抗を覚えられる方がいらっしゃるのではないかと思うのです。
簡潔に疑問を述べます。
「基本さんは、ご自分の解釈を、唯一正しい解釈、すなわち、教祖の教えそのものである、という考えで述べておられますか?
それとも、数多くありうる、解釈の一つであるとお考えですか?」
これはあくまで私の印象に基づく見解ですので、もし、誤解であればお許しください。
ただ、こういった印象を私以外にも感じておられる方があるのではないかと思い、あえて投稿させていただいた次第です。
以上の疑問についてお答えいただければと思います。
- [900]基本。 06/11/16 12:35 lsHkXNaPbd
- 教祖がお筆先にて宣言された、教祖が神であると言う事実を否定し、ぢばが天理王命であると言う、おふでさきの啓示を無視する立場でとみさんの語った事。
>>71 とみ新蔵
> 教祖の教えを見失った教団本部、これを復元するのは私達です。
> 教祖の思想を識るには、原始仏教的な考え方に至らないと、まず理解不能かと考えています。
> 教祖はブッダをはるかに超えた方だからです。
> 教祖は胎蔵界マンダラを超えた、密教的表現、人間が参画してつとめる動く球体マンダラという姿で、かんろだいつとめの理を真理とされました。
おふでさきには、「これまで誰も教えた事が無い真実」を教えると、あります。原典に相違します。
>>73 とみ新蔵 06/08/22 17:19 z1vTCusxuS
> みかぐら歌に「♪ ひとこと、はなしは、ひのきしん」とありますように、教祖の仰っしゃる理(すじ道、ことわり、かんろだいの理」に基ずいて、(これが神(理)にもたれて、添うての意です)自分の心の陽気のみならず、世界に陽気ずつめが成就するよう、口に筆に行いで、真理の道具衆としての道を通ることが、「人を助ける、援ける、扶ける、補けるのが、真の誠」人間の本性に合ったことなんだよ、
> さあしっかり思案して、なるほど、と思ったらその用材(ようぼく)となって悔いな人生を通ろうではないか。
親神様・教祖のようぼく、です。教祖の仰る理の(その)ようぼくでは、原典に相違します。
>>74 とみ新蔵 06/08/22 21:47 YQNodfgZ3J
>「みかぐら歌」にも、「おふでさき」にも「陽気くらしという言葉は、一言もありませんネ。あるのはすべて「ようきずくめ」であります。
おふでさきには、よふきゆさん、とあります。原典に相違します。
> 陽気暮らしを目的とすれば、自分、または我が家族だけが楽しくて、「陽気暮らし」ともいえ、それが成り立つのですが、
> 「陽気ずくめ」となるとガラリ内容がと変わりましょう。
> 世界中、どこを見ても陽気暮らしばっかりというもの、それが「陽気ずくめ」でしょう。
おふでさきにあるところの、「よふきゆさん」ならば、ふうふの心一つで、どんなに小さくとも、陽気に遊山が出来ます。
とみさんの話は、原典と違います。小さくも大きくも、陽気ゆさんは出来ます。
>>76 とみ新蔵 06/08/23 00:24 YQNodfgZ3J
> でもそれは明治教典の名残りの「貸しもの借りものの理」から来たもので教祖の考えではありません。
明治教典の、内容には、本文中に「貸し物借物の理」は、書かれていません。
明治政府は、元の理を禁じていたので、元の理に関連した「貸し物借物の理」ですので、明治教典にはありません。
> また教祖の原典には「感謝しなさい」というような意味はひとかけらもないことをご承知願いたいのです。
みかぐらうたには、感謝しなさいという上からの強制では無く、自発的な感謝の姿が、理をふられて、示されています。
四 下り目 十ド このたび胸の内 澄みきりましたが ありがたい。
十一下り目 十ト ことしは肥おかず 十分ものをつくりとり。やれたのもしや ありがたや。
ありがたや、と感謝するのは、自然な心の動きです。
つまり、みかぐらうたの理の世界には、自然な感謝はあると言う事です。
> 教祖の原典には「何でも結構」などとの匂いはどこにもないでしょう。
おふでさきには、「楽しむように」と教えられています。
しやわせをよきようにとてじうぶんに みについてくるこれをたのしめ 二号42
「なんでも結構」と言うのは、神にもたれた境地を表現したものです。
三 下り目 七ッ なんでもこれから一筋に神にもたれてゆきまする。
これが、なんでも結構と言う信心のすがたです。
とみさんの、『> 原典には「何でも結構」などとの匂いはどこにもないでしょう。』は、信心の本質の見落としです。
> とみさんの言うことは天理教本部の言うことと違う??
> ハハハ、教祖の教義研究者ならば、営業教義とは相違するのは当然のことでしょう(^^)
原典とは違う、とみさんの説も、営業用と言う自白になっていますね。
きちんと、原典にある事を、確認して、語らないのは、とみさんの悪い癖ですね。
(続きます)
- [901]基本。 06/11/16 14:42 lsHkXNaPbd
- 万年初級さん。
丁寧な質問有難う御座います。
赤いものは誰が見ても赤い。白いものは誰が見ても白い。
だから、基本は、誰が見ても赤いと言うものを赤いと、書いておく。
そういう、作業の時の名前が「基本」なのです。
もちろん、私一人の「説」ですから、「天理教中山みき派」とか、名乗っていて、「狭い」のです。
広める意思はなくとも、広まるのです。
赤いものは赤いと、誰でも気が付く事ですから。
私の実態の教理は「基本」の説く教理、つまり基本ではありません。
基本教理は、言うならば、応用以前のものです。
でも、基本で間違えたら、親神様の教えは分かるものでは在りませんから、基本と言うのは、私の信仰信念の骨格です。
その意味では、全くの基本の個人的見解とみなして、ご自分で原典を掘り、ご自分で、教理を勉強して下さい。
基本が正しいなどとは思わずに、きちんとおふでさきを読んで、自分で掘るしかない、それが天理教と言うものです。
ただ、「理」は、おもちゃではないので、教理にうそを混ぜ込む事は、人を惑わすものとなりますから、自分勝手に、原典にない事を説くのは、やめたほうがよいと思います。
基本の場合には、自分の語ったことには、原典・こうき話など、全てに根拠が付記出来ます。
それは、
>>877 で、リラックマさんが、ご紹介下さった、おさしづ
> 明治33年5月19日
> 『綺麗々々はほんに道、後でどうでも言い訳出けるは鏡やしき。言い訳出けんような事では、鏡やしきとは言えまい』
>
このお言葉を、座右の銘として、自分の口から出た事が、後々で言い訳が出来ないような、根拠の無いことは言わないと言う信念があるからです。
だから、根拠を問われてれば、原典にて、教理本にて、自分なりの根拠は、常に用意しています。
そこで、万年初級さん。ご質問の核心部分に触れましょう。
> これは明らかに解釈ですよね。
> 教祖が「素粒子」「原子」といったものを原典に残されていないわけですし。
> 解釈であるなら、それがある場面で確かに正しいと思われるものであっても、
> それを唯一絶対の解釈とみなすべきではない、というのが多くの人の考えるところではないでしょうか。
>
そうですね。
唯一絶対の解釈ではない。と、思いたいところですよね。
では「水」と言う単語は、誰が名をつけたのですか。
ここで問題の「素粒子」という単語、「原子・分子」と言う単語は、誰が付けたのですか。
それは、神さまが、人間の口から言わせた。つまり、言語と言うものは、音は振動ですが、その振動を組み合わせて、意味を伝えるものとした、文字は形象ですが、その形象を用いて、その振動の意味に形を与えた。
それは、親神様が教えてきたもの。
「こうき本」では、知恵の仕込み、文字の仕込みと言われているものが、それですよね。
すると、「理」をあらわすのには、「文字」という記号が用いられているのは、親神様の意図的な意味づけがあると言う事になります。
その時点で、科学が到達して用いている言葉も、音と文字に意味があるとしますと、「素粒子」「原子」と言う言葉は、現代において理を表すために用いて、構わないと言う事になりますよね。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%A0%E7%B2%92%E5%AD%90 を参照しますと、素粒子と言うのは、
『素粒子(そりゅうし)とは、物質を構成する最小の単位のことである。 』
『超弦理論においては全ての素粒子は有限な大きさを持つひもの振動状態であるとされる。』
と、ありますから、「振動するひも」というのは、元の理の、「どぢよ」のくねくねと動く姿と言うものと一致していて、現代物理学の今時点の到達では、元の理のどぢよは、「非粒子」になると比ゆしたのは、合理的と思います。
素粒子は、物質を構成する最小の単位ですが、物質の特徴を性質として有する最小の単位が、「原子」「分子」と、定義されています。
「食べて味わう」対象は、物質の特性をもっている存在ですから、現代科学では、「原子・分子」とよばれているものが、それにあたります。
それで、その言葉を用いて、説明をしたと言う訳です。
- [902]基本。 06/11/16 15:13 lsHkXNaPbd
- 万年初級さん、天理の原則は、みんな口で言わす。
自白に在ります。
おふでさきに、銘々に何を言うとは思うなよ、月日の思うようにいうのやと、あります。
そこで、「素粒子」というのは、音にしますと「そりゅうし」ですから、「りゅう」と入っている。「素りゅう」と言う事は、龍の素と言う事を学者が口で言っている。
万年初心者さん、宜しいですか。
これは、基本の説ですから、みんな口で言わすと言うのは、「教祖の教え」、それを、実社会の言葉にて試しているのが、基本と言う事です。
原子は電磁によって結合している。原子核の「磁場」を中心に、八方に電子の居場所がある。
そういう図があると言う事は、図にすれば八角ですから、六角ではない。
その、原子をさらに分割したら、それが素粒子だと、学者さんは言うわけです。
子供向けの物理学のサイトを紹介しましょう。
http://www.kek.jp/kids/class/hadron/index.html
『もう一度おさらいしてみると、物質を細かく割っていくと、分子になり、さらに細かくしていくと原子になり、その原子はさらに小さな原子核とそのまわりを飛び回る電子からできているのでした。 電子はレプトンの仲間で、本当の素粒子ですが、原子核はさらに細かく割っていくことができて陽子と中性子になります。陽子と中性子が素粒子かというと、これらにはまだ構造があって、実はクォークからできているのでした。』
その、素粒子は、
「赤、青、緑」である。
つまり、色の理で言うと、「くにとこたち」「をもたり」「くにさつち」という色であり、そのそれぞれの反対色の、計六色で、全ての素粒子の説明が出来ると、学者さんが言われています。
ここに「ろくぢ」が出てきた。
月様、日様、くにさつち様と揃う。と基本は「説」を説きます。
この世の事は、みんな口で言わせる。
教祖こそ、私たちの親神であり、その教えは、現実の中にあるものです。それが教祖の教えです。
素粒子とは、月様の理を受けたもの、これが、基本の「説」です。
教祖のお言葉を信じて、基本の説は信用しない事です。
例として、申し上げました。
- [903]苺 06/11/16 15:40 Gl19Kwdc./
- リッラクマさん、お疲れさま。
ちなみに、私の腕時計はリラックマ(キャラクターの)が、『あと五分。。』と言って寝ている時計です。(笑)
見ているだけで癒されます。。
- [904]ただの通りすがり 06/11/16 18:42 Xi/lW4SfOs
- 基本さんて、教会してるんですか
布教所ですか
それとも講社祭りされているんですか
普段仕事してるんですか
家で毎日おつとめしてるんですか
- [905]嘗ての・ 06/11/16 19:35 YWwvRz1dok
- 基本は変わらんナ
オノレは神のように思って
支離滅裂ほざきやがって
みんな よう辛抱しとるは、全く
- [906]万年初級 06/11/16 20:33 *RmiYP14ex07*ISg9Pl/p.M
- 基本さん、こちらこそ即座に丁寧な返答をいただき、ありがとうございます。
ただ、基本さん“節”とも言うべき独特の文体のため、私には少し文意がとり難いですので、多少の推測を含め、確認させていただきます。
基本さんは、ご自身の解釈をあくまでご自分の説であって、そのままイコール教祖のおっしゃられたこととは考えておられない。
しかし、それはあくまで原典に即して得た解釈であって、けして恣意的、一人よがりな解釈ではない。
たとえば、元の理の物理学的解釈について言えば、次のような考えに立って解釈されている。
「素粒子」といった言葉も、
>>神さまが、人間の口から言わせた
のであり、物理学的知見であれ神の理の現われとみなす、というお立場。
基本さんの文章の微妙なニュアンス(たとえば>>唯一絶対の解釈ではない。と、思いたいところですよね。)にはあえて目をつぶり、乱暴に単純化しすぎたかもしれません。
もしこの私の理解が大枠で当たっていると仮定してですが、少しコメントを述べさせていただきます。
まず、元の理の解釈については、学問に限らず人間的事象を含め、森羅万象に神の理、神の思惑を知ろうと努めることは、とみ新蔵さんはどうおっしゃるかわかりませんが、少なくとも私は信仰者としては当然のことと思いますので、「勝手な悟り」というふうには考えません。
基本さんに限らず、いろんな科学者が自身の学問研究を通して得られた自分なりの理についての思案を述べられますが、私は興味深く受け取っています。
ただ、仮にこういった科学的知見をもとに、「だから教祖の教えの正しさが証明されている」といったことが主張された場合(基本さんがそう主張されているということではありません)は、私としては反対せざるをえませんが。
- [907]万年初級 06/11/16 20:34 *RmiYP14ex07*ISg9Pl/p.M
- 基本さんが必ずしもご自身の解釈を唯一絶対とお考えではないのであれば、ご自分の解釈とは異なる他の解釈もお認めになるはずです。
にもかかわらず「異端です」といった断定をされるのは、むろん、多様な解釈が可能であるという解釈のレベルでの違いではなく、教祖の教えそのもの、原典そのものをゆがめるものであるという認識にたってのことでしょう。
そして言うまでもなく教祖の教えそのものをゆがめてはならない、すでにある誤りは正さねばならないという考えは多くの人の共通の認識でしょう。
基本さんはご自身の見解は必ず原典にその根拠があるとおっしゃっていますが、基本さんが「異端である」と断じられる(たとえば山名系の)教義解釈であっても、私などの目からすれば(勉強不足だからかもしれませんが(^。^;))原典に基づいているようには見えます(すべてとは言いません)。
たとえば>>875に示された、ご自身の解釈と、批判の対象となった山名系解釈は、仮に基本さんの解釈がより深いものであっても、やはり解釈の違いとしては認めるべきではないでしょうか?
そうでないとご自身の解釈を唯一絶対化しておられる印象をどうしても強くしてしまい、拒絶反応を引き起こすのではないかと危惧します。
むろん教団の歴史(あるいは現状)を少し知れば、残念ながら原典、あるいは教祖の教えそのものをゆがめたという事実(たとえば「理の親」制度)があったようですし、時代に応じた教団の公式教義が及ぼした弊害を思えば、基本さんやとみ新蔵さんのような厳しい批判も、時に必要かと思うのですが…。
なんか、とりとめなくなってきましたので、このあたりにしておきます。
失礼しました。
- [908]おみのるさま 06/11/16 21:53 qYUcyRImKz
- 人の批判はつまらん。天理教を語ってくれ!良いか悪いかは、読む方の判断。そうしないと2ちゃんねるの時みたいに、ぐちゃぐちゃになっちゃうよ。進歩がないね。
- [909]基本。 06/11/16 22:01 OPm/HjNcSX
- >>907
万年初級さんの言われる事は、「万年初級さん」においては、その通りであろうと思います。
原典の解釈は、幅広く自由である。それは、「天理教信者」で無い場合においては、その通りです。
しかし、信者になるときには、初試験を受けて、「私たちの親神様は天理王命と申し上げます。・・・」と、信者としての宣言をします。
それは、神様との約束ですから、原典の解釈は、真柱様の裁定された、原典(お筆先・御神楽歌・おさしづ)と、天理教教典を基準としなければならない。
自由な解釈とは、天理教信者を名乗らない場合には、自由であるとしても、信者と名乗るとすれば、基準は、あるということです。
それならば、山名系の教義の解釈も、基本の解釈も、色々あってよいだろうという、万年初心者さんはそう思われているわけですが、そこには、「おふでさき」を何よりもの基準とするという、本来の原則があります。
それは、真柱様が、教祖じきじきの書き物として、筆跡の鑑定の保証をつけて、公刊されたものだからです。
「みかぐらうた」は、これも真柱様が裁定されて、教祖の書かれた原本は「みつかっていない」が、「みかぐらうた」も、「おふでさき」であると、裁定をされています。
「おさしづ」は、親神様のお言葉を書き取ったものですが、それも、真柱様が裁定されて、公刊されています。
実は、万年初心者さん。
みかぐらうたにも、教祖・中山みき様が作成されたもので、真柱様は「みかぐらうた」に入れていないものがあります。
「甘露台三下がり」といわれるものもそのひとつですが、真柱様は、認めていません。
天理教の別派とか異端といわれる教団などで、利用されているようです。
教祖のお書きになった、おふでさきは、もっとあつたという事も言われています。
しかし、公刊された1711首が、真柱様の裁定の、「おふてせさき」です。
「おさしづ」は、それこそ山のようにあって、今公刊されているのは、ほんの一部分だと言われています。
つまり、天理教の原典は、真柱様の裁定されたもの。
それ以外にも、テキストはあるということです。
そこで、万年初級さんに質問です。
真柱様の裁定のみを受け入れますか。
真柱様が、原典と認めなかったものまで、含めて、教祖の教えと広く含めますか。
基本は、「真柱派」ですから、真柱様が認めたものだけしか、教祖の教えとは認めません。
そういう立場です。
山名系の教義と言うのは、真柱様の裁定されたものに「準拠」して説かれています。
だから、原典や教典にそう形で書かれています。
ただし、彼らは、その中に、巧妙に混ぜ物を仕掛けてきます。
原典に無いことを、ちょっとだけ入れてきます。
それから、真柱の裁定から除かれたものを、自分たちでは語れないので、外部の八島さん系とか、そういう教団批判の人たちに、資料をながして、語らせたりします。
そして、真柱への不信をあおるわけです。
教団は、教えの本質を隠している。と。
教団は、教祖の教えを曲げている。と。
天理教の教えは、真柱の裁定された原典と、真柱がいろいろな意味で認めた資料だけ。
それが天理教の基本。
わき道に人を誘導するから、それは危ない道だから、山名系・八島系と、隔てなく、批判することにしています。
だって、真柱が定めたのですよ。
それを受け入れないようでは、天理教を信仰する資格も立場も、無いと思いますよ。
- [910]基本。 06/11/16 22:11 OPm/HjNcSX
- >>908
おみのるさま
天理教について、どうぞ。
- [911]T.N.Doctrine 06/11/16 22:31 cDg62WOMwQ
- >>899 万年初級さん、はじめまして。
初期の頃のご投稿興味深く読ませて頂いておりました。
万年初級などとご謙遜されたH・N を使用されていましたが、なかなか勉強されているようにお見受けしておりました。
ずっと投稿されてなかったですが、ROMされていたんでしょうか?
いずれにしても、今後ともよろしくお願いします。
- [912]おみのるさま 06/11/16 22:31 qYUcyRImKz
- 基本さん、独演会なら基本さんいらっしゃいでどうぞ。
- [913]はじめ 06/11/16 22:47 qIPIiR8..3
- 基本さん。皆さんこんばんは。
>>896
>今回の私は、最初からヒートアップしていて、それで今回は、数理の話は、しっかりと控えました。
>3625の異端の数理、6号の数理、38の数理。復元予言の数理。
はじめさんには、こういうだけで伝わるでしょう。しっかり承知のようですからね。
いいえ。全然承知していません。理解してみようかと試みましたが理解できずに、あきらめました。そして
万年初級さんが>>907で
>そうでないとご自身の解釈を唯一絶対化しておられる印象をどうしても強くしてしまい、拒絶反応を引き起こすのではないかと危惧します。
と書いて下さっていますが、私の心はすでにこの状態にある。と言うことだけなのです。
こんな事を書いても、多分理解してもらえないと思いますが・・・
基本さんが出てきて下さって思ったことは、
私も基本さんみたいにしているところが多分にあったなぁ。という反省でした。(基本さん、基本さんの奥さんありがとうございました。)
そして、教祖が嫌われた「議論」と望まれた「ねりあい」の違いを感じた気がしました。
>>908でおみのるさまさんが書いておられますが、
>人の批判はつまらん。天理教を語ってくれ!良いか悪いかは、読む方の判断。
正しく、これを土台に話し合いが出来るのが、ろくじの話し合いかなぁ。って思いました。
そして、多くの方が否定される「応法の道」をありがたく思えて来た次第なんです。
私も一寸休憩させて頂きます。ありがとうございました。
- [914]酔っ払い 06/11/16 22:47 vtsVMnTP7F
- 基本さんのカラオケ聞きたくなりました。
よろしく。
- [915]T.N.Doctrine 06/11/16 23:09 cDg62WOMwQ
- >>886
反論を受けるのを覚悟していましたが、これ程とは。(笑)
反論の反論。
また批判を受けそうですが・・・。
まず、「受け取る筋も千筋」は確かにひっぱってきた言葉が悪すぎましたね。
仰るとおり、「心得違い」を意味する訳です。
今朝、朝づとめの手踊りでちょうど6下り目をやっていまして、「あっ、失敗した」と思った通りのご反応でした。(苦笑)
>あなたは教えさえあればいいのですか?
私はそんなこと一言も言っていません。
又、私自身は地場を軽んじたこともありませんし、教祖を離れていいとも言っていません。
ただ、あなたの考えだけが唯一絶対で、他の解釈の余地を与えないようなものであるなら、付いてゆけないと言っているに過ぎないのです。
例えば、はじめさんのような方が、「教祖=親神様で、これが信仰の出発点であり、それを軽んじて末節の教理を重くとらえるのはいかがか」といったことを仰られた場合、大いに敬意を感じ、成る程その視点がおろそかになってはいけないなと思うかも知れません。
私がついていけないと言ったのは、その中身よりも、あなたの態度だということがあなたには解ってないようです。
また私はあなたほどプロパガンダしているとは思いませんし、自分の言葉で世界を征服しようとも思っていません。
私は無神論者ではない積りですが、仮にこのサイトに無神論者が現れて自説を展開されたとしても、容易に洗脳されるような皆さんでもないと思います。
もしそうお思いなら、皆さんを侮辱しています。
親神様の定義、もしくは親神像というものは、それぞれの頭の中のイメージとしていくらか違いがあるかも知れません。皆さんそれぞれが絵を描くように細密に表現することは難しいでしょう。しかし、それぞれが心の中に親神様を抱えているはずです。
異論は当然あると思いますが、例えば村上和雄先生が「サムシング・グレート」と呼び、これが親神様そのものだと言われた、多分そのような意味において、或いは、とみ新蔵さんも神様を理解されておられるのではないかと思えます。
- [916]酔っ払い 06/11/16 23:22 vtsVMnTP7F
- 鏡の法則。
一杯のかけそばを思い出した。
- [917]基本。 06/11/16 23:25 OPm/HjNcSX
- >>915
いたって簡単に言えば、一定に役割で論を張っている。
その事でしょうか。
- [918]T.N.Doctrine 06/11/16 23:30 cDg62WOMwQ
- それから
>>900 の、とみ新蔵さんの見解への反論ですが、
みかぐらうた5下り目に、「陽気づくめ」も確かにあるでしょう。
陽気遊山だけでもない訳です。
>みかぐらうたの理の世界には、自然な感謝がある・・・
そんなことぐらいは、とみ新蔵さんも解っておられると思いますよ。
ご本人も自然の恵みに大いに感謝されるタイプのようにお見受けします。
また万年初級さんから出たご質問の中の
「素粒子・原子・分子」と言う言葉の扱いに対しても、
ご自分が使うときは、神様が知恵として仕込まれた言葉を使うのだから構わない。それで自分の言ったことを正当化するために、子供向けの物理サイトを紹介してみせたりする。相手を見下しています。
そして、人が原典にない言葉で原典の意味を読み解こうとすれば、「それは原典に由来しない」と否定にかかる。全くの詭弁です。
とにかく、あなたの語り口はどうも「心地よく」ありません。
「心地よくない」ものは破壊すべき、と誰かさんが言っていましたね。
どうすればいいんでしょうね。
- [919]基本。 06/11/16 23:30 OPm/HjNcSX
- T.N.Doctrine さんは、一貫して、とみさんの語る内容を、決して批判せず、評価し続けてきました。
そのことです。
- [920]基本。 06/11/16 23:31 OPm/HjNcSX
- つまり、八島系の役割ですか・です。
- [921]基本。 06/11/16 23:34 OPm/HjNcSX
- 八島系の天理教であれ、語るのは自由ですが、組織的なやり方は、露骨過ぎると、プロパガンダと言うしかない。
- [922]基本。 06/11/16 23:42 OPm/HjNcSX
- 大勢の、事情にうとい、普通の信者さんも見に来るのです。
過去のあなたととみさんのコンビネーションプレイ、全部分析しましょうか。
やりすぎてますよ。
- [923]道の教職員 06/11/16 23:47 PCCnEdF8mQ
- >>899 万年初級さん,はじめまして,熱心な天理教の信仰者でもないのに道の教職員とHNで投稿しているものです。普段は小学校教師をしております。初級さんの投稿を読ませて頂き,私も似たような意見をもっていたので共感し投稿しました。今後ともよろしくお願いします。
基本さん,お返事ありがとうございます。おふでさきもまともに勉強していないので,基本さんに対して物を言うこと自体が筋違いなのでしょうね。自分の研鑽の意味で意見を述べさせていただきます。
>陽気に暮らしたいと願う心を、天理教にて願うのなら、
天理教にて願うかどうかと言われたら「NO」ですね。社会においてなら「YES」ですね。
>存命の教祖といられるという陽気ぐらし
陽気暮らしって存命の教祖といられることだったのですか??全くの想定外でした。存命の教祖といられるという感覚がよく分かりませんのでそういう陽気ぐらしではなく,お互いに助け合い,励ましあい,認め合いながら人と人,人と自然とが折り合いをつけて生活できるような暮らし方が陽気暮らしだと勝手に思っていました。
初級さんのご質問>>899にもありましたが,基本さんのご意見は,
>自分の解釈を、唯一絶対の解釈とするスタンス
を私も感じてしまいます。真柱が認めた原典以外は認めないというスタンス,原典に書かれたこと以外は非天理教というスタンスが感じられるのですが,私だけかもしれませんが。
基本さんの基本である
>赤いものは誰が見ても赤い。白いものは誰が見ても白い。
だから、基本は、誰が見ても赤いと言うものを赤いと、書いておく。
そういう、作業の時の名前が「基本」なのです。
その前提が危うくないですか?つまり,赤いものは誰が見ても赤いっていうのが果たして本当かどうかです。色という限りなく客観的に見えるものですら,見え方はおそらく様々でしょうね。色ですらそうなのですから文章になると限りない見え方があるものではないでしょうか?解釈の多義性です。誰が見ても赤い,誰が見ても正しい,その「誰が見ても」が成り立つかどうか,私は非常に懐疑的です。
基本さんの言われる基本以外は天理教信仰者ではないとすれば,私は全くの門外漢ということになります。でも,一応天理教が自分の宗教だと思っていますので,基本さんには否定されますが,自分ではそうは思えない天理教信者になります。
天理教はそんなに入る門が狭いのでしょうか?ならば扉を開いて御身を隠された教祖の意図とは反対なのでは?たくさんの人が天理教の教えに触れるために御身を隠された教祖。できるだけたくさんの人がお道の教えに触れ,陽気暮らしできるような世界を創る意欲と熱意に胸を熱くするそんな社会をこそ教祖は臨まれたのではないのでしょうか?どこにも根拠などない一信者の私見です。私は陽気暮らしという言葉,生きる目的が大好きです。前向きになれますしね。子どもにも教育基本法からではなく,私なりの天理教解釈があってそこから教育を行っていますよ。独自解釈ですが,子どもはそれなりに育ってくれていると思うのですが…。そんなことは分かりませんがね。
天理教の教えの一部がすきだから信仰している。それだけではダメなのでしょうかね〜。私は,我が身思案から抜けきれない人間思案の塊のような人間ですからね〜。それでも教祖は私をわが子としてかわいがってくださっているのでしょうね。そんな教祖に感謝です。私は私なりに道を歩んで陽気暮らしを実現させたいな〜と思っていますよ。
- [924]傍陽気 06/11/16 23:50 3mlfESzp8Z
- 立教の三大因縁をド迷信教理の中心と真柱を、地場を馬鹿にした、教祖をを親神である事を否定した発言を批判する。それは、普通の天理教徒の信心ではありませんか。聞いて聞き逃し、見て見逃しはどもならんと仰せです。
しかし、基本さん相変わらずですね。地場定めで地場に足が止まらなかった人も居ました。天理王を転輪王と聞こえる人もいます。・・・でも続けてください。
- [925]とみ新蔵 06/11/16 23:51 .MMqVTcTHT
- 万年初級氏へ。
.それにつきましては、今まで、それなりに説いてきましたが、、、簡単ですが、ご質問にお答えします。
>.@とみさんはお道を信仰されているのですか?あるいは、お道に限らず、ご自分を信仰者だとお考えですか?<
はい。私は凡俗の徒ながら、20年前から(それまでの教祖はワケがワカラなかった)ズ教祖中山みきの弟子だといつも思っています。
天理教者としては、天理大学の宗教学科の先生などや、またアレコレの教会とも関わりが深く、時には当然、おつとめもします。
昔は12下りのおつとめが、長くて長くて、ウンザリして、11下り目まできたら「ハア〜〜〜もう少しや、、(汗)あと一個で終わるのや〜〜〜!あ〜〜ホットする、、、」
と、何か「苦行」のように考えていました。(子供の頃から、それでご利益が貰えるなどとは考えていませんでしたから)
でもある時代から、その意味内容が解ると、何やら、「ア〜〜ッ!}いう間に終了してしまう感覚になってしまいました。
ま、知り合いの教会でも、一応、応法の、お社の前で、つとめてはいますが、頭の中では、目の前に模型甘露台の姿を描いて、みんなで輪になって、つとめている姿を想像しています。
また本当は(教祖時代には座りづとめもなかったもの)ですが、一応、ちょとはなしのつとめも、正座でやっておりますね。
>A中山みきは思想家というだけでなく、教祖だとお考えですか?<
思想と宗教を二つには分けてはいません。
思想を、より向上させるためにあるのが、キリスト教では、ミサであり、仏教界では、勤行(つとめ)であり、教祖の道でも、おつとめがあるわけです。
みかぐら歌で、より思想を高めるわけです。
>B 中山みきは人間であるだけでなく、神(あるいは神的存在)であるとお考えですか?<
みき師は私達と同じ人間です。
ただ天保9年以来「口は人間、心月日」とて、心は「御自分の意志」で、
生物を生み出し、育てら(守護)れて来た、親、月日、理、そのものの心に成られ、
人類に、本当の生き方とは何か、を知らしめ、それを一貫して通らえたお方と考えております。
>C超越的存在としての神をたて、それを信仰の対象とする宗教をお認めになりますか?<
教祖の言う神の姿とは、密教的表現で、甘露台づとめで示す理(ことわり)です。
理をあたかも人間のように、擬人化したとき、ある時代まで神と表現されました。
(神と上(かみ)とはやや相違があるのですが、ここでは触れません)
だから、何事も、この理に基ずいて、自分を、社会を、世界を観て「判断の物差し」としております。
なぜならば、人間がこの世界で暮らす基本原理として、この理、以上の人間観、世界観を説いたものを私は、いまだに、どこにも、捜すことが出来ないからです。
- [926]とみ新蔵 06/11/16 23:57 .MMqVTcTHT
- 理、真理を何よりも立て、尊ぶのは当然のことです。
人間一人ひとりは、私も含めて、弱く、脆く、また、移ろいやすい存在でした。
だから私は理、真理だけを共とし、師とし、心の寄り処として、どのような中も通るように心がけています。
みかぐら楽の「神に凭れて(沿うて)ゆきまする」というものです。
例え、ただひとり、乞食になったとしても、哀しいとも寂しいとも思わないかもしれません。
だって私は「理」と共にあり、偉大なるみき先生が心の中に居るからです。
厳しくも、親心あらわれる、ひながたを考えると、どのようなことも、プラス思考に進められます。
ただ、いずれ死ぬ寸前には、ただ御一人おやさまから 「とみはん、アンタはチトスケベでホンマ、たいしたことはないボケ人間やけど、少しは人類の陽気世界創りの役に立ったかものう、、」と褒めて貰えるような生き方をしたいと、願っております。
- [927]傍陽気 06/11/17 00:17 3mlfESzp8Z
- このあかいきものをなんとおもている 中に月日がこもりいるぞや。教祖の言う神の姿とは、人間のをや、中山みき様です。
- [928]天衣無縫 06/11/17 00:26 8JRiLDu/
- >みき師は私達と同じ人間です。
いまゝでハをなじにんけんなるよふに をもているからなにもハからん
7号55
何も分からないのも無理はないですねw
しかときけをなじにんけんなるよふに をもているのハこれハちがうで
8号72
- [929]万年初級 06/11/17 01:18 *RmiYP14ex07*ISg9Pl/p.M
- 私はみなさんのように素早く考えをまとめるということが無理なので、自らまいた種とはいえ、複数の方にレスをいただくと、パニクってしまっております(笑)。
>>909
基本さん。ご意見ありがとうございます。そんなわけで考えがまだまとまりませんので、ご質問の答えを含めたレスは、申し訳ないですが、もう少し待ってくださいm(_ _)m。
>>911
T.N.Doctrineさん。
はじめまして。
私はあなたの博識ぶりには足元にも及びませんが、どちらかというと似たようなタイプの方かなと思って、楽しく読ませていただいてます。
謙遜などととんでもないことで、お気づきかもしれませんが、基本さんの私へのご意見の中に、故意か無意識かわかりませんが、私のH.N.をまちがって「万年初心者」とお書きになっています(文句ではありませんので基本さんぜんぜん気になさらないでください)。
H.N.を考えるときにさすがに私でも「万年初心者」は論理的・語義的にありえないんじゃないかと思って(笑)、「万年初級」にしたんですが、それこそ「神は人の口をもって言わしむ」ってやつで、初級ですら良く言いすぎであったか!とちょっとトホホの状態です(笑)。
投稿を続けられる自信はありませんが、よろしくお願いします。
>>923
道の教職員さん。
はじめまして。
いえいえ、私などよりずっと求道のお気持ちが強い方だと思っています。
こちらこそよろしくお願いします。
>>925
とみ新蔵さん。
ご返答ありがとうございます。
私の短い質問の中に、こちらの意図をくんで、私がうかがいたいと思っていたようなことを、いかにもとみさんらしい感じでお答えいただき、大変嬉しく思っております。
HPを少し拝見したり、ここでの投稿を読ませていただいたりしながら、とみさんのご見解を理解しようと努めています。
一見むしろ非常にわかりやすい思想に思われ、たとえば無神論者にとってさえ、違和感なく受け入れ可能な思想のようにも思われるのですが、なぜかいまひとつ理解できた気がしないので、質問させていただきました。
とみさんの教祖伝を読めないのが残念なんですが、とりあえず、お答えをうかがいましたので、またコネコネと考えて見ますm(_ _)m。
- [930]基本。 06/11/17 01:42 OPm/HjNcSX
- >>923
道の教職員さん。基本の考え方を述べさせて頂きますね。
基本の語ることと、教祖が扉を開かれたことについて、道の教職員さんは、
> 天理教はそんなに入る門が狭いのでしょうか?
> ならば扉を開いて御身を隠された教祖の意図とは反対なのでは?
> たくさんの人が天理教の教えに触れるために御身を隠された教祖。
> できるだけたくさんの人がお道の教えに触れ,陽気暮らしできるような世界を創る意欲と熱意に胸を熱くするそんな社会をこそ教祖は臨まれたのではないのでしょうか?
>
と、書かれています。
道の教職員さんの、心からの疑問と言うことだと思います。
そこで、道理として考えて頂きたいのですが、皆が欲しいのは、「けっこうなあたえ」であり、「陽気に暮らせるご守護」です。
そう言う世界を、普請する「大工」と言うのは、人間全ての人が大工になったら、住む人の数と等しいとしたら奇妙ですよね。
例えば、病人を治療するお医者さんの数が、病人の数と等しかったら、奇妙ですよね。
病助けのおたすけにんばかりでも、奇妙ですよね。
それなのに、松村吉太郎さんは、全家庭を天理教の教会にするという、そういう提案をしました。全教上げての大号令でした。
つまり、「大工」を大勢作ると言うことですね。
そんな事したら、産業は全部衰退して、天理教会ばかりになるわけで、生徒と同じ数だけ先生がいる学校みたいなものですから、社会としてのバランスとしても、成り立たないこと。
> たくさんの人が天理教の教えに触れるために御身を隠された教祖。
これは、その通りなのですが、その、天理教の教えを伝える人というのは、専門家というのは、「道の大工」と言うのは、少数でよい。
そう言うことになりますよね。
そのかわり、専門職として、きちんと、教祖の教えどうりに理を取り次げる人でないと、「道の大工」ではないわけです。
> できるだけたくさんの人がお道の教えに触れ,陽気暮らしできるような世界を創る意欲と熱意に胸を熱くするそんな社会をこそ教祖は臨まれたのではないのでしょうか
>
その通りなのですが、教える学校の先生が、実は、教科書の内容を理解していないと言うことでは、学校にならないように、たくさんの人に、理を、間違いなく、伝えなければならないわけです。
すると、> 天理教はそんなに入る門が狭いのでしょうか?
「大工となる道」は、狭いものになるのが、道理です。
みかぐらうたは、十二下り、「とめは、大工」です。
すると、ようぼくと言うのは、みんなが陽気くらしする社会の「人材」と言うことですが、これも、同様、全人類を更正すると提唱したのが松村吉太郎さんで、そんな、全人類を用木にしたら、誰がそこで暮らすというのでしょうか。
と、いう観点が、基本の観点です。
つまり、会場を整備したり、陽気くらしの裏方をするのが、大工やようぼくで、そこで陽気に暮らす人は、別に天理教でなくても良い。
とみさんのように、教祖は神なんて思っていなくても、無神論者でも良いわけです。他宗教でも、良いんです。
そこで陽気に暮らす人の、事です。
だが、求道者となると、普請をするという事は、きちんと、教祖の教えをガチンコに、学んでいないと、それは、大工にも、用材にもなれない。
天理教の道具になると言うことは、用木になるということは、人格は無い。
それが、基本と言うことです。
伊蔵様が苦労していた。
たすけてやりたいと周辺が言ったら、神様は、もっと苦労させろと、言ってました。
そこには、人情も義理もない。
基本的に、おふでさきは、ブロ用の書物です。
そういう視点で、見つめているのが、基本だから、頑固なのです。
- [931]基本。 06/11/17 02:23 OPm/HjNcSX
- 万年初級さんと呼ぶべきなのに、「万年初心者」さんと呼んでしまうのは、まことに、なんとも、・・・お詫びします。・・
おたすけにおいて、どの一言で、助かるのかという問題になると、「あれもある」「これもある」と言う複数の解釈は、意味をなしません。
たった一つの回答しか用意しない。
それが、基本のとる態度です。
「一言まででみなたすけるで」というのが、教祖の教えられた、基本です。
もう一方で、「神の一言は万巻の書」という教えもあります。
初心に立てば、神の一言は万巻。なのです。
それならば、おふでさきの言葉を、どう解釈しても良いとはなりません。
解釈というのは、「悟り」ですから、裏づけがなければ、勝手な悟りという事になるからです。
身上諭しの場合は、簡単です。
合っていればたすかるからです。
しかし、教義の問題は、直ちに助かる助からないの問題ではないので、結果が出るまでに、数年から数十年を有します。
結果というのは、神の働かれた結果としての「かえし」です。
知らずに異端に足を踏み入れたとして、それは、間違いなく、たすからない。と、意味内容は、原典には書かれています。
人を異端に誘い込むのは、結果が出るまでに、数年から数十年を有しますが、結果というのは、神の働かれた結果としての「かえし」です。
気の毒だから、お止めして上げたい。基本です。
そして、意図的に、異端に誘導する作為には、放置しない事としています。
おふでさきは、平かなだから、誰が読んでも意味がほとんど一定になります。
それを、曲げて説くというのは、教祖のおしえを信じていない人のする事ですが、教祖の教えだとして曲げて説いて、天理教会本部以外のところに導こうとする事は、きちんと「理の間違い」を、示して、警告することにしています。
- [932]基本。 06/11/17 03:04 OPm/HjNcSX
- はじめさん。
教祖のなされたやりかたを、ひながたと言いますよね。
基本は必ず、初代真柱様の応法を悪く言うことから、スタートします。
それは、ひなかたなのです。
本当にそうだと思ったら、ひながた通りにして下さい。
秀司先生の応法を厳しく責めて、教祖は、おふでさきに理を知らせて、言うことを聞かないで、秀司先生とまつえさんは、神の返しで死にました。
でも、秀司先生に応法させたのは側近の者たちでした。
中田儀三郎先生、中田さよみさんは、教祖から、「取り次ぎはいらん」と、首になりました。
そこで、教祖には聞けないので、仲田先生は伊蔵様に伺いを立てて貰います。
そして、その伺いから悟って、応法に進みます。
これが心通りのすがたで、「錦と見立てたものなれど」と、神から見放された姿となりました。
櫟本分署跡での、監獄の苦労が長かったのは、仲田先生が応法の動きをしたことが裏目に出てのものでした。
自業自得。
高野先生のご存命の頃を、丁寧に史実確認しながら読めば、分かることです。
結果というものが神の返しなのですが、
先ず、我が息子で、理の責めを見せて、証拠を示し、内も外も隔て無いことを示して、現実に応法を通った人への「返し」の前触れとしているのが、ひながたです。
ここで、今起きていたのは、異端への誘導です。
八島系のチームプレーです。
意見の語り合いとか、論争ではない。
甘言で、八島さんの説く「真理」に誘う、行為です。
その時に、異端が悪いという前に、真柱が悪いというのは、基本的には、ひながたです。
- [933]基本。 06/11/17 11:29 lsHkXNaPbd
- 続きです。
>>114 とみ新蔵 06/08/27 04:44 Ozq9iOMfmU
> また、死ぬことを「出直し」と書くようになったのは、大正7年が初めてです。
> それまでは、教内のどこの文献でも、死んだことを「逝去」とか「死亡す」と書かれています。
> 死ぬことを、出直しと言い出したことも、とんでもない誤りです。
真っ赤なうそです。
明治21年1月28日のおさしづに、この様に在ります。
『皆いんねんの者である。』
『生まれかわり出直ししても、ひとつもほどかずしては、どんならん』
このように、はっきりと、「出直し」は説かれています。
> みかぐら歌の「心得ちがーいは、出直しや」は、文字通り、日本語の「顔を洗って出直してこい」というように
> 「生きながら、価値観を変える、切り替える」という意味です。
とみさんの、史実を曲げての、方便です。
つまり、うそも方便です。
そこで、基本は、教祖が秀司先生に告げたおふでさきを、そのままに、記しておきます。
これからハ うそをゆうたらそのものが
うそになるのも これがしよちか 十二号 102
出直しとは、死の事であり、秀司先生は、「死にました」=「出直しとなりました」。
こういう嘘を、見逃すどころか、持ち上げていたのが、T.N.Doctrine さん。
T.N.Doctrine さんには、当時の側近の秀司へのこびへつらいを、追従を、戒めた、次のようなおふでさきを、お知らせします。
月日にハ うそとついしょ これきらい
この先なるは 月日しりぞく 十二号 103
仲田さよみさんは、「取次人」を、いらんと、教祖から首になり、挫折されました。
(続きます)
- [934]万年初級 06/11/17 12:00 *RmiYP14ex07*ISg9Pl/p.M
- 基本さん。
H.N.のことですが、なんかこちらこそ失礼してしまいました。本当に気になさらないでください。
>>909 においてお書きくださったご意見について述べさせていただきます。
まず、お教えくださった真柱さんのお認めになられていない教祖作成のものがあるということ、不勉強で初めて知り、驚いております。
ですから、こういったことについてこれまで深く考えたことがありませんので、さしあたり現在考えられる私の見解を述べます。
つまり、今後変更はありうる、ということです。
>>そこで、万年初級さんに質問です。
>>真柱様の裁定のみを受け入れますか。
というご質問ですが、少しずらして答えさせていただきます。
「真柱様の裁定のみを受け入れておりますし、それで必要にして十分であると思っています」
>>真柱様が、原典と認めなかったものまで、含めて、教祖の教えと広く含めますか。
というご質問のほうは、
>>みかぐらうたにも、教祖・中山みき様が作成されたもので、真柱様は「みかぐらうた」に入れていないものがあります。
と、基本さんが書かれたことが事実であるとしますと、普通に考えて「中山みき様が作成されたもの」なら、それはやはり「教祖の教え」であろうと思います。
しかし、そういった文書や資料が発見されたり公刊されたとしても、私はこれまで私が自分なりに受け取ってきた教祖の教えが根底から覆るということはありえないことだと思いますし、ましてそのようなことを望みもしません。
つまり、すでに真柱さん認定の公刊されたもので、本質的には教祖の教えの書かれた文書は必要十分なだけ存在する、と考えているのです。
したがいまして、そのような意味からは、私は「秘密の文書」といったものに、あまり関心がないわけです。
- [935]傍陽気 06/11/17 12:01 AKxmuuRZe/
- TN..DOCTORINEさんへ
いろんな考え方、悟り方があって、基本さんの語る事が本当の天理教だとしたらそんな天理教「辞めたくなるんです」よね。基本さんの語り口を聞いていると不快になるんですよね。TN. DOCTRINEさんは。立教の三大因縁をド迷信教理だと、中山みきは「同じ人間」だと「天理教を語る」輩がいてもそれはいろんな考え方の一つでそういう意見を交換し合うことが談じ合いだと、仰るのですよね。あなたは。TN.DOCTRINEさん、果たしてソウでしょうか。天理教の悟り諭しとあります。それは互い助け合いと言う天理教の基本教理です。御存知ですか。
TN.DOCTRINEさん、天理教を辞めたくなるとか言わないで、いつか貴殿のドクトリンが確立できるよう原点を繰り返し読んで下さい。お願いします。
- [936]万年初級 06/11/17 12:01 *RmiYP14ex07*ISg9Pl/p.M
- また、
>>原典の解釈は、真柱様の裁定された、原典(お筆先・御神楽歌・おさしづ)と、天理教教典を基準としなければならない。
>>自由な解釈とは、天理教信者を名乗らない場合には、自由であるとしても、信者と名乗るとすれば、基準は、あるということです。
という基本さんのご見解にも、ほとんど違和感を覚えません。
ただ、にもかかわらず先ほどの質問をずらした形でお答えせざるをえないように感じるのは、おそらく真柱さんに対する考えが、「真柱派」を自称しておられる基本さんとは、これまで書き込まれたものを読ませていただく限り、やはり考えが異なるからだろうと思います。
私も理の上からみた「真柱」という存在は、天理教の中で重要な意義をもつ特別な存在であろうと考えますが、私は真柱さん個人をカリスマであるとは思いません。
私の誤解でなければ、基本さんは真柱さんをカリスマとして捉えておられるように思うのです。
たとえば以前真柱様を「能力者」であるとお書きになっていたと思いますが(おっしゃる「能力者」の意味が「超能力者」とどう違うのかよくわからないのですが(^。^;))、そういった表現など(他に文脈は違いますが、天理教は「オカルト」であると述べておられたことなど)から判断すると、そのような印象を受けます。
ですから私は真柱さんが教祖の教えとして裁定されたものを、そしてそれのみを原典として、あるいは教義の中心資料とすることに何の異存もありませんが、たとえばおふでさきの解釈において、真柱さんの解釈のみを唯一絶対とみなすことはいたしません。
また、もし未認定の資料が教祖によるものであるとして、真柱さんに直接おうかがいできるのであれば、「どうしてお認めにならないのですか?」と理由を尋ねてみたいと思いますし、最終的に真柱さんのご判断であるにせよ、場合によれば自分の意見を述べるかもしれません。
そしてそれがどうしても私の中で認められないようなら、私はたぶん少なくとも教団としての天理教からは離れるでしょうし、また私個人としては、そうあるべきであるようにも思います。
>>909においてお書きくださったことに対する私の今の考えは、おおよそ以上のようなものです。
>>931で、すでに教義解釈についてさらにご意見をいただいており、この点につきましても述べさせてもらいたいことはまだあるのですが、前述のように、理解、考えのまとめ、があまりに時間がかかるため、能力的、状況的にとうていすぐに返事ができません。
掲示板の書き込みは向いていないということなのでしょうが、とにかく申し訳ないですが、書けないかもしれませんが、お許しください。
ご意見ありがとうございました。
- [937]基本。 06/11/17 12:11 lsHkXNaPbd
- 道の八十年には、「応法」から、道を外して、「出直しとなった」人物の話題が、きちんと残されています。
『みかぐらうたの削除は、天理教にとっては初めての事で、軍部の国家主義的な弾圧が、ついに、これを強いたのであって、父祖代々、この道の信仰に生きてきた者にとっては、手をもがれ、足を切り落とされたにも等しかった。』
・・・
『しかし、個人松村吉太郎は、これを実行する気はなかった。』
『個人の神さまのおつとめには、私は堂々と、十二下りを勤めた。』
『その為、大教会長と論争をした。』
昭和13年の事でした。
『その為、大教会長と論争をした。』
と、書いてあるのがそれです。
大教会長と吉太郎さんの親子喧嘩は、すざましかったと、別の資料で読みました。
「父さん、あんただって、応法したじゃないか。なんで、あんたは良くて、我々では悪いのだ。」
こんな剣幕だったそうです。
そして、大教会長は軍事態勢に協力して、・・敗戦となって、身上に倒れ、昭和23年、激論の十年後には、大教会長の職を辞して、昭和25年には、出直しとなりました。
戦後には、何一つ活躍の舞台はなかった、長男でした。
『ここは松村個人の屋敷であり、ここにおまつりする神様は、個人まつりの神様であって、直接本部との接触はないと考えた。』
『神前に、序歌(よろづよ八首)の額をかかげ、いつもの通り、変わりなきおつとめを続けていた。』
そして、昭和22年3月、復元の開始の「序」として、吉太郎さんには、真柱さまからの、依頼が、ありました。
『用件は、本部礼拝殿の額に、序歌八首を書けと言う事で、和紙二枚を与えられた。』
戦争協力も立派な神さまのご用だと、父と口論と、軍部の要請に応じて活躍した、大教会長には、「心得違いは出直し」でした。
神さまにおいては、内と外には、隔ては無いのです。
- [938]基本。 06/11/17 12:43 lsHkXNaPbd
- >>936
疑問をお持ちとの事です。
真柱は能力者と言うのは、「真柱としての能力のある人」と言う意味です。
それでは「真柱」の能力と言うのは、なにか。
それは、「内をおさめる真柱。」「親族の事は真柱。」と、おふでさきにあります。
そういう、能力として、お持ちであると言う事で、それだけの事です。
逆に言いますと、「外」の事には、無能と言う事です。
執政は出来ないと言う事です。
三権分立の「行政・司法・立法」に比ゆしますと、これは、比ゆですが、「行政」としては、無能。役割ではない。
比ゆですが「立法」というのは、既に教祖がのこされた原典がありますから、何かを主張するとか、そういう立場ではない。能力も無い。
すると「司法」なのかと言いますと、それも、違う。
つまり、権力としては、「無能者」と言う事です。
つまり、「でくの棒状態」であるが、真っ直ぐの柱と言う事ですが、真に立っている。
それだけの存在と言う事です。
整理しましょう。
『中山家の当主』←「親族の事はしんばしら」「内を収める真柱」。
教祖のお住まいになる、地場の、中心として、その位置に立っている。
真の柱と言う、能力をお持ちという事です。
おふでさきの解釈の事ですが、真柱様は、「真を示した」だけで、何の解釈例も残していません。
ちゃんとした読み方は、ローマ字本でしめし、注釈は、本部員たちが書いたのです。
きちんとした資料、史実、そういうものの正確さを、きちんと仕事しただけで、解釈例は、何一つも無い。
あるとしたら、初心者さん向けのものとか、さわりはここだよとか、案内役としてのもので、本当の解釈は、誰にも語らなかった。
それだから、真を外さない限り、「神の一言は百巻の書物」。
まさに解釈は、自由なのです。
真を外すと言う事は、明らかな読み間違いとか、主語述語の間違いとか、そういうことにあるのであり、書かれたものの中から、悟りとると言う事は、「力あるなら掘りきりて見よ」なのです。
例えば、おふでさきには、今がこの世の元始まりであると、知らされています。
はやはやとしやんしてみてせきこめよ
ねへほるもよふなんでしてでん 五号64
このよふのしんぢつねへのほりかたを
しりたるものハさらにないので 五号65
その、根の掘り方の、真を示して下さっている真柱に過ぎない。
基本は、真柱絶対主義ではない。
又、真柱は、ただの無能力な存在である場面もありますから、心得ておくべきです。
いわんいえんの理の達人です。
真柱様は。
- [939]基本。 06/11/17 13:35 lsHkXNaPbd
- 続きです。
>>126、で、リラックマさんから、文献上の「出直しと言う言葉の使用」が、教祖存命の頃にあったと実例をあげられると、
>>148で、 T.N.Doctrineさんは、とみさんの、間違いを無視して、問題を「霊魂」と「魂」の問題にすりかえました。
ひして、『> 後天的な人格』 、と言う言葉を持ち出しています。
> 「生まれ変わり」を科学的に言いますと、遺伝子の相似ということがあると思います。
> 遺伝子そのものにいくらかでも違いがあるとすれば、とても同一個体の生まれ変わりとは言えないように思えるのです。
つまり、科学的には、生まれかわりは無いと言う事です。とみさんの擁護の論。
> 人類発祥の一番最初は、誰か特定の人の生まれ変わりじゃなかったはずですから、
> 次に生まれる時は必ず誰かの生まれ変わりじゃなければならないというルールはないように思うのです。
と、元始まりのお話を無視した、論を展開しています。
> 人類発祥の一番最初は、月日が、月日の遺伝情報をすりこんでいるから、「月日・人間同じたましい」なのです。
その元の遺伝情報があるから、人間は「月日・親神の子」なのです。
> 私たちは皆、過去の誰か彼かの部品を寄せ集めて作られていると言えるかも知れませんが、
> そういった意味での生まれ変わりを信じたとしても、先ほど申し上げましたように、
> 自我は新たな経験知によって創られていくものだと思います
>
教祖の教えられた「生まれかわり」とは、新たな経験値で人間になるのではない。
人間としての「元の因縁」があるから、人間になる。
おふでさきに書かれている、この、一点を、故意に、隠しての、とみさん擁護でした。
>>149
そこで、とみさんは、「生まれかわりは説かれていた」前提に、論を、急変しています。
> 「おさしず」には、「ぜんしょう」とか「いんねん」とか「来生」「生まれかわり」とかの言葉はあります。
> 前世といえば、親です。来世といえば子供です。
> 遺伝子的にも、肉体的、精神的にも、大きく影響されている私たち、いわば「生まれ替わり」といってよいでしょう。」
> 霊肉一元説で、身体だけでなく、思いの世界でも「輪廻転生」しています。
> 「人間とは一代ではない」のです。
> だからこそ、競争文明から、補い合い、助け合い文明への価値観への、心の切り替え、出直しが必要なのだよ、というものです。
こうして、T.N.Doctrineさんのサポートを受けて、とみさんは、人間の「輪廻転生」を説いて、「輪廻転生」を「生まれかわり」にすりかえています。
>>150 とみ新蔵 06/08/31 03:24 R8O1f9raex
> 教祖の言う」「いんねん」とは「♪ききたくば、たずねくるなら、ゆてきかす」、よろずいさいの、もとなるを」の、
> をふでさきで言うところの「よろず委細の元の因縁」です。
人間の魂の因縁とは、月日親神の子であり、やがて陽気にゆさんする人間になるであろうと言う因縁が、根本です。
どのよふなところの人が でてきても みないんねんのものであるから 4−54
にんけんをはじめだしたるやしきなり そのいんねんであまくたりたで 4−55
このさきハせかいぢううを一れつに たすけしゅごふをみなをしえるで 4−56
価値観の切り替えも何も、親は、子が可愛い。それだけの親神です。
(続きます)
- [940]リラックマ 06/11/17 13:48 D-snzhw
- やはり気になって覗いたら、エライ事になってますね。
基本さん、こんにちわ。「偉そうに!」と思われるかも知れませんが、今回の事情について私が思う処を、おさしづを交えながら述べさせて頂きます。
以前もこういう事情が、ネット上で起こりましたね。詳しくは知りませんが、確か2チャンネルの天理スレの方が、そんな事を仰っていました。
明治27年5月31日
『しようと思うて成るやない。しようまいと思うても成って来るのが、いんねんの理と言う』
明治21年1月23日
『心で思う通り障り付くのやで』
私は、これはあなたの『いんねん』だと思います。
心の理が現われたのだと思います。
補・明治20年11月24日
『めん/\隔てる心から、隔てられるようになる』
明治21年6月15日
『この道は皆兄弟やという理を聞かして置こ。なれど、隔てられるも隔てるも、皆銘々の心通り。』
明治31年7月25日
『第一隔てるというは破れの元という。』
明治25年7月27日
『道に高い低いの理は無けねども、心の理により高い所出ける。思い過ぎより仇となる。』
ゴチャゴチャ言わなくても、あなたなら、もうお分りですよね?
私なんかより数倍勉強されているのですから…。私はただ一人の「真柱派」なのだと、いつのまにか心に囲いを作っておられませんか?皆でゆっくりやりませんか?同じ人間、道の兄弟なのですから…。
補・明治20年12月1日
『心に合わん気に合わんという事は、いつも心に合わん気に合わんと言うて居た分にゃ、いつも心にも合わにゃ気にも合わん。その気にも心にも合わん処だけ除りたなら、心にも合や気にも合う。さあこゝをよう思やんして、人の悪き処だけ除りて我が心包み、善き処だけ出して、何事も治めるよう。』
- [941]リラックマ 06/11/17 13:51 D-snzhw
- とみ新蔵さんへ
明治33年10月7日
『扶け合い/\とどんな扶け合いも数ある中に、聞いたら直ぐに飛んで行って救けにゃならん処もある。又、利害を言うて治めにゃならん処もある。〜〜放って置いてはならん。成るよう行くよう心運んでやらにゃならん。』
補・明治20年12月1日
『心に合わん気に合わんという事は、いつも心に合わん気に合わんと言うて居た分にゃ、いつも心にも合わにゃ気にも合わん。その気にも心にも合わん処だけ除りたなら、心にも合や気にも合う。さあこゝをよう思やんして、人の悪き処だけ除りて我が心包み、善き処だけ出して、何事も治めるよう。』
これまた「偉そうに!」と思われるかも知れませんが、思う処を少しだけ言わせて頂きます。
とみ新蔵さんの投稿で、いつも気になっている事があります。それは「初代真柱の書いた教祖伝なんか信用ならん」とか、「もう基本氏の投稿なんか、一切無視する」などという言葉です。初代真柱の教祖伝が嘘か本当か?、基本さんが天理教団の手先かどうか?そんな事は、私は知りません。気になるのは、とみ新蔵さんのその態度です。
天理教団に恨み辛みでもあるのやろうか?なんて考えてしまうくらい、なんだか冷たいような気がします。この話題に入った瞬間、とたんにとみ新蔵さんにスイッチが入って、普段のとみサンでないように感じます。らしくないです。同じ道の兄弟なのですから、今までのヒョウヒョウとした、とみサンであってほしいと思います。
さて、これでしばらく本当にコーヒーブレイクさせて頂きます。考えてみたら、このスレッドに入り込み過ぎて、本来の目標がおろそかになっていたのです。
そっちもがんばらないといけません。何のことか、T.N.Doctrineさんはご存じですよね?(^_^)v
それでは失礼致します。
m(__)m
- [942]とみ新蔵 06/11/17 14:47 .MMqVTcTHT
- 人間の真実の幸せってなんでしょうか。
幸せについて思案してみます。
幸せとは、すべて、{他者}よりも、結構になること。
物を多く持つこと。
一流大学へ行って、出世すること。
バリバリ働いてバリバリと、お金を稼ぐこと。
他国を攻めて英雄になって、讃えられること。
豪邸に住むこと。
新型ベンツを乗り回すこと。
高級官僚になって、高給を貰い、また天下りして、デカイ退職金をもらうこと。
火薬を発明して、戦争の役にも立つような、ノーベル化学賞をもらい、世界をベンリ快適にすること等々。
これらはみんな、」「人との比較」で得られるものです。
人間同士が、相手を倒して、競争によって得られるものです。
エ!?
人に勝ったから幸せ?
それは人の足を引っ張って得ただけのことです。
たとえば一流企業の部長になって、優越感を得られたところで、その上には、取り締まり役達もいて、ヘイヘイと従わないといけない。
これは劣等感のもとですから、競争を、死ぬまで続けないと、充足の得られない、奇態な「シアワセ」というものです。
こんな「勘違いの幸せ観」を持ちますと、優越感と劣等感のゴチャ混ぜ世界で、全体として、社会はギスギスして、実は誰も幸せな人はないと思います。
偉大な宗教家、思想家は、そんな勘違いな「幸せ感」について論じた人は、古今東西にありませんでした。
私たち、お道につながるものも、もとより、そんな価値観を持ってはいません。
では、「本当の幸せ」ってなんでしょうか?
世界の誰にも分かるように、ここで人間の幸せについて論じたいものですネ。
エ?野球を観ているときしあわせ?
イヤ!私は野球はキライで、プロレスを観ているときが最高の幸せですって?
牛肉は好かんから、納豆を食べている時が幸せ?
そがいな趣味や嗜好を尋いているのではありまへんガナ(^^)。
どこの国であろうとも、人類共通の「幸せ」について論じたいのですが。
- [943]基本。 06/11/17 17:53 OPm/HjNcSX
- >>940
リラックマさん、いつも原典に確認をし、求めると言う事は、リラックマさんの確かな手法ということですね。
とみさんにはとみさんの信念があり、T.N.Doctrineさんには.TN.Doctrineさんの信念がある。
信念の問題は、平行線です。
とみさんにしてもT.N.Doctrineさんにしても、基本が語っているようなことは、知識として、先刻承知済みで、ひとつの法話を説かれているわけです。
その意味では、とみさんも宗祖。T.N.Doctrineさんも宗祖。
でもね、理は劇薬です。これは、基本の理解です。
それはリラックマさんは、理は良薬として、教祖のお言葉を紹介する立場ですから、たぶん、分かっていないと思います。
理の、劇薬の部分を、劇薬だと思っていないと、「どうとでも言い抜ける」という、その意味で、「なんとでも言う」わけですが、現在の天理教団の信仰よりは、ましだという、自負と自信がお二人にはあるから、迷える子羊に、さまざまな情報を与えて、導いているわけです。
私は、基本的に、導き手ではないので、「劇薬・注意」という張り紙を貼り付けているわけです。
警告しているわけですが、だからどうしなさいという導きは、しません。
> 私はただ一人の「真柱派」なのだと、いつのまにか心に囲いを作っておられませんか?皆でゆっくりやりませんか?同じ人間、道の兄弟なのですから…。
> 補・明治20年12月1日
> 『心に合わん気に合わんという事は、いつも心に合わん気に合わんと言うて居た分にゃ、いつも心にも合わにゃ気にも合わん。その気にも心にも合わん処だけ除りたなら、心にも合や気にも合う。さあこゝをよう思やんして、人の悪き処だけ除りて我が心包み、善き処だけ出して、何事も治めるよう。』
>
このおさしづを、用いてよい場合もあります。
それは、「心に会う会わない」という問題ではない。
「理」の問題、であるわけです。
とみさん風に言えば、「真理」の問題。
つまり、基本が、譲ってはいけないものは、教理として「うそ」を言う人に対してです。
今回は、おふでさきを台にしております。
とみさんも、TN.Doctrineさんも、「おさしづ」信用できないと言う立場ですから、おふたりが教祖のお言葉として信用できるという「おふでさき」で、お二人に「うそ」を、それは嘘だよと、張り紙をしています。
食品表示の問題でもそうですが、虚偽表示は、見逃してはいけないわけです。
まして、真理を説く人が、原典を自分の都合で、書いてあるのに無視したり、書いても無いことを説くというのは、宗教家の方便ですから、教祖が秀司に厳しかった様に、断固許さないと言う姿勢が、ひながたです。
まさか「可哀想に、早くかえっおいで」とはいえない基本です。
「威張りくさりゃがって」と、秀司さんを詰めるのが、本当の教祖伝と、語っているお二人ですから、当然、問い詰める基本には、その意味を理解して頂いている物と思います。
おさしづを引用する場合には、もう少しの「精査」が必要ですね。
リラックマさんには。
- [944]基本。 06/11/17 18:10 OPm/HjNcSX
- >>933
> これからハ うそをゆうたらそのものが
うそになるのも これがしよちか 十二号 102
> 月日にハ うそとついしょ これきらい
この先なるは 月日しりぞく 十二号 103
リラックマさん。
このおふでさきと、ご紹介のおさしづと、どちらが理が重いとお考えでしょうか。
> > 補・明治20年12月1日
> 『心に合わん気に合わんという事は、いつも心に合わん気に合わんと言うて居た分にゃ、いつも心にも合わにゃ気にも合わん。
> その気にも心にも合わん処だけ除りたなら、心にも合や気にも合う。
> さあこゝをよう思やんして、人の悪き処だけ除りて我が心包み、善き処だけ出して、何事も治めるよう。』
まさか基本ととみさんが気が合わないと、リラックマさん。
そういう問題に、摩り替えているのではないですよね。
それは、基本は、「おふでさき」をもって説明しているのに、はるかに理の軽い「おさしづ」を、持ち出しているということは、すりかえではないですよね。
基本は別に一人ぼっちではないし、奥さんもいつも一緒に投稿に付き合ってくれてます。
奥さんに、確認してもらってます。
内容のいちいち、についてです。
こちらにはこちら向け、教団には教団向けと、そういう事の無いように、奥さんが読んで、きちんとしているとの評価を内容を確認して頂いています。
家族に、周囲の人に、裏表無く談じ合うのでなければ、それも「うそ」です。
後継者として、リラックマさんが大切にしなければならないのは、身近な教会の信者さんたちだと思います。
その信者さんたち全員に、見せて、本当にお筆先と一緒のこと語っていると、そういうネットでありたいと思います。
- [945]T.N.Doctrine 06/11/17 19:14 cDg62WOMwQ
- >>941 リラックマさん、こんばんは。
ちょっとご心配をかけていたかも知れません。
また、とみ新蔵さんへのご指摘、タイムリーでした。
あの方の気持ちは解るのですが、余りに感情的になりすぎて、とみさん「らしくない」言葉のオンパレードでしたからね。
私もご指摘しようかなと思っていたのに、何のことはない自分も同じように感情的になっていました。
でももう少しだけ、追加でしゃべらして貰います。
また、お付き合いが中断することがあろうかと思いますが、リラックマさんとはいつまでも良き友で有りえると思っています。
- [946]T.N.Doctrine 06/11/17 19:54 cDg62WOMwQ
- >>921,922 基本さん
あなたの妄想癖には本当にあきれてしまいます。
とみ新蔵さんが八島さんと親しいか、或いは八島説を信じられているかどうかは、私は知りません。
が、少なくとも私は八島教団とは無縁であり、櫟本分署跡さえ行ったことがありません。
(もう20年くらい前でしょうか、八島氏の著「中山みき研究ノート」は読んだことがありますが)
私がネットの掲示板なるものを覗いたのもここが初めてで、(どんさんの知人から勧められて)書き込みを始めたのもその時、確か今年3月頃の「天理教をかたる!!2」の中頃からでした。
ご存知のように、とみ新蔵さんは新スレ「!!3」が始まってから来られたのであり、私が氏と意図的に連携プレーしなければならない理由など何もない訳です。
また私の書き込みを読んで下さった方のほとんどが(基本さん以外は)、私の信仰観及び信仰生活というものと、とみ新蔵さんのそれとの違いを認識されていることと思います。
私は氏の書き込みに対し、「何だこの親父、むちゃ言いおって・・」と思ったことはありましたが、人間的には不思議に反感を覚えませんでした。少なくとも基本さんに対してよりは好感をもっています。思想性ではなくて、人間性に対してです。
更に私という人間は、その気になればどこの誰であるか、今までの書き込みを調べれば、すぐに捉えることができると思います。
そして家族のみならず、多くの友人達にこのサイトを読むよう依頼していますので、私が事実でないことを書き込んだら、ネットに投稿されるか否かは別として、すぐに揶揄されたり、批判の矢面に立たされるだろうと思います。
あなたの実体は存じ上げませんが、私は実生活において生身の人間として信頼を失います。
もし、あなたが仰るように、私が「嘘」を吐き続けているのであれば、どんさん始め多くの友人を失うことになるでしょう。
私はこのサイトでは、とみ新蔵さんのご意見もそれなりに尊重します。道の教職員さんの真摯で細やかな信仰姿勢、思考法も、尊敬の念を持って捉えています。 リラックマさんの原典をよりどころにした改革の願望も支持したいと思っています。はじめさんの信仰への思い、どんさんの感性、日本の男さん、レインボーさんその他、個性的な皆さんのそれぞれの信仰姿勢を重んじたいと思っています。
それぞれの信仰観には多くの差異があろうと思いますが、それを統一したいとは思っていません。それがこのサイトにおける私のスタンスであり、恐らく基本さんと決定的に違う要素なのだろうと思っています。
- [947]T.N.Doctrine 06/11/17 19:56 cDg62WOMwQ
- >>935 傍陽気さん、こんばんは。
あなたは基本さんとどういうご関係なのでしょうか?
まさか一人二役ではないでしょうね。
- [948]T.N.Doctrine 06/11/17 20:21 cDg62WOMwQ
- >>913 はじめさん、こんばんは。
私もあなたと同じようなことを考えていました。
本当に鏡の法則ではないですが、自分の因縁を見せられているのかなと、少し反省する気分になっています。
そういう意図はない積りでも、つい癖性分が顔を出したりするものですね。
私は何度も申し上げて来たように、このサイトで現在の教団の金献体質とそれに苦しんでおられるかも知れない信者さん方に対する憂慮・危惧と言うものを表明しつつ、(これは多くの方々の思いと一緒ですが)、一方で天理教に関係ない人が多数訪れるだろうということを想定して、従来の天理教に対する偏見を解きたいとの思いから、できるだけ専門的な教理に偏るのでなく、未信者の方も違和感なく参加できるような話題を提供してみようと試みたり、(それが成功したかどうかは別として)、また天理教を信仰している者も決して特殊な人種ではなく、悩んだり、反省したり、学んだりと言った世間一般の人と大して変わらない日常を送っていることを理解して頂くために、ことさらプライベートな出来事を書き込んでみせた訳です。
それが結果的に自分の自慢話みたいな様相を呈したこともあったのではないかと、忸怩たる思いも持っています。あるいは一部の方々に不快感をお与えしたことがあったかも知れません。
今回また基本さんとしょうもない論争をして、皆さんに更に不快感を与えているかも知れないと思い、ちょっと言い足りない部分はあるのですが、はじめさんに習い、しばらく引かせて頂こうと思っています。
それではまた。
- [949]おみのるさま 06/11/17 20:39 qYUcyRImKz
- 知識もある。論破は得意。自説もある。説明も上手だ、基本さんは。でも、その文章から私の心が動かないのは、何故だ?人が離れていくのは何故だ?考える必要があるのではないか?
- [950]おかん 06/11/17 20:50 Qn59oNHxab
- オーソドックスだったんですね。やっぱり!
基本さんは優しすぎます。本当に!厳しいです。理を曲げない態度を見習いたい。
続けてください、一母の為にも。
お願いいたします。
高すぎて授業料払えませんが、必ず正しく子どもに伝えます。
- [951]はじめ 06/11/17 22:48 qIPIiR8..3
- こんばんは。
ふ〜〜。基本さんへ。
>>932
>教祖のなされたやりかたを、ひながたと言いますよね。
教祖の通られた道をひながたと聞いております。またその周囲の方々の歩み方もひながたに入るのではないか?と思っております。そこでひながたを探しながら歩んでいる最中です。
>基本は必ず、初代真柱様の応法を悪く言うことから、スタートします。
>それは、ひなかたなのです。
????言われていることが分かりません。私がこれまでに知った中で、このようなことを聞いたのは初めてです。(別に説明は入りませんよ。)
>本当にそうだと思ったら、ひながた通りにして下さい。
この命令形にすごく違和感を感じます。私はあなたを信奉しているわけではないのです。
こうした言い方が今の天理教の教会で言われて、2代3代の者が嫌気をさしている。天理教から離れている。
そんな気がしました。
もう一つ。
>>946
>あなたの妄想癖には本当にあきれてしまいます。
とT.N.Doctrineさんが言われていますが、どうしてそうなるのか?とつくづく思います。
おたすけなどの相談の文などを読んでいると、そんな風には思えないのに、仲良く教理の話しを含んで、それぞれの思いを述べていると、その場の雰囲気など全く無視して、猜疑心一杯で決めつけて、自分の理論ばかりを押しつけてきますね。
「成人次第に見えてくるぞや」と聞かせて頂きますが、子どもが子どもの言葉で遊んでいる。その中で学び育っていく姿を、親の心で見て親の言葉で導く事は出来ないのでしょうか?
私には基本さんが、教祖を信じることが出来ずに弾圧をする警官のように思えてきました。
>>948
T.N.Doctrineさん、こんばんは。
>本当に鏡の法則ではないですが、自分の因縁を見せられているのかなと、少し反省する気分になっています。
>そういう意図はない積りでも、つい癖性分が顔を出したりするものですね。
そうなんです。いんねんがよりますので。(⌒∇⌒)
私があまり書き込みをしないのは、そうならないように、という思いからなんです。
>今回また基本さんとしょうもない論争をして、皆さんに更に不快感を与えているかも知れないと思い、ちょっと言い足りない部分はあるのですが、はじめさんに習い、しばらく引かせて頂こうと思っています。
お疲れ様でした。
見ている人は結構冷静に見ていて、色々と学んでいると思います。(人によるとは思いますが・・)
ネットは本当に便利なんですが、使いこなすまでは大変だと思います。何でもそうですが、やってみて初めて分かることも多くて、これはこれで良かったんじゃないかなぁ。って思ったりしています。
本当にありがとうございました。
このスレもあと少しで終わりますね。
そうそう。
とみ新造さん。
色々とありがとうございました。偉そうな事言いますが、
心広く人を受け入れて話しが出来る方々の中で、とみ新造さんの言葉がどう変わるかなぁ?って勝手に思ってたんですが、途中になって残念です。
リラックマさん。
資料を調べる事がすごくお上手で、記憶力も素晴らしく、うらやましい限りです。
そしてなによりも、舵取りの素晴らしさを感じさせて頂きました。
色々とありがとうございました。
皆さん。
私が火付け役でこんなことになりましたが、お許し下さい。
どこかスレに混ぜて頂く時には、よろしくおつき合い下さいますよう、お願い致します。
それでは、失礼します。
- [952]苺 06/11/17 23:12 Gl19Kwdc./
- 人の癖性分をとやかく問うまえに、自分がこの板をどのように活用したかったのか?よく考えてみた方がいいと思いますけどね。
お道サロンにしたい人と、お助けの一線で物事を考えている人とは、おのずと、板の活用の仕方が違うのも致し方ないと思えますが。
おふでさきの根もまともに掘らず、表面的な天理教の宣伝ばかりの板が多過ぎますからね。『紺屋の白ばかま』にならないように、お互い様気を付けた方がよいですね。
しかし、、、「応法の道もありがたい」とは、ちょっと頂けない言葉ですけどね。
こういうのも、基本さんの説く自白っていうものなのでしょうか?
- [953]苺 06/11/17 23:17 Gl19Kwdc./
- 人の癖性分をとやかく問うまえに、自分がこの板をどのように活用したかったのか?よく考えてみた方がいいと思いますけどね。
お道サロンにしたい人と、お助けの一線で物事を考えている人とは、おのずと、板の活用の仕方が違うのも致し方ないと思えますが。
おふでさきの根もまともに掘らず、表面的な天理教の宣伝ばかりの板が多過ぎますからね。『紺屋の白ばかま』にならないように、お互い様気を付けた方がよいですね。
しかし、、、「応法の道もありがたい」とは、ちょっと頂けない言葉ですけどね。
こういうのも、基本さんの説く自白っていうものなのでしょうか?
- [954]苺 06/11/17 23:23 Gl19Kwdc./
- 何故か、私の投稿がまた重複しているのですが・・、これも親神様のなせる業なのでしょうか??
本人、深い意図はありませんので。奇妙で失礼しました。
- [955]秋風 06/11/17 23:40 Lnm2Sw4jil
- こんにちは。
以前にこちらにおじゃまして生意気なことを申し上げた秋風というものです。
天理教を信仰しているものではありませんが、ひょんなことからこちらの掲示板をのぞかせていただいて以来ずっとROMさせていただいております。
天理教についてのいろいろな知識(というのでしょうか?)を得たいという思いもありましたが、
それにもまして皆様の、道についてのいろいろな解釈や、かかわりかたの違いを熱心に真摯に語り合い、研究する姿勢にふれて、ついつい毎日覗きに来ておりました。
それが最近、基本さんという方が登場されて以来、皆さん一斉に口をつぐんでしまい、基本さんのオンパレードになってしまって・・・。
外部のものでよく事情もつかめずしばらくは頑張って読んでおりましたが、さっぱりわからなくて(ごめんなさい)とうとうギブアップしてしまいました。
でも、あまり皆さんが何もおっしゃらないので、「もしかしたら基本さんは皆が知ってるとても偉い方で、基本さんの説は皆さんがぐうの音も出ないくらいの、まさにゆるぎない天理教の教義そのものなのかもしれない」と思ったりもしました。
そして「そうなのであれば、私などが理解しがたいむずかしい教義で、ずぼらな私などにはとても実践できないゆるみのない宗教だ」とも思いました。
それまでは、「みんなが楽しく暮らせるのがのぞみだよ。」的な優しい、親しみのある感じを抱いていたのですが、
正直、「やっぱり、こういう狭いところがあるから宗教って敬遠されるんだよなぁ」なんて(かさねがさねすみません)思ったりもしていました。
けれど、ここにきていろいろな方がぼちぼち登場されてきましたよね。ちょっと安心しました。
基本さんのオンステージで、皆さんが納得していたわけではなかったのですよね(^^)
天理教に限らず、宗教の教義は自分の信念や良心や生き方にガッチリと根を張っているので、自分の信じてきたものを考え直すことはそう簡単なことではないと思います。
自分の生まれてからずっと大切にしていた宝物を「本当に本物なのか?にせものではないのか?」と疑ってみる作業は、なかなかむずかしいであろうと、想像できます。
でも、だからこそあえてこういう場で語り合い論じ合うことは価値があると思うのです。
細かい違い(重大な違いなのかな?)はあっても、同じ道を行く兄弟(という言い方でいいんですよね)なのですから、行こうとする先の目的は皆さん同じなのですよね。
お互いの知識や意見を出し合って論じ合って皆で研鑽し、よりよい方向に向かっていけるなら素晴らしいことです。
そういう意味では以前の掲示板の姿は、覗かせていただきながら「なかなかできることではないなぁ」と思っておりましたが・・・
長くなって申し訳ありません。
基本さん。
ここは掲示板です。
基本さんのホームページでしたら、あの書き込み量と、知識はすばらしいと思います。
けれどもみんなの掲示板である以上、みなさんの意見を聞き、お互いを尊重しながらご自分の説を説くべきです。
これは天理教の教義以前の問題ではないでしょうか。
あの2ちゃんねるでさえ、続けて書き込むときは「連カキスマソ(連続投稿すまんという意味)」などと書いて遠慮がちに投稿します。
それから、
基本さんはとても勉強もされ、すごい方なのだということは分かるのですが、宗教者であればあるほど、知らない人にはやさしく道を説き、
分からない人や迷っている人が質問しやすいように柔軟であるべきなのではないでしょうか。
また道を究めれば究めるほど、謙虚になるのが(信念や教義を曲げるという意味ではなく)本来の宗教者だと思うのですが。
私が信仰して間もない信者だとしたら、私は分からないことがたくさんあっても、きっとこわくて基本さんには聞けません。
T.N.Doctrineさん、リラックマさん、とみ新蔵さん、まっぷさん、はじめさん、多くの皆様、もう引いてしまわれるのでしょうか。
この掲示板のトップのアクセス数を見ていただきたい。
私のように信者でないものから、熱心に道を究めようと思われている方まで、ここに書き込みしない(または出来ない)人がたくさん見ています。
それぞれがここでたくさんのことを学び、自分なりに考え、これからも研究していこうという前向きな気持ちを貰ったかもしれません。
基本さんの登場というだけで、ここはもう終わってしまうのでしょうか?
- [956]白い鳥 06/11/18 00:01 *SawzHJv.0fw*aQzfVUf4VZ
- 突然失礼します。ずっと拝見し、思うところがありまして登場しました。とみさんがこの掲示板に登場した時、私は思いました。「もしかして、ひょっとすると基本。さんの登場があるかもしれない」と。いや、登場してほしいと思った。なぜなら、「中山みきさまは人間であり思想家なのだ」と言い切る人が、教理を語り始めたからです。
今回基本。さんが厳しいのは、教祖が「異端」には厳しかったというひながたがあるからだろうと思います。
そして、もう一つあるのは教理には決して混ぜ物をしてはならないということ。他宗の教理を天理教教理の解釈に混ぜ、他宗の開祖や宗祖と比較し、中山みきさまを論ずる。初心者ならまだしも、教理に精通しているはずの人たちが、「悟り」と称して天理教教理にないものをどんどん混ぜていく。そのことは、教祖は断じてお許しにはならないのではないでしょうか。それぞれの人がどう感じどう悟るかは自由だ、としてもです。
基本。さんの論理の展開を繰り返し読むと、すべて原典、教祖伝に基づいたものとわかります。
とみさんが、基本。さんの「おふでさき」の読み方が「顕微鏡」で、天理教のみんながそうしてるから悪いのだ、大意をつかめばいいとおっしゃっていましたが、私は逆だと思います。実は、ほとんどの人が、詳しく掘ることをせず、「大意」だけでここまできたのではないか、と思います。
「だいたいこんな意味だろう」
と一人納得する。そして深く考えない。そうではありませんか?
私は、基本。さんという人に出会うまで、ずっとそうでした。天理に住んでいた頃も、周りの人はみなそうだった。
「顕微鏡」で原典を読んでいる人なんていませんよ。基本。さん以外には。そして、本来は、それが最も大切なことなのだということが、ようやくわかりました。
誤解している方々がいるようですが、基本。さんは「体制側」の人ではありません。教会長でもなく、本部の中の立場などというものも何一つない。地方都市に住む、家業第一で暮らしている一信仰者です。そして、唯一の、誠真実の人です。
基本。さんは、皆さんに不快な思いをさせてしまうのは、百も承知のはずです。自分をよく見せようとか、心地よい言葉を吐こうとか、そういうことは微塵もない。なぜなら、極力感情というものを排し、厳しい時は厳しくいかなければならない。それが、天理だからです。
これが、どれほどの誠真実だか、わかりますか。
感情で、あの人好きだから助ける、優しい声をかける、あの人は嫌いだから距離を置く、そういったことがまったくといってない人なのです。近しい人でも、遠い人でも、悪人でも善人でも、そこにまったく分け隔てがない。それは、基本。さんの生き方を目の当たりにすると、目からうろこが落ちるというか、愕然とします。ここまで徹底している人など、教会に生まれ育ち天理で青春時代を過ごした私も、知りません。
天理教関係の悩み相談の掲示板をご覧になったことがありますか。
そこで、さまざまな悩みに、真摯に答えている基本。さんの姿をご存知ですか。中学生や高校生には天理教の手の字も使わず、それでも的確な解決方法を懇切丁寧に書く。天理教の悩みに対しては、教理をごくごくわかりやすく説きなおす。
そこには、厳しいだけではない、究極の優しさがあります。
ネット上の、顔も見えない人ために、真剣に、真摯に、誠実に答える姿。「見るもいんねん聞くもいんねん」「見て見ぬふりをしてはならん」「人をたすけなされや」という教祖の言葉を、どこにおいても、今現在、実践しているのです。
私など、その書き込みを読んでいるだけで何一つできないの情けない人間ですが、基本。さんは違う。私は、いつもその姿に、胸を打たれます。
- [957]白い鳥 06/11/18 00:02 *SawzHJv.0fw*aQzfVUf4VZ
- 関根豊松さんだったら、立場も実績もあるから教理を断定的に説いてもいいし異論も誰も唱えない。
でも、ネット上の基本。というどこの馬の骨かわからない者が、いくら正しいと思われることを説いても、その断定的な態度、傲慢な態度だけで胸糞が悪い。としたら、人というのは、なんと、立場や権威で人を見ているのか、とも思います。
「しょうもない議論」と言われる方もありますが、基本。さんの説く教理に、私は幾度となく救われました。そして、思いました。なんとすごいのかと。基本。さんではありません。教祖が、です。なんと、すごい教えを私たちの残して下さったのだ、と。
「しょうもない」と言われる方が、残念で、悲しくてなりません。基本。さんが説かれたことを、心を真っ白にして、「おふでさき」を手元に置いて繰り返し読まれると、きっとわかると思うのです。これが、これこそが、真実の天理教だと。
基本。さん宅では二十四時間いつでも身上事情の相談の電話が鳴り、場合によっては顔も名前も知らない人が基本。さんの言葉一つで鮮やかなご守護を頂いているのを私は知っています。そして、決してお供えも何も、一切の見返りを受け取らず、お礼の言葉さえもいらないと笑う。その姿こそが、ひながたを歩んでいる姿なのだと私の目に写りました。
今の天理教は、真柱さまを中心に、大教会長も本部員も、みなろくぢにならなければならない。それは組織改革などというものでなく、教理の混ぜ物をきれいに掃除することにある。私はそう思います。基本。さんは、そのための役割を与えられていると私は思うのです。いわば、現代の「取次ぎ」です。だから、感情も混ぜ物も必要ないのです。
私はようやく、大都会という泥海で、家業を第一にし、身近な人から少しずつでも助かっていただこうと、夫婦が心をそろえられるようになってきた。私は基本。さんの説かれた教祖の教理で、さまざまな呪縛から解放されました。その一端をどうしても皆さんに知っていただきたく、基本。さんにはよけいなことと知りながら参上しました。
連続で、長々と失礼しました。
- [958]基本。 06/11/18 00:03 OPm/HjNcSX
- >>946] T.N.Doctrine 06/11/17 19:54 cDg62WOMwQ
> 基本さん あなたの妄想癖には本当にあきれてしまいます。
この事ですが、記録は正直なものです。
>>99 T.N.Doctrine 06/08/24 21:22 N95NRHsUo6
> 折角、こういう場が出来、改革を望む方々が集まり、話が盛り上がっていけるとしたら、話だけに終わらせずに行動に移せたらいいですね。
> 次の130年際に向かって、このネットを仲介して、数万人規模でお地場に結集するという企画を考えても面白いのではないでしょうか。
> 教団や系統教会に関係なく、いわゆる別派と呼ばれる信者さん方はもとより、
> 教祖の教えに共感して頂ける方なら多宗派の方々もどしどし参加して頂いて・・・。
> 本部はちょっと慌てるかも知れません。
> 今様のお蔭参り。行き先は伊勢でなく、天理へとチェンジ。
> 掛け声は「ええじゃないか」ではなく、「We are the World」のような歌。
> 基本さんにでも作曲してもらいますか。壮大な夢ですね・・・。
[続き]
どんなことも、みな心通りに口で、言わせる。親神様の教えです。
教団改革のためのプロパガンダの自白は、当初からのものでした。
ね。基本に、宣伝歌の作曲を頼むという、壮大な夢が語られていました。
T.N.Doctrineさんと言う名も、きちんとした、意味ある名でした。
「天理教・ネット・ドクトリン」。
「ドクトリン(Doctrine)という言葉からは、帝国主義のにおいがする。 「教える」との意味のラテン語(Doctrina=ドチリナ)から出てきた言葉だ。 博士(Doctor)と同じ語源だから「学究的」であって当然だ。 」
国語辞典の意味では、教義。です。一つの目的と意図をあらかじめ予定した、名でした。基本に対抗し得るネーミングでした。
とみさんが、語られてきたのは、原典に対する、侮辱でした。
>>523 とみ新蔵 06/10/11 17:32 4qmVRkdCXb
> 本席さんの「おさしず」は教祖とは、少々ズレがあるように感じていますね。
>>548]とみ新蔵 06/10/15 04:35 zLYOWQ9OqR
> みかぐら歌も、おふでさきも、何〜〜〜にも、考えないで、筆だけが、暗闇の中でも、勝手に動いたのだ、という、アホみたいなことになってしまいますもんネ。
と、その内容は、まさに天理教教祖の、否定。でした。
ドクトリンとは、「教書」と訳される場合もあります。指導者が教え導くという、意味です。ブッシュ・ドクトリンとか。
意図的に仕掛けたのだということは、その名、そして、
> 教団や系統教会に関係なく、いわゆる別派と呼ばれる信者さん方はもとより、
> 教祖の教えに共感して頂ける方なら多宗派の方々もどしどし参加して頂いて・・・。
そこに、きちんと語られていました。
おかしかったでしょ。
基本が暫く、何も言わなかったから、教えをきちんと分かっていない人達を、煙に巻いて、本部や教団への不信感をあおって、・・・
その嘘も、これまでです。
あなた方が、なんどどんな風に巧妙にお芝居し、ネットに出てこようと、中山みき様の名誉のために、基本は、立ちはだかります。
覚悟しておいて下さい。
- [959]秋風 06/11/18 01:38 Lnm2Sw4jil
- >>956白い鳥さん
「天理教関係の悩み相談の掲示板」先程さがしてみたのですが、よく分かりませんでした。よろしければアドレスを教えていただけますか?
>>958基本。さん
私にはどう考えてもドクトリンさんがおっしゃるような意図があるようには思えないのですが。
とみ新蔵さんとも最近のお知り合いのようですし。
皆さんもそのようにお思いになってると思いますよ。ちがいますか?
>基本が暫く、何も言わなかったから、教えをきちんと分かっていない人達を、煙に巻いて、本部や教団への不信感をあおって、・・・
教えをきちんと分かっていない代表のような私ですが、煙に巻かれて不信感を抱いたのはむしろ基本さんに、なのですが・・・
- [960]秋風 06/11/18 01:45 Lnm2Sw4jil
- >>959
>私にはどう考えてもドクトリンさんがおっしゃるような意図があるようには思えないのですが。
分かりにくい言い方でしたので以下のように修正させてください。
すみません。
>私にはどう考えてもT.N.Doctrineさんに、基本さんがおっしゃるような意図があるようには思えないのですが。
- [961]基本。 06/11/18 02:28 OPm/HjNcSX
- >>960
> 私にはどう考えてもT.N.Doctrineさんに、
> 基本さんがおっしゃるような意図があるようには思えないのですが。
例えばキリスト教の人に、聖書は嘘だと説くとしたら、それはキリスト教に対する攻撃ですよね。
天理教には、お筆先と言う教祖直筆の聖典があります。
その内容にきちんと書かれている事を、とみさんは否定したり、迷信だと決め付けました。
これは、天理教に対する攻撃そのものです。
それを、ドクトリンさんは一貫して、すばらしい考え方だと、よいしょしていた。
その事実と、
> 次の130年際に向かって、このネットを仲介して、数万人規模でお地場に結集するという企画を考えても面白いのではないでしょうか。
> 教団や系統教会に関係なく、いわゆる別派と呼ばれる信者さん方はもとより、
> 教祖の教えに共感して頂ける方なら多宗派の方々もどしどし参加して頂いて・・・。
> 本部はちょっと慌てるかも知れません。
これを照らせば、ドクトリンさんの意図は、本部に対しての行動に多くの人を導くことにあったのは、明らかです。
> とみ新蔵さんとも最近のお知り合いのようですし。
> 皆さんもそのようにお思いになってると思いますよ。ちがいますか?
教祖の教えを否定していても、実は天理教の中で、生活している。
ドクトリンさんのような、そういう人は大勢居ます。
最近の知り合いだと、そういう見せ方をしているだけです。
秋風さんは信者ではないと言われていますが、
> 教えをきちんと分かっていない代表のような私ですが、
とも言われていますが、
何の教えとして、分かっていないのか。・・・
少なくとも天理教の教えではないはずです・・よね。未信と言われていましたから。
基本の語ることは、ほとんどの天理教の人には、簡単に理解できないことです。
ですから、秋風さんが、基本の投稿の内容を理解できないとしても、秋風さんが、入信されるのであればともかく、現状、仕方のないことです。
- [962]白い鳥 06/11/18 03:13 aQzfVUf4VZ
- 秋風さん、こちらです。
http://6725.teacup.com/help/bbs
こちらへの転載は上記の掲示板の管理人の方の意、基本。さんの意に沿わないかもしれませんが。
申し訳ありません。
- [963]どん 06/11/18 08:24 kTHL87G3aD
- ご無沙汰しております。
みなさん、基本さんに騙されてはいけません。
基本さんは、こんなこと言ったら嫌われるとわかっていて、
あえて悪者役を買って出てるようなところがあります。
たとえ基本さんにそんな意図がなくて、思ったことそのままを
書いてたとしても、それはそれでいいじゃないですか。
とみ新蔵さんもT.N.Doctrineさんも、いろんな意見があって
それでいいと仰っていましたし。
ただ、どっちが正しいか、どっちが真実か、という議論になると
どうしても、時に気まずい雰囲気になるような気はします。
それが悪いことだとは言いませんが、それよりも、
どっちが楽しいか、陽気か、で考えれば、
私も楽しいよ、あなたも楽しくてよかったね、となるように思います。
- [964]どん 06/11/18 08:38 kTHL87G3aD
- おお!白い鳥さんが投稿なさってましたか。お久しぶりです。
基本さん、私はT.N.Doctrineを知っています。というか同じ教会です。
基本さんと同じ、家業第一の素晴らしい人です。
とみ新蔵さんとつながりがあるとは思えませんが。
- [965]道の教職員 06/11/18 10:48 jzA.5eBqDG
- >>930 基本さん,丁寧なお返事ありがとうございます。大変分かりやすい言葉で分かりやすかったです。
>皆が欲しいのは、「けっこうなあたえ」であり、「陽気に暮らせるご守護」です。
そうですね。
>会場を整備したり、陽気くらしの裏方をするのが、大工やようぼく
>天理教の道具になると言うことは、用木になるということは、人格は無い。
ようぼくには人格がない…。言葉だけを見ると,憲法の基本的人権やら何やらが全部ぶっとんでしまうような言葉ですね。これを読まれた方の中で,「なら俺はムリだ…。」と思った方は私だけではないと思いますが…。人格があるから人間楽しいのではないでしょうか?それを原典だけに基づいて生きるというのは厳しすぎますよ。イスラム教の方ならまだしも。イスラム教は教典がそのまま法律書にもなっているようなそんな戒律の厳しい宗教ですよね。コーランでしたっけ。不勉強なものでうる覚えですが。天理教はそんな戒律のない宗教の一つだと思っていたので,原典に沿う生き方を求められるとかな〜り息苦しいと思えてなりません。それでも幸せ,陽気という方限定ということですね。私は全くそう思えないので,天理教の道具にはなれませんね〜。自分としては社会(地域,県,国,世界)の道具を目指そうと思います。里の仙人という言葉があるのでしったけね。おふでさき,読んでみよう,研究してみようと思いました。その言葉を里の仙人として実践に生かしていこうと思います。我流の天理教からようぼくらしい天理教へね。でも人格は捨てませんから,社会の道具として陽気暮らしを目指して,子どもに,保護者に,同僚に,働きかけて陽気な社会を作ろうと思いました。
伊蔵様が,>たすけてやりたいと周辺が言ったら、神様は、もっと苦労させろと、言ってました。
これは分かるような気がします。親心を感じられますから。ただ,どの程度苦労されている方に対して言われた言葉かが分からないのでなんともいいようがないのですが。
秋風さん,おはようございます。
>>955 などのご意見,私も共感できます。ドクトリンさんととみさんがグルで何かを画策しようとは思えません。お二人とも天理教に対して今までにないような見方・考え方をされている方だと思い勉強させていただいておりました。八島系がなんだかよく分かりませんが,教団の現体制では何ともならないようなことを,何とかしたいと思われているとそんな切実な思いを抱えられている,私と同じような思いを抱いている道の先輩だと思っていました。教団をぶっ潰して…なんて思われていないはずです。そんな悪意ある,独善的な方々ではない,文章からしか分かりませんが,私にはそう思えました。解釈の多様性を認めてくださいね。
一方,基本さんも以前から存じ上げていますが,おたすけ心にあふれる熱い信仰者の方だな〜と思っていました。教理関して勉強させていただくことも多いので,ありがたいことです。
攻撃したり,されたりすると頑なな態度になってしまいますよね。かたくなになるとせっかくやわらかい感じで進んできた議論が固くなってしまい,読む者を退屈させたり,いやにさせたりします。原典の解釈に関する議論も唯一絶対がある,という立場と多様性を認める立場とがあると思います。多くの方が納得できる原典解釈を目指すべきと言うのが私の立場です。議論の余地を残さないとそれこそ専制主義になりますよ。
原典は言葉です。言葉は全てを伝えることができるようでできません。その人ごとに言葉とイメージのつながりが違うからです。生活経験が違うから。同じ生活経験をして,全て同じような物を見てとしても言葉の意味の受け取り方は千差万別だと思います。人間がオリジナルなのはそのような人格があるからでしょう。
「赤いりんご」という言葉からイメージするりんごは人それぞれでしょう。形,色,におい,大きさ全てバラバラ。ステレオタイプ化されたりんごを書く方が気持ち悪いですよね。それは生活経験が違うから。だったら,原典の言葉通りに皆が受け取ると言っても人それぞれの解釈があって当然だと思いますよ。
真柱様の言うことをその通りに受け取るとそれこそ真柱様が変わるたびに自分の意見は変わりますよね。また,真柱の言葉がそのまま世間に流れていないと言うこともあると以前書き込みがありましたが,ならばこそ,表に出てきた真柱の言葉をどこまで信用していいものか不安です。メディアコントロールがなされているような気がして。
でも,おふでさきは読む価値があるとこの掲示板で思えました。おふでさきは勉強します。
皆様がここから離れていくことは非常に寂しいです。解釈の多様性を認める立場の方も大勢いると思いますよ。いろいろあって談じ合って,議論を練っていく方がよくないですか?みんなのために,自分のためにも。究極はいつも言っている陽気暮らしなのですから。ねー,どんさん。どう思われますか?
- [966]基本。 06/11/18 10:59 89ye1Pwb1S
- どんさん、お久しぶりです。
あなたの、知っておられるドクトリンさんは、真摯な信仰者である。
それは、その通りであろうと思います。
又、あなたの知っておられるドクトリンさんは、とみ新蔵さんとは、深く親しく交際しておられない。
見えたままでは、その通りであると思います。
それは、ネット・天理教ではない、ドクトリンさんの話です。
ネット・天理教のドクトリンさんは、前スレ、ザ天理教を語る2の時から、すでに、別派の人、教会本部に批判的な人を集めると言う趣旨を宣言していました。
そして、ネット・天理教のドクトリンさんは、このザ天理教を語る3のスレを、「講」にするとも、語っています。
それは、どんさんも、ご承知の事でしょう。
つまり、天理教に対する批判者の講を作ると言う事、それが、真の天理教を作ることだというドクトリンを、しめしているのが、
T.N.Doctrineさんのこれまで語られてきた、投稿の内容です。
確かに、ドクトリンさんが真摯な信仰者であることは、ご本人の投稿の、そこかしこに、感じられるところです。
問題は、その信仰の対象です。
教団に批判的な精神のものが、批判的に信仰するとしても、その信仰は、「教祖=天理王命=元の地場」、親神天理王命様への信仰でなければならない。
でなければ、天理教ではない。
その一点については、ドクトリンさんは、一貫して「そんな狭く考えなくても良い」と言う立場を示しています。
天理教についての批判を語るにしても、自らを天理教の信者と云うのであれば、神さまを「天理王命=教祖」と認めて、論は語るべきであり、神様を「元の地場=天理王命=教祖」と認めない立場であるというのであれば、自分は、天理教会本部の天理教ではないと、きちんと明かして、語るべきなのです。
そのどちらもに、またがっている。
どんさんの見ておられる実社会の教会での信仰は、教会本部の信仰。
ネット・天理教では、教会本部の天理教ではない、信仰。
しかも、大変な影響力を有するネット上で、教えの根幹をなす、「親神」の問題、「神名の問題」、「原典の問題」を、教会本部の教えているものとは別の所に誘導する事を、支援する態度と言うのは、普通の事ではない。
教団が教祖の教えを守っていない、と批判している批判者が、教祖の教えを変造していく作業に加担している。それも、堂々と。
それは、どんさんの知っておられる、普通の信者さんとしてのドクトリンさんとは、まるで別な、T.N.Doctrineさん。
基本が基本を語るように、T.N.Doctrineさんは、「Doctrine」を、つまり教義を語っておられて、それも、教えをまげて、でした。
とみさんのお母さんは熱心な信者さんで、おたすけの実績もあると言う事。
八島さんのお母さんも熱心な布教師さんで、おたすけの実績もある。
そういう方たちの子供には、「おたすけの実績」という、それを上げないと天理教ではないんだという、母親への尊敬と同時に、重圧があって、病たすけに奇跡を起こすと言う事への、異常なこだわりがあるのではないかと思います。
その、プレッシャーが、自分には出来ないのかと言うプレッシャーが、何かの道を模索して、真理や哲学に向ったり、霊能者に向ったり、真理と神秘のはざまを、さまようことになるのではないかと。
すべてが、教祖のなされたこと、なのです。
お母さんが偉かったからとか、特別な能力があったからとか、そうではなく、全て、教祖がお力を貸して下さっていた。
それが、お母さんの偉大さであったと、誤解している所に、間違いが生まれている。
それは、初代の素晴らしさを賛美する、家庭版みたいなもので、親の信仰を美化するからこそ、全てが教祖のお陰であるという事が見えなくなるのではないでしょうか。
母」がめどうになった時、「初代さん」をめどうにしたと同じな、教祖不在の、天理王命さまの見えない、心の迷路に入るのではと思います。
ドクトリンさんも、或いは、身上たすけの名人を目指していて、挫折感をお持ちなのかもしれません。
そんなものは、目指してはいけないもの。
教祖にいつもおそばにいてもらえる事をめざせば、良いのではと思います。
基本は、基本の判断のみ申し上げました。
- [967]秋風 06/11/18 11:30 FATzouQsCK
- 基本さん。
>例えばキリスト教の人に、聖書は嘘だと説くとしたら、それはキリスト教に対する攻撃ですよね。
天理教には、お筆先と言う教祖直筆の聖典があります。
その内容にきちんと書かれている事を、とみさんは否定したり、迷信だと決め付けました。
これは、天理教に対する攻撃そのものです。
おっしゃることはよく分かります。
基本さんの中の天理教のあり方から考えれば、とみ新蔵さんやT.N.Doctrineさんの意見は間違っていて、それをこういう場でいうことはよくないことだと思われるのでしょう。
けれど、それはとみさんやT.N.Doctrineさんの側からもいえることだと思います。
宗教は形としてあらわれるものではないので、多かれ少なかれ、どの宗教でも人によって、いろいろな意見や捉え方の違いがあるものだと思います。
皆が同じ人に教わり、おなじ研究をし、同じ頭で考えない限りそれは当然です。
どんさんもおっしゃっていましたが、それでいいのだと思います。
大切なのはそこで考えること。
頭をやわらかくして人の意見も聞き、本当の真実を見ようとする作業だと思います。
その上でやっぱり自分の意見は間違っていなかったという確信が持てれば、それはそれでいいではないですか。
考えることでさらに、天理教に対する自分の中の姿勢も正されるでしょう。あらためて素晴らしい宗教だと思われる方もいるでしょう。
この掲示板はそういう場であると思っていたのですが。
どんさんのおっしゃる「基本さんは、こんなこと言ったら嫌われるとわかっていて、あえて悪者役を買って出てるようなところがあります。」ということもわからなくもありません。
でも、失礼ながら、もっと人として人を尊重し、優しくおっしゃれないものかと思います。
物も言いようで、伝えたい大切なことも伝わらなくなってしまいます。
ネット掲示板の一般的なエチケットとしても如何なものかと思います。
>秋風さんは信者ではないと言われていますが、
> 教えをきちんと分かっていない代表のような私ですが、
とも言われていますが、
何の教えとして、分かっていないのか。・・・
少なくとも天理教の教えではないはずです・・よね。未信と言われていましたから。
いえ、天理教の教えです。
信者でない者は理解しようとしてはいけないのでしょうか?
理解しようとしてこの掲示板を訪ねたのですが・・・
>基本の語ることは、ほとんどの天理教の人には、簡単に理解できないことです。
ですから、秋風さんが、基本の投稿の内容を理解できないとしても、秋風さんが、入信されるのであればともかく、現状、仕方のないことです。
天理教はそんなに難しく、敷居の高いものなのでしょうか?
「陽気遊山」を理解することは信者の方のみに許されるものなのでしょうか?
おやさまはみんなに優しくて、そんな風におっしゃるとはおもえないのですが。
- [968]基本。 06/11/18 12:55 89ye1Pwb1S
- 秋風さんは、なかなかの論客ですが、問題は、すりかえてはいけません。
おふでさきに書かれてあることを曲げて語ると言う事は、虚構なのです。
この一点だけが問題で、後の事は、本人の自由意志で構わないことでしょ。
秋風さんは、天理教ではないと、一般から来られたと登場して、次は、教えを知る立場で語られていて、そして、「おやさまはみんなにやさしくて」と、述べている。
こういうのは、詐術と言うのです。今から説明しますね。
先ず、秋風さんは、誰から「おやさま」の話を聞いたのですか。と、言う事。
最初からの秋風さんの投稿では、秋風さんは天理教に無知なはずです。
すると、初登場から今までの間に、「おやさま」の話を、学ばれたと言う事ですね。
「陽気遊山」という、言葉も用いておられますが、それも、学ばれたと言う事ですか。
奇妙でしょ。ご自分の奇妙さに先ず、気が付かれる事です。
> おやさまはみんなに優しくて、
これは、どこで学ばれたのですか。
このネット上でしか学ばれていないとします。
秋風さんがです。
すると秋風さんは、基本の投稿も読まれているはずですから、おやさまが厳しく、秀司さんを叱ったりしていることも、読まれているはずです。
とみさんも、おやさまが秀司先生にとても厳しかったと、語っていましたよね。
このザ天理教を語る3では、おやさまの厳しさ、応法の道の間違いに対する厳しいおやさましか、投稿内容には、ないの位なのです。
一部、どんさんたちの投稿を除くと。
変でしょ。秋風さん。
秋風さんは、天理教について知らない人のはずで、とみさんも基本も、厳しい教祖、権力と闘う教祖とか、心得違いは出直しと言う教祖とか、厳しいおやさまを主として語り、紹介していた。
それなのにあなたは、
> おやさまはみんなに優しくて、そんな風におっしゃるとはおもえないのですが
と、言う。
これは、秋風さんの自白と言うのです。
秋風さんが、実は、おやさまについて知識を持っていて、ネットに来たと言う自白なのです。
例えばね、
「陽気遊山」を理解することは信者の方のみに許されるものなのでしょうか?
この質問、すっごくおかしいでしょ。奇妙でしょ。情緒に訴えて基本を批判しようとするから、無理が起きている。
「よふきゆさん」と言うのは、お筆先に書かれていて、それまで誰も説いていないし、現在でも、一般用語では無いのです。天理教の擁護です。
そしたら、「陽気遊山」を理解すると言う事は、まず、それがどこに書かれていて、いつ書かれていて、どんな意味なのかを、きちんと教えてもらう事が、先で、書いたおやさまの事をきちんと教えてもらうしかない。
そこは、とみさんだってドクトリンさんだって、おふでさきは、書かれた時の史実をちゃんと調べなさいと、書いて在りましたよね。
そしたら、未信者のあなたは、入信して、教えてもらう以外には、おふでさきの「陽気遊山」は、学べない。これが、普通の道理ですよね。
それを、みかぐらうたでは「ききたくば たずねくるなら 言うて聞かす」と、言われています。
薬の事は薬屋さんに聞く。
おふでさきに書かれた天理の事は、「天理教に聞く」。
これは、普通の道理なんですよ。その、普通と言う常識がなぜないのでしょう。秋風さんには。まるで先入観に支配されているみたいですね。
> 「陽気遊山」を理解することは信者の方のみに許されるものなのでしょうか?
許されるも何も、信者の言葉なんです。
「陽気遊山」は。天理教の親神・中山みき様の、お言葉です。余人のものではない。
そして、秋風さん、あなたはこう言われています。
> 天理教はそんなに難しく、敷居の高いものなのでしょうか?
そこで基本は、そのまま、これをお返しします。
秋風さんにとって、> 天理教はそんなに難しく、敷居の高いものなのでしょうか?
秋風さん。> おやさまは、みんなにやさしいのですから、入信したらいかがですか。
秋風さん。自白している姿を、振り返る事です。
- [969]秋風 06/11/18 12:55 FATzouQsCK
- 続けてすみません。
道の教職員さん。はじめまして。
優しい気持ちの書き込みにいつも共感しておりました。
どんさんも、道の教職員さんも、出てきていただいてありがとうございます。
皆さんが去ってしまい沈黙している中で、ひとり信者でもないのに、しかもピントが外れているかもしれない発言を偉そうにしている自分が、不安になってきたところです。
やっぱり部外者という事で、的外れなことなのでしょうかね。
ちょっと反省もし、迷ってもいます。
不快に感じられた方がいらっしゃったらすみません。
>>962
白い鳥さん。ありがとうございました。
掲示板立ち寄らせていただきまして、おっしゃることは大変よく分かりました。
救われた方もたくさんいらっしゃるであろうことはとても納得できます。
その優しさでこちらの掲示板の方でもお道を説いていただきたかったです。
私をはじめ、もっと多くの方が基本さんのご意見に耳を傾けられたことと思います。
- [970]秋風 06/11/18 13:37 FATzouQsCK
- >>968
基本さん。
なにから言えばいいのでしょうかね。
私がここでROMし始めたとき、ここの書き込みははっきり言ってちんぷんかんぷんでした。
まったくの白紙から入ったので「おやさま」が誰か、「教義」は何か、「陽気遊山」とはなにか、「おふでさき」とは何か・・・
基本さん、ネットにはここ以外に天理教について書かれているところがたくさんありますよね。
ここでは皆さん知識も深く、いろいろな資料を持って掘り下げている方も多いので、専門的で厳しい意見が飛び交っていますが、「天理教って?」というところから始まっているHPでは「おやさま」というお方は万物万人にやさしい方で、みんな守られているのだよ。という風にかかれています。
ここでは周知のこととして語られている専門的な「用語」も詳しく説明してくれるサイトはたくさんあります。
つまり私の知識はそこから得た一般的な薄い知識です。
ですから教義も語れませんし、人の教義に対する意見の批判もできません。
>未信者のあなたは、入信して、教えてもらう以外には、おふでさきの「陽気遊山」は、学べない。これが、普通の道理ですよね。
うーん、そうなのですか?
「教えてもらう以外には、おふでさきの「陽気遊山」は、学べない」
これはわかりますよ。まぁ、自分で研究することも出来るのでしょうが。
でも「入信して」というところ、入信しないと教えていただけないのでしょうか?
その辺もまた敷居が高いなという気がするのです。
>そこで基本は、そのまま、これをお返しします。
秋風さんにとって、> 天理教はそんなに難しく、敷居の高いものなのでしょうか?
ネットのほかのHPで見る限りそんなことはありませんでした。
でももし皆さんが基本さんのようなお考えの方でしたら、やっぱり難しく敷居が高いと思います。
>秋風さん。> おやさまは、みんなにやさしいのですから、入信したらいかがですか。
理解することと、入信することは違います。
>秋風さん。自白している姿を、振り返る事です。
私なにを自白してしまったんでしょうか(^^)
- [971]これ 06/11/18 13:59 QNIcmvf92f
- ネットの掲示板とは、馴れ合いの世界ということなんでしょうね。
宗教カテがあること自体に無理があるのかなあ。
- [972]基本。 06/11/18 14:11 89ye1Pwb1S
- >>972
> 私なにを自白してしまったんでしょうか(^^)
クイズにお答えします。
あなたが、0]スレ主代理 06/07/25 21:37 .gtHFrZrbt
さんだと言う自白です。
- [973]基本。 06/11/18 14:52 89ye1Pwb1S
- さて、物事は、始まりから見つめてみないと、騙されます。
ザ天理教を語るでは、八島系さんと基本との論争が、ヒートアップしていた頃があったと、されています。
ザ天理教を語る、では、さよみさんが、スレ主でしたが、代行さんがスレを立てました。
ザ天理教を語る2では、この様に記されていましたね。
>> 本来のスレ主さんが最近おられないのですが良スレ継続を望む為、
>> 勝手ながら代理として先のテンプレをそのまま使用し、スレ立てさせて頂きます。
ザ天理教を語る3では、この様な変化がありました・
>>0 スレ主代理 06/07/25 21:37 .gtHFrZrbt
> さよみさんかT.N.Doctrineさん、どちらが今のスレ主さんか分かりませんが、
> とりあえず面白い良スレだと思うので前例の継続のまま立てさせて頂きます。
>
ザ3では、T.N.Doctrineさんを指名して、スレ主と呼んでいるのです。
不自然ですよね。
本人がスレ主代行しますと言うのではなく、当時スレ主でもなかったT.N.Doctrineさんを、名をあげて、本人の意思の確認も無く、こう言う事、ありでしょうか。
七月二十五日にスレッドが立ち上がった。
[1]リラックマ 06/07/26 01:37 D-snzhw
新スレッド設立おめでとうございます!スレ主代理さん、ありがとうございます。時々お邪魔させて頂きますので、よろしくです。現在のスレ主は、T.N.Doctrineさんで、丸く納まるでしょう。
さて、「天理教を語る2の会」ですが、今回は残念ですけど、こうして新しいスレも立てられた事ですし、その内機会もあるでしょう。まだ時旬が来ていないのでしょうね…。
これが、7月26日、ザ3の、第一回の投稿です。
一方ザ2の最終部分は、こうです。
[996]T.N.Doctrine 06/07/25 21:36 MEIRs0McWj
愛町部属、愛光分教会前会長の大野佐七先生が、・・・
[997]スレ主代理 06/07/25 21:41 .gtHFrZrbt
いつも普段はロムしてるだけの者ですが、なかなか面白い良スレだと思いますので、
勝手ながら新スレ立てさせて頂きました。
[1016]T.N.Doctrine 06/08/04 18:40 76r9OhZKk3
・・・
これで打ち止めにさせてもらって、次から「〜 3」の方にお邪魔したいと思います。宜しく。
つまり、いつもはロムしているだけの、スレ主代理が、T
.N.Doctrine さんに、相談もしていないし、了解もとらないで、指名をして、ドクトリンさんが、スレ主に治まってしまった事が、きちんと証拠になっています。
ドクトリンさんは、まるで当たり前のように、スレ主に治まりました。
そこには、ネット上ではないところで、了解があったというしかないわけです。
ロムしかしていない、その人が、本人の承諾も得ずに、又ドクトリンさんがみんなに、挨拶もせずに、リラックマさんは当然のように、受け入れていたようですが、これは、不自然な出来事でした。
ね、秋風さん。
(続きます)
- [974]基本。 06/11/18 15:45 89ye1Pwb1S
- さて、ザ3がスタートして、あらしが入りましたね。
>>9 カルト廃絶 06/08/02 03:00 *PaWHSqYpY1u*QzFNfdUzIp
> 池田大作は反日日本人。・・・
>>21]テロ 06/08/04 16:56 LKDd34lWSV
> 創価学会は北朝鮮宗教である。
>>32]ミッチ 06/08/10 02:15 sYQax2wQRi
> お願い愛しているんです。お願い愛しているんです。
>>35 諸葛 06/08/11 16:10 *Ljy0MhJn.vI*wilnnlwNXm
> 最近はやりの「摂理」などという宗教集団はその手のスジの傀儡宗教
>>37 諸葛 06/08/11 16:50 *Ljy0MhJn.vI*wilnnlwNXm
> 在日韓国・朝鮮人はかなり得をしている。
>>39 諸葛 06/08/11 16:55 *Ljy0MhJn.vI*wilnnlwNXm
>多くの在日は真っ当に暮らしている。真っ当にねぇ〜〜〜
>>40 諸葛 06/08/11 17:00 *4moygZUYpP4*wilnnlwNXm
> 摂理⇔統一教会⇔層化⇔オーム
>>41 諸葛 06/08/11 17:04 *Ljy0MhJn.vI*wilnnlwNXm
> 創価学会の尻尾=霊魂否定、あるいは唯物主義の正当化
>>42 だだ 06/08/11 17:06 *Djxzin6Z/OI*wilnnlwNXm
> あのさ、おれも君たちの大嫌いな在日だが。在日3世。
8月14日
>>45 ミッチ 06/08/14 07:53 lgijaZGfA4
> あああああああああああああああああああああああああああああ
>>46]ミッチ 06/08/14 11:39 vxBmndcf8J
> ああああああああああああああああああああああああああああああ
しかし、とみ新蔵さんが登場するとピタリとそれは止まりました。
不思議ですねえ。
これはね、「あらし」に対して、どう対応するかのテストなんですよね、
削除されたり、場合によっては、刑事事件ですからね、テストして、試したのです。
グループをあげて、とみ新蔵さんを主役の座に乗せました。
ドクトリンさんというスレ主を用意し、スレを立てて、荒らしでテストして。
秋風さんが、それを意図していた当事者です。
(続きます)
- [975]基本。 06/11/18 15:56 89ye1Pwb1S
- 荒らしのテストを済ませてから、いきなり、靖国の問題に誘導して、とみ新蔵さん登場、この過程も、一覧しておきますね。秋風さん。
[48]鶴 06/08/15 21:28 P4lA5X4CPj
本日、8月15日に小泉首相が靖国神社に参拝されましたが
このことに関しての天理教の関係者・信者の方々の見解をお聞きしたいんですが・・・
[52]よしこ 06/08/17 09:23 HFgvrP6fQA
天理教信者が政治に無関心では困ります。
[57]よしこ 06/08/17 21:52 HFgvrP6fQA
日本人の悪い癖で、きちんとした問題意識を持たずに、深い思案もせずに、ただ一個人の心情だけで物事を語ろうする。
これは、本当に恥ずべき事だと感じます。
そのくらいの歴史的認識を日本人なら、そして天理教徒なら、少しはお持ちになった方がよろしいのではないでしょうか?
この後、靖国関連で議論が白熱します。
それから、登場です。
[71]とみ新蔵 06/08/22 12:51 z1vTCusxuS
> こんにちは。18・9年前天理教少年会発刊のリトルマガジンに教祖伝を連載していた劇画家のとみ新蔵というものです。
・・・
> 教祖の教えを見失った教団本部、これを復元するのは私達です。
> 教祖は胎蔵界マンダラを超えた、密教的表現、人間が参画してつとめる動く球体マンダラという姿で、かんろだいつとめの理を真理とされました。
[80]よしこ 06/08/23 20:29 DtXI61lYwp
> とみ新蔵さんへ
> [74]の下、三行を、(大和の寒村の庄屋敷村の「ほんなんでもない百姓家の女」が、自信を持って、また命をかけて、世界に発信した思想。教祖の世界観はそのように、とてつもなく広大なものだったことをご御思案いただきく存じます。)特に深く心に止めて、これからの指針と致しました。カキコミありがとうございました。
自ら誘導したよしこさんは、他の意見には反論し、とみ新蔵さんに絶大な拍手、でした。
[81]T.N.Doctrine 06/08/23 21:54 N95NRHsUo6
> とみ新蔵先生、はじめまして。
> 御作品の数々を拝見させて頂いてはおりましたが、
> 突然このスレに顔を出されて、ビックリと申しますか、光栄と申しますか、少なからず勇む思いがしてきます。
> どうぞ宜しくお願いします。
と、スレ主が、ろくぢの対談の場で、「先生」と呼んで迎え入れると言う事、差別を否定するドクトリンさんの、本音の自白でした。
さらに、
> ともあれ、改革を願う人が多く集っていくことで、
> ひょっとしたら本当に改革が進んでいくのではないかと言う気がしてきました。
と、ここには、ドクトリンさんの自白がありました。
ものごとは、顕微鏡のようにみないと、だまされます。
用心ですね。
秋風さん。仕組まれていたのです。
スレの立ち上げから、とみさんの登場まで。
自由な議論と言うのは、そういう悪意を排除しないと出来ませんからね。
秋風さん。続きます。
- [976]基本。 06/11/18 16:10 89ye1Pwb1S
- >>971
これさん。
> ネットの掲示板とは、馴れ合いの世界ということなんでしょうね。
本当に、そうですよね。
きちんと煮詰めていく議論と言うものではなく、仲良し倶楽部のように、よいしょしあう。そのグループの意向に誘導する、そんな側面がありますからね。
> 宗教カテがあること自体に無理があるのかなあ。
それは・・・なんとも、複雑な問題です。
ただ、活用の仕方において、やらせの討論をするようでは、宗教としても失格というしかない。 と、思います。
- [977]基本。 06/11/18 16:29 89ye1Pwb1S
- >>77 とみ新蔵 06/09/25 16:24 wgayGsPvOM
> 現在のお道は??
> チッポケなオカシナ組織の中で、世界から観るとウロウロ、ゴチャゴチャ、陰々滅滅、
矛盾ばかりを抱えた、小集団になってしまっている始末ですな。
> 私のココへの今までの、スレは、殆ど、皆さん方への、役には立っていないようですので、
> 訪問はあと、一回か、二回で終了いたします。
こんな宣言が在りました。
とみ新蔵さんは、みなに役立とう投稿したが、もう終了すると言う、宣言でした。
その時でした。
秋風さんが登場しました。
>>384 秋風 06/09/25 22:41 ktDqN6TIwO
>とみ新蔵さん
> 間違いに気付かないことは誰しもあると思います。
> 皆、知識の浅い時期や、迷いの時期や、誤った思い込みの時を経てだんだん理解し、「本当のこと」を自分のものとしていくのだと思います。
> とみ新蔵さんは、たくさんの書籍や資料を読まれ、他宗教の研究もなされ、皆さんの知らないこともたくさん理解していらっしゃいます。
> だからこそ、そういう方だからこそ皆さんにいろいろ伝える必要があると思います。
・・・
これは、秋風さんが語った事です。
秋風さん、どんな内容か覚えていますか。
このスレの住人や訪問者は、「間違いに気付かないことは誰しもある」、そんな間違いをしている。
「> 皆、知識の浅い時期や、迷いの時期や、誤った思い込みの時を経てだんだん理解」していくようになる。
> 「本当のこと」を自分のものとしていくのだと思います。
つまり、秋風さんは、このスレに勉強に来ているのではなく、このスレの住人は、誤った思い込みをしているから、それを、とみさんが正しく指導するのを見に来る人だと、「自白」しているのです。
(続きます)
- [978]基本。 06/11/18 16:42 89ye1Pwb1S
- 秋風さんは、とみ新蔵さんが、みんなの反応の悪さに、もう終了だと、宣言して、あわてて、プロジューサーがタレントに、「あんたの芸は必要なんだよ」と、飛び出して、「みんな馬鹿ばっかしだけど、あんたが芸で導きなさいよ」と、観客の前で、観客そのものを、侮辱していたのです。
観点を変えて、プロジューサーの説得として読んだら、バレバレですね。
[384]秋風 06/09/25 22:41 ktDqN6TIwO
『>とみ新蔵さん
間違いに気付かないことは誰しもあると思います。
皆、知識の浅い時期や、迷いの時期や、誤った思い込みの時を経てだんだん理解し、「本当のこと」を自分のものとしていくのだと思います。
とみ新蔵さんは、たくさんの書籍や資料を読まれ、他宗教の研究もなされ、皆さんの知らないこともたくさん理解していらっしゃいます。
だからこそ、そういう方だからこそ皆さんにいろいろ伝える必要があると思います。
今の状況がおかしくなっていると思われたり、若い方が誤解や誤りの考えだと気付かれたら、根気よく、わかりやすく道を説かれるのが先人の役目だと思います。
とみ新蔵さんのお母様は「何度教えてもわかってくれないのでもう教えません」といわれたでしょうか?
「私の言葉は役に立ってないようなのでお前にはもういわないよ」とは、おっしゃらなかったと思います。
とみ新蔵さんがお若いときに腹に落ちなかったお母様の言葉が、
何年か経ってはじめて理解できた。
そういうことはありませんか?』
再掲しました。
秋風さんは、とみ新蔵さんに、指導を入れていました。
天理教の布教師精神を、「あなたのおかあさんは」と、とみさんの一番の弱点をついての、マインドコントロール。
さすがの、ものですが、
何も知らずに、みんなの意見を読んで勉強していた人ではなく、黒幕であったと言う事は、こうして自白されていたのです。
親神様をなめない方がよい。
みんな、なんでも口で言わすのです。
あなたが、とみさんを焚きつけている証拠は、ここに、残っているのです。
(つづきます)
- [979]秋風 06/11/18 17:59 FATzouQsCK
- 基本さん。
しばらく外出していましたらすごいことになっていました。
驚きました。私がスレ主代理!?
皆さんもそう思われますか?
もっとも、一番驚いてるのは本当のスレ主代理さんなんでしょうけど(^^)
>親神様をなめない方がよい。
いや、なめてなんかいませんけど。
というかなんというか・・・
いやいや、どのように言えばいいのでしょう。
もう一度言いますね。
私は天理教の信者さんではありません。
・・・あ、しいて言うなら、とみ新蔵先生の劇画のファンではありますが。
- [980]よしこ 06/11/18 18:01 XOdaSyc1el
- こんばんは。
今になって自分のカキコミを読み返してみると、とても変なカキコミになっていた事に気づかされました。教祖の事を「世界に発信した思想」とは・・・教祖は思想家では、ないですね。それと、とみ新蔵さんは、教祖伝の劇画を書いていらっしゃる方だと思い込んでのカキコミでしたが、私のそれは中条氏の漫画の事でした。
その後の、とみ氏の発言には賛同しかねますので、訂正の為書かせて頂きます。
- [981]基本。 06/11/18 18:14 89ye1Pwb1S
- 秋風さんは、流石に、科学的な論理に基づいている人だから、簡単にばれると言う意味での「うそ」は言わない。
>>0[997]スレ主代理 06/07/25 21:41 .gtHFrZrbt
> いつも普段はロムしてるだけの者ですが、なかなか面白い良スレだと思いますので、
> 勝手ながら新スレ立てさせて頂きました。
投稿者の中で、普段はロムしているだけの者に該当するのは、「秋風」さんしかいません。
それでは、秋風さんの投稿の後半部をみましょう。
『[384]秋風 06/09/25 22:41 ktDqN6TIwO
お分かりかと思いますが、私は天理教の信者さんではありません。
しかしながら、こちらの掲示板の皆さんの真摯な熱心な書き込みに
ここ数十日毎日お邪魔しているものです。
初めは何も分からず、「おぢば?」何語だろう?(失礼)などと思いながら読んでまいりました。
(最近はだんだんわかるようになりましたよ)
そんな私が大変生意気なことを申しましてすみません。
けしてとみ新蔵さんを個人的に攻撃するものではありません。
むしろお母様から伝わる一筋の思いに心を打たれております。
・・・
それだけにこのままこの場を去られるのは残念で、おもわず書き込みをしてしまった次第です。』
さて、秋風さん。
とみ新蔵さんは、お母さんに関して、どのような投稿を幾つしていたか、検証してみましょう。
>>338
> ただ、私の母は、私が子供自分の50年前に、
横関係の、布教所所長の会合で知った、「理の親」という言葉の意味がよく解らず、
> 「おかしいよねえ、理の親が、おやさまというのなら、分かるのにねえ、、」などと、
> しきりに考え込んでいた
>>102 とみ新蔵 06/08/25 00:42 z1vTCusxYC
> 「なんだいかあちゃんらは、こんなもんを、信じていたのか!」
> 「こんな、その時勢に合わせるような天理教なら、この神棚ブチ壊さんとあかんどーー!」
> とスゴイ剣幕で怒り、お袋を困らせたもんでした。
> 「教祖伝の時間で、教祖は「社はいらん」とあるのに、
なんでまだ、この家に3ッツも社があるのや!」テナあんばいでした
> お袋はそれに対して、名前は明かさないが
> 「〇〇先生はいずれは変えなければならないと言っていたから、」> テナことを言って弁解してましたっけ
こんな二つの事例が見つかりました。
後在りますか・・
それに、この二つの内容は、とても、おかあさんの一筋の云々という内容ではない。
つまり、秋風さんは、とみさんの事を承知していて、「指導を入れた」わけで、後付けの言い訳だから、矛盾しているのです。
仮に、科学的社会変革を唱えるのなら、もう少し、精緻に矛盾無く論理を整合させましょう。
秋風さんは、とみ新蔵さんの母親への思いを利用したわけです。
親神様は、うそがお嫌いです。
(続きます)
- [982]基本。 06/11/18 18:31 89ye1Pwb1S
- [384]秋風 06/09/25 22:41 ktDqN6TIwO
>とみ新蔵さん
間違いに気付かないことは誰しもあると思います。
皆、知識の浅い時期や、迷いの時期や、誤った思い込みの時を経てだんだん理解し、「本当のこと」を自分のものとしていくのだと思います。
とみ新蔵さんは、たくさんの書籍や資料を読まれ、他宗教の研究もなされ、皆さんの知らないこともたくさん理解していらっしゃいます。
だからこそ、そういう方だからこそ皆さんにいろいろ伝える必要があると思います。
・・・
とみ新蔵さんのお母様は「何度教えてもわかってくれないのでもう教えません」といわれたでしょうか?
「私の言葉は役に立ってないようなのでお前にはもういわないよ」とは、おっしゃらなかったと思います。
とみ新蔵さんがお若いときに腹に落ちなかったお母様の言葉が、
何年か経ってはじめて理解できた。
そういうことはありませんか?
・・・
今の天理教が何か違う、変えていかなければならないとお考えならばそれもまた同じように、諦めてしまわれず継続して皆さんに説かれていく必要があるように考えます。
・・・
むしろお母様から伝わる一筋の思いに心を打たれております。
・・・
>>387 とみ新蔵 06/09/26 12:21 wgayGsPvOM
> 秋風 氏のコメント。
> {とみ新蔵さんのお母様は「何度教えてもわかってくれないのでもう教えません」といわれたでしょうか?
「私の言葉は役に立ってないようなのでお前にはもういわないよ」とは、おっしゃらなかったと思います。
とみ新蔵さんがお若いときに腹に落ちなかったお母様の言葉が、何年か経ってはじめて理解できた。
そういうことはありませんか?}
> への返答。
> 参りました。畏れ入りました。
> 母のことを、持ち出されますとあきまへん。
> 自分の姿勢を、とても恥ずかしく赤面いたします、、、。ごもっとものことに存じます。
本当に、とみさんは、良い方です。
秋風さんは、洗脳のプロです。
宗教している人が、馬鹿に見えているでしょう。
でも、どんなに賢くても、天理王命様には、勝てないのです。
みなめんめんの口で言わす。
おふでさきの理です。
基本は、それを自白の教理と呼んでいます。
秋風さんこそ、当スレの真のスレ主、黒幕でした。
- [983]秋風 06/11/18 18:46 FATzouQsCK
- 基本さん。
とうとう私は「黒幕」になってしまいましたね(^^)
ここを読んでいらっしゃるスレ主代理さんはじめ皆さんは、どのように思われているのでしょうか?
沈黙を保たれているようですが皆さんも本当にそう思われますか?
いや、もうその論理の展開にはびっくりです。
ひとつだけ。
とみさんのお母様に対する思いは、とみさんのファンなら色々なところで知り得ることです。
前にも申し上げましたが、私はここだけを読んでいるのではありませんので。
- [984]異端ってまだいたんですか? 06/11/18 19:29 4sK.Q93y.c
- >>983
櫟本の張りぼて金属かんろだいのまわりで踊ってる八島信者ですか?
- [985]基本。 06/11/18 19:33 I2.WrPsyIi
- >>983
> とみさんのお母様に対する思いは、
> とみさんのファンなら色々なところで知り得ることです
語るにおちると言う言葉があります。
秋風さんの、この言葉がまさにそれです。
これも又、自白になっていますよ。秋風さん。
> 秋むしろお母様から伝わる一筋の思いに心を打たれております。
・・・
と、語られている。
お母様は、天理教の信仰をしていた。布教もお助けもしていた。
その、お母さんから伝わる一筋の思いというのは、天理教そのものですから、秋風さんが、それに打たれていると、それが本当としたら、
おかあさん→とみ新蔵さん この思いに打たれているのですよ。
ところが今秋風さんが書いているのは、秋風さんは、
とみ新蔵さん→おかあさん この事を別の処で知っている。
全然違うでしょ、対象が。
おかあさんは、天理教である。その思いに打たれていたら、あなたもおかあさんみたいになりなさいと、言うのが普通なんです。
秋風さんは、「おやさまはみんなに優しい」とか言いながら、入信する気は無い。
秋風さんは、「天理教してたおかあさんの、一筋の思いに打たれた」と、言いながら、お母さんのような天理教しなさいとは、言わない。
それでいて、とみさんのお母様に対する思いは、
> とみさんのファンなら色々なところで知り得ることです
と、心得ていて、その弱みをついてとみさんの説得に用いている。
マインドコントロールずみの人に対して、キーワードで一瞬に人を支配する、テクニックですが、それは、「悪」です。
そんなに、中山みきの教えが良いと思うのなら、そのなにとみ新蔵さんのお母さんの真心に打たれたのなら、・・・
入信すべきでしょ。
本当は、違う。
天理教している愚かな民を、解放する為に、とみ新蔵さんの素朴でおおらかな人格をりようしている、真の意味の、八島系の、社会主義思想。
それが、秋風さん。
あなたなのです。
- [986]異端ってまだいたんですか? 06/11/18 19:34 m8VO6ORV
- それなら天理教の信者ではないという主張も納得ですが。
- [987]異端ってまだいたんですか? 06/11/18 19:37 m8VO6ORV
- 基本とかぶったw
- [988]秋風 06/11/18 19:43 FATzouQsCK
- >>984
さきほど基本さんも「私が信者ではない」ということだけはわかってくれたようです。
ですからそのような方たちではないことは基本さんも納得されていますね。
>>982基本さんの書き込みです。
秋風さんは、洗脳のプロです。
宗教している人が、馬鹿に見えているでしょう。
でも、天理教の信者でないのに、このスレッドを立ち上げて(何の目的なんでしょうか)しかも黒幕で、さらに洗脳のプロ
ものすごく謎の人物になってしまっています(^^)
- [989]秋風 06/11/18 20:12 FATzouQsCK
- すみません。コメントがダブってしまったのでピントはずれになってしまったようです。
基本さん
今度は「真の意味の、八島系の、社会主義思想」ですか・・・
>おかあさん→とみ新蔵さん この思いに打たれているのですよ。
そうです。お母さんは立派な方だったそうですね。
>とみ新蔵さん→おかあさん
そんなお母さんをとみ新蔵さんはこころから尊敬していらっしゃるとのことです。
双方とも素晴らしいと思います。おかしいことでしょうか?
>そんなに、中山みきの教えが良いと思うのなら、そのなにとみ新蔵さんのお母さんの真心に打たれたのなら、・・・
入信すべきでしょ
そうでしょうか?
世の中に心を打たれることはたくさんあります。
キリスト者の中にも、学会の人にも立派な人はたくさんいて
心を打たれる行いはたくさんあります。
仏教もしかりです。
基本さんも他宗教の方でも立派な人はいるとお考えでしょう?
でも心を打たれたからといって入信するのは、それはまた別問題でしょう。
- [990]飯田応援 06/11/18 20:47 .q1KH2DGgT
- 八島さんのところには、いろんな人が出入りしています、知り合いの知り合いまで入れると、相当数な数の教団内の人(教会長や本部関係者)が、情報を分け合っています。とみさん達の投稿内容は、自己紹介しているようなものです。
基本さんの推理は、的を得ているのではないでしょうか。
最後の方は、とても面白かったです。
歌にたとえると、エンディングというより、サビの部分かな
心を打たれて入信しないというのは、心を打たれたのではなく、ただ
感心したり興味を持ったり、好奇心を満足した充足感みたいなものではないでしょか?
- [991]とみ新蔵 06/11/18 21:55 iufb65nJet
- 「アレマ〜〜〜〜〜〜〜〜!」基本さ〜〜〜ん。
ナニヤカヤと想像を、無限に膨らませてしもうてからに、何と!御苦労さんなことだっしゃろうか、、、(涙)
ワシはドクトリン氏も秋風氏もどなたも、チットも会ったこともないし、全く知らない人でっせ。
想像連鎖に陥ってしまい「疑えば、心に鬼」を宿してしまいまっせ。
何よりも、それではシンドイじゃないですか。
ワシは人を困らせるのはスカンでっせえ。
ああ〜〜人事ながら、アア〜〜しんど、ですがな。
ワシ寿命1年縮めまっせ、ホンマニ。
あ、それから、御指摘の通り私は、教会本部の主流派から見ると、大異端のカタマリでっせ。
その通りでありまっせ(^^)
でも教会本部が、その昔に教祖への異端でしたもんで、何とか教祖をこのまま、歴史から埋没させては、誠に申しわけないことと思う者であるだけですな。
基本さんが、「今のままで良いのだ」とのお考えなら、どうぞ、そのままの信仰をもっと熱心に、お続けくだされ。
今は良き人のようですが、
貴殿だって、遠い昔の前世で、一体どのような悪業を重ねてきたかも知れない、悪因縁が、その魂の奥に、どれ程に、潜んでいるやら知れません。
だから、もっともっと、身を粉にして、上級や本部の言う通りに、白が黒でもハイハイと伏せ込んでくだされまし。
あの道は「ハイハイ、ハイの這い上がり」の道ですからね。
そうすれば「来生」は、さらに結構なる身分と、境遇と、結構なる肉体を、必ずや、神様が御用意してくださり、そこへ生まれ替われることが出来るでしょう。
貴殿のよき來生を、祝福仕る。
あ、それから、秋風氏の言うように、宗教をしなくても「あの人は、教祖の弟子といえるなあ、、、」と思える方々は、世間の沢山いますよ。
すぐに「入信したら」などというのは、サテアンの人々のワルイ、クセと心得るべしと思いまっせ(^^)
よいと思うものなら、先方様から、耳を貸して、来てくれるものでっせ(^^)
そして、教外の人らしいですが、秋風氏の精神の高さも文章の中から感じませんか。
私は感じていて、よくぞ、こんな専門的な
スレッドを見てくださるものと、感謝していますネ。
- [992]異端ってまだいたんですか? 06/11/18 22:17 6zuRXzwJ
- うーむ。
とみオッサンは自分のブログに引っ込んで自説を垂れ流していたほうが幸せになれる気がする。
- [993]異端ってまだいたんですか? 06/11/18 22:22 ZCrGoNtejH
- あとおふでさきは読まれたほうが良いと思う。
[928]天衣無縫 06/11/17 00:26 8JRiLDu/
>みき師は私達と同じ人間です。
いまゝでハをなじにんけんなるよふに をもているからなにもハからん
7号55
何も分からないのも無理はないですねw
しかときけをなじにんけんなるよふに をもているのハこれハちがうで
8号72
- [994]基本。 06/11/18 22:30 I2.WrPsyIi
- >>990
どうしても、熱唱してしまうのです。(笑)
>>967
秋風さんに対する反論、します。
> おっしゃることはよく分かります。
> 基本さんの中の天理教のあり方から考えれば、とみ新蔵さんやT.N.Doctrineさんの意見は間違っていて、
> それをこういう場でいうことはよくないことだと思われるのでしょう。
いいえ、うそを言うからいけないと、申し上げているだけです。
> けれど、それはとみさんやT.N.Doctrineさんの側からもいえることだと思います。
秋風さんは、代理人ですか。
どうして、そんな断定が出来るのですか。
とみ新蔵さんは、おふでさきを読んでいる人です。ここに言われた経歴の人です。
秋風さんは、何も知らない人ですよね。
だったら、とみさんの代弁の資格はないですね。
T.N.Doctrineさんは、やはりおふでさきを読んでいる人です。
実生活では教祖=親神と説いている、布教師です。ここに本人が書いた事実に基づくと、基本が説いたおふでさきは、ちゃんと読んでるし、意味も基本と同じように、知っている人です。
秋風さんは、おふでさき、読んだことも無い、ぢばと聞いても、理解できない。
そしたら、なんで、T.N.Doctrineさんの代弁が出来るのですか。
T.N.Doctrineさんの過去ログまで、基本と同じこと説いてる場所、かなりあるのですよ。
お二人のうち、T.N.Doctrineさんは、「うそ」をついていた。
イソップの話のこうもり、教団の側にもいて、八島さん側にもいて、結局、両方に、うそついてたわけでしょ。
秋風さんは、
> それはとみさんやT.N.Doctrineさんの側
と、一連托生を、「自白」しています。
でも、T.N.Doctrineさんにしたら、ちょっと利用する軽い気持ちで、八島さん側に、嘘ついてたと、説明の余地もありますし、秋風さんと、とみさんは、一蓮托生かも知れないが、T.N.Doctrineさんは、本部に対して、弓まで弾く気は無かったかもしれない。
それに、とみさんだって、あなたたちを利用してるだけの可能性も高い。
つまり、秋風さんは、二人の代弁は、する立場にないと言うことです。
なんで、たまたま見るようになったはずの秋風さんが、代弁までするかといえば、ふたりに、反省の機会を奪うため。
そう見るのが、ふつうです。
- [995]とみ新蔵 06/11/18 22:31 iufb65nJet
- 異端ってまだいたんですか?氏へ。
ワシの幸せを考えてくださって、オ〜キニありがとうです。
でもそがいな、ツメタイこと言わんと、タマ〜〜〜〜には、ワシも、ココへヨセさしてくださいませヤ(^^)
やっぱ、天理教の子弟ことや本部さんの悩みのことが、気になりましてナア、、、、ホンマニ。
イタンのとみオッサンより。
- [996]異端ってまだいたんですか? 06/11/18 22:31 FbLh0iPpjR
- 教会本部とか教祖伝とかに過剰反応する『異端気質』もまた、心のサティアンにトラワレタ姿だとも感じるなあ。
どうせトラワレルナラ、おふでさき、みかぐらうたにトラワレテみてはいかがでしょうか。
- [997]異端ってまだいたんですか? 06/11/18 22:42 ZCrGoH7UvP
- [995]
>本部さんの悩み
本部の悩みとはなんでしょうか?
なぜ、それが分かるのでしょうか?超能力ですか?
- [998]道の教職員 06/11/18 22:45 jzA.5eBqDG
- 秋風さんのコメントと基本さんの推論との間があまりにも遠いので,
途中から「何だこりゃ??」と思い出した道の教職員です。
とみさん風に言うと「アレマ〜〜〜〜〜〜〜〜!」でしょうかね(笑)
飯田応援さん,はじめまして。こんばんは。
>基本さんの推理は、的を得ているのではないでしょうか。
私には全くそう思われないのですが…。ドクトリンさん,とみさん,秋風さんの3名につながりがあるとすれば,とみさんの漫画つながりと
いったくらいでしょうかね〜。よく分かりませんが。基本さんの推理を含めて考えてみるとですよ。
基本さんがこのスレの投稿から3名の方の素性を明らかにしたと思われたように,解釈はいくらでも成り立つものなのですよね。
秋風さんを黒幕という解釈も,とみさんが八島系であるという解釈もとみさんとドクトリンがつながっているという解釈も言葉だけを頼りに行った解釈ですよね。ポイントは言葉だけを頼りにです。解釈の中に,その方々の背景や日常生活などはすっぽりと抜け落ちていると思うのですが。私は全くの別解釈なので「なるほど〜」とは思いましたが,
「その通り!」とは思いませんでした。が,基本さんのそれも一理ある
解釈。私はその立場も尊重したいです。
このように基本さんご自身が解釈の多様性をお示しなされているではありませんか。これって基本さんの言われる「自白の理」ってやつになりませんか?原典であるおふでさきも同じ言葉です。しかも時代背景やその時の様子など今となっては想像するしかないことです。掲示板の投稿内容ですら解釈は様々。ならば時代背景が一層分かりにくいおふでさきの解釈はより一層様々になりませんか?どれか一つに…という方が無理
があると思います。どれか一つしか認めない,それ以外は異端?とか言うことにするから,問題がこじれてくるのでしょうね。
よくは分かりませんが,基本さんの原典に対する態度と一神教原理主義者とは感覚が似ているのではないでしょうか?教祖様が書かれた原典は全て正しく,その解釈も唯一のことしか認めないと。その解釈も言葉から基本さんという一人間のなされたことなのにです。その解釈を聞いて教祖様はどう思われるでしょうか?「むごいことばをかけたるも早くたすけをいそぐから」でしょうか。それとも,逸話編にあったぶどうの話のような「丸いこころになりなされや」でしょうか。よく分かりませんが,どちらもあるかもしれませんよ。
多様な意見があり,多様な解釈があるからおもしろいんだと私は教育という立場からつくづく思わざるを得ません。また,研究と言う立場からも,こと人間の営みに関して言うと一つの原理原則しか成り立たないという方があり得ませんよ。大いに論争し,議論すべきです。それができない天理教だからそこから多くの人が出て行こうとするのではないでしょうか?上意下達のやり方,ろくじでない組織が現実にある一方で,教えに関する議論まで封鎖されるともう何を論じるべきか…。それは残念ですよ。やっぱり。仏教経典である般若心経ですらその解釈本は山ほどあります。だったら天理教教典であるおふでさきの解釈本もたくさんあってよいでしょう。仏教はOKで天理教はNOでしょうか?おかしな話です。
今までの投稿から考えて,私なりの解釈を言いますと,ドクトリンさんもとみさんも極めて良識ある方だと思いますし,天理教を語るにふさわしい方だと思いますよ。
語るにふさわしいことと信者としてふさわしいというのは別問題ですからね。
だから,秋風さんが別に入信しなくても問題なしですよ。秋風さんは語るにふさわしい良識と心をおもちの方でしょうから。
語ることと信じることは別問題だと思います。私はキリスト教について少し勉強しました。キリスト教の神はどんなもので,どんな教えか。キリスト教反対の意見は何かなどなど。だからキリスト教信者かというと「NO!」です。私は天理教信者です(自称)。自称ではなくようぼくですので教会公認ですね。
信仰の自由が認められているのですから,他人から入信すべきなどと言われる筋合いはないでしょう。どの宗教を選ぶかは,一人一人で考えればいいことでしょうから。
こんな具合にえらそうなことを書きました。私の立場から言うと,天理教の議論はもっとオープンに色々な側面からなされるべきだと思います。上に逆らうな的は思想が教団内にずーーーーっとあってだから,何も言えない信者さんがたくさんおられるはずです。ネット上でその議論の芽すら潰すというのでは,残念でなりません。原典解釈の多様性,信仰の自由,自分なりのお道観などなどを創るべく,心のサティアンをぶっ壊して,ろくじな精神を打ち立てたいと心から願います。その精神は私の場合,子どもと創る学級に現れるものですので,余計に心底思います。
- [999]基本。 06/11/18 22:47 GoRGEoUS
- >>967]
秋風さん。
ちゃんと反論続けます。
> 宗教は形としてあらわれるものではないので、多かれ少なかれ、どの宗教でも人によって、いろいろな意見や捉え方の違いがあるものだと思います。
> 皆が同じ人に教わり、おなじ研究をし、同じ頭で考えない限りそれは当然です。
>
天理教に於いては、教えが、原典と言う、形になっています。
御神楽歌では、身体のしぐさが、理振りとして、おふでさきでは、かな文字のおうたとして、形になっています。
その、形と、まるで違う。ひらがなですから、意味は、そうそう、違うものではない、それなのに、おふでさきに、かたちとして、文字で書かれているのに、意味がまるで違う説を説くと言うのは、それを承知でしている訳ですから、「うそ」ということです。
天理教について、そんな、単純は原典の事実も知らないで、ここで、語るのは、秋風さん、・・・
知りもしないのに知ったかぶる。無知を、真実と見せて説く。
そういうことを、嘘というわけです。
- [1000]基本。 06/11/18 22:49 Congratulations
- >>998
道の教職員さん。
迷路に入り込まないことです。
- [1001]道の教職員 06/11/18 22:50 jzA.5eBqDG
- すみません!!
>秋風さんを黒幕という解釈も,とみさんが八島系であるという解釈もとみさんとドクトリンがつながっているという解釈も言葉だけを頼りに行った解釈ですよね。
ドクトリンと呼び捨てにしてしまいました!ドクトリンさん。申し訳ないm(_ _;)m
- [1002]異端ってまだいたんですか? 06/11/18 22:53 0LqXSICeRP
- [998]ならば時代背景が一層分かりにくいおふでさきの解釈はより一層様々になりませんか?どれか一つに…という方が無理
があると思います。
ではこのおふでさきはどうとらえるのでしょうか?
私は、教祖を同じ人間と思うのは違いますよというふうに
思いましたが。
993]異端ってまだいたんですか? 06/11/18 22:22 ZCrGoNtejH
あとおふでさきは読まれたほうが良いと思う。
[928]天衣無縫 06/11/17 00:26 8JRiLDu/
>みき師は私達と同じ人間です。
いまゝでハをなじにんけんなるよふに をもているからなにもハからん
7号55
何も分からないのも無理はないですねw
しかときけをなじにんけんなるよふに をもているのハこれハちがうで
8号72
それと、解釈は多用でなければならないという思いに、あなたはトラワレテいるのではないでしょうか。
それも心のサティアンでは?
- [1003]異端ってまだいたんですか? 06/11/18 22:54 0LqXSICeRP
- といってる内におわりそうですね。
- [1004]飯田応援 06/11/18 23:01 .q1KH2DGgT
- 異端ってまだいたんですか?
さん、新しいスレッドを立てて頂けると有り難いですね。
道の教職員さん、はじめまして
基本さんの推理が的を得ている理由は、とみさんたちの投稿から、
可能性を考えるとです。しかし、その議論はネット上にふさわしくない、天理教を語るスレには、ふさわしくないと思います。
- [1005]道の教職員 06/11/18 23:13 jzA.5eBqDG
- 異端ってまだいたんですか?さん,どうもです。
>ではこのおふでさきはどうとらえるのでしょうか?
私はおふでさき素人なのでどうするでしょうね〜。ただ,一つの文章(テキスト)として読むと,ある一つの哲学とか思想から読み解くと思いますよ。ジェンダー論の立場から読めば,男女差別をしないようにしよう!ということがおふでさきから浮かび上がってくるでしょうね。
>解釈は多用でなければならないという思いに、あなたはトラワレテいるのではないでしょうか。
囚われというか,そっちの方が面白いでしょう。豊かでないですか?一つしかないと思うほうが窮屈なのですが。
ただ,解釈の中でもものすごく説得力があるものならそれは一つでいいかもしれませんね。10人が読んで10人とも「そうだな〜。」と納得できるものが妥当な解釈ということで。でもその解釈も修正の余地ありということですよ。それで絶対ということなどない。それでないと議論の余地がありませんから。
科学も同じように科学者の方々がある程度「その通り!」と言ったことが科学的知識となるでしょう。この前冥王星が惑星でなくなった時など,最後は多数決で決めていましたよ。あれが科学のやり方なのです。惑星の定義をし,そこに当てはまるかどうか議論し決定していく。
反論の余地があるものが科学的であることの一つの前提だと,だれでしょうか,カール・ポパーでしょうか誰かの科学哲学の文章で読んだ記憶があります。
明らかにおかしな解釈は排除されますよ。残っていく解釈は説得力がある解釈でしょう。反論されるまでその解釈を採用されたらいいと思います。反論がおかしなものならその反論のおかしさを指摘したらいいし。
原典をこのように読む読み方はなしなのでしょうか?
- [1006]異端ってまだいたんですか? 06/11/18 23:22 HN2.CT5lai
- 立てろと言われて、はい立てますというほど・・・
天理教を語る!!4
立てました。 天理教を語る!!4
>>1005
おふでさき全体からと聞いているわけではありません。
たった一つの文章でかまいません。下記はあなたならどのように解釈するのでしょうか。
『しかときけをなじにんけんなるよふに をもているのハこれハちがうで』
8号72
- [1007]異端ってまだいたんですか? 06/11/18 23:24 HN2.CT5lai
- 天理教を語る!!4
アドレス忘れました。
- [1008]基本。 06/11/18 23:25 I2.WrPsyIi
- 道の教職員さん。
秋風さんのしていることが上意下達なんですよ。
経過をちゃんと見直してください。
あなたは基本が天理教の先生で、と、イメージしていて、あなた自身の天理教の基準で、思案していないでしょ。
あなたは、この問題において、何回お筆先を開きましたか。
読み直して、確かめましたか。
本当に原典に書いてあるのだろうかと、確かめましたか。
[995]とみ新蔵 06/11/18 22:31 iufb65nJet
> 異端ってまだいたんですか?氏へ。・・・
> イタンのとみオッサンより。
とみさんは、ちゃんと認められたでしょう。堂々としていて気持ちがいい。
その立場を明かして、その上で、意見を主張するのは「うそ」ではない。
ここまで話題が煮詰まってきたから、お認めになったのです。
最初の頃には『天理教の復元をしよう』と、語っていたのでした。
自分の基盤を示さないでね。・・
さて、道の教職員さん。あなたの投稿の事ですが、
私は、秋風さんと議論していた。
その中で、秋風さんが、
> 天理教はそんなに難しく、敷居の高いものなのでしょうか?
> 「陽気遊山」を理解することは信者の方のみに許されるものなのでしょうか?
と、質問された。
それに対して、薬のことは薬屋にという例を挙げて、「陽気遊山」は天理教の専門用語だから、「学ぶには、入信を。」と、基本は、秋風さんに勧めた。
この議論、読まれていますよね。
道の教職員さんは、
>
それに対して、
> 信仰の自由が認められているのですから,他人から入信すべきなどと言われる筋合いはないでしょう。
> どの宗教を選ぶかは,一人一人で考えればいいことでしょうから。
と、道の教職員さんは言われています。
質疑のやりとりを理解されていれば、秋風さんは、「陽気遊山」について学ぶ気持ちも無いのに、
> 「陽気遊山」を理解することは信者の方のみに許されるものなのでしょうか?
と、ただ言葉上のことで、質問していたとわかる。
そういう議論でしたでしょ。
秋風さんには、最初から「陽気遊山」なんて、どうでも良くて学ぶ気も無い。
それを、引き出すための、私からの質問が、「本気で学びたいのですか」という意味での、「学ぶならば、入信しますか」なのです。
道の教職員さんの中では、混乱がおきているようですね。
- [1009]基本。 06/11/18 23:29 I2.WrPsyIi
- 道の教職員さんは、お言葉の理の重さを知らない。
- [1010]道の教職員 06/11/18 23:33 jzA.5eBqDG
- >>1004飯田応援さん
ふさわしくないという内容がよく分かりません。何でも言えばいいじゃないですか。おかしなものなら「ふ〜ん。」くらいで終わりですよ。何を心配されているのでしょうか?
>>1006異端ってさん
私におふでさきの解釈ですか(笑)あまりに的外れの門外漢ですので,笑わずに読んでくださるということを約束してくださいよ〜。
『しかときけをなじにんけんなるよふに をもているのハこれハちがうで』
「しっかりと聞きなさいよ。同じ人間であるように,思っているかもしれないけど,同じ人間であるという思いは違っているよ。」
指示語の「これ」の内容がよく分かりませんね〜。「これ」というのは近くの何かをさしているはずなので,こういう思いか,また,近くの何か物か人を指してこれと呼んでいるのかよく分かりません。
「これ」というのが一体何を指しているのでしょうね〜。ここで解釈の多様性が生まれませんか?指示語のこれは思いなのか物や人なのか。異端ってさんはどう思われますか?続きは新スレへ行きますか。
- [1011]道の教職員 06/11/18 23:43 jzA.5eBqDG
- 基本さん,
>それを、引き出すための、私からの質問が、「本気で学びたいのですか」という意味での、「学ぶならば、入信しますか」なのです。
そのような意味ならそう書いて下されば理解できます。が,
>入信すべきでしょう
という言葉があるから,私は,他人の信仰の自由に入るべきではないという趣旨のことを申したわけです。
>秋風さんには、最初から「陽気遊山」なんて、どうでも良くて学ぶ気も無い。
って秋風さんはどう思われているのでしょうか?どうでもいい学ぶ気も
ないことだったら最初から書かないと思うのですが…。少なくとも印象
に残る言葉だったのでしょうから,何らかの意図を感じるですが。
秋風さんからのお返事を新しいスレにてお待ちしています。
- [1012]異端ってまだいたんですか? 06/11/18 23:45 hN3q3ObU
- 新スレに書きました。
- [1013]基本。 06/11/19 13:08 89ye1Pwb1S
- 道の教職員さんは、良い方です。
秋風さんは、とても論理的で知性的であるのに、ご自分の不合理に付いて、何一つ説明していません。
偶然に飛び込んだ人が、とみさんに、「あなたがみんなを導かなくてどうするの」と、叱咤する。
それを、素直に聞いてしまうとみさん。
他の人の意見なんて、簡単に丸ごと受け入れない人が・・。
それに秋風さんは、基本のひとりしゃべりと、批判して登場しましたが、あの頃のとみさんは、基本以上に、一人舞台してました。
特定の誰かを「先生」とよびへつらう。
それを批判するどころか、そのとみ先生にもっと語って欲しいと、要望する。
そういう秋風さんは、確信犯なんです。
だから、帰るに帰れない。
ここに記録されていることは、もっと精密に分析したら、誰でも分かるのです。
秋風さんの思想も、・・。
道の教職員さんには、きっと、理解できないことでしょうが・・・
- [1014]基本。 06/11/19 13:14 89ye1Pwb1S
- 左翼思想の自白と今後の予定です。
[369]T.N.Doctrine 06/09/24 20:32 J30GewpsfU
「 早速アクセスさせて貰いました。
一部の若い仏教徒の方々、政治に対する関心が高いですね。
当松山市内でも、数箇所の著名なお寺が反戦平和活動を続けています。
ただこのサイトでは、余り政治的な方向に走るのはどうかなと思っています。」
「時期が来ればそういうことも有りだとは思うのですが、今は内部の諸問題、或いは教理のことを修めていくのが先ではないかと思っているのですが・・・。」
つまり、ここでは政治的はどうかなと思うが、いずれはやると云う自白でした。
- [1015]基本。 06/11/19 13:19 89ye1Pwb1S
- 対するとみさんの、政治活動に導こうと言う自白です。
[377]とみ新蔵 06/09/25 16:24 wgayGsPvOM
『T.N.Doctrine氏のコメントの
『そうですか。松山市にお住まいでしたか。いろいろな人々への心使い、ご苦労様です。
『「政治的な方向」うんぬんの意はよくわかりますねえ(^^)一部を除く、天理教の多くは創価学会員と同様で、余りにも政治ド音痴ですからねえ。
でも内部の諸問題が、政治と結びついていることが多いので、、、ネ(^^)
また社会問題から考察すると、「おやさま」ご在世なら、今の時代、どのような行動をされるだろう、、、と、思案する一つの、キッカケになっていただけたら、、、、、。との思いもあるのでした、、、。
こんなにはっきりと、とみさんとドクトリンさんは、政治に導くといわれていたのですよ。
「道の教職員さん」。
- [1016]基本。 06/11/19 13:26 89ye1Pwb1S
- そして、その政治活動の話題の中で、とみさんは、もうやめると言い出しました。
再掲します。
[377]とみ新蔵 06/09/25 16:24 wgayGsPvOM
> T.N.Doctrine氏のコメントの
> 「当松山市内でも、数箇所の著名なお寺が反戦平和活動を続けています。
ただこのサイトでは、余り政治的な方向に走るのはどうかなと思っています。
時期が来ればそういうことも有りだとは思うのですが、今は内部の諸問題、或いは教理のことを修めていくのが先ではないかと思っているのですが・・・。」へ。
> 「政治的な方向」うんぬんの意はよくわかりますねえ(^^)
> でも内部の諸問題が、政治と結びついていることが多いので、
> また社会問題から考察すると、「おやさま」ご在世なら、今の時代、どのような行動をされるだろう、、、と、思案する一つの、キッカケになっていただけたら、、、、、。
> との思いもあるのでした、、、。
> 当時、教祖の7.8.回も投獄の原因は「違敬罪」という政治犯でしたからねエ。
> 現在のお道は??矛盾ばかりを抱えた、小集団になってしまっている始末ですな。
> 私のココへの今までの、スレは、殆ど、皆さん方への、役には立っていないようですので、
> 訪問はあと、一回か、二回で終了いたします。
政治活動の方向に導きたいが、そうなっていないから、辞めると言い出した、とみさんに、
秋風さんが、だめ!、お母さんを思いなさい!、と、一括しました。
- [1017]基本。 06/11/19 13:29 89ye1Pwb1S
- これが、問題の、秋風さんの投稿の全文です。
『[384]秋風 06/09/25 22:41 ktDqN6TIwO
>とみ新蔵さん
間違いに気付かないことは誰しもあると思います。
皆、知識の浅い時期や、迷いの時期や、誤った思い込みの時を経てだんだん理解し、「本当のこと」を自分のものとしていくのだと思います。
とみ新蔵さんは、たくさんの書籍や資料を読まれ、他宗教の研究もなされ、皆さんの知らないこともたくさん理解していらっしゃいます。
だからこそ、そういう方だからこそ皆さんにいろいろ伝える必要があると思います。
今の状況がおかしくなっていると思われたり、若い方が誤解や誤りの考えだと気付かれたら、根気よく、わかりやすく道を説かれるのが先人の役目だと思います。
とみ新蔵さんのお母様は「何度教えてもわかってくれないのでもう教えません」といわれたでしょうか?
「私の言葉は役に立ってないようなのでお前にはもういわないよ」とは、おっしゃらなかったと思います。
とみ新蔵さんがお若いときに腹に落ちなかったお母様の言葉が、
何年か経ってはじめて理解できた。
そういうことはありませんか?』
ドクトリンさんととみさんと秋風さんの、三人は、政治活動に誘導する投稿をしていると、読めば、明らかです。
- [1018]基本。 06/11/19 13:41 89ye1Pwb1S
- 384]秋風 06/09/25 22:41 ktDqN6TIwO
> >とみ新蔵さん
> 間違いに気付かないことは誰しもあると思います。
秋風さんの言葉は、教団の人たちの意識の低さを、指摘しています。
そうですよね、秋風さん。
> 皆、知識の浅い時期や、迷いの時期や、誤った思い込みの時を経て
現状の、この掲示板に来る人たちの事です。
人を、見下していますよね。
秋風さん。
> だんだん理解し、「本当のこと」を自分のものとしていくのだと思います。
> とみ新蔵さんは、たくさんの書籍や資料を読まれ、他宗教の研究もなされ、
> 皆さんの知らないこともたくさん理解していらっしゃいます。
> だからこそ、そういう方だからこそ皆さんにいろいろ伝える必要があると思います。
> 今の状況がおかしくなっていると思われたり、若い方が誤解や誤りの考えだと気付かれたら、
>
もう、みんなが、間違っていると云う大前提での議論。
と、いうより、秋風さんからの「説法」、上意・下達そのもの。
> 根気よく、わかりやすく道を説かれるのが先人の役目だと思います。
とみさんが、天理教の異端であることは、ちゃんと調べて知っている、そうですね。秋風さん。
とみさんを戦じんとおだてて、焚きつけるテクニックは、プロ。
左翼運動のプロですね。
それからは、「おかあさんは」の決め台詞。
> とみ新蔵さんのお母様は「何度教えてもわかってくれないのでもう教えません」といわれたでしょうか?
> 「私の言葉は役に立ってないようなのでお前にはもういわないよ」とは、おっしゃらなかったと思います。
> とみ新蔵さんがお若いときに腹に落ちなかったお母様の言葉が、
何年か経ってはじめて理解できた。
> そういうことはありませんか?
ここまで、神に自白させられていても、しらを切る。
その手助けをする「道の教職員さん」。
リラックマさん。
教理をおもちゃにしちゃいけない。
道の教職員さんは、あなたの犠牲者でもあるのです。
- [1019]基本。 06/11/19 13:46 89ye1Pwb1S
- [384]秋風 06/09/25 22:41 ktDqN6TIwO
>とみ新蔵さん
> 私はとみ新蔵さんが日本を憂え、政治を案じ「1人の小さな力でもな> にかやらなければ、継続してやっていかなければ!」
> そんな思いで活動されている事に共感を覚えているものです。
政治運動の人、秋風さんは、きちんとそれを語りました。
『政治を案じ「1人の小さな力でもな> にかやらなければ、継続してやっていかなければ!」
天理教を語るのサイトで、この発言。
ここで、とみさんは、政治活動のために、みんなの位置まで目線をおとして、語り合えと、説得する、思想リーダー。
天理教に冬の到来を告げる、秋風さんは、ここまでは、上手くやれていたのです。
それでは、全文を再掲しましょう。
- [1020]基本。 06/11/19 13:48 89ye1Pwb1S
- [384]秋風 06/09/25 22:41 ktDqN6TIwO
>とみ新蔵さん
間違いに気付かないことは誰しもあると思います。
皆、知識の浅い時期や、迷いの時期や、誤った思い込みの時を経てだんだん理解し、「本当のこと」を自分のものとしていくのだと思います。
とみ新蔵さんは、たくさんの書籍や資料を読まれ、他宗教の研究もなされ、皆さんの知らないこともたくさん理解していらっしゃいます。
だからこそ、そういう方だからこそ皆さんにいろいろ伝える必要があると思います。
今の状況がおかしくなっていると思われたり、若い方が誤解や誤りの考えだと気付かれたら、根気よく、わかりやすく道を説かれるのが先人の役目だと思います。
とみ新蔵さんのお母様は「何度教えてもわかってくれないのでもう教えません」といわれたでしょうか?
「私の言葉は役に立ってないようなのでお前にはもういわないよ」とは、おっしゃらなかったと思います。
とみ新蔵さんがお若いときに腹に落ちなかったお母様の言葉が、
何年か経ってはじめて理解できた。
そういうことはありませんか?
私はとみ新蔵さんが日本を憂え、政治を案じ「1人の小さな力でもなにかやらなければ、継続してやっていかなければ!」
そんな思いで活動されている事に共感を覚えているものです。
今の天理教が何か違う、変えていかなければならないとお考えならばそれもまた同じように、諦めてしまわれず継続して皆さんに説かれていく必要があるように考えます。
また、とみ新蔵さんの師は、木や川や海などの自然であると聞きました。私も全ての理は自然の中にあると思います。
けれども、天然自然の理を聞くには自分が人という種のひとつにならなければ、何も聞こえては来ないはずです。
こちらの掲示板でも「教えてあげる」「教えてもらう」の図式ではなく天理教を思う同じ信者として相手の言葉も尊重し受け入れた上で意見を言う、自分の高さをひとつ下げて目線を合わせたところで話をすれば伝わるところも多いと思います。
また、全く間違った方向の人の考えの中にも、なにか新たに見出すものがあるかもしれません。
我以外、皆、師也と言います。
お分かりかと思いますが、私は天理教の信者さんではありません。
しかしながら、こちらの掲示板の皆さんの真摯な熱心な書き込みに
ここ数十日毎日お邪魔しているものです。
初めは何も分からず、「おぢば?」何語だろう?(失礼)などと思いながら読んでまいりました。
(最近はだんだんわかるようになりましたよ)
そんな私が大変生意気なことを申しましてすみません。
けしてとみ新蔵さんを個人的に攻撃するものではありません。
むしろお母様から伝わる一筋の思いに心を打たれております。
いい方向に向かって欲しいと願う気持ちはとても強く伝わりました。
もっと色々なことを話していただきたいとおもっておりました。
また、日々の姿勢(ブログを読ませていただきました)にも共感するものであります。
それだけにこのままこの場を去られるのは残念で、おもわず書き込みをしてしまった次第です。
信者さんではないけれど、私のように色々と知りたい人もたくさんロムしてるとおもいます。
書き込みはしないけどロムしている信者さんの中には、とみ新蔵さんの書き込みで目の覚めた思いの人もいるかもしれません。
そういう者の代表として。
とみ新蔵さん、ご無礼をお許しください。
皆様の熱い議論をこれからも真面目に読ませていただきます。
(全文の再掲でした)
- [1021]基本。 06/11/19 13:51 89ye1Pwb1S
- 後スレに、こんなこと書いています。秋風さんは。
[16]秋風 06/11/19 01:24 FATzouQsCK
>>1011
道の教職員さん
>秋風さんには、最初から「陽気遊山」なんて、どうでも良くて学ぶ気も無い。
って秋風さんはどう思われているのでしょうか?どうでもいい学ぶ気も
ないことだったら最初から書かないと思うのですが…。少なくとも印象
に残る言葉だったのでしょうから,何らかの意図を感じるですが。
秋風さんからのお返事を新しいスレにてお待ちしています。
私は道の教職員さんがキリスト教を勉強されたように、天理教を勉強したかっただけです。
天国や地獄・極楽など死後の世界に焦点をあわせている宗教が多い中で、天理教は楽しく「生きる」ということに焦点が当てられている。
そういう宗教はどういうものか、知りたかったのです。
ここの掲示板に来て、他でもいろいろ調べて「陽気遊山」という言葉を使ったのですが、専門用語を部外者が安易に使ったのがいけなかったのでしょうか。
とうとう宗教批判活動者と思想が同じとまで言われてしまいました。
- [1022]基本。 06/11/19 13:56 89ye1Pwb1S
- >>1021
しおらしく、
> 私は道の教職員さんがキリスト教を勉強されたように、天理教を勉強したかっただけです。
>
これと、あの、とみさんへの焚き付けを比較してみてください。
> 私はとみ新蔵さんが日本を憂え、政治を案じ「1人の小さな力でもなにかやらなければ、継続してやっていかなければ!」
> そんな思いで活動されている事に共感を覚えているものです。
> 今の天理教が何か違う、変えていかなければならないとお考えならばそれもまた同じように、諦めてしまわれず継続して皆さんに説かれていく必要があるように考えます。
> また、とみ新蔵さんの師は、木や川や海などの自然であると聞きました。私も全ての理は自然の中にあると思います。
どこに、天理教を学びたいが、あると言うのですか。
山のもみじよりも、真っ赤なうそ。
仕方ないでしょう。
ドジをしたのです。
親神様に自白させられているとも知らず、投稿を続けて。
社会運動家なら、理性的に対応すべきです。
人の胸の内を、みな表に出してしまうのが、親神様のお働きですから。
- [1023]基本。 06/11/19 14:05 89ye1Pwb1S
- 後スレでの、秋風さんのいい訳です。
> [24]秋風 06/11/19 03:13 FATzouQsCK
> 基本さん
> 私は天理教批判はしていないつもりです。
> 私が失礼ながら「それはおかしい」と言ったのは、1回目はとみさんです。
> とみさんが「私がこれほど言ってもわかってくれないならここに来るのはもうやーめた」とおっしゃったので、
> 「それはないでしょう」というつもりで書き込みしました。
仮面をつけて、社会に暮らす、過激派。
おそらく、昼は善良な社会人。
そうなのでしょう。
論理の破綻をなお繕うところに、実は、秋風さんの自白が在ります。
> [25]秋風 06/11/19 03:55 FATzouQsC
> 先日ポストに天理教の一枚のビラがはいっていたのです。かわいいイラストで「陽気ぐらし」のことと、あと「をじばがえり」(でしたっけ?)のことが確か書いてありました。
> で、そういえば、と思い出してネットを検索し始めました。
これは、うそです。
だって、当スレ、では、こういっていました。
> 初めは何も分からず、「おぢば?」何語だろう?(失礼)などと思いながら読んでまいりました。
> (最近はだんだんわかるようになりましたよ)
このスレに来て。「初めは何も分からず、「おぢば?」何語だろう?」と、言う人が、
実は、先に、ぱんふれっとにある「おじば」を見て、検索を開始していた人だった。
こんな論理を破綻させてでも、秋風さんは、「道の教職員」さんひとりを、共鳴させれば、目的達成だから、簡単に引かない。
それが、物事の全てです。
- [1024]基本。 06/11/19 14:11 89ye1Pwb1S
- さて、リラックマさん。
天理教の知識として、異端の知識を吸収する事は、よくよく気をつけなければなりません。
それが、原典に照らして、本等はどうなのかと、絶えず吟味すべきです。
ここで、舞台回しの役をしていたのが、リラックマさんでしたね。
それは、ある意味では、秋風さんよりもドクトリンさんよりも、とみさんよりも、みなの心に影響を与えました。
櫟本分署跡に、行って見ましょうという、それは、大変よろしくないことでしたよ。
教祖の道とは、まるで違うものに、人を誘導してはいけません。
「天理教」していくつもりなら、してはいけません。
※このスレッドは大団円を迎えた為、投稿は出来ません。