天理教を語る!!
- [0]さよみ 04/12/28 00:49 *AA99n4agltU*DVLcIZd4PT
- このスレは前システムの「天理教をかたるスレ」の
>とりあえず信者もそうじゃない人も
天理教について色々語ってみようっちゅースレです。
という趣旨を引き継ぐものです。
それでは、どうぞ。
追加情報..
- [1]さよみ 04/12/28 01:08 *AA99n4agltU*DVLcIZd4PT
- 上記のとおりの趣旨ですので、自由に参加・書き込みしてください。
ただ、「ザ☆掲示板」そのものの利用規約や説明書には目を通される
ことをお勧めします。
参考までにこれまでの経緯はこちら。
初代「天理教をかたるスレ」のログ→
http://religion.dot.thebbs.jp/1042794059.html
2代目「天理教をかたる2」のログ→
http://religion.dot.thebbs.jp/1078811040.html
3代目「天理教をかたる!」のログ→
天理教をかたる!
- [2]さよみ 04/12/28 01:27 *AA99n4agltU*DVLcIZd4PT
- …というわけで、事務的なことは以上。
お久しぶり!いや、初めまして!ですかね、さよみです。
いや、びっくりしました。
久しぶりに参加するぞっ!と先日やってきたらシステムダウンしてし
まったとのこと。で、さっきまた来てみる「終了済みスレッド一覧」
に前のスレが入っていて、新スレ建立もできるようになっていたけれ
どまだ天理スレが無かったので、建てました。
私は夏前から環境が変わったこともあってたまにロムするだけで参加
できませんでした。たぶんこれからもそんなに参加できないだろうと
思います。
「ってそんなヤツがスレ立てんなよ〜」という声が聞こえてきそうで
すが、以前重点的に参加していた頃、ずいぶんと勉強になりました。
なので、そういう「場」は残しておきたい。そして可能な限り参加し
たい。と、そういう次第です。
- [3]ミスト 04/12/29 21:16 aCI/QByajW
- さよみさん、スレ立て、おつかれさまです。
前の三つのスレは、どれも全部ずっと保存しておきたいぐらいの良スレだと思います。
今後もマタ〜リでもバトルでも、また地味でも、さりげなく読んだ人が何らかの気付きを得られるようなスレになればいいですね。
- [4]植木 04/12/29 21:38 CyDPFNlxPb
- 「陽気ぐらし」元の理、どろうみこふき、九億九万九千九百九十九人とかんろだいつとめ・・
だれがあのば〜さまに説いたのだろう?と不思議一杯ではあります。
私は陽気は陰気対しての陽気と思っています。清い、清浄なるもの、上昇する気が極まり
下降し産む力となる陰気が形をとりイオマンテで客神は帰天する大いなる循環。
てぶりと音は上昇し神の気は柱より下る。巫女の巫は上の一は天、下の一は地、|は柱
降ろされる気、柱をとりまく人々。ば〜さまはまさに巫女<神子>ですね。
重症の躁病患者との陰口もあるが、他人の為に何かを成す事ことの難しさを考えると
ば〜さまはエライ!。土地でも人でも耕す老婆の敬称には、ば〜さまが似合うと思ってまでの事。スマソ
- [5]ウワゴト 04/12/30 23:54 *jR9cg/KW6mx*9jit0RAw50
- 時が来る その報せを知る者 内にも外にも眼を持つ者
その隠したる扉を開け 我は言う 汝らのその帳を打ち開け
大いなる剣は汝らの喜びの密なるをものを切り開く
全ての扉は開かれる 今の命を この命を 生まれし意味が
如何なるものか 煌く稲妻の如く ありやかとなる
静かに激しく終わりは始まり終わりは終わる
新しい何かが約束のように現れる予感に浸る者たち
合図のようにウワゴトの言霊は汝らを撃つ
己がなすことがなんなのか 静かに浮かび上がる
ウワゴトを知る者へ おめでとうの前祝の乾杯はおくられる
- [6]年収200万円 05/01/01 12:18 LZPfo7cvz8
- 明けましておめでとうございます。今年もまたあのバカ会長のいる分教会の元旦祭に
頑張って逝ってきます。あ〜胃が痛い・・・
- [7]さよみ 05/01/03 16:33 *AA99n4agltU*n.EClxWL3g
- あけましておめでとうございます。
なんか書き込んでも反映されなくて、ご挨拶がおくれました。
>>3
ミストさん、一番乗りですね。今までのスレ、いろんな思案がつまって
いて、本当に参考になりますね。結構な量があるので、目を通すには時
間と体力が必要ですが。繰り返し問われる同種のトピックは、その時々
の参加者によって微妙なズレをみせながら重層的にコトのありようを明
らかにするように思えます。
ミストさんもどんどん書き込みお願いしますね。
>>4
植木さん、お久しぶりです。天理スレへの書き込みは珍しいですね〜。
植木さんの中山みき観が垣間見れて嬉しいです。
「元の理-かぐらづとめ」について、どんな受け止め方をされているの
か興味深いです。
>>5
ウワゴトさん、はじめまして。なにやら意味深長な書き込みですね。よ
ろしければ泰山より降り、里のものにも分かるように言葉をひらいてい
ただけると有り難いです。
>>6
年収200万円さんもお久しぶり。信仰と経済の問題は、天理教が現実世
界で具体化するにあたって、もっとも厄介な問題だと思います。システ
ムの問題であるけれど、実践的な代替案が構築されていない今、指導的
立場の個人の資質や品格に期待するしかない現状です。
このスレでみなさんと練り合い、教えの内側からなんらかのヒントが見
い出されればよいなぁと思ってます。
- [8]泣き虫 05/01/03 19:06 MGq3GQ8.Sb
- …天理教自体は嫌いじゃない。
…やっている人間が嫌いなだけ。(すべてではない)
…実は親が天理教の信者で、名付けの大工の爺様もそう。
…あるとき、教会長さん達がお金をかけて麻雀してたの。
…教会長の息子さんが泣き出しちゃって。
…あたしはわからなくなった。母の顔は思い出せない。
ごめんなさい。みんなはいい人だと思うの。
でも、愛は無償で唱えてほしい。ただ、それだけ。
- [9]ランナー 05/01/03 20:41 *jR9cg/KW6mx*/0WmSS7R9d
- はじめまして。いろいろと読ませて頂きました。思うところを書かせて頂きます。
他宗教の信者は救かるために信仰しているのである。天理教の信者は救けるために信仰しているのである。人を救けたいと思わない者は天理教を信仰している者ではない。信者は救ける側の人間である。自分が救かるための信仰ではない。
俗に言う「理の親」を軽んじてはいけないが、「理の親」よりも「理の子」を大切にする方が大事だ。おたすけをしていない者は信者ではない。会長の不足を言う時間をおたすけに当てるべきだ。おたすけ先がないのならにおいがけせよ。
天理教の教えを学ぶことと、天理教を信仰することは全く違う。なんども言うが、天理教を信仰するとは、人を救ける事だ。人を救けるために教えを学ぶのだ。この順序を間違ってはいけない。
どうか、人を救けることの出来る人間になって頂きたい。
- [10]80 05/01/04 18:09 eKYvwOudXJ
- 理の親は親神様、おやさま以外にはいません。
真柱様の言葉です。
- [11]テイ 05/01/06 10:14 A4del9ghHN
- 皆さん、はじめまして。テイと申します。
初代スレから読ませていただきました。途中疲れて流してる部分もあります
が……一応私の思った所を書かせていただきます。
今いろいろ使われているお道の言葉に、「いんねん」や「理の親」など、教
祖様のお教えくださった原典に載っていないものがあります。これらは、先
人の先生方がにおいがけ・おたすけに奔走されていた時に、壁にぶち当たり、
どうすれば先方に分かっていただけるか、思案に思案を重ね導き出された、
一つの答えだとわたしは思うのです。悪い事をしていても普通に暮らしてい
る人もいれば、悪い事をしてもいないのに、苦しんでいる人もおられます。
こんな時に説明するのに用いられたのが、「前生因縁」の話ではないでしょ
うか?「理の親」についても、同じようなものだと思います。
ただ、「理の親」という言葉は前真柱様が、使い方が間違っているという事
を、おっしゃっているので、当てはまらないかもしれませんが……
ただ、以前は受け入れられていたという事実も思案させていただかなければ
ならないのではないでしょうか?でないと、この言葉が今まで残っていると
いう事はなかったと思います。
また、今の問題のある教会長さん方は、自分が苦労してにおいがけ・おたす
けをしてきたわけではなく、また、今の状況が当たり前になってしまってい
るから、平気で信者さんに無理難題を突きつけたりするのではないでしょう
か?ランナーさんもおっしゃっていますが、(においがけ・おたすけができ
ていない=信仰ができていない)のではないでしょうか?
天理教は信じるだけでは助かりません、人を助けさせていただくという、行
動があって初めて、天理教を信仰していると言えるし、助かっていくのだと
思います。
そして、そういう教会に引き寄せられてしまった方は、大変だとは思います
が、そこは先ず自分が変わっていかないといけないのではないでしょうか?
不足ばかり言っていては、自分がどんどん損をします。天理の教えを実行で
きる人になる事が、一番大事だと思います。(この考え方が、今の天理教を
だめにしているという、意見もありますが……)
自分が「なるほどの人」に変わっていけば、周りの人も影響を受けて変わっ
ていき、果ては組織全体にも影響が出てくると思います。このスレには、私
なんかよりも教理に詳しく勉強なさっている方もたくさんおられますが、教
会を離れてしまったりと言うのは、なんだかとても勿体無く思ってしまいま
す。その知識を実践に生かして、周りの人に影響を与えていっていただきた
いなぁと思ったりもします。
皆様の今後のご活躍をお祈りしております。
PS
ずいぶん前の話題ですが、台湾では日の丸の部分が金色の金の丸?の扇を使
っていますよ。今では、日の丸の扇も教会によっては使っている所もありま
す。
以上、すみません、長々と取り止めもなく……
- [12]さん 05/01/08 18:26 lx.WteOKSi
- 何もないところに助けを求めている人間は阿呆
- [13]植木 05/01/10 19:13 3k.n9xUKmt
- >「元の理-かぐらづとめ」について・・・・・・・・・・・・・・・
はい、そうですかと言っておけばそれが一番と思う。
解釈しても答えが無いのが宗教神話、創造論の類と思っています。
思想の裏を探ると150年前あたりの奈良の百姓屋の風情さえ思い伺えます
沢山のどぢよが田んぼにあり、川にはうおも多かったのでは、み<へび>
も生活の場で見られる環境であったと思う、ふぐもかれいも知っているが
見たことは無い海の魚でしゃちは話で聞いた事がある程度であろう。
食べることが大事の大事であったそんな頃の話として面白い。
そんな生活のば〜さまをやしろとして語られたのでば〜さまの味が出ている
のが当然と考えています。三輪山=ヤマタノオロチ説があるくらいに山と
<巳>は関係深いです。大和=巳と思えば誕生神話が似ても不思議では無いし
アイヌの伝統との類似もかつてアイヌは奈良の山にも居た事を思えば納得もする
敗れたアイヌ<先住民>の一部がツチグモ家の初めとの研究もあるので
ツチグモ<土御門>の勇、安部清明が陰陽師であったと元の理に観得る陰陽は
偶然とは思えない所がありさらにウメバチ紋が五行を表す五芒星もその内に秘める。
先に耕すば〜さまとしたのは土王説も含めてのことです。かんろだいには土から
採れたものが似合う黄色い<気色い>場所であると考える。
九億九万九千九百九十九人・・・・・九は久に通じ、幾久しくとの意味を含み
おめでたい結婚などの結びつきの象徴でもある。
本心から「だれがあのば〜さまに説いたのだろう?と不思議一杯ではあります。」
- [14]ランナー 05/01/11 19:21 *jR9cg/KW6mx*Ni9dqjMB8A
- 元の理をお話になる教祖の御心は月日様の御心であって、人の心ではな
い。誰かから教えられた事をお話になったのではない。この世をお創り下
さった元の神様、実の神様であらせられる故、知っておられるのである。
- [15]植木 05/01/11 20:07 3k.n9xUK7F
- ランナーさんの言うとおりハイソウデスカで終われば一番と思っています
解釈しても答えが無いのが宗教神話、創造論の類と思っています。と前置きした
うえでの私見です。
気持ちは理解したうえであえて苦言。他の宗教スレでも発言しているのですが
「神にお出まし願えば済むこと」ではないでしょうか。・・・と
- [16]テイ 05/01/12 00:22 G/N76qGaX9
- 教祖様のお言葉に
「不思議が神」と言うのがあります。
不思議一杯という事は、神様で一杯という事です。
ですから、不思議と感じてくださるという事は、
素晴らしい事だと思います。
- [17]さよみ 05/01/13 00:51 *AA99n4agltU*xPB/GlJsjz
- テイさん、はじめまして。初代スレから目を通すなんて…すごいですね。
どうぞ思うところを遠慮なく書き込んでって下さいませ。御活躍を期待
いたします。
>>16 教祖様のお言葉に「不思議が神」と言うのがあります。
念のため、前後も補足して書いておきますね。
典拠は本席による「おさしづ」の
「多くの中不思議やなあ、不思議やなあと言うは、
何処から見ても不思議が神である。」(明治37.4.3)
- [18]さよみ 05/01/13 01:05 *AA99n4agltU*xPB/GlJsjz
- 植木さん、レスありがとうございます。
「不思議」への敬意から「解釈無用」という立場にたちながら、なお、
古代や中世における神的なるものとの交流に相通じる匂いを感じずには
おられない様子が、他人とは思えません(笑)
ただ個人的には「知恵の仕込み、文字の仕込み」を経て教えられたもの
である以上、こころの生まれ変わり・成人過程のモデルとして解釈され
るものであろうと思われます。
- [19]さよみ 05/01/13 01:20 *AA99n4agltU*xPB/GlJsjz
- ランナーさん、こんにちは。
おっしゃる通り、天理の教えの主たる目的であり特徴であるのは、
「たすけられるものから たすけるものへ」
というテーゼだと思います。
が「たすけられるもの」と「たすけるもの」に二分できるほど、人間・
世界は単純なものなのでしょうか?
現実に「たすけるもの」との決意をもって思案し、行動すればするほど
自らがいかに「たすけられるもの」であるかを知ることになるのではな
いでしょうか?
また「たすけられるもの」をいかに「たすけるもの」へと育てるか、と
いった実践的な課題は発生しないでしょうか?
よろしければお考えをお聞かせ下さいね。
- [20]さよみ 05/01/13 02:02 *AA99n4agltU*xPB/GlJsjz
- 泣き虫さん、80さん、さんさんもこんにちは。これからもどうぞよろ
しく。
>>8
>…天理教自体は嫌いじゃない。
…やっている人間が嫌いなだけ。(すべてではない)
という方は、かなり多いと思います。といってもきちんと調べた訳では
ありませんが…。
そうなると、しかし「やっている人間」さえ感化できないような「教え」
に価値なんてあるんだろうか?という疑義が生まれてくる。そしてその
まま「天理教」=「価値がない教え」という結論へ一直線…の前に少し
だけ一緒に思案してみましょう。
「やっている人間」は一体本当に「天理教」をやっているのか?
「天理教」を「やっている(つもり)」なだけじゃないのか?
「やっている」のは「何かほかの原理にもとづくもの」なんじゃないの
か?
と思案してみると問題の正体がみえてくる。簡単にまとめると
「天理教をやっているつもりの人は天理教を知らない。
そして教えのつもりで他のことをやっている」というところでしょう
か?って、なんかかなり以前にも同じようなこと書いた気が(恥)
まぁ、その実例で分かりやすいのが「理の親/子制」ですね。
で、それが本来の教えにない、あるいは捩じ曲げている、ということを
中山善衛3代真柱は、告発し警告し是正しようとした。が、それが今に
いたるまでほとんど改善されていない。なぜか?
>>10
>理の親は親神様、おやさま以外にはいません。真柱様の言葉です。
というのは確かにそうなんですが、仮に「真柱様の言葉だから従うべし」
という意識であるなら、それは「理の親/子制」を支える意識と大差な
いわけです。天理教の内部にはびこった他の原理にはこういう根っこの
深さがあるようです。
この、教えを分けること、根を掘ること、根を切ることが、ちゃんと教
えられているってことに、私は天理の教えの奥深さを感じます。
- [21]金松 05/01/13 12:40 0MysN0mezy
- 真柱様は教義裁定者でありますから、
真柱様の言葉に従えないということは
天理教異端者となります。
教祖の教えを真理ととらえ、その御心に
添おうと想う者には、天理教という宗教には
あまりこだわらないのかもしれない。
- [22]フロンティア 05/01/13 13:36 gbx3UrloGc
- 私は宗教には興味はないのですが、
一般的な家相学などを学んでおります。
私の親戚が天理教を信仰しているので
一言意見を言わせてもらいたいと思って投函しました。
親戚の家にある神棚を見させてもらったことがあるのですが、
ちょうど真南を背にしてしかも家の中心から見て南東に置かれていました。
これって家相学上では大凶の位置にあたるのですが、
独自の思想を展開されている天理教では関係ないことなのでしょうか?
しかも、もともとあった南側の窓をつぶして神棚を設置している為、
換気が悪く、住んでいる親戚自身も体調がすぐれず病気がちなようです。
別に、独自の思想を展開されているのであれば私には関係ないのですが、
人が生きていくうえで重要なことすら教えていないのでは、
ただ金を蝕むだけの団体として見られてもおかしくないと思います。
- [23]植木 05/01/13 17:00 3k.n9xUK.a
- フロンティア さんと同様な疑問が私にもありますが、今は勝手に解釈しています。
天理教は東西より南北に重きを置く宗教であるので中華的と思っていた事が
ありますが、単に奈良盆地が南北に長く、東西に短いのが理由であるのではと
勝手に解釈しています、おぢば<天理本部>がふるさとであるとの解釈から
成り立つのかも知れませんが私も神棚の位置に付いてなど独自な見解など
ありましたら天理教に詳しいかたの解説を望みます。要約すると下記の様な?
月様<北>日様<南>いざなぎ・いざなみの命<東>で十全の守護による結解を
形成すると勝手なイメージ。
- [24]テイ 05/01/13 17:27 G/N76qGaX9
- >>22
以前聞いた話で、文献などを参考にしているわけではあ
りませんので、もし違っていたらごめんなさい。
教会のお社の位置ですが、本部神殿の甘露台に向かって
拝ができるように設置されていたと思います。
ですから、おぢばから北にある教会は、お社が南側に、
西にある場合は、東側にとなります。
天理教は、偶像崇拝ではありません。ですから、各教会
のお社には、神実様(かんざねさま)と呼ばれる、鏡が
入っていて、それを目標におぢばの方向に向かって、拝
をします。
本部神殿でも、四方から甘露台に向かって拝をしていま
す。ちょうど、それの延長と考えてくださればいいと思
います。
- [25]ahou 05/01/13 22:52 7nETZwVjaY
- ご無沙汰しております。
ちょっと皆さんのお考え、聞かせて下さい。
お道はどうしてこんなに、縦(親から子、子から孫)に繋がらないんでしょうか。
このスレでも皆さん、
「教えは良いが、教団かキライ」
「教えは良いが、人がキライ」等々、教えに対する批判はあまり聞こえて来ないと
感じるんですが、道は繋がらない。
国内の他の宗教でもそうなのかも知れませんが、お道は特にそうでは。
縦の伝道(親から子)と横の布教は車の両輪だと聞きますが正にそうで、いつまで経っても
同じ所をぐるぐる廻っている感じです。(現実は明らかに後退してますが)
何か教えの説き方に、問題があるんでしょうか?
- [26]テイ 05/01/17 10:11 Ibw6rQd3AT
- >>25
お道の教えが子や孫に伝わらないのには、いろいろな問題があると
思います。
今は、宗教に対する周りの目というものに、かなり厳しいものがあ
ると思います。やはり、そこから「やりたくないなぁ」と思う人が
結構いると思います。
それから、現代の価値観では、貧乏や苦労といったものは避けたい
と、思う人が結構煎るのではないでしょうか?教会という所は(特
に末端)、その両方がそろっている場所です。やはり、遠慮したく
なるものなのかなぁと思います。
そして、その親である教会長夫婦が、本当に心から信仰できていて、
陽気ぐらしができているのであれば、少々貧乏で、苦労があっても
子どもは後を継いでくれる、または、教えがしっかり伝わると思う
のですが。要するに、教会長夫婦が、家族の前でかなり不足をしてい
るのではないかと思うのです。お金がないとか、あの信者さんがど
うとか、上級の会長がどうとか……
陽気ぐらしといいながら、陰気な暮らしを送っている教会が結構あ
るのではないでしょうか?これでは、どんなに素晴らしい教えでも、
伝わらないと思います。
それから、「教えはいいけど…」といっている人は、自分に都合の
いい部分だけを見ている人だと思うのですが、どうでしょう?本当
に信仰は、教えが心に納まって初めてできるものだと思います。
教えの説き方も時代に合わせて変えていかなければいけないのかも
知れませんが、(と言うか、変わっていると思いますが)本当にそ
れが良い事かどうかは、分かりません。
まとまりがなくなってしまって、すみません
- [27]友誼 05/01/27 16:09 /I1VUZGj4Z
- 天理教は創価学会みたいに、無理やり信者にしたり、誹謗中傷流布したり、
人を陥れたりしていないようだが。
- [28]一天理教信仰者 05/02/08 20:50 aqnbjKcxJw
- ずっと良い投稿、かつ相当に早いペースで掲示板が進んでいましたので、時々のぞいて読む程度でしたが、久しぶりに書かせて頂きます。
まず、教団組織(教会等)での信仰に苦痛や疑問を感じられている方に対してですが、
やはり、そこは各人に対しての親神様の思召し・期待も様々に違うと思いますので、一概には言えないと思いますが、
大事なことは、基本的に天理教信仰における全ての実践には何一つとして「義務」や「強制」はないということだと思います。
そして、もちろん組織や制度が改善されていくことは素晴らしいことだと思いますが、それでも必ず不備や不完全性は残りうると思いますし、
最も重要なことは、私たち全人間は組織・制度さえ越えて、常に親神様と「一対一の深い親子関係」で繋がっているということだと思います。
ただ、その「純粋で深い親子関係」に気付いていない人が多く、その繋がりを自覚して頂く為に、天理教が存在するのだと思います。
また、そのような組織的問題や課題があればこそ、私たちは「談じ合い」という貴重な機会を持つことが出来るのかもしれませんから、
組織における問題・課題なども決してマイナス的要因ばかりではないのかもしれません。
「信仰教理」というものは常に不変であったとしても、「信仰生活」というものは常に試行錯誤や発展途上にあると思いますし、
このようなスレッド上での率直な意見交換は勿論、批判・論争さえも全て貴重な参考になると思います。
そして、やはり「今までの過去の歴史・現状」や「私たち人間に出来ることの限界」というものを厳しく直視した場合、
本当に「確実で永続的な救済」を人・社会に与えていこうとするのならば、まず「宗教」としてよりは「この世の真理(事実)」として、
(永久不変、かつ万人に平等な救済性を与える)「教えとしての天理教」を確実に広め残していくことが最優先事だと思います。
天理教の真価にふさわしく、きちんと分かりやすく教理を伝えていきさえすれば、その歩み・伝播は静かであったとしても、
必ず「親神様、天の理の教え」が、(この世における)「真実の神・真理」であり、
最も自然・道理にかなった「現実的救済」、それも(「心・生き方の救済」という)「根本的救済」を説く「真の世界救済宗教」であることが
確実に世界に理解・認知されていくと思います。
人や世界の救済・幸福の為に、「親神様、天の理」を知ることほど重要な「知識(情報)」はないという自覚は常に大事だと思います。
そして、真剣に「救い」や「真理」を求めている人があれば誰でも(回り道せずに)、
この真の拠り所である「親神様、天の理の教え」に繋がって頂けるような「道筋」を作り残していくのが天理教者としての務めだと思います。
「親神様の存在と、その親神様の全人類に対する完全なる親心・愛情」を確実に世界・後世に伝達・バトンタッチしていくことだと思います。
そして、その目的の為であれば前例・形や結果にとらわれすぎずに、様々な方法を試みていく価値があるように思います。
- [29]一天理教信仰者 05/02/08 22:12 aqnbjKcxJw
また、少し先に話題になっていました「教祖の説かれた教え。元の理」についてですが、
(当時の人間には分かりようのない)「元の理」の深くて正確な「人間世界創造」と「この世界の真の治まり方」の内容。
また、「周囲の人間事情」と「神からの言葉」の間にはさまり、最も苦悩されたのが教祖ご自身でもあったこと。などを考えれば、
教祖ご自身の思惑をも越えた、「神(創造主)からの天啓」であったことは察することができると思います。
また、「元の理」(元初まりの話)の比喩で表現されている本質は、
「この世界・人間」は、親神様の「人間の陽気ぐらしを見て共に楽しみたい」という「本当に深く温かい思召し。プラス的世界観」と、
様々な働き・機能の(偶然ではない)絶妙な引き寄せ・組み合わせの御守護を頂くことで、はじめて成り立ってきたということ。
そして「陽気ぐらし」というものも、様々な「異なった個性」を持ったものが存在・協調しあって成り立つという「個性・多様性の尊重」。
「生物の進化。人間の魂的成長」は何度もの出直し(生まれ変わり)を繰り返すことによって、少しずつ段階的に進んできたものであること。
などを示されていると思います。
また、人間をつくる時の種とされた「どじょう」という表現も、泥の中で住んでいても綺麗な白い身を保っている温和な「どじょう」に例えて、
人間の魂というものの本質が本来は綺麗で善良なるものである、という人間への信頼を表現されているように思います。
(このような「元の理」の比喩や、天理教教理に関しては天理教の公式HP等を参照されても分かりやすいのではないかと思います。)
そして天理教と他宗教の関係については、「八方(はっぽう)の神の治まるところ、天理王命」という御言葉があるように、
世にある他宗教の多くも、親神様・天理教に段階的な繋がりを持っていて、それらの他宗教と天理教は決して相反するものではなく、
ある意味、「親神様(創造主)の全人類に対する愛情」を正確に伝え、それらの他宗教をも真に完成させるのが天理教であるとも思います。
親神様からの直接の神言である「おふでさき」に表現されていますように
「この世を始めた神のことならば、世界一列みな我が子なり」
「にちにちに親(親神)の思案というものは、救けるもようばかり思てる」
という言葉が最も大切な天理教教理・真理を示していると思います。
よって、他宗教の方でも、排他性や攻撃性がなく、「創造主(親神様)の全人類に対する隔てなき愛情」さえ正確に自覚されていて、
社会・世界全体の救済・治まりを目指している宗教であれば、それはそのままで(親神様の)神意にかなった尊い宗教だと思いますし、
また、たとえ無信仰・無宗教でも、我が身の都合を捨てて社会の救済・幸福の為に尽くされている立派な方々も多いのですから、
天理教者としては、「最終完成の教え」として親神様から直接に明かして頂いた「正確な親心・思召し」を伝えていくことの重要性と共に、
(「信仰の本質」から考えれば)あまり細かい信仰の形・教理の違い等にこだわりすぎることの不要性も知る必要があるのかもしれません。
- [30]ちょ 05/02/09 17:39 qp2QpAqW
- 創価学会800万人>立正佼成会600万人>>>超えられない壁>>>天理教170万人
- [31]るい 05/02/09 17:55 ex0S4IjXTU
- なーる
- [32]裏おさすず発見 05/02/13 18:21 Ib3RWvMS14
- 裏おさしず発見しました。
東京はもしかするとくるかも
どうすれば
http://www.denpan.org/book/DP-208c-48ff-1/12.html
- [33]ぶい 05/02/17 00:00 9/PycfZNoG
- 天理教は悪いことを隠しまくっている。教祖の写真を見たら幻滅します。激しい神がかりは、実ははんぱじゃない。ナライトさんて
知られていますが、発狂したそう。本席もすごいめにあっている。一般には、多くのこと隠している。
天竜さんと呼ばれていたけれど、天理王命の正体は頭が12ある大蛇だそう。龍と大蛇とか。これが、正体。
「とめふで」って知っていますか。本部は、隠しとうしてきた。
教えも既成のものをもじっている、つまらないもの。ひながたとかいうけれど、つまらない人。
醜聞は隠されているんです。よくよく知れば天理の正体がわかる。
どうしてこんな宗教が降ろされたのか疑問です。
- [34]愛知のナルトだに 05/02/17 04:07 E-hLYfs
- 皆さん、お初です。少し前だった気がしますが、天理時報に「天理教は世襲制か」との記事があり、天高生か付属生が真柱様に『天理教は代々、実子が各教会、教会長を継いでいるが、天理教には世襲制と決まっているのか』と質問し、真柱様は『世襲制と決まってはいないが、自ら学んだ教えを一番理解し、受け継いでくれるのは実の子供だ』(たぶんこう書いてあった)みたいな事を言われたのですが、この事について諸先輩方の意見を承りたく思います。
- [35]めい 05/02/18 21:13 nMPgDe.lye
- お初です。
天理の高校卒業で有利な就職先ってありますか?
- [36]ユミ! 05/02/19 20:50 *5t7TOoEPm21*18dPjB5e2f
- 「悪しきを払ろうて助けたまえ」って唱えるのを
「屋敷を払ろうて助けたまえ」などと言い換えてるのは有名です。
お金を手にしたら、一部はかならず本部へ寄付、、こう言われるのを
よく耳にしました。
- [37]ドモンジョ 05/02/19 21:14 exGsnDgfDU
- >>36
タマにはエホバスレにも顔を出して下さいw
>>35
そりゃアンタ、天理系企業でしょうよ。
- [38]ユミ! 05/02/19 22:46 *5t7TOoEPm21*18dPjB5e2f
- >>37 ドモンジョさん怖いもん・・゜゜・(>O<)・゜゜・。
- [39]植木 05/02/21 15:28 W8dthbo5kM
- ドロンジョ様なら良かったんだけど?。悪気の無い人ですからユミさんも気にしない方が良いかも、カモ??
>天理王命の正体は頭が12ある大蛇だそう。龍と大蛇とか。これが、正体。
やはりヤマタの大蛇<三輪山説>プラスα他山の意で本来は土地神であるかも?
8<ヤマタの大蛇>+4<四方>=12?もしくは 4<四方>+8<八方>=12の意?
知っている方のレスきぼう。
新興宗教であるほど世襲が多い印象ですね。組織運営上の都合、又は教理確立の過渡期なのでしょうか
- [40]名無しのごんべ 05/02/21 21:08 g.bRdDpPpW
- 最近、悩み事があって、天理教に相談しようかどうか迷っています。
子供の頃におじばがえりに行った記憶があり、とても楽しかったのを
おぼえていますが、宗教とは関わりをもたずに大人になったので、少し
抵抗もあります。天理教って一体どんなところですか。内部に詳しい方
教えてください。お願いします。
- [41]名無しのごんべ 05/02/21 21:15 g.bRdDpPpW
- 続きなんですが、財産をお供えしたり、いろんな行事に参加したりしなきゃ
いけないんですか。それとか、信者の勧誘とかもしなきゃいけないんです
か。教えてください。
- [42]ゆみ 05/02/24 11:18 Zc4tJ.dPKz
- 名無しのごんべさんへ
お返事遅くなってすみません。
私の感じるままに書かせていただきます。というのも、天理教は教会によって
多少の違いがあるからです。
基本的には、感謝慎み助け合いというスローガンを掲げてありますように、
人を助けることを主としている宗教だと思います。
そして、その元には、人間は皆、同じ神から生まれた存在、人類は皆、兄弟
姉妹という考えがあります。であるので、困った人を助ける、助け合うという
ことに思いをかけていると思います。
財産をお供えということですが、お供えしたいと思った人はされるのでしょうけど
無理やりにさせるという教えではないので心配ないかと思います。
行事参加についても上記の通りです。勧誘も上記の通りです。
つまり、強制ということはないです。天理教の伝える、人間をつくった神という
のは、人間に、体や環境を貸し与えるが、心は人間が自由に使えるようにされた
ということなので、人の心の自由を重んじているからです。
誘い掛け程度はあるでしょう。何日にこういう行事があるんだけど、来てみないとか
ですね。お近くに天理教会はあるのでしょうか?あるのでしたら、少し話を聞いてみ
てもいいかもしれませんね。合わないと感じたらやめればいいわけですし。では。
- [43]名無しのごんべ 05/02/24 13:25 Zebwh9PLJE
- ゆみさんありがとうございました。やっぱりあのおじばがえりにいったとき
と同じ暖かい、和やかな雰囲気なのですね。申し訳ありません。あともう一つ
質問があります。天理教では信仰していて病気が治ったとかとかいう話を
聞いた事があるんですけど、そんな事って本当にあるんですか。あと色んな
降りかかってくる災難や不幸なんかも助けてもらえるって聞いたんですけど
本当ですか。教えてください。何度も申し訳ありません。ちなみにゆみさん
は天理教徒なのですか。
- [44]さよみ 05/02/27 03:45 *75AlxpfTvxO*vm5Gpiaykw
- 横レス失礼します。
名無しのごんべさん初めまして。
基本的には、ゆみさんのおっしゃる通りです。
お供えや行事への参加は、本来的に個人の裁量です。ただ、どんな団
体でも同じことでしょうが、ある程度コミットすれば、積極的な参加
(時間的・金銭的)は期待されることになります。
ですから、どこかで自分で線引きする必要がでてくるでしょう。
>>0に追加情報として天理教の公式サイトのURLを貼ってありますので、
参考にのぞいてみて下さいね。
天理教は教会の数が信者数に比較してかなり多い団体なので、その運
営方針はけっこう違いがあります。
とりあえず、手相を見たり、方角・日時の吉凶を言ってくるような所
は天理教本来の教えとは関係ありませんので、もし名無しのごんべさ
んが訪れた教会がそういう所なら、関わらない方がいいかも知れませ
ん。
- [45]さよみ 05/02/27 04:06 *75AlxpfTvxO*vm5Gpiaykw
- >天理教では信仰していて病気が治ったとかとかいう話を聞いた事が
あるんですけど、そんな事って本当にあるんですか。あと色んな降
りかかってくる災難や不幸なんかも助けてもらえるって聞いたんで
すけど本当ですか。
たくさんあります。天理教の初期の入信はほとんどそれが理由です。
ただ、ほかの宗教でも「病気が治った」「災難を免れた」という話は
山ほどあります。また「結局治らなかった」とか「信仰していたのに
災難にあった」というような人がかえって強い確かな信仰にいたるケ
ースもたくさんあります。
以上のことから個人的には、その病気や災難が「何故おこったか?」
また「何故治ったか?(あるいは治らないか?)」についての説明原
理、つまりどのような世界観・生命観を教えているかが重要だと思い
ます。
- [46]名無しのごんべ 05/02/27 04:16 I9iGSDqeMx
- さよみさんありがとうございました。教会によっていろいろ違うのですね。
申し訳ないのですが、あともう一点聞きたい事があるのです。それは、
この間、本部に基礎講座というのを聞きにいってきたんですけど、その講座
のVTRの中に長年、動かなかった足が、動いたというシ-ンがうつって
いたのですが、あのような事って本当にあるのですか。正直、見ていて、
ほんまかいな。と思ってしまいました。何度もくだらない質問で申し訳
ありません。どなたかよろしかったら教えてくださいませんか。
- [47]名無しのごんべ 05/02/27 04:27 I9iGSDqeMx
- さよみさん、きちんと目を通していなかったので同じ質問になってしまい、
大変申し訳ありませんでした。あと、神様にお引き寄せいただいたのよ。と
教会の方によく言われるのですが、そのような事って本当にあるのですか。
なんか失礼な質問ばかりで申し訳ありません。今まで聞いた事のないような
ことを耳にするので、正直、頭の中がパニクッてます。すみません。
- [48]さよみ 05/02/27 04:30 *75AlxpfTvxO*vm5Gpiaykw
- >>34 愛知のナルトだにさん、初めまして。
あの記事はわたしも興味深く読みました。
読んでいなかった方もおられるでしょうし、原文をあげておきます。
『天理時報』第3864号 2004,2/15
「共に歩む成人の道 青春インタビュー 第14回」
☆世襲という規則はありません☆
石上 僕は後継者として、将来教会長になることを誇りに思っています。
教会に生まれてありがたいなあとも思います。ところが、天理教を
知らない友達に「天理教は世襲制なん?」と聞かれた時に、どう答
えたらいいか分からなくて言葉に詰まったことがあるんです。どう
答えたらいいのでしょうか?
真柱 この天理教とは教会長という意味で聞いているのですかね?
石上 はい。
真柱 教会長の息子が教会長にならなければいけないという規則がある
わけじゃないんです。でも、信仰というのは親から子へちゃんと伝わっ
ていくのが肝心なことで、信仰を始めた元一日のことを忘れず、信仰
が代々伝わっていって、だんだんと家も治まっていくと思うんです。
だから、その教会の中で教会長の子供がしっかりお道のことをやって
いて、それで教会長の後を継ぐということは、自然なことだと思うし、
おそらく教会につながっている信者さんも異論はないと思う。子供が
後を継ぐというのが一番多い形ですけれども、多いというのはただ惰
性でそうなってるんじゃなくて、教会が治まる姿だからそうなると思
うんです。それは、周りから見れば世襲と映るかもしれないけれど、
世襲ということが決まっているから子供が教会長になるんじゃなくて、
子供が継ぐということが教会が治まることを考えた時、それが一番い
いから、その形に自然になるんだと。 (つづく)
- [49]さよみ 05/02/27 04:43 *75AlxpfTvxO*vm5Gpiaykw
- >>47 名無しのごんべさん、まさかこんな時間にタイムリーにレスがあ
ると思わなったので、ほかの話題のレスしてしまいました。失礼しまし
た。
>神様に引き寄せられる
という事柄は、客観的・実証的に事実そうであるかどうかについて、ど
んなに科学が発達しても解明できない種類の事柄です。
その人自身や周りの人々にとっての納得や了解によって成立する、意味
の次元に属するからですね。
ですから、それが本当かどうかを決めるのは、本人次第ということにな
るのです。
こういう答えだとちょっと納得しずらいかも知れませんが、実は、天理
教では、神すらもそのような存在であると教えているんです。
もちろん、信仰する立場からはそれらは疑いようのない確かな実在であ
るけれど、少なくとも、その実在は客観的・実証的にとらえられるもの
ではないのだ、という認識を持っているのです。
- [50]名無しのごんべ 05/02/27 04:58 I9iGSDqeMx
- さよみさん、何度もありがとうございます。そうですか、天理教って
結構、抽象的なところが多いのですね。ちなみにさよみさんは信仰は
長いのですか。スレを見ている限り、かなり天理教を熟知されたように
見受けますが・・またよければお返事くださいな。
- [51]さよみ 05/02/27 05:01 *75AlxpfTvxO*vm5Gpiaykw
- >>48のつづきです。
真柱 だから、「世襲制なの?」と問われれば、「規則かと言えば、そうで
はない」という答え方にはなる。けれども、教会の治まりとか、「道は
末代」と教えて下さっていることから考えると、親が会長をして、その
子供がちゃんと継いでくれるというのは、それはそれでいい姿じゃない
かと、僕は思いますが。
石上 はい、分かりました。
( 中 略 )
石上 天理教の良いところと悪いところを教えて下さい。
真柱 どういう意味?
石上 僕が思う良いところは、普通の学生は全国に友達ができたりしないけ
れど「学修」とかいろんな行事で全国に友達ができるのが素晴らしいと
思うので、そこが良いところだと思っています。
真柱 うんうん。
石上 悪いところは、たとえば親が信仰していても子供が信仰していなかっ
たりとか、そういうのが悪いというか、問題だと思います。
真柱 問題点やな。
石上 そう思います。
真柱 これは悪いところというよりも問題点ですが、これは何も天理教には
限らないことで、ものの考え方などを親から子へ伝えるということは、
どこの世界でもなかなか難しいことだと思うんです。それを解決するた
めに少年会もあれば、学生会も活動していると思います。問題点はいく
つもあるかもしれないけれども、それに対する対処法を考えてやってい
かなければならないと思いますね。
( 後 略 )
- [52]さよみ 05/02/27 05:18 *75AlxpfTvxO*vm5Gpiaykw
- >>50 名無しのごんべさんへ
抽象的というより、体得的といった方がいいかも知れません。
教えの比喩なんかは、わりと当時の生活感覚に根ざした具体性をもって
いますから。
天理教に限ったことではないのですが、宗教の知というものは、科学の
知とは少し種類が違います。
この違いは例えるなら、詩と論文の文章との違いに似ています。
ここがわからないと、いくら宗教の歴史や作法、教義にくわしくても、
何もわからないに等しいのです。
いくら文法や語彙に詳しくても素晴らしい詩がかけるわけではないのと
同じですね。
逆を言えば、知識はなくても直感的にある程度は会得してしまうことも
ありうる。
(ただし、文法や語彙の学習を手がかりに良い詩を生む訓練を積むこと
はできるし、訓練を積まなければ良い詩を生み続けることは難しい。
このことは宗教でも同様です)
大変申し訳ありませんが、わたしの信仰歴についてここで公開するつも
りはありませんので、あしからず。
- [53]名無しのごんべ 05/02/27 05:41 I9iGSDqeMx
- さよみさんお返事ありがとうございます。失礼な質問をしてしまい、申し訳
ありませんでした。正直、今までは自分のことばかり考えていたように思い
ます。これからは、人を助けられる人間になりたいと思っています。
ありがとうございました。
- [54]さよみ 05/02/27 07:03 *75AlxpfTvxO*vm5Gpiaykw
- 名無しのごんべさん、別に失礼な質問ではないですよ〜。
わたしはこの掲示板ではできるだけ個人が特定されるような書き込みは
控えたいと思っているだけなんです。理由は、わたし自身の自由を確保
するために過ぎません。
「自分のこと」を考えるのは、とても大事なことだと思いますよ。
実際、人を助ける場面というのは、自分が真剣に悩んだり迷ったりした
ことが背景にあってはじめて成ってくるものですから。
一番いけないのは、ムリヤリに「前向き」に捩じ曲げたり、悩みや迷い
の苦しみを「無い」ことにすることだと思います。
不幸や苦しみを、そのまままるごとの不幸・苦しみとして見据える事。
その悔しさや痛みや、自分の無力を思い知る事。その体験の苦さを味わ
う中から、わからなかった世界や気づけなかった意味が見えてくるのだ
と、わたしは思っています。
- [55]さよみ 05/02/27 07:32 *75AlxpfTvxO*vm5Gpiaykw
- >>34 愛知のナルトだにさんが提示された『天理時報』掲載の真柱発言
「天理教は世襲制か?」のテキストを >>48 及び >>51 にあげておきま
した。
この発言は要約すると
「天理教には世襲制という規則はない。
しかし、信仰が世襲されることは望ましい。」
というところでしょう。
受け手によって、前半部分に着目するか、後半部分に着目するかに分か
れるでしょうね。
愛知のナルトだにさんの要約は記事本文とくらべると随分違いますが、
印象としては「正しい」のかも知れません。記事全体としてはむしろ後
半部分に力点がおかれているのは明白ですからね。
ただ、わたしは前半部分に着目します。
教団の統率者であり教義裁定者の立場にある者が、はっきりと「世襲は
規則ではない」と述べたというのは、現状追認にすぎないとしても、大
きな意味があると思います。
このザ掲示板での歴代「天理スレ」での主要な話題であった、天理教信
仰家庭の子弟と非信者との恋愛・結婚をめぐるひとつの拠りどころとな
るでしょう。
まぁ「規則」にしてしまうと、早晩、真柱自身の継承問題をはじめとし
て現実的に無理が生じるって理由が大きいんでしょうけれど。
- [56]さよみ 05/02/27 07:54 *75AlxpfTvxO*vm5Gpiaykw
- 世襲制か、そうでないか、という問題は、これまでの天理教史を顧みて
も世襲制ではないことが確認できます。
そもそも中山みきの実子は教えを継ぐことはなかったし(中山みきより
早逝したという事情もあるが)、初代真柱は外孫です。男子直系の長子
の音二郎は後半生さえ定かではない。
その他、かなり多くの教会が初代直系ではありません。
とはいっても、世襲による会長職の継承もまた「自然」な成りゆきとし
て多く行われてきました。
これは教会運営に打ち込めば打ち込むほどそれが「家業」となることか
ら生じる自然な成りゆきでもあり、また、ふうふを基礎としおやこの形
成を奨励する教理からも導かれる事態です。
この問題は「教会」というものをどのように考えるか、位置付けるか、
を考える必要もあると思いますが、それについて今は措きます。
- [57]さよみ 05/02/27 08:26 *75AlxpfTvxO*vm5Gpiaykw
- さしあたってこれからここで考えたいのは「伝道・布教」の問題です。
この現行の「天理スレ」はまだ50程度しか進んでいませんが、その中に
あって、すでに何度か提起されているんですね。
>>25-26 のahouさんとテイさんのやりとりや、
>>9 ランナーさんへの >>19 わたしの疑問もここに繋がります。
伝道・布教は、どちらもたすけの端緒であり結果としてあらわれるもの
です。もしたすけと無関係なものであったなら、それは伝道でも布教で
もないでしょう。
とここまで書いてちょっと時間がなくなっちゃいました。つづきはまた
の機会にいたします。
その書き込みの有無や上記の話題に関わり無く、どんどん書き込んで下
さいませ。
これまでの常連さんはもちろん、新規の方もよろしくどうぞ!
- [58]トリップ 05/02/27 13:42 Paj99ckhX4
- 天理教スレは初カキコ。
前スレはちょくちょく見てはいましたが。
一番興味を引いたのは、
「教えが広まりさえすれば、天理教という宗教団体そのものはなくなってもかまわない」
というような流れがあったことでしょうか。
組織絶対主義が多く見られる新興宗教の中で、こういう考えはなかなか共感の持てる考えでした。
信仰は組織に属する必要がない、というのが持論だったので。
なかなかに質の高い話が多く見られるので、たまに参加したいと思います。
一応今後に向けての私の立場表明。
私は基本的に、無神論(宗教的な意味での)なので、文化や風習以外での、組織的な宗教の教えに対し全てに否定派です。
教え、教義が信実である、ということは否定はしますが、当然ながら、それに対しての信仰は否定しません。
ですが、その教えやスタンスそのものに興味はあるので、色々と質問したり、どういう考えなのかを聞いたりしたいと思います。
もちろん、逆に質問されれば、私の見解としての天理教、というものもこたえます。
そんなわけでドゾよろしく。
- [59]名無しのごんべ 05/02/27 22:40 I9iGSNy49b
- トリップさん横スレ失礼いたします。すみません。
さよみさん何度もありがとうございます。実は天理教の門をたたいてから
もう、一年近くになります。最近教会の方に家の人にも信仰してもらいなさい
と言われ、悩んでいます。いつも親切にしていただいているので、裏切るよう
なことは絶対にしたくないのですが、正直、家は天理教とは関係ないので、
家まで天理教に、したくないというのが、本音です。やはり、教会の
方は何か根拠があって仰っておられるのでしょうか。そのところでも悩んで
います。申し訳ありません、どなたか相談にのってくださいませ。
- [60]トリップ 05/02/27 23:29 vK3GY8GrD2
- >>59
組織側としては、意義があるという見解かもしれない。
しかし、あくまで家族の意思に任せるべきだと、完全中立の立場から思います。
自分がよいのであれば、伝えては見る。しかし「お願い」はしてはならない。
どうだろう、と伝えたうえで、入りたいといえばそれでよし。
断られたら、またそれでよし。
>いつも親切にしていただいているので、裏切るよう
>なことは絶対にしたくないのですが
こういうことを、「裏切り」と思ってはいけないはず。
感謝の気持ちは自分が選んだもので示すべきで、
少なくとも、それが自分だけの問題でない以上、
拒否を行う事を妨げるものであるのなら、受けた親切が重圧に堕ちてしまう。
もちろん、人間関係はそんなに単純ではないですが、自分の心としてそう在るべきだと考えます。
以上が、天理教を是とだけ見るのではなく、
あくまで一宗教と見たときの中立者の一つの意見です。
- [61]名無しのごんべ 05/02/28 00:36 PtBz/Mmwjb
- トリップさんありがとうございます。そうなんですよねぇ。難しいところ
なんですが・・ま-自分の気がつく範囲で、やっていきたいと思います。
しかし、どこへいっても色々あるものですよねぇ。有難うございました。
- [62]名無しのごんべ 05/02/28 00:36 PtBz/Mmwjb
- トリップさんありがとうございます。そうなんですよねぇ。難しいところ
なんですが・・ま-自分の気がつく範囲で、やっていきたいと思います。
しかし、どこへいっても色々あるものですよねぇ。有難うございました。
- [63]名無しのごんべ 05/03/01 02:16 I9iGSDqe3W
- 続けての書き込み申し訳ありません。最近自分の無力さ、醜さ、汚さ等々
天理教の話を聞いていて、今まで、どれだけの因縁を積んできたかと思うと
ものすごい自己嫌悪に陥り、俺みたいな人間生きてていいのかな-とさえ
思っています。世の中には何の罪もない方達が不慮の事故や病気で亡くなら
れておられるのに、俺のような薄汚い人間が生きさして頂いているのは
本当に感謝しなければならないと思っています。別に自分のことをいいよう
に言うわけではありませんが、やはり、人間の生死や運命というものは
初めから神様がきめておられるのでしょうか。しかし、天理教の因縁や
徳という見えない天の通帳とかの話や、前世などの話を聞いていると、
人間の生死、運命というものは神様の采配なのでしょうか。まっ、とにかく
できる限り、徳積みをしていきたいと思います。失礼しました。
- [64]さよみ 05/03/01 02:26 *AA99n4agltU*vm5Gpiaykw
- 名無しのごんべさん、わたしもトリップさんとほぼ同じ意見ですね。
教理的にも、だいたい同じ結論に至ります。
天理教の神の大きな特徴のひとつに
「人間のこころには不可侵を守る」
というのがあります。
人間側から言うと、こころの自由が確保されているのです。
もちろん「宗教」ですから、ものわかりのよいただの相対主義とは違っ
て、目指すべき理念はあるのですが、それでもそれを選択するかどうか
の決定は個々人のこころに委ねられているんですね。
いいことをしてもいいし、悪いことをしてもいい。その選択は人間の自
由だ。神の眼からみて"いいこと"をしても、人間の世間ではもしかした
ら、笑われるかもしれない。謗られるかもしれない。損な役回りかもし
れない。それでも"いいこと"をする。そんな人間の世間からみれば「阿
呆」のようなひとを神様は大好きなんだよ。という教えです。
そして親である神だからこそ教えられる「人間・世界はなぜ生まれてき
たのか?どんなにして育てられ守られているのか?」さえ分ったなら、
"いいこと"を率先して行いたくなるのだよ、という教えです。
そういう立場を神自身がとっておられる以上、人間が人間に対して何か
を強制することは天理教を信仰する人はさけなければなりません。
自分が良いと思っているものをより多くの人に認めてもらいたい、とい
う想いは自然なものですが、とくに、恩や義をめぐって心理的に圧力を
かける可能性について慎重であるべきだ、と思います。
ですので、人情としては居心地の悪さを感じてしまわれると思いますが、
なにひとつ引け目を感じる必要はありません。
- [65]さよみ 05/03/01 02:43 *AA99n4agltU*vm5Gpiaykw
- >>63
これは天理教に限ったことではありませんが、宗教は、人間にとって自
分自身を偽りなく映しだす鏡になります。その姿は、往々にして眼を逸
らしたくなるような有り様なはずです。
宗教に入りさえすれば、なにか自分が高級なものになれると、しばしば
誤解されていますが、そんなことはないのです。
宗教は自分を美しく飾ってくれるアクセサリーではなく、むしろ全ての
虚飾を剥ぎ取ってしまうようなものなのです。そして、本当の美しさは
そこから初めなければ決して身につくことはないでしょう。
ですから自分のいたらなさを知る、というのはとても良いことだと思い
ます。
が、因縁・徳積み・天の帳面・前世うんぬんといった教えは、「元のい
んねん」というベースキャンプをもたなければ、それこそ道をあやまる
原因になりますので、ご注意下さい。
- [66]名無しのごんべ 05/03/01 03:11 I9iGSDqe3W
- さゆみさん何度も有難うございます。実は私、俗に言うちゃらちゃらした
人間でして、遊んでばかりいました。そしてそんなことばかりが続く
わけもなく、今までまいてきた悪い種がでてきまして、悩んでおります。
天理教で言う事情です。今まで誠に生きてきていればこんな行き詰まる
ような事にならなかったのにな-と後悔と反省をしております。そこで
神様の御用、ひのきしん、人助けなどをさしてもらえれば、この事情も
治まるのでしょうか。そこが今、一番悩んでいるところです。
- [68]名無しのごんべ 05/03/01 23:31 I9iGSo29j.
- 心の非季さんへこの掲示板は天理教について真面目に書き込む所です。
以後このような事は申し訳ありませんが、なさらないようお願い致します。
- [69]トリップ 05/03/02 03:26 vK3GYzdg8E
- >>68
この人昔からこんな感じなのでスルーがガチ
- [70]天理一教信者 05/03/02 15:00 LOOg6vBW
はじめまして一信者です。私も教えさえ広まれば組織はいらないという意見に賛成ですが、
おつとめだけはしたいなと思います。教会がなくても支部単位でおつとめができるじゃないかというご意見
もあるとは思いますが、みなさんどう思われますか。
- [71]どん 05/03/03 15:34 g9HtclHZW9
- 名無しのごんべさん、はじめまして。
>神様の御用、ひのきしん、人助けなどをさしてもらえれば、この事情も
>治まるのでしょうか。
ちょっと思ったのですが、その、解決したい事情というものが、他人の行動や
信念を変えさせたいというものなら、これはちょっと難しいのではないかと。
ご事情の内容にもよると思うのですが、いかがでしょうか。
- [72]名無しのごんべ 05/03/03 17:15 I9iGSxeloN
- どんさんありがとうございます。僕は天理教を知ってから、天理教の本を
読みあさりました。読んでいると、修養科に入り心を入れ替えたら、重い
病気が治ったとか、事情がまるで、神様がはたらいてくださり、奇跡の
ような事がおこって治まったとか、書いてあったので、そのように思った
のです。やっぱり、そのような考えは甘いですよねぇ。とにかく、反省し、
自分の心を入れ替え、一つ一つ、乗り越えていきたいなぁと思います。
しかし天理教の本を見ていると、信仰で病気が治り、事情が治まるという
事が山ほど書かれてありますがあれは本当なのでしょうか。天理教はいい
ところだと思うので信じたいのですが・・・・ありがとうございました。
- [73]トリップ 05/03/03 23:53 vK3GYp8Jid
- >>72
>信仰で病気が治り、事情が治まるという
>事が山ほど書かれてありますがあれは本当なのでしょうか。
天理教が同のというわけでなく、この手の内容を真実と見るのは、思考として危険です。
プラシーボ効果、信仰と言う行為による心理的重圧からの解放による事態の改善と言う意味では、
絶対的に効果がない、というわけではないでしょうが。
しかし、それでは幸運の壷や雑誌の裏のパワーストーンでも同じになってしまう。
おばあちゃんが孫に
「お地蔵さん大切にしとれば、きっと助けてくれるでナー」
と言うのと同じレベルで考えましょう。
- [74]名無しのごんべ 05/03/04 00:06 HDEZmp8Lop
- やっぱりそうですよね。んな事ありえるわけないですよね。トリップさん
ありがとうございます。しっかり現実を見て生きていきたいと思います。
- [75]さよみ 05/03/04 00:27 *AA99n4agltU*vm5Gpiaykw
- >信仰で病気が治り、事情が治まるという
>事が山ほど書かれてありますがあれは本当なのでしょうか。
前にも書きましたが、「病気が治る・事情が治まる」ということが事実
ある、というのは本当ですよ。
でも、それが「信仰で」かどうかは誰にもわかるものではありません。
で問題は、だからといって信仰が無意味になるわけではないってことで
す。
- [76]トリップ 05/03/04 00:39 vK3GYp8Jid
- >>75
>でも、それが「信仰で」かどうかは誰にもわかるものではありません。
さすが、イイコト言った。
いろんな宗教でも同じケースがありますが…。
もちろん、それぞれの信心で、それを事実だと信じるのは良いのですが、
それを真実だという前程で、勧誘や他者への活動をする人の多いこと多いこと。
こういう考え方は、もっと色々と広がってほしいところ。
- [77]名無しのごんべ 05/03/04 07:30 N.7cXISYIb
- 天理教最高。教会の人は優しいし、なんでも相談に乗ってくれる・・
世の中も捨てたもんじゃないですぅ-。
- [78]どん 05/03/04 10:29 g9HtclHZK.
- 名無しのごんべさん、こちらこそありがとうございます。
それから、ちょっと不十分な表現でした。
否定的な意見を述べたように、もし、名無しのごんべさんが
受け取られたなら、すみません。
もう少し、投稿させて下さい。
他人の行動や信念を変えさせることならば、それは難しい、と、
私が思うのは、他人が人間だからです。
名無しのごんべさんが、そうした事態の改善を神様にお願いするとして、
それが、他人にとっては喜ばしくないことだったら、お願いされた神様は、
名無しのごんべさんのお願いだけ聞き入れて、その、他人さんの心は無視
するのかというと、決してそんなことはないだろうと。
その他人さんも、寸分違わぬ、神の子だと思うからです。
神様は、えこひいきはお嫌いだと思うからです。
修養科に行ったら事情が解決するだろうという考えが甘いとは思いませんが、
本当に、本当に、人間一人ひとりが、神様の子だと、信じるならば、
自分と同じくらい、自分以外の人を大切にしなければならないのでは
ないかと思っているわけです。
そう考えますと、自分以外の人が、何か魔法のように、自分に都合よく
動いてくれるということは、そもそも望めるはずがないなあ、と
その考えざるを得なくなると。
私は、そう思っています。
- [79]どん 05/03/04 10:29 g9HtclHZK.
- 続けて失礼します。信仰で病気や事情が解決するのか、という話ですが、
私は幼少の頃大きな怪我をしまして、意識が戻らず、このままでは命が危ない
というところを奇跡的に助かったのですが、私は、それは、
神様が助けて下さったからだと信じ込んでいます。
しかし、トリップさんやさよみさんが仰るように、それは私自身が
そう信じ込むこと自体は、何も不都合はないのですが、それを
真実であるがごとく他人さんに強要できるものではないと、そう思います。
先にも投稿しましたとおり、他人さんも人間だからです。
それにしても、名無しのごんべさんの仰る、「しっかり現実を見て」は、
私も大切なことだと思います。
この世は神の懐住まい、と教えていただいてると思うのですが、
それはすなわち、今の、目の前の現実こそが、神様のご守護だと、
嫌なことや、思い通りにならない、今の事情こそが神様のご守護だと、
可愛い子どもの苦しむのを見てお喜びになるのやないねで、と仰る神様の、
ばち当てではなく、ご守護だと、そう信じるなら、「しっかり現実を見る」しかないと思うからです。
そして、その現実を通じて、神様が、名無しのごんべさんに何を伝えようとしていらっしゃるのか、
神様は名無しのごんべさんの、どんな陽気が見たいのか、
それを思案というか考えて、今日一日を行動することが、信仰することの醍醐味だと思っています。
- [80]植木 05/03/04 20:16 37OIbFOI0k
- 信じ仰ぎ見るには対象が必要でしょうから正面向きあう場所に鏡があるのは
おぼろに映る自分自身ではあるが、おぼろさの中に親の影を偲ぶのも鏡でもある。
対象なく、偲ぶものも無く、一人あるのも結構なこととは思いますが、その境地に
至るまでが大変かとも思います。
ふと親と同じ仕草の自分を発見、指摘される世代、いわゆるおっさん世代になると
親に似た自分も悪く無いと思い始めて来るのか、それが嬉しいとさえ思う気持ちに
なり不思議な心持ちでもあります。
今日ある天理教の方と会食の機会があり、そのおりに英語表記の親神さま<God parent>と
単数での表記が話題になりました、日本的には親と神が一体となった味わいのある言葉
ですが英語表記だとギクシャクした印象があると指摘して置きました。<詳細は割愛>
布教においては名前は大きな問題でもありますから若い才能に期待して、ましては部外者の
私ごときが意見する問題でも無いと思いましたので、興味ある方は考えてみてはどうでしょうか。
その方たちとは来年の再会は奈良でと約束して、楽しい一時が過ごせました。感謝!
- [81]通りすがり 05/03/04 20:49 ZlmtUHQVdQ
- >>70
たしかに信徒や非信徒に関係なく誰でもが気楽に立ち寄れて、おつとめや参拝ができるような場があればいいかもしれませんね。
本当は、各地にある教会がそういう役割なのかもしれませんが・・・
ただ各県にある教務支庁などによっては近辺の人たちに開放的なおつとめがなされているような所もあるようでしたが、
まだまだ、ごく限られた場所にしかないというような印象かもしれませんね・・・
- [82]名無しのごんべ 05/03/05 01:38 pjaERi52QG
- どんさん、貴重な意見ありがとうございます。そうですよねぇ。目の前に
見えている現実、自体がご守護かもわかりませんねぇ。生きて、いろいろ
悩みながらも五体満足な体で生活さしていただいていることも・・・
当たり前と思っていることに喜びを感じ、色んな人に喜んでいただける
人間になりたいと思います。確かにちゃらちゃらし、調子にのっている
ときはそんな当たり前のことに対してありがたいと思った事なんてなかった。
今、思い返せば恥ずかしくもあり、恐ろしくもあります。
そういった事などを教えてくださった、天理教の方には本当に感謝しています。
これを機に人生を変えたいし、別に恵まれてなくていい、いろんなことに、
喜びを感じ、心を錦にできればいいなぁと思っています。有難うございました。
- [83]年収200万円 05/03/05 11:25 WsyqP0ZT3P
- >>82天理教の人間がみんな「善い人」ばかりだと思われては非常に困る。
相談に乗るというのはあくまでも教会の人間の仕事だから。最初のうちは
優しいかもしれんが、だんだん慣れてくると別席だ修養科だ御供だと強要
してくるぞ。この世に真人間など存在しない。気を付けたほうがいい。
- [84]のぞみ 05/03/05 13:20 eERyOy9wIi
- どーでも良い人ならいっぱいいるわよ!!
失礼しちゃうわね。ぷんぷん。
- [85]ぐはぁ 05/03/05 15:04 *Tqh6GrngRv2*nbcIhCrz8r
- デブになってもファンをやめなかった人が無条件に入信したことになる恐るべき宗教・・・・
それが天地真理教!!略して天理教!
- [86]さよみ 05/03/06 06:10 *AA99n4agltU*vm5Gpiaykw
- 年収200万円さん、お久しぶりです。
あなたのおっしゃるとおり、
>天理教の人間がみんな「善い人」ばかり
などということはありません。天理教に限ったことではないですがね。
天理教というレッテルで判断するという点においては「善い人ばかり」
と考えようと「悪いヤツばかり」と考えようと、どちらも現実をみない
誤りです。
な〜んてことは言われなくてもわかってるってとこでしょうが。
- [87]さよみ 05/03/06 06:50 *AA99n4agltU*vm5Gpiaykw
- トリップさん、挨拶が遅れましたがあしからず。これからもどんどん参
加して下さい。
>教えが広まれば組織はなくなってもよい
というのは極論ですが、その通りと思います。(余談ですが、大本の出
口王仁三郎がそのものずばりそう言ってますね)
中山みきは天理教という宗教団体をつくろうとしてこの教えを教えられ
たわけではなかったし、現在の教団は明治政府の国家構想による統制下
で少なからぬバイアスを受けて成立したものなので、教えの実現形態の
一つの可能性に過ぎません。
ただし、無くせばいいってもんでもない。
そうした歴史的経緯と所産に対しては、敬意をもって正当な批判を加え、
受け継ぐべきを受け継ぎ、改めるべきを改め、次代へと繋いでいく必要
があると考えます。
現状への批判者の多くは、組織信仰vs個人信仰という二者択一的な図式
でものを考えやすいけれど、それではダメなんですね。
教えには「どうでも信心するならば講を結ぼやないかいな」とあったり、
原理的にも「二つ一つ=ふうふ」を基礎とし、その「互いに助け合って
陽気にくらす」姿こそ目標とされる以上、この教えは社会的な連帯の場
をぬきにしては実現できないものなのです。
>>70天理一教信者さんや>>81通りすがりさんの指摘される「おつとめ」
や「さづけ」の継承という問題も浮上してくる。
教えについて真剣に思案するとは、そうした実際的な問題について思案
するということも含んでいるのだと考えます。
- [88]さよみ 05/03/06 07:24 *AA99n4agltU*vm5Gpiaykw
- どんさんはまっとうな信仰を持っておられるようなので、とても有り難
いです。どんどん参加して下さい。
>>79
>神様が助けて下さったからだと信じ込んでいます。
しかし、トリップさんやさよみさんが仰るように、それは私自身が
そう信じ込むこと自体は、何も不都合はないのですが、それを
真実であるがごとく他人さんに強要できるものではないと、そう思います。
先にも投稿しましたとおり、他人さんも人間だからです。
あなたが体験を通して神を信じることは、とても自然なことだと思いま
す。
そして、それを他人に押し付けられるものでもないと自覚されているこ
とに共感します。
>>49でちらっとふれましたが、神があるならばその姿をみせてみろ、と
詰問された高弟が中山みきに問うたところ、
「神はあるといえば在る。ないといえば無い。願う心の誠から見える利
益が神の姿や」とこたえた、と伝えられています。
こうした体得的なものとしての教えの側面は、当人にとってはありあり
とした実存的なものとして確かに感じられるものでありながら、そのそ
とにあるひとにとっては理解しがたいものです。
ここにある、伝達の難しさ、に気付くことはとても重要なことのように
思います。
- [89]さよみ 05/03/06 08:05 *AA99n4agltU*vm5Gpiaykw
- 植木さんもこんにちは。
随分前の書き込みへのレスです。まとめて。
アイヌやネイティブ・アメリカンの世界観や儀礼との類似は認められま
す。これについてはレヴィ=ストロースやM・モースの研究を手がかり
に考察している途上です。ただし抑圧された先住民の末裔が秘匿してき
た秘儀が開示された、というふうには考えません。
安倍晴明ともさしあたって関係がないでしょうし、梅鉢紋は教理上の意
味はなく、また五芒星が隠されているわけでもないでしょう。
三輪山など日本神話との関連では、地勢的に少し北すぎるのではないで
しょうか。
神棚の位置については戦後になってから、おそらくイスラームのモスク
を手本にしてぢばの方向に統一するようになりました。それ以前は特に
方角は決められていません。ちなみに方角・日時などの吉凶ははっきり
と否定されています。
かぐらづとめに際して「くにとこたち」と「をもたり」さまが、南北に
位置するため、南北が重視されているようにも見えますが、これは本来、
天地に位置するのが妥当だがそれが不可能であるための代替措置であろ
うと思われます。またある時期まで天理教の正門は本部神殿西側にあり
ました。
新興宗教でなくとも世襲は多いと思います。東大寺や興福寺、浄土真宗
なども世襲です。
>>80 楽しい時間を過ごされたようで何よりです。<詳細は割愛>の部
分の詳細を希望します(笑)
- [90]か 05/03/06 15:54 7pcLWX9wIi
- http://yousun.s82.xrea.com/cgi-bin/patio/patio.cgi?mode=view&no=68
アニョハセヨ。
- [91]本橋ファン 05/03/06 17:00 PL7fVjyzH7
- さよみ大先生さま、皆さま、御元気ですか。突然ですが、また新たにhttp://t-nara.bbs.thebbs.jp/1104468060の
スレッドを立てさせて頂きました。もし万万が一御時間のある時はいつでも御越し下さい。御待ちしております。
それから最近、大先生さまの御用の方が大変御忙しいようなので、御体には十分、御気を付け下さい。これからも
平成の中山みきさまとして御活躍をお祈り申し上げます。
- [92]植木 05/03/06 19:48 37OIbFOI0k
- はしょって説明すると↓こんな感じです。
子供と両親がそろっている家庭の方が少数派になってしまった米国では
公共の施設ではサンタ・クロースとミセス・クロース両方そろいでないと
差別扱いに成りかねない状況になって来ています。
両親よりも保護者としてPTAをGTAとした表記も見受ける昨今です
God<大文字のG>には元々単数の意味がありますので重ねた単数形表現が
しっくりこない、なじみの無い<ある意味当然>そんな印象があります。その他、文化論でした。
有名な日本語英語のスキンシップ等と同等な印象があるとの大意です。
同じくバージン・ロード<これも日本語英語>等もあがりましたがこちらは説明すると好印象ありです。
「天子南面す」。すると左が東<日が昇る陽>と古来の日本、中国に見られる左上位<左優位>が
天理教にそれが残っているなら他の事も残っているのでは思っています。
かつて「かんろだい」には柱が建っていた。等もそれらの原型を歴史に見ているだけで教祖の霊感を否定する
意味合いからでは無く、その古来<古代>とのシンクロ・ニシティーぶりにロマンを感じます。
キリスト教がユダヤ教から発生したのであれば、ユダヤ教は古来、拝蛇宗教でした。
蛇は変身、再生のシンボルとして現在でも残っていますし地を這う事から土地の象徴でもあります。
その蛇が山であり土地であり神であっても不思議ではありません。
ましては大蛇はオロチと呼ばれイノチのチ<父>を引き継ぎ、イきる、ためノ、チち<乳>と変化する神でもある。
古来の日本を天理教が引き継ぐとすれば両宗教に創世記が残るのは偶然とは思えない!!と、はしゃぎ過ぎるのでこの辺で。
- [93]名無しのごんべ 05/03/08 23:19 NTzKZrIMPr
- 相談にのってくださった皆さんどうもありがとうございました。これからの
人生、信仰の参考にさせていただきます。ありがとうございました。
- [94]2 05/03/09 17:18 /7Xb16MnBN
- 天理教ってやばいよ
- [95]無神論者 05/03/10 02:22 T0PhQrCk/T
- この世の中に神様はいると思うし、神、仏は存在するとは思うが、結局
自分自身だと思います。天0教も結局、人助けとか言ってるけど、教会で
悩みとか聞いてくれるけど所詮はそれが仕事・・信者ずくりのひとつの
方法でしかない。初めは優しいがあとは飼い殺しのようなもの。そして
気に入らないとか、教会の思惑道理に信者が動かなかったりすると、その
信者の悪口、その人が本当に悩んでいる事情とかをいいふらす。まさに
偽善者という言葉がぴったりの宗教だ。皆さん天0教はやくざとおなじ
です。人に恩を売って何も言えなくなるようにする。恐るべし新興宗教
天0教です。人助けとか言ってるけど所詮は他人事です。信者が思惑
どうりに動かなくなると、ありとあらゆる手段をつかって手をまわして
きます。ほんま、やくざと同じやんけ。
- [96]名無しのごんべ 05/03/11 05:24 8jEUrhJM3q
- 無神論者さん。それは言い過ぎではないですか。天理教を断片的にだけ見て
そういう書き込みはあまりにも過激すぎるのではないでしょうか。僕も色々
疑問に思うことなどがありましたが、しばらくたってみて考えてみるとあ-
そういうことだったのかと、自分の未熟さを思い知らされる事がよくあります。
僕なんか天理教に関わってまだまだ日にちが浅いのでよくわかりませんが、
信仰というものは本当に奥が深いと思います。僕は色々疑問に思ったり、受け入れ
られない事もでてくると思いますが、自問自答しながら天理教の信仰をやって
いきたいと思っています。えらそうな事をいってすみません。
- [97]どん 05/03/11 11:59 xfB7OFiQs/
- 無心論者さんのご意見、考えさせられます。
名無しのごんべさんのおっしゃるように、ちょっと過激な気はしますが。
たぶん、人助け、という言葉の解釈が、人によって随分違うということでしょうね。
自分は教会長だから、相手よりは多少なりとも教理を勉強してきたから、
年上だから、親だから、だから相手さんに教えさせて頂く、導いて差し上げる、
間違いは指摘させて頂く、というのが、人助けだと思っている人もいらっしゃる、
ということでしょうね。
- [98]名無しのごんべ 05/03/11 22:02 8jEUrkk4C5
- どんさんいつもありがとうございます。どんさんは天理教について詳しい
みたいですが、無神論者さんがおっしゃておられるようなことも実際に
あるのでしょうか。もしあるとするならば少し残念です。いつも質問ばかり
ですみません。どうかお教えください。そして無神論者さん否定的な意見を
書いてすみません。人それぞれ、考え方、感じ方は違うものですもんね。
失礼致しました。
- [99]はな 05/03/11 22:33 zZHrYG0u7E
- 初めまして,はなです。
このページはよく見させてもらってます。
私は,天理教を多少信仰している者です。
無神論者さんのおっしゃっていることは,大なり小なりはあるのでは
ないでしょうか?
過激な発言になるかもしれませんが,教会というものが存続し続けら
れるのは,やはり信者がいるからじゃないでしょうか。
そうすると,教会が存続していくためには信者が必要となり,信仰を
続けてもらうためにあらゆることをするのではないでしょうか。
そのために少しお道の通り方とはずれたことをする方もいらっしゃる
のではないでしょうか。
ところで,名無しのごんべさんは,素敵な教会の方に出会わせていた
だいているようですが,どうして天理教に入信するきっかけになった
のですか?
- [100]名無しのごんべ 05/03/11 23:28 NTzKZZ.wql
- はなさんはじめまして。詳しいことは言えませんが、僕の場合は事情です。
弱っている自分に、本当に暖かい声をかけてくださり、見ず知らずの自分
に親身になって相談にのってくださり、本当にありがたかったのです。
僕も教会の裏表を多少なりとも見ましたが、結局自分自身だと思うのです。
社会でも同じ事が言えるのではないでしょうか。嫌なことがあっても、
いちいち人を恨んだり悪く思っていると、いい方向には進まないと思います。
だから僕はできるだけ人の事を悪く思ったり、恨んだりしないようにしています。
とはいっても、なかなか思ってるとうりにはいきませんが。えらそうな事
言ってすみません。失礼しました。
- [101]どん 05/03/12 01:50 xfB7OFiQs/
- 名無しのごんべさん
詳しいなんてとんでもない、修養科も出ていませんし、家は布教所です。
ただ自分の思うところを投稿させていただいています。ともに進みましょう!
さてご質問に対して、これまた私なりの意見ですが、私の知る限りでは、
教会の人達が、悪気無く、本当に善意から、これこそが教祖のお喜びくださる方法だ、
と信じながら、そういうことをしていることはあると思います。
その、信じる正義というか価値観に照らし合わせて、間違っていると思しき人が、
全く行動を変えないなら、そこは人間ですから、俺がこんなに言ってもあいつは
わかってくれない、とか、このままではあいつは救われない、とか、
そんな風に考えて、あの手この手で要求がましく接してしまうということだと思います。
そんな訳で、はなさんの仰る、教会運営が職業となっていて、すなわち生活のための
手段としていろいろ言ってくる人というのもあるのだろうとは思うのですが、私はむしろ、
全き善意として、いろいろ言っている人が多いのではないかな、と思っています。
そして、そういう扱いを受けた人が、なるほど自分は間違っていた、心入れ替えようと
思ったならば、それは何ら不都合なことではないと思うのです。
しかしそうではなくて、その人は、これはちょっとおかしい、と、そんなことでは
教祖はお喜びにならないはずだ、と思ったならば、結果として、無神論者さんの
仰るようなケースになるのではないかと思います。
さよみさんも仰っていましたが、伝達するということは本当に難しいと思います。
自分が信じる善悪を、価値観を、他人に伝えるというのは本当に難しいことです。
例えば、私が、○○することは善である、と言うのは自由なのですが、私がそう
発言した途端に、相手が、いや○○することは悪である、と発言する自由を
認める責任が生じると思います。そうでないと不公平ですから。
人間関係はそうした公平な、対等な関係においてこそ、円滑なコミュニケーションが
できると思うのですが、信仰の世界では普遍の正義を説いたりしますので、
どうしても他人に対して不寛容になってしまうことがあるように思います。
自分の意見と同じくらい、他人の意見も大切に、真摯に受け取りたいものです。
- [102]名無しのごんべ 05/03/12 07:20 15isceWf8C
- どんさんありがとうございます。ぼくは以前にも書いたように事情で天理教
の門を叩きました。はやり自分ではどうしようもなくなった事情で入信して
いるわけですから、それまでの通りかたはどう考えても誠に通ってきたものでは
ありませんでした。ですから教会のかたがよかれと思って仰ってくださった
ことでも何をいっているのかわからず、何でそんなことまで言われなければ
ならないのかと思ったことが何度もありましたが、あるとき、ふと自分が
間違っている事にきずき、素直に聞いとけばよかったと思うことが何度も
ありました。だから、誰に対してもそうですが、ひとまず、言って下さる
事を素直に聞こうと思います。教理の事なんか全然わかりませんが、とにかく
自分でつくった事情で天理教の方々に導いてもらったんだから、一人の人間
として、今までとは違う人間になれたらいいなぁと思っています。
- [103]無神論者 05/03/13 21:10 15isc5gTW2
- しかし、教祖様のように人のことばかり考えている人がいるのであろうか。
教会の人だって所詮は人間。昔のおたすけ体験談を本当に苦労したと自慢
げに人に話す。それって、普通の仕事であの時は大変だったよなぁ、俺は
こんな難しい仕事をしたんだぜっていう、自慢と同じ。だから、教会の人
も一職業です。初めは優しく、どんなことでも解決してあげるみたいな事
をいい、表面では優しく、影ではぼろかす。教会にとって都合の悪い事、
決して、明快な解決策など、その問題が解決して、教会から離れてしまわれ
ては困るため、絶対に言わない。とにかく神さんを拝みなさいという。
それがいわいる洗脳。本当に人助けが主旨ならば、上に書いたようなやりかた
は、間違ってはいないのだろうか。皆様ご意見をお聞かせください。
- [104]あ 05/03/14 00:27 54VGZDXXnq
- 無神論者さん、
"どんなことでも解決してあげるみたいな事をいい、"
なんてこと誰もいわないでしょう。
- [105]どん 05/03/14 11:19 d6UB5TXpUH
- 「人助け」とはどういうことか、という問題だと思います。
他人の要求に応じてあげることが人助けなのか、それとも、
普遍の真理があって、それに導くのが人助けなのか、
ということだと思います。
他人の要求に応じてあげることが、手っ取り早い「人助け」だと
思います。
昔のおたすけ話を自慢げに話す人は、実は人を助けたいのではなくて、
聞いてる人に「そりゃすごいですね。」と誉めてほしいわけでしょう。
人助けがしたい人ではなくて、助けてほしい人なんでしょうね。
とすると、「会長さん、すごいっすね。」と言って差し上げることが、
人助けになる訳ですが、そんなこと、言いたくありません。
なんでそんな奴にお世辞言わなあかんねん、と思ってしまいます。
そんな自慢話するより、道端の空き缶ひとつでも拾いはったらどうですか、
と言いたくなります。
すると、そんなこと思っている私は、会長さんを助ける心が無い、という
ことになる訳です。どうでしょう。
相手の望むことしてあげたら喜んでもらえるんですが、私達は往々にして、
自分が相手に望むことを、考えたり発言したりしてしまいます。
それも自分の信じる真理に照らして、です。
私の場合は、会長さんの自慢話を聞いてあげてもいいのに、空き缶拾えと、
自分なりの正義に会長さんを導こうとしてしまっている訳です。
本当に、難しい問題だと思います。
- [106]一天理教信仰者 05/03/16 20:43 .gtHFrZrsd
- 相当にスレッドが進み、さよみさん達が既に大半、詳細・適切な書き込みをして下されましたが、少し私の思うところも書かせて頂きます。
まず「信仰の世襲制」ということについてですが、確かに身近な家族・立場であればこそ、誤解少なく信仰を伝えやすい面はあると思います。
ただ私自身も教会長男でしたが、神の存在や天理教など嘘だと思っていた頃には、教会後継問題に希望や逃げ道が全くないように感じ、
いずれ教会を飛び出さざるをえないか、ひどい時には合法的に自教会を廃止できる方法はないだろうか、とまで考え悩みました。
今は天理教信仰自体に確信を持ち、他職と兼務ながらも教会との関わり方も自分なりの折り合いをつけられるようになってきましたが、
これは結局、やはり本人自身が信仰に心底からの納得や魅力を感じられるか、そして周囲環境の影響も少なからずあると思います。
ですから、教会後継というものは決して教会子弟に限定はできないと思いますし、限定すれば無理が出てくるケースもあると思います。
また、教団に対する批判にありますように、もちろん天理教の過去においては、行きすぎた信仰などがあったのは事実だと思いますし、
現在でも、人間や組織を見た場合には、そのように不信感や幻滅を与えてしまうような場面もあってしまうのは事実かもしれません。
実際、純粋に人助けされている本当に素晴らしい教会もあり、逆に人に負担や苦痛を与えて苦しめてしまっているような教会もある。
どちらも事実だと思います。
そして、だからこそ、(教団組織の状態がどうあれ)常に私たち人間の救済ばかりを純粋に願って下されている「親神様」と、
その親神様の「教え(天の理)」だけをしっかりと見つめること、そして(純粋・無条件な形で)伝えていくことの重要性を感じます。
やはり、「親神様・教え」こそを真の拠り所とした上で、(少し心に余裕をもって)教団組織と関わっていくことが理想なのだと思います。
常に親神様は私たちの心の中までを全て見抜き見通した上で、きちんと長期的視野で公平に見分けて導いて下されているわけですから、
この点だけは絶対に安心・信頼して歩んでいくことだと思います。
あと、先にありました「神というのはあると思えばある。無いと思えば無い。」という言葉に関しては、
正確には「あると思っても、無いと思っても、確実に神は存在する。ただ、信じていないと神の働きを見せて頂きにくい、気付きにくい。」
という表現の方が誤解がないように思います。たとえ相手の人がどう受け取ろうと、「神の存在」だけは断言しておくことは大切だと思います。
また、私は「親神様という神」については、「この世を始めた神」という言葉から、シンプルに「唯一なる創造主」としての神として拝しています。
そして現実には「親神様の布石」によって、既に世界の多くの人々が(様々な様式・呼び名で)親神様を拝しているのが事実だとも思いますし、
それぞれの宗教には、(各宗教独自の生み出してきた)かけがえのない貴重な文化や素晴らしい雰囲気等があると思います。
そして宗教だけではなく、他の分野をも含めて、適時・様々なインスピレーション等を与え、人類の救済・成長を導かれてきたのだと思います。
(そのような親神様の「人類に対する絶妙な導き方」を考えれば、正に「創造主」という名にふさわしい方だと思います。)
いずれにしても、「親神様(創造主)の存在と、親神様の全人類に対する完全なる親心・愛情」というシンプルな真理(事実)こそを、
どんな他の思想や批判にも揺らがされない形で、常に「全人類が知っておくべき知識」の最も上に置いておくことが大切な使命だと思います。
(天理教者の使命とは、どんな場合でも「親神様の存在と親心」を「絶対的な断言」をもって伝えていくことに尽きる、とさえ思います。)
そして天理教に関わらずとも、そのような「真理(神・世界の本質)」に気付き、唱えている人達や宗教も他にあると思いますが、
そのような考え方が正しいと言うことを「創造主(親神様)からの直接的神言」で裏付けしているのが「天理教の教え」なのだと思います。
- [107]一天理教信仰者 05/03/16 22:07 .gtHFrZrsd
また、トリップさんをはじめ様々な方も言われている通り、信仰においては、まず一切の固定観念や惰性を抜きにして、
常に「事実・真実」を確かめようとする冷静・理性的な考察・態度は大切だと思います。
そうでなければ、その信仰は単に惰性的・盲信的なものであるかもしれないからです。
「信仰の確信」に関しては、全ての天理教信仰者が一度は(自分自身で)冷静に納得いくまで確認・検証した方がいい事だとも思います。
「教理」に関しても「教団事」に関しても、常に冷静に「事実・現実」を見つめ、「事実・現実」を伝えていくことが大切だと思いますし、
そこからこそ、本当の意味での前向き・確信的な信仰は出てくるのだと思います。
そして、「天理教信仰において一番の目標としていくもの。親神様が私たち人間に最も望まれているもの」とは、
「真実に人を救ける心なら、神の口説きは何もない」
と「おふでさき」に明確に表現されていますように、何よりも「人(社会)を救ける心」であり、
「教団組織」や「天理教信仰」というものも、その「具体的実践」を目指していく為の一つの「手段」にすぎないとさえ思います。
ですから、教団組織に属しなくても「親神様の思召しに適った生き方」は出来ると思いますし、実際にそういう方々も多いと思います。
しいて天理教者と非天理教者との違いをあげるとすれば、
天理教者は(末代の人生指針・救済の元となる)「親神様の存在。天の理の教え」を知り、人に伝えていけるという点ぐらいかもしれません。
そして冷静な現実認識をした場合、「親神様・教祖の大きくて完全なる親心」に比べれば、
「教団組織における信仰・救済」というものは、常に「不完全、かつ(条件付きの)狭いもの」であるとも断言できるように思います。
「天理教信仰の真実性」を客観的に誤解なく社会に伝えていく為に、様々な教理的説明も試みていきますが、
教祖が「本当の信仰をしていく為の条件」として「(親神様のことを)自分を生んでくれた親と同じように思うこと」と言われましたように、
「天理教信仰の本質」とは本当にシンプル・純粋で、素朴なところにあると思います。
(また、その為に親神様も、御自身のことを「月日」や「親」という親しみやすい言葉で表現して下されました。)
親神様はどんな場合でも、常に私たちの「心からの救済」だけを願い見守って下されている。という事実を知る事が一番大事だと思います。
また組織や人間の不完全性・限界を考えた場合、「親神様との一対一の関係」を自覚して頂くことに賭けるしかない場面も多いと思います。
実際、宇宙をも造られた方が、本当に小さな存在である私たちの、それも本当に日常の細かな部分にまで配慮して下された働きを見るたび、
そして特に肝心な場面では、正に言葉通り「一分一秒もの狂いないタイミング」で働いて下されているように感じるたびに、
「感謝」という言葉さえ越えて「驚き」という他はないと思います。
特に私自身のことを考えた場合にも、完全に他職をも兼務し、決して充分に教会事には従事させて頂けていないであろうにも関わらず、
他職上の場面においても、自力だけではありえない不思議な働きや縁のお陰で今まで奇跡的に救われてきた過去を振り返った場合、
親神様の御心というのは(私たち人間が考えている以上に)本当に「計り知れないほど大きな親心」であると実感しています。
- [108]トリップ 05/03/18 01:45 SKtimUMks7
- >>106>>107
このへんは、結構濃いところなんだよね…。
天理教がどうの、ではなく、宗教の体質の一つとして、なんだけど。
重要なのは、天理教の教えの中にある「考え方」の広まりなのか、
天理教(組織媒体と言う意味でなく、>>107であるように親神様という存在。天の理の教えを真とすること)という信仰が広まるのが重要なのか。
両方、といわれればそれまでなのだが。
このスレでの天理教の話で私が感心しているところは、一神教にしてはかなり珍しく、教えや思考の柔軟性が在ることですが、
どうじにまた、一神教が持ってしまう質が、受け入れないところでもある。
>>106、>>107でも、私はその点に引っかかっています。
ポイントは、「事実・現実」という言葉です。
また、私が非常に感心しているのは、さよみさんの>>49にある、
>信仰する立場からはそれらは疑いようのない確かな実在であ
>るけれど、
という記述。
私の持論ですが、
「信仰するがゆえに成立つ「事実・真実と信じていること」と、「事実・真実」は、常に別格であり、よって、信仰は否定されない。」
というのがあります。それに非常に共感を感じえたのですが、私の勘違いでしょうか。
うーん、さらに興味深くなってきた。
- [110]ららら 05/03/20 00:02 M115pA0GFV
- すんません。ちょっと話はあいませんが、
自分は天理教の学校に通わせて頂いてる、2年男子です。
自分は今、「夢」と「お道」のどちらをとるか
すごく迷っています。同時進行してもいいですが
その行き着く先が違うのです。自分はラップがやりたくて
今は学校を辞めることすら考えています。ですが
自分の家は教会で、何回も親神様に助けてもらったことがあります。
どれをとっても「本間に不思議やなぁ・・・」ってことばかり。
明らかに親神様の御守護としかいいようがないんです。
しかし、自分勝手な自分は、あれだけ親神様に助けて頂いておきながら
自分勝手に夢に向かって歩いているのです。
今が分岐点です。高校3年。
ラップをするか、このまま専修科に行くかです。
自分的には、このまま専修科に進学して、親神様にご恩返しするため
ようふぼくなって親神様の教えを世界中に広めるように
一生懸命努力するという道の方が、大事なことだと思うのです。
ラップはただの自分の「好きでたまらない」こと。
これって、やっぱり思案すべきところがあるのではないのでしょうか?
- [111]プロサルファーゴル 05/03/20 07:15 DWnspcFiA6
- オハヨウカウンターパンチイー!!o( 。・o・)==○) °ο°)☆グハァッ゛
私も仲間に入れてくださいな(((((o≧▽≦)o≧▽≦)o≧▽≦)o
- [112]さよみ 05/03/20 07:48 *AA99n4agltU*LQ4ogmc7Z8
- >>110 らららさんはじめまして。
ラッパ−であることとよふぼくであることとはなんら矛盾も分離もしま
せん。
現在、おさづけの理の拝戴者を「よふぼく」と呼称しますが、これは希
望的に意味をオーバーラップさせた呼び方ですから、あなた自身が本来
的な意味においての「よふぼく」としてのつとめを果たしていけば善い
んだと思いますよ。
「好きでたまらないこと」に専心して「生かされる喜び・救けられた喜
び」を表現できるように頑張っていただきたいものです。
- [113]さよみ 05/03/20 07:57 *AA99n4agltU*LQ4ogmc7Z8
- >>111 プロサルファーゴルさんはじめまして。
「オハヨウパンチィ−」じゃなくて「オハヨウカウンターパンチィ−」
ってとこにやられました(笑)
また想うところがありましたら遠慮なくご参加下さいね。
- [114]どん 05/03/20 07:57 3mlfECpCTs
- >>110
らららさん、どっちでもいいと思いますよ。
私よく知らないんですが、専修科っていつでも入れるものなら、
1年なり3年なり期限を決めてそれまで一人暮らしのフリーター
をしながらラップをとことんやって、期限が来たら専修科に
入るというのもひとつではないでしょうか。
一人暮らしのフリーターというのが私としては大事なんですが、
というのは、らららさんのおっしゃる布教をしようと思ったら、
お金を稼ぐことや、掃除洗濯炊事などの家事は経験しておかねば
ならないと思うからです。
- [115]さよみ 05/03/20 08:24 *AA99n4agltU*LQ4ogmc7Z8
- >>108 トリップさんの持論
「信仰するがゆえに成立つ「事実・真実と信じていること」と、「事実・
真実」は、常に別格であり、よって、信仰は否定されない。」
わたしもそう思います。
科学的な「事実」と信仰的な「事実」は、同じ「事実」という言葉を使っ
ているけれど、種類が違うんだと思います。
この場合、どちらか一方だけが「真実」でもう一方は「誤り」というよ
うな判断は、それこそ「誤り」でしょう。
宗教や信仰をかたるときの困難さの一つの原因は、これを混同し、それ
によって一方を断じることによっているように思います。
「科学的事実と信仰的事実との違いに自覚的であること」を世間人とし
てのわたしは考え、
「どちらか一方に偏ることなく『二つ一つ』を志向すること」を信仰人
としてのわたしは思案します。
「信仰的事実は、意味の次元において真実」だと考えます。
- [116]ららら 05/03/20 11:09 M115pA0GAe
- >>112
しかし、ラッパーというのは人様をけなして、スラングを使い
論争の渦を巻き起こし、自分の好きなことをして
気に入らないものは徹底的に排除する、というのがMC ラッパーです。
明らかに親神様の思し召しに叶わないのでは・・・
それにそれでは何のための教祖のひながたかわかりません。
- [117]プロサルファーゴル 05/03/20 12:19 a61segzJ.U
- 6("ー ) エェー ( -")ノ フルハタデスゥー...
では教理を教わったものとしての疑問です。
かしものかりものの理についてなんですが
喫煙やピアス、刺青などどう思いますか?
個人的にはNOなんです。
だって親神様からお借りしているこの身体でしょ?
目に見える傷や身体の内部に毒な事をしていいのかしら?(。'(ェ)'。)ん?
って思うんです。こういう考えは間違っているのでしょうか?
教会長さんや本部の先生でもプカプカとタバコを吸われている様を見て
誰にも聞けずに悩んでます。
個人的な見解でも教理的な答えでも構いませんので意見をお願いします。
(; ̄ェ ̄)_|[PC]| 検索中・・・
- [118]ららら 05/03/20 16:40 M115pA0GOf
- 良い訳ないじゃないですか。
教祖がいたらどう思われて、どう悟されるでしょうか。
しかし、たいがいの方はなんだかんだ理由というより屁理屈を並べ
喫煙や飲酒を合理化してしまう。
しかしまぎれもなく、喫煙、飲酒は人間の体を蝕むもの。
親神様にお借りした体への破壊行為。
親不孝もいいところです。
どれか2つ3つをやるのではなく、教祖が自らたどられた
ひながたの道を、自分たちは謙虚且つ忠実に
辿っていくべきではないでしょうか?
- [119]プロサルファーゴル 05/03/20 19:02 MNprzBeMQ7
- ですよね〜☆^∇゜)ニパッ!!
賛同者がいてくれて嬉しいです(*^0^*)
でも修養科とか講習とか行くと未成年がプカプカと喫煙している姿が
当たり前のように展開されています。
周りの「先生」やら勤務者は見て見ぬふり。
私は一度修養科時代に相部屋になった人が未成年で保護観察尽きのいわゆる
「ヤンキー」少年だったんですね。
で、同じ部屋になるにあたって「タバコ吸わないよね?」
って聞いたんです。すると彼は「当たり前じゃないですか。未成年ですよ。」
って。で、安心していたのです。ところがある日現場を目撃。
こういうのがどうしても許せない心の狭い私は、かといってどうも出来ないので
先生に相談しました。すると「う〜ん、こればっかりは難しいねぇ」
とか言って逃げて結局本人に注意すらしてもらえませんでした。
法律でも禁止されていることですら容認してしまう今の天理教の実態。
今も続いています。修養科棟や講習棟に行って見てください。休み時間は煙の館です。
これでかしものかりものだと言われても…って感じがします。
私は天理教の教えが素晴らしいと常々感じております。
しかし信者さんや信者さんになろうとするような人に甘い一面もあると思いませんか?
けれど上の人は「自分が心を治めさせていただきなさい」とさも偉そうに言うのです。
上の人になれば(元々上下という考え方自体存在しないと思うのですが)
心を低くしなくていいのでしょうか。私はそうは思いません。
今おぢばで御用をつとめていて感じることは多々ありますが、
少なくとも自分はこういった社会にのまれないように親神様教祖を見つめ
その道を辿らせていただきたいと考える次第であります。
- [120]トリップ 05/03/20 20:54 tULY/q.9Yo
- >>110らららさん
うーん。この問題こそ「組織」に属す必要はない、といういい例だと思うんだ…
少なくとも、『ただの自分の「好きでたまらない」こと。』を信仰としての恩返しや責任的な考えでやめようとするのは、
宗教の悪しき風習を見せられているようで切ない。
もちろん、そうすることが「好きでたまらない」ことをやめてでも「したいこと」であるなら別だが。
私は無神論者だが、このスレの方々は正義や真理、義務というより、「好きでたまらない」から天理教を信じているのだという印象を受けていたが違うのだろうか。
それが、私がここで非常に共感、感心している部分だけに、そう願う。
>しかし、ラッパーというのは人様をけなして、スラングを使い
>論争の渦を巻き起こし、自分の好きなことをして
>気に入らないものは徹底的に排除する、というのがMC ラッパーです。
ヒップホップの一つに過ぎない。
ラップがそれまでのヒップホップの主流と大きく違ったのは、アンチテーゼを主題にするようになったとこ。
言いたいことの雰囲気はわかるが、上記に書かれてることは、ラップの持つ全ての要素を悪的表現に置き換えすぎている。
これとほぼ同じ文面で、表現をかえるだけで与える印象は全く違うものになる。
ただ、天理教的にどうかはわからんので、さよみさん他にまかせます。
>>117>>118
ちょっと宗教的危険要素を感じた。
これは、社交場のモラルとしてのみ考える問題だと思うがどうか。
- [121]トリップ 05/03/20 21:10 tULY/q.9Yo
- >>115 さよみさん
>この場合、どちらか一方だけが「真実」でもう一方は「誤り」というよ
>うな判断は、それこそ「誤り」でしょう。
正確に言えば、お互いがお互いに干渉できない、ということですね。
だから、干渉してきた場合は一方的に誤りだといえます。
例えば、「信心によって、良いこと(奇跡的出来事)がおきた」というのを、
科学的・論理的事実として言った場合、「誤り」です。
ですが、それぞれの宗教の「神」の存在を、科学としての意味で「事実」とするのも誤りです。
信仰・観念としての存在の「奇跡」や「神」を、科学が否定するのも、「誤り」です。
証明する必要がないので。
科学的事実の主張は、証明が必要だが、信仰としての事実は、事実と信じるだけで良い。
土俵が違うというのを理解せず同じ言葉を使っているため、信仰者、非信仰者の会話が成立しづらいのです。
それが改善されるだけで、そのコミュニケーションは全く違ったものになるでしょう。
- [122]資料集発見 05/03/20 23:13 LQ4ogphw.5
- http://www.geocities.jp/welcomekamuro/
- [123]トリップ 05/03/21 03:42 tULY/q.9Yo
- >>121
>ですが、それぞれの宗教の「神」の存在を、科学としての意味で「事実」とするのも誤りです。
「ですが」は日本語的に辺ですね…「また」が正しい。
- [124]プロサルファーゴル 05/03/21 08:50 a61seOl68Q
- ―( ^-^)-(~-~)-(・_・ )-サンキョウダイ
>>トリップさん
>ちょっと宗教的危険要素を感じた。
>これは、社交場のモラルとしてのみ考える問題だと思うがどうか。
とは具体的にどういう事でしょうか?
教理とこれとは関係ないという事ですか?
- [125]SIZE 05/03/21 13:24 M115pA0GjO
- さあさあ月日ありてこの世界あり、世界ありてそれそれあり、
それそれありて身の内あり、身の内ありて律あり、
律ありても心定めが第一やで。
と言われてますが、法律でも禁止されている
さらに、体を傷つけるなんて行為は到底親神様の理にそうものではない。
タバコにおいては、百害あって一利なしどころか、実質には
二百害あって一利なし、となる。
誰がなんと言おうと体に悪いのは目に見えている。
いくら寛大で自分たちの親だからといって
ずっと待っていてくださるのでしょうか・・・。
これが人間の親なら、とっくのとうにぶち切れているに違いありません。
親神様だからこそ、人間の心の成人を待っていてくださるのです。
自分たちは少し悠長すぎるのではないか・・・
- [126]ららら 05/03/21 13:25 M115pA0GjO
- SIZE=ららら
- [127]ららら 05/03/21 13:50 M115pA0GrU
- ちょっと話が分かりづらいと思うので、ちょっと砕いてみます。
例えば、親神様と自分たち人間を本当の一つの家族としてみてみましょう。
世界一列は皆わが子、世界の人々は皆兄弟。
とするとどうでしょう。今、親神様の家庭内はぐちゃぐちゃです。
ある子はタバコをすったりお酒をかっくらってます。親の言うことなんて
聞こうとしません。あきれていると今度は、違う子供らが
同じ家の中なのに、いたるところに線を引き、
さも自分の土地かのように主張しています。さらに違う子たちは
自分の兄弟を、その高が「場所」のために殺し合いをしているのです。
さらに親に追い討ちをかけるが如く、刺青、ピアス、麻薬、
兄弟内のイジメ、互いに自分以外を信じることが出来ない。
それを、自分が親になった気持ちで考えてみてください。
どうしますか?子は、自分のことを親とも思わず、
すこし注意してもすぐに忘れる、兄弟同士で
憎みあい、妬み嫉み、殺しあう。それが自分の子供たちなら
普通の親なら、あきれ果てて、自己嫌悪、そして投げやりに
子供たちを見捨て、自分は正常ではいられなくなるでしょう。
ましてや、もうそれが自分たちの子供だなんて思いたくなくなるでしょう。
それなのに親神様は、まだ子供、はやく成人しておくれ。
と、子供がかわいいうえから、天の理を悟し、子供の成人を
まだかまだかと待っておられる。
その果てしない親心にそうように、世界中の人に親の存在を教え、
親神様へのご恩返しをするべきなのではないでしょうか。
自分のような17歳のケツの青いガキが、ここまでわかるのです。
もっと、もっと教会本部、全世界のよふぼくは
しっかりと親神様をみつめ、ひながたの道を辿るべきじゃないでしょうか?
自分たち子供のために、身を削って艱難苦労の道を通られた
教祖に顔向けできる生き方が出来ているでしょうか?
もう一度、親神様、教祖を見つめなおし
心の誇りをはらって、親神様の思し召しにそわしてもらうよう
おつとめさしていただくべきだと、自分は考えます。
「にちにちに心つくしたものだねを 神が確かに受け取りている」
「しんじつに神の受け取るものだねは いつになりても腐る芽はなし」
「だんだんとこのものだねがはえたなら これまつだいのこふきなるぞや」
- [128]プロサルファーゴル 05/03/21 13:58 a61seqcUxZ
- らららさん
はじめまして。
おともだちの事どう思いますか?
あなたならこの質問の意味がお分かりになると思います。
- [129]トリップ 05/03/21 16:06 tULY/Vqkds
- >>127
自分のやりたい事をやめないと出来ないことなのか?ということ。
また、前述したとおり、やめて専念することが「自分のやりたい一番のこと」で在るならば問題ない。
義理や負い目からプロ野球選手をあきらめることと、もっとやりたいことが見つかってプロ野球選手の夢を断念すること。
この違いの話に過ぎない。
>世界中の人に親の存在を教え、親神様へのご恩返しをするべきなのではないでしょうか。
前述の通り。また、それが「全(善の誤字ではない)」としての在るべき形にするのは薦めないが。
宗教が人生の糧となっているのならそれでいいが、それが逆になってしまったら本末転倒。
宗教は人生の為にあるのであって、人生が宗教の為にあるのではない。
>煙草、酒、場所、刺青、ピアス、麻薬、兄弟内のイジメ、互いに自分以外を信じることが出来ない。
たとえ話だから仕方ないのかもしれないが、上記に挙げられた問題について、
全てが悪意的な捕らえ方にしか見えない以上、本当にたとえにしかならない。
>自分のような17歳のケツの青いガキが、ここまでわかるのです。
決して「わかっている」のではないということを、よく理解したほうがいいと思う。
そう「考えた」だけだ。これは、宗教とは別の問題だ。
言葉そのままで言えば、17歳のケツの青いガキの考えとしか感じなかった。
それを、宗教として天理教を「わかった」うえの結論というのなら、天理教で無い私は、天理教という存在の評価を改めなければならない。
- [130]プロサルファーゴル 05/03/21 16:33 a61segQZWJ
- >>トリップさん
かしものかりものの教理と照らし合わせてどう感じますか?
っていうかトリップさんはそもそも関連づけるのがおかしい
という解釈のように感じますがいかがですか?
- [131]ららら 05/03/21 16:31 M115pA0Gu6
- >>127 について。
たしかに自分の表現力不足です。
自分が「分かった」のではなく、自分で勝手に
「こういう風に解釈した」ということです。
まだまだ17で、先は長いので じっくりと
天理教について考えていくつもりです。
それと、自分がやっているのはR&Bでもなければクリーンヒットラップ
でもない。ギャングスタラップ。他人を蹴落とさなければ
生き残れない種類のラップです。
サウスブロンクスのゲットー出身の真のラップの真髄です。
NASというラッパーや2ライブクルーなど
「よりよき世界を」なんて観念でやってるんじゃありません。
50セントやD・ライミングのように、常に周りがきな臭い
そんな状態にならざるを得ない、それが自分の4年間磨き上げた
スタイルです。フリースタイル(即興ライム)でもそれしかしたことがない。
クラブでもサイファーでも、バトルでも自分はサグ(危険な)スラング
を使ってきました。いまからスタイルは変えられません。
だから、困ってるんです。
- [132]トリップ 05/03/21 17:22 tULY/q.9Ov
- >かしものかりものの教理と照らし合わせてどう感じますか?
私はあくまで、文体としての教理でしか理解は出来ないが、
現時点では、煙草というのが、どおまでいっても「嗜好品」でしかない。
そして、それが与える人体への悪影響と、嗜好と、宗教への進行度を、どれをどのように重度を置いて割り振るか、というのが、
この場合のポイントだと考えている。
>宗教は人生の為にあるのであって、人生が宗教の為にあるのではない。
という事を書いたが、宗教は個人単位で常に形を変える。
イスラームの知人がいるが、豚肉大好きだし、時間単位の礼拝もしない。
だが、本人の精神の信仰としてはどこまでもイスラームで、それが真摯なものであることは、疑うまでも無い。
教理と照らし合わせた結果というのが、
「教理を絶対視し一字一句そのままの意味で捉える」ことと照らし合わせることと、
「自分がそこから考え付いた教理の意味、また重要性」と照らし合わせることは、また違う。
だから、あなた達個人として、「煙草」を敵視するのはかまわないが、
天理教としての排除的な意味として、敵視するのは同だろうか?というアンチテーゼを投げてみた。
ちなみに、「酒」「刺青」「ピアス他装飾品」というものについては、その文化的意味や価値を考えていないように思う。
>>131
自分の中で、信仰をどういう場所に置くか。
それだけのこと。そして重要なこと。
あなたがラップをしたいのは、単に「快楽として」なのか、「自分の生き方」としてなのか、
「そこになにか感じるものが在るから」なのか。
単純に罪悪感等の話であれば、>>110の問題とは別なので、
そことは切り離していこう。
- [133]結城 05/03/21 18:32 7KxVpD.QLL
- 全く空気を読まずに投稿。
今年の春学に三重教区で参加する人いますか?
私は初参加で友達もいないしめちゃくちゃ不安です;
春学って楽しいですか?
- [134]ららら 05/03/21 18:42 M115pA0GR5
- 自分次第だと思います。が、基本的には楽しもうとすれば
楽しめる要素が大量に含まれた行事であることは確かです。
「未成年」を主役としたこの春の学生おぢばがえり。
なんか、パッとしないなぁ・・・という事があっても、
最悪・・全く面白くないということは絶対にありません。
なぜか春学に参加される学生の方々は心優しい人たちばかりです。
同じ高校生なのか?みたいなおおらかな人柄の人もいたり・・
かわいい子もかっこいい人もきますよ。
是非是非楽しんできてください。
多少の不安はあるかもしれませんが
それは皆さん一緒なんで!!
- [135]ららら 05/03/21 18:59 M115pA0GSA
- >>132 トリップさん。
そのうちの3つの中からであれば「生き方として」ですね。
ラップは自分を表せる一つの表現方法。
苦しいこと、悲しいこと、腹の立つこと、嬉しいこと。
全てを表現することが出来る、それがラップです。
そもそもラップは子供たちを受け入れる音楽。
腐りきった政府や、民主主義の偽善などに真っ向から立ち向かう
ことが出来る、ファイトミュージック。
全世界の若者の代表EMINEMも、世界最高のリリシストNASも、
銃で暗殺された2パックもRUN・DMCですら、
自分を表現するため、そしてリスペクトが欲しいがためだけに
ラップをしています。幼い子供がいるEMINEMにいたっては
その娘ヘイリーに対してという理由もありえますが、
ラッパーたちは全員、自分を知ってもらいたい
そして、リスペクトが欲しい一心でラップしている。
その文化に自分は引き込まれ、その音楽をしている時の
自分から毒が抜けるような感じ、そして自分もまた
リスペクトが欲しいがためにラップしているのです。
今の自分があるのはラップのおかげだといっても
過言ではないかも知れません。
しかし、自分にとって、天理教は自分の命をつなげてくれる
唯一の存在。
親神様の教えを真に受けるのは、そのご守護に
何度も何度も命を救われたこと、そこに原因があります。
親神様の思し召しには到底そい兼ねない、ラップという音楽。
しかしそれが自分の一部になってしまった現実。
2つの板ばさみ状態の自分があります。
ラップしながら天理教を信仰する、それは教祖の言われる
応報の道なのではないだろうか・・・。
- [136]トリップ 05/03/22 00:53 tULY/Vqk8P
- >>135 らららさん
個人的感想として、その生き方に対し宗教が重荷になることの方が、
「ようきぐらし」としてはその意志に背くのではないかと思います。
また、ラップという枠内の中での過激な要素で在る限り、「それを持った生き方」と、単に「過激な生き方」は違ってくる。
生きていく中で、単に他人を傷つけ相手を貶める「生活」と、ラップという概念の元で、その「枠内」で行うことは、まったく別のもので在るはずだ。
格闘技が好きで、また生き方、道を感じて、その過程で人を傷つけ倒す術を学んでいるとしても、
それは「人を傷つけるの生き方」というわけではない。
それに、生き方の一部となっているものを、「取り上げる」ような形で行ってしまう信仰を、
親神様と言う存在が、本当に望むのだろうか、と思う。
あくまで私がこのスレ、資料で感じる天理教として、だが。
- [137]どん 05/03/22 11:35 3mlfECpCTs
- プロサルファーゴルさん、こんにちは。
喫煙ですが、個人的には、トリップさんの仰るとおりマナーの問題だと思います。
教理的な話はわかりませんが、飯降伊蔵さまや高井猶吉先生は喫煙されていたようです。
それを見て教祖がやめるよう諭されたかどうかはわかりません。
教祖のお話をタバコを吸いながら聞いていた人が、話が進むにつれて、
タバコは置いて姿勢を正し、しまいには平伏していたというエピソードは読んだことあります。
お酒については、「舐める程度でよい」という内容のおさしずがあったと記憶しています。
ピアスや刺青については全く知りませんが、やらないのは自由にしても、
やっている人を責めることはできないんじゃないかな、と思います。
らららさん、こんにちは。
ラップって全然知らないのですが、リスペクトって何でしょう? 尊敬とか尊重とかですか?
もしそうなら、天理教がどうとかラップがどうとかいう話とは違うように思います。
尊敬されたいというのは、らららさんの性格の話でしょう。
人を尊敬するのではなく、自分が尊敬されたいと思っている人が、天理教できますか。
- [138]ららら 05/03/22 12:00 M115pA0GXd
- まぁそこは何故ラップにこだわるのか?
という話になります。
確かに自分にとってリスペクトというのは
かけがえの無い生きる糧のようなものなんです。
自分にとってラップがうまかろうが、サッカーがうまかろうが
バスケがうまかろうが、スケボーがうまかろうが、
そんなものは関係ないんです。
自分がしたいのはラップですから。長年培ってきたライムスキルと
自分なりのフローの確立。自分がラップをし始めたのは4年前13歳の
時ですが、ラップを聴き始めたのは9歳の時からです。
そういう意味で小さい時から自分をハッピーな気分にさせてくれたのは
ラップでした。しかし自分が身上になった時、
その時は天理教、つまり親神様のご守護で助かりました。
これは事実そうですし、確かな実感があります。
尊敬は性格でもそうですし、あの人はすごいことをした
という尊敬もある。数々の種類の中の尊敬で
自分が獲得したい尊敬とは、そのラップのスキルを認めてくれる
尊敬。ラップは自分自身。アメリカの文化なのでそこら辺の
勉強をしていない方には分かりづらいと思いますが、
リスペクトしているからこそDisるということもあるのです。
その辺の違いが分からないと、この話は到底前に進みません、
やはり、ラップの真髄と目的を分かる方に相談するのが良かれと
思われます。
あと、人を尊敬するのではなく、自分が尊敬されたいと思っている人が、天理教できますか。
と申されますが、だから自分は悩んでいるのです。その二つが
両立できるものであれば、自分は苦しんだりしません。
- [139]どん 05/03/22 13:57 3mlfECpCTs
- らららさん、ちょっとわかってきましたよ。
どうしても両立は難しいとの判断な訳ですね。
そのうえで確認ですが、ラップをしているとき、その、攻撃する、
排除する相手というのは、具体的な人間になるんですか。
それとも社会だったり制度であったりするのですか。
社会の不正を糾弾すること自体は悪いとは思いませんが、
らららさんが、らららさんの知っている具体的な人物を
攻撃するなら、攻撃された人は嫌な気持ちになるだろうから、
それはやめておいたほうがいいと思います。
どうでしょう、らららさんのラップは誰かを傷つけますか?
- [140]ららら 05/03/22 16:01 M115pA0GOW
- 無論です。
一度「ライムバトル」で検索して
RHYME BATTLEに来て見てください。
参考までに。
自分のMC NAMEは「SIZE」です。
- [141]どん 05/03/23 10:37 VL5OCGjPcQ
- >>140
らららさん、見ました。
RHYME BATTLEに書かれた文章(ラップ?)を読んだ人が
傷つくのかどうかよくわかりませんでした。
一種、技術を競い合っているような印象も受けましたが。
でもらららさんが、無論です、と仰るならそうなんでしょうね。
人を傷つけるならば、やめときなよ、としか言えないのですが、
勿論私個人の意見ですが。どうしても訳のわかっていない奴の
コメントの域を出ませんね。
あるいは、らららさんの身上に込められた神意を思案するという
方法もあるかもしれませんね。
- [142]エゴ信者 05/03/23 21:07 *Qjz5kEClf1P*0HchYz6aV9
- はじめまして。
>>138らららさん
自分が尊敬されたい人でも天理教の信者になれると思います。
僕も自分がたすかりたいから天理教を信仰しているんです。
信仰の始まりは『エゴ』であり『欲』だと思ってます。
だから宗教戦争とかも起こるのでしょう。
でも、天理教の教えは、そこで自分がたすかりたいと思うなら人をたすけなさいということです。
だから僕は自分がたすかりたいから人をたすける・・・ただそれだけです。
らららさんも尊敬される人間になりたいんなら、その分、他人を尊敬させてもらえば良いと思います。
自分のエゴや欲を満たしたり、尊敬を集めるために周りを非難中傷するより平和的で丸く納まっていくと思います。
何かヒントにしていただけたどうか分かりませんが、夢はあきらめないことです。
夢を追いかけようとしてもなかなかできないものです。
夢を追いかけようとしている自分・・・それも神様のご守護なんだ、神様がそばで応援してくれていると信じて歩めば良いと思います。
それが間違っていたと思うときがくれば、神殿に頭を下げて涙すればいいんです。
- [143]晴明通 05/03/23 22:10 fEQ3EJX9KV
「カルト組織」とは、現在では「破壊的カルト」として認識されている。
神道や仏教やキリスト教などの「伝統宗教」の権威を利用し、それを意図的に湾曲させたものがカルト教義である。
よってそれは従来の教えよりも「魅力的」で「効果が大きい」と謳われる。
反面その副作用も指摘され、依存症や強迫観念に悩む者が多く発生している。
カルトはマルチ商法や詐欺の手口を集積させて、結果人の脳を破壊し、組織に貢献させるロボットにしてしまう。
その手法を称して「カルト・マインドコントロール」という。
その活動は以下の三つの実践に集約される。
A:集金 B:新たなメンバーの勧誘 C:グループの維持
- [144]失子 05/03/23 22:43 tp6O.kHhYH
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- [145]トリップ 05/03/24 00:52 tULY/NOhwg
- >>らららさん
うーん、もっとシンプルに、
親神様はその生き方を糾弾されるような存在なのか、
それとも受け入れてくれる存在なのか、で考えて見るのはどうでしょう。
人によってはそれが両端に分かれるでしょうが、
それをどう自分の中で受け入れていくかで、己の「宗教」は出来上がると思います。
教義的な部分は、自分では役者不足だもんな…
- [146]ららら 05/03/24 17:05 M115pA0GoW
- >>142エゴ信者さん
他の宗教であればそれで成立・問題解決になりますが、
天理教の教えなれば少し違ってきますよね?
御守護が欲しいからひのきしんやにをいがけやおさずけが
存在するわけではないと思います。
親神様に日ごろ生かされている感謝をひのきしんやにをいがけという
形にして御礼もうしあげ、それによって頂いた御守護を
喜ばせていただくのが、天理教信仰者としてのあるべき姿ではないでしょうか?
違っているかもしれませんが自分はそう感じます。
だから自分が助かりたいから助けるのではなく、
人様に助かってもらいたい一心で人助けさせていただいて、
(といっても、自分が助けるのではなく親神様に働いてもらって助かっていただくのですが。)
その助けさせてもらった理で、(実質的には、親神様がお働きになるお手伝いをさせて頂いた理で)
自分が助かり、その喜びをおつとめ、またはひのきしん、にをいがけで
感謝させていただくのではないのでしょうか?
余談ですが、親神様の教えからいくと宗教戦争などは間違っていると思うのですが?どうでしょう。
- [147]ららら 05/03/24 17:16 M115pA0GEO
- >>トリップさん。
これは教理の話になってしまうかもしれませんが、
親神様は(または教祖は)、人に優しく、理に厳しくという方です。
それは天理教教祖伝を読まなければ、説明は難しいのですが。。。
「天の理」という教えがありまして、
親神様がそれを「受け入れる」とか「受け入れない」という
問題ではなく、その「天の理」に対し間違った道を進まないよう
親神様は「教祖」を「やしろ」として人間にそのことをお伝え下される存在とも言える(自分の勝手な思い込みですが。)。
まぁ少しばかりこれを、天理教の教えをあまりよく知らない人には
話すのは難しいです。
親神様が受け入れる受け入れないの問題ではない、
ということは、自分の勝手な意見ですが言わせてもらいます。
あくまで自分の思い込みの域ですが・・・
- [148]どん 05/03/25 14:39 3mlfECpCTs
- 話は変わりますが、山田伊八郎さんが教祖のお言葉を書き記した
もののなかに、次のようなものがあります。
「神がばちあてさらになし。そのはずや、この人間を拵えたのは、
この人間の、陽気遊山を見たさに拵えた人間やもの。」
赤衣を召された教祖が、あたかも目の前でそう仰って下さって
いるようで、本当に本当に嬉しくなります。
世界は、本当は、底抜けに明るくて、暖かいものなのではないか
と思う反面、病気や事情で苦しんでいる人の話を聞きますと、
大したこと何もできない自分が情けなく思えることもあります。
- [149]ららら 05/03/25 23:56 M115pA0GXQ
- 感動です。
親神様 大好きです。
- [150]どん 05/03/27 00:40 3mlfECpCTs
- 友人が肺癌にかかりました。
まだ30代半ばです。既に骨まで転移していて、
余命、半年だそうです。
生まれたばかりのお子さんもいらっしゃいます。
友人は天理教を全然知りません。
悪しき払いの授けを取り次がせてもらうことは
できると思います。
夜三座昼三座、三日三夜のお願い勤めはできます。
しかし、余命半年と宣告された本人に、心建て替えろだの、
足納(堪能)しろだの、言えるでしょうか。
肺病はおもたりの命さま、温みのご守護、埃では惜しい、
昔の身上の教理でどうこう言うこと自体は可能かもしれませんが、
本当に、本心から、本人の気持ちを考えたとき、
何かを諭すなんて、今の私には到底できません。
ただ、ただ、祈るしかできません。
そんな私は、天理教的には甘ちゃんでしょうか。
存命の教祖は、何と仰るでしょうか。
私は彼に、正直なところ、かける言葉がありません。
- [151]トリップ 05/03/27 01:12 tULY/q.98x
- >>150
御友人の病気…心中察します。
私も兄のような存在の人を、亡くしたばかりなので。
>本当に、本心から、本人の気持ちを考えたとき、
>何かを諭すなんて、今の私には到底できません。
>ただ、ただ、祈るしかできません。
その通りですね。
少なくとも、本人が自ら「宗教に身をゆだねたい」と言い出さないかぎり、
そこで「天理教」を関わらせる必要はないはずです。
たとえ、善意であれ、です。
この手合いでの宗教の勧誘(教義的な話だけだとしても)は、他新興宗教でも走ですが、もっとも憎まれることでもあります。
宗教と言うのは、○○教という組織でなくても、
それぞれの「生き方」そのものが宗教である以上、
病気と言う、その生き方の期間が限定付けられた人へのそれは、
侮辱、危害と捕られても、何らおかしくありません。
どんさんが、レスのように考えらている方で、安心しました。
- [152]どん 05/03/28 13:00 60prXsdkfV
- >>151
トリップさん、レスありがとうございます。
正直なところ、忸怩たる思いなんです。
人が困っているときこそ、神様の教えを取り次ぐべきという、
それは、宗教が救済を旨とする以上は、信仰者である私は
必ずしなければならないことだと理解しているんです。
しかし、もう一方では、できない、すべきではない、という
理解もあって、悩ましいです。
しかし大きな励ましを頂きました。
やはり自分の信念に従おうと思います。
友人の回復を祈ります。
- [153]ガッツ 05/03/28 20:43 PNawtzyoS8
「カルトメンバーは毒善を撒きつづける」
まず、「不思議な体験談」の無いカルト宗教はこの世に1つとして存在しません。
そこらのありきたりな新興宗教を覗いてみれば、「不可思議現象」がゴロゴロしています。
カルト宗教の目的は「金儲け」なのですが、 それを隠して、「世界平和」などとのたまい、
信者を、営利的な組織のあり方から目を逸らさせ、「自分を磨くことに一生懸命」にさせ、
同時に集金、集客の手伝いをさせます。
組織にしてみれば、じつは「優秀な集金係り」こそ、 「理想的信者」ということになります。
勧誘や献金などで組織に「貢献」しなければ、
どれほど、陰で、慈悲行−ボランティアなどを行っても、カルトでは賞賛されることは、ありません。
MCされた信者は、世界平和のためと思わされ、「もっと自分を磨くことに一生懸命」で、
「非常に多くのことを学んだ」「自分の組織が悪いカルトでもなんでもどうでもいい」
「組織のいいところだけ見ていればいい」「自分の道を進んでいれば良い」
「何が正しくて何が間違っているかなんかどうでもいい」「感じて自覚して病が癒えればいい」
などと、 「勝手なこと」をほざいてしまいます。
彼らが何を学ぼうが、治癒しようが、そんなことは周りには何の関係もありません。
慈善事業などの良いところの無い破壊的カルトもまた、 この世に1つとして存在しないわけであり、
その言い成りのMCの結果、一部のカルトは、救済のための無差別テロに至ることもあるようです。
そしてカルトメンバーは カルトとは何か?を知ろうともせず、実際知らないので、
能天気にも、本人が判った上で満足していればいいのでは!! などとのたまい続けるのです。
- [154]資料集発見 05/03/31 21:31 UeVVYPfbU5
- 面足の尊の守護発見
http://www.denpan.org/book/DP-208c-4cc2-1/5.html
- [155]組長 05/04/02 12:04 p9EyDhZZgk
- 初めまして。以前から興味があったので書き込みします。
あたしも一信者です。親が信仰していたんで天理教そのものは、なんの違和感もなく
気が付けばライフスタイルの一部になっていました。
教会部内に居るため、朝晩のおつとめや月次祭もごく自然の事として受け入れてきたのですが、
だからこそ思うのですが、信仰は自由なんだということ。
個人の気持ちじゃないでしょうか?
あと、どんさんが掛ける言葉もない…とおっしゃってますが、助かる見込みのない人を
助けるのが宗教ではないと思います。
その方がどんな死を迎えるかが大切なのでは…?
ただただ死に行く人を悲しい気持ちで見送るのですか?
そんな時こそ、親神様、教祖にどうか安らかな最後を迎えさせてくださいと
祈るものなのでは?
肺ガンは呼吸機能がダメになってしまうので、そうとう苦しいはずです。
しかも、癌特有の痛みもあります。
そんな中どんさんは何をしてあげればいいと思いますか?
- [156]ららら 05/04/02 13:41 rJG8ObUhfq
- 少し失礼します。
横から割って入るような形になることをお詫びします。
組長さん、あなたはそれが親神様の思し召しにそうものと考えますか?
自分が覚えている限りでは、教祖伝などを読んでいても
「楽に死ねるように」なんてものは見たことがありません。
助からないところを助けていただける、これが親神様のご守護では
ないでしょうか?
よふぼくであるならば、その人のために一生懸命に親神様に祈る、
そして、相手に負担にならぬ程度ににをいがけをさせていただく。(お話をさせていただく等)
自分は何度か親神様に命を救って頂いた、その恩と、いんねんがあります。
もう助からない命だから、せめて苦しまないように、というのは
天理教の道から少しばかり離れているのではないでしょうか?
そうではなくて、自分がしっかりと想いをよせて、神殿に足を運ばせていただくとか、
その人が天理教を信仰するかどうかではなく、その人が助かるかどうかが先決なのでは?
そう自分は考えます。
明日からまた自分は学校に戻るので、ここには来られなくなりますが、
親神様の教えを、真っ直ぐに人様に伝えることがよふぼくの
一つの大事な役割ではないでしょうか?と書き添え
自分はこの場から去らせていただきます。
どうも今までありがとうございました。
- [157]どん 05/04/03 07:00 pzJsySDyF6
- >>155
組長さん、ありがとうございます。
>助かる見込みのない人を助けるのが宗教ではないと思います。
>その方がどんな死を迎えるかが大切なのでは…?
初めて聞きました。よろしければ原典のどこに載っているのか、また教えて下さい。
しかし出典はいいとして、ひとつの視点を与えて頂きました。
様々な病気を見てきた、現場の生の感覚だと思いました。
おっしゃる通り、どんな死を迎えるかということは、大切な問題だと思いました。
>そんな時こそ、親神様、教祖にどうか安らかな最後を迎えさせてくださいと
>祈るものなのでは?
そんな訳ですから、何とか直して下さい、救けて下さい、とお願いしています。
しかし、組長さんの仰ること、真摯に受け止めさせていただきます。
確かに私自身も、祖母が亡くなる直前、意識もなくて、その時は、
どうか安らかにと、祈っていました。
友人が若いこともあって、私自身、現実を直視できていないのかもしれません。
>肺ガンは呼吸機能がダメになってしまうので、そうとう苦しいはずです。
>しかも、癌特有の痛みもあります。
>そんな中どんさんは何をしてあげればいいと思いますか?
すみません。実は友人といっても、そんなに親しい間柄ではなくて、どっちか
いうと知り合いというくらいなんです。だから闘病生活のその中で、という、
その中に、入っていくことが、実はおこがましい気持ちなんです。
はじめから知り合いと書けばよかったです、申し訳ない。
しかし組長さん、ありがとうございます。
気付き、を与えて頂きました。
自分なりに思案する材料を、頂きました。
- [158]どん 05/04/03 07:17 pzJsySDyF6
- >>156
らららさん、ありがとうございます。
>「楽に死ねるように」なんてものは見たことがありません。
>助からないところを助けていただける、これが親神様のご守護では
私もそう思いましたが、天理教には「おさしず」のように、一般信者には
入手できないものもありますし、そこはまた教えていただきましょうよ。
>相手に負担にならぬ程度に
>その人が天理教を信仰するかどうかではなく、その人が助かるかどうかが先決
非常に共感するところです。同時に、もっとも悩ましいところです。
>明日からまた自分は学校に戻るので、ここには来られなくなりますが、
らららさんにもいろいろと気付かせて頂くところ大でした。
またお会いできることを楽しみに。
- [159]プロサルファーゴル 05/04/03 11:38 UXaohFD0Ql
- ちなみにおさしづです。
- [160]どん 05/04/04 13:34 pzJsySDyF6
- >>159
ありゃ、失礼しました(^^;)
- [161]なにぬねの 05/04/12 17:52 WdncWlEdPv
- 初めまして!!
いきなりですが、私の友達が天理教の学校(天理高校ではない)に通って
います。(当然、全寮制ですが、、、)たまに電話で「きついっっ」とか
言っています。少し心配です。最初のうちはしょっちゅう地元に帰ってく
るとか言っていたけどどーもそうゆうわけにはいかず、県外に出る日が決
まっているみたいです。どなたかどんな生活をしていてどれだけ厳しいの
か知っていたらできるだけ詳しく教えてください!お願いします!!!あ
と、面会!?みたいなものはできるんでしょうか?(本人に聞け、とか思
う人がいるかも…笑けど、ほんとにたまにしかかってこず時間が決まって
るので聞けません。笑)
- [162]リプトン紅茶 05/04/15 21:08 V-v.1qI
- >>161
わたしは十年ほど前に天理高校一部の寮を卒業しましたけど、やはり最初に規律訓練とか門限とかあったし、やはり在宅通学の高校生とくらべたら多少は厳しい生活だったかも
とは言っても、当時の先輩から言わせれば、年々と甘くなっていると言われていたし、十年ほども前のことだから、今の参考には全然ならないかも
ただ、その頃は天理附属高校という学校の生活は軍隊なみ?に厳しいとも言われてましたねー
今は共学とかになったとかで雰囲気も変わったのかな?
卒業してからの天理の学校事情などは全然わかりません
ちなみに天理の学校関係の話なら>>91の本橋ファンさんのスレあたりの方が参考になるカモーですね
- [163]腹減った。 05/04/17 20:17 Jt3DJvmqTj
- 天理教ってえらいね。厳しくすれば信者増えないだろうに。
創価の欲ボケとは大違いだな。
- [164]どん 05/04/18 08:57 /wtsGIfG4H
- 天理高校の二部に行ってた子から聞いたのは、
先輩後輩の上下関係が厳しいとのことでした。
今から5年くらい前の話ですが。
天理教では人類は全員、神の子で、三日三夜で産まれだした
ということですから、正味はみんな同学年のはずなんですが、
案外、序列というか、上下関係に厳しいように思います。
創造神話が、単なるおとぎ話のように理解されているなら、
悲しいことですね。
- [165]どん 05/04/19 11:10 zfCUdmWBfR
- 三日三夜は、やどしこみ、でした。
おふでさき6号47にありました。すみません。
生まれるのに何日間かかったかは、
おふでさきには書いていないようです。
しかし、仮に千年でも一万年でも先に生まれたとして、
先輩だ兄姉だとして、それがどうだと言うのでしょう。
宝くじで9億円当たったら、千円や一万円、惜しくない
でしょうから。
先輩後輩なんて、神様のご守護に想いを馳せるとき、
とんでもなくみみっちい話だと、私は思います。
- [166]タント 05/04/19 15:42 /wtsGOi1uN
- はじめまして、タントと申します。最近天理教の教えや書物に興味を持っているのですが、天理教本部というのはは神社のようなものと考えていいのででしょうか?私は大阪に住んでいるので日曜ぐらいに一度本部に行ってみたいと思っているんですが…一般の人でも入れますか?
- [167]どん 05/04/19 16:39 zfCUdmWBfR
- おやさまは、高山も谷底も同じ魂、と仰ったと記憶しています。
これを私は、上下関係、タテ関係のことだと、今は理解しています。
現在では、日本では、基本的人権が保障されていて、誰でもみんな、
法の下に平等な、けっこうな世の中だと思います。
しかし上下関係、タテ社会はまだまだあって、
経営者と労働者、先生と生徒、債権者と債務者、
人によっては、男性と女性、舅姑と婿嫁、親と子、も、そうかもしれません。
教会長と信者、上級と部内、も、そうかもしれません。
これらは、役割の違い、担当分野の違いに過ぎないと思います。
経営者は指示を出し、労働者は指示に従うという、役割であり協業です。
どっちが偉いというものではないと思います。
人間として、人格としては、いささかの高低もない。
それを、あたかも人間としての格が、レベルが上なり下であるかのように
思ってしまうと、何かとトラブルが生じると思います。
そうではなくて、対等、ヨコの関係に入りたいものです。
立場や年齢、性別に関係なく、お互いを、人として尊敬し合える関係に、
だれにも支配されることなく、だれをも支配することもない、そんな
ヨコの関係が、心地よい、陽気な、関係だと思います。
おやさまが仰った「ろくぢ」「ろっく」は、そういうことだと思っています。
- [168]どん 05/04/19 16:59 zfCUdmWBfR
- >>166
タントさん、はじめまして。
誰でも、何時でも、入れますよ。
ただ、本部の真ん中にある甘露台の近くには、
柵というか結界があって入れなくなっています。
でも結界といっても10m四方くらいですかね、余裕で見えます。
私は混雑を避けて行事のない日に参拝するようにしています。
人気の少ない神殿や教祖殿、回廊にいますと、
暖かな日差しや、そよ風が、まるで、おやさまが、
よう帰ってきなさったとニッコリ仰って下さっているように
感じられて、とても幸せな気持ちになります。
- [169]タント 05/04/20 13:10 /wtsGOi1uN
- どんさん御回答頂きありがとうございます!今度のゴールデンウィークに行ってみようと思います。
- [170]ファーゴル 05/04/20 15:28 cyyPs5j3uu
- >>169
タント様、もしよろしければ案内させていただきましょうか?
- [171]タント 05/04/21 12:36 /wtsGOi1uN
- えっ!ファゴールさんいいんですか!?あてにしちゃいますよ(笑)ではいつごろにしますか?
- [172]プロサルファーゴル 05/04/21 16:19 F5huZgTwgJ
- >>タント様
私のような者でお力になれるならば喜んでご案内させて下さい。
地元人ですので☆^∇゜)ニパッ!!
日時はあなた様にお任せ致します。
候補をいくつか挙げて下さいませ。
ちなみにどん様は人があまりいない時がオススメ的な事を
おっしゃっていたのですが、その方がよろしければ
土日は避けた方が良いかもしれません。
参考までに。
PS:ファゴールではなくファーゴルですよ。どっちでも構いませんが笑
- [173]どん 05/04/21 22:21 zfCUdmWBfR
- >>172
ど、どっちでもいいんすか^^;)
- [174]タント 05/04/22 10:28 /wtsGOi1uN
- ファーゴルさん書き間違えて申し訳ありませんm(__)m
私が空いてるのは、5月1、3、4、8日です。
- [175]プロサルファーゴル 05/04/22 16:40 RhEi7OflVr
- >>173
どん様、別に名前にこだわりはありませんので(-。・。)--☆パチッ
>>174
タント様
その日でしたら休日という事ですから結構にぎわっているとは思いますよ。
こちらの予定は27日くらいにならないと分からないので、
申し訳ありませんが返答は後日になります。
ハーイ、シツモーン! (/*・・)o
天理自体初めてですか?車で来られますか?
待ち合わせ場所の希望は?
時間帯は?
質問ばかりですみません。
お会いできるのを楽しみにしておりますヘ(。・o・。)ノ ワーイ
- [176]タント 05/04/22 22:31 ySmiu92bNt
- ファーゴル様へ 4月29日もあいてます。天理教施設に行くのは初めてです。
私は車でも電車でもどちらでもいいです。待ち合わせ場所とか時間帯とかは特に
希望はないですが、昼前ぐらいがいいかなと思っています。詳しくはファゴール様に
お任せします。(≧▽≦)
- [177]ファゴール 05/04/23 09:24 uCSQNxnw8S
- >>176
タント様
この際ファゴールにしましょうか笑
29日いいですよ。
その日は、天理教で全国的な行事があるのです。
全国のあちこちで清掃活動をしているのが見られると思いますよ。
で、私も本部の方へ参加するのですが、合間を見て時間つくれますので、
よろしければその日にしましょう☆彡
天理駅からは1キロくらい歩きます。街並みをご覧になるのであれば
駅で待ち合わせでもよろしいですが、
車で来られるのであれば本部近くの駐車場が便利だと思います。
ナビついてますか?一応わかりやすいようにお教えしますが。
どちらがよろしいでしょうか。
私はどちらでも結構ですよ。
返答お待ちしております。
- [178]タント 05/04/23 22:20 ySmiu92bBk
- では車にします。ナビついてるので大丈夫だと思います(笑)
どのあたりでお待ちすればいいでしょうか?
- [179]ファゴール 05/04/24 10:16 ZRhpU4ciA4
- >>178
タント様、おはようございます。
では、天理教教会本部にナビを合わせて走らせて下さい。
で、本部の前についたら左を見たら大きな黒い門があり、その奥に
本部が見えます。右を見たら吹き抜けのある建物がありますので
右折してそちらに向かって下さい。すぐの交差点を右折してすぐ
右折、『天理参考館』というところがあります。
駐車料金はもちろん無料ですので、そちらに止めて下さい。
わからなくなったら街の人に「天理参考館ってどこですか?」
と聞けば教えてくれます。
時間はおまかせします。指定された時間にそちらに伺います。
こんな感じでいかがでしょうか?
- [180]タント 05/04/25 09:43 /wtsGOi1uN
- ありがとうございます!では正午に着くように走ります。車はタントです。
- [181]ファゴール 05/04/25 15:10 uCSQNW3Eez
- >>180
タント様。了解しました。ではその時間にそちらに向かいます。
一応ジャストで待ち合わせということでよろしくお願いします。
その他何かございましたら前日までに書き込んでおいて下さいませ。
- [182]どん 05/04/28 14:51 N3cEmmEM.B
- 教会へのお供えについて、思うところを述べます。
上級の教会の人たちが、信者さんや部内教会からのお供えを遣って、
裕福な暮らしをしているのは悪であるという内容の投稿をよく見ます。
教祖伝逸話編に「兄弟の中の兄弟」というのがあります。
教祖は、ある時、
「この屋敷に住まわっている者は、兄弟の中の兄弟やで。兄弟ならば、
誰かが今日どこそこへ行く。そこに居合わせた者、互いに見合わせて、
着ている着物、誰のが一番によい。一番によいならば、さあ、
これを着ておいでや。又、たとい一銭二銭でも、持ち合わせている者が、
互いに出し合って、これを小遣いに持って、さあ行っておいでや。
と言うて、出してやってこそ、兄弟やで。」
と、お諭し下された。
ちょっと無理があるかもしれませんが、会長さんがどこそこへ行くなら、
さすがに自分の服を貸してあげる必要はないと思いますが、
たとえ千円でも二千円でも、互いに出し合えばいいと思います。
当時の一銭二銭は、今の何円くらいでしょうね。百円二百円くらいでしょうか。
自分が不満にならない程度に、出してあげればいいと思います。
お金の価値なんて、主観的なものだと思います。
月々数千円の水道代で、きれいな水が飲めるわけです。
月々数千円の電気代で、夜も明るく過ごせるわけです。
これを水道局の人や電力会社の人が、あんたら裕福な暮らしをして、と
不平不満は言わないでしょうから。
みんな、誰かの労働やお金のおかげで、毎日が成り立っているのですから、
自分の出したお金の使われ方をどうこう言って、不満を募らせるのは、
誰でもない、出した当人にとって、不幸なことです。
お供えは、神さまへのもの、教会へのものではない、というご意見もあるかと
思いますが、私個人の意見としては、どっちでもいいことです。
兄弟が喜んでくれるなら、おやさまも喜んで下さると思うからです。
どっちでもいいことです。
- [183]まっぷ 05/05/07 01:14 VYoijGJtZx
- どん様、ありがとうございます。
兄弟という考え忘れていました。職場の人間関係、解決出来そうです。
- [184]あ 05/05/08 01:13 48KK1PIFSm
- 屋敷を払って清めたまえ!
- [185]どん 05/05/08 23:52 D2eL0dkyOu
- まっぷさん、私のほうこそ、ありがとうございます。
職場の人間関係、うまく治まりますように。
調子に乗って、お供えの話でもうひとつ。
同じく逸話篇に「可愛い一杯」というのがあります。
明治18年3月28日、山田伊八郎が承って記した、教祖のお話の覚え書に、
「神と言うて、どこに神が居ると思うやろ。この身の内離れて神はなし。
又、内外の隔てなし。というは、世界一列の人間は、皆神の子や。
何事も、我が子の事、思てみよ。ただ可愛い一杯のこと。(以下略)」
これまた無理があるかもしれませんが、自分の身体に神様が、
また身体の外側すなわち空気も水も食べ物も家も車も、とにかく
世界中に神様が、そして自分以外の人にも、みんな、神様がいらっしゃる。
と、するならば、お供えに、お金をいくら供えようと、食べ物を供えようと、
それらはもともと神様のもの、というか現実に神様の一部ではないでしょうか。
例えば、うちの庭にある柿の実を、お隣さんがもぎ取っておきながら、
それを持ってきて「おすそ分けです」なんて言われたら、
「そりゃうちの柿でんがな!」と、つっこみたくなりませんか。
そうすると、供えることが出来るのは、本当は「心」しかないのではないかと。
「心」をお供えするとは、どういうことでしょう。
私は、人に喜んでもらう、ということだと思います。
奥さんでも旦那さんでも、ご両親でも、お子さんでも、
病気で困っている方でも、職場の方でも、誰でもいいと思います。
今日この1時間は、全くあなたの言うとおり、望むとおりにするよ、と。
その人にとって為にならないとか、そんな自分の思案は置いといて、
ただ、ただ、自分を捨てて、心を供える。
現実には判断の難しいところもありますが、そういうことじゃないかな、と思っています。
その人は、教祖にとって、隔てなく、可愛い一杯の方ですから。
勿論、私たちも、隔てなく、可愛がって頂いてます。
- [186]まっぷ 05/05/10 10:30 J0X6NViVcj
- 「心」をお供えする。。
ドキッ!
性格の似ている父と、時々衝突しています。
そこは親子の良い所で、すぐに元通りになりますが、
「ただ、ただ、自分を捨てて、心を供える。」
うーむ。。難しいけれど、今日から取り組んでみます。
また、「目から鱗」のお話期待しています。
職場の人間関係ですが、兄弟だと思ったら、
何故だか、とても良い人に見えてきました。
職場は自分を磨く所なんですね。
- [187]どん 05/05/12 16:19 HrgyI5Mrc4
- まっぷさん、ありがとうございます。
その…どれも、私の自分勝手な解釈ですので、
あくまでご参考に留めておいていただいて、
是非、主体的に判断というか、取捨選択して下さいね(^_^;)
職場は自分を磨く処、いいこと聞かせてもらいました。
磨く、で思い出したのですが、
おやさまが「反対砥石」と仰ったというのを、
どこかで見たことがあります。
また「敵は味方」とも仰ったとあります。
いずれも出典は覚えていません。
自分に真っ向反対意見を言ってくる人があったとして、
自分が包丁なら相手は砥石、ということだろうと思います。
包丁にとってみれば、ゴリゴリと削られる訳ですから、
嫌な思いをするわけですが、それでこそ、
よく切れる包丁になれる、ということでしょうね。
敵は味方、というのも同様の意味ではないかな、と思います。
また、これは有名なお言葉ですが、「節から芽が出る」
言い方を換えれば、「節からしか、芽は出ない」ということ。
苦しい、辛い、ムキーッと腹の立つ、そんな瞬間こそが、実は、
研いだ包丁のようにキラッと輝く、
芽を出して、枝葉が伸びて、花が咲き、人が憩うような、
そんな自分に生まれ変わるチャンスなのかもしれません。
さて好き勝手なこと言っていますが、私もしょっちゅう
喧嘩もします。勿論、反省もしますし、謝りもします。
そこはひとつ、行きつ戻りつ、楽しんでいます。
- [188]まっぷ 05/05/12 18:29 J0X6NViVSU
- なるほど「敵は味方」ですか・・。 メモメモ
29日のひのきしんデーは、仕事で行けなかったので
今日、近隣地域の代替ひのきしんデー(?)で、老人ホームの除草を
させて頂きました。
作業も終わり、皆でジュース飲んで、ほっとしてたら雨、雨。
神様、グッドタイミング!!
どん様、
よく言われる「旬」について、どうお考えでしょうか?
教えて頂けませんか?
いつもすみません OTZ
- [189]どん 05/05/14 07:47 D2eL0dkyOu
- まっぷさん、除草ひのきしん、ご苦労さまです。
さて、「旬」ということですが、自分なりには
「旬」には二つの意味があると思っています。
一つは、親神様にとっての旬、タイミング。
天保九年は「旬刻限の到来」といいますので。
もう一つは、自分とっての旬、タイミング。
これは簡単です。
旬とは、「今」です。「今日」です。
と、ここまで書いて、ちょっと保留させて下さい。
三男が腸炎になりました。ロタウイルスというやつです。
神様からのお知らせかもしれません。
お知らせ、ではなく、残念、かもしれません。
よく考えなければならないテーマのような気がしています。
腸ということは飲み食い出入り、雲読命様です。
埃では、可愛い、分け隔ての心。
年祭は旬だから云々という言い方をすると思うのですが、
私は、神様から頂いた、結構な今日一日を、素晴らしい今を、
今日は旬だから、とか、今は旬じゃないから、とか言って
選り好みするつもりはありません。
私は、そう思っているのですが、その理解は違うのかもしれません。
口だけで、行動を伴えていない、ということかもしれません(^_^;)
- [190]まっぷ 05/05/14 19:27 J0X6NViVHS
- お子様の具合は、いかがですか?
一日も早くお元気になられますように・・。
お返事ありがとうございました(^0^)P
- [191]名無しのごんべ 05/05/14 22:09 iEFJWs5qDB
- 久しぶりに失礼致します。私はお道の門を叩いてからはや5年、やっと自分が変わりそうな気がします。お道から離れようとしたり、教会の方のおっしゃっておられる事がわからずに大変、無礼な態度をとった時もありましたが
やっと、そういう事だったのかと思えるようになってきました。まさに、あほうが助かる道だと思いました。いろいろ悩みまくりましたが、昔の事は、あまり気にせず、あほうになって前向きに生きていきたいと思います。皆様ありがとうございました。またよろしくお願い致します。
- [192]まっぷ 05/05/20 13:04 IQU0etXRjI
- 「あほうが助かる道」
例えば、悪口言われたり、嫌な目に遭ってもあまり気にせず
ホントにそうネって、笑い飛ばせるようになれば、毎日が陽気ぐらしという事でしょうか?
勿論反省も必要ですが・・・。
悟り方、実行について等、どなたかお考えをお聞かせ下さい。
- [193]七誌 05/05/20 15:02 T3QfbKyGt.
- オウム二号は頑張れ
- [194]まっぷ 05/05/20 23:40 IQU0etXR5v
- はい、ありがとうございます!
- [195]どん 05/05/21 14:14 cJFcDNtCvr
- 名無しのごんべさん
お久しぶりです。
詳しい事情はわかりませんが、お勇みのご様子ですね。
仰るとおり、過去のことを悔やむよりも、そこで得た
教訓を忘れずに、今後はそのようなことがないように
努めることのほうが大切だと、私も思います。
楽しんでいきましょう(^o^)/
- [196]どん 05/05/21 14:14 cJFcDNtCvr
- まっぷさん
お気遣いありがとうございます。
三男は元気になりました。
さて、やっぱり「旬」というのは、教理的にどうかと
いうことはよくわからないのですが、
これは長男の話ですが、フライドポテトが好きで、
冷凍のものをオーブンで温めているときに、
7分温めなければならないところを、彼は早く
食べたいもんですから、3分くらいのところでオーブンを
開けてしまったんです。それで、私は、
「まだやで、まだ温まってないから、まだやで。」と
言ったんですが、ふと「旬というのは、こういうものかも。」
と思いました。
ごっついええ加減な理解ですが(^_^;)
悪口言われたり嫌な目に遭ったり、という件ですが、
まっぷさん、トラブるのは特定の人ではありませんか。
また、似たようなきっかけで始まり、また、いつも
同じような後味になりませんか。
- [197]まっぷ 05/05/21 18:53 IQU0etXRnn
- お元気になられたとのこと、安心しました。
「旬」のお話、う〜ん・・難しいです。
何度も読み返しました。
時期が来るまで、急いても良くないし、それを
逃したら、(たとえば)美味しく味わえない・・。
そういうふうに捉えても良いですか?
あと、トラブるのは特定の人です。
どんさんの言われる通りですが・・。?
- [198]どん 05/05/21 21:28 u8MW6XFViL
- まっぷさんへ
旬のことは、正直よくわからないんです。
私もまっぷさんと同じように思いました。
しかしその、よい時期というのが悲しいかなわかりませんので、
結局は、その時その時を(旬かもしれないから)誠実にやって、
そしてうまくいったら(旬だったからかもしれないから)、
自分だけの実力ではない、と感謝して、
うまくいかなかったら(旬じゃなかったかもしれないから)、
必要以上に自分を責めて落ち込んだりはしない、
ということになりましょうか。ホント、よくわかりません。
どなたか詳しい方がいらっしゃったら、お願いします。
さて、以下は天理教の話ではありませんが、お許し下さい。
特定の人と、似たようなケースでトラブるということは、
ムカッとするポイントというか、パターンがあるのでは
ないかな、と思ったからです。
そのパターンがわかれば、事前に回避することができる
のではないかな、と思ったのです。
高校の時のクラブの先生に、やたらと怒る先生がいました。
私がミスをすると「何であんなことしたんじゃあ!」
私が「こう考えてやりました」と言うと、「あほんだら!」とビンタ。
とにかく、よく怒られました。
それで、他の人が怒られている時、落ち着いて観察しますと、
とある先輩は申し訳なさそうに「ハイ!」しか言わないのです。
面白いくらい「ハイ!」しか言いません。でも殴られません。
また、私の同期は、あるとき先生のビンタをさっとよけました。
すると先生はもっと怒って、同期は蹴られました。
それで気づきました。ああ、この先生はとにかく殴りたいだけ
殴らせて、ハイ!と返事しておくのが一番いいんだな、と。
善悪の話ではありませんし、天理教的にどうかもわかりませんよ。
今の時代の常識で考えれば、そんな先生は問題でしょうし、
何より、そんなクラブ辞めたらええのに、でしょう。
でも、とにかく、それ以降は殴られる回数がぐっと減りました。
- [199]どん 05/05/21 21:28 u8MW6XFViL
- まっぷさん
ちょっと例が悪かったような気がしています(^_^;)
その、悪口を言う人を、言わないようにさせるのは、
現実問題として不可能なケースって、あると思うんです。
厳しい人に、寛容になれと言っても無理がありますし、
真面目な人に、適当にやれと言っても無理があります。
その先生に、殴らず優しく教えろと言っても無理でしょう。
まっぷさんも、自分と全然違うキャラを強制されたら、嫌でしょう。
結局、他人を変えることは出来ないだろうと。
それなら、自分が別の方法をとるしかありません。
もちろん、とことん自分を通してもいいとは思います。
私の場合なら、相変わらず、自分はこう考えてプレーしたんだ、と
言い続けてもよかったんです。
でも、そんなことしたら、また殴られただけでしょう。
同じことしてたら、同じ結末、アンハッピーエンドです。
冒頭に申し上げた、パターン、ということです。
善悪は別として、そのパターンから抜け出そうと思ったら、
いつもと違うことするしかありません。こんなの、くれぐれも
天理教の話ではありませんよ。どっちが正しいとかいう話でも
ありません。そもそも、トラブルなんて、どっちにも何かしらの
言い分があるもので、一方的にどっちかが悪いなんて、
お互い同じ人間なんだから、言えないじゃないですか。
長くなってすみません。
とにかく、いつもと違うことしてみませんか。
悪口言われて、いつも黙ってしまうなら、今度は言い返してみませんか。
なぜそんなことを言うのか、私をどうしたいのか、と聞いてみませんか。
いつもカッとなって言い返しているなら、ぐっと堪えて黙ってみませんか。
あなたの気持ちもわかる、ちょっと考えてみる、と言ってみませんか。
- [200]どん 05/05/21 22:50 u8MW6XFVGV
- 天理教の話で思い出しますのは、勤め場所の普請のときの話です。
年末、材木屋さんと瓦屋さんに、支払いを待ってもらうために、
ご本席さまが奔走されたというお話です。
どちらも決して繁盛していたお店ではないのに、神さまのことならば、
ということで快く支払いを待って下さったそうです。
お屋敷に戻ったご本席さまが、教祖にその旨を申し上げると、
教祖は、神さまがご本席さまの心を見澄まされたうえで、
お店の人の心に入って快諾させたという内容のことを仰ったと記憶してます。
私は、この話を読んだとき、なんと神さまは、心だけは人間の自由と
仰りながら、その気になれば人間の心にも入ることができるんだ、と思いました。
そうしますと、悪口言ってるその人は、神さまが言わせてらっしゃるのかも
しれません。あくまで可能性の話ですが。
私は「むごい言葉を出したるも、早く助けを急ぐから」は、
そういう意味じゃないかな、と思っています。
「人が何事言おうとも神が見ている気を静め」ともあります。
そして、これをこそ最初に思い出すべきでしたが、
狐憑きと言われ、親戚はおろか、村中から「悪口」言われたひながたがあります。
一体、私たちがそこまで四面楚歌な人間関係を経験したことがあるでしょうか。
神さまなんだから、本当はそんなことしなくてもいいのに、何でも出来るのに、
わざわざ、最悪のケースをお通り下されて、その中でも陽気に通られたのは、
一体何のため、誰のためだったのでしょう。
赤衣を召された教祖が、にっこり笑いながら、何と仰るでしょう。
すみません、まっぷさんへのお返事になっていません。
私こそ、教祖に申し訳ない毎日でした。
- [201]eyb 05/05/22 11:15 WmBo03krdI
- 批判するわけではなくて、疑問があるのでお聞きします。
天理教の信者の方たちが親切なのは認めますが。
ある民家で家族が寝こんだので神主さんを呼んだ→巫女さんが都合が悪くて来られなかったのでその家の主婦を霊媒にした→神様が降りて「この者を社として差し出さないと一家を滅ぼす」と脅した→仕方ないので言う通りにした・・・これが天理教の始まりですよね。
言う通りにしないと一家を滅ぼすと脅すのは、普通に考えて神様じゃないと思いませんか。
- [202]あ 05/05/22 13:32 YSiMjHsZ87
- >201
神は目的を達成をするまで、どんなことでも
してきます。
- [203]どん 05/05/23 06:54 u8MW6XFVPr
- 私も疑問に思います。
脅迫、罰、報復、なんてものは全知全能の神さまとは無縁のものだと
私も思います。そんなことするのは人間だけだと思います。
ですから、本当にそんなこと言ったのか、疑問です。
私が気になるのは、神さまが降りてこられたのが10月24日、
教祖を神の社に差し上げますと承諾されたのが10月26日ですから、
3日間にわたって神と人間との問答があったという点です。
本気で一家を滅ぼすおつもりなら3日間も待たないのではないかと。
本当は神さまからすれば、滅ぼすなんて選択肢に入っていなくて、
世界を助けたいから社に差し出せ、の一点張りだったのではないかと。
最初、夫様をはじめ親戚の皆さんは、子どもも小さくて手がかかるし、
どこか他のゆとりのある家に降りて下さい、とあっさり断っています。
しかし神さまは聞き入れてくれません。やっぱり、そんな脅迫、
なかったのではないでしょうか。
また3日というのは、夫様をはじめ親戚の皆さんが、教祖のお身体の
ことを心配して、承諾したのが3日目だったということです。
旧暦の10月末なら新暦では11月下旬ですのでかなり寒かったでしょうし、
その間ずっと教祖は御幣を握って座られたままだったとのことです。
もし3日目でも結論が出なかったら、神様は4日でも5日でも待たれた
のではないでしょうか。そんな気がしています。
個人的には、なんで神さまともあろうお方が、いちいち人間の承諾という
手続きを重視なったのか、の方が気になるところです。
- [204]どん 05/05/23 07:26 u8MW6XFVkJ
- もう一点だけ、すみません。
立教のまさにその時の話ではありませんが、その後、教祖を煙で燻したり
憑きものなら退けと言って刀を抜いたりしています。
これらは結局、その当時の家族や親戚、村人は、神の顕現とは受け取らずに、
狐なりが憑依した、あるいは精神に異常をきたした、と考えていた
ということだと思います。神さまの話だなんてちっとも信じていません。
だからこそ、実にあっさりと他の家に降りて下さいなんて言っちゃう訳です。
ですから、言うこと聞けば世界中を救済する、言うこと聞かないと一家を滅ぼす、
という話があったにしても、人間側はそれを信じてはおらず、つまり脅しに屈して
承諾したのではない、と、やはりそう思うのです。
いずれにしても、神の顕現というわりには何とも地味な、そして神さまに対しては、
あまりにも失礼というか申し訳ない応対だったのではないかと思います。
もうちょっと、神秘的で、厳かでもよさそうなもんですが。
まあ、だからこそ、おとぎ話ではなく実話だったと、私なんかは思いますが。
- [205]ファゴール 05/05/23 08:00 lTjYWv0FuS
- >>203どん様
>もし3日目でも結論が出なかったら、神様は4日でも5日でも待たれた
のではないでしょうか。そんな気がしています。
これは違いますよ。神様は26日に教祖が月日のやしろとなられる事を承知でこの世に現れたのです。それが旬刻限ですから。おさしづでもこの事を述べられていますし、教典を読まれたらお分かりになると思いますよ。
- [206]まっぷ 05/05/23 13:03 IQU0etXRu0
- 皆様こんにちは。
お話のなかに入ってごめんなさい。
どん様の、親心、こころに沁みます。
色々アドバイスして頂いて、人間関係が良くなりつつあります。
迫害の中を通られた、おやさまのことを想うと
勇気が出ます。
またお話聞かせて下さい。
- [207]どん 05/05/23 14:29 cJFcDNtCvr
- >>205
ファゴールさん、ありがとうございます。
仰るとおり、脅迫云々を言う前に、そもそも夫様はじめ親戚の
皆さまが了解されることは、既に決まっていたことなのかもしれませんね。
また教典で確認しておきます。
って、すぐ手元にないんかい!という感じですが(^_^;)
>>206
まっぷさん、親心なんて、恐れ多い。
私まだ32才ですし、ていうかそもそも親は教祖お一人。
今後とも、同い年の兄弟ということで、お願いします(^o^)
- [208]あー 05/05/24 13:04 u4tLwyvPGi
- 初めまして・・・はじめて書き込みします。
うちが天理教で周りも天理教の人が多く今まで余り違和感無く育ってきて私の中ではこれが当たり前という感じがしています。
世間では天理教について色々な考え方があるようですが皆様は
どの様に感じておられるのかご意見を聞かせて頂きたいと思い書き込みをさせて頂きました。漠然としていますがすみません。
- [209]アキラ 05/05/24 20:14 BHEIQYgOBn
- 初めまして。>>208
私もはじめて書き込みします。
私は奈良のとある田舎に生まれ育ったので、天理教の方が比較的多かったように思います。
基本的に実家は天理教では無く、否定的だったように思います。
祖母は「あれは金取りや」
とよく言っていて、あまり良いイメージがありません。
祖母から教えられたのは
「年金暮らしの近所のおばあちゃんが天理教で毎月一万ほど寄付している。」
と言うのです。
また、天理教のおばあちゃんの息子が家に遊びに来た時も、たまたま天理教の話になって
「年金で月6万しか無いのに毎月1万も寄付して
この前もXXXがいると言って15万ほど払っていた。
どう考えても高い。
あの宗教は金ばっかりや。」
と言っていました。
XXXが何だったのかは忘れましたが、息子にもよく思われてないのかと思いました。
近所のおばあちゃんが天理教徒で、日曜日に天理教に行っていたのを覚えています。
祖母が
「天理教に入ったら財産取られるから入ったら、あかん」
とよく言われました。
個人的に思っているのは、寄付金の高い安いは個人的な主観だと思います。
それで幸せになるのだったら良いのでは無いかと思います。
信仰している人を否定しようとも思いません。
考えは素晴らしいと思います。
ただ自分は信仰しようとは思わないです。
- [210]あー 05/05/24 23:34 u4tLwyvPGi
- アキラさんコメントありがとうございました。
やっぱりお供えが一番のネックである事に間違いはないでしょうね。
どんなに教えが素晴らしくても離れていっている人が多いのが現実です。天理教はいいけど組織には・・・っていう事だと思います。
天理教の事しか知らないのですが他の宗教はお供えはどういう風になっているのでしょう?少し内容がずれるかもしれませんが、一般的な感覚と天理教の感覚のズレを知っておきたいのですが・・・。
- [211]アキラ 05/05/25 01:05 BHEIQaFtFy
- お供えがネックというのは、まず間違い無いと思いますよ。
教会側も維持していかないといけないし、そう考えるとお金はいると思います。
ただ私達も生活があり、例え一万でも身を削る思いですので、例え教えが素晴らしいと思っても入信は出来ないです。
一切寄付しないというのは教会の人にも悪いですから。
それと教えと組織は違うというのは当然だと思います。
私達は無信仰者でも信仰者でも、所詮は人ですから。
宗教だから理想的に全てが上手く行くという風には、さすがに思わないです。
人が集まれば問題も多少は起こると思います。
そこをついて、だから間違っているというのもおかしいですし。
他の宗教のお供えは、自分の主観ですが天理教とさほど変わらないと思います。
当然もっと高いところもありますし、安いところもあります。
天理教ぐらいの額が普通だと。
ただそれが、世間一般の価値感からすると高いというふうには思います。
「信じていない」というのは言い方を変えれば
「無価値」に近くそこにお金を入れるのは、もったいないと考えるからです。
それと離れていっている人が多いというのは、天理教に限った事では無いと思いますよ。
いろんな宗教を見て大きい宗教は、どこもだいたい人数は減少傾向にあるようです。
長引く不景は宗教にさえ、その影を落とすのかもしれません。
若い人に入ってもらえないというのも一部には原因でしょう。
カルトがもたらした、宗教=怖いという偏見がです。
- [212]しろうと 05/05/25 01:09 Zuryj8pZju
- 私の職場にも天理の人が数名います。まじめで、悪い印象はありません。私自身は特定の宗教には入っていない(いわゆる普通の仏教で、宗派はわからないで、家には仏壇も、神棚もあるという感じです) 天理教事態は、新宗教に分類され日本で生まれた宗教の代表格といっていいと思います。教会数が多い割りには信者が少ない、お布施というか上納金(正確な言い方ではないですが)は、創価学会などの悪徳宗教に比べると良心的であると思います。勧誘も強烈な印象もなくいたって普通に世間では思われているのではないでしょうか。
ただし、日本では宗教人口が各宗教の信者数を全て足すと日本の人口の倍になるというほどの状況ですので、天理教事態がどうこうとは言えないと思います。人間が、ある信仰をするというのは普通なのではないかと思います。
「あー」さんの質問に答えられるかどうかわかりませんが、ごく普通の日本人は、次のように宗教を考えているのではないでしょうか?
「怖い」、「金もうけ」、「いかがわしい」と思っているのではないでしょうか。
しかし、もし自分がとてつもなく不安な状況に陥ったとき何かに頼らないで生きていけるかと思うと「No」ですね。
天理教事態は、学会のように政治的な意図を感じない宗教ですのでその点では、普通なのではないかと思います。
ただ、表立って私は、天理教ですとか何を信仰しているとは言わないのが、日本人の宗教観なんではないでしょうか
うまく言い表せていないかもしれませんが、このように私は思います。
- [213]トリップ 05/05/25 02:06 8GtOd7bwvi
- >>212
>お布施というか上納金(正確な言い方ではないですがは、創価学会などの悪徳宗教に比べると良心的であると思います。勧誘も強烈な印象もなくいたって普通に世間では思われているのではないでしょうか。
創価学会を「悪徳宗教」としてしまえば、天理(に限ったことじゃないが)ももれなく同類だーよ。
問題の規模や数の差こそあれ、質という点では、「信仰」である限りその善性、悪性は限りなくグレーなんだから。
宗教における「真実」「正義」は、信仰として以外に意味を持ち得ないからね。
創価にしたって、その金集めは「組織としては」決して強制ではないことになるんだぜい。
創価は本質が「攻撃」であるのに対して、天理は「まったり」なので、恐さは感じないけど。
今まででも出てきたけど、宗教と宗教組織は別モンだぜい。
- [214]あー 05/05/25 11:23 u4tLwyvPGi
- アキラさん、しろうとさん、トリップさんありがとうございました。
お供えは自分が価値を感じたらする事は妥当という事ですね。
このサイトの前の方にお供えするのは心って書いてあってそうだなーっと思ったんですが、
教祖のお話で真心の御供えってあるんですが、年末にある信者が立派な重箱に小餅を持ってきたけど、おやさまは喜ばれず、その後に粗末な風呂敷包みに竹の皮にほんの少しの餡餅を持ってきた信者さんがいて、それはたいそう喜ばれたそうです。後で分かったらしいですが、先の人は裕福でお正月についた小餅が余ったからと持ってきて、後の人は何とかお正月にお餅をつく事ができたから、何をおいてもお初を・・・と持って来られたらしい。
何でもお金で価値を見出してしまおうとする今の日本には大切な価値観では無いかなーっとおもうんですが。
宗教組織が信仰の邪魔をしてしまっているのは本当に残念です。
そしてカルト宗教の存在は今の日本の象徴なのでは・・・?
私は天理教ですが他の宗教でも否定しようとは思いません。
でも人では無いと思うんです。人では無い絶対の存在っていうものが
あると思います。それは人それぞれ感じ方はあると思いますが。
- [215]あー 05/05/25 11:59 u4tLwyvPGi
- 質問とは違いますが、私は最近、共依存症という事に興味を持って勉強しています。
自分の価値を他人の世話をする事で見出していく人間関係の依存症らしいのですが、天理教の人はこういう傾向にある人が多いいと思うんです。
人のために・・・て思っているのですが、「こうしたらああしたら・・・」と色々と言って相手をコントロールしようとしてしまう。自分ではその人の為と思っていてもそれも偏っている心の癖なんです。
ここで勘違いしやすいのが自分が何とかしてあげたい。って思うことでは無いかと思うんです。
何とかしてくれるのは、心を入れ替えた本人(又は周囲の人)を受け取って働いてくださる神様なのでは・・・って思うんです。
「人をたすけてわがみたすかる」って言いますが、自分が助かりたいっていう思いがあって人が助かって貰いたい。っていう気持ちがあるのが正常な心のあり方かなーって最初からそういうふうにつくられているのかなーっと。言っている事分かりますか?
もう一つ、天理教で奇妙??がられているのがおつとめとおさづけでは無いか・・・と。
これが無ければ道徳的な教えでいいかもしれないけど、知らない人は何???って思いますよね。
神様は私達に困った時に何をしたらいいのかって教えてくれてるのでは、と私は思っているのですが、
人に助かってもらいたくても、自分が変わりたくても、自分ではどうする事も出来まない。その時につとめとさづけという手段を人間に与えてくれたのかなーと思ったり。
自分の最近、感じた事を書いてみました。皆様のご意見聞かせて頂けたらと思います。よろしくお願いします。
- [216]タント 05/05/25 13:29 *NVYcE2t4P7I*u8MW6ksc7e
- こんなサイトがありました。http://www13.ocn.ne.jp/~ryouran/index.html
サイトの運営者は日蓮正宗の人みたいで、他宗教、他宗派は外道
という感じで感情的に他宗教、他宗派を非難されています。
天理教は金がかかるかどうかは私は存じませんが、全国津々浦々に
教会があり、教会本部(天理市)の規模と拡張工事をしているのをみると
多分そうだろうなと思います。でも寄付は結局本人が出すか出さないかの
問題だと思います。創価学会でも、組織がかりで寄付を集う時期があるらしいですが、寄付するかどうかや、金額は任意です。(でも払わないとしつこく言われるみたいですけど)
私の親は仏教を信仰していて、寺に行きます。しかし寺で行う祈祷も突き放してみれば、何人かがほら貝や太鼓、拍子木などを打ち鳴らし、火をおこして拝み、紙切れか木におもちゃの小刀で切る真似事をし、ありがたい言葉だのをつぶやき、お守りだと称してして金を取って渡すという、ひとつ間違えばカルトにも見えます。
それを誰もカルトや金取り宗教だといわないのは、見慣れているからだと思います。人は昔から当たり前として行われていることに対してあまり疑問に
感じません。しかし見慣れないものや知らないことには本能的に不安や恐怖
を抱きます。新興宗教が怖がられる背景にはそのことがあると思います。
- [217]美人 05/05/25 13:36 AsKK9t/BY/
- YUMIさんこちらに最近いらしてますか?
天理教を語るスレでお名前があがったので・・・
エホバと天理と結婚と・・・
お話をぜひききしたいです。
- [218]あー 05/05/26 13:34 u4tLwyvPGi
- タントさんありがとうございます。
そちらのサイトも読ませて頂きました。知らない事ってたくさんあるんですね。勉強になりました。
私は子供の頃から天理教でしたが、嫌だとも思ってなかったし、特に熱心でも無かったんですが、ある時、色んな事が上手くいかず、人間関係もボロボロになり、どうしていいか分からず、本部に参拝に行ったんです。
教祖殿で座り込んでぼーっとしていました。そうするとなんだか気分が落ち着いてきて・・・。その時からが本当の自分の信仰かな・・・って思います。夜の神殿は何だか神秘的で心が澄んでくるような感じがしました。
最近、バス団参のお誘いがあり、会長さんから「他にも誰か行ってくれる人いない?」って言われて、自分でも誘ってみたのですが、何の為に誘っているのか分からなくなって・・・。会長さんを喜ばせたいから?人数集め・・・?って。
会長さんの気持ちは分からないけど、自分に自己問答してみたりしてました。自分もボロボロの時にたすけてもらった・・・って思うと皆にも・・・っていう思いもあるけど、友人に用事が出来て行けないって言われた時、何だかほっとしたんです。
こころあるならたれなりと・・・・
むりにこいとはいはんでな・・・・
ですから・・・。私は声をかけるだけ・・・って思いました。
信仰って自分だけのもの。誰から強制される事も無く自然体でいきたいと思っています。勿論、相談されたら自分の感じた事を伝えていきたいとも思っていますが・・・。
前のスレで組織宗教は限界、個人宗教になっていくのではって感じで書かれてありましたね。そうなるといいなーっておもいます。
- [219]あー 05/05/26 13:53 u4tLwyvPGi
- 個人宗教になったらいいのにっていうのと矛盾しますが、
天理時報(天理教の新聞)とか本とかって最もらしい事とか、たすかったっていう内容ばかりと思うんです。天理教の批判とか、非難とか書いたらいいのにって思います。もみ消していたら余計に問題解決にはならないのでは無いでしょうか?そうしてその事を皆で練りあいしていったらいいのでは・・・?若い人の意見や批判、疑問って大切だと思う。
自分達が信じて確信を持っているのであればどんどん出していったらいいのになーって思います。そして変えていく事も必要かと・・・。
教会だって信者が必要だと思ったから親神様にお願いして設置したんだから、信者が居なくなれば、もう教会は必要なくなったんだから無くしてもいいと思う。無理に残しても何の価値も無いのではないでしょうか・・・?感じた事を書いてみました。
- [220]アキラ 05/05/26 14:15 BHEIQFSqQ4
- あーさんに天理教を信仰するきっかけみたいな事を聞こうと思ってたら、既に書き込みがあり、理由に納得しました。
自分の知り合いの宗教者は、比較的多くあーさんのような理由です。
経験から、何となく勧められて入っても続かない事が多いようです。
ましてや勧誘で強制するなどは、本人の反発を招く事必至です。
だからあーさんの勧誘に対する姿勢に非常に共感を得ました。
1週間ほど前に
駅前で「あなたは神様に興味がありますか」
と聞かれました。
こんな事普通に言っていたら、今の時代、絶対に怪しいとしか思いません。
私も、また出たな!という気持ちになりました。
本人の信教の自由の元、どうですかぐらい?ぐらいのあーさんの勧誘が無信仰者には一番ありがたいです。
- [221]えー 05/05/26 14:27 lTjYWAJ0RO
- あーさんのレス読ませていただきましたが、あなたの様な人に
信者ですと言ってほしくありません。教祖がどのような思いで
50年のひながた歩まれたか分かりますか?分かろうと努力し
てますか?当時の周りの人がこの宗教をどういう思いで守ろう
、広めようとしたかわかりますか?理と情の間に揺れる月日の
やしろであった中山みき様の気持ち、それをとりまく人々の気
持ち、あなたにはわかりますか?あなたの様な発言者がいるか
ら天理教って何?って言われてしまうのです。もっとしっかり
学んで発言してほしいと思います。そして肌で感じてほしいで
す。この教えの素晴らしさを。自分たちが確信を持って信仰し
ているからこそ批判も疑問も無いのです。批判や疑問の出る人
で確固たる天理教の信者っていません。そんな人はエセ信者で
す。
- [222]アキラ 05/05/26 14:48 GoRGEoUS
- >220
>天理時報(天理教の新聞)とか本とかって最もらしい事とか、たすかったっていう内容ばかりと思うんです
これ信者向けだと思うんですけど、どこの宗教もだいたい同じですよ。
天理教の新聞にはどんな事が書いてあるか知りませんが、悩みがあって教理にこういう教えがある、こういう考えがある。
例えば不良息子が信仰で更正した、信仰したらガンが無くなった。
信じたら神様のありがたい御利益があった。
これは無信仰者が見た場合、不良の息子なんかほっといても更正するし、ガンが治ったも、元々治るガンで奇跡のように謳っているだけでしょと。
何とも思わない。
そういう類の事が書かれたものは、どこの宗教も同じと思った。
>天理教の批判とか、非難とか書いたらいいのにって思います。
これは流石に無理でしょう。
というのは基本的に宗教は独裁で、国家に例えれば民主主義じゃないですから。
絶対的に教祖が正しく、また本部が正しい。
それを崩して間違っているとなったら信者が信仰しなくなる。
よって宗教として存続し難くなる。
宗教は理想を追うもで、その理想を具現化したのが組織で、しかし夢想された理想に人は生きていけず、鏡に浮んだ反世界から見事に落っこちる。
人は理想に生きるのではなく、現実にいきる宿命。
そういった否定は今まで宗派として分化して分かれて行ったと思います。
>若い人の意見や批判、疑問って大切だと思う。
もし宗教組織を本当によくしようと思えば、間違いを正すべきと思いますよ。
>教会だって信者が居なくなれば、もう教会は必要なくなったんだから無くしてもいいと思う。
もともと信者が減るという事を想定していなかったんだと思います。
ずっと確実に増えてましたから。
信者が教会を必要として建てられ、足りないからまた建てるという事の逆はなかなかしたくないでしょう。
- [223]あー 05/05/26 17:10 u4tLwyvPGi
- えーさん。ごもっともだと思います。まだまだ勉強不足です。
私は毎日12下りをさせて頂いています。
これは誰に言われた訳ではありません。
私の中で親神様との心定めです。そうしていると色々浮かんでくるんです。どうしたらたすかってもらえるのか?
それで感じた事なんです。私達にできる事は声をかけるだけそしておつとめ、おさづけ。それからは親神様と本人(家族)の問題なんです。
日常にはもっと色々心掛ける事は出来るでしょうが・・・。
教えは素晴らしい・・・。でも信仰している人は・・・って思われていたら・・・?奇麗事ではないと思います。信仰は本人のもの。
批判、疑問はある意味それだけ考えているのだ。とは思いませんか?
他の宗教だって皆、信じて信仰しているんです。私も一緒です。
私は批判しているんではないです。感じた事を書いているだけですよ。
アキラさんからみたらそう思われますよね。
天理教では「節から芽が出る」って言いますが、何事も無く
良い事ばかりでは芽は出ないんです。
だから、批判、意見、非難、を真摯に受け止めそこから芽を出す努力が必要だと思うのです。そんな事で駄目になるならそれまでです。
でも、この教えはそんな事では無いと確信しています。
だからあえて言えるのです。
信者の居ない教会を無理して残していく事に親神様,おやさまは喜ばれるでしょうか?たすけ道場といえますか?(先人方の事を思うと簡単では無いと思いますが現状は・・・)
私達の生きる目的は陽気ぐらしです。
どんな環境であろうとそれが基本ではないか・・・と思うんです。
- [224]どん 05/05/26 17:39 cJFcDNtCvr
- >>221
えーさんのご投稿の意図がよくわかりません。
あーさんが、えーさんより不勉強だとして、
エセ信者だとして、あーさんを「助ける心」からのご投稿ですか。
また、あーさんは、疑問がなくなるまで発言してはいけないとお考えですか。
私はあーさんの投稿に共感している者ですが、
実際のところ、どう受け取ればよいのでしょう。
しっかり学ぶってどういうことでしょう。
みかぐらうたの「無理に来いとは〜」はどういう意味でしょう。
おふでさきの「来ん者に無理に来いとは〜」はどうですか。
高野先生の著作に、教祖は「門掃いている人や嫌がる人のところ
には話しに行かなくてよい」と仰ったとありますが、どうですか。
肌で感じるってどういうことでしょうか。
私も正直なところ、悩んでいます。
是非是非、教えて下さい。
- [225]えー 05/05/26 18:05 ZqIrIvYRyj
- >>223
個々にレスを付けて揚げ足を取るような事はしたくないので
端的に言います。
「人が目標か神が目標か。」
です。ご自分のレスを読めば私の言いたい事が分かると思います。
それと、後半の教会の部分。
あなたは教祖御在世当時の人々がどういう思いで教会をと思われたか
分かりますか。本当に深く、その人々の気持ちになって考えた事ありますか?教会の意味を知っているのですか?教会とは何か、知っているのですか?あなたのその教会に対する考え方に、信者と名乗るのならば大切な心を忘れていると感じました。
批判や疑問が悪いわけではありません。ただあなたのレスを見ている限り、そこまでひながたを通られて後の発言なのかと思いました。
共に世界一列陽気ぐらしを目標にする私たちですから、どんな事があっても喜べる心、どこまでいっても人たすけの日々、どんな中でもいつも心に教祖をの気持ちで通らせていただかなければならいとは思いませんか。
- [226]えー 05/05/26 18:21 VAmiisAnIa
- >>224
前レスを御覧になって、正直不満もおありになるでしょう。
しかし、信仰を求めていく求道の心というのはどういったものか
考えていただきたくこのように発言させていただきました。
本当の意味での陽気ぐらし、教祖のひながたを考えていただきたい。
あーさんの十二下りもそうでしょう。日参もそうでしょう。
毎日かかさずおさづけもそうでしょう。十人十色それぞれで通り方は違います。そういった意味で求めて求めて求めていく中での疑問を目指していただきたい。とは言っても答えはいつも教えの中にあります。教祖は言われているではありませんか。おふでさきで、みかぐらうたで、おさしづで。人間社会で生きている以上、答えを人間に求めてしまうのも常で致し方の無い事でしょう。その中で神様をどれほど日々感じているか、又感じる努力をしているか、ではないでしょうか。求める人にも求めない人にも平等に神様は守護下されている事をあなた方はとっくに御存知でしょう?各自に与えられたその心をどのように使うか、どのように使う事が良いのでしょうか?私が言う事ではないでしょう。そこは銘々の胸次第。
- [227]タント 05/05/26 20:55 Nzwe9aCSP8
- >>218 >>220
そうですね。信仰は無理にするものではないです。
今日路上で「キリスト教のものですが」と断った上で「私たちの話を
聴いていただけますか?」と声をかけられました。私がお断りすると
「ではまたの機会に」といってそのまま歩いていきました。道ばたでの
勧誘はこれが限度だと思います。これ以上やると不信感や恐怖感を
抱かせるだけだと思います。
- [228]タント 05/05/26 21:14 Nzwe9aCSP8
- >>225
えーさんの意見はごもっともです。
ただ、その時と現在では事情は変わってきます。えーさんは教会
とは不可侵のものだと考えておられるのですか?なにがなんでも
維持しなければならないとお考えですか?必要以上の持ち物は身を
滅ぼしかねません。教会維持のために信者さんが無理をしている
(特に金銭面で)としたらそれは本末転倒ではないですか?過去ログ
を拝見していると結構金銭面での負担の問題が出て来ているように
感じます。
- [229]アキラ 05/05/26 21:51 BHEIQFSqHl
- 個人的に天理教を信仰している方にうかがいたい。
天理教のどういう所が素晴らしくて信仰するのか?
また何を目的に信仰するのか?
そこまで真剣になる理由が知りたい。
無信仰を貫いている人間の素朴の疑問です。
- [230]あー 05/05/26 22:08 u4tLwyvPGi
- えーさん有難うございます。
全然不満なんて無いですよ。ただ私の思っている事を分かって欲しくて・・・。
不満よりも嬉しいんです。こうして色々と自分の思いをぶつけていける事ができ、又、それに答えてもらえる。
会長さんにこんな事言えますか?本来、お道を信仰している同士!!
兄弟です。
私達が尊敬し立てていくのは決して間違っている事では無いと思うんです。目上の人を立てる事も。
でもこんな話しが出来る場って少ないと思います。
信仰を伝えていく上で壁になっている事って何だと思いますか?
ここのサイトを読んだだけでも、教えに感銘している人って結構いると思います。それだけこの教えは人を動かせるものがあるって事ではないですか?
でも天理教からは離れていく人が多い・・・。
私は別に天理教に入る入らないは抜きにして皆が陽気暮らしになれば
それが親神様の望まれている事であり、人間が目指す事ではないかなー?
宗教、組織にとらわれると何だか小さくて勿体無いような・・・。そんな感じがするんです。
教会の事も・・・。教会数の割りに信者が少ない。
どこかに負担がいっているんです。
教会の奥さんが部内の会長さんをしている教会って結構多いですよ。その教会を作る為に大変な苦労があったでしょう。
でも、その方々が誰も居ない教会を残して欲しいって思うかなー?
もっとこの教えを皆にも知って貰いたいって思うのではないかなー?
私の考えなので、人それぞれですが、今の現状にしがみついていては、大切な何かを失ってしまいそうで・・・。
- [231]あー 05/05/27 00:56 u4tLwyvPGi
- アキラさん。上手く伝わるか分かりませんが・・・。
まずは自分が生きていく為、そして安らかに死んでいくため(天理教では出直しと言います)ですかねー?
なぜ人間が造られたのか?
「陽気暮らしをしているのを見て共に楽しみたい。」
そう思って親神様が造られたそうです。
人間が生きていく目的はこれなんです。
人は互いに立てあって喜びあって生きるように出来ているんです。
自分が本当に喜べるのは人のためになった時、人から感謝された時。
そう思いませんか?何だか内から湧いてきたような・・・。
人間って喜ぶ為に生まれてきた。そう思えるんです。
病院のベットで寝たきりでも人を喜ばせられるんです。
お世話してくれた人に「ありがとー」って感謝を込めてお礼を言うだけで、お世話した人の気持ちを喜ばせられるのです。
私は中学時代ノストラダムスの大予言を知り、思春期でもありかなり死に対して不安に思った事があります。
その時、生きる事に対してもなぜ生きているのか?って思いました。
いずれ皆、死にます。死に向かって生きているわけです。
そして死ぬ事も人間の力ではどうする事も出来ないのです。
これも親神様のお働きによるものとしか考えられないのではないかと思います。
私は死ぬ事にそれ程恐怖を感じません。
それは親神様の守護だからです。親についていて貰えると思えば不安では無いと思えるのです。
魂は生まれ変わり出変わりするそうです。
「なぜ前生の記憶が無いのか?」とおやさまに聞いたところ
覚えていたら、醜すぎて人間が生きていけない。と言われたそうですが・・・。
私も全て誰かから教わった事を自分なりに理解しているだけです。
人間は皆そうですよね。子供の時は親の事が全て正しいと思って
大人になり、大きくなるにつれ色々な情報を知り成長していく。
でも体験した事、聞いた事が全てで、自分が見聞きしていない事は
分からないのが当たり前なんです。親神様が親だと言ったら信じるしか人間には出来ません。
他に人間の親だと言う者がいるなら言ってみよ!!とも言われていて
他の宗教は許しても天理教から別れ、自分が親神だ!!って言っている人にはかなり厳しく改められているそうです。
うーん。言葉にするのは難しいですね。続きは又にします。
- [232]トリップ 05/05/27 02:31 8GtOdO/STR
- >>221
それ、宗教における一番のダメ要素だぜい。
君のような発言があるから、「危険視」されるって事も考えてみようぜ。
わたしゃ無神論者だが、独学で調べてゆく限り、君の発言をみき氏がきいて喜ぶとは思えんのよ。
- [233]ハンザキ 05/05/27 04:16 *M/A6z.rzbuy*Jvvliqs4S5
- >親神様が親だと言ったら信じるしか人間には出来ません。
疑うことも人間には許されていますが。
…あ、よけいな揚げ足取りでしたか。これは失礼。
- [234]えー 05/05/27 07:49 ZEuTq9kDTI
- >>232
それは無神論者だからでしょう。調べる事と辿る事は違います。
この道には学問はいらないと教祖も言われています。
勿体ない。あなたは教祖からにをいがかかっているのに。
求めてほしい。ただ調べるだけでなくひながたを探求してほしい。
その先には幸せ、喜び、感謝、、、陽気くらし世界が待っているのに。
- [235]えー 05/05/27 07:59 EkqdEo4XGk
- >>230
前半は納得。同意できます。
後半は失望。そういうレスをする前にきちんと調べてからにしてほしいと言っているのです。
せめて部内全ての教会史及びその教会で一番古く信仰されている方の話を聞いて下さい。それだけでも答えが見えてきます。
この道を求めるならば、広めるならば、知ってほしい、わかってほしい。現状だけ見てどうします?あなたにはこうしてよふぼくとしてのお手引きが来ている事を感じてほしい。
今からなら年祭に間に合うでしょう。仕上げの年にふさわしいあなたに出来ること。この旬に、共に成人させていただきましょう。
- [236]どん 05/05/27 09:23 L5JqM.hTOJ
- >>226
>>235
えーさん、わかってきました。ありがとうございます。
求道心ということ、真摯に、求めて求めて求めていくということ。
その求道の過程にあることを常に忘れないご姿勢、いい勉強になりました。
- [237]どん 05/05/27 10:49 D0XAqNoNQ7
- >>229
アキラさん、個人的な思いを投稿します。
天理教では、神は創造者であることは勿論のこと、人間の親であると
教えられているのですが、この、親というのが、私は何ともたまりません。
私には4人の子どもがいまして、長男は先天的な知的障害を抱えていまして、
末っ子は脳梗塞になって手足に若干の麻痺が残っていまして、それらは全然、
不幸でも何でもないことなのですが、やはり手がかかるというのは、正直あります。
どの子も可愛くて、天理教的に申せば私と同い年のきょうだいでして、
実にいろいろなことを教えてくれる私の師でもあります。
そんな悲喜こもごもな子育てですが、一番上の子でまだ7才ですので、
私の子育て経験は7年ということになるのですが、天理教の創造神話では、
神さまは私たち人間を9億年以上の昔から現在に至るまで、子育てして
いるというのですよ。これは、もう何と言うか、ありがたくてたまらん、と、
私は思ってしまいます。
その上で、天理教の神さまには、罰、とか、地獄、という概念がありません。
この、人間に対する、底抜けの愛情というか暖かさ、慈しみ、抱擁が、
暖かい日差し、一日疲れを癒す風呂のお湯、美味しい食べ物、そよぐ風、
人の情け、など日常の様々なことを通じて感じられて、何ともたまりません。
また自分以外の人に対しては、天理教では人間は全員同い年のきょうだいだと
教えて頂いてますので、宗教の違いによる争いや、人間同士の上下関係や差別を
嫌う点でも、全ての人の幸せを願う素晴らしい教えだと思っています。
その、とことん人間を尊重する教えであるが故に、自分の考えを押し付けることは
できない、と今は考えています。ここは議論のあるところだと思います。
- [238]あー 05/05/27 14:16 B/U2wPgNT2
- ハンザキさん。少し誤解されているかも・・・って思ったので。
私が信じているから皆に信じて!!って言えません。
人に言われてハイソウデスカって信じる人はまず居ません。
だから自分で感じた事を信じるのが本当だし、それが信仰は個人の問題と言う事だと思うんです。
私が言いたいのは、親神様の存在を信じる信じないは別として自分が赤ちゃんの頃の事を親(周囲の人)から教えて貰わないと誰も自分の事は分からないですよね。だって違うって誰が言えます?
それは人間には誰にも言えないし、それが当たり前だと思うのです。
自分の親に「あなたはこうして産まれてきたのよ」って言われた言葉を信じるしか人間には出来ません。
だから絶対違うとも言い切れないと思うのです。
- [239]あー 05/05/27 15:22 B/U2wPgNT2
- えーさんありがとうございました。
理ですね。情と理・・・。
人間はどうしても情に流れてしまう。
親神様は理に対して大変厳しく教えられています。
教会の理。
それは人間が勝手にどうこうできる事では無いという事ですね。
勉強になりました。
- [240]名無しのごんべ 05/05/27 22:54 g.bRdDpPuM
- お久しぶりです。いきなりですが、先日の電車脱線事故で、いろいろ考えさせられ、被害者の方々などの気持ちを考えると、本当に心が痛みます。
いつも気軽に乗っている車の運転や、日頃の言動など、慎重にしなければ
ならないなぁと思いました。そしてそういった事故などについて、そうならなければならない運命、因縁だったとよくお道の方はおっしゃいますが、これについてはみなさんどう思われますか。わかるような気もしますし、それだけではすまされない事が現実問題として、あると思うのですが、みなさんの意見をお聞かせください。
- [241]トリップ 05/05/28 03:32 og1b51YRmV
- >>234
>それは無神論者だからでしょう。調べる事と辿る事は違います。
>この道には学問はいらないと教祖も言われています。
別に、学問として云々語る気は無いですよ。
それが私のスタンスってだけで。
そもそも話のミソは、「結論としてどうか?」ってとこよ。
わたしゃ天理教は新興宗教の中では、「教義」的部分に関しちゃ好感度は高いが、貴方の発言を「真」とすると、かなり見誤っていたことになる。
>体ない。あなたは教祖からにをいがかかっているのに。
>求めてほしい。ただ調べるだけでなくひながたを探求してほしい。
>その先には幸せ、喜び、感謝、、、陽気くらし世界が待っているのに。
まあ、コレは主観の問題なので、どうでもいいっす。
信仰の形自体に文句言ってるわけじゃないんですよ。
もう一度、あなた自身が>>221の内容をよく読んでみてください。
「信仰」ではなく、「レス」としてみたとき、それが、天理教の信者として正しいものであるなら、失望以外の何も生まれない。
それが、「あなた」の「スタンス」であるなら別ですけどね。
- [242]アキラ 05/05/28 19:19 4yPFhjW2Kx
- >>231
>>237
あーさんと、どんさんへ。
何度も文章読まさせて頂きました。
親神さまの愛情、暖かさ、慈しみ、抱擁に感謝し
「陽気暮らし」をしていらっしゃるのが伝わってきました。
天理教を信仰する理由が分ったような気がします。
むしろ自分の物の考え方を再認識させられました。
人の考えを聞くことで自分の考えが分かるというとこでしょうか。
自分の思考というのは、神様や教義を真実や真理かまず考え、証拠や証明と理科的アプローチをして、真か偽などという形でしか宗教を見出せませんでした。
だから宗教に対して否定的にならざるを得ないというパターンに陥っていたのです。
ただ素直に信仰して、親神さまに全てを感謝し、その中に幸福があるという、宗教本来のあるべき姿を忘れていたような気がします。
目的は幸福なのだと。
「陽気暮らし」「毎日の幸福の実感」「生まれ変わりと死の恐怖の克服」「人と人との触れ合いから生まれる喜び」「人間皆兄弟」
これらは非常に素晴らしい考え方だと思います。
信仰告白ありがとうございました。
- [243]どん 05/05/29 02:45 t7xIX32hWs
- >>242
アキラさん、私の方こそ、ありがとうございました。
私の方こそ、再確認できましたし、何より、
レスのように仰って頂いて、私は正直、嬉しいです。
- [244]どん 05/05/29 11:12 t7xIX32hWs
- >>240
運命とか因縁とか言われて、言われた人が喜ぶのか、勇むのか、
それだけだと思います。
それとも、運命とか因縁だと諭したひながたがあるのでしょうか。
- [245]a 05/05/29 19:42 fRW/vEofd/
- 南無天理王の命
- [246]人助け 05/05/30 17:27 OMOcUNToDs
- 人助けて我が身助かる
- [247]あー 05/05/30 22:31 B/U2wPgNT2
- バス団参行ってきました。
どんさんレスを読ませて頂き、素直に感動させて頂きました。有難うございました。
あきらさんのお陰で自分の未熟さを再確認させられもっともっとこの教えに触れてみたいと素直に思える事が出来ました。有難うございました。
おぢばがえりさせて頂く前に考えさせられ、心新たに参拝させて頂く事ができました。
又、基礎講座も受講させて頂き、新たな感動も味あわせていただく事が出来ました。
「とても良かったです。」と詰所で係りの先生にお礼を言うと「心が澄んでたからだよ。」と言って下さいました。その時は何気なく聞いていたのですが、帰ってからふとその言葉がよみがえり、ここで皆様に
お礼&報告を・・・と思いまして・・・。
ここでのやり取りも無くいつもの様に参拝に行かせて頂いても、きっとこのような晴れやかな勇んだ気持ちでは帰って来れなかったと思います。
素直な気持ちでお話しを聞かせて頂けた事ですんなりと心に入り心から感激をさせて頂けたのだと思います。
今回は友人も一緒におぢばに帰る事ができなかったのですが(私にも何の為に・・・と迷いがありました)
でも今回帰らせて頂いて、やはり少しでも多くの方にこの喜びを伝えていけたら素晴らしいなーと素直に思わせて頂きました。
- [248]アキラ 05/05/31 00:37 4yPFhjW2pU
- そういえば「こどもおぢばがえり」
というのに参加した事がある。
確か3500円で1泊2日だった。
晩飯と朝飯、昼飯つき。
カレー食べた。
隣りのおっさんがカレー大盛り食べてて、うまいからと「お代わり」までして
「ちょっと2杯は食えれへんわ」
と俺に話かけてきたの今思い出した。
円広志みたいな顔だったのまで覚えてる。
パレードとかもあった。
子供ながらに割安と思った。
小学校4年と6年の夏休みで計2度。
なんか天理教の教義も聞かされたような気がするけど、それは全く覚えてない。
楽しかった気がする。
あーさんのおぢばがえりという言葉で思い出した。
おじばがえりってどういう意味なんですか?
ちょっとまてよ、確か、人はみんな天理で生まれたみたいな話をしてた気がする。
小学4年で「ほんまかいな?」と疑い満々だった気がする。
友達と高橋名人の話もしてたなー。
忍者なんとかっていうアトラクションや、マジックも見た。
お化け屋敷もあったなー。
案外強烈な記憶として残ってる。
- [249]どん 05/05/31 23:17 t7xIX32hWs
- >>247
あーさん、よかったです。
アキラさんもそうでしたが、レスを好意的に読んで下さって、
嬉しいです。ありがたいことです。
喜びも、感動も、人から強要されてできるものではありませんので、
自分が喜べたこと感動したことを、人に伝えるというのは、本当に
難しいことだと私は思うのですが、だからこそ、天理教の行事なり
話に限定せず、日常の細々したことでも、お互いに好意的に関わり
合って、喜びや感動を交換し合えたら、素晴らしいと思っています。
- [250]どん 05/05/31 23:51 t7xIX32hWs
- >>248
アキラさん、懐かしいですねー
私も子どもの頃、何回か参加しました。
しかしよく覚えてらっしゃいますね。
おじばがえりというのは、仰る通り、人間はみんな、
あそこで最初に生まれたと教えられているからですが、
こればっかりは信じるかどうかの世界ですから、
あんまり強くは言えません。
でも天理教の原典である「おふでさき」という書物には、
人間をはじめだした証拠に甘露台を据えておくという内容の
記述があって、個人的には、証拠と仰るくらいなんだから、
甘露台の下を掘ったら何か出てくるんだろうと勝手な想像を
しています。
天理教の創造神話は、天理教内では説話として解釈されている
のですが、私は、あくまで個人的にですが、あれは実話に
違いないと、妄想しています。あくまで個人的な、信仰の話です。
- [251]ローマカトリック 05/05/31 23:52 /nvkdZFHGs
- とにかく勧誘するのやめていただきたい。選挙の時だけ電話してきて友達のふりするのやめていただきたい。他の宗教は間違ってるんだよとか本当に迷惑。宗教を学ぶ前に法律学んでくだい。公明党党首年金未払い問題外。創価学会という宗教は本当にすばらしい、しかし会員がダメすぎる。本当に創価学会のことを池田名誉会長を尊敬しているなら脱会すべきです。あなた達ほどの矛盾は見た事がない。
- [252]まっぷ 05/06/01 11:16 HAR6nCo1pN
- どんさん、お久しぶりです。
私も初めて創造神話を聞いたとき、驚きました。
まず「元の理」の最初の部分にある、
「この世の元初りは、どろ海であった。」
これを、農家の主婦(失礼)が、あの時代に
言われたという事に、素直に驚愕しました。
これから読みなおして勉強します。
個人的な、信仰の話をお聞かせ下さい。
- [253]どん 05/06/02 13:59 L5JqM.hTIn
- >>252
まっぷさん、お久しぶりです。個人的な話ですよ。
以前、正善真柱さまの「おふでさき概説」を読みましたら、
(泥海古記は)甘露台づとめを説明するために説かれた話、
という説明があって、ああそうか、実話じゃないんだ、と
思いました。真柱さまが仰るんだからそうに違いないと。
その後、道友社新書「根のある花・山田伊八郎」を読みました。
この山田伊八郎さんは、教祖のお言葉を一言一句漏らさず
書き留めた人だそうですが、この本の中の教祖のお言葉に、
次のようなものがありました。
「この人間の手五本の指は、魚の肩のところ、えらがある。
このえら、また、骨は、手の指、このえらは、人間の手。」
「甘露台のところが、魚と巳と体のしん。つとめ場所の
ところが、かしらとなり。また、魚と言うても今にても、
大きい魚もあるやろう。くぢらと言えば、ずいぶん大きい
やろう。」
私はこれを読んで、ああやっぱり実話なんだ、と思いました。
いわゆるおとぎ話なら、わざわざ魚のえらが手になったとか、
魚というのは鯨のように大きな魚だとか、具体的なこと仰る
はずがないと。もう、私ひとりだけでも、これは実話なんだと
信じようと、そう思いました。
- [254]どん 05/06/02 13:59 L5JqM.hTIn
- 有り難いことに、正善真柱さまは同じく「おふでさき概説」の
前文で、「私の解釈に反論してくれる人も出て来てほしい」と
書いておられ、各人の解釈は自由である旨を示されています。
なんという寛大な、寛容な人でしょう。その、真柱さまの
あくまで「ろくぢ」なスタンスに甘えて、好き勝手なこと
考えている次第です。
しかしそもそも説話というものは、何かを説明するための話
ということです。例えば病気ひとつにとってみても、西洋医学と
東洋医学では、同じ病気に対する説明の仕方が違うでしょうし、
他にも、「感情」についてなら、同じ心理学でもフロイト派と
アドラー派でも、これまた違う説明をするでしょうから、
天理教の創造神話の説明の仕方が、生命科学のそれと違って
いても、そんなに大した問題ではないと思っています。
それに原始の脊椎動物は、ピカイヤというナメクジみたいな
ドジョウのようなものだったとも言われていますし、それで
5〜6億年前とのことですから、天理教の創造神話では9億年
前とのことですから、科学でもはっきりと説明されていない
時代のことですし、個人的に信じる分には何ら問題ないと
思っています。
- [255]まっぷ 05/06/02 20:10 HAR6nCo1Q6
- どんさん、お返事有り難うございます。
えらについて、思い出したのですが、
胎児の手は、はじめは指の間に、えらがあって
だんだん細胞がなくなって、人間の指になって生まれるそうです。
なんか神話として崇めるだけでは、勿体無いと個人的に
考えています。
どんさんと同じく、私も本当の事と信じています。
- [256]まっぷ 05/06/02 23:42 HAR6nCo1Q6
- すみません。すごいミス・・やっちゃいました。OTZ
胎児の手は、はじめは指の間に、水かきみたいなものがあって
でした。
水かきと、えらは、えらい違いですw
- [257]AKIRA 05/06/03 00:30 4yPFhiKNqv
- あの質問なんですが、その天理教の本の「おふでさき」やその他の本というのは、天理教では真実として教えてらっしゃるのですか?
それとも、事実関係は関係無く教えとしてあるのですか?
お願いします。
- [258]どん 05/06/03 09:41 L5JqM.hThK
- >>255,256
まっぷさん、そうでしたね。
テレビで見たこと、あります。
ますます、本当の事と信じてしまいますね。
信じるかどうかはそれぞれの自由だとは言え、まっぷさんも
信じておられると聞いて、正直、嬉しいです。
>>257
AKIRAさん、天理教では「おふでさき」「みかぐらうた」
「おさしづ」は真実として教えられています。
その他の書物は、伝記や口伝であったり、史実であったり、
研究論文や信者の自叙伝であったりと、いろいろです。
- [259]ひのきしん 05/06/03 23:13 H6Ij.ZsG86
- 徳を積みましょう。
- [260]まっぷ 05/06/05 11:22 HAR6nCo1xy
- 五月半ばに、私が経験した話を聞いて下さい。
他系統の友人が、上級に日参、ひのきしんを始めたと聞いたので、
一日だけでも、お手伝いをと思い一緒に参りました。
神殿掃除他、2時のおつとめ、植木の手入れ、除草など
二人で勇んで勤めました。
一日のつもりが、毎日になり頑張っていると、
そのうち又一人参加者が増えました。その方は、自転車で・・
毎日片道50分かけて来られます。
私達は、車で片道40分ですから、脱帽です。
ある日、休憩タイムでお茶してる時、教会の話になりました。
教会が出来て110年以上経つらしく、長老の方々の話によれば
昔は門をくぐっただけで、病人さんが治っていたそうで、
月次祭の時は出店がでる程だったそうです。
こんな古い(失礼)ひなびた(またまた失礼)教会が・・?
信じられない・・。
でも、時々左脇腹が痛み最近毎日のように痛んでいたのが、
教会に来た日から嘘のように、一度も痛みません。
門をくぐったから?
私の悟り→親神様のご守護は昔も今も変わらない。
神様は気長に待っておられる。
教会には宝がいっぱい埋まっているそうです。
掘り返しにいきませんか?
- [261]どん 05/06/05 23:55 t7xIX32hWs
- >>260
まっぷさん、お勇みのようですね(^_^)v
- [262]まっぷ 05/06/06 08:03 HAR6nCo1Q9
- ありがとうございますv
今日は所属の教会の月次祭ですので
おてふり間違えないように頑張りますw
- [263]くろ 05/06/12 11:31 w80T5KWzpP
- どのよううに考えたらいいのか?と思い書き込みさせて頂きました。
小さな教会で会長の妻をしています。
最近、会長が大型の免許を取りに行くと言い出しました。
上級の会長さん方も田舎なので交通事情が悪く誰か大型を・・・と
言われているらしいのですが、主人も仕事をしながら会長をさせてもらっていますし、時間もお金も全く余裕がなく飛び込みも免許センターが遠いので無理のようです。
教祖120年祭に向け皆に喜んでもらいたいという気持ちは分かりますが、借りてまで取ら無ければならないのでしょうか?
先案じばかりしてはいけないと思いますが・・・。
仕事をしているので上級の用事がある時に必ず運転手をできないかも
しれないから上級の会長さんにはお金の相談は出来ないと言います。
心から賛成できないのですが、どう考えたらいいのでしょうか?
- [264]どん 05/06/12 13:30 OwVfwMHGYg
- くろさん、どう考えるのも自由だと、思いますよ。
皆さんに喜んでもらいたいから免許を取るというのも、
借りてまで取るのはどうかというのも、また上級の会長さんに
お金を借りてしまったら運転を断りにくくなるというのも、
いずれも、もっともな考えだと思いますよ。
問題は、くろさんご自身が、どう考えるか、ということだと思います。
私たちはつい、どう思案するのが正しいだろうか、理に違っていないか、と
考えてしまいがちです。つまり、どう考えるべきか「問う」姿勢です。
問うてばかりの「とうじん」さんだと、人によってアドバイスは違いますし、
誰かのアドバイスに従ったとして、それで病気にでもなったら、あれは
心得違いだったのか、とか、いやいや大難を小難にして頂いたから結構だ、
とか、またまたアドバイスが欲しくなってしまいます。
しかしよくよく考えますと、私たちは心の自由を与えられた存在ですから、
本当は「答える」べきではないかと。私はこう考えよう、と、あくまで
自分の責任のもとに、主体的に、決断するべきだと思っています。
教祖のお墓は小さくてよいと言われたのに、郡山の初代はあれだけ大きな
お墓地を作ろうと言った訳です。すごい勇気と決断心だと思います。
年祭に向けて、ちょっと無理してでもと勇む会長をサポートしよう、でも、
人のもの借りたるならば理がいるで、ですから分不相応は慎もう、でも、
一名一人の信仰なんだから、交通事情が悪いからとバスを用意するのは、
その人自身の信仰を遅らせるかもしれないから、お断りしよう、でも、
くろさんが不足の心では意味がないから、お金のことも上級の会長さんに
洗いざらい全部相談しよう、でも、どれでもいいと思いますよ。
- [265]くろ 05/06/12 13:54 w80T5KWzpP
- どんさん有難うございました。
私は先案じが多く、会長にも添う心立てる心が無いとよく言われます。
何においても人では無く自分なんですね。
心の持ちようでどうとらえるかですよね。
勉強になりました。
もう一度考えてみます。
教会に
- [266]くろ 05/06/12 13:57 w80T5KWzpP
- すみません間違えました。
教会に居るとどうすれば皆がおぢばがえりして頂けるか・・・。と考えがちでもっと深く考えられるように日々成人させて頂けるように・・・と思います。
- [267]どん 05/06/12 14:33 OwVfwMHGYg
- 一番よくないと私が思うのは、理の親が、あるいは会長が、
こう言うから、と自分の本心を押し殺してしまうことです。
自分より立場や地位が上だからという理由で服従するのは、
素直でも何でもなくて、たんなる無責任、追従だと思います。
私が実は大教会長だったら、くろさん、私の投稿をどう読みますか。
なるほどその通りだ、成人を急き込まれている、と受け取りますか。
私が本部員だったら、どうですか。
本当は、私はただのようぼくです。
ただのようぼくだと知った途端に、説得力がなくなりましたか。
教会の事情も知らないのに適当なこと言っちゃって、と受け取りますか。
まことにまことに、くろさんの自由です。
どうか、心から納得できる、喜べる、ご決断をお願いします。
- [268]どん 05/06/12 14:48 OwVfwMHGYg
- 投稿が前後してしまいました。
トンチンカンな内容になってしまい、すみません。
添う心も、お地場がえりも、深い考えも、大切だと思いますが、
私が一番関心があるのは、くろさんが陽気かどうか、です。
とは言え、無責任な投稿の域を出ませんね。
私ももう一度考えてみます。
- [269]くろ 05/06/12 14:56 w80T5KWzpP
- どんさん有難うございます。
私は教会に生まれましたが、余り天理教の教えを叩き込まれてなかったので、結婚してから色々と学ばせて貰いました。
教会に居るとかなり視野の狭い環境でこれではいけない・・・と思い、インターネット等で色々な情報を得ようと考えています。
どんさんのご意見大変参考にさせて頂いています。
確かに服従かもしれませんが、自分が何でも分かっている。という高慢な心を持っているのも事実です。
おやさまがのお話しに「女の道」というのがあります。
耳の痛いお話しですが、女と男は平等ではあるが、得分が違う。
心使いも違ってくる。というお話です。おなごにばかり難しい事を言うが、女は台である思案してくれ。と言われています。
でも確かにそうなんです。丸く治めるのも女の得分。
その事も思い出しました。
もう一度よく考えてみます。
そして会長ともよく相談してみます。
- [270]どん 05/06/12 17:54 OwVfwMHGYg
- くろさん、私の方こそ、勉強させていただいてます。
真摯に女の道を受けとめておられる姿勢に、頭が下がります。
そこで反対意見を言うようで申し訳ないのですが、おさしづでは、
「皆惣計女の道あるなれど、女の道に男女とは言わん。
この道どうも分からん。(M31.3.25)」とあります。
惣計とは、みんな、という意味ですが、おさしづは
おふでさきと違って、書かれたものではなく、喋られたものです。
そこでちょっと大胆に、「早計」とは読めないでしょうか。
そうすると、はやまった考え、早合点、という意味になります。
「みんな早合点して、女の道があるとされているが、
女の道には、本当は男性も女性も関係ないんだよ。」
私はそう解釈することにします。
全員が、一人残らず、教祖の子です。くろさんも、教祖のお子です。
男だから、女だから、という観点も大切かとは思いますが、そもそもは
信仰なんてものは、喜んでなんぼ、喜ばせてなんぼ、の世界だとも思います。
夫婦でご相談されて、うまく治まりますように(^_^)v
- [271]まっぷ 05/06/13 01:02 MRRhSOShhA
- くろさん、
やさしい会長さんなんですね。
仕事が終わってから、教習所へ行かれるんですか?
今、免許取ろうって勢いがあるんですね。
何かを始めると、何かが動き出します。
色々大変でしょうが、頑張ってくださいね。
誰かを助けたり、喜ばせようとして頑張ったのに、
結局自分が一番助かっていたのでは?という事が
よくありました。
- [272]くろ 05/06/13 14:18 w80T5KWzpP
- どんさん本当によくお勉強しておられますね。
いつも書き込みを読ませて貰って「すごいなー!!」と感心させられています。
私は女の道には程遠いですが、心のあり方という事でしょうか。
いつも私が保守的で会長が実行派なのでもめてしまうのです。
もっと色んな視野から物事を判断出来ればいいのですが・・・。
まっぷさんありがとうございます。
教会の御用の無い時に仕事に行っているので年中無休なんです。
仕事の後に教習所に通うそうですが、体の事も心配です。
来月はおぢばがえりがあるので益々時間が無くなるので今月行っておきたいそうです。本当に頭が下がります。
上級の息子さんも会長と同じ年(32歳です)で教会にいて仕事も出ていないので、その方に相談してみたら・・・?とも話してみたのですが、上級の息子さんはとる気はないらしいです。
会長が勇んでいるのに私が何でも尻込みしてしまうので、駄目ですね。
もっと視野を広げないと何に対しても不足心が出て陽気になんか成れないですよね。前向きに検討しようと思います。
- [273]どん 05/06/14 00:03 OwVfwMHGYg
- くろさん、そんなこと言われると嬉しくて調子に乗ってしまいます。
調子に乗りついでにもうひとつ、すみません、保守的と実行派について、です。
釈迦に説法になりますが、人は鏡、また、心どおりの守護、とも教えられています。
私は、保守派が間違っていて、実行派が正しいとは思いません。
また、このテーマについては保守が正解、あのテーマについては
実行派が正解というものでもないと思います。
例えば、もっと天理教をアピールするために、本部の神楽勤めを
テレビ中継しようとか、そんな改革的な実行派な意見があっても
よさそうなものですが、そんなことされていません。保守そのものです。
また、神楽勤めは保守が正解、と思っていても、真柱さまがテレビ中継やるぞ
と仰って、それが天理教の常識になるかもしれません。
どっちが正しいかなんて、時代や人によって、全然違うと思います。
だから保守でも行動派でもどっちでもいい、というのが私のスタンスです。
と、そこまで申し上げて、ではどうしてダンナさんが実行派なのかという問題です。
それは、くろさんの心の中に、保守的でありたいという思いがありながら、
でも本当は実行派であるべきでは?という考えもあって、
その二つの思いに揺れ動いておられるのではないかと。
そして、心どおりのご守護で、ダンナさんが鏡として、実行派な行動を
して見せてくれているのではないかと、私には、そう思えます。
ほなどないすんねん!となりますが、冒頭申し上げたとおり、保守でも
行動派でもどっちでもいいんです。くろさんも間違っていないし、
ダンナさんも間違っていないと思うんです。だから実行派なダンナさんを是非
許してあげて下さい。同時に、保守的なくろさんも、許してあげて下さい。
だってどっちでもいいんですから。
尻込みする自分も、不足心で陽気になれない自分も、是非許してあげて下さい。
そうは言っても、実際はなかなか、それでは前に進まないことも多々おあり
でしょうが、せめて感情としてだけでも、許してあげてほしいところです。
それが出来たら、ここがこの世の極楽とまでは言えないにしても、
ちょこっとだけでも心が軽くなるんじゃないかな、と思います。
決して「でも、不足心でもいいなんて許されるはずがない」なんて思わないで
下さいね。その心どおりに、誰かが鏡となって「そんなの許されない!」と
言ってくれることになるでしょうから。
「ふうん、そんな考えもあるかな」くらいに軽く思って下さい(^o^)
- [274]まっぷ 05/06/14 23:37 MRRhSOSh34
- くろさん、お返事ありがとうございます。
年中無休だと、体の事が心配ですよね。
でも神様の御用なのだから、きっと大丈夫だと思います。
上級の息子さんは、お宝を貰う気が無いようですから、
先に二人で貰っちゃって下さいw
大型免許があれば、長い人生、どれだけの方のお役に立てるか・・・
そう考えると、わくわくしませんか?
私事ですが、今日上級の月次祭でした。参拝に来られた
画家であり、農業もされている筋金入りの・・私の師曰く。
作物を植えるのは、絶対に旬を逃したらダメ。
ちょっとでも旬がズレたら、小さくてなかなか育たないのよ。
だから、旬といわれている今、頑張りなさいよ。
色々な方と出会い、教わり感謝する毎日です。
どんさんのお言葉を使わせて頂くと、さしずめ
私は実行派で、主人は保守派だと思います。
すぐ突っ走る私を、冷静に受け止める&相談役がいて
大助かりなんですw
くろさんとこは、うちと反対ですが、おそらく
会長様は、聡明な奥様を頼りにされていると思います。
でも不思議と主人がアホな事言ってるなあwと思っても
言う様にすると、何かが起こって結局その方が良かったり
します。でもコレ難易度高いですよw
お互いがんばりましょうネ。
- [275]まっぷ 05/06/15 00:32 MRRhSOSh34
- どんさん
いつも、書き込み楽しみにしています。
私には思いも付かないテレビ中継の話、
なかなか参考になりましたw
文面には優しさがあふれていますね。
これからも期待しています。
- [276]くろ 05/06/15 13:54 w80T5KWzpP
- どんさん有難うございます。
自分が余計な事をしたり周りに迷惑をかけたり・・・。
ついつい自分を責め、落ち込んでしまいイライラしてしまったり・・・。
「自分を許す」・・・なるほど!!本当にそう考えると心が軽くなってきました。
今回もどうせ免許を取るのなら勇んでいる会長に気持ちよく取らせてあげれば良かったなー!!と思っていたんです。
ここに書き込みする前に反対はしないまでも、賛成はしていなかったんです。会長に話す前に書き込みをしておけば又、違ったのかなーっとも思いますが、これも自分に気づかせてくれる機会だったんでしょうか?
結局、会長は今日から教習所に通う事になりました。
「本当に大型取る事になったなー」・・・だって。
以前より取りたいとよく言っていたので、現実になると思いが違うのでしょうか?
私も何か新しい事にトライしたいなーって思えてきました。
まっぷさん。私も会長が免許を取るのが楽しみに思えてきました。
何もしなければ何も始まらないですもんね。
何においても判断する時に色々な側面を考慮できたらいいですよね。
心の持ち方って大切ですね。心の自由!!なるほど!!ですね。
- [277]まっぷ 05/06/16 11:05 WtFpTozfyx
- くろさん、
勇まれているご様子、自分の事みたいに嬉しいです。
以前から習いたかった事があって、偶然、私も昨日から
始めました・・残念ながら、大型じゃないけどw
でもね、二種免許をいつか取りたいという夢はあたためています。
神様、家族から、ブーイングが出ない様に自重しながらw
色々な事に顔を突っこんでみましょうよ!!
- [278]どん 05/06/17 10:36 d6UB5TXpXw
- まっぷさん、くろさん、ありがとうございます。
人の書いた文章を、どう読むか、どう受け取るかは、
まったく読む人の自由だと思います。
なのに好意的に読んでいただけたことは、やっぱり嬉しいです。
しかし勿論、反論や批判も、新たな気づきを得る機会になりますので、
今後ともよろしくお願いします。
- [279]どん 05/06/17 10:37 d6UB5TXpXw
- 時には不足心でもいいんだ、という、天理教の信者にあるまじき?投稿を
させて頂いた経緯について、もう少し書かせて頂きます。逸話篇です。
教祖は、ある時、増井りんに、
「九月九日は、栗の節句と言うているが、栗の節句とは、
苦がなくなるということである。栗はイガの剛いものである。
そのイガをとれば、中に皮があり、又、渋がある。
その皮なり渋をとれば、まとこに味のよい実が出て来るで。
人間も、理を聞いて、イガや渋をとったら、心にうまい味わいを
持つようになるのやで。」
と、お聞かせ下された。
イガイガや皮、渋の中に、味のよい実がある、とのことです。
そりゃ当たり前でっせ、と思うのですが、大切なのは、栗そのものが
善だ悪だではなく、両方入っている、という点だと思います。
人間でいえば埃(八つの埃)でしょうか。
その人そのものが善だ悪だではなく、その中に善も悪も両方あって、
埃を出してこそ、うまい味わい(正味)が出て来る。
つい、埃を悪と捉えて、これを積まないようにと考えがちですが、
また、あの人はあんな埃積むようなことではいかん、とか、
こんな埃だらけの自分では許されない、とか考えて責めがちですが、
それもいいけど、一人の人間の中に、善も悪も、埃も正味もある。
埃を憎むのではなくて、埃に感謝して、これを出していく。
イガイガや皮、渋のおかげで、まことに味のよい実が、育まれてきたと。
そんなふうに考えると、不足心のある自分も、いろいろ苦言を呈して
くれるまわりの人も、ありがたいことだ、と思えた次第です。
すると、苦がなくなる。苦を乗り越える、でもなく、
苦を忌み嫌う、でもなく、苦がなくなる、です。
私はそう理解しました。
- [280]まっぷ 05/06/17 12:51 WtFpTozf7A
- 私は、朝起きてから寝るまで、埃を積みまくっている事が
よく分かっているので、毎日おつとめを欠かせません。
人は埃を積まないで暮らすのは無理なんだから
おやさまは、おつとめを教えて下さったと思っています。
おつとめについて、何かお話を伺いたいです。
よろしくお願いします。
- [281]どん 05/06/18 09:39 xfB7OFiQs/
- まっぷさん、毎日続けることは大変なことです。すごいです。
教会の方も、すごいと思います。毎日、ですからね。
私はなかなか、出来ていません。
おつとめですが、本部の神楽勤めについてはわかりません。
教会の月次祭のお勤めは学びとして許されたものだと聞きます。
だから行けるときに行ってます。
朝夕のお勤めはしていません。
お願い勤めは、大体毎日しますが、しない日も結構あります。
そんな訳でお勤めに関しては、あんまりこだわりはないんです。
天理教以外の宗教もたくさんありますし、世界中で、いろんな人が、
いろんな方法で、他人の幸せを、病気の治癒を、また、自らの
心を澄ますべく努めておられると思います。
おふでさきに、
真実の心次第にどのようなつとめするのも皆助けやで(8-3)
とあります。
どんなつとめでもOKだと、問題は真実の心かどうかだと、
形や方法よりも、大切なのは心だと、教えて頂いていると思います。
- [282]くろ 05/06/18 10:25 MU0POCk6GN
- おつとめについて・・・。
以前にある先生より教えて頂いた事です。
先生も自分で言われていましたが、偏屈で、何でもためして自分が納得しないと気が済まないらしく、おつとめにも何か意味があるはず・・・と毎日おつとめを続けられたそうです。
その先生はすわりづとめをつとめる事に何か意味がある。と思われ、一日に6度(これは6人でつとめられるのを一人でつとめると言う事だろうか?と言っておられました)を朝、昼、晩、と三度続けているうちに不思議なご守護を数多く見せて頂いたそうです。おやさまは姿をお隠しになってまでせき込まれたおつとめ。理屈よりまずは素直に実行するところにご守護をみせていただけるのでは・・・。と言われていました。それから皆さんにも勧めるようになり、身上を頂かれた身内の人が毎日勤める事で多くの方がご守護頂かれて、先生も実感として感じておられるそうです。そのおつとめは寝そべっていても、テレビを見ていても、布団の中ででも良いのだそうです。一日18回すわりづとめをする事になります。何をしながらでも・・・と言われても結構大変です。でもこれをしたら助かると言われたらどうでしょう?できない事では無いですよね。
私は、おつとめにはやっぱり何か深い意味があるのでは・・・と思えてなりません。
- [283]えー 05/06/18 13:20 8jEUrckh2v
- おつとめにはもちろん深い意味があります。
深い親心があります。
表面だけを見ていてはわかりません。
教祖の思い、時代背景、言葉の意味、手振りの意味、全てを学び感じて下さい。
その素晴らしさに心震えるほど感激して下さい。
- [284]まっぷ 05/06/18 19:27 WtFpTozfls
- 今、アルバイトが終わって帰ってきました。
皆様、有り難うございます。
どん様、正直ドキッとしました。心が大切なんですね。
毎日勤めているけれど、時間が無い時おつとめが「光の速度」です。
形や方法さえ出来ていれば・・そんなおつとめでした。
反省しています。誠の心が足りませんね、まだまだです。
くろ様、なにをしながらでもいいのだったら、18回すわりづとめに
明日チャレンジします。素直に実行したいです。
祖母から聞いた話ですが、3年間、朝夕のおつとめの時間を一度も
違わず、毎日同じ時刻に勤めたら、叶わぬ願いは無いそうです。
何処に居ても、おつとめを勤めるのだそうです。
やはり、こころをお受け取り下さるのでしょうか。
えー様、はじめまして。よろしくお願いします。
良かったら少しずつ教えて頂けませんか?
甘えてすみません。
- [285]疑似餌 05/06/19 13:00 /bWLEuR7HR
- 伝統宗教も、霊波乃光も、皆が喜ぶならば良いんじゃないでしょうか?
神社にお賽銭投げても、それで安心するのなら、良心的で役に立っていると言えるでしょう。
一般の宗教とカルト宗教が違うのは、その「絶対的救済力」 。
初詣で程度では満足できない、もっと大きなご利益が欲しい、
その「欲」を、カルトは利用するのです。
もちろん「ご利益ではなく、利他愛が大切」という大儀をカルトはかざすが、
それは建前だけではなく、「本当に自分より人々を救いたい」との真摯な願望から入信する者も多い。
そしてマインドコントロールされ、結果東京の地下鉄で毒を撒いたりするのである。
そしてここで当然「毒を撒かないからカルトではない」との無知な意見が出るが、
毒を撒くからカルトなのではなく、教団がメンバーを都合良くコントロールし、
「メンバー本人や社会に害を与えるから」カルトと呼ばれ、忌み嫌われるのである。
お賽銭程度じゃなく、
「教団にかなり貢献(金、人、労働力 の提供)すれば、当然かなり救われるんじゃないか?」
そう思い込ませられれば、 あとは信者は勝手に金と人を集めてくるのです。
とてもおいしい経営であり、
メンバーは「騙されても感謝しているおめでたい人たち」w なのです。
「教団の美しい言い分」を盲目的に信じ、教団に貢献(金、鴨、労働力 の提供)していれば、
「もっと大きなご利益」が貰える、 しかも表向きは「地球を救う利他行」だから、
その尊さを盾に、実際には傲慢でみにくい行為に至ってしまうようになるのです。
- [286]クッシー 05/06/20 08:54 ht8NeDKZWe
- ここでよかったんだろうか・・・
- [287]くろ 05/06/20 09:40 MU0POCk6GN
- えーさんおつとめの深い意味・・・
手振りの意味等・・・良かったら具体的に教えて頂けたら・・・と思います。
- [288]wao 05/06/20 10:49 7PFn/9Ym8J
- クッシーさんおはようございますぅ。
ここで良かったんですよ((* ̄∀ ̄)キャッ
お仕事ご苦労様です<(_ _)>
- [289]クッシー 05/06/20 10:58 jZqg5i.IFx
- waoさん!おはようございます。
間違いなくてよかったです。
最後の「出産がなければ・・・」で えっ!?違うのかな・・・と迷ったんですが(^_^.)
でも、お互いピン!とくるものがあったのは驚きです(^0_0^)
- [290]wao 05/06/20 11:23 15isc5gTTK
- あ〜、出産っていうのは地名とかじゃなくてこちらのことでして。。。
それにしてもすごかったですねぇ。
「人をたすける仕事」しか言ってなかったのにヽ(^ー^)ノ
お仕事でこちらに来られることあるようで、日が合えば会いたいですねぇ。
- [291]クッシー 05/06/20 17:56 ht8NexOVAl
- waoさん、今日もドーモ!
今日はこれから出かけます。
また明日会えたらいいですね。
では(^o^)丿
- [292]wao 05/06/20 19:21 8jEUr.HgIs
- あ、いえこちらこそ楽しいひとときをありがとうございました。
明日はお休みなので残念ながらお会いできません…。
それ以降は割と行くと思いますのでまたその時はよろしくお願いします。
いつか会える日を楽しみに。
- [293]AKIRA∞ 05/06/21 18:55 Eb.CfkGf2N
- 天理教の方に質問なのですが、中山みき様はどういう立場という教えなのでしょうか?
例えば神様なのか、神様の子なのか、人間なのか、霊媒師なのかです。
あと天理教の神さまは唯一神なのか、多神の教えなのか教えてください。
あと神様を何とお呼びになっているのかもお願いします。
初歩的な事ですがお願いします。
- [294]どん 05/06/22 06:34 xfB7OFiQs/
- >>293
アキラ∞さん、手元に資料がないのでうろ覚えですが、以下の通りです。
中山みき様は「天理王命」という神様です。神様の「社」という言い方も
しますが、要は神様です。
天理教の神様は「天理王命」という唯一神ですが、その働きは10の側面があり、
それぞれの働きに着目しますと10柱(神は何柱と数えます。人間なら何人です)の
神ということで多神とも理解できます。また他宗教も否定しませんので、その点で
多神の教えなのかもしれません。
創造神話では、最初2柱の神が人間を創ろうと相談され、残る8柱の神も順次
話に出てくるのですが、最終的に人間創造の際には、いざなみの命、という1柱の
神の体内に、10柱の神がみんな入り込みます。10柱が1柱になって、人間創造です。
この、神さまが、天理王命であり中山みきです。
だから天理教も中山みき一人から始まりました。
そこで、親なる神ということで、親神様(おやがみさま)と申し上げます。
- [295]えー 05/06/22 10:07 8jEUrpTE.5
- >>293
とりあえず公式HPを御覧下さい検索すればすぐ出てきますので
>>294
一気に答えようとすると納得する説明にはならないと感じます
もし自分が未信者なら「?」ですね
長くなりますがと前置きをし、うろ覚えでなくきちんとした回答
を差し上げるのが礼儀ではないかと思います
- [296]あー 05/06/22 11:35 MU0POCk6GN
- えーっと。
親神様は人間創造の親ですよね。
人間を造られるときに色々な生物
(例えばうを、みetc・・・現代の人が分かりやすく例えて話されたのでは・・・なので今では存在しない生物なのでは・・・と思うのですが)
の性質を見極めて人間の道具として使った。
その時に年限がたったならいんねんある元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせようと約束し、貰い受けられた。
と書かれてあるので、元の神は親神様だけであって10柱の神々様はその道具として使われたものに神名を付けられたのでは・・・。
と理解しているのですが・・・。昔、おやさまが先生方にこふき(人間の元始まりのお話)を書くように言われそれぞれ書いて行ったが、どれもおやさまは納得されなかったと聞かせて貰った事があります。私はそれを読んだ事がないので分かりませんが・・・。
おやさま(中山みきさま)はいざなみのみこと様(母親の役目をされた)の魂を持っておられるとされ、
この世に初めて親神様がおやさまに入り込まれ元始まりのお話しを説かれ、現在も魂は存在し子供達を見守って下さっている。とされている。
言葉にするのは難しいですね。
初めて聞いた人は分からないでしょうね。
- [297]あー 05/06/22 12:15 MU0POCk6GN
- 話はズレますが、私は10年ほど前に山本利雄先生(天理よろづ相談所元院長)の書かれた「人間創造」という本を読んだ事があります。
医者の立場から親神様が教えて下さった人間の創造を解釈されているのですが、「成るほど・・・」と思いました。難しかったので細かい事は書けませんが・・・。
かなり分厚くて難しいですが、興味のある方は読んで見られては・・・?
マンガで「まんがで読む生命の進化」っていうのもあるようですが、私はまだ読んだ事がないので、又読んでみようと思っています。
- [298]AKIRA∞ 05/06/22 17:38 Eb.CfkGf.3
- どんさん
えーさん
あーさん
いろいろ教えてくださってありがとうございます。
素人考えで天理教の重要な教えは親神さま=中山みき様が「陽気暮らし」を推奨した宗教と考えておきます。
まあ単純な考えですが、そこから少しづつ勉強します。
- [299]18 05/06/23 18:29 8a3u4Tvv2v
- えーさんへ。
この道には学問はいらない・・・・・
どこにかかれている言葉ですか?
本科卆凝勢。
ひながたを探求し陽気せかいをたどっている人の発言がこんな感じではそれほど魅力はなさそうですね。
神様目標と切り返すんでしょうけど。
- [300]神一条は金銭ではいかん。 05/06/23 18:59 Lg.zgkHGJt
- 明治二十二年八月十二日(陰暦七月十六日)
・・・身上不足なるは、心の不足を以て、金銭一つの道じゃない。神一条は金銭ではいかん。真実世界の理を、治まり/\の理と、世界の理によって治まる。銘々長らえて一つ順々の道は、通り尽す中、身上不足なる、思う一つの理であろう。一時どうとはこれ無きものなるも、一つの理が成らん。金銭で出来る理であろうまい。神一条は金銭で出来まい。・・・
明治二十三年六月十七日 午前三時半
・・・世界中皆兄弟という。まして一鍋の物喰べながら、あちらでぼしゃ/\、遠くの話といえども、何やらどうもならん。世界を混ぜ返やすようなもの。一日の日でも心たんのうの理は受け取る。金銭の心は受け取りは無い。心だけ金銭、何程の金を持って来て、今日からと言うても受け取るものやない。これだけよう聞き分け。
- [301]無神論者 05/06/24 00:06 T0PhQDDUL1
- 人助けとか言ってるけど、実態はただの信者ずくり。天〇教も所詮は新興
宗教。ありとあらゆる手で信仰させようとする。この世の中に真人間は、
やはりいないのか。教祖がいる時代はどうだったかわからないが、今の
天〇教も今のこの腐りきった日本と全く同じだ。洗脳バリバリだ。
そりゃ天〇教もあんなやりかたしてりゃ信者は増えるどころか、減って
いくわな。今の天〇教に教祖のような方はおられないのか。幻滅した。
オ〇ムとよく似たところもあるしなぁ。ったくどうなってんだよ今の世の中は・・・。きれい事ばっかりいってるけど、結局、自分さえよけりゃ、他人
なんかどうなってもいいんだよ。天〇教の人達もよ。
- [302]に 05/06/24 02:09 dICWOfEzkP
- 人間創造云々や太鼓たたいたり踊ったり教祖がいるいないはともかく、天理教の人はおっとりとして明るくて無償の慈悲の精神を持った人が多いと思う。
そこが大事。
- [303]に 05/06/24 03:03 *mDAVuveuSJl*dICWOfEzkP
- 家が分教会で、生まれた時から天理教でしたので、小さいときからいろいろ聞かされて育ちました。
修養科も出ました。あの3ヶ月は良かったなぁ。
時間があるのならまたいってみたいです。
教義云々は自分の中では別に大きく取り上げることもないので自分で判断しておかしいと思ったところは全く信じません。
ただ、天理の人は好きです。
うーん、と感じるところはなんとなく聞き流してましたので難しい話はわからないですが、「陽気ぐらし」「人助け」この2点で十分だと私は思います。
10年前に家を出てからおつとめも全くやってないし、組織についてなく、信者とはいえませんが、心は天理教です。
- [304]どん 05/06/24 22:44 xfB7OFiQs/
- >>298
AKIRA∞さん、ありがとうございます。
不十分な説明にも関わらず、私の最もお伝えしたかったところ、
天理王命=中山みき、ということを推察頂いて、嬉しいです。
今後ともよろしくお願いします。
- [305]まっぷ 05/06/25 10:24 WtFpTozfWx
- どんさん、お久しぶりです。
お子様達は、お元気で過ごされていますか?
こどもおぢば帰り、もうすぐですね。
我が家は、毎年恒例で今から楽しみです。
- [306]ビット 05/06/26 02:46 ACwbHa1Dbo
- >>299 18さんへ
このえーさんという人とは多分話がかみ合わないよ。
道に学問はいらないから学問上のことはまったく取り合わないという人。天理大学を廃校にする運動でもしたら?と思いませんか?
- [307]どん 05/06/26 08:46 xfB7OFiQs/
- >>305
まっぷさん、ありがとうございます。
みんな元気にしています。
こどもおぢば帰り、懐かしいですね〜。
私ね、何でお茶所に、塩も置いてあるのか、よくわからなかったん
です。塩分補給するんだと聞かされても、ふ〜んそうなんやぁ、
くらいにしか思わなかったです。
でもあれ、いいですわ。
この年齢になって、実感しました(^_^;)
- [308]どん 05/06/26 09:12 3mlfECpCTs
- この道に学問はいらない。よく聞きますね。
でも、学問があってはならない、ではありません。
学問をしてはならない、でもありません。
二代以降の真柱様は大学出てますし、ビットさん仰るとおり、
天理大学もあります。
それは例えば、登山で言うなら、登山に関する知識がなくても
誰でも登れる山ですよ、というようなお言葉だと理解しています。
教祖が山道を拓いて下さっているから、誰でも、知識がなくても、
あくまで自分のペースで、行きつ戻りつ、楽しめる山登りです。
でも、登山の知識があって、地図もコンパスも読めたら、それは
それで、いいことだと思います。
- [309]どん 05/06/26 09:29 3mlfECpCTs
- しかし自分が登山の知識があるからと言って、知識のない人を
馬鹿にしたり、知識がないと山登りできないような言い方したり、
そういうことは慎んでほしいと。
誰でもが、楽しみながら登れる山だから、自分に知識があるなら、
周りの人がより登山を楽しめるような使い方をしてくれよと、
そう仰っていると思います。
逸話篇190は、そういうお話だと思います。
- [310]まっぷ 05/06/27 12:38 M115pA0GaZ
- お子様達、お元気でなによりです。
塩ですか?んー、そういえば、あったような・・。
今度頂いてみます。楽しみが、またひとつ増えました(w
話変わりますが、
学問が、我苦門にならないように・・・。
と、以前聞いたのを思い出しました。
おもしろい語呂合わせでしょう?
- [311]どん 05/06/27 16:48 VL5OCGjP5d
- >>310
うまいこと仰いますね。
学ぶことは本来は楽しいものだと思います。
学校で初めて方程式や証明問題を学んだとき、
おお、すげえ!と思ったのを覚えています。
結局、文系に進学しましたが。
教理を聞いたときも、また既に知っていることでも、
改めてその意味を学び直したときなども、なるほど!と
嬉しく思います。
ですから私なら、楽問、としたいところです。
- [312]どん 05/06/29 08:30 19HpY3Z48V
- 正しさを求めるあまりに、泣いて果たすがごとく、
苦しみの中を疑心暗鬼になりながら、罪悪感に苛まれながら、
それでも頑張っている人を見かけます。
何のための天理教だろう、と思ったりします。
例えば料理で、鯛のお刺身に鯛のお吸い物、鯛飯に鯛のあら煮なら、
これは「鯛づくし」です。松茸ばっかりなら「松茸づくし」です。
では天理教は何なのか。
天理教は「陽気づくめ」すなわち、陽気ばっかり、です。
ですから、303のにさんの投稿にあります、
>「陽気ぐらし」「人助け」この2点で十分だと私は思います。
に大賛成です。
- [313]万年初級 05/06/29 15:50 *8M36Jl00BDO*hQcXDS6u/t
- はじめて書き込ませていただきます。
私はネット初心者で、つい最近この掲示板を知りました。前のスレにも目を通し、多くの方々の真摯な求道姿勢に接することができ、ようぼくの一人として感銘を受けました。
私は元来理屈屋で、その性格が信仰の上では災いしていると自分では思っておりました。
最近話題になっております「信仰と学問」の問題にも関係することですが、自分としてはそういった自分の性格を否定的に捉えていたために、信仰についての学問的アプローチ、あるいは哲学的・神学的なアプローチといったものに対して距離をおくようにしてまいりました。
ところがまったくお恥ずかしいことに、極端に考える悪癖から、原典をはじめとする教理についての勉強もほとんど怠ってしまい(恥)、信仰の上での成長がほとんどないまま低空飛行を続けてきました(笑)。
しかしながら、このスレでご活躍の方々、特にさよみさん、ビットさん、一天理教信仰者さんなどのご見解を伺って、遅ればせながらどうも考えを改めたほうが良い気が(笑)してきました。
いわゆる「目から鱗が落ちる」体験をした為と申しますか、もっとくだいて言えば、「えっらー!」と思った(笑)からです。
つまり、こういった方々は自分の得心のいかないことをないがしろにせず、原典に答えを探し、また多くの人の意見に耳をかたむけ、学ぼうと努めておられます.
これは私にとっては驚異的に大変な道を歩んでおられるように思われるのです(「おふでさき」のみならず「おさしづ」もですからねー)。
私は自己否定のため学ぼうとする姿勢を失い、ただ怠け癖だけを助長したように思います。
その結果、多くのことに納得がいかないままですから、心に納まるはずもなく、成長がないのも当然だったということです。
やはり納得のいかないことは、どこまでも追及するべきである、そんなふうに考えるようになりました。
それが仮に信仰の上でかなり低レベルなことであろうと、真摯に親神の心を求めることであるなら、その行為もおそらく神意にかなうことなのではないか、と愚考した次第です。
この私見が正しいのかどうかはわかりませんが、少なくとも私にとっては、階段を一歩上るきっかけになるのではないかと期待しています。
このような反省を促してくださった、このスレ参加者のみなさんに感謝申し上げます。ありがとうございました。
さて、お礼の後は反撃、というわけではないのですが(笑)、これからいくつか疑問や批判などを書かせていただきたいと思っております。
なにぶん既述の通り、不勉強ですのでたんなる基本的な知識不足・誤解ということも多いと思います。
その場合、著作などでもよろしいですのでお教えいただければありがたいです。
なるべく自分にとってだけ有用なのではなく、みなさんにとっても有意義となるような書き込みができるようがんばりたいと思っております。
また、ネット上でのマナーに疎いですので、ご不快な点などありましたら、ご指摘くださいますよう、よろしくお願い致します(長い?)。
- [314]万年初級 05/06/29 15:54 *8M36Jl00BDO*hQcXDS6u/t
- さて、最初にうかがいたいのはどんさんの、>>294についてのご見解についてです。
私はどんさんの素直に道を歩もうとされている姿勢にいつも自らの屈折した性格を恥じているのですが、このレスについては私は疑問を抱かざるをえませんでした。
以下私見を述べる際、批判めいた表現が現れるかもしれませんが、私にはどんさんを攻撃する意図は毛頭ありませんので、どうかお許し頂きたいと思います。
私がひっかかったのは、どんさんが次のように述べられている2点です。
@天理王命=中山みき
A天理教を多神教とも解釈可能である
正直申し上げて、最初このレスを読んだとき、これはちょっとまずいなあ、という気がしました。
このスレには教理に詳しい方がたくさんおられるので、すぐに訂正なさるだろうと思っていたのですが、直後にえーさんの少し批判的なご意見(内容にはふれておられません)があっただけで、その後もこのどんさんの見解(内容)に異論を唱える方がおられないのが不思議でした。
その後>>304でどんさんは@の見解を改めて強調されたので、表現の不十分さではなく、確信されていることがわかりました。
しかし、批判は現れません。で、「あれれ、ひょっとすると、私がまちがっているの?」とだんだん自信がなく(笑)なってきたのです。
しかし、天理教の公式HPでも、中山みきは教祖様であって、親神とは書いてないようだし????
私は理の親についての真柱さんのご発言も知らなかったので、知らないだけかもしれないとも思います。
これは私にとっては「今さら恥ずかしくて教会では聞けない疑問」でして、どうかどんさんの@とAのご見解は、公式の教理にあるのか、あるとすればどこにそれは示されているのか、などお教えいただきたいのです。
私は本部の神殿では「親神さまー」とお祈りし、教祖殿では「おやさまー」とお祈りしておりますし(笑)、教会でも同様です。
ところが天理王命=親神様、が正しく、中山みき=教祖様も正しく、かつ、@の天理王命=中山みきが正しいと仮定しますと、論理的に親神様=教祖様が導かれますから、私にはどうして二つ別々に拝するところがあるのか?ということがわからなくなります。
また、Aの天理教は多神教か?という疑問については、これまでむしろ否定される話を聞かせてもらってきた記憶があるのですが、そうではないのでしょうか。
もちろんどんさんご自身のお悟りでもかまいませんし、他の方でもかまいません、ご意見をお教えください。
- [315]なや 05/06/29 21:04 *X7myUI/XMo.*E-20PxP
- たしか中山みきの身体を借りた(のりうつった)んじゃなかったかな。
うるおぼえでごめんなさい。
- [316]777 05/06/30 00:41 /ieUAlqZ8N
- 立教158年秋季大祭
・・・どんなに運動しても、容易に認可は下りなかったのであります。
私はこの理由の主たるところは、4点あると思うのであります。
すなわち、まずその第1は、教祖が親神様であられることの理解不足であります。
次いで第2は、元のぢばを離れての運動であった時に見られるのであります。
第3には、運動の主眼が、最初のうちは教祖の御身を思っての運動であったのが、次第に自分たちの上に便利なようにと変ってきたこと。
そして次には、眞之亮様を中心とせずに物事を図ろうとしたこと、などであります。・・・
立教156年春季大祭
教祖その御方こそ、八方の神が治まる天理王命なのだから、神の社は不要であります。
教祖は親神様、親神様は教祖、その理は一つであるという真実。
○高分教会において
・・・教祖なら、どんなことだってお出来ですよ。教祖は親神様でしょう、親神様の月日の社が教祖なんだから。
なるほど人間のお姿はなさっておられたけれども、人間ではない。
月日の社とおなりあそばされてから以後の教祖は、親神様そのものであるというふうに悟らせてもらうのが我々の見方でありますから・・・
- [317]777 05/06/30 00:45 /ieUAlqZ8N
- 神殿、教祖殿。
二つ目標ということでおさしづにて許されていた
と記憶しております。
- [318]どん 05/06/30 09:32 VL5OCGjPdD
- >>314
遅くなりました。すみません。
万年初級さん、私はまだまだ、知らないことだらけで、
皆さんにご指摘頂きながら、勉強しているところです。
今後とも、よろしくお願いします。
@天理王命=中山みき
これは天理教教典のp.43に、「実に、天理王命、教祖、ぢばは、その理一つ」と
書いてあることから、そう理解しています。要は一緒やな、と(^_^;)
その理解のもとに教典を読み直すと、非常にわかりやすかったんです。
教祖中山みきは、神のやしろであって、神そのものではないという理解も
あるのかもしれませんが、ほな人間でっか?というと、明らかに人間ではないと。
そこで私は、難しいこと考えずに、要は神さまなんだと、思っている訳です。
教祖の言葉は、親神の声。
教祖こそ、まことに一れつ人間の親である。
これらの表現を、要は天理王命=中山みきなんだと理解したうえで味わうと、
私は非常にわかりやすく、ありがたい気持ちになれた、陽気になれたということです。
もともと天理王命という神名は教祖に授けるべきところを、官憲の圧迫激しい頃
でしたので、ぢばという場所に授けたという話もあります。
二代真柱様の「おふでさき概説」p.194〜にそのあたりのことが書かれていて、
真柱様は「教祖に授けた神名をぢばに転じた」という表現をされています。
- [319]どん 05/06/30 09:32 VL5OCGjPdD
- >>314
続きです。
777さん、ありがとうございます。
ご投稿くださいました「二つ目標」については、私は詳しく知らないのですが、
同著「おふでさき概説」p.249に真柱様の解釈がありました。引用します。
おさしづの中に「二つ目標」という言葉があるが、この言葉は色々に解釈
出来るけれども、私は親神様の御住居という意味から言うならば、
かんろだいの標識のあるぢばと、そして教祖の御住居と考えられる教祖殿を
指す事が先ず妥当ではないかと思っている。ご守護の上から言うならば、
又私達がお慕い申す上から言うならば、二つあったとしても、決して矛盾は
感じられないのである。
- [320]どん 05/06/30 09:33 VL5OCGjPdD
- >>314
続きです。
さて、A天理教を多神教とも解釈可能である、という点ですが、
これはすみません。天理教では天理王命という神様を信仰している訳ですから、
天理王命が一つであると解釈すれば一神教ですね。
「おふでさき概説」にもそのあたりのことが書かれています。
これは私の個人的な考えなのですが、この世は神の懐ということですから、
何でもかんでも神様なわけでして、その意味では神は一つということになると思う
のですが、この世を天と地というふうに二つに分けて考えることもできるし、
火水風というように分けて考えることもできるし、もっと卑近に申せば、
このパソコンと机とボールペンと、それぞれ別に分けて考えることもできるし、
いやいや、全〜部、親神様なんだ、と考えることもできる、という観点で、
多神教とも解釈可能と投稿した次第です。
正直、どっちでもいい、と思っています。いい加減ですみません。
>>293の、AKIRA∞さんの質問に対して、多神教とも理解できると
投稿しましたのは、えーさんも仰ったとおり不十分な表現でしたが、
以上のような私の思いがあった点と、もうひとつは既に述べました通り、
天理教は他宗教を否定しない、(他宗教の)神前を通るときは拝をして通れ、という
精神を強調したかったからです。唯一神という理解を強調しますと、
どうしても排他的になるような気がしたからです。
まだ不十分かもしれませんが、ひとまずは、以上のようなところです。
ご質問ありがとうございました。
777さんも、ありがとうございました。助かりました。
- [321]万年初級 05/06/30 11:03 *8M36Jl00BDO*hQcXDS6u/t
- なやさん、777さん、どんさん、レスをありがとうございました。
なやさん、短いコメントのなかに、あなたの優しいお心が感じられて嬉しかったです。
777さん、私が自分で資料を探していたら膨大な時間を必要としていたでしょう。適切な資料のご教示、感謝いたします。
どんさん、詳しいご説明をいただき、なあるほどと、お考えを一応理解させていただけたように思います。
ただ、どんさんのお考えを一応理解したような気がするものの、どうも自分の得心にいたっていないのが残念至極です(笑)。
私自身は777さんがお教えくださった真柱様のお話や、どんさんがお教えくださった二代真柱様の御本を知らなかったものですから(恥)、これからよく思案してみたいと思います。
したがいまして、私の考えをまとめるにはかなり時間が必要となりますし、ここでそれを述べるのはさしあたりは無理だと思います。
でも、せっかくどんさんもいろいろお書きくださったので、現在感じさせていただいていることを、また改めて書き込ませていただきたいと思います。
少し、お時間をください。
- [322]万年初級 05/06/30 14:08 *8M36Jl00BDO*hQcXDS6u/t
- まず、どんさんのお考えを理解できたように思うけれども、本当にはわかっていないからか、得心がいかない、というのは次のような意味です。
要するに、自分で身近な未信者の方をおぢばへお連れして参拝させていただく際に、形式的な説明は仮にできたとしても(これはいわばたんなる受け売りです)、
「親神様=教祖様」なら、なぜ拝むところが二箇所あるのか?
と問われた場合に、自分では説得的に説明する自信がない、ということです。
もちろん、ここで受け売り頼みで、二代真柱様がこうおっしゃってる、とか、原典のおさしづにこう書かれてある、とか述べたとしても、未信者の方は納得されないだろうと思いますし(せいぜい「ふーん」という反応でしょう)。
どんさんなら未信者の方を説得することがおできになるかもしれませんが、私にはまだ無理だろうと思う、それが要するに心の底からはわかっていない、ということだろうと考えているのです。
さて、十柱の神名についての、どんさんのご解釈には、正直まだ釈然としないところがあるのですが、とりあえず、これはおきます。
でも、他宗教の神々についてのお考えについては、内容的にはほぼ私も同様に考えております。
ただ、一点、「だからこそ多神教ではなく、一神教なのだ」と考えていることを除いてです。
つまり、歴史上現れた多くの宗教、神々は、見かけの上で別々の存在に見えるけれども、そうではなく、その時代、場所、状況に応じて様々に姿を変え、人間を助けるため現われられた、唯一の神、天理王命であった、というふうに理解しております。
このように理解しますと、どんさんがご心配されている他宗教の神を否定・排除することなく、同時に一神教であるということも無理なく納得できると思うのです。
もちろん、このように言われた他宗教の方々が納得されるかどうかは大いに疑問ですが(笑)。
- [323]万年初級 05/06/30 14:09 *8M36Jl00BDO*hQcXDS6u/t
- ここから話は混乱すると思いますが、現在の(混迷にある)私の思いを書いてみます。
ここで歴史上存在した諸宗教の神を、仮にA神、B神、C神、としてみてください(A、B、Cは適当な神名に置き換えていただいて結構です)。
私は今、これらはすべて天理王命であった、と述べたわけですから、
天理王命=A神、天理王命=B神、天理王命=C神(よって、もちろんA神=B神=C神)
が成り立つ、と述べたことになります。
ここで問題は、
天理王命(親神様)=中山みき(教祖様)
という等式の成立が、上に述べた、たとえば
天理王命=A神
と同じ意味で成り立つのか?ということです。
私には同じ意味ではありえない、と思います。なぜなら、同じ意味であるなら、教祖様と同様、A神、B神、C神も本部に拝する場所が設けられてしかるべきであるか、あるいは反対に、教祖様が他の神々と同様、結局天理王命のことなのだから別に拝する場所=教祖殿はいらない、ということになるのが、一応の筋ではないかと思うからです。
逆に言うと、教祖殿だけが存在するということは、教祖様だけが特別な意味で天理王命と同一であることになるはずです(当たり前!ってか(笑))。
では、その教祖様の特別の意味とは何か?ということが今度は問題になりますが、こうなりましては、不勉強な私は、以前さよみさんが厳しくご批判になった、天理教公式の教義、すなわち教祖様の三つの立場「月日のやしろ」「ひながたの親」「存命の理」をもちだす以外にありません。
ところが一般未信者(=自分?)にこれを説明しようとすると、再び次のような質問がなされるでしょう。
「月日のやしろって、月日親神と同じ?」
かくて私は絶句する(笑)。
なんだか、ただ自分の未熟さをさらしただけという、みっともないことになってしまいました。
「頭でばかり理解しようとするからそうなるのだ」というお叱りの声も聞こえてきそうです。
実際、確かにそんな気もするのです。
まあこれも自分の性分ならとことんつきあうほかありません。
でもみなさんにこれ以上、おつきあいいただくのは申し訳ないので、これで失礼します。
ありがとうございました。
- [324]万年初級 05/07/01 08:32 *8M36Jl00BDO*hQcXDS6u/t
- 自分の後、投稿がないと責任を感じますね(笑)。
一人長々と書き込み、盛り下げてしまいました。
みなさん、許してください。
- [325]そんなことは 05/07/01 10:09 LUHJynpQJZ
- ありません。盛り上がってますよ。もっと書き込んで下さい。
- [326]どん 05/07/01 10:59 VL5OCGjPhL
- >>325
そんなことはさん、ナイス!
>>324
万年初級さん、お気になさらないで下さい。
自分の浅はかな理解に、私も絶句していたところです(^o^)
私ももっと勉強しますが、今、考えておりますのは、私達にわかりやすく、
理解しやすいようにと、二箇所設置されたのではないか、ということです。
思い切って申し上げれば、一箇所だけでは不十分で、二箇所あってはじめて
思召に沿う信仰というか、陽気遊山が体現できるのではないかと。
例が適切でないかもしれませんが、コップってありますよね。
コップは形状のうえから言いますと、底の円形の部分と、横の円筒形の部分
とから成りますが、いざ水道の蛇口をひねって水を受け取ろうとすると、
円形だけでは横にこぼれてしまいますし、円筒形だけではまさに筒抜けですから
いつまでたっても水はたまりません。
つまり、コップというものを、その形状を分割して、円形と円筒形に分けることは
説明する理解するうえでは便利なのですが、それを実際に使うときには、
全体として一つのコップとしてでないと使えない、と。
つまり、私達が理解しやすいように神殿と教祖殿(ぢばと教祖)の両方があるけれども、
それらは本当は分割できる部分部分でもなくて、別々のものでもなくて、
一つのものなのだと、そういうことではないかな、と思います。
- [327]どん 05/07/01 11:06 19HpY3Z4uv
- 例えが適切でないとお叱りを頂くかもしれませんが、すみません。
私達が、理解、ではなく、実際に信心する、ときには両方が不可分すなわち、
神殿で、身上かりものを、また成ってくる様々な事情に感謝申し上げるだけでなく、
教祖殿で、教祖のひながたを定規に我が心と我が身の行いを省みて、また
赤衣を召された教祖が目の前にいらっしゃるがごとく、教祖を肉親のように
お慕い申し上げて、今日はこんなことがありました、こんなこと教えて頂きました、
ありがとうございました、また頑張ります、と、
その両方セットでやってくれ、と、そういうことかしらと思います。
天理王命という神様は、万物を創造し守護されている神であると同時に、
親のように暖かく温もり一杯で、率先垂範して見せて下さるの神様なのだと。
う〜ん、的を得ていないような気もしますが、今のところ、そんな感じです。
- [328]さあみな 05/07/01 12:08 9Hqd6kiDlY
- ドンドン疑問をぶつけ合いましょう。
おぢばはなぜか晴れてきました。
結構やなあ。結構結構。
- [329]まっぷ 05/07/01 12:40 M115pA0GRp
- 10代の頃ですが、
私が初めて、おぢばで、おやさまの前に座った時
この神様は私を叱っている・・と感じました。
そんな事をしていては、ダメだよ。と云われたような・・。
おやさまは、見抜き見通しだったのです。
それまでは、色々と荒れていましたが
その日を境に、だんだんと、こころが変わって来た様に思います。
おぢば帰りは、私の人生を変えてくれました。
- [330]さあみな 05/07/01 15:17 a61segzJfc
- なるほど。結構やなあ。
そりゃあまさにお手引きやなあ。
ありがたいなあ。結構やなあ。
さあ次行ってみよう!
- [331]AKIRA∞ 05/07/01 16:45 pZ510tqLLn
- ちょっと質問なんですが、よく使われる
「ひながた」とはどういう意味なんですか?
あと「ようぼく」ってなんですか?
掲示板を読んでて分からなかったので、よろしくお願いします。
- [332]万年初級 05/07/01 18:10 *8M36Jl00BDO*hQcXDS6u/t
- >>325 そんなことはさん、どんさん、>>378 さあさあみなさん、ありがとうございます。
ちょっと自己嫌悪に陥っていたので(笑)、ほっとしました。
どんさんの>>326-327については、またよく思案させていただきます。ありがとうございます。
>>331
詳しい方がお答えになられるかもしれませんが、ぜひ、次の天理教の公式HPをごらんいただきたいと思います。
http://www.tenrikyo.or.jp/ja/top.html
このメインページから、教え―教えの全般 とたどり、「おやさま、天理教教祖」と、「おさづけの理」をごらんになると、わかりやすく説明がなされています。
そこには他にも天理教の基本教理がやさしく説明されておりますので、ぜひご一読ください。
なお、現在私がこのスレでいろいろ述べていることは、誤りが数多く(全部?)含まれておりますので、私の見解を天理教の教理と同一視するのは、おひかえください(笑)。
- [333]さあみな 05/07/01 19:02 GoRGEoUS
- 結構やなあ。みんなして教理を求めようとする心。
今日は雨の御守護でほんに結構やったなあ。
ありがたいなあ。結構やなあ。
- [334]AKIRA∞ 05/07/01 19:56 pZ510W1I/x
- >>332
たどってみて、なんとなく分かりました。
ありがとうございました。
- [335]万年初級 05/07/01 21:42 *8M36Jl00BDO*hQcXDS6u/t
- >>334
お読みいただけたとのこと、よかったです。
「なんとなく分かりました」とおっしゃっていますが、私も「わかりやすい説明」と言ったものの、その実、十分にはわかっておりません(とっくにお気づきかもしれませんが(笑))。
「やさしい説明」というのは事実と言ってよいと思いますので、私の場合(AKIRA∞さんの場合は初めてで無理もないですが)、やさしい説明の中に含まれている深い意味が、なかなか悟らせていただけないという、こちらの問題だと自戒いたしております。
AKIRA∞さんも、ご不明な点がおありでしたら、また書いてくださいね。
きっと、答えてくださる方がいらっしゃると思います。
- [336]どん 05/07/02 10:15 3mlfECpCIl
- ひながたについて、公式ホームページは実に端的に述べていると思います。
「どんな境遇、状況の中にあっても、心の持ち方一つで陽気ぐらしができる、という手本」
手本といえば、こんな時はこうする、というような、行動のお手本だと、
ついつい思ってしまうのですが、そうではなくて、心の持ち方の手本とのこと。
なるほど、です(^o^)
- [337]万年初級 05/07/03 01:33 *8M36Jl00BDO*hQcXDS6u/t
- どんさん、いろいろ思案させていただいているうちに、迂闊なことにこれまでまったく考えたことのない、基本的な疑問にぶつかりました(恥)。
問いは、次です。
親神様が教祖様をやしろとされていた期間はいつからいつまでか?
おそらく解答は次の二択ではないかと思うのですが。
@ 天保九年、10月26日から、明治20年、陰暦正月26日午後2時まで
A 天保九年、10月26日から、現在まで(以後ずっと)
根拠なく普通に考えたら、やっぱり@かな、と思いますよね?
もし@だったら、神殿と教祖殿が別々にあるのが自然に納得しやすく思えるのですが、ご教理ではどうなんでしょうか?
どなたでもけっこうですので、ご存知の方、お教えください。
- [338]どん 05/07/03 18:05 3mlfECpCIl
- >>337
私はAだと思います。
教祖は今日もおぢばにいらっしゃいます(^o^)
おぢばだけではなくて、朝夕のお勤めの時は、万年初級さんが畳に両手をつかれた、
その1mほど向こうに、赤衣をお召しになってにっこりと正座されています。
また、おさずけ取り次ぐ時は、すぐ目の前まで来て下さいます。
万年初級さんが平鉢のように両手をくっつけた、その20〜30cm上から、
教祖がおさずけ下されています。
- [339]どん 05/07/04 08:03 19HpY3Z4uJ
- >>331
ようぼくとは、おさずけの理を頂いた人のことも言いますし、
同じく公式ホームページの「別席」の欄には、
「人間の陽気ぐらし世界を、一刻も早く実現しようとする上で、
親神、教祖の手足となって働く人材(ようぼく)が多くほしい、
思いの分かる人が広くほしい」とも書かれています。
高野先生の「ご存命の頃」の古い版に、教祖晩年のお言葉として、
天理教の調査に来た神道局の視察員に対して、
「私はこれまで道を説いてきたけれども、私をたすけようとする人は一人もありません」
というものがありました。口伝ですから原典ほどの信頼性はないとしても、しかし、
教祖をたすけようとする人は誰一人としていない、とはどういうことでしょう。
当時は既に多くの信者さんがいて、大教会の初代も何人もいらっしゃって、
神楽づとめだってされていたでしょうに、何故そんなお言葉になるのでしょう。
それは、みんな、教祖にたすけてほしい、という信仰だったということでしょうか。
教祖の手足となって働く、教祖をたすけるようぼくは一人もいなくて、
教祖にたすけを願う人ばかりだったということでしょうか。
教祖に申し訳ない気持ちになりました。
教祖にお喜び頂けるような、ようぼくになりたいと思います。
- [340]AKIRA∞ 05/07/04 16:04 pZ510W1IMF
- 天理教の方にお伺いしたいのですが、
天理王命様に日々の感謝の気持ちをお備え(寄付)しているわけですが、
それは気持ち(心)だけではダメなんですか?
やはり心だけでは無く、お備えという金銭や形を伴ったものでないとダメなのでしょうか?
ちなみに上記の質問は天理教の方を否定する意図な全くなく、個人的な疑問であり、また世間一般の疑問だと思います。
当然、自分のお金をいくら寄付してもそれは個人の自由ですので。
世間が天理教に持っているイメージというのは大抵「集金宗教」だとおもいます。
この誤解を解く為にも是非お答え頂きたいのです。
自分は神様に感謝する気持ちは心一つあれば十分だと思うのですがどうでしょうか?
- [341]ビット 05/07/04 21:24 9EizhnhJIf
- >>340
>気持ち(心)だけではダメなんですか?・・・個人的な疑問であり、また世間一般の疑問だと思います。
心から感謝してたら気持ちを形に表すのは「世間一般」の常識だと思うけど? あなたはそういうことしない人なんですか??
もっとも昔の天理教の人たちみたいにむやみに強要するもんでもないけどね。言いたいことは分かりますよ。
- [342]万年初級 05/07/04 21:50 *8M36Jl00BDO*hQcXDS6u/t
- >>338
あれれ、そうお考えですか!?
私の予想はずれっぱなし(爆)。思い込みって怖い(笑)。
でも、少し誤解もあるような気がしますので、間違っているかもしれませんが、これまでの私の考えを書かせていただきます。
親神様が教祖様をやしろとされた理由の一つは、教祖様がこの世界(時間・空間)の中で、ふつうの姿・形(現身)を有しておられたことであると思います(もちろん、これは必要条件のひとつにすぎず、十分条件ではありません)。
つまり、親神様は世界(時間・空間)を超えた存在でありますから、そのお姿は強いて言えば宇宙全体であり、ふつうの意味ではお姿はみえないわけです。
そのために我々人間が親神様の存在にもお心にもなかなか気づかないので、苦しむ人間をあわれと思し召し、助けるため、教祖様をやしろとして、この世界(時間・空間)の中に、人間にも見える形として現れてくださった、と思うのです。
したがいまして、親神様の意思(の現れ/表れ)=教祖様のお心・言動、という意味で、親神様の理と教祖様の理は一つである、と受け取らせていただけるのだろうと思います。
ですから、姿の見えない親神様がこの世界の中に現れるために、現実の身体を有する(=目に見え、さわれる)教祖様をやしろにされたということは、逆に言うと、現身をお隠しになったとき(=お姿が目に見えなくなったとき)、一応月日のやしろとしてのお役目は終えられた、と解してよいのではないかと思ったわけです。
すなわち、天保九年、10月26日より50年、明治20年陰暦正月26日午後2時まで、教祖様が現身で(=時間・空間の中の存在として)ひながたの道を歩まれたその期間が、同時に教祖様の月日のやしろとしての期間でもあったと、こう解していたわけです。
平たく大雑把に言いますと、おふでさきが完結しているというのが、まあ、月日のやしろとしてのお役目が一応完結しているということかな、ということですね。
- [343]万年初級 05/07/04 21:51 *8M36Jl00BDO*hQcXDS6u/t
- (続きです)
ただ、現身をお隠しになられて後、すなわち、月日のやしろとしてのお役目を終えられて(同時に、ひながたの道を歩み切られて)後も、理はそのまま(永遠)に、我々人間の魂の母親・永遠の魂としての限りなく深き情をもってぢば(教祖殿)に留まり、我々人間をご守護下されている、というふうに考えてきたのです。
世間的なことに喩えて大変申し訳ないですが、いわば、長島茂雄=ミスター・ジャイアンツが現役を退いた後もですね、ジャイアンツ・ファンにとってミスター・ジャイアンツとしてのカリスマ性が永久に不滅である(笑)ようにです。
ひながたの教理になぞらえますと、ひながたの道を歩まれたのは50年、ひながたの親としての理は永遠。
同様に、月日のやしろとして親神様の意思を現わされた/表された(ex.みかぐらうた、おふでささきetc.)のは50年、その理は永遠。
こうやって書いてきますと、そもそも>>337で私が二択にしたこと、あるいは問いそのものがよくなかったのではないか、とも思えてきました。
まあこんなふうに思っておりましたので、どんさんが>>338でお書き下さったことは、少なくとも頭の上では(残念っ!)わからせていただいていた、と思っていたのですが、だめでしょうか?(笑)
- [344]AKIRA∞ 05/07/04 22:17 pZ510W1Ikp
- >>341
心から感謝してたら気持ちを形に表すのは「世間一般」の常識だと思うけど? あなたはそういうことしない人なんですか??
世間一般的な常識ではそうですね、確かに。
自分ですか、感謝した事に対してお金は確かに渡します。
ただ親神様も世間と同じようにお備えというお金や形を欲するのか、心一つダメなのかなーと思いまして。どうでしょうか?
- [345]うい 05/07/05 00:11 ZWrHNH57To
- >>343
残念!
- [346]万年初級 05/07/05 00:47 *8M36Jl00BDO*hQcXDS6u/t
- >>344
横レス失礼します。(ビットさん、でしゃばってすみません。)
AKIRA∞さん、未熟ではありますが、私なりの考えを述べさせていただきます。
今、AKIRA∞さんはこのスレッドで、将来信者になられるかどうかは別として、お道=天理教の教えを、求めておられますよね。
そしてそのお求めに応じて、どんさん、ビットさん、また私などがなんとかお力になれないかと、このようにレスさせていただいているわけです。
仮にこのことをAKIRA∞さんが喜んでくださっているとします。
また、さらに仮にですね、将来信者=ようぼくとなられたとします(「ようぼく」の意味は一応公式HPで読んでいただけましたよね)。
さて、そんなある日、AKIRA∞さんが、なつかしのこの掲示板を久しぶりにのぞかれ、そこにかつてのご自分と同じ疑問を投げかけている投稿を発見なさったとします。
さて、ここで問題です(笑)。
AKIRA∞さんは、このとき親神様はご自分に何を望まれるとお思いになりますか?
つまり、AKIRA∞さんがどのようなことをなされば、親神様はお喜びになるとお考えになるでしょう?
この問いをAKIRA∞さんがご自身で真剣にお考えになり、ご自分でだした答えを実行されることが、すなわち、親神様に感謝の意を表すことであり、ようぼくとしてのつとめをはたすことであり、また、親神さまに寄進することでもある、と私は考えます。
もちろん、これはひとつのたとえ話にすぎず、完全なものではありません。
でも、難しく考えず、基本はこういうものではないかと私は考えています。
ご参考になればよいのですが。
- [347]万年初級 05/07/05 01:13 *8M36Jl00BDO*hQcXDS6u/t
- >>345
やっぱり(笑)。
- [348]天理教さんのお隣さんのお隣さん 05/07/05 01:28 E-ATjSU
- 横レス失礼します。
当方は天理教の事はまったくわからないので教えてください。
別に苦情ということではなく素朴な疑問なんですが
私の隣の席の人の近所に天理教の方が引っ越されて来たそうです。単身らしいです。
毎朝7時頃にお祈りをしているそうで、最初は太鼓ではない物を叩く音がしていて「何の音だろう?」ということで聞かれたのですが自分もわかりません。
そうしたら最近その音に太鼓の音が混ざったという事で疑問は「何の音だろう?」から「どうやっているんだろう?」に変わりました。
自分は「叩いている音がするテープやCDがあるのでは」とも思いましたが、それは不純かと思いまして「同時に叩いている」と考えたのですが実際はどうなのでしょうか?
- [349]万年初級 05/07/05 02:03 *8M36Jl00BDO*hQcXDS6u/t
- >>348
えー、わかる範囲でお答えします。
最初の太鼓ではない音、というのはほぼ拍子木、ほら、火の用心のときかーん、かーん、と鳴らすやつ、だと思います。
お坊さんが朝のおつとめのとき、お経をとなえながら木魚をぽくぽくたたきますね。
いわば、あの天理教版で、天理教では拍子木を鳴らしながらおつとめの歌をうたいます。
個人の信者の場合、拍子木のような楽器(鳴り物、といいます)を使わず、歌と手振り(手の踊りみたいなもの)だけの場合もあります。
個人の場合でも信者さんの多い家庭や、布教所、教会などでは、拍子木や太鼓、あと、ちゃんぽんというシンバルの小さいようなもの、すりがね、という祇園祭のときに使われるやつ、なども使います。
ふつう一人の場合、複数の楽器(鳴り物)を使用することはないので、お話だけではちょっとどうなさっているのか私にも不明です。
あんまりテープなどの録音したものを使用することはないと思うのですが、はっきりとはわかりません。
天理教をよくご存じない方のなかには、あの音だけで気持ち悪がられる方もいらっしゃいますが、実際にごらんになれば、今も述べたように、坊さんがお経をあげるようなものでして、別段こわがるようなものでもありません。
ときどきおつとめの音がやかましいとご近所とトラブルになっている教会の話なども聞こえてきます。
あんまりご迷惑なようだとそうもいかないかもしれませんが、内容はそういったものですので、できれば優しくお許しいただければと思います。
- [350]天理教〜中略〜お隣さん 05/07/05 02:37 E-ATjSU
- >>349
丁寧な返答ありがとうございます。
隣の人は怖がっても迷惑がってもいないようです。近所の人はわかりませんが…
拍子木!たしかそう言っていました。拍子木+太鼓です。
普通は一人で一つですよね?ではなんで二つの音がするんでしょうか?
その教会とか分教会ですか?それは普通の家の形もあるんですか?だとしたら近くの天理教の人が一緒にやることも考えられますよね
- [351]どん 05/07/05 08:39 VL5OCGjPgr
- >>340
AKIRA∞さん、自発的な感謝の心だけでよいと思いますよ。
ビットさんの仰ることもその通りですよね、強要するもんじゃない。
私はおやさまが信者さんにお金を供えなさいと言ったという史実を知りません。
むしろ逆で、家業第一と言われているくらいでして、教祖伝や口伝でも、
綿から糸を紡いでいたり、青物を売っていたり、農作業をされていたりします。
さて私の所属教会の会長さんは、お金を供えて下さいと仰ることがよくありますが、
それは教会の建物を建設したときの借金があるからで、また上級の教会への
お供え金についてノルマがあるからでして、おやさまのお言葉ではありません。
私のほうも、できる範囲でお供えしているという程度です。
>>342-343
万年初級さん、なるほど!です。私、おやさまは存命だということを申し上げねば、
とばかり思ってしまって、>>338のように書いたのですが、ちょっとごっちゃに
なっていましたね。
万年初級さんのおかげで、クリアーになりました。ありがとうございます。
>>350
天理教さんのお隣さんのお隣さん、そうですね。私の実家は布教所なんですが、
月々の祭典のとき、楽器をする人が足りなくてカセットテープでやったことも
ありますが、拍子木と太鼓ということなら、近所の人と一緒にやっているのかも
しれませんね。
- [352]万年初級 05/07/05 09:02 *8M36Jl00BDO*hQcXDS6u/t
- >>350
遅くなってすみません。
>その教会とか分教会ですか?それは普通の家の形もあるんですか?だとしたら近くの天理教の人が一緒にやることも考えられますよね
小さな教会(分教会)や布教所は、まったく普通の民家と同じである場合が多いです。
ただ、その場合、表に「〜分教会」とか、「〜布教所」とか、看板が出ているはずです。
それがない場合は、個人の信者さんと思って、まず間違いないと思います。
ですから、その場合、または近所に信者さんがおられる場合、ご一緒におつとめされている可能性は大いにあります。
ただ、私もちょっと気になって考えていたのですが、一人で拍子木と太鼓をたたいておられるとすれば、不思議です。
でも、思い出したのですが、前にどこかの会長さんが、たしか月次祭(という各教会などで行われる月一度のお祭り)でのおつとめの際、前のレスで書いたような鳴り物(楽器)をする人手が足りないので、一人で拍子木と太鼓をやっている、とお話になられた記憶があります。
いったいどのようにしてそんなことができるのか、私にもいまだにわからないのですが、ひょっとすると、お隣さんのお隣さんのお隣さん(?)は、名人かもしれません(笑)。
ここからは蛇足ですが、あんまり気になられるようなら、顔なじみになれば(もちろん、なってなくても構いませんが)、直接きかれたらいいと思います。
「どうやってるんですか」って(笑)。
また、もし、録音したものを使用されている場合、「それって不純ではないんですか?」とおききになるのも、面白いかも(笑)。
直接関わりたくない場合、次のような手もあるかな。
天理教の朝つとめは、本部(天理)では、ちょうど夜明け頃おこなうことになっていますので、一定期間は同じ時間に始まりますが、季節ごとに時間が変化します。
しかし、一般の教会では、ご近所の迷惑もあるので、比較的遅い同じ時間に朝のおつとめをされる場合が多いのです。
その方が仮に7時からやっておられる場合にですね、ある日は時間が遅れたりしたとしますよね。
その場合、「天理教では自分の都合で勝手におつとめの時間を変えていいのか?」という匿名の文を、ポストに投函されると、天理教徒の成長に力を貸してくださることになるかもしれません(笑)。
ないと思いますが、もしなされる場合は、ここで私に入れ知恵されたということは内緒にしていただきたく思います(笑)。
- [353]万年初級 05/07/05 09:06 *8M36Jl00BDO*hQcXDS6u/t
- あれ、どんさんのレスと重なってしまいました。
すみません。
>>351
どんさん、こちらこそありがとうございます。
どんさんの胸をお借りして、いろいろ思案しているうちに、なんだかこれまで考えたことのなかったことを考えさせてもらって、ものすごくありがたいです。
- [354]万年初級 05/07/05 10:51 *8M36Jl00BDO*hQcXDS6u/t
- >>339
どんさん、お話の内容とはズレ、しかも細かいことの揚げ足をとるようで申し訳ないのですが、どうしても気になるので書かせていただきます。
高野先生の『ご存命の頃』というご書名はおかしいですよね?
教祖様は今もご存命なのですから。
もちろん、ご書名の意味は理解できます。
また、高野先生ご自身がこのようにつけられたかどうかも知りません。
では揚げ足をとるようなことはするなとお叱りを受けるかもしれません。
しかし私は、このスレッドをご覧くださっている、一般未信者の方々のことを考えざるを得ないのです。
私たち天理教徒が、一方で根本教理として「ご存命の教祖様」と言い、他方で偉い先生の本のご書名が『ご存命の頃』というのであれば、ちょっと理屈っぽい人は必ず「存命の頃って、今も存命なのではないのか。」とつっこまれるでしょう。
このような点に私たちが無自覚であれば、「こんな矛盾に気づかないとは、思考停止状態だな」と考えられるに違いありません。
我々はどうしても、ふだん信者さん同士でしかお道の話をしないことが多いので、こういったことに無自覚になりがちです。
人によっては、天理教ではこのようなことを口にするのはタブーなのだろうな、とお考えになるかもしれません。
そして、そのような思いは天理教との壁となっていくと思われます。
私はそのようなふうに一般非信者の方々に思っていただきたくない、と考えましたので、浅学菲才をかえりみず、あえて指摘させていただきました。
お許しください。
- [355]いおり 05/07/05 13:21 98mnTWlB.S
- 初めまして。
時々覗かせていただいています。
皆さんの教祖への想いやお道への熱心さを拝見してすごいな・・・と感心するばかりです。
私がこのような書き込みをしていいものか悩みましたが、誰かに聞いてもらいたいという勝手なものですが読んで頂ければそれだけでもうれしいです。
私は、昨年私自身の身上で修養科へ行かさせていただき、ご守護をいただきました。無事にようぼくとなることも出来、身上が原因で離婚寸前でしたが今は主人と子供と楽しく生活しています。
地元へ帰ってからも教会の月次祭にも参加させていただき、天理教に出会って本当に良かったと思っています。
私は主人の両親と同居をしています。昨年天理へ行った事情は両親は知っています。ですが天理教を信仰するのは反対だときっぱり言われました。
しかし私の中には親神様や教祖への想いは日々色濃く、強くなってきています。あの三ヶ月間とても苦しくて、つらい日々でしたが今こうして元気に過ごしていられるのも親神様や教祖のおかげなのです。
教会の方がおぢばがえりに誘って下さるのですが、私としては毎月でも行けるのなら行きたいのです。しかし同居している両親に「天理に行きます」とはとてもじゃないけれど言えません。
嘘をついて行こう・・・そう考えることもありますが
「うそとついしょこれきらい」
これが頭をよぎり、深く悩んでしまいます。
主人は反対をするどころか「助けてもらったならお礼はちゃんとしなきゃ・・・」と言ってくれ、月次祭に行くことも嫌がりません。
神様事をするからといって家事や育児をおろそかには絶対にしていません。
もちろんもっと大変な事情をお持ちの方もいらっしゃると思います。分っているのですがどうしても誰かに聞いてもらいたかったのです。
本当にごめんなさい。突然このような書き込み。
誰にも言えなかったのでちょっとすっきりしました。
お邪魔してしまって本当にごめんなさい。
- [356]い 05/07/05 13:30 ZWrHNH57To
- ちょっと理屈っぽい人=万年初級?
- [360]どん 05/07/05 17:26 19HpY3Z4Nq
- >>354
>こういったことに無自覚になりがちです。
確かに。仰るとおり、本の名前に限らず、言葉づかいには注意します。
また、インターネットの掲示板に限ったことでもありませんね。
うっかりしていました。いいこと教えて頂きました。
>>356
これまた、いいこと書いて下さいました。
これまた、うっかりしていました。
万年初級さんは、どう思いましたか?
- [361]どん 05/07/05 17:27 19HpY3Z4Nq
- >>355
いおりさん、こんにちは。
お悩みとのこと、心中お察しします。私の場合は、奥さんがあんまり快く
思っていないようで、悩んだ時期がありました。
信仰は本来、個人の自由のはずですから、反対されるいわれはないと思うのですが、
往々にして、よく聞く話だと思います。で、私が思いますのは、
これは信仰していくうえでの練習問題というか、思案の材料ではないかと。
天理教が目指しているのは、世界中の陽気です。世界だすけです。
いずれは舅姑さんにも喜んで陽気になっていただきたいのが天理教です。
そのためにまず、いおりさんご自身が喜び、陽気に暮らして頂きたいところです。
思い通りに事が進む中で喜ぶのは、どちらかというと簡単なことで、
ちょっと思わしくない環境の中であっても、喜べるか感謝できるか、ということを
問われているのではないかな、と思います。
思案の仕方は、全く自由だと思います。どんな答え(行動)をとるかも、
これまた自由だと思います。正解不正解はないと思います。
嘘ついてまで天理に行くのはやめておこう、でもいいと思います。
自分が埃積んででも天理に行く、でもいいと思います。
まずは舅姑さんに喜んでもらう認めてもらうようになろう、でもいいと思います。
夫婦の心揃えることが第一だから、万事、夫と相談して決めよう、でもいいと思います。
大切なのは、いおりさん自身が陽気であること、そのためには
決して、いおりさんの心の中で、舅姑さんを悪者にしないこと、の2点だと思います。
天理に行くかどうかとか、教会に行くかどうかとか、そんなことは、
9億年前から、全人類と、全世界をご守護されている親神様おやさまからすれば、
あんまり大した問題ではないと思います。それよりも、
いおりさんが陽気かどうか、それが大切だと私は思います。
- [362]万年初級 05/07/05 23:13 *8M36Jl00BDO*hQcXDS6u/t
- >>356
よくわかってらっしゃる!
>>360
どんさん、うまく書けませんが、私は必ずしもどんさんの言葉遣いを批判したかったわけではないのです。
高野先生のご書名は、どんさんの命名というわけでもありませんし。
でも、批判的なことだけ書いて、そのままというのも気になってきましたので、お詫びかたがた少し訂正および言い訳を書かせていただきます。
私は高野先生のご書名はおかしい、と言いましたが、間違っているというわけではありません。
信者でない人なら当たり前だとおっしゃるでしょうが、天理教教祖中山みきは、医学的に言えば、明治二十年に亡くなっており、その意味では存命ではありません。
教祖様がご存命である、というのは、当然、理の上、信仰の観点から述べたものです。
したがいまして、ご書名『ご存命の頃』というのは、前者、普通の日常的・医学的意味で用いられているわけで、そう解釈すれば、何の問題もありません。
ただ、これが信仰の観点からの表現であるとすれば、おかしい、ということになるということです。
お道の方なら、ふだんでも、あるいはこういう掲示板のようなところでも、この日常の意味での言葉遣いと、理の上での言葉遣いの選択に迷ったりすることがおありだろうと思います。
もちろん、信者でない方でも、こういったことをお察しくださって、気になされない方はいらっしゃるだろう、と思います(多くがそうかもしれません)。
- [363]万年初級 05/07/05 23:14 *8M36Jl00BDO*hQcXDS6u/t
- ですが、ここのところ私がどんさんにいろいろお尋ねし、お答えいただいている中、「ご存命の教祖様」という話と、このご書名がなんだかあまりに自然な流れで、と言いますか、そんな感じで登場しましたので、かえって気にかかり、自分がひっかかったからには、どうしてもここで説明しておく責任があるのでは、と思われたのでした。
つまり、>>356でのご指摘の通り、私の言葉にあります「ちょっと理屈っぽい人」というのは、私自身にほかなりません。
ただ「ちょっと」ではなく、「かなり」かもしれませんが(笑)。
私は最初の書き込みでも申しましたように、自分の中に、このようないわば悪意をもって信仰を批判・懐疑しようとする理屈屋の自己の存在を有し、心の葛藤を抱えてまいりました。
これまでの方針は、この理屈屋・懐疑家の自己を抑えこみ、考えてしまう自分を否定するというものでした。
しかし、このスレッドを読んでいるうちに、さよみさんだったと思いますが、教祖様は「よく思案してくれ」とおっしゃっている、というようなお言葉を知りました。
それで開き直ってと言いますか(笑)、これまで抑え込んできた理屈屋の自分を解放し、疑問はぜんぶここで言ってしまおう(笑)、というようなつもりでこの掲示板に参加させていただいたのです。
その意味で、>>356のご指摘の点について、確信犯です(笑)。
でもここへの参加が本当に良いことなのかどうか、まだ迷っているところです。
いずれにしましても、勉強不足にもかかわらず調子づいてしまい、生来の高慢から、どんさんはじめ、みなさんをご不快なお気持ちにさせているとしたら、大変に申し訳ないことです。
すみませんでした。
- [364]どん 05/07/05 23:52 3mlfECpCIl
- >>362
いえいえ、ようくわかっているつもりです。
批判的なこと言われたとは、全然思っていませんよ(^o^)
ご指摘頂きまして、なるほど、そりゃその通りだ、と思ったのです。
さらに読み進めるうちに、思いました。
ちょっと待てよ、こりゃ本の題名に限ったことやないで、と。
せっかくキーボード使って文章にしてから投稿する訳やから、もうちょっと
推敲というか、読みやすい文章を心がけんとあかんな、と。
それで、いやいやもっと言えば、文章に書くときだけやなくて、口頭で喋るときも、
そういう配慮というか心がけは大切なことやな、うん!ええこと気付かせてもろた!と
思ったわけです。
- [365]どん 05/07/06 01:24 3mlfECpCIl
- >>363
万年初級さん、ありがとうございます。また誘導的な投稿になったことをお詫びします。
いさんも、勝手に使わせてもらってすみません。
以下に私の心中を包み隠さず申し上げます。
私、>>356で「ちょっと理屈っぽい人=万年初級?」と書かれているのを見て、
最初、思ってしまいました。あちゃ〜、万年初級さんがショック受けるな〜、と。
それで、理屈っぽくてもいいじゃないか、と、反論しようと思った訳ですよ。
この世は理詰めの世界と教えられています。理屈、最高です!てな感じで。
そこでハッとしました。
待てよ、>>356では、ちょっと理屈っぽい人=万年初級?と言っているだけだ、
良いとも悪いとも言ってないぞ、それなのに、私が反論したくなったということは、
私は>>356が悪意的に書かれていると感じていたということではないか、
責められたと感じるから反論するのであって、晴れた日に「今日は晴れですね」と
言われて反論する人はいない、私の心の中にこそ、理屈っぽい=良くないという考えが
あったのではないか、と、思ったのでした。
人は鏡、他人に見えるのは本当は自分、とするならば、他人を通じて、
あるいは他人の言葉を通じてこそ、自分を知ることができるのだと思います。
普段そう思っていながらも、ついうっかり忘れていました。
いさんが思い出させて下さいました。反論なんてとんでもないことでした。
しかしそこで更に思いました。
ちょっと待てよ、万年初級さんも、私と同じように受け取られたかもしれない。
偉そうにも、そう想像して、ここは是非談じ合いたい!と思い、
>>360のように投稿させて頂いた次第です。
万年初級さん、ありがとうございました。
開き直って、疑問を全部書いて、でもまだ迷っていて、それでいいと思います。
生来の高慢とのことですが、私のほうこそ、高慢ですよ。勝手に人の心の中を
想像していた訳ですから。でも勇気を出して投稿しちゃいました。
何ともうまく言えませんが、感謝の気持ちで一杯です。
- [366]テルテル 05/07/06 03:58 Zy3T/QdW4j
- 独鈷の尖端で眉間を思い切り突き刺してください。
チャクラが開いて特殊なURLが啓示されます。
そのサイトで桐山仕様2005vr新モデルの
手錠が漏れなくプレゼント。
お問い合わせは番組の後半で。
- [367]ドングリ 05/07/06 08:29 XdUZnjpMs1
- いつも楽しみに読ませて頂いて勉強させて頂いています。
特にどんさんのコメントの一言一言にはなんとも言えない深い味わい
があってとても引きつけらるものがあります。
実は私、昨年大きな病気になりまして、
その時に教会の奥さんから、これから仕事を休んででも
毎月天理にお参りに行くことを神様とお約束をしたらって言われて、
私もその時、軽い気持ちで「ハイ」って応えてしまい、
それ以来なんとかこの一年、毎月26日の月次祭には
天理に来させて頂いているんです。
そのたびにいつも思うことなんですが・・・
神殿に入らせて頂きますと立錐の余地もないほどに大勢の人が
参拝されていて、いつもすごい人だなーと思うのです。
この人達は決して近在の方々ばかりではないですよね。
中には北海道や九州など、或いは海外からも来られている人も
いるんだあって思うと、なぜここまでして人はここに来るんだろうって考えてしまうのです。
何かきっといいことがあるんだろうなって。
私の場合は、神様(っていうより教会の奥様)と約束したからこうして無理にでも来てるんだけど
この人達は何かしら、とても嬉しそうな感じがするのですよね。
何がそんなに嬉しいのって聞きたくなるんですけど聞けないし・・・
私は信仰もそんなに深くないし、お義理でしてるみたいなものだけど
せっかく天理に毎月来てるんだから、何かその深いわけを自分なりに知りたいと思ったのです・・・。
つまらない質問でごめんなさい。
- [368]さあみな 05/07/06 09:11 UXaohlrBur
- 結構やなあ。ぢばにはぢばの理がある。
ほんに結構やなあ。神様との約束、結構やなあ。
運ぶ理。結構やなあ。来たくても来れない人もある。
どう考えても結構やなあ。結構結構。
- [369]いおり 05/07/06 12:15 gFqYFHJdgf
- どんさんありがとうございました!
そうですね、おっしゃるとおりだと思いました。
私自身が陽気でいられること。
これを親神様や教祖はきっと望んでいらっしゃることと思います。
全く天理教に関わってこなかったン十年間。
天理教に導いていただいて数ヶ月。
不思議ですが私の中では天理教がとても大きな存在になっているのは確かです。
親神様、教祖に感謝しつつ、埃を少しでも多く払えるよう頑張りますね。
本当にありがとうございました。
- [370]万年初級 05/07/06 21:03 *8M36Jl00BDO*/.q.2qmrjE
- >>364-365
遅くなって申し訳ありません。
どんさん、ご誠意にあふれたレスをいただき、とても感謝しています。
おかげさまで、気持ちが少し、軽くなりました。
>>356のいさんのコメントについてですが、この方、おそらく>>345のういさんと同じ方だろうと思うんですね。
正直申しますと、私、この方のスパイスの効いたというか、皮肉の利いたというのか、こういうコメントはけっこう、かなり大好きなんです(笑)。
ご真意はわかりませんよ。
この低レベル!と、あからさまに言われる前に引っ込め!と思っておられるかもしれませんしね。
でも、少なくともちゃんと読んで、肯定・否定は別に、ご理解いただいている、と思うのです。
それで自分としてはけっこう嬉しいもので、>>356のコメントをいただいて、なんとか私のほうも「気の効いた」コメントをレスしようと、いろいろ頭をひねっていたのです。
ところが思いついたのが『万年初級=一般未信者』ってものだったんですが(笑)、直後に次のように思いました。
いさんも、ほんとはこの『万年初級=一般未信者』を思いつかれたけれども、これではスパイスが強すぎて、万年初級があまりにもかわいそうと哀れに思し召して(笑)、やさしさから「ちょっと理屈っぽい人」を選んでくださったのかな、と。
もちろん、こちらの妄想に過ぎませんが、この深読みが当たっていようと、なかろうと、いずれにしても、いさんがこのようにお書きになるならともかく、私が自分でこのように書くのはあまりにもふざけすぎだろう、と思いまして(気づくのが遅い!)、とりやめたのでした。
このような大馬鹿者の私のために、ご心配までしていただきまして、お詫び申し上げます。ごめんなさい。
- [371]万年初級 05/07/06 21:09 *8M36Jl00BDO*/.q.2qmrjE
- しかし、それにしても痛感しますのは、どんさんが私にとっては羨ましいほど、理の上の観点からのみ、語ろうとなさることです。
言うまでもなく、それが間違っているとはけして思っておりません。
だからこそ、いおりさんやドングリさんなど、このスレッドをご覧になっている多くの方々(みなさん私と違ってほんとうに心の澄んだ方々なのだろうと思います)の心にも、どんさんのお言葉が届くのだろうとも思っています。
ただそれでも、確信をもたれている分、心根のひねくれている私などから見たら、言葉は悪いですが、非宗教的観点からの批判に対して、あまりに無防備に感じられてしまうのです。
ですからどんさんのお言葉を読ませていただくと、私には「未信者の人に納得できるだろうか?」ということが、どうしても心配になってしまうのです(そして、このこと自体は嘘ではありません)。
でもご指摘の通り、心配と言いながら、私の想定する、納得できないであろう未信者、というのは、その実私自身―しかもかなり性根のゆがんだ―にほかならないんですね。
教祖様=親神様なら、なんで教祖殿=親神殿やないねん、とか、「ご存命の頃」って、教祖様は今もご存命ちゃうんか、とかですね、つっこんでるのは初級以前、入門以前の私であると言って間違いありません。
既に述べましたように、こういった態度を私は自覚的、確信犯的にとっているのですが、それは私と同じように感じ、考えられるかたが、信者、非信者を問わず、ひょっとしておられるのではないか、ということを前提にして、のことです。
この前提が正しいのなら、ここでの私の「いちゃもん」も、どんさんをはじめとする、ご理解の深い方々による応答によって、なにがしかの意味もあるだろう、と期待したわけです。
でも、この前提がだんだん怪しく感じられてきたようです。
ひょっとして、私だけ?って(笑)。
うかつにも私が想定外だったのは、私のような人は、このスレッドを読まないかもしれない、という可能性でした。
どんさん、それと気になっているのですが、私の文章の調子が、あるいはふざけているような、どんさんを揶揄しているかのような印象を与えてしまっているのではないかと懼れています。
この点については、けしてそのような意図はないのですが、前述したような高慢な性分が文体に現れているのかもしれません。
この点についてもお詫びします。申し訳ありません。
- [372]万年初級 05/07/06 21:25 *8M36Jl00BDO*/.q.2qmrjE
- ところで、私以上にどんさんを必要とされている方が多いようです。
ですから私のことはいつでもけっこうですので、その方々のことを優先してレスしてあげてください。
これはまじめなお願いです(念のため)。
- [373]どん 05/07/07 00:19 pzJsySDyda
- >>367
ドングリさん、ありがとうございます。
そんなふうに仰って頂いて、本当に嬉しいです。
皆さん、本当に好意的に受けとめて下さって、感謝、感謝、です。
さて本部の月次祭ですが、実は私、本部の月次祭は一度しか行ったことがないのです。
その時も本当に多くの人で神殿には座るところがなくて、
ふらふらと教祖殿の南側の廊下に辿り着いて、そこから拝ませて頂いた次第です。
そうしますとね、あたかも赤衣を召されたおやさまが、廊下まで出てこられて、
私のそばまで来て下さって、一緒に神殿の方を見ながら、
よく来たね、この陽気づとめを、しっかり感じて味わって下さいね、と仰られて
いるような気がして、何とも嬉しくて、つい、ありがとうございます、と
小声で言ってしまいました。
参拝に来られている方それぞれのお気持ちは実際のところはわかりませんが、
ひょっとして、皆さんも、そんなふうに感じておられるのかも、しれませんね。
その、何というか、何かのために参拝する、何かが欲しくて参拝する、ではなくて、
参拝することそのものが、嬉しい、心はずむ、ということかもしれませんね。
- [374]どん 05/07/07 00:19 pzJsySDyda
- それにしてもドングリさんが、本部の月次祭と参拝者の方々をご覧になって、
なんとも嬉しそうに見えたということは、ありがたいことです。
うまく言えませんが、私も、なんか、嬉しいです(^o^)
- [375]どん 05/07/07 00:20 pzJsySDyda
- >>368
さあみなさん、ホント、結構ですねー(^o^)
以前のご投稿に、おぢばは晴れてきた、結構や、
また別の日には、雨のご守護もあって、これまた結構や、という内容のものがあったと
思うのですが、本当に、結構なことです。ありがたいことですね。
- [376]どん 05/07/07 00:20 pzJsySDyda
- >>369
いおりさん、私の方こそ、ありがとうございます。
私が特に嬉しくてたまらないのは、いおりさんの仰った、
>埃を少しでも多く払えるよう
というところです。
ややもすると、埃を、あるいは身上事情を、恐れて、忌み嫌って、
埃を積まないよう積まないよう、と強迫的になってしまいがちなのですが、
そうではなくて、埃を払えるよう、とのご思案。私、大賛成なんです。
以前にも投稿させていただきましたが、埃を出してこそ正味がある。
埃に感謝して、埃に学びながら、陽気いっぱいの、信仰を、毎日を、
過ごしたいものですね。
私の方こそ、ありがとうございます。
- [377]どん 05/07/07 00:21 pzJsySDyda
- >>370-371
万年初級さん、私、思い込み激しく突っ走りがちなところを、実に軽やかに、
旧知の友のように、ご意見添えて頂いて、ホント、感謝しているんです。
大馬鹿者だなんて、心根のひねくれてるなんて、とんでもない。
それこそ、深い味わいの中で、気付かせてもらって、学ばせて頂いてます。
>>372
とんでもないことです。
私、皆さんに励まして頂きながら、学ばせて頂きながら、
私、皆さんにたすけて頂いてます。
私が、皆さんを必要としています。ありがたいことです。
おかげさまで、本当に私は幸せです。
なんだかんだと連続投稿になってしまいました。お許し下さい。
- [378]ドングリ 05/07/08 08:36 Ceao9UGDh4
- >>373
どんさん 有難うございました。
>何かのために参拝する、何かが欲しくて参拝する、ではなくて、
参拝することそのものが、嬉しい、心はずむ、ということかもしれませんね。
そう言えば、私も、最初はそういうことはなかったですが、
最近は天理に行けば、何かしら気持ちがやすらぐっていうか、
やっぱり来て良かったって思えるようになりました。
何が・・・っていうことは言えないんですけど。
この前ふと思ったんですけど
天理の町ってドンドン変わっていきますよね。
駅の周辺とか神殿の回りとか。
天理教が出来た頃に比べたら全然違うと思うのですね。
でも東の山々とか西の景色とか、山辺の道とか
そんな自然な風景は きっと昔も今も変わらないと思うのです。
もしかしたら中山みき様も、その昔、この東の山を
見ておられたのかなーってそんなことを思ったら
なんだか楽しいっていうか・・・
教祖さんと同じ山を見てるんだって
みんなそんな気持ちでいるのかなーって
ふとそんなことを思っていました。
まだまだ分からないことだらけですけど
これからも 天理のことについて 色んな事教えて下さいね。
- [379]AKIRA∞ 05/07/08 11:13 8fdwiNddN0
- >>351
どんさんへ
ずっと考えていたのですが、分教会が上級教会に対してのノルマというのは、文教会の運営や信者の負担を考えると無い方が良いのではないでしょうか?
分教会が建立時のローン返済金や、様々なお供えや、生活費というのがある上に上級教会に対するノルマがあって生活が辛いというのはこの掲示板で拝見しております。
上級教会が分教会の運営の厳しさを知るのなら、ノルマという形では無く善意の方が良いのではないでしょうか。
また厳しさを知っているなら「人助け」で上級から文教会を援助するのも良いと思います。
宗教はビジネスでは無く、基本は慈善事業なので、お金の流れは全て善意という方が良いと思うのです。
厳しい生活をしている人を助けるのが一番ではないでしょうか。
分教会の運営が厳しく、上級教会からノルマがあれば結局信者に負担をしいらなければならないので、家族の生活を考えると距離を置かざるを得ないのです。
自分の考えを述べさせて頂きましたが、どんさんはノルマという事にどのように感じられておられるのでしょうか?
もしよろしければお願いします。
- [380]万年初級 05/07/08 11:21 *8M36Jl00BDO*/.q.2qmrjE
- >>378
ドングリさん、はじめまして。
万年初級です。
名前の通り、いつまでたっても初級なので、なんとなくですが、ドングリさんのお気持ちは理解できるような気がするんですよ(失礼)。
ほら、人に誘われてベルリン・フィルの第九を聴きにいったところ、まわりの誰もが大感動しているというのに、自分だけなんだか何が良いのかさっぱりわからないとか。
ピカソ展を観にいって、連れの方は「まあー、やっぱり本物の迫力って違いますねー」とか言われて、「ほんとにねー」なんて答えていても、実は子供の絵と同じにしか感じられていないとか(笑)。
まあ、そこまでとは言わないまでも、確かに良いとは思うけど、どうも周りの人が感じていると思われるほどには、自分は思えていないんじゃないかな、とか、ですね(たとえば真柱様のお話とか(またまた失礼))。
それでドングリさんの>>367を読んでから考えていたのですが、クラシック音楽など多くの芸術でもそうですが、最初よくわからないままでも、ほんとうに良いと言われるものを続けていると、なんとはなしに、あ、これかな、たしかに今のはよかったな、って、少しずつ自分なりに感動できるものが増えていったりすると思うんですね。
それで一年ご本部にご参拝になられたということで、とりあえずおぢばが好きになっておられたらいいな、と思っていたんです。
そしたら、こんどのレスで、そのようなことをお書きになっておられたので、あ、やっぱり、と思ってすごく嬉しかったんです。
おぢばを一年通して参拝させていただくと、春夏秋冬、月ごとに違った風景・表情を見せていただけて、いいですよね。
お書きになっておられたように、東の山の風景も変わりますし、回廊から見える中庭の風景(梅ノ木)もかわります。
先月は大丈夫だったのに、今月靴下の二重履き用を忘れたら、足が冷たくて冷たくてっ!とかね(笑)。
いろんな事情でこちらの心の状態も違いますし、そして風景もかわります、また集っている人々も変わります(3か月で修養科生もぜんぶ入れ替わってますしね)が、やっぱりいつもおぢばはおぢば、丁度ここのところヒットしていたコブクロの「ここにしか咲かない花」の島のようにね、きっと多くの方にとってはそんな場所なんだろうと思います。
ひょっとしてもうされているかもしれませんが、私のおすすめは、ちょっといつもと違ったとき・時間におぢばへ行かれることです。
お話だといつも26日に参拝されているようですが、もし25日からこられているのでしたら、夕づとめにはでられているかもしれませんが、もっと遅く、9時とか10時とかですね。
またはかなりの早朝とか。
こういった時間の神殿も、いつもと違った神聖な雰囲気に包まれいて、感動的だったりします(こちらの状態にもよりますが)。
もし26日が日帰りで、お近くにお住まいでしたら、別の日にお一人で参拝されるとかですね。
そして、26日とは違って人の少ない神殿や教祖殿でしばらく座っておられるのもよかったり(教祖様に話しかけられるとなお結構ではないかと)すると思います。
なにしろ初級なものでたいしたことは言えませんが、こんどおぢば帰りして、参拝するとき、ひょっとしたらお隣になるかもしれませんよね。
そのとき、ドングリさんかもしれない人の、足を踏みつけないように気をつけます(笑)。
それでは失礼します。
- [381]万年初級 05/07/08 11:55 *8M36Jl00BDO*/.q.2qmrjE
- >>380
投稿してから後悔したのですが、軽佻浮薄な性格から、つい「足」について冗談めかして書いてしまいました。
ドングリさんや、このスレッドをお読みの方に、おみ足のご不自由な方がおられるかもしれない、という可能性をまったく失念しておりました。
もし、そういう方がお読みになり、お心を傷つけたり、ご不快をお与えしてしまったとしますと、まことに申し訳ないことです。すみませんでした。
また、ドングリさんにも、お一人での参拝をおすすめしましたが、もしおできになるのであれば、ということでお受け取りいただきますようお願いいたします。
- [382]万年初級 05/07/08 13:04 *8M36Jl00BDO*/.q.2qmrjE
- >>379
横レス失礼します。
AKIRA∞さんへ。
純粋に疑問なんでお尋ねします。
教会に属して、お供えを強要されることを大変ご心配されているようですが、そうなのであれば、あなたには教会・分教会に所属しない、という選択肢はないのでしょうか?
たとえば本部(天理)では、ふつうの神社と同様(というか無料で)、誰でも参拝できます。
もちろん、これは教会・分教会に所属すれば、かならずお供えを強要される、ってことではないですよ(笑)。
また、そんなごちゃごちゃ言うのなら、所属するなよ!って言ってるわけでもけしてありません。
誤解のないよう、願いします。
- [383]AKIRA∞ 05/07/08 15:47 8fdwifYpIc
- >>382
万年初級さんへ。
そうなんですよ、結局のところ自分で天理教の教えを少しづつまなんでいるんですよ。
自分流にやっております。
自分には親や祖母から教えられた「天理教は金取り」というマインドコントロールが、なかなか消えないんです。
呪縛のようなものです、不愉快にさせていたら、すいません。
- [384]AKIRA∞ 05/07/08 16:17 8fdwifYpIc
- 「天理教は金取り」というマインドコントロールというものに対して、自分で決着を付けたいと思っています。
人それぞれ感じ方や捉え方は違うと思います。
親や祖母がそう思ったのなら、そういう要素があったのではないか?と思うわけです。
しかし天理教が本当に素晴らしい宗教なら、人生において非常に損をしている事になります。
「天理教は金取り」ならば、それほど多くの人が集まらないのも事実です。
人から言われた事ではなく、自分自身が自分で考え疑い、また質問して答えを吟味して思案しようという姿勢です。
子供の頃からのマインドコントロールはなかなか消えないものですが、頭を自分なりに最大限働かせて自分なりの真理を考えるつもりです。
すみませんがよろしくお願いします。
- [385]どん 05/07/08 16:59 60prXsdkE5
- >>378
ドングリさん、ありがとうございます。
>中山みき様も、その昔、この東の山を見ておられたのかなー
ホント、そうですね、考えたことありませんでした。
今度、天理に行くのが楽しみなりました(^o^)
いいことを教えていただきました。
- [386]どん 05/07/08 16:59 60prXsdkE5
- >>379
AKIRA∞さん、ありがとうございます。
>宗教はビジネスでは無く、基本は慈善事業なので、お金の流れは全て善意
私もそう思います。私の教会では「心定め」とか言っていますが、たとえどんな
天理教用語で表していても、要は「目標」であったり「ノルマ」であったりして
私は個人的には、全くナンセンスだと思っています。結構、否定派です。
この、お供えについては、過去、多分に誤解されて説かれてきたのだと思います。
欲の心を離れるためには、金銭をお供えしよう、それがおやさまのひながただ、とか、
親への孝行は月日への孝行に受け取る、というお言葉があった、とか、
昔、よくお助けのあがった(病人が救かった)教会長さん達は、お供えに関して
厳しかったようです。私の教会の先代の会長さんは、部内教会の会長さんからの
お供えを片手で受け取って、もう片方の手でもっと出せと催促したそうです。
これらの話は、この掲示板でも今までよく議論になっていたとは思うのですが、
あらためて、私の思うこと述べさせて頂こうと思います。談じ合いましょう!
- [387]どん 05/07/08 17:00 60prXsdkE5
- >>380
万年初級さん、そうですね、私も閑散としたおぢば(教会本部)、好きです。
月次祭もよかったですが、どっちとも、いいですね。
- [388]さあみな 05/07/08 20:04 zyxWEpTpZ8
- 結構やなあ。結構結構。今日も健康に通らせていただいた。
ああ結構やなあ。ありがたいなあ。
- [389]AKIRA∞ 05/07/09 01:06 8fdwiNddx6
- >>386
どんさんへ。
そうですよね、やっぱおかしいと思われる部分もあるんですよね。
宗教者というのは、清貧が一番美しいと自分は思っております。
人を助けて貧乏になる事がカッコイイというかカリスマ性があるというか。
教祖様がそうだったというのは知っています。
ではトップや幹部や大教会がそうなら分かるのです。
しかし信者や末端教会に強いるのは、どうかと思うのです。
それを教えるなら、本人がすべきと思うんです。
現代でもそれは同じ、もしくはさらに強く思います。
今の上層部が貧に落ちる程の人助けをして苦しいというのなら喜んで入ります。
本物だと思うのです、本当に信じます。
もっと言えば、そういう本物の宗教を見てみたい、という気があります。
幹部や大教会に人が滅私で清貧で聖人で、本当に素晴らしい人なら素晴らしい。
少なくても
>私の教会の先代の会長さんは、部内教会の会長さんからの
お供えを片手で受け取って、もう片方の手でもっと出せと催促したそうです。
たまりません。こんな話しは。情けないです。宗教者失格です。
やっぱり人間は所詮、人間なんでしょうか。
もっともっと素晴らしい人が上に立って欲しいと思います。
- [390]AKIRA∞ 05/07/09 10:07 8fdwifYp5W
- >>386
どんさんへ。
>親への孝行は月日への孝行に受け取る、というお言葉があった、とか、
昔、よくお助けのあがった(病人が救かった)教会長さん達は、お供えに関して厳しかったようです。
これはどういう意味ですか、ちょっとよくわからないのですが。
- [391]どん 05/07/09 14:32 NoRtmkCZFT
- >>390
また時間を見つけながら投稿させて頂きますが、
私もよく知らないのですが、
親へ孝行することは、神様に喜んでもらえることだという意味の
ことらしくて、その親というのが、肉親のことではなくて、上級の
教会なりを意味してると解釈すれば、上級教会にお供えすることは
神様への孝行となり喜んでもらえるのだ、という理屈のようです。
お供えに限らず、上級の教会(いわゆる理の親)の言うとおりに
していれば、間違いないんだ、という信仰スタイルです。
また、お供えに厳しいというのは、お供えをすれば助かるという
ような説き方がされていたということです。
勿論、私の知っている範囲のことですので、それが天理教内の
大多数だとは、決して言えませんが。
AKIRA∞さんの親御さんが仰っていた、天理教は金とり、という
のも、そうした一面を表現されてのことだと思います。
またおいおい投稿させて頂きますね。
- [392]くろ 05/07/09 16:21 dOIUiLUfsO
- >>390
横レス失礼します。
私は教会に生まれ教会で育ち教会に嫁ぎました。
私のお爺ちゃんも初代でしたが、かなりお供えには厳しかったと聞いています。でも教会の暮らしは貧乏で大変だったそうです。
お供えを自分の私腹にしていた訳では無いのだと思います。
今は、はっきりお供えを出して。といえる会長は少なくなっていると思います。それは何故か?昔は神様を純粋に信じそして本当に(身体だけでなく心も)助かってもらい。そして会長はその人の助かりを心から願っていたのだと思うのです。だから言えたのではないでしょうか?お爺ちゃんの事を悪く言う人は居ないし、カリスマみたいな絶対的で皆が慕っていたそうです。自分の私腹の為にお供えをしろ!!っていうような会長は居ないと信じたいし、もし居たとしたら信者さんもお供えは出さないだろうと思うのですが・・・。
お供えをする側ですが、お供えは神様に対してするのであって会長さんにするのでは無いと言います。自分から離れたものはどのように使われようが自分はお供えをしたのですから、関係ないと聞いたことがあります。ここでも話題にあがりましたが、お供えはする側の心ですから大病を助けて頂いたからと100万お供えしようが、100円お供えしようが本人の気持ちではないでしょうか?日々健康に暮らさせて頂いていると100万お供えするのもその人の自由かと・・・。
- [393]くろ 05/07/09 16:37 dOIUiLUfsO
- 理についてですが・・・。
天の理は絶対だと聞いた事があります。
結局、会長も人間です。何かしら不足も出てきます。
私の主人は会長をさせて頂いていますが、上級の会長さんには何を言われても「はい。」っと答えるようにしているそうです。
上級の会長さんは私からみてもちょっと変わった会長さんで、他の兄弟教会の会長さんの中には不足を言う人もいますが、そうして立てていく中で自分の心もつくって頂けるし、信者さんにもそのように慕って貰えるようになるのではないかなーっと思います。
そして会長さんに喜んで貰いたい。っと思う事で自分も喜ばせて頂いてるのだと思うのです。
この文章を読んで屁理屈だと思われる方もいらっしゃると思います。
物事の捉え方で人の心は変わってきます。
勇み心の大切さを最近身を持って感じます。
どんさん、まっぷさん主人(会長)は仮免合格しました。
その節は色々アドバイスを頂きありがとうございました。
- [394]万年初級 05/07/10 07:01 *8M36Jl00BDO*/.q.2qmrjE
- >>389
AKIRA∞さん。
また、ちょっと質問があります。
私は>>389のあなたのご投稿を読ませていただいて、批判的見解を抱きました。
それでレスを考えたのですが、これがどう見ても(自分が言うのもなんですが)、意地の悪い攻撃と受け取れる内容です。
本人としては、意図は真剣なもので、あなたのお心を傷つけたくありません。
そこで、私が知りたいのは、あなたが精神的にタフなかたであるかどうか、つまり、多少攻撃的に批判されても大丈夫なかたであるか、それとも、どちらかというと、そういう他者からの攻撃に対して精神的にナイーブで、ダメージを受けてしまいやすい(ネガティブになってしまう・欝になってしまう)ような方であるかどうか、ということです。
初級のくせにいったい何を批判するつもりだ、うけてたとうじゃないか、こい、ってお思いになられるなら投稿させてもらいます。
もし逆に、他人に批判・攻撃されるのはできるだけ避けたい、というお気持ちが強いのなら、投稿は控えさせていただきます。
もちろん、批判されるなんて、まっぴらだ、と思っておられるのでもかまいません。
せっかく私が考えたのに、断るのは悪いんじゃないか、とお思いになる必要はまったくありません。
私はぜんぜんかまわないのです。
そこで遠慮なしに、レス希望であるか、そうでないかを教えてください。
その批判的レスを投稿した場合、それから少し時間をおいて、私のそこに込めた意図を説明させていただくつもりです。
- [395]どん 05/07/10 07:39 pzJsySDyda
- お供えについては以前に投稿させて頂いておりまして、
>>182
>>185
です。
くろさんのご意見>>392-393に近いと思います。
くろさん、お久しぶりです(^o^)。
お勇みのようで何よりです。
ダンナさん大型自動車の仮免、おめでとうございます。
- [396]どん 05/07/10 08:53 pzJsySDyda
- 逸話編178もご紹介させて頂きます。
「命あっての物種と言うてある。身上がもとや。金銭は二の切りや。
今、火事やというたら、出せるだけは出しもしようが、身上の焼けるのも
構わず出す人は、ありゃせん。大水やと言うても、その通り。盗人が入っても、
命が大事やから、惜しいと思う金でも、皆出してやりますやろ。
悩むところも、同じ事や。二の切りを惜しまずに施しして、身上を
救からにゃならん。それに、惜しい心が強いというは、ちょうど、
焼け死ぬのもいとわず、金を出しているようなものや。惜しいと思う
金銭・宝残りて、身を捨てる。これ、心通りやろ。そこで、二の切りを以って
身の難救かったら、これが、大難小難という理やで。よう聞き分けよ。」
二の切り、とは、一番ではなく二番目に大切なもの、という意味だそうです。
それにしても、二の切りを施せ、であって、二の切りをお供えしろ、では
ありません。同じ金銭出すならば、本当は、お供えよりも募金なんかのほうが
よいのかもしれませんね。
しかし、>>182にも投稿させていただきましたとおり、教会長であろうと、
街角で募金している人であれ、兄弟姉妹であることには変わりないのですから、
またお金なんてものは、結局、誰かしら人間が使う訳ですから、人間はみんな、
兄弟姉妹な訳ですから、どこにどのように出してもよいのだと、私は思います。
どうせお金は二の切り、二番目です。
所詮は道具であり手段です。
生活のためにお金は使いますが、また便利で重宝なものですが、
お金に使われてしまっては、本末転倒です。
身上(身体)がもとや、です。
- [397]どん 05/07/10 09:11 pzJsySDyda
- それにしても、お金の価値って何なんでしょう。
会社の同僚と一緒に飲みに行って、割り勘して、ちょっと足りなかったら、
ほな今日は俺出しとくわ、ええがな、ええがな、となります。
千円くらい余分に払っても、大して気になりません。
でも街角の募金箱に千円入れるのは、ちょっと、勇気がいります。
買物でも同様です。
車を買いに行って、ちょっと値引きしてくれない?と店員さんに頼んで、
じゃあ千円値引きします、とか言われたら、何じゃそりゃ、となります。
しかしスーパーで野菜を買うなら、百円も安かったらメチャ嬉しいです。
マク○○ルド行ってクーポン券使って、二百円安かったら、やっぱり嬉しいです。
案外、お供えでも施しでも、金額そのものはどうでもよいのかもしれません。
- [398]どん 05/07/10 09:43 pzJsySDyda
- >>396
おやさまのお言葉に文句言うつもりはありませんが、
身上(身体)よりも大事なものが、時として、あると思います。
それは、心です。
どんな心かは、人によって様々だと思います。
ある人には、所属感というか、居場所のようなものかもしれません。
所属に失敗して、天涯孤独に感じられて、自らの命を絶つ人もあります。
どんなに辛かったでしょう。どんな想いだったのでしょう。
また、ある人には、責任感かもしれません。
自分なりの正義、信念、という場合もあるでしょうね。
そう考えると、ますます、金銭なんかは、どうでもよいような気がしてきます。
多くても、少なくても、どっちでもいいように思います。
- [399]お供えさん 05/07/10 12:56 pkQ8wkPv
- >>182
うーむ。
問題は教会長が信者さんを兄弟姉妹と思ってお小遣いをくれたりしている現実があるかどうかのような気がするが。
兄弟の中の兄弟と思っているのかねぇ。
- [400]お供えさん 05/07/10 13:03 Bu.H3FZZbA
- >そう考えると、ますます、金銭なんかは、どうでもよいような気がしてきます。
>多くても、少なくても、どっちでもいいように思います。
教会長がそう思ってくれると助かるね。
- [401]どん 05/07/10 17:55 pzJsySDyda
- >>399-400
お供えさん、ありがとうございます。
ホント、そうですよね。それが難しいところだと思います。
相手側(教会長)がどう思うか、また行動するか、は強要できませんからね。
悩ましいところです。
以前に投稿したかもしれませんが、「互い立て合い」に関連するかもしれません。
それは、私と誰かがいたとして、私がその誰かに「私のことを立てろ」と言えば、
すなわち私はその人を立てていないことになる、ということです。
立てるとか尊敬するとかいうのは強要できるものではないからです。
結局、「互い立て合い」を実現しようと思ったら、まず私から相手を立てるしかありません。
兄弟姉妹と思うかどうか、金額の多少は問題ではないと思うかどうか、は、
「互い立て合い」とはニュアンスが違いますが、私は、人間関係は、
詰まるところそういうものかもしれないな、と考えています。
しかしそうは言っても、相手側(教会長)がどう思っているかは、やはり
大きな問題でしょうね。ここのところ、もう少し、考えてみます。
- [402]くろ 05/07/10 22:15 dOIUiLUfsO
- どっちかというと相手側の人間です。
私も前にかなり悩んだ事があります。
結婚する前は働いていましたので自分の働いたお金で自分の自由に使っていたのですが、教会に来るとそういう訳にはいきません。
精神的にかなりしんどいです。今でもそうですが、生活するのには使わせて貰っていますが、自分の物を買う事にはかなり抵抗があります。教会に来てから衣類や嗜好品はほとんど買った事がありません。
皆、お古や頂き物です。
昔はお財布に5千円以上入っていないと不安だったのですが、今では小銭しか入っていない事の方が多いです。
私は先案じや出し惜しみがあったので(今でもありますが・・・)
少しはましになってきたのかなーっと思ったりしています。
働いて自分で生活していると、皆が「偉いわねー。」って褒めてくれます。そして高い買い物をすると出世したなって。
でも、教会では働かず、質素な生活をして教会の御用やにをいがけ、おたすけに励む事が良しとされているような風潮があるように思います。それが教会の使命でもあるかもしれませんが、私達も人間ですから欲しい物もあるし、無駄使いもしたいなーっと思う事もあります。
実際に会長はバイトをしながら教会の御用をさせて頂いていますが、信者さんには用事があっても日がなかなか取れなかったり、申し訳ない事ばかりです。これではいけない!!とは思っていますが、現実は・・・。
私の気持ちですので他の教会の方は分かりませんが、お供えで生活させて頂いている。って言う事は精神的にはかなりプレッシャーです。それじゃー働いて生活するは!!って本気で考えていた時があります。
話がそれているかもしれませんが、すみません!!
- [403]万年初級 05/07/11 10:19 *8M36Jl00BDO*3IMZN0SUqf
- >>392-393, >>402
くろさん、はじめまして。
いつも読ませていただいて、私では考えられない素直なお心をもっておられるので(やっぱ教会でお育ちだからかなーと思ってしまいます)、私などが意見さしあげるのがはばかられるのですが、お許しください。
ただくろさんのお書きになっていることにはこれでもけっこう共感もしているんです。
それで、一応お道の友ということで書かせていただきます。
>お供えをする側ですが、お供えは神様に対してするのであって会長さんにするのでは無いと言います。自分から離れたものはどのように使われようが自分はお供えをしたのですから、関係ないと聞いたことがあります。
私この考えについては微妙な相反する気持ちをもってしまいます。
つまり、信仰者としてこれは確かにそうなのかな、という気持ちもあります(また、こう考えるほうが楽だ、という気持ちもあります)。
しかし、批判的立場(私の得意の立場です(笑))からみると、これは仮にお供えを受け取る側が悪用しようとしている場合、その受け取り手にとってはきわめて都合の良い教えでもありますよね。
しかも、その悪用しようとしている受け取り手自身が、この教えを教えているとすればなおさらです。
批判的に見る人でも、くろさんの文章を読むと、あなたが良心的である人であることはよく理解されると思います。
しかし、問題は、そういった良心的人々の善意、信仰心をこそ、悪意のある組織=いわゆるカルト教団は利用するということです。
「自分から離れたものはどのように使われようが自分はお供えをしたのですから、関係ない」というのは、信仰の観点からみればともかく、社会的観点からみれば、そういった社会に害毒を生む危険性・可能性を考慮した場合、無責任ではないか、とも考えられます。
もちろん、我々お道のものは、天理教教団が、そんなことをすることはありえない、と確信しているわけですが、外部からみれば、自分の所属している組織に対して、批判的観点自体を失わせるような教えというのは、やはり危険性を孕んでいると受け取られるのではないでしょうか?
また、私自身、教団組織において、お供えがどのように動いているのかということをまったくこれまで知らなかったのですが、こういったことも、これまで教団組織内部に生じているいろんな問題の要因になっているのかな、とも思います。
教団内部から見ても風通しよく、また、外部から見ても安心されるような教団組織を私たち自身が、自分の問題として(上の人にまかせきりにしないで)考えてゆくときなのかもしれませんね。
まあ、みなさん、すでにこういったことをよくご理解のうえで談じ合われているのでしょうが。
失礼しました。
- [404]まっぷ 05/07/11 11:09 rJG8ObUhZ9
- くろさん、会長さん仮免合格おめでとうございます。
教会の御用、バイト、教習所・・過密スケジュールですねー。
でも、有能な秘書が居られるので、会長さんも安心、感謝ですね。
私は教会の方々の、ご苦労は大変で何時も頭の下がる思いです。
お金に苦労すれば、お金に困っている方の苦労が分かり、
身上で苦しめば、病気で苦しんでおられる方の痛み、辛さが身にしみ
仕事に行けば、給料を、賃金を頂く大変さが分かるとおもうのです。
亡き祖母が、乳飲み子を亡くした時、一時は嘆き悲しみ気力を失い
かけたけれど、これで、子を亡くした親の気持ちがわかり、
おたすけが出来るんだ。おやさまも、お子様を亡くされた。
悲しかったでしょう。と思って立ち直ることができたのよ。
と話してくれました。
書き込みをしながら、自分自身、反省の嵐です。
苦労から逃げようとする心といつも格闘しています。
よく負けてるかも・・w
- [405]くろ 05/07/11 11:37 dOIUiLUfsO
- 403>>
万年初級さん初めまして。いつも読ませて頂いています。
>お供えをする側ですが、お供えは神様に対してするのであって会長さんにするのでは無いと言います。自分から離れたものはどのように使われようが自分はお供えをしたのですから、関係ないと聞いたことがあります。
このお話は学生の頃に講話で聞かせて頂いたお話です。
その先生も自分達はこんなに貧乏なのに、上級の会長さんは・・・と
いう不足心から聞かされたお話だそうです。
なのでお供えをする側の心の持ちようですね。
お供えをして貰う方でもありますが、お供えをする側でもあるので、
例え、上級の教会が私達よりいい生活をしていても自分達が助かる道を・・・と思っています。
去年の末頃から毎月お供えとは別に理立てもするようになりました。
結構きついですが、自分達が元気に生活をさせて頂いている理立てですから喜んでさせて頂いています。
すると決めてから不思議な事にお供えをする頃になると理立ての分だけ入ってくるのです。
困ったなーっと思っていても何とかなってしまうのです。
心定めが大切と言われます。
親神様にもたれさせて貰うと良いようにして下さるのかなーっと。
まだまだもたれ切らせて頂けない未熟者ですが少しずつ感じさせて頂いています。
これも私事ですので外部からみるとそう見られても仕方ないですよね。
教会は法人ですので毎年、決算書を県には提出しているのですが・・・。
私は会計簿をつけ信者さんより質問等があったとしても見せられるようにはしていますが、
本部の場合も会計はあるでしょうが、お供えがいくらあったかは誤魔化そうと思えば誤魔化せますもんね。第三者が介入しきちんと世間にも公表していく事も大切かもしれませんね。
どんさんが言われているようにお金の価値をどこに置くかでも変わってきますよね。
信者さんが心から出したお供えを自分の私腹の為に使ったら、その時はいいのかもしれませんが、神様は見抜き見通しですから埃を積み、自分に全て返ってくると思います。後になってきっと倍以上に困ったことになるのではないでしょうか?
- [406]AKIRA∞ 05/07/11 12:16 8fdwiNdd.m
- >>394
万年初級さん、レス遅れました。
すみません。
ちょっとここ数日間考えておりました。
精神的にはタフではありませんが、人の思いを受け入れない多様性の無さは身勝手であり、自分のために意見を聞きたいという結論になりました。
自分に対して攻撃的なレスお願いします。
自分も思う存分書かせて頂いてるので、反論は受け付けないという態度は卑怯の何者でもありません。
包み隠さず徹底的に批判して頂けたら、自分の考えを見なおすものとして歓迎したいと考えました。
よろしくお願いします。
まあ私の意見には当然、間違いや穴はあると思います。
所詮、私はただの人ですから。
- [407]くろ 05/07/11 12:19 dOIUiLUfsO
- まっぷさん有難うございます。
今日は路上だそうで、朝から出かけて行きました。
それから10時までバイトで帰ってくるのは11時過ぎるかと・・・。
本当に大変だなーっと・・・。(人事みたいですが・・・苦笑)
私も今まで本当に親に守られ何事もなくきてしまって苦労しらずでした。
今、色々と身を持って教えられ、自分が経験しなければ本当に苦しんでいる人達の気持ちは分からないなーっと痛感させられます。
そして通ってみて始めて自分のものにできるんだと・・・。
若い頃の苦労は買ってでもしろ!!っていうのはよく分かります。
年がいってから何かあっては、なかなか乗り越えられないけれど、
若い頃はその時は落ち込んだりするけど、乗り越える力をつけられるのではないかと・・・。
そして今度、困った事が出てきても少々の事は大丈夫だと思います。
節から芽が出るという考え方ですよね。親神様はその人が乗り越えられるものを与えて下さっている。そう考えるとどんな困難も大丈夫と思えるし、又、心の向きも変わってくるのでしょうね。勇む心、陽気な心は本当に大切だと思います。
書き込みをしているうちに話がそれてしまって・・・。
いつも、自分の言いたい事ばかりで、すみません。
- [408]まっぷ 05/07/11 12:59 rJG8ObUhZ9
- くろさん。会長さん、今日は路上ですか?着々と・・ですねー。
教官、優しい方だといいですね。でも、男の人には、キビシイかもw
過労にならないように、気を付けてあげてくださいね。
2時のおつとめの参拝に行く時間が来たので失礼します。
くろさんの、お話また聞かせてくださいね。
- [409]どん 05/07/11 16:11 NoRtmkCZ3m
- >>402
>お供えで生活させて頂いている。って言う事は精神的にはかなりプレッシャーです。
普通はそうだと思います。私が同じ立場ならやはりそう感じると思います。
だから、教会の人も、信者さんからのお供えの大部分は上級教会なり大教会に、
そのままお供えしているのではないかな、と思います。真実はわかりません。
>>389でAKIRA∞さんが、
>たまりません。こんな話しは。情けないです。宗教者失格です。
と仰ったのは、身近な人から「天理教は金取り」だと聞いていたからでしょうし、
私腹を肥やす人が実際にあったのかも、また、あるのかもしれません。
やはり真実はわかりません。
私の所属教会の信者さんに、もともとクリスチャンだったという人がいて、
会長さんが祭典後に昼間からビール飲んでるのを見て、あれじゃ宗教者失格だと
言ってたんですが、祭典の日だけのことかもしれませんし、その祭典の日にしても
我々に遠慮させまいと配慮してのことかもしれませんし、真実はわかりません。
私の祖母は清貧というか、ケチケチ婆さんでして、勿体無いからということで、
風呂の湯も30cmくらいしか張らずに、横になって入浴し、それも何日も使います。
子ども(私の親)には修学旅行も行かせず、乾いた雑巾を絞るようにお供えして
貧乏してきました。子ども達は嫌気がさして、私の親以外はみんな天理教嫌いです。
清貧も、お供えも程度によりけりだと思います。
そして、その程度というのは、人によって皆違うと思います。
ただ問題は、>>403で万年初級さんが仰ったように、それが悪用されるおそれが
あるということでしょうね。
- [410]万年初級 05/07/11 17:55 *8M36Jl00BDO*3IMZN0SUqf
- >>389, >>406
>そうですよね、やっぱおかしいと思われる部分もあるんですよね。
>宗教者というのは、清貧が一番美しいと自分は思っております。
それを教えるなら、本人がすべきと思うんです。
>人を助けて貧乏になる事がカッコイイというかカリスマ性があるというか。
>教祖様がそうだったというのは知っています。
>ではトップや幹部や大教会がそうなら分かるのです。
>しかし信者や末端教会に強いるのは、どうかと思うのです。
>それを教えるなら、本人がすべきと思うんです。
それを教えるなら、本人がすべきと思うんです。
>現代でもそれは同じ、もしくはさらに強く思います。
>今の上層部が貧に落ちる程の人助けをして苦しいというのなら喜んで入ります。
>本物だと思うのです、本当に信じます。
>もっと言えば、そういう本物の宗教を見てみたい、という気があります。
それを教えるなら、本人がすべきと思うんです。
>幹部や大教会に人が滅私で清貧で聖人で、本当に素晴らしい人なら素晴らしい。
>少なくても
>>私の教会の先代の会長さんは、部内教会の会長さんからの
>お供えを片手で受け取って、もう片方の手でもっと出せと催促したそうです。
>たまりません。こんな話しは。情けないです。宗教者失格です。
それを教えるなら、本人がすべきと思うんです。
>やっぱり人間は所詮、人間なんでしょうか。
>もっともっと素晴らしい人が上に立って欲しいと思います。
それを教えるなら、本人がすべきと思うんです。
>所詮、私はただの人ですから。
- [411]万年初級 05/07/11 17:55 *8M36Jl00BDO*3IMZN0SUqf
- AKIRA∞さん。
せっかく批判を受け入れようと決心してくださったのに、これでは反論と言うより、嫌がらせ、揚げ足取りではないか、とお思いになったかもしれないと危惧します。
しかし、前にも述べましたように、ここに私がこめた意図は、今日、夜の間に投稿できると思います。
それまでレスはお待ちいただき、ご思案いただきたいと思います。
長すぎるので、なんとか短くならないかと骨を折っています(笑)。
- [412]万年初級 05/07/11 23:03 *8M36Jl00BDO*3IMZN0SUqf
- AKIRA∞さん、以下私が述べるのは、私があなたの文章から感じ、私が勝手に想像したあなたに対してです。
したがって、ひょっとすると完全にまとはずれである可能性も十分にあり、あなたにはただ不愉快な思いをさせるだけかもしれません。
しかし、私にとって、私の想定するAKIRA∞さんが現実のAKIRA∞さんと違っているということは、むしろ望んでいることです。
このような方でなければよいのだが・・・・、と思いながら書いているということです。
省略のため、それをあなたであると断定した書き方をしますが、その点をご考慮の上、お読みいただきたいと思います。
私が気になったのは、まず、あなたは天理教に、教祖様、親神様以外の、宗教的カリスマを求めていらっしゃる、ということです。
しかもそれは現実の人間、すなわち聖人です。
私はこういった聖人・カリスマを求めることは、非常に危険であると考えています。
こういった心性こそ、カルトを生むのだと思うからです。
理由を説明しましょう。
聖人、理想的宗教者とはあなたにとってどういう意味をもった存在でしょうか。
それは自己存在の欠如感(欠如意識)、すなわち、自分の弱さ、自信のなさ、自分にとってのネガティブな(弱者)部分を埋めてくれる理想であり、それを投影した現実の他者に依存したいという欲望こそが、聖人希求の欲望ではないか、そう私は考えます。
あなたはそういう弱者・欠如存在である自己の欠如意識を埋めてくれる、理想的存在が欲しいのだと思います。
そういう存在がいれば安心してすべてを依存できるだろうからです。
だからこそ逆に、裏切られることに対して非常に敏感にならざるを得ず、また極度におそれざるを得ないのではないでしょうか。
お祖母さんから聞かれた天理教への悪いうわさの影響はもちろん大きいでしょうが、あなたの教団組織へ所属することへの警戒心には、この裏切られることへの「怯え」とも感じられる恐れがある気がするのです。
あなたの「宗教者失格です」という言葉には、そういう裏切りへの非痛感に似た怒りを感じるのです。
宗教否定論者なら、私の述べた理想を求める心性がまさに神を求める心性自体であると診断し、したがって宗教(神)を求める心、それ自体がカルトを生むのだ、と主張するかもしれません。
むろん私はそれに同意しませんが、ここではその議論は措きます.
- [413]万年初級 05/07/11 23:04 *8M36Jl00BDO*3IMZN0SUqf
- 私の高校時代の親友に、父親を崇拝している友人がいました。
高校時代というのはたいてい自分の父親に対して反感・幻滅感をいだいているもので、私は親友を羨ましく思っていました。
この親友のお父さんが、私たちの高校卒業後一年程経って亡くなりました。
親友は、大学生活を親元から遠く離れて一人暮らしをしていたのですが、私たちの予想以上に父親を失ったショックが大きかったようです。
親友にとっては精神的に全身で依存していた理想を失い、一人で立っていることができなかったのだと思います。
その理想を親友は自分の周りの人たちに求めました。
友人に、恋人に、先輩に、大学を卒業してからは上司に。
そして裏切られ続けたのです。
その結果、親友は精神に深く傷を負い、統合失調症(精神分裂病)を病みました。
亡くなったわけではありませんが、私は大切な親友をうしないました。
もちろん、この親友とあなたが同じだと言うのではありません。
しかし、現実の他者に対して、あまりに強い理想を投影しようとすることは、時に悲劇を生みます。
自己の弱さ、欠如を埋めてくれ、依存したい対象であればあるほど、その理想に裏切られた場合、自己のアイデンティティーそのものが崩壊の危機に瀕するからです。
そして、私たちの心は無意識のうちに、その自己崩壊の危機を避けるために、現実否認という手段をとることがあります。
自分の理想=聖人に限って、そんなはずはない、そんなことはありえない、と。
これがカルトへとつながっていくことは、もう説明する必要はないと思います。
- [414]万年初級 05/07/11 23:05 *8M36Jl00BDO*3IMZN0SUqf
- 文章から受けるあなたのナイーブさ、純粋さに、私は(杞憂にすぎないかもしれませんが)、そういった危惧を抱いたのです。
私たちは理想を、他人に求めてはならないのではないでしょうか。
自分はただの人だから仕方ないけど、あなたは教会長で偉そうなことをいっているのだから、ちゃんとしろよ、というふうにすぐに私たちは思います。
理想を抱くのなら、みずからがそうなるよう、自身でかわっていく、自分が求めていくべきなのではないでしょうか。
あなたにとっては、ずいぶん頼りのないことに思えるかもしれません。
仮に入信したとしても、この生きていく道に現れるどんな問題にも一発解答してくれる、それに従ってさえいれば大丈夫、というような人間、解法マニュアル、解の一般的アルゴリズム(公式)は存在しないからです。
しかし、まさに、その手引きを、教祖様が教えとして、ひながたとして我々にお示しくださっているのです。
私たちはその教えを学び、みずから思案し、導きの糸として自分なりに歩いていかねばならない、私はそう考えています。
我々信者は、たとえ大教会長と言えども、あくまで親神様の子であり、兄弟であり、ただの人―当然人間的欠点も供えた―に過ぎません。
ですが、カリスマとしては宗教者失格でも、翻って、同じお道を歩む者同士としてみた場合は、道の先達・先輩として一日も二日も長のある分、ずいぶんお助け・お教えいただくことも事実なのです。
ここでも完全な人は誰もいないでしょうが、それでも互いに助け合えます。
他人に依存するな、と言っても、けしてそれは単独行を意味するのではありません。
私たちには道の友があり、そして何より、親神様・教祖様が手引きし、見守ってくださっているのです。
私の誤解であれば、大いに安心でき、私は嬉しいです。
なんだか書いているうちにハイになって、調子にのってしまいました(恥)。
偉そうなことを書いてしまいましたが、お許しください(恥)。
もちろん、すぐの返答など不要です。
みなさん、連投すみません!
- [415]まっぷ 05/07/12 09:24 rJG8ObUhW/
- 万年初級さんへ
初めまして。書き込み、いつも楽しみにしています。
正直言って、初めの頃は少し引いて(笑)いたのですが
誠実な方なんですね。一生懸命なところに、惹かれます。
また、勉強させて下さい。
- [416]どん 05/07/12 10:05 NoRtmkCZ14
- 横レスすみません。>>386、補足していきます。
>私の教会の先代の会長さんは、部内教会の会長さんからの
>お供えを片手で受け取って、もう片方の手でもっと出せと催促したそうです。
教会は質素な暮らしでした。祭典の日はご馳走が出ましたが、それ以外の日は
実に質素なものでした。お供えはほとんど、上級に持って行ったと思います。
先代の会長は、自分の命を縮めても、と病人の平癒を祈って本当に亡くなりました。
東本の初代は、お供えのために頭を下げたことがなかったそうです。
「私が頭を下げたんでは、神様の尊厳を傷つける」と言ったそうです。
また、身内や部内教会長、布教師には非常に厳しかったそうです。叱りまくったそうです。
ある時、教会の2の人が言ったそうです。
「先生(東本初代)は、一番骨を折る私に、そんなことを言うて、他の者は
撫でさすっておられる。他の者にも、少しは言われたらどうですか。」
すると、東本初代は、
「あなたは今まで、よく神様に尽くしていて下さると思っていたのに、そうではなくて、
この私にしていて下さったのですか。それなら私は何一つ要りません。あなたが今まで
して下さったものは、皆持って帰って下さい。」
と言ったそうです。
長年連れ添った人に、自分を師と仰いで共に苦労してきてくれた人に、そんなこと
言えましょうか。凄い精神だと思います。高橋兵輔著『中川與志』、勉強になります。
さて私が申し上げたかったのは、こうした仕込みというか厳しさというものは、
相手を見て、この人ならば、この人こそは、という限定された場面でのものだと
いうことです。具体的な、誰それさん(教会長)と、誰それさん(布教師)という
関係でのみ、成り立つものではないか、ということです。
これを一般化してしまって、仕込み導く側と、仕込まれ導かれる側はこうでなければ
ならない、というふうにやっちゃうと、単なる意地悪、横暴にしか見えなくなります。
AKIRA∞さんが「こんな話しは。情けないです。宗教者失格です。」と仰ったのは、
私は、まことに当然のことだと思います。
布教師の成長を願って、心を鬼にして、心で泣きながら、言ったのだ、と
解釈するかどうかは、受け取る側の、今で申せばAKIRA∞さんの自由であって、
私をはじめ、他の誰かが言うものではないし、言えるものでもないのです。
そんな訳で、私は、お供えを強要することについて、否定派です。
- [417]AKIRA∞ 05/07/12 13:52 8fdwifYp98
- まず思ったのは「熱いなー」というのが率直な感想です。
そして論理展開が
「私が宗教的カリスマを求めている」
という心理を見抜き
「私がカリスマを求める理由は私の不完全さが原因。」
「もし宗教を信じて、裏切られたらという怖さで自己崩壊の危機を避けるために否定する」
また万年初級さんは
「誰かに対して理想を求めるのは良くない」という考えで
「教祖様のお手本を元に、助け合って精進する」
という内容のように思うのですが、ただ意味の60%ぐらいしか理解出来てない。
私が過度にカリスマを求めている心理は当たっていると思う。
そのような事も書きました。
裏切られて自己崩壊する危険を避けるために宗教否定するのも、そうだと思う。
ただ自己崩壊よりも自己破産の方が怖い。
自分がカリスマを求めるという事に関して危惧されているのは感謝します。
理想やカリスマを求める事が危険に繋がるとは正直思ってなかった、新しい発見です。
カリスマや聖人を求めなければ良いのかな。
では「教祖様はお手本にする」というとこが分からない。
信仰していらっしゃる方なら教祖様は神様でありカリスマや聖人ではないのかもしれませんが、自分にはやっぱり人としか思えない。
人を神として信仰するのは危険ではないのでしょうか?
中山みき様は他のカリスマや聖人や「自分を神と言っている」教祖さんとどう違うのかお伺いしたいです。
カリスマを求める気持ちがカルトを生む土壌を孕んでいるなら、天理教を信仰する気持ちが危険では無いという理由が自分には分からないのです。
信じるのが危険ならば信じなければ良い、のならばどうして天理教を信じているのか、また他と絶対的に違う理由は何か知りたいです。
- [418]万年初級 05/07/12 19:36 *8M36Jl00BDO*3IMZN0SUqf
- >>415
まっぷさん、ありがとうございます。
やっぱ、引かれてました?(笑)
私のほうはあなたのを読ませていただいて、心が癒されてました(笑)。
みなさん好い人が多いので、ちょっとここは悪役キャラでいこうかな、と思ってたんです。
どんさんはしっかり神様をつかんでおられるし、ちょっとくらいでは動じる心配もなさそうなのでたてつこうかな、と(笑)。
でも、どうも中途半端ですね。
こちらこそ、これからも勉強させてください。
- [419]万年初級 05/07/12 19:37 *8M36Jl00BDO*3IMZN0SUqf
- >>417
>まず思ったのは「熱いなー」というのが率直な感想です。
AKIRA∞さん、恥ずかしいじゃないですか、そんな「熱いなー」だなんて(笑)。
まあ、今度のあなたのレスを見て、意外にクールに読んでいただけたみたいなんで、私も安心しました。
実は私の周りで、たとえばミュージシャンをカリスマ化して、その人が離婚・再婚しただけで「裏切られた」とか言って落ち込んでいる人とか、占いにしたがっていないと不安な人とか、「あなたは絶対にやれる!」といった類の本とか、自分探しの本ばかり読んでいる人とか、よく聞くんですよね。
そういった人というのは私から見るとすごく繊細で、脆弱とも思えるので、もしあなたがそういう人だったら、よほど気をつけないと、傷つけてしまうと心配していたんです。
とにかく私はこれまで言葉で人を傷つけやすかったものですから、AKIRA∞さんがそういう人かどうかわからないまでも、とにかくそういう人だったら、という想定で、私なりに気をつけて書いていたら、我知らず「熱く」なってしまって(笑)。
さて、いただいたレスの後半にある、本質的問題については、また改めてということにしましょう。
ここでは>>417にある、いくつかの点についてだけ、コメントします。
>「私がカリスマを求める理由は私の不完全さが原因。」
細かい点ですが、あなたが不完全である、と言っているのではなく、あなた自身の自分に対する欠如感、欠如意識ということで、これはまあ、ふつうの人間なら誰しもそんなふうに感じているもののことを意図しています(思想としてとりあげられる場合の精神分析学(ラカン、岸田秀etc.)なんかではお馴染みの人間観です)。
>カリスマを求める気持ちがカルトを生む土壌を孕んでいるなら、天理教を信仰する気持ちが危険では無いという理由が自分には分からないのです。
簡単に。天理教においても、親神様、教祖様以外の、人間にカリスマを求めるとすれば、それは天理教をカルト化する危険性となるでしょう。
- [420]万年初級 05/07/12 19:38 *8M36Jl00BDO*3IMZN0SUqf
- >ただ自己崩壊よりも自己破産の方が怖い。
この点については、すみません、たぶん私の認識の浅さがあると思います。
要因としてひとつには、あなたが天理教外部の方で、私が内部にいる、ということがあると思います。
また、もうひとつ、実は私自身はこれまでお供え問題で悩んだことがまったくなかった、ということがあると思います。
だから、私の身近にもあなたと同じように天理教の悪口を聞かされてきたという人がいるのですが、そういったことを聞いても、どうしても昔の話、他人事、と感じているのだと思います。
最近掲示板などを読んで知り、「えーっ」と実はびっくりしているような有様なんです。
こういったことが理由で、あなたの文章を読むと、むちゃくちゃ必要以上におびえておられるように感じてしまうんですね。
単刀直入に言うと、たとえば「お供えをしないと永遠に救われないぞ」、なんて脅かされたら、「そんなあほなー、わっはっはっは」と笑い飛ばして、二度と行かなければいいだけの話しだと、私の場合、思うんですね。
天理教の場合、カルト教団と違って、どこか部屋に監禁してお供えを迫るということはないんじゃないかと(事実誤認があれば教えてください)思っているもので、内部のもの(少なくとも私)からすると、なーんにも怖くないんですよ。
ですから、あんまり怖がられているのは、上のように脅かされたら、自分も払ってしまうんじゃないかと、そのような不安をもたれているのではないか、とどうしても思ってしまうのです。
ただ最近私も反省し、組織のことはちょっと能力を超えていますが、教理に関して、お供え問題は考えていこうと思っています。
確かに純粋に教理の問題として捉えても、解釈によっては危険性があるようにも思えます。
ま、これは私のこれからの課題ということで。
AKIRA∞さんも、信頼のおける天理教の人が身近にいらっしゃって、その人に教会や本部に連れて行ってもらえれば、だんだんそういった恐怖心も薄らぐのじゃないかと思うのですが、なかなかそれはむずかしいかな。
- [421]どん 05/07/13 10:47 NoRtmkCZ9n
- カリスマを求めるとして、カリスマに、何を求めるのでしょう。
それは救済ですよね。そして救済とは具体的に何を意味しているかといえば、
AKIRA∞さんの場合なら、ご自分でもご投稿されていましたように、
蓄財は悪いことだという呪縛からの解放(違っていたらすみません)ですよね。
だから私は、お金はどうでもいいのではありませんかと、
あんまり考えなくてもいいのではありませんかと、進言させて頂いた次第です。
>>396-398も、>>409も、>>416も、そういうつもりで書きました。
お金そのものも、またそのお金を貯めること自体も、善でも悪でもありません。
お金を沢山持っていることは、善でも悪でもありません。
それを見て恨めしく思う人からすれば悪でしょうが、
その人から金銭援助を受けて何とか事業を持ち直せたとか、子どもが大学行けたとか、
そんな場合なら、それは善になるでしょうから。
また、お金を施して清貧でいることも、善でも悪でもありません。
それを見て、自分なんてまだまだ甘い、恵まれている、と自らを発奮できた人からすれば
それは善なる見本でしょうし、逆に、経済的に困窮していて、でも頼るところなくて、
そんな人にとってみれば、ちょっとくらい貸してくれてもいいのに、と不満に思うかも
しれません。他人の所持金なんて究極のところわかりませんからね、本当に清貧でも
それを見て、しこたま溜め込んで恨めしいと思う人はいるかもしれません。
そんな訳で、とにかく善悪はわからない、というのが私の思いです。
蓄財もよし、清貧もよし、カリスマもよし、自己欠如感もよし、です。
しかしこう書いてしまうと、なんか天理教じゃないような気もしてきますね(^_^;)
- [422]AKIRA∞ 05/07/13 18:17 8fdwiNddx6
- 私のお金に対する意見を書きます。
人はお金が無ければ生きていけません。
今世界では1年間に一千万人ほど貧困で亡くなっておられます。
貧困が餓死や疫病に直接起因しています。
戦争や内戦で亡くなられる方は3万〜10万人ほどで、つまり世界平和という事よりも貧困の問題の方が程度という意味では遥かに大きいです。
イラク戦争やテロという我々先進国が知る問題よりもです。
お金が無くなるという事は、人間世界では死を意味しています。
サバンナで肉を食べれなくなるライオンと同じです。
日本で貧困では亡くなる事はあまり無いので実感として沸きにくいです。
しかし事業に失敗して自殺する人は後を絶ちません。
中高年の方は再就職が難しく、ホームレスに成らざるを得ない方も非常に多いです。
お金というのは非常に大切なものです。
命を繋げる為に必ず必要なものです。
>421 どんさんへ
自分の考えで「なぜ宗教家が金を稼ぐのが問題」なのかは、宗教は個人救済を目的としていて、ビジネス目的では無く、だから税金面で優遇免除されている。
故に宗教家がビジネス同様に金を稼ぐのなら問題である。
という理由からです。
特に今の宗教は旧来の葬式仏教にしても新興宗教にしてもビジネス同然で問題性を感じるからです。
お金を取って救済ならビジネスなんで税金を払うべきと考えての事です。
一般の人がお金を稼ぐという事は何ら問題はないと思います。
- [423]名無しのごんべ 05/07/13 21:47 dYldsisdH3
- 久しぶりのスレ失礼いたします。今まで周りを変えようとばかりしていましたが、そんな事はやっても意味はない、自分を変えねばと自然に思えるようになり、そうすると、周りも自然に変わってきたように思います。今まで、
教理ばかり勉強し、頭でっかちになっていたのですが、最近、心で実感できるようになってきました。しかし、それは、またまた、いただいた、大きな
事情のおかげです。お道からも離れていましたが、もう一度、信仰に戻りたいと思います。事情、おさまるかな・・神様、助けてー。
- [424]どん 05/07/13 23:02 pzJsySDyda
- >>422
仰ること、よくわかりました。
確かに、宗教法人でも、社会福祉法人でも、あと学校法人なんかもそうでしたっけ、
税法上優遇されているということを、当事者は謙虚に受けとめてほしいところですね。
>お金を取って救済ならビジネスなんで
全く同感です。
お金を救済の対価として求めることがよろしくないと。
お金を貰うことがあるならば、それはあくまで結果でなければならないと。
それにしてもAKIRA∞さん、組織としての天理教に入られるかどうかはご自由として
是非、今後とも天理教をご観察頂きたいと思います。
現状のままの天理教でずっと続くわけではないのですよ。
信者は高齢化しますし、このまま行けば信者数はどんどん減ります。
教会本部は残っても、各地の教会はどれだけ残るかわかりません。
教内の人ならみんな分かっていることです。あと30年もしたら、
団塊の世代の方が亡くなられたら、今の半分以下になるんじゃないかってね。
AKIRA∞さんが仰るような、本当に素晴らしい教会しか、存続できなくなります。
- [425]どん 05/07/14 00:11 pzJsySDyda
- >>423
名無しのごんべさん、お久しぶりです。
何ともよくわかりませんが、事情のおかげで貴重な体験をされたとのご投稿と
受け取らせて頂きますところ、解決の方向に進んでいるんじゃないかなと思います。
- [426]亀 05/07/14 00:14 *2QnEEuUv.7t*t395buIj
- http://www.kamiichijyou.org/bbs2/yybbs.cgi
- [427]万年初級 05/07/14 00:36 *8M36Jl00BDO*3IMZN0SUqf
- AKIRA∞さん。
あなたの疑問についてちゃんとお答えするには、やはり宗教的真理とはいったいどういうものなのか、といった根本的問題にも触れる必要があると思うのです。
そういった説明をしたとしても十分に納得してもらえるかどうかはわかりませんが、そうでないかぎり、十分に納得されることはありえないと思います。
問題が大きいので、どう考えても一気に書くことは無理ですし、どんなふうに説明すればいいか、現在思案中です(時間もだいぶかかるかも)。
そこで、とりあえずではありますが、昨日>>419の説明の続編を投稿しますが、長くなるので、テスト的に分載というか、連載という形にします(笑)。
その前に、お断りしておくことがあります。これまでもそうですが、私の説明に用いている「カルト」「カリスマ」といった用語に関してですが、これは学術的レベルで見た場合、正確ではないかもしれません。まあそこまで必要ないであろうということも理由の一つですが、大きな理由は私の能力の不足によるものです。他の用語に関しても同様な場合があると思います。ご容赦願います。
>天理教においても、親神様、教祖様以外の、人間にカリスマを求めるとすれば、それは天理教をカルト化する危険性となるでしょう。
私は前回、上のように述べましたが、AKIRA∞さんの疑問は、もちろん、次でしょう。
「ではなぜ親神様、教祖様のみを宗教的権威としていれば、カルト化しないと言えるのか?」
ひょうしぬけされると思いますが、答えはこうです。 (続く(笑))
- [428]万年初級 05/07/14 18:59 *8M36Jl00BDO*3IMZN0SUqf
- みなさーん、私は連投を避けるために「続く」にしてますので、気にしないで投稿してくださいね!
お願いします!
- [429]AKIRA∞ 05/07/14 19:46 8fdwifYpX1
- 自分自身がこうして天理教の方と語り合う中で、天理教は集金だけを目的とした宗教では無いのではないか、と思うようになった。
事実は分からないが、この掲示板を見る限り月一万円という金額が多い。
それぐらいならば、場所代や活動で得られた充実感というのを考えると妥当な金額ではないかと思う。
確かに「屋敷を払うて、田畑を売りたまえ天理王命」と言われるぐらいだから、そういう事実があったのかも知れないが、今は違うと思う。
「金取りや」「天理教の子と遊ぶな」「うまい事言うとるだけや」「そんなもんおるわけないやろ!」「あんなんで病気治ったら医者いらん」「財産吸い取られる」等、うちの家は反天理を掲げた家だった。
宗教の中でも天理教を一番忌み嫌っていた。
オウムが捕まったとき「次は天理教ちゃうか」と家族で話していた。
天理教=悪徳というイメージしかなかった。
案外、話してみると違うなーと思った。
少なくても信者の方のイメージは好印象である。
子供の頃、分教会は悪の枢軸と思っていたが現実は苦労しておられる立派な宗教人と分かった。
ただ大教会や幹部の運営方針として上納金としてのノルマがあるなど問題のある部分もある。
具体的な金額は知らないが気持ち程度なのか、ヤクザのごとく上中心なのか。
子供の頃マルチの類とも思っていた。
金が上にいくシステムが。
しかし偏見に満ちた天理教のイメージがかなり崩れたのは確かだ。
- [430]どん 05/07/15 09:48 60prXsdkMw
- 天理教が嫌われた理由に、昔の身上さとしもあったのではないかと思います。
今でも市販されている教理本の中には、病気とその原因としての心遣いが
かなり具体的に書いてあるものもありまして、例えば、
眼病なら、目は物を見て喜び楽しむためにあるのに、そうではなくて
見ることでいろいろと不足心を積んだからそうなった、とか、
肺病なら、惜しみ、とか、腸関係なら、可愛い、分け隔ての心遣い、とか、
そういった具合です。
身上(病気)で苦しんでいる人やその家族に向かって、これはこれこれの
心遣いが原因だから神様にお詫びして心改めたら直る、というような
お諭しがされて反感を買った、つまり教理が人を責める道具になっていた、
というケースがあったのではないかなと思います。
また、天理教に限った話ではないかもしれませんが、信仰者は自分の周りの
全ての現象をその宗教の教義なりに照らし合わせて考えるあるいは意味づけるので、
早い話が頑固者になる、というのはあると思います。
何か悪いことがあったら、それは信仰が足りないからだ、とか、
何かいいことがあったら、それは神様のおかげだ、とかね。
もう自分の信念に凝り固まっちゃって、人の助言も全然入らないという、
それを自分にだけ適用する分には問題ないのでしょうが、その価値観を
人にまで強要してしまって、トラブルになったというケースは結構あると思います。
- [431]万年初級 05/07/15 11:55 *8M36Jl00BDO*3IMZN0SUqf
- >>427 の続き。
教祖様の教えは、カルト組織にたいして、何の指示も与えられないということ、言い方を換えると、カルト組織に行動指針(時代・場所・状況に即応した具体的指針)を与えるマニュアルとしては、まったくの役立たずだから、というものです。
考えたらって言うか、教祖様の教えを少しでも学んだ人なら当たり前なんですよ。
教祖様の教えをスローガン的にものすごく単純化すれば、人間の親である親神様は、みんなが陽気に暮らすのをみたい、みんな兄弟助けあってくれってことで、マニュアル的なことといえば、おつとめ、さずけ、のようなもので、これらはどう考えても時代・場所に即応した行動指針ではありません。
ですから、いくら「みかぐらうた」、「おふでさき」を読んでも、打倒すべきなのはブッシュなのか、アルカイダなのか、郵政改革法案に賛成すべきなのかどうなのか、年金問題はどう考えればよいのか、etc.何にも書いてありません。
当然世直しのために爆弾作れとも毒薬まけとも書いてないし、「私お金持ちのぶさいくな男と、貧乏の超ハンサムにプロポーズされたのですが、どちらと結婚したほうがいいでしょう?」とたずねたとしても、「金持ちのぶさいく男と結婚して、お供えをたくさんもってくれば幸せになります、ちーん」というような答えもありません(笑)。
これは天理教に限ったことではなく、歴史的な諸宗教はたいていそうです。
イスラム教については勉強不足でコメントできませんが、キリスト教でも仏教諸宗派でもだいたいそうでしょう。
こういったいわゆる「時代をこえた」宗教の原典・教義は、具体的行動指針になるものはむしろ少ないはずです。
もし教義がすべて、時代に相対的な行動指針ばかりであったら、どう考えたって時代遅れになりますからね(そもそもそれは教義・宗教なのか、ということも問題になるでしょう)。
原始仏教やキリスト教なんか二千年以上の大昔になりますし、天理教でも具体的なことといったら江戸時代・明治時代のことですからね、ほとんど役立たずです。
仮に江戸幕府を倒せ、と書いてあったとしても、今現在存在しませんしね(笑)。
だから逆に言うと、こういった宗教が、時代を超えてその価値を失わないのは、宗教の教え=宗教的真理というのが、その教えのマニュアル化されている部分そのものにはない、ということを意味するでしょう(しかし、これはマニュアル化された部分が不必要であるとか無意味であるとか言っているのではありません)。
つまり、時代・場所をこえる宗教は、時代・場所に相対的に対応した行動指針がその教えの核心ではありえない、ということです。
天理教にもどって言いますと、たとえば具体的事情に直面して迷ったとき、教祖様の教えのなかに我々は答えを探すわけですが、具体的にどうすべきかということはふつう直接は書いてないわけです。
そこでどうしても必要となるのが、 (つづく)
- [432]万年初級 05/07/15 11:56 *8M36Jl00BDO*3IMZN0SUqf
- 注記。
天理教原典のひとつ、本籍飯降伊蔵による「おさしづ」は、その名の通り、教祖様の「みかぐらうた」「おふでさき」と異なり、マニュアル的色合いの濃いものであると思われます。
したがって、私はここでは基本的に教祖様の教えということから、「おさしづ」を視野の外において私見を述べます。
視野の外に置く、といっても、おそらく「おさしづ」に由来する思想も混入することは避けがたいと思います。
よって、この制限は私の見解の限界であり、かつ、欠陥でもあると思われます。
これは私の能力の不足によるもので、申し訳なく思っておりますが、この点ご了承・お許し願います。
- [433]万年初級 05/07/15 12:15 *8M36Jl00BDO*3IMZN0SUqf
- AKIRA∞さんへ。
あと、もうひとつお詫びすることがあります。
ふつう天理教では「教祖」と書いて「おやさま」と読みます。
私はいつもこれをまちがって「教祖様」と書いてしまいます。
これでは「おやさまさま」になってしまうということです(笑)。
他にも基本的間違いがいろいろあるかもと思います(
恥)。
AKIRA∞さん、および気になっておられたみなさん、ごめんさい。
もし間違いにお気づきになったら、ご遠慮なくご指摘くださいますよう、お願いします。
- [434]万年初級 05/07/15 12:20 *8M36Jl00BDO*3IMZN0SUqf
- ほんとに何度もすみません。
訂正お願いします。
>>432
本籍⇒本席
- [435]どん 05/07/15 17:05 pzJsySDyda
- ちょっと話がずれるかもしれませんが、立教当時の天理教は、政府から社会から
正統的とは見なされない宗教集団として弾圧されていたくらいですから、
カルトそのものだったと思います。
それが応報の時代、また戦争協力を経て、今は普通の宗教です。
しかし今も、オカルトであることは間違いないでしょう。
石造りの甘露台が完成して、それを囲んで神楽勤めがされたら、
天から甘露が降ってきて、それを頂けば115歳まで病まず弱らずに
過ごせるようになるそうです。まさに神秘、超自然、オカルトです。
私も天理教の信者ですので、そんな日がくるのをワクワクしながら
待っているのですが、それを世界中の人が頂いたら、みんなが即、
幸せになるかといえば、必ずしもそうではないように思います。
健康でかつどこも弱っていないけど、不平不満で過ごしている人は
いくらでもいらっしゃいますから。
今日、祖母が出直し(亡くなり)ました。以前ご紹介したケチケチ婆さんでした。
子ども達からはボロクソに言われながらも、喜々とお供えして、神様へ日々感謝して、
まさに頑固一徹で天理教やってました。私たち孫には、優しいお祖母さんでした。
神様に感謝しながら息を引き取ったであろうことが想像されます。
ありがたい、ありがたい、が口癖の人でした。
オカルトなことは何一つ見ることなく出直しましたが、彼女は幸せだったと思います。
安らかなる出直し、生まれ変わりを祈っています(^_^)
- [436]万年初級 05/07/15 22:42 *8M36Jl00BDO*3IMZN0SUqf
- >>435
どんさん、信仰の上できっといろんな意味の影響をお受けになられたであろう御祖母様が出直されたとのこと、お気持ちお察しします。
また私もつい先日、どんさんにお話をうかがい、強い印象をお与えいただきました。
御祖母様へお礼申し上げます。
ありがとうございました。
- [437]万年初級 05/07/16 06:15 *8M36Jl00BDO*3IMZN0SUqf
- >>427 、>>431 の続き。
そこでどうしても必要となるのが、教えと行動を結びつけるための“解釈”という作業です。
これをふつう天理教徒は「思案する」「悟らせてもらう」などと言います。(>>430におけるどんさんの表現では「意味づける」にあたります)
たとえば今自分が直面している事情・問題に関係のあると思われる(むろん、これ自体解釈ですが、これはふと思いつくものである場合も多いです)御教えの一節(お歌など)の意味を自分なりに解釈し、自分の事情にあてはめ、自分がどう考えるべきか、どう行動すべきか、などを見出そうとするわけです。
また場合によっては(言い方が違うだけかもしれませんが)、自分に与えられたこの事情において、親神様はいったいどのような意図をお知らせくださっているのか、自分に何を望んでおられるのか、といったことを、これまで自分が学んできた教理にあてはめて(あるいは総動員して)導き出そうとすることもあります。
このような、教えから自分のなすべき行動、もつべき考えを導き出す解釈の作業(思案すること)をしないなら、たいていの教理はふーん、と素通りしてしまうか、ちんぷんかんぷんであるか、という場合が多いのです。
ですから講話、書籍などを通して、先人・先輩の解釈から学ぶことも必要なことになってくるわけです。
しかし重要なのは、あくまで自分でその作業(思案)をし、心から納得する、あるいはみずからその意味(親神様の御心)に気づく、ということです。
ところがこの自分自身で解釈する・思案する作業がしんどいから、自分でするのは放棄し、常に誰か一人の人の解釈に従いたい、という望みを抱く場合があるわけです(カリスマ・モデル!)。
特に初心者、初級者にとっては(才能のあるかたは別ですが)解釈は難しく感じられますし、上級者の解釈のほうがあきらかに自分より優れていると感じられるので、無理もない心情であるかもしれません。
しかし、絶対信頼のおける一人の人にお伺いをたてて、教えてもらい、それに従っていれば万事大丈夫と思いたい気持ちが強いと問題といわざるをえません。
こういった気持ちを抱く多くの者によって、ある一人の人の解釈が絶対化されると、その人はいわゆるカリスマ(指導者)となるわけです。
で、みずからの主体的思考を放棄して、何でもその人の言うことに従うようになったらカルトの始まりでしょう。
- [438]万年初級 05/07/16 06:17 *8M36Jl00BDO*3IMZN0SUqf
- ですからですね、教え(教義)それ自体にはカルトの行動マニュアルのない宗教から、カルト教団が出現したとしたら、まず間違いなく(絶対とは言いませんが)そこからカルト・マニュアルを引き出す(捏造する?)カリスマ指導者がいるわけです(仏教しかり、キリスト教しかり)。
逆に言うと、唯一絶対化された解釈者=カリスマが存在しないなら、いわゆる歴史的諸宗教からは(ふつうは)カルト教団は出現しようがないはずです。
それでわが天理教教団ではですね、二代真柱が明言しているように、真柱の解釈と言えども絶対ではないのです。
ということは、天理教における真柱というのは、けしてカリスマではない、ということを意味します。
したがって、天理教がカリスマを許さない限り、天理教はけしてカルト化しないでしょう。
天理教がカルト化したときは、カリスマ指導者がいるでしょう。
こう、私には思われるわけです。
カリスマが現れたら必ずカルト化すると、一般的には言えないかもしれません。
すなわち、カリスマの存在は宗教がカルト化する十分条件とは言えないでしょう。
しかし、特に具体的行動マニュアルを含む解釈の唯一絶対化は、危険性を孕みます。
いずれしても、少なくとも天理教において、これまで私が述べてきたような意味でのカリスマを期待することは、我々信仰者にとってみずから思案すること(主体的に神を求めること)を放棄することにつながるがゆえに、避けるべきことであると私には思われます(それはみずから信仰者であることを放棄すること、と言えるかもしれません)。
ここで、出発点となったAKIRA∞さんの文章をもう一度、引用させてもらいます。
>今の上層部が貧に落ちる程の人助けをして苦しいというのなら喜んで入ります。
>本物だと思うのです、本当に信じます。
>もっと言えば、そういう本物の宗教を見てみたい、という気があります。
>幹部や大教会に人が滅私で清貧で聖人で、本当に素晴らしい人なら素晴らしい。
私の心配を、少しご理解いただけたならいいのですが。
そしてできれば>>410をもう一度お読みいただけたらと思います。
私はけしてたんなる厭味で書いた(?)つもりはありません。 (つづく)
- [439]万年初級 05/07/16 06:23 *8M36Jl00BDO*3IMZN0SUqf
- AKIRA∞さん、
私が今書かせていただいている見解と、>>435におけるどんさんのお考えとの違いについて、少しコメントさせていただきます。
目的は私の見解をご理解いただく上での、混乱を避けるためであり、どんさんのご見解を批判するためではありません。
残念ながら否定的な記述にならざるをえませんが、どんさんもお許しくださるようお願い致します。
実は私、どんさんが、天理教について、
>しかし今も、オカルトであることは間違いないでしょう。
とおっしゃったことについて、困惑というか、びっくりしたんです(笑)。
「オカルト」の定義にもよるでしょうが、私は天理教がオカルトであると考えたことがなかったもので。
たぶんそんなことはないと思うのですが、オカルトであるってことが仮に教団公式の見解であるとしたら、たぶん私は異端です(笑)。
私としては、オカルティックなものへの過度の期待は、カリスマ期待と同様(あるいはカリスマ期待へとつながる可能性が高いゆえに)、むしろ危険であると考えております。
また私の「カルト」の用語は、(ご理解いただいていると思いますが)現在のところいわゆる「破壊的カルト(教団)」の意味合いを主に意図して、用いております。
この使用法が適切かどうかはわかりませんが、どうかそのようにお受け取りください。
避けたいと思いながら、連投になってしまって、まことに申し訳ありません。
- [440]AKIRA∞ 05/07/16 13:02 WW5By/6oFO
- 万年初級さんへ
なんとなく言いたい事の80%ぐらいは分かりました。
「誰か一人に帰依するのは危険だけど、教祖の教えは具体的な行動指針が無いのでカルト化しにくい。
教祖の教えを誰かが絶対的に解釈するとカルト化するかもしれないが、それは無い。」
こういう事ですね。
とその前にカルトについては日本では圧倒的に「破壊的、反社会的」という意味合いで使われる事が多いので、自分もそれでいきます。
ただここでカルトにもオウムタイプと統一教会タイプがあって前者は反社会的に対し後者は集金目的という違いがある。
当然、オウム真理教も統一教会も反社会的かつ集金を活発に行ないますが、最終目標がテロによる理想の現実化か集金かという事です。
日本のカルトの場合は、ほとんどはテロは行ないません。
オウムぐらいです。に対して後者の集金目的カルトは無数に存在しています。
自分が聞きたいのは天理教がテロリズムに浸るとは思っていませんが、しかし活発な集金を行なう可能性はあると思っています。
これは天理教だけの問題ではありません。
全ての宗教でトップが堕落した場合に起こり得る問題と思います。
キリスト教の免罪符しかり、
仏教で葬式の時、「お経は気持ちですが、30万ぐらいが相場」と言われたりです。
そこで面白いと思ったのは万年初級さんの絶対的なカリスマによる、カルト化の可能性の示唆。
そうだと思う。
自分の主体的性が失われたとき、信じることが盲信に変わり疑う事が出来なくなった時に問題は起こると思った。
- [441]AKIRA∞ 05/07/16 13:25 WW5By/6oFO
- しかし次に問題として起こるのが、信仰というのは信じる事であり疑う事と相反する。
何か抽象的な教義に対し主体的に自分で解釈する、しかし教義は難しく分かりにくい事もあり誰かに聞くという事は主体性を失う事にならないか?
教義を自分で解釈するのも限界がある。
そうすると現在生きている誰かの意見により偏る可能性は無いのか?
信じるには帰依するという意味もある、主体性はこの帰依するという意味に反する。
つまりは信仰の帰依は主体性を挫き、また教義による具体的な行動規範がなくても難解な経典は個人の解釈に委ねられ、経典をねじ伏せる事は不可能ではないのではないか?
「宗教は全てカルト化する可能性」を秘めるのでは無いか?
という問いに対して万年初級さんはどうお考えでしょうか?
- [442]AKIRA∞ 05/07/16 13:54 WW5By/6oFO
- どんさんへ
自分はこの掲示板で天理教に反対意見を書いている身ですが、真剣に信仰なさっている方に申し訳無く思います。
祖母様のご冥福心よりお祈り申し上げます。
でオカルトに関してですが、オカルト=非科学的であり、科学で証明されない事は全てオカルトと言えると思います。
例えば病気が治るというのも言ってみればオカルトですし、教祖が神だというのもオカルトです。
それは社会一般では受け入れ難くても信仰の自由であり、信仰に対するロマンではないでしょうか。
そういった事を説く事になんら問題は無いと思いますが、万年初級さんはカルト化の危惧をなされる立場ですからね。
程度の差では無いんですか?
奇跡を前面に押し出して病院に行かなくても病気が治るというのと、病院で最善が尽くされて、その上で祈祷するのでは社会的に見ても大分違う。
後期の場合、少なくてもその時点では問題性は低い。
どうでしょうか?
- [443]横やり 05/07/16 18:59 dFyAtW4xSP
- >> 442
科学で証明されない事は全てオカルトというのはおかしいと思い
ます。意識というような精神活動は科学では解明されていませんが、
それを論ずることもオカルトと呼んでいいのですか?
"オカルト"を辞典で調べると、"神秘的な"という意味だそうです。
そういう意味で考えると、この世で起こることは全て神による
ものなので、みんなオカルトの上で成り立っているということになります。
なんにしても、科学対オカルトという図式は考え直した方がいいと
思います。
- [444]AKIRA∞ 05/07/16 22:11 GoRGEoUS
- オカルト
神秘的な、超自然的なさま。魔法的なさま。また、そのような術や現象。
国語大辞典(新装版)小学館
確かにオカルトは非科学的な意味では無く、神秘的な、超自然的なさま。魔法的なさまという意味のようです。
科学による証明や非証明は関係無いみたいです。
もし神の奇跡が科学によって証明されても神秘的なさまなのでオカルトという言葉になります。
非科学とオカルトを同意に括っていました。
言葉の流意でそういう意味で使う場合が多いので、元の意味とは違い間違いです。
脳の構造は神秘に満ちているとよく言われます。
精神活動はだから神秘的もしくは超自然的かもしれないし、また日常的で自然的なものかも知れない。
人の考えによりますね。
確かに科学対オカルトという図式は考え直します。
証明されないから間違いとは言えないです確かに。
- [445]AKIRA∞ 05/07/16 22:31 WW5BypzAy3
- 科学対オカルトという事に関して言えば、証明されないから間違いと言う風潮が非常に強い。
しかし非科学的で証明されていないから存在しないというのは間違いです。
いわゆる悪魔の証明というやつですが、これに関しては非常に興味深い。
つまりは想像する非存在が証明できなくても、存在を否定する事が出来ない。
という事は存在するかしないかという意味だけの非科学的討論は全て決着がつかない事になる。
まあTV番組等は視聴率が目的だから存在非存在は関係ないのですが。
- [446]トリップ 05/07/16 23:54 nC3PeKZTOZ
- >もし神の奇跡が科学によって証明されても神秘的なさまなのでオカル>トという言葉になります。
ちゃうよ。
証明された時点で、一般性を持つので、どこかの誰かの主観が同であれ、オカルトの定義からは外れる。
>「宗教は全てカルト化する可能性」を秘めるのでは無いか?
宗教に限らず、すべてカルト化する可能性はある。
「宗教の場合、その比率が高い」という可能性ならば、私個人としても否定は出来ない。
ちなみに、万年初級さんの言う、「天理教がカリスマを許さない限り、天理教はけしてカルト化しないでしょう。」というのは間違い。
組織や信仰そのものも絶対の対象になるりうるし、カリスマは後付でも、問題はない。
「カリスマが居ることによるカルト化の加速性」の話ならわかる。
少なくとも、「他の多くの同レベル規模の信仰宗教団体と同じレベルの危険性」が「あるとされること」は、否定したってしょうがない。
- [447]横やり 05/07/17 12:56 dFyAtW4xSP
- >もし神の奇跡が科学によって証明されても神秘的なさまなのでオカル>トという言葉になります。
そもそも神の奇跡が科学によって証明されることは不可能です。
それ以前に、神の存在を証明しないと話が進まない。
>宗教に限らず、すべてカルト化する可能性はある。
カルトは不正な宗教という意味だそうです。
どの宗教でも人間が運営しているので、不正な部分があると
思います。
これはカリスマだけの問題ではないと思います。
- [448]そうだそうだ 05/07/17 13:08 zaxzr.QJGs
- 横やりさんが正しい!
- [449]まっぷ 05/07/18 13:00 GZL6aS/xNa
- どんさんへ
お祖母様のお出直し、心よりご冥福申し上げます。
神様を、しっかりつかんでおられた方なんですね。
信仰とは、するものではなく、
神様から、頂くものではないかな・・と思います。
本人、その場に居た者にしか分からない、これは神様だ・・
と思う瞬間が与えられた時、感動で心が震えます。
それが一度や二度ではないという事。
感動を忘れかけた頃、又、見せて下さるのです。
それで、神様の存在を疑ったり、不安になって、立ち止まっても
又、歩き出す事ができる、歩けたのではないかと思っています。
- [450]どん 05/07/18 13:16 mz7BwlTlS.
- >>436
万年初級さん、ありがとうございます。
遠方だったのですが、告別式も済みまして、やっと戻ってきました。
>>437
天理教でいう「思案する」「悟らせてもらう」についてですが、
私が>>430で「意味づける」と申し上げたのは、ちょっと違うニュアンスの
つもりでして、「条件反射する」とでも申せましょうか。
じっくり考える思案する、ではなくて、とっさに反応してしまう、というものです。
例えば「お前はアホか」と言われたとき、とっさにどう思うか。
例えば、怒っている人を見たとき、とっさにどう思うか。
そうした、とっさの反応に、その人独自の傾向があるのではないかな、ということです。
そしてその反応が心の中の大半を占めてしまって、その人の、幸・不幸を決めると。
怒っている人を見たとき、そんなに怒るなよ、なんでそんなに怒るんだよ、と
自分まで嫌な気持ちになっちゃうとします。それが、反応、ですね。
ところが、怒っている人を見ても気にならないという人もいます。
その違いは何かと言いますと、怒っている人をみて嫌な気持ちになる人は、
怒ってはいけない、という信念みたいなものを持っているからだと思うのです。
だから、怒っている人を見ると、その人を、悪いことしている人だとして裁いてしまう。
そして、自分が怒ったときも、後になって罪悪感で落ち込んでしまう。
逆に、そりゃ人間だから怒ることもあるよ、それでもいいよ、と思っている人なら、
他人が怒っているのを見ても、それに影響されません。
宗教は、多くの場合、善悪を説きますので、善を求めると同時に、悪を咎める傾向が
あると思います。その、悪を咎める心こそが、不幸の原因じゃないかな、と、
私は、思っています。
- [451]どん 05/07/18 13:17 mz7BwlTlS.
- >>439
>天理教がオカルトであると考えたことがなかった
万年初級さん、見解の分かれるところですね。
私は、心一つでどんな救けもするというのが、十分、オカルティックだと
理解しています。甘露台を囲んでの神楽勤めで世界治まるというのも、
オカルティックだと思います。
私は、>>443で、横やりさんが、
>この世で起こることは全て神によるものなので、
>みんなオカルトの上で成り立っているということになります。
と仰ったのが、ホントその通りだなあと思ったのですが、それはあくまで、
そう考える人にとってはそうであるということだと思うのですね。
それで、一般的には、心一つでどんな助けも、とか、神楽勤めとかいうものは、
普通は、オカルトと考えられると思っていた次第です。
ですから、>>446で、トリップさんが、
>証明された時点で、一般性を持つので、どこかの誰かの主観が同であれ、
>オカルトの定義からは外れる。
と仰ったのが上手い表現だとなあ思いました。
- [452]どん 05/07/18 13:18 mz7BwlTlS.
- >>442
AKIRA∞さん、ありがとうございます。
真剣に考え、議論する中で、そりゃ当然、反対意見も出てくると思います。
私は、AKIRA∞さんに、申し訳ないことされているとは、全然思いませんよ。
これからもよろしくお願いしますね。
>奇跡を前面に押し出して病院に行かなくても病気が治るというのと、
>病院で最善が尽くされて、その上で祈祷するのでは社会的に見ても大分違う。
>後期の場合、少なくてもその時点では問題性は低い。どうでしょうか?
その通りだと思います。天理教でもお医者さんや薬は否定しません。
- [453]どん 05/07/18 13:28 mz7BwlTlS.
- >>449
まっぷさん、ありがとうございます。
>信仰とは、するものではなく、
>神様から、頂くものではないかな
私も、するものではないと思っています。
成ってくるのが天の理、と聞きます。
成ってくる、ということは、成す、ではないということ。
成ってきた、現れてきた現実に、神の思惑を、
人間の陽気遊山を見たいと仰る神の思惑を、思案することが、
天理教の醍醐味だと思っています。
身上も事情も出直しも、成ってきたなら、天の理です。
全てが、陽気遊山のためのものだと思っています。
まっぷさんの仰る、頂く、という表現、なるほど、です。
神さまからのプレゼントなんでしょうね。
- [454]万年初級 05/07/19 23:50 *8M36Jl00BDO*e9/5p3TDWp
- >>440、>>441
AKIRA∞さんへ。都合ですっかり遅くなってしまいました、すみません。
あなたのレスを拝見して、ほぼ的確にご理解いただけたように思います。
ただ申し訳ないのですが、>>440でおたずねの件、つまり、あなたご自身にとってはカリスマより問題であろう集金型カルト(?)への天理教の危険性については、前にも何回か触れたように、私まったく認識不足でして、残念ながら一応まとまった見解というほどのものを、現在提示することができません(したがって、私のここでの考察がきわめて大きな欠陥・限界を有していることを認めています)。
せいぜいそこでも人間カリスマ否定は前提となるだろう、という程度。
あなたはご存知かどうかわかりませんが、この掲示板でも指摘されている、「理の親」という考えの誤った適用が、たとえばある大教会系列において、大教会長、上級教会、(上級)会長や先輩信者を、擬似カリスマ化(一種の宗教的権威付け)する機能を果たし、それが天理教における末端信者への金銭をふくめた過度の負担を強いることにつながっている、という現実があるのかもしれません。
まだその認識がゆきわたっていないことは問題ですが、少なくとも前真柱様が、「理の親」は教祖様、親神様以外にはないんだ、と正されたということは、私にとっては安堵することでもあり、心強いことです。
この問題はある程度、教団組織上の問題と、教理上の問題とに分けることも可能かと思います。
ここ一連の書き込みで、私は教団の姿勢に対してかなり肯定的な態度で書いていますが、これはあくまで破壊的カルトへの危険性という側面からみた、私の教団に対する考えですので、集金型カルト化への危険性という側面からみた場合は、このように肯定的な評価となるかどうかはまだわかりません。
現在のような教会間における上下関係自体、少なくとも検討の対象となるべきなのかもしれません。
私自身としては、前にも述べたように、どちらかというと純粋に教理の面から考えていきたいと思っていますが、いずれにしてもこれからです。
>>441での問題については、むろん自分なりにですが、一応まとまった考えをもっているつもりで、それをどうご説明しようかと思っていましたが、>>442をみて、また少し迷いが生じています。
今のところ、不十分とならざるを得ないかもしれませんが、ある限定的な形でお答えしたいと思っています。
でも、都合でレスはかなり時間(日数)がかかるかもしれません。
ご容赦ください。
- [455]万年初級 05/07/19 23:52 *8M36Jl00BDO*e9/5p3TDWp
- >>446
トリップさんへ。
はじめまして。
私はあなたとさよみさん、一天理教信仰者さんたちとの議論を読ませていただいて、この掲示板に参加しようと思ったくらいなので、久しぶりのご参加を大変喜んでいます。
まあ、それが私に対する、いきなりの手厳しいご批判であることは問題なんですが(笑)。
でも、あなたのようなかたの批判を受けることは、非常に勉強になることであると考えていますので、どうかよろしくお願いします。
ご批判への返答は、よく考えた上で、反論あるいは言い訳なりを(笑)投稿させていただきます。
- [456]万年初級 05/07/19 23:53 *8M36Jl00BDO*e9/5p3TDWp
- どんさんへ。
お疲れ様でした。
>>450
えへへ、また、私のカン違いだったみたいですね(恥)。
ちょっと、時間的余裕がなく、よく読ませていただいていませんが、また考えさせていただきます。
AKIRA∞さん、ご注意ください。
- [457]どん 05/07/20 23:49 mz7BwlTlS.
- >>456
万年初級さん、私の方こそ、不十分な説明というか投稿でした。
- [458]トリップ 05/07/21 01:57 nK5jJ/qXIK
- >>455
うぃっす。
ちゃんと「会話」をしてくれる人は、意見がどれだけ違おうと大好きです。
おまちしております
- [459]たつを 05/07/21 23:21 AlINMtadFo
- あの〜割り込みすいません(_ _(--;(_ _(--; ペコペコ
この神一條って宗教のサイトに、おふでさきは改ざんされている
って言ってるんですけど、本当なんですか?
どなたかお詳しい方、説明お願いしますm(__)m
http://www.kamiichijyou.org/ohitusaki.htm
- [460]どん 05/07/22 10:22 eux9XyQXPY
- >>459
あんまり詳しくないんですが、いわゆる戦前のおふでさき、私刊本のことでしょうね。
http://sakura.tokyobbs.or.jp/ofudesaki/index.htm
ここに詳しいことが載っています。
読んでみると、その戦前のおふでさきに載っていて、公刊本に載っていない
お歌がいくつかあるとのことなのですが、例えば、
2-26 ごもくさへすきやかだしてしもたなら あとなるみずはすんでいるなり
のお歌が、戦前のおふでさきには載っているけど、現在の公刊本には載っていないと
なっているのですが、このお歌は公刊本の2-30にあります。また、
8-31 ちよとしたるめのあしきやでけものや のぼせいたみはかみのてびきや
は、公刊本の3-139にあります。
ですから、私は、現在の公刊本が「改ざんされた」という訳ではなく、
昔の私刊本のほうが、同じお歌をダブって載せていただけではないかと思います。
それに神一条さんの「一番古い正確な」という表現ですが、掲載されているのは
大正13年初版だそうで、中山正善真柱の「おふでさき概説」によりますと、
一番古い私刊本は明治41年、次に古いので明治42年とのことです。
教祖直筆のおふでさきを持っている真柱中山家がそう言っているのですから、
それでよいのではないでしょうか。
それに、天啓による書物は、天理教以外の宗教にもいろいろあるでしょうから、
そしてそれを信じて立派に人助けに邁進されている素晴らしい人も、
沢山いらっしゃるでしょうから、私はあんまりこだわっていません。
- [461]まっぷ 05/07/22 13:01 GZL6aS/xHu
- おやさまが、おっしゃったと聞かしてもらった話に
四国と本州は陸続きになって、寝ていてもおぢばに着く事ができる
様になる。
鉄が、空を飛ぶ。
空から火の雨が降ってくる。これは太平洋戦争の事かしら、と母が
言っていました。
他にも皆に、色々聞きましたが、だいぶ忘れてしまいました。
予言は、その場に居られた方には、考えられない話でしたでしょう。
それでも、話されたのですね。
これは、私達へのメッセージでしょうか?
- [462]どん 05/07/22 16:26 Au3QCT91GI
- >>461
寝ていてもおぢばに着くという話は、逸話篇175にありますね。
これら以外にも、おやさまはもっといろいろなことを
仰ったのではないかなと個人的には思っています。
現在の天理教団では公開されていないだけで、いろんな資料が
あると思います。「とめふで」なんかは有名ですが、それ以外にも
いろいろあるんじゃないかな、と思います。
監獄に閉じ込められているはずのおやさまが、いつの間にやら中庭で
草むしりをしていて、それを見た警官が、どうやって出た?と聞いたら、
おやさまは、神様が出して下さいました、と答えたそうです。
警察権力は震え上がったと思います。
マジでやばい、と、こいつは本物だ、と、震え上がったことでしょう。
警察内部にも、極秘とされて現在も封印されたままの資料があるかもしれません。
天理教の資料では、度々拘引された、とか、拷問を受けられた、とか、
そんなことしか書いていませんが、それだけで済むはずがありません。
明治とはいえ既に近代国家です。政府にはいくらでも知識層がいたはずですから、
中央から多数の役人さんや学者が来て取り調べたことだろうと思います。
欧米の植民地政策などの国際情勢、帝国の行く末、何でも聞いたと思います。
それで、この婆さんの言う通りになったらえらいことだ、と必死で
潰そうとしたと思います。そうでないと、破壊的なこと何一つするでない
新興宗教家一人、そんな十数回も拘引するはずがない、と、私は思います。
でも、どうでしょう。ちょっと考えすぎかな。
- [463]たつを 05/07/22 17:03 AlINMtadFo
- どんさん説明ありがとうございましたm(__)m
また、分からないことがあったら聞きに来ますm(__)m
- [464]きっこ 05/07/22 20:01 D-YOYyy
- ほんみちと天理教は同じ信仰ですか?
- [465]普通の天理教徒 05/07/24 10:58 daj.lN0Hva
- 教義も信仰の中心も異なる、別な信仰と言う事です。
http://www.rirc.or.jp/data/output.cgi?id=98102001
沿革(明治以降の記述が中心)
ほんみちは大正2年(西暦1913年)甘露台・大西愛治郎様によって創始せられた心の道であります。大西愛治郎様は明治14年奈良県宇陀郡で誕生され、19歳の時、母君の大病より天理教に入信、以後人助けのため群馬県、そして山口県において伝道布教活動を続けられました。その中、神様からの特別な御働きかけにより静思黙想の結果、大正2年旧7月15日、御自ら甘露台であることを悟られました。甘露台とは天の神様の御心を人間界にとりつぐべき天啓者に与えられた神名であり、天理教祖中山ミキ様の真の後継者にも通じるところから、その事実は教内では受け入れられず、やむなく新たにほんみちの発祥となったのであります。・・・
と、紹介されております。
天理教の元信者さんが創始した新宗教の一つと言う事です。
- [466]普通の天理教徒 05/07/24 11:13 daj.lN0Hva
- 大西愛治郎さんは、今で言えば、大教会初代に相当する立場にいた方でしたが、奈良において、全財産をお供えした方からの苦情処理問題で、本部の方針に疑問を持ち批判し、自分が天啓を得た、人間甘露台だと悟りを開き、天理教を離脱し独立した方です。
初めは、天理教祖をならい一人で清貧の道でしたが、周囲に信奉する信者が出来て、自分の家族に神名を付けるなどして組織をつくり、新宗教としての形をつくりました。
内部からは次々と次の天啓者が出現して、別宗教が幾つか組織となっています。
ほんみちは、天理教ではないので、この「天理教を語る」では、話題としては、この程度の確認で、避けるのが普通だと思います。
- [467]質問 05/07/24 22:32 k3QmlrO0F4
- ここには教会後継者で女子のかたいますか?
- [468]スイス人 05/07/25 18:25 zi2Lx9Y9B2
- 言って置きたい事ですが、宗教と政治を混同するのはやめてくださいね。天理教にしろキリスト教にしろ政治運営能力はゼロですから。
- [469]トリップ 05/07/26 01:07 nK5jJw8dG5
- >>462
そこら辺は、話半分にしておかないと。
まあ、その手の「奇跡列伝!」みたいなのは、いろんなところで「よくあること」でもあるんだが。
- [470]どん 05/07/26 03:07 mz7BwlTlS.
- >>469
そ、そうでした(^^;)
私が個人的に信じるのは自由なのでしょうが、
人に対する説得材料のような書き方になっていましたね。
自分の信仰を省みる、いい機会になりました。
ありがとうございます。
- [471]きっこ 05/07/26 18:55 D-YOYyy
- 普通の天理教徒さんへかなり詳しく教えていただき、ありがとございました。実は、ほんみちを信仰している義理の妹に誘われていて色々、自分なりに調べてみてるんです。参考になりました。
- [472]まっぷ 05/07/26 20:30 DVbFMuqjXV
- どんさんへ
私は、説得されたいですっ(笑)
おやさまが大好きなので、
そういう話に興味あります。
先日、「北の零年」を観ましたが、
おやさまが教えを説いておられた頃は
江戸時代から明治時代にかけての
激動と混乱の時代だったのですね。
勉強になりました。
- [473]どん 05/07/27 00:13 zfCUdmWB7W
- >>472
まっぷさん、ありがとうございます。
何というか、その、超常現象とか超能力のようなものを根拠にして、
だからこの信仰は素晴らしのですとか、だから真実なのです、という
話の進め方はよろしくないな、と思った次第です。
超常現象や超能力の類の話は、実生活とは直接関係ないことが多いように思います。
例えば、わざわざあぐらをかいて宙に浮かなくても普通にジャンプすればいいし、
手をつかわずにコップを台所まで浮かせて持っていけたとしても、わざわざ
そんなことせずとも、普通に手に持って運べばいいことです。
檻から出るのも鍵を開けて出ればいいことです。
結局、そうした超能力のようなものが信仰の目的というか中心になってしまっては、
それは本来の姿ではないと。そういうことだと思います。
でも、そうは言っても、正直、えー!すごいなあ、そんなことあるんやなあ、と
思ってしまいますね(^^;)
- [474]トリップ 05/07/27 01:08 pr6eB.D3aE
- >>473
>何というか、その、超常現象とか超能力のようなものを根拠にして、
だからこの信仰は素晴らしのですとか、だから真実なのです、という
話の進め方はよろしくないな、と思った次第です。
そですね。
その辺を取り違えるとえらいことに。
以下は、信仰云々とか事実云々は抜きで、天理教信者ではない第三者の、論議としての突っ込みとして捕らえてくれるとありがたいですが、>>462でどんさんが、いくつかの推測から
「新興宗教家一人、そんな十数回も拘引するはずがない、と、私は思います。」
とありますが、当時の情勢を考えると、むしろ私にはよくあるケースの一例にしか思えなかったです。
>明治とはいえ既に近代国家です。政府にはいくらでも知識層がいたはずですから、
>中央から多数の役人さんや学者が来て取り調べたことだろうと思います。
それは、まず無いと思います。「ない」根拠は?というより、「動く」必要性が感じられません。
>>473は、ほぼ完全同意。
というか、こういう考えを持ってくれる人が居るからこそ、本来アンチ的立場(組織宗教組織は全般ですが)にいる私が安心してここで話に参加できます。
- [475]万年初級 05/07/28 07:53 *RmiYP14ex07*EdDJXg0MAz
- >>458
トリップさんへ。遅くなって、すみません。
ご好意あるレスをいただき、ご批判について張り切って考えていたのですが、どうも、トリップさんの文章が私には簡潔すぎて(笑)、意味のよくとれないところが残ってしまいました。
そのせいか、印象としてはなにか誤解なさっているのでは、という感じがどうしてもぬぐえませんでした。
ですが、この私の印象自体が、今も述べましたように、私自身の無理解・誤解の産物かもしれませんので、これから述べますことがピントはずれな場合、遠慮なくご指摘ください。
ただ以下では、この点についてあまりこだわっていても意味がありませんので、一応私の理解を前提として述べさせていただきます。
>ちなみに、万年初級さんの言う、「天理教がカリスマを許さない限り、天理教はけしてカルト化しないでしょう。」というのは間違い。
という批判は成り立たない(のではないかな(笑)・・・以後省略)というのが、一応私の検討の結論です。
理由は、私見への批判の根拠・理由を示されたものと思われる、
>組織や信仰そのものも絶対の対象になるりうるし、カリスマは後付でも、問題はない。
という点について、私の表現のあいまいさからご理解いただけなかったのは残念なのですが、実は私としては考慮に入れた上で書いているからです。
つまり、私としては、ご指摘の点については最初から考慮に入れて拙論を組み立てておりますので、誤りの理由とはならない(はず)ということです。
ただし、注としまして、このトリップさんの文の「絶対」は「絶対化」の単純ミスであろうと解釈し、かつ、「信仰そのものも絶対化の対象になる」ということが、どのようなことを意図されているのか、私にはいまひとつよくわかっていない(確信がもてない)、という点を保留にした上でのことです(残念ながら(笑))。
トリップさんがこのようにお書きになられたということは、たぶん、私の見解が次のようなものだと受け取られたと思うのです。
すなわち、まずカリスマ指導者が存在して、そのカリスマによって唯一絶対化された解釈・カルトマニュアルが与えられることが、教団カルト化への必要条件であるということ。
しかし、私の表現のまずさから誤解を与えのだと思いますが、そのような意図は私にはありませんでした。
唯一の解釈が与えられるのは、カリスマからであろうと、組織からであろうと、一信者(あるいは多くの信者)からであろうとかまいませんし、したがってそれが与えられた時点でカリスマが既に存在しているか否か、もどちらでもかまいません。
私の見解にとって最も重要なのは、天理教団において解釈・破壊的カルトマニュアルが絶対化する(たんなる唯一化ではなく)ときには、カリスマの存在が必要条件となるだろう、ということなのです。
以下、詳しくご説明します。
- [476]万年初級 05/07/28 07:55 *uLEJkCq7iuc*EdDJXg0MAz
- >>438
>ですからですね、教え(教義)それ自体にはカルトの行動マニュアルのない宗教から、カルト教団が出現したとしたら、まず間違いなく(絶対とは言いませんが)そこからカルト・マニュアルを引き出す(捏造する?)カリスマ指導者がいるわけです(仏教しかり、キリスト教しかり)。
>逆に言うと、唯一絶対化された解釈者=カリスマが存在しないなら、いわゆる歴史的諸宗教からは(ふつうは)カルト教団は出現しようがないはずです。
における、「(絶対とは言いませんが)」、「(ふつうは)」という、いわば逃げの表現は、ご指摘の点(の前半)を考慮にいれて選んだものでした。
もう少し詳しく述べると、これらの表現は、カリスマ指導者が存在しないでカルト・マニュアルが絶対化する可能性、すなわち教団組織そのもののカリスマ化を考慮に入れて差し挟んだものなのです。
また、ひょっとするとトリップさんのおっしゃる「信仰の絶対化」というのは、解釈自体が、教団組織やカリスマ指導者によるのではなく、信者によって唯一絶対なるものとして信じられていくということなのかもしれませんが、そういう可能性も場合によってはあろうかと思います。
破壊的カルトであるかどうかを無視して考えた場合、私の浅い知識では、『エホバの証人(ものみの塔)』などがこのパターンなのかもしれないと思います。
ただ、にもかかわらず上のような表現をとったのは、カルトを破壊的カルトに限った場合、そのカリスマ性の集中による求心力の強さ、という点で、国内外を問わず、やはりカリスマ指導者の存在が効果的、一般的ではないか、と思ったからです。
また、さらにこれを天理教に限って考えた場合には、ある解釈(カルト・マニュアル)の信者による絶対的支持だけではその解釈の宗教的権威付けは成り立ちえず、教団によって唯一絶対的解釈として裁定・採択されることが必要不可欠となります(教団によって否定された場合、いくら信者が支持しようと絶対化はありえません)。
仮にそうなる場合も、その前後に、おそらく教団組織あるいはそのトップである真柱がカリスマ化する(必要がある)と思われます。
なぜなら(トリップさんはご存知かどうかわかりませんが)、教祖の原典とくらべて、教団による天理教教典の宗教的権威が月とスッポンである(つまり、権威が低い)ことからも明らかなように、解釈(カルト・マニュアル)の教団(真柱)による採択=唯一化でさえ、それだけでは絶対化=原典に匹敵・準ずる宗教的権威を与えること、は不可能であろうからです。
そして、天理教において、この絶対化が成立するためには、どうしてもカリスマの存在が必要となる、ということがポイントとなります。
では、どうして個人のカリスマ指導者が存在せず、組織だけがカリスマ化するということがありえないのか?
その理由は(このこともひょっとするとトリップさんはご存じないのかもしれませんが)、天理教において、真柱という存在がたんに教団によって勝手に作られた役職ではなく、教祖自身によって認められた存在であるということにあります。
つまり、真柱という存在は、元々カリスマ的存在ではないにしても、教祖によって天理教内におけるいわば不動の地位(「しんのはしら」)を与えられているのです。
それゆえに、天理教教団において、組織のみがカリスマ化するということはありえず、組織がカリスマ化・絶対化する場合には、必ず同時にそのトップあるいは中心である真柱がカリスマ(指導者)化すると思われるわけです。
逆に言うと、教団の中心的存在である真柱がカリスマ化しないのであれば、組織がカリスマ化・絶対化することはありえない、ということです(ここでも時間的順序は無関係です)。
もちろん、現組織(真柱)以外の誰か(例えば中山家の血縁者)から、カリスマがいわば用意される可能性(例えば本席の復活)も、なくはありません。
そしてそれが真柱であろうと他の誰であるにせよ、そのカリスマ化において、いわゆるオカルト話が一役担うことは、ほぼ確実であると私には思われます。
いずれにしましても、いわば通販などでの商品購入のために、料金先払い、後払い問わず、料金の支払いが必要条件であるように、天理教団カルト化(カルト・マニュアルの絶対化)の成立のためには、前付、後付に関わらず、カリスマの存在が必要条件である、というのが、私の主張のポイントなのです。
- [477]万年初級 05/07/28 07:56 *RmiYP14ex07*EdDJXg0MAz
- 言い換えますと、カリスマの登場と唯一の解釈があたえられる時間的順序に関係なく、また、その解釈を元々与えたのが誰であるのかに関係なく、天理教団の破壊的カルト化(カルト・マニュアルの絶対化)とカリスマの存在は、必ず相伴うであろう、ということです。
表現が不十分なため、かえって理解を困難にしてしまったようですが、実は、次のほぼ同じ意味のふたつの表現をわざわざ並べたのは、私としてはこのことを表そうとしてのことだったのです。
>したがって、天理教がカリスマを許さない限り、天理教はけしてカルト化しないでしょう。
>天理教がカルト化したときは、カリスマ指導者がいるでしょう。
しかし、この表現は、失敗だったようです。
むしろ、「飲むなら乗るな、乗るなら飲むな」式に、時間的順序関係を読み込むように誤解を与えてしまったかと反省しております。
まとめます。
「組織が絶対化の対象になりうる」というのはその通りですが、天理教の破壊的カルト教団化という問題に即してみた場合、組織が絶対化するときは必ず同時に真柱か、それを含む側近がカリスマ(指導者)化するであろうということ。
「信仰が絶対化の対象となる」、ということを、解釈あるいはカルト・マニュアルが信者によって唯一絶対なるものとして信じられていく、ということであると理解すると、天理教においては、それだけではけして絶対化=宗教的権威付けは不可能で、やはり宗教的権威者=カリスマによるお墨付きをどうしても必要とするだろうということ。
「カリスマは後付でも問題ない」というのも、その通りですが、カリスマの存在が天理教カルト化への必要条件であるということとなんら矛盾しないということ。。
以上のような理由によって、トリップさんのお挙げになった批判の根拠は、私の主張、
天理教破壊的カルト化のためには、カリスマの存在が必要条件である
ということ、また論理的に同じことですが、
カリスマの非存在が、非天理教破壊的カルト化への十分条件である
ということをなんら論駁したことにはならない、(のじゃないかな・・・復活しました(笑))と思います。
といっても、かなり私の表現のあいまいさが混乱を招いたと思われますので、仮に私のこの反論が妥当であるとしても、あまり威張って言えたものではない(笑)、と自覚しております。
なお、以上私の説明でも、やはり認識が甘いということであれば、ご教示くださいますようお願い致します。
提示させていただいた自身の見解に関しては、自分なりに一応筋を通して考えたつもりなので、それなりに擁護したいとは思っていますが、知識不足などによって私の考慮外であることも数多くあろうと思っておりますので、けして依怙地に自分の見解に執着するつもりはありません(たぶん(笑))。
- [478]万年初級 05/07/28 07:59 *uLEJkCq7iuc*EdDJXg0MAz
- すでに長くなって気が引けるのですが、どうしてもトリップさんが何か誤解されているのではないか、という印象のぬぐえない理由をもう少し述べさせていただきたいと思います。
>少なくとも、「他の多くの同レベル規模の信仰宗教団体と同じレベルの危険性」が「あるとされること」は、否定したってしょうがない。
このトリップさんのコメントですが、いまひとつ意図がピンとこないという感じなんです。
どういうことかと申しますと、まずおわかりいただけると思いますが、字義通りに解釈すれば、私ももちろん否定する(できる)わけはありませんよね。
また「あるとされること」を否定する議論を行っているわけでもありませんし。
とすれば、そのままではあまり意味がないので、やはり、トリップさんには私の議論が「他の多くの同レベル規模の信仰宗教団体と同じレベルの危険性があること」を、否定するものであるように感じられているのではないか、と考えるわけです。
そしてその私の思考の中に、いわば「うちの子供に限ってそんなことはありえない」式の、自己認識の甘さを感じ取られているのではないかと思うのです。
もし私のこの推測があたっているとすれば(の話ですが)、やはり少し誤解があるのではないか、という気がします。
というのは、先に引用した私自身の>>438の文章でもそうですが、私は>>431において天理教の原典がカルト・マニュアルを含まないというような説明の後、次のように書いています。
>これは天理教に限ったことではなく、歴史的な諸宗教はたいていそうです。
>イスラム教については勉強不足でコメントできませんが、キリスト教でも仏教諸宗派でもだいたいそうでしょう。
>こういったいわゆる「時代をこえた」宗教の原典・教義は、具体的行動指針になるものはむしろ少ないはずです。
これによって私は少なくとも、キリスト教系、仏教系の新宗教あるいは新新宗教とよばれる教団についても、同様なこと(危険性のない温和な原典)が言えるから、この点に関しては天理教が特別であるというわけではない、ということを示したつもりです。
そして、私の関心は天理教の破壊的カルト化をどうすれば防げるか、というものですから、天理教に特有の組織形態(真柱をトップに置いた組織)なども考慮しながら問題を絞り込み、本質を私なりにカリスマの存在というものに特定したわけです。
つまり、私としては、様々な教団に共通した一般的な認識の地点から、天理教特有の問題に焦点を絞り込み、危険性・問題の本質を特定していく、という仕方で論じているつもりなので、これに対する「天理教だけが大丈夫だというのはだめ」という感じの、いわば逆戻りの一般化した視点からの批判は、どうもちがうんじゃないかなあ、腑に落ちないなあ、という気がするのです。
たとえ他教団と同じレベルの危険性・問題が「あるとされている」のが事実であるとしても、では本当に「同じレベルの危険性」なのでしょうか?
それは具体的に問題を究明しない限り、わからないのではないでしょうか。
究明の結果、天理教のカルト化への危険性は比較的低いかもしれないし、反対に非常に高いかもしれません。
究明もしないで、ただ「わが天理教も他の教団と同じレベルでカルト化への危険性がある」と反省を唱えていたところで、実際には何の役にも立ちません。
少なくともその危険性が具体的に天理教のどのような点にあり、その本質的原因はなんであるかを特定しない限り、当事者である我々にとっては対処のしようがないわけですから。
私としては、むろん不完全な一つの試みに過ぎませんが、一応その究明作業を天理教に即した形でおこなっているつもりなのです。
誤解なら謝らせていただきますが、どうもトリップさんのコメントからは、私が述べている個々の議論(私なりの問題究明)より、私がそこから「だから天理教は大丈夫」と言いたげであるとお感じになり、とにかくそのことを危惧なさっているのでは、という印象を受けるのです。
実際、現状の天理教教団の姿勢は、破壊的カルト化への危険性という点に絞ってみれば、まず大丈夫という肯定的評価になるだろうと私は考えています。
(この点については、これまでの考察をもとに、そう評価できる理由をある程度含めて、既に用意していた>>438の続きに書いていたのですが、まだ投稿しないままになってしまっています。)
でも、仮にこの私の肯定的評価が認めがたいとおっしゃる場合には、一応議論のレベルですので(私はトリップさんがたんなる偏見で意見を述べられる方であるとはけして思っておりません)、否定的評価となる具体的根拠をお示し頂くよう要求しても構わないのではと思うのですが、いかがなものでしょう?(笑)。
- [479]万年初級 05/07/28 08:00 *8M36Jl00BDO*EdDJXg0MAz
- 実はこの腑に落ちない感じ、違和感は、AKIRA∞さんの、
>「宗教は全てカルト化する可能性」を秘めるのでは無いか?
という私への問いかけに対するトリップさんの次のコメントでも、同様に私にはあるように感じられるのです。
>宗教に限らず、すべてカルト化する可能性はある。
「宗教の場合、その比率が高い」という可能性ならば、私個人としても否定は出来ない。
つまり、このコメントもトリップさんの意図が残念ながらいまひとつ私には理解しがたいのです。
というのは、このトリップさんの見解について、AKIRA∞さんも、反対されることはまず考えられませんよね。
でも「そりゃ、そうだけどお」という困惑というか、どう反応すべきか迷われたと思うのです。
なぜなら、AKIRA∞さんの問いは、このトリップさんのおっしゃっていることを前提として、その先、「ではなぜ、宗教の場合にその比率が高くなるのか、という問題意識から、それは宗教の本質である信じること、帰依することにその原因があるのではないか、つまり、宗教の本質がすでにカルト化への危険性を孕むのではないか」と問うものであり、このことは十分有意味な問いであると私には思われるからです。
ですから、AKIRA∞さんも、一般的なところから問題を特定化、絞り込んでいこうとなさっているにもかかわらず、トリップさんは、「そりゃ宗教だけの問題じゃないよ」という感じの、引き戻すような(後退した)一般的視点からコメント(批判?)をなさっているので、どうもちがうんじゃないかなあ、という気がするのです。
自分のもののみならず、AKIRA∞さんの気持ちまで推測して書いたことをご容赦ください。
私には何かトリップさんが、共通した誤解をなさっている印象を受けましたので、もしそれが私の誤りの場合、逆に私のほうが共通して何かトリップさんを誤解しているのではないか、という気がします。
仮に私の誤解にせよ、私がどう誤解しているかをトリップさんに分かっていただくには役に立つのではないかと思ったことと、AKIRA∞さんへの私の理解が正しいかどうかをAKIRA∞さんに判断していただくためにも有用ではないかと考え、あえて書かせていただいた次第です。
実は長すぎて嫌になられたかもと、内心これでも心配しているんですが(笑)、できればまた、ご批判なり、私の無理解のご指摘なり、よろしくお願いします。
いつものように、長く、連投になりましたことを、トリップさんはじめ、みなさんにお詫びします、すみません。
- [480]トリップ 05/07/29 00:32 *fckWWhWoehR*.4Kel14plQ
- >万年初級さん
おおう。
ここまでズビシ!っと「反論」されると、むしろ心地良い。
変な嫌味じゃなくてね。
この手のカテだと、「論」にすらならない、「設定」だけで論じているつもりの人が多くて、どこまでいってもただの突っ込みしか出来ないケースに泣けてくることがあります。(それが、「設定」と自覚してるならいいけど)
私はね、どんなに自分の意見と違っていても、自分で考察し、「論議」をしてくれる人は大好きなのですよ。
さて、内容についてですが…「お見事」。
あなたが推測していた、「私が認識していること」については、ほぼそのとおりです。
貴方が指摘したとおりの「誤解」を、私は持っていました。
不快にさせるかもしれませんが、正直に言います。
私、貴方の事を、ある意味で舐めてました。
たとえば私は、「宗教に限らず、すべてカルト化する可能性はある。」といったような、ある意味で当たり前の事を、わざわざ言っています。
これは、「この手の本来当たり前の認識であるレベル」を、あっさり否定して、「自分(の)信じる宗教組織や、思想団体、あるいは信仰)」を、特別に扱おうとするケースを、散々見ていたがために、今回も同じようなモンだろう、と思っていました。
ホント、多いのよそういうの…。
- [481]トリップ 05/07/29 00:42 *fckWWhWoehR*.4Kel14plQ
- んで、今回の貴方のレスを見て、そうではなく、しっかりと論理立てて考えているな、と、自分の軽率と考察の浅さを恥じるばかりです。
ちなみに、まださらっと一回読んだだけですが、
「60%否定,20%不納得(否定ではない)、20%同意」くらいだった貴方の意見に対して、今は、
「40%同意、40%の納得(同意ではない)、20%の否定」
位になってます。
じっくり読んで、変動するでしょうが、おおむね納得はしています。
もちろん、まだ、おかしいと思うところはありますが、それもかなり好意的に捕らえてます。
チョッと仕事忙しくて、日曜くらいまでご期待の「ツッコミ返信」はできそうにありませんが、そのときはドゾよろしく。
- [482]okuda 05/07/29 04:17 .t3JedIN
- yominikukute suimasen
daigaku karade IME PCni irerenaimonode
bunka yara kojin yara ssune. bokuha USA de sinnkou sitemasuga
sinkouto tetugaku dochi rani ookiwo okukayoku mayoimasu
demo ma- kakkyoku kamisanmo iuteharusi kokoroha jiyuu dakarane-
jyogenn ha dekitemo soreijyou ha dekine-yo-
- [483]万年初級 05/07/29 21:59 *RmiYP14ex07*EdDJXg0MAz
- トリップさんへ。
さっそくレスをご投稿くださって、またこちらの予想・期待以上に好意的な評価をいただき、本当に、ありがとうございます。
納得度が上昇したことももちろん嬉しいですが、私としてはそれ以上に私の議論の基本姿勢というか、そもそも議論として認めていただけたようなので、それを喜んでいます。
失礼ながら、私のほうはあなたの以前の投稿を読ませていただいて、「この人まともっ」て分かっていたんですが(笑)、自分があなたに同じように判断してもらえるかどうかはわかりませんからね(笑)、ホッとしました。
今回は少し誤解もあるように感じていましたが、こちらが一応ちゃんとしたことを書くことができれば、賛成・反対とは別に、きっとご理解いただけるだろうとは思っていました。
でも今回も(AKIRA∞さんのときもなんですが)つくづく痛感したんですが、実際にちゃんとしたことを書こうとすると、力が入っちゃってやっぱ大変(笑)。
私も元来議論好きで、トリップさんやAKIRA∞さんのように、真摯に議論していただける限り、反対意見であろうとなんであろうと、大歓迎なんです。
でも、おわかりいただけると思いますが、いろんな掲示板なんかみていると、批判なさる方も、残念ながらなかなか議論にならないというか、たんなる非難に終わってしまうことも多いんですね。
議論が有意義なものになるかどうかは、的確な批判があるかどうかにかかっている面もあると思いますので、トリップさんのような方の批判はありがたいと思っているんです。
で、貴重な機会だと思って一所懸命考えさせていただいたんですが、どうも私の能力では@すぐには考えがまとまらない、A考えがまとまってきてもなかなか書けない(時間的余裕が無い)B書いたら無茶苦茶長くなってしまう(けずるのに時間がかかる)Cものすごく暑い(笑)etc.といった諸事情のために、どうしてもレスが遅くなってしまいました。
これからもせっかくレスをいただいても、返答するのにかなり時間がかかってしまうと思います。
大変申し訳なく思ってるんですが、本人としても遺憾ともしがたく、どうかご容赦願います。
トリップさんもお忙しいと思いますので、私のほうは急ぎませんし、無理をなさらず、ご都合に合わせてレスをいただければと思っています。
こちらこそよろしくお願いします。
それにしても真剣思ってるんですが、すぐにレスをされる、どんさん、偉い(笑)。
真似しようと思っても、私の能力では不可能であることがわかりました(悲)。
- [484]どん 05/07/30 18:16 /wtsGIfG9v
- >>474
>よくあるケースの一例にしか思えなかったです
>まず無いと思います。「ない」根拠は?というより、「動く」必要性が感じられません。
トリップさん、なるほど、です。
当時の社会情勢と絡めて投稿するならば、もう少し調査してから、
少なくとも同時期に発生した黒住教や大本教などの教祖についても調べてから
考えるべきだったな、と思いました。助かりました。
>>482
okudaさん、こんにちは。
パソコンに日本語変換ソフトが入っていないと一苦労ですね。
助言であってそれ以上は言えないとのこと、仰る通りだと思います。
宗教的正義や宗教的真実も大切かもしれませんが、まずもって、
自分と同じくらい、相手も尊重されるべきだという点で、
全ての宗教が同意してくれたら、素晴らしいことだなあ、と思ったりします。
>>483
万年初級さん、たまたまです。何日も経ってたりすること、ありますよ。
掲示板ですから、書ける時に、書きたいことを、書けばOKだと思います。
でも、誤解のないようにと思えば思うほど、長くなったり、時間もかかったり、
しますね。それはホント、そう思います。
- [485]ハイパー 05/07/31 10:28 woa9780P8q
- 俺の中学校の前にも天理教の集会所みたいなのあるよ。なんかバカみたい
- [486]らくちん 05/08/02 16:16 wmK5fMoZET
- 盛り上がってますね。
初めて投稿します。なんか難しくなっててみんなすごい考えてるんだなぁと関心します。
- [487]らくちん 05/08/03 19:39 wmK5fMoZET
- こんにちは(^^)
続けての投稿になってしまいますが、活発にディスカッションしているここでならいろんな意見が聞けると思って、7年越しの悩みを書き込んでみたいと思います。
私の会社の同僚にAと言う人が居て、彼女と私は同い年、当時彼女は入社3〜4年目、私は2年目位であったと思います。別の友達からAの事は常々相談を受けていて、夜の長時間の電話(2〜3時間)や、異常な干渉で、他の人と話をしようものなら、何を話していたか、誰の事を言っていたか追求され、いつしか友達の周りにはAが付きまとっていました。そんなAには社内に友達らしい人はなく、唯一の話し相手であった彼女は参っていました。
そんな2人の中にいつしか私が取り込まれ、友達は辞めてしまいました。必然的にAは私とマンツーマンになりました。元来私は一人と集中的に付き合うのが嫌いで、広く浅くの人だったので、この関係は徐々に辛いものになっていきました。会話は主に仕事の不平不満で、特に上司、男性職員、後輩との意見の不一致でした。ほぼ毎日ご飯を食べたりカラオケに行ったりして私が聞いていました。当時私は仕事が楽しくてたまらず、毎日とても充実していたので、Aの話を聞いても「そうだよね〜」とか、「やっぱり〜?」とか、同意するような返事が出来ず、上手にやれば楽しくなる、キャリアがあるんだから活かして、いつも気持ちにゆとり持って、といろいろと話しましたが、その時ばかりは「うんうん」と聞きますが、3日と持ちません。すぐに元に戻ってしまい、同じ話を延々と3年聞きました。気が付くと私も同じ話を3年し続けていました。
あまりに進歩のない関係で、私も行き詰まってしまって、「もう、A
は私が何言ってもスルーなんだ」と思い、教会の先生に相談しました、間もなくAに天理教の話をして、「私と話してても何も変わらないから教会行って聞いてもらったら?」と言ったら二つ返事で、早速初参拝です。その後、いろんな行事にも積極的で、私は強制するつもりは無かったので、「無理に行かなくてもいいんだよ」と再三言いましたが、Aは初席、修養科まで自主的に行きました。教会でAの話をずっと聞いてくれていた先生に聞くと、「どうやらAはあなたに憧れている。あなたみたいになりたいと思っている。少しでもあなたに近づきたいと思っている」と聞きました。どうやらAは、二言目には私の会社での様を語り、話し出したらやっぱり1〜2時間話しているようです。私がやったから、私が言ったからと、会社の人達にも言って回っていたらしく、変な話ですが、Aと私はレズだと言われたくらいです。
とにかく私の言い成りで、私みたいになりたいと方々で吹聴されてしまい、天理教の話も、1度私に置き換えて解釈していました。でも私はそんな大そうな信仰をしていた訳ではないし、積極的に布教していた訳でもないので、正直ちょっと怖くなってしまいました。「天理教」が「私」教になるのは火を見るより明らかでした。
結局、私はAの話を3年聞いて、話をして、少しでも楽しく仕事したりまわりの人と上手く付き合える様になればと思いましたが、立て板に水と言う事が解ったので、教会に(会社の人でも良かったんでしょうけど、あの時点でAの話を聞いてくれる人はいませんでした。)救いを求めました。でも、自分を見つめ直し、改め、より良い自分になる事がどうしても出来なかった。私も及ばずながら出来る事は精一杯やらせて頂きましたが、今日まで進展はありません。
私は4年前に結婚退職してから、Aとは連絡を取っていません。私が身近に居なくなる事で、Aが「私」教から脱退してくれれば・・・と思っていましたが、風の噂ではまだ私にこだわっているようです。そればかりか、Aが修養科や教会で聞いた話をあたかも自分が開いた教えの如く話し、挙句の果てには「私が人を救う!!」と、自ら教祖気取りでいると言うのです。・・・ぶっちゃけ、友達もいない人に、救ってもらいたい人など居るでしょうか?
Aをこんな人にしてしまったのは、私が悪かったんでしょうか?もっと何とか出来たのかも知れないとか考え出すと、何だか辛くなります。・・・やるべき事はやったと自負してますが、Aは30半ばになっても結婚もせず、私の影を追い、自分の親ともほぼ絶縁状態です。この先のAの人生を思うと、一人ぼっちで歳をとり、寂しい老後を迎えるのか?と思ったりします。
読んでいただいたみなさん、身近にこんな人がいたら、どんな風に接していましたか?
- [488]普通の天理教徒 05/08/04 05:34 EmmsPQ1mzX
- 短いコメントですみません。
らくちんさんは、結婚されて、普通に家庭を持ち、信仰して、幸福にお暮らしだと理解して宜しいのでしょうか。
その、今の自分の生活を大切にして、Aさんの事は、忘れてしまうのが、普通にとる道だと思います。
Aさんの老後の人生よりも、自分の人生の未来を、考えて進まれたらと思います。
Aさんの人生の問題は、頼まれない限りは、Aさん本人の問題であり、関係を持たないのが普通だと思います。
- [489]らくちん 05/08/04 15:47 wmK5fMoZET
- 普通の天理教徒さん、早速ご意見ありがとうございます。
私も独身時代の様に彼女に関わる事は出来ません。ぶっちゃけ、私は今幸せで、信仰はありませんが優しい夫と、言う事聞きませんがかわいい息子がいます。Aは、言ってみれば私の理の子です。手引いたのは私です。何と言いますか、「見るもいんねん、聞くもいんねん、世話取りするはなおの事」と聞かせて頂きます。どうも、もし、私に信仰がなかったら、きっとAの様な人生を歩んだかも知れないと思うのです。ウチは私で4代目の信仰ですが、教会ではありません。4代目と言っても私自身が信仰を意識したのは最近なんです。おそらく、当時の半端な信仰心がちょっとした正義感を手伝ってAに関わって行ったんだと思うのです。
今でもAに普通の女の幸せを掴んでもらいたいと思ってます。そのきっかけに私がなれたらいいのにと。私の影を追うなら、私より幸せになって欲しいのです。
最近のAは、「自分」教の野望を持ちながらも教会に運んでいるようです。「私」教からの脱退は教会の先生も同意して下さったので、私はAと距離をおいて大正解だと思っていますが、Aは時々私に会いたいと言うそうです。会ってしまったら、私も人の子、そして半端な信者なので、話によってはキレて何を口走るか解らないと言う懸念もあります。・・・こんな中途半端な人間がいっぱしに人助けなんて思ってみるもんじゃないのかも知れません。
そんな自信の無さから、Aの人生に関わってしまった自分をどうしていいのか、考え出すとたまらないのです。
- [490]普通の天理教徒 05/08/04 16:11 RhEi7w.TNL
- 教組は、御神楽歌のなかで、「どのような事がありても恨みなよ」と、教えて下さっています。
過去を振り返って後悔する事は、一種の「恨み」になると思います。
自分はもう、前向きになることで、切り替えてしまう事です。
でも、らくちんさんにとっては「後悔事」であっても、Aさんにとっては、そうではないみたいです。
らくちんさんに合いたがっているのも、憧れを引き続き抱いているとしたら、その中には、あなたに負けたくないと言うライバル心があるのかもしれません。
Aさんをたすけてあげたいと、そういう動機からのお付き合いの中から、Aさんは、天理教に入信し、あなたに対して導いてくれた人と、そういう視点と、あなたに負けたくないと言う視点と、二つの視点で見つめていて、しかし、信仰の質そのものはらくちんさんとは、違う考えのようですから、どちらが正しいと言うのではなく、見つめられる視線の先にある自分が、息苦しくなると、そう言う事だと思います。
無視できるのが、一番の解決策です。
Aさんの人生は、あなたと関わったから、今のようになったと、思いこまないことです。
そして、避けていても、どうしてもAさんとあったら、先に「さよなら」宣言をきちんということです。
「あ、私、今、人生別なの。ごめん。」
こんなふうに、さよならしてあげることです。
何時までも後悔するよりは、恨みを持ち合うことにならないように、過去とは、「さよなら」して、前向きに自分の人生を幸福に充実させてください。
- [491]どん 05/08/04 16:12 zfCUdmWB7W
- >>487
らくちんさん、はじめまして。
私も、あんまり気にしなくていいと思いますよ。
>Aをこんな人にしてしまったのは、私が悪かったんでしょうか?
こんな人にしてしまった、という「こんな」の中に、らくちんさんの、
Aさんのような人はよろしくない、という価値観があるのではないでしょうか。
私は、Aさんがそんなに悪い人だとは思いません。
人付き合いが苦手な人なんて、沢山います。
職場の不平不満も、よく聞きますよ。全く不満なく働いている人もいれば、
時々愚痴をこぼす人、また毎日々々文句ばっかり言ってる人もいます。
らくちんさんに憧れるというのも、らくちんさんからすれば迷惑な話かも
しれませんが、誰かに憧れて、その人のようになりたい!と思う気持ちは、
そんなに悪いことではないような気がします。
現在のAさんが、教祖気取りだとか、人を救うと言ってるとか、
それらも、私にはあんまり悪いことのようには思えません。
人づきあいが極端に苦手で、友達もほとんどいなくて、皆が自分のことを
疎ましく思っている、そんなAさんが、教会に行って、修養科に行って、
はじめて、人に喜んでもらうという経験をされたのかもしれません。
自分自身を肯定的に感じることが出来たのかもしれません。
人に迷惑かけながらかもしれませんが、自分なりに生き甲斐を感じて、
信仰してらっしゃる、とするならば、それはそれでいいんじゃないでしょうか。
そもそも、誰にも迷惑かけていないと断言できる人なんて、いないと思います。
迷惑かどうかを決めるのは受ける側の人ですから、
何気ない一言が、誰かを傷つけていることも、あるかもしれません。
30半ばで独身でいることも、親と絶縁状態というのも、それ自体は
善でも悪でもないと思います。それらを悪いことだと思う人からすれば、
悪いことに見える、というだけだと思います。他ならぬ、らくちんさんが、
一人ぼっちで歳をとることは寂しいことだと思ってらっしゃるのですよね。
そして、Aさんが寂しいかどうかを決めるのは、Aさんです。
だから、もう気にしなくていいと思いますよ。
- [492]普通の天理教徒 05/08/04 16:23 RhEi7w.TNL
- もう少しだけ書かせてください。
導いた人は、導かれた人の心理を、錯覚するのが普通だと思います。
導いたらくちんさんに対して、当時は何も従わなかった訳ですが、心に生まれるのは、自分へのコンプレックスです。
導かれた人は、「うらやましい」と、「自分は勝てない」と、そういうコンプレックスの心理状態で、導いた人を見てしまうのが普通です。
その心の奥にあるものを見落とすと、Aさんの心情が理解できないかもしれません。
ブランド品を身に付けた人を見て、うらやましいと思うような、心理から、自分も天理教するのだと、そういうこともあるし、劣等感から反発して、逆に、天理教なんかしないと、いう場合もあります。
それくらいに、導く人の事は導かれる人には「鮮烈なもの」です。
- [493]普通の天理教徒 05/08/04 17:17 RhEi7w.TNL
- らくちんさんが七年間悩まれたのは、教えに導いた人の責任感だと思います。
それは、あって当然の事で、Aさんが婚期を遅らせて、親子の関係が上手く行っていない事を心配されているお気持ちも、教えに導いた人の責任感として、普通の天理教徒の気持ちだと思います。
その時、私たちに出来るのは、親神様にAさんの事を、幸福でありますようにと願う事です。
その、願いに、「理を添える」事を教えられています。
それは、先ず自分が、「陽気に暮らす」事です。
神様のお受け取り下さる真心とは、「人間の陽気に暮らす様」です。
らくちんさんが、何事も楽しんで、現在の生活を陽気にすること。
そして、親神様に、お願いすること。
その、普通の天理教徒の願う心の誠だけは、いつも持ち続けてください。
- [494]ヨン 05/08/05 09:06 *oD3OC49fC4Z*J4Pyx/qahD
- いやぁ、天理教の掲示板てすごいんだなぁ。感動しました。
こちらはちょっと難しかったけれど、でも、すごかったです。
みなさん、お仲間なんでしょ。
http://www.web-book.jp/patio/patio.cgi?mode=view&no=26
また、お邪魔します。
- [495]どん 05/08/05 10:58 CqHlB5xSD6
- >>494
私、そちらの掲示板もちょこちょこ読ませて頂いてます。
そちらで主に書き込まれている基本さんという方には、
以前に別の掲示板で、随分と教えて頂きました。
- [496]普通の天理教徒 05/08/06 20:38 sa1P3HRxEJ
- どんさん。
おひさしぶりです。
基本さんいらっしゃいを見て下さっているとの事、嬉しく思います。
基本は、ここでは、「普通の天理教徒」です。
ヨンさま、はじめまして。
本当に時折しか、こちらには投稿していないのです。
どうしても、心に掛かったので、「らくちん」さんに、思うところを語らせて頂きました。
らくちんさん。
知っている人は多いのですが、私は、ネット上に、別の場所に「基本。」という名で、います。
自分の若い頃の、失敗や悩みやを思い起こして、「らくちん」さんのお気持ちを、若い頃の「普通の天理教徒」として、思案させて頂きました。
「らくちん」さんが幸せになること、本当に、それを願います。
それが、Aさんの現在の悩みをたすけてあげられるとしたら、それが、何よりものものだと思います。
参考にして下さい。
- [497]つばめ 05/08/07 00:07 xOfdqP/K5w
- こんにちは。天理教のことを調べていてこの掲示板をみつけました。
私は以前天理教の教会長の息子(跡継ぎです)とお付き合いをしていました。結婚も考えた真剣なつきあいをしていました。
結婚前に、彼のやっていること家族すべてを見てほしいといわれました。でも、私がそこで見た彼の周りの状況はとてもひどいものでした。私は彼が天理教をやっていることには反対はしていませんでした。しかし、天理教についてまったくの無知だった私には、すぐに彼のやっていることが受け入れることができず、そのことでたくさんの喧嘩をしました。中でも一番ひどかったのは彼の親です。彼の親によって私の天理教・・・いいえ、天理教に限らず宗教をやっている人はみんなこんな人たちなんだという印象をもってしまいました。
簡単に話すと、自分たちに非があるときは、私のことを娘だと思って
こんなに思ってきたのに・・・みたいに言うんです。でも、勝手な時は家族で集まるからといって、私の存在は無視され、あんたは他人だから呼ばないみたいな感じの人たちでした。それで、私が彼の両親に少しずつ不信感を抱いてきて、それを彼に話すと、彼の返事は「俺は最初から天理教をやっていると言っていた、だから、うちの考えについていけないならもういい」って感じです。
天理教のみなさんがこんな風だとは思いたくありませんが、私が初めて出会った天理教の信者が彼の家族だったので、せっかく少しずつですが、理解していこうと思っていたのに、毛嫌いしてしまいそうです。天理教はみなさんこんな考えなのですか???他にもいろいろ聞きたいことがあるのですが、今回はこのへんにしておきます。
- [498]どん 05/08/07 08:18 kX5B1d/BNU
- >>496
や、やはり、そうでしたか。お久しぶりです。
話の進め方が基本さんに似てらっしゃるなあ、とは思ってたんですよ。
今後ともよろしくお願い致します。
- [499]どん 05/08/07 08:28 kX5B1d/BNU
- >>497
つばめさん、はじめまして。
読ませて頂いて、情けないやら腹立たしいやら、でも結婚前にわかったから
それだけはよかったのかな、とか思いました。
天理教の価値観と、世間一般の価値観が違っているということは確かにあります。
笑われたり非難されたりすることは珍しいことではありません。ですから、
その教会の人達が、天理教の教えを厳守したが故に、つばめさんと衝突してしまった
というなら、これはどっちが悪いとかではなく、もうしょうがないと思います。
でも、今回ご投稿頂いた内容は、どうも天理教の教えと違うんじゃないかと。
>自分たちに非があるときは、私のことを娘だと思ってこんなに思ってきたのに・・・みたいに言うんです。
天理教祖はご飯に毒を入れられて殺害されそうになったことがあります。
天理教祖は犯人を責めるのではなく、私が悪かったのです、と仰ったそうです。
自分の非を認めず、相手に責任転嫁するというのは、天理教の教えではありません。
>でも、勝手な時は家族で集まるからといって、私の存在は無視され、あんたは他人だから呼ばないみたいな感じの人たちでした。
天理教祖は、世界中の人間が兄弟姉妹だと仰いました。それも全員、同い年です。
また誰が誰より偉いということはなく、魂に高低はなく、みんな横一列です。
あんたは他人だからと、息子の彼女を分け隔てるのは、天理教の教えではありません。
>それで、私が彼の両親に少しずつ不信感を抱いてきて、それを彼に話すと、彼の返事は「俺は最初から天理教をやっていると言っていた、だから、うちの考えについていけないならもういい」って感じです。
これだけは、ちょっと可哀相ですね。「うちの考えに」とのことです。
天理教やってるなら、「天理教の教えに」と、そうでないなら、せめて「俺の考えに」と
言ってほしいところですね。彼は、素直な、優しい人なんでしょうね。
- [500]通りすがり 05/08/07 10:20 Qhc2TTc9gr
- 中国の環境破壊深刻化。
輸入されている安い肉や野菜に要注意。
今さえ良ければ、の考え方が地球をむしばんでいるようです。
http://blog.livedoor.jp/safe_food_of_asia/archives/50010839.html
- [501]らんでぃー 05/08/07 10:37 VYoijGJtYz
- 教祖の食事の中に毒を盛り込まれた時の詳細状況説明。
(この話は自分が覚えている限りですので、多少なりとも不透明な部分や
間違っている部分がある可能性があります。また、この話は中山みきが
教祖となられる前の話であります。この頃の中山家はお金持ちでした。)
その頃教祖、中山みきは夫がいました。
しかしみきには子供が中々できず、そのことを悩んでいた時に、
住み込みで働いていた女が、みきを亡き者にして、
自分がとって変わろうと企み、みきの食事に毒を持ったのです。
それを知らず召し上がられたみきは大層苦しまれ、
家族の者は驚き、必死に看護の手をつくす一方で、犯人を捜しました。
するとその住み込みの女であることが判明、家族は怒り
警察へ突き出そうと言っていた所、みきが
(おおよそ)「待ってください、これは神や仏が私の
おなかの中を掃除してくださっているのです、どうか
許してあげてください。」と述べ、
それを聞いたその女は己が非を悟り、
自ずから身を引いたそうです。
- [502]らんでぃー 05/08/07 10:50 VYoijGJtYz
- これは親神の思し召しで、教祖がひながたの道を示すために
貧に落ちきられた時の話。
夜、月の光で教祖、娘のこかんが糸紡ぎをしていた時の事。
「こかん、そろそろ食事にしようか」と教祖。
「わかりました」とこかん。
しかしこかんが米を見に行ったところ、米は一粒もなかった。
そこでこかんは「おかあはん、もうお米がありません、どういた
しましょう」と言うと教祖は、
「この世の中には、枕元にいくら食事を積んでも
物が喉を通らんというて苦しんでいる人もおる。それに比べたら
わしらは結構や。水を飲めば水の味がする。ほんに結構や」(記憶
しているかぎり)
と申されたそうです。
ほんの些細なことでも喜ばせて頂く、そして親神様に感謝させていただく。
そしてひのきしんやおつとめに励まさせていただく。
今、現代人に必要なことは心を満腹にさせること。
物はあって裕福でも、心がすさんでいては陽気暮らしは到底不可能。
だから親神様のお話を聞いて、心を満腹にさせる。
そうすれば腹も立たず、陽気に勇んで通れるのである。
- [503]普通の天理教徒 05/08/07 20:30 Cij00ui2Qt
- [497]つばめさん
> 結婚前に、彼のやっていること家族すべてを見てほしいといわれました。
>
彼は自信を持っていて、見せたのだと思います。
> 自分たちに非があるときは、私のことを娘だと思ってこんなに思ってきたのに・・・みたいに言うんです。
>
彼の親たちは、「娘ではないけれど娘だと想定して」仮想親子を演じていたと言う事ですね。
> 勝手な時は家族で集まるからといって、私の存在は無視され、あんたは他人だから呼ばないみたいな感じの人たちでした。
>
現実には、他人だったと言う事ですね。
> 彼の返事は「俺は最初から天理教をやっていると言っていた、だから、うちの考えについていけないならもういい」って感じです。
>
彼は親からの自立の出来ない未熟な青年だったと言う事ですね。
> 天理教のみなさんがこんな風だとは思いたくありませんが、
>
組織で天理教している人は、殆どがみんな多かれ少なかれ、おんなじだと思います。
自分たちの思想や行動を無条件で受け入れるようにと、組織の一員になれと迫るのは、「組織で天理教」している人たちです。
普通の天理教徒は、個人の心を尊重して、心一つでの信仰であり、心と心での人間関係を重視します。
ただ、そういう普通の天理教徒でも、いざ我が家という組織を守ろうとすると、彼の両親や彼のように、組織(と言っても我が家なんですが)を、我が教会(と言っても我が家なんですが)を守ろうとして、個人の人間性を失う事があります。
奇妙な矛盾ですが、結局は、わが身可愛いという「かわいい」の埃に陥りやすいのです。
天理教の教会のお嫁さんになると言う事は、無条件で教会人として生きる事を受け入れたんだよと、彼の両親は言いたいのでしょう。
そういう現実には、きちんと拒否して、彼に、教会出なければ結婚無理と、きちんと諭してあげて正解です。
それは、彼の両親の恥なのですが、恥を恥とも思わぬ恥ずかしさがあります。
http://www.web-book.jp/k/index.html
ここにて、「基本」と言う名で、天理教の基本について語っていますので、お立ち寄り下さい。2ちゃんにも第2掲示板に「天理教団」スレ立ててあります。
ところで、「彼」なのでしょうか、「元彼」なのでしょうか。
それによって、申し上げたい事にも変化があります。
つばめさん。どちらなのでしょう。
- [504]伊藤さん 05/08/08 02:09 3xmFJpWauZ
- 天理教キタ─wwヘ√レvv~(゚∀゚)─wwヘ√レvv~─ !!
パレードの時 貝柱さんに BBガン撃ってるヤツいたな。
- [505]らくちん 05/08/08 18:45 kDG2A/1sDo
- 普通の天理教徒さんドン、どんさん、読ませて頂いて涙が出ました。Aに関しては、教会で伺いながら理の付き合いに徹する事で、何とかご守護頂きたいと今もヤッキですが、いわゆる「縦」でAの事は話せても、「横」で話せる人が居なくて、お気付きの様に煮詰まっていました。
私がAの為にと思っている事が、必ずしも神様の思うAへの思し召しではないかも知れないと思いました。私の人間思案かもと。AにはAの人生があって、どう歩むかはA次第なのだと。干渉しすぎていたのかも知れません。いつの間にか、Aには「こうなって欲しい」と言う心がありました。思うようにならないからといって煮詰まるのは、Aと形は違っても似た物を感じます。
ここで聞いてもらって良かったです。本当にありがとうございました。
- [508]らくちん 05/08/08 20:33 kDG2A/1sDo
- つばめさんへ。
天理教の人はみんなイイ人と思ってはなかなか難しいと思います。
私は上にも書いたように、私で4代目の信仰ですが、自身の信仰を意識したのは本当に最近なのです。
それは教会に繋がる、いわゆる「先生」と呼ばれる人たちに対する不信感でした。「先生」と呼ばれる人たちはそれはそれは人間が出来ていて、日々人助けに奔走し、自分の事はかなぐり捨てて人の為、尽くしきっているとばかり思っていました。しかし実際は同じ人間で、普通のおじちゃん、おばちゃんですし、人の子よりも自分の子がかわいいし、自分の立場やプライドの為に、「私は今こんなに大変な人のおたすけをしている。(すごいでしょう?)」みたいな、その先生にたすけを求めた人の気持ちなど微塵も思わない発言を、聞かなきゃいいのに聞いてしまったりしたからです。
いわゆる「思春期」にそんな思いをしてしまったので、天理教からは逃げて逃げて逃げまくっていました。
しかし、私の教会の前奥様(お出直しになりましたが・・・。)が、「人を見ちゃダメよ。神様があなたの為に見せている、聞かせているのよ」「神様が、言わせているのよ」と仰いました。
人は鏡と聞かせて頂きます。神様は何故私にこんな事を見せて、聞かせているのだろう??・・・と言うのが、私の天理教への入り口でした。
その後、辛い事、悲しい事、悔しい事、たくさんあって、その度思い出されるのは前奥様の、「あなたに見せている」と言う言葉でした。そう思うと、いろんな事があっても、人を鏡に見せて頂いている、私に教えて下さっている、と思えるようになりました。前奥様の言葉が無かったら、私はイライラと毎日を過ごし、自分を省みる事もせず、何事にも勝ちに行く性分ですから、それはもう、自分も回りに居る人にとっても波乱の人生だったと思います。
何がいいたいかと言いますと、私の主観で言えば、天理教を信仰する人と言うのは、聞くべくして聞いた人達、天理教を聞かなければなかなか人並みに生活する事が難しい人達なのではないか?と言う事です。これを、天理教では「いんねんが深い」と言うのでは?と。それを見聞きするのもいわゆる「いんねん」では?と。天理教を信仰していなくても、ホントに「いいひと」って居るし、信仰していても「は?」と思う人はいます。それは「徳」であり、「いんねん」であると思うんです。
あくまで私の主観です。
お互いに信仰があればこんな風に考えたりもするんでしょうが、信仰が無い人(浅い人)にあの言い様はないなぁと、思います。
つばめさんが今回の事で天理教の全てがイヤになってしまったら、ちょっと残念です。福祉やボランティアの人がみんなイイ人とは限らないのと一緒です。
- [509]どん 05/08/08 23:20 kX5B1d/BNU
- >>505
>>508
らくちんさん、私のほうこそありがとうございます。
人は鏡、ということについて、私は以下のように考えています。それは、人の行動なり言動に対して、自分がどう感じているかを、落ち着いて考えれば、自分の中のこだわりというか、自分なりの心の傾向がわかるのではないかな、ということです。
お互い人間ですから、人に何かを期待して、こうなって欲しい、と、求めることも当然あって、ただ、その期待に応えてもらえなかったとき、自分の中に不足の心が湧いてくると。その、不満の原因は、自分が相手に何かを期待したことであって、その期待したこと自体は善でも悪でもないんだけど、ただただ、私の不満の原因はそれなんだ、と気づいていることがポイントではないかな、と思います。
なんでもっと前向きになれないの、どうしてそんなことするの、と、腹が立ったなら、それは自分の心の中に、前向きでないことはよろしくない、とか、そんなことするのはよろしくない、という価値観があるということで、それを他人が見せてくれている、と、そういうことだと思います。
そこで、もう腹が立ち過ぎて困るから、もう疲れるから、前向きでないことはよろしくないという自分の価値観は手放してしまおう、前向きでもそうでなくてもどっちでもいいことにしちゃおう、と考えるのもひとつですし、いやいや、他人はどうあれ自分はやっぱり前向きが大好きだ、前向きを手放すなんてとんでもない、というならそれもひとつです。ただし、そう思えたときには、人が前向きでないことに対して、そんなにイライラしないようになっているのではないかな、とも思います。
私、怒ることも、落ち込むことも、悲しくて泣くこともあるんですが、このように考えるようになってからは、他人を通じて自分を発見できるのだと思えるようになって、苦手な人に感謝できるようになり、また心が軽くなった次第です。とは言いましても行きつ戻りつですが(^_^;)
- [510]らくちん 05/08/09 08:10 kDG2A/1sDo
- 「人を見て我を省みる」と言うのは、なかなか辛い場面もあって、今、私が居る家庭は主人と私と息子の3人で、信仰があるのは私だけです。主人や、息子に何かあると、唯一お道を聞かせて頂いている私としては、お道的にいろいろ思案してみる訳ですが、主人の何かも、息子の何かも、もちろん私自身の何かも、全部一人で引き受けて(なんて言うとかっこいいけど・・・)理を伺って私の心調べをさせて頂きます。女は台ですから、私がしっかりしないとと思いつつ、
「なんでもかんでも私って言うな!(TT)」
と、つくづく、私はいんねんが深いんだなぁなんて思ったり。でも、基本的には毎日割りと楽しく、幸せに暮らしているんですけど・・・。私の母は、
「あんたは幸せボケだ!苦労が足りない!」
とかよく言います。ダイレクトに「私、天理教頑張ってます!」と言うのがどうも苦手で、私を見て天理教を知る人がいるなら、あんまりみっともない所は見せられないなぁと思って、元来の「勝ちに行く性分」を押さえるのも結構大変なんだよ〜と言ってもスルーですけどね・・・。
思い出話になりますけど、私の教会の前奥様は晩年重い病気になっていた事をまわりの人は長い事気付きませんでした。今思えば、痛かったり辛かった時がたくさんあったに違いないのに、いつもニコニコしてちょっと面白い事言ってみたり、あちこち忙しくしてらして、不足とか、怒りとか、そういう感情が無い人の様に見えました。一人一人にきめ細かく接して下さって、ご自身の体の不調も構わず、ホントににこにこと、勇んでらした姿しか思い出せません。
そんな前奥様を拝見して、女の人はこうあるべきだ!と私の心は決まっちゃったんです。人は(特に女の人は)いつでもにっこり笑えるだけの心のゆとりがあれば、しあわせになれるんじゃないか?って。そして笑顔はまわりの人もちょっぴりいい気分にさせるんじゃないかって。
もちろん、いつもニコニコしているには、それを裏付けるものがないとただの置物になってしまいます。にこにこと、ニヤニヤの区別も結構難しいです。最近のニュースなんかで、どう考えても理不尽な事件が放送されると、
「・・・こんなヤツ死ねばいいのに・・・」
と、心でつぶやいている私がいます。でも、口に出さなくなっただけでも、私的にはすごい進歩なんです。いいひとになれるとは思いませんが、少しでも、「気持ちのいいひと」目指して、長い長い人生やってみたいなぁなんて思っちゃってます(^^;・・・まぁ、理想は高い方がいい、と言う事で(苦笑)。
- [511]普通の天理教徒 05/08/09 10:05 sa1P3/3Qn/
- 「らくちん」さん。
ご主人に、真剣に、匂い掛けられたらいかがでしょうか。
- [512]らくちん 05/08/09 15:01 kDG2A/1sDo
- 普通の天理教徒さんへ。
ホントですね。今の私がいるのは天理教あっての事ですから、主人にも聞いてもらいたいと思っています。なんだかんだ言って気が付けば結婚しても毎年1回はおじばに帰らせて頂いています。でもその度「俺は宗教はイヤだ。お前がやるのは勝手だが、子供まで引っ張るな」と、普段はくまのプーさんみたいに温厚な人ですが、こと宗教となると猛獣になってしまいます。今年のおじばがえりも、離婚覚悟で話をして、母の還暦のお祝いで旅行に行くと言う事で(天理に行くとは最初から言っています。)納得してもらいました。「来年はないから」去年もそういわれたけれど、今年もかえれたので、来年も・・・。
主人にも聞いてもらいたいと思いますが、それよりも子供に伝えたいのです。実際、私も聞けない時期があったし、私の主人と子供ならなおさら、似た者寄っているんでしょうし。人生長いですけど一生の仕事と思ってやっていくつもりです。外も歩かせて頂きながら・・・(^^)
- [513]普通の天理教徒 05/08/09 19:19 mmXTodyDBm
- ご主人に聞いてもらえない段階で、子供さんたちに伝えてしまうと、お子さんたちが、精神的に苦労される事になると思います。
ご主人が、普段は優しいのに、天理教の話となると人が変わってしまう原因が、どこにあるのか、分かれば対策も出来るのでしょうが、多分それは、嫉妬だと思います。やきもちという感情だと思います。
自分以外に信頼するものが存在する事、ご主人は、らくちんさんの心の向きを、自分以外のものに向けさせたくないほど、愛しているのだと思います。
その幸せで、十分だから、なおさら、言いにくいのでしょうね。
何で自分は信仰しているのか、
それを見つめてから、ご主人に、少しづつ語られたらどうでしょうか。
自分の信仰しているわけを。
入信させるためにではなく、自分を知って欲しいために、です。
- [514]非季 羨林 05/08/09 19:28 *mwkLWbYym9n*7JDo2nE8ez
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- [515]非季 羨林 05/08/09 19:28 *mwkLWbYym9n*7JDo2nE8ez
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- [516]普通の天理教徒 05/08/10 01:07 pn3lXmG3hF
- 人の心の中には、何かにすがりたいと言う願望や希望があればあるほど、その逆に、自分はそういうものにすがらないで生きていくのだと言う考えも強くなります。
夫婦が一つの信仰が出来ると言う事は、なんでも無いようでいて、とても大変な事です。
既に、天理教の親神様・教祖を心の拠り所として、体験してしまっている人と、未体験の人の間に、相互が理解し合うと言う事は、夫婦であるからこそ大変であろうと思います。
でも、自分の一番身近な人に、理解して貰う事は、どんなに大変でも、大切な事です。
それでなければ、心の結びつきの邪魔になります。
らくちんさんの、ご主人を大切に思う気持ちを、損なわないように、長い気持ちで、匂いを掛けていかれます事が、宜しいと思います。
- [517]らくちん 05/08/10 08:02 kDG2A/1sDo
- よく、夫婦や異性間、親族の布教(・・・と、言うか、宗教の話は全般)は、お互い感情が入っちゃうから難しいと聞かせて頂きます。でもその人たちに理解もしくは信仰しないまでも受け入れてもらえたら、どれだけ心強いかと思います。
普通の天理教徒さんが仰った、「私の信仰に対する主人の嫉妬」はなるほどなぁと思いました。元来主人は(と言うか大抵の男の人は・・・と認識してますが、違うのかな?)「俺について来い」の人なので、俺についてこないのか?!と不安と言うか、寂しい気持ちになったのかも知れません。信仰の強制は主人を根底から潰してしまうものだし、主人を立てられない信仰は本末転倒、問題外ですよね。
家庭では主人にも子供にも自分を隠し様がありませんし、教会の前会長に、「子供は神様だよ」「子供は夫婦の宝だから神様がこれは!と思し召された事はすぐ子供にお見せ頂くよ」とお聞かせ頂いたので、やはり、神様の話をさせて頂く前に私が少しでも成人させて頂かないと!と思います。ちょっとずつでも積み重ねて行けば、主人から聞く気になってくれるかも知れないし・・・(^^)vそんなミラクルがあるかも!と思って過ごすならいろんな事が苦で無くなる気がします。
信仰が苦痛になってしまったらダメですよね(^^)
- [518]普通の天理教徒 05/08/10 09:36 pn3lXmG3hF
- そうですね。
私の場合、経験値が結構ありますので、夫婦のお二人のうちどちらかしか信仰していない方とか、どちらかは熱心とか、そういう方の悩みを直接的に相談されたり、愚痴の受け皿になったり、若い頃には随分ありました。
最初は、「奥さんさえ真剣に信仰していれば、必ず、ご主人にも伝わる日が来ます。」と言う、私の親や周囲の天理教の先生方の言葉のままを、悩む人に告げたりしていましたが、それは、かえって夫婦の仲をもめさせたり、気まづくさせたりしていることに、後には気がついて、特にご主人に隠れての「秘密のお供え」は夫婦の心に陰をおとしたりするので、そう言う事を助言するのは、やめました。
奥さんは身上たすけられて信仰したいのですが、ご主人の猛反対で、奥さんをお地場に買える許可を頂くために、私の父母から頼まれて、そのご主人は将棋が大好きな方だったので、私は私も奥さん連れで、将棋を指しに通いまして、ご主人とそんな関係で仲良くして、それで、少しは信仰を許してくださるようになったと言うような、今から思えば、遠回りな事をしていた時代もありました。
その、将棋好きなご主人の不安は、自分の知らないところで奥さんがどうにかされるのではないかと言う事、特に金銭財産を天理教に取られるのではないかと言う不安でした。
でも、通っていて分かった事がありました。
それは、奥さんは、すごくいい旦那さんだと言う言葉の裏腹で、ボソッと不足を言うのです。
見下したような言葉をちらっと、言うのです。
ご主人が、天理教に反対する真の原因は、ここにあるのではないかと、思いました。
- [519]普通の天理教徒 05/08/10 10:02 pn3lXmG3hF
- 本当は、このご主人の方が、天理教をしたら、すばらしい信仰者になるのではと、何度も何度も感じました。
神様は、「親に因縁つけて、子の出るのを待つ」と言われますが、「奥さんに因縁つけて夫の出るのを待つ」ではないかと、心に感じるようになりました。
信仰と言う、天理教の教えと言うもので、奥さんの心に価値を付けて、やっと夫婦の心のあり方のバランスが取れている。
そういう、ご守護と言うものを、それからは、お諭しするようになりました。親神様に足して頂いて、やっと五分五分だと。
「らくちん」さんに例えますと、「らくちん」さんから天理教を取ったら、旦那様と、五分五分ではないので、親神様は、天理教をしていないご主人で、丁度良いと思われている。
そういう事ではないかと、理解が出来ました。
ところが、「らくちん」さんの場合は違うと思いますが、奥さんだけ信仰している方の場合、「神様の教えも知らないからしょうがない旦那で」と、平気で教会等で、口にしています。その、表裏の使い分けは、よろしくないと思います。
ご主人が信仰をただ一人していて、家族全体が反対だった方に、「奥さんの方がいまに立派な信心なさると思いますよ」と、お話した事がありましたが、本当にそうだとの事で、天理教の話は聞く気は無いから、一つカラオケを一曲だけ教えてやって欲しいと、頼まれまして、随分前にその為にだけお目にかかりましたが、その後に夫婦揃う信仰となり今は家族全体で天理教しています。
表裏を使い分けていた方の結末は、なかなか宜しくないと感じています。
そんな経験からも、神様が引き寄せた方である、相手の方への信頼、それが全てではないかと思います。
- [520]らくちん 05/08/11 08:11 kDG2A/1sDo
- やはりおたすけの経験がある方は説得力がありますね。
私の母が割りと裏腹な人で、お父さんが家では一番偉いと言いつつ、お父さんに言ってもわからないから、とよく言ってました。でも、父は子供が教会に通う事に文句をひとつも言わず、母の悪口も言わず、かといって信仰もせず、定年後の今も黙々と働き、孫にあれこれ買ってやるのが楽しみで、実家からは割りと離れた我が家までいそいそと通ってくるのです。
思えば、信仰があるはずの母と私はよく(というか、かなり・・・。)衝突し、信仰の無い父とは仲良しとまでは行きませんが母への見解はほぼ一致していました。今となってはわが身恨みと誰かを責める気にはなりませんが、お互い一生懸命信仰するが故の衝突が結構小さい頃からありました。それが原因で離れてしまったのも事実です。
親おやの信仰を否定するつもりはありませんが、先日も書かせていただいた通り、信仰が苦痛になってしまったらいけないと思うんです。信仰している人は「たんのう」と言う言葉を知っていますが、信仰の無い人、浅い人(私の含めて)は、とかく「我慢」になってしまいます。自分だけ自己満足ではダメだと思うのです。みんなが陽気に暮らす事が出来なければ意味が無いと思うのです。もちろん、お気楽に暮らすと言うのとは違います。なんて言うんでしょう、世間の言葉で言うなら、「家族共通の価値観」と言いますか、子供が大きくなってきたら、きっと親と子の間でいろいろなギャップに苦しむと思いますが、「共通の価値観」があったら、それがお道であったなら、何だか深いところでちゃんとお互いの理解が出来るように思うのです。これは夫婦でも同じです。・・・故にぶつかる事も出てくるんでしょうね。
あぁ、こんなにお道の言葉で自分の事を話せるなんて、嬉しいですね(^^)声に出すとこうまんな気がして、「お道と私」を上手く話せません。この場所を作ってくれた方、話を読んで真剣にレスして頂いた方に感謝感激です。本当に、ありがとうございます!
- [521]らくちん 05/08/11 09:41 kDG2A/1sDo
- 続けてすみません。
今までの文章を読み返して、「人が好く人神が好く」と言う言葉が浮かんできました。それは信頼に置き換えられるのでしょうが、人の中で暮らしている限り、人間性を問われるのは必至で、人に信頼されない人はきっと神様にも・・・と思ったりしました(それでも神様は見放すことなく「八方塞がっても天の道は開けてある」とお聞かせ頂きます。ホントに、ホントに有難いですね。)。
ここに書き込んでから、いろんな神様の言葉が浮かんできて、その度噛み締め、倒れたり迷ったりしていた心を勇ませて頂きました。
信仰は心の力ですね。
- [522]普通の天理教徒 05/08/12 04:59 pn3lXmG3hF
- 理想を求めすぎるあまりに、急ぎすぎないで、お気づきの様に、「人が好けば神も好く」。
ご主人から好かれるという、そんな、得難い幸福を大切にすると、よろしいのではないでしょうか。
親神様は、そういう平凡がお好きではないかと思います。
自分の心の中に幸福感があってこそ、人に対する思いやりも、人の幸福を願う誠も、生き生きとしてくるのではないかと思います。
未完成を楽しめる境地に、至りたいものです。
- [523]つばめ 05/08/12 13:15 8qZWoqVPt2
- こんにちは。
皆様お返事ありがとうございます。
彼とは今は別れています。
私としては、もう少し頑張りたかったのですが・・・・・。
自己弁護するわけではないのですが、私は彼の両親に対して、何回も何回も、歩み寄ろうとしました。でも、私が歩みよっても、結局向こうから遮断されるのです。
例えば・・・私は車を持っているので、駐車場を借りてとめています。彼の身内に紹介してもらって、同じ駐車場にとめていました。ある日、彼の身内が私の車に自分の車をぶつけてしまったんです。もちろん、ぶつけた方は私にきちんと謝ってくれましたし、もし、傷をみてひどいようなら修理にだしてくださいって話もしてくれていました。私も実際、傷をみないとわからないし、彼の身内ということで、遠慮もあるし、彼を間にたてました。実際、私の車は新車というわけでもないし、きちんと謝ってくれていたので、大事にせず、そのまま終らせるつもりでいました。しかし、私がきちんとその傷を確認して、どうするのか判断する前に、彼の両親が何の断りもなく、勝手に傷を隠す為にペイントしてしまったのです。私は、ぶつけられたことには全く怒っていませんでしたが、持ち主である私に何の許可もなく、勝手にさわった彼の両親に対して、怒りました。そして、なぜ、そんなことをしたのか理由を聞いたら、「よかれと思ってやったことを、ありがとうと感謝されても責められる覚えはない・・・」と逆切れされました。更に、「もう塗ってしまったものはしょうがないのに、どうしろというんだ」と開き直りもしていました。私はそんなことよりも、なぜ、本人に許可なく勝手なことをしたのか、「聞こうと思ったけど、勝手にやってしまって悪かったな」と一言言って欲しかっただけなのです・・・・・。しかし、彼の両親からはその後何ら謝罪の言葉はなく、その後もすべて、私が処理をしました。修理にだすつもりもなかったのに、勝手に塗られた傷をみるたびに嫌な思いをするので、結局修理にだしたんです。このことにより、教会という場所に少しずつですが、慣れ始め、足を運んでいた私も、もう二度と行きたくなくなりました。しかし、このことで彼に意見をすると・・・ぶつけたのは俺じゃないから関わりたくないって言われました。私はこのとき、天理教・・・いいえ、宗教をしている人達はみんなこんな考えなのかと、あきれと怒りを覚えました。なぜ、自分たちがやった悪いことにはごめんなさいと謝れないのでしょうか?勝手にぬられても、ありがとうと私が言わなければならなかったのですか???
おそらく、彼の両親は私が天理教信者ではないことが嫌で、彼と私に別れて欲しかったんだと思います。。。
でも、私はそんなことで彼とは別れたくなかったです。本当に彼の事が好きだったから、、、。でも、このことや他にもあったいろいろなことで、私の中で、彼の両親に対して、もうこれ以上歩みよれないという思いもでてきてしまって、彼からすれば、両親を否定する私が嫌になったのでしょう。だから彼との別れはしょうがないと言えばしょうがないことなのですが、どうしても納得ができなかったので、この掲示板に書き込みをしました。
みなさんはどう思いますか???
ちなみに彼は、つきあい始めて、最初に自分の家が天理教であることを告げたとき、私に対して、無理して天理教に入る必要はないって言ったんですよ!俺が私と両親の間に入って、私のことを守るとも・・・ここまで言いきったのに、何ら実行せず、、、最後は私に自分の両親とのみぞをここまで深めてどうするきだと。。。私を責めたんです。
これが天理教なんですか???私天理教も含めて、宗教やってる人間全てが嫌いになりそうです。
- [524]らくちん 05/08/12 14:35 kDG2A/1sDo
- つばめさんへ。
いろんな人いると思うんです。天理教でも自己チューな、常識の無い人は吐いて捨てるほどいます。ただ、つばめさんを守ると言った彼が現実守ってくれなかったのは悲しかったですよね。
車の話は全くもって問題外、こういう人が「天理教」の看板背負って欲しくないなぁと思いました。普通に考えて常識の無い人が布教って出来るんですかね?それこそ都合のいい解釈で、好き勝手にやってる、一番タチ悪いと思います。
天理教にもホントいろんな人いるんです。私は天理教は好きなんですけど、教会の中でたくさんいるいわゆる「先生」と言われる人たちの中に、もう、鳥肌が立つ程嫌いな人がいます。一人や二人じゃありません。同じ天理教で、同じ教会の者同士でも、やっぱりどこまでいっても人間だし、嫌なものは嫌です。イヤらしくて、したたかで、恥知らずで、調子のいい彼等を見ていると、「ウチの教会も終わるか・・・?」と思わずにはいられません。その息子や娘達もやりたい放題、親が教会でちょっと立場があれば、社会でバイトも続かないくせに、偉そうにしています。のらりくらりと過ごし、参拝に来た人に挨拶も出来ないようなのもいます。もう、信者とか言う以前に、人として間違ってます。若い頃はそれでも、「どっかいい所があるはずだ」と希望的観測でいましたが、思えば思うほど、見たくない、聞きたくない事ばかりでした。
そんな私には、前のレスにちょこっと書かせて頂いた、教会の前奥様という方が、お話して下さって、今はかろうじて繋がっています。それがなかったら、二度とお話を聞こうとは思わなかったと思います。
文章を読む限り、つばめさんは本当に彼が好きで、頑張って天理教を理解しようとすごく努力してましたよね。今日び、つばめさんと同じ境遇になったら、こんなに頑張ってくれる人、そういないんじゃないですかね?
彼は後悔すると思いますよ。教会に嫁に行こうという人は、実際、なかなかいませんから・・・。
- [525]らくちん 05/08/12 14:49 kDG2A/1sDo
- またまた続けてすみません(^^;
嫌な先生もいますが、もちろん、涙が出るほどいい先生もいるんです。だから私は繋がっていられます。
つばめさんもそんな先生、もしくは信者の人に巡り会えるといいんですけど・・・。つばめさんの人生に役立つ事が見つかるかも・・・と思います。
- [526]つばめ 05/08/12 14:57 8qZWoqVPt2
- >らくちんさん
早速のお返事ありがとうございます。
らくちんさんのお返事を読んで、こういうちゃんとした考えの人もいるんだなって少しだけ気持ちが楽になりました。
私は今まで宗教とは無縁で生きてきました。だから最初に彼の家(教会)に行った時や彼のはっぴ姿を見たときは正直、ちょっとひいてしまったんです。でも、長くつきあっていくうちに、教会もおつとめ時の太鼓の音も、少しずつ慣れてきたのに、、、その車の一件以来、宗教って言葉を見ただけで、胃が痛くなったりするときもあったんです。実際、いくら親ともめたからって、このままじゃいけないって思って、それを彼に言ったら、無理してそんな胃が痛くなるのなら、もうやめようって・・・つきあうのももちろん結婚もやめようって言われてしまって・・・私は一度でいいから彼に私を守って欲しかっただけなんですけど。つきあってきた間、彼が私の立場になって考えてくれるってことは一度もなかった気がします。本気で愛して、結婚まで考えてた分、こんな結果になってしまって、本当に悔しい思いでいっぱいです。
天理教の教えで八つの誇り?ってありましたよね?(うそとかよくとか・・・)信者ではない私が言うのもなんですが、天理教の信者、しかも次期教会長という立場の彼の家族がうそばっかりついて自分達の事を守ってきたってことは本当に悲しいことですね。そんな方達が信者さんの上にたっていくっていうのはものすごくいけないことだって思います。それを彼にもわかって欲しかったのですが・・・私の力じゃ無理でした。
本当、宗教の問題って難しいって思います。
- [527]どん 05/08/13 08:35 kX5B1d/BNU
- >>523
>みなさんはどう思いますか???
つばめさん、繰り返しになるかもしれませんが、
その教会の人達は天理教の教えとは違うことをしています。
それどころか、人の物(車)に勝手に手を加えるのは、社会通念上もおかしい。
私はつばめさんに反対するつもりは毛頭ありません。
ただ、ちょっと気になった点があります。
>勝手にやってしまって悪かったな」と一言言って欲しかっただけなのです
人が、腹が立つ原因というのは、こうした一言が、事前の断りというか、
謝罪の一言がないから、というのが多いと思います。
献血でたっぷり血を抜かれても、いいことしたなぁ、と幸せな気分になれるのに、
蚊に、たった一滴の血を吸われても、腹が立ったりする訳です。
まことに、私たちは、許可なく何かをされたとき、腹が立ちます。
許可すなわち事前の一言さえあれば許せるというのなら、
その出来事自体は、出来事そのものは、本当は、許せる程度のことだったはずです。
ところが、いいや、許せない!と思ってしまうなら、原因は二つです。
本当は出来事自体が許せないことだったか、あるいは相手を許したくないか、です。
つばめさんはやっぱり、車に下手くそなペイントされたこと自体が許せないのか、
あるいは、ペイントとか以前に、教会の人達を許したくないのでしょう。
どうですか?それとも、謝罪の一言さえあれば、やはり許せるのですか?
謝罪の一言さえあれば許せるんだと、そう本心から思ってらっしゃるなら、
実は、許すかどうかは、かなり、つばめさんの自由です。
いいや、どんの投稿はおかしい、一言謝ってほしいという私の考えは絶対に
間違っていない、と思われるかもしれません。
勿論、間違ってなんかいないし、どう考えても、悪いのは教会の人です。
ただ、ただ、私は、そんなどうしようもない教会の人のことばかり考えるのはやめて、
ご自分の心の中を静かに覗いて、そして気づくことがあれば、
もう幸せに向けて方向転換したほうがいいのではないかなと思いました。
らくちんさんも仰っていますが、嫌な人も、悪いと思える人も、いくらでもいます。
その、嫌な人ばかりに意識を集中して、嫌だ嫌だと思うのも、OKです。
逆に、素敵な人ばかりに意識を集中して、楽しい嬉しい、と思うのも、自由です。
- [528]どん 05/08/13 14:14 kX5B1d/BNU
- >>527
つばめさん、気を悪くされたら、ごめんなさい。
私は、その教会の人達がどんなに間違っているか、とか、
どんなに宗教家として相応しくないか、とかは、正直、
興味がないのです。
私はつばめさんに興味があります。つばめさんの心に、です。
つばめさんが陽気でないなら、また陽気な楽しい幸せな気持ちに
なりたいとお考えなら、私に何か出来ることはないかしら、と
思って投稿した次第です。
失礼な投稿ですみません。
- [529]普通の天理教徒 05/08/13 15:45 sXLNNpQIQg
- どんさん、こんにちは。
ご意見を読ませて頂いて、感じたことがあります。
つばめさんと、彼の両親との間には、喩えると、「嫁姑」という関係での心遣いが、まだ結婚していないのに発生していたように、受け止められます。
彼の両親は彼の両親で、結婚が決まったら娘も同然という思案と、ほんとにお嫁さんになるのかしらと言う気持ちの間を揺れていて、つばめさんはつばめさんで、結婚を前提に天理教の家庭と言うものを理解しようとしなじもうとし、又、批判的にも見ている、そういう不安定な状態の中で、一方は嫁の、もう一方は姑の心の使い方をして、「対立」し、彼は嫁さんの側に立たずお母さんの側に立ったと言う事だと、そう思います。
だから、彼の両親は、自分たちの方針に従わない嫁は、まあ、破談で良いという立場でしょう。
つばめさんの心の中の、未整理の部分は、きっと、その結婚してから後の、人間関係を見せ付けられたことと宗教というからみが、納得できていないと言う事だと思います。
つばめさん、普通に考えれば、結婚してからの生活の中で出てくるものが、いきなり出てきたという、驚きと戸惑いだと思います。
純粋にただの他人と思っていたら、車を勝手にペイントはしません。
教会の嫁だと思っていて、教会の嫁ならば、「たんのうしなさい」を、言葉ではなく、行為で押し付けられたと言う事だと思います。
押し付けた側の人は、教会の嫁なら当然と思っているので、「何で文句言うの」と、そう出てきたわけです。
結婚には、嫁と姑の関係を確認しておかないと、相手が天理教の人でなくても、親離れしていない男性などとの結婚には、似たようなトラブルは付き物だと思います。
早く発覚して、良かったと言うためには、自分のこれからの教訓にして頂きたいと思います。
結婚前に男性の語った甘いせりふは、結婚後には、殆どが逆転します。
- [530]普通の天理教徒 05/08/13 15:49 sXLNNpQIQg
- こんな事を思い出しました。
交際を始めたばかりの女性が、とても良い彼で、「僕は過去は問わないと言ってくれた」と、喜んでいました。
そこで、その意味は、「その男性には問題の過去があると言うことだから、聞きだして、それから判断したら」と助言しました。
その女性にとっては、許す気になれない過去があったとの事で、打ち切りました。
別の女性の話ですが、海にバイクで連れて行ってくれて、「僕は海をみていると何もかも忘れる。」と、とても気が合うので交際を始めようかと思っているとの事でした。
「何を忘れたくなるのかが、問題だね、調べてご覧」と助言しました。
たくさんの借金のある人でした。
交際を止めました。
男の人の、前置きとは、そんなものです。
つばめさんは、彼の但し書きを善意に受け取っておられたのでしょうね。
男の結婚前提で、かたる但し書きは、甘く見ない方が宜しいと思います。
- [531]ビット 05/08/14 00:45 AkvxZqOUui
- 話の流れと違うのに、横入りしてすみません。
井上昭夫おやさと研究所所長の「こうきのひろめ」が教外の出版社から出されます。教外から出すので井上先生もかなり気合を入れた著作のようです。天理教教義に学究的アプローチをされている方は必読だと思います。私も最近知ったのですが、井上昭夫先生はHPを持っているんですね。akio inoueで探すと見つかります。
少数派でしょうが、天理アカデミズムの灯を絶やすな!と叫びたい。
ネット中心に全国の教義・教理研究者の結集をはかってはどうか。結構いるらしいんですよ、これが。
- [532]つばめ 05/08/14 00:46 8qZWoRVZE5
- >どんさん
謝罪の一言で私が許せたのかどうか・・・やはり全く悪気がないと感じるよりも少しでも申し訳なかったという気持ちがうかがえていたなら、私の気持ちがここまで落ちていくことはなかったように思います。その車の一件以前にもいろいろありました。何度となくもう無理だな・・・と考えました。しかし、私は彼と結婚したいならこのままではいけないという思いで、気持ちが沈んでは、もう一度頑張ろうと自分なりに歩みよったつもりでした。なのに、むこうからされたことはそんなことばかりだったので、車の件で私の気持ちが最終的に落ちるところまで落ちたのだと思います。
もしくは、その時に一番心の支えになって欲しかった人(彼)がもう少し頑張っていてくれたなら、こんな思いは抱かなかったでしょう。
正直に言って、私は彼に対して、未だに未練があります。結婚したいという強い思いがあって、自分の田舎を離れ、彼の近くへ行ったのに、こんな結果になってしまって、何でもう少し頑張れなかったのだろうという気持ちやいろいろな気持ちがあって、できることならもう一度やり直したいと思っています。しかし、彼の方は、自分の家の考え(=天理教の教えかどうかはわかりませんが)に従えないならもう無理だ・・・というでしょう。
でも、どうしても納得できない私は、はっきり言って、自分の気持ちをどうしていいのか、今はわかりません。
自分でも、今の私は少し鬱なのかと思い込むほどです。
なぜなら、こんな結果になっても、何も無かったように、私の存在なんてなかったかのように、過ごす彼や彼の家族が本当に憎いと考える時があります。そして何か手がないか、苦しめる方法を考えている自分がいるからです。だからと言って、まだ何かをしたわけではないのですが、こんなこと考える自分も本当に嫌です。
- [533]どん 05/08/14 12:43 kX5B1d/BNU
- >>532
つばめさん、ありがとうございます。
つばめさんは、本当に、彼を愛していらっしゃったのだと思います。
そしてそれと同じくらい、彼に、愛してほしかったのでしょうね。
つばめさんの心は、誰にも否定できません。たとえ神さまでも否定なさらないでしょう。
ただただ、悲しいかな、彼とその家族の心も、誰も支配することはできません。
彼の気持ちが離れてしまったなら、それはそれで、本当に残念ですが、
仕方がないと思います。彼の心は、つばめさんの心と同等に、尊いからです。
んなこたぁわかってる、と言われるかもしれません。
ほなどないせいっちゅうねん、と言われるかもしれません。
もう、今は、今のつばめさんの感情を、そのまま味わうというか、つばめさんご自身が、
今のお気持ちを、抱きしめてあげるしかないと思っています。
無礼を承知で私から進言させていただきたいのは2点です。
ひとつは、善悪にこだわらない、ということです。
善悪にこだわって、悪を退け、善を求めるところ、心は窮屈になります。
実は、本当は、大抵のことは、どっちでもいいのです、と思います。
息子のガールフレンドを食事会に誘わないこと自体は善でも悪でもありません。
そういうのが嫌いな人からすれば、誘われない方が嬉しいでしょう。
ただ、つばめさんは、そんな寂しい、と解釈した、ということです。
絶対的普遍的に、彼の家族が間違っていたという訳ではありません。
時と場合と、相手によって、善だったり悪だったりします。
車にペイントすることも、ごめんなさいね、それ自体は善でも悪でもないと思います。
ちょっと傷隠しに色だけ塗っておこうと思っていた人なら、喜ぶでしょう。
ただ、つばめさんは、それまでに積もり積もった感情もあって、
なんでそんな勝手なことするの、と解釈した、ということです。
世間一般の常識からすれば、つばめさんが善ということになりますし、私もそう
思いますが、これとて、彼の家族が絶対的普遍的に、悪であったとは断定できません。
あくまで、善も悪も、私たちの解釈の中にのみ存在します。
ムカつくことがあったら、悲しいことがあったら、どうか、ご自分の心の中を、
静かに調べてみて、どうしてムカつくのだろう、なぜ悲しいのだろうと、
自問自答してほしいのです。そして、これこれこうすることは悪である、という、
自分の価値観に気づいて頂きたいのです。そしてその価値観が、自分を苦しめて
- [534]どん 05/08/14 12:44 kX5B1d/BNU
- いるなら、その価値観を手放せるなら、是非、手放して下さい。
どっちでもいいや、です。その時こそ、ムカつく原因が取り除かれるのだと
思います。ムカつく原因は、自分の中にある、善悪を断じる価値観です。
もう一点は、嫌なものを減らすより、素敵なものを増やす、ということです。
今つばめさんの心の中は、彼とその家族に対するマイナスの感情、悲しみであったり
恨みであったり、が多くを占めているのではないでしょうか。
人間は、一瞬一瞬においては、ひとつのことしか考えられないと思います。
彼のことを考えている一瞬においては、他のことは考えられないですよね。
だから、嫌な感情に支配されていると気づいたら、恨みの感情に意識が集中して
いると気がついたら、他のことを考える、行動することです。
勿論、マイナスの感情を味わっているのも、OKですよ。悲しい経験があってこそ、
喜びを感じることができるのですから。世の中に女性しかいなかったら、自分が
女性であるとは気づきません。体験できません。女性でないもの、すなわち男性が
いるからこそ、自分は女性であると気づき、また恋も体験できる訳です。
ですから、悲しみを味わうことは、決して、決して、マイナスではありません。
彼とその家族を恨んでいる自分を、どうか許してあげて下さい。
悲しみや恨みの感情を、十分に味わって、もうやめよう、もうこんな気持ち
ばっかりではしんどい、と、思えたとき、別のことを考えて下さい。
できれば身体も動かして、別の人と関わって、意識を別のことに向ければ、
そしてそんな時間が多くなれば、つばめさんの心の中の彼が小さくなって、
あれはあれでしょうがなかったな、と、彼も自分をも、許せるようになると思います。
庭の雑草を一本残らず抜くのは大変です。それなら、素敵な花を、大きな花を
植えませんか、ということです。素敵な花を沢山たくさん植えて、それを楽しめば、
雑草なんて、あってもなくても、どっちでもいいや、となります。
パソコンでいえば、データを跡形もなく抹消するよりも、別のデータで
上書きする方が、てっとり早いんじゃないかな、ということです。
いずれも天理教の話ではありません。自分の失恋なども踏まえて、学び、また
今も毎日学んでいることです。私は臨床心理士でもカウンセラーでもないので、
無責任な投稿の域を出ませんが、私なりに真剣に投稿しました。が、
どう解釈し、行動するかは、全く、完全に、つばめさんの自由です。
もう一度彼に連絡して、やり直したいと伝えるのもアリです(^_^)
- [535]普通の天理教徒 05/08/14 19:24 XsiNgWhFEW
- 横から、すみません。
どんさんに同感です。
彼を、引っ張り出すという事、考えられたらどうでしょうか。
彼の心の呪縛を解凍してあげて欲しいと思います。
普通の暮らしを通って、本当の天理教が理解されて、彼の良さも生きると思いますし。
- [536]普通の天理教徒 05/08/14 19:32 XsiNgWhFEW
- これは、どこの本の何ページに乗っていると書けないのですが、天理教祖の教えとして、「生木は裂けない」という意味の教えがあると思います。
血と血がつながっているように、心と心がつながっている場合には、無理やり裂けば、心の傷になります。
それが、今の心の悶々とした状態の原因と思います。
彼もまた、愛しているのです。
それが、天理教という理由で、後継者という理由で、生木を裂く事の愚かさは、胸の痛みに刻まれます。
それよりも、愛のままに、生きる道、選ばれたらどうでしょう。
駆け落ちでも、応援します。
- [537]どん 05/08/14 22:57 kX5B1d/BNU
- >>536
普通の天理教徒さん、ありがとうございます。
>愛のままに、生きる道
つばめさん、どんな道であろうと、どんな選択であろうと、
それを通ってこそ、経験してこそ、味わえる妙味があると信じます。
たとえそれが、万一にも遠回りでも、
それはそれで、否、それこそ、人間らしくていいじゃないですか。
- [538]YUKI 05/08/15 01:44 kUXIdZ4cT1
- ふしからめがでる
がんぜないこどものいうこと
おやがみはおこらん
- [539]らくちん 05/08/15 08:30 kDG2A/1sDo
- つばめさんへ。
やはり、宗教というのは、自分の根底の価値観を変えられてしまう事から、みなさんビビるんだと思います。今までの自分の「努力」というものを、ポンとやられて神様に置き換えられてしまう恐怖ってあると思うんです。いわゆる「洗脳」されちゃうみたいな。
信仰している人たちは特別な人ではないし、まあ、一部勘違いと身の程知らずの人達が息がっている事もありますが、私ももれなく、大抵の人は「信仰があるから人並みにやっていける」んだと思うんです。きっと、信仰がなかったら、手から離れた風船みたいに、割れるまで空をさまようような人生なんだと思います。
かといって信仰はミジメなモノでも、卑屈なモノでもありません。心の向きをちょっと変えたら、今まで見えなかったモノが見えてきます。目で見える訳じゃないんですけど・・・。何ていうか、イヤな奴がかわいく見えたり、だるい仕事が楽しくなったり、客観的な自分が、良かったりそうでなかったり・・・。これ、始まると結構面白いんですよ(^^)
きっとつばめさんは聞いた事があるかと思いますが、こころひとつがわがの理とお聞かせ頂きます。こころは、神様が「自由に使っていいよ」と人にゆだねて下さったただひとつのものです。だから、自由でいいんです。彼の家族が許せなくてもいいんです。私も主人の家族は未だ許していません。でも、主人はとっても愛しちゃってるんです(笑)。こんな状況は天理教的にはかなりの矛盾です。親を立てられない子供は身が立たないと充分分かっています。でも、にんげんだもの。いろいろあっていいんじゃないかって。主人の家族と仲良くなりたいと言う気持ちはあるんです。それが一番だって思ってます。・・・私も、姑が一言「あの時は済まなかった」と言ってくれたら、ぜ〜んぶ水に流すのに〜って思ってます(^^;
私は主人と、やっぱり縁があったんでしょうね。結婚しましたが、結婚後もそれはもう、大変でしたよ〜。ココではちょっと控えますが(書き出すと止まらないので・・・。)最初つまずいてしまうと、後々引きずりますよね。やった方より、やられた方が鮮烈に覚えていて、やった方は大抵忘れてたりしますけど・・・(それもむかつくんですけど・・・。)。
きっとね、つばめさんにはもっともっとイイ方が後にスタンバってるんだと思うんです。彼とのこと、決して無駄ではありません。彼はつばめさんと本当に「赤い糸」で結ばれているまだ見ぬ王子サマに会う為のステップなのかも知れません。彼がいたから、いろんなこころの使い方を知ったし、人に合わせる努力を経験しました。
まだお若いと推察されますが、たくさんのこころの経験をして、すばらしい女性、そして絶対に幸せになる!と、イキイキと、ピカピカとして下さい。神様も、陽気に暮らす人間が見たくてお造り下さったんですから・・・!
- [540]万年初級 05/08/15 09:31 *Z8KxeosQTcS*Ad.B3CoyeT
- 深く情や心に関わるお話し合いに、いきなりまったく逆の、理詰めの話題で割り込むことになり、申し訳ありません。
以下の内容は、>>441においてAKIRA∞さんが私にお尋ねになった問いに対する、私からの返答です。どうしても硬い内容にならざるをえませんが、宗教に関心のある方でしたら、私の見解はともかく、テーマ自体には興味をお感じになられると思います。私としてはAKIRA∞さん以外の方にもご理解いただけるよう、予備知識もできるだけ仮定せず、書いたつもりです。よろしければご感想などいただければ嬉しいです。また、分散して投稿すると、理解が困難になると思われるため、いつものように一挙の連続投稿となりますが、ごめんなさい。
AKIRA∞さんへ。長い間(いつのまにかびっくりするくらい進んでいますね)、お待たせしてすみません。
以下において,あなたが>>441において私にお尋ねになった問いのうち,次の問いに絞って,私なりの考えを述べさせていただきます.
宗教(信仰),あるいは神を信じることは,「信じる」ということが疑うということを排除し,したがって自由で主体的な思考を奪うが故に,本質的にカルト化への危険性を含むのではないか?
>>441で述べられた他の問いに関しては、この問いの派生問題みたいなものと考えられますので、ここではあえてお答えしないことにしておきます。
提示の仕方についてはいろいろ悩みましたが、とりあえずは、かなり限定的な形の解答となります。
基本となる二つのタイプの真理についての説明はほんのさわりの部分にとどまらざるをえず、これは私としても残念なことではあるのです(もっと先までいけば面白く思っていただけるのではという気がしますので)。
しかし、十分な説明となるとさらにずっと長くなりますし、さしあたり私の解答の方向はご理解いただける気もしますので、それなら長々と読んでいただく必要もないと思い、このような形となりました。ご了承願います(必要であれば改めて続編の投稿も考えさせていただきます)。
さて、この問いにお答えするためには,宗教的真理とはどういうものなのか,ということについての私なりの見解を前もって説明する必要がどうしてもあると思います.
「真理」とか「事実」と呼ばれるものの分類も、いく通りもの仕方があるでしょうが、ここでは目的に合わせて、私なりに次の二つに大別する分類方法を採用します.
- [541]万年初級 05/08/15 09:32 *RmiYP14ex07*Ad.B3CoyeT
- @ 語られる事実(真理)=語ることのできる事実(真理)
A 示される(べき)事実(真理)=語ることのできない事実(真理)
このような分類の仕方は間違いなく馴染みがないと思いますので、以下に簡単な説明をします。
まず、以下の説明においてキーワードとなる「語る」「示す」という言葉の若干特殊な使用・意味をご理解いただきたいと思います。
なお、「描写する」「述べる」といった表現も、「語る」の同類語として扱います。
@ 語られる事実(真理)=語ることのできる事実(真理)
これは要するに、科学的真理をはじめとする学問的真理のような、客観的、一般的に対象(事物)を捉えることにおいて成り立つ事実、真理全般のことです。
その中には、物理学のようにきわめて高度な一般性を有するものもあれば(一般法則の存在)、それほど高い一般性は有していないものの、普通の意味で一般的・客観的に扱うことのできるもの、例えば学問的には歴史などの社会科学・人文科学なども含み、また、政治的問題、経済的問題、環境問題なども、この語ることのできる事実に関する問題とみなします。
ただ、注意点として、ふつう主観的事実と考えられるようなものでも、対象を一般的に捉えている限り、この語ることのできる事実のほうに分類します。
たとえば、
(1) 今日の最高気温は37度だった。
(2) 今日はものすごく暑かった。
という二つの文を考えます。
明らかに(1)は客観的な描写であり、(2)は主観的描写だと言えるでしょう。
ですから(2)の表現している事実は主観的事実と言うべきですが、今日という日を、ものすごく暑い日の一日として、つまり、共通する性質を持つ数多くの対象のうちの一つとして捉えているという意味で、一般性において捉えているから、これも語ることのできる事実である、とみなす、ということです。
- [542]万年初級 05/08/15 09:33 *uLEJkCq7iuc*Ad.B3CoyeT
- A 示される(べき)事実(真理)=語ることのできない事実(真理)
こちらはさまざまな芸術的真理(文学、絵画、音楽,etc.芸術的価値、美)や道徳的真理(善)、生の意味、宗教的真理(宗教的価値・意味、聖など)など、通常(絶対的)価値とみなされるものを含みます。
まず簡単に言えば、こういったものは客観的に記述・定義すること、すなわち語ることができません。
美そのもの、善そのもの、など、それ自体の絵を描くことも、科学的に描写することもできません。
したがって明らかに、主観的事実・真理の一種です。
大雑把に言えば、それらは一般に(例外あり)対象を語る表現において示されるものです。
たとえば画家は、美そのものを描くのではなく、たとえばりんごを描くことにおいて、その美を示す、ということができるでしょう。
仮に私がセザンヌと並んで同じ果物の絵を描いたとし、したがって描写した対象(語った内容)は同じであるとしても、セザンヌの描いた絵が芸術的価値を有するのに対して、私のものは価値を有さないでしょう。
それはセザンヌの絵が示しえているものを、私の絵はまったく示しえていないから、ということができるでしょう。
また、たとえば詩が外国語に翻訳されるとき、その芸術的価値が失われてしまう、と言われるような場合も、オリジナルとその翻訳が語っている内容自体は同じであったとしても、オリジナルがその語ることにおいて示しているもの―それこそが当の詩を芸術作品たらしめているもの―を、翻訳がまったく示しえていない、というふうに解釈することができるでしょう。
あるいは、教祖の生涯を複数の伝記作家が描くとして、語られる客観的内容(伝記的事実)が同じであっても、書き手の信仰者としての深浅(宗教的理解)の度合い、また芸術家としての深浅の度合いに応じて、作品において示される宗教的意味・価値の度合いも異なってくるでしょう。
また、音楽(ここでは歌詞をもたないクラシック音楽(特に絶対音楽)を念頭におきます)は、何も語ることなく、示す表現とみなしうる点で、もっとも純度の高い示す表現である、といえるかもしれません。
さて、ここまでの説明で私が「語る」「示す」という言葉に含めた意味合いは、なんとなくご理解いただけたものとします。
ごく図式的にいうと、「表現」というものを、その仕方(方法)・機能の違いによって、「語る」と「示す」に区別したということです。
- [543]万年初級 05/08/15 09:35 *Z8KxeosQTcS*Ad.B3CoyeT
- ところで私は>>414において、あなたに対して、次のように述べました。
>あなたにとっては、ずいぶん頼りのないことに思えるかもしれません。
>仮に入信したとしても、この生きていく道に現れるどんな問題にも一発解答してくれる、それに従ってさえいれば大丈夫、というような人間、解法マニュアル、解の一般的アルゴリズム(公式)は存在しないからです。
>しかし、まさに、その手引きを、教祖様が教えとして、ひながたとして我々にお示しくださっているのです。
>私たちはその教えを学び、みずから思案し、導きの糸として自分なりに歩いていかねばならない、私はそう考えています。
補足しますと、ここで私は、教祖がお説き下された教え=宗教的真理はまさに「示される(主観的)真理」であり、科学的(客観的)真理のような「語りうる真理」ではないので、答えを与える解の公式・一般的手順のようなものは存在しない、と言っているわけです(つまり、宗教的真理や芸術的真理のような「示される(主観的)真理」には、それに至る一般的手続きは存在しないということ、また、だからこそみずから解釈・思案する必要があること)。
ここまで書けば、ある程度私の答えはおわかりいただけるだろうと思います。
信じる対象が、あくまで「示される真理」としての宗教的真理であるなら、主体性放棄にも、したがってカルト化へも結びつかないと私は思います。
しかし、それが誤解され、宗教的真理が「語りうる真理」として受け取られた場合(例えば、破壊的カルト・マニュアル)、それは既に擬似(偽物)宗教的真理にすぎませんが、それを信じることは主体性放棄・カルト化へとつながる可能性が高いでしょう。
したがって、この本来の意味では、宗教的真理を信じることは主体性放棄・カルト化への危険性を含んでいない、と私は考えます。
覚えておられるかもしれませんが、実はAKIRA∞さんがこの問いを発せられる前に、私は>>412において次のように述べていました。
- [544]万年初級 05/08/15 09:36 *Z8KxeosQTcS*Ad.B3CoyeT
- >宗教否定論者なら、私の述べた理想を求める心性がまさに神を求める心性自体であると診断し、したがって宗教(神)を求める心、それ自体がカルトを生むのだ、と主張するかもしれません。
>むろん私はそれに同意しませんが、ここではその議論は措きます.
この想定した宗教否定論者の批判に対しても、議論としては不十分ではありますが、私は以上によって一応答え―同意しない根拠―を与えたつもりです。
要するに、ここにある「理想」とは「語られる真理」の体現者としてのカリスマ(=マニュアルを与える者=語る者)であり、それを求める心性と、「示される真理」である宗教的真理(語りえぬものとしての神)を求める心性とは、まったく異なる心性である、ということです。
宗教的真理は「語りえぬ真理」である、ということ、そして信仰とは「示される真理」である宗教的真理、「語りえぬものとしての神」を信じることであり、けして「語られる真理」を信じることではない、ということが本質的に重要なことなのです。
しかし、別の視点でいいますと、宗教的真理は確かに「示される真理」としてではなく、なんらかの「語りうる真理」や、別の種類のものとして誤解されやすいとも言えます(一種の偶像崇拝)。
同様な誤解は、「示される真理」、という意味で、宗教と同種の真理・価値を有する、芸術においても見られます。
つまり、「示される(主観的)真理」は、「語られる真理」に比べ、ある意味ではあいまい(マニュアル化・公式化不可能)なので、誤解されやすいと言えるでしょう。
その観点から言うと、確かに宗教は主体性放棄・カルト化へつながりやすい、とも言えると思います。
ただ、私個人としては表現上、先に述べた理由によって、「本質的に」とは言えない、あるいは言うべきではないと思いますが。
- [545]普通の天理教徒 05/08/15 11:03 ffTw6Lfoqx
- 万年初級さんの、語られている事に、それを天理教について語るという点においてですが、「りやく」という視点が曖昧であると感じられました。
「守護」と言う言葉もありますが、それよりは、もっと直裁的な意味を有する「りやく」というものを、親神様は、「見えてくるりやくが神の姿や」と、お示しになっておられます。
「利益(りやく)」とは、願う者にとっては、明確なものであるのが普通です。
雨が欲しいから、雨乞い。
安産が望みだから、おびや。
病気の平癒を祈願する、病助け。
これらを、「見えてくる利益が神の姿」と諭された事、その視点から見つめたら、もっと普通の天理教が見えてくるのではないでしょうか。
「りんご」を芸術家が描くのと、一般人が描くのでは違う。
真理と言っても、それは、語るものによってまるで意味は異なる。
この事は、それに、相違ないと思います。
しかし、りんごが欲しいと願って、神様のご利益としてのりんごは、精神的なりんごでも、芸術的なりんごでもなく、普通のりんご。
そして、その普通のりんごを食する事が、願って叶うとしたら、それこそが、神の姿だと、親神様は教えて下さっていると思いますが、どうでしょうか。
つばめさん。
らくちんさんは、彼の事を思い出にしてとのお立場での助言。
私は、彼と駆け落ちしたらと助言。
本当の、自分の心の仲での願いを、一筋に生きる事が、一番だと思います。
神様にねがう、願わないではなく、・・ですが。
でも、普通の天理教徒は、そんな時、親神様にお願いしてしまうのです。
願いが叶いますようにと。
- [546]らくちん 05/08/15 19:57 qJN0aUMWc5
- ・・・私はどうも、上手く行かないと思うと、「早く気持ちを切り替えて仕切りなおそう!」という事の繰り返し人生だったので(結婚前は。結婚したらもう、戻れませんけども・・・。)貴重な体験をしたけども、悲しい寂しい気持ちが消えない辛さは、もう、耐えがたく、もちろんその場その場で一生懸命やらせて頂くんですが、それでもダメな時はもう、縁が薄いのかな・・・?と考えてしまいます。
つばめさんは、とても辛く、寂しい気持ちでいらっしゃるかもと思うと、つい感情移入してしまい「私だったら・・・。」と置き換えて書いてみました。
もちろん、つばめさんの人生はつばめさんが切り開くものです。そうでなければいけません。一度の人生ですから、ぜひぜひ、幸せに向かって頑張って下さい(^^)よい話が聞ける日を楽しみにしています!
- [547]通りすがり 05/08/15 20:38 QbPHw7Vplu
- つばめさんへ
彼の両親たちの行動と「天理教」(宗教)は分けて考えるべきです。
「人間性が劣っている」のは宗教のせいではありません。
むしろ、「人間性に問題があるから」、宗教団体に入って
改善する必要があるのです。
あなたの文面からみて、宗教は、今回のことと全く関係ありません。
それは間違えないようにしてください。
問題をすりかえることになります。
さて、肝心のあなたの恋愛問題ですが、文面で見る限り、
「やめといたほうがいいようにおもいます」
彼は愛に乏しい人のように思えます。
でも、あなたがまだ未練があるというのなら・・・
未練自体は「本当の愛」ではありません。 欲望です。
欲望なので、それが満たされないと、落胆し、さらには
容易に憎しみ・怒り・恨みに変わります。
つまり、あなたの愛も「欲望に近い愛」ということです。
ですから、憎しみ・怒りがあることで自分を責める必要はありません。
普通に言う「愛」とはそういうものなのです。
釈迦は「本当の愛」を俗に言う愛と明確に区別するために「慈悲」と呼びました。
そして釈迦はまた、こういっています、
「強欲・怒り・無知が苦しみのもとである」と・・・・・。
すくなくとも「いい勉強」になったことだけは確かですね。
- [548]ファッション 05/08/16 05:40 n/bxbfIk3q
- つばめさんへ
はじめてここに書き込みます。色々思入れがあり「天理教」で検索をしここにたどり着きました。読んでいて驚いたのが、つばめさんの経験私と全く同じだったからです。私にも一年半付き合った彼氏が居ました。今は別かれていますが。その彼が天理教の息子だったからです。後継者は後継者でも分教会程大きくはなく家に講元があり、月に一度家に帰ってきて祭りをしています。(彼は教会に入りこんでいて。当時遠距離状態でした)私の場合はつばめさんは両親でしたが
私の場合は兄弟でした。妹達とうまくいかず。その理由は私が彼が好きすぎて泣いてしまったり、彼を支えようと思っても遠距離(デートもできない)なので寂しくてないたり(教会や家の行事ではそんな姿みせず真面目にやってました)そうゆう姿を見て「そんなんじゃ天理教の嫁やっていけないんじゃない」といわれたり「信仰心がなかったら無理」など一生懸命お手伝いや教会に足を運んでも言われたりするとどんだけこっちが頑張っても、無理なんだなと思いました。彼は彼で付き合ったときはつばめさんの彼のようになんとでも言っていたのですが、結局は私のほうから歩み寄れ、どうして言われたままであきらめてもっと頑張ろうとしないのかなどそうゆう姿勢にかわってきたのです。私が思うに、宗教は信仰ではなく洗脳だと思います。毎日みんなと同じこと、みんなと同じ考え、それを繰り返すと誰でも個性などなくなってしまうのではと感じました。
天理教でも色々あると思います。実際教会の行事に参加したり教会の子供達とかと仲良くなったりしてたので、いいこ・悪い子 世間と同じでさまざまですが、やはり、無宗教の私からの意見ですと「得体も知れない人=中山みき」を“生みの親より理の親”などと自分を生んでくれた母父よりも大事だと中山みき様と慕っているのがよくわかりません。※実際親がゆうから意味も分からず信仰している風に過ごしている子供達も多々知っています。(自分ところがただの信者だから20歳になれば1人暮らしして天理教から離れるなどと自由な意見もさまざま)教会に足を運んでわかることがいっぱいです。色々思いましたが天理教は世間では生きていけない・仕事していけない・生活して行けない人たちの集まりでもあります。みんなで助け合って生きていく姿勢はすごくいいと思いますが自分がかわらなければ誰も変われないし宗教に入ったからといって実際変われてないのを見ています。性格悪い人もいるし、性格いいなと思ってた人が何かの拍子に豹変したりと多々怖いなって思う部分があります。実際自分の今までの周りの友達の中にはいないタイプばかりです。わたしは無宗教ですが
宗教自体無知でしたが今回こうゆう経験していい勉強になりました。これから宗教は批判したりしないけれどかかわりたくないと心に誓いました。つばめさん未練って気持ちすごくわかりますよ
わたしもありましたから。あの人が普通の人だったらなとかすっごく考えます。その人と別れてからまだ日が経ってないですが次いい恋愛しようと前向きに考えてます。もしよかったらお話でもしたいのでメール送ってください。nadeshico_yamato@infoseek.jp
- [549]ファッション 05/08/16 05:50 n/bxbfIk3q
- 通りすがりさんへ
彼の両親たちの行動と「天理教」(宗教)は分けて考えるべきです。
「人間性が劣っている」のは宗教のせいではありません。
むしろ、「人間性に問題があるから」、宗教団体に入って
改善する必要があるのです。
あなたの文面からみて、宗教は、今回のことと全く関係ありません。
それは間違えないようにしてください。
問題をすりかえることになります。
・・・とおっしゃっている事に意見させていただきたいのです。
私が思うのは、天理教はそうゆう人間的に問題のある人たちを更生する場所、そうゆう教えを学ぶ場所なんです。(元彼がそういっていました、彼も自分自身を成人させたいと)なのにつばめさんの相手の両親はただの信者ではありません。人に信仰心を教えたい(布教)身なのに自分の息子の彼女には冷たく、信者さんなどには優しくといったようではただの外面がいいとゆうことになります。何の為に信仰しているのか全く理にかなっていません。
天理教は、陽気暮らし・一れつきょうだいたすけあい・ボランティア活動などと
そうゆういいことをする団体とゆうイメージがある無知の私には
実際天理教を信仰している人たちがこうゆう人なのはなぜ?と
疑問や不満が出るのは当たり前かと思います。
ましてやつばめさんの相手の親は
文面うっすらしか覚えてないので間違っていたらごめんなさい
※「いいことをしているのに感謝されるのはまだしも責められる覚えはない」みたいな言い方をしていらしたので
私はこのスレをみて『は?』とあきれてしまいました。
私とつばめさんに共通するものがあったのでつばめさんの気持ちがすごくヒシヒシと伝わってきました。
通りすがりさん横から割り込んでしまい申し訳ありませんでした。
一、意見として書かせていただきました。ありがとうございます。
- [550]通りすがり 05/08/16 08:25 QbPHw7Vplu
- >>549
ファッション さんへ
>私が思うのは、天理教はそうゆう人間的に問題のある人たちを更生する場所、
>そうゆう教えを学ぶ場所なんです。
私もそう言っています^^。
(むしろ、「人間性に問題があるから」、宗教団体に入って)
(改善する必要があるのです。)
>なのにつばめさんの相手の両親はただの信者ではありません。
ここが問題です。
宗教団体において役職があろうとなかろうとそれはあまり関係ないのです。
それはどこの宗教団体でも同じでしょう。
ときには上にいくほど腐っているなんてこともあります。
本当に学びを自分のものとしてしまったら団体に所属している必要はないのです。
信仰の必要はなくなるのです。
団体にいて信仰していること自体がまだまだ未熟をいみしているのです。
>実際天理教を信仰している人たちがこうゆう人なのはなぜ?
私は天理教についてはなにもしりませんが、
一人を見て、すべての人がそうであるかのように思うことは
たいへん狭いものの見方だとおもいます。
私がいいたいのは、
この問題は「彼や彼の両親の人間性」の問題であり、
天理教に責任を転嫁するのは筋違いだということです。
天理教の教えを自分のものにできていない「彼ら」の問題であって
天理教の問題ではないといいたいのです。
これは天理教だけの問題ではありません。
学んでいる最中の人が、マスターしているとは限らないといっているのです。
そうやって、問題をすりかえてはいけませんといっているのです。
要は、彼女と彼の一家との人間関係の問題なのです。
疑問や不満を天理教にむけてしまうのは、
彼や彼の家族と正面から向き合うことができないからなのです。
- [551]らくちん 05/08/16 08:25 qJN0aUMWc5
- 不平、不満ごもっともです。
私が思うに、信仰って自分の中にあればいいものであって、自分の主義、主張として用いるのは違うと思うんですよ。
誰でも自分を理解して欲しいと言う気持ちはあります。元彼の妹さんの言動は単に家族を他人に取られたくないブラコンだと思います。信仰していなくったって、兄弟思いが講じて同じ様な状況ってあると思うんですよ。
天理教や宗教が憎くて、不信感のみで見てしまう。この人は天理教だから・・・!と。「この人」は一個人であって、「天理教」の代名詞ではないとも思うんです。警察官だって暴行する昨今です。一個人が自分に付いている名札に重きを置けない時代です。民生委員が殺人するんですよ?人なんかそうそう信じられないし、理解の域を越えてるなって思います。
一度、嫌な所見ちゃったり体験しちゃうと、外野が何言っても納得出来ないことは私自身で経験済みです(笑)。万人に受け入れられる人など居ません。宗教の様に片寄った考え方はなおさらです。ただ、私個人の思いをぶっちゃけさせて頂くなら、自分を見て天理教を知る人がいる、と言う緊張感を、「私は天理教やってます」と言った人には一生持ち続けて欲しいと思います。人や時間で、今は天理教の人、さっきは普通の人、と変わってしまうのってなんなんだ??と。
長い事天理教聞いてますが、前にも書いたように未だに大嫌いな教会の先生もたくさん居ます。でも、世界的な某有名宗教徒だって、その信念を貫く為に戦争して人を殺します。どの神様や仏様でも、「人を殺して良い」なんて言ってないのに・・・。教え自体はどの宗教もスバラシイと思うんですよ。ただ、それに繋がる人達が全てスバラシイとは限らない。人って、「いろいろだから面白い」の反面、「いろいろだから困る」って思います。でも、「いろいろじゃなきゃ困る」とも思います。自分と全く同じ趣味、思考、性格の人がいたらどうですか?最初は心地よいかも知れませんが、付き合ううちに同じ過ぎて気持ち悪くなります。だから、「みんな違う」って言うのは大事なことなんです。「みんな違う」と言う大前提で宗教に関わらず、いろんなモノを見た方が、自分が受けるショックも小さいし・・・(^^;・・・小心者です。
宗教で人の道外れる人も居ますけど、命助かっている人もいます。
- [552]万年初級 05/08/16 08:59 *RmiYP14ex07*Ad.B3CoyeT
- 熱の入ったお話し合いに、再び水を差すようでまことに申し訳ありません。うっとおしい方、どうぞとばしてください。
>>545
普通の天理教徒さん、さっそくのご意見ありがとうございます。
みなさんおわかりだと思いますが、私の場合、教理に密着した形ではなく、理屈の上から一般的に論じようとするため、天理教の解釈となった場合、机上の空論に堕してしまう危険性を常に多分にもっています。
ですから、冗談抜きで私より百倍以上ご教理を研究しておられるあなたに(威張って言えることではありませんが(笑)、これは事実だと確信してます)、ご意見をいただくことは、トリップさんにご批判いただく場合とはまた違った意味で、非常に私にとっては喜びです。
あなたのHPも何度か覗かせていただいているのですが、残念ながら、正直言って私には難しくて(笑)、ほとんど理解できないんです。
でもこの掲示板でお書きになられている文章は、私にも理解しやすく、こんな形で意見をいただければ、私としては非常に助かります。
これからもぜひ、よろしくお願いします。
さて、ご指摘のあいまいさですが、最初に言い訳させていただくと、どうしてもあれ以上長くできないと思って(笑)、明らかに説明が不十分なんです。
そのために、どうもご理解いただけていないような気がするのです。
ご指摘の点は重要な点であると思いますので、お与えいただいたチャンスを生かすべく、なるべくあなたのレスに沿った形で、補足説明をさせていただきたいと思います。
>「利益(りやく)」とは、願う者にとっては、明確なものであるのが普通です。
>雨が欲しいから、雨乞い。
>安産が望みだから、おびや。
>病気の平癒を祈願する、病助け。
この普通の天理教徒さんのお言葉を受け、さらに言い直せば、明確な「利益(りやく)」とは、
雨乞いしたら雨が降った。
おびや許しをいただいたら安産だった。
おさづけを取り次いだら病気が治った。
という事実である、ということになるでしょう。つまり、さらに直接的に表現しますと、
雨乞いしたら、そのご利益によって雨が降った。
おびや許しをいただいたら、そのご利益によって安産だった。
おさづけを取り次いだら、そのご利益によって病気が治った。
ということになるでしょう。
- [553]万年初級 05/08/16 09:00 *RmiYP14ex07*Ad.B3CoyeT
- 私の見解は、天理教という信仰の上から表現されたこの「利益」という事実は、あくまで宗教的観点から捉えられた事実であって、たとえば科学的観点から捉えられた事実ではない、ということです。
これらの文章の「そのご利益によって」という語を「たまたま」に置き換えたものを考えてみます。
雨乞いしたら、たまたま雨が降った。
おびや許しをいただいたら、たまたま安産だった。
おさづけを取り次いだら、たまたま病気が治った。
仮にこの「たまたま」という表現を用いた文(以後「たまたま文」と呼びます)を無神論者の文としましょう。
無神論者の表現した「たまたま文」を、信仰者が「ご利益」を用いた前の形の文(「ご利益文」と呼びます)に表現したとして、
「たまたま文」 ⇒ 「ご利益文」
に変えたことによって、表現されている内容の何がかわったでしょう?たとえば、
「雨乞いしたら、たまたま雨が降った。」 ⇒ 「雨乞いしたら、そのご利益によって雨が降った。」
と表現を換えることによって、内容にどんな違いが生じたでしょう?
客観的事実内容=語られた内容(“雨乞いした”という事実、その後、“雨が降った”という事実)は明らかに同じです。
その違いは、「その利益によって」と表現する書き手が、雨乞いと降雨、おびや許しと安産、おさづけと病気の治癒、の間に、神の働きという必然性を見ている、ということを示しているということです。
逆に、「たまたま」と表現する書き手は、そこに何の必然的つながりも見ていない、ということを示しています(むろん、それだけを表現しているのではありません)。これをたとえば、
薬をのんだら、その効能によって病気が治った。
という表現における「その効能によって」と比べてみましょう。
「その効能によって」は、薬と病気の治癒との間に、薬学的・医学的データに裏付けられる物理的・生理学的因果関係=因果的必然性があることを表しています。
つまり、この場合、病気が治ったことが薬を飲んだことの効用である、という事実は、科学的事実=語りうる事実といえるわけです。
この科学的事実というのは、誰もが同じ事実を認識可能とする、客観的基準にもとづいた一定の手続き(臨床試験etc.)が必ず必要とされるわけです。
したがって、薬の成分と病気の治癒に関する因果関係、その薬理的効能は、原理的に万人が検証可能なのです。
それに対して、おさづけと病気の治癒の間には、「利益」という事実を誰もが検証・認識することのできる客観的・一般的手続きは存在しません。
その意味で、先の「その利益によって」という表現は、「その効能によって」という表現と同じような客観的事実=語りうる事実としての意味・内容をもっていない、と言えるわけです(その限りの意味で「利益」は明確ではないのです。だからこそ、「薬の効能」によって治ったという事実すら、「ご利益」とみなしうるのです)。
- [554]万年初級 05/08/16 09:01 *RmiYP14ex07*Ad.B3CoyeT
- ですから、次の文は、表面(文法)上、「薬をのんだら、その効能によって病気が治った。」という文と、同じような種類の事実を語っているように見えますが、そうではない、という言うべきなのです。
御供(のお米)をいただいたら、その利益によって病気が治った。
この違いは大雑把に、科学的真理の客観性と宗教的真理の主観性との対比において、言えることです。
つまり、一般に、客観性の度合いが大きいほど、その事実にいたるマニュアル、基準が明確にあり、逆に主観性の度合いが高まるほど、そのような一般的手続きは不明確化するか、あるいは、存在しないようになるわけです。
たとえばベートーベンの第九をフルトヴェングラー(二十世紀を代表する大指揮者)の指揮ベルリン・フィルの演奏で聴けたとしても、音楽的価値(利益)を理解しない人にとっては、場合によっては騒音です。
ベートーベンの音楽が素晴らしいという事実、その音楽が有している価値を認識する(利益を得る)ための一般的手続き(誰でもこのように聴けば絶対感動する=音楽の利益を受ける方法)は存在しません(演奏についても同じことがいえます)。
その意味で、その限りであいまいです。
しかし、ベートーベンの音楽を理解できるものにとっては、その価値(利益)はいわば「絶対(永遠・普遍)」です。
それは音楽的経験という、主観的経験における絶対的事実です。
その意味においては、まったくあいまいではありません。
宗教的真理についても同様なことがいえます。
宗教的事実にいたる客観的・一般的手続きマニュアルが存在しないと言う意味においては、あいまいです。
しかし、芸術の価値と同様、その宗教的(主観的)経験において、その意味・価値(利益)は絶対的なるものとして経験されるのです。
その意味で、なんらあいまいなものではないのです。
>りんごが欲しいと願って、神様のご利益としてのりんごは、精神的なりんごでも、芸術的なりんごでもなく、普通のりんご。
>そして、その普通のりんごを食する事が、願って叶うとしたら、それこそが、神の姿だ
宗教的観点から捉える限り、おっしゃる通りといっても良いでしょう。
しかし、宗教的観点から捉えないとしたら、たとえば無神論者のある人ならこう言うかもしれません。
「りんごを食することができたのは、神によるのでもなんでもなく、私がお金を払ったからだ」と。
つまり、「見えてくるりやくが神の姿や」というのはあくまで宗教的真理であり、宗教的に捉えられない人にとって、「利益は見えない」のではないでしょうか。
ですから、私の言おうとしていることは、このような意味で、神様のご利益としてのりんごは、まさに宗教的に捉えられたりんごであり、たんに、経済的対象(代価としてお金を支払った権利として得られる対象)として捉えられたりんごではない、ということなのです。
実を言うと、普通の天理教徒さんの使われる「曖昧」「明確」という語の意味が、正確にどのようなことなのか、私にはそれこそ「明確」ではないのですが(笑)、だいたい以上のようなことを述べれば、説明としてカバーできるのではないかと思い、書かせていただきました。
まだまだ不十分ではあると思いますが、以上の補足によって、私の意図したことがご理解いただければいいのですが。
- [555]ファッション 05/08/16 09:13 GoRGEoUS
- 通りすがりさんへ
文章を読み、同感でございます。
しかしひとつ気になることが。。
「一人を見て、すべての人がそうであるかのように思うことは
たいへん狭いものの見方だとおもいます。」
わたしは一年半に渡り天理教に出入りし
彼の家に来る信者さん、役職のついている
上階の方達とも面識があり
教会に来る、老若男女問わず
色んな天理教の人たちと関わりました。
つばきさんが経験されたような方達ももちろん居ました。
普通の人も、そうでない人も。
私も天理教の人とお付き合いをした経験上
たしかに天理教がどうのこうのよりも
そもそも付き合った相手の家族・環境(育ち)・性格
それが後々あらわになって自分自身傷ついただけのこと
そういわれると何も言葉がでません。
人間性の問題、そもそもこれも天理教の名をあげる前から
問題があったのだと今、別れて落ち着いているので思います。
その時はもちろん、宗教信仰者にこんな考えでやっていけるのかとか
信仰心がある、教えを学んでる人なのに私ひとりの支えにもなれないのかとか
自分本位の考えばかりでした。
今となれば良い経験、自分の中で良い成長になってます。
先ほどの申し出は色々天理教の方達とふれあって
お話を聞いてのことということなので狭いものの見方というより
経験したのちの感想といったものです。
- [556]ファッション 05/08/16 09:18 n/bxbfIk3q
- 追伸>色々な大きな行事のほか毎月何度か教会へひのきしんなど足を何度も運んでの感想なので、あまり簡単に思われるのは少し辛かったのです。なんども書き込んでしまい申し訳ありません。
私は無宗教ですが自分がひのきしんや行事ごとを手伝っていたこと。これはやらされていたのではなく、ボランティア活動などが好きな私にとっては光栄なことで「いいことをしている」ではなく自分の成長とゆうのか、自分自身なっとくしてすがすがしい気持ちでしていました。信仰などは自分の人生の中では理解しがたいものですがこの活動についてはステキだと否定せずに思いました。
- [557]らくちん 05/08/16 10:12 qJN0aUMWc5
- ファッションさんは気持ちのイイ方ですね(^^)
私は福祉の仕事を随分長くやらせて頂きましたが、それがアダになり逆に人を信じられなくなったりもしました。ファッションさんのような方と一緒に仕事していたら、きっとそんな事はなかったんだろうな・・・私も清々しく仕事が出来たんだろうなと思いました。
信仰の無い人が、教会に運ぶのは大変なエネルギーが必要ですよね。信仰があったって、苦痛な時があります。「してあげている」ではなく、「させてもらっている」と思える人はなかなかいません。天理教の中にも、福祉の世界でもです。理論ばかりで行いが伴わないのは問題外です。
理屈なしで、ひのきしんが出来るファッションさんはすごいと思います!!
- [558]通りすがり 05/08/16 10:13 QbPHw7Vplu
- >>555
そうでしたか。
よく知りもしないのに大きなこと言ってしまいました。
少し、反省します。
>>556
>自分自身なっとくしてすがすがしい気持ちでしていました。
神さまのなされようは凡人にはわからないもの。
きっと、あなたは天理教と縁があったのでしょう。
反面教師こそが大事なことをおしえてくれますね。
これを縁にしてもっと学べるとよいですね。
失礼なことばかり言いました。
許してください。
では。
- [559]ファッション 05/08/16 11:20 n/bxbfIk3q
- らくちんさんへ
誉めていただいてありがとうございます。
わたしは何度も言うようですが無宗教でどちらかというと
昔から目立ちたがり屋で自分が大好きで何でも自分のしたいことしてきたある意味自分が教祖のような人で
私の親は、日々勉強・何でもさせてもらえることをありがたく思いなさいと言われ
私も自分の好きなように生きていますが、その生きる中で
自分が好きなこと出来るのは親のおかげ、そして先祖のおかげ
などと思いながらしてきました。
恥ずかしいので言葉には出しませんが
何するにも、これは誰かの助けがあるからと。
親の育て方には感謝している次第です。
なのでボランティアや天理教のしているひのきしんなどは
信仰がなくても、自然にありがたく感じます。
なので宗教を否定肯定どちらもなく
自分がしたいからさせてもらってたのです。
わたしもえらそうに言える年ではないので
まだまだ勉強だと思って
通りすがりさんをはじめここのスレの宗教への考えなど
参考にしています。多々私が意見しすぎる部分もありますが
色んな意見があるんだなって思います。
天理教も、自分が誇りを持ってしている方なら
わたしは否定もしません。私は自分を信じ、親を信じているので
見ず知らずの誰かを信仰する気持ちはわからないですが
その人にとっては私と同様親のように思って信仰してる方もいるので
そこはすごい共感はしています。(信者の中には両親ともなくした方もいるので)
通りすがりさんへ
とんでもありません。言い過ぎた面もありますのでごめんなさい。
ただ気持ち分かっていただきたかっただけなので。
本当に天理教・元彼との出会いはつらいこともありましたが
教えてもらった部分もいっぱいありました。
今となってはすごくありがたく思いますね。
- [560]らくちん 05/08/16 17:25 qJN0aUMWc5
- やはり親は大変なモノですね。
私の親も割りと厳しい方で、特に人の嫌がる事はするな、喜ばれる事をしなさいと常々言われました。それが講じて福祉の道に進んだと言うのもあります。
私も息子がいるので、親としていっぱしにやっていけるか日々不安もありますが、ウレシ楽しい事の方が最近は多くなってしまって、「子供に何を伝えるか」と言うことを、先ほどのファッションさんのレスで思い出しました。
信仰が苦痛な人は無理にしてはいけないと思います。構えて聞くのもあんまりいい事無い気がします。私がA型の人を反射的に「苦手」と思ってしまうみたいに・・・。でも、話していくうちに忘れちゃうんですけど(^^;なんかね、ちょっとしたトラウマなんですよ。
信仰してなくたって、スバラシイ人はたくさんいます。たくさんのひとに慕われたり、喜びや、楽しさを伝えるのが自分の為でなくて、人のため、人に喜んでもらいたいと言うのはなかなか出来ませんよね。今日び、そういうことを営利目的にして小金稼ぐ人が居ますが、まぁ、福祉だって給料もらってる限り同じです。だからなんだか複雑でした。
私も子に思われる親になりたいと思います。
たくさんお話して頂いてありがとうございました(^^)
- [561]ファッション 05/08/16 22:05 n/bxbfIk3q
- らくちんさんへ
私もA型ですが、O型の血が強いAです。
誰でもトラウマはあるものですから理由はあえて聞きません。
信仰が嫌なら無理にがんばってもそれは信仰をしているとはなりませんし
私の場合、ひのきしんや活動は好きで出来ても
その他の内部事情やちょっとドロドロした宗教の部分は
自分的に笑顔で出来ないなと思ったので
いやいやするものではないと思います。
それに自分自身いやいやで何かをしていると
それが周りに悪い影響を与えてしまうと思うし。
「信仰してなくたって、スバラシイ人はたくさんいます。」
私もすごく同感です。
うちの親がそうなので。
元彼が言うていました。
ファッションの親は宗教なんて必要ない、すごい人だって。
私自身も「あたしはあたし」ってゆう考えなので
一生誰かの言うことを聞いて生きていくことはできない人間なのです。
なので信仰は、自分より教祖・・・これが出来る人だと思います
わたしには無理です。教祖より自分、自分より生みの親と思うからです。
- [562]普通の天理教徒 05/08/17 05:21 phSDz2uqD3
- 万年初級さんの説明は、とても分かりやすいもので、仰りたいことが良く分かりました。
特に、「たまたま文」 ⇒ 「ご利益文」の解説は、簡明で、お考えが良く理解できました。
この、語法をお借りしまして、普通の天理教の感覚を説明したいと思います。
「雨乞いしたら、たまたま雨が降った。」 ⇒ 「雨乞いしたら、そのご利益によって雨が降った。」
ご指摘のように、これが普通の天理教徒の「ご利益に対する」感覚です。
「雨乞いしても、たまたま雨が降らなかった。」 → 「雨乞いの甲斐なくご利益がなかった。」
これも、同じ感覚です。
「ご利益で」と言う言葉は、「たまたま」に置き換える、それは天理教徒も普通に、置き換えて用いています。
そこで、違うのは、「雨乞いを親神様に願う」と言う行為と精神、それに、「天の理に合わせて」という作法の存在です。
天理教の教祖は「雨降るも神、雨降らぬも神」と仰せられていますが、「いつも雨降るように思うてはならん」とも、仰せられています。
これは、その、「精神」の問題として普通は思案します。
しかし、それは、行儀作法の、「作法」の問題としても、思案しているのが、普通の天理教の信心、願い事です。
「作法」というのは、天理教の用語ではありませんが、万年初級さんとの対話を理解しやすいものにするために、「作法」と用いました。「祈祷法」「業法」「呪法」よりも、話題の説明には、「作法」の方が、適当と思ったからです。
例えば、万年初級さんの説明をお借りしますと、ベートーベンの第九をフルトヴェングラー(二十世紀を代表する大指揮者)の指揮ベルリン・フィルの演奏で聞くことは、最高の芸術音楽を聴く者としての作法に叶っています。
保育園児が保母さんの指導で「喜びの歌」を歌うのを聞いても、それは、作法のほかということ、です。
こういう意味の「作法」とお考え下さい。
親神様に願うと言うにも、教祖から教えられた「作法」があります。
それに、適っているかどうかと言う事が、普通の天理教の認識の第一歩です。
- [563]普通の天理教徒 05/08/17 05:42 phSDz2uqD3
- 「作法」の事は、稿本天理教教祖伝に、辻忠作さんの逸話として記されているのは、典型的な実例です。
その当時のおつとめは、お線香一本を立てて、それが燃え尽きるまでの間を、神名を唱えて祈願するという、「作法」でした。
ところが、辻忠作さんは、線香一本燃え尽きるまでとの事を合理化して、一本を二つ折りにして、その二つを同時に燃やして、半分の時間で線香一本分として、祈願しました。
「辻忠作さんは病気の平癒を願った」→「合理化した作法」→「たまたまご守護がない」
そこで、教祖に伺ったら、「つとめ短い」と言われました。
「辻忠作さんは病気の平癒を願った」→「合理化しない作法」→「たまたまご守護があった」
これが、「作法」のもんだいというものの、実例です。
線香を半分にしたと言うことは、作法に適っていなかったと、それが、普通の天理教徒は、ご利益の有無に重大な関係があると、認識しています。
その作法とは、教祖の教えのままに行うという意味として、この、辻忠作さんの場合のことは、認識されています。
ただ、それでは辻忠作さんがそれで神のご利益と認識して、それで信心一筋になったかと言えば、実はなっていない話であります。
だから、ご利益として神を見た話ではありませんから、「ご利益」ではなく、「たまたま」が適当と思います。
- [564]普通の天理教徒 05/08/17 05:48 phSDz2uqD3
- その、「たまたま」が、作法との関係に置いて、たまたまではなく、「ご利益」であると、認識されたとき、人は初めて、神を見ることになります。
「あると言えばある、無いと言えば無い。あると信じて願う心の誠に見えてくる利益が、神の姿や」
この、天理教祖のお言葉を心に抱いて、教祖の教えの「作法」をきちんと誠にしていこうとなった時、初めて、入信となります。
- [565]普通の天理教徒 05/08/17 06:31 phSDz2uqD3
- >>553
> この科学的事実というのは、誰もが同じ事実を認識可能とする、客観的基準にもとづいた一定の手続き(臨床試験etc.)が必ず必要とされるわけです。
>
これは、普通の天理教の場合には、このように表現されます。
「神の姿としてのご利益というのは、本人のみが同じ事実を認識可能となるもので、、何度もの「作法」の実行と結果により、「ためし」をへて真の「ご利益」となる。」
「作法」と「ためし」については、人ごとにより異なるのですが、教祖伝逸話編に、一つの例がありますから、ご紹介しましょう。
「人助けたら」逸話篇167
『加見兵四郎は、明治十八年九月一日、当時十三才の長女きみが、突然、両眼がほとんど見えなくなり、同年十月七日から、兵四郎もまた目のお手入れを頂き、目が見えぬようになったので、十一月一日妻つねに申し付けて、おぢばへ代参させた。教祖は、
「この目はなあ、難しい目ではあらせん。神様は一寸指で抑えているのやで。そのなあ、抑えているというのは、ためしと手引きにかかりているのや程に。」
と、仰せになり、つづいて、
「人言伝ては、人言伝て。人頼みは、人頼み。人の口一人くぐれば一人、二人くぐれば二人。人の口くぐるだけ、話が狂う。狂うた話した分にゃ、世界で誤ちが出来るで。誤ち出来た分にゃ、どうもならん。よって、本人が出て来るがよい。その上、しっかり諭してやるで。」
と、お諭し下された。つねが家にもどって、この話を伝えると、兵四郎は、「成る程、その通りや。」と、心から感激して、三日朝、笠間から四里の道を、片手には杖、片手は妻に引いてもらって、お屋敷へ帰って来た。教祖は、先ず、
「さあさあ」
と仰せあり、それから約二時間にわたって、元初まりのお話をお聞かせ下された。その時の教祖のお声の大きさは、あたりの建具がピリピリと振動した程であった。そのお言葉がすむや否や、ハッと思うと、目はいつとなく、何んとなしに鮮やかとなり、帰宅してみると、長女きみの目も鮮やかに御守護頂いていた。
しかし、その後、兵四郎の目は、毎朝八時頃までというものは、ボーッとして遠目は少しもきかず、どう思案しても御利やくない故に、翌明治十九年正月に、又、おぢばへ帰って、お伺い願うと、
「それはなあ、手引きがすんで、ためしがすまんのやで。ためしというは、人救けたら我が身救かる、という。我が身思うてはならん。どうでも、人を救けたい、救かってもらいたい、という一心に取り直すなら、身上は鮮やかやで。」
とのお諭しを頂いた。よって、その後、熱心におたすけに奔走するうちに、自分の身上も、すっきりお救け頂いた。』
このように、あります。
この逸話の場合の、「てびき」と「作法」は、
「てびきされて元の理を聞いた。」→「おたすけという作法にて」→「眼病は全快した」
このように、加美兵四郎さんの場合の例が残されてあります。
「てびきされて、元はじまりの話を約2時間聞いた。
そこから、「ためし」があるという順序の実例です。
- [566]普通の天理教徒 05/08/17 06:59 phSDz2uqD3
- 「手引きされて教えを聞いた」→「おつとめの作法」→「病気の平癒」
「手引きされて教えを聞いた」→「おたすけの作法」→「病気の平癒」
これ以外にも、数々の作法の例があり、個別で、多岐にわたっています。
その時に、結果がたすかりであっても、助かった人の認識が、「たまたま」の人と「ご利益」の人がるいるのも、一律ではありません。
それが、普通の天理教の感覚です。
そこで、きっかけは、病気なりの願い事です。
りんごがほしいと願ったとき、それが教祖の教えに基づいた作法で実現しないと、「ご利益」ではありません。
代価を支払って入手したのは、「ご利益」ではありません。
だから、仮に「作法」は用いて結果、病気が治っても、俺の看病が良かったとか、俺の祈りが通じたと言うことなら、「神の姿としてのご利益」では無いというとです。
ここまでの説明で、普通の天理教の信心の「ご利益」というものには、「手引き」があり、「ためし」がある。
それの無いものは「たまたま」にすぎないものもあると、ご理解いただけたと思います。
神様との直接交渉により、作法を行い、結果得たリンゴは、普通のりんごですが、ご利益と認識されるのが、普通です。
- [567]らくちん 05/08/17 07:50 qJN0aUMWc5
- ファッションさんへ。
ファッションさんは頑張り屋さんだな〜!と前回の文面を読んで思いました。
自分をしっかり持っている人はこの所少ないです。何となく多数派に流されちゃって、「まぁ、いいか」って人が大半です。例にもれず私もたまにそんな感じなんですけど、やんちゃな子供がいて、旦那がいて、結婚前とは違う人間関係を作っていく過程で、自分の家族以外にエネルギーを使えないと言う現実があります。そんな毎日でだんだん本来の自分をなくして、ふと「私、こんなだったか?」と思う瞬間があるのです。
良く言えば「カドが取れた」悪く言えば「自分が無い」。物事何でも表裏一体と思いつつも、紛れも無い自分自身だし、最近では「歳ってこうやって取って行くモンなんだなぁ・・・」と自嘲気味に思ったりして。
自分を無くしても、自分を信じられなくなった訳ではないんですけど、自分を主張しなくなりましたね。・・・これでも(^^;。まぁ、ここではいろいろ言わせてもらって、ちょっとしたストレス解消だったり、新しい発見だったり、こんな話、出来る所ありませんからちょっと調子こいてしまって居たかも知れないんですけど・・・。失礼な発言があったら遅ればせながら、すみません。
それでもやっぱり基本的には「自分が好き」だし、自分が好きな「自分」を目指してやってきた事もあって、それがたまたま、環境的に天理教テイストって感じなんです。まぁ、やっぱり、天理教を聞く環境や順序が良かったんでしょうね。「おぉう!!これは!!」と思う言葉や人間ドラマがあったので、そっちの方がインパクト強かったんです。
私が天理教の活動でいつも疑問に思うのは「路傍公演」なんです。
自分が天理教で助かりましたと言うのを、駅前や公園など人が集まる所で演説する訳なんですけど、それにはどれだけの意味があるんだろう??と甚だ疑問です。「天理教」が知られていない時代なら、「神名流し」とも取れる訳なんですけど、今日び、知らない人ってあんまりいない気がします。聞き方を間違えればただの自慢話にも取られかねない事をなんでするんだろうな??と。声に出して話す事で、いっそうの自覚が芽生える・・・んですかね?そのエネルギーをもっと身近な人から注いで、周りの人達の為、何かすればいいのにって。結局これも、私の主観ですけど、「自己満足」なんじゃないかな〜って。度胸はすごいと思いますよ。確かに・・・。
いろいろ書きましたが、まとまらなくてすみません。子供が足元でチョロチョロしてるとなかなか・・・。
- [568]万年初級 05/08/17 22:53 *0iiBNoYbWkH*Ad.B3CoyeT
- >>562-566
普通の天理教徒さんへ。
私の説明が分かりやすかったと言っていただけて、安心しました。
また、教理に詳しい方ならではの、展開のされようも、勉強になります。
2,3度読ませていただいたのですが、どうも十分理解できた気がしませんので、よく読ませていただいてから、また改めて感想など投稿させていただきます。
ただ、またしばらく忙しくなり、かなり時間がかかるかもしれませんが、お許しください。
みなさんも遠慮なくご意見をくださいますようお願いします。
- [569]新人 05/08/20 16:36 TXkhR4lTwD
- どうも。えーさんは自分の意見と違う人は認められない
性格なんですね。でも親神様からしてみれば誰もが等しく
可愛い子供。どれだけ信仰の方向や考え方が違っても、
良し悪しを見極めて受け取るのは親神様であって、教えを
熟読した真面目な天理教徒でも教会長でも本部員先生方
でもないんじゃないかな。昔は車も電車も電話もなくて、
洗濯も畑仕事も夜なべ仕事も普通にあったから、お道一筋
に通るには教会や会長は絶対的に必要だったけど、今は
教会だって扶育やお供え(同じことだけど)に頼らず、
自分で仕事を持ち、自らのお金を人にほどこし、余暇や
寝る間を惜しんで神の手足となって人につくす、位の気
持ちがあってしかるべきだと私も思う。教会は必要だけど、
誰かが留守番でいれば上等じゃない?月次祭があるんだから
普段は働いて国民として同じように税金も払って欲しいし、
信者・非信者に関わらず、神社のようにいつでも誰でも
ちょこっと寄れて手を合わせられる開かれたものでなければ、
もったいないと思ってます。天理教の教典も教えも
それこそ「学問」として学ぶのではなく、理屈でもなく、
心にあるものだと、私は思います。親神様と私達の間に
はさまって指図する立場の人間がいる方が傲慢だと思っては
いけませんか?それっておや様だけなんじゃ???
・・ご飯が食べれて綺麗ごとだけ考えて子供が育てられる
(学費まで!)なら、日本の少子化もストップして、皆が皆、
多分三人位は産んでると思います。
きつい様だけど教義ではなく、人間が決めた体制には、改革も
必要って、当たり前です。上から下までトップが永遠に世襲制で、
改革もナシに栄え続けるのは財閥にも難しい事でしょうから・・・。
- [570]天理教大好き★ 05/08/20 21:23 wCUNaWpfPh
- 初めて見ました♪でも何か読みにくかったからサラA読んじゃいましたが。。。で、みなさんは天理教嫌いなんですか??!私は天理教の娘ですけど天理教は大好きです☆
みなさん教会長さんの悪い噂とかをグチA語り合ってるみたいですけど実際会って話してみたりしたらどうですか??
(らしい)とかばっかりで。。。それからまたいろA語り合ったりするのも良いと思いますよ!!!
- [571]普通の天理教徒 05/08/21 08:53 phSDz2uqD3
- >>570
新人さん。
おはよう御座います。
親神様のご守護というもので、道はついていくし、人間はだんだんと陽気に暮らす向きを向いて歩めます。
その親神様のご守護を、世界一列に頂くという、そういう考えで天理教の真柱様は、信仰の中心にいますが、信仰の中心にいると言う事は、決して、財閥というようなものと比較する内容のものでは無いと、親神様は教えておられます。
真柱様は権威でもないし、権力でもありません。
天理教の施設は、全てが、世界一列の親神様の子供のための施設です。
> 親神様と私達の間にはさまって指図する立場の人間がいる方が
> 傲慢だと思ってはいけませんか?
それは確かに、傲慢に見えるでしょうが、それを「指図」と受け止めて盲目的に従うと言う過ちをしなければ、それは指図でもないと、お分かりになると思います。
どんな名人でも最初はルールも知らない初心者です。
どんな超一流のプレーヤーも、最初は初心者です。
その時、コーチも指導者も、対戦相手も無く、名人や超一流になったということは、絶対にありません。
出来るだけ、初心者の初めの初めから、すばらしいコーチや、指導者に出会うことが大切だと思います。
その指導者として、私は「真柱様」を尊敬しています。
- [572]新人 05/08/21 14:17 TXkhR4lTwD
- 普通の天理教徒さんへ
真柱さまのことではなく、それ以外の教会の皆のことです。
中山家は特別だと考えてます。財閥と言ったのは比べたのではなく
利益が必要な企業でさえ、日々改革と努力をしてる、という意味で、
非営利団体だからといって、ここまで沢山の教会関係者が、学費まで
一般信者のお供えに依存して生活せよといつおや様がおっしゃったのかと、内部の人間として恥ずかしく思っているだけです。指図というのも、その天理教の教えを学ぶもの同士であるにもかかわらず、教会長の跡取りたちが、人格の有るなしにかかわらず、永遠と天理教を語って行くのかと考えるに、本当にもったいないと感じてるんす。・・
なぜ天理教が今成長に足踏み、あるいは後退しているかを直視して下さい。中の人に、見えないことがあるからです。私はただ批判をしているわけじゃなくて、好きだからこそ気付いて欲しいのです。
逆に今のまま世界いちれつ皆が教会になったら、どうやって食べていくのか聞きたいくらいです。百年後も千年後もこの教えをそのまま残したいから、改革しなければ成長しないって言ってる訳です。
解釈はご自由ですが、こういうこと、皆が本気で考えてくれたら、一般社会から金取り集団だのカルト宗教だの自分が神様になったつもりでお金を取って説教するとんでもない宗教と思われ、敬遠される原因を取り除けるはずです。誰が見ても、素晴らしいならば、おのずとこの教えは広がっていくはずです。こんなに力の意ある教えはないんですから。それが伝える側の心得違い、思い込みのせいで、せっかくのおや様の残して下さった大切な物が、口では広めようと必死になりながら、囲われてしまっている現実には気付きませんか?
出来ることなら気付いて下さい。先生と呼ばれると、勘違いする人多いですけど、親神様から見たら皆同じで、共に悩むことは素晴らしくても諭すことはおこがましいだろう、というのが私の考えなんです。
もちろん大教会くらいまでは、専門的に従事する人が少しはいてしかるべきでしょうが、今の時代に自分の生活を自分で賄わないのは、教会の信用面でもマイナスです。これは本当に、聞く耳を持って欲しい。
- [573]新人 05/08/21 16:02 TXkhR4lTwD
- ちなみに、私の最初のコメントは、>212あたりのことだったので、ちょっと話しがとんでて会話の繋がりがおかしかったのかも。
ごめんなさい。ちなみに、多くの関係者が、そんなこと無い!って真剣に思ってるなら、これ以上言うつもりはありません。
ただ井戸の中の蛙で終わるには惜しい宗教だと思っただけで、今後の世情や少子化で、今の高齢者世代が出直された後の天理教の人口を考えても危機感がないのなら、その答えはあと数世代のちに、おのずと出るでしょう。
・・・・成ってくるのが天の理・・・・。天理教があるのに、こんな世の中になってしまっているのはなぜ?
こんなに沢山教会はあっても、教えを広められてない証拠じゃないの?やり方がまちがってるんじゃないの?
のんびり語ってる余裕ある人おかしいよ。天理教がしぼんでったら、あんた達のせいだからねって言いたいくらい。
世間から頭おかしいと、今の世に言われるのは、昔とは訳が違うんだよ。
ナニが、何処が、反感をかってしまうのか、少なくとも素直に考えるべき。教えは完璧。だったら、おかしいのは伝えてる人間のほうで、
それはなおせるものジャンか。そうだったのか申し訳ないと思えずに神様にお詫びをし、自分や相手の信心が足りないと思い込む思考回路の都合の良さが、まさに皆の敬遠するところ・・。
病気が治ったら、まず医者に感謝して。医療費を出した人もねぎらって。ご飯が食べられるのは、お父さんが一生懸命働いてくれてるからだとちゃんと教えて。作った農家の人の苦労も称えて。
そこから向こうが、皆を見守って下さる神様なんだっていう段階が抜けがちだから、人の頭を飛び越えて、何でも神様ありがたいってフザケンナと思われてしまう損な所。
生活のラインは同じにして、「あ〜、やっぱ天理教は違うね」って思われたら絶対、すごく広まると思うのに。私の友達や会社の範囲ですが、7割方「仕事もしないで子供が大学までいけるんだったら、俺だって良い人ぶっていられるよ。現実逃避で精神論だけで過ごせるほどの贅沢はない。教えとやってることが違うから天理教には説得力がない。公務員に税金の使い方を説教されてるくらい滑稽に見えちゃう。ごめんね」・・まとめるとこんな意見です。皆を傷つけたくて言ってるんじゃない事だけはわかってね。ただ面と向かって言ってくれる人が今の世間ではあまりないから、それは不幸なことだなって、常々思ってたから、思い切って言ってみた。私は今は天理教とは距離を置いてます。理由を言ってしまうと他の宗教からの格好の攻撃理由にもなっちゃうので言えませんが。お道の人ほど非常識、これには私も賛同せざるを得ないとだけ言っておきます。
- [574]普通の天理教徒 05/08/21 16:09 mzRM0ZyAah
- >>572
> 真柱さまのことではなく、それ以外の教会の皆のことです。
分かりました。
> ここまで沢山の教会関係者が、学費まで一般信者のお供えに依存して生活せよといつおや様がおっしゃったのかと、
> 内部の人間として恥ずかしく思っているだけです。
> 指図というのも、その天理教の教えを学ぶもの同士であるにもかかわらず、
> 教会長の跡取りたちが、人格の有るなしにかかわらず、
> 永遠と天理教を語って行くのかと考えるに、本当にもったいないと感じてるんす。・・
>
お気持ちは、大変よく分かりました。
不幸なことだと思います。
しかし、教会長の跡取りさんも教会長さんも奥さんも親族も、口で唱えることさえも出来なくなるようになると思います。
普通の感覚から大きく外れてしまった自分たちを恥じて、口で立派な事を説く事すら出来なくなると思います。
ご指摘のように、ネットを通じて、閉鎖されていた教団に風が入り込んで、皆が、王様も王子様も裸なんだと、目覚めつつあります。
不思議な効能の理を、落としたのか無くしたのか錆びさせたのか、・・。
人が総入れ替えになると思います。
ちゃんと、教祖の教えを行いながら、人をたすけるおたすけ人が天理教会の担任となるように、人が総入れ替えになると思います。
話はそれるかもしれませんが、元々玄人のおたすけ人には、お城なんていらなものでした。
そして、玄人のおたすけ人とは、その人一人がいるだけで、なるほどの道がありました。
人格的に見たら、欠点もあったり、決して全てに立派ではありませんでした。
しかし、おたすけ人でした。
「角をためて牛を殺す」と言うことわざがありますが、欠点を指摘して、肝心のよさを殺してしまう事です。
玄人のおたすけにんは無学であったり、貧乏であったり、家庭環境が悪かったりして、天理教の歴史の中で、埋め込まれました。
本当の布教は誰がしていたかといえば、それらの、ばあさんや、変人たちでした。
その、撒いた種が、生えてきて、人事の総入れ替えになるのではと、思案できます。
- [575]名無し 05/08/21 19:51 U5sCZR6VYR
- 横からよろしいでしょうか?
なんで大教会長は金持ちなのですか?
なんで大教会長は布教しようとしないのですか?
(少数の大教会)
- [576]新人 05/08/21 20:54 TXkhR4lTwD
- 普通の天理教徒さんへ
本当に信仰している方が、少しでも本質を忘れないでいてくれれば、それでいいです。教えに浸かっている間の幸せは、私も知っています。一般人でありながら某大教会か某本部員先生の○○家へ
お嫁に行かないかと進められた頃もありました。(内部の人なら勿体なくて冗談にも断れないかもね)
・・一人ひとりがいい人だって事もわかってます。完璧な人がやってくれとは言いません。欠点があるから人って素敵なんだし、助けあうんでしょう?
天理教を伝えたいあまりのお助け人の非常識と私の言う他人のアラはよく見えて自分が見えない非常識は違うと思うのでその辺はご理解下さい。
前真柱様もおっしゃっていませんか?親神様と私達の間に壁はない、教会人が神様の代わりに人を諭すのではない・・って。道の友って、本部員も用木も通りすがりの人も、等しく同じであるはず・・・。教会に産まれようと産まれまいと、信仰心は人それぞれ。
で、立場がどうあろうと、いつも心に教えがあれば、他に何にもいらないほど幸せ感じてなきゃ陽気暮らしなんて口だけも同然。それに気がついてくれれば、天理教はおや様のご希望にもっと大きくより添えるって真剣に願ってます。全般にとがった言い方でごめんなさい。
でも、例えば大教会に生まれた人と部内教会に生まれた人、おなじ後取りで、一方はどうせあと継がなきゃなんないんだからそれまでは遊ぼう、もう一方は子供の頃から親の背中を見て、社会の摩擦もきちんとくぐり抜け成長と共に人格も素晴らしくカリスマ性を帯びてきた・・でも偉いのは前者。それが延々と世代交代していったら、そのもっと下の人達は、道に迷う事もありますよね。
・・人に好かれる人でなければ、神様だって好きには成って下さらないとおもうんです。頭を下げられる事に慣れすぎて見えなくなることって絶対誰にもあります。でも、だからこそ、皆さんには教えがあるんだと思うけど。立場って時には伝道の邪魔なこともあるんだな、位でいいです。両手離しにただ神様のお役に・・と思っているつもりが、人の心を踏みつけにしていなければ。・・恵まれすぎて見えなくなってしまった物は、世間にも天理教にも多かれ少なかれ必ずあると思います。
残すべき物はいったい何なのか・・・仕事をしてたって勇んで教会長はできると思いませんか?後も継ぎやすくないですか?バイトだっていい。神様って日常の中にいつ誰のそばにも、いてくださる大きな存在だって思うからこその意見です。
- [577]新人 05/08/21 20:54 TXkhR4lTwD
- 続き
・・でも下々で叫んでも届かないし、立場が就くとがんじがらめ・・・で、もう遠ざかるしかなかった私なのでした。
重ねて、いい部分はわかってるつもりです。ネガティブな部分だけを口にしてるけど、皆さんの事や本部を否定するものではありません。
欠点があって何が悪いで終わるのも、皆さんが良ければ別にそれでいいと思います。
ただ一般人から言わせてもらえば、英語のしゃべれないアメリカ人よりは、ネイティブアメリカンの英語を習いたいように、わがままなのか、神様を説くのなら、まず人間として知識ではなく良識を持った尊敬に値する人であって欲しく、見習いたい、と思った先に天理教があるべきだと思うんです。ファッションさんやつばめさんの様な一件はしょっちゅうおこっているのに、当事者が自分とは関係ない、
自分はそうじゃないと、思い込んでいませんか?私も以前相手の親に、「天理教じゃない娘と結婚するなんて、あんたをそんな風に育てた覚えはない。大教会長さんのご紹介を断るなんて、嫌やで、お父さんや兄弟の立場なくしていいんか!!そんなんしたらあんた死ぬで。誰のおかげで生きてられると思ってんの」続いて私に「あなたももっと信心せないざというとき助けてもらえへんで。どういうことかわかるやろ」って言われたことありますし〜。第一友人宅では「どんな子?」と聞く前に「どこの教会の子?」って聞く親を四人は目の当たりにしてます。・・望まれず嫁に行くほど相手に悪いことないんで、傷ついたけどやめました。でも今でもどうしても忘れられないって連絡はくるけど。奥さんも子供もいるんだし、もうありえない・・彼も与えられた幸せの中で何とか教えをあてはめて、納得しようとしてるうち、不足はいかんと考え直してそれなりに満足して行くんだと思う。(でも一生大教会長一族のかばん持ちなんだろうな。)私はそういうのちょっと違うから・・。親神様がもっといい人の所へお前をあげるんだって言ってくださったと都合よく受け止めて、これまでの優しさに感謝して前へ進みました。天理教で言う所の良家にも、友人や知り合いの先生方からお話もありましたがもう沢山でした。見えない身分差別としか感じられなくなって嫌悪感があったから。・・結果今幸せです。人としてこんなに素敵な人を育てて下さった両親を、大切にしたい気持ち、元彼ではかなわなかったけど神様が見ててくれれば、いつかちゃんと答えをくれるはずって、今は目の前の主人と両親を私の百倍幸せにしたいと思ってます。これくらいの負けん気があっても、親神様はウインクして見守って下さると信じて・・・。
- [578]新人 05/08/21 23:39 TXkhR4lTwD
- >575
今のシステムでは、立場によって役割があるから、講演やら会合やらで、皆さんお忙しいのが現状なんでしょうね。お金があるように見えるのは信者さんからのお供えの行き先をを割り振る権限があるからじゃないですか?車なんかはお供えで頂く場合もあると思います。私はこういうことにまさに批判的な方なので、ちゃんとした意見を聞かれた方がいいとは思いますが、個人的にはお金がないと思ってる教会の皆さんも、家族がご飯を食べて学校に行けることの贅沢を実感して欲しいです。仕事がなくて食べていけなくて家族がバラバラになる人だって沢山います。・・頭を下げられて天理教の人に講演するより、頭下げても知らない人に聞いてもらえよ!って突っ込む人もいないですから、どこの会長・大教会長さんも現状では皆さん決められた枠の中で本当に一生懸命忙しくお通り下さっているはずです。ただその交通費すら必要経費でどんどん出るのは一般人にはアンビリバボー。田舎への帰省費も一年かけてコツコツ貯めてるし、無理なら帰れないですから。・・そうは言っても自分は家に帰れなくても教会長さんがご用なら、涙を飲んで供えちゃいますけどね。・・その毎回が言葉だけのありがとうならとんでもない事ですよ、プンプン。お金と心のの使い道は親神様が見ていてご判断下さると思います。・・と思おうよ
- [579]普通の天理教徒 05/08/22 05:11 phSDz2uqD3
- >>578
> 教会長さんがご用なら、涙を飲んで供えちゃいますけどね。
「教会長産の御用」、それは、神様の御用と言う事で、「新人」さんは、お供えされていう、それは、一つの道すがらなのでしょうか。
お供えする時、「涙が出たら」、お供えはしない。それが、普通の天理教の信心の態度です。
「にっこりと笑顔で」、それは、教祖にお受け頂ける物としてのお供えになると、教えられています。
「神様の御用」が、教会長さんのしていることだけに当てはまるものではなくて、「おかあさんが子供のおしめを替えてあげる」のも、神様の御用です。
親神様からお預かりした尊い生命を、親としてはぐくみ育てる事を、神様の御用として、真摯に実行するのが、普通の天理教です。
- [580]普通の天理教徒 05/08/22 05:30 phSDz2uqD3
- >>578-579
教祖は、監獄に引っ張られて、そこでトイレ掃除を命ぜられて、便所を掃除した弟子に、このように仰せられました。
「どんな辛い事や嫌なことでも、結構と思うてすれば、天に届く理、神様受け取り下さる理は、結構に変えて下さる。」と。
トイレ掃除を命じたのは、監獄の看守です。
監獄の看守が命じた事でも、「結構」と思うてすれば、「天に届く理」。
これをお諭しになった教祖も、監獄に拘留されて、自らが「天に届く理」を実行されてのものです。
そしたらそこに、夫がいて子供がいて、その皆様に、「おしめを替えて差し上げる」事は、正に、天に届く、神様の御用です。
自分の中にある、「神様の御用=宗教・教会の御用」という、固定観念をぬぐって、取り去りましょう。
そして、自分の身近な日常の全てを、「神様の御用」として、深く実行する事で、「天に届く理」と、させて頂きましょう。
天に届く理(逸話篇144)
教祖は、明治十七年三月二十四日(陰暦二月二十七日)から四月五日(陰暦三月十日)まで奈良監獄所へ御苦労下された。鴻田忠三郎も十日間入牢拘禁された。その間、忠三郎は、獄吏から便所掃除を命ぜられた。忠三郎が掃除を終えて、教祖の御前にもどると、教祖は、
「鴻田はん、こんな所へ連れて来て、便所のようなむさい所の掃除をさされて、あんたは、どう思うたかえ。」
と、お尋ね下されたので、
「何をさせて頂いても、神様の御用向きを勤めさせて頂くと思えば、実に結構でございます。」
と申し上げると、教祖の仰せ下さるには、
「そうそう、どんな辛い事や嫌なことでも、結構と思うてすれば、天に届く理、神様受け取り下さる理は、結構に変えて下さる。なれども、えらい仕事、しんどい仕事を何んぼしても、ああ辛いなあ、ああ嫌やなあ、と、不足々々でしては、天に届く理は不足になるのやで。」
と、お諭し下された。
命じたものが看守であっても、掃除するのが刑務所の便所であっても、「神様のご用向きと、つとめる」
そしたら、我が子の世話や夫との暮らしなら、尚更に、「神様のご用向き」と、感じやすいと思います。
- [581]新人 05/08/22 11:19 TXkhR4lTwD
- なんか、人の言葉ひとつあげあしとって説教するのやめてくれませんか?あなた、信者さんの働いたお金の重さ解ってます?
毎月のお供えは心定めて捻出できても、何処そこ普請だ、何周年だ、団参だというとき、本当に困っている末端の教会長さんをご存知ですか?その時、百万、三十万、と、「あるからどうぞ〜」って笑って供える余裕のある人の方が正しいっていいたいわけ?
・・ずいぶんご立派ですけど、私はその百万を仕事以外にアルバイト増やして貯めたやっとの貯金、夫婦苦労して一年間かけてやっと貯めた帰省費と両親への感謝のお金、そこから以外出すところもなく、
「でも他に役にたてる事もないし、・・よし!・・」と残らず全部持って行くんです。お金持ちじゃないんですから、明日からどう生活しようかな、とか色々考えもするし、ふんぎりをつけるには、
ひと思案いるものですよ。本とに嫌だったらお供えするわけないでしょ。あなたの言ってること位天理教の人ならわかってるんじゃないの?だいたい、神様神様って、あなたが神様なわけ?人の信仰にケチつけるほど偉い立場の人が何処にいるの?
天理教嫌いを増やしたいの?言葉で理攻めしなくても、信者は神様を通して出会った、教会の会長さんの人柄にも着いて行くんです。人の言葉に出ることが全てだと思うような心の貧しい人が、
人のお金の重みに感謝もできずに、飛び越えて勝手に神様のご用だからって正当化して説教するから、金取り集団て言われちゃうんでしょう。
神様のご用向き、の行き先が人柄ではなく頭でっかちの理屈っぽい後継者育成に使われてても、留学費に費やされても、文句ひとつ言わずにいるのは、多くの信者さんが、あなたの言ったようなことを十分に勉強して、一歩先の信心をしてるからだって、早く気付いた方がいいと思うけど。
だいたい、細かいことは教会人が人生かけて学び実践すればいいことで、一般人にあれこれ細かく難癖つける程の事じゃないと思うけど。
少なくとも私はあなたにダメ出しや評価されるために日々の真心を神様に尽くしてるわけじゃないんだし、
近所の公衆トイレやゴミ捨て場の掃除も夫婦で毎日しています!本と久しぶりに腹立つ!!トイレ掃除が特別だとも思ってないよ。善い事してる〜って思うことすらないよ。
そんな事だけで神様喜ばそうなんて思ってもないっちゅうの。ダメだし得意で人に埃を積ませるプロになるよりは、遠巻きに末端信者でいた方が、謙虚な心ってたもてるんですね。
・・・親切心で神様の教えを例えてくれたあなたの言い方が本当に全て正しいなら、少なくとも私はこんなに嫌な思いはしなかった。神様との間で、気持ちよく話は済んでた。
間に割って入って人の心を土足で踏みにじってくれて、それで貴方にお徳が積まれたならそれも結構。私はそこまで信心できてませんから、今後も一瞬え!と思いながら、よし!・・って人間臭く生きていきます。
- [582]くろ 05/08/22 14:14 r3xZPNNzgA
- 横レスすみません。
新人さんはじめまして。
私は教会で生まれ教会に嫁ぎ教会で生活させて貰っています。
新人さんのような考え方の方多いと思います。
私も結婚する前は働いていましたし、同じような事も言われ、
「そうだなー!!」って思ってました。
今は洗脳されたから・・・(笑)かもしれませんが少し考え方が変わってきました。
今の会長はバイトしながら教会長させて頂いてます。
教会、信者さんの事が後回しになる事もあります。
働くってそんなもんです。
教会は24時間ずっと教会です。
自分のプライベートタイムはありません。
いつでも信者さんが参拝に来られますし、それがありがたい事です。でも、普通の家庭にそんな事ありますか?
お供えで生活させて貰っています。精神的には本当に大変です。
新人さんは自分で選ばれて人生を歩んでおられる。
私も自分で選んで教会に嫁いだのです。
仕方無い事です。
でもそういう風に思われているのはやっぱり辛いです。
自分で働いて生活していく事はそんなに偉い事でしょうか?
私は自分で働いたお金で自分の自由に使い、誰からもとやかく言われることの無い生活・・・。楽でした。自分の給料で高価な物を買うと出世したなーってほめられますよね。では教会で同じ物を買ったら・・・?
今の若い人が楽な道に行こう行こうとしているのと同じだと思います。今、教会を継ぎたい、嫁に行きたいって言う人はほとんどいないでしょう。皆、楽したいのだと思います。私の兄弟も同じです。だから私の苦しみも分かってくれて応援してくれています。
働きながら教会をしている所はこの先長く続かない気がします。
無理をしてでも道一条で頑張っている教会は伸びていく気がします。
私がこの8年で感じた事です。
働きながらでも頑張っている教会長さんもたくさんいるでしょうけど、人間ですから限界ってあると思います。
新人さんの考え方が普通の人の考え方なんだろうな・・・って思います。難しいですね。
大教会の跡継ぎになりたくて生まれてきたわけでも無いでしょうね。
一般家庭、一般信者の家庭に生まれたかった・・・って1度は思ってるでしょうね。そうは思いませんか?私だったらそう思います。
他人の事って本人しか分からない事もたくさんありますから・・・。
どんさんのお言葉ではありませんが、何が善で何が悪って事は全てにおいて言えないと思います。私個人の考えですから、少し、教会の者の思いも知って貰いたいなーっと思って投稿しました。
追伸 どんさん、まっぷさん会長は先月末に大型免許合格しました。お礼かたがた報告まで・・・。その節はありがとうございました。
- [583]新人 05/08/22 16:22 TXkhR4lTwD
- 今回の事は、子供の頃から自分で選んで始めた天理教が嫌いになった原因、中に入ったことで感じた内部の人のあまりにも現実とかけはなれた感覚と自分達に都合の良い口の利き方は、周りの人がどんなに切実に訴えた所でちっとも伝わらない現実を思い出させてくれました。
言わば心意気の天理教でなく、「天理教学」に忠実である方に重きを置いて、人を助けてるつもりになりながらホントは人に助けられて生活してる自覚もなく、神に尽くす自分に酔って、他人を評価する値を全部書物の中で探し求めて、少しでも違えば説教するだけの単なるおせっかいなのに、そう思うほうが不足の心って思っちゃうよくいるタイプなんだと感じてしまいます。私を所詮信心が足りない凡人の考えだとか思うのも勝手。
だけどこの世の中では中の人が思ってるほど天理教知名度ないし、信頼もされてないし、私の気持ちは先に切々と述べたとおり。
何でもかんでも神様のお言葉並べてないで、自分の言葉でしゃべったら?天理教のバイブルにあたる書物の数々はお蔭様で目が見えるし心も働いてるから自分でもそれなりに想いがあって、涙が出るほどありがたい存在なんで、人に指摘や指図されるまでもなく、日ごろ大切にしています。
自分がどんな時にどんな風にお導きいただいたか・・人になんかアドバイスできるとしたら、それくらいまでが、人に神様を伝えるために、使っていい言葉の限度じゃありませんか?お助けするってそういう事からじゃないんですか?それがお道の友という言葉の本質でないなら、教祖(ギャラリーの方:教祖と書いておやさま、と読みます。こっちが本当です。)の残したお言葉はそれこそいったい何?
・・・前もそんな風に感じて、今は全く違う、陽気暮らしがもっとうの、末端の教会に出入りしてますけど、上級や古いとか大きいところの方がいいなんて事全く関係ありませんから。
・・見ていて理屈でなく、お道はいいなあって思える世間の常識もちゃんとわきまえた誠の人も、少ないけどいます。「不足も埃もけっこうけっこう、」「不足に思える心のある幸せ」
「ああ、こうだったなあ、と自分で気付く事ができた成長の喜び」「埃を払う心を教えて頂けてありがたいね。お勤めさせて頂けて嬉しいね」「このお金、本当にありがたい、私もついついああ、神様ありがとうございますって思ってしまったけど、どんな思いでご苦労なさったか、私が肝に銘じなければ、きっと神様に叱られます。
うれしくてもったいなくて、じっとしていられないので布教に行ってきます!」本当に愛すべき人です。
天理教ってあれもいけない、これもいけないっていう宗教でしたっけ?何もかもありがたくって、喜びにあふれた宗教なんじゃないの?喜べと強制するのはおかしい!!それが「普通」なら、やっとで生活している一般社会人には入れない宗教なので、聖人の清廉潔白な心を持った皆さんだけで、笑顔でお供え出来るほどに生活に余裕の有るお金持ちだけを相手に、今後も神様に大学まで出して頂く幸せに感謝しながら、個性とか自己主張のない気の弱い人を狙って、政略結婚で何とか数だけは減らさぬように、続くとこまで続けて下さい。オムツを替えるのも神様のご用だとわかっているなら、本当に困ってる人に自分の力で働いたお金、毎月いくらでも笑って差し上げて下さい。他人の子供の学費も、払ってあげて下さい。信者が教会の人にするのは神様のご用だから正当で、教会の人が一般人にするのは違うって誰が決めたの?同じ人間なのに????
いくら言っても多分解り合う事は出来ないと思うけど、一度ヒートアップすると、全部言っちゃうほうなので、セーブできなかった事はごめんなさい。前にも書いたけど、変える気ないなら、それでいいですから。・・人間だもの・・・
- [584]どん 05/08/22 16:50 HrgyI5Mr4Z
- >>582
くろさん、ありがとうございます。
ご主人(会長さん)の大型免許、おめでとうございます(^o^)
>お供えで生活させて貰っています。精神的には本当に大変です。
以前にもご投稿頂きましたよね。私もそうだと思います。私の周りにも会社を辞めて
道専務になった人がいて、その人が「いい若い者が、仕事もせずに教会のことばかり
するのは、結構つらい…」と言っていたのを思い出します。
でもどうなんでしょう、働きながら教会をしている所は、私は逆に、どんどん
栄えていくように思いますが、くろさんの感じられたこと、興味津々です。
- [585]どん 05/08/22 16:51 HrgyI5Mr4Z
- >>581
新人さん、横から失礼します。
私は、>>579-580の普通の天理教徒さんの投稿が説教臭いとは思いませんでしたよ。
お供えは、にっこり笑って出来る程度の額でいいと思いますよと、お供え以外にも
いろんなお勤めがありますからと、新人さんの信仰への励ましだと読みましたが…
そうではなくて、100万でも30万でも、にっこり笑って誰にも文句を言わずに
お供えすべきだ、という投稿だったとしても、それでどうして腹が立つのでしょう。
新人さんの心の中に、本当は文句言わずに供えるべきだという価値観があるのですか?
でも自分は少し不満もあって、それを見透かされたような気がして、腹が立ったのですか?
>>569にご投稿されたとおり、神様のみが見極めるのですから、何を言われても
構わないじゃないですか。新人さんの信仰は、すごいと思いますよ。
そうではなくて単なる読み間違いによる勘違いならいいんですが。
- [586]新人 05/08/22 17:39 TXkhR4lTwD
- >くろさんへ
はじめまして。自分で働くのが偉い?エライわけない!!自分で働くのは当然です。その向こうに、人のため神のため、はたはたを楽にさせるため、惜しまず働けたら本物だって言ってるんですけど、わかるかな?働いてると限界があるって本当?仕事をしていたら、成り立たない教えなの?働くほうが楽、お道の方が楽じゃないって思ってる時点で、教会に留まる事はすでに意味が無いと思うけど。ありがちだけど葛藤とか無理してお道で通ってる人に、新しくついて来る信者さん可哀想じゃないですか?
私は、そういう人が、天理教の跡を継がなくても、天理教はやめずに自分の意思で精一杯生きることの出来るシステムを作って欲しいんです。継がなくても道の子だ!
情熱のある人が上に立ち、本気で教えを喜び勇んで広げていける環境作りを進めて欲しい。子供は本当にいいと思えばいちから頑張ればいいし、だいたい一番身近で見ている自分の子供が心から僕もお父さんみたいになりたい!!
って思えない通り方が他人を惹き付けるのかどうかも疑問ですから。
においがけは何処にいて何しててもできますよ。
今のくろさんを責めているのではなく地域の大教会が24時間開いてれば今は行けなくはないし、寝不足になっても24時間お助けはできるっていうか、仕事をせずに専属でいる資格があるのは、それくらいの心意気のある人じゃないと、おかしくない?私ん家は教会ではないけど、まるで夜はお悩み相談室か昼はデイケアセンターか?ですよ。
お年寄りのおつかいにも行くし病院にも連れてくし下の世話もするし、愚痴も聞く。ニートも来まくる。外人も来る。好きでやってるだけなので天理教ですとは言いません。何か信仰がありますかと聞かれたら答えています。心がほぐれてくれたら、それでいいと思って。何をしてこんなになってるかはわかりません。でも、話したくて、会いたくて来てくれた人を迷惑に思った事もありません。呼んでくれた人に面倒だとも思いません。その中で天理教が世間に思われてるイメージはどこから来るのか更に考えるようになりました。今教会に来てくれている人の気持ちではないですよ。
親戚が・・とか、近所が・・嫁の実家が天理教とかの人達。・・なるほど、傍からそう思われる程度にしか、今の教会は機能していないんだな、真実がないんだな、って思いました。ならいらないって、思うんですけど。長蛇の列が出来るほど毎日人が集まるなら説得力もありますけど、だいたい、人が来過ぎて困るくらいなら、自然と生活にも気持ちにも余裕って出ますよね。ああ、こんなに皆さんに必要とされて、神様に喜んで頂けるかな〜って。そうなったら、評判だって違ってきませんか。
あくまで私の考えですから聞き流して頂いてかまいませんが、世の中ってそんなに甘くはないですよ。仕事しながら助け合いなんてして当たり前で、それ以上に神様のご用をさせて頂くなら、心構えも並じゃ困るって思って下さるのが理想です。
一円でも値をもらえば誰でもプロです。アマチュアだったら自分で働いて下さいって言うのはまた表現違ってるのかな、
・・それなりに一生懸命、のこのままでは、百年後の天理教に未来が無いって思ってるだけなんだけど、過激派に映るのかな
- [587]新人 05/08/22 18:17 TXkhR4lTwD
- >どんさん
こんにちは、
私にはちょっと意味がよく理解できませんでした。ごめんなさい。
それ以前の文章チェックしてもらえた上でそうおっしゃるんなら、多分やっぱり、信者さんの気持ちと、もらう側の気持ちの現実味の違いなのか、百万円の重みの感じ方のちがいなのか、私は会長さんがご用の時は、自分が実家に帰れなくても涙を飲んで供えちゃう、って、言っただけで、百万という大金をお供えするのは、私にとって全然楽勝じゃない胸のうちをお話ししただけで、嫌々とも言ってないから。かといってにっこり納められないなら納めないほうがいいみたいに言われる筋合いも信頼関係もないし!誰だって勇気いりませんか?マイカーもない人が百万出すのって!にこにこあげれたら変態ですよ。でも、涙を飲んで、後悔しないぞと気持ちよく出したお金に、突っ込まれる気分の悪さったら、わかんなきゃ別にいいやって感じ。皆さんがせっかく仲良しクラブで語り合ってるのに、悪いのでこの辺で!!毎日一日二時間睡眠です。今から中国人に日本語を教えに行きます。ボランティアです。眠い・・・・だからヒステリーなのかも!!では
- [588]らくちん 05/08/22 20:07 qJN0aUMWc5
- ・・・私も、前に書きましたが理論の天理教は信仰ではなくて、天理教学と思います。神様、あほうがお好きと聞かせて頂きます。10年以上前、住み込ませて頂いた事がありますが、その時前奥様に「〇〇ちゃん(私の事)は頭がいいから」と皮肉たっぷりに言われた事があります。その後にあほうがお好きの話です。不思議と私は頭に来たりしませんでした。頭がいいからと言われた事が「皮肉」と分かった自分が嬉しかったのです。
信仰の方向性は千差万別、違って当たり前ですから、お互いを立てあってなんぼなんじゃないですか?みんな、私も、頑張ってる。受け取って頂けるかどうかは、おっしゃる通り、神様次第です。外れていればお手入れ頂きますし・・・。
でも、ごめんなさい、理論で人は助からないと思います。心どおりの守護をする、心を助けるのは心しかないと思います。教典や教祖伝を丸暗記しても、助からないと思います。学ぶに値する書物ではありますが、そう言ってしまうのは、いわゆる「外野」で見ている人で、心で信仰している人とはちょっと違うと思います。前にお話したAの様に、心に神様が居ないのに、理屈ばっかり・・・。私は彼女に見せられたので、ココでこんなレスをするのも、「忘れちゃいけないよ」と神様に言われているような気がします。
おそらく、話し出したら切りがなく、そして結論も出ないと思います。お供えの話も、自分の手が離れたらもう神様のモノ、教会で何に使われ様が、そこまで考えてはいけないと思います。明らかにお供えを浪費されていると分かっても、そういう親といんねんがあったと治めるしかありません。見るもいんねん、聞くもいんねん、この世が理攻めの世界なら、見せて頂く事をどう喜ぶか?と言う所に神様の思し召しがあると思います。・・・まぁ、私がこうして言うまでもないと思いますが・・・。
「声は肥え」です。
人を勇ませる、喜ばせる、為になる様に使わせて頂くモノと思います。愛のムチとか言いますが、天理教の神様は、「罪」や「罰」とおっしゃらないと、昔聞いた事があります。私なんて、ダルダルのドロドロですが、末端で精一杯もがいてます。
どうか、キレイ事と取らないで下さい。
誰でも、自分の中の神様、真実はキレイなモノでしょう?
それに従順に尽くしていけば、「おもうようにしてやった」良くも、悪しくも、です。こんな事いったら、明日をも知れず、何とも複雑な気持ちですが、人間ですから、いろいろにお手入れ頂いて、ちょっとずつ成人させて頂くんだと・・・。
・・・こんな書き方しか出来ない私はちょっと・・・上手くいえないんですけど・・・気に触った方が居たらごめんなさい。ホントに、ごめんなさい。
- [589]メイ 05/08/22 20:25 Bn832x6VMO
- なんか天理教って苦しい信仰っぽいですね。
読んでてそう感じました。
- [590]どん 05/08/22 20:43 D2eL0dkyJ.
- >>587
>涙を飲んで、後悔しないぞと気持ちよく出したお金に、突っ込まれる気分の悪さ
百万円といえばものすごい金額だと思います。
しかし気持ちよく出しているとのことなので、何も申し上げることはありませんね。
ただ、新人さんもご自身で仰るとおり、ちょっとヒステリックというか、
強迫的な印象を受けまして、それで投稿した次第です。
勿論、一生懸命な信仰を否定しているのではありません。
>>588
>Aの様に、心に神様が居ないのに、
そうかなあ。Aさんの心には、神様は居ないのかなあ。
>>589
同感です。
- [591]新人 05/08/22 22:39 TXkhR4lTwD
- 今帰りました。でもこの後はアルバイトです。
金額って・・というか、その時貯まってたのが二万だったら二万だったと思う。百万あるから十万位で言いか・・って思えなかっただけです。どうしても大変そうなときって信者にもわかりますよ。皆お金の工面がどれほど切実かわかってるから。その時の私達のお金は帰省したら両親が長年のお仕事を退くお祝いに、一度くらい二人で贅沢して欲しい、と、旅行をプレゼントし、行っている間に抜けそうな床の修理をしてしまおうと、五年がかりで計画して出来たお金でした。働き通しで、何の贅沢もせずに学費を工面してくれた大切な両親です。・・どっちも中途半端になる位なら、会長さんに(神様に)、全部受け取って頂いて、スッパリはじめから、また頑張ろうって決めたんです。普段はとても、出せったって無理。皆さんがお預かりする、たった10円のお金にも、人の思いや事情が詰まってます。受け取る側が安易に発言するのは、いかがかと思います。お供えしたんだから偉いとも言ってないですよ。けど、皆さんが受け取るときに、お金は皆同じ諭吉の顔。経緯や背景、事情なんて書いて渡すわけでもありません。そこを神様への誠意としている人もいます。そのお金がその人にとってどんなお金なのか現物を見てだけでは解らない預かるだけの人が、神様に代わって何か言う必要があるのかなと、不思議なだけ。そのお金の行き先なんて、あきらめてます。行き先を決めたいなら脚長育英基金や赤十字に寄付してます。
・・一般人が生涯住居と子供の学費にいくら必要かご存知ですか?そういう事も考えて、悩みに悩んでから出してはいけないのなら、今後は家族にもネット仲間にもそう伝えようと思います。多分、じゃあ、うかつにお供えは出来ないね、って思われると思うけど。
それから、一生懸命信仰しているつもりもありません。
天理教の教義は触れてるだけで幸せですから。実行できた時の楽しさってないし、自分が嬉しいのに、それでお金もらったことないし。組織にさえ近づかなければ・・なんですけど、日々いろんな出会いがある幸せ。組織や教会、天理教学に縛られて、肝心の陽気暮らしが出来ないなら、何人かの仲間のように、脱天理教で生きるのが一番なのかも知れません・・。
>らくちんさん、
嫌な性格の奥さん、腐るほどいますよ。私はいつも「あー、楽しい事もなくて喜べなくて、いじめで幸せになれるのかね。自分の奥さんの性格にも気付かなくて、あの教会の信者さん可哀想」ってストレス溜まりまくりでした。私自身が攻撃されるなら何ともなかったけど、おとなしい人を陰でイビル根性は殴り倒したいくらいでしたよ。・・その人には、神様が見てるよ、大丈夫!って言ったけど?またある時には「うちの会長に色目使わないで、色情因縁あるんじゃないの」って言ってきたビックリ女もいたよ。誰が?あの禿げた爺さんに(会長さんごめんね)?みたいな。トホホです。・・友達のお父さんには(役員)迫られたけど!!内部が引き締める気ないならいいって、ずっと言ってます。でもそんな人達がお道の中枢にもいるって認めてくれ!
ヒステリーにもなりますよ。
- [592]新人 05/08/23 01:23 TXkhR4lTwD
- こんばんわ
新人さんのPCを借りて、「ニート」です。
私は何もしないでずっと家にいて、親が新人さんにあずけました。今十七です。中学からめんどくさくて行ってません。
PCも、新人さんに教わってやっとです。今バイトに行ってきたのは、新人さんが欲張らずに一日一時間化粧品代くらいを稼ぎに行こうかと、パチンコやさんのあとかたずけに一緒に行ってくれているからです。天理教って意味不明でキモイです。ここに来る前
連れて行かれたけどウザイし、何言ってるか全くわかんないんだけど。友達も何か消えて天理教に飛ばされたけど無事逃げて帰ってきて元通りうちらと一緒。ずっと洗脳呪文の連続で何言ってるかわかんなかった、超怖いって言ってたし。宇宙人くらいにしか思えません。これもいちから全部見たけど、やっぱりニートが無害って思ったくらい?今同じくらいの年の人が四人いて、毎日怒られて皆でムカついてるけどいつも自分で決めて帰るなら帰れと言われてその度に皆で文句言って、でも話し合ってもう少し頑張ろうって言ってます。何で怒られたかと言うとうち等はカラオケで朝帰りして眠たいのに、昼からの約束の仕事を無断で休んだからとか、仕事中座ってしゃべったり、サボってタバコ吸ってたり、掃除してないのがバレタってだけで。はあ?って感じで何で怒られんのみたいな。今一ヶ月だけど、一回も時間通りに仕事に出ないからとかって、怒鳴られるし。三十分や一時間位位いいじゃんて感じ。働かない分お金もらえないだけだし。でも、何も考えらんないから、とりあえず新人さんがいう通り、いっくらでも文句言っていいよ。でも本当に今帰って家で何かひとつこれから絶対やるって、約束できる事がきまったらね。と言っているので、まだいます。ご飯の箸を用意するだけでもいいとか言うけど、毎日なんて絶対無理っしょ。あと、友達の為にならないなら注意してあげるのが友達とか言われるけど、めんどくさいよそんなの。関係ないし。・・ここには何か人が一杯来て、ここの夫婦は働いたお金を自分で使って皆にいろいろしてて、でも自分は百円のノートも悩んで止めてる貧乏です。だから、人の為に何かしろなんて言わない、でもあんたがめんどくさいと思ってサボった分、誰かがその面倒を拾ってやってくれてんだよ。まずそれを、一個でも減らすなら、いつ帰ったっていい。と言われると解りやすく納得できる部分があります。自分で何か考えたのは初めてです。とにかく、強力洗脳呪文とか、人間として怪しいのは怖いからやめて。人間として、人に言えるほど必死にやってるって目に見えない大人は、バカなうちらでも騙せない。
これを見た人は、夏休みのバイト大学生も、この内容で新人さんの感情変化は全く普通。何じゃこりゃ天理教ってこんなに何様的思想(意味がわかんないんだけど)だったのかと言ってたから、そうなんじゃん?新人さんは寝たきりの人のトコズレ(って何)しないように、様子を見に行っていつも二時ごろ帰ってきて、週三日は三時半から新聞配達です。そのお金は中国から来た留学生のしえんのためだって。中国人は日本人嫌い、新人さんは特別って変な日本語で言ってた。怖い。でもここで日本人のイメージは変わっていくきがした。今日台湾から来た人が、台湾に天理教なんてないって言ったら新人さんはがっかりしてた。洗脳呪文が=日本人と思われたらどうするのかな?と思った。あんまり調子こいて喋ると呪われそうだから、終わります。お願い呪いの呪文をかけないで! 初参加のニートより
- [593]くろ 05/08/23 03:09 r3xZPNNzgA
- 新人さんへ
よく分かりました。その通りです。
新人さんがされている事本当に立派だと思います。
私の主人は教会に養子に入りました。
なので仕方なく継いだのではありませんが色々とストレスもあるようです。バイトと教会の御用で年中無休です。
教会生活に不満があるわけではありません。
こんなんでは・・・ともがき苦しんだ時期もありました。
人を見て不足に思った事もありました。
そして、上級の会長さん方が全て尊敬できるかも疑問です。
人は変えられない、信仰は個人個人のもの。
私はこう思うようになりました。
どんさんが以前投稿されていたように思いますが、個人宗教に
なるのが理想かもしれません。
事情教会を続けていく事もしかり。
組織は組織ですから限界があるでしょうから・・・。
又、新人さんの気分を害したらすみません。
私が教会生活をさせて頂いており、どのように投稿してもいいようには思ってくださらないと思いましたが、
このまま返信しないのも失礼かと思いまして・・・。
どんさんありがとうございます。
又、明日返信させて頂きます。すみません。
- [594]普通の天理教徒 05/08/23 04:36 phSDz2uqD3
- >> 581
お金を出すと言う事を、にっこりとする事は、いつも自分がしてきた事ですから、普通の自然な話として、申し上げたのですが、新人さんは、そうでなかった点を説教されたと、思われたのですね。
天理教に何百万も、千万も超えて出しても、にっこりしていた父母でしたし、それが普通というのは、私の偽らざる気持ちであり、新人さんに特別に、説教をしたと言う事ではありません。
普通の事を語っただけです。
何百万お供えしても、少なくてすみませんと、そういい続けている人も知っていますし、お供えできることを、「ああ、嬉しい」と出す人も、周りに大勢いました。今もいますし、これからもいるでしょう。
それは、本当は、普通の天理教の世界の事ではないでしょうか。
天理教が集金を止めても、普通の天理教徒はにっこりと地場に尽くすものだと思います。
それは、あまりに当たり前の事だと思います。
- [595]どん 05/08/23 07:41 D2eL0dkyJ.
- >>591
新人さん、よくわかりました。
私は教会長ではないので、人がどんな気持ちでお供えしているのか
考えたことありませんでしたが、新人さんのような考えの人もいらっしゃるのだと
よくわかりました。
その上で、質問です。
>受け取る側が安易に発言するのは、いかがかと思います。
お金を出す側は安易に発言してもよい、ということですか?
>預かるだけの人が、神様に代わって何か言う必要があるのかなと、不思議なだけ。
お金を出す側は、神様に代わって発言してもよいのですか?
>>592
ニートさん、こんにちは。
>人間として、人に言えるほど必死にやってるって目に見えない大人
未成年なら、必死にやってなくても、掲示板で人に何か言ってもいいのですか?
- [596]らくちん 05/08/23 08:23 qJN0aUMWc5
- 新人さんへ。
教会の中枢に、ぶっちゃけ怪しい人っていますよね(笑)。
私の所属する教会は(随分大きくなってから知ったんですけど・・・。)私の親族(遠いですけど)が役員にたくさんいます。ウチは教会とかじゃありません。もう、「お道の人」と言うより「普通のおっちゃん、おばちゃん」位しか思っていなかった人達が、実は役員だったと驚きでした。「お道の人」らしくないのです。自分が第一で、偉そうで、「この人、自分の所の信者さんの前でどんな顔して話ししてるんだろう??」と。そんな事から、所詮キレイ事、社交辞令の様に拝殿に座って教えを説いてるんだと、会長って「仕事」か、「天理教学習塾」なんだと思って疑いませんでした。今でも、その人たちは、どんな風に考えても「わがみかわいい」のみで会長職に納まって、会う度に不快です。でも、心から信頼出来る先生を見つけてからは、その、「不快な役員」も、私が見せて頂いている、鏡で自分の顔を見ていると思えて、私の心の中を「不快」「普通」「快適」と3つに分けるなら、「普通」位に治める事が出来るようになりました。
私のまだまだ短い人生で出会ったいわゆる「教会の先生」と言う人達は、2つに分かれると思ってます。「イイ先生」と「そうでない先生」です。直感で分かります。散々嫌な思いもしてきましたから・・・。・・・身情を頂いて拝殿で理を伺って、晴れ晴れとして帰ってきたのに、次に教会に行ったら(役員は親族ですから・・・。)お話を伺った先生とは違う人が「〇〇ちゃん、大変だったわね〜」なんて。言うに事欠いてあんた達は何はなしてんだ?!。人の不幸を話のついでに、お茶請けくらいの感覚でペラペラと・・・!全く、お気楽なのです。人の辛さに対する想像力が無いのです。この先生とはそれから二度と口訊いてません。隔てていました。でも今は、いろんな人がいる、と「普通」に治まっています。
つらつらと書いてしまいました。
文面ではなかなか表情が伝わらないので、誤解も多いと思いますが、新人さんの所のニートさんの文章を読んで、そこへ出てくる新人さんは、なんだかニコニコとしているように感じました。
教会長は道専務でなければいけないと思っていましたが、よくよく振り返れば、私の知っている限り、お道の世界のみで生きてきた(社会に出た事が無い)子は、ろくなモンじゃありません。社会の辛さや厳しさを体感していない子が、将来人に話が出来るのかな?と疑問です。それこそ、教科書に書いてある事をそれらしく話すだけの様な気がします。
「苦労」している人は、なんか、もう、「苦労」=「大変」を超越して、ゆとりさえ感じます。そんな人に憧れます。
まとまらなくて、すみません。
- [597]らくちん 05/08/23 10:59 qJN0aUMWc5
- ニートさんへ(^^)
トコズレは寝たきりで自分で体が動かせなくて、布団に接している部分が呼吸出来なくなっちゃって、皮膚や肉が壊死(腐っていく)事です。予防、治療はコマメな体位変換(あっち向いたり、こっち向いたり)、傷になってしまったら、清潔を保つ事です。足がしびれると動かすでしょう?また、靴ズレのひどいヤツです。放っておくと、傷が感染症を起こして、抵抗力のないお年寄りや持病のある方にとっては命取りになる事もあります。
3時間に1回の体位変換が目安と言われてますけど、なかなか大変です。
・・・一応、介護の仕事をしてましたので、参考まで(^^)
- [598]新人 05/08/23 13:21 TXkhR4lTwD
- ニートです
らくちんさん、ありがとう、じゃあ今度新人さんに着いて行って手伝ってみます。できるかは解んない。あと、どんさんとか、普通の天理教徒さんの言ってる事は、一見優しげだけど自分が許せるかどうかの中で自分基準に言ってるのは皆が同じなのに、さも自分はもっと上の次元で物を考えてるぞとか自分の方が偉いって認めろ、尊敬しろって意味にきこえるけど、そう思って無くても一般人がそう思うって事は、そういう性格なんじゃないの?天理教嫌いっぽい人の間接否定か他人にアドバイスばっかしてるけど、性格いい人は他人をほめるよね。私は性格悪いしばかだけど、新人さんを見てると、何でこんなめんどくさいことをいつも笑顔でやってんのかな、しかもただで。こんなに人が沢山来るなら百円ずつ取ればノートも買えるのに、ってわかるよ。うちらの食費も全部二人がみてて、洗濯とかも、十回に一回でも干す気が有る時だけやればって言うからほとんどやらないし、
でも、干すとそれだけで新人さんはもっとニコニコするんだけど。三百出来なかったこと、一個でも一回でも出来て良かったねって。押し付けが無い人だよ。よそで仕事でお金をもらう時は約束破ると怒られるけど。
それと言って良い事と悪いことの境界線が解らないんだけど、同じ思ったことなのにお金を出すときにこにこしてても、そういう自分とか自分の親が正しいとかって事なら、言ってもいいの?でも、お金出すのに冷や汗かいたりする事はいけないって否定はいいんでしょ。立派な人格否定じゃん!絶対ごめんて言ってないじゃん!「それが何様以外の何なんだ?」・・とは、休憩中の大学生のコメント。ホントにわかんない。
あと、もし、新人さんが私にくれたお金を、横から「にっこり笑ってあげるのが普通」って言う人がいたら、やっぱりおかしいと思うけど。どうくれたかは、私が感じることではない?その、横から口挟んだ人に、「はあ?」って思っても、普通じゃない?「私の親は・・・」とかって更に言われた日には自分の価値観を人に強制するなって、思われて普通なきがする。天理教に連れてかれてもホントに何言ってるかわかんないんだよ。意味も理由も無く怖いものは怖い。新人夫婦の言ってることはわかる。厳しいけど怖くは無い。私にわかるのはそれだけ。
- [599]新人 05/08/23 13:22 TXkhR4lTwD
- 新人さん個人は皆を大好きだって言ってたけど。教会の人に文句言ってるんじゃなくて、肩身の狭い思いをする必要がないシステムを作ったら、一石にちょうだって言ってただけなのに、関係ない所で個人批評を始めたのはそっちだと思うよ。そういうところが天理教が嫌われてる所だよって書いてあるじゃん。皆に皮肉言われる理由を無くした方がいいって、考えてるだけだと思うよ。
陰でキモイって言われるのはいいの?単にキモくないですよって普通に言えば良くない?どういうところが?って思わない?もっと本当のことを知って欲しいっていう新人さんの言ってることは解りやすいと思う。
綺麗ごとじゃなくて、本心で話して皆元気にやってくには、教義ではどう、とかってそのつどいちいち正されるのは良くないと思ってるんだって。そんな事わかりきってても、悩むのが人間で、教会長だって人間だから、教科書通りじゃ一般人には綺麗ごと言ってるだけにしか取られないんだから、社会で一緒に暮らして、一緒に悩んで助け合って行けば十分って言ってるの、私にはわかるよ。
リコウぶってる人が偉いとは思えない。もちろん私は馬鹿だけど、それは最悪だっていうのもわかってるよ?ドンさん、頑張ってない人が何にも言う資格ないって事かな。だとしたらもうやめるけど、うちらだって何も考えてないわけじゃないよ。
頑張ろうと思うんだけど、頑張ってるつもりでもドンさんみたいな人に、お前に言う資格あんのかとかそれで頑張ってるつもりかとか、完璧を求められると、もういいやって思う。お前みたいな口だけの奴に言われたくない、あんたみたいな大人になるよりマシ、とか。・・新人さんは年齢じゃなく、本当に大人になったらあれもこれも反省できる日が来る、そうしたときには、また、自分がどうしたいのか、迷ってる人の気持ちわかってあげられるし、自分はこうだったっていってあげられるね。そう思えたら、あんなことして悪かったなって、思った数だけ、他のひとや、家族のために、めんどくさい、を拾ってあげようね、っていう。意味は解らなくても、わかる日までこの言葉を覚えておこうっていうから、とりあえず覚えた。そのていどだから、私にそういう言葉をくれても、意味がわかりません。どんさんは、皮肉が多い、これだけはよくわかります。
- [600]どん 05/08/23 15:31 IHmIpBu8DI
- >>599
>リコウぶってる人が偉いとは思えない。
私もそう思います。加えて、リコウな人が偉いとも思いません。
また、私はニートさんのことを馬鹿だとは思っていませんし、
それが最悪だとも思っていません。
私の長男は知的障害でほとんど喋れませんが、
私は彼のことを、馬鹿だとも最悪だとも思っていません。
ニートさんのことを馬鹿だと言ったのは、ニートさん、あなたです。
そして馬鹿が最悪だと言ったのも、ニートさんです。
私は完璧なんか求めていません。頑張るべきだとも思っていません。
頑張ろうと、頑張るべきだと思っているのはニートさんでしょう。
私は、頑張ってない人でも、いろいろ言えばいいと思っています。
教会の人も、お供えもらってる側の人も、それぞれ自分なりに考えてやってるのだと
思うから、それがたとえ他人の目には頑張っていないように見えたとしても、
みんな、いろいろ言いたいこと言えばいいと思っています。
大体、頑張っているかどうか、必死かどうかは、本人が決めることでしょう。
他人にわかるはずがないじゃないですか。
それを、「人間として、人に言えるほど必死にやってるって目に見えない大人」と言って、
人に何か言うなら必死にやってなきゃならないかのように言ったのは、ニートさんでしょう。
私は、あなた達の投稿を読んで、善悪にこだわり過ぎなんじゃないかなと思いました。
新人さんはすごい人です、そんなことはちょっと読んだらわかります。
しかし私が言いたいのは、みんながみんな、新人さんほどには出来ないんじゃないか
ということです。みんな、それぞれで、いいんじゃないか、ということです。
頑張っていて、口先だけじゃなくて行動も伴っていて、無料で奉仕して、と
それらは本当に素晴らしいことです。しかし、そうでない人はどうなるのですか?
お供えもらって、それを経費に移動している人は悪ですか?
人の金で生活して、のんびりと喋っていて、一見頑張っていないふうの人は悪ですか?
頑張っていない人でも投稿する資格あります。
完璧じゃなくても、欠点だらけでも、口先だけでも、投稿する資格あります。
私が口先だけの奴だとして、見習いたくない大人だとして、そんな私でも投稿させて下さい。
自分なりに頑張っている、ニートさんも投稿して下さい。
- [601]新人 05/08/23 15:42 TXkhR4lTwD
- 新人です。みなさん、いろいろすいません。
ニート(自分で言ってるし。うフフ)がどう感じるとか思うとか、言うとか、間違いって、ないのかな、って私は思います。
こうした方がいいよって、思うことも実はこっちの都合であって、誰でもその人より劣っている事もあれば、勝っている事もあるんじゃないでしょうか。
私はニートが自分の意見を誰かに言ってみた事が、嬉しくて仕方ありません。来た頃は本当に30万人もこんななの?もう日本は長くない!って思うほど、考えることすら面倒で、ご飯を食べるのも面倒で、楽しいことすら面倒で、何にもしたくないって感じでした。
口で何を言ったって、通じません。でも、心の底では勇気や自身がないから、誰かに認めてもらいたいと思ってるのかな、たいした人間じゃないって決め付けられる事に傷ついてるのかな、とか、いろいろ悩んだり試したりしたものです。不思議な物でその子達が文句を言ったり、矛盾してても意見を言ったりするだけで、何て成長してくれたんだろうと思ってしまいます。(それ程ひどいんですけど)
今の世の中、ここまでひどくなくっても、こういう流れだと思います。教祖の想いとは逆に行っているのが現状だと思います。だからと言って神様の想いをにおいがけする、人の心を動かすのは、やっぱり同じ人間じゃないですか。皆さんが、ただお言葉を諭したって、今の人の心はなかなか動きません。動かない人ほどお道を伝えるべき相手なんですが、わがまま、勝手も度を越して、思いが伝わらず傷つく人もいると思います。単に神様はこう言ってます。だから私はそうしてます。あなたは違うんですね。というのが私は嫌なだけで、お供えする側は何を言っても・・とどんさんはおっしゃいましたが、それは会長さんにめぐんでやってると思う人が言ってればどうかと思いますけど預かる側が「少ないんですけど」って安易に言ってしまうのと、供える側が「少ないですけど」っていうのは違いますよね。私は精一杯のお金を、「少ないですけど」とは言えません。神様に精一杯が伝わるといいな、とは思いますけど。もちろん神様の言うことは聞くけど、信者には何にも言う権利ないよ、って思うなら謝ります。そう言われてしまうほど、言ってはいけない事って何処だったのか、できればきちんと教えて頂きたかったです。皆さん自身を否定してると思われることは、多分私の言い方が悪いんだと思いますが、遠まわしに言ったらイヤミになる事多くて、くろさんのおうちのことも、責めてるのではなく、人間同士、悩みもなければおかしいし、くろさんのような奥さんとなら、一緒に頑張れるって、最初に思ったんだけど、言葉足らずに傷つけてごめんなさいね。・・で、私はこれから一週間ほど、アフガニスタンへ行って来るのですが、その間、ニート達がお邪魔するようであれば、本当に申し訳ありませんが、よろしければたまにでいいのでものすごく簡単な言葉で、話し相手になってやってください。かわりに主人がサポートします。
- [602]らくちん 05/08/23 16:24 qJN0aUMWc5
- みんな、自分を理解して欲しいと言う気持ちがヒシヒシと伝わってきます。自分+天理教と言う形でぶっちゃけな話が出来る所ってなかなかないですしね。かく言う私はまさしくそれなんですけど、「それぞれの道」はホントにそれぞれだなぁとちょっとコワイ気さえします。イイとか悪いじゃなくて、こんな事書いてる私が信じている道も、どこかの誰かが見ればきっと「ぬるい!」と思われるか、「きもい!」と引いてしまうか、はたまた、「違う!」と全否定か・・・。無い話ではありません。世間って、自分を受け入れる人と受け入れない人って分けたら、大多数、「受け入れない」なんじゃないかとも思います。いえいえ、自分を否定している訳ではないんです。卑屈になっている訳でもないです。う〜ん、例えば、「りんご」と聞いて何を連想するかです。「赤」だったり、「丸」だったり、木になっているところを連想する人や、味とか、香りを連想する人もいるでしょう?だから、「私」をポンと世間に出したら、それはもう、いろんな角度からのアプローチで、「どこみてんのよ〜!!」状態です(^^;
それぞれをどんどん追求していくと、元の「りんご」は忘れてしまう。あれ?最初はなんだっけ?って。どうしてこんなに追求しちゃってるんだろう?って。そんな時、原点に戻るために「教典」とか「教祖伝」とか「おふでさき」ってあると思ってます。・・・もっともらしく書いてますが、十人十色、千差万別、受け取り方はさまざまです。・・・よね?だから、キリが無いし、結論も出ないし、誰かが納得すれば、誰かが反発する。これはみなさんの熱い思いの裏返しであって、誰かや何かが憎くいとかじゃ、もちろんないと思います。
・・・でも、このスレの目的を思うと、熱く語り合うべきなのかな?
ニートさんへ。
体位変換に一緒に行く時、痩せている方でも、体格のイイ方でも、体の下側になっている腕、手に気をつけて。読んだ限りでは、夜中に行ってらっしゃる様なので、お部屋も暗いでしょうし、ご本人も寝ていらっしゃるかもと思って、体の下敷きになってしまっても言えないかも。。。なんて、妄想しました(^^;うっかりすると腕の関節が外れたり、うっ血(内出血)したりします。何かモノが挟まって痛いかもかも知れないし・・・。
こんな事は、新人さんがきっと、ちゃんと教えてくれるでしょうね・・・。「介護」と聞くと血が騒いじゃうんです(^^)。ちょっと変態かも・・・。
- [603]新人 05/08/23 17:15 TXkhR4lTwD
- ニートです。
どんさん、今度はどんさんのいいたいことが、ちょっとわかってきました!さいしょっからわかりやすく言ってくれたら良かったのに。あと、自分のこと自分で馬鹿だって言ったことくらいは、覚えてるよ。
どんさんに言われたって妄想じゃなくて今まで私は・・という言葉が抜けたんだねごめんなさい。新人さんも、皆やれ、なんて全然言ってないよ。
それに、知的障害っていうの?新人さんのおじさんもそうだよ。そういう個性なんだって。親が死んでその後親戚中誰も嫌がって、新人さんはそれに怒って連れてきちゃったんだよ。姑さんとかいるから、他にアパート代も大変だよ。どうしても悲しかったんだって。一緒にでかけると、笑う人も変な目で見る人もいるよ。でも笑われるのは私のほうなのだ。とくやしくなるよ。
新人さん、皆が悪いって言ってないじゃん。変える気ないならいいよって、言ってるじゃん。自分の意見だよって。言いたいこと言えないなら、ここがある意味がわかんないと思っただけ。例えば新人さんはそれ、いいな、私にもできるかな、って言うことを、マネからでもいいから始めようって言ってくれるからわかりやすいの。
ここでは他の人も、最初っから、その意見に私はこう思うって言ってれば、済んだ事なのに、そんな事言っていいと思いますか?とか専門用語で済ますとかが多いとやっぱり勘違いってあるきがしました。もし新人さんが本当にいやいや教会にいったりお金出したり、現実に会長さんを否定的にあつかってるなら、皆の言ってることはひとつのアドバイスだよね。でも勘違いにしてもどんな想いして、そう思うのか、知ろうとする人間はここにはいなかったよね。私に言われたくないだろうけど、本当に天理教が素敵なら、何で誰もそう思わないの?
らくちんさんとか新人さんは、悪い部分を認めて、よりよくなって欲しいと言ってるだけに見えるけど、皆は良くしたくは無いって事?今のこういう形がいいなら、そう言えばいいんじゃない?くろさんみたいに。くろさんみたいに、人間らしい人がいると、知り合いも連れて行きやすいなって、新人さん本当に喜んでたよ。多分私もそう思う。・・うちの親に、天理教のおじさんが「どんな子でも神様は・・・・因縁がこの子に出た・・」とかいってたけど、私はばい菌か?何かにトリツカレてんのか?ちょっと何もやんないだけなのに・・・。怖いよ〜キモイよ〜って思うのは絶対私だけじゃないよ。
くろさんみたいな人がいるのをみて、初めて普通の人間なのかなと思い始めたところだったんだ。
どんさんも、ちゃんといってくれてありがとう。新人さんは良くできた人じゃなくて、ほんとに、人のいい人だよ。色んなこと、悔しかったと思うよ。私は義理のお父さんにいたずらされてたんだけど、その話をした時聞いたんだけど、新人さん若い頃大教会の息子に襲われて、写真で脅されてお金六百万も盗まれたのに、その親は教義を持ち出して、説教したあげく警察にも誰にも言うなって言ったんだよ。お金も返さずにね。それでも天理教を捨てない新人さんの気持ち、変えたい気持ち、わかってあげて。傷ついた分、人に優しくしたいんだって、旦那さんがいってた。
- [604]くろ 05/08/23 17:21 r3xZPNNzgA
- どんさん、らくちんさんへ
私は教会に嫁ぐまで
「会長は外で働いた事が無いから、あんな事が平気で言えるんだ」
って思ってました。
だから外で働く辛さや大変さを知らないと信者さんにも何にも言えないって思ってました。
そして、嫁いでからも自分も働きたいってずっと思っていました。
この気持ちが少しずつ変わってきたのは理と情を考えるようになったからです。
会長の理でしょうか?
私が考えても頑張ってもやっぱり会長さんです。
天理教のたすけは体だけ助かっても本当のたすけでは無いと思うんです。心がたすかってこそ本当のたすけだと・・・。
本当に助かって貰いたい時に情が入っては世間話に過ぎず、本当にたすかっては頂けないのでは・・・。
その時、世間を知らない会長はその人のたすかりだけを思い、親神様の神意を思うのでは・・・。そして強く言えるのでは・・・。そこに神様の理が働くのでは・・・。と知らない強みもあるように思うのです。
教会の初代の方々はかなり強い事を信者にずばっと言っても、皆付いてきていた。それだけゆるぎないものを持っていた。今の会長さんは情が入ってきているのではないかなーって思うのです。それではたすからない、たすけられないのでは・・・?って。
東本の初代は「お供えをして下さい。」と頭を下げた事が無いと言います。「私が頭を下げてお供えをして貰っては、神様に申し訳ない。」と言われたと言います。本当にそうだなーと思います。
このように書くとちょっと偏って危ないぞって思う方も多いと思いますが、どうなんでしょう?
現実には
今、信者さんがたすけを求めている。でも会長は仕事で行けない。
仕事を休めば信用も無くし、クビ。
世間をとれば何のための会長・・・。
昔は融通もきいたかもしれません。今の仕事はなかなか融通は利きません。そんなシステムです。
2足のわらじはどちらも中途半端になり、教会は下向きへ。
文章にするのは難しいです。きっと何言ってんの?って思われる方もおられるかと・・・。私が、未熟な頭で考え思った事です。狭い考えかもしれませんね。
- [605]くろ 05/08/23 17:36 r3xZPNNzgA
- 上のコメントを書くのにとても時間がかかってしまい、書き込みの後新人さん、ニートさんの記事を読ませて貰って、泣いてしまいました。時間が無くなってしまって、うまく書けないけど、まだまだ私も頑張れる気がします。ありがとうございました。
新人さん、アフガニスタン・・・。気をつけて行って来て下さいね。そして又、色々教えて下さい。私は狭い狭い日本の小さい教会しか知りませんから・・・。でもがんばります。
- [606]新人 05/08/23 18:11 TXkhR4lTwD
- らくちんさんへ、
ありがとう!でも多分私は怖くてさわれない。
というか、布団をかける!とかならできるかな・・くらい。
今まで一歩も家から出たことなくて、(めんどくさいから友達とも電話。で、携帯代が毎月十四万で、ツイニ停められた。)
今何もかもめんどくさいんだけどここの家にいると、何かは解んないんだけど、うじゃうじゃ人がいる、その気持ちがわかる気がする。
でも変わらなきゃいけないのは解るんだけど、めんどくさいんだよね。「めんどくさい、やーめた」を、百回に一回「めんどくさい、でもやらなくちゃ」にかえようって言われてる。うーん、むずかしい。でもわかんないから、今言われたとおりやってみる様にはしてるんだ。友達もそうだから、自分だけじゃないって、安心してたら、いい男はみんなそれ以外に持ってかれるよ、って言われて、それはヤバイかも。みたいな。学校でもウザイだけの先生と、怖いけど好きな先生、普通にいい先生っていたんだけど、宗教の先生も同じなんだね。クラスにも・・・で、めんどくさくて行かなくなったんだけど。年齢的には、いつまでも子供の振りして大人のせいにしてはいられないよって、新人さんが言ってた事が、なんかのヒントに成ってるような、やっぱめんどくさいような毎日。自分でもよくこんなにパソコン打ったなって思います。
介護って、自分の事もめんどくさいのに、人の事までよく出来ますね。全国の人もらくちんさんもすごい〜。自分から進んでできるところが私にはホントに信じられないせかいです。私は特別、長らく脳みそを凍結してましたから、余計そう思います。宗教の事は全然わからないし、やだと思ってるんだけど、こういう現実的はなしなら、少しはわかるから、この人にも見習いたいとか、こんなときはどうするのとか、聞いてみたいって思うものだなと思いました。聞いたからって出来ないのが今の私だけど、相手にしてくれてありがとうございました。うれしかった。
- [607]らくちん 05/08/23 18:41 qJN0aUMWc5
- 「理」と「情」・・・。くろさんのレスを読んで、私の母が実の父以上に慕っていた教会長さんを思い出しました。
母は思春期に母親を亡くし、父親の男手ひとつで育てられました。
その時お世話になっていた会長さんは、私が大きくなった頃、私の父が夜中に交通事故に遭い、死ぬか生きるかと言われた時、もう、真夜中でしたが病院に駆けつけてくれ、私の母に「大丈夫、絶対助かるよ」といってくれました。今にして思えば、根拠がなくて、気休めだったのかも知れませんが、母は真夜中にも関わらず駆けつけてくれ、医者にも今夜が山だみたいに言われて、小さい子供3人抱えてどんなに心細かったでしょう。実際、父を治療するのは医者、回復するには本人の気力ですが、倒れた母の心を立て直してくれたのは、母自身の信心もあったと思いますが、その、会長さんの一言だったと思うのです。ですから、私達3人の兄弟は、誰に言われずとも、真夜中でしたが咄嗟におねがいつとめをさせて頂きました。「絶対助かる」と言ってくれた言葉だけ信じました。
会長さんが、いつでもどこへでもおたすけに行ける、来てくれる・・・と言うのは、やはり支えです。辛い時に、一言でも声をかけてもらう事が、どれだけありがたいか・・・思い出しました。これはやはり、道一条でないと出来ませんよね。
でも!でも!今「後継者」と言われている人達の甘ちゃん振りと来たら!!もう、教会長に修まる重みを感じて欲しい!!くろさんの様に自教会の未来と現実を見て、真剣にやって欲しい!!教会に行っても、挨拶も出来ず、帳場でタバコ吸ってパソコンいじって、コーヒー飲んで、初参拝の人といつも来ている人の区別も付かない、こちらが挨拶しても目を合わせようともしない、日が暮れれば酒飲んで、朝勤めにも出て来れず、にほいがけにも行かない。そのくせ、言う事はいっちょまえで、「自分、教校出てますから」ってなんだ?一人や二人じゃありません。だから、こんなに私もアツくなってしまいます。真実の塊みたいな先生もいらっしゃるからなおさら、「お前ら、次世代を担うものとしてそれでいいのか!?」と。私ふぜいが言う事じゃないのかも知れませんが、あまりに悲しすぎます。結局、その「後継者」の親が、「普通のおっちゃん、おばちゃん」で、情を掛け過ぎた結果です。ホントに、くろさんのおっしゃる通り、「情」では我が子さえ助からないのですね。こんな子供達は、自分のテリトリーでぬくぬくせず、それこそ社会に出て、自分と同世代の人間がどれだけ頑張ってるか、体で感じるべきです。
道専務になれるというのは、やはりそれだけのモノが無いと・・・と思います。ウチの教会では、本当に、揃いも揃って、そんな教会子弟ばかりで(私と同年代だからよく知ってます。)・・・。「初代の方々はかなり強い事をずばっと言っても、みな付いてきた」ついて行ける内容のある方々だったんです。今の頭でっかちの、人生の酸いも甘いも分からないようなのが言ってみた所で、説得力がありません。「能書きいいから、やる事やれよ」って。いつか、言ってしまうと思います。
・・・ある教会の後継者の相談役をさせていただいた事がありますが、全く持って、心が育っていない。歳相応の考え方が出来ない。もう、30になろうというのに、未だに「白馬の王子様が迎えに来るの」と真剣に思っている。小倉優子もビックリです。これ、マジな話ですよ。
人それぞれ、いろいろあってもイイと思いますが・・・。なんだろ、これが「時代」なのかな〜?
- [608]まっぷ 05/08/23 20:15 J0X6NViVOk
- くろさん、お久しぶりです。
会長様、大型免許合格、おめでとうございます。
私の普通2種免は、まだまだ先のようです。
車の運転が好きなので、介護タクシーの運転手として
社会に貢献できたら・・と思っています。
夢ばっかりで、恥ずかしいです。
でも、来月、「全身性障害者移動介護従業者養成研修」(長!)
という研修に、参加します。
私に出来るか、わかりませんが、とにかくやってみます。
お互い頑張りましょう!!
- [609]らくちん 05/08/23 20:23 qJN0aUMWc5
- ニートさんへ。
そんなぁ〜、そんなに良く言ってもらっては、上のレスでプリプリした気持ちがプスーっとなります。怒るのは疲れますね。もう年だから・・・(^^;
介護の仕事はイイよ!「ありがとう」なんて言われて、手なんか握られた日には、「自分で自分を誉めてあげたい・・・!」と、じ〜んときちゃいます。自分が必要とされてるって、なんか、頑張れる。何だろね、いい年してしてやっぱり分かんないんだけど・・・(^^;
最初は私もかなりビビったので、気持ちわかります。
今度、もし、起きている時間に行く事があったら、その人に向かってニッコリ笑ってみてください。目が合えば、きっと笑って返してくれますよ(^^)・・・あぁ、何で私涙出ちゃってんだろ??もう一度、介護の仕事がしたいなぁ・・・。介護のどこが好きとかじゃなくて、もう、言葉に出来ないんだけど・・・うぅ〜ん、言ってみれば「ハマッてる」って言うか・・・。自分で言うのもなんだけど、「天職」なんだとい思う。下の世話も、文句聞くのも、力仕事も、便所掃除も、楽しくて嬉しくてたまらない!やっぱり、ちょっとした「変態」かも・・・。
最近は、いわゆる「今ドキ」の子もヘルパーさんに増えてきました。茶パツだったり、ガン黒だったり、ドレットだったり、鼻ピの子も居ましたよ。私は、そういう外見の子は「強め」の子が多いと思ってましたから、正直ちょっと引きましたが、話してみると普通で、「なんだ〜。コワイ子かと思った〜」って言ったらかなりウケてました。
仕事を口実に、普通に生活していたら絶対話すチャンスがない人達と話せるし、年寄りの知恵はなかなかばかに出来ない!自分の間違いも正せるし・・・玄関にプランターのあるお宅にお邪魔して、知ったかぶって「サヤインゲンの花がキレイに咲いてますね〜」なんて言ったら、「おねえさん、あれはスイトピーよ・・・?」と。恥ずかしかった〜!どうりて、いろんな色の花が咲いてると思った。・・・インゲンの種類で、いろんな色が咲くのがあるのかと思った・・・。私、27歳の初夏でした。お恥ずかしい・・・。
天理教の話より、介護の話の方がつらつら出てきます。
介護の仕事に不足した事が無いから、話していて楽しいんですよね。
・・・いいのかな?私こんなんで・・・。
- [610]新人 05/08/23 23:09 TXkhR4lTwD
- ニートです。
がんばってにこっとしてみよう。でも、ひきつって笑って嫌な思いをさせないかな。どの仕事も続けられなくて、(めんどくさくて)もう、仕事には行きたくない。家がいい。
でも新人さんも世の中には何千て仕事があって、一度でこれだ!!って確信のもてる仕事に出会える人は、少しで、一生出会う事がないかもしれないくらい種類があるから、何度でもまた確かめてみるチャンスだと思ってやってみなって言ってたし、
私もいつかは新人さんやらくちんさんみたいに、仕事とかのめんどくさいことでも「嬉しい」と思う感情が出てくる事もあるのかな、・・ほとんど面接で落っこちるけどね(笑)やっと、こうやっては初めてしゃべれるけど、人がこわくて、話しができません。
ふるえる時もあります。新人さんに目を見て話しなさいと言われるまで見てない事にも気が付かなかったな。多分違う人に同じことはずっと言われてたんだけど、言ってる意味わかんなかったくらい(笑)
で、思い出した!天理教のおじさんに、(途中の呪文はホントにひとつもわかんなかった)話の最後に「今のお話しを聞いて、何かエラレルモノがありましたか?」っていわれたんだけど、エラレルモノって何?新人さんがエヌ何とかで日本にいないので、できたら教えてください。
どこで切るの?エラ レルモノ?エラレルモ ノ?エラレ・ルモノ?それだけが頭をまわってた。「はい?」って聞いたつもりだったけど、「それは良かった」って行っちゃって、帰り道もずっとかんがえて、友達に聞いたけどわかんないって。
家族に説明聞いたけど、まだわかりません。会話のレベルを下げてすいませんが、よかったら教えてください。
らくちんさん、私はほんとにおバカで、むづかしいこと、簡単なことも、ぜんぜんわかんないけど、らくちんさんが優しい人で、いろんな所で幸せを楽しんでる人だということや、それを人には強制しない人、そしてこれは新人さんの言ってたマネなんだけど、本当につらい事はこんな事じゃないって思えるくらい、本当は苦労や人の心の痛みを知っている人なんだなって思います。らくちんさんが来てくれたジジ・ババは、幸せです。私にも楽しいとか悲しいとか、感情がもう少しあったらな。くろさんは悲しくて泣いちゃったの?悪いこと言ったならごめんなさい。新人さんが宿題を置いていきました。今小2のドリルです。以外に難しい・・・・新人の鬼ー!ってあとから見て怒られるかな〜。友達はわかんね〜って寝てます。バイトの大学生「この言い方なら天理教にいる人も普通の人で、ただ宗教が違うだけだって一般人に伝わるのにね。」「やっぱり愚痴も言えない様な窮屈なところには、まず一番行きたくねえよな。何か小ウルサイ女と結婚して一生耳元でガーガー言われてるみたいで。亭主のしつけ方うまい女の方がいいよ。あなた〜、あなたのゴミの出し方って素敵!(妄想芝居中)・・男は単純だから。宗教も一緒かな」と言ってます。多分、私たち位の人には、やっぱり、天理教のイメージ=その人自身を見て感じる事、しかできないと思う。くろさん、旦那さんさ、すごいじゃん。何で信者さんに申し訳ないの?くろさんみたいな人が、いてくれるから安心して仕事できんじゃない?働き者の旦那さんで、自慢しなよ。くろさんが、旦那さんが頑張ってる分、信者さんの所に行ってはいけないの?女の人はできないの?うちはあのおじさん仕事しなくて、お母さんばっかり働いてた。私の事がバレテ離婚したけど。悪いなんて思ったら旦那さんかわいそうだよ。一緒にいれなくて淋しいの?それなら一緒にいられたらいいね。旦那さんが働かないって本当に大変。ニートの修学旅行のお金もパチンコに持ってったよ。もしさ、信者さんが仕事して欲しくない時は、多分お供えは協力するからやめてくれって言うんじゃない?仕事してる人は、よくわかってるはずだよ。くろさんは幸せだよ。旦那さんも幸せだね。
- [611]どん 05/08/24 01:13 D2eL0dkyJ.
- >>601
新人さん、よくわかりました。ありがとうございます。
>言ってはいけない事って何処だったのか、できればきちんと教えて
言ってはいけない事は何もないと思います。回りくどい言い方で失礼しました。
アフガニスタン、お気をつけて。またお話出来るのを楽しみにしています。
>>602
今ちょっと腰を痛めていて、寝るときなど、同じ姿勢だと痛くなるんですよ。
私の場合は手足が動きますので苦労もなく寝返りすればいいのですが、寝たきりのご老人や脳卒中の患者さんなどのことを思うと、また、夜な夜な体位変換されている新人さんや介護職の方のことを思うと、本当に頭が下がります。
>>603
ニートさん、ありがとうございます。
信じてもらえないかもしれませんが、最初からずっと、悪意はなかったのです。
何とか陽気になってもらえないかと、私なりに気をつかって書いたつもりでしたが、不十分な表現で失礼しました。
障害を「個性」と理解して下さって、有難いことです。やっぱりね、親の育て方が悪いからだとか、因縁がどうとか、いろいろ言われます。でもね、それらも、誰も悪意で言ってるんじゃないと思っているんですよ。
それから、天理教の悪い部分ということですが、正直なところ、そういう悪い人を直接は知らないんですよ。私が知ってる人は、結構、いい人ばかりで…それで何も言わなかったんです。認めていないというか、何とも言えないんですね。
それと、もうひとつだけ。普通の天理教徒さんも、悪意で投稿されていないと思うんです。
この人とは直接会ったことはないのですが、以前に別の掲示板でいろいろと教えて頂いて、また他の人からも聞いて、あんまり詳しいことはご本人の了解なしには説明できませんが、この人も病人さんを引き取って一緒に生活されてたり、睡眠時間を削って相談に応じ、お金も信者になることも求めずに、トコトンやっている人なんですよ。
決して、意地悪で投稿するような人ではない、というのが、あくまで私の意見です(^_^)
- [612]どん 05/08/24 01:14 D2eL0dkyJ.
- >>604
くろさん、ありがとうございます。
仰る通り、勤め人では難しいのかもしれませんね。
ただ、東本の初代も、上京するまではずっと内職しながらのお助けでしたし、教祖ご存命の頃の信者はほとんど家業を持ちながらの信仰だったと記憶しています。いずれにしても、難しいテーマですね。
でも、私個人は、仕事しながらの教会に大賛成なんです。
仕事を経験しているから信者さんに対する説得力がある、説き伏せることができる、という意味ではなくて、仕事を経験しているからこそ信者さんのご苦労を推察でき、それで尚且つ、時と場合によっては、嫌われ、道から離れられるのを覚悟で強く言う、という感じでしょうか。ちょっと、私も、うまく言えません。
>>608
まっぷさん、お久しぶりです。
全身性障害といえば身体障害ですね。私は知的障害児の移動介護がやりたくて、こないだヘルパー2級取りました。今はまだ別の仕事をしていますが、落ち着いたら就職活動するつもりです。お互い頑張りましょう。
>>610
たぶん、「エラレルモノ」は「エラ レル モノ」です。う〜ん、難しい…
「エラ」は「得る」のことで、意味は「手に入る」。例えば「大金を得た」とか言います。
「れる」は、たぶん「できる」という意味の助動詞。例えば「しゃべれる、食べれる」とか。
「モノ」は、普通の「もの」。
くっつけると「手に入れることができるもの」となります。天理教のおじさんは、話の中で、なるほどそうか!と自分のものにできたものはありますか?と質問したのだと思います。
- [613]普通の天理教徒 05/08/24 01:59 phSDz2uqD3
- 新人さんが留守の間ですから、お帰りになったら、お読みください。
「泣き泣きする理は受け取れない」と言うのは、天理教祖の教えです。
そして、教祖の教えと言う事は、「天理」です。
その、「天理」に対しては、真摯であるべきです。
この投稿は、説教です。
- [614]普通の天理教徒 05/08/24 02:28 phSDz2uqD3
- >>581
>・・ずいぶんご立派ですけど、
別段に立派な事を書いているのではなく、天理教教祖伝の逸話編という、その中にある、普通の天理教の話です。
> 私はその百万を仕事以外にアルバイト増やして貯めたやっとの貯金、夫婦苦労して一年間かけてやっと貯めた帰省費と両親への感謝のお金、そこから以外出すところもなく、
「でも他に役にたてる事もないし、・・よし!・・」と残らず全部持って行くんです。お金持ちじゃないんですから、明日からどう生活しようかな、とか色々考えもするし、ふんぎりをつけるには、
>
それは、普通に、本気で信仰している天理教の信者の大半がしている事だけれど、それならば、「泣いている」と、どうして表現されるのでしょう。
> ひと思案いるものですよ。
その、思案がどうこうというのではなく、貴方が、ここに投稿する中で、泣いてお供えしているという表現をなさった事を、それに対する普通の天理教の考えを申し上げただけです。
難しい話をしたのではない。
泣いてお供えするなんて、あってはならない。
そうでしょう。
そんな事は、人にさせてもいけないし、自分がしてもいけない。
そういう普通の感覚を申し上げました。
> 本とに嫌だったらお供えするわけないでしょ。
そうですね。
でも、本当に嬉しくてだったら、「にっこり」が普通です。
嫌じゃないけど、嬉しくなかったと言う事なんですか。
貴方の様に、論理的にスパットしている女性が、そこで、明らかに、天理教祖の教え、天理教の人なら誰でも知っているはずの教えに矛盾した事を述べておられるから、ことによれば、ご存じないかと思って、教祖のお話を紹介させて頂いたのです。
> あなたの言ってること位天理教の人ならわかってるんじゃないの?
私は、人の信仰と自分の信仰は比較した事は無いので、私の言っている事くらいは、天理教の人なら誰でも知っているかどうかは、わかりませんが、きちんと、おふでさきやおさしづを、読んでいるという人には、会った記憶はありません。
> だいたい、神様神様って、あなたが神様なわけ?
神様は、神様の事を「神様」とは呼びません。
神様なら、神様の事を「私」とか、「私、親神が」と、呼びます。
私は、神様を、私とは別の存在として、語っていますので、私に神様かという質問は、論理的に間違いです。
私は、人間です。普通の天理教徒です。
> 人の信仰にケチつけるほど偉い立場の人が何処にいるの?
信仰にケチを付けられたと感じられたのですね。
けちをつけたのではなく、お供えはにっこりと言ったのです。
貴方は、泣いたと言われた。
その言葉が本心かどうかは、人間にはわかりません。
しかし、こうして公開の場で、現実に泣いてお供えしたという事を自白された人がいたのです。
それが新人さんです。
泣かせて受け取った教会長がいたとも、書かれています。
それは、ひそひそ話や井戸端会議なら、何を語ろうと第三者に読まれるものではない。
けれど、事実として、新人さんが語った言葉の内容は、それだけ読んだら、重大な内容です。
だから、読み過ごさないで、疑問をそのままに見過ごさないで、「真実のお供え」だと信じる立場だから、「泣いて」を「笑って」に、替えて頂きたいと、私の言葉ではなく、教祖の言葉でと、逸話を紹介しました。
>
- [615]普通の天理教徒 05/08/24 02:43 phSDz2uqD3
- >>578
> 天理教で言う所の良家にも、友人や知り合いの先生方からお話もありましたがもう沢山でした。
> 見えない身分差別としか感じられなくなって嫌悪感があったから。・・結果今幸せです。
>
良かったですね。
でも、それは、今幸せだという結果に対しての、印象です。
それならば、天理教で言う所の良家に嫁がれていたら不幸せだったと、そういう意味ではありません。
それが縁であって、心と心と結ばれて、生活が大教会であろうと本部員宅であろうと、幸せならば幸せと、そういう意味です。
- [616]普通の天理教徒 05/08/24 03:02 phSDz2uqD3
- >>603
ニートさんへ。
ニートさんは新人さんに出会われて、良かったですね。
今、ニートさんは、自分を替えていこうとされていて、新人さんご夫婦に導かれて、その延長に天理教を見ておられると思います。
口であれこれと言う「天理教」よりは、新人さんの様に、体を張って自分と対話してくれる人が、本当の天理教なんだと、感じておられると思います。
ただ、新人さんへの尊敬と感謝、それは、天理教と絡めない方が良いと思います。
天理教は、貴方が、何言ってんだよ、このおやじ、と、そう感じるものの方が、普通の天理教なのです。
多くの天理教の人は、ニートさんの立場のような方を、家に住まわせたりしないし、お世話もしませんが、だから本当の天理教ではないとは、言えません。
している新人さんを、神様が見ておられるという事は、間違いありませんが、それは、三十年も続けられた後で無いと、なんとも判断出来ないものです。
天理教とはそういう教えです。
- [617]ババ 05/08/24 04:41 KTSU.XzSo9
- 僕は教会の後継者です
今交際している相手がエホバの証人です。結婚を考えていて、彼女には今、別席を運んでもらっています
しかし彼女にいくら天理教の話をしても全く興味がないらしく、ただ自分と結婚したいがためだけに、今別席を運んでいる状態です。今彼女はエホバの集会には参加していないようですが、エホバを心から信仰しているようです。
僕たちはこれからうまくやっていけるのでしょうか?
- [618]新人 05/08/24 06:10 TXkhR4lTwD
- はじめまして。新人の夫です。皆さんころころと、お騒がせいたしまして、恐縮です。私は私の兄で七代目となる、生まれた時から天理の中の天理で育ったような人間です。
正直、社会に出るのは悪だというような流れの中で育ち、何の苦労もなく、何も考えずに大人になりました。皆さんのように、天理教について考えた事すら一度もなく、ご飯もおやつも、ゲームも、旅行さえも、神様が下さると思っていました。
おつとめも何となくの日課でしかなかった様に思います。漠然と、単に天理から出たら命を落とすから。と思っていた頃もあった程です。というか、社会と言うものが別に有るという実感すらありませんでした。親が私に信仰について説いた記憶もありません。もちろん学校で教わりましたし生活はそのものが天理教漬けでしたが。
皆さんは、お道のうえで、それぞれのお立場で、それぞれにお通り下さって、お恥ずかしい限り、皆さんのような誠の人に支えられて私達の生活があったのに。
何でもないような事を苦労と思いこんでみたり聞いた話しで感動して終わったり。自分が言うのは何ですが、だから家内の持ってる危機感は正しいと思います。扉を開いて・・のはずなのですが、先人のご苦労や過去の勉強に走りがちで、離れてみないと、近すぎて見えない事にすら気がつけません。こうして暮らしてみる事で喜びも悲しみもお道と共に・・を実感しています。そうすると、思います。立派な建物が必要でしょうか。黒塗りの車が必要でしょうか。グリーン車での移動が必要でしょうか。悪ではありませんが、教祖がお喜びかどうか、少なくともいち用木として、皆で考えるべき事のひとつでは、と思います。お供えだからと言っても、逆にこんな贅沢なもんいらん、・・と、怒れる立場ですからね。全員悪人とは申しません。でも苦労知らずは本当です。情熱のある人もいます。一生懸命な人もいます。でも正直大学を出て数年社会に出たくらいで人様の苦労を知った気になっても、それなりの大学を出てしまうと就職先も恵まれてたりして、ともすれば、働いてる奴は楽してる、と思いがちなのです。私たちも只の人間です。・・私の学んだ浅い知識の中ですが、天理教に、「普通」という基準は無いと思います。どんなお徳を積まれるか、どんな信心をなさるのか、めいめいのお心は親神様が御くみ取り下さる事でしょうが、それぞれに事情は違うのですから、普通、普通でないを決め付けるのは、天理教として大変危険な気がします。身内をかばうのではありませんが、天理教とはそんな敷居の高い難しい教えではないと思いませんか?うまく言えないのでこの件はいずれ真柱様に伺って頂こうと思います。又これも個人の意見ですが、頭を下げて「どうかお供えをして下さい」と言う必要はないと思います。しかし大教会も上級も、有るお金でやりくりする、これも必要ではと思います。学校でも先輩は立てられますが、後輩の面倒を見るものです。また、お道であるからこそ、尊敬される先輩であって欲しい。悪く言うとカツアゲ上納金、であっては欲しくないですね。お供えいただくその時はやはり頭は下がるものではありませんか?お金が有り難いのではなく、私が頂きますでもなく、信者さんのお通り下さったご苦労が有り難いじゃないですか。笑って出そうと怒って出そうと出さなかろうと、自分は皆さんがまた元気にここへお運び下さったその全てに感謝が一杯だと思えば、自然に信者さんに勇んで頂ける言葉が出てきます。多分。
- [619]新人 05/08/24 06:48 TXkhR4lTwD
- 続きです。
どんさんが、嫌な人に会っていないというのにホッとしました。みなさんよく、あの人嫌な人と思う気持ちを無理に押し込めて教えで納得しようとされますけど、体に悪いですよ。上手にストレス発散してください。陽気暮らしの皮を被った陰気暮らしになりかねないですもんね。
家内は昔行っていた海外青年協力隊の関係で旅立ちました。でも目的地まで入れるかどうかは、行って見ないとわからないそうです。世界では安心して一日を過ごせない人もいる。それでも、ここで朝勤めをしている方がいいのか。布団の上で寝てていいのか・・何が正しいのか、本当に難しいです。いきなりで皆さんには背景もわからないのに家内が熱くなっちゃった事は、すいません。でも彼女はホントに体がいくつあっても足りない中で、お道が広がればあの人もこの人ももっと沢山の人も助かるかも知れないのに・・って、真剣に切実に願っています。毎月生活が厳しく、コツコツこのお金をアフガンに行く方にまわすか、教会に供えるか、心はきっぱりでも、にっこりなんてできないんです。命がかかる時もあるようです。だから、おさえても、ああいう発言になっちゃう。世界一列を助けたい親神様の手足となって働くべき僕らは、自分なりの信仰、できること、日々の生活で精一杯。彼女は、その間にも医療も受けられずたかだか風邪で死んでいく子供を思うと、動く体が勿体なくて、何かしちゃう。今年はホントに忙しすぎてます。
皆さんのおかげでニートがここまで意思を持ち始めるとは、驚きです。しかもやっぱり十代らしいまっすぐな考え方も出来ていると安心しました。もちろん皆さんが感じる以上に僕からすれば君も宇宙人だ、と思うことしばしば。エラレルモノには笑いました。それも呪文に聞こえたんでしょうね。これからの教会のあり方の、大切な事かも知れません。いずれにせよ、皆さん、どの立場で何を考え、どう暮らそうとも、皆が道の子であり、理の親と言えど徳積みが勝っているというわけでもありません。大切なのは陽気暮らしです。神様にお喜びいただけるように、私も頑張りたいと思っています。では長々とお邪魔しました。今後もニートをよろしくお願いします。
追伸:こんな事に反論めいては子供じみていますが、同じ理屈で返してみると、家内は「涙を飲んだ」ので、流してはいませんよ。それと、事情を抱えた住み込みさんのいる教会も沢山あります。ちなみに、私も真面目に始めて数十年、私の父ももう80過ぎですが、何十年やったから、何とか言える事と感じた事はありません。先生方から言われた事もありません。それも人それぞれで、全てをくくるのは、やはり良くないと思います。どちらかと言うと、どんなにまだまだ幼稚な信仰だと感じても、先が楽しみと余裕の先生方が、私のまわりには沢山いらっしゃいます。断ったから幸せではなく、私といて、と思いたいのですが、もし勘違いだとしても、家族で今でもお断りしたおうちとも、きちんとお付き合いを続けさせていただいているし、皆さん事情はご存知ですので、ご心配にはおよびません。
- [620]らくちん 05/08/24 09:00 qJN0aUMWc5
- おはようございます(^^)
ニートさんの「エラレルモノ」はどんさんの「得られる物」だと私も思いますニートさんが、その話の中で、1番「お?!」と思った一言だ
と思います。出来ればそれは自分の心の力になるような、後から思い出していやされる様な、そんな言葉がイイんですけど・・・(^^)
こういう掲示板って、やっぱりいろんな人が思い思いに書くから、ウレシ楽しい事もあれば、カナシイ悔しい事もあると思います。実は私も、今、ちょっとカナシ悔しい気持ちがあって、ココへ書こうかとも思ったんですが、書いたところで私が満足できる内容に落ち着くとも思えないし、かえって相手の方の感情を逆撫でするだけでしかないなぁと、そしてきっと同じ所をいつまでも回り続けて、その間もカナシイ悔しい思いで居続けるんだなぁ・・・と思うと、なんだか書き込む前に疲れてしまいました。歳だから・・・(^^;
言葉って、人を生かしもすれば殺しもします。
特にこうして書き込んだり、手紙を書いたり、そうした言葉達は残って行きますよね。聞いた言葉なら、忘れるって事もありますけど、こうして目から入る言葉はなかなか自分の中から消えません。相手が見えないから、意見でも感想でも、してみた所で、実際声に出して言うより・・・なんというか、実感が無いと言うか・・・。感触が無いというか・・・。なんか出し切ってないような感じがします。だから、たくさん書いちゃうのかな?
ニートさんの心が元気な言葉達にかこまれて、カナシイ悔しい言葉達を跳ね返し、ホントに欲しかった言葉、気持ちに出会えるといいなぁって思いました。
ごめんなさい!子供が遊んで欲しくてぐずってます(^^;尻切れトンボな感じですが、また!
- [621]難しく考えすぎてない? 05/08/24 10:06 2H3SDNqksy
- 何か皆さんのコメント、読む気もしないカンジです。
信仰してますが、そんなに難しいものなのでしょうか?
そこまで長々と書いては読みづらいですよ。
「うちわ」の雰囲気丸出しで、最近の○ちゃんねるの天理教カテみたい。
こういうのがひかれる原因だと思うんですね。
事実私はここ数ヶ月見る気も失せましたし。
自分たちの事で必死な気持ちは否定しませんが、
もっと楽に向き合ってもいいと思いますよ。
事実私は全然苦しくありませんし。
人の事に目を向けることをオススメします。
そこから見えてくることがありますよ。
- [622]くろ 05/08/24 10:17 r3xZPNNzgA
- ニートさんへ
新人さん、ニートさんのお返事を読んで、私の事を分かって貰えて嬉しくて泣いてしまったんです。
新人さんの文章を読ませて貰って、正直へこんでしまってました。
でも、お返事を貰って反対に力が沸いてきました。
ニートさん。私は今、あなたのお返事を読ませてもらって、とても喜び、勇んだ気持ちになっているんです。ありがとう!!
主人の事を自慢する。そうですね。ニートさんありがとう。素直な気持ちがすごく伝わってきます。
私がおたすけに行かせて頂く。本当は分かっていました。
この前初めて講社祭(信者さんのおうちで神様を祭ってあるところがあって、そこのおまつりをするんです)に1人で行かせて貰いました。
とても緊張しましたが、信者さんにも喜んで貰い、私も喜ばせて頂きました。
実は、苦手なんです。お供えを頂くのも苦手なんです。申し訳なくてどのように受け取ればいいのか分からないんです。
神様が私の苦手なところをがんばれ!!って出て行くようにして下さっているのかもしれませんね。
ちなみに言い訳ですが、私の住んでいる所は田舎なのでバスも少なく、車での移動がなければとても不便です。
バスもとても高いので乗れないんです。主人が車で出かけてしまうと身動きがとれないんです。
この前、8ヶ月になる末の娘をベビーカーに乗せ、1時間程歩いて信者さんのおたすけに行かせて貰ったんですが、
私は昔の人の気持ちも知らないとって思って勇んで行かせて頂いたんですが、信者さんに気を使わせてしまい、帰りはご主人が送って下さいました。
これではいけない・・・思いました。
そして教会内で出来る事、今、私に出来る事を考えると、ニートさんがキモイと思われた?おつとめしかないなーって思ったんです。
今日から、又気持ちを新たにがんばっていきたいと思います。
- [623]くろ 05/08/24 10:41 r3xZPNNzgA
- まっぷさんへ
有難うございます。
介護タクシー!!
すごい夢を持っているんですねー!!
やりたい事があるって本当に幸せだと思います。
私も以前は看護婦(今は看護師かな?)をしていたんです。
まっぷさんやらくちんさんの投稿を読んで働きたい気持ちも又膨らんできてしまったでは・・・!!
気持ちは揺れ動くものですね。
嫁ぐ前におやさまの前で思った事は
「毎日、神様の用事をさせて貰って生活させて頂ける。贅沢だなー。」って素直にそう思えたんです。
看護婦は体力、気力勝負ですから、手を抜く事の苦手な私には両方は無理だなーってその時思ったんです。
私も人生色々ですから、親神様がもしかしたら働きなさい!!
ってそして皆に喜んで貰いなさいって機会を与えて頂けるかもしれませんね。
- [624]新人 05/08/24 11:25 TXkhR4lTwD
- ニートです。
エラレルモノ、・・・・???やっぱりむずかしい。
得られる物・・・・。???解りそうなわからない。うーん、
でもみなさん、ありがとう、らくちんさん、ありがとう、でも私かなしくないよ!皆が私に元気をくれたし、私も言いたいこと言ったからちょっとくらい悔しくて何か言い返されても、多分それはおあいこだから。相手の人の事も傷つけたんだもん。はっきり言われないと、わかんないし。ただ、ぜんぜんよく解んないんだけど、新人さんがどうして天理教なの?そんな事、思った事も言われたことも無いんだけどな?信仰伝える側がこうだったら、もっと広がってく素敵な教えだって、一本線を引いてた発言だと思ったけど、違ったのかな。むづかしい事はホントわかんない。単にくろさん、どんさん、らくちんさんとかの、解りやすい気持ちを知ることが出来たとき、天理教は、宇宙人でなく、優しい人もいるんだ、悩んでる人もいるんだ、近付くと洗脳されて、呪文で呪いをかけたりしないんだ、って思うようになったんだよ。そういう人の事までキモいって思ったら悪かったな・・(ごめんね)って事くらいしか。普通の天理教徒さんが何で何日たってもずっとプリプリイライラしてるのかは解らないけど、最初から、「本当に泣いちゃったんですか?」と聞いてから「では表現はこっちに変えてた方がいいですね。それで十分にっこりですよ」って言ってたら良かったんじゃない?お金をあげる時の事だけにっこりしてるの?いつもニッコリしてる人の方が良くない?人ににっこりと言う前に、まずにっこりしてみせてくれないと、笑い方のわからない、私みたいな奴は、やっぱ近所の評判通りって、拒絶するだけで終わっちゃうんじゃないかな。私は皆と話できたから、中にはこういう人も、ああいう人もいるって勉強ができたよ。新人さんには宗教じゃなくて、昼間起きる練習とかあいさつとか教わってるんだよ。天理教の事は新人さんじゃなくて、最初のおじさんとこのPCを通して見てるよ。普通の天理教徒さんからもね。私はよく周りに普通はこうだ普通はできるって、怒られ続けてきたけど、そう言われるほど普通ってだれ?普通って何?私は私って名前なんですけど。って思うだけだったよ。今ここでは言われたこと無い。言われないのに自分がもっと出来るようになりたいって凄く思う。普通の天理教徒さんに普通なことでも、他の人にすごく大変な事はあるんだよ。でもマラソンで平均タイム以内に走れない遅い人には、走る資格もないって言い方してるよ?私はこんなに早く走れるけど当たり前です。普通です。あなたは遅いんですね。普通ならもっと早いですよ、陸上部とは言えませんね、のろまさん、て聞こえるよ?例えが悪かったらごめんなさい。でも、あとの人は、皆がんばろう、一緒に走れるだけ走ってみようって、私を励ましてくれている気がする。また怒らせたらごめんだけど、素直な気持ちです。上手に言えなくてごめんね。
- [625]くろ 05/08/24 11:51 r3xZPNNzgA
- らくちんさんへ
私の教会の後継者の方も同じ様な印象を持つ方なんです。
お祭前にひのきしんに行っても出てこない、
自分の嫌な事には参加しない。
子供さんもたくさんいらっしゃるんですが・・・。
兄弟教会の後継者の方も40歳は過ぎておられますが、自分が嫌になると上級のお祭にも顔を出しません。
私の主人は教会で育っていませんのでそんな教会の御子弟を目の当たりにして、いきどおりを感じていたようです。
今は人は人・・・。
そういう風になったのは本人だけの問題じゃないって考えているようですが・・・。
本心はわかりませんが・・・。
以前、主人が大教会の役員先生を送らせて頂くことがあって、その時に話して下さったのですが、
その先生が大教会長さんと真柱様に同席させて頂く機会があったそうです。
その時に真柱様が「世間の事情が教会にも入ってきているんですね。」(言葉は違ってたかもしれませんが、そんなような事)と残念そうに言われていたそうです。
事情は、離婚や後継者問題、借金問題等色々考えられますが、本来はたすけさせて頂かなければならない教会がそんな状態では・・・。
真柱様は私達以上に悩んでおられるのではないかなーって思いました。
愉達第2号はこのようなお気持ちが伝わってきますよね。
こういう所で色々意見を出し合い、考えさせられる場となればいいですね。
- [626]DASTA 05/08/24 12:09 J0X6NViVRZ
- いま、層化がったいの人たちがすごく顕微鏡に攻撃をしかけてますよね。
おでぃばがえでぃ期間になるとある一定の場所がずっと工事し始めたり。
自分はすごく不安です。でもほかの人たちは大丈夫って・・
えらい楽天的で↓自分は今政治の動きを見ていてもとても不安です。
自民党が勝ってくれれば・・・と思うのですが。。。
あと顕微鏡から分かれた数百の宗教の人たち。
本当にその教えにそうのならば、今一度顕微鏡本部と問答でもするべきでは
ないでしょうか。ひそかにですよ。
そうかがったいの方々の中にもすごく素晴らしい人たちはたくさんいます。
逆に顕微鏡の中にだって、いい人ばかりというわけではないはずです。
そう考えるとそうか全体を軽視して、悪と決め付ける訳には・・。
- [627]くろ 05/08/24 13:58 r3xZPNNzgA
- らくちんさんごめんなさい。私の教会ではなく、上級の教会でした。
- [628]どん 05/08/24 15:18 HrgyI5MriN
- >>617
ババさん、こんにちは。私の個人的な意見を書かせて頂きますね。
自分の選んだ道が大正解というのが基本だと私は思うのですが、敢えて申せば、結婚といえば長丁場ですから、なるべくお互いが相手の全体を受け容れることができるような人と結婚するのが、ベターかな、と思います。相手が相手らしく、長所も短所も、ありのままで生きていく成長していく、それをババさんが気持ちよく受け容れてあげることができるかどうか、というのがポイントかな、と思います。
自分はこれだけ尽くすから相手も尽くして欲しい、という商取引のような恋愛ですと、またそういう恋愛が多いんじゃないかなと思うのですが、最初は尽くし合い愛し合う一体感があると思うのですが、いつか相手は本来の自分を取り戻したいと思うようになるのではないでしょうか。相手に魅かれるとき、その自分の心の中をよく覗いてみることは有用だと思います。自分に無い何かを相手に求めているのか、愛されることを求めているのか、はたまた、周りが勧めるから結婚しようとしているのか。
そして、幸せになりたい、この人となら自分は幸せになれるはず、という思いなら、相手に知らず知らずに無理を強いることになったり、何か大きなトラブルでもあれば、こんなはずじゃなかった、と後悔してしまうんじゃないかな、と、私は思います。
そうではなくて、そういう、自分の心の内を見つめたうえで、この人となら、どんな苦労も共に乗り越えてみたいと思えたら、私は、迷わずGOだと思います。
>>618-619
新人さんのダンナさん、ありがとうございます。
嫌な人がいないと申しましても、確かにいろんな人がいて、いろいろと噂は聞いたりするのですが、少なくとも私と直接会っているときは、そんな嫌な感じの人じゃないなあ、それなら私としては、この人は嫌な人だと断定はできないなあ、と思う次第です。
ダンナさんの仰ったこと、よくわかりました。お話が聞けて、よかったです。
>>621
難しく考えすぎてない?さん、ありがとうございます。
仰るとおり、視点を変えてみるのは大切ですね。
今回のように、ちょっと投稿して下さるだけで、大きな気づきが得られたりして、有難いことです。
今後ともよろしくお願いします。
>>626
DASTAさん、こんにちは。
そうなんですか、初めて知りました。
それにしても天理教の分派って、そんなに沢山あったんですね。す、すごい…
- [629]どん 05/08/24 16:33 HrgyI5MrGk
- >>620
らくちんさん、私のことなら、先に謝っておきます。すみません。
私は、私なりにですが、少しでも参考になれば、と思って書いてます。
しかし意見の相違があって、それ故に嫌な気持ちにさせてるなら、すみません。
らくちんさんの投稿を否定するつもりは全くないのです。
- [630]どん 05/08/24 16:41 HrgyI5MrGk
- >>531
ビットさん、こんにちは。
井上昭夫おやさと研究所所長の「こうきのひろめ」ですが、
もしよろしかったら出版社も教えて頂けませんか?
ホームページで探してみたのですが、うまく見つけられなくて...
- [631]らくちん 05/08/24 16:58 qJN0aUMWc5
- くろさんへ。
・・・悲しい事ですけど、教会の子弟の落ちぶれ様は目を覆いたくなります。でも、ホントに一生懸命にやってる人だってもちろんいるんです。そんな人は決まって腰が低くて、誰にでも挨拶をして、いつもニコニコして、もう、オーラがあるんですよね〜(^^)「この人の話を聞きたい!」「この人と話がしたい!」と思わせるんです。おぢばでは、山本利夫先生とか(^^)!だから自然に人が集まって、みんな笑ってる。アサッテな子弟どもの周りは無言で通り過ぎていきます。
私の事など真柱様はもちろんご存知ないけど、言わせてしまった、聞いてしまったと思うと、なんか苦しくなりますね。知っていらっしゃるんですね。嘆いていらしたんですね・・・。言葉がありません。
ニートさんへ。
ニートさんは、実は頭がイイですね?
言葉の使い方を知ってるし、簡潔です。無駄が無い。そして表現力がすごいですよ!!「そうそう!私もこう思ってたの!!」って。思わず手を叩きました。いいぞ〜!!って。
私も、言ってる事とやってる事が伴わない人は嫌いです。人に言うにはそれなりの説得力のある「人」になってなきゃウソだと思う。「かく言うあんたはどうなんですか?」と言われれば、お会いする機会があれば、私の私生活すべて見せます!みたいな。私がかっこつけないように、影から観察してもらってもいいと思ってますよ(^^)自分で自分はすごいとか、なんちゅうか、ナルシストみたいなのはないんだけど、「私みたいな信仰のカタチだってアリじゃない?」って。だってさ〜、「楽しませずには帰されん」って。人を喜ばせて、自分も喜んで、みんな集まってくれて、笑ってくれて、友達の友達みたいにどんどん輪が広がって、みんなの為に自分が何か出来る(役に立つ。・・・!パシリか!?)事は嬉しいよ(^^)みんなも、私が寂しいって言えば、時間を作って様子見に来てくれたり。もちろん私も行きますよ!そんな付き合い方は所詮「内輪」なのかも知れないけど、普段の会話にうっかり天理教用語が出てしまう私を、黙殺する人もいれば、聞き返してくれる人も居る。「もう、〇〇は天理教だからな〜。布教されるぞ〜!」って。「布教されたいのか〜?ん〜?」って(笑)。それぞれ、人にはお道を聞く旬があると思うのね。今はそんな感じでも、旬が来たら、キチンと話が出来るような私になってなきゃいけないなぁ〜って。逆に、私がその人に話が出来るだけのものがないから、「早く自分を作りなさい!!」と神様おっしゃってるのかな??
あぁ〜!!取り留めないけど、もう5時だ!晩御飯作らなきゃ!!子供が寝てる隙に!!ごめんなさい!!!
- [632]まっぷ 05/08/24 17:56 J0X6NViV4j
- どんさん、お久しぶりです。
お子様達、お元気でいらっしゃいますか?
仕事をしながらの、ヘルパー2級は大変じゃなかったですか?
私は、次に視覚障害者の、ガイドヘルパーの研修を受けたいです。
どんさん、学べば学ぶほど、世界が広がって、色んな人達に囲まれてこの世はやはり、極楽ですね。
- [633]まっぷ 05/08/24 19:10 J0X6NViV4j
- くろさん、
看護師さんだったんですね。
優しい、謙虚な方なので、結婚退職とはいえ
病院側は、惜しかったことでしょう。
某地方の大学病院で、受付の仕事をさせて頂いておりますが、
見ていて、本当に大変な、責任のある仕事です。
教会の奥様も、同じですから、両立は、恐らく、大変でしょう。
でもね、神様は、くろさんにお側に居て貰いたいのではないですか?
私は、そう思います。神様のお側の贅沢な毎日で、
羨ましい限りです。
一時間かけてお子様と、おたすけに行かれたとの事。
おたすけ先の方は、嬉しかったと思います。私だったら、
この方の為なら、何でもするぞーって、思いますよ、きっと。
でもね、神様は、くろさんに、側に居て欲しいのではないでしょうか
- [634]まっぷ 05/08/24 19:16 J0X6NViV4j
- おう!!
何故か、2回も繰り返しちゃった
ごめんなさい!!
- [635]どん 05/08/24 20:14 D2eL0dkyJ.
- >>632
まっぷさん、ありがとうございます。
おかげさまで皆、元気です。
うまいこと仰いますね、まことに、まことに、極楽ですね。
- [636]普通の天理教徒 05/08/24 20:17 phSDz2uqD3
- >>598
> 普通の天理教徒さんの言ってる事は、一見優しげだけど自分が許せるかどうかの中で自分基準に言ってるのは皆が同じなのに、さも自分はもっと上の次元で物を考えてるぞとか自分の方が偉いって認めろ、尊敬しろって意味にきこえるけど、そう思って無くても一般人がそう思うって事は、そういう性格なんじゃないの?
>
ニートさんの感じられている通りだと思いますよ。
私は、優しくないし、親神様も、決して、ニートさんの言う意味では、優しくないと思います。
それは、「理」だからです。
ニートさんは、新人さんご夫婦の優しさを体感されているから、私のような意地悪な天理教的な物言いに、反発されたり、批判されるのだと思います。
その批判は、私の性格の一点は的を得ていると思います。
しかし、人間だから欠点のある同志が思いやりあえば助けられると、教祖は言われていません。
欠点は、互いに諭しあって、と言われています。
新人さんは、あんたそんな偉そうな事いえる立場なの?と、私に言われていました。
立場でものを言うわけではないし、ものを言う事は偉そうとか、偉くなさそうと言う事と関係ない事です。
例えば、ニートさんと新人さん夫婦の間に、立場でものを言う事ってありますか。
無いでしょう。
悪い事は悪い、良い事は良いと、言うでしょ。
「あんた性格悪いよ」と、それを、言い合えるのは、立場が無い、このネット上のことでもあり、新人さんとニートさんの間柄でも、あり。
でも、性格の悪い人が語っても、正確の良い人が語っても、「理」は理なのです。
天理教は、神様を目標にしていると、そう言う意味で、みんな対等なのです。
新人さんが、「天に届く理」として、お供えをされると言う事ならば、「にっこり」でなければならないのは、私の意見ではなく、天理教祖の教えです。
その事は、相手が誰であっても、同じように、私は言います。
暫く前にでしたが、○大教会長さんにお目にかかったとき直接言いましたよ。
「信者さんからのお供えを無駄遣いしない事、させない事」と。何回も。
そしたら、その大教会長さんの命で「○大教会には一切出入り禁止」と、なりましたが、別に、立場でものは言わないし、けれど、お互い、親神様を目標にしているのですから、言い合う事はあたり前で、それで出入り禁止という事も、幾らあっても言う事は言う。
そういう教えが、天理教だと思います。
新人さんが貴方に教えてくれたように、「目を見て」ものを言う。
まっすぐに、意見として言うだけです。
- [637]普通の天理教徒 05/08/24 20:26 phSDz2uqD3
- >>618
> 私の学んだ浅い知識の中ですが、天理教に、「普通」という基準は無いと思います。
> どんなお徳を積まれるか、どんな信心をなさるのか、めいめいのお心は親神様が御くみ取り下さる事でしょうが、それぞれに事情は違うのですから、普通、普通でないを決め付けるのは、天理教として大変危険な気がします。> 身内をかばうのではありませんが、天理教とはそんな敷居の高い難しい教えではないと思いませんか?
> うまく言えないのでこの件はいずれ真柱様に伺って頂こうと思います。
>
正直な感想を申し上げます。
なんで、そんな事を、真柱様に「伺って頂こう」なのですか。
ご自分で、原典とひながたから、すっきりと分かる事です。
- [638]普通の天理教徒 05/08/24 20:43 phSDz2uqD3
- >>618.>>637
天理教信者は何十万人かは別として、「真柱さま」に伺うことが出来る人は何人いるというのでしょう。
新人さんのご主人さんは、真柱様に伺って結婚されたのですか。
今回の話題のお供えも、真柱様に伺って、お供えされたのですか。
一から百までも、伺っておられるというのならば、まだ道理が通ります。
真柱さまというのは、貴兄の疑問に問えば答えて下さるでしょうが、疑問を真柱様に問うという姿勢が、とても、外で一人立ちしている人間の感覚ではありません。
本部内々にいる者の感覚です。
新人さんは、ご自身の結婚の話題の中で、
「一生大教会長さんのかばん持ちか」と、縁談を止めたと、語っておられます。
あなたは、「真柱さんの○○」なのですか。
教団の中の矛盾を厳しく批判している新人さんですが、貴方が夫として、ご自分の判断で意見を述べられずに、真柱様に伺って頂くというような、「真柱様の○○」だというのであれば、新人さんの語っている批判は、本部関係者からの愚痴話としかなりません。
私は、「大教会長さんのかばん持ち」であろうと、「真柱様の○○」であろうと、そんな事は結婚には関係ないと思います。
そして、それが幸福か不幸かは、それも関係ないと思います。
しかし、新人さんは、「この人と結婚したら一生大教会長さんのかばん持ちか」と判断して、破談にして、貴方と結婚されたと仰られている。
それは、天理教団の古い体質の批判でもあると語られている。
それなのに貴兄は、なんで、自分で判断しないで、「真柱様に伺ってもらう」のですか。
まっすぐに目を見て申し上げます。
真柱様に伺うというのなら、人生全て、きちんと全て伺ったら同ですか。と。
- [639]普通の天理教徒 05/08/24 21:12 phSDz2uqD3
- 人のお世話も三年なら出来ます。三十年、一生となったら、それは場面が変わります。
新人さんのご主人は、今している事は、どちらを向いておられるのですか。
内向きですか、
いつの日か道専務になるための準備期間ですか、と言う事を内向きとお尋ねしました。
外向きですか。
家業を持って、教会組織の外に地盤を持って生活すると言う事を外向きとお尋ねしました。
本音が、「真柱様に伺う」であるのなら、外では無理です。
道理に合いません。
外でしている普通の天理教信者は、誰も、真柱様に伺うことなど無く、信心しているのです。
その一列に、隔てなく、参入してでなければ、結局は内向きと言う事です。
一生の問題として、伺うと言うのなら、どちらかを決めるべきです。
奥さんの事を、「涙を飲んだ」のだから、と庇っておられました。
私は「にっこりしていない」事を指摘しています。
ご主人は「にっこり」、ご夫婦でにっこりお供えできたと、言えますか。
ご主人は、にっこり受け取ったのではありませんか。
実家の兄の為に。
疑問です。
- [640]くろ 05/08/24 22:41 r3xZPNNzgA
- まっぷさん。
私はまっぷさんが言われるような人間では無いですよ。
私なんて本当にまだまだで、ここでこうして勉強させて頂いているんです。
看護師は大変ですが、やりがいがありました。
人に喜んで貰える、人と接していけるお仕事はやっぱりいいですよね。人に喜んで貰って、自分が喜ばせて貰えるんですから・・・。
おたすけに行かせて頂いたお話しは言い訳だと書いたんですけど、
その前の2日間に調度近くで用事があって
いつも気になっていたので2日続けて寄らせて頂いたんです。
その事を会長に話すと
「おたすけは3日と日をしきってお願いするものだ。」って言われて、
そうだなーって思ったんです。
それで次の日も行かせて貰おう。って思ったんですが、あいにく会長が仕事だったので、
どうしようかなーって思っていたら、「別にバスで行ってもいいんじゃない?」って言われて、本当に自分の都合ばかり考えて・・・。
それではおたすけなんて大それた事・・・。
申し訳ないなーって思ったんです。
歩くのは好きな方なので昔の人も歩いておたすけに行かれたんだ。
って思ったら、1回でもいいから歩かせて貰おうって思って歩いたんです。でも返って気を使わせてしまい、結局自分の為、自己満足の為だったのでは無いかなーって反省しました。
自分の浅はかさがはずかしいです。
これからも少しづつでもいいから成人していけたらなーって思っています。これからもよろしくお願いします。
- [641]まっぷ 05/08/25 00:39 J0X6NViVSQ
- くろさんへ
私の方こそ、よろしくお願いします。
「一回でもいいから歩かせて貰おう・・」
歩くのが苦手な私は、くろさんを、尊敬してしまいました。
暑い中、大変だったでしょう!
看護で鍛えた体・・さすがです。
くろさんが、浅はかだなんて、ちっとも思いませんよー。
また、お話聞かせてくださいね!
- [642]ババ 05/08/25 02:19 KTSU.XzSxT
- くろさんお話ありがとうございます。
私は、パソコンを触るのは初めてでして、ネットの中で皆さんが天理教のことに真剣に語っているのを見て、ここなら私の悩みを聞いてくれるのではないか?と感じ無礼ながら書き込みをしてしまいました。これからもよろしくお願いします。
私は、彼女と学生のころ知り合い付き合い始めて10年近くになります。(私の年齢がわかってしまいますね・・・)その間、お互いの信じている教えについて何度も衝突し、別れ・再開はなんどとありました。そして今、私たちは真剣に結婚について考えています。それは、彼女が私を必要としている事、また私は彼女を幸せにする事が私の幸せにつながるのではないかと感じているからです。彼女は物事をマイナスに考える傾向があり、天理教の家庭に育った私はその逆です。だから彼女は私といると安心感があるのではないかと思います。
そんな彼女を守りたい、大げさに言えば天理教でプラスに考えることのできる心の持ち主になって頂きたいという気持ちが大きいです。
私は彼女と天理教の道を歩むとき大なり小なり、壁はあると感じています。しかし自分に乗り越えられない壁は、神様は用意しないということを考えれば、これは自分たちの成長課題だと受け止めます。
こんな私は、恋愛しているだけの病気なのでしょうか?
どんな非難でも受け止めます。皆さん書き込みよろしくお願いします。
- [643]新人 05/08/25 04:39 TXkhR4lTwD
- 新人の夫です。
普通の天理教徒さんへ
何かお気に障ることなら失礼しました。
でも、もしかしたら、貴方の言われる事の方が正しいのかな?僕の一存で決め付けてはいけないと思って・・。
先代の真柱様は僕の名付け親です。何がお気に障ったかはわかりませんが、解らない事は訪ねるのが常でしたので、深い意味もありませんでした。いつも、上からこうだぞ!と言われたことが無く、日々の信仰の上で疑問に思ったらお伺いを立てる。・・先にも述べたように、そんな風に甘ちゃんで大人になった事は、消しようがありません。おっしゃる通りです。あのままの自分では、どこにいても何をしても内も外もなかったと思います。言われて今また、あ、この考えもそうなのか、と初めて思いました。すみません。もっともっと、普通の天理教徒さんのように、お道のため、教会の為を思ってこれは改善した方が・・と教えて下さる方を宝と気付ける人が、いないとおかしいんですよね。教義が頭でなく心に納まっていれば。・・それと、また戻ったら書き込むでしょうが、先ほどの電話で、そのまま言いっ放しで来てしまってその間ずっと納得できず嫌な思いをさせていると気が付いたら、申し訳なくて、普通の天理教徒さんに、とり急ぎできちんと伝える時間なくてすみませんが、素直な心で受け止められずに、ごめんなさい、と、申しておりました。あと、人のお世話、ですが、ニート達の母はシングルマザーで、うち一人が家内の友人であり、ニートはあの通りですが、まずはお母さんのお心定めで、今修養科に。・・一度仕事を止めるということは、母子家庭には大変な事でましてや元々未成年、基本的生活も、まだ全く一人で残せる状態ではないので、始めはニートだけをお預かりする予定だったのが、旅行気分で友達三人付いてきた・・感じです。面倒は家内がみていますが、天理教の事はお母さんやご縁のある教会からお導き頂いたほうがいいし、(まず、日常会話から覚えてもらってる感じです)今大切な事は、面倒だなと思っている事をひとつでも減らしたり、若者らしく元気に笑ってもらって、お母さんにありがとうの気持ちで、お帰りなさいを言える心が芽生えてくれたら、というのが目標だと申しておりました。以前から事情は違えど(親が入院した、など)ご縁で色んなお子さん短期間お預かりはしていますが、施設ではありません。あとの人は、お茶を飲みに来るとか、前の店のバイトとか、知り合いとか、何故かいつも人が一杯いるだけで、本来同居は介護の必要な母だけです。本当にいろいろ複雑で、また、それらは申し上げたくないのでひとつひとつにお答えできないのが申し訳ないのですが、普通の天理教徒さんの、お伝え下さりたい事は、よくわかりました。ありがたくしっかりと心に納めます。
- [644]どん 05/08/25 07:47 D2eL0dkyJ.
- >>642
ババさん、すごいと思います、その上で、個人的な意見を投稿します。
>大なり小なり、壁はあると感じています。しかし自分に乗り越えられない壁は、
>神様は用意しないということを考えれば、これは自分たちの成長課題だと受け止めます。
このように覚悟というか、意味づけることができる人にとっては、どんな困難も苦しみも悲しみも、実は貴重な学びの機会であり、飛躍のチャンスであると感じられることでしょうね。
>どんな非難でも受け止めます。
同じことだと思います。そう覚悟を決めたババさんを傷つけることは誰にも出来ません。
ちょっと偉そうにも予想をしますと、ババさんは彼女をどこまで受容することが出来るか、という点が課題になるでしょうし、また学べるところでしょうから、いい結婚になると思います。逆に、彼女はババさんのプラス志向に助けられてるとのことなら、ババさんとの関係では成長の機会が少ない。ということは、彼女にとっての課題は、ババさん以外の人との人間関係を克服していくということかもしれません。
イメージで言いますと、昔ゴレンジャーってあったのですが(今は何て言うのでしょう、デカレンジャーかな)、あれで味方の二人が大勢の敵に囲まれてるという感じでしょうか。こう、二人は背中を向け合って「くそ、囲まれたぞ!」みたいな。それで二人で頑張って敵を倒していくのですが、その時、味方の一人が「あたしには無理!」と言えば「大丈夫だ、自分を信じろ!二人で勝つんだ!」そんな感じですね。
ちなみに我が家は、嫁さんが「あ、殴られた、もう嫌や、大体あんたのせいやでー!」てな感じで、私が「アホか!今はそんなこと言うてる場合か!も〜ええわい、俺が戦うからお前は三角座りでもしとれ!」てなこと言って、嫁さんは「何よ!私が役立たずみたいやんか!」てな感じで、一体誰が敵だったかよくわからない毎日です。
ババさんなら「大丈夫だ、自分を信じろ!二人で勝つんだ!」と言えると思います。
それに、敵は大勢ですが、あくまで悪者役というだけで、撮影が終われば、みんな仲間です。
自分の信じた道をお進み下さい!応援してますよ。
- [645]どん 05/08/25 07:49 D2eL0dkyJ.
- >>644
すみません、プラス志向じゃなくてプラス思考でした。
- [646]らくちん 05/08/25 08:08 qJN0aUMWc5
- ・・・私、もうここに書き込むの辞めます。ここへ費やす時間が心地よく感じられなくなってきました。私の大嫌いな理屈責めの書き込みは目障りで仕方がありません。という訳で、今日は最後に私のいんねん丸出しで書いちゃいます。
普通の天理教徒さん。
私はあなたが信者だと思いたくありません。当初は親身にご意見頂いて感じ入った事もありましたが、今のあなたは人に求めるばかりで、ご自分は教理を盾にして高みの見物。どれだけご自分に自信があって、教理を学んでいらっしゃるかもう、充分分かりましたから。あなたが自分の都合よく教理を持ち出して、「それが理です」という無神経さ。あなたのような方に「理」を語って頂きたくありません。だからもう、黙ってくれませんか?そうやって、ご自分の人間性のお粗末さに気付かないのはあなたの、いんねんであって、それはもう、周知の沙汰です。なぜ、あなたはひけらかすだけ教理をお持ちなのに、ご自分の人間性のお粗末さに説く「理」はないんですか?説いてくれる人が居ないんですかね?あなたの身近に、あなたに本当に親身になって手を差し伸べてくれる「人」はいますか?あなたの言う「理」の話を、ここでたくさん書いてみたところで、あなたに惹かれる人はいませんでした。わかりませんか?もし、この空気が読めないとすると、もう、人の中で暮らしていくのは無理だと思います。おおかた、日々教理の勉強なんて大義名分で、教典、教祖伝、おふでさき、おさとしを叩き込み、軽い「天理教おたく」な自分になんだか酔っているようですね。楽しいんでしょうが、それは一人の世界でやって下さい。おたくを否定する気は無いですが、あなたは特別(好きでしょう?特別って)です。・・・あなたの好きな全否定で書いてみました。気持ちいいですか(笑)?あなたの信仰があるって事はわかりましたが、人の信仰に横槍いれるのは、あなたの役目ですか?神様がそうおっしゃいましたか?どこに書いてありますか?あなたの個人名がしっかり書かれてるとでも言うんですかね?何があなたをそんなに偉くさせるんでしょう?教理をたくさん知っている人が天理教では偉いんですか?驚きですね(笑)。
覚えて置いてください。あなたは少なくとも私から見て「天理教の信者」ではありません。あなたは、自分はお前達とは違うんだというスタンスで居る限り、こうまんで、わがみかわいで、心得違いです。誰がみてもそうでしょうね。あなたは幸せな事に気付かない。あぁ、思い出しましたよ。あなたの様な人を「トイシ」って言うんですよね。そう思うとありがたいなぁ、あなたみたいな「トイシ」に出会えて。本当に勉強になりましたよ。お疲れ様でした。私が言いたい事はこれだけです。何言われても、あなたは顔も声も無いですから、私の想像力を持ってしても、どんな顔で読んでるのかわかりませんが(興味ないですがね(笑)。)、この私に変な対抗心持たないほうがいいですよ。周りが見ていて、決して気持ちのいいものではありません。私?私はどうかって?こんな風に書いてどうかって?あなたの教理で考えて下さいよ。地獄に落ちますかね(笑)
あなたの説く「教理」で、しばらくご自分をみつめてはどうですか?今更ながら、新しい自分が発見出来るかも知れませんよ(笑)。
- [647]普通の天理教徒 05/08/25 08:21 phSDz2uqD3
- 失礼ばかりで、済みません。
ご夫婦で真剣に道をお通りの過程に、いきなりのものの言い方は、失礼極まりないと、ニートさんのご指摘のとおりです。
しかし、「見て見逃し、聞いて聞き逃しはどうもならん」と、教祖の教えです。
ネットは、色々な人が見てもいます。
新人さんのご主人が、当たり前の様に真柱様にご相談していると言う事は、「内の人」としては、極めて自然な事で、そしてそれが、本部内々の人の「普通』である事は承知しています。
その、内の人の常識は、決して普通の天理教徒の常識ではない。
この一点は、先ずどうしても申し上げたかった事です。
真柱様に気軽に相談できると言う事は、悩みを抱えている信者さんに取れば、みんながそれをしたい事です。
でもそれを、みんながしたら、真柱さまの普通の生活はどうなるでしょうか。
天理時報の真柱様ご夫婦と酪農の農家の方の対談の中で、真柱さんはこう言う旨を語られていました。
(酪農の農家の方は)二十四時間、気の休まるときは無いのでしょうね。と。
牛は生き物だから、二十四時間いつ何が起きるかわからない。
その間、いつ何時でも牛の為に心を張り詰めていなくてはならないから、大変ですねと、言われたのだと思います。
二十四時間、片時も、心を休める事がないというのは、この真柱様のお気持ちを思えば、真柱様ご自身が普通にそうだから、普通に思いやられた事。
それは、「内々の人」誰もが、真柱様を頼り、相談し、当たり前の様に伺い、真柱様に二十四時間、休まる間も与えないからです。
私は、内々の全て伺い体質が、それが良いか悪いかは分かりませんが、真柱様を楽にしてあげたいという二十四時間思案の人は何人いるのでしょうか。
私のことで言うなら、とても二十四時間教祖と思い緊張しているとは申せませんが、目が開いて起きているときなら、教祖の思いに浸ろうとし続けています。
私も、例えれば牛舎にいる間だけは牛の世話をしようとしているだけの「怠惰な酪農家」にすぎませんが、今日からは、牛舎を離れても、片時も牛を忘れない、二十四時間に近づくように、精神を入れ替えたいと思います。
- [648]普通の天理教徒 05/08/25 08:35 phSDz2uqD3
- らくちんさんの感想、読みました。
私は偉い人でもないし、物知りでもないし、天理教オタクでもない。
原典も教理も知らないらくちんさんが普通でないのです。
教祖は、原典を残されました。
それを知らないで、信心しているつもりだとしたら、まるで奇妙です。
本部の内々には、本当はわたしより知っている人は山の様にいます。
それは当然です。
天理教会本部です。
しかし、みんな真柱様の許可が無ければ何一つ表立って語れない人たちばかりです。
どんな宗教であれ、聖典と呼ばれる教義書にみんな精通しています。
天理教くらいなものです。
原典に精通していない「先生方」ばかりなのは。
それは、教祖への不孝です。
天理教の教会なら原典はあるはずです。
それを読みもしないで、しまいこんでいる人ばかりです。
教会に行って読みたいといえば、読ませてくれます。あるのですから。教会の備品として。
なんで、教義を粗末にするのですか。
私が特別によく読んでいるわけではない。せいぜい一日に一、二時間のものでしょう。
原典もひながたも、それをしっかり思案してくれと言うのは、教祖の教えです。
原典を読むのが普通だと思います。
読まないと言う事は、単に自分勝手に信仰しているに過ぎません。
自分のイメージで、これが天理教だと勝手に創作している事は、普通ではありません。
- [649]普通の天理教徒 05/08/25 08:38 phSDz2uqD3
- あんたに、だれが命じたのよ。
人に言われてしてはいません。
天理教の名のもとに、原典に無いことが公然と語られる事を放置できないだけです。
教祖の教えを曲げて語る事を放置できないからです。
- [650]普通の天理教徒 05/08/25 09:11 269CdhdigJ
- らくちんさんは、初めは、元同僚の方の事を心配されて、七年間の胸のしこりを投稿されていました。
自分が天理教に導いたその方が、いまだ独身で、自分教を始めている事をなんとかしてあげたいと、語っておられました。
今のらくちんさんは、その話題は終わっています。
どうしてでしょう。
> あなたが自分の都合よく教理を持ち出して、「それが理です」という無神経さ。
> あなたのような方に「理」を語って頂きたくありません。
> だからもう、黙ってくれませんか?
無理です。
語ります。
らくちんさんは、ネットに登場する話題として、友人への思いを語られたのですか。
そうではないはずです。
しかし何時の間にか、ネットでの信仰談義の中で、肝心の友人さんのこと忘れていませんか。
私は、忘れていません。
それは、新人さんの事でもそうです。
縁談においての自分の体験と信仰信念を語られて、ネットに登場する話題として、教団体制のお金の問題を語られ、お供えへの批判や教団組織の上下を語られた。
ネットでの信仰談義が始まると、今度は仲良し会のように、話題が変わる。
お助け頑張ってます、お供え頑張ってます。と、変わる。
それなら、新人さんが破談にした、相手の人の気持ちや人間性は、ただこここでさらされて、馬鹿にされて終わりですか。
らくちんさんの友人の間違った信仰振りというのも、話題にされただけでちょんですか。
新人さんの元彼も、かばん持ち云々でちょんですか。
そういう人にご守護がありますようにと、普通の天理教徒は願います。
天理教について語るスレだから、互いの天理教感が違おうと、それは良いと思います。
しかし、話題として公開し、そこで述べたという責任はあります。
少なくとも、友人という他人の信仰を「間違っている」とか、「変だ」と語ったのは、らくちんさんです。
それも、相手のいないところで。
それは新人さんも同じです。
相手の反論ではないところで、元彼という、或いは破談先の彼を、「間違っている」「変だ」と語っています。
私は、直接に目を見てかたれとの、新人さんの姿勢と一緒です。
人のいない、反論できない処で述べてはいません。
反論できる場所で、直接に、述べています。
この違いが、分かりますか。
らくちんさん。
一方的に、人の事を悪く語っている。
そう見えても、相手の人に対する思いやりならば分かりますが、ネット登場の話題として、それを述べた後で、後は、私たちの仲間談義というのでは、失礼です。
あなた方に、こけにされた方々は、一生このネットは見ないかもしれませんが、だから、けなしっぱなしで、済ませて良いとは思いません。
- [651]普通の天理教徒 05/08/25 09:37 269CdhdigJ
- 初めは、悩みを抱えていて、ネットに登場し、居心地がよければそこにて自由に語る。居心地が悪ければ、移動する。
それは、顔も見えないネットだから可能ですが、その間に、述べた事には責任がないというものではないと思います。
「トイシ」「砥石」と、らくちんさんは私に命名くださいましたが、それは、らくちんさん自身の事だと思います。
天理教の講話では、「相手を磨いて、自分は磨り減っていく存在」の事を、「砥石」に例えます。
つまり、「相手を磨いて自分は消え去る存在」の事です。
現実にらくちんさんは、「自分は消えよう」としています。
それでは、「砥石」はらくちんさんです。
らくちんさんご指摘の様に、このスレでは、周りは、普通の天理教徒を嫌がっているのだろうと、感じます。
それなら、自分が消えるのではなく、「存在」し続けたら如何ですか。
私の息子が良く言います。「親父みたいな奴が自分の行くネットに現れたら、先ずシカト、徹底的に無視するね。」と。
「徹底的に無視してると、そのうち、いなくなるよ。」と。
- [652]くろ 05/08/25 10:59 u4tLw6hG6J
- らくちんさんへ
私も教理苦手なのですが、だからついつい見落としている部分も多くて自分が嫌になってしまったり・・・。
人間色んな人がいていいと思います。それが人で人間臭いところではないかと・・・。
だから仲良し会でもいいですよね。人間ってだいたい相談する時は自分の気持ちは決まっていてただ聞いて欲しいって思っている事も多いそうですから、ここでその気持ちを出して気分が晴れた!!でもいいと思います。
そして、とことん話し合いたい人も居ていいのではないか・・・と。
以前、万年初級さんは読みたくない人は飛ばして下さいってわざわざ書かれていた位ですから・・・(笑)
らくちんさんも言いたい事を書いていいし、普通の天理教徒さんも同じではないでしょうか?そういう場がなかなか無いって書いておられたではないですか?
らくちんさんがこのまま書き込まれないのも自由ですし、書き込まれるのも自由です。
でもこのまま去られるのは何だか寂しい気がします。
- [653]普通の天理教徒 05/08/25 10:59 269CdhdigJ
- >>617
ババさん、参考になるかならないか、感じで申し上げますので、お許し下さい。
> 今交際している相手がエホバの証人です。
> 結婚を考えていて、彼女には今、別席を運んでもらっています
> しかし彼女にいくら天理教の話をしても全く興味がないらしく、
> ただ自分と結婚したいがためだけに、今別席を運んでいる状態です。
> 今彼女はエホバの集会には参加していないようですが、エホバを心から信仰しているようです。
> 僕たちはこれからうまくやっていけるのでしょうか?
エホバの証人の、教えは、ご理解しておられると思います。
http://www.watchtower.org/languages/japanese/index.html
批判としては、
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/8769/
こうしたものであります。
問題は、彼女の信仰の実態です。
何を何処まで信じているのかと言う事になります。
天理教の教えとエホバの証人の教えとの間にも、似ている部分はあるでしょうし、まるで違う部分もあります。
その、まるで違う部分で、彼女が、天理教を受け入れられるかどうかは、彼女の信仰の実態によっては違ってきます。
エホバの証人が説く、理想世界は、天の神の支配による王国であり、戦争も争いも貧困も飢えも無い、皆が仲良く暮らす庭園、です。
この理想世界と、天理教の説く陽気暮らしとは、中身はともかくイメージとして似ています。
そして、その地上の楽園に至る道として、キリスト教を経て、エホバの教えがあると言う事で、それには、守るべき教えと、通らなければならない方法が予言できちんと示されて、来続けているいるのが、エホバの証人の特徴です。
その教えの具体的な処に入り込むと、天理教の教祖の教えとは一つ一つがまるで違います。
その一番の違いは、「中山みき」という存在です。
エホバの教えは、アダムとイブが律法を犯したという原罪から救済されるという事を、基本としています。
その、アダムとイブの過ちとは、禁断の果実・色情とされています。
それで、この世にあるべき楽園がなくなってしまったという、この一点が一番の根幹ですから、「不倫」や「離婚」、「夫婦の不仲」、「男女の揉め事」こうしたもので家庭や、恋愛に悩む人にとっては、その「過ち」の罪から救われるということで、楽園が来るのであればと、救済を求めます。
幸せな家庭を作りたいという願望が、あればあるほど、「神の許さない性行動」から、「神の許しを得た性行動」しかないと、追い込まれていくわけです。
彼女が、単に、幸福な家族への願望から、エホバの証人の教えに引かれているというのであれば、陽気暮らしをつくろうと、そういう一点で貴方が、教祖の事をきちんと伝えてあげれば、理解されると思います。
紙に選ばれた人しか「神の王国」に入れないとか、そんな隔ては無い事が、きちんと伝われば、理解される事でしょう。
もし、彼女が神から選ばれたものとして、神の王国に入りたいと心から思っているとしたら、とことん話し合うしかないと思います。
彼女の描く「幸福な家庭」と、貴方が目指す「陽気暮らし」との、一致が出来るまで、貴方が彼女の望みを理解する事で、結婚可能と思います。
参考までに。
- [654]くろ 05/08/25 11:23 u4tLw6hG6J
- ばばさんへ
はじめまして・・・。
上でも書きましたが、相談される時は自分の気持ちは大体決まっている。と言いますから、
ばばさんはほぼ覚悟を決め、ご自分の中では決断されているように思います。その中で私が感じた事を書かせて頂きます。
私も教会で育ったのでいつも信者さんの子供さんが優先で自分達は後回しという環境が当たり前でした。
そういう事は苦痛に感じた事は無かったんですが、最近、その事で悩むようになりました。
共依存と言うようですが、自分の事を考えられず相手の事ばかり考えてしまう。という事です。この事は一見いいように見えますが、これも心の偏りなんです。
「人をたすけてわが身たすかる・・・」ですからまず自分があるのが正常な心のあり方なのかなーってちょっと思ったんです。
ばばさんは彼女さんの事を大切に思っておられるんだなーって文章を読んで感じました。
今一つ、自分は本当に自分が幸せになりたい!!って思っておられるか考えられてはいかがでしょう?自分が幸せになりたい!!って思うのは悪い事ではないです。彼女さんの人生では無く、ご自分の人生ですから・・・。
そして、言われなくとも分かっておられるでしょうが最後はご自分で決断し、ご自分の人生を歩まれたら・・・。と思います。
これからですねー?何があっても羨ましい位です。
落ち着いてしまうと思い出になってしまって・・・。
頑張ってください!!
- [655]どん 05/08/25 11:42 LJf8Q/.Iga
- らくちんさんへ
私もくろさんの意見に賛成です。いろんな人が居て、いいと思います。
しかし、らくちんさんのことを否定するつもりはありません。
あなたの感情は、尊い。自分を責める必要もないと思います。
また、少なくとも私は、普通の天理教徒さんに惹かれています。
新人さんのご主人も、普通の天理教徒さんの投稿を、ひとつの貴重な意見として(貴重でない意見なんてそもそも無いんですが)受け取っておられると思います。恐ろしく柔軟な方だと感銘を受けました。
普通の天理教徒さんが、教理をひけらかしているのではないでしょう。
あなたが「普通の天理教徒さんに、教理をひけらかされた」と感じたのでしょう。
人は、他人の言動の中に自分を見ます。
しかし私とて、普通の天理教徒さんに盲従している訳ではなく、なぜ普通の天理教徒さんが、新人さんのご主人が真柱様に伺うことに、そこまで反応されるのかは、よくわかりませんでした。しかし普通の天理教徒さんは「みんな真柱様に伺いたいのです」と仰ったから、私は「ああ、普通の天理教徒さんは真柱さまに伺いたいのかな」と思いました。でも私は真柱さまに伺いたいとは別に思いませんので、一連の会話を何とも思わなかったのです。
くろさんも仰ってましたが、全ては各自の自由な判断です。
ただ、私も、らくちんさんがこのまま去られるのは、ちょっと寂しい気がします。
- [656]新人 05/08/25 12:17 KZgXGk0V/L
- にーとです。
らくちんさん、いなくなったら淋しいな。
バカな私をおりこうと言ってくれて、ニートは嬉しかった。この気持ちを、何て書くのかわからないバカだけど、ニートがいつか大人になったら、新人さんとの約束、実行するとき、らくちんさんにも、あのときはありがとうっていいたいなって思った。・・??うまくいえない。意味わかる?スンマセン。
ここには、「天理教の人も、そうでない人も、って書いてあって、皆が見てるんだから、責任も持って考えて何か言え、ってことは、「そうなんだ」って初めて教えてもらったけど、それじゃあ、皆の言っていいことは、綺麗な事だけで、結局は、普通の天理教徒さんにとっての「普通」じゃない人は、皆攻撃されて、傷ついて、ここを出てかないといけない?私は誰かにとっての普通に合格するテストを受けるために書いてるわけではないから、普通じゃないって、どんなに言われても怒られても気にしないよ!っていうか言われすぎてて又かよくらいにしか思えないのかも。ニートの普通、らくちんさんの普通、ニューハーフの普通、他の宗教の普通、日本の普通、外国の普通、超お金持ちの普通、どボンビーの普通、「へえ、これが普通の人もいるんだねえ。変わってる〜」って思ってればいいと思うよ!そう思えない人もいるんだな、みたいな。うーん、うまく言えない!!難しくてやっぱニートにはわかんないや!!らくちんさん、いじめられても泣いちゃだめだよ!むかついたあとって悔しくて、そのあと悲しくなるよね!ニートしょっちゅうそう!!あ、皆はちがうか。へへへ
- [657]新人 05/08/25 15:43 KZgXGk0V/L
- 新人の夫です。
みなさんに、どこまで伝わるかわかりませんが、ニートが自分で何かを考えて、自分で言葉を発することが、これまでの本人を知るものにとって、どれだけの驚きか、
みなさんの輪をみだしてしまって、我々さえここへ来なければ、と思うのと同時に、お陰様でどれほど本人の感性が育ち始めたことか、皆様との出会いに、感謝してもしきれません。
その事を申し上げようと、再度お邪魔しました。らくちんさんは、元はと言えば自分の為ではなく、優しさとお心配りから、腹を立てられたのです。らくちんさんが御自分を責められる原因を作ったのは私共です。
反省すべきは私たちですから、どちらにも本当に申し訳なく思います。らくちんさんにも変わらず、その大きな心と優しさで皆さんの勇みの心にエールを送り、共に悩み、共に成長される方として、留まって頂きたいと思います。普通の天理教徒さんの申されたように、時間に追われたとはいえ、言いたい事を言いっぱなしで間をあけてしまった事、家内は、色々思案し、自分で気付いて、とり急ぎ電話で私に伝言を残しました。多分あの言葉もこの言葉も、こう表現すれば良かったのに、って、いろいろ自己嫌悪の最中だと思います。皆さんに対してです。・・過去の事は、(今回の場合発言した事や、皆さんに不快な思いを残したことも。)何を言われても、消しようがありません。反省はできますが、これからの事しか、修正はできません。その繰り返しで日々成長させて頂いている未熟な者達です。
・・・とにかくニートは、日常でも、これまでは家内と私にやっと心を許す程度だったのが、お茶を飲みに来たお婆さんに「自分の家にはお茶がないの?」(失礼ではあるけど・・)とか、「足が痛いの?」とか、興味をもって口にするようになりました。まだ、めんどくさいと一万回は言っていますし、食器を洗うくらいならご飯はいらないと言う感じですが、感受性が明るいほうへ豊かになっているという気がします。自分の好きな人が悪くいわれるとムカツク、とりあえずそれが芽生えたんですね。一見悪いようなこんな感情もとても尊いものなんだなあって、ニートから教わった気がします。皆さん、本当にありがとうございました。表現しきれないくらい、感謝しています。
- [658]新人 05/08/25 17:23 KZgXGk0V/L
- ニートです。
くろさん、返事わすれてごめんなさい。
嬉しくても泣くんだね。不思議だね。許してくれてありがとう。
苦手なことをやるってすごいよ。ニートは嫌だもん。
得意なことがある人はみんなすごいよ。ニートまだないし。
赤ちゃんもお母さんとお散歩いっぱいできて、苦手なこともできて、おたすけさんもよろこんで、よかったね!
夢で見て行ったつもりでやめたんじゃなくて、おたすけさんのところに行きたいと思って本当に行ったんだから自己満足じゃなくてただの満足っしょ!!みんな満足の超すごい日だったんだね。今度は旦那さんが、くろさんを自慢する時だよ、もうラブラブ絶好調だね!
お父さんとお母さんが仲良しだと赤ちゃんも絶好調だろうな。
ニートのマジ親父は、天国だからね〜。
くろさんは、性格良すぎだから悩むんだね。
自分の事が自分でできて、家族の事もやっててって、私からみたら、それだけで信じらんないのに。いつも人のために頑張ってるくろさんが困ってるときには、今度は皆がミカタになって助けてくれるから平気だよ!旦那さんも生きてくれてるし!!子供もいるし!!ひとりぼっちじゃないもん。新人さんが残念がってたのは、例えば子供にブランド服着せて、来る人が減ると、ブランド服を買うのはやめずに、いる人に「来月からはあと二万お願いしますね。」って平気でいう所がある事で、教会の人に何でも悪いと思いながら暮らして欲しいとかじゃ絶対ないからね。その人たちの事で、まじめの人も同じに悪口いわれるの、かなしいだけなんだよ。今思うけどニートが初めに言ったこともそうなんだよね。まじめな人の方が傷ついちゃって、ニートも新人さんもへこんだよ。本当にごめんね。
- [659]くろ 05/08/25 20:04 u4tLw6hG6J
- ニートさんへ
お返事ありがとー!!
ニートさんの言葉はとても分かりやすくて、とても心に響きます。
私はどうしても私なんかって思ってしまう事が多いのですが、
ニートさんに励ましてもらって
素直に「ありがとー!!そう言ってもらえてとても嬉しいです。」って言えばいいんだなーって教えてもらいました。
ニートさんみたいに素直な心になりたいです。
そういえば新人さんからの宿題は進んでいますか?
出来ていたら帰ってきた新人さんはびっくりして、喜んでくれると思いますよ。
私もニートさんにほめてもらってとても喜んで、単純だから家族にも優しくなれてるんですよ。ありがとー!!
人を喜ばせるのって自分も嬉しくないかな?
自分の事は分からないけど、人を喜ばせる事をしてみたら・・・
どうかなー?まずは新人さんや、新人さんのご主人さんに喜んでもらえる事してみたら・・・どうかなー?
- [660]くろ 05/08/25 20:31 u4tLw6hG6J
- 新人さんの御主人さんへ
初めまして!!くろと言います。
奥様の事心配されていると思います。本当に大変ですね。
これまでの投稿を読ませて頂いて、心の広い方だなーっと感心させて頂いています。
新人さんには認めて頂けないか・・・と落胆していたのですが、
認めて頂けてとても嬉しかったです。
でも、お二人の日々の通っておられる様子を伺い、教会で生活させて頂きながら、申し訳ないなーっと思わせて頂いた次第です。
この掲示板は書き込むのも自由ですし、誰が書いているかも分からないにも関わらず、大変な旅先において自分の書き込みの相手の方をお気遣いされ、本当にどういう方なのか・・・。と驚いています。
そんな気遣いはしようと思っても出来ないと思います。
色んな心の内を書き込みされておられましたが、ここの掲示板で書き込みされておられる方と同じような事を思われているように思います。
こんな事を書いていいのか分かりませんが、本部の内部に残られて、
お二人で力を合わせて改革をして下されば、真柱様も力強く、喜ばれたかもしれません。これからでも遅くはないですが・・・。
もちろんどこでも陽気暮らしはさせて頂けるし、今の日々通られているのもとても素晴らしい事ではあると思うのですが・・・。
事情も知らず勝手な事を書きましたが、そう思ったものですから・・・。
新人さんが無事お仕事を終えられて帰国される事をお待ちしています。
- [661]まっぷ 05/08/25 23:22 IQU0etXRFJ
- 普通の天理教徒さんへ
初めまして、よろしくお願いします。
私の両親は、近所に住んでいて、お互いよく行き来しています。
普段とても仲良しですが、父と性格が似すぎているせいか(顔も!)
時々、衝突してしまい、あとで後悔しています。
私の事を、心配ばかりしてくれる、とても大好きな父なのに・・。
やはり、感謝の心が、足りないということでしょうね。
反省、反省。
- [662]ババ 05/08/26 03:10 qtFLE8Ildm
- どんさん・くろさん・普通の天理教徒さん・そして、このスレを見ている皆さん私のような新人の無礼者がいきなりネットに現れたにもかかわらず、話を聞いていただいてありがとうございます。
皆さんの貴重な意見を心に納め、前に進みたいと思います。また結果は必ず報告します。
皆さんに感謝の意味をこめて私の好きな言葉を紹介します
「過去と他人は変えれない」
「あなたは私の鏡です」
- [663]どん 05/08/26 11:26 u8MW6XFVP8
- >>656
ニートさんへ
ニートさんは、うまく言えない!と仰ってますが、とんでもない。ようくわかります。
ニートさんは優しくて素直な人だなあと、私も思います。
らくちんさんも、優しい、素直な人だと、思います。
>>657
新人さんのご主人さんへ
ようくわかっているつもりです。
私の勝手な想像ですが、ニートさんが、ご主人さんに「らくちんさんが居なくなっちゃう、旦那さんからも言ってあげて!」と頼んでくれたのではないかな、と想像しています。私の方こそ、いろんなことを学ばせて頂き、感謝しています。
>>662
ババさんへ
いい言葉ですね、さりとて他人が変わらないが故に自分が変わらなければならないという訳でもなく、ありのままの自分も大事にしながら、一歩ずつ学んでいきたいと思います。
私の方こそ、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。
- [664]新人 05/08/26 19:53 KZgXGk0V/L
- ニートです。
皆はもっとすごい事を、できない、できない、まだまだ、ダメダメ、って頑張ってるのに、ニートの事は何にも出来なくてもほめてくれて、まあ、これもニートのおばか加減のなせるワザ!?なんだろうけど、
ニート、素直になれない自分をせっかくほめてもらったから、自分のいいところ、一個見つけてもらったと思って、大事にする。約束する。でも、多分絶対すぐやぶるんだけど、でもでも、なるべくね!
くろさん、宿題さぼってるのわかったの?ドキッとして、一生懸命やったけど、一日でやっと2ページだ(笑)漢字をパソコンでヘンカンしようとして、バレちゃったよ!計算もケータイかりてやってたらやりなおしにされた〜。辞書でしらべるのわかんないよ!!あと、どんさん!するどいよ!でも正解は洋服を引っ張ってPCを指差しただけ!皆超能力だね!だって旦那さんもニートがズルしようとしてるのわかったし。みんなバレバレ〜。
・・どうして、ニートが何かすると、新人さんが喜ぶのか、新人さんに何かしてあげたなら解るけど、そこがニートにはちょっと不思議なのだけど、でも考えてもわかんないから、そんなんで喜ぶならチョッとだけならやってもいいかな。
・・らくちんさん、まだ悲しい?らくちんさんが元気じゃないと、子供も悲しいよ!ニートも悲しい!皆も悲しいよ!普通の天理教徒さんだって、間違った事を書いたと思ってる相手の事なら、どんなに名誉を傷つけても、恥をかかせても、いいとは思ってないみたいじゃん。言いっぱなしは良くないって、自分でいってるよ?実際知ってる人の愚痴を相談してたのに、それ見ただけで言った人を悪人扱いでボロクソに言うのは良い事じゃないって解ってるんじゃない?その言い方はやめて、ムカツク、ヤダって教えてくれる人がいたのに、相手にだけ求めて自分は何にも反省しなくていいとは、ニートですら思わないんだから。
ニートね、こういうのがめんどくさいから誰ともしゃべんないんだよ。でもここで言いたいこと言って皆とお話ししてると、やっぱめんどくせーと思うこともあるし、わかんない事の方が多いし、覚えた事もあるし、超すげえ!って思ったり、ムカついた事も反省した事もあって、そんなニートでも皆が受け入れてお話ししてくれてて、・・うーん、また言葉がわかんない!!とにかく、もっといっぱい頑張ってるらくちんさんが、ニートよりずっとひどい事言われてるのはナゼナンダカ、ニートには理解できないの。
神様は優しくないから、人が人に優しくすることもいけないのかな。もし、そうなら、皆もうニートには優しくしないでいいからね!ニート皆が呪われたら悲しすぎ!!
ニートはめったに人に優しくはできないから、心配しないでも平気だよ!!・・でもやっぱわかんないな。・・・どうもわかんないな。・・。誰かの悪い所を直してあげるために、その相手を傷つけたり、怒らせる意地悪な言い方をしないとダメなんだったら、どうして新人さんやらくちんさんがキレちゃった時は、よく見ないふりをせず言う事ができましたね。今後もその調子でバンバン色んな人に教えてあげなさいってほめてくれないんだろう。うーん、やっぱまだニートには難易度が高すぎる!!ニートのペースで小2のドリルを頑張るか。・・はあ、めんどくさいなあ。・・・あ、でもやるよ?・・・えへへ
- [665]普通の天理教徒 05/08/26 22:15 rHDQfSV/4u
- ニートさんね、こんばんわ。私はこう考えてるんだけど。
ニートさんが頑張るって言うと、みんなが励まされるわけは、正直な気持ちだから、伝わるわけだと思うな。
だけど、「普通の天理教徒」が言う事って、正直なんだけど、どこかにトゲを感じるのは。刃物って事なんだよね。
みんな、ある程度、加減して話しているのに、その加減が無くて、その人の言われたくないことや、聞きたくないことまで、言ってしまうから、それで、らくちんさんに、嫌な思いさせてしまったわけ。
でも、加減してるって事が、どうかな。
例えばニートさんの事に絞ろうよ。
新人さんはニートさんの事、大切にしてること分かるし、本当は偉いなって思ってるわけ。僕もね。
でも、ニートさんが自立して自分で働いてお金を得て、生活できるところまで行かないうちは、「普通は」、誉めたり出来ないのよ。
世の中の人って甘く無いから、今新人さんのところでしていることで、ニートさんを一人前に見てくれないから、そんな事で、誉めてなんかいられないわけ。「普通」はね。
だけど、天理教の人って、ニートさんが頑張ってると嬉しいし、新人さんのやってることも、すごいしと、誉めてくれるんだよね。
でも、三年以上続けて誉めてはくれないよね。
みんな、期待しているうちだけなんだ。
誉めてくれるのはね。
僕のところに居た方で、中学校二年になっても、足し算ができなくて、引き算が出来なくて、という人がいて、当然学校では、特殊学級みたいなところに入れていたよね。
今のニートさんじゃないけど、計算と、漢字を徹底的に暗記させて、それって、僕の家にいる人が、つきっきりで、毎日四時間もやるんだよ。
毎日毎日だから、漢字と計算だけは、出来るようになったんだよ。
でも、意味が分からないから、「五人居ました、三人帰りました、何人のこりましたか」と、質問すると、分からない。
ニートさんなら分かるでしょ。
「百円で、五十円使いました、後いくらありますか」、こんなことが、分からないわけ。
計算が出来るようになってから、その後で、それは、僕が、つきっきりで、教えたよ。
中学三年になって、やっと、「引く」とか「違う」という意味が分かるようになったんだ。
それでね、僕は、中学校の校長先生の所へ行って、「定時制高校を受験させて欲しい」って、頼みに行ったよ。
せっかく、毎日四時間五時間勉強したんだから、ね。
普通は、特殊学級にいて、試験もまともに受けていないから、高校受験なんてさせてくれないんだけど、本人がこんなに頑張っているから、と、頼んだら、校長先生が、推薦を書いてくれて、公立高校の定時制に進学して、卒業したよ。
その間、炊事は何時でも出来るように、徹底的にお手伝いをして頂いたよ。
高卒の女の子で、炊事洗濯はきちんとできる。そこまでがその時の僕の責任だったから。
それで、さよならになったけど、その人が、社会で生きていけることの準備には、色々あると言う事、ニートさんには分かるよね。
しんじんさんは、二十四時間体制で、やらなきゃいけないわけ。
携帯のお金の節約も、厳しく言わなきゃ、駄目なわけ。
僕には、奥さんもいるし、協力してくれる人もいるし、その女の子のお父さんが必死だったから、出来たけど、今のニートさんを、一人前にするには、それくらいの、覚悟無いとね、小学校2年のドリルしてても、社会では、何の役にも立たない。
資格目当てなら別だけどね。漢字や計算よりも、日常生活の土台作り。と、言いたいわけ。
先ず、炊事洗濯、掃除、これが手早く出来ること。だよね。
彼においしい料理をさっと出せるトレーニングからはじめないと、ね。
こう言う事を、ね、真剣な顔して言ってしまうから、嫌な奴なんだけど、ニートさんと僕は気が合いそうなんだと、信じて書いてしまうわけ。
だって、好きな人と暮らす自信ないでしょ。今のままじゃ。
新人さんのご主人はね、僕の言いたいことは、本当は分かってると思いますよ。
ニートさんの元気が、本当に実を結ぶには、やりたい事、出来る事を見つけて、修行することです。
歌手になりたくても良いし、お菓子やさんでもね。
毎日体使わないとね。責任を持つと言う事していかないとね。
ニートさんのしたいこと、なんなのかな。
- [666]普通の天理教徒 05/08/27 01:27 GoRGEoUS
- ニートさんへ、つづきです。
それでね、僕はニートさんとおんなじなわけ。
なまけものだったし、今だってね、好きなことさせとけば、ずっとゲームとか、カラオケとか、遊んじゃうし、規則正しい生活してないし。
偉そうなことは、言えないし、偉そうな事をいうつもりも無いんだ。
僕の場合は、親も必死だったし、直そうってね。
小さい頃から、教会に預けっぱなし見たいにして、そこの教会の奥さんが、厳しい人でね、ニコニコしながら、厳しいんだ。
「あんなた徳がないんだ」とか、口では言わないけど、ね、
絶対に、わがままさせないし、食べることやする事に、いちいち厳しくて、うるさくて、ね、
そして、けなすんだ。
誉めてなんかくれないの。
そのおかげで、やっと、人並みに見えてるけどね、自分は、最低の人間だと思ってますよ。
あれってね、その厳しかった天理教の奥さんて、本当に僕の事可愛かったんだなと、思いますよ。
ニートさんはね、僕よりよほど、良い人なんだよね。
みんなから誉めてもらえるし、いいよね。
今回も、自発的にPCに向っているしね、
普通の天理教徒に話してくれて、ね。ありがとね。
もしほんとに天理教する気なら、ニートさんは楽しみだよ。
人の心の痛みが分かるから。
らくちんさんのこと、悪いのは、普通の天理教徒の方なんだ。
それは、絶対。
だから、ホントはね、らくちんさんが帰ってきてくれたら、僕は、消えるんだ。
僕は、本当はね、らくちんさんに、もっと話したいことあったけど、それも、言えば、もっと傷つけちゃうしね。
だから、らくちんさんが帰ってこなくても、じぶんで、退去すると思うよ。
ニートさんに言いたいこと、いえたしね。
ここには、書き込み来なくても、自分の書けるHpあるから、いっぱいね、そこに書くね。
「基本さん」ていうのが、もう一人のぼくで、ここには、この書き込みで最後にするから、新人さんの期待に応えて、ニートさん頑張ってね。
僕の「普通」は、普通じゃないって言うのは、らくちんさんの言いたい事で、その通りだから、ね。
ニートさんの、思いやりに感謝して、、、ここからは、さよならしますね。
- [667]新人 05/08/27 04:46 KZgXGk0V/L
- 普通の天理教徒さんへ
たくさん、やさしく、わかりやすく、教えてくれてありがとう。
ニートはまだ、怒ってもらうレベルじゃないの、わかってるよ?だってすぐ逆ギレするしね。
あと、ひゃくえんのおつりが五十円なのはわかるけど、千円で百八十円買うと、お釣りはいくら?とかは今練習してる。ドリルはね、ニートも定時制へ行きたいって言ったからだと思うんだよ。
本当なら好きな人の事一日中考えたりとか、友達とか、一番何でも楽しい時を、すごしていい時なんだよって教えてもらってね。定時ならお金も何とかできるかなって。
やらないよりやってごらんって買ってきてくれたの。いざ勉強は、やっぱ面倒なんだけどね。
・・で、ほら、やっぱり普通の天理教徒さんだって、意地悪しなくても、こうやって教えられるんじゃン!!今普通の天理教徒さんの言った事はニートが新人さんに怒られてる時言われてるのとそっくり同じだもん!!
ケータイも、新人さんがニートのお母さんに、払っちゃだめだって言ったから止められちゃったんだよ。自分で払えって。ドコモの人にも電話して、本人に分割で払わせますって。向こうは親が払えって言ったけど、新人さん「この子はもう学生じゃありませんから」ってむりやりそうなったのね。いつもいろいろ言われる。でもそれ以上にこの人は愛情があって私を怒ってるって伝わるから聞く耳もてるのね。・・同じことでも面識の無い天理教徒さんに言われたのは、これでもかなり、ニート傷ついた。けど、今回のその傷ついたのは、本当の事を言われたからで、ぜんぜんムカつかなかった。普通の天理教徒さんが私の為に言ってくれたって、思えたから。ニートとレベルは全然違うけど、みんなだって、そこに思いやりを感じれば、どんな言葉でも受け止められたと思うんだよ。今の天理教徒さんの言い方こそが、「普通の天理教徒」さんのわかりやすい本当の気持ちなんでしょ?でもせっかくそうなったら、今度は普通の天理教徒さんが行っちゃうの?せっかく呪文がとけて言葉が通じたのに?急になぜ?何で大人は子供にはごめんなさいしろ、仲直りしろっていうのに、自分はできないんだろうね!
ニートなんて新人さんに怒られるたんびに「もう帰るし」とか「親でもないくせにうるせえな!」とか言いまくりだけど、今もいるし、また帰ってきたら多分またケンカするよ?けっきょく、みんなが自分が悪いって言ったんだから、仲直り!でOKなのではない?普通の天理教徒さんも、女心をわかってくれたしね!その方がカッコイイヨ!
今日は今から遠足みたいな。う〜。キソタイリョクっていうのを付けて歩くんだって。重たくないかな。眠いし。五時出発だよ?変態だよ。暗いし!!どうせ帰ってくるのに何で歩くかね。ニート留守番でいいのにな。・・・・行って来ますよ。・・め・・・んど・・・プハー・・
- [668]まっぷ 05/08/27 07:43 IQU0etXR/w
- 普通の天理教徒さんへ
もっと、ここに居て頂けませんか?お願いします。
私は、いつも天理教徒さんや皆さんの、書き込み、意見、
質問等を、読ませて頂いて、勉強させて頂いております。
夫の転勤で、何箇所か住所が変るたびに、近くの教会に参拝させて
頂きました。皆さん、とても親切で、かけがえの無い親友にも、
恵まれました。皆さんに、育てていただきました。
子供が次々と身上を頂いた時、不思議なたすけを、目の当たりにして
こんなことしちゃあいられない、神様は本当においでになる・・
そう思うと、ジッとしておられず、においがけに出ていました。
そして、たくさんの方々との、出会いがありました。
ここでも、同じ道を歩んでおられる方々に、出会えて心強いです。
仕事柄、話す事はなんとか出来ますがw文字にするのは、苦手です。
皆さんの様に、スラスラ書けませんが、読むのは、大好きです。
これからも、楽しみにしています。
- [669]ヨン 05/08/27 09:07 JwxcxmBvoE
- みなさん、お久し振りです。
あれからずーっと、ロムしてます。大分、勉強させて頂きましたよ。
>>664
ニートねこういうのがめんどくさいから誰ともしゃべんないんだよ。
>>667
けっきょく、みんなが自分が悪いって言ったんだから、仲直り!でOKなのではない?普通の天理教徒さんも、女心をわかってくれたしね!
・・め・・・んど・・・プハー・・
はっはっは・・・ニートさん、鋭い!!
早朝から、さえてますねぇ!!
みなさん、新人さん仕込?の、ニートさんに切りまくられてますね。
ではまた。
- [670]白い鳥 05/08/27 15:16 nJUAnSPTVc
- 白い鳥と申します。はじめまして。
一連の流れを拝見しておりましたが、どうしても感想を述べたくなり、参上しました。
「普通の天理教徒」さんは、
> お供えする時、「涙が出たら」、お供えはしない。それが、普通の天理教の信心の態度です。
「にっこりと笑顔で」、それは、教祖にお受け頂ける物としてのお供えになると、教えられています。
と述べられ、その根拠として、
>教祖は、監獄に引っ張られて、そこでトイレ掃除を命ぜられて、便所を掃除した弟子に、このように仰せられました。
「どんな辛い事や嫌なことでも、結構と思うてすれば、天に届く理、神様受け取り下さる理は、結構に変えて下さる。」と。
と、教祖の言葉をあげられ、さらに、
>天に届く理(逸話篇144)
教祖は、明治十七年三月二十四日(陰暦二月二十七日)から四月五日(陰暦三月十日)まで奈良監獄所へ御苦労下された。鴻田忠三郎も十日間入牢拘禁された。その間、忠三郎は、獄吏から便所掃除を命ぜられた。忠三郎が掃除を終えて、教祖の御前にもどると、教祖は、
「鴻田はん、こんな所へ連れて来て、便所のようなむさい所の掃除をさされて、あんたは、どう思うたかえ。」
と、お尋ね下されたので、
「何をさせて頂いても、神様の御用向きを勤めさせて頂くと思えば、実に結構でございます。」
と申し上げると、教祖の仰せ下さるには、
「そうそう、どんな辛い事や嫌なことでも、結構と思うてすれば、天に届く理、神様受け取り下さる理は、結構に変えて下さる。なれども、えらい仕事、しんどい仕事を何んぼしても、ああ辛いなあ、ああ嫌やなあ、と、不足々々でしては、天に届く理は不足になるのやで。」
と、お諭し下された。
このように、逸話篇を示されました。
その真意は、「無理やりにっこり笑ってお供えしなさい」ではなく、
「笑えないのなら、無理なお供えはやめたら」ということです。
心に涙を思うようなお供えは、その理は、神様は不足としか受け取らない。教祖がそうおっしゃっているのだから、そのようにしたらと。
無理は理が無いから、無理してお供えするようなことはやめにして、
にっこりと笑えるようになった時にする。
ところが、今の天理教は、
「苦しい中、泣きながらしたお供えは尊い」
といったような、教祖の教えにない感覚が蔓延している。さらに、
>笑って出そうと怒って出そうと出さなかろうと、自分は皆さんがまた元気にここへお運び下さったその全てに感謝が一杯だと思えば、自然に信者さんに勇んで頂ける言葉が出てきます。多分。
これはお金を受け取る側の論理で、出す方の気持ちがどんな状態であろうと、結局はお金はお金ということになる。
「不足々々でしては、天に届く理は不足になるのやで」
つまり、天は受け取らない、とおっしゃっているのに。
- [671]白い鳥 05/08/27 15:19 nJUAnSPTVc
- このような論理を展開される方と「普通の天理教徒」さんとの違いは、ものの考え、行動、生き方を導く根源が天理教の原典にあるかないか、だと思います。
原典に沿うからこそ、「普通の天理教徒」。
今の多くの信仰者という人たちは、その根源を原典に求めるのではなく、教会長や大教会長、あるいは本部員と言う人たちの言説に求め、自分の感覚、感性、そして経験というものだけで判断する。
だけど、それが本当に「普通」の信仰の姿か。
確かに人それぞれ個性もあり、感覚も感性も大事だけど、経験も大事だけど、それでは、じゃあ原典はどうなるのか。
まあしかし、「普通の天理教徒」さんほど原典を読み、それに沿って生きようとしている人はいないでしょうが。
たぶん、今はこの世でただ一人なのではないでしょうか。
「家業第一」を胸に懸命に仕事をし、関わる人すべてを兄弟だと思い、苦しみ悩んでいる人がいたら、教内も世情もなく命がけで助けようとする。それは、このネット上でも同じです。
この三年ほどの間に、「普通の天理教徒」さんが別のネームを含めて投稿した分量は、プリントアウトしたらもう何万枚にもなる。
それは、「聞いて聞き逃し、見て見逃しはしない」
という助け心と、教祖が伝えられた道の真実を伝えようという、
「誠」「真実」以外の何ものでもありません。
私は、教会に生まれ育ち、おぢばで十数年暮らしましたが、
「何かが違う」という思いがいつもありました。
が、「普通の天理教徒」さんに出会って、実際にお会いして、
「ああ、これが、教祖の教えられた道なんだ」
と、まさに胸につかえていたものがすべてとれた。
「これぞ、普通の天理教」「これぞ、真実の道」
悩み苦しんでいる人がいたら、命がけで助ける。
天理教を知らない人には、天理教の言葉を使わずにきちんと諭し、
天理教を知っている人には、きちんと原典を用いて話をする。
ボロクソに、ケチョンケチョンに言われようとも、言うべきことは言う。それが大教会長であろうと、本部員であろうと、一般の人であろうとそこに差別も隔たりもなく、言うべきことを言う。
それが教祖の教えであり、ひながただから。
お供えは一切受け取らず、家業で得た収入を持ち出して、人助けをする。
決して「立場」で話をせず(実際、立場など何もないですが)
ふだんはニコニコしているただのおじさん。
ただ、彼の周りにいる何人もの人の「陽気くらし」のために、
ともにその人の夢を考え、その夢の実現に向かってともに具体的に
行動を起こす。
「普通の天理教徒」さんは、常に具体的です。
決して「布教」などせず、関わる人にふだんの生活のレベルから
その人の段階に合わせて自然に話をし、
「もっと聞きたい」と寄り来る人には、十時間も二十時間も天理教の
話をする。
私は、夕方に「普通の天理教徒」さんお宅に着いて、翌日の午後二時くらいまで一睡もせず話し込んだこともありました。
初めて「普通の天理教徒」さんの生活ぶりを目の当たりにした時は、
衝撃でした。
すべてが教祖の教えに沿った生き方。
頭では何となくボンヤリしていても、実際にそのように生きている
人を現実に見た時、それは驚愕としかいいようがありません。
- [672]白い鳥 05/08/27 15:25 nJUAnSPTVc
- よく、「優しく」とか「思いやり」とか、ネットでもそういうものを求められ、真っ直ぐに教祖の言葉を伝えると、「優しくない」とか
「思いやりがない」と言われます。
しかしたぶん、「普通の天理教徒」さんは、そんな次元を超えています。「人によく見られよう」とか、「カッコいいことを言おう」とか
そういうことも一切ない。
誰であろうと、「あんた何様!」「偉そうに!」などとののしられようと、言うべきことは言う。それこそが、究極の「優しさ」だと思います。
今は特に、教祖が教えてないものを、あるいは、教えに自説を混じえてあたかも「これが天理教だ」と述べるものには、「普通の天理教徒」さんは厳しいかもしれない。
それはなぜなら、今、教祖が最も憂い、嘆いていることだからだと思います。教祖の教えにない考え方が自然に身につき、それを「天理教」だと信じ込んでしまっている。私自身もそうです。その呪縛を原典を用いて、一つずつ一つずつ、薄紙をはがすようにはがしていく。
「本当に教祖が教えられたことは、こういうことなんだよ」と。
それは特別どこかにしまい込まれていたものではなく、「おふでさき」「おさしづ」「みかぐらうた」「教祖伝」「逸話篇」にある。
「教祖の教えに沿った生き方」と言っても、ほとんどの方は具体的にわからないかもしれません。
それは「布教」でもなく「お供え」でもなく、教会を主体にしたものでもなく。こう書けば、なおさらわからなくなるかもしれませんが、家庭、職場が信仰実践の場であり、関わる人すべてを「兄弟」と思い、常に、何気ない日常の行動の中でも、「教祖の思いはどこにあるのか」と思案し、それに基づいて行動する。
字面では簡単にこう言っても、それを実際に目の当たりにすると、それは衝撃です。
「人はろくじ」「平等だ」などと言っても、大教会長の前では平身低頭し、社会で社長などと呼ばれる人のまえでは恐縮する。
しかし、「普通の天理教徒」さんは、本当にろくじです。誰に対しても、態度は同じ。
「裁判官も殺人犯も教祖の子供ですから」
と「普通の天理教徒」さんはおっしゃいますが、もちろん私なども、
その「ろくじ」がなかなかできない。人と人を「分け隔て」てしまう。「教内の立場」「社会の立場」がまず頭に浮び、愛想笑いをし、
言うべきことを飲み込んでしまう。
そういうことを一切しない、ということのすごさがわかりますか。
私は、「普通の天理教徒」さんは、「取次ぎ」だ思っています。神と人間との間にあって、神の言葉を、何物も混じえずに、純粋に伝える。かといって、「徳がある」とか「立場が上」などということは決してなく、他の人たちと全く同列。
ネット上で、よく「偉そうに言うな」とか、「どうせ口だけの奴だろう」とか、あるいは「本当はお供えでのうのうと暮らしてるくせに」など、「普通の天理教徒」さんの実像をよくご存知でない方がおられるようでしたので、実際に会ったことのある者として、長々と書き連ねてしまいました。こういうことを書かれるのは、「普通の教徒」さんの本意ではないかもしれませんが、お許し下さい。
失礼しました。
- [673]まっぷ 05/08/27 16:28 IQU0etXRhZ
- 白い鳥さんへ
原典ですか・・。なるほど。
しばらく、私は申し訳無いことに、原典から遠ざかっていました。
私共の会長さんは、「家業第一」で、それぞれのお立場、持ち場で
なるほどの人を、目指して頂きたいと、いつも言われます。
職場でかかわる方、すべてを、兄弟と思う・・・。
今、まさに問題が起きているところなのです。
職場に必ず、一人は居いでになる、気難しい方に、トホホです。
私は、すぐに高慢の心が、出て来るのでいけません。
頭を低く、素直な心でね・・・。
やはり、原典ですか・・。
- [674]くろ 05/08/27 16:53 u4tLw6hG6J
- 最近の皆様の書き込みを読ませて頂いて、私はしっくりこない何かを感じ、悩んでいました。
そして、最近のレスをもう一度(自分の所も含めて)読み直してみました。
そうこうしているうちに、665,666といったような普通の天理教徒さんのレスがあり、白い鳥さんのレスがありました。
投稿を読んでいると、その時その時の気分や自分の決めつけで読んでいる部分が多いなって思いました。
新人さんの初めの投稿も現在の天理教の問題点を言われているだけなのですが、自分が悪く思われているようにとってしまったり・・・。そしてその問題はここに書き込まれている大多数の方が思っている事であるのです。
以前にも書きましたが、私は理について浅く苦手意識を持っています。
それは普通の天理教徒さんが言われているそのものなんです。白い鳥さんが指摘されている通りなのです。
私のこれまでの投稿を読んで、根拠の無い自分勝手な悟りが多々ある事に気づかされます。私の投稿について普通の天理教徒さんからのご指摘が無いのが不思議な位です。
そして、新しい書き込みや質問があるとついついそちらに意識がいき、これまでの議論し合った事柄がうやむやになっている事も指摘されている通りだと思います。
投稿の際自分では気を付けているつもりですが、言葉のあやというものも出てきます。確かに気になる所かもしれませんが、投稿の全体を読み、投稿した方がどこを強く思っておられるのか・・・と考え意見を書き込まれるのも大切ではないか・・・。と感じました。そうでないと1つ1つの事柄において論点がずれてしまい、せっかくの議論がずれてしまい、結局なんだったっけ・・・という事になってしまいます。
私は、みなさんがとても大切な事を言われていると思います。
ついつい感情的に書き込まれる時もあるかとは思いますが、それも含めそれぞれができるだけ読み違いがないように心がける事で、もっと議論しあえる場になるのではないでしょうか?
ニートさんのようにストレートに書けないのが悔しいですが・・・。
普通の天理教徒さん。
私は別の所ではなく、ここでみなさんと共に普通の天理教徒さんのお話をお聞きしたいと思っていた矢先に先を越され665,666の投稿をされてしまい・・・。ショックです。ニートさんのような考え方は出来ませんか?
- [675]白い鳥 05/08/27 17:40 nJUAnSPTVc
- 私も原典を傍らには置いていますが、人生の局面局面で、その度ごとに「教祖の思いはどこにあるのか」と尋ねるのは難しいことです。自分の知識や経験や、そして感情のままに行動して、ハッと我に帰ることばかり。そして、「教祖の思いとははずれてしまったな」とうなだれてしまう。
でも、「普通の天理教徒」さんは、常に「教祖」が頭の中にある。
車に乗っていても、一緒に食事をしていても、常に。
ある日、ショッピングセンターのフードコートで一緒に食事をしていると、突然、私の肩越しに「普通の天理教徒」さんがにっこり笑いかけた。振り返ると、それまでぐずっていた小さな女の子が、「普通の天理教徒」さんににっこり微笑み返し、ぐするのをやめた。すると、「普通の天理教徒」さんが言った。
「日曜日にお母さんと二人だけで昼食をとっている、そのことがわかりますか。お父さんはたぶん仕事が忙しいか、あるいは、いないか。
その娘さんを連れて外に出たけど、娘さんはぐずってしまう。その娘さんの心をほんの少し和らげてあげることができたら、すてきですよね」
「人を助けるって、そう畏まったものでも難しいものでもないんですよ」
外で食事をしながらでもそこまで目を配り、想像力を広げ、にっこり微笑む。たったそれだけのことですが、私は、感動で胸が震えました。
信仰とは、教会や本部の御用に徳化したものではないということ。
「普通の天理教徒」さんは、助けたら助けっぱなしです。
天理教の話を聞けとも、お供えをしろとも、おぢば帰りをしろとも言わない。すると、ほとんどの人が、お礼も言わずに去っていきます。
でも、それでいいと言う。助けたのは「私」ではなく、「教祖」だから。もし、お礼なんか言われたら、言われた「私」が申し訳ない、と。
「助けること」が目的で、天理教を信仰させることが目的ではない。
人の悩み苦しみが除去されたら、あるいは緩和されたら、まずはそれでよい。
<「普通の天理教徒」さんは天理教の信者だとは思えません>
という書き込みがありましたが、数多くいる天理教の信者と言う人は、ほとんどが天理教の信者を増やすために、教会を繁栄させるために活動しているのですから、そういう人たちから見れば、一切見返りを求めない、信者にしようとはしない、しかも誰も説かない教理を説く「普通の天理教徒」さんは異様かもしれません。でも、それこそが、「真実」の天理教だと私は思っています。
よく「なるほどの人」といいますが、これを「なるほどと言われるような人間的によい人」という解釈が、多く見られるように思います。
そのため、「いい人といわれるようになろう」「世間から見ても教内から見ても立派な人になろう」という運動になる。
が、私は少し違うように思う。「なるほど」というのは、まず、皆からボロクソに言われ、貶められ、いじめさいなまれ、でも、その人の言うことは正しかった。だから「なるほど」となる。
つまり、ボロクソに言われる過程がないと、決して「なるほどの人」にはなれない。なぜなら、それは「ひながた」だから。
「普通の天理教徒」さんは、まさにそのひながたを通っておられるのだと思います。そう思った日から、私は、「いい人をやめよう」「いい人と言われないようにしよう」と思いました。
今は、天理教にはいわゆる「いい人」が多い。「いい人」でなければ
天理教ではない、信仰者とは思えない。でもそれは、教祖から見れば、決してほめられるものではないと思います。
- [676]まっぷ 05/08/27 18:24 IQU0etXRhZ
- う〜〜ん、今までに、聞いた事の無いお話なので・・・
というか、切り口の違うお話なので、もう少し
お聞かせいただけたらと思います。
おやさまから見た、「いい人」について、教えて頂けたら
と思います。
- [677]新人 05/08/28 03:54 KZgXGk0V/L
- >こんな所にヨン様が
にーとです。
帰ってきたら疲れて寝ちゃってこんな時間に起きちゃった!
ヨン様、ニートはしょうゆとか味噌ではないですよ〜。
ニートのマジ親父とお母さんが作った子ですみょ〜ん。
あ、ちょうどTVで波田陽区が切ってるよ。
もう一回寝たいけどすでに12じかん寝ちゃったよ。
だいたい一時間半のハイキングの所を、三時間半も歩いて来たよ。
それだけ時間かけるほうが難しいんだって!
キソタイリョクは自分の体力の事なんだって。間違ってた。普通の天理教徒さんも言ってた事なんだな?体を動かすと、今より力がつくんだって。皆気が付いてたのかな。なはは、ニートナイスぼけ、って事で、お願いします・・・切腹!!あ。今日百円拾ったんだけど、これがあの「エラレルモノ」?例えば今日は百円エラレルモノがありました。でもせっかくエラレルモノは近くの売店に預けられてしまったから、売店のひとがエラレルモノになりました。って使うのでいいのかな?得たもの、も同じに使える?でもあの天理教のおじさんにはお小遣いもらってないから、と思うとその使い方はちょっとおかしいんだよね?・・・優しくしてくれなくて、いい加減わかれよ!!って、怒ってもいいからね!どうしてももう少しわかりたいの。すいません。
- [678]白い鳥 05/08/28 04:03 nJUAnSPTVc
- 「なるほどの人」=「いい人」ではないということです。
狐つきとののしられ、そしられ、その後に「なるほど」と
皆がうなずく。誰も見向きもしなかった二十年という歳月を経て
ようやく皆が得心し、「なるほど」と思った。そのひながたを
通ってこそ、「なるほどの人」と言えるのではないか。
教祖伝などから想像する教祖は、「柔らかで温和で、腰が低く」
「いい人」なのかもしれませんが、「なるほどの人」というのは、
決して一足飛びにそうなるのではない。
今は、単純に「なるほどの人になりましょう」などと教内の新聞や雑誌にキャッチフレーズのように載る。
それは、教祖のひながたの過程を一足飛びにぶっ飛ばし、ただ、「いい人でありなさい」と言わんばかりだと私は思います。
「丸く優しい心になりなさい」という教えの通り、丸く優しい心を持つことはとても大事だと思います。だけど、「なるほど」と第三者に言わしめることは、まったく別の意味を持つと思うのです。
教祖に教えられたこの道を純粋に信仰し、その結果として、「いい人だ」「なるほど」と周りの人から言われるのも言うのも、それは結果ですから何の問題もないと思います。
だけど、「なるほどの人、いい人になることが天理教の教理の一つだ」というのは違うのではないか。
とにかく、今の天理教の人は、人の目を気にしすぎる。そのため、過度に「いい人」になろうとする。天理教を信仰する人は、温和で、柔和で、腰が低くなければならない。そして、そのことが、一つの信仰の目標のように言われ語られ、なかば教理のように受け止めている人がいる。教祖は、決して「いい人になりなさい」などとは言われてはいないのに。
もう一度言いますが、信仰の結果そう周りから言われるのはいいと思います。でも、決して信仰の目標でもなく、天理教を信仰する人のイメージでも姿でもない。
私が「いい人をやめた」というのは、周りの人の目を気にしないようにする、ということです。人に気に入られたいとか、よく思われたいとか、そんなことは気にせず生きる。人にどう思われようと、自分を正直に表現し、対する人には真摯に向き合って生きる。
教会生活の中で小さい頃から優等生であることを求められてそのように振る舞い、常に信者さんや親の目を気にし、自分を押し殺して笑顔を振りまき、おぢばで寮生活を始めてすぐには、ドモるようになりました。
しかし、人の目を意識しなくなった今は、心身ともに楽になりました。そして、自分に「正直」で、人に「ついしょう」しない今こそが、教祖の喜ばれる姿なのだと思っています。
まあしかし、人の目を全く気にしなくなったわけではありません。
それは非常に難しいことで、私もまだその途上にある身です。
「普通の天理教徒」さんには、「いい人」であろうとか、「いい人」に思われようとか、そんな気持ちは微塵もないはずです。ただ真摯に、誠の心を持って、真正面からぶつかる、それだけのはずです。
世の中に対して「天理教はいい宗教だと思われたい」「立派な宗教であるというイメージを広めたい」、そういう迎合した思いや態度も、まったくよけいなことだと思います。
なぜなら、教祖はそのようなことをおっしゃっていないし、そのようなひながたもないからです。
- [679]くろ 05/08/28 08:35 u4tLw6hG6J
- 白い鳥さんへ
私も以前の投稿でも書き込みましたが、同じような事を思って悩んでいました。
それは共依存という心の偏りです。
人の目ばかりが気になり、自分では評価できず、絶えず人からの評価を求めてしまう。
私は自分を押し殺しては無いし、ついしょうも嫌いで、嘘がつけないタイプだと思っていますが、やっぱり「いいひと」になろうという意識はすごくあると思います。
それは駄目な事ではないかもしれませんが、どこかで歪みが出てきたり、無理が生じてくるのだと思います。
天理教でいう情っていうのはこういう事ではないでしょうか・・・。
ここという時にはその状況に関わらず
理を強く説くという事が必要なのでは・・・。
でも、強く言えるという事はそれだけ自分が強い心を持ち、日々
成人の道を辿っていないと言えないように思います。
それが教会で生活させて頂いている私達が特に心した通らせて頂かなければいけないお道の通り方だと・・・。
新人さんがご指摘されていた事はこういった事ではないでしょうか?
そして普通の天理教徒さんが投稿して下さった内容も・・・。
ですから、突き詰めていくと同じような考え方をされていて、
そして、この方達は教会生活をさせて頂いている私が見習わせて頂かなければならない生活を自ら実践されているという事です。
私は本当に考えなければいけない・・・!!と思わせて頂きました。
理については色々な考え方があると思います。
分からなくなったら原典に・・・。っというのは大切な事ですね。
とても勉強になりました。
- [680]ヨン 05/08/28 09:33 JwxcxmBvoE
- ニートさん、オッハー(^-^)/
実は私、こういう所に書き込むのあんまり得意じゃないの。
昔から?ひとに、自分のこと・・っていうか、心の中を見せるの嫌な人。
だから、作文はだいっきらい!!だった。
日曜日の生活を書きなさいって云われて、「夜中に目を覚ましたら、母と祖母のひそひそ声が聞こえてきて・・・」なんて、書けないし・・・
結局「朝おきました。ご飯を食べる前に顔を洗って・・・・・」に、なってしまう。
でも、時々ここに遊びに来るようになって、ロムしてるうちに、誰にも分からないんだし(^_-) 一度、ヨンさまになって見ヨッかな、って思って・・・
たいしたこと書き込むわけでなし、きっと、レスつかないよねーって、思ってたから。だから、実際には、ヨンさまのこと、よく知らない。ゴメンナサイです。
ご挨拶はこれくらいにして・・・
<(_ _)>ね。ニートさんを、しょうゆか味噌にしてしまって・・・
うちではね、毎年、冬に成ると一年分のお味噌を仕込みます。
それで、昨日、うまく熟成してるかしら?って、思いながら、チョット覗いて見た。
お味噌って、不思議ですよ。
お豆をことこと煮て、塩と麹を混ぜ合わせるだけ。一年経つとあのお味噌色になってて、あのお味噌の香がプーン(^-^)/ 至福のとき・・・大げさかな(^_-)-☆
ところで、キソタイリョク、3時間半も歩いてきたの?
私も、たまに、キソタイリョク行きますよ。
この間は、バスで、淡路島に行って、3時間ぐらい歩いた。帰りはクタクタ、バスの中でグーグー。
十代の頃は、大人に混じって仕事ばかりしてて(朝7時から、夜の9時まで)、家に帰ると寝るだけ。そんなころは、仕事以外に体を使うなんて、キソタイリョクなんて・・・今は、シアワセ・・・
また、来ます。みなさま、おじゃましました。
- [681]普通の天理教徒 05/08/28 11:10 269CdhdigJ
- ニートさん。
天理教してみる?
ここは、ニートさんも知ってるように「天理教を語る」ってスレなんだ。
分かっても、分かって無くても、ニートさんが、「天理教」する、やって行くって事なら、一緒に話し合わなくちゃね。
普通の天理教徒にも宿題があって、まだ神様から見て全然やってないからね、それをするんだ。今日からね。
・・いつも今日からって思ってるんだけど、本当に今日からは、やるんだ。
だから、あんまり、書き込みこれないけど、天理教語り合いになら、来るよ。
きっと。
さよならって言ったのは、本気だったし、らくちんさんの事思うとね、らくちんさんが間違っているわけじゃないし、普通の天理教徒なんて、全然ダメだからね。
みんなが語り合う場所に、居て、迷惑かけてちゃね、・・
「存在理由」って言うんだけどね、それが無いんだったら、さよならしかないからね。
白い鳥さんは、自分の中に見たものを普通の天理教徒だと思ってる。
ニートさんもニートさんの見た新人さんや新人さんのご主人を、そうだと思ってるんだよね。
でも、この世の中にね、「おやさま」より、無いんだ。
本当に、人を救けて下さるのはね。
それを、信じて、「おやさま」に喜んで欲しいと、思っている人が、天理教をしている人だから、ニートさんには、「おやさま」を、知って欲しいよ。
算数や漢字の勉強の事書いたけど、そういうの一生懸命やらせたりするのは、「親神様」でも、「おやさま」でもないんだ。やらせるのは人間でしょ。
人間のする事だから、人間わざって、言うんだよ。
天理教は人間わざしゃ、ないんだ。
人間わざ見て、感心したりするんじゃなくて、神のわざを見て、天理教を考えるのが、天理教の普通なんだ。
- [682]普通の天理教徒 05/08/28 11:30 269CdhdigJ
- ニートさんも、人間のわざと、親神様のわざ。考えてね。
「うちの娘は小学校三年生の問題も出来ない、どうしてくれるんですか」って、中学生のお母さんが、言ってきた事があって、そのお母さんは、仕事の関係で一緒に生活した居るんだけど、娘さんは勉強大嫌いで、ね。
その娘さん、ピアノ習いたいってずっと言っていて、お金ないからダメ、って言われてて、性格悪いとみんなに言われたりしていてね。
でもね、ずーと、娘さんはしてた事があったんだ。
「子守り」と「食事の手伝い」
日曜日はね、僕の長男とお嫁さんはお仕事に行くんだ。二人の子供を置いてね。それ以外にも子供置いていく人のためにもね。子守りするんだ。
だから、ずっと子守り。そして夕食の手伝い。夏休みとかも、ね。
僕の長男もお嫁さんもね、あんな性格の悪い娘はいないと言いながらね、子守りしてもらう時だけはね、猫をなでるように、「宜しくお願いします」って言うんだよ。するとね、にこにこして「いいよっ」。
キーボードで、練習したりしながらね、子守りしてるんだ。
そして、おっかしいのはね、長男やお嫁さん、つまり、父・母の言う事をなかなか聞かない、二人は、その娘さんの言う事はなんでも、「ハイ」「ハイ」。と、さっと言う事聞くんだよ。
もちろん、僕の言う事よりも、娘さんの言う事を聞くんだよ。
悪い事は悪い、ピシッと叱ってるから、そして、優しくしてくれてるから、子供は、正直なんだ。ちゃんと、親よりもいいつけを聞くよ。
ずっと毎日のように、学校から帰ると、大勢の食事の支度の手伝いしてたから、料理はね、何でもできるよ。ケーキも作れるし、手早いしね。
安いお米でも上手にたくよ。
それで、その娘さんのお母さんは僕を叱ったんだ。
「他人の子だと思って、成績はクラスで最低。何も見てくれないし、ひどすぎます」ってね。
確かにね。
同い年の別の娘さんには、僕の長男が毎日の様に勉強見ていて、成績はクラスのトップだし、生徒会の役員もしてるしね、
でもね、
教祖の教えがあるんだ。
「道に学問はいらん」て。
でもね、大きい中学校なのにね、学校の行事のピアノ伴奏は、なぜか、その娘さんなんだよ。
おかしいよね、小さい頃からピアノ教室に通ってる子は大勢居て、誰からも何も習ってない子が、どうして、学校の代表みたいな顔して、ピアノしてるのか、おかしいよね。
ある日ね、本人が勉強始めたんだ。
どこにも行く学校が無いって、言われてたのに、すっと、ね、成績は中の上になっててね、今では級長さんに、なってるんだよ。
子守りも、食事のしたくも、いまもずっとやってるよ。
相変わらず、性格悪いとかいわれながらね。
ニートさん、分かるかなあ。
人のお世話が出来ると言う事は、どんなに悪口言われてても、性格悪くてもも、「おやさま」が、喜ぶんだよ。
「おやさま」を喜ばせたら、「天に届く理」になるんだよ。
ニートさんには、新人さんという人との出会いがあったけど、「おやさま」に、会えたらいいよね。
「おやさま」のはなし、一緒にしようね。
- [683]普通の天理教徒 05/08/28 14:04 esTOf2Ib4n
- でもね、その娘さんが、食事の世話とか嫌がった時が、あったんだよ。
あってもね、お母さんが、叱り付けるとね、僕は叱っちゃだめだよって、言って、嫌がってるときには、ほっておいたよ。
本人が、したくないものは、させちゃいけないんだ。
本人がするって決めたものなら、それは、それだけどね。
ニートさんは、きそたいりょくを付けるのに、歩いたんだよね。
それって、自分で自分のきそ体力を、つけようという、「人間わざ」なんだよね。
みんなね、そうやって、自分のためにしてるから、「人間わざ」には、「おやさま」のご守護は無いんだよ。
そうじゃなくて、
ニートさんね、人をたすけるんだよ。
人のために、からだを使うんだよ。
人のためにした事は、天理教の信者とか、信者でないとか、関係無しに、「おやさま」は、天に届く理として、受け取って下さるんだよ。
ニートさんはね、人の役に立ったら、すごくおやさまを喜ばせるんだよ。
みんな勘違いしてるけどね。
今の姿が、自分じゃないんだよ。
今から、人たすけていって、その後に見えて来るのが、ホントの自分の姿なんだよ。
一生懸命に、親孝行のために勉強してることが、親孝行とは限らないし、ふらふらとニートしているから、親不孝とも限らないんだよ。
今から、人をたすけます。という心が、人の本当の姿を、この世に出すんだよ。
おやさまは、そのために、毎日毎日、すぐそばで、見守っていて下さるんだよ。
ニートさんがおやさまに会いたかったら、人のために、人たすけるために、何か一つ、するんだよ。
それをやり続けるんだよ。
今回はね、ニートさん、ありがとうね。
僕は、感謝してます。
ありがとね。
誰でも良いから、らくちんさんに、来て欲しいって伝えてほしいな。
ニートさんのおかげでね、みんな優しくなれてね、ありがとうね。
女心は、おいしい料理と素敵なファッションだよ。
でも、教組はね、きれいな心が大好き。
ニートさん、天理教しよう。
そのためには、人のために、一つ始めよう。
- [684]まっぷ 05/08/28 15:24 IQU0etXRNC
- 白い鳥さんへ
お返事有り難うございました。
教えていただいた事、何度も読み返しています。
思い違いがあったと思います。
軌道修正しながら、おやさまに喜んで頂けるように
また一から頑張ってみます。
- [685]新人 05/08/28 17:03 KZgXGk0V/L
- 普通の天理教徒さんへ
おかえり〜。
うーん、言ってる事は多分ちょっとはわかった。
でもどうもニートはまだ自分の事すらめんどくさくて何もしてないから、そこまで行くにはきのうのハイキングよりかなり遠いね。
普通さんの最後にいってくれた、「そのためには、人のために」のあとに、多分、全部人にやってもらってることを、1個ずつへらさなくちゃ、が入るんだよな。だってさ、ハイキングでもニートたちは、全然歩けなくて座ってるのに、じいちゃんバアチャン軍団は、どんどんすたすた歩いてくジャン。その時もし足が痛いとか腹が痛いとか死にかけのバアチャンがいてもさ、今のニートは助けらんないし、どっちかっていうと、その婆ちゃんに「私をおんぶして」って言うと思うんだよね。皆はえ?って思うだろうけど、恥ずかしいけど今のニートは正直そうなんだ。悪いってわかってても、自分が疲れるのは、もっとめんどくさいから。・・だからさ、よくわかんないけど、ニートにはまだまだ、一人で歩く練習がいるんだよね。せめて洗濯物を干している間、続けて立ってられるくらいの力もね。・・こんなニートをさそってくれてありがとう!でも天理教はどうもニートにはむりみたい!!むずかしくて。・・どうもニートは「おやさま」にあうために、「あいつ性格悪いよな、ぜってー天理教だぜ?」とか言われても嬉しくは思えないのだ。でも、普通の天理教徒さんは、一杯頑張って今は無理せずそう思えるんだから「おやさま」に会ったら、よろこんでもらえるといいね!それと、普通の天理教徒さんが、いい所みつけてくれて、その女の子はよかったな、と思いました。なんかずうっと「それは普通と違う!!」って怒ってるとおもってたから。へへ、ごめんね!まあ、ニートが「それは普通じゃありません」ってダメだしされて、まずはムカつけるレベルまで頑張れるかどうか、期待しないで待っててね!その後まで育っちゃったら、なるほど、ありがとうって聞けるかもね!自分的には育つとは思えないけど。。。。マイペースで行きます。その時縁があったら、また誘ってみてね!!
>ヨン様
お返事ありがとう。
別に怒ったのじゃないから、気にしないでね!!
お味噌って自分の家で作れるの???へえ!!
キソタイリョクをお休みの日に行くと、じゃあ本当にはいつ休むのかなあ。いつも疲れちゃうね。ニートはご飯のとき茶碗持つのもめんどくさいんだから、皆みたいに、深くいろいろは考えられないですけど、ニートもこれからもたまにはここへ来て、むずかしい事も少しは考えて見たいと思います。これからも来たときはよろしくね!!
- [686]白い鳥 05/08/28 17:34 nKSKLrEd.F
- くろさんへ。
>天理教でいう情っていうのはこういう事ではないでしょうか・・・。
ここという時にはその状況に関わらず
理を強く説くという事が必要なのでは・・・。
でも、強く言えるという事はそれだけ自分が強い心を持ち、日々
成人の道を辿っていないと言えないように思います。
それが教会で生活させて頂いている私達が特に心した通らせて頂かなければいけないお道の通り方だと・・・
私は現在、いわゆる「道専務」ではありません。
家業を持ち、仕事をしています。
ある人たちから見れば、そんな私は「成人の道」をたどってはいないし、人に神様の話などする立場ではない、と思われるかもしれません。
昔、私はこう思っていました。
「成人したあかつきには、堂々と神様の話をしよう。それまでは未熟な私だから、決して偉そうなことはいえるはずもなく、言うべきではない」
ところがある日、こんなことがありました。「普通の天理教徒」さんに電話で、ある病気にかかっている親友の話をすると、
「そのままほうっておくのは、薄情ですよね」
私はハッとしました。情が薄い───。確かにそうだ、と。
数日後、私は新幹線に乗って親友の元へ行き、突然彼の前に姿を現して、「神様の話をさせてくれ」と言いました。
彼はキョトンとしていました。彼も天理教関係の家の人間で、その彼の前に、突然親友が現れて「神様の話をさせてくれ」と言ったのですから。
私は、「かしものかりもの」「八つのほこり」の話をしました。
とにかく、話だけはする。自分が成人していまいと未熟者であろうと、親友に「偉そうに言うな!」と言われようと。
親友との間には、今までにない不思議な空気が流れましたが、聞くだけは聞いてくれた。
私は、「それだけでいい」と思いました。彼が助かるか助からないかは私の範疇ではない。後は、教祖が働いて下さる、と。とにかく、話をさせてもらうだけが、自分のできること。
この一連の中で、私は「天理教の中での情」というものを考えました。人の心を我が物と思い、その人の苦しみ、悩みを我が物と思う。すると、助けないではいられない。
この件の場合は親友だったので、そういう情を感じましたが、「普通の天理教徒」さんの場合は、面識もなく、電話で話しただけの人、あるいは、ネット上だけでのお付き合いでも、深い深い情を持っておられると思います。
今、私はこう思っています。「成人したあかつきには、皆が認めるような人物になった時には堂々と神様の話をさせてもらおうと思っていては、いつまで経っても絶対できないだろうな」、と。
まさに今、すぐそこに悩み苦しんでいる人がいるのに「私はまだ未熟だから」と口をつぐんでいるのは、それこそが教祖の思いに反しているのではないか。
今といったら今。すぐといったらすぐ。自分の成人の度合いが低かろうと、立場がどうであろうと、話すべき時は話す。
ただ、ちゃんとした立場の人たちが話す教理だったら聞く耳を持つけど、外でいて「道一条」でもない人に偉そうに言われたくない、
そう思っている人が多いでしょうね。
「道専務」、布教所長、教会長、大教会長といった立場にある人だったら教理を諭す資格がある、そうでない人は、もっと謙虚に、控えめに意見を述べなさい、と。
もしそういう思いがあるとしたら、それは、人と人の間に壁を作り、分け隔てをしていることになるのではないでしょうか。決して「ろくぢ」ではない。
まあ偉そうに書いていますが、私はろくな人間ではありません。
親友のことも、本当に数少ない経験の一つです。
「普通の天理教徒」さんとは月とスッポン、比較にすらなりません。
ただ、二十年前、「普通の天理教徒」さんに出会う前ですが、「大教会に青年づとめに来い!」と直接電話をかけてきた大教会長に、「私はやりたいことがあるので行きません」ときっぱり言って電話を切った私の感覚は、決して間違ってはいなかったと、時を経た今、そう思っています。
- [687]普通の天理教徒 05/08/28 21:33 9GAdlartjW
- >>661]
まっぷさん。
ご挨拶頂きながら、遅くなりましてすみません。
> 初めまして、よろしくお願いします。
こちらこそ、宜しくお願いします。
> 普段とても仲良しですが、父と性格が似すぎているせいか(顔も!)衝突してしまい、あとで後悔しています。
> 私の事を、心配ばかりしてくれる、とても大好きな父なのに・・。
> やはり、感謝の心が、足りないということでしょうね。
> 反省、反省。
感謝の心、と、衝突は、同居してしまう事があります。
感謝していたら衝突しないという事には、なりません。
そこの処が、理解できるでしょうか。
教組は、「親が子となり子が親となり」と、教えて下さいました。
そこで、自分が、お父さんに対して、そっと、親の心になる事ですね。
衝突回避できるとすれば、感謝よりは、親子心です。
何か楽しませてあげようとか、美味しい物作ってあげようとか、そういう心だけになれば、衝突は、しません。
前生の我が子だと、そういう思いで、大切に大切にして上げてください。
- [688]普通の天理教徒 05/08/28 21:41 9GAdlartjW
- >>685
そうだね、ニートさん。縁があったら天理教、しようね。
でもね、ニートさん。
たいりょく無くても、人のしあわせを願うだけで、いいんだよ。
思うだけで良いんだよ。
今も、出来てるし、もっと出来るよ。人のしあわせを願うことは。
なんでもいいから、出来る事で、ひとの事、しようね。
自分がちゃんと出来るようになってからなんて、普通みんなそういうけど、なんにも出来なくても、いいんだよ。
一つだけ、真心をこめたらね。いいんだよ。
自分で自分を良くしてこうと、それって、疲れるよ。きっと。
それよりね、出来る事で考えよう。みつけよう。自分のいいところ、生かすこと。ね。
- [689]普通の天理教徒 05/08/28 21:54 9GAdlartjW
- 新人さんのご主人へ。
ニートさんと話をしてみて、親神様のお働きが、欲しいと思いました。
ニートさんのせっかくの努力を、実りあるものにするには、人間わざでは無理ですね、たぶん。
ニートさんは、まだ天理教する気ではないとの事です。
ニートさんのご発言で、こういうものがありました。
> ニートにはまだまだ、一人で歩く練習がいるんだよね。
> せめて洗濯物を干している間、続けて立ってられるくらいの力もね。
>
これは、今までのニートさんの発言とは違うスタンスのものでした。
この、「自分で自分を救う」と言う思案は、ちょっとみると、一人で歩くように頑張るつもりに見えますが、頑張るつもりではない、未熟という、そういう自分の居所に留まるという、いつもの思考だと思います。
ニートさんは十分に大人だし、物も良く分かってられます。
自分がそこで、未熟で居続ける術も心得ておられます。
親神様に、お働き頂くという一点の思案をお持ち頂きたいと、お願いします。
- [690]まっぷ 05/08/29 00:33 IQU0etXRla
- 普通の天理教徒さんへ
お忙しい中、お返事有り難うございます。
感謝が足りないから、衝突すると、短絡的に考えていました。
父は(どこの親でも同じだと思いますが)ちょっと優しい言葉を
かけると、顔をくしゃくしゃにして、喜ぶのです。
そして、ウキウキしている様に見えます。勇むのです。
それなのに、時々、私の反抗心が出て、言わなくても良い
事を言ってしまうのです。
普通の天理教さん、的確なアドバイス、ありがとうございます。
喜んでくれる言葉を使い、楽しんで貰えるように
頑張ります。大切にしたいです。
そういえば・・
たまに、父をみて、前世、私の子供だったのでは?と、
思ったりする事、あります。あんまり、嬉しくないけど・・w
- [691]まっぷ 05/08/29 00:38 IQU0etXRla
- ↑すみません、大変失礼いたしました。
普通の天理教さん→普通の天理教徒さん
- [692]名無しのごんべ 05/08/29 11:45 lTjYWAJ0a.
- 久しぶりのレス失礼致します。実は心定めしていた信仰からまたまた
離れていってしまい、とてつもなく大きな事情をまたつくってしまい
ました。よくよく考えてみると、お道に引き寄せられてからでも、何
一つ変わってなかったんだと思います。本当に自分の無力さ、醜さが
見えてきました。やはり、教会の方から、信仰から離れていったから
こうなったのでしょうか。一度お道に引き寄せられたら、離れていって
しまうと、どんどん不幸になっていくという話を本で読んだ事があり
ますが、あれは本当なのでしょうか。ちなみに教会の方から家の人にも
信仰してもらいなさいと言われていたのに全く聞かなかったのも、原因
でしょうか。こういう時だからこそ、お手入れととらえてもう一度、腹
をくくって信仰をしなければ駄目なのでしょうか。元一日ということは
完全に忘れておりました。会長様が今は家の人は信仰する気はないが、
自然にそうなってきて、それも神様の采配と仰っておられたのですが、
本当なのでしょうか。確かに、僕が原因ですが、家自体も衰退してい
るのは確実です。おやさまと比べるのは大変失礼ですが、おやさまが
神がかられたときと家の状態が少しだけにています。とにかく、僕が
お道に引き寄せられてから、家も、僕も衰退していく一方です。これって
やっぱり、僕だけじゃなく、家族も引き寄せられているという事なの
でしょうか。本当に行き詰まっております。それと、間接的にお道に
導いてくれた彼女ともめごとが絶えません。その彼女にも、危ないところ
を何度も助けてもらっています。間接的にお道に導いてくれ、僕を助けて
くれたということは、何かの縁というか、因縁なのでしょうか。信仰的な
考え方をすると、うまく治まりそうな気がするのですが、世間一般的な
考え方だと、もう終わっています。やはり、神様のおせき込みなので
しょうか。大変困っています。どなたか、ご意見おきかせくださいませ。
- [693]くろ 05/08/29 13:37 u4tLw6hG6J
- 白い鳥さんへ
お返事有難うございました。
親神様にもたれ、日々心して通らせて頂きたいと思います。
- [694]どん 05/08/29 18:32 cJFcDNtCGB
- >>692
名無しのごんべさん、お久しぶりです。
ご自身で信仰すべきかどうか悩んでおられるとのことですので、天理教の話はせず、世間一般的なことを書かせて頂きます。
>信仰的な考え方をすると、うまく治まりそうな気がするのですが
真面目に信仰している間だけでもうまくいっていたならまだしも、
>僕がお道に引き寄せられてから、家も、僕も衰退していく一方です。
と仰る以上は、今までと同じ信仰では、事態は好転しないということだと思います。
>一度お道に引き寄せられたら、離れていってしまうと、どんどん不幸に
>なっていくという話を本で読んだ事がありますが、あれは本当なのでしょうか。
不幸か幸せかを決めるのは、名無しのごんべさんご自身です。お悩みを具体的にお聞きしたとして、私が「それくらい不幸でも何でもないですよ」と申し上げても、名無しのごんべさんは納得なさらないでしょう。逆に、似た境遇で、かつ、もっと不幸そうな人がいたら、「あ、私の事情なんて大したことないかも」とお思いになるかもしれませんね。不幸か幸せかを決めるのは、名無しのごんべさんなのです。ですから「不幸になるぞ」などという脅しのような意見は、全く論外です。そんな訳ありません。ある料理をおいしいかまずいか決めるのも、名無しのごんべさんです。お風呂の湯加減を、熱いか熱くないか決めるのも、名無しのごんべさんです。
>家も、僕も衰退していく一方です。
金銭的な問題かもしれませんね。お金が無いことが悪いことかどうかも、名無しのごんべさんの決めることです。月収10万円を、少ないと見るか、多いと見るかは、名無しのごんべさんが決めればいいことです。今の苦労から、何かを学び取ろうとされているのかもしれません。衰退を知らずに発展を知ることが出来ましょうか。一度も下降せずに上昇を知り得ましょうか。スキーで一度も山に登らずに、滑ることが可能でしょうか。
>彼女ともめごとが絶えません。
仲が良いほど喧嘩する、と世間では言いますが、揉め事が絶えないことも、悪いことでしょうか。意見が対立するということは、自分以外の意見を知ることが出来るという、成長のチャンスかもしれません、飛躍のきっかけかもしれません。
>世間一般的な考え方だと、もう終わっています。
とするならば、もうジタバタすることはあまり意味がないということですね。ならば、今の自分に出来ることを無理のない範囲でやっていくしか、それしかないのかもしれませんね。
私は、名無しのごんべさんが、今、現に苦しいと感じているのに、無理して笑えと申し上げるつもりはありません。ただ、お悩みの内容がわからない今の状況では、世間一般的なこととして、「行き詰まる」とか「困る」とかいうのは主観的なことですから、考え方を変えることと、自分なりに無理のない範囲で頑張ることくらいしか、思いつかないです。
- [695]どん 05/08/29 18:41 cJFcDNtCGB
- >>670-672
白い鳥さん、お久しぶりです。
今度とも、よろしくお願いします。
>>680
ヨンさん、お久しぶりです。
>お豆をことこと煮て、塩と麹を混ぜ合わせるだけ
そうなんですか!初めて知りました。
自然というか、時間というか、すごいものですね。
>>690
>父をみて、前世、私の子供だったのでは?と、
>思ったりする事、あります。あんまり、嬉しくないけど・・w
まっぷさん、うけました(^o^)
でもホント、そうなのかもしれませんね。
- [696]ヒゲ 05/08/29 18:42 ghkvWbdYY3
- 死ね 死ね
- [697]まっぷ 05/08/30 02:47 IQU0etXRpL
- どんさん、
うけました?
今日は、ある障害者の方の詩画展を観に行きました。
口にペンをくわえて、少しずつ、少しずつ描かれた、その作品を見て
胸がいっぱいになりました。
小さなことに、いつも不満や、不足を言っている自分を、
恥じました。
まわりに人がたくさんいるのに
泣けてきて、泣けてきて・・いい女が、台無しですw
- [698]名無しのごんべ 05/08/30 06:26 ZqIrIvYRBi
- どんさんありがとうございます。あまりじたばたせずに、自分のできる
範囲で最善の努力をしたいと思います。ありがとうございました。
僕も家族の運命も神様におまかせします。
- [699]どん 05/08/30 07:52 cJFcDNtCGB
- >>697
いえいえ、それでこそ、いい女なんだと思います(^_^)
欧米では障害者のことを「チャレンジャー(挑戦者)」と呼ぶ習慣が広がりつつあると聞きます。人間は、自分自身で環境や身体特性、両親などを選んで生まれてくるという仮説に基づいて、彼・彼女達の人生そのものが、高度な試練への挑戦なんだと、尊敬の念を込めて、そう呼ぶのだそうです。
素晴らしいことだと思います。日本も、どんどん、そうなってますね。有難いことだと思います。
- [700]どん 05/08/30 08:20 cJFcDNtCGB
- >>698
名無しのごんべさん、詳しい事情も知らないのに、すみません。
神は全知全能だと思います。完全です。何も足りないものはないのだと思います。神に必要なものは何もありません。
何かを必要としていて、それが得られないからといって相手を攻撃するのは、人間です。
ですから、人間が神の思惑に沿わないと罰を与えるというのは、随分と人間っぽい神を信じているということになります。
教祖は「神が罰当て更になし」と仰いました。
>僕も家族の運命も神様におまかせします。
事態の好転をお祈りします、と申し上げたいところですが、名無しのごんべさんにとって最善の結果にしかならないことがわかっていますので、祈りません。すみません。
- [701]ケイ 05/08/30 12:06 *oD3OC49fC4Z*JwxcxmBvoE
- 皆様こんにちは。
初めての投稿です。いつもこちらで勉強させて頂いております、ケイと申します。どうぞ宜しく、お願い申し上げます。
名無しのごんべさん、はじめまして。
詳しいご事情は分かりませんが、お辛い日々をお過ごしのご様子、ご苦労をお察しいたします。
>>692
>実は心定めしていた信仰からまたまた離れていってしまい、とてつもなく大きな事情をまたつくってしまいました。
>またまた離れて・・・
>また作ってしまい・・・
何度もこういう事を繰り返しておられるようですね。
>一度お道に引き寄せられたら、離れていって
>しまうと、どんどん不幸になっていくという話を本で読んだ事があり
>ますが、あれは本当なのでしょうか。
月日には たんたんみえるみちすぢに
こわきあふなき みちがあるので 七−7
月日より そのみちはやくしらそふと
をもてしんバい しているとこそ 七−8
このおうたは、「天理教教典」第6章 てびきから、引用させて頂きました。ここを、お読み頂きますと、続いて
にんけんも こ共かわいであろをがな
それをふもをて しやんしてくれ 十四−34
にちにちに をやのしやんとゆうものわ
たすけるもよふ ばかりをもてる 十四−35
一れつの こどもハかわいばかりなり
とこにへたてわ さらになけれど 十五−69
しかときけ 心ちがえばせひがない
そこでだんだん ていりするのや 十五−70
の、おうたへと進みます。
何度も、信仰してはやめ、しては、やめておられては、一人一人のタイムリミットを見定めて、このお道にお引き寄せ下された親神様の、折角のお心を踏みにじっておられる事になると思います。
この機会に「天理教教典」第6章 てびき。ご精読くださいます事を、お勧め致します。
もし、お手元に教典をお持ちでないなら、お教会へ運ばれ、会長さまからもう一度詳しくこのお道のお話をお聞きになると良いと思います。
しやんして 心さためてついてこい
すえハたのもし みちがあるぞや 五−24
この世治める真実の道、と、お聞かせ頂きます。
必ず、結構に、お導き頂ける事を信じて、どうぞ、大切なご家族のためにも、名無しのごんべさんが、この上とも、お勇みくださいますように、お祈り致しております。
- [702]名無しのごんべ 05/08/30 18:47 VAmiisAnXc
- どんさんケイさんありがとうございます。もう一度自分自身の問題と
受け止め、信仰していきたいと思います。今まで周りのせいにばかり
しておりましたので。ありがとうございます。また、よろしくお願い
します。
- [703]TN 05/08/30 22:59 I8R65HU1ny
- 天理教の教えは良いと思うよ。でもおさずけとかおつとめ・あれって無意味だよね(笑)みんなほんとにおさずけとか信じてんの??お授けで難病直ってたら今頃世界中の患者がお授けを求めてるよ(笑)まバリバリ天理教に現実逃避型の人間が多い事は確かだよ☆
- [704]まっぷ 05/08/31 00:50 IQU0etXR9L
- どんさん
有り難うございます。
「チャレンジャー」・・感動しています。
>人生そのものが、高度な試練への挑戦なんだと、尊敬の念を込めて、そう呼ぶのだそうです。
すごいです。
- [705]普通の天理教徒 05/08/31 06:43 269CdhdigJ
- >>703
TNさん。おはよう御座います。
普通の天理教徒です。
> 天理教の教えは良いと思うよ。
> でもおさずけとかおつとめ・あれって無意味だよね(笑)
> みんなほんとにおさずけとか信じてんの??
> お授けで難病直ってたら今頃世界中の患者がお授けを求めてるよ(笑)
> まバリバリ天理教に現実逃避型の人間が多い事は確かだよ☆
>
との事ですが、
天理教の教えというのは、「つとめ」と「さずけ」を中心としたものです。
普通の天理教徒はそのように、教えられております。
TNさんは、天理教の教えは良いと思うとの事ですが、それは、普通に天理教しているうえでの、天理教のことでは綯いですね。
> お授けで難病直ってたら今頃世界中の患者がお授けを求めてるよ(笑)
お授けで難病、治ってますよ。
TNさんはそういう、経験や現場を知らないで、天理教を語っておられますが、天理教祖は、
「この道は、みんな身上から付き来る道」
と、仰せになっています。
身上というのは、病気の事です。
病気から付いていない信者は、普通の天理教徒ではありません。
そう言う事も、きちんとご理解ください。
天理教の信者というのは、身上を、親神様にお願いする事でたすけられて道についた人ばかりです。
それ以外の人は、正式には信者以前と言う事です。
その、たすけの道が「つとめ」と「さづけ」です。
> みんなほんとにおさずけとか信じてんの??
信じる信じないではなく、それでたすけられたという体験なしには、天理教ではありません。
そういう事が、天理教の基本として、教祖から知らされてあります。
ちょうど、>>701、にケイさんが、天理教の教典の手引きから引用していますので、それを、お読みください。
「手引き」とは、入信することの原因、動機、きっかけの事です。
それは、親神様の側から、人に対して、働きかけるという、事が原因です。
そして、天理教の教典の手引きを、読んで頂くと分かると思います。
天理教が良い教えかどうかは、少なくとも、天理教の教典を読まれて、ご判断ください。
> 天理教の教えは良いと思うよ。
> でもおさずけとかおつとめ・あれって無意味だよね(笑)
天理教の教典には、つとめの理と、さづけの事が意義深く書かれてあります。
天理教の教えを良い教えといわれる口から、でもと、天理教の教典の主題を否定されるのは、(笑)(笑)(笑)
語るに落ちています。
- [706]普通の天理教徒 05/08/31 07:06 269CdhdigJ
- >>703、>>705
> お授けで難病直ってたら今頃世界中の患者がお授けを求めてるよ(笑)
> まバリバリ天理教に現実逃避型の人間が多い事は確かだよ☆
>
あまりに、あさはかなご判断です。
「おつとめ」とか、「おさづけ」というものを知らないから、そんな単純な、浅はかな判断ミスを犯すのです。
今から説明しますね。
おさづけで難病が治るという実例について、TNさんはそういう記録を、書物でもいいから、きちんと調べてから、お考えをまとめるべきでした。
「おさづけ」で難病がたすかる場合には、なでれば助かるとか、そんな風に教えられてもいませんし、神に祈れば助かるともなっていません。
難病の場合には、本人の「精神」というものの、「生まれ変わり」が必要となります。
「精神の生まれ変わり」というのは、その難病の人の、一人一人によって違いますから、一概には言えませんが、天理教の教祖が、立教の以後、「貧乏のどん底」に落ちていったことからはじまる、「ひながた」というものを、たどるという、決心が必要とされます。
それを「手引き」と言い、「こころ定め」と言います。
つまり、病院に行けば、お医者さんが直してくれるというものと比べると、病人の精神的負担は、極めて大きく、しかも、「心定め」しますと、以後の生活を、全て変えていかねばなりませんから、単に精神的な努力だけではない、「ひのきしん」の実践が必要となります。
天理教で、神様に手引きされるというのは、そういうものです。
> お授けで難病直ってたら今頃世界中の患者がお授けを求めてるよ(笑)
これは、中身を知らないからの言葉でした。(笑)
お授けで難病治るくらいなら、人生を変えたくない。
これが普通の人です。
だから、神様にたすけて欲しいとは仮に思っても、天理教に助けてもらうと、後が大変だと、おさづけをして貰う事を避ける人のほうが、多いのです。
私の父親のお授けでたすかった目の不自由な方は、目は開いたけど、人生変えるのは嫌だと、心定めをころりと変えて、います。
それが普通です。
ですから、「手引き」が済んだら、次には「ためし」があるのです。
「ためし」というのは、試験みたいなものです。
> まバリバリ天理教に現実逃避型の人間が多い事は確かだよ☆
それで、今普通の天理教徒ののべた事情から、天理教には「おさづけ逃避型」の人が多いのです。
病気になったら、おさづけだと、面倒な事になるから、医者薬にと走ります。
現実逃避と、みなしても正しいかもしれませんね。
- [707]普通の天理教徒 05/08/31 21:41 269CdhdigJ
- しかし、お授けの場合には、本人の精神の一大転換ほどの「手引き」以外にも、難病、諸病が、ただ単に神に願うことで、直ることもあります。
それは、二種類ほどありまして、一つは、「効能」あるおたすけ人か、一列兄弟として、おたすけ人本人の「精神」にて、親神様から、ご守護を頂くというものです。
もうひとつは、神様の方が、証拠として、不思議を現して見せる場合です。
それらは、たすけっぱなしの場面にて、多くは出現します。
手引きというものではありません。
神はある、不思議はある、一列兄弟のたすけあいがある。という証拠です。
人間の元の親神の、親心のみでたすかるおさづけということです。
- [708]普通の天理教徒 05/08/31 21:45 269CdhdigJ
- TNさん。
ご理解いただけましたでしょうか。
- [709]あだも 05/09/01 09:07 ONPHXlB0tO
- おはようございま〜す!!!
今日はとってもいいお天気ですね!
こんな日はにおいがけにも勢いがつきます。
さあ、さあ、行きましょ、行きましょ!
- [710]ケイ 05/09/02 09:15 JwxcxmBvoE
- >>703
TNさん。おはようございます。ケイと申します。
> 天理教の教えは良いと思うよ。
> でもおさずけとかおつとめ・あれって無意味だよね(笑)
> みんなほんとにおさずけとか信じてんの??
> お授けで難病直ってたら今頃世界中の患者がお授けを求めてるよ(笑)
TNさんは、おさづけ、おつとめで、人様のおたすかりを願われた事、ないのですか。
私は、普通の天理教徒さんのような、「普通」には程遠い、普段は、一日中、埃積みまくり?の、チャランポランのよふぼくですが、身近にお見せいただく難儀を見過ごす事が出来ず、今までに、数え切れない位の、「無理な願い」を、おやさまにさせて頂きました。
娘さんが家出して、後2日で帰らないと、高校退学に成るとか、蒸発してしまったご主人さんとか・・・おねがいづとめで、願いどおり、即、返して頂いた事も有りますし。おさづけの奇跡も、何度か体験しております。
難病もですが、日々の暮らしの中で、例えば、子育ての最中のお母さん達が一番不安に思う事。お薬を飲ませても、いつまでも下痢が止まらないとか、熱が下がらないとか・・・そういうときの母親は、何か怖い病気が隠れているのではと、つい、マイナス思考に陥って、イライラが募り、お子さんにとってはそういうお母さんの精神状態がうつって、悪循環ですよね。
私は、どこにいても、すぐにその場で神様の思いをお伝えして、おさづけをお取次ぎさせて頂きます。絶対ですよ。特に、子どもさんへのおさづけは。
すぐに寝てしまいます。起きるころにはすっきりしています。
- [711]あだも 05/09/05 15:31 8xeSOfk.1q
- すごい台風が来ているようですね。
神様がお掃除していらっしゃるんでしょうか??
神様にして頂く前にせめて自分の心なり、お掃除させて頂かないと、0からやり直しですね。
心の掃除は時間がかかりますが、台風が来るまで間に合うかな?
・・・それよりも喜べる心を持つ方がいいかも知れない。台風は止められませんしね(笑)。
さあ、雨ですけど行ってきます!
- [712]火水風 05/09/05 20:13 *AiEE77RCjBX*2Lm.blwM8B
- はじめまして。
最近になってこの板を拝見しました。
皆さんの意見や質問などなど…本当に参考になります。
私も、天理教を信仰させて頂いておりまして、親々からと代を重ねてきました。
そして、今、曲がりなりにも人救けをさせて頂いてはいますが、
本当に、救ける、たすかって頂くということは、難しいものですね。
だからこそ思うのですが、
相対する人に、よろこび、勇んで頂くためのお手伝いなんだ。
おやさまのお手伝いをさせていただいているんだ。と。
本当にその人の心の奥底は分かりません。
でも、聞かせて頂き、共に語り合うことができれば、
お役に立てることもあるんじゃないかなぁ。
改めて、身を引き締める努力をさせて頂ければ、と思います。
この板も、親神様・教祖のお引き合わせ。
今後の信仰生活の一助としていきたいと思います。
ありがとうございます。
- [713]ビット 05/09/05 20:15 vKahm3HK3K
- 久しぶりにスレ拝見。
>>はじめの新人さんへ
おもしろい「新人」が出てきましたね。興味深く読ませていただきました。「新人」は2人いるんですか? ご夫婦? 文体がずいぶん違う。 初めに出てきた「新人」さん、もっと書いてください。それにいちいち、ああだこうだと説教している人もいて、まるで今の天理教の縮図ですね。
>>630 どんさん
久しくご無沙汰してたので、返信遅くなりました
井上先生の新著は、天理教学研究者の意表をついて他出版社から出すようなので、ほかから情報は入りません。出るということだけが先行情報です(間違いありません)。ところで、どんさんは今の天理教における井上昭夫氏をどう評価していますか。
- [714]どん 05/09/06 15:54 t7xIX32hRb
- >>701
ケイさん、お久しぶりです。
ケイさんのご投稿でバランスを取っていただいた気がして、有難いです。
今後ともよろしくお願い致します。
>>702
名無しのごんべさん、こちらこそお願いします。
周りのせいにしてしまう、ということは、それだけ傷つけられてきたということでしょうね。しかし悲しいかな、周りのせいにするということは、自分は他人によって苦しめられ得ると、他人の奴隷だと宣言していることになります。結果、心通りの守護として、再びそういう事情に遭うか、事情が継続されると思います。
しかし全部自分のせいにすれば気が楽になります。自分が原因なら、自分が変われば世界が変わるということですから。事情も変わってくるということですから。楽しみですね。
>>703
TNさん、こんにちは。
>お授けで難病直ってたら今頃世界中の患者がお授けを求めてるよ
悩ましい問題ですね。天理教祖にしろイエス様にしろお釈迦様にしろ、どうして世界中の病む人をいっぺんに治癒しなかったのかと思ったこと、あります。
>>709>>711
あだもさん、こんにちは。お勇みのようですね(^o^)
「心の掃除」と「喜べる心」、これらは密接な関係にあるように思います。
>>712
火水風さん、こんにちは。
火水風さんの仰る「お手伝いなんだ」というスタンス、そうですね。
ともに語りましょう!よろしくお願い致します。
>>713
ビットさん、お久しぶりです。
実は、教理教学研究の関係の本は、私には難しくて、なかなか手が出ていないんですよ。それで、ご紹介下さった新刊なら道友社以外の出版社とのことですから、私でも読めるかなと思った次第です。そんな訳で井上昭夫氏についてのコメントは、実際にその本を読んでから、また書かせて頂きますね。
- [715]火水風 05/09/06 20:35 *Manq19pPrdA*2Lm.blwM8B
- どんさんへ
さっそくありがとうございます。こちらこそよろしく。
昨日は、一度だけ思いを述べさせて頂いておこうというつもりでお邪魔したのですが……
いつも皆さんへの語りかけ、きっと思いやりのある方なんですね。
人間は、親神様や教祖とは違い、思っていることは、言葉で話したり、書いたり、身振り手振りなどで、
伝えていかないと、お互いを理解し合えないんですよね。
たとえば、いつもの事だから「わかるだろ」では、分からないんですよね。
やっぱり、話したりして思いを伝え合う。気付いた方が、相手にわかってもらえるように努める。それが、心を遣う。
「心をつくする」(おふでさき 二 28)ということにもなるんでしょうね。
なかなかできない時もありますけどね。
お互いの持ち場立場で、頑張りましょう。
- [716]ケイ 05/09/06 23:17 *P2C81BlBqvN*z.Mz8qGIQ0
- >>714
どんさん、お久し振りです。
暫らく前にこちらを知り、勉強させて頂いておりました。
皆様への、どんさんの暖かいコメントが、嬉しいです。
- [717]あだも 05/09/07 16:59 8xeSOfk.1q
- 先日からの台風で、あちこち凄い事になってますね。
でも、こんな日はみなさんお家にいらっしゃるので、においがけに伺うと「こんな日にご苦労様です」
なんて言って頂いたりして・・・。
声がかからなくても嬉しいですね。声がかからないのに、ご褒美ばかり頂いてしまっている気がします。もったいないです。
- [718]名無しのごんべ 05/09/08 00:16 Zebwh9PLvG
- どんさんありがとうございます。まわりのせいにしてしまうということは
僕の心がそれだけ、周りに傷つけられてきたということなのですか。
確かにそういったことはありました。それは家族にです。実は、依存症
に陥り、それがもとで、いろんな事情をつくってしまいました。お道に
導かれたのも、そういうわけです。どんさんのおっしゃるとおり、事情
は治まるばかりかさらにどでかい事情をつくってしまいました。もう、
身動きがとれずに、毎日おびえながら生きています。自分のせいにして
いると、いろんなものが見えてきて、それが思ってた以上に厳しく、毎日
気を失いそうなくらいに、現実におびえています。依存症というのは一応
精神病の一種らしいのですが、家族に理解をしてもらえず、もめごとが
たえませんでした。最近は理解してくれるようになったのですが・・・
具体的に言うと、今まで夢の世界で生きていたようなものです。それが
今、現実が少しずつ見えてきたので、まじでびびっています。どんさん
申し訳ありませんが、今一度アドバイスをくださいませ。よろしくお願い
いたします。
- [719]火水風168 05/09/08 07:20 *Manq19pPrdA*2Lm.blwM8B
- ほかのスレを見ていましたら、別に火水風さんがいらしたので、
混乱を招く方も居られるかもしれませんので、
念のため、お断りを入れておきます。
末尾に 168 をつけておきます。
- [720]らくちん 05/09/08 15:31 8xeSOfk.1q
- こんにちは。
しばらく離れて気持ちの整理をしてきました(^^)
やっと見えてきそうです。
また時々お邪魔したいと思います。
どうぞ、お手柔らかに・・・
・・・そういえばニートさんはこの頃来てないようですね。
元気ですか〜?0(^^)0
- [721]どん 05/09/08 16:45 D0XAqNoN0F
- >>715
火水風168さん
>人間は、親神様や教祖とは違い、思っていることは、言葉で話したり、書いたり、身振り手振りなどで、
>伝えていかないと、お互いを理解し合えないんですよね。
仰るとおりだと思います。伝わらないという、その歯がゆさというか、だからこそ工夫する喜び、理解し合えたと感じたときの喜びを、体験できる、本当にこの世は極楽なんだと思います。
>716
ケイさん
私は相変わらずの無責任なコメントなんですが、火水風168さんも仰るとおり、語り合う中で、私が、気づくこと、学べることが多くて、有難いです。
- [722]どん 05/09/08 16:46 D0XAqNoN0F
- >718
名無しのごんべさん
>僕の心がそれだけ、周りに傷つけられてきたということなのですか。
私自身の体験から思うことなのですが、他人のせいにしている時というのは、必ず、心が安らかでない時、自分自身が悲しみなり苦しみで傷ついている時だと思うのです。しかし本当は、名無しのごんべさんの心を傷つけることは、他人には出来ないんですよね。
人は鏡だからです。
それならば、「他人が原因なんだから、他人が行いを改めればいい」とか「事情を解決すれば私の心は安らかになれる」という発想は、意味がない、というか、逆だ、ということですね。そうではなくて、まず、自分の心を安らかにすることが先なんですね。
さて、
>実は、依存症に陥り、それがもとで、いろんな事情をつくってしまいました。
ということですが、正確なご理解だと思います。依存症といっても、私は専門家ではありませんので詳しくは知りませんが、アルコール、薬物、買い物、ギャンブルなど、いろいろあると思います。私が大切だと思うのは、名無しのごんべさんの仰る「依存症が原因だ」という点です。ややもすると、いろんな問題というか事情を引き起こしたのは、自分の性格のせいだとか、他人のせいだとか、いろいろと考えてしまうのですが、仰るとおり、依存症を治療することが先決なのだ、ということですね。それは大切な自覚だと思います。
ここでいわゆる因縁論を持ち出しても役には立たないでしょう。因縁が悪いから身上お手入れを頂いたなどというのは、何の得にもなりません。大切なのは、今、依存症だという一点のみです。私は、成ってくるのは天の理、だと思っています。天の理、ならば、それが神のはからいであり、それこそが守護、ということですね。依存症になったことは、悪ではありません。依存症になった名無しのごんべさんは、悪ではありません。問題は、今、依存症なら、そんな自分を、今、どう癒してあげられるのか、です。自分が、です。とにかく、過去と現在の自分を責め咎めても、何の役にも立ちません。
- [723]名無しのごんべ 05/09/08 20:03 723
- どんさん心暖まるアドバイス本当にありがとうございます。やっぱり
因縁とか関係なくて、問題なのは依存症という点のみなのですかね。
もっと厳しいご意見をいただくのかと思っておりましたが、少しほっと
しました。教会の方には因縁だの徳がないだの本当にぼろかすに言われて
きたので、同じお道のどんさんにそういう風に言っていただけると、ほっと
しました。今、あらゆる嗜好を断ち、リハビリしている途中です。
それまでの体調不全、精神的にすごく不安だったのが、少しずつ改善
されているところです。今まで、止めようと思っても止められないことが
多すぎて、自分を責めていたのですが、依存症というれっきとした病気
になっているんだという事がわかり、そこから、ネットで情報収集して
いろんな機関に相談したり、病院に行ったりして、今、やっとあらゆる嗜好
が止められるようになりました。かなり長い期間悩んできましたのでまだ
回復し始めたばかりなのでなんとも言えませんがやっと自分にあてはまった
解決方法がみつかり、安心しています。依存症という事を知りながら、因縁
だの、徳がないだの、依存症の治療もすすめず、お道の言葉ぜめを毎日
してこられた教会の方は一体なんだったのだろうと思います。教会の方に
間接的に今思えば、依存症と言われた事はあるのですが、それ以外は全部お道の説教
でした。依存症と知ったのは、自分でみつけたのです。教会のかたには
はっきりと依存症とは聞いておりません。教会の方の言う事はできるだけ
素直にきかさせていただこうと思い、その通りしようと思っても今思えば
依存症というれっきとした病にかかっているのにできるはずがない。
一体なんだったのだろうと思います。最近、教会の方を信じられなく
なってきました。とにかく依存症の治療を進めたいと思います。
- [724]どん 05/09/08 21:17 t7xIX32hRb
- >>720
らくちんさん
お待ちしておりました。
また、よろしくお願いします(^o^)
>>722
名無しのごんべさん
ちょっと時間がなくて中途半端な投稿になってしまったにも関わらず、思いを汲み取って下さって、嬉しいです。
>教会の方には因縁だの徳がないだの本当にぼろかすに言われてきた
大切な点だと思うので、今一度投稿させて頂きます。事実として名無しのごんべさんの因縁が悪いのではありません。徳がないのでもありません。教会の人に「あんたは因縁が悪い、徳がない」と言われただけ、なんですね。名無しのごんべさんの真価は、教会の人のコメントなんかで損なわれるものではありません。
敢えて因縁のお話を、私なりに申せば、依存症を経験する中で、また人から何だかんだと言われる中で、自分の価値(教祖の子としての)を知り、自分を許し、自分を愛することを体験しようとしている、そんなチャレンジャブルな道、そういう因縁ということでしょう。
>依存症と知ったのは、自分でみつけたのです。
素晴らしいことです。自分でみつける、自分で考える、自分なりに結論を出す、自分で選ぶ。どれも大切なことです。だからこそ、だからこそ、自分で味わえるのです。そして学びがあるのだと思います。他の誰でもない、名無しのごんべさんの、人生ですからね。
- [725]火水風168 05/09/08 22:37 *AiEE77RCjBX*2Lm.blwM8B
- 本日、おさづけを取り次がせて頂く。
打ち身のおばあちゃん、腰の痛みが無くなった。
喜びの言葉に、こっちも心が温かくなって、たすけていただく。
おやさま、ありがとうございました。
- [726]ケイ 05/09/08 23:42 z.Mz8qGIQ0
- >>725
火水風168さん、はじめまして。
毎日、にをいがけに、おたすけに、ご苦労様です。
お勇みのご様子が、ご投稿から、伝わって参ります。
打ち身のおばあちゃん、ご守護頂かれて、良かったですね。
おやさま、ありがとうございます。
- [727]らくちん 05/09/09 08:04 8xeSOfk.1q
- おはようございます(^^)
「見るもいんねん、聞くもいんねん」と聞かせて頂きますが、ホント、事の大小に関わらず、要所要所で見せて頂いて、聞かせて頂いて、やっぱりこの世は神様の懐なんだなぁ、人がどんなにあがいても、所詮、神様の思し召し通りなんだなあとこの何日かずっと思ってました。
自分の信仰ってなんだろうって思った時に、入信の元一日を辿ったり、心調べをしたりする訳なんですけど、結局、私の場合は自分では結論が出ないんですね。わが身思案と言うか、どこかで自分の都合の言い様に解釈したいと言う心がある。それが分かっていて考え続けても意味がない事も分かってるんですけど、何でも最終的な結論を自分が出せないと、止められないんです。徹底的に、良くも悪しくも考え抜いちゃうクセがあるんです。出口がない事も分かってるんですけど・・・。でもそれで、自分の「ずるい」所も分かってきて、教会の先生に伺えば、あっさり指摘されて、「やっぱりなぁ・・・。」と。
今回いろいろ考えさせて頂いて、120年祭の旬ですし、先日教会の月次祭に参拝させて頂いた時に講話で「今はたすかる旬、たすける旬」と聞かせて頂きました。年祭前は何かと見せて頂きますが、今の事情、身情はたすけて頂けると。心の向きを変えたなら、「すぐにうけとる」と鮮やかなご守護を頂けるんだと。むしろ、今見せて頂いてる事は幸せなんじゃないかと・・・。そう思えるようにお話して頂いた教会の先生は、「私は親の理を説いているだけ。私は偉くない。ただ、理の親一条で来ているだけ。親一条、たすけ一条で通ったら、何にも心配いらないのよ」と笑って下さいました。
思春期に身情を頂いて、母に連れられ拝殿で理を伺った事がありました。当時私はお道を聞く気はさらさらなかったので、話も半分で聞いていました。すると先生が「騙されたと思ってやってごらん」と。そして、騙されたと思ってやってみた所、ご守護頂いちゃったんです。一度や二度ではありません。神様っているんだなぁって子供心にも感動したものです。
この板がきっかけで、今まで伺えなかった事や、気付いていたけど逃げていたもの、引っかかっていたものが少しスッキリしました。
もう、らしくなく、「理は暖かいのか?!冷たいのか?!」なんて13年振りに考えちゃって(笑)。理は暖かくも冷たくもない、自分の心が温かかったり冷たかったりするだけだって。
心次第ですけど、人間の心はヤッカイですね(^^;
- [728]\\ 05/09/09 12:42 WyrHG85C2A
- "「天理教」を信仰している愚か者どもに告ぐ"
いい加減目を覚ませ。
いい加減目を覚ませ。
いい加減目を覚ませ。
いい加減目を覚ませ。
いい加減目を覚ませ。
※ちなみにここで定義する「天理教」とは「宗教法人」における天理教を意味するので。
- [729]火水風168 05/09/09 17:42 *VWg5YewEHIk*2Lm.blwM8B
- >>726
ケイさん、こちらこそはじめまして。
お声を掛けていただいて、ありがとうございます。
ところで、私も毎日にをいがけ・おたすけ、と言うわけではないんです。
正直言って、勇みきれない日もあります。むしろ、そんな日のほうが多いかも知れません。
その中でたまに、おやさまに、喜びの種を見せて頂きますので、
たまにですが、させて頂かないと、という事になるんです。
ある人がにをいがけに行った先で、
「所詮、天理教は、お金やろ。」と言われて、
「そんなこと無いですよ。」と、言ったものの、それから先、言えなくて、分かってもらえなくて、
「また行って、何とか分かってもらうんだ。」と、勇み立っている姿を見て、
こちらも元気をもらったりしています。
お道のことだけではなくて、
普段は気が付きませんが、人間って、いろんな人に元気もらって、
たすけて貰っているんですね。
いつも素直に感謝できると良いんですけどね。
身近な家族に。
みなさんに。
そして、おやさまに。
- [730]名無しのごんべ 05/09/11 00:52 ZebwhZDCl1
- どんさんありがとうございます。実は依存症で引き起こしてしまった事情
がとてつもなく大きいので悩んでいます。確かに依存症に詳しい病院の
先生などは依存症というのはれっきとした病気だし、あなたの人格や
性格など関係ないと仰ってくださっていましたが、人格が完全に壊れて
しまっていたので、なかなか取り戻すのに、苦労しています。自分でも
信じられない事ばかりやってきたのですが、その自分のつくってしまった
事情の大きさを考えると、頭が、また、おかしくなりそうです。僕は今まで
夢の世界に生きていました。夢の世界から現実の世界に戻れるか心配です。
依存症に詳しい方の話を聞いていますと、とにかく、もろもろの問題は一旦
おいといて、まず、あなたが回復する事が大事だと、仰っていましたが、
なかなかそう簡単にはいかないのです。抱えてる問題があまりにも大きすぎて・・・しかし依存症というのは恐ろしい病気です。自分がきずかないうち
に少しずつ自滅しているのですから。進行性の病気らしいです。どんさん
いつも良いアドバイスありがとうございます。なんかザ・天理教をかたる
というよりもお悩み相談室にしてしまってすみません。みなさまどうか
お許しください。
- [731]どん 05/09/11 08:52 t7xIX32hRb
- >>730
名無しのごんべさん
確かに天理教の話ではないかもしれませんね、でも皆さんきっと許して下さるでしょう。
心中お察しします。節からしか、芽は出ません。今が試練です、今こそチャンスです。
読ませて頂くと、名無しのごんべさんは、ご自分で「自分はやっぱり悪であり、罪人であり、さらに今の問題を解決できる能力はないにも関わらず解決を求められている」と考えていらっしゃる訳ですね。
医師のアドバイスも、依存症に詳しい人のアドバイスも、それはわかるのだけど、やっぱり自分の考えを変えられない、というところでしょうか。
でも、自分を悪と思っているのは、他ならぬ名無しのごんべさんご自身ですよ。
問題解決できない!でもしなきゃ!と思っているのも、名無しのごんべさんご自身です。
ご自分こそが、自分を責め、咎め、裁いているということ。わかってもらえますでしょうか。
事情の内容がわかりませんので、あんまり勝手なことは言えませんが、自分がやってしまったことなら自分に責任がかぶさってくるのは当然のことです。それは淡々とやっていくしかありません。正に、やっていくだけ、ということです。それ以上に自分を責めて何の意味があるのでしょう。
教会の人がボロクソ言う、それ以上に、ご自分こそが、自分を悪く咎めてはいませんか。
教会の人が、神の代理と称して、あなたを責めたという、その、一番無視していいところだけ、受け容れてるのではありませんか。
神様が本当にいらっしゃるとして、神様はそんなに復讐心に満ちた、しつこく責める方でしょうか。
取り返しのつかない極悪人なら、亡骸すら残さずにその存在を抹消してしまえば済むでしょうに、そうではなくてわざわざ生かしておいて、七転八倒の苦しみを与えようとなさるのでしょうか。
私は、神様はそんなお方ではないと思っていますが。
- [732]火水風168 05/09/11 09:30 2Lm.blwM8B
- >>724
どんさんへ
めからうろこ状態、というところです。
>「あんたは因縁が悪い、徳がない」
という言葉をよく耳にしますし、無意識のうちに、つい使ってしまっている事もあったのではないかと思います。
人は、何を基準にいんねんが「悪い」と、徳が「無い」と決められるんでしょうかね。と、改めて考えさせられました。
以前、仕事場で上司に報告する時、「…というのは、常識ですよね。」と、報告したら、
「その常識は、誰が決めたんだ。何を持って常識というんだ。一人ひとり、基準が違うんじゃないのか。」
と、言われたことを思い出しました。
ここで常識の定義をするつもりはありません。
いんねんが「悪い」、徳が「無い」といのは、周りで決め付けてしまっていることなんだなぁという気がしたんです(親神様・おやさまは、別として)。
おふでさきに「いんねん」という言葉は、十三首でていますが、大きく二つに分けられます。
その一つは、人間創造における、元初まりの陽気ぐらしのいんねんに関わることであり、
もう一つは、私達が、日々暮らしていく中で積み重ねお見せいただくものです。
つまり親神様は、「陽気ぐらし」を人間にさせて、共に楽しみたいために、日々様々な「いんねん」をお見せ下さるもの(悪い いんねん と使われているのは、一首だけ)。
ということを、思い出しました。
「陽気ぐらし」を、お互いに、させて頂くための「いんねん」ということを忘れたときに、
つい、攻め言葉になったり、相手のことを思いやることを忘れてしまうのではないかと思います。
言われた方は、勇めますかね。勇めないんではないかと思います。
こうして時々、自分を省みることが出来る。これも、信仰のありがたいことだと感じています。
心のほこりを「はらう」「はらっていただける」と言うことではないかと思います。
おやさま、ありがとうございます。
- [733]普通の天理教徒 05/09/11 11:25 pmShyKEqLU
- 私の母親は、求めて長と名のつく人に嫁ぎたいと、縁談を選んで結婚をして、その時の夫には、頭に瘤があって、暮らすうちに、その瘤がどうしても嫌で嫌でたまらなくなって、逃げ出したそうです。
それから、再婚して、私が生まれたのですが、神様のおかげで、やっと生まれた赤子の私に、頭にそれと同じ瘤があって、愕然として、そのとき、天理教の先生から「いんねん」と諭されたと、言っていました。
「いんねん」は逃げても、逃げ切れないと、私に、いつも語っていました。
手術して切り取るにも、神経も血管も通っていて、どうしようもないと医者には言われて、「お母さんの信仰が本物になったら、御守護頂く」と、諭されました。
小学校の頃、その瘤はいつの間にか、すぼんで、くぼみとなって、大人になったときには、全く後も無くなりました。
「神様が頭に印しつけたと言う事は、あんたは頭で神様の役に立つと言う事だ。」
と、何万回も聞かされました。
もちろん、「高慢」とも、・・・
私の父親は、父親の父親、実の兄弟姉妹、尽く肺病で亡くしました。
自分が肺病になって、倒れたとき、とうとう、これで俺の番かと、死を覚悟したそうです。
「神様がたすけてくださる」と、天理教に入信したのは、肺病の光熱が、おさづけで、下がったときからだと言います。
「因縁」というのは、現実だと思います。見えない宿命というようなものではなく、成ってくる姿です。
名無しのごんべさんの、現実を、どのように切り替えるのかというなら、それは、「たんのう」、一切を、結構だと受け止める事が、天理の教えの、普通です。
私の両親は、私に、「断絶の因縁」だと、いつも、言っていました。
何があっても、「因縁の自覚をしろ」と、父母の口癖でした。
お前が天理教さえしてくれたら、それで良いと、それをしなければ、家は、滅びると、口癖でした。
私の場合で言えば、「因縁」とは、身近なものでした。
名無しのごんべえさんには、因縁という教理は身近なものではないのかもしれません。
いんねんを切るには、さんげとたんのう。
理由も無く、頭を下げて、理由も無く、結構だとおもう。
そういう修行も、なされたらいかがでしょうか。
- [734]普通の天理教徒 05/09/11 23:10 28t4iVhBVW
- 私の父親は、学校の教員をしていて、その当時の仲良くしていた教員仲間の奥さんが、その人には私と同じ学年の娘さんがいて、私の家にはよく遊びに来ていて、入学前から、小学校・中学・高校以後もながく付き合ったおばさんがいました。
私が、中学校に入学して一週間後の事でしたが、なんでも無い事を担任から叱られて、罰に廊下の拭き掃除を命ぜられました。
理由が分からないので、尋ねると、「お前は言う通りにしていれば良い」と、「先生には先生の方針がある」と、言われました。
その以後、別の生徒が遅刻すると、私が、「お前みたいな奴がいるから○○が遅刻した。」と、立たされます。
或いは、廊下に出されます。
人の嫌がる事は、みな私に役を命じて、色々とさせてくれました。
両親からは常々に、「因縁が悪い」と言われていましたから、そりゃ自分が悪いんだろうと、思うのですが、心が倒れそうにも一瞬はなったのですが、なんでも結構と、にこにこして通らなければ、ならないと、担任とはいつもにこにことして、接する事としていましたから、皆が担任と私はなかよしだと思っていました。
中学三年の秋には、「お前はどこの高校へも入れなくしてやる」と、言われまして、両親からは、「お見えが悪い」と叱られる、大変な事でした。
その時ばかりは、さすがに、担任に対して、きっちりと、反論しました。
自分にはそこまで言われる理由が無いと言う事。言いました。
その直後の試験で、何の特別な勉強しなかったのに、成績が急上昇して、以後担任の態度が、がらりと変わりました。
そして、優しくなった担任は、二月に、こう告白しました。
「実は、お前の事を、入学前から悪い子だと、どうしようもない問題児だと告げてくれる人がいて、それを信じて、お前に問題を起こさせないようにと、ひどい事ばかりした。誤解だった。許してくれ。」
と。
入学前に、担任が誰かの発表も一般に知られる前に、あの子は問題児だといえる人は、別な中学の校長先生の奥さんである「親切なおばさん」しかいませんでした。そうか、そうだったのか。
その時、私は、感謝しました。その奥さんに。
そして、そこまでされる自分の因縁を、悪い因縁だと自覚しました。
心から、そのおばさんに親切にしてあげようと、決めました。
そして、今まで以上に、仲良くし、それ以後は、愚痴も聞いてあげ、神様の話もしてあげて、色々な話の話し相手にもなりました。
私の母親は、お前の因縁が悪いのだから、そうして貰えてよかったねと、(自分は全くさんげとたんのうの無い人でしたが)、私には、きちんと言いました。
事情を知ってからも、仲良くしていました。
人に、そこまでされなければならない、自分だったと言いますと、私の奥さんは、本当にそういう人だからと、言います。
因縁か悪いから、楽しみも多いと思います。
教会には運びました。
教祖に、お詫びするために、教会に参拝に行きました。
そして、教祖に参拝すると、自分がなんとつまらない人間かと感じて、こんな自分でも、この世においてくださるのだと、それが嬉しくて、担任とにこにこと接するという、修行が出来ました。
- [735]ケイ 05/09/12 00:43 z.Mz8qGIQ0
- >>733 >>734
70年祭前後の天理教の普通。
因縁を切って頂くという、天理教の信心。
普通の天理教徒さんが、ご自分を台にして語って下さった、因縁の話。
なってきた身上事情の姿の中に、その先の、怖き危なき道を知らせたいとの親心。
親神様の思いをたずね、謙虚に、己が因縁を悟らせて頂く。
そして、因縁の根を切る為には、さんげとたんのう。
理由も無く、頭を下げて、理由も無く、結構だとおもう。
そういう修行を重ねていく事。
ほんとうにそうでした。「因縁納消」と、呪文を唱えるように、口にしていた祖母の信仰の姿を、思い出させて下さり、普通の天理教徒さんに、心から御礼申し上げます。
- [736]ジンパチ 05/09/12 01:56 D-nUzoN
- 皆さんの不足に思う事に対しての喜び方(気持ちの切り替え方)を教えてくださいよろしくお願いします
- [737]名無しのごんべ 05/09/12 03:51 tp.g7uaSeR
- どんさんお力強いアドバイスまたまたありがとうございます。僕自身、
依存症の自覚をしてから反省しなきゃいけない部分と病気なんだから
病気を治すという考え方ができるようになり、少しずつ自分を取り戻し
つつあります。しかしながら、崩壊してしまった心を立て直すのは、
容易ではなく、時には焦ったり、もがいたり、先を悲観したり、また、
何かの拍子に突然うれしくなってきたりと、なかなか落ち着けません。
自分の場合は、精神科でもらって飲んでいた薬の依存です。いわいる
薬物依存症です。あと、幾つかの行為依存です。詳しい事はすみません
言えません。自分が依存症になっているときずくまで、本当に辛かった
です。自分を責める毎日・・にもかかわらず、止めようと思っても、止められない、日々・・もう自分なんかこの世からいなくなったほうがいい、
死んだほうがましだ。何回思ったかわかりません。それなのにまだ、心
は病んでいますが、五体満足で生きていれるのは神様のご守護なので
しょうか。僕が健康になって社会に復帰できることを神様が許して下さる
のならば、そうしたいです。そして、頭でっかちで行動が何もともなって
いなかったお道の教えを実践していきたく思います。依存症が回復するまで
あまり教会には行きたくありません。だって今までの自分は依存症になった
自分ですから。常にこんなはずじゃない、何かおかしいと思って過ごして
きた日々でしたので。しかし周りの人達はそうは思ってくれませんでした
から。あの優しい教会の人達さえも。まるで濡れ衣をきせられた気持ち
でした。神様が許して下さるのであれば、一人で病気を治療し、心を癒し
てから、人前に出たいです。しかし、あやまちは、しっかり受け止め、反省
をしたいと思います。この掲示板を見ておられる皆様。私事ばかり書いて
すみません。余計なお世話かもしれませんが、皆様のご健康とご多幸を心
よりお祈りしています。
- [738]らくちん 05/09/12 07:49 8xeSOfk.1q
- ジンパチさんおはようございます(^^)
私の場合は、嫌な事を言う人や、する人、何もしないけど何か一緒にはいたくない人と、いろいろな人に不足しますが、その人自身に私が「嫌だ」と思っている原因があるとはあまり思いません。結局、自分の鏡であって、自分の良くない所をその人を使って神様が私に教えてくださってる、なんて思ってます。私が「嫌だ」と思う人には同じ位私を嫌だと思っているか、もしくはさして関心が無い人と分かれる気がします。例えば、私がその人の一言で不足に思ったとして、敵意に似た気持ちで言った事なのか、何気なく言った事なのか・・・?です。敵意があった場合は、私が気付いているけど忘れちゃってた事、何気なく言われた事は、まだ私が気づいていなかった事・・・文章にするとこんな感じです。嫌な事言う人だって、言いたくて言ってるんじゃないと思ってます。誰だって、明らかに自分が「嫌なやつ」と思われてしまう一言を言いたくて言ってる人って珍しいんじゃないかな?言いたくない事を、神様が言わせているんですよね。私に教えるために。ウチの前会長さんは「自分に嫌な事言う人は、自分の為に、言いたくない事を言ってくれた。なんて申し訳なくて有難いんだろうと、その人の背中にずっと頭を下げてお礼申し上げた」と言ってました。
人に不足する時は、やっぱり「人は鏡」なんだろうと思ってます。
仕事や制度に不足があった場合(働いても給料が安いとか・・・)も、結局自分にたくさん頂ける器がなかったと、現状の生活が分相応なんだろうと思ってます。その中で諦めで暮らすか、喜んで暮らすかでいわゆる「得」の違いが出るんでしょうね。あぁ、イタイです・・・。
あくまで私の場合なので、さらっと読んで頂きたい・・・。解り辛くてすみません(^^;
- [739]らくちん 05/09/12 08:44 8xeSOfk.1q
- 名無しのごんべさんへ(^^)
私も何度か「死んじゃおうかな」と思った事あります。
いろんな事が上手く行かなくて、どうしたらいいのか判っているのに出来ない自分って言うか・・・。もう、人や世間、自分を責める事にも疲れてしまうんですよね。だから「楽になりたい」って。どんな手段を使っても楽になりたいって思いました。
でも、幸か不幸か、死ねませんでした。当時、某総合病院に勤めていて、寮に住んでましたが、周りのみなさんの迅速で適切な応急処置によって、事無きを得たり、病院のトイレで試みましたが、カギを掛け忘れて救出されたり、誰もいないところで・・・と思っても、急に寂しくなって帰ってきちゃったり・・・。こんな事は当時身近にいた人以外は誰も知りません。外向き、普通にやってましたから。親も、兄弟も、知りません。
今は人並みに良い職場に恵まれ、ちょっと遅い結婚をして息子も授かり、嫌な姑はいますけど割りと幸せにやってます。辛く、悲しい事は今でもいくつかありますけど、それは私の心の中のちょっぴりです。時間が、ちゃんと解決してくれる事もあります。あせっても、寝ていても、時間は確実に過ぎていきます。ごんべさんには時間が必要だと思います。自分を責めず、焦らず、今日、明日にどうにかなっていたい!と思わず、ゆったり自分を受け止めてみては?広くて、気持ちのいい風の吹く所へ(例えば、広い公園とか)お弁当持ってのんびりしたり・・・。芝生とかに大の字に寝っ転がってそらなんか見ちゃって深呼吸なんてしたら、なんとも言えず気持ちがいいです(^^)月並みですけど。
頑張っても、考え抜いても結論が出ない時は、何も考えない時間を持つのもひとつの解決方だと思います。
ごんべさんがいつか心から笑える日が来る事を、祈ってます(^^)v
- [740]ジンパチ 05/09/12 12:07 D-nUzoN
- らくちんさん。ありがとうございます!
m(__)m
自分で書き込んだことに対しての書き込みかあると嬉しいですね〜!(^-^)
- [741]名無しのごんべ 05/09/12 14:51 Fxi5FhrWVI
- らくちんさんありがとうございます。そうですねぇ。もう少し時間が
必要なのかもしれません。今まで飲んでいた薬やあらゆる嗜好を断って
おります。そうすると、今まで見えていなかった現実が見えてきたように
思います。しかし、もう、いい年なので、焦る毎日です。そして依存症
によっておこした問題で胃が痛くなる毎日でございます。依存の対象を
断つことで少しずつ本来の自分に戻ってきているように思います。
よかれと思って飲んでいた薬がこんなに自分を狂わすなんて・・・
恐ろしいです。教会の人と会いたくないと書きましたが、誰とも会い
たくありません。自分のつくった問題におびえている自分、まだまだ
先がみえなくて不安な自分、薬などに依存していて、まだ頭がぼけて
いるからです。単なるわがままです。しかし、できればそっとしといて
もらいたいです。しかし依存の対象を手放してからは少しずつ良い方向に
向いてきているような気がします。ありがとうございました。皆様の心
暖まるアドバイス、本当に勇気ずけられ、心がなごみます。お道の掲示板
ならではですね。本当にありがとうございます。
- [742]らくちん 05/09/12 17:26 8xeSOfk.1q
- ジンパチさんへ。
生意気言ってすみません(^^;寛大に受け取って頂いて有難うございます。
ごんべさんへ
こちらこそ、読み辛い話を読んで頂いて有難うございました。
私も、この事は気持ちにちょっとひっかかっていたので、誰かに読んでもらって、知ってもらって、ほっとしてます。
私ももう、いい年です(^^)
- [743]普通の天理教徒 05/09/12 17:46 pmShyMz2Qj
- 因縁が深いと言う事の例として、いつも聞かされていたのは、「酒と色情のいんねん」でした。
大酒飲みで、父の代まで三代続いて酒で人生を失敗しているという、話が聞かされていた話でした。
私の父の父の父は、毎日を遊郭にて、酒色三昧で、家族は相談事は、遊郭まで出向いたと伝えられ、父の父もそうであったと父が語っていました。
家族の団欒というのは、全く無い家庭であったと。そういう因縁なんだと、中学の頃には聞かされて、育ちました。
長男の嫁さんに、その話をしたら、私にはそんな因縁は何も無い、と、言いましたが、・・・でも、と、・・・。
嫁さんのおばあちゃんは、三味線の先生で、その遊郭に教えに行っていたと・・・。
私が商売始めて、一番に営業が取引した先は、じつは、その遊郭の、元の古家にて、美容関係の商売している老夫婦でした。
そして、そんな話を聞かされる前から、私はその遊郭の近くの碁会所に遊びに行っていました。
通いなれた道だったと言う事でしょうか。
いんねんは、きちんとしたものだと思います。
因縁を切ると言う事は、通って抜けると言う事です、
通らずに、抜ける事は、出来ません。
それが、教組から教えられたことです。
>>737
> しかし周りの人達はそうは思ってくれませんでした
から。あの優しい教会の人達さえも。まるで濡れ衣をきせられた気持ち
でした。
>
名無しのごんべさん、いつも読ませて頂いています。
医療上のアクシデントからの薬物の依存症との事、お苦しみの様子が伝わってきます。
それは、本人ではない姿を、本人だとみなして、「濡れ衣」を着せられるつらさであります事、病気と闘う以上に、周囲の誤解とたたかう苦しさだと、思いました。
だから、名無しのごんべさんにしか分からない、人の苦しみと言うものが、名無しのごんべさんなら、理解し、助けてあげられるという事だと思います。
「あの優しい教会の人達さえも。」
苦しみを通った者でなければ、その苦しみに共鳴し理解する事は出来ないものです。
因縁で苦しむ人も、薬物で苦しむ人も、親神様のたすけ一条にて、その心を、入れ替える事で、人を助ける事が可能になります。
「あの優しい教会の人達」、それ以上の、「真から心優しい人」。
それが、名無しのごんべさんなのだと、思います。
一方で薬物のために、自分以外の自分がいるという現実の中で、精神を破綻させず、冷静に見つめて、少しでも、自分を復元しようとする、その精神力は、素晴らしいものだと思います。
そのこころを、「真から心優しい人」として、親神様のたすけ一条に発揮される日が来ます事を、神様は、楽しみに待たれていると思います。
どんさんの、言われたかったことも、そこにあるのではと、思いました。
- [744]どん 05/09/12 23:47 t7xIX32hRb
- >>732
火水風168さん、ありがとうございます。
>周りで決め付けてしまっていることなんだなぁという気がしたんです(親神様・おやさまは、別として)。
ホント同感です。私たちは随分と多くのことを、善だ悪だと決めているような気がします。
でも仰る通り、神が見分けるということなのでしょうね。
万人の認める善も、神の定規に照らし合わせると狂いがあるという逸話があったのを思い出します。
- [745]どん 05/09/12 23:49 t7xIX32hRb
- >>736
ジンパチさん、こんにちは。
人は鏡、という教えについては、既にらくちんさんが投稿下さっていますので、私は別の観点から投稿させて頂きますね。
元の理のお話に、「泥海を、親神は味気なく思し召され」という内容があったと思います。
教典がすぐ手元にないあたり、私もいい加減な人間ですが..
それはさておき、私はこの「味気ない」というところが大好きです。
万能にして完全無欠の、自由自在の親神様が、「味気ない」とは一体どういうことでしょう。
私が思ったのは、神の世界では何でも自由自在だから、望めばすぐに結果が実現するのではないかな、ということです。もう、何だって即効で出来ちゃう訳です。
だから「味気ない」のかな、と思いました。そこで人間を創って、となったのではないかと。
とするならば、幸せなり陽気が実現するまでのプロセス、紆余曲折を経て、悩みながら迷いながら、成人し、幸せになっていく、助け合いその喜びを分かち合っていく、そんな道程こそが、人間の醍醐味なのではないかな、と思うのです。
人生ゲームという双六がありましたが(今でもあるのかな)、ゴールに着くまでの過程が楽しい訳です。音楽でもスポーツでも、出来なかったことが一つずつ出来るようになっていくプロセスに、大きな楽しみ(味わい)があるのではないでしょうか。
そんなふうに考えますと、不足まじりの人生こそが、嫌なことや悲しいこと、苦しいこと、こそが、人生のスパイスというか味わいに大きく寄与するものなのではないかな、と思います。なかなか思い通りにはいかない、その歯がゆさ、じれったさ、情けなさ。それでこそ、人間なんだと思っています。
そんなこと考えますと、ちょっとですが、喜べたりします。
- [746]どん 05/09/12 23:50 t7xIX32hRb
- >>743
普通の天理教徒さん、ありがとうございます。
>神様は、楽しみに待たれていると思います。
同感です。神様はイライラしながら待たれているのではなくて、また遅いからといって罰するようなお方でもなく、子どもの子どもなりの真摯な学びと成長を、9億年前からずっと、楽しみに、待たれていると思います。
- [747]名無しのごんべ 05/09/13 00:30 OMOcU/huwA
- らくちんさんありがとうございます。かなり自分の事を美化して書いてしまいました。すみません。いろんな方に迷惑もかけていますし、教会の方々
にも本当にお世話になりました。やはり因縁というものはとおらなければ
良くなっていかないのでしょうか。依存症でいうと底つきといいまして
依存症の人が何かに依存して、問題にぶちあたり、自分自身を真剣に見つめて依存症の回復に取り組みだす時のことをいいます。お道で言うと因縁を
一通り通ったということなのでしょうか。確かにいま、依存していたもの
を一切断ち、問題に取り組もうとしているところなのですが。それと、僕は
そんなに優しい人間ではありません。利己的で、自己中心的で、すぐに怒るし、すぐにひねくれるし、どうしょうもない奴です。それに、そんなに強く
なんかありません。本当に弱い人間です。自分を美化するような事ばかり
書いてすみません。らくちんさんありがとうございました。
- [748]名無しのごんべ 05/09/13 01:01 VRUcX/YhGs
- すみません。らくちんさんではなく、普通の天理教徒さんでした。すみません。みなさま、私の、悩みに対して、真剣にまた、心暖まるアドバイスを
してくださり、本当にありがとうございました。これからは自分で考え、
解決していきたいと思います。また、今度はいろんな問題を乗り越え、
成長してから、お道のことで書き込みをしたいと思います。ありがとうございました。
- [749]ジンパチ 05/09/13 02:21 D-nUzoN
- どんさん。ありがとうございます!
- [750]らくちん 05/09/13 07:54 8xeSOfk.1q
- おはようございます(^^)
今朝は自分でも不思議は気持ちになったので、書き込みたいと思います。
私は結婚してから3年半が過ぎましたが、姑とは折り合いが悪く、そのあまりの利己主義と強情さには、私にいんねんもあるとは思いながらも、人間的と言うよりも生理的に嫌いです。これを拝殿で伺ってみると、「姑の事は考えず、お道の御用をさせて頂きなさい。あなたの心は、あなたが気付かないうちにご守護頂いて、姑を許せる心、受け入れる心にならせて頂けるから。」と言われました。でも、姑の事を考えないで御用をさせて頂いても、姑に対して私の心が変わるのか?と半信半疑でしたが、拝殿で言って頂いた事ですから、ここ2〜3年やらせて頂いてました。
今月、敬老の日がありますよね?
昨日、主人とそんな話をしていて、今朝、主人を送り出してから一人お茶を飲んでいたらふと、「お義母さんの所も(ここから)行けない距離じゃないんだよな・・・。」電車で何分乗って、バスに乗って、バスの時刻表は駅前にあったな、とか、午前中は仕事だから午後ちょうど良く着くにはここを何時に出て・・・とか、普通に考えてる私がいました。はっと我に返って、自分で自分の考えてる事に驚きました。抵抗が無かったのです。かといって積極的に思ってる訳でもないんですけど、今までだったら、考えただけで、それこそ鳥肌がたって、「あぁ〜!!嫌だ嫌だ!」と思ってはばかりませんでした。
「神様の御用」と言っても、日々いろいろホコリを積んでは払い、積んでは払いの繰り返しで、自分が、一応、拝殿でお話いただいた事はやらせて頂いているけど、これでいいのかな・・・?もっともっとやらなきゃいけないんじゃないのかな?と思っていて、手ごたえと言うか、達成感と言うか、そういうものは感じられませんでした。
でも、今朝のこの気持ちは間違いなくご守護です。顔を想像するだけで、同じ名前を見るだけで嫌だったんですから、自分から「会いに行ける」と思えたのは奇跡です!
・・・ちょっと興奮してしまいました(^^;
だって、驚いちゃったから・・・。次回教会に参拝させて頂いたら、一番にお礼させて頂こう!と思ってます。
- [751]ジンパチ 05/09/13 08:09 D-nUzoN
- おはようございます!らくちんさんよかったですね!継続は力なり!お道で言ったら変わらんが誠かな?珍しく早起きして、レス見たら朝から良いこと書いてあったんで僕も気持ちいいですね!
- [752]普通の天理教徒 05/09/13 08:22 28t4iVhBVW
- >>748>>749
因縁を通って抜けたら、最初は出来難い、さんげとたんのうが添いごには自然に出ると思います。
実は、小学校のときにも、他の生徒が給食を残したのは、お前のせいだと、トイレ掃除させられて、全くの根拠の無いお叱りに、「たんのう」しなければと、悔し泣きで必死だった事がありました。
また、汚いと苛められている同級生を庇った事から、担任からは、逆にしかりつけられて、とか、そんな「因縁」ということでした。
そして高校でも、担任からなかなかにひどいことされまして、そのたびに、親に手土産を用意してもらって、担任宅に遊びに出向きました。
行く途中、どうしても喜べない自分の心に、情けなくて、悔し泣きをしたものでした。なんでこんな目にあうのか、なぞでした。
どんなに良い事しても、評価されない。悪い事していないのに、悪く言われる。
この理不尽をどう受け止めたらいいのか。笑顔で接し、どこまでもつなぐ。それに徹していられたのは、教祖のお陰としか言えません。しかし、心には疑問でした。「因縁が悪い」「徳が無い」と、噛み締めていました。
あるとき、旅先で高熱が出て、その近くの天理教の教会の会長さんにおたすけをお願いしました。
その先生は、おさづけを取り次いでくださり、私の顔をじっと見て、「あんたは肺病因縁の顔をしている。ほほの色が肺病因縁の色だ。」とのお諭しでした。そのとおりのお諭しでした。
そして、「それにしても不思議だ、あんたの指は、小児麻痺の指をしている。それも脳性小児麻痺の・・。五体満足なのが、おかしい。どこか不自由のはずだ」
と、言われました。
そのとき、小中高の私の身の一切の理不尽の理由が分かりました。
そうか、本当ならば、・脳性小児麻痺・それが因縁であったのか。と。
私は母親が子宮筋腫で、早産、死産の後に胎内に宿しこまれました。
母親は、妊娠七ヶ月八ヶ月九ヶ月と、修養科に、もう一人の目の不自由な人の修養科生活のお世話として、入学しました。
おなかの子は神様にお供えしますのでと、お願いし続けたそうです。
それは母親が理の親と呼んでいた、教会の先生の指導でした。
そして、元々ならば、生まれるときからの不自由の身を、親神様のお慈悲あって、何不自由ないように五体は満足にして頂いていた。
それは、ちゃんと指に証拠が残されていて、ここで諭して頂けた。
そうか、自分を人並みと、思う自分が間違っていた。
本当の因縁の姿を、旅先の、単独布教たたきあげのその先生のお諭しで、教えられて、心から感謝が出来ました。
なんと自分は「徳が」あるのかと、感謝しました。
なんでこんな目にと思うけれども、実は、「因縁」が良いからと言う事もあるのです。
名無しのごんべさんが、いかなる意味と理由で、通られたのかが、いずれは分かる日が来ます。
道を一筋にお進み下さい。
- [753]火水風168 05/09/13 09:10 *Manq19pPrdA*WoYpLIDnHG
- >>744
どんさんへ
>神の定規に照らし合わせると狂いがあるという逸話
これですかね。
31 天の定規
教祖(「教祖」と書いて、「おやさま」と読ませていただきます)は、ある日飯降伊蔵に、
「伊蔵さん、山から木を一本切って来て、真っ直ぐな柱を作ってみて下され。」
と、仰せになった。伊蔵は、早速、山から一本の木を切って来て、真っ直ぐな柱を一本作った。すると教祖は、
「伊蔵さん、一度定規に当ててみて下され。」
と、仰せられ、更に続いて、
「隙がありませんか。」
と、仰せられた。伊蔵が定規にあててみると、果たして隙がある。
そこで、「少し隙がございます。」とお答えすると、教祖は、
「その通り、世界の人が皆、真っ直ぐやと思うている事でも、
天の定規にあてたら、皆、狂いがありますのやで。」
と、お教え下された。
私の好きな逸話です。自分に自信を持たないと、前に進むことは難しいですね。
けど、自分のしている事、言ってる事が、全てが正しいと、自分を過大評価してしまうのも、どうでしょう。
心は広く
そんなことを、感じさせて頂けるお話です。
余談ですが、あと、171 宝の山 も良いですね。
教祖のお話に、
「大きな河に、橋杭のない橋がある。
その橋を渡って行けば、宝の山に上ぼって、結構なものを頂くことが出来る。
けれども、途中まで行くと、橋杭がないから揺れる。
そのために、中途からかえるから、宝を頂けぬ。
けれども、そこを一生懸命で、落ちないように渡って行くと、宝の山がある。
山の頂上に上ぼれば、結構なものを頂けるが、途中でけわしいところがあると、
そこからかえるから、宝がいただけないのやで。」
と、お聞かせ下された。
こゝまでついてこい 一下り目 九ッ
と、親神様・おやさまは、先回りして、私たちの心の成人を待っておられるんですよね。
まさに、このお歌の手振りのように。
どんさん。ありがとうございました。
- [754]火水風168 05/09/14 18:12 H946zGU/Vd
- 本日、神名流し。
途中で、お供えを下さる方がおられたり、
路傍講演中、飛び入り参加して下さる方がおられたり、
また、おやさまのお陰で勇ませて頂きました。
そして、皆さんのお心寄せの賜物です。
おやさま、ありがとうございました。
- [755]ハードゲイ 05/09/15 00:37 IcUQl103Tm
- これってホントかなぁ(-"-;) ??
1億2000万円・・・
http://www.aaa-www.net/~casino/
- [756]普通の天理教徒 05/09/15 04:54 G5i9NyqsNO
- >>750
らくちんさん。
いいなあ。って思いました。
参考にします。
嫌いな人とも仲良く出来るように、と、振り返りました。
- [757]おより 05/09/17 19:09 y6TE8xA.XH
- 初めまして、初の参加です。実家が教会で学校も天理で過ごし、それなりに教理は勉強してきました。学生の時は生活が天理教一色だった事もあり、自分の心も信仰を大切に思っていましたが、ここ何年かその気持ちが薄れつつあります。…というより、苦痛に思う事が多くなりました。お嫁に行った先の、彼の所属する教会に馴染めず、どんどん足が遠のいてしまったのがきっかけです。この書き込みには沢山のしっかりした信仰心を持った方が大勢ですね。素晴らしいと思います。
- [758]火水風 05/09/17 20:09 *Manq19pPrdA*H946zGU/Vd
- >>757
およりさんへ
はじめまして。
同じ天理教とは言っても、系統によって信仰の態度が異なっているので、
確かに、色々な「ちがい」が、心に来ますよね。
私の家内も、他系統からお嫁に来てくれましたので、最初はホント色々ありました。
そして、弟の奥さんは、仏教を信仰しているところから嫁いで来てくれて、
最初は、天理教のことはしませんと、言ってたのですが、
今は、理解をしてくれており、祭典前の準備を手伝ったり、
おさづけまで頂いたくれています。
色んな心の道があり、悟りもあるでしょうが、
まずは無理せず、自分の心に素直に通られては。
おやさまは、必ず「風」を下さると思いますよ。
ご存知だと思いますが、私は、この歌が大好きなんです。
「航海」の二番が。
嵐に遭えば 心も乱れて
あの日の喜びさえ 忘れそうになる
風無き日々は 不安と孤独の
潮に流されるまま 虚しくただよう
けれどすべては 有り難き「ふし」
心の帆柱を 倒すことなく
ひながたの道 たどりゆくなら
おやさまは必ず 風をくださる
東へ西へ 北へ南へ
心の帆柱に 風を湛えて
めざすところは 誰もが同じ
「ようきぐらし」という 島へと向かう
帰るところは世界に一つ
「ぢば」という港に 心つないで
およりさん、有難うございます。
- [759]火水風168 05/09/17 20:11 *Manq19pPrdA*H946zGU/Vd
- >>758
すみません。HN 168 が抜けていました。
- [760]おより 05/09/19 22:14 y6TE8xA.WK
- 火水風168さん、温かいお言葉ありがとうございました。
「航海」、大好きな歌です。学生の時はいつもこの歌に囲まれて生活していました。そして勇気付けられていました。
ここ何年も、天理に帰っていません。最近とてもおぢばの風に当たりたいと思います。学生の時は半分嫌々だった回廊拭きも、今となっては素直にやりたい。自分の中のあれこれ考える事も綺麗にしてきたいです。住んでいる所が遠いので、簡単に行けないのが難点で…。現在の天理はガラリと変わったみたいですね。
- [761]火水風168 05/09/20 00:06 *Manq19pPrdA*H946zGU/Vd
- >>760
およりさんへ
そうですね。おぢばは、年々変わっています。
私も、勤めていた頃は、こどもおぢばがえりの時、
休みの関係で帰れたらいい方でした。
そんな頃、帰れた時は、感激ひとしおだった事を思い出しました。
私は、最近良く思うのですが、人生晴れる時もあれば、雨の時もある。
前に進んでいる時や、後ろに下がっている時もある。
たとえ下がりっぱなしでも、いつか又、前に進む時もある。
親神様・おやさまは、いつも手を差し伸べていて下さるのに、
自分の心で見えていないだけ。
いつか心に見える時がある。その時、思いっきり握り締めればいい。
と。
親神様・おやさまは、いつも私たちのことを待ちかねておられるんですけどね。
おやさま、ありがとうございます。
- [762]らくちん 05/09/20 08:37 MvMjbZ1m9I
- およりさんへ(^^)
こんにちは!初めまして。らくちんと言います。
私の友達も天理の中で育ったいわゆる「バリ天」がたくさんいます。
たくさん知っているが故の苦悩と言うか、教理自体に疑問を持つ人もあるし(真心、真実と言いながらどうしてお金がからむか?とか、上級の先生がお見えになる時どうしてお金をかけて贅沢ざんまいでおもてなししなきゃならないのか?とか・・・)他系統の友達から信仰の相談をされると、かなり驚きがあるって言ってました。でもそういうのって、純粋に求めるが故だと思うんです。
私の講習同期の人が、「仕事と教会長を両立させるにはどうしたらいいか」と言っていて、ビックリしました。仕事をしながら教会長ってやっても良いんだ!と思って。最近はいろんな教会があっていいと、またあるべきだと思っているのであまり抵抗はありませんが、当時は20歳だったので、結構衝撃でした。
また、ウチの教会の前奥様が昔仰っていたんですが、前奥様の実家の教会は「お礼」の信仰だったそうです。なんでも、ありがたい、もったいないと受け取って喜ぶ信仰だと。ですが、ウチの教会はどちらかと言うと「おわび」の信仰だったんですね。申し訳ないって。言ってみれば、前奥様の実家は「喜ぶ信仰」ウチは「厳しい信仰」と言うか・・・。前奥様がお嫁にいらした頃は、どうしてこの教会の人は「申し訳ない」ばっかり言うんだろう?と驚いたそうです。
同じ教理の元、信仰しているのに、いろいろで面白いと見るか、いいかげんだと思うか、様々と思いますが、同じ教会の中にもいろんな人がいます。足を運ぶ事で、意外と、話が合う人が出来るかも知れませんよ(^^)いんねんよせて守護をするって。およりさんには今ちょっと聞きたくない言葉かも知れませんが、裏を返せば、同じ思いの人もいるってことですよね?
何故、彼の教会に馴染めないのか、詳しい事は分かりませんが、およりさんが、清々しい「天理教ライフ」が出来るよう、陰ながら応援してます!ガンバレー!
- [763]おより 05/09/20 21:32 y6TE8xA.WK
- 火水風168さん、今日も温かい言葉をありがとうございます。それとらくちんさん、初めまして。応援メッセージ嬉しかったです。そうですね、知るが故の苦悩なのかもしれません…。『教会に行かないと悪い事がおこるよ』と何度となく義母から言われて、足を運ぶと嫌な思いをして泣いて帰ってくる事がほとんどでした。月次祭の後の直会に手伝いを申し込むと、「触らないで」と言われたり。教会に行けば喜んで帰れるものと育ってきた私にはショックが大きくて、居場所が無い感じがして。彼の教会に対して信用も出来なくなってしまったんです。本音は子供にもお道の子として、教会に親しませてあげたいと思うのですが、信用の置けない教会には連れて行きたく無くて。
こんな理由で足が遠のいてしまっています…
- [764]火水風168 05/09/20 23:17 *Manq19pPrdA*H946zGU/Vd
- >>762
らくちんさんへ。はじめまして。
このスレで拝見致しておりましたが、改めまして。
およりさんの事で、
>同じ教会の中にもいろんな人がいます。足を運ぶ事で、意外と、話が合う人が出来るかも知れませんよ
教会の様子が良く分からなくて申し訳ないのですが、私もそう思いますね。
およりさんへ。
ほこりも自分から被って、立ち向かわなければならない時もあるでしょうが、
なにも被らなくてすむなら、よけて歩むのも、一つの通り方だと思います。
自分の心が、少しでも喜べる事や話しあえる人を、
教会の中で、見つける事も、良いと思いますよ。
学生の頃、後輩がピアノの試験に自信がないと言っていた事がありました。
おやさまが一緒だと思って弾いてみたら、と言ってあげると、
何と、普段どおりに弾けて見事合格した事があり、私もうれしかった事を思い出しました。
先日は、「自分の心に素直に」と申しましたが、
もし、少しだけ勇気が出せるのでしたら、少しでも早く教会に足を運ばれてみてはどうでしょうか。
一人だけではなく、おやさまと一緒に、ご家族で。
- [765]どん 05/09/21 11:07 g9HtclHZcw
- 皆さん、お久しぶりです。
障害児の親の会をやっているのですが、その会のイベントがあって、準備やら何やらでドタバタとしていましたが、先日やっと終わりました。皆さん楽しんでくれたようで、また大した怪我も無く済んでよかったです(^_^)v
>>757>>763
およりさん、はじめまして。
「教会に行かないと悪いことがおこる」という話、私もよく言われました。でも、何が悪いことかを決めるのは、その人ではなくて私ですから、そのアドバイスは全く無意味なんですが、その人は全くの善意から言ってくれているようで、ちょっと申し訳ないというか、複雑な気持ちになったことあります。例えば鰯のフライに醤油をかけようとしたら「ソースをかけなきゃ、醤油だとまずくなるよ」と言われたような感じですね。
鰯と教会を同列に扱うのもどうかと思いますが、私は、教会に行くかどうかは、どっちでもいいと思っています。私の長女は7歳ですが、彼女なりの理由で、一日や二日、私に背を向けたとしても、私は別に気になりません。7年もの親子関係があるから、彼女が彼女なりに何かを考え、何をしようと、私の愛する娘であることには変わりないのです。では、9億年前から、全人類と、全世界をご守護されている親神様おやさまなら、およりさんのことをどうお考えになるでしょうか。
9億年というと、ちょっと想像しにくいのですが、宝くじで9億円当たったとして、50円や100円を惜しいと思うかどうか、と考えれば私は理解しやすいです。50年や100年、天理教から離れても、それは大したことではないように思うのは私だけでしょうか。
そんな私でも、娘が、今、陽気かどうか、は、やっぱり気になります。たとえ悲しみ苦しんでいても、それが更なる成長への過程なら、私は静かに見守りたいとも思います。だから、という訳ではないのですが、私は、教会に行っても行かなくても、どっちでもいいと思っています。
- [766]らくちん 05/09/21 16:26 MvMjbZ1m9I
- 実は私も、女子青年の委員や、少年会の部員とか、いろいろに使って頂いたんですが、どこも、ぶっちゃけ居心地が良くありませんでした。・・・教会の鼓笛隊でイジメに遭ってましたしね(^^)
私は普通の一信者ですが、曾祖母に当たる人が非常に熱心で、教会の歴史に名を残しちゃったりしている人らしく、私自身はアサッテな人間ですが、「4代の信仰」とか言われてもてはやされていたのも事実です。その手前なのか、今思えば有難いですけど、当時はうっとおしくて、もう、例会、大会の勧誘の電話とか、行事のスタッフとか、「そういうことは教会の子弟がやればいいのに」とずっと思っていたし、委員や部員はほとんど教会子弟ですから、なんだか、私だけ場違いのような感じがずっとしてました。だから、何かのスタッフをやっても、私から入って行く事はなかったし、まわりも何となく遠巻きになってました。頂いたお役は喜んでやらせて頂きましたが、他のスタッフと馴染む事はありませんでした。行事の最中は外から見れば楽しそうに見えたかもしれませんが、スタッフの反省会などでは居心地の悪い事・・・。打ち上げなど、一度も出た事はありません。・・・自分から距離を作っていたのに、一人になるとやっぱり寂しくて、行事の最中でも物陰で泣いた事もありました。こんな思いを10年抱えて教会に行きました。鼓笛も入れると20年近くですね。いい思い出なんかありませんよ。鼓笛の引退送別会も毎年やってるのに私の時だけ(同学年が居なかったので)しませんでしたし。9年もやってきたのに・・・。なんだか寂しくて悲しい事ばっかりです。
でも、20歳になってその忌まわしい教会に何の因果か住み込む事になって前奥様と接して天理教のなんたるかが見えてきた気がしました。それまでの私は、教会以外では非常に活発で、明るく楽しい人で、教会に一歩入ったら物言わぬ貝のような感じでした。信用出来なかったのです。誰も彼も、外面で合わせているだけだと思っていたし(今も思ってますけど・・・)、お高くとまって常に見下されているようでしたし・・・。でも、私は思うんですけど、教会の人間が人を見下したり、挨拶も出来なかったりするのって、むしろ可哀相と言うか、ミジメに見えませんか?気の毒と言うか・・・。心がちっちゃいと言うか・・・。そう思えるようにお話して頂いたのは他でもない前奥様ですが、聞かせて頂くうちに、私もちっちゃかった、同じ事をしていたと思って。まわりは相変わらずお高く見下してますが、私はニコニコして行ってみようと思って、現在もやってます。最初は「〇〇ちゃんってこんなにしゃべる子(「人」じゃなくて「子」とか呼ばれるのも嫌なんですけど・・・。)だと思わなかった〜」なんて年下の子に言われて「バカめ、騙されやがって」とほくそえんでいましたが、今は何にも感じません。だって、私は幸せだから。お高くとまって見下していた人達はオソマツなものです。嫁に教会を引っ掻き回されたり、逃げられたり、いくつになっても結婚出来なかったり、離婚したり・・・。その相談を私にしてくるんですよ?!もう、呆れるというか、ココまで来たら、哀れです。
神様はしっかり見ていらっしゃると思います。
私もこれでいいと思わず、頑張って行きます。ちょこちょこ事情や身情を頂きますし・・・(^^;およりさん、今すぐどうこうではないですけど、元気になって下さい。言いたい人には言わせておけばいいし。可哀相だけど、その人もいつかちゃんとおしらせ頂いて改めなきゃいけない日が必ず来ます。その時こちらは心開いて、受け入れてあげましょうよ(^^)
人はおよりさんが思うほど、オソロシイモノではないかも知れませんよ。結構、モロいです。
- [767]おより 05/09/21 20:40 y6TE8xA.WK
- 火水風168さん、らくちんさん、こんばんは。そしてどんさん、初めまして。みなさんお返事ありがとうございます。申し訳ないのですが、現在の気持ちは教会に足を運ぶ方向には向いていません。しばらくは教会に関わっている方たちにも顔を合わせたく無くて。また自分の気持ちの波が不安定になるのが嫌なんです。かえって信仰に関係のない人達の方が、優しく素敵な人が多くて、穏やかな気持ちでいられるんです。
沢山の私を思っての言葉を頂いているのに、こんな返し方で気を悪くされたら申し訳ありません。
- [768]どん 05/09/21 22:29 OwVfwMHGuv
- >>766
らくちんさん、鼓笛隊、懐かしいですね〜(^o^)
私がやっていた頃は、ちょうど百年祭の前後で、東西礼拝場普請の歌とか、僕と私のにおいがけ、とか、いろいろありました。片思いの女の子がいたから、練習に行くのは楽しかったです。パートは小太鼓だったんですが、手にマメが出来て血が出るまで練習していました。楽しい思い出です。
しかし天理教の鼓笛隊でいじめとは許せませんね。当時の私がいたらタコ殴りにしてやるところです。
>>767
およりさん、穏やかな気持ちでいられる人が周りにいらっしゃるとのこと、何よりですね(^o^)
- [769]火水風168 05/09/21 23:08 H946zGU/Vd
- >>767
およりさんへ
文面だけでは、具体的な様子が分かりませんから、
少しだけ勇気が出せるならと、申しましたが、
無理にとは、言いません。
周りに、自分を受け止めていただける人が居られるならなによりです。
おやさまは、身の回りのことをすべて生かしつくされました。
反対される人でさえ。
今も、私自身にも、嫌だと思ってしまう事が起こっていますが、
「心は広く、気は長く」
と、思い返しています。
なかなか、素直になれませんけど。
でも、この道は、をやのこころに近づくこと。
このたびのなやむところハつらかろふ
あとのところのたのしみをみよ 九 36
あすからわどんな事をばみたとても
なにをきいてもたのしみばかり 十一 65
おやさま、ありがとうございます。
- [770]基本。 05/09/21 23:14 EDzuF1HXQt
- およりさん。
はじめまして。基本と申します。普段は、普通の天理教徒と名乗っていますが、今日は、この名でご挨拶させて頂きました。
>>767>>763
嫁ぎ先の所属する教会に、信頼をもてないご様子、拝読しました。
> 『教会に行かないと悪い事がおこるよ』と何度となく義母から言われて、足を運ぶと嫌な思いをして泣いて帰ってくる事がほとんどでした。
>
かなりつらい事だと思います。
> 月次祭の後の直会に手伝いを申し込むと、「触らないで」と言われたり。教会に行けば喜んで帰れるものと育ってきた私にはショックが大きくて、居場所が無い感じがして。彼の教会に対して信用も出来なくなってしまったんです>
>
こういう経験は、された事の無い人には分からない、つらいものですね。
私は子供の頃ですが、所属の教会では楽しくしていたのですが、上級の教会に親に連れられていくと、そこに来る子供たちに、結構、白い目で見られたり、シカトされたり、されてましたし、流儀が違うというのか、何かさせて頂こうとしようものなら、余分なことするなとやられるし、お前は立ち入り禁止というゾーンを露骨に示されたりと、されました。
私の母親は、「生活が違うのだから、余分な事は言うな、思うな。あの中で生活するだけで大変なんだから。」と、私に、厳しく言いましたので、上級の教会に行くと、仲間にはなれないので、神殿の脇の日だまりで、蟻の巣の近くの蟻地獄をみつけては、一人で遊んでいました。仲間はずれではなくなるまでに何年もかかりました。
私の奥さんのお母さんは、教会に嫁いで、あまりの違いにショックを受けて、離婚しようかと、家を出て、このまま布教に行こうかと、駅のホームで立ち尽くしていたと、聞きました。
「それまでは、あんた、一つのものでも分け合っていた教会だったのに、結婚した先は、中にいる人たちが、あるものでも奪い合うんだよ。びっくりだったよ。」
「いじわるな人がいてね、徹底的にやってくるから、こんなんでは、本当の天理教じゃないってね、もう、毎日、今日は出て行こう、今日は出て行こう。」と、
・・・
私は、母親の「生活が違うのだから、余分な事は言うな、思うな。あの中で生活するだけで大変なんだから。」と言う言葉が、深く残っています。
およりさんには、「天理教の教会」なんですが、そこの人たちには、「日常生活の場」、なのです。
序列があり、しきたりがあり、その中で、およりさんは、新参者、他所から来たという意味の「よそもの」であり、子供の頃の私がそうであったように、先方から見たら、乱入者でもある。
逆に、およりさんの天理教の信仰を頼って、およりさんの家庭に、誰かが来て、食事したり、テレビ付けてみたり、そのうちに洗濯機に自分の汚れ物を放り込んだり、お風呂入ったり、その上、およりさんの洗濯物までしてあげるとか、この台所ゴミ処理しますねとか、言われたら、どうしますか。
生活の部分に手を出したり、口を出したら、どうしますか。
三日で、追い出したくなりませんか。
食後の洗い物の洗剤の使い方一つでも、人にして貰ううちに、こんなに無駄しているではないかと、それが、生活現場の人間です。
そして、生活という現場には、人に見られたくない、触られたく無い事がある。
ピシャリと、戸を閉めてあんただけは立ち入り禁止と、そういう事をしたくなる人の気持ちを、受け止めて、暖かく、自分が同じ事をしない人間に、だんだんと、成人していく事が、天理教の基本だと思います。
> 『教会に行かないと悪い事がおこるよ』と何度となく義母から言われて、足を運ぶ
>
親神様、教組にご挨拶に、参拝に行く。
手土産に、お茶菓子もって、みなさまでどうぞ。
そして、それ渡したら、後は、神殿で、神様にきちんとお願いして、そして、この次には、なんのお菓子を買ってきてあげようかと、教会の人には、喜んで頂く事だけを、楽しまれたら、どうでしょうか。
そして、人の生活には、触らない。事です。
- [771]らくちん 05/09/22 08:03 MvMjbZ1m9I
- どんさんへ
百年祭の歌はちょうど中二でしたね〜。私は中間試験があって行けず、父も仕事だったので、お留守番して、他の家族はおぢばに帰りました。あれは冬だったような・・・懐かしいですね〜(^^)鼓笛は嫌いじゃなかったんですよ。楽譜も読めるようになったし、楽器も。合奏したり、コンクールやオンパレードで賞を頂いたりすれば心底嬉しかったし。感動の涙も流しましたよ。友達もいたにはいたんですが、学校の友達とは違いますね、未だに。何と言うか、教会のいわゆる「友達」風の人達は、私にいんねんをよりダイレクトに知らしめる為の人達と言う感じです。心はもちろん許さないし、世間話もしません。無駄に面白い事も言わないし、個人的に付き合いがある人は一人もいません。先日、20年振りに中学校の同期会があって、懐かしい顔が揃って、もの凄い癒されたのを思い出します。学校の友達は、私も、友達も、お互いに「友達同士」と言う認識がありますけど、教会の人達は仮に向こうが私を友達なんて思っていたとしても、私はそうは思ってないですから・・・。敵対心は持ってないですけど、警戒心なんでしょうね。これが世に言う「トラウマ」ですよ、きっと。今は教会は嫌いじゃありません。そこに張り付いて、ぶら下がって、教会長にゴマすって、恥も外聞も無く自分の立場を守る事に必死の、つまらない人達が嫌いなんです。もう、あなたにとって信仰ってなんですか?と、信仰が食べていくための手段になってるような・・・。お祭りで講話なんか当たった日には、自分に話すものがないから、自分の所の信者さんの話、また、都合よく持ってきた教理の言葉をまことしやかに並べて、届きません者ですが・・・って(−−;だって、いい年してもう孫が居るような一教会長が人前に立って何を話したかと思えば、「私は自宅以外のトイレで大をして便器を汚してしまったら、紙でちゃんと拭いて出ます」って・・・。少年会レベルだし、教会でわざわざ話す事じゃない。がっかりです。そんな教会長の子弟は前に書いたとおり、もれなくオソマツです。もちろん、すばらしい先生もいらっしゃるんですけど・・・。反面教師があまりに多過ぎて、教会に行くと疲れます(^^;もう、好きにしてくれって感じです。願わくば、自分の所の揉め事は自分の所で解決して頂きたい。私みたいな、教会にトラウマがあるような一信者を巻き込まないで欲しいです。ホントは・・・。
ごめんなさい。鼓笛の話から愚痴になってしまいました(;;)
およりさんへ
・・・こんな私の言う事ですから、聞き流して頂いて、似たような人も居るって事だけ、知って頂ければと思います。不足しに教会行くのでは、なんだか辛いですよね。
- [772]どん 05/09/22 10:51 S7F/eDWAlX
- >>771
>「私は自宅以外のトイレで大をして便器を汚してしまったら、紙でちゃんと拭いて出ます」
な、なんと!自宅のトイレなら汚してもそのままですか…
面白い人がいるもんですね(^_^;)
>教会長にゴマすって、恥も外聞も無く自分の立場を守る事に必死の
そうですね、現在の教団にはそうした縦社会というか序列に安住する人もいらっしゃるようですね。
「一列すまして甘露台」の「一列」は、手を横に振るのに、会長さんだけは
横じゃなくて上に居るという認識では、何とも嘘っぽい信仰に思えますね。
- [773]どん 05/09/22 10:57 S7F/eDWAlX
- 縦社会の特徴は、みんなが自分で考える機会が減るということでしょうか。
そしてそれは確かに心地よい部分もあると思います。
朝、顔を洗ったり歯磨きをしたり、そんなことは何も考えずにオートマチックにしても
いいとは思うのですが、真善美というような、何に価値を見出すかというような問題には、自分なりに答えを出していくのは、確かに疲れる作業のような気がします。
誰か権威ある人の価値基準に従っていれば、気楽というか、安心です。
教えがどうであれ私はこうする!と宣言することは勇気がいります。
お前は何様のつもりだ、牛馬に落ちるぞ、徳を減らすぞ、そんな声が聞こえてきそうです。
私は最近それが気になっていて、これはちょっと問題があるかもしれませんが、
これが原典だから、これが教祖のお言葉だから、といって言葉通りに盲従するのも、
ちょっと違うんじゃないかな、と思っています。
その点ばかりを強調すると異端に思われるかもしれませんが(別に何と思われても
構わないのですが)、私は、私達一人一人が、自分なりの経験に基づいて、
答えを出していくことが大切ではないかと思っています。
自分の足で立つ、という感じでしょうか。自分で決めて、決めたことから生じる
非難や困難には、きちんと正面から立ち向かう(味わう)ことが大切ではないかと。
何年か前に基本さんに言われたことですが、自分で原典を掘るということ。
それを私は、「教祖が本当に仰りたかったことを、自分で考え、自分が実行し、
自分が味わう」ことだと理解しているのですが、皆さんはどう思われますか。
基本さんも、遠慮なく仰って下さい(遠慮するような人じゃないと思いますが)。
素直な道具は使いやすい、とか、親の言うことを聞いておけば間違いないとか、
いろんな考えがあると思うのですが、私は、教祖が「思案たのむで」と仰ったのは
そういう意味ではないかな、と思っています。一人ひとりが、自らの足で立ってこそ、
本当の横一列、ろくぢになるのではないかな、と思っています。
- [774]火水風168 05/09/22 12:25 NoName
- >>773
どんさんへ
視点が多少違うかもしれませんが、お許しください。
>これが原典だから、これが教祖のお言葉だから、といって言葉通りに盲従する
確かに、原典から一節なり持ち出して、これがおやさまのお言葉だ。
と、そのお言葉だけを取り上げて、全てがそうだと判断してしまうのもどうかと思います。
親神様の呼び名も、「神」「月日」「をや」と、人間の成人に応じて変えられたように、
よく原典を読んでみますと、実に、様々な角度から、
いわば、私たちの成人の段階に応じたようにお説き下されています。
だから、まず相手の言葉に耳を傾けてから(つい、途中で話をさえぎってしまうと良くないですね)、
相手の方が、お話を聞いて頂けるようでしたら、その方に分かりやすく手短にお話させていただく。
と、言う事が大切な事だと、今は、痛感しています(中々うまい事いきませんけど)。
自分が容易に変われないのに、ましてや、相手の心を変えようなんて、中々出来るものではないと思います。
以前も申しましたが、相手の方の心が少しでも楽に、少しでも喜んでいただけるように、
手助けをさせて頂く。
私としては、この事を忘れてしまったら、単なる押し付けになってしまい、
よしんば、その時はたすかって頂いたとしても、
信仰の喜び、と言うものにつながりきれるかどうか考えてしまいます。
それこそ、相手によって色々な接し方があるとは思いますが。
>一人ひとりが、自らの足で立ってこそ
そう、一人ひとりが、自分自身の心をみつめて立って頂く事ができれば良いですね。
そのためには、まず、私自身が、少しでも頑張らないと…。
こう考えると、本当に周りの方に「心」も支えられているんだなと思います。
- [775]基本。 05/09/22 16:26 rIZmX22Fg2
- >>773、>>774
火水風168さん、はじめまして。
どんさんから、原典についてのご意見がありました。対しての、火水風さんのご意見がありました。
>> これが原典だから、これが教祖のお言葉だから、といって言葉通りに盲従する
> 確かに、原典から一節なり持ち出して、これがおやさまのお言葉だ。と、そのお言葉だけを取り上げて、全てがそうだと判断してしまうのもどうかと思います。
>
私は、少し異なる立場にいます。
お筆先に、「これ悟りたら証拠ためしや」とあります。
盲従するというよりも、証拠として、ためす。
それに力をおいています。
ためして見ない事には、本当のところ、何も分からないと一緒だからです。
どんさんの言われる、
> 「教祖が本当に仰りたかったことを、自分で考え、自分が実行し、
自分が味わう」ことだと理解している
>
と、言う考え方は、「ためす」と言うよりも、「とおる」と言う事に、力点が置かれていて、「通らぬ道は道とはいわん」という、教祖の教えに、添ったもののように感じます。
けれど、原典は、誰もが、たやすく読めるものでは無いと思います。
本当は、たやすく読めるものなのですが、人間の心には、疑いというものがあって、それで、読めないのが、多くの場合の現実です。
実効性の無いものは、本当の教理ではないのですから、現実の中でためしてみなければ、理は分からないと、その轍を踏む事になります。
どんさんは、又、火水風さんは、「一人ひとりが自分の足で立ち」「一人ひとりが自分の心を見つめて立っていける」事を、思案されています。
基本は、理によって立つしか無いとの、考え方に立つ立場です。
それは、ためすことが、悟りの実践であり、悟りがついて、それからためして、そして、悟りがちゃんとためされて後が本番だと、いつも思っています。
自分の足で立てるには、どれだけの悟りをどれだけためしたかにかかっていると思い、生きています。
その意味では、どんさんの、「とおる」という姿勢も、本来は、悟りばかりの道であるはずで、教祖の言われた、ためすということは、必ずついてまわるものだと思います。
- [776]基本。 05/09/22 16:31 rIZmX22Fg2
- 「悟る」と「考える」とは、本質的に違うと思います。
「自分で考える」とは、思索する事です。
「悟る」というのは、心に浮かぶ事です。
どんさんが、又、火水風さんが、意味としては、「悟る」と言う事を前提にしておられるのかもしれませんが、「悟る」という、信心としての心の働きが、行動の元にある事を、教組は、望まれていると思います。
- [777]くろ 05/09/22 17:22 *7*7*7*
- みなさま、どんさんお久しぶりです。
新人さんは無事帰ってこられたのでしょうか??
ニートさんは元気にされていますか??
私は原典に悪戦苦闘中です。
まだまだ・・・です。
基本さんが書かれている
「悟る」・・・心に浮かぶ事 なるほどですね。
私の友達の会長さんは何かあるとすぐにおやさまは・・・って
思える人で、自分に何かあった時いつも自分で悟っているんです。
何か相談されても反対にこっちが勉強になったりして・・・。
それは自分で考えたのではなく、浮かんでくるんだと思うんです。
それがお得なのかなーって思ったりして・・・。
おつとめをしているとふと浮かんでくる事があります。
それなんでしょうか?
私には思案も悟りもまだまだですが・・・。
およりさんやらくちんさんの書き込みを読ませてもらい、とても残念です。私はそのような教会をまだ一度も見た事がありません。
色々な教会があるのですね。
教会内でも人間関係が険悪だったり、親子仲が悪かったり・・・っていうのは結構ありますが、信者さんにはみんな心からよくしてくれるように思いますが・・・。本当に残念です。
- [778]ケイ 05/09/22 19:04 YXrQLerKFX
- >>773
>教えがどうであれ私はこうする!と宣言することは勇気がいります。
>お前は何様のつもりだ、牛馬に落ちるぞ、徳を減らすぞ、そんな声が>聞こえてきそうです。
どんさん、ごめんなさい。
細かい事に拘るようですが、「教えがどうであれ」と云う表現は気になります。おやさまの教えを、間違って悟っておられるその方の教え、ですよね。
それでしたら確かに今のお道の世界では勇気が要ります。かなり、要りますね(^-^)
>私は最近それが気になっていて、これはちょっと問題があるかもしれ>ませんが、これが原典だから、これが教祖のお言葉だから、といって>言葉通りに盲従するのも、ちょっと違うんじゃないかな、と思ってい>ます。
同じ理由で、表現において、同意しかねます。
原典、教祖のお言葉、と云うものに対する、冒涜では無いでしょうか。どんさんの仰る、
>「教祖が本当に仰りたかったことを、自分で考え、自分が実行し、自分が味わう」
事の出来るよう、正しく原典を学び、間違った悟りで、潰されそうになった時、「私はこうする」と、勇気をもって進む。そう有りたいなと、私は考えます。
生意気いって、ごめんなさい。
- [779]ケイ 05/09/22 23:50 YXrQLerKFX
- くろさん初めまして。ケイと申します。
かなりいい加減な、教会の奥さんをさせて頂いております。
>>777
およりさんやらくちんさんの書き込みを読ませてもらい、とても残念です。私はそのような教会をまだ一度も見た事がありません。
色々な教会があるのですね。 ・・・。本当に残念です。
本当に色々な教会があるようですね。
くろさんの、残念ですとのお気持ちに、同感です。
この掲示板でも、教会の(というより、教会人の、信仰者の)有り方が、色々に、取り沙汰されていますが、読ませて頂きながら、考えさせられます。
つとめとさづけの実践の場である教会に対して、そこを、お預かり?させて頂く会長に対して、その奥さん(家族)に対して、何が一番求められるのか、と。
今更・・・の感がありますが、率直なご意見を伺って見たいなと思いました。くろさんは、その点、どうお思いになります?
ちなみに、或る教友は、教会とは、ご主人は、当然親神様、会長は、そこの下足番であるといい切ります。
皆様の思いを、お聞かせ頂けたら幸いです。
- [780]火水風168 05/09/23 00:49 H946zGU/Vd
- >>775>>776
基本さんへ。こちらこそはじめまして。
>ためして見ない事には、本当のところ、何も分からないと一緒だからです。
仰るとおりですね。試してみないと分からない事は、確かだと思いますよ。
171 宝の山
教祖のお話に、
「大きな河に、橋杭のない橋がある。
その橋を渡って行けば、宝の山に上ぼって、結構なものを頂くことが出来る。
けれども、途中まで行くと、橋杭がないから揺れる。
そのために、中途からかえるから、宝を頂けぬ。
けれども、そこを一生懸命で、落ちないように渡って行くと、宝の山がある。
山の頂上に上ぼれば、結構なものを頂けるが、途中でけわしいところがあると、
そこからかえるから、宝がいただけないのやで。」
と、お聞かせ下された。
>基本は、理によって立つしか無いとの、考え方に立つ立場です。
それは、ためすことが、悟りの実践であり、悟りがついて、それからためして、そして、悟りがちゃんとためされて
後が本番だと、いつも思っています。
歩み方として、それは大したものだと思いますよ。
そういうとらえ方、必要です。考え、悟り、理ぜめの世界で生かされていく。
>自分の足で立てるには、どれだけの悟りをどれだけためしたかにかかっていると思い、生きています。
その意味では、どんさんの、「とおる」という姿勢も、本来は、悟りばかりの道であるはずで、教祖の言われた、た
めすということは、必ずついてまわるものだと思います。
そうですね。捉え方が間違っていたら申し訳ありませんが、
大局的、包括的なものの見方で、そういう考え必要だと思いますよ。
>「悟る」と言う事を前提にしておられるのかもしれませんが
ありがとうございます。そういうことです。
>本当は、たやすく読めるものなのですが、人間の心には、疑いというものがあって、それで、読めないのが、多くの場合の現実です。
実効性の無いものは、本当の教理ではないのですから、現実の中でためしてみなければ、理は分からないと、その轍を踏む事になります。
それはあるでしょうね。
昔、ある先生が、若い者は「走れ」と言われたら、とにかく走ったらいい。
と、良く言われていました。走り出さなきゃ分からない。
走って何かにぶち当たったら、また走り出せばいい。
私としては、その走って行く、行き先や走り方を示してくれるのが、教えだと思っています。
おやさま、ありがとうございます。
- [781]火水風168 05/09/23 01:03 H946zGU/Vd
- ケイさんへ。はじめまして、火水風168と申します。
教会の奥さんとしての御勤め、ご苦労様です。
本当、このスレ為になりますね。いろんな方の意見を聞かせて頂き、
自分の信仰を省みる事ができますね。
書き込みたいのですが、早朝、遠距離走りますので、
また、よろしくお願いします。
- [782]くろ 05/09/23 18:05 w80T5KWzLz
- >>779
ケイさんはじめまして。
私も田舎の小さな教会で住まわせて頂いています。
たまたま恋愛をした相手が教会の養子に行く事になり付いてきた。
って感じで、主人が会長を継いだ今でもひよっこで教会でも最年少なのでみなさんから色々と教えて頂いています。
教会の役割、教会で生活させて頂いている者の立場、求められているもの・・・。ですよね・・・。
すみません。もう少し考えさせて下さい。自分の中で整理してみます。
- [783]ケイ 05/09/23 23:44 YXrQLerKFX
- 火水風168 さん、くろさん、今晩は(*^-^*)
実は、先の投稿、このスレに相応しく無いのではと、書き込んでから少し心配でしたが、早速におこたえいただき、ホッとしております。
書きっぱなしで、無責任ですが、私、28日頃まで、こちらに参れません。お許しくださいませ。お二方のお返事楽しみに致しております。
ところで、教会人のお立場からお考えになる、教会長と、その家族のあり方に就いてのご意見も嬉しいのですが、できれば、信者さんのお立場から、何を求めておられるか、具体的に、お聞かせ頂ければと、思います。
では、皆様、おやすみなさいませ。
- [784]どん 05/09/24 08:04 OwVfwMHGzW
- みなさん、ありがとうございます。何度も読んでいます。勉強になります。
>>778
ケイさん、すみません。ご心配頂いている通り、悪い予感のする方です。
教祖が「素直な道具は使いやすい」と仰っているのに、私は勇気を出して
「自分は素直ではありません」と宣言しようとしている訳です。
火水風168さんのご投稿にもありましたが、若者は走れと言われたら走ればいい、
と言われても、私は「自分が走りたくなかったら走らない」ということです。
宝の山のエピソード、これも教祖のお言葉でしょう。しかし私は「宝はすぐ足元に
あります。あるいは既に頂いてます。有難うございます。」と言います。そういうことです。
すると、ふっと「宝というのは、まだまだ、先があるのや。」と思えてきたりします。
そこで、また「わかりました。失礼しました。」と思う訳です。
この心に浮かんだ言葉は教祖のお言葉ですか?違うでしょう。自分が、あ!そうか!と
思いついたり発見したことであり、自分の悟りでしょう。
だから原典がどうあれ、逸話がどうあれ、「私はこうです。」と宣言するしかないのです。私は、ですよ。
それに「おやさまの教えを間違って悟って」とか「正しく原点を学び」と仰るということは、
自分は、何が真実に正しくて何が間違っているかを識別できるということですよね。
私は、何が正しくて何が間違っているかがわからないのです。
例えば「人を救ける」ということでも、「そもそも救かっていない人なんか存在するのか」などと
思ってしまうのです。例えば、病気は悪ですか?違いますよね、お手入れですよね。神の慈悲による
大いなるはからいであり、神がその人に気づかせたい学ばせたい思し召しがあるということですよね。
ならば、「おさずけして下さい」と頼まれたならまだしも、何の面識もない人に布教するなど、
それこそ神への冒涜ではないのかしら、とか思ってしまうのです。
- [785]基本。 05/09/24 11:58 KDmOFyz8it
- >>784
> 宝の山のエピソード、これも教祖のお言葉でしょう。しかし私は「宝はすぐ足元にあります。あるいは既に頂いてます。有難うございます。」と言います。
>
どんさんの、信仰のお姿と言う事だと思います。
基本なりの考え方を述べさせて下さい。
教組は、
「大きな河に、橋杭のない橋がある。
その橋を渡って行けば、宝の山に上ぼって、結構なものを頂くことが出来る。」
言われています。
「宝は直ぐ足元にあります。」
この、足元にあると言う思案のどんさんには、「大きな河に、橋杭のない橋がある。」とのお言葉は、全く、意識の中にありません。
教組は、大きな河の橋杭のない橋の向こうにある宝の事を、「宝」と言われていて、どんさんは、直ぐ足元にある宝の事を宝と言われています。
それは、「たんのう」という信仰の姿ではあります。
「けっこう」という、精神を、おごらず、高ぶらずに語られているのだと思います。
しかし、「大きな河に、橋杭のない橋がある。」事が、第一歩なのだと、基本は、そう思います。
それは、「不可能」への挑戦です。
渡れるはずの無い、橋を渡ろうとする意思です。
「大望」とは、大きな河を渡ること。と、思うからです。
目の前に立ちはだかる大きな、「河」と、そこに架けられた、「橋杭の無い橋」。
今まで誰も渡った事の無いその橋を、渡ろうとするのは人間には、無理です。
なぜなら、橋杭が無いのです。
渡れるわけが無いのです。
でも、それを渡るのは、理由は一つしか無いと思います。
- [786]基本。 05/09/24 12:11 KDmOFyz8it
- 奇跡という言葉があります。
偶然という言葉があります。
偶然というのは、偶然君に会えたというように、「偶」です。
君が生きていて、私が生きていて、同じ町を歩いていたら、出会えたのは「奇跡」ではなく、「偶然」です。
橋杭の無い橋を渡るというのは、「偶」ではなく、「奇」です。
因果の道筋が立っていれば、それは「偶」、偶数の偶で、割り切れるものです。
しかし、片方は死んでいて、片方は生きていて、町でであったら、「奇跡」と呼びます。
どんさんは、「偶」。
物事の因果を見て、結構と、思案されるお立場です。
橋杭の無い橋は、「奇」。「奇跡の奇」。の話です。
偶然にこの薬が効きました、というのは、「偶」です。
そして、おさづけが効きましたと言うのは、「奇」です。
オカルトとは、怪奇のことです。
橋杭の無い橋などを渡れという、ただし、宝が欲しいなら、です。
渡れという、中山みきのオカルトを、信じようと、足を踏み出すのが、河を渡ると言う事です。
「奇跡」を念じて、
わたる理由は、「奇跡」という、一文字です。
- [787]どん 05/09/24 23:28 xfB7OFiQwQ
- >>785-786
基本さんのお考え、何となくわかりました。
しかしその話でいきますならば、私には、奇も偶も、その違いもよくわからないんですよ。
町で出会うのも、奇跡のような気がします。薬が効くのも奇跡のような…
そんな理解だから、まだ一歩を踏み出せていないのかもしれませんね。
そして踏み出している人にしか、わからない世界かもしれません。
火水風168さんのご投稿にありました「走り出さねば」という話にも通じるかもしれません。
それにしても、奇数も、偶数も、「一」でなら割り切れますね。
勉強になります。ありがとうございます。
- [788]基本。 05/09/25 10:13 p/STUAu1/J
- どんさんの、率直なご意見有難う御座います。
奇数も偶数も、「一でなら割りきれます。」
どんさんは、その悟りで、真剣に試してみたら、良いと思います。
そして、その「一」の、仰せられた「橋杭の無い橋」を見つめて、その橋を渡ると言う事を、「一」で割ってみたら宜しいと思います。
一で割ったときには、お言葉が、そのままにしか残りません。
>>780
171 宝の山
「大きな河に、橋杭のない橋がある。
その橋を渡って行けば、宝の山に上ぼって、結構なものを頂くことが出来る。
けれども、途中まで行くと、橋杭がないから揺れる。
そのために、中途からかえるから、宝を頂けぬ。
けれども、そこを一生懸命で、落ちないように渡って行くと、宝の山がある。
山の頂上に上ぼれば、結構なものを頂けるが、途中でけわしいところがあると、
そこからかえるから、宝がいただけないのやで。」
どんさんのように、「一」で割られたならば、このお言葉が、そのままに残ります。
>>784
> 思いついたり発見したことであり、自分の悟りでしょう。
これは、どんさんの先の投稿の一文ですが、
「一」で割らなかったから、お言葉と違う事が思いついたり、発見したりする事にもなるということでだと思います。
どんさんの心に浮かぶ事には、「偶然」も、「奇跡」も、みな同じに見えていると言う事は、実は、「一」で割り切らないという事の、お姿です。
人間を始めた元の親神が「中山みき」であると言う事は、「偶然」ではなく、「奇跡」です。
この違いが、「元の親神」を信じるという「奇跡信心」をするのかどうかという、問題の根にあると思います。
「橋杭の無い橋」が、あると言う事そのものが、あるとすれば、「奇跡」だと思います。
全てを、「一」で割ると言う事であるならば、それに徹せられる、長い厳しい道があると思います。
それは、ありのままに受け入れると言う事に他ならない無いからです。
お言葉も、そのお言葉のありのままに受け入れて、橋杭の無い橋を、受け入れる事も、「一」で割ると言う事だと思います。
- [789]どん 05/09/26 09:55 GbdNMgO5KG
- >>788
基本さん、ありがとうございます。
>全てを、「一」で割ると言う事であるならば、それに徹せられる、長い厳しい道があると思います。
>それは、ありのままに受け入れると言う事に他ならない無いからです。
楽しみです。教祖のお言葉をそのままに、成ってくる現実をありのままに、
痛みがあれば痛みとともに、橋杭の無い橋を渡ることにします。
- [790]らくちん 05/09/26 15:17 jodudqkmrn
- ケイさんへ。
教会の役割、立場ですよね・・・。
私は一信者なので、「こんなお教会だったらすばらしいな〜」と思う所を書いてみます。
あくまで理想論ですから軽く読んで下さい。
お教会の家族はやっぱり、「こんな家族になりたい」「お道を信仰しているとこんなに幸せになれる」と言うひながたと言いますか、思わず「いいよね」と言ってしまう様なお教会、家族だと思います。
いつも笑顔を絶やさず、いついっても「良く来たね」と受け入れてくれ、懇々と理を諭していただける所。「またおいでね」と送ってくれるところ・・・。子供たちがいつも元気にしていたり人がたくさん寄る所・・・ですかね。・・・まぁ、いんねん渦巻く処ゆえ、そうあって欲しいと言うか・・・。
自分がいわゆる「理の親」になって思うんですけど、「親」になるって決して子より上の立場になるって事じゃない気がします。「親」の方が、言ってみれば下に居ないと、子の本当の所って見えない気がするんです。「私は親だ」と言うより、子から「あなたが親です」と言われるべきものなんじゃないかな〜??・・・あくまで、「理想論」ですから・・・。理想や目標は高きに・・・!と言う事でご容赦を・・・(^^;と、こんな風に思います。
それはそうと、ニートさんはもう、帰って来ないのかな・・・?
私が先に抜けちゃったから偉そうな事言えないんだけど・・・。お教会に居るのはお母さんが修養科に行ってる間だけなんですか?・・・もう一度元気な書き込み、待ってます。
- [791]くろ 05/09/27 02:08 MU0POCk645
- >>783
ケイさんへ
一度書き込みしようとしたのですが、考えてしまいましたo( ̄ー ̄;)ゞううむ
以前のレスで新人さんやらくちんさんの書き込みを読まれたら・・・
と書き込みしようと思ったら上にらくちんさんからレスが入っていましたw
私の姉夫婦に言われた事なのですが、
世の中には困っている人がたくさんいるけど、本当に困っている人は教会には行かないんじゃないか・・・。
教会は信者さんの為には一生懸命してるし、お話とかもするけど、もうこの教えを知っている人にするより、この教えをまだ知らない人に話をする事の方が大切ではないか・・・。
税金を免除して貰ったり、家賃を払わないで良かったり(教会によって色々あると思いますが)それだけ優遇されているのだからそこも考えないと・・・。っていわれた事があります。私達はそういう事が出来ないから教会は無理だけど・・・。とも言っていました。
私達の事を応援してくれて言ってくれたのですが・・・。
本当に悩んでおられる方が相談してみよう!!と思えるような教会
を目指す事ですかねー??それが教会に住まわせて頂いて居る者の役割では・・・。
そう考えていくと日々のおつとめの大切さ、にをいがけ、おたすけ、教典などに親しみ日々心を成人させて頂けるような努力、日々の心遣い・・・。などがやはり大切になってくるのではないでしょうか・・・?
会長の立場は真柱様を通して親神様から会長の理をお許し頂いているのですから、やはりどんな人であろうと良くも悪くも厳しい押し込みを頂かれる立場であるのではないでしょうか?理に対してはまだまだ勉強中です。私達が理不尽に思う事も天の理は絶対ですから親神様しか分からない事もあるのかもしれませんね。
私も教会の現状維持に懸命になってしまったりして「何やってるんだろう??」って自問自答してしまう事があります。
結局は自分の信仰かなー?って思います。何の為に生かされているのか?何の為に信仰しているのか?
これが無いと何をしていても目的の無い人集めだったり、ただ行事に追われ、こなしていくだけになってしまいそうに思います。
答えになっていないかもしれません。すみません。
今、パソコンを使わせて貰っていますがこれもこんな小さな教会で使っていていいのだろうか??と思ったりしています。世の中の流れに流されて、半分諦めてしまっていたり・・・。
私の為には本当に良い勉強の場を頂いて感謝させて頂いているのですが・・・。色々考えさせられます。
- [792]くろ 05/09/27 02:11 MU0POCk645
- >>790
らくちんさんお久しぶりです。
私も新人さんや新人さんのご主人さん、ニートさんにお会いしたいです。新人さんは無事帰ってこられたのでしょうか??
多分、お忙しいのでしょうね・・・。
- [793]うしかめ 05/09/27 04:59 *B5jbE/EkTCE*OjtMwBuToJ
- はじめまして。ここの掲示板は本当に長いですね。パート1から読んでたらとてつもなく時間がかかってしまいました。たくさんの方の様々な意見を読ませていただき、深く考えていらっしゃるんだなと感服いたしました。私には難しいところも多々ありましたが。
私はホントに世間知らず(?)なもので、ここへくるまで天理教への批判はあるとはもちろん思っておりましたが、それがどういうものなのかということに対しては全くの無知でした。
あくまで、ここの掲示板でだけの狭いものですが、その中身を知り、教えに対しての批判が少ないことに対して、また教会を端に発し教団への批判が多いことに対しても、少々驚きました。(教えに対しての批判が少ないことに対して驚いたのは単に私が教理等の勉強不足のだけかとおもいますが。)
特に教会への批判、多いですね。私は幸せ者で身近な教会でここで聞いたようなことには全く遭ったことないし、嫌いな教会というのもありません。むしろ、神という存在を信じないながらも最近、天理教のことに少なからず好意を抱いていたのは、周りの天理教の方で尊敬できる人が多かったからなのです。
私は天理教教会長の長男、天理教一般的に言ったらいわゆる後継者となるんでしょうか、そのような立場のものです。うちの教会は祖父が初代会長なのですが、私は幼少から信者さんに「3代目、3代目」と言われてきました。ありがたいことなのですが、あんまり気持ちのいいものではなかったですね(笑)
時はオウム真理教事件があったころ、正直、天理教をあまり快く思っていなかったときもありました。あまり根拠はなかったのですが。今では様々な出会い、出来事を通して信者さんが同意してくれるのであれば自ら教会を継がせていただこうという気持ちになっています。
しかし、教会長を目指すのに際してそれなりの覚悟はしていましたが、ここでの意見を聞いて、自分がやろうとしていることの責任の大きさ・期待の大きさ・周囲の目の厳しさにマジでびびっています。自分で果たして務まるのだろうか。今は教理さえよくわかっていません。人間的にも魅力的な人間ではないでしょう。これから1歩1歩進んでいくしかないですね。身が引き締まる思いです。
- [794]らくちん 05/09/27 08:11 jodudqkmrn
- おはようございます(^^)
そうですよね〜。宗教やってるってだけでどんな宗教とか関係なく「イッちゃってる人」と思われたりしますよね・・・。ホント、オウムの頃は風当たり強かったですよね。修養科を「拉致・監禁」なんて言われて「天理教はすぐ修養科に入れて洗脳する」って(笑)。まぁ、求めない人にはそう見えても仕方ないんでしょうね(^^;
ずっと前に、ご本部の研修会に行かせて頂いた帰り道にとっても大きな大教会の前を通り掛かりました。
感動したのは、普通のワゴン車に乗って、普段着だった私達に、そのお教会のハッピを着た方が「あら、どちらのお教会の方?」と話し掛けて下さったのです。良く見ると、町行く人が、おぢばの様に、普通にハッピを着て歩いているのです!!そして、ハッピを着ている人も着ていない人も互いに挨拶を交わし、立ち話をして、じゃあまた、なんて。町全体にそのお教会が馴染んでいるように見えました。
常日頃から地域の皆さんといい雰囲気でいるために、大変な努力もあったんだろうなと思いました。お教会なら、朝に夕におつとめさせて頂くし、祭典や行事、鼓笛隊などの練習で、とかく近隣の皆さんにはご迷惑おかけしちゃうシーンが多いですよね。それでも、イヤな顔されないように、ご近所の皆さんにも受け入れて頂かないと、教えうんぬんよりも前に「うるさい!」って・・・(^^;ウチも布教所でおつとめの拍子木がうるさいって、近所と言うにはちょっと遠いお宅から苦情が来た事がありました。響くんですよね、拍子木って・・・。
お教会って、ご近所付き合いも大事だなぁって、思いました。そこに出入りする私達も、気をつけなきゃ〜って。タダでさえ、宗教やってるってだけで、話する前に偏見持たれちゃってるし・・・。悲しいですけどね。
・・・ぜんぜん蛇足ですけど、ブームって最近女子高生から発信されるじゃないですか?宗教が、女子高生の間で流行るって事、ないのかなぁ・・・???
「マジ、この前おぢば帰っちゃって〜、久し振りにバリ天やっちゃった〜。靴下に「天理」って入っちゃったし〜!激・回廊拭いたしね〜!マジスッキリじゃねぇ?」
・・・これからは、こういう時代なのかな・・・?
自分で書いててうっかり、驚いてしまいました(^^;
- [795]火水風168 05/09/27 10:57 *f/sB1P/ABmP*Aeaz3YWknc
- 少しご無沙汰していましたら、話が進んでますね。追いつくのに時間が掛かりそうです。
でも、ほんとーに色々なものの考え方がありますね。
コツコツと考え進む人、一気に走って壁にぶち当たる人。
一人談じ合い、又伝え合い、諭し合いよう心得。
自分にとって、今、大切で、ありがたい事は、たくさんの人とふれ合って、
胸のうちを聞かせて頂ける事。
その中から、をやの思いを教えていただいている事。
たすけると言うよりも、たすけて頂いている。
生かされているという事を、心と体で感じるという喜び。
ほんと、みなさんどうか幸せになってください。
この広い世界に、たった一人でなくてよかった。
おやさま、みなさん、ありがとうございます。
- [796]うしかめ 05/09/27 13:48 *B5jbE/EkTCE*OjtMwBuToJ
- >>794 へぇ〜そのような地域・教会もあるのですね。うちの上級教会は会長さんを中心として鼓笛や雅楽の演奏、老人ホームでの清掃などを通じて、地域とつながりを持とうと色々と思案しているようですが、そこまでなるには会長夫妻だけではなく信者さん1人1人の、しかもかなり長期的な努力があったんでしょうね。尊敬します。やはり、教会1つ1つがその地域において受け入れられる。それは、今の状況ではとても勇気がいるし、とても周囲に気を回さないといけないので大変ですけど、まず取り組まなくてはならないことの1つなのでしょうかね。
「節から芽が出る」のなら、オウム事件をピークとしていまだ続いている日本人の宗教嫌い、これが節だとしますといつか芽が出るということなのでしょうか。そのためにはもちろん節のままで枯らさないように気をつけないと。神から火・水の守護をいただいているので滅多なことでは枯れないと思いますが、守護にもっと早く・大きく応えられるように。サボテンだと楽でいいんですけどね。あれ、サボテンって節ありましたっけ?(笑)
以前、教会なんていらないと言ったような意見が大分ありましたよね。
私自身、教会で育った者なのですが、正直、なるほどなーと思いました。
確かに教会って多いですよね。教会のある理由が、一概には言えないかもしれませんが、おつとめをするために皆が集まる場所であるならば確かに多いです。多すぎです。減らしたほうがいいと思います。
祖父は80も半ばですが、以前その祖父にこう言われました。
「間違えている人が本部員でも大教会長でもいるけど、天理教が大きくなるのは目的じゃあない。人がどれだけ幸せでいられるかが目的なんだよ。」
心からスゲーと思いました。人生のほとんどを捧げてきたものをこう言える。それは宗教者としては当然のことかもしれないし、ここでの皆さんも祖父のように考えているかもしれませんが、私は本当にかっこいいと思いました。自分が同じ年になったとき同じように言えるかどうか…。自分が捧げてきたものに固執してしまうような気がします。
私は裏の事情などに疎いですから、本当のところは知りませんが、その事情教会でさえ減らせない理由が大教会の面子とやらであるならば、本当に情けない…。本部や大教会の悪い意味での面子、そういうのは無くして、天理教とかにも関係なく、1人でも多くの方が幸せであるように、なるために、それをまず考えて欲しいと思います。本部や各教会の事情を知らない、世間知らずな若造の戯言です。ただ、そっちの方がカッコイイと思います。
けど、私がもし会長という立場に立ったとして、信者さんがそれを望むのならうちの教会はつぶさせん!(笑)矛盾してますね。。
- [797]どん 05/09/28 14:18 GbdNMgO5HN
- >>793
うしかめさん、こんにちは。
>神という存在を信じないながらも
いろんな考え方があってよいと思います。有るといえば有る、無いといえば無いのが神の姿とのことですから、神の存在を信じないのも、それはそれでひとつだと思います。ただ、私は、教会に神がいないならその教会は一体何なのだろう、と思ってしまいます。
確かに神の居ない教会というのもあるのかもしれません。本当は神なんて存在しないのに、単に神棚という名前の木材の塊や鏡を置いて、みんなで踊っているだけの集会所なのかもしれません。神もいないのに神楽なるダンスやらお助けなる手振りをして、お金もらって、それで生活して子どもも育てている、そんな教会もあるのかもしれません。でも皆が満足しているんだからこれも一つの商売だと、そういう感じでしょうか。
本当は神は存在しないなら、落ち着いて考えれば、教会の人がやってることは、要はそういうことですよね。
でも、どうですか。お読み下さって、うしかめさんはどう感じましたか?ムカッとしませんか?
こいつ馬鹿にしてんのかと、少しでも思われたなら、うしかめさんの心の中に、本当は、神様がしっかりと存在しているということではありませんか?
挑発的な内容の投稿になってしまったことはお詫びします。すみません。
- [798]梨くん 05/09/28 15:47 RZCY2OLQ5k
- 人助けたらわが身助かる<<9
- [799]799 05/09/28 15:49 RZCY2OLQ5k
- >>798
いい言葉だね
- [800]800 05/09/28 15:50 RZCY2OLQ5k
- >>9 人助けたらわが身助かる
- [801]800 05/09/28 15:51 RZCY2OLQ5k
- 失礼、>>9
人助けたらわが身助かる
- [802]火水風168 05/09/28 20:51 *J49rWUsAgLM*Aeaz3YWknc
- くろさん、うしかめさん、はじめましてよろしくお願いします。
みなさん、話題を戻してしまいますが、お許しください。
>>779
ケイさんへ。
>会長に対して、その奥さん(家族)に対して、何が一番求められるのか
という事について、私なりの思いを述べさせて頂きます。
信者さんからだと、まず、自分と身の回りに起こる事についての良き理解者であって欲しいと言う事でしょうか。
生きて行く上で、嬉しい事、特に自分自身だけでは手に余る問題を、一緒に考えていただける人、場所。
ただし、そこまで心が通うまでには、お互いに並大抵な事ではありませんけど。
そして、中々、全ての事をさらけ出して相談しにくいので、
まずは、全て分かってもらえなくても、自分と言うものを承知しておいて欲しい。そんなところでしょうか。
言い方がうまくないかも知れませんが。
色々な方と、ふれあわせて頂いていますが、
年配の方は、優しく声を掛けさせて頂くだけでも喜ばれる方もおられます。
中には、おたすけに毎日歩かれていて、教理について熱心に質問されている人も居られます。
要するに、人様々、信仰の態度も様々。一人ひとりに気配りが行き届くかどうか、でしょうかね。
ある人の言葉を借りて言うならば、「なんでも屋」と言う事でしょう。
仮に分からない事や対処できない事があっても、その事に対して一生懸命に動いていてくれる人の居てくださる所。
と言うのが、教会でしょうか。
かなり、ハードルは高めかも知れませんが。
打ち込みながら思い出したのですが、以前、ひのきしんスクールに参加させて頂いたときの事。
これは、教会長ということですが、ある布教所長さんが、
たとえ目に見えるご守護を頂く事が出来なくても、一生懸命におつとめ・おたすけに励んでいる人
信者さんのところで何か起こったとき、何をおいても駆けつけてきてくれる人
会長さんになるのなら、そんな教会長さんになって欲しいと言うことを言っておられました。
これは、自分の悟りで恐縮ですが、
一生懸命にさせて頂いている「つもり」、頑張っている「つもり」では、
「つもり」「つもり」で、こうまんのほこりが、つもってしまう。
いつも低い心で、通らせて頂けるようにと、反省する事が多々あります。
会長さん、奥さん頑張ってくれてはるなぁと、相手が認めて下さることではじめて、
その人に対して、「一生懸命」と言う事になるのでしょうね。
自身が落ち込んでしまっている時だって、待ったなしですからね。
そうして、こちらもたすけて頂いているんですけどね。
むごいこゝろをうちわすれ やさしきこゝろになりてこい 五下り目 六ッ
上手くまとまりませんが、こんなところでしょうか。
おやさま、ありがとうございます。
- [803]らくちん 05/09/28 22:24 jodudqkmrn
- こんばんは(^^)
「頑張る」と言う言葉にちょっと思うところがあるので、話の流れからはずれますが、書かせて下さい。
私は以前にも書かせて頂きましたが、介護の仕事、病院の仕事を、長い間やらせて頂きました。その、日々の仕事の中で、やはり世上の身情の方ですから、生きる気力と言うか、もう、先の人生に何の希望や目標もなくなってしまって、
「もう、死にたい」
「早くあっちに(あの世に)行きたい」
「あちこち痛くて死んだ方がマシだ」
と、ほぼ毎日いろんな方から聞きました。
そんな時、皆さんだったらどんな風に声をかけますか?
「大丈夫ですよ」
「そんな事言わないで下さい」
「元気出してください」
「頑張って下さい」
と、思わず言ってしまいませんか?でも、なんて無責任な言葉だと思いませんか?もう、人生を儚んでいる、生きる事にさえ気力の無い人に一体何を「頑張れ」と言うんでしょう?私もいつも、このみなさんが勇む言葉ってないか?って考えてました。冗談が通じる方には「あっちはまだまだ順番待ちみたいですよ〜」とか、「あ〜、じゃあ、私達はおまんまの食いあげだな〜」とか・・・冗談が通じ無そうな方には、今時期なら、これからの季節の話とか、もう、今年も終わりますね、1日は長いけど、1年はあっという間ですね、とか、沈黙しないような、少しでも先の事を考えてくれる会話、明るい話に持って行きたいと必死で言葉を探します。でも、心の寂しさがヒシヒシと痛いほど伝わってくるんですよね・・・。自分の至らなさに、どれだけ泣いたか分かりません。泣いたって、何も変わらないけど・・・。
話が変わってしまって申し訳ないんですが、もし、こういう場面に出くわしたら、どんな言葉をかけたらいいのか、今後の参考に聞かせて頂けますか?
- [804]基本。 05/09/29 01:52 8vZh0lKDYG
- >> 803
らくちんさん、こんばんわ。
言葉は少し違いますが、
「早く死ねるように神様にお願いして下さい」「手足がしびれて、目も不自由で、早く楽になりたいから」と、頼まれて、「分かりました、楽になるようにと、お願いしておきますね。」と、答えている方がいました。
後から電話があって、「あんなこと頼んで、悪かった。」とお詫びも時にありますが、一週間もすれば、又、「早く死にたい。」と、「嫁が虐めるので、早く死にたい」と、又、言われました。
別居していて、独り暮らしで、身体に不自由があって、お嫁さんとは仲良く行っていませんでした。
目の手術もしたばかりでした。
或る日、いつも以上に激しく、「もう、本当に、死ねるように、神様に頼んで欲しい」と、ものすごい勢いで頼まれました。
嫁さんに虐められて、生きているのが嫌だと言うのでした。
「分かりました。本当に、楽になるようにとお願いします」
そう答えて、真剣に、お願いだけはしました。
「本当に楽になりますように」と。
そのまもなく、お嫁さんが突然死、しました。
「私が悪かった。変な事ばかり神様に頼んでいた、私が悪かった。」
と、それから、「死ぬように願ってくれ」とは、言われなくなりました。
最近の出来事です。
> 「もう、死にたい」
> 「早くあっちに(あの世に)行きたい」
> 「あちこち痛くて死んだ方がマシだ」
病院で、介護してて、そういわれたら、
私ならきっと、
「じゃ、一緒に死のうか、その時は一緒に死んでくれる」と、つい、言ってしまうかもしれません。
人間は、無力です。
寂しいのです。みな、孤独です。
昔、癌の末期の年配の未信者さんが、仕事の仲間だったのですが、時折、ご指名で、ベットの付き添いに泊まってくれというのです。
「おかあも、子供たちもいらん。基本さん。側に寝てくれ」。
何をしてあげるわけでも無いのです。
でも、寂しい。
その気持ちから、側にいてくれと言うのです。
「お前さんは、ずっと、俺と一緒だよな」と、いうので、「そうですよ」と、答えるだけでした。
それで、満足して、翌朝には、又来るね。と、月に一二度でした。
入院一年で出直しました。
小学校の同級生は、当時は不治の病の、「急性白血病」でした。
医者が見離して、危篤の状態をおさづけで、ご守護頂き、子供お地場帰りにも、私が付き添いで行きました。
彼とは、毎日語らいました。
彼は、神様の教えを聞きたがりました。
でも基本は、教理は具体的に何も語らなくて、ただ、一緒にいるだけでした。
そして、二人になると、彼は必ず、する質問がありました。
「うちの親たちは、どうしたら、たすかるのだろう」
「毎日を夫婦喧嘩ばかりで、どうしたらたすかるのだろう」
「教えてくれ、」
そのたびに、喉まで出かかった言葉を呑んで、ただ、笑って、いるだけの基本でした。
「全てを捨てて、道一条ならたすかる」
それを、呑み込んで、私は言わないまま、彼は、出直しました。
とても、見事な出直しだったと、父が言っていました。
にこにこと、最後の最後まで、にこにこと、出直されたとの事でした。
親友でした。
おたすけされて、生きて、それを感謝し続けていました。
ふと、思い出してしまいました。
- [805]どん 05/09/29 03:28 xfB7OFiQwQ
- >>803
とある事務所に勤めていますが、職場に相談というか怒鳴り込んできたご老人がいて、
手が空いていた私がお話を聞いて、一緒に相手先にも行って、ご自宅まで送って、
丸一日その人に付き合ったということがありました。
片麻痺で、杖をついていて、その日も、痛い痛いと、仰っていました。
家族からは邪魔者扱いされて、もう死んだほうがましだと、仰っていました。
「お前らにワシの気持ちがわかるか?」とも仰っていました。
らくちんさんの仰る通り、死にたいと思うほどの孤独、心の寂しさなんだと思います。
私は結局、「そうですか…そうですか…辛いですね…」ばっかり言ってました。
でも病院は、お一人とそんなにゆっくりお話できるほどの時間がありませんよね。
ちょっと想像がつきません。沈黙してしまうかもしれません。私も泣いてしまうかもしれません。
- [806]火水風168 05/09/29 07:59 *Manq19pPrdA*Aeaz3YWknc
- まず、「頑張って下さい」と言う事について。
最近は、ある方からよく言われるのですが、
「頑張って下さい」「頑張れよ」は、相手に対してだけ言っている言葉。
だから、「お互いに頑張ろう」と、言った方がいい。
ということを聞いて、成程な、自分も頑張らないと。同じ声かけをするならね。
そう思ったのです。
>>803らくちんさん、>>804基本さん、>>805どんさん、そしてこのスレを読んでおられる方も色々と辛い経験をされている事と思います。
私も、「頑張ろう」と言う事に対して、切実に感じさせて頂いたのは、
「うつ」の方と初めてともに生活させて頂いた時でした。
正直に言って、「頑張ろう」と言う言葉が、励ましの言葉にならないこともあるなんて、
それまで思ってもいませんでした。
それからですね、本部で開催して頂いたシンポジウムや、本を読んだり、周りの方に聞いてみたりしています。
声を掛けるということの、重さとも言うのでしょうか。認識させて頂いたのは。
また、>>803基本さんの「全てを捨てて、道一条ならたすかる」と言うことに関連して。
最近あった事なのですが、信仰している人に言わせていただければ、という場面があったのですが、
私も胸に秘めたまま、相手の方は出直されました。
本当に、相手の方が死に直面しているのに、どうしたら少しでもたすかって頂けるのか。
身体、心。
言葉の掛け方、難しいですよね、本当に。私も、その時は、ほとんど相手の方に、
「そうですね、辛いですね。」
と言う程度しか言葉にならなかったことを思い出しました。
痛みの辛さを分からせていただきたいけれど、なんとか少しでも楽になっていただきたいけれど、
なんともいえないもどかしさ。
そして、今も心の隅にあるのですが、その人その人にとって、
「本当のたすかり」とは何なのか、と。
いまなるのなやみているわつらけれど
これからさきハ心だのしみ 十一 65
ちょうど、朝読ませて頂いたおふでさきの中のおうたです。
皆さんに、少しでも早く「心だのしみ」、喜びの日が訪れますように。
おやさま、みなさん、ありがとうございます。
- [807]ケイ 05/09/29 08:11 3Vm2Te0Dsg
- 皆様、おはようございます(*^-^*)
皆様にお訊ねして、そのまま無責任に28日頃、と申しながら、今日になってもまだ、もたもたしております。
昨夜(日付は変わって居りましたが)遅くに、こちらを覗かせて頂いて、もう!!びっくり!!
有難うございます。ほんとうに!!
誠に申し訳ございませんが、読ませて頂けるのは今夜遅くに成ると思います。お返事、遅れますが、どうか、お許し下さいませ_(._.)_
- [808]火水風168 05/09/29 15:24 *Xnd4bzwxCda*Aeaz3YWknc
- 終日草刈ひのきしん。
途中で疲れてダウン寸前。
やっぱり何でも、体力勝負。
皆さん、ごくろうさまです。
- [809]ケイ 05/09/29 17:42 3Vm2Te0Dsg
- >>790 らくちんさん、こんにちは。
>お教会の家族はやっぱり、「こんな家族になりたい」「お道を信仰しているとこんなに幸せになれる」と言うひながたと言いますか、思わず「いいよね」と言ってしまう様なお教会、家族だと思います。
いいですネェ(^-^)
よふきぐらし実践道場ですもの、教会家族がまずお手本を・・・ですよね。
>いつも笑顔を絶やさず、いついっても「良く来たね」と受け入れてくれ、懇々と理を諭していただける所。
24時間営業・・「夜中でもいいからね」・・・枕元に子機。これだけは、私の「売り」です(^-^)
>「またおいでね」と送ってくれるところ・・子供たちがいつも元気にしていたり人がたくさん寄る所・・ですかね。
会長さん夫婦が見送って下さる、「またおいでね」と。
子どもさんが行きたがる教会、たとえ、お下がりのお菓子が目当てでも(^-^)
来た時とは打って変わった、明るく優しいお母さんと手を繋いで帰る、そんな喜びが、幼い子どもの胸に染み込んでくれるといいですよね。
>・・・まぁ、いんねん渦巻く処ゆえ、そうあって欲しいと言うか・・・。
訪れる信者さんもですが、教会家族も、もしかして、因縁との戦いの道中かもしれませんけれどね・・・(^-^)
>「私は親だ」と言うより、子から「あなたが親です」と言われるべきものなんじゃないかな〜??
そうですね。傍から見てても、うるわしい。
>・・・あくまで、「理想論」ですから・・・。理想や目標は高きに・・・!と言う事でご容赦を・・・(^^;と、こんな風に思います。
らくちんさん、早速にご意見を有難うございました。
「理想」に生きる・・・キザなようですが、私のモットーです。本音と、建前、が有るなら、私は、建前の部分で生きて行きたい、と、考えます。これも、あくまで、理想論・・・ですので(^-^)
らくちんさんの、ご理想を、うれしく、頂きます。
実は、知人が(女性教会長)信者さんに喜んで貰う事は難しいねと、いつも、ため息をついています。
日参されている古い信者さんから、毎日毎日、かなり手厳しく仕込まれ??て、落ち込んでいます。
彼女に、こちらを紹介しましたが、PCは苦手とか、(読む事はしても、投稿が苦手と云う事だと思います)ですので、これは私にとっても勉強であり、代わって、皆様にお訊ねさせて頂いた次第です。
らくちんさん、ありがとうございました。
- [810]ケイ 05/09/29 20:44 3Vm2Te0Dsg
- >>791 くろさん、こんにちは。
>世の中には困っている人がたくさんいるけど、本当に困っている人は教会には行かないんじゃないか・・・。
くろさん、残念ながら、現状はそうかも知れませんね。
ほんとうは、「本当に困っている人」が教会を訪ねて下さる事が、理想ですけれど・・・。それだけの魅力が無い??
>本当に悩んでおられる方が相談してみよう!!と思えるような教会を目指す事ですかねー??
えぇ!! それだけの信頼が得られる教会、その為には、そこでご用をさせて頂く者の、常の在り方が問われる事になりますね。
>何の為に生かされているのか?何の為に信仰しているのか?
これが無いと何をしていても目的の無い人集めだったり、ただ行事に追われ、こなしていくだけになってしまいそうに思います。
ホント! 何のための行事か? ですよね。
くろさんが仰るように、信仰の目的というか、神様は何故、この道にわたくしを、お引き寄せになったのか、何故、今、この道中をお与え下さっているのか、そう云う事を、先ず、自分自身が分かる事?・・・皆様のように、思いを、うまく表現できませんが、それが大切では無いのかしらと、思います。
>答えになっていないかもしれません。すみません。
いいえ!お考えのこと、とてもよく分かります。お忙しい中から、ほんとうに有難うございます。
>今、パソコンを使わせて貰っていますがこれもこんな小さな教会で使っていていいのだろうか??と思ったりしています
私も昔?、そう云う事よく考えました。あちらを見ても、こちらを見ても、「慎み」と云う事が強調され、何もかも、「贅沢=徳負けする」のではないかと、自分自身で、勝手にかせを作っておりました。
最近は・・・この件に就いては、長くなりそうですので、又の機会に(^-^)くろさん、どうも、有難うございました。
- [811]ケイ 05/09/29 20:57 3Vm2Te0Dsg
- 皆様、連投になってしまい、申し訳ございません。
遅れ馳せながら、今頃、お返事書かせて頂いております。
どうぞ、私にお構いなく「頑張ろう」で、盛り上がって下さいね。
- [812]ケイ 05/09/29 21:42 3Vm2Te0Dsg
- >>793
特に教会への批判、多いですね。私は幸せ者で身近な教会でここで聞いたようなことには全く遭ったことないし、嫌いな教会というのもありません。むしろ、神という存在を信じないながらも最近、天理教のことに少なからず好意を抱いていたのは、周りの天理教の方で尊敬できる人が多かったからなのです。
うしかめさん、はじめまして。
神と云う存在を信じないという方にも、好意を抱かせる程の人たち。素晴らしいですね。わたくしも、そういう姿を、周囲に写させて頂けるよう、心いたします。
>>794
>良く見ると、町行く人が、おぢばの様に、普通にハッピを着て歩いているのです!!そして、ハッピを着ている人も着ていない人も互いに挨拶を交わし、立ち話をして、じゃあまた、なんて。町全体にそのお教会が馴染んでいるように見えました。
らくちんさん、光景が目に浮かんで来ます。いいですねぇ。
世界中が、親神さまの教えに染まった時、最早、ハッピも不要に成るかも。そんな時代・・・ホラ、もうすぐそこに(*^-^*)
>お教会って、ご近所付き合いも大事だなぁって思いました。
>常日頃から地域の皆さんといい雰囲気でいるために、大変な努力もあったんだろうなと思いました。
こういう形で、地域に根ざす。
簡単なようですが、アパートなどの多い地域、住民の変動が激しい街中に成ると、家主さんも知らないうちに、アチラの関係の方々も混じって、中には、おつとめの最中に、外からお水をぶっ掛けられたり・・・。色々あります。
その中、こつこつと、ご近所との繋がりを深めて行く努力、これ、大切ですよね。
>「マジ、この前おぢば帰っちゃって〜、久し振りにバリ天やっちゃった〜。靴下に「天理」って入っちゃったし〜!激・回廊拭いたしね〜!マジスッキリじゃねぇ?」
教会の中で、ケータイ持って、こういう会話が、飛び交うようになれば、しめたものだと、私は思います(^-^)
- [813]ケイ 05/09/29 23:19 3Vm2Te0Dsg
- >>862
火水風168 さんこんばんは。いつもにをいがけ、神名流しにご苦労さまでございます。また本日は、草刈ひのきしん、お疲れさまでした。
>信者さんからだと、まず、自分と身の回りに起こる事についての良き理解者であって欲しい。
>全て分かってもらえなくても自分と言うものを承知しておいて欲しい
>要するに、人様々、信仰の態度も様々。一人ひとりに気配りが行き届くかどうか、でしょうかね。
>仮に分からない事や対処できない事があっても、その事に対して一生懸命に動いていてくれる人の居てくださる所。
と言うのが、教会でしょうか。
なるほど!! です。
「何でも屋」「一生懸命に動く」ほんとうにその通りですね。
>かなり、ハードルは高めかも知れませんが。
らくちんさんも仰ってますが「理想や目標は高きに」ですので・・・有難うございます。
>たとえ目に見えるご守護を頂く事が出来なくても、一生懸命におつとめ・おたすけに励んでいる人
>信者さんのところで何か起こったとき、何をおいても駆けつけてきてくれる人
>会長さんになるのなら、そんな教会長さんになって欲しいと言うことを言っておられました。
なるほど、それでこそ、信者さん方の、否、親神様の、深い信頼が頂けるのでしょうね。
>会長さん、奥さん頑張ってくれてはるなぁと、相手が認めて下さることではじめて、その人に対して、「一生懸命」と言う事になるのでしょうね。
これも、なるほど!!です。
らくちんさんの>>790 「私は親だ」と言うより、子から「あなたが親です」と言われるべきものなんじゃないかな〜??・・・にも、通じるものが有りますね(^-^)。
>自身が落ち込んでしまっている時だって、待ったなしですからね。そうして、こちらもたすけて頂いているんですけどね。
基本さんが、お書きになってましたが、訪れる信者さんには「天理教の教会」なんですが、そこの人たちにとっては、「日常生活の場」であるわけですからね。
夫婦喧嘩の最中に、玄関の戸があく、電話のベルが鳴り響く、その途端、待ったなしの無期延期・・・(^-^)
>上手くまとまりませんが、こんなところでしょうか。
火水風168さん、教会長と、その家族に求められる事、とても判り易くお教えいただき、誠に有難うございました。
そして皆様、この問題を真剣にお考え下さり、丁寧に御返信頂きました事、ほんとうに嬉しく、心から御礼申し上げます。
そしてまた、連続投稿になりまして、みなさまの真剣なねりあいの腰を折ってしまい、申し訳ございませんでした。
>>803 らくちんさん、「頑張る」という声がけについて、私も考えて見ます。
- [814]火水風168 05/09/30 07:28 Aeaz3YWknc
- >>809 ケイさんへ
>24時間営業・・「夜中でもいいからね」・・・枕元に子機。これだけは、私の「売り」です(^-^)
同感ですね。コンビニなどを見て、教会に「24時間営業中。悩み事聞かせていただきます」とかなんとか、
ノボリを立てて置くといいのではと、時折思っています。
以前ある方から、「うつ」の方で、メールなら心を開いてくれるという人がいるので、
携帯電話を持ち始めた会長さんがいる、と言う事を聞いて、
なるほどね。道具も使いようと思い、
仕事をやめた時、携帯電話、解約しようと思っていたのですが、
もっている事にしました。
今も遠距離の方には、特に大学や大都会に働きに出ている若い人、
かつての仕事仲間に、月一位でやり取りさせて頂いています。
まあ、文字だけでは伝わらない部分もありますけどね。
でも、元気でやっているという返信を受けた時は、ありがたいですね。
自分の下手な字で、相手に読みづらい事もないですし、思い立ったらすぐ打てますし。
おやさま、知恵の仕込みありがとうございます。
- [815]ケイ 05/09/30 13:03 3Vm2Te0Dsg
- >>814 火水風168さん。
>今も遠距離の方には、特に大学や大都会に働きに出ている若い人、
かつての仕事仲間に、月一位でやり取りさせて頂いています。
こういう細やかな丹精の必要性を、痛感しております。
今朝、レスを読ませて頂いてから、日課である神名流しに出させて頂きました。
途中、お声をかけて下さる方が有り、しばらくお話させて頂きました。遠く、九州から、結婚と転勤などで、こちらに来られたとか。母親が信仰していて、実家には神様がお祭りしてあるとの事。毎朝聞こえてくる拍子木の音が懐かしく、仕事中では有るが、今朝は下におりて待っていたと、話してくださいました。「あなたは、信仰しておられないのですか。」と、訊ねましたら、「そうでもないけど・・・」
また、先日は、和歌山の方に所属教会は有るが、遠くて、仕事の関係で行かなくなって久しい。今更顔も出しにくいし・・・。
かと思えば、所属教会は、目と鼻の先なのに、とっくの昔にこちらから切ってしまった、などなど。
色々な人がいて、色々な教会が有って・・・
何よりも、一人一人におかけくださる、親神様の思し召しが有って・・・
そうした中で、わたくしたちにさせて頂ける事は、目の前に起きる様々な事柄の一つ一つに、その時出来る精一杯の心を尽くさせて頂く、それしかないのでしょうか。
- [816]火水風168 05/09/30 16:10 Aeaz3YWknc
- >>815 ケイさんへ
毎日の神名流し、お勇みでなによりです。ご苦労様です。
私も、神名流しの途中で、おやさま七十年祭に修養科を出てから、
結婚相手の方が、猛反対で教会にも参拝させてくれないと言う方など、
時々、いわゆる心的にハードルがあって、思うよう?に信仰できない方に、
声を掛けていただいた事があります。
中には、子供の「ひきこもり」から、自分も「うつ」になりかけている方に、
声を掛けていただいたという事もあるようです。
あるようですと言いますのは、私が参加させていなかった時のことなので、
その場にいたら、連絡先のやり取りをさせていただけたと思うのですが、
これも、おやさまのお計らいかもしれません。
逆に、ためしかも知れないのですが。
またある時は、電話がかかってきて、お医者さんでは、まともに話を聞いて貰えないので、
話を聞いていただけますかと、三十分ぐらい電話でお話を聞かせて頂いた事もあります。
それ以後、電話も無いのです。
時折気にはかかるのですが、又何かあればかけてきてくださるだろうと、
今は、その方が少しでも幸せで、暮らして頂いていたらいいなぁと思うのです。
(留守の間に、掛かって来ていたかもと、気にはなるんですけどね)
>わたくしたちにさせて頂ける事は、目の前に起きる様々な事柄の一つ一つに、その時出来る精一杯の心を尽くさせて頂く、それしかないのでしょうか。
そうですね、私たちは、その日その日一日を精一杯、おやさまの御用を、お手伝いをさせて頂いている。
という、喜びを感じさせていただける事が何よりだと、私は思います。
逆に、それしかないもかも……。
本当に精一杯尽くしたのだろうか、と思ってしまう日もありますけどね。
日々働いてある。日々尽した理は、日々の理で受け取りてある。尽くせば尽くすだけの理がある。
また、
日々勤め小さいようで大きい。何とも無く思えば何でも無い。何でも無いもの大切の理に運んでくれる。
この理は、計り難ない。
こんな事、と思うような事でも、をやに日々尽くしていれば、大きな理として受け取って下さる。
本当に、親心あふれるお言葉だと思います。
おやさま、ありがとうございます。
- [817]らくちん 05/09/30 16:44 jodudqkmrn
- みなさん、たくさんのご意見、貴重なお話ありがとうございました!
「死」と言う事が前提の「頑張る」について、・・・ちょっと、シビアと言うか、なんともややこしい話題を振ってしまったとも思いましたが、やっぱりみなさんに伺ってみて良かったです(^^)前にも書いたんですが、今回の「頑張る」みたいに「これだ!!これしかない!」と結論を出すのは難しいと思う事でも、ズルズル考え続けてしまう性分がありまして・・・(^^;思い出しては「あの時、もっといい言葉が無かったのか??」と考えてしまいます。
姉妹で教会に長く住み込んでいらしたおばあちゃん先生がいました。その一人が80歳を過ぎて大往生で出直し、残されたもう一人のおばあちゃん先生が、
「人は、だんだん目が見えなくなって(老眼)、耳が聞こえなくなって(老人性難聴)、手足が思うように動かなくなって、ご飯もよく喉を通らなくなって(総義歯)、そうして死にやすくなっていくんですね。」
と言いました。「死にやすくなる」って、すごい言葉だと思って鳥肌が立ちました。歳を取ってだんだん不自由になる体を、「死にやすくなる」ご守護だって事ですよね?無論、こんな話を仕事で行かせて頂くお家でする訳にもいかず・・・。そのもう一人のおばあちゃん先生も、間もなく出直しました。こういうおばあちゃん先生みたいな人こそ、「出直し」て来るような気がします。
ケイさんへ。
こちらこそ!こちらこそ!なんだかキレイな事ばっかり書いてしまって「・・・らくちんって夢見すぎじゃねぇ?」
と思われるかと思って・・・!でも丁寧にお返事頂いてありがとうございます(^^)
目指すぅ〜所はぁ〜ひながたの道ぃ〜陽気くらしと言う、島へ〜と向かうぅぅ〜!!
ですよ〜0(^^)0いつも頭の中で流れてます。風に流されるまま生きてみたいなぁ・・・(笑)。
- [818]らくちん 05/09/30 17:27 jodudqkmrn
- あ!そうそう!
私が病院で使って頂いていた時に、病棟のみなさんに教えて頂いた、凹んだ時に思い出す言葉があります!
「人のお世話取りさせて頂く者は、人の痛みは我が痛みと感じながらも、一緒に痛がっちゃいけない」
というものです。
例えば患者さんに針を刺す時、「あ〜こんなの刺さったら痛いよね〜、あ〜いたたたたた〜!!」ではなくて、「(痛いだろうから)なるべく痛くないようにしますね」とか「(痛いだろうから)痛かったら言って下さいね」とか、です。・・・上手く伝わってないかも知れないんですけど・・・どうかいろいろに受け取って頂いて、上手く解釈してやって下さい(^^;
私はこの言葉に、度々心支えてもらいました。何かの役に立てれば幸いです。
- [819]火水風168 05/09/30 17:33 *Xnd4bzwxCda*Aeaz3YWknc
- >>817 らくちんさんへ
本当に、大往生ですね。
出直す時には、心安らかに出直したいものですね。
>キレイな事ばっかり書いてしまって
いいんじゃないですか。らくちんさんなりに思いがあって。
また、色々なお話聞かせてください。
いつも、ありがとうございます。
- [820]傍陽気 05/10/02 02:18 xfB7OPF17O
- ケイさんへ
>神と云う存在を信じないという方にも、好意を抱かせる程の人たち。
>素晴らしいですね。わたくしも、そういう姿を、周囲に写させて頂け
>るよう、心いたします。
この“天理教を語る”スレで、ケイさんは神を信じない人たちにも好意を抱かせるという天理教を語られています。そういう天理教を長く語られても来ましたし、現在も語られてもいます。そこには、好意を抱かせるという作為、計算の宗教家業のソロバンを弾く宗教家の顔が覗き見られます。
では、教祖の雛型はどうだったのでしょう。気違い、狐ツキと、教祖雛型には、人を助けてもソロバン勘定など皆無の雛型でした。世間から立派な宗教と呼ばせ、呼ばれているうちは、谷底せり上げの不思議は見せてはもらえない。いい加減に「神の存在を信じない人にも好意を抱かせる。」こんな天理教を語るのはお止めになった如何でしょう。
- [821]ケイ 05/10/02 12:27 3Vm2Te0Dsg
- 傍陽気さん。
「基本さんいらっしゃい」では、今も、勉強させて頂いております。傍陽気さんはそこの管理人でいらっしゃるんですよね。お蔭様です。有難うございます。
時々、拝見する管理人さんは、いつも、イカッておられるようで、どうしてかな?なんて、考えてしまいます(失礼)。私も、以前から、傍陽気さんには叱られてばかり(>_<)
と、いいながら、PATIOの時代から、基本さんのお書きになるもの、拝読しておりますので、ご教示も頂いておりますので、傍陽気さんの仰りたい事、何分の一かは理解?出来ます。
>>793 天理教のことに少なからず好意を抱いていたのは、周りの天理教の方で尊敬できる人が多かったからなのです。
教会後継者と自覚なさっておられる、うしかめさんが尊敬できる人が回りにおられて良かった。それが天理教の方で良かった。ただ、それだけの事がいいたかっただけ。、そして、私も周囲から、あんな人が、天理教だなんて・・とだけは、いわれない様、普段から、軽率な言動を慎んで通らせて頂きたいと・・ただ、それだけ。(表現のまずいところは、お赦しを<(_ _)>)
繰り返しになりますが、傍陽気さんの思いは別にある・・何となく、何となくですが、そう思います。しかし、まだまだ、わたくしは、傍陽気さんほどの方と、論戦できるような、深い思案も持たず、日々、うっかりと、過ごしてしまっておりますので・・・。
言い訳になりますが、今も、掲示板に投稿されている方の中には、私程度の認識の方、いらっしゃると思います。傍陽気さんのレベル(教祖への思い?)の方々からは、絶対に「その一言」を許せ無いし、見過ごすわけには行かない。そうお考えの上で、掲示板の上にも、日夜、目を光らせておられて、その、ご信念に対しては、敬意を表しますが、それでしたら、その都度何度でも、私程度の迂闊な人間にも理解できるように、言葉を尽くして・・優しい言葉で・・、お諭し頂きたい。お願いさせて頂きます。
【独り言です】教友から促され、ネットに参加させて頂くようになって、そろそろ2年になります。短い期間では有りましたが、何も知らなかった当時からみれば、随分色々な事勉強させて頂きました。色々な方々から、勉強の仕方、考え方を教えて頂きました。
中でも、ネット上で、基本さんが展開されている、「おさしづ」の解釈、これを勉強するための手ほどき(あくまでも、私の感じ方ですが)。これは、大変有難かったです。心から、感謝しております。
教会なら、何所にも備えてある、膨大な「おさしづ」。手付かずのまま飾られてあるこれを目にした時から、いつか、勉強したい、と、その時の来るのを待ちました。・・そういう方が、今も大勢いらっしゃるのではと思います・・。
そして、あちこちのスレでなさっておられる「悩みの相談」への名解答。いつも、ウーンと、うなっておりました。
http://6725.teacup.com/help/bbs
http://www.web-book.jp/patio/patio.cgi などなど。
そして、一口に「おみち」といっても、そこには色々な問題が有る事も、知りました。当初の予定通り、この、10月25日をもって、ネットから離れ、教祖120年祭の年を、悔いのないようにつとめさせて頂き、その後、ネットで勉強させて頂いた事も含めて、道のよふぼくとして、どう、通らせていただくのが、ほんとうに教祖にお喜び頂けるのか、私なりに模索しながら、この先の人生、お連れとおり頂きたいなと、思案しております(*^-^*)
長々と、失礼致しました。
- [822]傍陽気 05/10/02 18:38 xfB7OPF17O
- ケイさんへ
>掲示板の上にも、日夜、目を光らせておられて、その、ご信念に
>対しては、敬意を表しますが、それでしたら、その都度何度でも、
>私程度の迂闊な人間にも理解できるように、言葉を尽くして・・
>優しい言葉で・・、お諭し頂きたい。お願いさせて頂きます。
分かりました。
基本さんいらっしゃいであなたは、イラストの少女の絵が宗教を語るにHPに相応しくないというような意味のクレームを付けられました。
私は、そういう宗教家のお面をこの旬に、こぼたれてはいかがでしょうかと言いたいだけです。
>神と云う存在を信じないという方にも、好意を抱かせる程の人たち。
>素晴らしいですね。わたくしも、そういう姿を、周囲に写させて頂け
>るよう、心いたします。
神を信じない人の周りに好意を抱かせる人がいて、神を信じることができないと言われるうしかめさんが天理教会3代目を後継しようとお考えになっている。
ケイさんは、そういう天理教会の有り方を「すばらしい。」とネットで賞賛されておられますが、そういう事をお止めになったほうが良いと、ただそれが言いたかっただけです。
- [823]火水風168 05/10/02 21:02 *Xnd4bzwxCda*Aeaz3YWknc
- 心を合わせ頼もしい道を作りてくれ。あれでこそ真の道であると、
世界に写つさにゃならん。
この道は大きい心持っては大きい道に成る。小さい事に思うてはならん。
小さい心持って居てはあちらからにをい、こちらからにをい、一つの邪魔になる。
大きい心を持って皆々談じ、世界集まる日がある。頼もしい道と言う。
気に合うと言う、気に合わんと言う。合うだけは受け取る。合わん処は受け取れん。
どんな事聞いたて、心に掛けんように。めんめんどんな道も通りた。
心に案じるは人間事情である。
これからの道危なきの道もあれば頼もしい道もある。危なき道よう堪忍して。
この道は難しい事は要らん。堪忍はこの道を始め掛けたると言う。
よう尋ねて始め掛けてくれた。堪忍互い結ぶなら、あらあらの道。
堪忍というは誠一つの理、天の理と諭し置く。堪忍という理を定めるなら、
広く大きい理である。
たすけ一条は行かにゃならん。行けば諭す理、世情一つ事情、
これさえ持って居れば一日も危なきは無い。
おやさまのお伴として、御用をさせて頂くのみ。
- [824]どん 05/10/02 21:52 xfB7OFiQwQ
- 横から失礼します。私からも一言、いいですか。
>神と云う存在を信じないという方にも、好意を抱かせる程の人たち。
次のような比較が意味があるのかどうかわかりませんが、敢えて言えば、
人に悪意を抱かせるよりは、好意を抱かせる方が、よいのではないでしょうか。
私はむしろ、その動機がどうであるかということの方が、気になります。
人から好意的に見られたいという動機なら、それはそれで人間らしいエゴでしょうし、
傍陽気さんの仰る宗教家のお面なのかもしれませんが、そうではなくて、
人を救けたいという動機による行動で、結果として、人から好意的に見られたなら、
それは別段、非難すべきものでもないように思います。
世間から立派な宗教と認められることを目指したという雛形は確かにありませんが、
神の存在を信じない人をも一瞬にして感化し、勇ませた雛形は、あります。
好意を抱かせたこと自体は、悪ではないように思います。
個人的には、どちらでもよいと思っています。ですから、ケイさんの、
>そういう姿を、周囲に写させて頂けるよう、心いたします。
というご投稿も、
>そういう姿を、周囲に写させて頂けるよう、(それを目的として)心いたします。
>そういう姿を、(結果として)周囲に写させて頂けるよう、心いたします。
というふうに、どちらにも読めるような気がしますし、
どちらかであったとしても、それはそれでいいんじゃないでしょうか。
- [825]どん 05/10/02 22:24 xfB7OFiQwQ
- 先の投稿で、「人に悪意を抱かせることと、好意を抱かせること」の比較が
意味がないのではないか、と申し上げたところ、もう少し述べさせて下さい。
私は、好意を抱くも、悪意を抱くも、それはその人、本人が決めることであって、
周りの人が決め得ることではないと思っています。
うしかめさんの例で申せば、
行為を抱いたのは(すなわち好意を抱くと決めたのは)、うしかめさんであり、
周囲の人がうしかめさんに好意を「抱かせた」のではない、というのが、私見です。
周囲の人は、うしかめさんの頭から小便をひっかけたのかもしれないのです。
それで、うしかめさんは「ぬくい雨が降ってきた」と受け取って、結構結構と、
好意を抱いたのかもしれないのです。
まことにまことに、好意を抱くも悪意を抱くも、本人が決めることであって、
周りの人が決め得ることではありません。したがって、
こうすれば良く思われるだろうとか、こうすれば悪く思われるのではないか、とか、
そんなことは考えても仕方がありません。
傍陽気さんが仰りたかったのは、そういうことではありませんか。
- [826]傍陽気 05/10/03 00:12 xfB7OPF17O
- どんさん、お久しぶりです。
神を誠にできないけど、周りの天理教の人が尊敬できるから、最近好意を持てるようになって、後継を思案し始めている。この方に対して、どうして、後継を考えるのは、神様を誠に出来るようになってからでも遅くありませんと諭せないのでしょうか。どうしてそれがすばらしいという賛辞で終わるんでしょうか。
- [827]うしかめ 05/10/03 04:21 *ZoJ6tKu5U4i*OjtMwBuToJ
- >>797
どんさん、大変遅くなりすみません。丁寧なご返事ありがとうございます。
>>ただ、私は、教会に神がいないならその教会は一体何なのだろう、と思ってしまいます。
本当にそう思います。ですから、私のなかで以前から葛藤はありましたし、今でもあります。
小さいと時からかわいがって頂き、今でも逆に私の方へ心をかけてくださる信者さん方を始め、
会長夫妻、上級教会会長夫妻、前会長夫妻、などなどは、長男である私が教会を継げば喜んでくださるだろう、
また他の人が継ぐ事になれば、少なからず残念に思うだろうことは昔から感じておりました。
しかし、なぜ生まれたときから自分の運命が決められてしまうのか。
神を信じられない私が、天理教、まして教会長などなぜやらなければならないのか。
前者に対しては、私なりに思うところがあり、今では望んでなろうとしているので解決。
後者に対しては、まだ時間がかかりそうです。
ありがたいことに、私はまだ大学生なりたて。
現会長も健在ですので、あと最低でも10年、20年くらいは猶予(?)があると思います。
それまでは、人を学び、社会を学び、天理教を学び、いろいろ学んで、とりあえずたくさん吸収したい、
情けないことに、正直今はそれだけしか考えていません。
神を信じられない。このことについては自分でどうすればいいのか分かってません。
ですが、今はまだ危機感のようなものは持ってません。
信じられようになりたい。そうは思うのですが、考えても信じられるようになるわけでもないので。
自分の捉え方次第とも思うのですがそれではさらさら納得できないのです。
>>705で普通の天理教徒(基本)さんの、
>>天理教祖は、
>>「この道は、みんな身上から付き来る道」
>>と、仰せになっています。
>>身上というのは、病気の事です。
>>病気から付いていない信者は、普通の天理教徒ではありません。
とのお言葉のとおり、身上にかかってない私はまだ普通の天理教徒ですらないのかもしれません。
実際、身上というのも自分の捉え方次第なのでしょうね。
自分で「身上がかった」と思うか、思わないかの差なのでしょうね。
それもまた私の徳が足りない(?)からでしょうか。
今は後継者としてのことも考えていますが、将来、会長交代のとき、まだ私の中で神を信じられないようであれば、たとえ信者さん方に望まれようとも継がないかもしれません。他にふさわしい人がいればその方に頼むかもしれません。
また、それでも継ごうとするかもしれません。
正直言って、私はまだ何もわかりません。
教理のことも大して分かってないのに会長どうのこうの言うレベルでは全然無いと言われるのも当然です。
バイト帰り、眠くて自分でも何書いてるか良く分かってないので失礼します。まとまってなくてすみません。丁寧にご返事くれた方、ありがとうございます。
- [828]うしかめ 05/10/03 04:23 *ZoJ6tKu5U4i*OjtMwBuToJ
- クリプトノモト?少しあいだあけたら忘れてしまいました。
こういうの初めてなのですみません。
- [829]火水風168 05/10/03 07:13 *Xnd4bzwxCda*Aeaz3YWknc
- いついつまで結構、何と偉い人と、善い人やな、と言われ楽しみ。心尽くすよう。
何も分からん時から、何でもと運んだ心の理は真実の理、人ともいう、一人の理という。
論は一寸も要らん要らん要らん。論をするなら世界の理で行け。
神の道には論は要らん。誠一つなら天の理。実で行くがよい。
聞いて成程も良いけれど、わが身にて行わせて頂く事により、道は開ける。
というスタンスです。
おやさま、ありがとうございます。
- [830]らくちん 05/10/03 08:25 jodudqkmrn
- おはようございます(^^)
後継者問題、ホントにどこのお教会でもありますよね。
某教会でも、子供が出来ない教会長夫妻が養子をもらって、その子が30歳を目前に「私は教会を継ぎません」と言われてしまったり、夫婦養子でお教会に入っても「私は今までの姓を名乗ります」とか言ってみたり・・・。なんだかわかりません。そんな人たちに限ってなんだか天理教街道エリートコースで育った人達だったりするので、申し訳ない、私の偏見が生まれるのです。
一信者から言わせていただければ、それまで勤めて頂いた会長から若先生に代替わりするときって、ドキドキしますよ〜。会長と若先生の宗教理念の違いとか、私達と歳の差が近くなる事とか・・・。でも、教会長に納まる人が、私達の「理の親」である訳で、それはどんな人でも神様がその教会にご守護下さった「会長」だと思います。なってくるが天の理とお聞かせいただきますし。その「親」に合わせて通って行くのが「理の子」の通り方じゃないかな〜?と。
完成した若い会長さんなんていないんじゃないかな?
・・・こんな事一信者が言うのもどうかと思うけど、共々に成人させて頂いたらいいんじゃないかな〜?お互いの立場を立てあって、成人の過程を一緒に喜んで通るのも、これからの教会のスタイルかも知れない。どうしても、教会長さんって、一段高いような感じ(お高いと言う訳じゃなくて、「子」から見た「親」と言う意味です)。ですけど、これからの若い信者さんや後継者を育てるには、今までと同じでは難しいのかも。人間自体の質が変わってきている事は確かですよね。
会長さんや、信者さんに関わらず、私個人は出来過ぎた人間ってなんだか気持ち悪いんです(笑)。信用出来ないと言うか、「今言った事、本心なのか?」みたいな。余談ですが、某TVのチャリティー番組も、あまりにキレイに出来すぎていて、現場を知らない芸能人とかが、「感動しました〜!」って・・・何に?みたいな。毒気の無い人間って、居ないはずなのに一生懸命無毒に見せてる姿はなんだか気持ち悪いです。いっそ、最近の若手芸人みたいに「自分、毒がありますフォーーー!!」って言ってくれた方がむしろ、潔いし安心感すらあるきがします。まぁ、これはあくまで私個人の主観ですが・・・。
うしかめさん、まだお若いのに教会の事を一生懸命考えてすばらしいですね(^^)その心意気、ぜひぜひ、ホンモノにして下さい。まだ少し時間があるようですが、急がずに、ひとつずつ、モノに出来ればいいんじゃないかなと思います。
私が修養科終了の時に先生から頂いた言葉に「きれいなもの いそいではいかん いそいでは きれいとは いえん なってくるが きれいなもの」と言うのがありました。上に書いた「毒気」と「きれいなもの」と矛盾するようですが、やっぱり、人間にはいろんな面があって、自分のきれいなところも、「毒」のところも、包み隠すことなく、素直に受け入れて行こうよ!と言う、ものすごく寛大な解釈をして頂けると幸いです。
すいません、言いたい事だけ羅列して全くまとまりませんでした(^^;不快な思いをした方がいらしたら、申し訳ありませんでしたm(_ _)m
- [831]火水風168 05/10/03 09:27 Aeaz3YWknc
- うしかめさんへ。ご参考になれば幸いです。
身上にお手入れを頂き、事情になって、慌ててたすけを求めるのは、
信仰も初代のころの人が考えることであって、…私たちのように
代を重ねた者は、そうした姿をみせていただいて、初めて気がついて
慌てふためいていることでは、もう遅いのであります。
そうした姿を見せていただかずにすむ道を訪ねていくことが、
今日の私たちの大切な心得である…。
これこそ教祖にお喜びいただく心であり、
これこそ教祖にお喜びいただく態度ではなかろうか。
(R155 真柱様 年頭あいさつ)
私も、代を数えて四代目。先祖のお陰でこの道を、歩みは遅くとも歩かせていただいています。
若い頃(今より)に、初代は身上のお手入れから引き寄せられて、「をや」の思いをよく分かっていただろうけれど、
自分は大きな身上もいただいていないしなぁと、思っていました。
そうした頃このお言葉を「みちのとも」で読ませて頂いた時、取りようによっては、
厳しいとも思いましたが、それは、わが身の勤めが足らない時に「厳しい」と感じていたのではないかと、
今は、思っています。
よく読ませていただくと、何とありがたい親心ではないかと思うのです。
期待と励ましのお言葉だと。そう思って、私はいつもノートに挟んで持ち歩いています。
自分のことで恐縮です。
これも私の経験で恐縮ですが、私が修養科に行かせて頂いていた時、感話大会でのこと。
ある若い女性の方が入信の動機を話して下さっていたのですが、
その方は、未信者ながら(未信者だから悪いということではありません)天理大学に入って居られ、
ある時先輩が、一生懸命に本を読んでいたそうです。何の本かといつも思っていた。
自分も読ませてくださいと読まれて、「神様はいる」と感銘してこの道を信仰しようと思われたというお話でした。
その本と言うのが、「おふでさき」です。
せっかく教会にお引き寄せ頂いている「魂」。無理せず、をやの心を忘れずに通らせて頂いているうちに、
きっとをやは、「風」を下さると思います。所は違えど、共々に、歩ませて頂けたらありがたいですね。
おやさま、ありがとうございます。
PS みなさん、横から失礼しました。
- [832]基本。 05/10/03 14:17 p/STUAu1/J
- >>827
うしかめさん。
この道は、皆身上から付き来る道、と教えられていて、身上なしに付いた者は、一寸咲いた花のような物と、教えられていて、それは、厳しい理の現実として、生徒の頃、ずいぶん悩みました。
私はこれという身上から付いたわけではない。両親が身上から付いただけで、身上から付いたという実感が、無かったのです。
病気と言えば、まずおさづけ、でしたから、子供の時から病気するとおさづで、でも、親は医者も呼んでましたから、どっちで直ったのか、そう言う場面でも実感が無かった、それが本当の処です。
なんで、「身上なしに付いた者は、一寸咲いた花のよう」なのかというと、その意味を思案するのですが、「綺麗で、美しいから、花」なのだと、分かります。
お筆先に「ひねた木からだんだんと手入り」とありますが、「ひね木」であると言うことは、「綺麗でも美しくも無い」と言うことです。
綺麗でも美しくもない、花でもない。
ひねている。
これは、ある意味私そのものです。道の道具の基本は、綺麗な信仰、美しい花である信心とは、無縁だという意味に、理解されます。
「一寸咲いた花」というものは、どういう意味かと、言うことですが、「一寸」と言うのは、お言葉の本質として、「一寸のはぢまり」と言う理解をしています。
道の始まりを彩る花。
と、解釈するのが、基本の解釈です。
本物の信心の人がいて、これは、身上で厳しく手入りされる。
その時、そうした厳しさを、神様から与えられないのは、彩りの花。
ともかく、神様から身に手いれを頂かないと言うことは、一人前に扱って頂けていないという意味ですから、私は、必死にお願いしました。
どうぞ間違いがありましたら、お手入れ下さいますように。と。
必ず、さんげして改良しますので、間違いがありましたら、お手入れいただきますように。
朝から晩まで、神様に頭を下げれば、必ず、お願いした頃があります。
そして、ある時、神様のお話をさせて頂いて、十分分かって貰えたと、送り出して、満足していたとき、「激痛」に襲われました。
違っていた。
直ぐに、後を追いました。
追いながら、何が違っていたかを、痛みの場所で思案しました。
追いついて、「ごめん、間違ってた。苦しめてごめん。」と言うと、彼は、「俺にはあんたの話は、言葉ではわかるけど、本当は分からない。・・・」と、少しも、理解も納得もできていないと、本音を語りました。
それ以後、こういう激痛を、頂けるようになりました。
やっと自分は、人の心の痛みを、直接に身にて、神様からお叱り頂けるようになったのでした。
お手入れしても、受けきれない、理解できない者には手入れは出来ない。
この二つが、神様のご都合だと思います。
お手入れがあったら、それを素直に受け止めて、例え半歩でも、一歩でも、改良するという覚悟あれば、お手入れは、日常にあるものだと、知りました。
教祖とともにある実感は、日々のことごとくに身に手入れないと、感じられるものではないと思います。
「でばなの濁り」は、本物の道。今がどんな姿でも、神の楽しみ。
「一寸咲いた花」は、道の彩り。やがて来る本物の道へのその旬を、神の楽しみ。
基本は、そう理解しています。
- [833]基本。 05/10/03 14:34 p/STUAu1/J
- >>831
>うしかめさんへ。ご参考になれば幸いです。
>身上にお手入れを頂き、事情になって、慌ててたすけを求めるのは、
信仰も初代のころの人が考えることであって、…
>私たちのように代を重ねた者は、そうした姿をみせていただいて、
>初めて気がついて慌てふためいていることでは、もう遅いのであります。
>そうした姿を見せていただかずにすむ道を訪ねていくことが、
>今日の私たちの大切な心得である…
この事ですが、基本は、今、うしかめさんに申し上げたように、「身上なし」では、「一寸咲いた花のようなもの」という教祖の教えを、重大な物と重く見つめています。
「日々に、親神様から身に手入れ頂くという、用木の基本」を怠るから、
>初めて気がついて慌てふためいていること
に、なってしまうと言うことだと思います。
人様に、神様のお話をさせて頂く都度に、「手入れ、手引き」を身にお叱り頂き、人様のお世話させて頂く都度に、「手入れ、手引き、残念、立腹」を身にお叱り頂いていたら、あわてる理由も何もない。
その、「身上にてのお手引き、お手入れの無い、用木」では、「一寸咲いた花」。
勢いよく駆けだしただけの、見事に綺麗な花にはなれても、・・・。
「一寸咲いて」、後は、枯れるでは、一時の彩りと言うことです。
火水風168さんの、一に勢いがとても、楽しい投稿を読ませて頂いていますが、その中に、花を楽しまれている部分があります。
例えば、
>ある若い女性の方が入信の動機を話して下さっていたのですが、
>その方は、未信者ながら(未信者だから悪いということではありません)天理大学に入って居られ、
>ある時先輩が、一生懸命に本を読んでいたそうです。何の本かといつも思っていた。
>自分も読ませてくださいと読まれて、「神様はいる」と感銘してこの道を
>信仰しようと思われたというお話でした。
>その本と言うのが、「おふでさき」です。
これは、「花」です。感話の花です。
こういう入信の仕方をして、熱心だった人の様々なその後を、基本は見ています。
「原典の理」は、厳しい。「原典に導かれたと」それを、きちんと、根のある用木として実現した人の例を知りません。
あるはずがない。
教えは厳然としています。
「身上なくして付く」と言うことは、本人が付いたのであり、親神様が付けたのではないのですから、「一寸咲いた花のようなもの」です。
真柱様のお話も、おふでさきの、おさしづの教えの根に照らして読まなければ、勝手な解釈にすぎません。
日々常に、神様からの手入れ手引き道教えがある、お方。
その真柱様のお言葉として、体験的実話として、読み直されたら、「用木の資格」を、諭されたお話だと、理解されるはずです。
>身上にお手入れを頂き、事情になって、慌ててたすけを求めるのは、
信仰も初代のころの人が考えることであって、…
>私たちのように代を重ねた者は、そうした姿をみせていただいて、
>初めて気がついて慌てふためいていることでは、もう遅いのであります。
>そうした姿を見せていただかずにすむ道を訪ねていくことが、
>今日の私たちの大切な心得である…
>今日の私たちの大切な心得である
それは、「用木にては手入れする」とのお筆先にしらされた心得のことと、基本は、そこにあります。
- [834]かい 05/10/03 16:36 2fx1R4f9m3
- >らくちんさんへ。
教会長を「理の親」とする教えはアリマセン。
勝手な教理を天理教の掲示板で振りまくのはイイカゲン止められたらいかがでしょうか。
おやさま、おやがみさま以外に理の親はおりません。
- [835]基本。 05/10/03 19:28 p/STUAu1/J
- 「理の親」と言う事については、かってネット上で、それが真柱様のお言葉にあるのか、どうかと激しく対立した話題です。
2ちゃんの「天理教団』スレには、その痕跡が残されています。
http://www.soutokuhu.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1098683582
らくちんさんは、その頃の議論をご存じないと思います。
真柱様が、しばしば「理の親とは教祖以外には無い。」「人をさして理の親と言わない様に」と、諭されたという事が、土台にあります。
それが、その話を聞いたという人と、そんな講話は無いという人との、事実確認をめぐる対立でした。
元々は、昭和42年の初版の、「よふぼく手帳」に、「理の親関係」という言葉がありますように、天理教内では、縦の系統は理の親という意識が固まっていました。
『教会系統は理の親子関係で結ばれていますが、各地域に於けるよふぼくの集いは、理の兄弟関係で結ばれています。 (よふぼく手帳昭和42年6月26日初版 p105より)』
そこで、「理の親」という言葉は、所属大教会の大教会長や、所属教会の会長、信仰の導き手を指し示す言葉として、広まっていましたが、三代真柱様、四代真柱様が、一貫して、その誤用を戒められたと言う事です。
人をさして「理の親」と言ってはならないと、それは、今心得るべき教えのかどめです。
当時は、天理教オーソドックスの「こせつ」さんと言う方が、反対意見を代表して、理の親は教祖の名代の人間だとの説を展開しました。
『291] 根拠 投稿者: こせつ 投稿日:2005/04/01(Fri) 20:19
……おそらく、皆さん方を学校に送っている肉親の親御さんも、あるいはまた理の親御さんも、周りの関係しておられる方々の心も、皆さん方がしっかりと本来の学生としての本分を尽くして、勉学に励み、初志を貫徹して目的達成へと一歩一歩進んでくれるようにということを願っておられるだろうと私は思います。
…天理教学生会結成十五周年記念・名誉会長様お言葉集P101〜P102…
三代真柱さまは「天理教学生会・第五回春の集い」における講話の中で、上記のように「理の親」という言葉を使用されています。
その意味するところは、「おふでさき」のお歌から演繹された意味以外には考えることは出来ません。
つまり、「理の親」とは教祖ご自身のことではなく、教祖の名代として日夜、「にをいがけ・おたすけ」に奔走している「人間」を指していることは明白なのです。
と、
Re[336]: 理の親 投稿者: こせつ 投稿日:2005/04/05(Tue) 08:21
次に真柱さまの発言についてですが、「人をさして理の親と言うな」みたいな発言は一切されていないと思います。こうしたデマは某異端集団が言いふらしているにすぎません。証拠が無いというのが、それがデマである最たる証拠だとは思いませんか…… ですから真柱様が公式に発言される日が来るなどというのは御伽噺にすぎません。
最後になりますが、親神様や教祖、ぢばは「理の親」ではなく、「親」そのものですので、「理の親」とは呼びません。もう一つ重要な点は、「理」イコール「親神様」ではありませんし、「教祖」でもないという点です。
にをいがけ・おたすけの現場で、真実の「理の親子」関係が築かれることが現在、一番大事なことではないかと私は思います。
三代真柱様のお諭しを引用して、拡大解釈しての、暴論でした。
これに対して、基本は、みちのとも、昭和47年3月号に掲載されました、真柱様のお言葉を紹介し、真実・事実を紹介しました。
579 名前:基本。 ◆./kJ00CA [2005/04/05(火) 12:53]
出典は、少年会の本部念頭幹部会でのお言葉です。
『そこで私のたどり着いたことは、親と言う言葉で、言い表されるお方は、親神様以外にはおられないと言う事です。
親という言葉で、意味するお方は、教組以外にはおられないと言う事です。たとえ私たちが、六人の子供の親であると言う言葉のように、親と言う言葉を用いましても、それは親になってしまえというのではなく、私たちの親は、親神様・教組以外にはおられないのです。私たちがその言葉を用いましても、真の底から親になってしまってはいけない。』
(三代真柱様お言葉より、昭和47年1月26日)
生みの親であっても、たとえその言葉を用いても、「親になってはいけない」。
これが、きちんと諭されております。
「理の親」と言う事は、人をさして用いてはならない。
それは、現真柱様のお示し下さることであり、一貫して真柱様のお示し下された基本と言う事です。
- [836]かい 05/10/03 19:43 ErAVXpWiK0
- 基本さんが詳しく書いてますが、私は直接に9年前ぐらいの神殿講話において「理の親という言葉はおやさま、おやがみ様以外にはおりません」という言葉を聞いてます。人間的感覚において、これが証拠となるとは思いませんが、聞いてしまったのだからしかたありません。
その後、みちのともを詳しく調べましたが、その発言の部分は理の親という言葉が削除され、変えられていました。
ああ、天理教と言えど、検閲制度があり、真柱様の発言にまでそれは影響を及ぼすのだなと、ある意味失念した思い出があります。
しかし、おやさまは最初からあざない人間との事。組織のオ偉いさんだろうと、本部員だろうとあざない人間。我が身の立場を守るためには「理の親」の言葉を削るくらいわけもなくするのだと思い直し、今は原典、真柱様のお言葉をしっかりと読むように心がけるようになりました。
- [837]・:・:・:・: 05/10/03 21:29 jxguladst0
- 初の書き込みとなるんですが、天理と創価が中悪いんですね。。。
自分別にそんなの知らずにいたし。
何かそれで友達が「あんた天理教だから喋らない」とか言って今
喋ってないんですがぁ。。。
でも中悪いのは一部の人だけやろ???何で振り回されなあかんの。。。
っと最近ツクヅク思う通りすがりの人物でしたw
- [838]らくちん 05/10/04 08:19 jodudqkmrn
- おはようございます(^^)
そうでしたか。「理の親」とは人を指してはいけないんですね。
認識不足でした。あらためます。「親」に対する思いは基本さんやかいさんが書いてくださった所に何一つ疑問に思う事はありません。全くそのとおりだと思います。ありがとうございました(^^)
どうして学会さんと仲が良くないんでしょうね?私も天理教と言うだけで子供のころから学会さんの友達のお母さんには好かれませんでした。
ずっと仲の良かった友達のお母さんがとても熱心な学会さんで、私は彼女の結婚式に呼ばれ(新幹線で行きましたが・・・)たのですが、帰り際、
「あんたにだけは来て欲しくなかった!!」
と式場の出口で絶叫されました。後日、彼女からお詫びの電話が来ましたが、娘の結婚式に新幹線で駆け付けた(もちろん呼ばれたからですけど・・・。)友人にそこまで言うのはすごいなぁ・・・と。とにかく、彼女のお母さんは私が天理教だと言う事が、娘が結婚式に呼んだ数少ない友達だったとしても、生理的にイヤだったようでした。
実は、彼女の姉と言う人が、長い間消息不明になってまして、教区から姉宛ての、女子青年大会か何かのご案内のはがきが実家に届いたのをきっかけに、天理教つながりで何とかお姉さんを探せないか?と言う事があったのです。前奥様がお忙しい時間を縫って差出人からお姉さんの情報を聞いて下さって、3〜4年ぶりだったんでしょうか、天理教の教会でなら、と言う事で、妹である私の友人との再会が実現しました。
驚いた事に、お姉さんは実家とはちょっと離れた天理教の教会に住み込んでいました。お母さんの信仰が受け入れられなかったと言ってました。どこからお手引き頂いたのかは分かりませんが、確か修養科も出ていたと思います。家出をして、そのまま電話1本入れず、です。
いわゆる「できる」お姉さんで、身の回りもきちんとする方だったようですが、再会の時はノーメイクで洗いざらしたトレーナーと言う出で立ちに妹はショックだったようです。でも、それがお姉さんの意思で、家に帰るつもりは無いと・・・。そんなことから、天理教=私達家族=娘をおかしくした、と言う認識で、娘を天理教に盗られたと思っていたようです。よりにもよって、天理教!と・・・でも、お母さんの気持ち、分かります。前奥様は「とにかく、無事で元気でいると言う事だけは親に連絡するべき」と何度かお話してましたが、どうなったのでしょう・・・。しばらくは私の実家に彼女の母から、私の家族と天理教に対する批判の長電話が来てましたが、お姉さんがお道に付いた事は、私達も意外だったし、住み込んでいるのはお姉さんの意思だし、ぶっちゃけ、そんなに娘を盗られた!と言うなら、住み込んでいる教会も知ってましたから、首に縄つけてでも連れ戻せばいいのに・・・。とも思いました。でも、それはしなかったんですよね。あれだけ強く長く、電話で批判していても・・・。
しばらくして前奥様もお出直しし、他系統で押し込み頂いている人ですし、妹とはたまにメールのやり取りがありますが、お姉さんの事は禁句と言うか・・・私の実家の近くに彼女の実家もあった訳なんですけど、私は早々に実家を出ていたので、いつの間にか引越ししてしまった様です。あれからもう10年近くなりますが・・・。前奥様が残念そうに「ウチに付いていればね・・・」と仰ったのが、今でも痛く刺さっています。そう、ウチの教会に付いていたなら、あの家族は離れて暮らさなくても済んだかも知れない、お母さんの天理教への思いも、変わったかも知れないと・・・。あぁ、思い出すと今からでも何かすべきか、それとも、もう、触れられたくない過去になってしまっているのか・・・。
宗教って、人間の根底の価値観ですから、それでいがみ合ったり、争ったり、一番してはいけない事だと思います。お互いが受け入れ、認め合い、助け合う事って、やっぱり難しいんですかね・・・?
- [839]どん 05/10/04 11:39 VL5OCGjP1i
- >>837
・:・:・:・:さん、こんにちは。
私も、仲が悪いのは一部の人だと思います。
らくちんさんも仰ってますが、宗教の違いを理由に人間同士がいがみ合うのは、
悲しいことだと思います。何のための信仰なのか、と思ってしまいますね。
>>826
傍陽気さん、ありがとうございます。
よくわかります。
私も、うしかめさんの仰った「神という存在を信じない」という一語を捉まえて、
「信じないと言っても、心の奥底では信じていらっしゃるのではないかな」、あるいは
「今はそうでも今後いろいろと学び体験する中で、神の存在を感じていこうという
スタンスでいらっしゃるのではないかな」と思い、投稿しましたので..
- [840]どん 05/10/04 11:39 VL5OCGjP1i
- >>827
うしかめさん、ありがとうございます。
みんな、一人ひとりが、独自の空間と時間の流れの中で、学び、成長しているのだ思います。
ですから、うしかめさんの仰る、
>私のなかで以前から葛藤はありましたし、今でもあります。
>正直今はそれだけしか考えていません。
というのも、私は、好きです。
ご自分なりに(誰でもそうかもしれませんが)、天理教に対して
真剣に考えておられると、私は感じます。
ただ一点だけ、神の存在ついてですが、私の理解は、
この世は、本当は神しか存在しない、と思っています。
あらゆる存在が、神だと、そう思っています。
実は神以外のものが存在しないから、だから、にわかに神を知ることも出来ないし、
神の存在を証明することもできないのではないかな、と思っています。
太陽の光と暖かさ、月の満ち欠け、そよぐ風、雨を運ぶ雲、それらが神だと
言われても、それらが大昔から絶えることなくあるものだから、それらが無い状態
というのを体験したことがないから、にわかに神とは思えないのではないかと。
しかしこれは、うしかめさんも仰るとおり、捉え方次第だと思います。
正に、捉え方、心の持ちようだと、思います。
善が神だと捉えれば、悪は神ではないという認識になります。
喜びが神だと捉えれば、悲しみや苦しみは神ではないという認識になります。
不思議が神と捉えれば、不思議でない日常は神ではないという認識になります。
ただ私は、善を善たらしめている悪も、喜びを感じることが出来る素地としての
悲しみも苦しみも、また不思議を不思議たらしめている何てことない日常も、
それも神の慈しみ深いはからいであり、神性の一部なんだと思っています。
どうぞ、うしかめさんなりに、いろいろと学び、体験して、感じて下さい。
今後ともよろしくお願いします。
- [841]どん 05/10/04 11:54 VL5OCGjPdI
- >>821
ケイさんへ
>当初の予定通り、この、10月25日をもって、ネットから離れ、
参加も退出も自由な掲示板ですから、また元々そのおつもりとのことですから
何とも申し上げられませんが、ネットも学びの場の一つでしょうから、
またお時間の空いた時、あるいはふっと覗いてみようかな、と思った時には、
躊躇なく書き込んで頂きたいと、勝手ながら思っています(^o^)
- [842]あだも 05/10/04 15:50 UcWgg6vhao
- 宗教の違いからいがみ合って、同じ宗教の中でも傷つけたり傷つけられたり・・・。世の中は陣取り合戦みたいに見えます。
安住の地って何処にあるのでしょう?この神様の懐の中で、陽気暮らしをするはずの人間はいつも迷っています。怒っています。泣いています。 この世の皆が笑顔で毎日暮らす事は出来ないのでしょうか?心休まる事は無いのでしょうか?せめて自分に繋がる人達には、1回でも多く笑顔になって頂ける様にと切に願って止みません。
申し訳ありません。
- [843]基本。 05/10/04 19:16 xUFrzdFrw0
- 私は、創価の皆さんとはとても仲良しです。
もちろん個人と個人のレベルの話ですが。
私の知人の創価の皆さんは、仏法の哲学を土台として、価値を創造するために、毎日を真面目に働いている方が多いと思います。
基本は天理教だから嫌だとは、ただの一度も言われた事がありません。
仲良くしてくれます。
聖教新聞も時折見せていただいています。
>>842
>宗教の違いからいがみ合って、
>同じ宗教の中でも傷つけたり傷つけられたり・・・。
>世の中は陣取り合戦みたいに見えます。
あだもさんの、目に映るものは、互いの陣を取り合う世界のようですね。
>陽気暮らしをするはずの人間はいつも迷っています。怒っています。泣いています。
あだもさん、そうでしょうか。
聖教新聞を見ても分かりますが、笑顔が一杯ですよ。
心休まる話は、天理時報にも、聖教新聞にも、あふれています。
らくちんさんが、>>831に、
>私が修養科終了の時に先生から頂いた言葉に
>「きれいなもの いそいではいかん いそいでは きれいとは いえん なってくるが きれいなもの」と言うのがありました。
と、書いてくれています。
あだもさんは、急がれています。
>安住の地って何処にあるのでしょう?この神様の懐の中で、陽気暮らしをするはずの人間はいつも迷っています。
>
と、安住の地を求められていますが、その「きれいなもの」を急ぐ事は、天然自然の道とはならないことを、胸に治められたら宜しいと思います。
アメリカの庶民は、ハリケーンの大災害の中でも、「ユーモアを忘れたくありません」と、語っていました。
笑顔は、そんな中にもありました。
教組は、一日とて、これはという日はなかったと、伝えられています。
あだもさんの、願いは、尊いものと思いますが、そんな泥海だからこそ、教祖のひながたという、唯一の道が、残されてある事を、そして、困難の中ほど、人は笑顔を忘れていない事を、見つめたいと思います。
- [844]傍陽気 05/10/04 23:17 3mlfESzp8Z
- うしかめさんへ、
神様を無理に信じようなどとはしないでください。それに後継のこと、運命などとは間違っても考えないでください。そんなことより、学生の生活の今を大事に生きてください。お願いします。
- [845]ケイ 05/10/05 00:06 abbcp5ufP6
- >>841 どんさんへ
どんさん、有難うございます。とっても、嬉しいです。懐かしくなったら、分からない事が出来たら、覗かせて頂きます。その折には、どうぞ宜しくお願い致します。
ほんとうに、ネットは、素晴らしい学び場です。いろんな事、教えて頂きました。一年位の心算でしたのに、素晴らしい方々との出会いを頂き、ついついのめり込んでしまいました。楽しかったァ(*^-^*)
どんさんや、皆様のご活躍、お祈り致しております。
うしかめさんへ
>>844 神様を無理に信じようなどとはしないでください。それに後継のこと、運命などとは間違っても考えないでください。そんなことより、学生の生活の今を大事に生きてください。お願いします。
お話が少しややこしくなってしまって、ごめんなさいね。まだ、学生をやってる息子が、私にも居ます。ですから、傍陽気さんのご意見よく分かります。私もそう思います。
今を大切に、のびのびと、お過ごし下さいね。
- [846]火水風168 05/10/05 00:58 rO1pjRnKHy
- また少し間が空くと、かなり進んでいますね。
一時ゆるやかだったのに……。
とりもあえず、ケイさんわずかでしたが有難う御座いました。
しかし、考えてみれば親里ですれ違っているかも知れないんですよね。
年祭で、ニアミス?があったりして。
いつか何かの折に、お会いした時はよろしくです。
他のみなさんも、何かの拍子で会ったりして。
その時は、お手柔らかに。
ケイさん、またよろしくお願いします。
お互いの持ち場立場で頑張りましょう。
- [847]基本。 05/10/05 04:51 OPm/H/vYTb
- ケイさんが、日限を切られてネットに来られて、そして、その日が来て定めたとおりに為されると言う事は、一つの道理を通されたものと納得しております。
ネット上にあるのは、「情報」であり、それは、事実や現実から抜き出されたものとしての「情報」であり、本当の事は、現実と現場の中でしか、理解されないものです。
「情」は、「情に流れナよ」と教祖が教えて下さいましたものです。
理を談じ合っていたかと思うと、たちまちに、情に流されている。
それが、ネットの天理教談じあいの現実です。現場です。
実は、納得など出来るはずの無い事を談じあっていても、情の世界として、「情報」として、「ああ、それも一つの考え方ね。」とか、「そう言う解釈もありなのね」とか、情として納得して行く事になる例が、至る所に蔓延しています。
そのなかで、ケイさんは、そうした情のるつぼ中から、ひとまず離脱すると言う事は、とても賢明だと思います。
ネットでは、みなそれぞれが、新しい事を疑問として持ち、新しい事を問題意識として提供します。
しかしそれは、どんなことも、「みなひながたある」。
自分が先頭で走っているつもりでいても、実は周回遅れで、同じトラックを走っている場合があります。
すでに、「ひながた」においては、みな残されてある。
そんな基本的なことまでも忘れて、情報交換してみても、それは、理の談じあいではない、談じあいにはならない。
教会の中で、道の御用をなさる時にも、「ひながた」が先にあると言う事を、仮に忘れてしまえば、周回遅れのトラックランナーと言う事になります。
教理は、「原典」に「教祖伝」に、「こふきはなし」にあり、ネットには無い。
人の口を経由して説かれた「お言葉」は、もう一度、原典から直接に読み直さなければ、何の理も無い。
この基本に返って、現場で、生きた教理を掘り下げてください。
教祖は談じをお諭しになる、その意味ですが、それは、間違いがあるからです。
その間違いを互いに諭しあってほしいと言うのが、教祖です。
その教祖のお心を、思うならば、間違いがあるときには、どうぞ放置せずに、ケイさんのご意見を、語って頂きたいと思います。
「情報」から、離脱して、改めて、談じという事の為に、こちらにも、基本さんいらっしゃいにも、その時があれば、ご参加ください。
- [848]らくちん 05/10/05 08:18 UcWgg6vhao
- ケイさん、ステキな教会の奥様になって下さい(^^)
結婚までは生まれてから毎年おぢがばえりさせて頂いていましたが、結婚後はなかなか上手く行きません。120年祭には、なんとかかえらせて頂きたいと思っています。おぢばで、暴れん坊の男の子を連れてちょっと疲れ気味のパパイヤ鈴木似のおばちゃんを見かけたら私かも知れません(笑)。
どこかで、再会を楽しみに・・・寂しいですが、ありがとうございました。
- [849]ケイ 05/10/05 15:44 abbcp5ufP6
- >>846 火水風168 さん。
>ケイさんわずかでしたが有難う御座いました。
こちらこそ!!です。ほんとうに有難うございました。
火水風168 さんには、勇み心を頂きました。爽やかな風を、頂きました。
今日もこの広い空の下のどこかで、火水風168 さんが、駆けめぐって?いらっしゃるんだろうなと、楽しい想像をめぐらせて、私も又、勇ませて頂きます。
>いつか何かの折に、お会いした時はよろしくです。
素敵ですね。その節はよろしく、です(*^-^*)
>>847 基本さん。
>教会の中で、道の御用をなさる時にも、「ひながた」が先にあると言う事を、仮に忘れてしまえば、周回遅れのトラックランナーと言う事になります。
教理は、「原典」に「教祖伝」に、「こふきはなし」にあり、ネットには無い。
人の口を経由して説かれた「お言葉」は、もう一度、原典から直接に読み直さなければ、何の理も無い。
この基本に返って、現場で、生きた教理を掘り下げてください。
基本さんには、資料を読む、原典を読む為の手ほどきを、実に根気よくお教え頂きました。
「ひながた」が、先にある・・・幼児の如くキョロキョロと、あぶなっかしい私ですが、手を引いてくださるおやさまのお導きに委ねます。
>教祖は談じをお諭しになる、その意味ですが、それは、間違いがあるからです。
その間違いを互いに諭しあってほしいと言うのが、教祖です。
「心胆諭す理」・・・ですね。教祖のお役に立てる人を育てさせて頂く道。
気の利いたお話が出来る事ではない。真のたんのう。
その諭しの台には、「若き神こかん」「鍛冶屋のはる」「初代講元の陰に埋もれた女達」・・・。
心胆の、その胸の奥の奥が、諭し合えるとき、婦人会の道が真に治まる・・・。
基本さん、有難うございました。
>>848 らくちんさん。
>ケイさん、ステキな教会の奥様になって下さい(^^)
ハイ(*^-^*)。 努力いたします。
おやさまから、褒めていただけるような・・(ふっふ・・この辺り、やっぱり、まだまだ、子どもです。)
>結婚までは生まれてから毎年おぢがばえりさせて頂いていましたが、結婚後はなかなか上手く行きません。120年祭には、なんとかかえらせて頂きたいと思っています。
えぇ、ぜひ、ぜひ。
私も、結婚して数年は、ほとんど、おぢばに帰る事は叶いませんでした。ほんの数時間のところなのに・・・。
でも今は、思い立ったらすぐにハンドルを握ります。
110年祭の年、皆さんに宣言しました。これからは、一回も多く、教祖の元にかえらせていただきましょう。日は決めません。お帰り下さる方があれば、毎日でも、私がご案内させて頂きます。遠慮せず、お連れしたい日を、皆さんが決めてください、と。
実はそれまで私共の教会は、おぢばまで、運転してくださる方が一人も居なかったのです。車を持てる人がいなかったと申した方が適切でしょうか。
次の年から、運転してくださる方が出来ました。そして、車を持つ人が集まりました。
今は、多いときは、月に、4,5回、帰らせていただけます。
らくちんさんにも、きっと今にそういう時が来ますよ。
>おぢばで、暴れん坊の男の子を連れてちょっと疲れ気味のパパイヤ鈴木似のおばちゃんを見かけたら私かも知れません(笑)
パパイヤ鈴木ですね(^-^)。はい、そのつもりで、キョロキョロさがします(^-^)
でも、ご自分の事、冗談でもおばちゃんだなんて。
いつまでも、幾つになっても、お互い、夫を愛し、愛される「いい女!!」でいましょうね。
>どこかで、再会を楽しみに・・・寂しいですが、ありがとうございました。
こちらのスレでは、新参者ですのに、皆様に暖かいお声がけを頂き、感謝感激です。
ほんとうに、皆様、有難うございました。ごきげんよう!!
- [850]火水風168 05/10/05 17:14 rO1pjRnKHy
- みなさんバックしてすみません。
基本さんへ。
お手数ですが、現時点で説明というか確認というかをして頂ければ、という箇所がありますので、お願いします。
★忙しければ、ボチボチで、結構です。
>>833
>「身上なし」では、「一寸咲いた花のようなもの」という教祖の教えを、重大な物と重く見つめています。
「日々に、親神様から身に手入れ頂くという、用木の基本」を怠るから、
>>初めて気がついて慌てふためいていること
に、なってしまうと言うことだと思います。
生かされている間は、親神様から身にお手入れを頂く事が、常にあるという事を自覚しておく、
そうすれば、慌てふためくことなく成人していけると言うことですかね。
身の内切なみ病むも心一つ、難儀するも心一つ。
と言うことで、心の持ち方ですか。
>その、「身上にてのお手引き、お手入れの無い、用木」では、「一寸咲いた花」。
勢いよく駆けだしただけの、見事に綺麗な花にはなれても、・・・。
「一寸咲いて」、後は、枯れるでは、一時の彩りと言うことです。
>「身上なくして付く」と言うことは、本人が付いたのであり、親神様が付けたのではないのですから、「一寸咲いた花のようなもの」です。
☆ここの「身上なくして付く」と言う事は、入信ということでよろしいのでしょうか。
もし、自分の身上からではなく引き寄せられて、信仰を続けてた人(その間に身上にお知らせ頂く事はあるでしょう)は、
基本さんとしては、OKなのですか。
>火水風168さんの、一に勢いがとても、楽しい投稿を読ませて頂いていますが、
☆ありがとうございます。こちらこそ、基本さんにはいろいろと学習の機会を頂いており、感謝です。
>その中に、花を楽しまれている部分があります。
☆ 一つあたゑ、何程辺所一つ、どんな所の住家でも、綺麗な花を見て、成程の花という、楽しみという。
と言われている花を見ての「楽しみ」ではいかがですか。とは、いっても基本さんの言われるように、
いんねんと言えば、一夜の間にも花が散る事もある。ここにこうして先々何にも無き所でも、心一つ、誠一つ、
いんねん一つで不自由無きものであろう。あたゑという一つの理を以って治めるがよい。
と「一夜の間」にも散ってしまう花もあります。けれども、心一つで、ゆくゆくは治まっていく事もありませんか。
親神様の存在を知ると言う事も、親神様からの「あたゑ」の一つだとして生かしていく事が。
>「原典の理」は、厳しい。「原典に導かれたと」それを、きちんと、根のある用木として実現した人の例を知りません。
あるはずがない。
教えは厳然としています。
☆そうですね、親心にあふれている原典の教えに、厳しい仕込みを感じずにはおれません。
ところで、身上により導かれ「原典」で育てて頂くのであれば、よふぼくとして根ざす。
という事ですか。
>それは、「用木にては手入れする」とのお筆先にしらされた心得のことと、基本は、そこにあります。
☆そうですよね。それはある。
質問内容の不備な点は、寛大なる心にてお汲み取りください。とはいえ、文章だけで相手に伝えるということは、
中々難しいです、けれど勉強になりますね。基本さんは、どうですか。
おやさま、そして、基本さん、ありがとうございます。
- [851]基本。 05/10/06 05:23 OPm/H/vYTb
- >>850
火水風さんの確認なさりたい事について、談じ合わせて頂きたいと思います。
初めに、部分的な問題を整理しておきましょう。
> ☆ 一つあたゑ、何程辺所一つ、どんな所の住家でも、綺麗な花を見て、成程の花という、楽しみという。
> と言われている花を見ての「楽しみ」ではいかがですか。
この引用のおさしづ、ですが、「明治24年1月19日、今村斧太郎事情伺うです。」
この事情は、何処に住まいするかという事情である事は、おさしづ全文の文意から明らかです。
泉田藤吉先生は大阪天満橋で警官と口論した一件から、明治20年前後には、教団からは追放状態でした。
教祖が扉を開かれた時のおつとめに地方とありますのは、「命のいらぬものは出よ」という事情から、おつとめに出ておられていますが、泉田と関係ていたら、教会認可の支障になるということから、過去の人として、扱われていたと言う事です。
それには、もう一つの理由があり、それは、泉田先生には籍は入れてないが正妻に相当する女性がいて、その流れが、大分市分教会になるのですが、ところが、今村斧太郎さんの母親と泉田先生は深い中と言う事で、色情の問題からの信用失墜もあったということになります。
しかし、教祖は、泉田籐吉先生のおたすけした方々には、赤衣を渡される事が多く、その弟子たちは、大教会の初代となっていきましたが、泉田先生自体は、大阪では、活動を制限され、どうにもならない状態になっていたと言う事です。
そこで、その泉田先生を九州に布教に行く道をつけたのが、梅谷四郎兵衛先生で、船場の有力教会の一つは、実は泉田先生を元としていますが、それは、泉田先生が面倒を見る事の出来ない事情から、船場が引き受けたと言う事になります。
泉田籐吉先生に活躍の場をと、弟子たちが先鞭をつけて、九州に泉田先生は布教に出ます。
そこに、呼び寄せられたのが、「今村斧太郎」さんと言う事です。
泉田籐吉先生に、導かれた代表的な人物に、北大教会初代がいます。
泉田籐吉は、講元を北大教会初代の茨木基敬に譲っていますが、それは簡単に言えば、泉田の借金を立て替えた代わりに譲り受けたと言う事のようで、お上からにらまれて、教会設立の困難な泉田籐吉を尻目に、敬神愛国の時代に乗り、急成長をして行きました。
言うならば、泉田籐吉という講元が大阪から九州に布教に出る時、一方は教団の発展の花形である泉田の弟子ばかりのとき、今村斧太郎は、落ち目の講元の苦労の道中の、九州に、出向いていったと言う事情のときのお言葉です。
この場合の「花」というのは、火水風さんの理解されているような、単純な意味の花ではないと、言う事になります。
「中津・今村家」「大分市・泉田家」
この、妾・妻の因縁ともいえる両家に対しての、又、泉田を見捨てた弟子たちと、泉田をどこまでも支援した弟子たちに対するお言葉とも、なっております。
泉田籐吉先生自身の事で言えば、今村千賀子さんが辺所九州での「花」ということであったわけですし、この中津があって、それで、大分市ができたという事情全てに及ぶものと、思案されなければなりません。
ご引用のお言葉は、「今村家・泉田家」の事情においてのおさしづであり、場合の教理として、思案されるべきだと思います。
- [852]基本。 05/10/06 05:49 OPm/H/vYTb
- >>851>>852
本題に入りましょう。
>「一夜の間」にも散ってしまう花もあります。けれども、心一つで、ゆくゆくは治まっていく事もありませんか。
親神様の存在を知ると言う事も、親神様からの「あたゑ」の一つだとして生かしていく事が。
>
火水風さんは、
「親神様の存在を知るというあたえ⇒心一つでだんだん治まる」と、
このような事は無いのかとお尋ねになっています。
「親神様の存在を知る」と言う事だけならば、どんさんのしばしば語られるように、一切が親神様という存在ということですから、宇宙も、大気も、大自然の営みも、人間個々人の思想も感情も、みな、親神様のご守護の世界と言う事で、そのそれぞれが、親神様の存在を知る事になるという、それが、親神様の存在を知ると言う事になります。
しかし、「身上」というのは、直接的な親神様の意思による働きかけです。
「親神様の自分に掛けられた意思の存在とその意味を知る」と言うのが、「身上」ということです。
この違いが、あります。
先ず最初に、「親神様のお心があり、意思がある。」
それを、身の上に現して頂いたのが、「身上」ということですから、本人が、大自然を見たり、或いは神の啓示書を読んで、神はあると悟ったとしても、それは、「親神様のお心と意思」とは、全く別物と言う事になります。
親神様の存在を知ると言う事は、実は、誰でも出来ているわけです。
しかし、その、意思があると言う事、その意思を身に現すと言う事は、誰もが体験できるものではないと言う事です。
- [853]基本。 05/10/06 06:04 OPm/H/vYTb
- >>850-852
> ところで、身上により導かれ「原典」で育てて頂くのであれば、よふぼくとして根ざす。という事ですか。
>
この事ですが、「身上により導かれて」ということが、それが何をいみするのか、火水風さんの認識を確かめておかねばなりません。
「導く」というのは、一般には、指導すると言う事です。
そう言う意味の導くなのですか。
それとも、病気がきっかけで入信したと、きっかけとしての誘導という意味なのですか。
きっかけということであれぱ、最初の動機と言う事で、指導と言う事であれば、修得するまでは続くものと言う事になります。
どちらでしょうか。
原典には、身上については、「きっかけ」とは、書かれていません。
身上は、「手引き」「道教せ」「ざねん」「立腹」「手入れ」など、きちんと示されています。
> ところで、身上により導かれ
との、「導かれ」は手引きという意味でお使いかもしれませんが、それなら、手引きとはどういう状態と言う事でしょう。
親が子の手を引く状態。
これを思案しますと、一過性という無責任な手引きではないと言う事が、自ずと分かるはずです。
神様が、手引きすると言う事は、神様の意思であり、その意思無くしては、誰も天理教は出来ないと言う事になります。
- [854]火水風168 05/10/06 07:30 rO1pjRnKHy
- >>851-853
基本さんへ。
早速、かつ、さすがご丁寧なご回答ありがとうございます。
確認の確認、また改めましてお知らせします。
まずは、お礼のみにて失礼します。
ありがとうございます。
- [855]火水風168 05/10/06 09:25 rO1pjRnKHy
- 基本さん、取り合えず以下の点よろしくお願いします。
至らない点ご容赦下さい。
>>851
花にも色々あるという事ですね。単純な花とそうでない花と。
>>852
>しかし、その、意思があると言う事、その意思を身に現すと言う事は、誰もが体験できるものではないと言う事です。
ここの「その意思を身に現すと言う事」とは、身上のことで、
よろしいんですよね。
あるいは、信仰者としての行いということにも取れるようなので。
>>853
>「導く」というのは、一般には、指導すると言う事です。
そう言う意味の導くなのですか。
それとも、病気がきっかけで入信したと、きっかけとしての誘導という意味なのですか。
そうですね、「導く」という意味には、@道案内をする。あるところに案内する。Aよい方にすすませる。
Bある状態に至らせる。とあり、取り方の相違があっても仕方ないですね。
いわゆる入信と言う意味です。
根ざす「よふぼく」について語って頂ければ、とも思ったのですが。
繰り返しにて、手を煩わせる事に成りましたら、ご容赦下さい。手短で結構です。
>親が子の手を引く状態。
これを思案しますと、一過性という無責任な手引きではないと言う事が、自ずと分かるはずです。
この事は、日ごろでも、心させて頂くよう勤めたいですね。
ありがとうございます。まずは、これにて。
おやさま、ありがとうございます。
- [856]くろ 05/10/06 12:28 zXF5IavSRi
- 横レスすみません
基本さんいつも拝見させて頂いています。私には少し難しく分かりにくいところもありますが、ものの考え方や悟られ方など、今まで私が考えに及ばなかったところが多々(ほとんど全てですが・・・)あり、とても参考にさせて頂いています。
これまでの火水風さんとのやりとりを読ませて頂いて、
身上なくしては親神様から導いて頂いた事にはならない。(という事ですよね。)という事ですが、
二代三代は自ら身上を頂いての入信では無いわけですが、因縁の理があってその家に生まれさせてもらい、お道に繋がっているとすれば、それは親神様の意図するところにはならないのでしょうか?
又、実家の祖父は妻の身上から、今の教会の初代も弟の身上からの入信と聞かせて頂いています。
例え、自分では無くても身内の身上からでも親神様の意図では無いとお考えですか?
身上というのは風邪をひいただけでも身上ですよね?その身上を普通なら何も思わないのかもしれませんが、親神様に生かされていると思っている人であれば何かお手引きを頂いているのではないか・・・と思案させて頂きます。これも一つのお手引きになるのでしょうか?
揚げ足のような質問で申し訳ありません。
基本さんが言い切っておられるので私も今の状態は私が親神様から見れば勝手に繋がっているのだろうか・・・?とちょっと不安になったものですから・・・。初心者で申し訳ありません。
- [857]基本。 05/10/06 15:41 xUFrzXw79I
- お筆先には、「なんどきに帰りて来ても銘々の心あるとは更に思うな」と、お知らせ頂いています。
つまり、地場に引き寄せ似れたと言う事、或いはお地場帰りをすることというのは、銘々の心からのものとは「更に思うな」ということです。
そこで、まず、くろさんのご質問ですが、
>>856
> 親神様に生かされていると思っている人であれば何かお手引きを頂いているのではないか・・・と思案させて頂きます。
>
この事は、銘々の心からのものではなく、地場に引き寄せたという姿の上からすれば、天理教の教えに触れ、親神様に生かされていると思っている人は、地場の理によりお話を聞いているのですから、親神様のお心から、引き寄せたと言う事に相違ありません。
しかし、神様が、寄せてくださったと言う事は、それは、「よふぼく」として、寄せられたと言う事には、必ずなるものではありません。
おふでさきには、このようにあります。
「だんだんとをふくよせたるこのたちき、よふぼくになるものハないぞや」(3号49)
「いかなきもをふくよせてハあるけれどいがみかがみハこれわかなハん」(3号50)
神様が引き寄せてくださったという場合にも、二つあると言うことになります。
神様の用向きでお引き寄せ頂くと言う事と、子供可愛いから引き寄せたという場合とです。
この事は、教祖伝の逸話編の一の中の次のような事実を見れば、すっきり分かると思います。
『教祖は、・・・中でも最も得意とされたのは、玉に分銅、猫に小判などという手の込んだ模様ものであった、という。』
教祖は、これを渡されていたわけですが、
「玉に分銅」と、「猫にこばん」を主として、寄り来た人に渡されていたと言う事です。
寄せた立ち木でも「猫に小判型」の人がいて、きらきら光る価値ある小判が嬉しくて、それに戯れる、可愛い猫のような、信心のタイプ。
又、理を映し出す「玉」と、理を計りだす「分銅」をしっかりとの、信心のタイプ。
片方は、ようぼくにはなれませんが、神様は可愛いから、小判をお渡しくださるという、片方は、ようぼくです。
>私が親神様から見れば勝手に繋がっているのだろうか・
これは、なんどきであれ、親神様がおつなぎ下さっての地場信心です。
親神様からつないでくださっているのです。
しかし、それは手引とためしを経ないと、ようぼくの入り口をくぐった事にならないと言う事になります。
逸話篇167に、手引とためしの、お諭しのひながたが、残されています。
手引だけでは、ようぼくになれない。
「ためし」があると言う事になります。
『それはなあ、手引きがすんで、ためしがすまんのやで。ためしというは、人救けたら我が身救かる、という。我が身思うてはならん。どうでも、人を救けたい、救かってもらいたい、という一心に取り直すなら、身上は鮮やかやで。』
これが、お言葉です。
勝手なつながりでは無いけれども、自分の中の「いがみ・かがみ」を取り去り、
神様からの、「手引」と「ためし」を、通過しないと、「玉に分銅」という側ではなく、「猫に小判」という側と言う事になります。
- [858]火水風168 05/10/06 17:40 rO1pjRnKHy
- くろさんへ。この場では、はじめましてと、ご挨拶させて頂きます。。
横スレ参考になります。
ところで、基本さんに確認の上の質問をと思っていた事もありますが、
長引きそうで、他の方に申し訳なく、ここで及ばずながら、整理させて頂きたいと思います。
思わく違いがあれば改めてご意見下さい。
基本さんへ。お忙しいところお手数ですがよろしくお願いいたします。
独断的ですみませんが、いくつかの点に絞ってみます。
@以下の点、補足説明お願いいたします。
>>833
>「身上なくして付く」と言うことは、本人が付いたのであり、親神様が付けたのではないのですから、「一寸咲いた花のようなもの」です。
と、言い切られていますが、>>857では、くろさんの、
>> 親神様に生かされていると思っている人であれば何かお手引きを頂いているのではないか・・・と思案させて頂きます。
に対して、
>この事は、銘々の心からのものではなく、地場に引き寄せたという姿の上からすれば、天理教の教えに触れ、親神様に生かされていると思っている人は、地場の理によりお話を聞いているのですから、親神様のお心から、引き寄せたと言う事に相違ありません。
と、ぢばの理を聞いて引き寄せられたということは、親神様によって引き寄せられたと言われています。これだけでは、「身上なくして」
付いていますので、はじめに言っておられる「親神様が付けたのではない」と言う点と異なっているように思えますが。
「付く」と「引き寄せ」とは違う事と言う事ですか。思い違いだったら、すみません。本当に、文字読み砕き難しいですね。
Aここの「身上なくして付く」と言う事は、入信ということでよろしいのでしょうか。
もし、自分の身上からではなく引き寄せられて、信仰を続けてた人(その間に身上にお知らせ頂く事はあるでしょう)は、
基本さんとしては、OKなのですか。
それとも、自分自身に身上を頂いての入信で無いと、信仰が続かない事(「一寸咲いた花」)になると言う事ですか。
B仮にですが、自分自身に身上を頂いての入信で無いと、信仰が続かない事(「一寸咲いた花」)という事であれば、
本席様は、どう捉えておられますか。
本席様は、ご存知の通り、自分自身の身上からの入信ではなく、妻のおさとさんの身上からですよね。
参考までに、手短に教えて頂ければたすかります。
☆☆いわゆる「よふぼく」について
>しかし、神様が、寄せてくださったと言う事は、それは、「よふぼく」として、寄せられたと言う事には、必ずなるものではありません。
>しかし、それは手引とためしを経ないと、ようぼくの入り口をくぐった事にならないと言う事になります。
逸話篇167に、手引とためしの、お諭しのひながたが、残されています。
手引だけでは、ようぼくになれない。
「ためし」があると言う事になります。
Cよふぼくになるには、「手引き」だけでは、不十分で「ためし」を経ないとよふぼくになれないという事を言われているんですよね。
(焦点が拡大しますので、)その際、「おさづけ」の理の拝戴はひとまず置いておき、
(僭越ですが、)親神様の、望まれるよふぼくにはなれないということを説いておられると判断して宜しいのでしょうか。
勉強不足ですみません、至らぬ点ご容赦下さい。基本さんならこそ、お答え頂けるのだと思います。
ありがとうございます。
- [859]くろ 05/10/06 21:52 zXF5IavSRi
- 火水風さん初めまして!!横レス申し訳ありませんでした。
基本さん早速のレス有難うございました。
何度も読み返らせて頂いて、自分なりに基本さんが言われようとされている事を理解したつもりでいました。
その後に火水風さんのレスを読ませて頂いて、また自分の中で分からなくなってきました。
>>847
で基本さんが書かれているように
>理を談じていたかと思うと情に流され・・・
という事でしょうか・・・?ちょっと違いますね。
でもレスを読ませて頂いて自分なりに納得したようでも、他のレスを読ませてもらってまた、揺れ動く・・・これではやっぱり分かったつもりでいた。としか言いようがありませんね。
>>847のように考えておられるにも関わらず、このような丁寧なレスをされる基本さんはすごい方だなー!!と思わずにはいられません。
かなり余談でした。すみません。
本題に戻ります。
火水風さんのレスと重なってしまうかもしれませんが・・・
私なりに書かせて頂きます。
親神様は世界一列皆兄弟 他人というはさらにない。と教えて頂いています。その中でもお引き寄せ頂いている者とそうでは無い者とがいる。また、お引き寄せ頂いた中にも用木として親神様の道具として使って頂ける人間と引き寄せては頂けたが使って頂けない人間がいる。
という事ですよね。はっきり2〜3通りに分かれるものかどうかも分かりませんが・・・?
その分け方がとくのある無いという事になってくるのでしょうか?
私はとくという事が今ひとつ分かりかねているのでここで使ってもいいものか・・・と迷ったのですが他に書きようが無いので・・・。
お引き寄せ頂いた者の中でこれは!!と見込んだ人間には本当に用木として使えるか厳しいお手入れをされ、ためされ、その人の成人を促して下さり、ようぼくとして使って頂けるようになる。
結局、どのようなお手引きを頂いた者でもその後、親神様から何らかのためしを経て用木として成人させて頂ける。
日々の通り方で親神様からのためしと悟らせて頂けるかそうでないかが分かれてくるのかもしれない。と思いました。そしてためしがあったときには慌てふためく事無く、静かに悟り、成人の道を歩む事ができるよう通らせて頂く事が肝心ではないかと・・・。
人間は人の痛みを分かろうとしても本当には分かるものではありません。やはり、自分の身の上に身上、事情を頂いて初めて痛みを知る事ができるのではないか・・・と思います。
ですからやはり基本さんが言われているように本当に用木として使って頂ける人間は自分の身の上に何らかのおさわりを頂いた上でお使い頂ける用木とならせて頂けるように思います。
ご自分で身上、事情を頂かれてその事を台としてお話し下される方は心から親神様を感じておられ、こちらもついつい引き込まれてしまい親神様に好かれているように感じます。そういった事からも今回、基本さんが言われた内容が理解できたような気がします。
基本さん、火水風さんどうでしょう?
- [860]どん 05/10/07 00:02 3mlfECpCjR
- >>859
くろさん、横からすみません。
>親神様に好かれているように感じます。
親神様に好かれていない人なんていないと思いますよ(^_^)
- [861]くろ 05/10/07 02:33 zXF5IavSRi
- どんさん読んで下さって有難うございます!!
う〜ん!!そうですか??
私の大好きな教会の奥さんは
「何度も無い命を助けられた。だから毎日有難くて仕方が無い・・・!!」ってお話ししてくれます。
本当に凄い人だな〜って思うんですが、何度も無い命を助けられた。って事はやっぱり神様があなたはまだまだ出直してはいけませんよ〜
!!生きて、陽気暮らしして楽しませてよ〜って思われているように思うんですが・・・。これは好かれているのでは・・・??
好かれていない人は・・・なのでこの方が特別ではないのかもしれませんね。きっとそうですね。好かれていない人なんていないですね。
どんさんにはいつも心を軽くして頂けます。有難うございます。
- [862]基本。 05/10/07 04:12 lsHkXbCdIA
- 火水風さんのご質問ですが、
>>858@についてです。
地場に寄せられたと言う事は、それだけでは「道に付いた」と言う事にならないと言う事です。
「多く寄せた木」でも、用木にならない事があるように、寄せられたと言う事は、神様の思いのあるところですが、それは道に付けるのか付けないのかと言う事とは、次元の違う事と言う事です。
教組を拘引に来た警官も、神が寄せたのですし、異端や反対者も、神が寄せたのです。
病たすけを願って来た人々も神が寄せたように、道に付くと言う事とは無関係に、神が寄せたと言う事、それがひながたの事実です。
金剛院も、みな、神が寄せた。
道に付かないものも、付くものも、神様が引き寄せているのが、地場です。
その、引き寄せるというお手引と、身に手入れするお手引きとは、一方は「花」、一方は「道具・用木」という、違いです。
それは、一方は「猫に小判」、一方は「玉に分銅」、という違いでもあります。
「普請=陽気暮らし世界建設」の道具・用木は、道に付いた人。
それに対して、普請には役に立たないけれど、賑わして下さる人は「花」です。花は、普請には役に立たないので、道には付けないという事になります。
身上なくして付いたというのは、花のような付き方であり、「用木」の付き方では無いと、違いとして、はっきりしています。
> Aについてです。
> ここの「身上なくして付く」と言う事は、入信ということでよろしいのでしょうか。
「付く」と言う事は、入信、信者になると言う事の意味です。
> もし、自分の身上からではなく引き寄せられて、信仰を続けてた人(その間に身上にお知らせ頂く事はあるでしょう)は、
基本さんとしては、OKなのですか。
私が、というよりも、理としては、妻や兄弟やの病気からという、そういう信心の中から、親神様から、今度は本人に手入れがあり、ためしを経て、用木になると言う事が普通です。
> それとも、自分自身に身上を頂いての入信で無いと、信仰が続かない事(「一寸咲いた花」)になると言う事ですか。
普請に使えるような道具としての、用木としての信仰は、出来ない。
みなの賑わいにはなりますよね。
でも、そのままでは、枯れておしまいと言う事です。
> B仮にですが、自分自身に身上を頂いての入信で無いと、信仰が続かない事(「一寸咲いた花」)という事であれば、
本席様は、どう捉えておられますか。
本席様は、ご存知の通り、自分自身の身上からの入信ではなく、妻のおさとさんの身上からですよね。
元冶元年のその段階では、伊蔵様は、「用木・道具」ではありません。
教組から、お屋敷に来るように言われても、行かなくて、本人や家族の身上から、教祖の言う事に従っています。
身上への急き込みから、お屋敷の道具となったわけです。
子供というのは十五歳までは親の心を映しますから、親に対するお手入れと言う事です。
- [863]基本。 05/10/07 04:17 lsHkXbCdIA
- >>859
くろさんのご質問ですが、
>その分け方がとくのある無いという事になってくるのでしょうか?
それは、全く関係ありません。
道具というのは、釘を打ちたいからかなづちが、木を切りたいからのこぎりが、と、そのときその場での、親神様の都合です。
「よい道具、あしき道具合わせて出来る」と言われておりまして、道具として使われたから、「徳がある」と言う事には、ならないと言う事です。
しかし、使われる側になれば、使っていただけたら、嬉しい限りです。
- [864]基本。 05/10/07 04:39 lsHkXbCdIA
- 火水風さん。
ご質問への回答が十分では無いと思いますので、補足します。
> Cよふぼくになるには、「手引き」だけでは、不十分で「ためし」を経ないとよふぼくになれないという事を言われているんですよね。
ここまでは、基本の言いたいことのほんの一部です。
「ためし」と言うのは、入学試験みたいなもので、間違いの無い全高校生中トップの学力というような、凄い信心の人でも、「ためし」がなければ、使えないのが、理の原則です。
その、ためしの重要性をお話したかったわけではありません。
真柱様の講話を引用されていた事が、発端でした。
その、真柱様には、日々に神様からの手引があると言う事を、火水風さんの認識に、入れて欲しかった。
これが何よりの、基本の言いたかった事です。
「ためし」なんてものは、神様の都合で発生するのだから、来てから考えればよいとして、実力は、身に付けておかねばならない。
その、実力というのは、日々常に、神様の理と共にあると言う事になります。
そして、その実力の、第一人者としての、真柱様ということ。
講話の意味も、日々常に、実力を身に付けておけという意味であること。
これをお伝えたかったわけです。
火水風さんは、その点の認識で、身上とは、日々に手入れや手引があるものだという古い信心の常識を、一度ご検討下さい。
- [865]基本。 05/10/07 04:55 lsHkXbCdIA
- >>831
> 身上にお手入れを頂き、事情になって、慌ててたすけを求めるのは、
> 信仰も初代のころの人が考えることであって、…私たちのように
代を重ねた者は、そうした姿をみせていただいて、初めて気がついて
> 慌てふためいていることでは、もう遅いのであります。
> そうした姿を見せていただかずにすむ道を訪ねていくことが、
> 今日の私たちの大切な心得である…。
と、火水風さんは、真柱様の講話を引用されました。
代を重ねたものは、そうした姿を見せて頂かずにすむ道を訪ねていけと、真柱様は言われているわけです。
たずねて行けと言う事は、何をどうしたら、「そうした姿を見せて頂かずにすむ道」を心得たと言う事になるのでしょうか。
これが、核心です。
用木には、「毎日のように、と、言うよりも、毎分のように、」手入れ、手引があって当たり前なのです。
この、当たり前を、
たまたまそういう事がある、にすりかえてはならない。
ここの問題が、火水風さんの投稿の中で、重大でした。
昔の信者は、おさづけを頂く前に、もうおたすけをしていました。
理と共にいきているから、おさづけを頂かなくとも、多くの人をたすけています。
問題は、実力にある。
その実力とは、神様からどれだけ、手引の身上が、身への知らせが、頂けるのかと言う事に、尽きてしまうのです。
用木にては手入れすると、神様はそう言われているからです。
- [866]基本。 05/10/07 05:06 lsHkXbCdIA
- >>865
火水風さんの、引用の講話ですが、(>>831)
真柱様は、
>私たちのように
と、言われています。
> 今日の私たちの大切な心得である…。
と、言われています。
つまり、心得の道に、真柱様はいると言う事です。
身上や事情に、あわてふためかなくても、良いのは、「精通」しているからです。
「身上の理」や「事情の理」に精通しているから、慌てふためかない道を心得なさいと、諭せるのです。
それは、現実として、
> その、真柱様には、日々に神様からの手引があると言う事を、火水風さんの認識に、入れて欲しかった。
>
その当人だと言う事です。
「用木の中の用木」、それが「真柱様」です。
用木には、手入れ手引が、あって当たり前です。
その真柱様のように、日々に身の内への、親神様からのお知らせのあるような道具になるための、認識を、深く持っていただきたかったのです。
それが、基本の、言いたかった事です。
- [867]火水風168 05/10/07 07:36 rO1pjRnKHy
- 基本さん、ご丁寧な回答どうもありがとうございました。
お手数を、お掛けしました。今後の参考にさせて頂きます。
これからも、また、よろしくお願いします。
PS くろさん、こんな私でも、お声掛けいただいてありがとうございます。
今日は、これから出たりしますので、すみませんが、また改めまして。
- [868]火水風168 05/10/07 17:36 rO1pjRnKHy
- >>859 くろさんへ。的外れでしたら、すみません。
三代真柱様は、おやさまのひながたについて、
「達者なものでなければ通れない道じゃない。また身上にお手入れを頂いている者だけが通れる道でもない。
身上が達者な者でも、あるいはお手入れを頂いている者でも、心一つによって、喜び勇んで通らせてもらうことの
できる道を、教祖はお通り下さった。私は、ここにこそ、万人(ばんにん)のたどるべき手本ひながたのひながたたる
所以(ゆえん)があると思うんです。」(R.150)
「分からん者でも教えられる通りに通らせていただく、そのうちにだんだんだんだんとわからせてもらうことができる道
(略)すなわち、万人の通れる道なんです。ただ、問題は、通ろうという気があるかないかということだけなんです。
通る気さえあれば、どんな人だって通れる道なのです。」(R.150)
と、お話下さっています。
私としては、心一つで、誰でも喜び勇んで通れる道と言う事が、ありがたいと思っています。
教えられる通りに、そして、心一つというのが、重要なのでしょうけれど…。
くろさんのご意見、特に、
>人間は人の痛みを分かろうとしても本当には分かるものではありません。やはり、自分の身の上に身上、事情を頂いて初めて痛
みを知る事ができるのではないか・・・と思います。
☆最近は、痛感しています。>>806 自分自身死に直面した事は、意識の中ではありませんので。
車の事故ですが、「もう五センチ走っていたら命無かったな」と言われた事はありますが。
>ですからやはり基本さんが言われているように本当に用木として使って頂ける人間は自分の身の上に何らかのおさわりを頂いた
上でお使い頂ける用木とならせて頂けるように思います。
☆視点が異なるかもしれませんが、
身上のお障りを頂いた上で「お使い頂ける」というより、「お使い頂きやすい」という方が、
今の自分にはしっくり来ます。揚げ足気味?で失礼、です。
例えば、事情から入信して、おさづけを頂かれて、おさづけの取次ぎ(おたすけ)などをされている方も、おられます。
事情で困っている人には、事情のおたすけに掛かりやすい人も必要だと思いますし…。
※事情のおたすけも、人間思案でしょうが、難しい。身上と事情のあわせ技もありますしね…。
要するに、「よふぼく」として成人の度合い?、あるいは、いわゆる「道具」としてのポジション?が
異なるというところでしょうか。
長いことお使い頂けるか、短い間しか使って頂けないかもあるでしょうけれど…。
間さに使う道具もあり、一寸使う道具もあり、使うてみて使い良いのは日々に使う道具もあり…
くろさんのご意見のように、身上の方の心に近づきやすいのは、身上を通して成人されている方でしょうね。
また、身上の方のほうが、親神様のご守護感じていただきやすい様ですしね。
>>863 基本さんの、
>その分け方がとくのある無いという事になってくるのでしょうか?
それは、全く関係ありません。
道具というのは、釘を打ちたいからかなづちが、木を切りたいからのこぎりが、と、そのときその場での、親神様の都合です。
☆ですね。
>ご自分で身上、事情を頂かれてその事を台としてお話し下される方は心から親神様を感じておられ、こちらもついつい引き込ま
れてしまい親神様に好かれているように感じます。
☆そうですね。
>>860 どんさん的に、
>親神様に好かれていない人なんていないと思いますよ(^_^)
と言うことで。
私的には、基本さん、文面では鋭い面を感じてしまう事があります(率直な思いで失礼、です)が、
会って話すと、きっといい人だと感じています。くろさんも、です。他にも良い人いっぱい…。
いわゆる世間的ですが、出会う人皆、人生の師匠だと思いたいですね…心一つで。
※私としては、例えて言うなら、目指すは「よふぼく山」の頂上ですが、
無理せず、出来る事なら裾野の人たちと共々に上ってゆけるといいですね。
そのためには、「装備」「技術」が伴う必要があるとは思います。
おやさま、みなさん、ありがとうございます。
- [869]火水風168 05/10/07 18:00 *XXx7pk7E9Ql*rO1pjRnKHy
- 続けてすみません。
最近あったことですが、歴史的事件をもとに小説風に、
二人は仲が良い方だった。
しかし、ある事件が発端で、意見の食い違いが起こった。
「話せば分かる。」
「問答無用。」
目には見えない氷の河が、突然二人の前に横たわった瞬間だった。
また、次のハードル、おやさま、ありがとうございます。
- [870]おともだち 05/10/07 21:53 tIQ6IV384o
- 基本様、ご無沙汰しております。
覚えておいででしょうか?
ここで活躍されてたのですね。
最近諸事情でネットと離れていたので
またじっくり拝見させていただきます。
まずは挨拶まで。
- [871]火水風168 05/10/07 22:36 *J49rWUsAgLM*rO1pjRnKHy
- 追補
>>868
「いい人」を、私的に好感度が持てそう。な方と、しておきましょう。
※>>675 あたりで「いい人」論争?が、行われていたようで、
再び勃発をさけるため、訂正いれておきます。
- [872]くろ 05/10/07 23:45 zXF5IavSRi
- >>863
基本さん。レスありがとうございます。
私は色々な場面で神様が働いて下さっているな〜と思わせて頂きます。本当は日々ず〜っと思っているのが当たり前!!基本さんでいう基本だと思いますが・・・私にはまだまだです。
1つ体験を書かせて頂くと、
月次祭に骨髄の病気で貧血の強い方が無理をして参拝に来られていました。調度日曜日で子供達も教会に居たのですが、感染系の夏風邪をひいてまして、他の方(特にその方)にうつしてはいけないと、部屋に隔離していたんですが、出てきてしまい、その信者さんはとても子供を好きな方で一緒に遊んで下さっていたんです。私はヒヤヒヤしていましたが、もう仕方がありません。白血球も少なく、抵抗力も弱いのでうつったら大変な事になります。看護婦をしていたので、この辺は知識として持っていました。
私はもしその方が熱を出されるようであれば私に代わりに熱を出させて下さい。と神様にお願いしました。次の日それまで子供とずっと一緒に居ても、何とも無かったのに、急に39度以上の熱が出ました。とてもしんどかったんですが、神様に本当に感謝し、もしあの方が発熱でもしていたら・・・とゾッとしました。その方は何も無く、過ごさせて頂けました。
まさに神業としか言いようがありません。
神様を身を持って感じさせて頂ける。有難い事です。
使いやすい道具にならせて頂きたいです。
- [873]くろ 05/10/08 00:13 zXF5IavSRi
- >>868
火水風さん。レスを下さって有難うございます。
私は最初基本さんと火水風さんのやりとりを読ませて頂いて、
ためし(身上、事情ですよね?)が無いと用木では無い!!と言い切られている基本さんにどのような事からそのように思案されたのか?
疑問を持ちました。その内容を読ませて頂いて、自分の体験等からも理解したつもりでいます。
だれでも通れる道!!その通りです。人それぞれに役割があり、その場その場で色々な道具として使われるのでしょう。その時に神様はいきなり使うことは無く、まず引き寄せ、そしてためされ、順々に使われるという事では無いでしょうか?私はそのように思案させて頂きました。
あまり難しくなってくるとついて行けなくなるので、簡単に書かせて貰いました。すみません。
- [874]うしかめ 05/10/08 03:48 *Cf3U.3UwK14*g4WTkGJCvH
- 大変遅くなりましたが、皆さん丁寧なご返事ありがとうございます。
とても考えさせられます。
>>844 傍陽気さんありがとうございます。
今は学生にしかできないことをたっぷりやっておこう!
と思います。勉強、スポーツ、人付き合い…等々、
とにかく興味を持ったことには多少背伸びしてもぶつかっていこうと考えてます。
今の生活はホント充実してるし、また楽しくもあり、今までは考えられなかった自分が多く感じられて嬉しさがこみ上げてきます。
また、今日は母から電話がきましたが、多くの周りの方に支えられてることに感謝です。本当は日ごろから感謝してなければいけないんでしょうけど。
これからも皆さんの意見から勉強させて頂きたいと思います。
- [875]基本。 05/10/08 04:20 NxS2OxwyBI
- >>873
くろさんの言われる通りだと思います。
> その時に神様はいきなり使うことは無く、まず引き寄せ、そしてためされ、順々に使われるという事では無いでしょうか?
>
くろさんは、神様にお願いをなされて、
> 私はもしその方が熱を出されるようであれば私に代わりに熱を出させて下さい。と神様にお願いしました。
> 次の日それまで子供とずっと一緒に居ても、何とも無かったのに、急に39度以上の熱が出ました。
> とてもしんどかったんですが、神様に本当に感謝し、もしあの方が発熱でもしていたら・・・とゾッとしました。
> その方は何も無く、過ごさせて頂けました。
まさに神業としか言いようがありません。
この、身上にお働き下さると言う事が、「用木」くろさんの、用木である証拠です。
その証拠から、「ためし」に入ることもあり、入らぬ事もあり、全ては親神様のおはからいですが、「願う事なくしては」信心ではない。
くろさんが、お話くださったような願いを、日々に願い続けるときに、「用木」の日常となると、そのように教えられているわけです。
>>868
火水風さん、火水風さんて、とても幸福な方だと思います。
基本という人は、とても、鋭利な刃物で、優しい人ではないのです。
くろさんが、いてくださったと言う事の、強運を、感謝します。
火水風さんは、
>本当に用木として使って頂ける人間は自分の身の上に何らかのおさわりを頂いた上でお使い頂ける用木とならせて頂けるように思います。
>
と、まだこんな事を述べておられました。
基本は最初から、自分の例をあげて、「身上手入れを神に願う」と言う事を、紹介していました。
それは、古い信仰では基本です。
「神様からのおさわりを待つ」というのは、「神様に願っていない態度です。」
それを、「花」と、また、「猫に小判」と、例にして、基本は厳しく、詰めていたわけです。
「聞きたくば、尋ね来るなら言うて聞かす」であり、尋ねなければ、教えないのが教祖の、神意です。
「願う心のまことに、見えてくるりやくが神の姿」です。
「願う」、それが「まことの心で願う」
そこに、りやくを見せて頂いて、「ためし」になります。
ここの一点を、「願う事」を、基本は語り続けていたのですが、火水風さんは、積極的に道のために頑張っておられるのに、「身へのお働きを願っていない」、用木以前のままでいようとしている。
神様は、心違いがあれば印として身上を出します。が、それは、そのサインを待ち望む者にしか出さない。願わないものには出さない。
くろさんが、補足してくれなければ、基本は、それ以上何も語らなかったと思います。
運が良いと言う事は、「教組に可愛がられている」と言う事に他なりません。
「願う心のまこと」にて、神様に、「違いあるなら身上にお知らせ下さい」と願い、「どうぞわが身に身上下さい」と願い、それで、「ようぼくの普通」です。
- [876]基本。 05/10/08 05:33 NxS2OxwyBI
- 優しい基本さんの方であればよいのですが、火水風さんにです。
>>869
> 二人は仲が良い方だった。
> ある事件が発端で、意見の食い違いが起こった。
> 「話せば分かる。」
> 「問答無用。」
> 目には見えない氷の河が、突然二人の前に横たわった瞬間だった。
この、歴史小説風の話題は、ユーモアをまず感じて笑ってしまいました。
「意見の食い違いがあった」
と、言う事は、事前に意見の相違を知る状態、なんらかの「話し合いの存在」を意味しています。
Aさんの意見とBさんの意見が、食い違っていた。
そして、対立したわけですから、Aさんの、「話せば分かる」は、それだけ聞くと、ギャグですよね。
例えば、Aさんが俺は正しいと思うと言い、Bさんが正しくないと思うと言い、対立したとします。
○か×かで対立した場合に、
Aさん、「話せば分かる」は、まさに、お笑いです。
話したら、○が×になるとしたら、Aさんそのものがお笑いです。
逆に、話したら×が○になると言う事なら、「俺の言う事に従え」という意味でしか編ませんよね。
「話せば分かる」と言うのは、何も意見交換の無いときならともかく、意見の相違を完全に見てしまった後では、「俺我慢する」とか、「あんた譲ってくれ」とか、そういう交渉以外には、道はないのですから、「話せば分かる」と言われたら、もう絶対こいつとは話したくないとの、リアクションを産んでしまうものです。
神様は、「言わん、言えんの理」と、諭されていますよね。
言わないでいれば、何かあったときには、「話せば分かる」と言う言葉には、有意義な忌みがある事になりますが、事前に語りすぎていると、「話せば分かる」にたいしては、「今更聞きたくも無い」になると言う事です。
「これは言わん」「これは言えん」と、日常から、言いたいことも伏せてしまう事を怠ると、語っていないことまでも、相手に伝わっていて、いつの間にか、深い溝となります。
そういう、ドラマとして、読ませて頂きました。
- [877]火水風168 05/10/08 07:49 rO1pjRnKHy
- 基本さんへ
>>876 中々鋭いですね。
ここでは、詳しい内容は書きませんので、状況を図りにくく、受け取り方に微妙な差はあるとしても、
この二人、仰るとおり、
以前から、心の中にある、わだかまりを、小さいうちから出さずにいて、
「ある事件」は、いわゆる「引き金」とも言うのでしょうか。
お互いにとって良くない状況で、表に出てしまった、という事ですね。
お互い相手に対しての、心のすれ違いが。
片方は言う。言った方はその時は気がすんでいるが、言われた方は我慢する。
そんな事をお互い繰り返していてた事が多いようですね。(つづく?)
私的には、この状況続いて欲しくないのですが…。
早速の基本さん的教理解説ありがとうございました。
おやさま、ありがとうございます。
- [878]思い出 05/10/09 01:03 LUHJyRnEGG
- 初めて書かせていただきます、自分は親戚に天理教信者がいる関係で、小さな頃からおぢば帰りに参加させて頂いていました、その影響で天理教(天理市とか街の雰囲気が)が今でも大好きです、年に一度おぢば帰りの時期にあわせて社会人になった今でも個人的に天理に旅行するほどです、ただ現状ではありますが私は無神論者です、ここに書かれている聡明な方々にはお解かりいただけるとは思いますが、教理云々よりも、宗教に偏る自分に対する怖れがあるからです。
そこで一つ質問をしてみたいと考え、ここに書き込ませてもらいました、出来る限り自分のなかの不明瞭な部分を失くしたく思います。
大本の部分になると思いますが、天理教は一神教です、他宗教を認める認めない、人間的な部分で認めることは大切な事です、しかし教理としてみれば認めることは出来ないはずです。実際の信者さんはどのようにお考えなのでしょうか?人間として、信者として、両面からのお話を聞かせていただきたく思います。
- [879]火水風168 05/10/09 08:49 *Manq19pPrdA*rO1pjRnKHy
- >>878 思い出さん、はじめまして。
火水風168 と申します。
こどもおぢばがえり、本当に様々な方が帰っておられますね。
ある時、私の仕事の得意先の奥さんに、
「天理って言ったら、おぢばがえりやろ。子供の時に行った事あるよ。」
と、言われて何だかうれしくなった事を思い出しました。
まずは、
>教理としてみれば認めることは出来ないはずです。
と言う事ですが、おやさま(教祖)の逸話をご紹介させていただきます。
要約いたします。
桝井キクさんという方がおられ、夫の伊三郎さんが、風邪からぜんそくになって治らない。
この方、信心は好きな方で、近くの詣り所、願い所で、足の運ばないところはほとんど無かった。
ある時、お隣の矢追仙助さんからすすめられて、おぢばへ帰られます。
その時教祖は、
「あんた、あっちこっちとえらい遠回りをしておいでたんやなあ。おかしいなあ。
ここへお出でたら、皆んなおいでになるのに。」
と、仰せられて、やさしくお笑いになった。このお言葉を聞いて、
「ほんに成る程、これこそ本当の親や。」
と、何とも言えない慕わしさが、キクさんの胸の底にしみ渡り、強い感激に打たれたそうです。
また、私たち人間を親神様がお創りになられて、おやさまの口を通して、親神様自らがよろづいさいのもとを
説き明かされはじめられた、今を去ること168年前の天保9年10月26日までの、その間は、
私たち人間に知恵や文字などをお仕込み下さった期間であると教えて頂いています。
様々な、いわゆる宗教の教えなども、その仕込みの一部であると言われています。
ですから、一神教と言う観念はありますが、全てを包み込むという面をもたれています。
取り合えず、せっかくの書き込みにお答えさせて頂ければ、と思ったのですが、
今から所用で出ますので、中途半端、不明瞭な点お許しください。つづきは、またいずれ。
- [880]火水風168 05/10/09 21:02 *J49rWUsAgLM*rO1pjRnKHy
- 思い出さんへ 失礼致しました。
うちは私で、天理教の信仰が四代目ですが、
通っていた幼稚園が仏教系で、当時仏様のうたなども歌っていました。
それが良かったのかも知れません。当時から、祈ったりする事は、抵抗がありませんでした。
このスレの話題の中にもありましたが、仕事についてからは、創価学会のおばさんや、
社長さんたちとも、付き合わせて頂いていました。
私が、天理教を信仰していると言うことを、ご存知の上でです。
勤め先でも、天聖真美会の方とよく語り合いました。
論争ではなく、信仰者としてのそれぞれの勤め方などです。
他にも、にをいがけに行った先が、神社の信徒総代をされているお宅で、
一時間程度、色々とお話を窺ったりさせて頂いた時もあります。
私的には、未信者(信仰者・他宗教者など)の方が、
教えにせよ、おたすけにせよ、求めておられるなら、
直接、教理のお話なり、させて頂くということですかね。
もちろん、全てがそうではありませんが。
以前、うちの教会の所属ではないのですが、わりと近くに住んでいる方で、
天理教からキリスト教に信仰を変えられた方が居ました。
色々と思いもありましたが、ある程度事情も知っていましたので、
今は、それはそれで良かったのだと思っています。
親神様は、形を変えてでも、その人にふさわしいたすけの場所を、
お与え下されたのだと思っています。
>>879 のレスの教えがあるからですけど。
また、いづれこの信仰に戻られる日もあるかも知れません。
たまにですが、今もお会いした時は、お互いから話しをしています。
まだまだ未経験、限られた世間での体験ですが、
今書き込める事は、これぐらいですかね。
おやさま、思い出さん、ありがとうございます。
- [881]どん 05/10/09 22:47 3mlfECpCjR
- >>878
思い出さん、こんにちは。
信者として、また人間として、ということで、私なりに回答させて頂きます。
信者としては、教祖のお言葉を第一に考えています。
火水風168さんもご紹介くださっていますが、教祖伝逸話篇という本に、
以下のような逸話も載っています。ご紹介致します。
108登る道は幾筋も
今川清次郎は、長年胃を病んでいた。法華を熱心に信仰し、家に僧侶を請じ、
自分もまたいつも祈祷していた。が、それによって、人の病気は助かることはあっても、
自分の胃病は少しも治らなかった。そんなある日、近所の竹屋のおかみから、
「お宅は法華に凝っているから、話は聞かれないやろうけれども、結構な神様が
ありますのや。」と、言われたので、「どういうお話か、一度聞かしてもらおう。」という
ことになり、お願いしたところ、お道の話を聞かして頂き、三日三夜のお願いで、
三十年来の胃病をすっかりご守護頂いた。明治十五年頃のことである。
それで、寺はすっきり断って、一条(ひとすじ)にこの道を信心させて頂こうと、
心を定め、名前も聖次郎と改めた。こうして、おぢばに帰らせて頂き、
教祖にお目通りさせて頂いた時、教祖は、
「あんた、富士山を知っていますか。頂上は一つやけれども、登る道は
幾筋もありますで。どの道通って来るのも同じやで。」
と、結構なお言葉を頂き、暖かい親心に感激した。(以下略)
いろいろな解釈が成り立つと思いますが、私は単純に、天理教は他宗教を
否定しないんだ、と受け取っています。
それから、人間として、ですが、私が、創造神にて絶対の神を信じているとして、
思い出さんが神を信じていないとして、同じ人間なのに、私の信念を、価値観を
思い出さんの信念なり価値観よりも優先させることが出来ましょうか。
同じ人間として、対等の人格を持っている者として、自分の信念を大切にするなら、
同時に、他人の信念も、それはそれとして認めざるを得ないと思います。
その他人の信念が、自分の信念と相容れない内容であっても、です。
そうでないと、単なる独善になってしまうと思います。
神が人間に自由意志を与えたのは、他人のそれを奪うためではない、と私は思っています。
- [882]どん 05/10/09 23:21 3mlfECpCjR
- >>861
くろさん、ありがとうございます。
>何度も無い命を助けられたって事はやっぱり神様が
>あなたはまだまだ出直してはいけませんよ〜!!
>生きて、陽気暮らしして楽しませてよ〜って思われているように思うんですが・・・。
>これは好かれているのでは・・・??
確かに、そう思うことあります。
「この人、絶対、神様に好かれてるんやで」って思う人、いらっしゃいますね。
特別に神様に好かれているように(私には)思えるという人、いらっしゃいます。
でも、くろさんも仰って下さいましたが、その人だけが特別じゃないんですよ。
きっと、くろさんも特別で、私も特別で、みんな、みんな、特別なんだと思います。
- [883]くろ 05/10/10 00:57 zXF5IavSRi
- >>882
どんさん こんばんは!!
みんな特別!!本当にそうですね。
奇跡が重なって命が生まれ、生きているのも奇跡の連続です。
そう考えると皆が特別と考えるほうがあっていると思います。
尊い命を頂いているわけですから、大切にしていかなければいけないな〜ってつくづく感じました。
- [884]火水風168 05/10/10 09:32 *Xnd4bzwxCda*rO1pjRnKHy
- >>883
>奇跡が重なって命が生まれ、生きているのも奇跡の連続です。
と言う、くろさんの言葉についてと言いますか、付け加えと言いますか、
未熟な私が経験し改めて実感した事を、くろさん的言葉で言いますと、
「出直しも奇跡です。」(この場合は、いわゆる死)
ある所に、おばあちゃんがいました。
そのおばあちゃん、ある朝、ゴミを出しに行ったきり帰って来ません。
家族が心配し始めた頃、近所のおばさんが駆け込んできました。
そして、家族が掛けつけた時、おばあちゃんは、出直していました。
あまりに突然の事、家族は動転し悲嘆にくれます。
駆けつけた私も、心にあふれていたのは、悲しみばかり。
でも、後である方が、「ご守護を頂いたね」と言う言葉に、
心に染み渡りました。「出直しもご守護」。
実は、そのおばあちゃん、ご主人のお母さん、そして、ご主人。
二人とも同時ではないのですが、長患いで、
来る日も来る日も、看病をされていたのです。おばあちゃん、
「死ぬ時は、人の手を煩わせずに、逝きたい」
と、言っていたそうです。
看病の話を聞いた瞬間、私は思わず、
「おばあちゃんよかったね」
と、思いました。
もっと長生きして欲しかったという周囲の思いもありますし、
本人の思いもあったでしょう。
しかし、誰の手を煩わせる事も無く逝かれた。
親神様・おやさまの親心は、私たち人間の思いをはるかに超えている。
そう思えた出来事でした。
私事ですみません。
おやさま、くろさん、どんさん、ありがとうございます。
- [885]火水風168 05/10/10 12:42 rO1pjRnKHy
- 加筆します。
>>884
>家族が心配し始めた頃、近所のおばさんが駆け込んできました。
と、
>そして、家族が掛けつけた時、おばあちゃんは、出直していました。
の間に、
ごみ置き場の側で、おばあちゃんが倒れていると言うのです。
を付け加えてお読み下さい。
- [886]くろ 05/10/10 16:37 zXF5IavSRi
- 火水風さんありがとうございます。
私も看護婦をしている時にまだまだ若くて未熟で患者さんの死がどうしても受け入れられず、なぜこんなにいい人が・・・。と思い悩んだ事があります。
その時、父に「出直しも神様の守護なんやで。」と言われ、はっとしました。苦しくても苦しくても生き続ける方も大勢見てきて、人間は死ぬ事すら自分の力ではどうする事も出来ないんだ。とつくづく感じていたからです。
それから私自身の死生観も変わりました。少し変わっているかもしれませんが、生きる事に余り執着はありません。いつ出直してもいいから楽に出直したい!!これが私の目標です。
以前らくちんさんの投稿で老いは出直しがしやすくなるご守護と話されていた方のお話がありました。とても納得させられました。
親神様にもたれていればきっと良いようにして下さるだろう!!と思っています。
私の好きな言葉は
今日一日生涯・・・です。
なかなか実行できていないのが現実ですが・・・。
内容がちょっとずれてしまいました。すみません。
- [887]どん 05/10/12 00:53 3mlfECpCjR
- 亡くなった方のご家族なり関係者に対して、「ご守護を頂きましたね」とは、
今の私では、正直、言えません。
自分が信じることと、人に伝えることとの間には、大きな大きな違いがありますね。
やはり布教している人はすごい、と思います。
その言葉を言えるのが、すごいと思います。
また、「死ぬ時は、人の手を煩わせずに、逝きたい」という言葉も、非常に重く、
読ませて頂きました。以下、誤解を恐れずに書きますと、
看護なり介護でさんざん苦労したからこそ、自分は人に苦労をかけたくない、と、思う訳です。
看護・介護が心の底から楽しかったなら、そんなこと思わないはずです。
おばあちゃんは、お姑さんとご主人に、手を煩わせられたと思っていた、ということです。
長年の苦労から、お姑さんとご主人から、解放されてよかったね、ということです。
お姑さんとご主人も、人の手を煩わせずに逝ってくれればよかったのに、ということです。
だから、「(自分が)死ぬ時は、人の手を煩わせずに、逝きたい」なんでしょう。
しかし、これは私には、重い言葉です。
私も「息子が障害児で、おかげで多くのことを学ばせてもらって本当によかった、有難い」と、
思っているつもりですが、「ではあなたは息子さんを置いて今すぐ死んでもいいですか?」と
聞かれたら、やはり「この子を残しては死ねない」と思っている自分も、正直、あります。
障害に心底感謝しているなら、息子が障害児でよかったと心底思っているなら、人が私と
同じ経験をするのもすんなり受け入れられるはずなのに、実際は、我が子を誰かに任せるのが
申し訳ないと、そんなこと思っている自分に悲しくなります。
- [888]火水風168 05/10/12 07:42 *Manq19pPrdA*GoRGEoUS
- >>886 くろさんへ
私の「かみさん」も、看護師をさせて頂いていますが、
毎日が、人の生死と隣りあわせで、感情のコントロール?
大変だろうなと思います。
>>887 どんさんへ、レスありがとうございます。
本当に、文章だけで思いを述べるということは、難しいので、蛇足になるかもしれませんが、
>>884
人受け取り方は様々ですが、起きたその時、辛い事の中にも、必ず、
親神様から、喜べる(その時には、喜べなくても)ことを与えていただいている。
親心を掛けていただいている。
という事も、感じさせて頂いた出来事だったのです。
最後は、理屈ではないですね。
お掛けいただく親心に対しての「心の響き」とでも言うのでしょうか。
うまく書けなくて、すみません。
おやさま、ありがとうございます。
- [889]らくちん 05/10/12 08:28 UcWgg6vhao
- おはようございます(^^)
「死ぬ時は人の手を煩わせず逝きたい」
私もそう思う一人ですが、のべ15000人以上(この前数えてみたらこの位でした。ちょっとビックリ)の高齢者、障害者の皆さんと接してみて、人のてを「煩わせず」逝ける人が、一体どの位いるんだろう??と思います。医療・福祉のサービスは元より、家族や近隣のみなさんのお世話にならず、自立している方は本当に数える程です。仮に日常生活は自立していても、ちょっとした認知症などで、(介護に携わる人間として、思いたくない事ですけど・・・。)近隣に緊張感を与える事もあります。
例えば高齢者のみなさんは一般論として男女問わず良く言えばしっかり者、悪く言えば頑固、そしてもれなく人の世話になる事を、口では「ありがとう、助かるよ」と言いつつ、本音は自責の念で一杯で、恥かしい、情けないと言う気持ちでいるように思います。それまでの人生にプライドも持ってらっしゃるし、近頃の若モンは!!という思いもありますし・・・。その「近頃の若モン」に下の世話になったりする訳ですから、我が事に置き換えてみても、やっぱり情けなく、家族の中に居ても寂しい気持ちは拭えないと思います。だからこそ、私達介護に携わる人間は今、とっても質を問われていますよね。体のケアは教えてもらえば大抵の人は上手になります。でもこれからは、私達だから出来る心のケアが出来なければ、意味のないものになります。
私はいつも思うんですけど、歳を取ってからの環境と言うのは、その人の人生の集大成みたいに感じます。同じ90歳を過ぎて認知症のあるおばあちゃんでも、家族が「おばあちゃんが居てくれなきゃ困る」「おばあちゃんが今まで頑張ってくれたから、今度は私達の番」と、勇んでお世話しているお宅もあれば、わざわざ庭に小屋を建てて完全に隔離してしまっているお宅もあります。「おばあちゃんの為に」。
作られたビジネスライクな暖かさは、「最近の若いモン」でも分かります。「受け入れる」事が出来ない介護は、冷たいですよね。いくら便利なものに囲まれていても。まあ、お道的に言うなら、それまでの生き様なんでしょうけど・・・。
「普通」って簡単なようですけど、結構意識すると(意識しないのが普通なんでしょうけど・・・。)大変で、難しいですよね。どうしても、自分が思う「普通」でない状態にある人には「特別」と認識するんでしょうね。それは身体的な事に限らず、歳の違いでも、些細な事でしょっちゅう発生してる気がします。・・・ぶっちゃけ、お互い様の何者でもないんですけど(^^;
お世話する人、される人、ちょっとした気遣いのつもりが、溝になる事は往々にしてあります。だからもう、腹割って、人間同士で向き合ったらどうかな〜??と言うのはどうですか?
「手を煩わす」
なんて、寂しい言葉じゃないですか?
- [890]らくちん 05/10/12 14:57 UcWgg6vhao
- 続けてすみません。
自分で書いておきながら、どうも内容が気になって読み直しました。
よくよく読むと、かなり無神経で、言いっぱなしな文章でした。
傍目から見て、上に書いたように、別宅に住んでいる等は、ただ、冷たい扱いを受けている訳ではないかも知れません。本人が望んでの事かも知れないし、家族が受け入れる事を受け入れない方も、いらっしゃると思うと、上に書いた事は実に独り善がりで、勝手なものでした。
何が幸せかは外からはなかなか見えないものですし、一面を見て全てを推測して判断するのはあまりに軽率でした。介護の初歩なのに、調子に乗ってつらつらと書いてしまいました。
上の書き込みを読んで気を悪くされた方もいらしたと思います。
本当に、申し訳ありませんでした。しばらく頭を冷やします。
- [891]どん 05/10/13 00:30 3mlfECpCjR
- >>888
火水風168さんへ
よくわかっているつもりです。私の方こそ、うまく書けていません。
わが子が障害を抱えているから「重い」話なのではなくて、最近悩んでいるテーマというか、
「迷惑をかける」と「かけられる」、「傷つく」と「傷つける」といったことを考えながら
過ごしていたものですから、「これはなかなか考えさせられる話だなぁ」と思った次第です。
>>889
>口では「ありがとう、助かるよ」と言いつつ、本音は自責の念で一杯で
そんな訳で、難しいというか、気になるテーマです(^_^;)
- [892]火水風168 05/10/14 17:37 yM75dpjYs1
- 本日、神名流し。来月で、はじめさせて頂いて丸四年。
今月までに、させて頂いている間、雨が降ったという日は、
数えるほどしかなく、それも、不思議とアーケードの商店街を
歩いている時などで、ほとんど雨の心配なく、させて頂いています。
前日の天気予報では、降水確率70%が、今朝は50%。
早朝の会話。
「今日は、降るかも知れませんね。」
「大丈夫ですよ。」
そして、今まで降りもせず(空は、今にも泣き出しそう)。
おやさま、みなさん、ありがとうございます。
- [893]廿道楽さん廿 05/10/15 06:04 jXtrW0vT6h
- はじめまして。(o_ _)o))
質問なんですけど、
天理教に関係した職業って何があるか分かりますか?
- [894]火水風168 05/10/15 11:04 yM75dpjYs1
- 廿道楽さん廿、はじめまして。
>>893
>天理教に関係した職業
という事ですが、一般企業で、天理教の信者さんが経営されているということですか。
バリバリお道の御用をしながら、仕事したいと言う事ですか。
- [895]廿道楽さん廿 05/10/15 15:31 jXtrW0vT6h
- バリバリお道の御用をしながら、仕事したいと言う事ですね
- [896]火水風168 05/10/16 08:25 *Xnd4bzwxCda*yM75dpjYs1
- >>895
面接官みたいで、すみませんが、いわゆる世間での仕事の経験は、おありなのですか。
私の経験からすると、心の持ち方とはいえ、まずは、本部勤務か、バイトをお勧めします。
- [897]さき 05/10/16 23:32 *r2/4433ZzSv*yr735WU/C0
- はじめまして。初めてここの存在を知り、今やっと読み終えた次第です。(途中斜め読みでしたが。。)私は教会の娘で、現在天理大学で勉強させていただいています。頻繁には来れないかもわかりませnが、仲間に入れてください。
>>895 友達で、自教会の御用をしながらバイトをしている人がいます。やはり御用をしながらとなると、就職は厳しいと思います。どちらも中途半端になるのでは。。友達は、普通のバイトさえも難しいと言っていました。その人は派遣や短期でやっていっているそうです。お道の御用をしたいということなら、しっかり心をさだめ、教会青年か、本部への勤務を考えた方がいいと思います。
- [898]どん 05/10/17 00:19 pzJsySDy.P
- >>895
廿道楽さん廿さん、こんばんは。
悩ましい問題ですね。そもそも「御用」とは一体何なのか、ということが私自身、
今ひとつはっきりわかっていないところです。いわゆる「教会や本部」の御用なら、
教会や本部での雑事なり事務仕事だったりするのでしょうが。
しかし、家業と孝心を第一に励む中で、用木として、教祖の道具として、
世界だすけに寄与することこそが、「お道」の御用のような気もしたりします。
う〜ん、難しい..
>>897
さきさん、こんばんは。
ちょっと前からちょこちょこ参加させて頂いてます。
実家が、末端の布教所という、33才のようぼくです。
今後ともよろしくお願い致します。
- [899]火水風168 05/10/17 07:49 yM75dpjYs1
- 就職の事、つづく。
私的には、いわゆる「世上働き」をさせて頂いていましたが、その間、心は天理教?としても、
会社に勤めていますと、生活リズムは、どうしても、会社ペースということでしょうか。
教会の月次祭に、休む、休まないもそうですが、仕事も御用と言えば御用かもしれませんが、
中々どうして、実務処理が優先すると言う事も事実です。
福祉関係や介護関係でも、少なからず、「これでいいのかな」と言う場面に遭遇するようです。
仕事と言う口実で、割り切り、傍から見ると「逃げと違う?」と、思う方も居られますが、
現実として、会社、いわゆる企業と言うものは、利潤追求なので、
心は二の次と言う場面があると言う事です。
利潤というものが無ければ、現実として、会社、病院でもそうです、つぶれてしまいます。
ハイリスク、ハイリターン。ローリスク、ハイリターン。
例えて言うなら、信仰の世界は、ギブアンドギブ。企業は、ギブアンドテイク。
なかなか、教祖の逸話編にあるように、自らの「さや」を少なくして、人様に喜んでいただくという、
経営理念の方は、少ないでしょう。
と、すると、この仕事は、本当に人様の為に、やむ終えずなのか?という仕事と信仰心との狭間に立つ。
そういう場面と多々遭遇します。全ての方が、そうとも言い切れませんがね。
「世上働き」をさせて頂くということは、私的には、大変良い事だったと思います。
色々な方と出会い、今も、夫々、歩む道は違いますが、つながっています。
私は、目に見えない「心の財産」をたくさん頂きました。
「御供え」の蔭に、させて頂く方のどれだけの苦労などの思いがあるのか。
という、意識と言いますか重みと言いますか、変わってくるのは、事実です。
いわゆる、「職場布教」の覚悟も居るでしょう。そして、先程の仕事と神様の御用と、
自分なりにきっちりと見定めて(区別するということではありません)、それなりの、
覚悟が必要だと言う事でしょうか。
おやさま、ありがとうございます。
- [900]労働者 05/10/17 11:32 MeQnUt/hU3
- 「世上働き」
誰が使い始めたことばなのだろう?
確かに働いてお金をかせぐ人々を見下すような、あほ会長もいる。
その会長自身がその金を一番欲しがってるのだ、大笑いだ。
ほとんどの人々は働いて稼いで税金を納める。その税金を配分することで
社会はある程度ろくじになる。まさに助け合いだ。
世情働きは教祖のひながただ。家業第一、おさしづではうるさいぐらい出てくる。
みなさん、神様のことを生んでくれた親と同じように考え、感じてますか?
神様にむかって、わがまま言ったって、甘えたっていいんですよ。
- [901]どん 05/10/17 19:53 pzJsySDy.P
- >>900
労働者さん、同感です。
教祖やこかん様の糸紡ぎ、秀司先生の青物売り、本席さまはじめ、
お屋敷の皆さまの畑仕事、正にひながた、ですね。
また、是非はあるかもしれませんが、相場も風呂屋もありました。
泉田藤吉先生は蒸し芋屋、中川およし先生も内職しながら、でした。
便所掃除も喜んですれば結構の理、また人の子を預かって育てるほどの
大きな助けはないとの逸話もありました。
農業などの第一次産業も、小売りという第二次産業も、育児という
第三次産業も、全てひながたにありました。
そのひながたを、見下すような天理教徒がいることは、残念なことです。
ひながたを素直に、労働を尊いものとして、日々を通りたいものです。
- [902]火水風168 05/10/17 20:15 *Manq19pPrdA*yM75dpjYs1
- 就職の事、つづく。
三代真柱様のお言葉。(R143)
「例えば、それは、教会生活に明け暮れしている者のみが考えたらいいことなんだ、
あるいは、すべてのことをうっちゃって、布教に専従しなければできないことである
というような考え方。私は、教祖のひながたの道を心からたどらせていただき、
味わせてもらうためには、そういう方法が一番いいとは思います。
しかしながら、そういう人でなければ、ひながたがたどれないのかということになれば、
決してそうじゃない。商売していても、会社へ勤めていても、私は、心一つによって、
教祖のひながたはたどれると思うんです。
教祖のひながたこそ、人間万人(ばんにん)のたどるべき、これは陽気ぐらしへの唯一の手本です。
特異な人だけがやれるんじゃない。みんなが、心一つによって味わえるひながたである。」
おやさま、ありがとうございます。
- [903]道の教職員 05/10/17 22:12 jzA.5eBqDG
- こんばんは。初めて投稿します。私は末端教会の後継者です。今は
教会から遠く離れた県にて小学校の教員をしています。仲間に入れて
もらえたらうれしいです。今後ともよろしくお願いします。
さて,今,私は「世上働き」をしている状態です。自らの手で
お金を稼ぎ,生活していくというのは世間では当たり前ですし,
人間として労働は自分の力を発揮するすばらしい行いだと思います。
子どもたちにもそうやって話をしていますし,必ず,働け!と言って
います。ニートさんもおられたのですが,自分の身は自分でなんとか
しなさいと言うのが私の口癖です。
教会ではお供えによって自分たちの生活をまかっていくということが
当たり前に行われていると思います。私はそれは間違いだと思います。
信者さんが心をこめてしてくださったお供えを自分たちの生活費に
することなどできません。自分の身は自分でなんとかする。お供えに
は手をつけない。これくらいの気構えが教会長にはあって然るべきだと
思います。しかし,それを世上働きやら道一条でないとダメだと言った
りしてなにやら下に見たような見方をする。その価値観がおかしいので
はないかと思います。働いて稼いで何が悪いというのでしょう。
働くことによってたくさんの人が助かるはずです。それのどこがいけな
いのでしょう。ご用に励まれる方がいる一方で世間で活躍する人がいて
もいいはず。どちらが上なんてことないと思います。天理教の教えは
まだまだ不勉強なので分かりませんが,自分の感覚的なものでこの意見
を書いています。
神一条の方もおられていいが,その方が一条で通れるようにバック
アップしていくのが私たち世上働きをしている者なのかなとも思います。
つべこべ言ってすみません。またのぞかせてください。
- [904]火水風168 05/10/18 07:32 yM75dpjYs1
- 一つの思い。古人曰く、
お「米」という字は、八十八と書いてお「米」。それだけの手が掛けてあるという事。
「いただきます」と、手を合わさせて頂く中に、
手をお掛け頂いた人への、感謝の念も添えていたという。
お米を一生懸命に作られていたのは、何も自分たちだけが、
食べるためではない。人様のおなかを満たす。
すなわち、それは、人を生かすということ。生きていただくという事。
漁師は、魚を取り、農家の人にとどけたり。
物を作る人は、みんなの暮らしが、楽になるように。
古来、物々交換ということは、お互いが、助け合うという一つの姿。
今もそれは、変わらないと思う。
あなたのお蔭で、私が暮らしていける。私もあなたや世の中の役に立てないかしら。
いくら売るものがたくさんあっても、買う人が居なければが何にも成らない。
欲しい物があっても、売ってもらう人がいなければどうしようもない。
売って頂いて有難う。買って頂いて有難う。
教えて頂いて有難う。共に、学んで頂いて有難う。
仕事に行ってくれて有難う。家事をしてくれて有難う。
夫々が、相手に託す思い、感謝の思い。
日々の生活に追われて、忘れたりしている時もあるけれど、
絶対に忘れてはならない、「皆さんのおかげ」。
「感謝」「慎み」「たすけあい」
心に活かしたい、せっかくのキーワード。
親神様、おやさま、御霊様、世界中のみなさんありがとうございます。
- [905]たるぽん 05/10/18 10:34 V-U/mUR
- マンションの部屋の壁越しに迷惑な騒音を鳴らす信者がいる新興宗教団体みたいだね
- [906]火水風168 05/10/18 23:46 *Manq19pPrdA*yM75dpjYs1
- 先日一緒に、神名流しをさせて頂いた方が、大変なご守護を頂いたという事を話して下さった。
少々年配の方なので、途中で足が痛くなってきたが、折り返し地点での路傍講演を入れて、
約一時間の距離を、最後まで歩き通された。
他の人が、途中で引き返してはどうですかと、気を遣って頂いたようですが、歩いて下さった。
曰く、
「神名を流すと同時に、自分の胸に仕えていた事や、子供の身上、そういったものを、流して下さった」
と、喜びの声を聞かせて頂いた。神名流し以来、子供さんの発作が起こらないらしい。
勇んで掛かれば、勇んで働く。
おやさま、ありがとうございます。
- [907]どん 05/10/19 11:01 NoRtmkCZfh
- >>903
道の教職員さん、こんにちは。今後ともよろしくお願いします。
>自分の身は自分でなんとかしなさい
同感です。自分のことは自分でするのがベースだと思います。
ただ、身の回りのことが出来なくなったご老人や、障害を抱えた人などは、
どうしても人の世話になってしまいますし、それが悪いことでは決してありませんから、
一人ひとりが、自分で出来る範囲のことは自分でやっていこう、ということですね。
話はちょっと変わりますが、子ども達には教えられることが沢山あります。
先日、娘が「お父さん、人間は見るとか聞くとか食べるとか、全部で何個あるの?」
と聞いてきたものですから、
「目で見る、耳で聞く、鼻で匂いをかぐ、口で味わう、手足で触る、の5つやで。」
と言いましたら、
「まだあるで。」
と言われました。私がどう答えようかなと思っていると、娘はすかさず
「それは、こころじゃ!」
と言いました。小学2年生の女の子が何故「じゃ」なんて助動詞を使うのか
不思議でしたが、「そうやね、こころで感じる、やね。」と応えて、
ちょっと幸せな気持ちになりました。
道の教職員さん、また学校でのお話などもお聞かせ頂ければ、と思います。
- [908]どん 05/10/19 11:16 NoRtmkCZfh
- 続けて失礼します。娘ネタでもうひとつ。1年程まえのことですが、
私と嫁さんが夫婦喧嘩して、家内が外出した後で、私が娘に
「お父さん、ついカッとなって怒ってしまったなあ。」と言いましたら、
娘はちょっと遠くを見るような目をして「あほぅ..」と言いました。
私がびっくりして、「そうか、お父さんはアホやな。」と言いましたら、
彼女は「あんな、アホってな、素晴らしい、っていう意味やで。」
と言って、にっこりしました。
後で聞いたら、クラスでそんな冗談を言い合うのが流行っているとのことでしたが、
子ども達の柔軟さというか素晴らしい感性に感服すると同時に、
教祖が娘の口を通じてそう仰って下さったのではないかな、と思って、
これまた幸せな気持ちになって、買物から帰った嫁さんに謝った次第です。
ここはこの世の極楽や、とは、地場に限った話ではないような気がしました。
- [909]道の教職員 05/10/22 17:45 jzA.5eBqDG
- どんさん,自分でなんとかするのはそれができる健康な人という
意味です。障害のある方や高齢の方などは健康な人達で支えていく
と私も思っています。
私も家庭をもち,子育てをしたいな〜と思います。なぜでしょうね。
なんとなくあこがれがあります。でも,結婚するにしても,天理教ではない
人と一緒になるのはまた壁があり,実家が遠いので親の介護のこともまた壁になり,
先を考えるときりがないほど大変だな〜と思ってしまいます。
どうしたものか…。こう思うのは心が自由で,柔らかくないからかもしれませんね。
- [910]さき 05/10/22 22:07 *r2/4433ZzSv*yr735mgTI2
- みなさんお久しぶりです。みなさんいま仕事のお話になっていると思うので、少し話させていただきます。
私はいま大学に一般の奨学金で通わせていただいています。なぜ一れつ会(天理教の奨学金制度のようなものです。道一条の教会の子供にのみ支給されます。卒業後は本部勤務かそのお金を返していくかです)ではないのかというと、卒業後の本部勤務があったからなのです。ここで誤解しないでほしいのが、私は決して本部勤務が嫌だったわけではないのです。むしろ天理に住み、本部で仕事ができるなんて素晴らしいと思います。ではなぜかというと、一度でも就職してみたかったからなのです。就職しお金を直接返していくこともできたのですが、父はそれはだめだ、と言いました。一れつ会で大学に行かせてもらうのなら、どうでも勤務させてもらわなければいけない。返せばいいというものではないんだ。と言いました。私はその話を聞き、悩んだ末一般の奨学金を選びました。本部勤務をすれば、絶対そのまま教会へとついで一生就職をしないような予感がしたのです。私はいづれ教会へお嫁へ行きたいと思っています。しかし、一度も世間を知らないのは嫌だったのです。今、ちらりと後悔がよぎることもありますが、これでよかった、と思っています。唯一の心配は、私の心が天理から離れてしまわないかということです。
ずいぶん的外れなことを書いてしまったかも。。もしそうなら申し訳なかったです。
- [911]基本。 05/10/24 06:21 lgija9o6vP
- >>910
さきさん。はじめまして。
>唯一の心配は、私の心が天理から離れてしまわないかということです。
>
どうしてそんな事が、心に浮かぶのでしょうか。よく理解できませんでした。
>私はいづれ教会へお嫁へ行きたいと思っています。しかし、一度も世間を知らないのは嫌だったのです。
>
教組の教えでは、結婚は、人と人がするもので、心と心と教えられています。
人の問題を第一にしないで、教会に結婚に行くというのは、信仰というものを、一途に思いつめて、誤解しているのかなと、感じました。
「教会へお嫁へ行きたいと思っています」と、いうのは、さきさんの願いで、それは、一生を天理教すると言う意味、そういう意味の言葉に感じたからです。
「私の心が天理から離れてしまわないかということです」と、不安を感じているのは、教会を離れたら天理教が出来ないのではと、そういう事ですか。
やはり、結婚は、人と人、心と心。
原点に戻って、教会に嫁ごうとか、こだわらない方が、教組の望まれるような心と心のつながりを第一とした方が、いつも教祖の教えを胸に生きたいなら、自然だと思いました。
感想です。
- [912]どん 05/10/24 10:42 Au3QCT916u
- >>909
道の教職員さん、失礼を承知で投稿します。語り合いましょう。
障害なのか健常なのか微妙なラインにいらっしゃる人、また、高齢かどうか
微妙なラインにいらっしゃる人、の場合はどうでしょう。
道の教職員さんのご指摘の通り、「壁」に関するテーマのように思います。
- [913]どん 05/10/24 10:44 eux9XyQXLB
- >>910
さきさん、こんにちは。
>唯一の心配は、私の心が天理から離れてしまわないかということです。
いいですねえ。離れればこそ、再び近づく喜びを体験できます。
何でもそうだと思います。下がるからこそ、再び上がることが出来るのだと思います。
上下は逆になりますが、スキーは一旦登るからこそ、滑る楽しみを満喫できるのだと思います。
以前、ニートさんが、基礎体力をつけるために歩きに行くのを面倒くさいと仰っていました。
どうせ戻ってくるなら行かなきゃいいのにと。私、なるほど、と思いました。
でも、陽気遊山なら、目的地もさることながら、道中も楽しみなんですよね。
行き道も帰り道も、登りも下りも、ちょっと休憩も、全部満喫したいものですね。
せっかく教祖が、送り出して下さったのですから。
- [914]spike 05/10/25 01:16 XJ6iHrQV2c
- 道の教職員さんはじめまして。道の教職員さんは 以前誰かに、世上働きしていることに対して何か言われましたか?お道では「働くとは、はたはたを楽させること」ときかせていただいております。したがって道の教職員さんの言うとおり働くことを悪いとは思いません。ただ気になったのが、後継者ということですが、会長さんになられても仕事を続けられるのでしょうか?それともうひとつ、働くことによってたくさんの人が助かるはずとの事ですが、それは具体的にどういったかたちの助けなのでしょうか?ぜひお聞かせください。
- [915]道の教職員 05/10/25 22:49 VXGFLY.JIp
- どんさん,こんばんは。
語り合うほどの力はないので色々教えてください。
>障害なのか健常なのか微妙なラインにいらっしゃる人、また、高齢かどうか
微妙なラインにいらっしゃる人、の場合はどうでしょう。
基本的に自分はどんな立場にいる人でも自分でできる限りのことは
することが人としてあるべき姿だと思っています。安易に人に頼ろうと
しない。しかし,できる限りのことが人それぞれ違っています。
だから,そこはその人がやりたいことのレベルまでお手伝いして
支える。それが人の互いの関係だと思います。互いたてあい助け合いとはもたれあい
ではなく,立て合いなのですから,お互いが立つ,つまり自立すること
を目指すべきだと思います。
ですから,障害の有無,年齢の高低の区別なく,その人がやりたいこと
,できそうなことの最大まで引き出すことが必要でしょう。
自分の場合,学童期の児童を相手にしているので,子どもの可能性を
引き出すことが最大の目標です。障害児学級の児童でも,できることの
最大まで伸ばすつもりで関わります。
壁についてですが,先ほどの話の中の壁は,できることの限界の壁という
ことになります。その壁を突破する手助けをするのがそれに関わる人じゃ
ないでしょうか。教育,福祉は特に手助けの職業だと思っていますが
いかがでしょうか?
- [916]道の教職員 05/10/25 23:02 VXGFLY.JIp
- spikeさん,こんばんは。はじめまして。コメントしてくださり
ありがとうございます。ともかくまだまだ分からないことだらけなので
色々とお話してください。まずは質問にお答えしたいと思います。
>以前誰かに、世上働きしていることに対して何か言われましたか?
いいえありません。むしろ世上働きは肯定的というか,ある程度評価
されているような気がします。しかし,会長や上級の人達の
それが本心かどうかは分かりませんが…。
>後継者ということですが、会長さんになられても仕事を続けられるのでしょうか?
今は退職してからと考えているので会長兼教師はしません。どちらか
一方のみにします。
>働くことによってたくさんの人が助かるはずとの事ですが、それは具体的にどういったかたちの助けなのでしょうか?
具体的には自分は教育の仕事をしているのですが,目の前の子ども達に
基本的な読み・書き・計算をできるようにさせることです。それはその子どもの
可能性を開く作業だと思うので広い意味でお助けになるのでは?と
思います。自分の言う「お助け」は,単純に困っている人を助けるとい
う意味です。その意味で,計算ができない,漢字が書けない子どもに知恵を授ける
ことはお助けになると思います。
また,子どもの話を聞いて,困っていることの解決の糸口を探すことも
お助けでしょう。ふざけている子どもを指導してきちんとさせることも
,その子がしっかりと生きていくことを教えているのでお助けだと思います。
いわば,日々の活動全てがお助けになっているのが自分の仕事だと思っています。
子どもだけではなく,保護者も,熱心な先生に受け持ってもらえたら,
嬉しいし,安心します。そうなったら保護者も自分の仕事に打ち込めます。
結局は保護者もお助けしていることになりませんか?言い過ぎかもしれ
ませんが。ともかく,人のお役に立てることは全てお助けだというのが
自分の認識です。教会にじっとして参拝してくださる信者さんを待つ
よりも,自分から困っている人を見つけて,その人に関わる方がお助け
になると思っています。私はこういう考えで仕事をしているのですが,
spikeさんはいかが思われますか?
- [917]spike 05/10/26 21:45 XJ6iHrQV2c
- 道の教職員さん、こんばんは。さっそくレスありがとうごさいます。
お道の通り方は本当に人それぞれだと思います。私も道の教職員さん
と同じで世情働きをしています。働きながらも常に人助けを心がけて
おられる道の教職員さんの姿勢に、ただただ頭が下がる思いです。
私の家族は5人家族で、父と母は年金暮らしで、兄は天理大学を
卒業後会社に就職しました。弟は広島で単独布教です。弟の生活費は
兄と私でサポートしています。私は、海外で3年ほど布教や教会で
御用をさせていただいた後帰国し、すぐに仕事を見つけ現在に至りま
す。つい不足心になりがちな日常ですが、道の教職員さんのように
人助けの心を忘れずに、日にちを通らせていただきたいものです。
みなそれぞれ持ち場立場は違いますが、目指すところは一緒だと思い
ます。また明日から勇んで通れるような気がしてきました。
道の教職員さん、またいろいろとお話をしていただけたら幸いです。
私もまだまだ勉強中なので、指導してください。よろしくお願いします。
まとまらない文章ですみませんでした。
- [918]道の教職員 05/10/27 22:06 VXGFLY.JIp
- spikeさん,こんばんは。ご家族で信仰をなさっているのですね。
うちとよく似ていらっしゃる。うちも3人兄弟。自分が長男です。
下の弟,妹はともに仕事をしています。普通に。
3男さんはすごいですね〜。単独布教ですか〜。その熱意に頭が下がります。
その資金を賄われているということで,えらいな,と思いました。
教団,大教会から何かサポートがあればいいのですが,なかなか期待で
きませんよね。そういう人をこそ教団あげてサポートすべきなのだと
思いますが…。
さて,私も不足心がでてきて,ややもすると子どもを悪く思い,批判し
ていることがあります。周りの教師は平気で子どもを悪くいいます。
その風潮に自分も流されているな〜と思いつつ,子どもは悪くない。
自分が何とかしようって思いつつ反省しています。
spikeさんと私とは同じ年齢くらいかと思いました。なんとなくです。
私は小学校の頃,ジャンプのドラゴンボールや魁!男塾を読んでいました。
中学生の頃にB’zが大流行しました。だいたい年齢にお察しがつくで
しょうか?
間違えていたら失礼しました。
さて,ご両親が年金暮らしをされているということですが,うちの場合,
両親ともに国民年金を払っていません…。それどころではなかった。と
言っていましたが,それどころではない事情って一体何なのだ??と
思ってしまいました。お供えで自分の生活費を削りまくって,結局
年金は払えなかったと…。それを聞いたとき,自分は必ず将来,年金を
もらえるようにしようと思いました。だって,親の面倒を見るのは子ども,
でしょう。親に財力がないとその負担は全て子どもに来る。子どもに
面倒を見てもらわなくても,子どもが好きなように自分の人生を歩め
るようにと思うので,老後に備えようと思いました。このあたりの考え
方もまさに世間的ですね。ただ,その方が子どもも楽しいだろうなって
思います。子どもが授かったらの話ですから,授からない場合ももちろ
んありますが。
目指す先は陽気暮らし社会の建設です。その一員としてできるだけ多く
の人に喜びの心,感謝の心をもってほしいと思います。まずは自分が
実践を。そう思って明日もがんばります。
- [919]火水風168 05/10/27 22:39 PSA/NJZCcU
- 横スレ、失礼します。
少しく離れていたら、直面現実的。
現実、世の中お金を抜きにして、語れない。
生きているだけで、お金は必要。
「価値の順番」
A 信仰
B 環境
C 家族
D 仕事
E お金
F 信頼
どれもこれも、なかなか大切。
大抵の人は、E お金 の順位が低いのですが、中には、上位を占める人もいる。
PS 管理人さんは、何処に行かれたのでしょうか。
大団円が近いので、何となく気になりまして…。
- [920]基本。 05/10/28 12:14 CtVHZ9x3cb
- >>919
私の、大切なものの順番。
A 中山みき様。
B 命。
C 生き様。陽気遊び。
です。
- [921]火水風168 05/10/28 15:46 *Manq19pPrdA*PSA/NJZCcU
- >>919 のこと補足。
アルファベットは、順序無作為です。
(自分的に、これに近いものはありますが)
>>920 基本さんのスレを見ての随想ですが…
以前、ある人も語っておられましたが、
現在は、法律的にも「宗教の自由」が保障されています。
これは、飛躍した例えかもしれませんが、江戸時代の初期、
キリスト教の迫害のように、大弾圧がなされた時、果たして、
私たちは、かつて信仰を貫いて、磔にされた人のように、
信念を持って、信仰を貫けるかどうか。
そんな事を考えると、本当に、今は結構な世の中なのに、
教え通り、をやの望通りに添いきれていない申し訳なさと共に、
もっと感謝と喜びの心をもって、御用に仕事に勤めさせて頂けたら、
と、改めて思います。
おやさま、ありがとうございます。
- [922]苺 05/10/28 21:33 K./EJWoSN1
- 私の、大切なものの順番。
1、おやさま
2、おやさま
3、おやさま
馬鹿の一つ覚え・・・!
- [923]基本。 05/10/29 01:14 YzZH4iJSpa
- >>922
苺さん。
いいですねえ、羨ましいです。
私は、どうしても、命と、自分の使命に、こだわってしまうから、
苺さんの様な、「おやさま馬鹿」までの道は、まだ遠いのです。
憧れますが、・・。
- [924]火水風168 05/10/29 06:11 *Manq19pPrdA*PSA/NJZCcU
- >>923
>苺さんの様な、「おやさま馬鹿」までの道は、まだ遠いのです。
憧れますが、・・。
同感ですね。
- [925]どん 05/10/29 07:43 mz7BwlTlWR
- >>915
道の教職員さん、ありがとうございます。
>障害の有無,年齢の高低の区別なく,その人がやりたいこと
よくわかりました。
その人が「やりたいこと」とは、なるほどその通りだと思いました。
つい、年齢や学年相応にその人が「やらねばならないこと」をこちらが考え、
周囲も期待・強要してしまいがちなんですが、道の教職員さんのスタンス、
すごいと思います。
>教育,福祉は特に手助けの職業
これも大切なことですね。何かこう、「こうするのが正解だ」みたいな
押し付けがましい教育関係者や福祉関係者って、多いのですよ。
上の者が下の者を「導く」みたいな職業観です。すると手に負えない相手が
出てきたときには、「従わない悪い生徒」あるいは「至らない教師」とか考えて
陰気になっちゃうんですが、そうではなくて、「手助け」ですね。
ありがとうございます。
さて私が「壁」について考えていたのは、自分の心の中にある
「何々しなければならない」とか「何々はしてはならない」といった価値観のことでした。
道の教職員さんが>>909で、
>結婚するにしても,天理教ではない人と一緒になるのはまた壁があり,
>実家が遠いので親の介護のこともまた壁
と書いておられたので、私は個人的にそれらのことはどちらでもよいと思っていたので、
そうした壁は道の教職員さんの心の中にある価値観によるものではないかな、と思って
質問させて頂いた次第です。
私自身が、今まで「何々しなければならない」を考え行動してきたものですから、つい
道の教職員さんも同じように考えておられるのではないかな、と思って投稿したのですが、
道の教職員さんは「その人がやりたいこと」を優先できる人、少なくとも優先しようと
されている人ですので、私の投稿は失礼な内容になってしまいました。すみません。
- [926]どん 05/10/29 07:55 mz7BwlTlWR
- >>919
面白いですね。
私は、「陽気」としておきます。
それ以外は、今は思いつきませんが..
でもこの「価値」とか「大切なもの」って、すごい勉強になります。
- [927]火水風168 05/10/29 09:26 *Manq19pPrdA*PSA/NJZCcU
- また横スレすみません。
(おおやけなる)ひとりごと?
「おふでさきを読む」澤井勇一著 を読ませていただきました。
また深く「おふでさき」を読ませていただいて、
「をや」の心を、深く感じさせて頂く手がかりを教えていただきました。
まだ読まれていない方、一度読まれてみてはいかがでしょうか。
※決して、道友社の回し者ではありません。
- [928]火水風168 05/10/29 10:22 PSA/NJZCcU
- 働くということ、再びつづく。
職業は、全て手助けという姿勢こそ、職場での布教につながる。
しかし、自分の身の回り全ての人が、いわゆる善人ではないという現実。
その人、その人、心の向きで、善となり悪となり、
また、受け取る方の心でも変わっていくということ。
この事は、以前も述べたが、その周りの方の心持に流されないという、
信念が時には必要となってくる。
お金こそ全てとは言わないものの、わが身可愛さから、お金になることをし、
その為なら、いわゆる点数稼ぎをしている人もいる。
「私も、あなたたちと同じ職場で働くものよ〜」と、同僚の情報を上司に売ったりして、
にっこり笑って人を斬る、と言ったような人。
「ここの会社は、私でもっている。私がいないと何にも出来ない」と、
自分だけが、その会社を支えていると思っている人もいるなど。
そういう人にも救いの手を出すべきであり、そういう人こそたすかって欲しいと願うものの、
現実、価値観が違いすぎて、差し伸べた手が、宙を切る事にもなりかねない。
そこで、手を出したものが不足してしまうか、勇みの種にして喜び続けるのか。
ここがまた、一つの分かれ目、成人の分岐点。
簡単なようで難しい。難しいが、「心一つで通す」と言われているように、
心の向きを「をや」の思いに添い切る努力を、毎日毎日、コツコツと、
続けさせて頂かなければ、「陽気ぐらし」の世界には成らない。
戻っては進み、進んでは戻るの繰り返しのよう。
歩き続けると、いつか道は開ける。
自分が望んでいる姿とは違っても、心どおりにお返しいただいていると言う事に、
気づかせて頂くことのできる喜び。
一つの思い、「働く」という事と「おたすけ」、あるいは「心の成人」は、
切っても切れないもの。むしろ、そうした「心」が荒波にもまれている人の、
心の向きを変える手助けこそ、「をや」にお喜びいただける一つの道ではないだろうか。
そして、自らも助けていただいていると言うこと。
仕事をさせて頂いて、頂いた一つのありがたいこと。
おやさま、ありがとうございます。
- [929]A 05/10/29 14:44 xlQVUewe6g
- 知り合いが上半身の骨がバラバラに折られた死体で送り返され、警察が犯人を見つけてくれないという被害に遭っている方へ1
上記のような被害に知り合いの方が遭われているのは「思考盗聴システム」を利用した犯罪に巻き込まれたものと考えられます。殺された被害者は、思考盗聴システムを利用した犯罪者に、電磁波の力を利用して、まず、首の骨を折られ、その死体を「殴られ役」に利用されたものに間違いありません。
犯罪の特徴
1.ある親しい人の口コミによる紹介で声をかけられ、ある場所に集められ、その2,3日後、死体で戻されてくる。その紹介した親しい人及び一緒に集められた人間に、犯人について聞いても、誰が犯人なのか、はっきりしない。身元がわからない。身元がわかる情報が全くない。紹介者を遡っていくとトカゲの尻尾切りのような状態になる。
2.殺された人間は、最初の集合場所(口コミで集められた人間が最初にいた部屋等)から、別の場所に移動させられる。移動後は一人にさせられる。他の集められた人間が帰る時には、戻って来ていない。
3.警察に被害届けを出しても、何だ、かんだと言って、被害届けを受け取らない。若しくは被害届けを受けても、まったく解決へ進展しない。犯人がいつまでたっても見つからない。警察がのらりくらりの対応しかしない。被害者の集団が最初に集められた場所を、その日の、その時間に、借りていた人間が犯人なので、調べればすぐにわかるはずなのに、まったく進展しない。
4.死亡した人間の上半身の骨が、バラバラに折られた状態になっている。
「思考盗聴システム」の「殴られ役」について
「思考盗聴システム」は、被害者の思考を音声化して盗聴するという機能以外に、被害者の体に圧力や圧迫をかけ、被害者の行動を妨害する、という性能も持ち合わせています。ただ、何の考えもなしに、操作する人間の好き勝手に操作できるようにすれば、被害者が事故にあって死亡、障害を負ったり、操作する人間の気持ちひとつで、被害者に障害を負せたり、殺したりすることもできてしまい、ただの「殺人マシーン」になってしまいます。このため、設計者はこのようなことを起こらないようにするために、被害者の体にかかる圧力、圧迫を操作する人間に、被害者にかける圧力・圧迫の強さに比例して、何倍にもなってかかるように設計しました。例えば、被害者が事故をあって怪我をすれば、その時の、その何倍もの圧力・圧迫が同じように操作する人間にかかり、操作する人間は死亡する、といった具合にです。このようにすることによって、操作する人間は常に被害者の安全に配慮して、操作せざる得なくなり、被害者の最低限度の安全が保障される、といった具合にです。しかし、この思考盗聴システムは、操作するだけの人間と、被害者にかかっている圧力・圧迫の何倍もの圧力・圧迫を受けるだけの「殴られ役」、二人の人間にそれぞれの役を分担させて使用することができます。ところが悪いことに、この「殴られ役」は死体でも良いのです。死体はどんな圧迫・圧力を受け体がバラバラになっても逃げないので操作する人間はいつまでも安全です。また、死体は色々と他人に口外しないし、治療費も請求してきません。だから、ある犯罪グループは「殴られ役」をやらせる死体になる人間を身元がばれないようにして騙して集めているのです。
「思考盗聴システム」若しくは「思考盗聴」のキーワードでパソコン用のホームページを検索してみてください。思考盗聴システムを利用した犯罪の被害者、若しくは、騙されて「殴られ役」をやらされて、体に障害が残った人間や、知り合いが殺された人間が、ホームページや記事を出しています。また、被害に遭われた方、知り合いが被害に遭われた方はご自分でもインターネットに情報を発信し、同じ被害に遭った人間と情報を交換し、同様の被害が全国の色々なところで起こっていることを証明できるようにし、犯罪の解明に全く動こうとしない警察を動かざる得ないようにしましょう。犯罪の被害者をこれ以上出さないため、同様の犯罪の防止、また、きちんとした補償が得られるように、情報を発信して、連絡を取り合い、警察を動かざる得ない状態にしましょう。
- [930]A 05/10/29 14:44 xlQVUewe6g
- 知り合いが上半身の骨がバラバラに折られた死体で送り返され、警察が犯人を見つけてくれないという被害に遭っている方へ2
「思考盗聴システム」若しくは「思考盗聴」のキーワードでパソコン用のホームページを検索してみてください。思考盗聴システムを利用した犯罪の被害者、若しくは、騙されて「殴られ役」をやらされて、体に障害が残った人間や、知り合いが殺された人間が、ホームページや記事を出しています。また、被害に遭われた方、知り合いが被害に遭われた方はご自分でもインターネットに情報を発信し、同じ被害に遭った人間と情報を交換し、同様の被害が全国の色々なところで起こっていることを証明できるようにし、犯罪の解明に全く動こうとしない警察を動かざる得ないようにしましょう。犯罪の被害者をこれ以上出さないため、同様の犯罪の防止、また、きちんとした補償が得られるように、情報を発信して、連絡を取り合い、警察を動かざる得ない状態にしましょう。
思考盗聴システムについて説明してある詳しいサイトの一例(他にもたくさんあります)
◎「Mind Control Invation of The Scaler Waves」
思考盗聴システムを利用した犯罪に関する裁判の記録もあります。
インターネットに情報を発信する時の注意事項
犯罪者グループは目障りな記事を検索サイトから、そのサイトの登録を勝手に削除します。時々、登録した検索サイトで検索をかけてみて、自分の記事が検索にきちんと引っかかるか確認してみてください。また、用心のために何箇所かに記事をあげるのもよいでしょう。
また思考盗聴システムを利用した犯罪組織はハッキング(メールフォルダへのハッキング等、その他色々な情報伝達妨害のハッキング、こんなことができる会社はひとつしかありませんが、その会社が思考盗聴システムを世に出している会社です。誰もが名前を聞いたことのある、よく知っているあの会社)をしてきます。インターネットだけではなく、携帯電話にもハッキングはできます。被害者の方々は、被害者同士で情報交換ができる掲示板(2chが比較的安全です)を作ったり、メールや携帯電話以外に連絡を取れるようにしておきましょう。
- [931]ジャイアン 05/10/30 02:05 XJ6iHrQV2c
- >>930 何の話ですか?意味が分からないのですが.......
- [932]どん 05/10/30 06:24 mz7BwlTlWR
- >>931
「天理教を語る」以外のの宗教論・人生論スレッドにも同じ内容で
書き込んでおられますので、天理教に限った話ではないのでしょう。
フィクションでしょう。人が死んでるのに警察が動かないなんて聞いたことありません。
- [933]どん 05/10/30 07:00 mz7BwlTlWR
- 昨日の夕方、父と私と息子で天理に行きました。
ちょうど夕勤めの後だったようで、私達が教祖殿に向かって
歩いていると、向こうの方から真柱様をはじめ大勢の人が歩いて来られました。
私達親子はそのまま会釈して通り過ぎたのですが、他の人は
なぜわざわざ座って頭を下げるのでしょう。まるで大名行列です。
以前にも似たようなことがありまして、教祖殿の近くの便所に行って、
再び回廊に戻ろうとしたら扉が閉められていて、本部の人が
「真柱様がお通りになられますのでお待ちください」と言われました。
奇妙なものです。便所を借りている立場のものですから、あんまり
強くは言えませんでしたが。自閉症の息子は急に制止されたもんですから、
大パニックになって大泣きでした。不足しに天理に行ったようなものでした。
今から思えば、それらはそれらで学べることがあったのですが、
どうなんでしょう。皆さんはあの光景、ご覧になったことありますか?
- [934]基本。 05/10/30 09:51 YzZH4iJSpa
- >>933
> 他の人はなぜわざわざ座って頭を下げるのでしょう。
> まるで大名行列です。
受け止め方ですね。
- [935]基本。 05/10/30 09:55 YzZH4iJSpa
- 真柱様の一言で、たすけられた人は、あれをしたくなるのです。
でも、基本は、ぐっと自制して、しませんよ。
一寸前には、座る人いると、みんなの通行の邪魔だからと、起こして廻る人も見かけました。
真柱様に恩を感じていたら、ああしたくなるのです。
止められてもね。
でも、本当は、真柱様ご自身への迷惑でもあるから、今の基本は、ぐっとこらえて、遠くから、深々と、遠くから、お礼を申し上げる事としています。
- [936]基本。 05/10/30 10:00 YzZH4iJSpa
- >>933
遠い昔に、東京をたまたま天理教のハッピ着てあるいていたら、車が止まって、深々と挨拶されましたよ。
善衛様でした。
人間は五分五分です。
- [937]流浪の民 05/10/30 16:58 *QGu/CQNr/s9*D-OmS5A
- ところで天理教等の教派神道と古神道と靖国神社等の国家神道はどう違うんですか?
- [938]どん 05/10/30 20:04 mz7BwlTlWR
- >>934-936
基本さん、そうなんですよ。
> 本当は、真柱様ご自身への迷惑でもあるから
真柱様は決して喜んでいないと思うのです。勿論、そうしたい人のお気持ちは
わかります。また、そもそもはそこまでこだわるような話でもないと思いますので、
「頭を下げろ」と言われれば「はいそうですか」と下げるのですが、ちょっと、
一列ろくぢを説く天理教会本部が、その本部青年さんが、業務として規則として
参拝者にそう言って廻っているなら、それってどうなのかなあと思った次第です。
- [939]基本。 05/10/31 07:33 YzZH4iJSpa
- たしかに、そうですね。
どんさん。
本部の青年さんは、起こして廻る姿を良く見ましたよ。
実際に往来の、みんなの邪魔にもなりますしね。
真柱様のお通りです、が合図で、みんな座りましょうという、暗黙事項とすると、困ったものですが、積極的に起こして廻ると、そんな暗黙の了解だという錯覚は無くなるでしょうね。
トイレが出入りできない事も、ちょっと、予め知らせの文章など、掲示しておくという、配慮は、必要でしょうね。
本部青年という人たちの、心くばりが、足りないと言う事は、どちらにもいえます。
- [940]基本。 05/10/31 10:13 YzZH4iJSpa
- 本部青年というのは、エリートなんですね。
本部員になるには、本部青年にならないと、それを通過しないと、資格が無いという事のようです。
すると、本部青年は、今の教団体質ですから、信者さんの方を向いていないで、官僚の子分みたいに、上役ばっかり見ていると言う事があるのでしょうね。
役人の卵かなんかと、自分の事を勘違いしていて、その段階で、
つまり、本部青年だというだけで、威張ってる。一般を見下してるとするし、配慮なんかしませんよね。その他大勢の信者の子供のことなんか。
そういう、体質は、変えて頂かないといけないと思いますよね。
自分が「青年」である時に、「人たすける向き」ではなく、「上役の威光向き」の人が、やがて、「天理教の高山さん」になるのでしょうね。
お気の毒な事です。
- [941]基本。 05/10/31 10:16 YzZH4iJSpa
- ハッピの文字でもネ、「天理教会本部」と書いてあるだけで、あ、偉い人なんだと、、。
それだけでフリーパスにしたりとかね。
人間なんです。みんな。
そういう、所属が肩書きが、地位であるという、天理教団の低迷は、当然ですね。
- [942]あほ 05/10/31 23:42 X5/PwqvVat
- みなさんは「人間はみな平等」ということに対してどのように考えておられますか?
特に最近の記事(最近の記事しか読んでいません)を見ていて気になっています。特に気になることは「天理教では平等と言っているのに結局平等じゃないじゃないか」という意味を感じさせる文です。みなさんの意見をお待ちしています。
- [943]どん 05/11/01 00:52 mz7BwlTlWR
- >>937流浪の民さん、こんばんは。
私も詳しくは知らないのですが、天理教は昭和45年に教派神道連合会を脱会して
いるそうで、独自の宗教です。神道系の祭具である「ひもろぎ」「しめなわ」「玉串」も
今では使われていません。
信仰の対象は天理王命という創造神で、伊勢神宮が天照大神を、靖国神社が戦没軍人を
祀っておられるのとも、また違っています。
>>942あほさん、こんばんは。
人間が平等というのは、魂において、あるいは価値において平等という意味だと思っています。
人は皆、等価値であって、魂には貴賎もなく、優れているとか劣っているとかもないのだと思います。
ただ、役割の違いというのはあると思います。
会社でも、社長は意思決定をする役割で、社員はそれを実行する役割です。しかしそれは
社長が偉くて社員が偉くないという意味ではない、ということだと思います。
- [944]たるぽん 05/11/01 07:23 V-U/mUR
- 天理教、塩まかないとダメかなぁ
- [945]流浪の民 05/11/01 15:52 D-OmS5A
- 天理教は独自の宗教になってたんですか。解りました有難うございますm(__)m
- [946]あほ 05/11/01 18:57 X5/PwqvVat
- どんさんコメントありがとうございます。
僕も全くその意見に同感です。
例え方悪いかも知れませんがあれだけうるさく「平等だ平等だ」と
言っている日本共産党にしてもリーダーを置いて活動をしています。
社会や集団には必ずリーダーが必要です。
スポーツにおいてもキャプテンの言うことに従わず皆がばらばらに
行動していてはまとまりません。そんなものは弱小チームの典型です。
それでどんさんはそんなにいい考えを持っておられるのになぜ
かの「大名行列云云」と言われるような違和感を覚えられたんですか?
勝手な質問ですいません。
- [947]基本。 05/11/01 20:58 RUOWcmJaVU
- どんさん。あほさん。割り込みですが、お許しを。
> 社長は意思決定をする役割で、社員はそれを実行する役割です。
これは、部分的には正しいと思いますが、天理教では、これしちゃいけないのかな、て、感じました。
社員が意思決定して、社長が束ねていく・・・。
これも難しいし、でも、現場の社員の意思の方が、大切と言う事もある。
それに、みんなろくぢであるべきで、組織として言うと、
「大統領」と「議長」、みたいな、感覚の差ですよね。あるんです。
「違和感」がありました。
割り込みごめんなさい。
- [948]どん 05/11/01 21:43 mz7BwlTlWR
- >>946
あほさん、うまいこと仰いますね。そうなんです。
廊下を歩く人(真柱様)がいて、座って頭を下げる人(信者)がいるとしても、
それが差別的だという意味づけをする必要はありません。
人間はみんな対等なんだ、と本当に信じ切っているなら、誰に何を言われても、また
どんな光景をみても、平等であると受け取れるはずです。
それなのに私は違和感を覚えた、ということは、私の心の中に、
歩く人が上で、座って頭を下げる人が下だという意味づけがあるのだろう、と思います。
ただ、視点を変えて、ある人が歩いて来れば座って頭を下げなければならない、という
行為上のルールがあって、その規則があるから形の上だけそれに従っているのなら、
それは追従(ついしょう)ではないのかな、とも思うのです。
- [949]どん 05/11/01 21:44 mz7BwlTlWR
- >>947
基本さん、そうですね。例がまずかったです。
勿論、真柱様が社長で、信者が社員だとは思っていません。
ですから、真柱様が意思決定して、信者が実行するのだとは、思っていません。
- [950]あほ 05/11/02 18:57 X5/PwqvVat
- どんさんコメントありがとうございます。
僕の発言ですが、見る人が見れば少し挑戦的な発言と受け取られる
かもしれませんが僕にはそんな意思は毛頭無いので誤解だけないよう
に念のためよろしくお願いいたします。
ただただ僕はいろんな人の考え方を知りたかっただけです。
「なるほど、こういう考え方もあるのか」というような具合にです。
>>その規則があるから形の上だけそれに従っているのなら、
それは追従(ついしょう)ではないのかな、とも思うのです。
特にわれわれ日本人はみんながやっていて自分だけやっていないと
やらなくちゃならないのかな、と思ってしまう民族ですww
だからみんながやってればやればいい、やってなくてもやりたきゃ
やればいい。って思えば難しいこと考えることもないと思います。
ちなみに僕は頭下げたくなります。その日お会いできたら超うれしい。
- [951]きむちわりぃ 05/11/03 14:58 eNg4QXRoBC
- 韓国産キムチから寄生虫卵検出されたそうです。
でもすべて日本への輸出品だそうです。
韓国国内流通分は安心だそうです。犬の糞尿が原因の一部らしいです。
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/news/1130986284/
フジ「全体の3%から寄生虫の卵」 韓国でキムチ検査
http://dat.2chan.net/17/src/1130986565504.jpg
隠し味
http://dat.2chan.net/17/src/1130987522061.jpg
- [952]きむちわりぃ 05/11/03 19:13 Q5IQIEASuv
- 続報です。
寄生虫キムチ業者全16社一覧 (コピペ推奨)
・ナムヤン ・(株)ウルオムマ
・田園キムチ ・ネゴヒャン食品
・チョジョン食品 ・(株)チャム食品
・ションジョン食品 ・ジュヨン食品
・(株)ナムサン食品 ・ミインキムチ
・シウォン食品 ・ヨン食品
・ウォン食品 ・(株)ハンソン食品
http://osiire.x0.com/gazouita/img-box/img20051103144822.jpg
絶対に買わないように!(`・ω・´)9m ビシッ!
- [953]どん 05/11/04 00:07 zfCUdmWBK1
- >>950
あほさん、ありがとうございます。
> 僕は頭下げたくなります。その日お会いできたら超うれしい。
あほさんのような、何というか、素直な信仰も、素晴らしいと思いました。
> 特にわれわれ日本人はみんながやっていて自分だけやっていないと
> やらなくちゃならないのかな、と思ってしまう民族ですww
> だからみんながやってればやればいい、やってなくてもやりたきゃ
> やればいい。って思えば難しいこと考えることもないと思います。
日本人かどうかはまた別の問題とさせて下さい。
それよりもあほさんが仰りたいのは、もっと素直に考えたらどうか、ということですね。
「皆がやってることは同じようにやってもいいし、
皆がやってなくても、やりたい人はやればいい」ということですね。
そういう考えも成る程、ありですね。勉強になります。ありがとうございました。
- [954]TDM 05/11/09 21:40 Vh0A5AuH3q
- 良スレ祈念カキコ & 保守age
- [955]くりっく 05/11/10 00:52 *0yj6vrUsA.G*7ffR.u6Mt2
- こんばんは。
陽気ぐらしっていいですね。
こんなのいかがでしょう
◆◆宗教の枠を超えてここに集おう!クリック募金◆◆
- [956]ぴ 05/11/11 04:30 *.6tZbRW/ua8*E-20PxP
- なーむーてんりーおうのーみーこーとー
- [957]どん 05/11/11 10:09 zfCUdmWBA2
- >>956ぴさんのご投稿で思い出しました。
どうでもいいことかもしれませんが、皆さんは前真柱さまの「みかぐらうた」って
聞いたことあります?
確か、100年祭の頃に発売されたと記憶しているのですが、それまで親しんだ
短調ではなくて、その「みかぐらうた」は長調でした。
今の本部の神楽勤めは短調なのか長調なのか知りません。一回しか行った
ことがないので(そのときは短調でした)。でも、回廊ひのきしんされてる
人達の歌声も、たいてい短調です。
私は自分が地方をするときは長調で歌うようにしていますが、どちらでもよい、
という扱いなんでしょうね。
それともうひとつ、前真柱さまの「みかぐらうた」は、
「お」と「を、わぅ」を使い分けているということ。
「お」は「o」で、「を、わぅ」は「wo」で発音なさっています。
お持ちの方は是非ご確認してみて下さい。
「あしきwoはろうて」、「てんりwoのみこと」と歌ってらっしゃいます。
それに気づいてからは、私もそのように歌っていますが、どうなんでしょう、
個人的には神名にはこだわらない主義ですが、皆さんはどう歌ってらっしゃいますか?
- [958]マーチ 05/11/15 20:05 Qhc2TTc9OE
- それでは私も良スレ記念カキコさせて頂きます。(笑)
>>957
どんさんの言われるように、厳密に言えば真柱様の音程は素人には難しい細やかさが
あるかもしれませんね。
ちなみに私も素人の一信者ですが、私の所属する教会では決して正確とは言えませんが
みんなが心を一つに陽気に勤めさせて頂く事を一番大事なこととして、
おつとめを勤めさせて頂いていますよ。(^^)
- [959]どん 05/11/15 20:33 kX5B1d/BYo
- >>958
>みんなが心を一つに陽気に勤めさせて頂く事を一番大事なこととして
マーチさん、ありがとうございます。
素晴らしいことだと思います。
それこそが、お勤めの、一番というか、唯一の条件だと思います。
この音程でないと神は喜ばない、とか、
この手振りでないと神は喜ばない、とか、
この世界とあらゆる生物を創造し守護している元の神・実の神が
そんなことで機嫌を損ねるはずがありません。
そんなことにこだわるのは人間だけだと、私は思います(ちょっと過激かな..)
- [960]ユウ♂ 05/11/16 02:48 V-L3pA/
- 僕は五年前に修養科に行きました。行った理由は父が亡くなり。父が経営していた会社が倒産して、家族にもいろんな事があった為です。修養科の三ヵ月はあっというまでした。その後は教会に住み込みなどやひのきしん隊などにいっていました。そしていろいろな仕事をやりました。弁当屋や試験監督や佐川急便や日通や競馬場や不動産の仕事をして。現在はレストランで働いています。百二十年祭に参拝に行く予定です。百二十年祭が終わったら就職活動をします。職種はタクシー業界です。百二十年歳に向けて頑張ります
- [961]基本。 05/11/16 06:32 pn3lXmG3hF
- >>959
> この音程でないと神は喜ばない、とか、
> この手振りでないと神は喜ばない、とか、
> この世界とあらゆる生物を創造し守護している元の神・実の神が
> そんなことで機嫌を損ねるはずがありません。
> そんなことにこだわるのは人間だけだと、私は思います
うーん。
どんさんは、さらりと、とても難解な事を言われています。
簡単に言うと、神様の喜ぶ音程はひとつだけ。
神様の喜ぶ手ふりも、一型だけ。
それを、前提にしての、「みんなが陽気である事」は大切だと思います。
厳密には、一つだけ。と、いう前提がある事と、それにこだわる、こだわらないと言う事と、教祖の機嫌云々は、同じ括りの中で語るには、難しすぎると感じました。
- [962]miki 05/11/16 14:06 o9WzevG2
- 中山みきの言葉
わしはなあ 陰気な子やったで
ひっついて寝ていても こころが離れていたら せんない(せつない)ものやで
- [963]miki 05/11/16 14:30 o9WzevG2
- 962の解説
かつて国語学者が江戸後期の農村民衆の日常の言葉について研究したいということで、天理教に教典その他を資料として使わせて欲しい---こう申し出て許可されました。
このふたつの言葉はそのようにして採取された みき の言葉です。
中山みきは13歳で中山家に嫁入りしました。いくら江戸時代とはいえあまりにも幼すぎます。みき本人がいうように彼女は友達とも遊べないような内気な少女でした。生きがいは念仏をあげること、近くで念仏講があれば出かけて行く---そのような少女でした。心配した親は嫁にいけば、環境が変わればこの子ももう少し明るくなるのではないか---そう思ったのです。しかし、みきが嫁入りする唯一の条件としてだしたのが、朝夕に念仏することを許して欲しい、念仏講へ行くことを許して欲しいというものだったのです。
嫁入りした みき は必死で働きました。体が弱いにもかかわらず---
しかし、夫は遊び呆け女を囲ったのです。やがて みき は体に変調をきたし神がかりになります。ひっついて---の言葉は後年 みき が語ったことばです。
- [964]miki 05/11/16 14:51 o9WzevG2
- 962の解説
私の家は天理教ですが、天理教とにかく嘘が多すぎます。
子供のころ、「少女時代の親様はにこにことやさしい微笑で子供たちの遊ぶ様子を見守っておられた---」このような嘘をどれほど聞かされたことか---
嘘をつけばそれがやがてとんでもない結果を招くということを天理教教会本部の人間達はまったく理解していないようです。
真柱の浮気、教会長の浮気それによってどれほど多くの人々が傷ついたことか---
ひっついて寝ていても こころが離れていたら せんないものやで
この みき の言葉をしっかりとこころに受け止めるべきだ。
- [965]miki 05/11/16 15:30 o9WzevG2
- 天理教の最大の嘘
それは「お供え」です。
中山みきは「お供えをしろ」などということは一言もいっていません。
さらに「貧に落ちきれ」
確かに みき はそういいました。
しかし、誰に対して、どのような状況でこの言葉をいったかということを知らなければなりません。みき はこの言葉を「中山家」の人間に対して、ただ「中山家の人間だけ」に言ったのであって、その他の人々に言ったことなどまったくないのです。庄屋である中山家には貧しい、水呑百姓たちが出入りしていました。その夫婦のなかむつまじい姿、一方自分は---体の弱いにもかかわらず必死で働いても夫は浮気をする、家業をかえりみない---
こころの離れた夫との生活---あたら財産があるがために---やがて神がかりした みき は財産を貧しい人々にすべて分け与えてしまいます。
「貧に落ちきれ」とは、そういう「意味」の言葉なのです。
しかし天理教はこの みき の言葉を「搾取のための道具」として使い始めます。
「搾取の宗教ー天理教」はこうして成立したのです。
天理教信者の皆さん「お供え」をすることはやめてください。
それは 中山みき の教えに反することなのです。
- [966]miki 05/11/16 15:53 o9WzevG2
- 宗教とは
親鸞は京都で死にます。「私が死んだら遺体は賀茂川の鯉のエサにしてくれ」これが遺言でした。立派な墓、寺院そんなものは決して人間に幸福をもたらしはしないということをもちろん親鸞は知り尽くしていました。それはまた、仏陀の教えでもあります。仏陀の教えはダルマといいます。
仏陀が仏教をつくったのではありません。仏教の開祖は仏陀ではないのです。仏教という宗派をつくること、徒党を組むこと、その愚かしさ---そんなことはもちろん仏陀も親鸞も知り尽くしていました。
真理を追い求めようとおもうなら他人に頼るのではなく自分で考えるべきです。そうしないととんでもない間違いを犯すことになります。たとえばオウム真理教のような---
天理教の場合もまったく同じことです。
- [967]基本。 05/11/16 15:55 54J44l5tX0
- >>964
「なんぼ抱きついて寝ていても、心離れていれば、千里離れているもおんなじことやで」
教祖の伝承のお言葉として、何百回も聞いて育ちました。
mikiさんは、
「わしはなあ 陰気な子やったで」は、子供の頃に聞いた事が無かったのですか。
教祖伝の話とすれば、それは、子供の頃の話として、必ず語られた話でした。
聞いていなかったとすれば、mikiさんは、ご自分で確かめると言う事なく、mikiさんの所属する教会の先生の言う事を、鵜呑みにしていただけだったのではないかと、思います。
稿本天理教教祖伝の96頁五行目にも、
「わしは子供の時から、陰気な者やったで、人寄りの中へは一寸も出る気にならなんだが、七十過ぎてから立って踊るように成りました。」
との、教祖のお言葉が、きちんと記されてあります。
> 子供のころ、「少女時代の親様はにこにことやさしい微笑で子供たちの遊ぶ様子を見守っておられた---」
> このような嘘をどれほど聞かされたことか---
と、mikiさんは、体験から語られていますが、私の知る限りでは、そうした記述は、天理教として、ものにはありません。
誰かが、創作したものと思われます。
教祖は、人の口をくぐったものを信用しないように、言われています。
きちんと確認するのは、私たちの義務だと思います。
思い込みが、史実のように語られることもあるからです。
mikiさんは、
「 せんない(せつない)ものやで」と、書かれています。
「せんない」と言う事を、国語辞典で確認しますと、
「しかたない、かいがない」(三省堂・国語辞典)と、なっています。
「詮方ない、せんない、」と、言う言葉ですから、
いくらひっついて寝ていても、仕方ない。甲斐が無いという意味であり、切ないものだと言う意味ではありません。
夫婦の問題として、心が離れていたら抱きついていても、くっついていても、仕方ない。甲斐が無い。
そういう意味です。
確かめる、確認する、その為に、様々な資料が、原始的な記録が保管され、保存され、書物中に記されています。
> 嫁入りした みき は必死で働きました。体が弱いにもかかわらず---
> しかし、夫は遊び呆け女を囲ったのです。
> やがて みき は体に変調をきたし神がかりになります。
mikiさんが書かれたこの文章を、誰かが、鵜呑みにして、天理教祖の神がかりを、このとおりに思い込んだとしたら、どうでしょう。
「嫁入りした みき は必死で働きました。体が弱いにもかかわらず---
しかし、夫は遊び呆け女を囲ったのです。やがて みき は体に変調をきたし神がかりになります。」
夫の女道楽が原因で、立教したのだと、そういう誤解の種になります。
各項目は、時間経過と、その各々の事実関係がある。
それを、「嘘をつかないように」と警告するに、誤解を与える表現では、宜しく無いと言う事です。
- [968]基本。 05/11/16 16:05 54J44l5tX0
- mikiさんは、嘘をつくなという主張の中に、
> 真柱の浮気、教会長の浮気それによってどれほど多くの人々が傷ついたことか---
> こころの離れた夫との生活---あたら財産があるがために---やがて神がかりした
>
浮気と言う言葉が頻繁に出てきています。
それは、風評からの類推ですか、資料と証拠に基づくものですか。
そうしたことに対して、先ず自分もきちんとして、根拠を示して語るべきです。
夫善兵衛様の話は、資料にあるところですが、真柱については、どこにあるというのでしょうか。
浮気の事実が。
それが、多くの人を傷つけたと言う事実が。
嘘をつくなというためには、ご自分の主張の中に嘘が無いという、証拠資料を明示すべきです。
- [969]火水風168 05/11/16 16:09 lhz264Clre
- >967 基本さんの
>確かめる、確認する、その為に、様々な資料が、原始的な記録が保管され、保存され、書物中に記されています。
まず、自分自身で確認すると言う事、ホント、大切ですよね。
- [970]miki 05/11/16 17:45 o9WzevG2
- 天理教はよく「人間思案」という言葉を使います。
信者が「お供え」をしなくなれば天理教の経済基盤はくずれ天理教は滅びるでしょう。しかしそんなことを心配する、そもそもそれこそが最大の「人間思案」です。中山みきは死ぬ直前「神が怖いか、律(法律)が怖いか?」と信者に迫ったのです。
しかし、その後の天理教の歩みはまさにこの教祖の言葉を忘れた 律 との妥協、律への服従の歴史でした。
- [971]miki 05/11/16 18:01 o9WzevG2
- 「せんない」という言葉は江戸末期の「大和地方の方言」として使われていたもので、今の国語辞典の言葉の説明とは異なります。
このことについては、私の説明不足でした。「国語学者が江戸後期の「大和地方の農村民衆の「方言」について研究したい----」これが正しい言い方です。
- [972]miki 05/11/16 18:19 o9WzevG2
- 子供の頃、まんまるいかおでにこにこと子供たちに話し掛ける親様という絵本が大量に配られました。
陰気な教祖などという絵本を配布することなど、むろんできません。しかし、「嘘の話をでっちあげるな」ということです。その影響の大きさを天理教教会本部はまったくわかっていない。
天理教は奇妙な、訳のわからない「天理教用語」を次々と作り上げます。
それに末端の教会長も、信者もひっぱりまわされます。
天理教の最大の嘘言葉、それが「お供え」「貧に落ちきれ」です。
「貧に落ちきれ」という言葉を中山みきが使った意味とまったく違った意味に使っている、そのために苦しみ、泣いている会長、信者---
信者のみなさん、自分で考えてください。堕落する宗教、別に天理教だけではありません。他の宗教の姿を見ながら、自分の信じてる天理教ももしかしたら---と考えてみてください。
- [973]miki 05/11/16 18:57 o9WzevG2
- 私の家は天理教です。分教会です。
「お供え」「貧に落ちきれ」この言葉に苦しみつづけてきました。
芹沢光次郎の「教祖様」は本当の中山みきの姿をわたしたちに教えてくれたすばらしい本ですが、芹沢光次郎はこう言っています。「親が天理教を信仰していたために自分達兄弟は貧乏のどん底に突き落とされた」。
「教祖様」は新聞「天理時報」に連載されました。そのいきさつ、芹沢氏と天理教の関係については小説「死の扉のまえで」にくわしく書かれています。ぜひ、お読みください。
- [974]労働者 05/11/16 22:52 Djl/TLyEYK
- mikiさんを支持します。
このサイトは、いきなり削除人がやってきますが
天理教お供え生活者のようです。
- [975]道の教職員 05/11/16 23:26 QkwD9njqTV
- 私の家も分教会です。
まさに貧に落ちきった生活でした。今思えば…。
しかし,それはおかしいぞ?と思い,自分は仕事をしています。
でも,貧乏したからこそ,今の自分がいるとも思います。
教会の行事にしばられて,困っている子どもたちを助けることが
できなくなるより,私は教師という仕事を取り,収入を得て生きていく
ことを選択します。お供えは自分のこうまんや生かされていることへの
感謝の気持ちとして自教会にお供えします。ただ,お供えと言う名の
両親の生活援助費ですが…。
- [976]どん 05/11/17 04:03 kX5B1d/BYo
- 私の実家は末端の布教所です。
mikiさんのお気持ちはよくわかります。
確かに上級教会は「御用(お供えのこと)」の話をよくします。それに幼少の頃から「蓄財は悪であり、お供えは善である」という価値観を刷り込まれますから、上級教会から「お供えしなさい」と言われる度に「嫌だなぁ、でも頑張ってしなきゃなぁ」と反応してしまう人は多いと思います。
しかしmikiさんも仰るとおり、「真理を追い求めようとおもうなら他人に頼るのではなく自分で考えるべき」ですから、誰が何と言おうと、お供えは嫌ならお供えしなければいいし、逆に、お供えしたければ、誰に何と言われてもお供えすればよいと思います。
私も個人的にはお供えに否定的なんですが、純粋に感謝の気持ちでお供えしたいと思ってらっしゃる方のことは否定できませんので、最近は「どっちでもいいか」と思っています。
真柱の浮気、教祖夫婦の不仲というのは、ちょっと微妙です。
どっちが本当か嘘か、本人にしかわからないと思いますし、また、どっちが本当でも、私にとっては結構どうでもいいことなので。
それよりも私としては、教祖の夫が何故、教祖と離縁して実家に送り返さなかったのか、何故、貧に落ちきるのを阻止しなかったのか、そっちの方が気になりますね。
- [977]どん 05/11/17 04:28 kX5B1d/BYo
- >>960
ユウ♂さん、頑張って下さい。私も頑張ります。
>>961
基本さん、ありがとうございます。
>簡単に言うと、神様の喜ぶ音程はひとつだけ。
>神様の喜ぶ手ふりも、一型だけ。
>それを、前提にしての、「みんなが陽気である事」は大切だと思います。
意見の分かれるところですね。
私は、神様の喜ぶのは「みんなが陽気である事」ひとつだけで、それを前提として、音程や手ふりを皆で揃えるのは大切だ、と思います。
そうでないと、天理教の神楽勤めでしか神は喜ばないことになってしまい、「登る道は幾筋もありますで。どの道通って来るのも同じやで。」が成り立たなくなってしまいませんか?
それに、プロの合唱団もいいけど、地元の小学校なんかで、歌の上手い子も下手な子もごちゃ混ぜの、音程もメチャクチャな音楽発表会も、負けず劣らずいいものです。基本さんも、お子さんが小学生だった頃、そんなご経験ありますよね?
- [978]基本。 05/11/17 10:16 DnDznAE3G3
- >>971-973
> 子供の頃、まんまるいかおでにこにこと子供たちに話し掛ける親様という絵本が大量に配られました。
>
了解しました。そうしたものが、ある時期に存在していた記憶があります。
> 「せんない」という言葉は江戸末期の「大和地方の方言」として使われていたもので、今の国語辞典の言葉の説明とは異なります
>
これも、お立場了解しました。
しかし、mikiさん、おふでさきのお言葉や、おさしづのお言葉を、大和の方言として解釈するのだと言う定義そのものは、教祖の教えには無い事です。
一つの解釈として「大和言葉の方言」という方面からの解釈があると言う事です。
例えば、「ひながたなおせばどもならん」、を、現在の教団は、「ひながたを修正したらいけないよ」とは、解釈しません。
大和言葉で、「ひながたを仕舞い込んでいてはいけないよ」という意味だと解釈します。
漢字に当てますと、「雛形直せばどもならん」は、共通語の解釈で、「雛形納せばどもならん」が、方言で、「納す」とは、「収納しておくと言う意味という解釈です。
基本は、「共通語」だと理解しています。
その解釈の部分に、「方言のニュアンス」もあると言う事です。
大和言葉の方言と言うものも、極めて地方性の特色が強く、本当にその意味の方言だったのかと言うと、証明は困難です。
後付の研究であるからです。
「旗」の事を「フラフ」と、教祖は呼んでいます。
時代の言葉であり、大和言葉では「フラフ」はありえません。
例えば、「大和言葉にさん打つな」という方言を例示して、天理大学の教授たちは、方言の解釈の説明に用いています。
しかい「さん打つな」の、「さん」そのものの用例は、教祖のお言葉にはありません。
「四つよのなか」とは、「よんなか」で、方言では豊年の意味だと、解釈されていますが、教祖は、「いつもほうねん教えたい」と言われていますが、「いつもよんなか」とは、教えていません。
つまり、方言だと言うのは、おふでさき、おさしづを読めない学者たちが、自分たちの解釈にあてはめやすく、方言の中から、適当に選び上げたものです。
それを、後付と言うのです。
みかぐらうたに、「よのなか」、とあり、「よんなか」と無い。
それが、謡っているときには「よんなか」と声にしていたから、これは、方言なんだ。
あまりに都合の良い、方言説であります。
「にこにこ笑顔の子供の中山みき」と、
「お言葉は大和言葉の方言で解釈しろ」とは、
同じ体質の、「ご都合教理」と言う事です。
いかにもそれらしい、嘘です。
- [979]基本。 05/11/17 10:42 DnDznAE3G3
- [970]miki 05/11/16 17:45 o9WzevG2
> 中山みきは死ぬ直前「神が怖いか、律(法律)が怖いか?」と信者に迫ったのです。
> しかし、その後の天理教の歩みはまさにこの教祖の言葉を忘れた 律 との妥協、律への服従の歴史でした。
>
この文章も、元は「山名系の学者・諸井系の学者」が作成した作文です。
「その後の天理教の歩み」という部分です。
その後、それは、嘘です。
「フラフを立てて」の逸話のように、遠江真明組(山名の前身)では、すでに、「天輪王講社」として、明治政府の認可の団体となり、堂々と布教していました。
教会本部を「遠江真明組」に設置しましょう。という手紙を、諸井国三郎氏は初代真柱様に宛てて送っています。
「天理王命」の神名は、必ず元に戻すし、奈良で認可が出来るような情勢になったら、本部は、それから、奈良県のお屋敷に戻せばよいのだから、「天輪王」で、山名の場所で、本部をすれば、官憲の圧迫を逃れられると言う主張です。
そして、神楽つとめの練習をし、「十二下りのてをどり」をしたいと、教祖に願い出て、梅谷四郎兵衛さんに頼んで、神楽面を作成して、準備万端整えています。
しかし、親神様は、「とうきょう、ながさき」、「東京名が先」と、おおせられて、東京にて、「天理教会本部」の名が先に、実現しています。
そうした山名の、「応法」は、明治18年前からです。
「にこにこ笑顔の子供の中山みき」と、
「その後の天理教の歩みはまさにこの教祖の言葉を忘れた 律 との妥協、律への服従の歴史でした。」とは、
同じ体質の、「嘘」です。
現実には、北、山名、河原町の初代たちは、「律との妥協、律への服従」をさっさと実行していた。
そして、教祖は監獄に引っ張られるのに、自分たちはうまくやって、盛大になったのです。
「律が怖いか、神が怖いか」、当時の初代は「律が怖くて」、教祖は監獄にご苦労する中、自分たちは、上手い事していたと言う事です。
「【フラフを立てて】逸話篇139
明治十七年一月二十一日(陰暦 前年十二月二十四日)諸井国三郎は、第三回目のおぢば帰りを志し、同行十名と共に出発し、二十二日に豊橋へ着いた。舟の出るのが夕方であったので、町中を歩いていると、一軒の提灯屋が目についた。そこで、思い付いて、大幅の天竺木綿を四尺程買い求め、提灯屋に頼んで旗を作らせた。
その旗は、白地の中央に日の丸を描き、その中に、天輪王講社、と大きく墨書し、その左下に小さく遠江真明組と書いたものであった。一行は、この旗を先頭に立てて、伊勢湾を渡り、泊まりを重ねて、二十六日、丹波市の扇屋庄兵衛方に一泊した。
翌二十七日朝、六台の人力車を連らね、その先頭の一人乗りにはこの旗を立てて諸井が、つづく五台は、いずれも二人乗りで二人ずつ乗っていた。
お屋敷の表門通りへ来ると、一人の巡査が、見張りに立っていて、いろいろと訊問したが、返答が明瞭であったため、住所姓名を控えられただけですんだ。・・・」
公認を受けていたので、「天輪王講社、遠江真明組」は、警察の妨害を受けなかった。
明治17年の事です。
- [980]基本。 05/11/17 11:08 DnDznAE3G3
- >>973
> 「教祖様」は新聞「天理時報」に連載されました。そのいきさつ、芹沢氏と天理教の関係については小説「死の扉のまえで」にくわしく書かれています。ぜひ、お読みください。
>
芹沢光次郎作「教祖様」は、私の愛読書の一つです。
高校の頃、いつも天理教の匂いがけしていましたので、高校の保健の先生が私に声をかけまして、「天理教の教えはすばらしいと、君の話でとても良く分かるけれど、幹部がひどすぎるよ、特に真柱があんな風では、とても安心して信仰できないよ。あなたも考え直したら、」と、芹沢光次郎著「人間の運命」を、紹介されました。
mikiさんは、「人間の運命」、読まれていますか。
是非、読まれたら宜しいと思います。
芹沢光次郎作「教祖様」は、天理教内に呼び掛けをして資料を集め、実弟の天理大学教授芹沢茂さんが、内容の史実の確認をして、文章表現は作家の小説ですから、フィクションですが、史実そのものは、正確です。
その中に、最後の施しの事書いてありますが、覚えていますか。
芹沢光次郎作「教祖様」には、公刊されている出版物に無い、史実として、貧に落ちきるクライマックスが、きちんと書かれています。
読んでおられたら、宜しいのですが、・・。
- [981]基本。 05/11/17 15:40 cRfrNtuQ2E
- >>977
逸話編に、残されていますのは、次のような事実です。
理の歌 逸話篇18
十二下りのお歌が出来た時に、教祖は、
「これが、つとめの歌や。どんな節を付けたらよいか、皆めいめいに、思うように歌うてみよ。」
と、仰せられた。そこで、皆の者が、めいめいに歌うたところ、それを聞いておられた教祖は、
「皆、歌うてくれたが、そういうふうに歌うのではない。こういうふうに歌うのや。」
と、みずから声を張り上げて、お歌い下された。
この時の歌声を、歌として復元されたものが、三代真柱様の「歌」だと、基本は、そのように、思い込んでおります。
>>972>>975
>貧に落ちきれ。
天理教の生命線だと思います。
八つやまとは豊年や。それに対比して、貧に落ちきれ。
繁栄と貧乏。それを同時に説いておられるのが、天理教祖です。
現代社会の現実も、繁栄と貧乏の同時に存在している社会です。
年間に何十億も所得する人がいて、不思議なことに、その高額所得者をマスコミの皆が礼賛しています。一方に極貧の人がいて、高額所得者を褒め称えているマスコミは、貧しい人を救おうとうったえます。
この構図は、毎日毎日ニュースとして、目の前を流れています。
谷底から、せり上げると言う事は、谷底からの経済的繁栄ということ。
皆忘れています。
谷底に光を当てて、めぐみ施すと言う事も、大切ですが、谷底から競り上がると言う事はもっと大切です。
天理教者は、貧のどん底に身を置いてこそ、
「いつも豊年教えたい」と「難儀の底で手を打って待つ」の教えが、体解されるのだと思います。
戦士は戦場にいる。
おたすけにんは、難儀のそこにいる。
これが、プライドです。
- [982]あほ 05/11/17 20:31 iisZsgQ1jR
- みなさん話している内容が難しすぎて あほ にはよくわかりません。
僕が思うに話している人も良くわかっていないと思います。笑
だって話の受け答えと繋がりが全然できてないんですもん。。。
ちょっと暇だったので投稿してみました。
- [983]基本。 05/11/17 23:06 sa1P3Cxhdp
- >>982
あほさんに、です。
話している人は、内容を分かっていると思います。
> 話の受け答えと繋がりが全然できてないんですもん
そう見えるかもしれません。
それは、あほさんには、そう見えるかもしれませんと、いう意味です。
でも、語られた内容の前提と言うものから、確かめていかないと、最初の前提が間違っていると、議論にはなりません。
例えば、どんさんとの議論は、つとめの歌は、これで無ければならないと決め付けることはおかしいのではないかという、どんさんの意見から始まりました。
その話題の中身には、三代真柱様の歌う御神楽歌と、普通に歌われているものとの違いと言う話題がありました。
そこで、「譜面も無い」「録音物も無い」、本物の御神楽歌が、どこにも無いと言う事が、前提の中にあることは、お分かり頂けるでしょう。
どんさんの、意見の中身の事です。
繰り替えはますが、本物の御神楽歌が聞けないと言う前提。です。
これに対して、基本は、「三代真柱様の御神楽歌が本物」と言う、前提を意見として語っています。
その問題としては、かみ合っています。
そこでどんさんは、それに対して、それでは、皆が楽しくと言うものではなく、登る道は千筋ではなくなってしまうのではないかと、「本物」のみにこだわることへの、批判を語られています。
議論としては、噛み合っています。
- [984]基本。 05/11/18 00:00 sa1P3Cxhdp
- >>983
引き続き、あほさんにです。
mikiさんの話題は、天理教会本部の流した「虚像」の弊害の問題と、夫善兵衛、真柱の浮気、教会長の浮気と言う問題についての、批判でした。
それに対して、基本は、根拠と出典を確認する問いを発しました。
「子供時代の陽気な中山みき」という虚像。その事の事実関係。
「夫善兵衛や、真柱や会長の浮気問題」という事の事実関係。
この二点を尋ねましたら、mikiさんは、一つは、教会本部が配布した絵本の存在。これを示して下さいました。
そして、芹沢光次郎作の「教祖様」を、資料として、夫善兵衛の浮気の問題の、根拠に示されました。
更に、「死の扉の前に」という、芹沢光次郎氏の作品を「真柱の浮気」問題の資料として、示されました。
「死の扉の前に」と言う本に、そうした事が書かれてあると言う事です。
健在手元に無いので記憶で語りますが、二代真柱の隠し子と言うような問題を扱った小説と記憶しています。
つまり、mikiさんは、芹沢光治郎作品から、問題を拾われたわけです。
芹沢光治郎さんの作品には天理教関係者を題材にしたものが多く、真柱への不信を募らせるものが多いのですが、その、真柱の隠し子の問題は小説の中では、隠し子かと思いこんでいた青年が、そうではなかったと気が付いて終わっていると記憶します。
そうした真柱への不信をつのらせる作品としては、代表作の「人間の運命」という、芹沢さんの自伝的小説があります。
基本は、それを紹介して、より深く、芹沢文学を読まれる事をすすめています。
これは、議論の前提として、芹沢光治郎という作家と代表作を知らないでいては、語り合えないからです。
そして、mikiさんは、「貧に落ちきる」ということの誤解について、語られています。
教祖の言われた、「貧に落ち切れ」と、現在の教団の説くものとは違うと言う批判です。
本来の教祖の教えではないものに対する、批判ですが、その根拠も、芹沢光治郎作の「教祖様」です。
それでは、実際に「貧のどん底」について、何が書かれてあったのか。
mikiさんは、夫善兵衛の無理解の中での中山みきの苦悩を中心に、読まれていますが、「教祖様」には、きちんと、今の教団の公刊物には無い史実が書かれてある。それを読まれた上で、意見を述べているのか、読み落として述べているのか、わざと無視して述べているのか、
確認しなければ、議論は進展しませんので、基本はその点を、確かめる質問を発しています。
そのお答えは、まだ頂いていませんが、基本は先に自分の立場を明かしています。
「貧のどん底」に落ちると言う事への、基本の意識感覚です。
それは、「教祖様」に記された史実に対する、基本の感想であり、意見です。
このように、多少の省略はありますが、作品を読んだもの同士として、話題も議論も、噛み合っていると、思います。
- [985]基本。 05/11/18 00:27 sa1P3Cxhdp
- >>983
更に、引き続き、あほさんにです。
mikiさんは、搾取する天理教団にお金を出すなと言う事を述べられています。
それは、基本的に同じ立場ですから、基本はそれに対しては、反論をしていません。
しかし、
> 中山みきは死ぬ直前「神が怖いか、律(法律)が怖いか?」と信者に迫ったのです。
> しかし、その後の天理教の歩みはまさにこの教祖の言葉を忘れた 律 との妥協、律への服従の歴史でした。
>
この、意見には、大きな前提の誤解がありました。
それは、ついこの間まで全天理教の教会の過半数の「理の親」を自負していた京都の大木、河原町もそうでしたが、「律に服従」し、「敬神愛国」を説いて、明治政府の遺作に合致させての布教で、成果を上げていたという事実があります。
明治18年頃の事です。
そして、山名初代諸井国三郎は、天輪王講社という応法をさっさと実行して、成果を上げていました。
「律に服従していた」講社は、警官に邪魔されないから、伸びました。
この歴史的事実を、前提から外してしまうと、問題の本質が見えなくなります。
「理の親信仰」は、河原町、山名、郡山、北、応法の初代たちが、撒いて説いて、搾り取りを始めたという事実を、見ないでいたら、・・。
それは、巧妙な宣伝に踊らされたとおんなじだからです。
証明と証拠のために、教祖が残された逸話を明示しました。
「ふらふ」には、「日の丸」、国旗です。日本の象徴です。
そして、「天輪王講社」という認可の名称。「遠江真明講」
明治17年の正月には、既に応法だった。
教組を否定するに等しき、悪事に対して、教祖は、「フラフをたてて」と、お喜びになられたこと。
ひながたです。
二十六日に間に合わなくて、翌日に参拝しています。
諸井国三郎さんは、教祖扉を開いたとき、正月二十六日にも、お地場に不在でした。
京都の、斯道会も、一名もいませんでした。
毎月の二十六日の祭典日というのに、応法の道の先駆者は、教祖の扉開くときには、合わせて頂けなかったのです。
心どおりの姿でした。
これは、誰が律に服従していたか、きちんと示す証拠です。
祭典日に、不在。
祖の理の親たちが、「祭典日に必ず出ろ」と説く詭弁こそ、搾取の方便です。
mikiさんは、本当の、律への屈服者を見逃していたから、
mikiさんは、本当の、搾取の、理の親信仰の当事者に、騙されていたから、ご指摘したのです。
議論はちゃんと噛み合っています。
- [986]基本。 05/11/18 06:21 pn3lXmG3hF
- >>980
「教祖様・不思議な婦の一生」から、貧のどん底の部分、引用します。
先ず夫善兵衛様と、教祖の様子についてです。
「みきは親類から見捨てられるとともに、世間からも信頼されなくなった。そんな孤独なみきを、しかし善兵衛は捨てる気にならなかった。
一部屋にみきを監禁して、施しをしないようにもできただろうが、善兵衛はそれもしなかった。
世間や親類などの噂が耳に入らないで、ただ一人みきに向かうと、みきのよさがかおるように善兵衛に感じられたからだろう。
病人ではない。気違いでもない。狐つきでもない。
やさしい妻であるばかりではなく、みきの全身から慈愛が光芒のようにたちのぼっていた。」
「『今は闇の夜だと、神様は申します。でもじきに、夜が明けたように世の中は変わると申しております。
貧乏しているものが結構になる日が来るそうです。・・・刻限が近づいたら、神様がどうしても、そうすると申します。
そして、きっと親神様をあがめるような日が・・』
『そんな日がくるまで、わしどもは生きてれるだろうかね。』
『生きられましょうとも、・・・そんな日を向かえられるように、心の建てかえしますれば・・・』
心を建てかえれば、その日から、世のあけたような神の国になるのだと、みきは語る事が出来なかったらしい。
しかし、こんな風にみきと話していると、善兵衛は神の国はわからなくても、みきを信じていようと、自然に決心がつくのであった。」
mikiさん。
善兵衛は、みきを信じていようと、決心がついたのだとあります。
そして、「心をたてかえたら、貧乏している者が結構になる、神の国になるのだ」
これを、教祖の思いとして記しています。
教会は貧乏していても、それは、貧乏している者が結構になる、神の国になるためなのだと、その意味がわかる内容が、ちゃんと書いてあります。
善兵衛様はみきを信じようとされました。
あなたは、どうなのでしょう。
神の国が来る事を信じますか。疑いますか。
基本は、信じています。
- [987]基本。 05/11/18 06:47 pn3lXmG3hF
- >>980、>>986
「教祖様・不思議な婦の一生」から、貧のどん底の部分、引用します。
先ず夫善兵衛様が、みき様を信頼したと言う部分を紹介しました。
その続きで、教団関係の本では書かれていない史実の部分です。
「・・・善兵衛は神の国はわからなくても、みきを信じていようと、自然に決心がつくのであった。
それ故、みきが米倉や綿倉を空にしてしまっても、善右衛門(秀司先生の事)やまさのように悲しみもしなかった。
道具蔵に手をつけ始めても、文句を言わなかった。
旧家のこととて、金目の道具もたくさんあったが、買い手の言うなりの値段で、どんどん安く売って、その金を、みきは右から左に施した。
そんな無茶も、善兵衛は黙認するよりなかった。
そのうちに、家に目ぼしい物が無くなった。
みきは家中のがらくた道具を集めて、安市をして、洗いざらい売り払った。
それが弘化2、3年の頃の事であったろう。
善右衛門は二十五、六歳、まさは、二十一、二歳、次のきみは十五、六歳になっていたが、安市にむらがる古道具や近所の人を見ると、悲しくてじっとしていられなかった。
世間の人々がよってたかって、人のいい常識はずれの母をだまして、中山家の物を安くはぎとるようにして、自分達を真裸にしてしまうように、うらみもし、悲しみもした。」
mikiさん。
善兵衛は、みきが蔵を空にして、財産をみんな施してしまう事を、黙って認めていました。黙認していたと言う事です。
いよいよ最後に、「安市」をします。
現代社会でも、元もとの夫の財産は夫の財産で、妻が勝手に処分は出来ません。
それなのに、家財の道具を全部、「安市」で村の人々に安売りして、それを更に施してしまおうと言う妻です。
戸主である善兵衛様の許可無く、他人の村人が家に入り込んで、値をつけて安く買っていけるはずがない。
許可があったから皆が来れたのです。
夫は、みきに従って、ではあるかもしれないが、神の国は見えていなかったかも、知れないが、見えていなくても、ちゃんと、施しの資金作りに協力して、家財一切を提供しているのです。
正確な史実です。
- [988]基本。 05/11/18 07:12 pn3lXmG3hF
- 山名系の教義学者が、「安市」なんで書かないか分かりますか。
戸主の善兵衛が、妻のみきに従って、家財の全部を、家に人を入れてまで、安売りして、何にもなくしてしまうように、ともに協力したのです。
なんでこれを書かないのか。
その、何も分からずに、妻に従う善兵衛様の気持ちも、「一夜の間にも神の国」というみき様の教えも、理解できないのです。
そんな狂気、理解できないのです。理解できないから書けないのです。
子供の秀司(善右衛門)やまさは、理解できないで、苦しんだと、芹沢光治郎は、書いています。
mikiさん。
あなたは、子供の秀司(善右衛門)やまささんのお気持ちなら、きっと理解できるでしょう。
しかし、善兵衛様の、あほ、は、理解できないのでしょう。
芹沢光治郎さんは、こう書いています。
「二月二十二日(嘉永六年)に善兵衛は六十六歳で亡くなった。
みきの五十六歳の時である。
わが家族と言えるのはこの人ただ一人だったと、みきは夫のなきがらを見た。
みきには神を信じるものしか、自分の家族ではなかった。
わが子でも、神を信じられないものは家族ではない。
しかし神がかりから十五年間、疑いながらも
みきといっしょに神についてきたのは、善兵衛一人だけだった。」
基本は、誰よりも夫善兵衛様が、好きです。
何も分からなくても、教祖を支えて生きた。中山家を捧げて生きた。
苦しんで当たり前です。嘆いて当たり前です。
しかし、神のただ一人の家族としての、夫善兵衛様の役割は、すさまじいものと、価値を認めざるを得ないのが、基本です。
- [989]どん 05/11/18 11:40 CqHlB5xS.O
- >>982
あほさん、ありがとうございます。
今後はもっと具体的に端的に投稿するように努めます。
私と基本さんとのやりとりは、基本さんが>>983で投稿なさった通りです。どちらが正しいかという結論はわかりませんが、お互いの想いを、逸話篇という出典を示した上で、語り合っているということです。
>>981
基本さん、ありがとうございます。
そうでした。教祖が直々にお手本を示された逸話がありましたね。
教祖が「この音程、この手振りだ」と仰ってるのだから、そうなんでしょうね。
- [990]どん 05/11/18 11:43 CqHlB5xS.O
- 善兵衛様について、私も思うところを投稿させて頂きます。
個人的なことで恐縮ですが、私の長男は知的障害を合併している自閉症です。三男は昨年、脳梗塞で左半身不随になりましたが、随分動けるようになりました。ちなみに長女と次男は元気です。
家内は不安障害(パニック障害)になりました。数ヶ月前から別居中です。
長女と三男を妻が、長男と次男を私が見ているという状況です。
長男が障害を持って生まれたのは、私を選んで来てくれたのだろうと思いますので、決して出来た父親ではありませんが、ともに生きていこうと思っています。
家内は、私や長男と一緒にいるのが嫌だと言うので、では望みどおり別居なり離婚なりしようということになりました。家内はとりあえず別居がいいと言いましたので、ではそうしようということで、精一杯の養育費は払っています。
長女は私から離れるのを嫌がりましたが、家内の希望を優先し、長女には我慢してもらっています。しかしこれは私には強烈な苦痛でした。私自身のことなら譲歩も出来ますが、娘の気持ちはどうなるんだと、怒りに震えました。娘が家内と住みたいと言うなら喜んで送り出します。しかし娘は私と住みたいと言っているのです。家内に対して「お前は、自分が一緒に住みたくない人間とは暮らせないと言いながら、自分が一緒に住みたいと思っている人間なら、相手の気持ちを無視してまで一緒に住まわせるのか。」と、憎く恨めしく、何日も悶々としました。
でも、ひどい父親かもしれませんが、娘の望みは、家族全員が再び一緒に暮らすことだと本人から聞いていましたし、そのためには家内がその気にならなければどうにもなりませんので、家内の希望を優先するということで長女を説得しました。長女は納得してくれました。諦めた、のかもしれません。最低な父親です。だからという訳ではありませんが、週末には長男を施設に預けて、長女との時間を作り、会う度に抱きしめています。
では家内はどうでしょうか。障害児を生んで、周囲からは母親のせいだとか、育て方がまずいだとか言われて、自分を責めて責めてボロボロになって、でもそうじゃない、先天的なものだから、自分が悪い訳じゃないからと、悔やんでも仕方がないからと、前を向いていこうとした途端に、三男の脳梗塞でした。それで愚痴を言ったりヒステリックになれば、夫(私)からは「そんなら俺が家事をするからお前はしなくていい」と言われる訳です。私も必死だったとは言え、あまりにお粗末な夫でした。
私が別居すると言ったとき、私の両親や友人は反対しましたが、私は、私が最も傷つけた、また最も癒されるべき人間が、そう望むのだから、そうしよう、と決めました。その時点で私が表現できる彼女への愛情はそれしかないと思いました。さて家内は私と長男から解放されたとはいえ、三男に手がかかりますので、相変わらず大変な毎日ですが、徐々に元気を取り戻しつつあります。来月からは、また皆で一緒に住もう、と、家内のほうから言って来ました。ありがたいことです。
善兵衛様のご決断と較べるのは恐れ多いのですが、私は、私なりに善兵衛様のご苦労と教祖への大きな愛情を想像するに、これほど妻を愛した人はいないんじゃないかな、と思います。
- [991]基本。 05/11/18 15:40 xOfdqBHFM6
- どんさん。
身上の、平癒を、薄皮一枚でよいから日々の平癒を、教祖にお願いしましょう。
奇跡と言うものは、願う心の誠から生まれます。
どんなに薄いご守護でも良いから、人たすけに生かされるようにと、お子様のために、同じ悩みを持つ一れつの皆様のために、親神様にお願いをし続けてください。
どうぞ、お願いします。
- [992]あほ 05/11/19 01:08 iisZsgQ1jR
- 基本さんよくわかりました。
実際 あほ は本当にアホなのでちゃんとわかっていないと思います
が、言おうとされていることはよくわかりました。
僕の言った内容が失礼だったかなぁと今更ながら後悔しています。
もしなにか不足されるようなことがあったら今更ですが、謝らせてください。
すいませんでした。
それから一つだけどうしてもわからないのがあるんですが、質問
させてください。
基本さんは、お道(天理教)を信仰しているのかそれとも違う宗教をしているのかどっちなのですか?よければ教えてください。
- [993]基本。 05/11/19 02:18 pn3lXmG3hF
- 「天理教中山みき派」と言いまして、一人しかいない、天理教をしています。
別名を「天理教真柱派」と言いまして、お道を信仰しているのではなく、お道そのものの一部です。
あほさんには、・・難しかったかな。
もう少し優しい言葉で言いますと、今の天理教団は生まれかわって、宗教法人の天理教以外に、宗教ではないおたすけ組織が生まれてきます。
その、最初の一人です。
- [994]基本。 05/11/19 02:33 pn3lXmG3hF
- 信仰と言うのは、信じること、教えを信じて仰ぐ事ですよね、あほさん。
あほうは神の望みと、教祖は言われましたよね。
届かんけれども心つくするが道の台と、言われましたよね。
道の台というのは、道の一部分です。
普通の人は、その台の上に乗るのです。
あほうはね、台だから、台の上には、乗れないのです。
道の一部だから、ね。道の上は歩けないのです。
わたしも、本当は「あほう」です。
それとね。あほさん。
水道の水飲むときにね、これは飲料水かと、誰も確認して飲みませんよね。
喫茶店に行って、出て来たコーヒーに、「マスター、これコーヒーと信じるよ、俺」なんて、言ったら、変でしょ。
天理教を信仰してますか、とかお道してますか、とかね、
それは、教祖に失礼なんです。
教祖が、ね、基本には、いつも側にいてね、優しく優しく、ご案内くださるのです。
水道の蛇口の様に、いつでも、神様の教えがふんだんに飲めるようにね、
して下さってある教祖はね、誰にでも、
基本みたいな「あほう」にでも、お優しいのです。
教祖が、そこに、お使いくださる以上、基本は、教祖の道の一部分なんです。
- [995]ちまき 05/11/19 09:05 3b5YA6/wja
- 宗教信じてる人って気色わりいし、狂ってる
- [996]どん 05/11/19 17:53 kX5B1d/BYo
- >>991
基本さん、ありがとうございます。
すでに、また今も、十分なご守護を頂いていることに感謝しています。
>>995
ちまきさん、こんにちは。
どうしたんですか? 天理教の人に、何かイヤなこと言われたんですか?
- [997]基本。 05/11/19 23:42 pn3lXmG3hF
- >>995
> 宗教信じてる人って気色わりいし、狂ってる
この世にありもしないものを、信じているのか、
この世の元の親神を信じているのか、
その違いだと思います。
- [998]そもさん 05/11/20 00:01 *Gy.J5cXDy5F*AkvxZnplFM
- >>966mikiさん、はじめまして。
>仏陀が仏教をつくったのではありません。仏教の開祖は仏陀ではないのです。
この部分を教えていただけませんか。
- [999]苺 05/11/20 11:23 GoRGEoUS
- あほうは台だから、台の上にはのれない。
道の一部だから、道の上は歩けない。納得。。
- [1000]やさしい午後 05/11/20 11:27 Congratulations
- (っ´∀`)っ1000♪
- [1001]ニート 05/11/21 05:34 Xj3erYtVPS
- 私を覚えてますか?しばらくのアイダにまたむずかしい話しがいっぱいだね。
実はいろいろあって。(自分のケータイ止められてる間に、新人さんちの電話黙って勝手に使いまくってたら電話代二十五万になってて、止められてウチらのせいで新人さん達、ここに来れなくなりました。ごめんよ。少しずつしか返せないから)
そのあと家に帰って少し仕事を始めたけど、妊娠して結婚する事になったんだ。家にはパソコンないし、返事は見れないけど、報告です。
どんさん、どんさんは、奥さんを一番傷つけたって書いてました。きっとその事にどんさん自身が傷ついたんだね。奥さんもどんさんが嫌いだったら何言われても傷ついたりイライラしたりしないよ。一番解って欲しいと思うから、望むほど優しくしてくれないと許せなかったんだと思う。心の奥は本当は仲良しのラブラブ夫婦だよ!!違う?
生きてて、口もきけるのにもったいないな。できれば仲良しして欲しい。
ニートのマジ親父は死んでるから結婚式にもでられないよ。ダメなニートを怒りたくても抱きしめたくても会いたくても・・。・・大人の事情ってヤツに生意気でごめんね。
でもニートなりに、ここでニートの相手をしてくれたみんなにも、ずっと幸せでいて欲しいと思います。ま、ニートの周りは私の今後をこの上なく不安げに見守ってくれてるんだけどね。なにしろ
気をつけよう、ニートは急に変われない。だからね!?こんなニートでも親になんなきゃいけないんだけど、子供欲しくてもできない人だっているし、おろしちゃう人もいる。
みんなそれぞれ悩んだり迷って生きてるわけだけど、これはもう人生楽ありゃ苦もあるさって感じで、誰かに支えられたり、力になったり、誰かを傷つけたり、誰かを思ったり、反省したりしながら、めんどくさいけど乗り切っていくしかない〜みたいな。
自分だけじゃなくて、周りの人にもそんな感情があるって事にも気付かなかったニートに、声をかけてくれて本当にありがと。チッチャイ脳みそと短い思考回路の私だけど、皆の思いやりが嬉しかったです。
・・・いつかまた!!
- [1002]どん 05/11/21 06:57 kX5B1d/BYo
- おお!ニートさん!
お久しぶりです。
そうでしたか、おめでとうございます。
それから、ありがとう。
「生きてて、口もきけるのに、もったいない。」
いい言葉ですね。本当にいい言葉だと思います。
仲良くしますね、ありがとう。
またお会いできる日を楽しみに(^o^)/
- [1003]くろ 05/11/21 11:01 T0PcsTbHND
ニートさんお久しぶり!!って言っても見てないのかな・・・?
妊娠、結婚!!おめでとう!!
又、会いたいな〜!!
どんさんお久しぶりです。ずっとロムしてましたが、ここ数日忙しくて離れておりまして・・・。
どんさんも大変な事情を持っておられたんですね。ここでは本当にすばらしい存在として私は尊敬し、助けて頂いていましたが、ご自分の事情を持っておられた事を知り、以前にも輪をかけてすばらしい方だと感激しています。自分の事で精一杯なのが普通だと思うし、そんなさなかでも勇んでおられる姿を感じさせて頂き、頭が下がります。
本当の陽気くらしの姿ではないでしょうか?
夫婦、家族には外からは分からない事がたくさんあります。
私にも人には言えないような事情をお与え頂いています。神様にもたれていけば良いようにして下さる・・・と思うと勇める心になってきました。何事も心の持ちようだと最近つくづく思います。
事情、身情が無ければ成人はなかなか出来ていかないな〜と思いながら・・・。お互いがんばりましょうね!!
- [1004]どん 05/11/21 17:00 3qkqJ4McPx
- おあ!くろさん!
お久しぶりです(^_^)
ありがとうございます。ともに頑張りましょう!
「神にもたれる」というお話が出ましたので、神様の愛について私の思うところを投稿させて頂きます。くろさんを批判するつもりは全くありません。
私は、天理王命中山みき様の愛情というか慈悲は、底抜けの圧倒的だと思っています。もう、相手が誰であっても、何をしていても、いつでも、どこでも、無条件にダントツに、良いようにして下さっていると思い込んでいます。その人にとって一番良いように、既に、また今もそうして下さっていると思い込んでいます。
ですから「こんな私では神様に愛されないんじゃないか」というのは誤解です。一定の条件を満たさないと愛してくれないなんて、まるで玩具を買ってくれたら機嫌が良くなる子どものような、そんなみみっちい神様ではありません。それじゃまるで人間です。そうではなくて、中山みき様の愛情は、無条件で無制限です。と思っています。
また「神様にもたれず疑ったから悪いことが起こる」というのも誤解ということになります。疑われたからといって不機嫌になるような、まるでつきあい始めたばかりのカップルのような、そんな心の狭い疑心暗鬼な神様ではありません。それじゃまるで人間です。そうではなくて、中山みき様のお力と計らいは、広大無比にして圧倒的です。と思います。
「神にもたれる」とは、起こってくる出来事の全てを神様の計らいだと、神様からのプレゼントだと理解しながら毎日を過ごす、ということだと思います。神様は「決して悪いようにはしていないから、安心してもたれていなさいね」と仰っている訳で、「もたれてないと非道いめに遭わせるわよ!」と仰っているのではないんですね。と思います。
- [1005]くろ 05/11/21 19:54 T0PcsTbHND
- どんさん!!ありがとうございます!!
批判なんてとんでもないですよー!!
私が親神様にもたれていけば・・・と思っているのは先案じをしてしまう自分への戒めなんです。
何でも不安に思ってしまうのでそんな事を親神様から言われてるんではないか・・・と思いながら日々過ごさせて頂いているんです。
でも、不思議とそう思って過ごしていると、私が困ったなーと思っていると何かしら誰かが助けてくれるんです。神様が助けて下さってるとしか考えられない事を何度も経験しました。有難いです。
成ってくる事をどう解釈して自分の中に納めていくか・・・
毎日楽しんで通らせて頂きたいと思っています。
- [1006]あほ 05/11/21 19:54 iisZsRRqJb
- 基本さんそうだったんですか。
みなさんが誤解されると思うので僕の意見も皆さん参考にしておいて
ください。
天理教は一つしかありません。〜派も何もありません。
ですから、それは天理教ではないのです。
>天理教を信仰してますか、とかお道してますか、とかね、
>それは、教祖に失礼なんです。
なるほどそういう考え方もあるんですね。初めて聞きました。
- [1007]基本。 05/11/22 02:36 pn3lXmG3hF
- >>1006
あほさんは、賢い方でいらっしゃる。
では、議論しましょう。
> 天理教は一つしかありません。〜派も何もありません。
事実そうですか?
@歴史的事実として、違います。
(1)天輪王講社としての遠江真明講、同じく天輪王講社としての明誠社、天倫王社としての船場、このように天理教は複数の異なる思想団体でありました。
(2)又、明治政府の方針に逆らい、元の理を説くなどした布教師は教団から追放された時代がありました。
その、本来の教えの元の理を説いていた布教師たちと、偽物の教理を説いていた「理の親系」と、二つの派がありました。
これが、歴史的事実です。
本来の教理を説いて、懲戒免職になった布教師が信州伊那谷にて布教して、その流れが、基本です。歴史的事実です。
A現実的事実として、基本が「中山みき派」がいますから、現実に違います。
反論ください。
>>天理教を信仰してますか、とかお道してますか、とかね、
>>それは、教祖に失礼なんです。
>なるほどそういう考え方もあるんですね。初めて聞きました。
仮に、伊蔵様がいたら、「天理教信仰してますか?」て、聞いたら失礼でしょ。教祖に。
仮に、初代真柱様がいたら「天理教の信仰してますか?」て、聞いたら教祖に失礼でしょ。
それと同じで、道の中で一つの役割している人に、それが下足番であっても、境内係りであっても、「天理教の信仰してますか?」と聞くのは、教祖に対する失礼です。
寄せたのも教祖です。使っているのも教祖です。から。
それは、常識です。
ケーキ屋さんに入っていって、これをケーキと思って売ってるのと、言うようなものです。
基本は天理教の基本を説いています。
反論どうぞ。
- [1008]基本。 05/11/22 02:42 pn3lXmG3hF
- あほさん、議論しましょう。
天理教でないのは、「理の親信仰者組織」です。
今の教団の幹部の殆どは、「理の親信仰」を事実として、撤廃していません。
やめましたと言う宣言もありません。
つまり、「天理教理の親信仰派」がいるという事実がある以上、
「中山みき派」も、存在の理由があります。
- [1009]どん 05/11/22 09:50 CqHlB5xSt8
- くろさん、ありがとうございます。
私は相変わらず好き勝手なこと言ってますが、くろさんはいつも暖かくお応え下さり、本当に感謝しています。今後ともよろしくお願いします。
- [1010]苺 05/11/22 10:54 7G3weJLxUe
- みなさん、ご挨拶が遅れました。
一応、修養科、検定講習受講済の苺です。
たまに来ます。よろしくね。
- [1011]どん 05/11/22 11:26 CqHlB5xSy8
- 苺さん、はじめまして。
よろしくお願いします。
修養科は楽しかったですか?
- [1012]くろ 05/11/22 19:24 T0PcsTbHND
- どんさんこちらこそです!!
私も色々な角度から物事を考える事ができ、勉強させて頂いています。
狭い心を少しでも広げられるようになればいいな〜!!と思っているのですが・・・。
これからもよろしくお願いします。
- [1013]あほ 05/11/22 19:26 iisZsRRqJb
- >基本さん
議論というと言い争うというようなニュアンスがあるので僕はそれは
いやです。しかし話し合いでお互いの理解を深めていくというのであれば
話に乗ります。最近毛が生えたような若造ですのでまだまだお道のこと
もわかっていません。どうぞお手柔らかにお願いいたします。
僕が言いたいのは回教のようにシーア派とか仏教のように〜宗とか
天理教にはないですと言いたかったんです。
基本さんの仰る歴史的事実とはあくまで過去の体系的な話で、現実的事実と言っているのは
基本さんの個人的な話です。
僕が言っていたのは回教のようなシーア派とか仏教のような〜宗とか
いうのは天理教にはないということです(異端はいっぱいありますが)
つまり、僕が言ってるのは「世間一般また教団にも認められてる〜派」で
基本さんが仰ってるのは、政治で言うとタカ派とハト派のような、軽い
意味での〜派ですよね?
きっと僕が言ってるのと基本さんが仰っている話の内容は違っています。
- [1014]苺 05/11/22 19:32 7G3weJLxUe
- どんさん、こんばんは!
修養科は、楽しかったですよ!
私は高校を中退して1年(今で言うニート?)して行ったんですけどね。若かったし、教理も何にも分からなくて、ただただおぢばに置いて頂いている事だけで、幸せでしたね。懐かしい・・。
それまで笑わなかった(笑えなかった)私の顔が、勇んでひのきしんをしているその姿を見て、初めておぢば帰りした兄が「苺がこんなに喜んでいる所だから、よっぽど良い所なんだなぁ〜」ってね。
信者さん達と団参で帰参していた親会長さんもね、「苺ちゃんの勇んでいる姿がにほいがけだね!」って。。
うっ。。思い出して涙している苺。
それからは、、いろいろあったなぁ。。。
あっそうそう、どんさんのお子さんは自閉症なんですか?(唐突に聞いてすみません)私の恩師がね、自閉症の子の世界は人間が本質的に(本来)持っている世界なんだよって教えてくれました。その子の持つ世界をすこしづつでも広げてあげられたら良いのですけどね。
言うは易しかなぁ。。周りはやはり四苦八苦かも?
私も将来、関わりを持って行くかもしれませんので。
- [1015]基本。 05/11/23 01:14 pn3lXmG3hF
- >>1013
> 話し合いでお互いの理解を深めていくというのであれば話に乗ります。
了解しました。
> 僕が言いたいのは回教のようにシーア派とか仏教のように〜宗とか天理教にはないですと言いたかったんです。
>
意味としては、理解しました。
回教の場合の派、仏教の場合の宗、キリスト教の場合の新教・旧教と、例えば派と言うものの定義でも、それぞれにて違います。
あほさんは、心得ておられると思いますが、確認しますと、
@誰が正当の後継者かで分裂して出来た、「派」。子供か弟子か、回教の場合です。
A誰の解釈が正しいか、その内容の違いで、出てきた「派」。この教義か、あの教義か、仏教の場合ですと、どのお経が一番に尊いのかというお経の別による仏教の宗門の場合です。
B内容として、教祖そのものに帰れと言う原理・原典主義と、宗教組織で体系付けられた教えとの対立から生まれた「派」、キリスト教の新教・旧教という関係の「派」
C、@ABの複合型。
天理教には、
@については、異端・別派行動として、水屋敷事件・茨木事件がありました。
Aについては、異端別派行動として、ほんみち事件がありました。甘露台は人間だと言う解釈をしています。八島秀雄さんの「顕正教祖伝」は、今でもあります。
Bについては、過去に於いて懲戒免職された布教師たち、そして、今は基本がいます。
天理教を一つと言い切る事は、簡単ですが、先ず表面から見ても、「派」はちゃんとあります。
その、派の存在を前提にしないで、一つと言い切るのは、無理があります。
或いは、「派」があることを隠す手段として、「天理教は一つだ」と、いう場合もあり、自分達の主張一本に締め付ける手段として、「天理教は一つだ」と、言う事もあるからです。
> 基本さんの仰る歴史的事実とはあくまで過去の体系的な話で、
> 現実的事実と言っているのは基本さんの個人的な話です。
その認識の根拠が疑問です。
あほさんは、
その頃に、「河原町初代は何を説いていたか」「北初代は何を説いていたか」、調べましたか。
それが、どのように、言葉を変えて今の天理教の教理になったのか、確認してありますか。
無いと思います。
天理に於いては、「因縁の教理」は重大です。
過去に何をしてあるかと言う事を、「撒いた種」と言います。
過去に「派」が存在していた、その因縁を切らないと、派の問題は解決しません。
そこで、先ず、天理教は、教祖の教えとは全く別に、各派が、教会・教団を作り上げていって、その当事者は、「理の親信仰の元祖」ということを、確かめているのです。
どう思われますか。
- [1016]どん 05/11/23 05:51 kX5B1d/BYo
- 苺さん、ありがとうございます。そうでしたか。
>「苺ちゃんの勇んでいる姿がにほいがけだね」
ホント、そうですね。喜びや、勇んだ心は、周りの人に伝わりますよね。
>自閉症の子の世界は人間が本質的に(本来)持っている世界
正直、ありがたいコメントです。私もそう思います。仰る通り、本質とは何か?を、私は彼から学んでいます。彼は私の恩師の一人です。
>その子の持つ世界をすこしづつでも広げてあげられたら良いのですけどね。
>言うは易しかなぁ。。周りはやはり四苦八苦かも?
確かに大変な場面もありますが、自閉症という障害の特性に沿った関わり(例えば声かけを減らして絵や文字で知らせるなど)が出来れば、結構いけます。といいますのは、彼らの世界には、嘘、恥、見栄といった概念がない(これはすごいことだと思うのですが)ので、健常の人より付き合いやすい面もあったりする訳です。
その意味では、「私達が世界を広げて、その子の持つ世界に近づく」ことで、「その子の持つ世界を広げる」ことにつながっていくのかもしれませんね。
- [1017]どん 05/11/24 11:25 HrgyI5MrbG
- >>1004
私なりの定義で、「神にもたれる」とは、「起こってくる出来事の全てを神様からのプレゼントだと理解しながら毎日を過ごす」ということについての、続きです。
問題は、自分にとって望ましくないことが起こったとき、どうすれば喜べるか、ということだと思います。
教祖は「神が罰あて更になし」と仰いました。神は罰を与えないというなら、その望ましくない出来事は一体何なのだろうと考えました。教祖のお言葉は以下のように続きます。「神が罰あて更になし。そのはずや。この人間を拵えたのは、この人間の、陽気遊山を見たさに拵えた人間やもの。」また逸話篇には「この神様は、可愛い子どもの苦しむのを見てお喜びになるのやないねで。」とも仰っています。
私は、望ましくない出来事が、罰ではなく、苦しみを与えるためでもない、とするならば、残る可能性としては、「私がこの出来事を苦しみであると意味付けているだけではないか」と考えました。神様は私を喜ばそう楽しまそうとして様々な出来事をお与え下さっているけれども、私が勝手に嫌がっているだけじゃないかと、考えました。そうしますと私の次の行動は、「では一体なぜ私はこの出来事を嫌がっているのだろうか」と思案することでした。
知的障害を例に考えますと、私の心の中に「能力が高いことは善で、低いことは相対的に悪である」という価値観があることがわかりました。これは私にとっては当然の正義でした。毎日10数時間勉強して早稲田に入って、卒業してからは大手の企業で毎日夜中まで働きました。本社の営業企画にいたのですが、少しでも現場の営業マンの助けになるようにと一生懸命でした。独善的になっていたつもりはありませんし、同僚や上司との関係も良かったのですが、息子の障害を機に思い切って早期退職し、彼とじっくり向き合う中で、どうしても、突き詰めれば「能力は高い方がよい。ということは障害は望ましくない」と考えている自分に気付くのです。
- [1018]どん 05/11/24 11:31 HrgyI5MrbG
- 連続してすみません。続きです。
そこで、「人はそれぞれだ。能力の高い人が優れているのではない。また、能力が劣っている人が優れていないのでもない。」という(私にとっては)新しい価値観を意識しながら生活することにしました。お勤めで「悪しきを払うて」の時は、その古い価値観を「悪しき」と見立てて、胸の悪しきを払うイメージで、手振りをし、神様にお願いしました。「悪しきを払うて」が21回ですから、「新しい価値観での人生が、十分たっぷり始まる」ように、お願いしました。
そんな風に、何事についても、自分にとって望ましくない出来事があった度に、「一体なぜ私はこの出来事を嫌がっているのだろう?」と自問して、自分の胸の中にある価値観を点検して、手放すように努めて(勤めて)います。息子の偏食や、水洗トイレの水を何度も流すという自閉症児によくあるこだわりも、家内との言い争いも、一つ一つ、自分自身の価値観を点検するようにしています。
そうした自分なりに点検していく中で気付いた新しい価値観で、毎日、毎時、毎分を過ごすことこそが、「心定め」じゃないかなと私は思っています。私の周りでは「心定め」というと、「お供えいくら」とか「別席者何人」とかいう具体的な行動の目標を指すことが多いのですが、それらは強いて申せば「志(目標)定め」であって、心定めとは、本当に、時々刻々の心を、固定するということじゃないかなと思っています。
人から嫌なこと言われたら腹が立ったり、逆に褒められたら嬉しくなったり、ついつい自分勝手な自由気ままな反応をしてしまうのですが、そうした自分の反応の裏には必ず善悪の価値観が潜んでいるはずだから、そこを丁寧に点検して、そして胸の中のこだわり(善悪の価値観)を払って、何を言われても、何が起こっても、それをありのまま、それを神さまからのプレゼントだと受け取って、喜びで応えよう、「常に」喜びで応えよう、そう心を定めるように努めています。
「神にもたれる」とは、私は、そういうことじゃないかなと思っているのですが、勿論、まだまだ、もたれ切れてはいません。でも当面は、この考え方で頑張ってみるつもりです。
- [1019]あほ 05/11/24 19:05 0NvfffbZM0
- 世界の宗教の〜派〜宗についてのご意見よく理解しました。
天理教についての1と2の話ですが、それらは天理教の〜派ではない
ですよね?それらは別の宗教であって天理教ではないですよね?
3についての懲戒免職ですが、その懲戒免職されるとどうなるのか
僕は知りません。懲戒免職とは教会長としての立場ですか?それとも
おさづけの理を返されたのですか?
どっちみち懲戒免職とはそうとうな理由があるからだと思います。
ということから1〜3は天理教教義に反しているということだと思います。天理教〜派ではありません。「天理教」と語れないからです。
>その頃に、「河原町初代は何を説いていたか」
省略
>無いと思います。
ここで基本さんが仰りたいのは過去の話ですよね?過去に派があり
今もその派が残っているってことを仰りたいんですよね?
現在、教会の系統はありますが〜派は存在しません。あればそれらは異端
といわざるをえません。それらは基本さんが言っておられる天理教の
1〜3のご意見を見ればわかることだと思います。
私は毎月詰所でご飯食べる派なんですとか教会へは毎月お祭り行きたい派ですとか
いうのならあると思いますが。間違ってはいけないのは僕たちが今
話している「〜派」と「系統」は全く別のものです。混同してはいけません。
河原町、北の初代も素晴らしい種を蒔かれました。だから今の河原町、
北があるのです。
派の問題ってそもそもなんですか?
- [1020]苺 05/11/24 20:06 s4o7eHH1Wh
- どんさん、こんばんは!
どんさんが、お子さんを持つ前の価値観と、お子さんと共に生きながら又、天理教の信仰を根本に置いて培って来た価値観・・それには相違があるようですね。
私は独身なので、子どもを育てた経験がないのですが、少ない(笑)お助けの中で、自分の価値観というか頭の殻?を打ち壊された様な友人を神様より与えて頂いた経験があります。。その方は、当初、100メートル先から私の姿を見ると飛んで走って来ました。成りたくて友人になった訳ではありません。むしろ選んでいたら?友人には成らなかった人でしたが、約、丸4年程どっぷり相談?(とにかく話をずっと聴いて)きました。
実は、関わった瞬間とっさに「自分の世界が崩される・・!」と恐怖にも似た感情を持ちましたが、そのまた次の瞬間に「これは絶対に親神様からのメッセージ(試練?)だ!」と感じて、その後は、その彼女の話をずっと聴き続けました。
今、彼女はすっ〜と私の前から去って行きましたが、彼女と関わった事は、まさに私の成人の為に成って来た事だったとしか思えません。
とりとめのない話ですが。。。
それから、先の恩師はこうも話しておりました。
『ダウン症のこどもを10人集めても核兵器は作らない!』と。
頭がいいとか、要領がいいとか、そんな事は人間の物差しの話なのかもしれませんよね。
いちれつきょうだいで、いいじゃないですか?ね。
- [1021]基本。 05/11/24 23:02 phSDz2uqD3
- >>1019
あほさんは、始めに結論ありきで語られていませんか。
ご自分で、白紙に戻って、きちんと調べられたらどうでしょうか。
あなたは、基本が「天理教中山みき派」と名乗る事について、異論を述べられた。批判された。「天理教には派はない。」と。
それが、発端である以上、あほさんは、基本の言う「派」について、きちんと、理解されてから、反論しなければ、談じあいの第一歩にも入れませんでしょう。
基本は、今はただ一人の「天理教中山みき派」ですよ。
でも、その基本に同じ立場をとる人が百万人になる事も、あるのですよ。
大切なのは、数の問題ではなく、中身の問題です。
中身に、「白と黒」ほどの差があれば、それは、きちんとした「派」として、分別されるのです。
その事、先ず、ご理解頂けたでしょうか。
誰が教祖の後継者かと言う事で、回教は派に分かれた。
それは、「白と黒」ほどの差でしょう。
あほさん。
お釈迦様の教えの、どの経文が正しいのか、と、言う事で仏教は派に分かれた。
それは、「白と黒」ほどの差でしょう。
あほさん。
あほさん。
宗教に於いての「派」とは、そのように、白と黒ほどの差で生じるものなのです。
そして、基本の説いている基本教理と、山名系・深谷系教理は、
白と黒ほど違うのです。
その違いが、あなたには、感じ取れないのでしょうか。
過去の問題ではなく、今の問題としてです。
- [1022]基本。 05/11/24 23:04 phSDz2uqD3
- >>1021
> 河原町、北の初代も素晴らしい種を蒔かれました。
> だから今の河原町、北があるのです。
基本は、こう語っていますよね。
河原町の初代も、北の初代も、理の親信仰という悪い種を撒いた。
あほさんは、白といい、基本は、黒と言っています。
- [1023]基本。 05/11/24 23:23 phSDz2uqD3
- >>1022
天理市の天理教関係として販売されている信仰本や教理本の中には、殆ど全てが、
「河原町初代」「山名初代」は、すばらしい種を撒いたと、書かれています。
そして、基本一人が、「天理教中山みき派」として、次のような事実を語っています。
「河原町初代」「山名初代」は、応法の道の先駆者である。
天理教会になる時に、講元さん時代の純粋な信仰から、宗教家業の悪因縁に惑わされて、自分が理の親として、部内を子と説いた。
その親の教会として、豪邸の教会施設を普請し、お礼奉公という悪習を残し、理の親という親に孝行すると言う道を説いて、部下をいつまでも下に従え、現在までも、理の親信仰を説き続けている。
これは、黒埃である。
- [1024]あほ 05/11/25 15:14 0NvffWsQ7j
- >大切なのは、数の問題ではなく、中身の問題です。
>中身に、「白と黒」ほどの差があれば、それは、きちんとした「派」>として、分別されるのです。
>その事、先ず、ご理解頂けたでしょうか。
理解しました。ですから白と黒ほどの差があるということはそれは天理教
の教えとは白と黒ほどの差があるっていうことですよね?やはりそれほど
差があるということはそれは「天理教〜派」ではなくて、「〜教」になると思うのです。
たしかに基本さんのように私は天理教〜派です、と言うのは簡単なことです。
じゃあ僕は今日から天理教飯降伊蔵派です。と言えば新しい派のできあがりです。
でもそれは言っている本人がいるだけで、天理教にはそういう「派」は
存在しません。それを伝えたいのです。私は〜派ですとういうのは
いくらでも言っていただいても僕はかまいません。
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