講師:入川常美さん(立命館大学心理教育センター研修員)
もしも、一人で走っている子どもに「危ないよ」と声をかけたことがきっかけで逮捕され、「誤解です」と説明しても警察に取り合ってもらえなかったら、あなたはどうしますか?
2005年7月に近鉄奈良線富雄駅付近で起こったえん罪「西奈良事件」。しかし、そもそも「事件」ですらない「声かけ」だけで通報され、「脅迫罪」で逮捕、起訴される。新聞紙上でも実名・勤務先・住所など個人情報が公開され、仕事も名誉も奪われ…。その背景には、2004年の奈良児童誘拐殺人事件、2005年から発効した奈良県「声かけ禁止条例」(!?)などがあるようです。ありふれた町の一場面で、いったい何が起こっているのでしょうか?
今月の例会学習会では、この「事件」の学習を通して、警察・報道・地域などの問題点を考え、えん罪の渦中で闘う強い意志を改めて捉え直していきたいと思います。
講師は「事件」に巻き込まれた男性の家族であり、当事者ご本人とともに闘いの最前線におられる入川さんにお越し頂きます。多数のご参加、お待ちしております。
日時:5月23日(火)夜7時〜
場所:大阪ボランティア協会(研修室)
※当日6時30分から通常の例会を行います。
例会報告
(例会の講演内容を当日の資料をもとに編集部で要約しました。)
二〇〇五年七月一日に脅迫容疑で逮捕された近畿大学教授事件について、一人でも多くの方に是非とも真実を知っていただきたいと思います。通報があれば、何でもない日常的な出来事が犯罪に作り替えられ、犯人とされる。冤罪は現在の警察の操作が自白重視であり、取調室が可視化されない限り、決して少なくはならないと思われます。今回のことから、事実関係を捜査すればすぐに明らかになることであっても、必要な捜査を行わず、必要でないことを身柄拘束して取り調べるという、何とも不合理で倫理もない、無法で信頼できないのが警察の本質だということがよくわかりました。
この事件は昨年の一一月頃、奈良市の小学一年生の「かえでちゃん誘拐殺人事件」があった地域で起こった冤罪事件です。逮捕と同じ七月一日に奈良県は「子ども声かけ禁止条例」(「子どもを犯罪の被害から守る条例」)を発令しています。夫の容疑が脅迫罪なので、表だっては関係ないと思われるかもしれませんが、通報者も誘拐があった地域に住んでおり、地域全体が敏感になっている中でこの条例のことは学校や幼稚園の子どもをもつ親たちにとって身近な問題として意識にあったと思われます。
事の真相は、警察が発表した内容とは全く異なっています。夫は子どもと出会ったときには美容院で髪を切った直後で、全く飲酒をしておりませんでした。そのことについては美容師さんから証明していただいています。新聞発表のように飲酒検査拒否などは、一度も全くのでたらめだということです。にもかかわらず、飲酒など事件と関係ないことを絡めて、事件でもないことを事件らしく見せかけて、事実確認の調査も行わず県警本部で報道機関に発表しています。夫は教育者ということで、強い警察を世間にアピールするのに好都合な被疑者であったと思われます。犯罪性のないことをこじつけて逮捕するやり方は、戦時中の思想狩りと何ら代わりがありません。警察は真実かどうかより、自分たち警察の成果を挙げることを最優先する期間であることに初めて気づかされました。
担当弁護士が検事から「実のところ、よくわからない。だから書類送検まで時間がかかった」と聞かされたそうです。通常だと、逮捕から二週間程度で書類送検ですが、今回は二五日後でした。一〇月中旬に、弁護士は「嫌疑不十分」の意見書を検察に提出しました。検事から二度呼び出しがあり、現場検証が行われたにも拘わらず、今年二月に起訴されました。
現在は、四月に初公判が行われ、裁判の争点を検察側と裁判官、弁護人とで調整している段階です。初公判では検察の脅迫罪に対して否認し、無罪を主張しました。
当日の状況を説明します。七月一日の午後一時に自宅を出ててその一〇分か一五分後に美容院に着き、髪をカットしました。午後一時四七分にその美容院を出て駅に向かって歩いていたところ、二歳の男児が前方から走ってきたので、ピザの宅配点の近くまでそのまま走るとバイクとぶつかるかもしれないと思い、右手を横に差し出して一声かけて幼児の走るのをとめました。ただそれだけです。母親には声もかけておらず、親切心でしかない行為を母親は誤解してか、通報しました。夫は、その時点では母親の存在がはっきりわからず、幼児の後方にいた二、三人の人達を母親と思って子どもの安全に意識を促そうとして「目を離さず、手も離さず」と通りがかりに声をかけていきました。だから母親とは直接一言も声を交わしていません。駅の近くの「八百徳」という店で買い物をして一時五四分にそこを出て、すぐそばの自動販売機でチューハイ一缶を飲み終えて家に帰ろうと、店の隣の南都銀行の前を通り、その隣にある派出所を通りかかると数名の警察官や刑事がいるので「何かあったんですか?」と自分から声をかけて近寄ると、「ちょっと話を聞きたい」と言われました。「いいですよ」と派出所の中に入ろうとすると刑事の一人が「ここではなく本署へ」と言い、そのまま来るまで西奈良警察署に連行。身柄を拘束され、その日の夕方には逮捕されました。
その内容は、当事者双方の話を公平に聞けば、即座に事件かどうかはわかるようなことですが、警察は通報者の言われるままで入川の言うことには全く耳を貸さず、事実確認も行わず拘束し、その五時間後に逮捕令状を取っています。大学教員が脅迫容疑をかけられたことから、各新聞の社会面やNHKで大きく報道されました。翌日の新聞(特に朝日と産経で)には大きく社会面で報道されました。通報者に誤解を解きたいと申し出ても弁護士にも会ってくれず、検事を通じて「引越」を要求してきました。
入川と母親が出会った場所は学校から駅に向かっておよそ二〇〇メートル離れたところです。宮辺鍼灸院の前で母親はどこにいたのか特定できず、幼児が一人で走ってきたのに、母親の調書では子どもの位置は最初母親の一メートル後ろだったものが、今年作られた調書では母親のすぐそばを歩いていたことに変わっていました。その鍼灸院から学校までは、ピザハットや公益社の前を通っていくことになります。公益社の前の歩道では常時警備員が二、三人立っています。母親はその前を通って、わざわざ学校近くまで小走りに来て通報したことになっています。もしも本当に恐怖を感じたのであれば、すぐに鍼灸院に駆け込むこともできるし、近くの店や警備員に援助を求めることもできたはずです。
また今年になって弁護士と共に好調に通報当日の母親の行動について問い合わせにいったところ、「その日は児童の帰りが二時だったので、見送りで事務員が体育館の前に立っていたところ『学校のかたでしょ。学校の生徒にも関係のあることなので知らせておきたい。いま不審者と出会った。子どもを抱える真似をして(母親に)誘拐するぞと言って去った』と説明して自宅に帰っていき、その後警察が学校に事情を聞きに来た」と話していました。
また警察の資料から、通報の時間は一時五六分から五九分、「誘拐するぞ」という言葉をかけられたという情報が勝手に付け加えられていることがわかりました。公判では証人として出廷してもらい、そこで通報の真否について弁護士から尋問してもらう予定です。
私たちはこの事件を通じて、社会的にも名誉をひどく傷つけられ、経済的な負担も重くのしかかり、失職の心配にさらされています(現在失職中)。これではどちらが被害者なのかと考えてしまいます。
事件となっていくその過程は、多発している「痴漢冤罪事件」と同じです。だとしたら誰もが遭遇するかもしれない「現代社会のリスク」だと言えます。警察の捜査は真実を客観的に明らかにしていくのではなく、警察の望むような内容に作り替えて、強い警察を社会にアピールしていくことを目的としたものであり、そこは民主的な社会と遮断された、権力の渦巻くブラックホールであることがわかりました。捜査は警察の思うままに操作的に進められていきます。夫は初めてのことで精神的に動揺し、相手の警察はプロ集団で太刀打ちできるものでなく、警察の思うままに扱われてあっという間に被疑者になってしまいました。
捜査は、刑事が質問して夫が「知らない」と答えると、三者選択式に刑事が用意した答えを選ばせて調書が作成されました。いくら「知らない」と答えても聞いてもらえない状況が続くと無力感に陥り、その後「このままではいつまで経っても聞いてもらえない」と思い始め、刑事が用意した答えを選んで「早く終わりにしたい」という心理状態になってしまったのです。なぜ本当でないことを認めてしまったのかと思われるかもしれません。家族と連絡も取れず、新聞などで大きく扱われているとはつゆ知らず孤立した状況で「早く帰宅して家族を安心させたい。いずれ真実は明らかになる」と思ったということです。
全くひどい話で、現場での検証は調査段階では行わず、釈放される前に形式的に被害者の言う現場設定で、形だけの写真を撮っています。これでは事実状況は未確認と同じです。外部から遮断された空間での権力の行使は、真実を遮断していき、事実とかけ離れた内容の調書を作り出し、犯罪を犯していないにも拘わらず法的な効力をもつものとなって、不当に被疑者を苦しめていきます。現在の捜査のやり方は冤罪をいくらでも創り出すものとなっています。
今回の事件は、奈良県が始めた「声かけ禁止条例」が背景として創り出された「冤罪」であることは疑いのないものです。犯罪者は「かえでちゃん事件」のように、目撃者のいないことを確認して声をかけるのであって、昼間人通りの多いところで声をかけることは決してしません。だとしたらこの条例は果たして子どもの安全のために役立つのかは疑問です。このままでは子どもが実際に危ない場面に出会っても声をかけることを躊躇し、地域力を衰退させていくことになるでしょう。署名をお願いした人たちからも「これでは恐くて、子どもに『危ない』と注意もできない」「見て見ぬふりをするしかない」という声がよく聞かれました。子どもの安全のための条例が子どもを危険にさらすものになっています。
昨年の九月一二日には事件の説明会を開催し、一五名の方が参加していただきました。二回目、三回目と開催し、支援の方々との交流を深めています。家族としても真実を一人でも多くの世間の人たちに知ってもらいたいと署名を集め、近畿大学では四五〇〇名分の署名を集めることができました。私や地域や立命館大学、奈良女子大学の心理、教育、社会学関連の先生方や学生に協力していただきました。
立命館大学の社会病理学の中村正先生は事件現場をぜひ見たいと富雄まで来てくださり、「なぜ、親切の輪が犯罪となってしまったのか」「何とかいろいろな先生方とともに手だてを考えていきたい」と語ってくださいました。地元の友人、知人、先生など、多くの方達に共感や励ましをいただき、それが私たちにはとても力強い勇気と励ましになっています。誰が考えても、悪いことをしてもいないのに親切でしたことから罰せられることはおかしいです。夫の真実が明らかにされ、潔白が証明されるまであきらめずにやり続けます。(終)