「今の教科書には最低限のことしか書いていない。全体のストーリーが見えない」。こう指摘したのは今秋、ノーベル物理学賞に選ばれた小林誠さんだ。
確かに基礎基本を重視した学習内容の「精選」で昔に比べ教科書は薄くなり、ともすれば物足りないといわれる。その意味で、文部科学省が学習指導要領を超えた「発展的な学習内容」の制限を外す案を教科用図書検定調査審議会に示したことは歓迎されよう。
ただ記述の分量さえ増えれば事足れりではない。その教科書が子供たちに語りかけ、さらにその分野の奥深い世界へいざなうような「物語(ストーリー)」をつむぎ出せるか。そうした創意工夫を尽くさなければ、単なる「負担増」になりかねない。
いわゆる「ゆとり」路線の現行学習指導要領は教科学習の内容をおおむね3割程度減らし、その分、教科書の記述もその範囲内に縮まった。しかし、批判も強く、02年の検定基準改定では、教科書の本文の中には入れず例外的に「発展的内容」であることを明示してより高度な内容の記述ができるようにした。ただ文科省はその発展的な記述量を抑制、小中学校で1割程度、高校で2割程度とした。
それを取り外そうというのである。そして、他教科や小、中学校にわたる記述の重複、繰り返しも構わないという。無駄なく「厳選」されたものであることという従来の物差しで教科書発行者を縛らず、創意工夫の発揮を促す考えだ。
だが、当然ながら、これが「低学力」問題や「学習意欲低下」への万能薬ではない。多くの大人が体験上知っているように、教科学習において教員の指導手法や工夫などが子供の理解や関心に与える影響は大きく、教科書はその有力な支えという存在だろう。
今回の「自由化」方針によって新教科書を作るに当たっては、現場の意見や経験を生かし反映させることを文科省も促すべきだ。そして今なお「教科書はその内容を全部授業で消化しなければならない」という、主として保護者が持ちがちな誤解を解く必要もあるだろう。教科書は手段であって目的ではない。
また怖いのは「暗記用知識」満載の受験用教科書に転じてしまうことだ。
学校の授業法や学習内容を改めるには大学入試改革が決め手といわれてきた。しかし、増えた大学、減る子供という状況で大学入試は受験生数確保のため軽減、簡便化が進む。大学で高校程度の補習をするのが当然のようになっている。
受験者の適性判定や選抜に手間を惜しまない入試改革が実現すれば、必然的に高校以下の教育手法も内容も変わらざるを得ない。
今回の教科書改革と併せ、従来の入試改革論議をたなざらしにせず進め、具体化を急ぐべきだ。
毎日新聞 2008年11月13日 東京朝刊